• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 5件
  • 【検証「1984年のUWF」】船木誠勝「えっ、そんなことが書かれてるんですか? それは全然違いますよ」

    2017-05-28 12:36  
    110pt
    話題沸騰のノンフィクション本『1984年のUWF』!!  これまでDropkickでは、この本をテーマに金原弘光やフミ斎藤氏に話を伺っているが、今回は満を持して新生UWFの当事者である船木誠勝が登場! 15000字オーバーのロングインタビューで「1989年の新生UWF」を語ってくれた!<関連記事>・「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」/『1984年のUWF』はサイテーの本!・『1984年のUWF』には描かれなかったリングスの実態……■金原弘光・更級四郎 Uと馬場”を支えた黒衣の絵描き ・更級四郎×ターザン山本G馬場ブレーンの語らい――全日本プロレスが再生した日 ・中野巽耀「一番尊敬できた先輩は高田延彦だよ」 ・尾崎允実元パンクラス代表「前田日明とも仲は良かったんですよ」 ・山本宜久「ヒクソンと戦ってるとき、放送禁止用語が聞こえてきたんですよ…」 ・謙吾「スーパールーキーが見たリングスvsパンクラス仁義なき戦い」 ・滑川康仁地獄のリングス前田道場卒業生 ・横井宏考リングスの怪物くん「格闘技は前田さん、プロレスは橋本さんが師匠でした」 ・入江秀忠修斗とUを漂流した男「俺は自称UWFじゃないんですよ」 木村浩一郎90年代・灰色の狂気――「FMWとリングスで俺はこの業界をナメてしまったんですよ」 



    朝日昇“奇人”が語る「本当に恐ろしい昭和格闘技」 山田学初代シューターにしてパンクラシストの大冒険 鶴巻伸洋W☆ING発、リングス行き! 怪しい格闘家人生 修斗初代王者/仮面シューター・スーパーライダー 渡部優一「東映の許可? 取ってますよ(笑)」――船木さん、いまプロレスファンのあいだでは『1984年のUWF』(柳澤健・著/文藝春秋・刊)というノンフィクション本が話題になってるんです。
    船木 その本を読んでないんですよ。どんな内容なんですか?
    ――ざっと説明すると1984年に設立されたUWFが、佐山(サトル)さんや前田(日明)さんらによってプロレスから格闘技に転換していこうとする流れを追った本になりますね。
    船木 1984年というと、それこそ自分が新日本プロレスに入門した頃からの話なんですね。
    ――そうなりますね。ただ、新生UWFや旧UWFの選手たちに取材していなことや、内容が偏ってるんじゃないかという批判がありまして。そこで当事者である船木さんにいろいろと伺いたいと思っています。
    船木 わかりました。
    ――新生UWFの前にお聞きしたいのは、船木さんは『船木誠勝の真実』(エンターブレイン・刊)という自伝を出されていますよね。
    船木 ありましたね。あれは2003年の本じゃないですかね。
    ――はい。あの本はかなり衝撃的な内容だったんですね。
    船木 えっ、何を書いてるんですか? 全然おぼえてない(笑)。
    ――そうですか(笑)。
    船木 あの本は自分が書いたんじゃないんですよ。自分がしゃべったものをもとにライターさんが書いてくれたんです。だいぶ直してるはずですけど。
    ――できあがった原稿を船木さんは最終的にチェックしてるんですよね?
    船木 いや、当時パンクラスの社長だった尾崎(允実)さんが目を通して、本として出せるものにしたとは聞きました。
    ――というと、最終稿はご覧になってないんですか?
    船木 できあがったものは読みましたね。もうおぼえてないんですけど。
    ――読んでみて「こんなことを言ったかな?」と思った箇所はありませんでしたか?
    船木 うーん、それはないと思いますけどね。
    ――この『船木誠勝の真実』以外にも本は出されてますけど、本の作り方は同じ形式ですよね。
    船木 そうですね。自分がしゃべって誰かに書いてもらう。いままで自分が出したいと思って出した本って一冊もないですんですよね。出せば売れる時代ってあったじゃないですか。編集してる人から依頼があって、会社としても本は収入源になりますから。
    ――2000年に安田拡了氏が書かれた船木さんの評伝『海人』でも軽くは触れられてるんですが、『船木誠勝の真実』ではより深くプロレスと格闘技の違いについて書かれてるんです。簡単に言ってしまえば、プロレスは競技としての真剣勝負ではない、と。
    船木 そうなんですか。
    ――新生UWFのメンバーでそこに踏み込んでいるのは船木さんと、高田(延彦)さんの自伝『泣き虫』だけなんですね。それは船木さんの意志で語ったんですか?
    船木 と思いますね。自分はプロレスと格闘技を両方やっていますし、それはどっちがいいとか悪いとかの感じではしゃべってないと思うんですね。それは「いま自分たち(パンクラス)がやってきたことはこういうことなんだよ」って説明したかったんです。
    ――たしかにプロレスと格闘技の違いに触れないと、意味がわからないことではありますね。
    船木 自分は15歳のとき新日本プロレスに入門したんですが、当時の前座はギリギリの試合というか、なんの筋書きもなくやってたところはあるんですね。
    ――内容的にはフリースタイルだったわけですね。
    船木 そこから外人レスラーと戦うようになって、海外修行に行けば完全に向こうのスタイルに合わせなきゃいけないんです。
    ――船木さんはヨーロッパ武者修行でプロレスを勉強されたわけですよね。
    船木 それで帰国してから新生UWFに参加したんですけど、その頃のUWFはスポーツ的な方向に行こうとしてたんですね。だから凄く戸惑ったんです。自分はプロレスをやろうとしたんですけど、UWFはスポーツや格闘技の方向に向かってる。せっかく新しいプロレスをやろうとしてたんですけど、凄く先に飛んじゃってるなって。
    ――『1984年のUWF』では船木さんが「UWFがリアルファイトであると信じた」「ところが、実際に移籍してみると、UWFは船木が考えていたようなリアルファイトの格闘技ではなかった」「船木はプロレスに過ぎないUWFに失望した」と書かれてるんですね。
    船木 えっ、そんなことが書かれてるんですか? それは全然違いますよ(苦笑)。UWFは格闘技やスポーツとして打ち出していましたよね? 
    ――はい。
    船木 自分はその流れについていけなかったんですよ。
    ――船木さんはUWFがあまりにも格闘技的であることに驚いたということですか。
    船木 はい。だからボブ・バックランド戦でコーナーポストからドロップキックを出したりしてその流れに抵抗したんですよ。
    ――「プロレスをやりたい」というメッセージ的なアクションだったわけですね。
    船木 そうですね。UWFではケガしちゃって長いこと休むんですが、そのあいだに自分なりに「このUWFという電車に乗らなきゃいけない」って考えたんですよ。UWFを格闘技やスポーツにするのであれば、ほかのスポーツや格闘技の勉強をしなければならない。それでボクシングやキックボクシング、いわゆる格闘技のビデオをさんざん見たし、ボクシングを新しく習ったんですよ。
    ――やるのであれば徹底的に格闘技としてやらなきゃいけないということですね。
    船木 はい。やっぱりトップを走りたかったですから。海外から帰ってきてUWFのトップに食い込もうとしましたけど、ついていけなかったですから。
    ――なぜ『1984年のUWF』で船木さんが「格闘技じゃないことに失望した」というように書かれているのかと言えば、先ほどお話した『船木誠勝の真実』からの引用でもあるんですね。『船木誠勝の真実』には「UWFの試合は自分が思っていたほど格闘技ではなかった」「UWFの試合はセメントをやってるのだと勘違いをしていた」と書かれてるんです。
    船木 えっ、ホントですか?
    ――はい。『海人』にもそのように受け止められる記述がありますね。これは船木さんがしゃべられたんですよね?
    船木 いや、それは絶対にないですね。UWFが思った以上に格闘技ぽかったので戸惑っていたんです。その本に書いてあることは間違いですね。
    ――では、どうして「UWFは格闘技だと思っていた」と書かれてしまったんでしょうか。
    船木 どうしてなんですかね。
    船木誠勝が「新生UWFはプロレスだと思っていた」という主張をするのは今回が初めてではない。いまから3年前の2014年、Dropkickが船木インタビューをした際にも同様の主張を述べている。
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar597913

