-
「僕らの平成は間違っていた②」
2019-04-29 07:00110pt渋谷のラジオで毎月一緒に番組をやっている元美容師で編集者のミネシンゴさんはパートナーの三根かよこさんと夫婦でアタシ社という出版社を営んでいる。東京ではなく、三浦半島の最南端で。編集もデザインも営業も発送も販促イベントもぜんぶ二人でやる。事務所にしている商店街の古い船具店では蔵書を無料で閲覧できるようにしていて、地元の子供たちの放課後の集い場にもなっている。夫婦二人だけが生活していければいいからなのか、出版不況にもかかわらず大手のような焦燥感はない。不必要な気負いもない。無理がない。何よりいつも笑っている。少なくとも僕の目にはそう映る。
-
「僕らの平成は間違っていた①」
2019-04-26 07:00110pt -
「センスオブワンダー」
2019-04-24 07:00110pt1娘は「かきくけこ」がうまく言えない。「こども」は「とども」となり、「きいろ」は「ひいろ」になる。「かいじゅう」は「はいじゅう」だ。その至らなさを可愛いと思ってしまうのが親バカなのだろう。
-
「共存」
2019-04-22 07:00110pt -
「海辺のサッカー」
2019-04-19 07:00110ptすっかり日が長くなった。仕事に余裕のあるときは少しでも早く保育園に迎えに行く。夕ごはんの前にもうひと遊びするのだ。娘が先生たちに「パパとね、海にいくの!」とうれしそうに報告して回る。みんなにばいばいして足早に園を出る。家に帰るなり玄関に保育園のリュックを放り出し、おやつのバナナと大きめのボールを携えて二人で海に行く。自分が放課後の小学生みたいに思える瞬間だ。
-
「月曜日の憂鬱」
2019-04-17 07:00110pt2歳の娘が進まない朝食を前に「保育園にいきたくない」と呟いた。具合が悪いのかなと検温したり、抱いて様子を見たりしたけど、どうやら月曜の雨が原因だったらしい。
「月曜病って呼んでるんです。やっぱり休日が楽しいとねえ。園の子たちにも多いんですよ」と先生が教えてくれた。「月曜日が憂鬱なのは大人だけじゃないんだね」妻が言った。「そうだね」と答えたけれど、僕自身は月曜の朝が憂鬱だったという記憶がない。大人になってからは会社勤めではない、曜日感覚のない仕事をしているからだけれど、子供の頃にもなかった。どうしてだろうと振り返ってみて、すぐに後悔した。父が亡くなったばかりのこのタイミングには相応しくないことを思い出してしまったからだ。子供の頃の僕はむしろ休日の方が憂鬱だった。家族と過ごさなければならない休日が。
自立心が強かったからだろうか。弟や妹の面倒を見たり助けたりするのが当然という長男という役割 -
「僕は僕、私は私で、アタシはアタシ」
2019-04-15 07:00110pt -
「乳幼児の噛みつきは本当にコミュニケーション手段なのだろうか」
2019-04-12 07:00110pt -
「残花」
2019-04-10 07:00110pt1これが「喪失感」というものなのだろうか。なんとなく気分が乗らなかったり、誰かにやさしくされて涙が出そうになったり、季節の変わり目とも重なって体調が芳しくなかったり、ついでに新しい元号にも何の興味も持てなかったり、という日が続いていた。まあ、元号に関してはみんなが騒げば騒ぐほど自分だけ醒めてしまうという子供の頃からの性分なのかもしれないけれど。
-
「まるで大人になったのび太がタイムマシンで過去の自分の世話を焼きに来ているみたいだ」
2019-04-08 07:00110pt2妻が出勤前に野菜うどんを用意しておいてくれた朝、起きて来た娘が開口一番「おむすび食べたい」と言った。悠々とうどんを温めながらこの後の予定を組み立てていた僕はまるで追突事故にでも遭ったときのように「えぇっ?」叫んでしまった。
1 / 2