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「楽園」
2020-05-29 07:00110pt海から里山に上がっていく途中に幾つかの川がある。そのうちの一本に散歩がてら娘を連れて行った。橋の横にある階段を下るとちょうど良い広さの河原がある。浅瀬で大雨などで増水しない限り流れも緩やかなので地元の子供たちの遊び場になっている。
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「忘れるための技術」
2020-05-27 07:00110pt三月三十日、娘が発熱して保育園を休んだのをきっかけに自主的なロックダウンを始めて丸二ヶ月が過ぎた。ずっと三人一緒だった。ここまで妻と娘と濃密に過ごせる時間はこの先ないかもしれない。そう思って前向きにこの時間を楽しもうとしていたし、楽しませたいと思っていた。
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「二〇二〇年五月二十四日」
2020-05-25 07:00110ptビーチサンダルを履いて、海を散歩した。日曜の午前十一時。地元の顔見知りとその子供たちが数名、波打ち際で水遊びをしている程度の人出だ。熱くなり始めた砂の上を歩いて、波打ち際まで来る。さざ波が足首まで海を連れて来る。冷たい冬の記憶が足下から脳天へと駆け上って来る。五月とはいえ、本当に水が綺麗だ。浜にはゴミひとつ落ちていない。
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「なんかたのしいことおきないかな」
2020-05-22 07:00110pt -
「生きることは食べること、食べることは生きること」
2020-05-20 07:00110pt -
「グライダー」
2020-05-18 07:00110ptちょうど十年前、三浦半島に移住した理由は海があること。菜園ができる畑があること。そして、可処分所得が多くなることだった。フリーランスという不安定な生き方をより長く続けていく為には高い燃料費で飛ぶジェット機ではなく、たとえ低空でも風力エネルギーだけで長く飛びつつけられるグライダーに飛び方をシフトチェンジしなければならない。それが持続可能性という考え方だった。
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「自然が育ててくれる」
2020-05-15 07:00110pt海が封鎖された大型連休中、娘を連れていくのはもっぱら里山の畑だった。種を蒔き過ぎたスナップエンドウの収穫と夏野菜の仕度が毎日ぼくらを待っていた。
初夏の青空の下、匂い立つほどの新緑を繁らせた里山は縮こまった心を解放してくれた。鳥の囀りだけが響き渡っていた。「ひとりでスナップエンドウ収穫できる?」「できるー」 三歳の娘に収穫を任せて、夏野菜の苗を植える準備を始めた。声が聞こえていれば少しぐらい目を離しても大丈夫なのが畑の良いところだ。どのくらい経っただろうか。「ほうさくだ、ほうさくだ、まんねんほうさくだ」と絵本のフレーズを口遊みながら腰につけてあげた袋に収穫したスナップエンドウを放り込んでいた娘が気がついたときには足下に立っていた。「どうしたの?」「うんち」「マジで?」
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「それでも夏に近づいていく」
2020-05-13 07:00110pt -
「種は誰のものなのか」
2020-05-11 07:00110pt微々たるものだけれど、毎月著作権料なるものが振り込まれる。額はまちまちだ。レストランで贅沢な食事ができるくらいの時もあれば、家族をちょっとした海外旅行に連れて行けるくらいの時もある。それだけで暮らし行けるというほどではないけれど、二十代、三十代の自分自身からの時を超えたギフトとして有り難く頂戴している。
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「変わらない愚かさは強さでもあるのかもしれない」
2020-05-08 07:00110pt1三月二十一日に執り行うはずだった父の一周忌法要はいつになったらしてあげられるのだろう。正直、緊急事態宣言が出てすぐの週末は絶望した。海沿いの国道がゴールデンウイーク並みに渋滞していたからだ。一周忌法要もオリンピック同様一年後に延期せざるを得ないくらい長期化するだろうと思った。
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