    船木 残っても新日本に居づらくなるので、UWFに移ったほうがいいなと思いました。でも、UWFに行ってみてわかったんですが、あそこまで格闘技寄りになってるとは思いませんでした。自分はちょうど海外に行っていたのでUWFの映像が見れてなかったんですよ。『週プロ』や『ゴング』に載った試合写真しか見れてなかったですけど。蹴って投げて極めるだけのスタイルになってるとは思いもしませんでした。
    ――船木さんが格闘技の世界に飛び込みたかったんじゃなくて、行ってみたら格闘技スタイルになっていたという。
    船木 そうなんです。自分はたしかに強さは強さで求めてましたけど、スタイルを格闘技にするという発想はなかったです。
    ――新生UWFの頃って船木さんがイライラしたり、苦悩しているイメージあったんですけど……。
    船木 はい。してましたね(苦笑)。
    ――それはもっと格闘技に振り切りたくてイライラされていたじゃなかったんですか? 
    船木 そうじゃないんです。UWFが格闘技スタイルに寄りすぎちゃってて最初から「?」マークがあったからなんです。それでUWFのときに骨折して半年くらい休んだことがあったんですけど。そのときにボクシングのビデオをいっぱい見たり、骨法を飛び出して小林千明さんという東洋太平洋のチャンピオンにボクシングを習ってました。そうしてるうちに、UWFをやるのであればもっと格闘技に近づけないとダメだと考えたんですね。

    船木が自伝の証言を否定している理由として「UWFをプロレスだと見抜けなかった当時の自分を偽っている」とは考えられないだろうか。ところが『週刊ファイトとUWF』(波々伯哲也・著/双葉社・刊)では、「UWFはプロレス」という認識を持った当時の船木の証言が掲載されている。

    バックランド戦後、深夜1時に船木に電話すると「ハーッ」と大きな溜息をついて「海外で抱いていたUWF(への憧れ)がつぶれました」
    「佐山さんと対立してたころの前田さんが好きでした。殺し合いじゃない、ギリギリの闘いだと言っている前田さんとは同じ考えだなとか思って。今は前田さんがいないほうがいいんじゃないかと」
    「オレはどうすればいいんだろう。ルールを気にして試合をやってても、気分がよくないし憂鬱なんです」

    自伝では「格闘技だと思っていた」と書かれているが、船木は当時から「UWFが格闘技寄りになっていた」ことに戸惑っていた。同じ本人の証言なのになぜこうも食い違ってしまっているのだろうか……? とりあえずインタビューを続けよう。
    ――『週刊ファイトとUWF』という本では、新生UWF参戦当時の船木さんの証言が掲載されてるんですが、それはいまおっしゃられたように「UWFはプロレスだ」という捉え方。スポーツ化するUWFに不満を漏らしていますね。
    船木 はい。俺は最初からUWFはプロレスだと思ってました。
    ――『週刊ファイトとUWF』では「佐山さんと対立している頃の前田さんが好きだった」というコメントも記されています。競技よりもギリギリのプロレスを支持しているんですね。
    船木 前田さんってプロレスの中で危険な試合をして生き残ってきたじゃないですか。尊敬してましたよね。そういう試合って気持ちの強さがないとダメですから。前田さんはだから潰されなかったんです。
    ――だからこそ新生UWFのスポーツの世界観に違和感があったと。海外遠征中の船木さんは、新生UWFの社長だった神新二さんから送られてくる『週刊プロレス』からしかUWFのリング上の景色は確認できなかったわけですよね。
    船木 写真しか見てないんで「凄い試合をしてるんだろうな」と。当時の『週プロ』の記者の書き方から熱狂的に雰囲気になってることはわかっていたので想像が膨らみましたね。
    ――新生UWFはどういうプロレスだと思われていたんですか?
    船木 なんて言えばいいんですかね……。
    ――船木さんも経験された昭和・新日本の前座をさらに激しくしたような……。
    船木 そうですね。もしくはスーパー・タイガー(佐山サトル)と高田さんのような試合ですね。旧UWFって佐山さんが参加したときからスタイルがガラッと変わったんです。で、自分が入門した3ヵ月目の頃、UWFの大会が用賀の特設リングであったので、山田(恵一)さんと後藤(達俊)さんと一緒に見に行ったんですね。
    ――そのメインがスーパー・タイガーvs高田延彦だったんですね。
    船木 それがホントに凄い試合だったんです。「高田さん、死ぬんじゃないか……」って思うくらいの激しい試合で。でも、山田さんが「やろうと思えば俺たちもできる」と言うんですよ。自分は入門したばっかなので、とてもできるとは思えなかったんですけど。
    ――新生UWFのプロレスは、スーパー・タイガーvs高田延彦のような試合だと想像したんですね。
    船木 そうですね。新日本の前座時代には、UWFからやってきた中野(巽耀)さんや安生(洋二)さんと試合をしてたじゃないですか。あの試合のイメージもありましたし、海外武者修行に出る前に高田さんから新生UWFに誘われたんですが「プロレスでも使える技があるなら残していきたい」と言ってるんです。だから新生UWFもプロレスだという意識はありましたね。
    ――船木さんは『週刊ゴング』に海外武者修行日記を連載してましたよね。
    船木 ああ、やってましたね。
    ――プロレス記者としての繋がりもあったわけですから、UWFで何が行われてるか教えてもらえなかったんですか?
    船木 いや、記者の方は「UWFはお客さんが入ってますよ」ということしか言わないですね。
    ――神社長や前田さんが海外の船木さんに会いに来ましたよね。そのときもリング上の話はしてないんですか?
    船木 していないですね。「新日本の海外修行が終わったらどうやってUWFに合流するか」とかそういう話だけですね。「弁護士を入れてでもちゃんと話をするから」とまで言ってくれて。
    ――もしUWFが格闘技になっていたらそれは革命的なことだし、前田さんにしても船木さんには伝えないとおかしいですね。
    船木 UWFはプロレスはプロレスでも格闘技寄りにはなってたんですけどね。
    ――船木さんは新生UWFに参戦した頃から暗いイメージがつきまとってるんですね。
    船木 自分でこういうのもなんですけど、俺はメチャクチャ明るい人間なんですよ(微笑)。 
    ――それはよく言われる「UWFで格闘技ができないから失望して暗くなった」というわけではないんですね。
    船木 いや、自分はプロレス大ファンだったんですよ。だって中学卒業して15歳でプロレス入りするくらいですよ?(笑)。――たしかに(笑)。
    ・「俺は前田さんを取ったわけじゃないですよ」……『1984年のUWF』には描かれなかった「骨法離脱の真相」!! 船木はなぜ堀辺師範の命令に背いたのか?
    ・神社長についていかなかった理由
    ・新生UWF解散現場……前田日明のマンションで何が起こったのか?
    ・藤原組離脱の遠因は北尾光司にあった!
    ・“電流爆破”と同じだったパンクラスの真剣勝負……この続きと、骨法、RIZIN反省会、原理主義者対談、アンダーテイカー、亀田1000万円…など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1274136
    この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック!

