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「いのちを食べて、僕らは生きる。」
2016-04-29 07:00110pt3僕らは「いのち」を食べて生きている。それは紛れもない事実だ。しかし、僕らはその真実にモザイクを掛けたような日々を生きている。モザイクの下で行われていることを僕らが見ることはほとんどない。だからモザイクの下にどれほどの矛盾や欺瞞があったとしても、僕らはそのことに気づかないし、知ることもない。けれど、隠しても隠しきれないものもある。それは
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「春の山菜づくし」
2016-04-27 07:00110pt4荷をほどいたと同時に、野山の力強い香りが鼻先に広がった。差出人は群馬県渋川市の見城さん。幻の洋梨と呼ばれるコミスなどを栽培されている果樹農家だ。誰よりも自分で食べたいから育てるという本物のグルメであり、山の達人でもある見城さんは春のこの時期になると、自ら野山で摘んだ山菜をどっさりと届けて下さる。「いいの、いいの、レストランに頼まれたのを送るついでだから」とおっしゃってくれるけれど、そのレストランや料理人の方の名前を聞けば聞くほど、同じ食材が素人料理人である僕らのところに届けられるのがさらに申し訳なくなってしまう。
今年届けて下さったのは、
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「これは『移民の歌』というフィクションだ。」
2016-04-25 07:00110pt210年前に想像した通りの風向きに暗雲が流れている。忘れもしない。青山のレストランでいかにも高そうな皿に盛りつけられた料理(大根にバルサミコ酢かなんかをかけた「これって要するに洋風おでん?」みたいな)を食べているときに感じた「この代金の10分の1も大根を育てた農家さんには払われていないんだろうな」「だったら大根1本1千万円でも売らない」と農家さんが言い始めたら、食料自給率0%のコンクリートジャングルで暮らし、消費することで生活を成り立たせている僕はきっと飢え死にするんだろう、という最悪の想定に基づいたシナリオだ。
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「ダイヤモンドを待ちながら」
2016-04-22 07:00110pt5「そういえばダイヤモンド富士ってまだ見たことないよね」 妻とそんな話をしたのは4月の始め。いつものようになんとなくビーチグラスを拾い集めながら夕暮れの浜を散歩していたときだった。水平線の向こうで夕陽のバックライトを浴びた富士山が僕らを見ていた。
この海辺の町では春と秋の1年に2回、
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「海藻の森」
2016-04-20 07:00110pt2僕が暮らす三浦半島において、近年ワカメやヒジキと並ぶ春の名産として注目されている海藻がある。アカモクだ。巨大なシダ植物のようなこの海藻はとても生命力が強く、冬から春先に浅瀬で5〜7メートルに成長。漁船のスクリューなどに絡みつくことから長年、漁師たちの間で厄介な雑草とされて来たという。ところが2007年、
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「地球という水に恵まれたこの惑星で」
2016-04-18 07:00110pt6宇宙空間から見る僕らの星はまるで漆黒の闇に輝く水晶のようだという。地球は豊かな水に恵まれた惑星だ。毎日海を見ながら暮らしているとそれが言葉通りだと分かる。特にこの季節はアカモクという海藻が濁った海を綺麗にしてくれるので真水のように透明度が高い。ただ、幾ら透明だからといってそのまま飲むことはできない。気化して、雲となり、雨となり、山に降り、川となり、或いは地下で湧き水となり、ようやく僕らの身体に相応しい命の水となる。地球が保有する豊かな水のうち僕ら人間が容易に使えるのはわずか0.01%、残りの97.5%は濃い塩分を含んだ海水で、2.5%ある淡水もその殆どは凍っているという。
依然として予断を許さぬ状況の続く熊本市内では多くの地域で断水が続いており、
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「ビューティフル・ネーム」
2016-04-15 07:00110pt3保育園の建設が中止になったという、ある町での報道になんとも言えないやり切れなさみたいなものを感じた。口の中に飛び込んで来た小さな虫を偶然噛んでしまった時のような、何度うがいをしても拭い去ることのできないような気持ち悪さが残った。僕自身はいくつかの記事を読んだに過ぎない。それもある一部分だけが切り取られた報道だ。そこに住む人たちにしか分からない苦労や思いを知らずして、ましてや余所者の僕なんかがとやかく言うことじゃないことは十分わきまえているつもりだ。
という前提で、他の市町村にも通じるであろう現実として感じたことがある。
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「海辺のまでいなマーケット」
2016-04-13 07:00110pt2海辺で暮らしているとなんだか心が穏やかになる理由のひとつに、生きてゆくのに欠かせない「海の恵み」がいつも目の前に広がっていることもあるのかもしれない。
週末に覗いた、葉山は森山神社の「までいなマーケット」。「真手いな」とは福島県飯館村で使われている「手間暇惜しまず、丁寧に、心を込めて、じっくり」という意味の方言だ。そんな「までいな」な暮らし、商売を実践する葉山周辺の人たちが手作りの品々を持ち寄ったマーケットであり、ワークショップであり、情報交換の場で、僕は当たり前のように目にしているからこそ忘れがちな海の恵みについて改めて教わった。
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「良い波が立っている日に何もかも放っぽり出してサーフィンをするくらいの自由が僕らには必要なのかもしれない。」
2016-04-11 07:00110pt4天気予報によると、春の空気と初夏の空気が海の上で喧嘩しているそうだ。春の空気が勝てば気温は低いけれどカラッとした快晴に。初夏の空気が勝つと気温は高いけれど湿気を多く含んだ曇天になるという。なんて子供にも解り易い予報通りだったここ数日、海辺の町では天気予報で言われていなかった自然現象がもうひとつあった。温度の違う空気の衝突により起きた強い風による、波の大きなうねりだ。波浪である。
金曜の朝は特にサーフィンには絶好の波が立っていた。
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「そこでしか味わえないものがあったっていいじゃないか」
2016-04-08 07:00110pt8里山を登り切った湘南国際村というところにある乗馬クラブに、毎年この時期に色とりどりの甘い香りをどっさり届けて下さる方がいる。湯河原で果樹園を営んでいる宮田農園さんだ。無農薬のキウイ、甘夏、いよかん、中でも僕らが楽しみにしているのが、県内で”幻のオレンジ”と言われている「湘南ゴールド」だ。
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