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記事 13件
  • 「最後の家族写真」

    2019-03-29 07:00  
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    これは救命なのか、延命なのか。心の準備もできていないままその難しさに直面した。
     

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  • 「最後の晩餐」

    2019-03-27 07:00  
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     父が亡くなる10日前のことだ。日曜の昼下がりに娘と二人で実家で療養している父を訪ねた。 

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  • 「慕情」

    2019-03-25 07:00  
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     父の遺品整理中、天袋で一枚の古いLPレコードを見つけた。1955年に公開された映画『慕情』のサントラ盤だった。「一緒に観たの?」と訊ねたら一段と小さくなった母はぽつりと「リバイバルでね」とだけ答えた。
     

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  • 「東京にもあったんだ」

    2019-03-22 07:00  
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    その夜、病室で父とふたりきりで過ごしました。
    生と死の境目で懸命に息をしている父は全身ですべてを語っていました。
    ベッドサイドで見守ることしかできなかった僕は、必死でその言葉を書き留めました。父が教えてくれた「生きるということ」のすべてを。
    数時間後。
    一緒に浴びた朝日が、結果的に父にとって生涯最後の夜明けになりました。故郷熊本の空ではない、僕らを育てたこの町の朝日が。

     

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  • 「人間、家と外、どちらかでちゃんとしていればそれでいい」

    2019-03-20 07:00  
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     どうしても夏服がいいとか、どうしてもワンピースで行きたいとか。娘が気まぐれに自己主張を連発する朝もある。親の許容範囲を見ている、みたいな話も育児書にはあるけれど、一応、夏服じゃ寒いよ、とか、ワンピースは保育園では禁止されているんだよ、とダメな理由は伝えるけれど(言えば言うほど自分がつまらない人間に思えるので本当は言いたくもない)、基本的には好きにさせることにしている。かくいう僕自身がそういう子供だったからだ。誰に何と言われても自分でやってみないと気が済まない。痛い思いをしないと分からない。むしろ今もそういう人間だと言っていい。そういう非常識な人間が親になったからといって常識人ぶったところで底が知れているというものだ。
     

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  • 「それでも生きていく」

    2019-03-18 07:00  
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     4月下旬のような陽射しだったけれど、心は晴れなかった。海辺の町には強風波浪警報が出されていた。透き通るような青さだったけれど、海は荒れ狂っていた。さすがのサーファーも、というより、さすがだからこそこういう日は海に出ないのだろう。
     

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  • 「子供を育てているようで、実は子供に育てられているんだな」

    2019-03-15 07:00  
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     僕は登校許否児だった。同級生はみんな子供だとバカにしていたし、大人はみんな偽善者に思えて信じることができなかった。勉強なんてひとりで教科書を読めば家でだってできる。どうして学校に行かなければいけないのか。そう聞いたところで返って来るのは結局のところ義務教育だからという服従を強いられるような答えだけ。そんな時期に無理に学校に通わされた記憶がないからだろうか。娘に保育園に行きたくないと泣かれると無理に預けることができないのは。
     

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  • 「野草も子供も土があれば勝手に育つ」

    2019-03-13 07:00  
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     長閑である、というのはこういうことだったんだと海沿いのトンネルを抜けた先にある里山で畑を耕すたびに思う。
     

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  • 「3月11日を知らない子供たち」

    2019-03-11 07:00  
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     海を見るたび、テレビの前から動けなくなった〈あの光景〉が頭の片隅を過らない日はない。目の前にいつも海がある僕にとってはつまり、ほぼ毎日だ。
     

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  • 「黒猫の記憶」

    2019-03-08 07:00  
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     朝、二人で保育園に向かうとき、娘が思いも寄らぬことを口にすることがしばしばある。
    「お父さん、黒猫怖い?」 

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