     
  • 『1984年のUWF』と骨法――堀辺正史の「船木離脱」の真相はデタラメなのか? ■証言者・中川カ~ル

    2017-05-15 19:33  
    55pt

    骨法離脱の真相が明かされ、大きな反響を呼んだ船木誠勝の『1984年のUWF』インタビュー。しかし本人の証言が当てにならないのがプロレス史の難しさ。というわけで、80年代末期に骨法に在籍していた漫画家の中川カ〜ル氏に話を聞いてきました! 骨法で何が起きていたのか?(聞き手/ジャン斉藤)
    <関連記事>・船木誠勝と『1984年のUWF』・「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」/『1984年のUWF』はサイテーの本!・『1984年のUWF』には描かれなかったリングスの実態……■金原弘光・ヤノタク、堀辺正史を語る「骨法は俺の青春でした……」【愛と悲しみの17000字インタビュー】オリジナルの骨法Tシャツで取材に臨んだ中川先生!これは欲しい!!――今回は中川カ〜ル先生に船木誠勝インタビューの裏取りをさせていただきたいと思ってます! じつは昨日船木さんを取材してきたんですけど、2003年に出版された自伝に書いてあった記述を否定してたんですよ(笑)。
    中川 それは凄く船木さんらしいですよね(笑)。船木さんとは骨法のときに一緒だったんですが、船木さんって嘘はつかない人ですからね。誰かに気を遣ったりしないで正直になんでも言っちゃうから勘違いされちゃうんですよ。
    ――だから自伝すらも否定してしまう、と。中川さんは『1984年のUWF』に登場していますけど、どういう経緯で取材を受けたんですか?
    中川 もともと柳沢さんとは知り合いで。それで前田日明のレガースを作成していた当時の話をしたんです。
    ――『1984年のUWF』を読んでどう思われました?
    中川 メチャクチャ面白かったと思うんですけど、怒ってる人が多いでよね……。そんなに怒るようなことなのかって。
    ――なぜ怒ってると思います?
    中川 なんなんですかね? 前田(日明)さんのことでしょ、要は(笑)。
    ――まあ、そうなんでしょうね。
    中川 そんなに酷いことは書いてないと思うんですけどね。
    ――主に修斗方面からUWFを見れば、ああいう書き方にはなるとは思うんですね。
    中川 だから前田日明を叩くために組み立てていったわけじゃないと思いますよ。中井(祐樹)さんの目を潰したゴルドーや、怪しげなビジネスをやってる神社長が信用ならないという声もありますけど、それって新生UWFとは関係ない話ですし。
    ――「ここは間違ってるけど、あそこの部分は資料として信用できる」という見方でいいと思うんですけど、「この本を認める・認めない」という極端な空気になってますね。
    中川 塩澤幸登さんの『U.W.F.戦史』に怒るんだったらまだわかるんですよね。あっちのほうが酷いし。
    ――『1984年のUWF』の1984倍酷いですよ、あの本は。それでも前田日明さん推薦図書なんですけど(笑)。
    中川 俺も前田日明は好きですけど、『1984年のUWF』で前田日明の価値は落ちないですよ。落ちると思ってるファンはいままで前田日明の何を見てきたんですかね? ちょっとオタオタしすぎですよね。
    ――歴史的事実と歴史的評価は決して切り離せないものですが、それにしてもゴッチャに捉えてる方が多いんですね。フミ斎藤さんのインタビューで聞き手のボクが「前田日明は競技をやったことがない」という事実を言っただけで、前田日明を評価していないと受け取ったのか「あれはヒクソンが逃げたんだ!」みたいなコメントが飛んできたり。「競技をやってない」と「ヒクソンが逃げた」には何の繋がりもないし、そもそもヒクソンが逃げたということにしても検証が必要になるんですけど。
    中川 フミ斎藤さんはあのインタビューで「柳沢さんはプロレスを利用している」と言われてましたけど、そんなことはないと思うんですね。柳沢さん、プロレス大好きですし、俺もよく一緒にプロレスを見に行ったりするし。新生UWFは熱心に見てないから、前田日明や新生UWFが盛り上がっていく過程は過去の資料を追っていくしかなかったと思うんですけどね。べつにプロレスを利用しているわけではないですよ。
    ――中川さんは新生UWFをリアルタイムで目撃してたんですよね。
    中川 旗揚げ戦とNKホール大会以外は見に行ってるんですよ。当時『闘翔ボーイ』を連載していた竜崎遼児先生のアシスタントをやってたんで、取材も兼ねてついていって。
    ――『闘翔ボーイ』はUWFや骨法とかを取り入れて描いていた格闘漫画でしたね。
    中川 でも、新生UWFはつまらなくてしんどかったですねぇ。お客さんは入ってたんですけど。
    ――なぜつまらなく感じたんですか?
    中川 単純に試合自体がつまらなかったです。あと雰囲気も気持ち悪くて……。旗揚げ戦以外でも後楽園ホールで前田と山崎一夫がシングルをやってるんですけど、2人の頭がぶつかって山崎が流血してそれで試合が終わったんです。前田が「これはスポーツだから……」みたいに言ったら観客が拍手して。その光景が凄く気持ち悪かったんですよ。ドクターが止めるならまだいいですよ。格闘家が自ら「やめましょう!」なんて言わないじゃないですか。
    ――船木さんが戸惑ったスポーツプロレスの気持ち悪さ。
    中川 船木さんと鈴木(みのる)さんが入ったことで、つまらないUWFをなんとかしてくれないかなとは思いましたね。
    ――新生UWFは最初から格闘技ではないとわかってました?
    中川 そうですね。竜崎先生はガチンコだと思ってましたけど。
    ――中川さんが「これは格闘技ではない」とは言わなかったんですか? 
    中川 言っても聞かないんですよ。あの頃ってプロレス自体もボンヤリしていた時代だったじゃないですか。
    ――UWFが「こっちが本物である」と主張し始めて「普通のプロレスは本物じゃないんだ」って空気になってましたね。
    中川 前田日明は「UWFはガス燈時代のプロレスをやりたかった」なんて振り返ってましたけど、後付けですよね(笑)。新生UWFは格闘技という打ち出しをしていましたよ。
    ――中川さんはどこで新生UWFはプロレスだと見極めたんですか? いまならともかく当時はその判断がけっこう難しいですよね。
    中川 俺は旧UWFをガチンコだと思って見てたんですよ。でも、コスチューム屋でプロレスの仕事を始めたときに「UWFはガチンコだから大変ですよね」って言ったら「何を言ってるの?」ってバカにされて(笑)。「あ、違うんだ」って。
    ――業界人に教えてもらったんですね。
    中川 前田がニールセンと戦うときのレガースを作る現場にいたんです。レガースって中身は発泡スチロールなんですけど、そのときは前田日明側から旭化成の特殊な素材を持ち込まれて。上から卵を落としても割れないみたいな。ダメージを吸収する効果にどんな意味があるのかイマイチわからなかったんですけど(笑)。
    ――蹴られたほうに都合がいいかもしれない(笑)。
    中川 あの頃って新生UWF側もマスコミに対してけっこう油断してたというか。名前は出せないですけど、ある有名スポーツジャーナリストから前田vsゴルドー戦のリハーサルの話を試合当日に聞かされてたんですよ。「前田の目が腫れているのはリハーサルでやっちゃったんだよね」って。
    ――リングスの頃は内部の関係者ですら判断がつきにくいものになっていたのは、その反省からかもしれないですねぇ。
    中川 新生UWFは最初はガチンコでやるのかなって思ってたんですけど、「あ、やらないんだな」って感じで。あと、どっちかいうと佐山サトルのほうが好きだったのでシューテイングも見てたんですよ。
    ――ああ、それなら違いがわかりますよね。この続きと、船木誠勝とUWF、骨法、RIZIN反省会、原理主義者対談、アンダーテイカー、亀田1000万円…など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1274136
    この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック!
     
