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記事 27件
  • 米インディープロレス狂騒曲:WWEに行く必要がない、あるいは行きたくないという選択肢が可能になっている時代

    2018-02-15 12:54  
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    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマは「米インディープロレス狂騒曲:WWEに行く必要がない、あるいは行きたくないという選択肢が可能になっている時代」です!
    近年の米プロレス業界は、インディープロレス黄金時代だと言われている。SNSでプロモーションを行ったり、ネットでグッズを販売したり、試合をインターネットで配信することができるようになり、しっかり食っていくことができる、才能豊かなインディーレスラーが現れ始めているのだ。特に、新日本プロレスやROHに絡んでいる選手の中には、以前であればWWEに入団しない限り得られなかったような大金を得ている人もいる。
    米国のインディースターのパイオニアとされているのは、1999年にデビューしたコルト・カバーナだ。インディープロレスといえばかつては、試合を見るには会場に行くか、通信販売でDVDを購入するしかなかった。グッズも会場で選手自身が細々と手売りをしているだけだった。大学で経営学を専攻したカバーナは、そんな状況を少しでも改善しようと、自分のTシャツやグッズのオンライン販売を始めたのである。
    2007年にWWE入りしたカバーナが、2009年にリリースされてインディーシーンに戻ってみると、インディーレスラーの間で自分のやり方がより進化して普及していた。しかもYouTubeやネット配信がスタンダードになっていた。
    「私がプロレスラーになった頃には、インディーのスター選手などというものは存在すらしなかった。しかし今では、こんなことになるとは想像もしなかったのだけれども、インディーでもいい暮らしができるようになった、というだけでなく、WWEに行く必要がない、あるいは、行きたくないという選択肢が可能になってきている」
    この続きと、RIZINと競技、ロイヤルランブル総括、安田忠夫・新日編、田上明、K-1崩壊などの記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 縁の下の力持ち!! 坂口征二の荒鷲人生■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2018-02-14 12:10  
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    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「世界の荒鷲・坂口征二」です! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」冬木弘道版つきでお届けします。


