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記事 13件
  • 「ぼくはいまここにいる。」

    2023-10-30 07:00  
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     娘と同級生を水泳教室が行われている市民プールに送り届けた後、レッスンが始まったのを見届けから再び車を走らせた。教室が終わる一時間後までに夕食の買い出しなどを済ませるのだ。一時間前まではひとりで原稿に向かっていたことを思うと肉体はここにあるのに意識は別のところに存在しているような。あるいは自分の一部が乖離して別の場所で父親という役割を果たしているような不思議な気持ちになる。
     

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  • 「その挾間で揺らいでいる」

    2023-10-27 07:00  
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     季節感の狂ったインフルエンザウイルスが猛威を振るっている。娘の小学校も戦々恐々だ。先週は娘の隣のクラスが学級閉鎖になった。他の学年でも幾つか閉鎖されたクラスがあるそうだ。海沿いの通学路を山頂から降り注ぐ朝日を浴びて歩いていく色とりどりのランドセルの数も心無しか減っている。
     

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  • 「地球でいちばん美しいもの」

    2023-10-25 07:00  
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  • 「耕作放棄地」

    2023-10-23 07:00  
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     里山にある菜園の一角が耕作放棄地のように荒れていた。いや、荒らしてしまった。秋晴れの空の下、一面に蔓延った雌日芝が秋の風に揺れていた。
     

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  • 「人生に勝ち負けはあるのか」

    2023-10-20 07:00  
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     人生に勝ち負けなんてないと最初に言ったのは誰だったのだろう。すべてを手に入れた勝者か。あるいは這いつくばって悔しがる敗者か。それともどちらでもない神なのか。その言葉は羨望の眼差しを回避するための慰めか。あるいは劣等感を塗り潰すための強がりか。それとも真実なのか。
     

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  • 「会いたい人には会えるときに会っておこう」

    2023-10-18 07:00  
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     54歳。還暦までが短いようでとても長く感じられるようなった。38㎞地点で脱落していくマラソンランナーのように還暦という節目の前でリタイヤせざるを得なくなった人たちが数多く目につく。実数では無事に還暦を迎えている人の方が遙かに多いのだけれど。
     

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  • 「おおきい一年生とちいさい二年生」

    2023-10-16 07:00  
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     ある自治体の条例案が全国的に批判を浴びて廃案になった。案を出した自民党県議会は陳謝した。ぼく自身もその案には違和感を憶えていた。でもその違和感は多くの人が感じていたものと少しだけ違っていたようだ。
     

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  • 「ぼくが彼だったかもしれない」

    2023-10-13 07:00  
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     自分が彼(彼女)だったかもしれないと感じる人と擦れ違う瞬間はないだろうか。ぼくはたびたびある。たとえば徒競走で横並びだったランナーのひとりが最終コーナーで転んだとき。たとえば通勤ラッシュ時に駅の階段を昇っていて目の前の人が派手に転んだとき。タイミングを間違えていればぼく自身が彼(あるいは彼女)だったかもしれないという思いが去来する。だから手こそ差し伸べられずとも、救いがあることを心の中で祈る。同情とは違う。見下しているつもりもない。自分の方がその人より幸せだなんて思ってもいない。幸せも不幸せも運次第というか、ただの巡り合わせに大きく左右されることもあると思っているからこそ「たまたま」転んでしまった人のことをタイミングが違っていれば自分だったかもしれないと感じるのだと思う。
     

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  • 「平和なのか、それとも嵐の前の静けさなのか」

    2023-10-11 07:00  
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     明け方、津波注意報のアラームで目を覚ました。海辺暮らしでもっとも緊張する瞬間だ。未明からの冷たい雨と祝日で目の前の相模湾に出ている船はなかった。先週から鳥島近海で多発している地震による津波が続いている。アフガニスタンでも大きな地震が起きた。落ち着かない。
     

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  • 「暮らしを耕す」

    2023-10-09 07:00  
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     日が昇ったら起きて、畑で汗を流し、自分たちで作ったおいしいごはんを食べ、笑い合い、日が沈んだら眠りにつく。時々、空を見上げて、泣いちゃったりもする。 
     そんな「暮らし」がしたくて、海辺の町に来た。もう13年になる。当たり前だと思っていた都会での消費するだけの暮らしが当たり前なんかじゃなかったと気づかされた暮らし。当たり前のようで当たり前なんかじゃない暮らし。その「暮らし」を続けていくためにもうひとつやっていることがある。
     

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