  • 【検証「1984年のUWF」】船木誠勝「えっ、そんなことが書かれてるんですか? それは全然違いますよ」

    2017-05-03 16:11  
    110pt
    話題沸騰のノンフィクション本『1984年のUWF』!!  これまでDropkickでは、この本をテーマに金原弘光やフミ斎藤氏に話を伺っているが、今回は満を持して新生UWFの当事者である船木誠勝が登場! 15000字オーバーのロングインタビューで「1989年の新生UWF」を語ってくれた!<関連記事>・「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」/『1984年のUWF』はサイテーの本!・『1984年のUWF』には描かれなかったリングスの実態……■金原弘光・更級四郎 Uと馬場”を支えた黒衣の絵描き ・更級四郎×ターザン山本G馬場ブレーンの語らい――全日本プロレスが再生した日 ・中野巽耀「一番尊敬できた先輩は高田延彦だよ」 ・尾崎允実元パンクラス代表「前田日明とも仲は良かったんですよ」 ・山本宜久「ヒクソンと戦ってるとき、放送禁止用語が聞こえてきたんですよ…」 ・謙吾「スーパールーキーが見たリングスvsパンクラス仁義なき戦い」 ・滑川康仁地獄のリングス前田道場卒業生 ・横井宏考リングスの怪物くん「格闘技は前田さん、プロレスは橋本さんが師匠でした」 ・入江秀忠修斗とUを漂流した男「俺は自称UWFじゃないんですよ」 木村浩一郎90年代・灰色の狂気――「FMWとリングスで俺はこの業界をナメてしまったんですよ」 



    朝日昇“奇人”が語る「本当に恐ろしい昭和格闘技」 山田学初代シューターにしてパンクラシストの大冒険 鶴巻伸洋W☆ING発、リングス行き! 怪しい格闘家人生 修斗初代王者/仮面シューター・スーパーライダー 渡部優一「東映の許可? 取ってますよ(笑)」――船木さん、いまプロレスファンのあいだでは『1984年のUWF』(柳澤健・著/文藝春秋・刊)というノンフィクション本が話題になってるんです。
    船木 その本を読んでないんですよ。どんな内容なんですか?
    ――ざっと説明すると1984年に設立されたUWFが、佐山(サトル)さんや前田(日明)さんらによってプロレスから格闘技に転換していこうとする流れを追った本になりますね。
    船木 1984年というと、それこそ自分が新日本プロレスに入門した頃からの話なんですね。
    ――そうなりますね。ただ、新生UWFや旧UWFの選手たちに取材していなことや、内容が偏ってるんじゃないかという批判がありまして。そこで当事者である船木さんにいろいろと伺いたいと思っています。
    船木 わかりました。
    ――新生UWFの前にお聞きしたいのは、船木さんは『船木誠勝の真実』(エンターブレイン・刊)という自伝を出されていますよね。
    船木 ありましたね。あれは2003年の本じゃないですかね。
    ――はい。あの本はかなり衝撃的な内容だったんですね。
    船木 えっ、何を書いてるんですか? 全然おぼえてない(笑)。
    ――そうですか(笑)。
    船木 あの本は自分が書いたんじゃないんですよ。自分がしゃべったものをもとにライターさんが書いてくれたんです。だいぶ直してるはずですけど。
    ――できあがった原稿を船木さんは最終的にチェックしてるんですよね?
    船木 いや、当時パンクラスの社長だった尾崎(允実)さんが目を通して、本として出せるものにしたとは聞きました。
    ――というと、最終稿はご覧になってないんですか?
    船木 できあがったものは読みましたね。もうおぼえてないんですけど。
    ――読んでみて「こんなことを言ったかな?」と思った箇所はありませんでしたか?
    船木 うーん、それはないと思いますけどね。
    ――この『船木誠勝の真実』以外にも本は出されてますけど、本の作り方は同じ形式ですよね。
    船木 そうですね。自分がしゃべって誰かに書いてもらう。いままで自分が出したいと思って出した本って一冊もないですんですよね。出せば売れる時代ってあったじゃないですか。編集してる人から依頼があって、会社としても本は収入源になりますから。
    ――2000年に安田拡了氏が書かれた船木さんの評伝『海人』でも軽くは触れられてるんですが、『船木誠勝の真実』ではより深くプロレスと格闘技の違いについて書かれてるんです。簡単に言ってしまえば、プロレスは競技としての真剣勝負ではない、と。
    船木 そうなんですか。
    ――新生UWFのメンバーでそこに踏み込んでいるのは船木さんと、高田(延彦)さんの自伝『泣き虫』だけなんですね。それは船木さんの意志で語ったんですか?
    船木 と思いますね。自分はプロレスと格闘技を両方やっていますし、それはどっちがいいとか悪いとかの感じではしゃべってないと思うんですね。それは「いま自分たち(パンクラス)がやってきたことはこういうことなんだよ」って説明したかったんです。
    ――たしかにプロレスと格闘技の違いに触れないと、意味がわからないことではありますね。
    船木 自分は15歳のとき新日本プロレスに入門したんですが、当時の前座はギリギリの試合というか、なんの筋書きもなくやってたところはあるんですね。
    ――内容的にはフリースタイルだったわけですね。
    船木 そこから外人レスラーと戦うようになって、海外修行に行けば完全に向こうのスタイルに合わせなきゃいけないんです。
    ――船木さんはヨーロッパ武者修行でプロレスを勉強されたわけですよね。
    船木 それで帰国してから新生UWFに参加したんですけど、その頃のUWFはスポーツ的な方向に行こうとしてたんですね。だから凄く戸惑ったんです。自分はプロレスをやろうとしたんですけど、UWFはスポーツや格闘技の方向に向かってる。せっかく新しいプロレスをやろうとしてたんですけど、凄く先に飛んじゃってるなって。
    ――『1984年のUWF』では船木さんが「UWFがリアルファイトであると信じた」「ところが、実際に移籍してみると、UWFは船木が考えていたようなリアルファイトの格闘技ではなかった」「船木はプロレスに過ぎないUWFに失望した」と書かれてるんですね。
    船木 えっ、そんなことが書かれてるんですか? それは全然違いますよ(苦笑)。UWFは格闘技やスポーツとして打ち出していましたよね? 
    ――はい。
    船木 自分はその流れについていけなかったんですよ。
    ――船木さんはUWFがあまりにも格闘技的であることに驚いたということですか。
    船木 はい。だからボブ・バックランド戦でコーナーポストからドロップキックを出したりしてその流れに抵抗したんですよ。
    ――「プロレスをやりたい」というメッセージ的なアクションだったわけですね。
    船木 そうですね。UWFではケガしちゃって長いこと休むんですが、そのあいだに自分なりに「このUWFという電車に乗らなきゃいけない」って考えたんですよ。UWFを格闘技やスポーツにするのであれば、ほかのスポーツや格闘技の勉強をしなければならない。それでボクシングやキックボクシング、いわゆる格闘技のビデオをさんざん見たし、ボクシングを新しく習ったんですよ。
    ――やるのであれば徹底的に格闘技としてやらなきゃいけないということですね。
    船木 はい。やっぱりトップを走りたかったですから。海外から帰ってきてUWFのトップに食い込もうとしましたけど、ついていけなかったですから。
    ――なぜ『1984年のUWF』で船木さんが「格闘技じゃないことに失望した」というように書かれているのかと言えば、先ほどお話した『船木誠勝の真実』からの引用でもあるんですね。『船木誠勝の真実』には「UWFの試合は自分が思っていたほど格闘技ではなかった」「UWFの試合はセメントをやってるのだと勘違いをしていた」と書かれてるんです。
    船木 えっ、ホントですか?
    ――はい。『海人』にもそのように受け止められる記述がありますね。これは船木さんがしゃべられたんですよね?
    船木 いや、それは絶対にないですね。UWFが思った以上に格闘技ぽかったので戸惑っていたんです。その本に書いてあることは間違いですね。
    ――では、どうして「UWFは格闘技だと思っていた」と書かれてしまったんでしょうか。
    船木 どうしてなんですかね。
    船木誠勝が「新生UWFはプロレスだと思っていた」という主張をするのは今回が初めてではない。いまから3年前の2014年、Dropkickが船木インタビューをした際にも同様の主張を述べている。
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar597913