    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>
    WARからイッテンヨンへ! ライオン・ハート時代のクリス・ジェリコ<new>
    「情」で生きる佐々木健介の激烈人生! プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE 暴走親方、諏・訪・魔!!嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生
    “四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み!  猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!
    全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信
    鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”
    高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿――今月のテーマは“世界の荒鷲”坂口征二さんです!
    小佐野 坂口さんといえば、プロレス大賞授賞式の乾杯の音頭はずっと坂口さんだったけど、小橋(建太)に代わってね。坂口さんは33年間やってましたからね。
    ――33年もやってましたか(笑)。
    小佐野 坂口さんが日本プロレスで売り出されたとき私は小学3年か4年生だったんですよ。
    ――小学生時代の小佐野さん!! 時の刻みがねじれてる感があります(笑)。
    小佐野 声を大にして言いたいのは、坂口さんはアイドルレスラーの元祖だったんです(笑)。
    ――えっ、あのビッグサカがアイドルレスラー? 
    小佐野 というのは、あの頃の坂口さんは“黄金の若鷲”と呼ばれてまして。馬場さんに継ぐ身体の大きさに加えて、均整の取れた肉体を誇ってて、顔も昔風の美男子。だから“昭和の桃太郎”とも呼ばれてて(笑)。
    ――“昭和の桃太郎”!(笑)。息子さんが人気俳優(坂口憲二)になるのもわかるというか。
    小佐野 日プロ入りした坂口さんは修行先のロサンゼルスでデビューしてて。こんがりと日焼けした日本人プロレスラーの第1号だったんだよね。かつて日本人の憧れだったカルフォルニアのムードもあって。
    ――だからアイドルレスラーの元祖だったんですね。言われてみれば、石原裕次郎の青春映画に出てきそうな雰囲気がありますよね。
    小佐野 そうそう。それにあの頃は馬場さんも猪木さんもコスチュームはガウンだったけど、当時の坂口さんは金のスパンコールのジャンパーがコスチュームだったんです。
    ――へえー、坂口さんはガウンのイメージが強いですけど。
    小佐野 アメリカ武者修行中は、仲の良かった竹内(宏介)さんにしょっちゅう手紙を送ってたみたいで。それがそのまま雑誌の企画になるくらい筆まめだったみたい。
    ――大物柔道家のプロレス転向はインパクトはあったんですよね。
    小佐野 その頃の私は子供だったからよくわからなかったけど、売りは「柔道日本一」だったよね。ジャイアント馬場の後継者になれるかもしれない逸材。いままでの日本人レスラーが使ってなかった技を使って。例えばネックハンギングツリーとか。アトミックドロップも馬場さんを使ってたけども、坂口さんは決め技として使ってね。ショルダーバスターやアルゼンチンバックブリーカーも坂口さんが日本人として初めて使ったんだよね。
    ――超期待の大型新人だったわけですね。
    小佐野 外国人のパワーに負けなくて、ビジュアルもかっこいい。それが坂口征二というプロレスラーのイメージ。猪木さんが日プロから東京プロレスに移籍したときに、日プロが対抗するために坂口さんを獲得したんです。ただ、坂口さんが入った2ヵ月後には猪木さんは日プロに戻ってきちゃったから。
    ――坂口さんは馬場さん、猪木さんに次ぐ三番手の位置づけになったんですね。
    小佐野 坂口さんは年齢的には猪木さんよりひとつ上なんだけど、猪木さんには“力道山の弟子”という血筋があるでしょ。坂口さんは柔道界からスカウトされたプロレスラーだし、猪木さんのほうが格上に見えちゃうよね。やっぱり馬場さん、猪木さんとは7年もキャリアが違うから。
    ――やっぱり力道山直系の肩書きは強いんですねぇ。
    小佐野 そのぶん坂口さんにはフレッシュさがあったんだけどね。力道山の流れじゃないところから生まれたスターだったから。
    ――プロレスラーとしての評価は低くなかったんですよね?
    小佐野 そのうち馬場さんも日プロを抜けて坂口さんがエースになるんだけども、形的には大先輩の大木さんがトップということにしなきゃならない。だから伝統のインターナショナルのベルトは大木さんが巻いた。だけど、大木さんがトップでは日プロはやっていけないから、坂口さんが実質的なエースなんですよ。
    ――それくらいのレスラーだった。 
    小佐野 ちょっと話は前後するけど、猪木さんがクーデター未遂を理由に日プロを解雇されたあとは、猪木さんが持っていたベルトを坂口さんがすべて獲得するんです。UN、アジアタッグ、インタータッグ。馬場さんと東京タワーズを結成してね。あのままにいけば馬場・猪木クラスのトップレスラーなっても全然おかしくなかったけど、新日本では一歩引いた立場で。
    ――坂口さんはナンバー2のイメージが強いですね。
    小佐野 坂口さんは二番手に収まる気はなかったんだよ。有名な「片手で3分事件」もあったでしょ。
    ――新日本を旗揚げした猪木さんとは派手な挑発合戦をやっていて。小佐野 新日本に合流したときも坂口さんはギラギラしていた。ただ途中から会社のためを考えたら〝両雄並び立たず〟だろうと悟って、坂口さんは一歩引いたかたちになったんだよね。猪木vsウィレム・ルスカの異種格闘技戦があったときも、最初は坂口さんに話があって。ほら、坂口さんは柔道日本一だから。
    ――ルスカは柔道五輪の金メダリストですから、柔道対決を考えちゃいますよね。
    小佐野 でも、当時の営業本部長だった新間(寿)さんは猪木さんにやってほしかった。そこを坂口さんが理解したってことだよね。「自分よりは猪木さんがやったほうが世間的にも話題になる」と。そこで初めて猪木さんをエースにしてやっていくことを自覚したと言ってたね。
    ――猪木さんの坂口さんへの信頼感も厚かったですよね。
    小佐野 そりゃ信頼するでしょ。坂口さんはあれだけ気配りができるし、細かい実務的なこともやってくれるんだもん。昭和の新日本が好調だった時代のマッチメーカーは坂口さんだったしね。
    ――いわゆる現場監督的立場だったんですね。
    小佐野 金曜夜8時のテレビ生中継のことも考えて、8時になればタイガーマスクの試合が始まり、長州さんと藤波さんの試合があって、最後は猪木さんが締めるという。団体の窓口も猪木さんより坂口さんのほうが都合がよかった。NWAも坂口さんが会員として加盟できたんですよ。
    ――ああ、そうでしたね。
    小佐野 結局何かトラブルがあると坂口さんが表に出ていった。全日本プロレスと揉めたときも坂口さんが馬場さんと話をしてね。
    ――馬場さんも坂口さんなら信頼できるということだったんですね。
    小佐野 馬場さんとの関係性を考えたら、坂口さんはむしろ日プロから全日本に移らなかったほうが不思議なくらいだよね。
    ――そこで全日本に移っていたら新日本の歴史はかなり……。
    小佐野 日プロを放映していたNET(テレビ朝日)の方針は、来年には日プロの中継を打ち切ると。日プロには新日本と合併するなるなら面倒を見るという条件を出していて。そこで猪木さんと坂口さんが話し合って、新日本も日プロも解体して、新しい団体を作るということで合意したんだよね。五分のかたちで合体しようと。
    ――坂口さんは新日本に移りますけど、日プロと新日本はは合併はしませんでしたね。
    小佐野 大木(金太郎)さんが反対して合併案が却下されちゃったんだよ。最初は選手全員が納得していたんだけども、オフで韓国に帰国していた大木さんが戻ってきたら「そんな話は聞いてない。猪木が日プロを乗っ取ろうとしたときと同じじゃないか!?」と怒ってね。結局大木さん側につく選手も現れて、新日本に移ることになったのは坂口さん、キラーカーン、木村健吾、大城大五郎、田中米太郎、その5人だけだった。
    ――そこで大木さんが話を飲んでいたら、プロレス史は変わっていたでしょうねぇ。
    小佐野 結局日プロは崩壊して、あとになって大木さんが新日本に参戦したときに坂口さんと壮絶なケンカマッチをやってね。坂口さんは普段は温厚なんだけど、柔道で日本一になった人だから。怒らせたら本当に怖かった。感情むき出し。仲の悪かった前田日明との試合もそんな感じだったよね。
    ――坂口さんがマジでやったら強いでしょうねぇ。
    小佐野 坂口さんは大木さんと「試合もしたくない!!」と拒んでたんだから。大木さんが絡んだ新日本の韓国遠征には一度も行ってないし。
    ――カテエ!
    小佐野 そういうところは坂口さんは頑固。大木さんとの試合は2回やって2回ともに無効試合になったのかな。もうグチャグチャの試合になってね。新間さんがどこかの巡業先で2人に握手させたとか言ってたかな。「このままじゃ困るから」っていうことで。
    ――坂口さんが日プロから出ていく最後の日も修羅場だったとか。因縁は根深いんでしょうねぇ。
    小佐野 坂口さんと一緒に新日本に移る大城さんが桜田(一男)さんに試合でボコボコにされたってやつだよね。あの日、坂口さんは会場近くのビジネスホテルにチェックインして、そこで着替えて車に乗って会場入り。そうしたら試合で大城さんがボコボコにされて、坂口さんはセミファイナルで大木さんと組んでのタッグマッチだったんですよ。
    ――うわっ〜!! 痺れますねぇ。
    小佐野 大木さんのほうはセコンドで周囲を固めていて臨戦態勢ですよ。どうやら「坂口が試合で変なことをするんじゃないか」と囁かれていたから。坂口さんにはそんなつもりまるでなかったんだけどね。
    ――大木さんたちも疑心暗鬼だったんですね。
    小佐野 坂口さんは試合が終わっても控室に戻らないで、メインも見ずにそのまま車に乗ってビジネスホテルに帰ったんです。日プロ側も坂口さんたちが控室に戻ってこないことに気がついて「あっ、逃げやがった!!」と追っかけてきて。
    ――やるか、やられるかですねぇ。
    小佐野 そのビジネスホテルにも留まってると危険ということで、着替え終えたらそのまま新日本道場に向かったんですね。道場には藤波さんと小鉄さんが「よく来てれました」と出迎えてくれて。シリーズ中も新間さんが坂口さんに電話を入れて「試合に出ないで休んだほうがいいんじゃないか」と心配したんですよ。やっぱり無事に新日本に合流してほしいから。
    ――坂口さんもよく最後までやりきりましたねぇ。
    小佐野 そのシリーズ中に坂口さんとジョニー・バレンタインとのUN選手権が横浜であったときも、日プロから頼まれたバレンタインがセメントを仕掛けるんじゃないかという噂が流れて。そこで猪木さんが極秘にバレンタインと会って「変なことはしないでくれないか」と頼んだという話もあったり。
    ――場外乱闘のクセが凄い!(笑)。この続きと、RIZINと競技、ロイヤルランブル総括、安田忠夫・新日編、田上明、K-1崩壊などの記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 中邑真輔がWWEで成功するのは、あったりまえじゃん!■二階堂綾乃先生のロイヤルランブル

    2018-02-14 11:35  
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    2018年にもなって「いまの新日本プロレスには猪木イズムが足りない!」などと口走ってしまうオールドファンに向けて二階堂彩乃(@nikaidoayano)先生が“いまのプロレス”の魅力をお伝えする共存共栄コーナー。今回のテーマは中邑真輔が優勝したロイヤルランブルです!【前回はコチラ】「Y2J」コールができなくても楽しかったクリス・ジェリコ――二階堂先生が大好きなシンスケ・ナカムラがWWEロイヤルランブルで優勝しましたよ!
    二階堂 中邑選手のロイヤルランブルが見たくて、WWEネットワークに入会しちゃいましたっ。普段WWEはJSPORTSの無料中継を見て満足してたんですけど、「これは入らなきゃいけない!!」と。
    ――見た感想はどうでした?
    二階堂 あいかわらずWWEのお客さんは熱がありますよね。たとえばプレートにしても日本のファンはちゃんと工作したものを持っていくんですよ。でも、向こうのファンはペラペラの紙に殴り書きしたヤツを掲げて「ウェ〜〜イ!!」って騒いでて(笑)。
    ――さすが陽キャの本場、U☆S☆A!!
    二階堂 日本人は「こんなヘンな工作物は恥ずかしい……」って思っちゃうんですけどねぇ。ロイヤルランブルで最後に残ったのは中邑選手とローマン・レインズだったじゃないですか。WWEの中でローマンレインズが一番好きなんですよねー。イケメンだからっ!!
    ――イケメンなら仕方ないです。
    二階堂 ローマン・レインズって試合がイマイチということでブーイングされがちなんですけど。でも!ビジュアルがいいから大好きで。
    ――イケメンなら仕方ないです!(2回目)。
    二階堂 ビジュアルのいいローマン・レインズと、私の好きな中邑真輔。私の愛した男たちがレッスルマニアのメインを懸けて戦ってるんだなあーって(ウットリ)。
    ――そんな中邑真輔が新日本を離れたときはショックでした?
    二階堂 いろいろと文句を言う人もいたじゃないですか。「新日本を捨てるのか!?」とか。
    ――あらま、そういう声があったんですね。二階堂 ありましたねー。中邑選手のことが好きすぎて「WWEに行かないで!」という人もいたと思うんですね。でも、私は「やったー!  中邑真輔がWWEに行くのはあったりまえじゃん!」みたいな感じでした。もともとアメリカでも人気があると聞いていたし、アメリカでも成功するだろうと思っていたので。私はWWEに行くことが嬉しかったんですけど、ここまでの大活躍にはビックリしましたね〜。
    ――レッスルマニアが“本番”ですからね。お楽しみはこれからですよ!この続きと、RIZINと競技、ロイヤルランブル総括、安田忠夫・新日編、田上明、K-1崩壊などの記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 【パンクラス歴史的死闘】仙三、一度はグローブを置いた後悔「このままじゃ負け犬じゃないか」

    2018-02-09 13:09  
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    歴史に残る死闘となったフライ級キングオブパンクラスのタイトルマッチ、仙三vs若松佑弥――。激闘の模様は無料で公開されているコチラ(https://abema.tv/video/episode/238-11_s0_p13)をご覧になっていただきたいが、35歳仙三は若き最強のチャレンジャーをどう迎え撃ったのか? ボクシング東日本新人王に輝き、8戦無敗の戦績を残しながら悔いが残る引退、そして戸惑いのMMA挑戦。そこには「逃げた自分」と決着をつける戦いでもあったのだ。
    ――若松佑弥選手とのパンクラスフライ級タイトルマッチは歴史的死闘でした!
    仙三 ありがとうございます! 若松選手のおかげで凄い試合ができました。本当に素晴らしい選手だと思います。
    ――激闘の代償として、仙三選手は右手を骨折されそうですね。 
    仙三 はい。試合後の控え室に戻ってから、けっこう時間が経ってから痛みが出てきて。
    ――どのタイミングで骨折したんですか?
    仙三 いやもう試合自体の記憶が全然なくて。最初の方は覚えてるんですけど……あとで映像を見て4ラウンドにパンチで倒されたことを知って。いままで記憶が飛んだことってないんですよ。勝った瞬間も覚えてないです。マイクアピールをしてるときに「……あっ!」と気が付いて。という感じなんですね。
    ――今回は無敗の新進気鋭の若手がチャレンジャーでしたけど、下馬評では仙三選手が不利とされてました。チャンピオンとしてそういった前評判をどう捉えてたんですか?
    仙三 まあ、いつものことだなって。毎試合自分の評価はそういう感じなので、とくに気にならなかったです。デビューしたときから、自分が勝つと思われた試合は一度もないんじゃないかなって(苦笑)。
    ――「チャンピオンなのに!」という忸怩たる思いはなかったと。
    仙三 なかったですね。 自分はいつも挑戦者のつもりなので。
    ――若松選手にはどんなイメージがありましたか?
    仙三 打撃に一発の強さがある強敵ですね。若松選手が上に来る前から好きな選手だったんですよ。
    ――注目したんですね。
    仙三 ひとりだけズバ抜けてるなと思ってたんです。いずれは上がってくるんだろうなと思ってたんですけど、一番やりたくない相手だなと。 
    ――KOを量産する若松選手の打撃を脅威ですよねぇ。
    仙三 正直一発ももらわないなんて無理なので、一発二発は確実にもらう覚悟はしてたんです。たとえ、もらっても意識飛ばなければ勝てると思ってたんですけども、意識が飛んじゃったんで(苦笑)。
    ――やはり強烈だった。
    仙三 でも、全然戦えると思ってましたね。 MMAでもハンパじゃない選手たちと戦ってきたし、ボクシングの新人王やB級トーナメントで優勝したときも、とんでもない強打の選手とやってきてたので。心が折れることはないなって。
    ――仙三選手は1ラウンドから距離を取って、ときおり飛び込んでパンチを当てていきましたね。 
    仙三 1ラウンドのことは覚えてるんですけど、何発か打ってスカされたんで「読まれてるな」「研究されてるな」って。そこは予測してなかったんです。「パンチは当たる」と思って試合に臨んだので、スカされたことで軌道を変えることにして。
    ――若松選手の動きに対応したんですね。
    仙三 それはボクシング時代の技術ではなく、MMAをやり始めてから、相手の状態によっていろんな軌道で打てるようになりましたね。
    ――4ラウンドまでは仙三選手がペースを握ってましたよね。
    仙三 あとで映像を振り返ったんですが、4ラウンドも倒されるまでは自分がラウンドを取ってたと思うんですよ。もう記憶がないから何を考えていたかはわからないですけど、「行ける」って油断したというか、そこはチャンスを逃さなかった若松選手も凄かったんですけども……これはいま振り返ってのことなんですけど、若松選手はボディがけっこう効いていて、スタミナが切れかけていたと思うんですね。
    ――仙三選手のボディパンチとヒザがかなり当たってました。
    仙三 それで「もうパンチが死んだはずだ」と思って、自分が距離を取っちゃったと思うんですよ。そのときに若松選手は一発で仕留めるパンチが打てるまで回復したんですね。あそこで自分が距離を取らずにしつこくインファイトを仕掛けていたら、あの一発は生まれなかったんじゃないかな……って。
    ――ポイントでは完全に上回っていたぶん、仙三選手に余裕ができたことが、あわや逆転劇を……。
    仙三 若松選手のパンチは殺したし、気力やスタミナも残っていないに違いない。距離を保ってジャブでいなし続ければ、負けることはないな……と、あのときの自分は思ったのかもしれないですね。それで回復した若松選手のパンチを食らっちゃって、試合の記憶が……。
    ――正直あのままKOされてもおかしくなかったですよね。
    仙三 映像を見てビックリしました。追撃もけっこう食らってましたし。
    ――よくあの体勢から立ち上がりましたね。ちょっとでも遅れたり、動きが止まっていたら……。
    仙三 そこは気持ちで立ち上がりましたよね。「死んでも勝つ!」と思ってましたから。
    ――死んでも立ち上がるって矛盾にもほどがありますけど(笑)。
    仙三 そうですね(笑)。どんな状態でもケージを利用しても立ち上がることは練習してたんですけど、記憶がなくても自然に立ち上がってたんでしょうね。
    ――大ピンチを乗り越えた仙三選手は、最終5ラウンドでラッシュを仕掛けてTKO勝利をものにします。
    仙三 そこも記憶はないんです。映像を見て「こうやって勝ったんだ!?」って。若松選手も意識は朦朧としてましたね。
    ――最後まで倒れなかった若松選手の意地が見えましたし、2人とも戦闘本能だけで戦っていたというか。
    仙三 周りからこうやって褒められるのも、若松選手のおかげですね。戦うことができて本当に感謝しています。なぜボクシングを引退したのか? 「なんで総合なんかやっただろう?」という戸惑い……仙三インタビューはまだまだ続く!
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  • 前回はプロレス風味のフットボールで大失敗! ビンス・マクマホン(72)、XFLで最後のリベンジ