    船木 残っても新日本に居づらくなるので、UWFに移ったほうがいいなと思いました。でも、UWFに行ってみてわかったんですが、あそこまで格闘技寄りになってるとは思いませんでした。自分はちょうど海外に行っていたのでUWFの映像が見れてなかったんですよ。『週プロ』や『ゴング』に載った試合写真しか見れてなかったですけど。蹴って投げて極めるだけのスタイルになってるとは思いもしませんでした。
    ――船木さんが格闘技の世界に飛び込みたかったんじゃなくて、行ってみたら格闘技スタイルになっていたという。
    船木 そうなんです。自分はたしかに強さは強さで求めてましたけど、スタイルを格闘技にするという発想はなかったです。
    ――新生UWFの頃って船木さんがイライラしたり、苦悩しているイメージあったんですけど……。
    船木 はい。してましたね(苦笑)。
    ――それはもっと格闘技に振り切りたくてイライラされていたじゃなかったんですか? 
    船木 そうじゃないんです。UWFが格闘技スタイルに寄りすぎちゃってて最初から「?」マークがあったからなんです。それでUWFのときに骨折して半年くらい休んだことがあったんですけど。そのときにボクシングのビデオをいっぱい見たり、骨法を飛び出して小林千明さんという東洋太平洋のチャンピオンにボクシングを習ってました。そうしてるうちに、UWFをやるのであればもっと格闘技に近づけないとダメだと考えたんですね。

    船木が自伝の証言を否定している理由として「UWFをプロレスだと見抜けなかった当時の自分を偽っている」とは考えられないだろうか。ところが『週刊ファイトとUWF』(波々伯哲也・著/双葉社・刊)では、「UWFはプロレス」という認識を持った当時の船木の証言が掲載されている。

    バックランド戦後、深夜1時に船木に電話すると「ハーッ」と大きな溜息をついて「海外で抱いていたUWF(への憧れ)がつぶれました」
    「佐山さんと対立してたころの前田さんが好きでした。殺し合いじゃない、ギリギリの闘いだと言っている前田さんとは同じ考えだなとか思って。今は前田さんがいないほうがいいんじゃないかと」
    「オレはどうすればいいんだろう。ルールを気にして試合をやってても、気分がよくないし憂鬱なんです」

    自伝では「格闘技だと思っていた」と書かれているが、船木は当時から「UWFが格闘技寄りになっていた」ことに戸惑っていた。同じ本人の証言なのになぜこうも食い違ってしまっているのだろうか……? とりあえずインタビューを続けよう。
    ――『週刊ファイトとUWF』という本では、新生UWF参戦当時の船木さんの証言が掲載されてるんですが、それはいまおっしゃられたように「UWFはプロレスだ」という捉え方。スポーツ化するUWFに不満を漏らしていますね。
    船木 はい。俺は最初からUWFはプロレスだと思ってました。
    ――『週刊ファイトとUWF』では「佐山さんと対立している頃の前田さんが好きだった」というコメントも記されています。競技よりもギリギリのプロレスを支持しているんですね。
    船木 前田さんってプロレスの中で危険な試合をして生き残ってきたじゃないですか。尊敬してましたよね。そういう試合って気持ちの強さがないとダメですから。前田さんはだから潰されなかったんです。
    ――だからこそ新生UWFのスポーツの世界観に違和感があったと。海外遠征中の船木さんは、新生UWFの社長だった神新二さんから送られてくる『週刊プロレス』からしかUWFのリング上の景色は確認できなかったわけですよね。
    船木 写真しか見てないんで「凄い試合をしてるんだろうな」と。当時の『週プロ』の記者の書き方から熱狂的に雰囲気になってることはわかっていたので想像が膨らみましたね。
    ――新生UWFはどういうプロレスだと思われていたんですか?
    船木 なんて言えばいいんですかね……。
    ――船木さんも経験された昭和・新日本の前座をさらに激しくしたような……。
    船木 そうですね。もしくはスーパー・タイガー(佐山サトル)と高田さんのような試合ですね。旧UWFって佐山さんが参加したときからスタイルがガラッと変わったんです。で、自分が入門した3ヵ月目の頃、UWFの大会が用賀の特設リングであったので、山田(恵一)さんと後藤(達俊)さんと一緒に見に行ったんですね。
    ――そのメインがスーパー・タイガーvs高田延彦だったんですね。
    船木 それがホントに凄い試合だったんです。「高田さん、死ぬんじゃないか……」って思うくらいの激しい試合で。でも、山田さんが「やろうと思えば俺たちもできる」と言うんですよ。自分は入門したばっかなので、とてもできるとは思えなかったんですけど。
    ――新生UWFのプロレスは、スーパー・タイガーvs高田延彦のような試合だと想像したんですね。
    船木 そうですね。新日本の前座時代には、UWFからやってきた中野(巽耀)さんや安生(洋二)さんと試合をしてたじゃないですか。あの試合のイメージもありましたし、海外武者修行に出る前に高田さんから新生UWFに誘われたんですが「プロレスでも使える技があるなら残していきたい」と言ってるんです。だから新生UWFもプロレスだという意識はありましたね。
    ――船木さんは『週刊ゴング』に海外武者修行日記を連載してましたよね。
    船木 ああ、やってましたね。
    ――プロレス記者としての繋がりもあったわけですから、UWFで何が行われてるか教えてもらえなかったんですか?
    船木 いや、記者の方は「UWFはお客さんが入ってますよ」ということしか言わないですね。
    ――神社長や前田さんが海外の船木さんに会いに来ましたよね。そのときもリング上の話はしてないんですか?
    船木 していないですね。「新日本の海外修行が終わったらどうやってUWFに合流するか」とかそういう話だけですね。「弁護士を入れてでもちゃんと話をするから」とまで言ってくれて。
    ――もしUWFが格闘技になっていたらそれは革命的なことだし、前田さんにしても船木さんには伝えないとおかしいですね。
    船木 UWFはプロレスはプロレスでも格闘技寄りにはなってたんですけどね。
    ――船木さんは新生UWFに参戦した頃から暗いイメージがつきまとってるんですね。
    船木 自分でこういうのもなんですけど、俺はメチャクチャ明るい人間なんですよ(微笑)。 
    ――それはよく言われる「UWFで格闘技ができないから失望して暗くなった」というわけではないんですね。
    船木 いや、自分はプロレス大ファンだったんですよ。だって中学卒業して15歳でプロレス入りするくらいですよ?(笑)。――たしかに(笑)。
    ・「俺は前田さんを取ったわけじゃないですよ」……『1984年のUWF』には描かれなかった「骨法離脱の真相」!! 船木はなぜ堀辺師範の命令に背いたのか?
    ・神社長についていかなかった理由
    ・新生UWF解散現場……前田日明のマンションで何が起こったのか?
    ・藤原組離脱の遠因は北尾光司にあった!
    ・“電流爆破”と同じだったパンクラスの真剣勝負……
    この続きと、骨法、RIZIN反省会、原理主義者対談、アンダーテイカー、亀田1000万円…など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1274136
    この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック!