    2018-02-09 13:08  
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    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマは「前回はプロレス風味のフットボールで大失敗! ビンス・マクマホン(72)、XFLで最後のリベンジ」です!1月25日、WWE会長兼CEOのビンス・マクマホンが、フットボールリーグ『XFL』の創設を発表した。開幕は2020年1月下旬を予定している。
    XFLといえば、ビンスは2001年にも米地上波NBCと共同で同じ名称によるフットボールリーグ事業に着手したことがある。盛大な花火を打ち上げてスタートした2001年版XFLであったが、テレビ中継が歴史的な低視聴率にあえぎ、結局両社併せて1億3,798万ドル(約151億円)の損失を計上、たった1シーズンで事業撤退に追い込まれた。
    スポーツビジネス史上最大の大失敗とされるXFLに再チャレンジするというのだから、差し当たっての評判は必ずしも芳(かんば)しいとはいえない。
    2001年版のXFLはもともと、さまざまなタイミングや出来事が重なっての旗揚げだった。当時、NBCは巨額な放映権料を嫌ってNFLから撤退、フットボール中継の安価な代替品を探していた。一方のビンスは、カナダのフットボールリーグ、CFLを買収しようとして失敗、そのリベンジを果たす機会を狙っていた。2001年はWWEブームのまっただ中。ビンスは、若い視聴者を引きつけるマーケティングの天才、テレビの神とみなされていた。ビンスにならフットボールだって売れる、競技の品質などどうでも良いと考えられていたのだ。
    2001年版XFLのキャッチフレーズは、“What Happened to My Football”(オレのフットボールはどこへ?)だった。NFLがよりスポーツライクでソフトになっていく中、XFLはハードヒットなフットボールを志向し、危険を売り物にした。プレイヤーは出身大学などがPRされるのではなく、「ごく普通の人が夢を実現している」というふうに描写された。テレビ画面では際どいコスチュームのチアリーダーが大活躍、プレイヤーと恋愛することが奨励された。そこからストーリーラインを描き出そうとしていたものとみられている。プレイヤーのジャージーの背中には、本名ではなく個性的なニックネームが書かれていた。
    ビンス自身は、フットボールのことは実はほとんど何も知らない。当時、好きなフットボール選手は誰かと聞かれたビンスは、「アーニー・ラッドとワフー・マクダニエル」だと答えている(彼らがフットボール出身であることは確かである)。この続きと、RIZINと競技、ロイヤルランブル総括、安田忠夫・新日編、田上明、K-1崩壊などの記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • プロレスラーは強いんです! 金原弘光が大病から帰ってきた!!

    2018-02-06 18:26  
    72pt
    腰の骨が溶ける奇病で苦しんでいた金原弘光がようやく退院! お祝いのインタビューをしてきました〜! 【関連記事】・金原弘光、重病で緊急入院!! 「高山くんはもっと大変。またリングに立てるように頑張るよ」・『1984年のUWF』には描かれなかったリングスの実態・【2万字超えの激白】山本喧一インタビュー「高田延彦、田村潔司…真剣勝負とUインターの愛憎物語」――金原さん、退院おめでとうございます!
    金原 いやあ、入院した当初はまさかこんな大事になるとは思いもしなかったよ〜。3ヵ月と5日間の入院生活。職場復帰まで4ヵ月もかかったから。
    ――職場復帰には、もっと時間がかかるんじゃないかという話でしたよね。
    金原 ドクターからは「仕事に戻れるのは春ぐらいじゃないか……」って言われてたんだけどね。自分の整骨院にある超音波の機械を使って痛みをガンガン取ったり、加圧トレーニングで成長ホルモンを出したり、骨が早く固くなるサプリも摂ったりしてね。「これ以上ないだろう!」っていうくらい徹底的にやっていたら、意外と早く体調が戻ってきたんだよ。
    ――退院してもしばらくは動けないと聞いていたので回復の速さにビックリしました!
    金原 俺もそう思っていたから、家で使うための介護用イスを買っといたんだよね。風呂に入るときはそれを使ったし。最初のうちは車に乗ってるときも嫌な感じがして痛かったんだけど、プロレスラーの回復の強さだよね。
    ――プロレスラーは強いんです!
    金原 いまは治療の仕事も全然問題ないので、今度は道場での格闘技指導。もうできると思う。
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  • ボブ・サップ『野獣の怒り』と、谷川貞治『平謝り』から読むK-1崩壊

    2018-02-06 17:55  
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    Dropkickのプロレス格闘技本読書会!!  今回取り上げる本はボブ・サップ『野獣の怒り』と、谷川貞治『平謝り』。この2冊の本からK-1を振り返ります! この記事はDropkickニコ生配信で語られた『プライド』の感想を再編集・加筆したものです(語り・ジャン斉藤)
    【関連記事】高田vsヒクソンの真実とは? 金子達仁『プライド』天田ヒロミ K-1天国と地獄「谷川さんがやるようになってK-1はダメになりました」 佐藤嘉洋「判定問題のせいで闇に葬り去られていますけど、魔裟斗戦はMAX史上最高の盛り上がりだったと思います」今回はボブ・サップの『野獣の怒り』と、谷川貞治さんの『平謝り』という2冊の告白本から当時のK−1の実態を解き明かしていきたいと思います。
    いきなり話は脱線しますが、『平謝り』という題名もそうですし、頭を下げっぱなしの人生だったと過去を綴る谷川さんですけど、印象的な“平謝り”なエピソードがあって。これはボクが『kmaipro』の編集者だったときのことなんですけど、ボクが聞き手を務めたインタビューで谷川さんが武蔵の悪口を言ったんですよね。「試合がつまらない」とかそういう類の。それを読んだ武蔵が大激怒したらしくてですね、慌てた谷川さんから電話があって「斉藤くんが無理矢理言わせたってことにしてよ〜」とお願いされまして(笑)。
    それもずいぶんムチャクチャ話なんですけど、仕方がないから武蔵のマネージャーに謝罪の電話を入れたことがありますね。谷川さんじゃなくてボクが平謝りしていたんですよ!!(笑)。
    というわけで本題に入りますと、旧K-1は未払い問題が解決してないこともあるので、谷川さんのことを悪く言う選手や関係者はいまだに多いんですが、なぜ谷川さんだけが悪く言われるかといえば、この2冊を読むといろいろと見えてくることがあるんですね。
    まずボブ・サップ本のほうから触れたいんですが、この『野獣の怒り』はもの凄く面白い本です! かなりの完成度。ボブ・サップ本人しか知り得ないことが事細かに書かれていて。まあ本人が書いてるから当たり前なんですけども、そうじゃない本もあるじゃないですか。これはあくまでもボクの憶測ですが、この本は元K-1関係者がサポートしてるんじゃないかなって。いくらボブ・サップいえども、ここまでK-1の内部に詳しくないと思うんですよね。え〜、サップにアシストしたのは誰なんでしょうか?(笑)。
    この本のバランスの良さは、サップ本人の都合のいいことばかり書いてるんじゃなくて、たとえばプライベートも赤裸々に明かしてるんです。おしっこプレイが快感だったこととか! K-1の関係者の人間評も面白いんですね。こういうときってポジショントークになりがちというか、仲がいいから褒めるとか“政治”が見えるんですけど、業界の評判どおりの書き方で。
    たとえばジョシュ・バーネットのことをエゴイストとけっこうな批判をしたり、谷川さんのことはもちろん無能扱いなんですけども。こうやって「アンチ谷川貞治」のスタンスの人って石井館長を絶賛するケースが多い。でも、サップの石井館長評は絶妙なんです。石井館長を最大限にリスペクトしつつも、ビジネスライクな面があると指摘している。サップ誕生パーティーにおけるエピソードは興味深いので、そこはぜひ本を手に取って確かめてください。
    この『野獣の怒り』最大のポイントは、ファイトマネー等の金額を明らかにしていることなんです。多少盛っているかなーと思える箇所もあるんですけど、限りなく事実は多いんじゃかなと。たとえばサップはPRIDEの買収金額を約60億円と書いてますが、これはほぼ当たってるんですね。のちにUFCとのあいだにトラブルが発生したらしくて、榊原さんに全額支払われてないみたいですけど……。サップの格闘家デビュー当時のギャラは、1年間で10万ドルだったと書かれてます。試合数はとくに決まってなかったり、けっこうザルな契約内容。サップの人気が爆発してもギャラは安かったらしくて、2002年大晦日の高山善廣戦はたったの1万ドル。さすがに交渉して、契約金50万ドル1試合1〜5万ドルの変動制に結び直してるんですね。当時からすれば妥当な額かもしれません。

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  • ガヌー敗北の裏側/DAZNのUFC中継更新は?/ONE日本大会また消滅■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク

    2018-02-04 11:47  
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    多くのMMAファイターをマネジメントするシュウ・ヒラタ氏が北米MMAシーンを縦横無尽に語りまくるDropkickニコ生配信コーナー。深くてタメになるトークを活字でもお届けします!(1月に配信された一部を加筆編集したものです)。今回のテーマは「ガヌー敗北の裏側/DAZNのUFC中継更新は?/ONE日本大会消滅」です!
    【関連記事】地球上最強男スティペ・ミオシッチは、それでも時給14ドルで消防署で働くホームレスからUFCの次代の大物へ:フランシス・ガヌーの驚くべき冒険“UFC金の卵”ガヌーはマイク・タイソンになれるか「おまえらちゃんとやれ!」……アメリカ連邦議会がUFCを攻撃!――シュウさんは前回の配信で「ガヌーくんは才能を持った素晴らしい選手だけど、その力を過信したときが弱点になるのかなって思います」(http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1406108)とコメントしてましたけど……悪い予言が的中するような敗戦になってしまいましたねぇ。
    シュウ いやあ、残念です。でも、チャンピオンの(スティーペ・)ミオシッチのゲームプランが完璧でしたよね。 
    ――ミオシッチはクレバーでしたし、最後まで集中力を欠かさなかったですね。
    シュウ ガヌー側のゲームプランはヘッドコーチのフェルナンドが立ててるんですけども、基本的にはカウンター狙いだったんですよ。
    ――ちょっと待ってください。ガヌーは1ラウンドからブンブン振り回してましたよ!(笑)。
    シュウ 事前の作戦とは全然違ったんですよねぇ。ガヌーは自分から追っかけって殴るとどうしてもガードが下がってしまうので、そこをミオシッチに突かれてしまったんですけども。なにしろガヌーは試合が始まってから、まったくセコンドの指示を聞かなかったんですよね。
    ――あちゃー。
    シュウ 今回ガヌーのセコンドにドレッドヘアーの男がついてたじゃないですか。ボクから言わせてもらえれば、彼は選手の言うことをなんでもかんでも無条件で聞いちゃうような人なんですよ。この続きと、RIZINと競技、ロイヤルランブル総括、安田忠夫・新日編、田上明、K-1崩壊などの記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 前代未聞!! 新生K-1ビッグマッチのメイン消滅とは何か■事情通Zのプロレス点と線