     
  • 『1984年のUWF』には描かれなかったリングスの実態……■金原弘光

    2017-04-30 18:56  
    55pt
    伝説のプロレス団体UWFインターナショナルでデビューして、キングダム、リングス、PRIDEと渡り歩いた日本格闘技の生き証人金原弘光が格闘技界黎明期を振りかえる連載インタビュー。今回のテーマは話題の本『1984年のUWF』について!<関連記事>『1984年のUWF』はサイテーの本!■「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1244660“Uと馬場”を支えた黒衣の絵描き……更級四郎「ボクは手助けをしていただけですよ」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar745564【G馬場ブレーンの語らい】全日本プロレスが再生した日――■更級四郎×ターザン山本http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar778102――金原さんは『1984年のUWF』はお読みになりました?
    金原 読んでないよ。「U.K.R.金原道場」の道場生が「読んで凄くイヤな気分になった」という感想は聞いたけど。「佐山(サトル)さんは凄い、前田(日明)さんの悪口ばっかり書いてあった」って。そんなに前田さんのことを悪く書いてるの?
    ――うーん、悪口だと受け止める人もいるでしょうね。ちなみにボクはそうは思わなかったんですけど……(笑)。
    金原 でも、これって旧UWFの話なんでしょ?
    ――それが新生UWFやその後のUの話も書かれてるんです。修斗関係者でリングス初期にブレーンとして関わっていた若林太郎氏の証言なんかをもとに、KOKルールに移行する前のリングスは、初期と比べて競技ルールは減少していった……とまとめられてるんですね。
    金原 えっ? 俺は死ぬほどやってたよ!! 9割は競技ルールだったよ。
    ――ほとんどじゃないですか!!(笑)。この本はかなり面白いんですけど、後半のリングスが誤解される書き方がされてるんですね。
    金原 リングスジャパンの選手はだいたい競技だったよ。Tさんはちょっと少なかったけど(笑)。
    ――Tさんも要所で競技をやってたからリングスのエースだったんじゃないですか?フミ斎藤が語る『1984年のUWF』、シャーク土屋・後編、KINGレイナ、鈴木みのると全日本イズム、「チキン諏訪魔騒動」とは何か……など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1255162
    この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック!
     