    2018-02-04 11:07  
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    プロレス業界のあらゆる情報に精通する事情通Zの「プロレス 点と線」――。今回のテーマは「前代未聞!! 新生K-1ビッグマッチのメイン消滅とは何か」です!【プロレス 点と線シリーズ】
    長州力の「オマエはプロレスやめろ!」事件とは何か?■

    誰だと思ってるんだ!? ヤマモの「アイドルの腰掛け」発言とは何か?
    ――た、た、た、大変です! 前代未聞な欠場が発表されちゃいましたっ!!
    事情通Z 大事だね。「格闘技ぼんやり層」の私のところにも聞こえているよ。 
    ――ビックリしましたよ、セーム・シュルトのK-1GP開幕戦欠場! シュルトは「PRIDEでケガをした」ということでしたが、試合翌日のファンクラブボウリング大会には元気に参加していたのに!
    Z おい、2018年に2002年の欠場話をするんじゃないよ!
    ――小比類巻貴之の欠場&引退のことでしたっけ? 「2009年のトーナメントで優勝したときのファイトマネーと優勝賞金、合わせて600万円がもらえなかったんです<中略>試合を一生懸命をやってもお金がもらえないって大変なことじゃないですか。それから悩み続けて1年経っても払ってもらえなかったので試合はもうできないという結論になって」(http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar515953)。たしかにこれは前代未聞。ちゃんと払ってあげてよ!
    Z だから違うって。俺が言ってるのは大一番が決まってるのに突然欠場したやつ!
    ――大一番が決まってるのに突然欠場??? あ〜ぁ、ボブ・サップが大晦日の鈴川真一戦を当日キャンセルしたやつか! あれも前代未聞だ。
    Z どこが大一番なんだよ!
    ――ボブ・サップのK−1告白本によれば、3万ドルのファイトマネー前払いを約束した上で来日したものの、口座には入金なし。谷川貞治氏は「振り込んだ」と言うので再度確認するもやっぱり振り込まれてない。すると、谷川氏は前払いを半額にする交渉をしてきて……さすが谷川貞治だなあ(ウットリ)。
    Z どさくさに紛れていろいろと蒸し返すんじゃないよ。俺が言ってるのは、新生K−1の大雅選手の件!
    ――3・21さいたまスーパーアリーナにて開催される新生K-1ビッグマッチのメインイベントで、武尊選手と対戦する大雅選手の欠場&王座剥奪の騒動のことですか。以下、緊急会見を開催した新生K−1からのリリースの一部です。
    2月3日(土)都内にて記者会見が行われ、宮田充K-1プロデューサーよりTRY HARDGYM所属選手の試合出場キャンセルおよびK-1スーパー・フェザー級王者・大雅の王座剥
    奪が発表された。宮田プロデューサーによれば、TRY HARD GYMより「契約の合意事項の一方的な破棄を含む不当な要求があった」「この要求が通らない場合は試合に出場しないという主張があった」とし、「TRY HARD GYMによる契約無視の強引な手法は看過することはできない」「今後、関係を継続することはできないという判断に至った」と説明。
     これにより第3代K-1スーパー・フェザー級王者・大雅は王座剥奪となり「K-1FESTA.1」3.21さいたま大会への参戦と大雅vs武尊のタイトルマッチは消滅。すでに発表されている同ジム所属選手のK-1 JAPAN GROUP主催イベントへの出場、K-1 JAPAN GROUPを通じて試合が決定していた「Bigbang」2.18有明大会への出場もすべてキャンセルとなった」https://www.k-1.co.jp/news/27341/

    いま入会すれば読める2月更新記事
    安田忠夫「リングでやっちゃえば警察は介入できないじゃん」/川尻達也がライト級に帰ってくる/ロンダ・ラウジーのプロレス転向は成功するのか?/田上明さん、どうしてステーキだったんですか?/2017年の堀口恭司、RIZINで1億円稼いだ説……
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/201802

     
  • 【90年代・新日本プロレス編】安田忠夫「リングでやっちゃえば警察は介入できないじゃん」

    2018-02-03 00:00  
    110pt
    前回反響だった安田忠夫インタビュー第2弾は新日本プロレス編! 90年代の新日本の内幕や、ストロングスタイルの意味、そして“1・4事変”橋本真也vs小川直也まで激白します! 【前回はコチラ】・相撲と暴力、博打、八百長問題を激白! 安田忠夫「貴乃花は、馬鹿乃花だよ!」【関連企画】
    ・【衝撃の破壊王伝説】至近距離から見た橋本真也――橋本かずみ☓田山正雄レフェリー ・小原道由「石澤が止めなかったら、俺は◯◯を殺していたでしょうね」・草間政一 私が戦った暗黒・新日本プロレス ・永島勝司 アントニオ猪木と北朝鮮 ・田中ケロ ケロちゃんの新日本プロレス伝説 ・西村修 「独裁者・長州力に逆らうってエネルギーが必要なんです」 ・「90年代ハチャメチャ新日本プロレスと俺が愛した橋本真也」 
    ・村上和成 平成のテロリスト・村上和成――格闘家が挑んだ命懸けのプロレス道!! 
    ・高岩竜一×田山レフェリー 理不尽とは何か? 90年代新日本プロレス居酒屋トーク 
    ・大矢剛功インタビュー「新日本、SWS、FMW……辿り着いた北の大地」
    ・解説、待ったなし!! 元大相撲力士が語る日馬富士騒動/「将軍岡本」あらため岡本将之──前回のインタビューでは「年を越すために博打をガマンしなきゃいけない」とおっしゃってましたけど。
    安田 無事に年は越せたよ。パチンコで10万くらい勝ったからね。
    ──あ、ガマンしてない(笑)。でも、おめでとうございます!!
    安田 全然めでたくないよ。そのあと競艇で15万負けたから!
    ──ハハハハハハ! 大晦日に朝青龍が相撲を取ったのはご存知ですか?
    安田 まぁ噂程度で。俺もギャラさえくれたら出たのに。相撲だったらやってみたい気もしないでもない。
    ──朝青龍vs安田忠夫は見たかったです! 
    安田 まわしを取っていいんでしょ? だったらチャンスあるじゃん。がぶって組んでからだったら、俺はけっこういい相撲を取るよぉ(笑)。
    ──第2弾があったらぜひお願いします! 勝てば1000万円ですから(笑)。
    安田 いまは金がないから、今年はまだ博打ができてないんだよ。
    ──じゃあ給料日までガマンなんですね。
    安田 いやいや、給料が少ないから博打はできない。それにこの仕事をもうやめようと思ってるから。
    ──前のインタビューでは「なんの仕事はやっているのかはまだ明かせない」と言ってましたよね。
    安田 いや、もう明かせるよ。いまはガードマンやってるんだけど、給料が安いんだよね〜。たぶんやめると思う。
    ──安田さんの流浪の旅は続くんですねぇ。それで今回は新日本プロレス時代のお話を伺いたいなと。
    安田 新日本プロレスのことなんて忘れちゃったよ!(笑)。
    ──まず安田さんが相撲を廃業されたのはどういう理由があったんですか?
    安田 そんなの相撲協会に残れないからだよ。家族を食わすためにプロレスに行ったんですよ。
    ──安田さんは小結まで行ったけど、引退後の保証はなかったということですね。
    安田 その代わりに引退相撲とか全部仕切ってくれた。親方だった千代の富士さんには「残れ」と言われたんだけど「プロレス行きます」ってね。
    ──新日本プロレスとは話はついてたんですね。
    安田 いやね、話はついてたんだけど、直前で断られたんだよね。
    ──えっ、どういうことですか?
    安田 全日本プロレスに断られたの。
    ──あっ、最初は全日本に入団するはずだった。
    安田 この話はあんまり表に出てないけど、馬場さんとキャピタル東急で話をしてね。会ったときは「俺よりデケー!」ってビックリしたよ。
    ──なんてったってリングネームが“ジャイアント”ですからねぇ。
    安田 でも、そのあと連絡がないんだよ。「どうなってるんですか?」って聞きに行ったら「アンタはもういらない」って。
    ──えっ、それはひどい!(笑)。
    安田 あのときはカーっと頭にきたよ! 後楽園ホールの控室で馬場と永源遥をぶん殴ってやろうかと思ってね。でも、まだチョンマゲがついてたからヘタなことできないでしょ。引退興行もオジャンになっちゃうし。マゲがついてなかったら間違いなく馬場を殴ってた。馬場と永源の2人ぐらいだったら倒せるだろって。
    ──プロレスに行くから引退を決めたのに、凄く困りますよねぇ。
    安田 そしたら知り合いが猪木さんに会わせてくれて。猪木さんは話が早かったよ。「やりたいか、どうか?」を聞かれて終わり。ポンポンポーンって決まっちゃったもん。3日もしないうちに、永島(勝司)さんとかと話をして。ただ、新日本プロレスとしては北尾光司で失敗してるから「下からやってもらえませんか」と。
    ──北尾は特別扱いしすぎて育成失敗しちゃいましたもんね。
    安田 いまだから言えるけど、新日本に入ったときから選手扱いの給料だったんだけどね。そのかわり契約金とかはなかったよ。
    ──引退相撲のお金はちゃんともらえたんですか?
    安田 右から左だよ、そんなの。
    ──あっ、借金返済に。
    安田 千代の富士さんに2500万くらい返した。だから俺、千代の富士さんには一銭も借金ないよ。
    ──というか、2500万も借金すること自体が凄い!(笑)。
    安田 先代(元横綱・北の富士)から「オマエをほめてやれるのは、あのケチからよくあんなに大金を借りたことだ」って言われたなあ。
    ──ハハハハハハハハハハハハ! 借金をキレイにして引退したんですね。
    安田 すべてキレイにとは言わないけど……ある程度はね。ガッハッハッハッ! 
    ──ちなみに相撲にいたときの給料はどれくらいもらってたんですか?
    安田 安いよ、俺らの時代は。いまの奴らの半分もねぇよ。
    ──馬場さんからはいくら出すと言われたんですか?
    安田 引退相撲をやって、それでも残った借金を立て替えてくれると。
    ──そんな約束をしたんですか(笑)。
    安田 ところがいざとなったら……。あのとき全日本には本田多聞が入ったからさ、俺のことがいらなくなっちゃったんだよ。というふうにあとから聞いたけど。
    ──新日本では月給200万円だったそうですね。年収2400万円って、いまのプロレス界でもそんなにいないような……。
    安田 最高でその金額ですよ。新日本プロレスで一番よかったときが月200万。
    ──結果的に全日本より新日本のほうがお金はよかったんじゃないですか?
    安田 それは言えてる。いまとなっては新日本に入ってよかったよ。猪木さんには非常にかわいがってもらったし。長州力にはイジメられたけど(笑)。
    ──安田さんにとって天敵ですよね(笑)。
    安田 でも、長州さんも最初はかわいがってくれたんだよ!
    ──どうして仲がよろしくなくなったんですか?
    安田 「コイツは俺に服従しない」と思ったんじゃない? 俺は先輩後輩みたい態度で長州さんと接しないから。橋本(真也)さんも長州さんに対してはそうだったでしょ。
    ──安田さんは“橋本派”ということで睨まれてたんですよね。
    安田 そうそう。橋本さんと一緒にいるだけで目をつけられたから。