  • 『1984年のUWF』はサイテーの本!■「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」

    2017-04-30 18:56  
    110pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回は話題のノンフィクション本、柳澤健氏の「1984年のUWF」(文藝春秋・刊)について16000字の激語りです!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!(聞き手/ジャン斉藤)Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1167003■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1185954■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのかhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1218726斎藤文彦の最新著作昭和プロレス正史 下巻
    ジャイアント馬場・アントニオ猪木の日本プロレス独立から、NWA幻想の高まりと猪木対アリ“格闘技世界一決定戦"を経て、週刊プロレス創刊・UWF誕生、そしてブロディの死で終焉した時代とは何だったのか。活字プロレス誕生から60余年――、いま初めて綴られる、プロレスのほんとうの歴史「第二弾」。――今回『1984年のUWF』をテーマにすると聞いてちょっと驚いたんです。この本にはケーフェイについても書かれているので、プロレスマスコミの立場によっては触りづらいと思っていたので。
    フミ そうなんですか? 
    ――たとえばミッキー・ローク主演映画『レスラー』が公開されたときも、プロレスの裏側も描いているので「見た」と公言できないというマスコミや団体関係者が多かったですし。
    フミ いや、ボクは『週刊プロレス』のBoysコラムで『レスラー』のことは書きましたよ。それはきっと映画の内容についてコメントを求められるのがイヤなんでしょう。この業界でずっと長く仕事をしたいと考えた場合の保身の発想であり、己かわいさなのかもしれない。ボクは大丈夫です。それに、プロレスはそんなにヤワにできていないですし、『1984年のUWF』は本当に酷い本ですので、これはちゃんと批判しないといけません。とにかく本当に最悪な内容なんですよ。
    ――えっ、そんなに酷い本なんですか。読み応えはありましたが……。
    フミ そういえば、ある編集者に「Dropkickで『1984年のUWF』について話す」と言ったら「ジャン斉藤さんは柳澤さんを絶賛してましたよ」と言ってましたね。
    ――それは『1976年のアントニオ猪木』のことですかね(笑)。今回の『1984年のUWF』でも更科四郎さんのことを紹介したり、ボクが過去に取材したフクタレコードの福田典彦さんを始めとする関係者の発言が引用されていたんですが。この本の感想を言えば、「新生UWF」の章までは面白かったんですけど……。
    フミ 「新生UWF」は何章ですか?
    ――9章ですね。それ以降はところどころ「えっ?」って感じで引っかかる記述が多かったんですね。UWFの歴史を追うというよりは物語を描かれてるという感じで……。
    フミ いや、それは9章以降に限った話じゃないんですよ。あの本はノンフィクションではなく柳澤健さんのフィクションです。それを歴史の書だとか事実の記録だと誤解している人たちは目が曇っていますよ。
    ――この本の批判でよく聞くものは、前田日明を下げて、佐山サトルを上げてるんじゃないか、ということですよね。
    フミ いや、もうそういうレベルの酷さではないんですね。この本はプロレスの捉え方が根本的に間違ってるんです。この本を読むとわかるのは、柳澤さんという方は、プロレスというジャンルについて何かを書くための基本的なベースが一切ないことなんです。単純な事実の誤認を含めて間違いの上に間違いが重なり合い、何重にも何重にも誤りがあって収拾がつかなくなって、間違いの雪だるまみたいな本になっています。
    ――そ、そこまで言いますか。
    フミ プロレスファンがこの本を読んでも、学べることは何一つないんですよ。まず、ビギナーからマニアまでに共通した弱点として「ノンフィクション作家」を名乗る人や、プロレスマスコミではないところの媒体を、自分たちより上みたいな感じに崇めてしまいがちなんですね。この本に書いてあることがいかにデタラメであっても、自分より偉い誰かが書いていて、きっと真実なんだと誤解してしまう。あらためて言いますが、この本はノンフィクションですらないんです。まず当事者であるレスラーの取材・分析を一切省略してますよね。前田日明、佐山サトル、藤原喜明、高田延彦……その他UWFの選手たちを誰ひとりとして取材しないで書かれてるんですね。
    ――あえて取材していないんでしょうね。
    フミ 当事者の証言をすべてすっ飛ばしておいて、周辺の関係者やマスコミは取材して、柳澤さんの仮説にマッチする関係者の発言だけを極めて恣意的に抽出してるだけなんです。
    ――たしかにこの関係者の真偽不明な発言は採用するんだっていう疑問はありましたね。骨法の堀辺正史師範を筆頭に……。
    フミ 堀辺師範でも誰でも、関係者の発言をカギカッコ付にして書くことで、腹話術のように自分の仮説を主張しています。そのうえで関係者の心情を柳澤さんが勝手に語ってるんですよね。だからこの本はノンフィクションではなくて、柳澤さんの書いたフィクションなんです。
    「U.W.F.スネークピットジャパン」ジャンバーという正装で取材に臨んだフミ斎藤氏…――たとえば、どこが間違いなんですか?
    フミ とにかく間違いだらけで、どこから取り上げていればいいかわからないですが……まず27ページの13行目を読んでください。
    ――「プロレスはリアルファイトではなく、観客を喜ばせるためのパフォーマンスであり、勝者と敗者があらかじめ決められていることは事実」。
    フミ ……と書かれてますが、この文章の前後にはその定義付けのようなものを論証するエビデンス、論拠がまったく示されていないんです。「あらかじめ決められていることは事実」を示すものがない。そのあとには「リング上で行われている試合の勝敗を決めるのはプロモーターであり、残念ながらレスラーではない」と書いてますが、プロモーターというのは誰のことを指しているつもりなのかもわからない。柳澤さんはノンフィクションライターを名乗ってるのに、ノンフィクションたりえる証言や証拠を積み上げる作業をせず、個人的な偏見から「プロレスはあらかじめ勝敗が決まっている」と。「プロレスは――」から始まっていますから、ここはひじょうに大切なセンテンスなんです。ところが、もの凄く唐突に断言してしまってるんですね。次は29ページの11行目です。
    ――「アメリカに渡ってからはカール・ゴッチと名乗り、アメリカ各地に生き残る伝説の強者からサブミッションレスリングを学んだ」。
    フミ 読んでみてどう思います? プロレスの歴史を少しでも知る人間なら間違いにすぐに気づきますよね?
    ――……まあ、おかしいですね。
    フミ ゴッチさんは「アメリカ各地に生き残る伝説の強者からサブミッションレスリングを学んだ」? 「伝説の強者」? 誰のことですか? プロレスファンならすぐわかることなのに、なぜこんなデタラメを書くのか。ゴッチさんがサブミッションレスリングを学んだのはアメリカに渡る前、イギリスのビリー・ライレー・ジムです。次は同じ29ページの14行目を読んでください。
    ――「1960年の時点で、すでにプロフェッショナル・レスリングは純然たるエンターテイメントであった」。
    フミ これもエビデンスを示していない。では、1950年代、1940年代、1930年代、1920年代のプロレスはリアルファイトだったのか。フランク・ゴッチの時代は? マルドゥーンの時代は? 最初から最後までこんな感じで重要なことを極めてアバウトに書いてるんですよ。同じ29ページの16行目を読んでください。
    ――「観客が求めるのは興奮だ。レスリングのリアルファイトなど地味でつまらない。観客が求めているのは地味なリアルファイトではなく。興奮できるショーなのだ」。
    フミ まあ、ここが柳澤さんの一番の弱点なんです。続けてください。
    ――「だからこそ、ふたりのレスラーは一致協力して興奮できる試合を作り上げなくてはならない。手に汗握る熱戦の末に、最後には観客が応援するレスラーが必ず勝つ。観客は愛するレスラーの勝利を自らの勝利と同一視して興奮する。アクション映画のように、あらかじめ興奮が約束されているからこそ、観客は次の興行にも足を運んでくれるのだ」。
    フミ そもそも「リアルファイトが地味」とういうのも偏見ですが、プロレスファンが求めてるのは「興奮」だけなのか。百歩譲って興奮があったとしても、それはプロレスファンがプロレスに求めているたくさんのもののうちの1つでしかないですよ。興奮かもしれないし、熱狂かもしれないし、感動かもしれないし、共感かもしれない。ストレス解消かもしれない。どうして「興奮」と決めつけるかといえば、この人には少年時代にプロレスファンだった経験が一度もないからなんです。こんな短い段落の中に「興奮」という単語を立て続けに5回も使っている。きっと本気でそう思っているのでしょう。単純に言ってしまえば、柳澤さんは「プロレス八百長論」の方なんです。八百長か、真剣勝負かという一点だけしかプロレスを論じる視点を持ち合わせていないんですね。
    ――プロレスを二元論で捉えていると。