    ──長州さんは、橋本さんたちがあまり練習熱心でないことに苛立っていたみたいですけど。
    安田 オメーよりはしてたよっ!!
    ──長州さんより練習をしていたと?
    安田 うん。あの人が言うほど俺は練習してなくないから。だいたい練習なんて売りもんにするもんじゃねーじゃん。
    ──プロは結果がすべてではありますね。
    安田 俺が入った頃のレスラーってみんな売りがそれなんだよね。「頑張って練習してます!!」みたいな。そんなに一生懸命練習やっても試合に勝てなかったら意味ねえじゃん。だから口では「練習してない」って言って、陰でやるのが一番なんですよ。
    ──安田さんもあの巨体のわりには引き締まってましたね。
    安田 でしょ。だからやってるって。オマエの前でやんねーだけだよバカヤロウって(笑)。
    ──なるほどぉ。
    安田 そこは考え方が違うから。俺たちプロでしょ? 学生じゃないんだからさ、練習して金もらえるんだったら練習するよ! 違う? 
    ──おっしゃるとおりです。
    安田 でしょ。そのへん柔軟になれよって。練習しないでリングに上がってるヤツなんていなかったよ。
    ──武藤さんや蝶野さんも全然道場に来ない……って言われてましたけど、そのわりにはしっかりした身体つきで。
    安田 ちゃんとジムに行ってたでしょ。実際にちゃんとやってたか、やってないかは知らないけど、練習をやってたことにしようよ。たぶん蝶野さんはやってないけど(笑)。
    ──ハハハハハハハハハ!
    安田 ダメだよ、それ書いちゃ(笑)。俺はそんなに練習嫌いじゃないから。けっこうスパーリングとかやってたしね。ベンチプレスだけやるバカヤロウとは違いますよ。
    ──限定された言い方!(笑)。
    安田 石澤くんにはスパーリングでイジメられたけどね。
    ──あの時代の新日本にはレスリングエリートがゴロゴロしてましたよね。中西さん、永田さん、藤田さん……。
    安田 多かった多かった。みんなスパーリングが好きでしたね。いま思えば楽しかったよ、合同練習とか。キツさよりも楽しい思い出。「よくやってたなあ」って。レフェリーの田山(正雄)くんなんかレスラーと同じ練習をやってたし。
    ──厳しい練習を一緒に乗り越えられたから連帯感が出てくるんでしょうね。
    安田 それはあるね。みんなスパーリングを10本くらいやる中、俺は3本くらいしかやんないけど(笑)。
    ──それだから長州さんに目をつけられたんじゃ!(笑)。
    安田 でも、やってることには変わりないから! 
    ──当時の合同練習を仕切ってたのは馳さんですか? もしくは健介さん?
    安田 “アレ”は馳さんの前では、な〜んも言えないから。馳さんだけです。“アレ”の名前を出すなよ!(笑)。
    ──“アレ”の名前は出しちゃダメ!(笑)。新日本の練習って基礎体とスパーリングが中心なんですよね。
    安田 基礎体とスパーリング、受け身。あと階段登りとか。
    ──プロレスの練習はないわけですよね。
    安田 ないよ、んなもん! そんなのあるはずないだろ。
    ──じゃあ、試合はセンスと経験でやる感じですか?
    安田 でしょう。なんで試合の練習すんの?
    ──いまのプロレスなんかは試合を面白く見せるために、動きや技の練習してますよね。
    安田 あぁ、そう聞くね。そのほうが楽でいいじゃんと俺は思う。でも、それじゃショーじゃん。完全なショーじゃん。
    ──当時の新日本は、レスラーのアドリブ性が問われたってことですね。
    安田 俺らの試合は「アレな」って言われるだけだから。「いつものやつな」って。
    ──要所だけを決めて、あとは自分で試合を作っていかなきゃならないっていう。
    安田 そうそう。全日本は前半から作りがあるって聞いていたけど。その当時は長州さんに「手が死んでる」とか「手がフラフラしてる」とか怒られてね。いまだから理解できるけど、その頃は意味がわかんないよね。
    ──そういうスタイルだと、ホントに個人のセンスが問われますよね。
    安田 だから中西くんとかダメなんだよ(笑)。ああいうタイプは全日本に行けばよかったんだよ。
    ──ああ、たしかに。永田さんはどっちでも合ってるのかなって気はしますけど。
    安田 うん。彼は器用だからどっちでもできる。
    ──器用すぎるのが欠点かもしれませんけど(笑)。
    安田 あー、クサくなっちゃうんだよね。俺の場合はちょっとヘタだから、そこにリアル感があるのかもしれないけど。
    ──安田さんなんかは体格がデカイから、そのほうが迫力があってよかったんじゃないかなと思いますね。
    安田 でも、たまにほら、違うところをおもいきりやっちゃったりしてね(苦笑)。
    ──じゃあ、けっこう相手から嫌がられてました?
    安田 うん、「カタイ」って言われてた(笑)。
    ──「カテェ」と。性格の悪いレスラーだとわざとカタくやる人もいますけど、安田さんの場合は……。
    安田 ないよ。俺はそのへんは武藤さん派だから。
    ──リング外は橋本派だけど、リング上は武藤派。
    安田 そのへんはイージーイージー。蝶野さんもそうだったけど、武藤さんはやわらかい試合だからね。橋本さんとは違ってね。
    ──橋本さんはけっこうカタイから評判が悪かったんじゃないですか? だってレガースを着けないでガンガン蹴りまくって。
    安田 橋本さんは相手の受け方に文句を言ってた。飯塚(高史)さんが蹴りを受けるときにヒジを出して怒られたり。
    ──蹴り足をケガするじゃないか!と。
    安田 ちゃんと胸を出していれば、そこを蹴ってくれるんだから別に痛くもなんともないわけだよ。
    ──いや、それでも痛いですよ!(笑)。
    安田 まあね(笑)。受ける方が難しいから、そうやってヒジを出しちゃうし、橋本さんの足が上がんないから「蹴りが腹に入る」ってよく言われてた(笑)。
    ──足が上がらない!(笑)。
    安田 そのうち橋本さんも疲れちゃって足が上がらなくなるんだよ。みんな控室で悪口で言ってた(笑)。まぁでも腹も鍛えてるから関係ないけどね。それがプロレスラーだから。
    ──それこそがストロングスタイルっていうことなんですね。
    安田 よく言われたのは「技を受けるんじゃない。相手を100%信用しちゃいかん」と。相手がイージーに落としてくれると思っちゃいけない。失敗するもんだぐらいの気持ちでやらなきゃダメってことだよね。
    ──そこは猪木さんの思想ですね。
    安田 みんな猪木さんの考えに近いのよ、たぶん。
    ──要はケガをするのは受けるほうが悪いって考え方ですね、新日本は。全日本はその逆で。
    安田 そうそう。だけど、たまに「わざとやってない?」ってヤツもいるんだよ。佐々木健介みたいな。・佐々木健介が誤解された理由
    ・長州力vs橋本真也、異常な関係
    ・「選手本人がどうなるのか知らないから試合に緊張感がある」
    ・橋本真也の選手会費使い込み事件とは?
    ・橋本派が見た小川直也vs橋本真也シュートマッチ!
    ・「村上和成が死にかけようが死んでようがどうでもよかった」

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