    フミ なぜそうなのかといえば、柳澤さんはプロレスファンなら必ず通過している体験をしていないからです。皆さんには経験があると思いますが、第三者に「プロレスファン」を名乗った時点で、それが学校の先生でも、親戚のオバサンでも、八百屋のオジサンでも、誰でいいけれど「プロレスはね、ショーなの、八百長なの。そんなこともわからないの?」と指摘されるんです。柳澤さんは、無垢なプロレス少年ファンに対して「プロレスは八百長なんだよ」と囁く隣のオジサンの立ち位置なんですね。そこにしか立ったことがないからプロレスの魅力は何か、プロレスとはなんなのか? を考えるのではなく、ステレオタイプな八百長論しか頭の中にない。プロレスファンじゃなかったからこそ外側から事実を書けると言いたいのかもしれませんが、それさえも不可能なんだということはこれからの説明でわかってきます。まず32ページの後ろから2行目を読んでください。
    ――「世界最強のレスラーであるカール・ゴッチの試合には、悪役レスラーの反則によって危機一髪の状況に追い込まれることも、流血戦もなかった」。
    フミ ボクはカール・ゴッチさんのことが大好きで、何回もフロリダの自宅を訪ねたことがありますが、「世界最強のレスラー」なコピーのようなものはいったい誰が定義したのか。その根拠も出典も記されていないし、最初から「であろう」という推測、偏見しかない。何度も言いますけど、この人は固定観念、先入観、ステレオタイプ、ありとあらゆるプロレスへの偏見から書いてるんです。何の論拠もなく「世界最強のレスラーであるカール・ゴッチの試合には、悪役レスラーの反則によって危機一髪の状況に追い込まれることも、流血戦もなかった」……ゴッチさんの試合なんか見たこともないんでしょう。何もかもリサーチ不足。詳しく調べてないんですよ。なんでこんなデタラメが書けるのか。
    ――そういえば『1984年のUWF』では、ダッチ・マンテルが前田日明にシュートスタイルで酷い目にあったとマンテル本人の自伝から引用して書いてて、そのボヤキっぷりが最高に面白かったんですが、YouTubeにアップされている前田日明vsダッチ・マンテル戦を見るかぎり、そんな物騒な試合ではなかったですね。
    フミ 当事者に取材していないにも関わらず、そういった自分に都合のいい証言はよく精査せずに引用してるんですよ。ゴッチさんについては、もっと酷いことを書いています。許せないです。
    ――「ゴッチのプロレスには、観客を興奮させるだけのスリルとサスペンスが決定的に不足していたのである」(P32)
    フミ 続けて「観客を興奮させることのできないレスラーがメインイベンターになれるはずもない」なんてことが書かれています。「スリルとサスペンスが決定的に不足していたと言われている」ならまだしも、そうやって断言できるだけのエビデンスを持ち合わせていない。これはボクの実体験なんですけど、ボクは小学4年生のときにテレビでゴッチvsビル・ロビンソン、ゴッチvsモンスター・ロシモフ(アンドレ・ザ・ジャイアント)を見て、小学5年生のときに蔵前国技館でゴッチvsアントニオ猪木の“幻の世界戦”、小学6年生のときには蔵前で猪木&坂口vsゴッチ&ルー・テーズのタッグマッチを生で見ました。50年以上もプロレスにハマり続けているのは、ゴッチさんのプロレスを見たからなんですよ。この本には、あれほどプロレスラーとしても魅力的だったゴッチさんの姿があぶりだされていないんですよ。単なる八百長論を展開するためにゴッチさんが使われている。
    ――「ゴッチを理解したのは、日本人だけだった」とも書いてますね。
    フミ それも柳澤さんの固定観念なんです。日本でしか受け入れられないならWWWF(現WWE)のリングに上がれていないですし、アメリカでレスラーとして生活できていない。そこは定説に乗っかってるだけですよね。疑いの目や批判の目をもってそういう定説を切り崩していくのがノンフィクションの本来の姿勢であるはずでしょ。この本ではゴッチさんがWWWFでタッグのベルトを獲ったことがまるで意外なことのように書いてありますけど、ゴッチさんはオハイオのアル・ハフトというプロモーターがやっていた大きなローカル団体のベルトも獲ってます。ボクはオハイオAWAと呼んでるんですけど、ゴッチさんはオハイオAWAの世界チャンピオンになってるんです。そういう事実を記述することなく、最初からゴッチさんは不遇だったという定説、結論ありきで書かれているんですね。それは38ページの2行目からもわかります。
    ――「ゴッチに残された役割は、前座レスラー数名のブッキングと、日本の若手レスラーにわずかな期間だけプロレスの基礎を教える臨時トレーナーだけになった」。
    フミ これは新日本に対して悪意が篭っているし、ゴッチさんのこともバカにしている。ゴッチさんは大したことを教えていないと書きたいんでしょう。ゴッチさんは日本プロレス時代にも1年以上日本に住んでレスラーの指導をしていますし、新日本時代も日本に滞在しながら、弟子とは呼ばれていない荒川真、小林邦昭、栗栖正伸、グラン浜田らにも教えてるんですよ。それにゴッチさんが指導したのはプロレスの基礎ではなくレスリングの基本です。次は139ページの後ろから2行目を読んでください。
    ――「自分たちはプロだ。厳しい練習に耐えているのは、リング上で華やかなライトを浴び、テレビの電波に乗って日本中の人気者となり、大金を稼ぐためなのだ」。
    フミ 「大金を稼ぐ」? 柳澤さんはプロレスラーってそれしか目的がないと本当に思い込んでるんでしょうね。プロレスを知らないからこそ「テレビもつかないマイナー団体に行くのは愚の骨頂だ」とも書いてしまう。そして149ページの11行目も酷いんです。
    ――「アントニオ猪木は柔道家や空手家、ボクサー、キックボクサーなどを自分のリングに上げて異種格闘技戦を戦い、カネで勝利を買っておいて……」
    フミ 競技スポーツという前提で論じるなら、お金で結末を買う行為が八百長であることはわかりますよ。でも、柳澤さんは最初からプロレスを競技スポーツとして見ていないのに、どうやって勝利をカネで買うというんでしょうか。ならば、勝利をカネで売った方のロジックは? プロレスのそもそもの論じ方が間違ってるからこんなことを書いてしまう。
    ――柳澤さんのプロレスの定義はショーというものですね。
    フミ この一文にからでも単純な八百長論者であることがよくわかりますね。柳澤さんはプロレスは勝ち負けがあらかじめ決まってるからスポーツではないと言うんですよ。でも、じつはスポーツの定義すら間違ってるんです。柳澤さんが言ってることは、競技スポーツという意味だと思うんですね。これは社会学の話なんですけど、スポーツの原型ができたのは18世紀から19世紀にかけての近代化の時代。イギリスの一地方で特殊なゲーム形式を伴う身体運動文化というものが起きて、それをルールで統一したものがスポーツの原型になります。スポーツの定義としては「競技的性格を持つゲームや運動及び、そのような娯楽の総称」なんです。勝ち負けを争うかどうかはスポーツの定義の中のひとつでしかない。実際、勝ち負けを争わないスポーツは多いんです。アウトドアスポーツは勝ち負けを争わないですよね。ジョギングやダンスは勝敗を競わないスポーツですよね。フィギュアスケートや水泳、スキーなどもずいぶんあとから点数を付けて勝ち負けを争うようなシステムになったわけですよね。
    つまり、競技か競技じゃないか、勝ち負けを争うかどうかは、いくつかあるスポーツの定義の中のひとつでしかないんです。プロレスはもちろんスポーツです。このスポーツ文化論の概念をわかっていれば、プロレスへの理解も深まると思うんですけど、その土台が間違えたまま柳澤さんは競技スポーツだけを論じてしまってるからおかしことになっていくんです
     勝敗を争っていなかったとしても、ゆえにスポーツではないという論理は成立し得ない。プロレスの場合、仮に百歩譲って結末が決まっていても、それは公開されてないからお芝居や映画とは違う性質のものなんです。ドラマや映画は脚本が読むことができるけど、プロレスは先にそれを読むことはできない。しかし、隠してるイコール騙している、見てる方が騙されてるという単純な図式にも当てはまりません。だいたいそんな単純な視点でプロレスを見てるファンはいませんよ。
     繰り返しますがスポーツでなくショーであるならば、カネで勝利を買えるということに矛盾が生じるし、そうやって書いてしまうことからプロレスというものへの理解が足りないことがわかります。柳澤さんはプロレスを論じるスタート地点にすら立っていないんです。プロレスはエンターテイメントと言いながら、エンターテイメントであるべきプロレスはないがしろにしている。結局、プロレスを「競技スポーツ」のふりをした「お芝居」だとしか思ってない。プロレスラーは脚本どおりに演じているにすぎないと思い込んでいるんです。次は149ページの7行目を読んでください。
    ――「マサ斎藤や坂口征二、藤波や長州力、タイガーマスクらが次々に登場し、メインイベントは必ずアントニオ猪木が締めくくる」
    フミ その次が凄く大事です。柳澤さんがプロレスへの知識がないことや、自分の都合で書いてることがよく表れています。
    ――「このように、藤原はテレビに映らない前座レスラーにすぎない」。
    フミ わかりますよね?
    ――そうですねぇ……。
    フミ 新日本からのリースのようなかたちでUWFのリングに上がった藤原さんは、UWF旗揚げシリーズ最終戦の蔵前国技館のメインイベントで前田日明と一騎打ちを行ないます。「テレビに映らない前座レスラー」であるはずの藤原さんがいったいどうやって国技館のメインイベントに出ることができたのか。柳澤さんは、プロレスを知る者なら誰もが頭に思い浮かべる1984年2月3日「雪の札幌テロリスト事件」に触れていないんです。あのときの生中継で長州力を襲い「テロリスト」と呼ばれるようになった藤原喜明だったからこそ、UWFでもメインイベンターとして成立しているんです。この本の論調でいうと、昨日まで無名だった前座レスラーがUWFでいきなりスターになったというストーリーにしたいんだろうけど、まったくの誤りです。この続きと、金原弘光が語る『1984年のUWF』、シャーク土屋・後編、KINGレイナ、鈴木みのると全日本イズム、「チキン諏訪魔騒動」とは何か……など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1255162
    この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック!