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記事 17件
  • 【16万字・記事15本詰め合わせセット】平本蓮、中邑真輔、猪木追悼、齋藤彰俊、石渡伸太郎、臼田勝美…

    2022-11-30 23:59  
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    part107
    ☆【悪口と本音の15000字】平本蓮インタビュー「朝倉未来には負ける気がしない」

    ☆RIZINを実況したくてフジテレビをやめた男・鈴木芳彦アナウンサー

    ☆「怒りとプロレス」……中邑真輔、アントニオ猪木を語る

    ☆愛犬も巻き込まれた? CMパンクの乱その後

    ☆齋藤彰俊インタビュー④「平成維震軍の愉快な仲間たち」

    ☆格闘技界の契約トラブルとは何か■現地観戦の鬼・サーバル

    ☆岡田遼インタビュー「平良達郎のこと、アメリカと日本の違いのこと」

    ☆私が愛した“若獅子”アントニオ猪木■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    ☆ボクは最初からあのレベルの平本蓮を見ていたんです■石渡伸太郎

    ☆福岡、名古屋、対抗戦!! 笹原圭一のブレーキの壊れたRIZINトーク

    ☆【青春と金】格闘探偵団バトラーツの悲しき思い出……■臼田勝美インタビュー③

    ☆手負いの平本蓮はRIZINに出るべきだったのか?■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク

    ☆スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガン率いるNWA、乱れる

    ☆猪木を語ることは自己の人生を語る行為である■斎藤文彦INTERVIEWS

    ☆クマエフに惨敗も……芸風の変わらない青木真也の強さ

    ◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉弥益ドミネーター聡志を撃破した平本蓮15000字インタビューです!(聞き手/ジャン斉藤)
    ――平本さん、素晴らしい勝利でした。
    平本 ありがとうございます!
    ――内容的にも相当、手応えがあった試合だったんじゃないですか。
    平本 いや、そうですね。手応えはめちゃくちゃありました。試合中も時間が経てば経つほど、自信がついてきて。1ラウンド終了した時点で「このまま余裕で勝てる」「もうやられることはないだろうな」と確信していたんで。
    ――1ラウンド終了の時点で。
    平本 はい。1ラウンド目に足関の対処がスムーズにできた時点で、これはもういけるなって。
    ――そして実際に勝利をモノにしたと。自信があったとはいえ、試合後の早朝4時頃、勝ったことに興奮して寝られないってツイートされてましたよね。
    平本 いやあ、嬉しかったっすね。久々に本当に“勝負”したというか、相当気合いが入っていた部分はあったんで。今回、いつものような減量がなかったからこそ、試合に集中する時間がすごい長くて、先週の1週間はめちゃくちゃ長く感じたっすね。それもあって寝れなかったっす。やっぱり自分の中で自信はあるけど、半信半疑というか自分のことを信じきれない。格闘家って自信があってもそういう警戒心が大事だと思うんですけど、それで集中力が増しますよね。
    ――油断しないってことですね。
    平本 だからこそナメずに戦えたというか。勝てるイメージはあったんで、打撃で距離をコントロールしたときに「今日はもう絶対にいける」と。ヤマスさんはレスリングがすごい強い選手ってわけでもないじゃないですか。初見殺しというか、トリッキーな寝技があるので。ボクはグラップリングの基礎をたくさんやってきたからこそ、ファーストコンタクトで初見殺しみたいな技さえ警戒しとけば、まずレスリングで負けることはないかなって思ってたんで。
    ――レスリングの対応はできると。
    平本 そういうところが試合で見せれたかなと。あんまり組みの展開になってないですけど、自分の中では「普通にできるよ」みたいなところは見せれたかなとは思いますね。
    ――この試合で急に覚醒スイッチに入ったのか、それとも鈴木千裕戦の頃から、練習でもこれくらいはできる自信はあったんですか?
    平本 レスリングの練習はたくさんやっていたから、自信はあったっすけど、やっぱ怪物くん(鈴木博昭)との試合を経て、試合でもコントロール可能だなって思ったときに、やっぱり試合を経験することですげえ強くなったというか。スパーリングでも、むしろテイク(ダウン)に来てほしい。そうすると自分に勝機が生まれるんで、そういうふう戦いができるようになりましたね。
    ――そのテイクダウンを切って打撃で削って自分のペースに持ち込むと。
    平本 自分の中に穴がなくなってきてるのかなと思いますね。やりたいことができるようになった。形としてできるようになった。
    ――一番のピンチは試合前にケガしたことですか?
    平本 そうっすね。ケガが一番……「もう終わった」と思ったんで(苦笑)。
    ――ケガした直後は欠場する流れだったから、相当落ち込んでいたみたいですね。
    平本 そうっすね。グラップリングがまずできない。踏ん張れなかったし、靴を履いても痛かったし、足を触られたらすぐにテイクされんじゃねえかなってくらいの状況だったんで。
    ――松葉杖だったんですよね。
    平本 そうっすね、最初はもう痛すぎて。ちょうど同じ時期に一緒に練習したK-1ファイターも同じ場所を同じように骨折したんですけど、そいつは手術しましたからね。
    ――うわ、ヘタしたら平本さんも……。
    平本 ボクは痛みに強いんで、折れて2週間ぐらいは、ただの突き指だと思ってたんですけど。さすがに治んねえなと思ってレントゲン撮りに行ったら、折れてたんで(苦笑)。それでも回復は早かったとは思いますね。
    ――そのへんから平本蓮が欠場するんじゃないかって噂が流れ始めますよね。SNSも止まっていたから「逮捕されたんじゃないか」とか(笑)。
    平本 ハハハハハハハ。みんな本当に好き勝手妄想しやがって、逮捕ってなんだよって(笑)。
    ――最初は欠場するはずだったんですよね。
    平本 正直、試合は無理だなって。喪失感もすごくて「どうしたらいいんだろう……」って落ちましたよねぇ。自分の中では戦いにならない、勝負にならんと思ったんですけど。SNSでファンの声が見られる時代だから。想像以上に自分に期待してくれてる人がたくさんいる。出場を「どうしようか」って悩んでるときに、RIZINの事務所で社長(榊原信行)といろいろと話をしてたんです。そうしたらバラさんが「早く蓮と飲みに行ってブルーハーツを歌いたいな……」と言い出して笑っちゃったんですよ(笑)。
    ――ハハハハハハ! ブルーハーツ好きの平本さんの口説き文句(笑)。
    平本 それで「出ようかな」って決心ついたというか、ここはひとつ男を見せようと思いましたね(笑)。
    ――榊原さんが田村潔司を口説くときは誕生日ケーキを持参して「ハッピーバスデー、タムちゃん♫」と歌ったらしいですから『情熱の薔薇』くらいは軽く歌ってくれそうですよ(笑)。
    平本 自分の中では社長のあの言葉が大きかったっすね。やろうと決めたからには集中力を持ってやろうと。ピンチはチャンスじゃないですけど、逆にすごく高まったかもしれないですね。

    ――あらためて出場を決めるまでのあいだは、練習されてたんですか?
    平本 まったくしてないっすね。空手の基本稽古はやってましたけど、踏み込む動きはできなかったんで。ケガで思うようにいかなくて試合もどうなるかわからないときに思ったのは、格闘家は格闘技をやってないとヒマだなって。試合に出ると決めたら、一気に楽しくなったし、楽しいぶん集中できましたよね。
    ――あらためて出ることにはなったけど、ケガもあってフェザー級リミットの66キロまでは落とせないと。
    平本 そうですね。体重はケガしたあとも増えないようにはしていて、71ぐらいだったんですよ。めっちゃ水抜きすれば、66キロまで落とせなくはないのかなって感じだったんですけど、やっぱり普段動いて体重を落とすのとはわけが違うんで。
    ――それで計量で落とせないとなるならキャッチで。
    平本 水抜きも試合当日の朝、ゴールドジムで1時間、弟と軽く動いて計量みたいな感じだったんで。ボクが体格差を活かしたんじゃないかとか言われてるんですけど、ボクはフェザー級でもごついほうでもないし。ドミネーター選手と対面したときに筋肉の感じとか、でかいなって。でも、キャッチウェイトを受けてくれたドミネーターさんに感謝はしてます。それに対して文句を言ってる奴には「うるさいよ!」って開き直ってますね(笑)。
    ――このメインが飛んじゃうと、興行的には大ピンチですよね。そこの責任感ってありました?
    平本 ありました。もし鈴木千裕がメインイベントだったら終わってますよ(笑)。
    ――言い過ぎですよ(笑)。鈴木千裕選手も摩嶋一整選手の代役で今成正和さんと戦って頑張ってたじゃないですか!
    平本 アイツの試合のときは入場ゲートで待機してたんでんすけど。あんなに他人の足首をひねってくれって思ったのは、初めてですよ。「今成さん、早くアイツの足をポキっと極めてくれ!って祈ってて(笑)。
    ――大一番前の心境じゃないし、やっぱり言い過ぎです!
    平本 鈴木の試合の1ラウンド終わったときにハセケンさん(長谷川賢)が「これ、判定まで行くよ。たぶん極まんない感じかも」って。逆にそこで気持ちを整えられたというか。自分の1個前の試合がつまんなかったりすると、選手として出やすいですし。1個前がヘビー級で「絶対に秒で終わるやん」みたいな試合って、やりづらいですよね。白熱のあとの会場に入るよりも、ちょっとシーンとした状態で入るほうが主役感が一気に強まるというか。そういう部分では鈴木千裕には「塩試合ありがとな」みたいな。
    ――嫌な感謝の仕方ですね(笑)。
    平本 試合前も集中しすぎてて、あんまり覚えてないんですけど。アイツ、マイクすげえ長かったじゃないですか。セコンドの赤沢(幸典)さんに終わったあと聞いたんすけど、ボクはずっとボソボソ「うるせえな」ってずっと鈴木に文句を言ってたらしくて(笑)。
    ――覚えてないんですか?
    平本 覚えてないですよ。無意識にずっと口から出ちゃってたっすね。やっぱりアイツは本当に失礼な奴ですから。人気の出ない理由は他人へのリスペクトがないっす。
    ――というと、平本さんは他人にリスペクトがあるわけですか?
    平本 それはもう! ボクは尊敬、リスペクトがありますよ。鈴木はどうやったら人気出るんですかね。
    ――平本さんならどうプロデュースしますか?
    平本 どうしましょうか。アイツは、本当は独りよがりというか。試合って2人で作り上げるものじゃないですか。まあ、そう思わない人もいると思うんだけど。基本はお互いに「負けねえよ!」みたいな魂のぶつかり合いとに感動が生まれるんですけど。鈴木の場合って、なんか厚かましい。鈴木はこないだ萩原(京平)に勝って、試合後に昇侍とメシを食ったときに「あのときの仇は取りました!」とか言ってて。誰も昇侍もお願いしてねえよ!みたいな(笑)。
    ――なるほど(笑)。
    平本 おまえが勝手に美化すんじゃねえよ!っていう。おこがましいじゃないですか。なんか自己中なんだと思う。周りが見えてないですね。
    ――話を強引に戻しますが、試合が決まってから本格的に身体を動かし始めたんですか?
    平本 そうですね。いま空手を教わってる岩崎(達也)先生と「よし、やりましょう」となって。打撃もできる範囲でやり込んで、GENで赤沢さんと対策を練って。赤沢さんは「絶対に足関に来るから」と。ワンチャン、スライディングも狙ってると思うと。そこはサウスポーにしたんで、絶対に入ってこれないと思ったんですけど。
    ――今回サウスポーだったのはそういう理由なんですね。
    平本 まあ、足のケガもあって不安だったこともあるんですけど。足関対策はホントにやってたので、練習の成果がまんま出た感じだったんで。予習したことが全部かたちになりました。
    ――「この問題の答え、わかってる!」という。
    平本 はい。壁際も絶対に負けるわけがないと思ったんで。
    ――足の痛みはありました?
    平本 試合に集中しててアドレナリンが出てたんで全然大丈夫でした。終わったあとは痛かったですけど、やっぱり身体が強いんで。
    ――最初にローを食らって倒れかけたけど、すぐに立ち上がってパンチを返しましたが、ヒヤリとしたのはあそこですか?
    平本 あれ、マクレガーとエディ・アルバレスを思い出しました(笑)。マクレガー、最初転ぶんで。
    ――締めのマイクもマクレガーオマージュでしたし、最初と最後はマクレガーで繋がってるわけですね。
    平本 そうですね(笑)。マイクは思いつきです。喋ることは何も決めてなかったっす。
    ――じゃあ、最後まで冷静に戦えて。
    平本 ボクの中では落ち着いて対処できましたね。蹴りで向こうが近づいてきてくれたので、逆にジャブが当てやすかったし、初っぱなにダメージを与えられたし、スピードでびっくりさせられたのが今回の勝因かなって思いますね。最初に先手を取れたのがすごく重要でした。先手を取るといっても先に手を出せばいいのかってわけじゃなくて。武術空手の「先を取る」っていう自分の強みは出たかなと。
    ――鈴木千裕戦で最初にパンチを食らったじゃないですか。あれも先手を取られたことで……。
    平本 あれもそうっすね。不用意に組み付こうとして距離が近すぎて、そこで相手の距離に入っちゃったんで。いまはそこから修正してるので、鈴木と再戦したら瞬殺っすね(笑)。
    ――よくわかりました(笑)。話を聞くかぎり岩崎先生の空手の影響は強いんですね。
    平本 そうですね。岩崎先生は本当に面白い方で、武術をすごく研究しているし、頭がすごい柔軟であり、いろんなこと常にずっと研究してるので。合わない選手は本当に合わないかもしれないですけど、自分の中でスッと落とし込めるというか。結局強くなるのは自分次第。格闘技が本当に好きな人だったら、岩崎先生の考えはめちゃくちゃ目から鱗じゃないですけど。ボクなんかは、すごい感動したっすね。総合格闘技に自分は適していると思います。具体的にどういうものかというと説明が難しいんですけど、殺気ですかね。殺気で距離感、空間を支配するっていうか。大好評記事15本16万字の詰め合わせセットはまだまだ続く…… 
  • クマエフに惨敗も……芸風の変わらない青木真也の強さ

    2022-11-27 20:11  
    150pt
    この記事は青木真也vsクマエフを語ったDropkickニコ生配信を記事にしたものですが、原型を留めていないどころか、インタビュー形式となっています(語り:ジャン斉藤)【1記事¥110から購入できるバックナンバー】・【史上最大のMMA対抗戦】榊原信行とスコット・コーカー、敗れざる者たちの逆襲
    ・扇久保博正、浅倉カンナを生み出したパラエストラ千葉に迫る■鶴屋浩 代表インタビュー
    ・【サトシ教】サトシに勝てる日本人はいません■柔術ライター・橋本欽也
    ・【シバターvs久保事件】Uインター・PRIDEから続くRIZINの「まだら」■菊地成孔
    ――ONEシンガポール大会メインカードの日本人は4敗1試合不成立という厳しい結果になりました。
    斉藤 徹底的に打ちのめされたから面白かった、とも言えますよね。「vs世界」という「死にゲー」の絶望に憂鬱になりながらも刺激的で。退廃的なものに身を委ねるからこそ、生きることの実感って湧いてくるところはあると思うんですよ。
    ――ドM格闘技って達観しすぎてますよ。ONEのCEOチャトリさんは「ここ30年のあいだに日本の格闘技はレベルが下がっている」と発言して物議を醸してますね。
    斉藤 これは前から言ってるんですが、日本は格闘技カルチャー&ビジネスの中心地だっただけで、日本人が無双していたわけじゃないんですね。ホントね、日本人選手が負けるたびに、ずっとつらい思いをしてきたんですよ(笑)。
    ――K-1もPRIDEも外国人がスターでしたね。
    斉藤 96年のバーリトゥード・ジャパンで日本勢が惨敗したときの『格闘技通信』の表紙コピーは「日本最弱」でしたし、プロ格者の合言葉はルッテンにボロ負けした船木誠勝の「明日また生きるぞ!」だったわけじゃないですか。日本が興行の中心だったことで日本人選手が活躍しやすい環境だったことはたしかですが、近年は世界的な競技人口の増加に伴ってレベルが向上している、という見方のほうが適切かもしれません。ただ、これは昔から言ってるんですが、日本のプロレス格闘技って「日本人だから」って理由で無条件に応援していたわけじゃないんですよね。
    ――日本人vs外国人でも外国人選手に声援を送る格闘大国でしたし。
    斉藤 だからって共産党の議員さんみたいに「サッカー日本代表が勝って残念」なんてマインドじゃないですよ(笑)。いまは「vs世界」が最も盛り上がるアングルのひとつかもしれないですが、なんか外国人とやるだけで「vs世界!」と煽りがちですよね。それにそこはだいぶ渋滞しているというか、RIZINvsベラトールみたいな歴史的な企画をやられちゃうと、ほかの「vs世界」は無効化されがちですよね。
    ――安っぽく見えるものも出てくると。
    斉藤 そのRIZINもこのあとは大変ですよ。2023年一発目のカードが発表されたときは「大晦日のカードとクオリティが全然違う!」ってお叱りの声が殺到しそう(笑)。
    ――RIZINという躁鬱MMAイベント。
    斉藤 単なる「vs世界」アングルで終わらなかったのが今回のONEのアオシンvsクマエフですね。アオシンというのはDEEP佐伯代表夫人のテルミさんが青木真也につけたあだ名ですけど、使ってる人はあまりいないんですよ。
    ――恒例の紹介ですね。
    斉藤 アオシンは負けてしまったけど、どんなファイターでも3~5年でキャラクターやストーリーがリセットされがちな消費速度が早い時代にずっと青木真也を通しているのはすごいなと思いました。変な話ですけど、アオシンって試合前から試合後まで毎回、同じ印象があるんですよね。芸風が同じなのに刺激的ってすごくないですか? 
    ――有名落語家の十八番の噺を楽しむような。
    斉藤 芸人さんだって芸風は変わるんだけど、明石家さんまのような変わらないモンスターもいますよね。つぶさに見ればずっと昔どおりではないんですけど、そう見える。勝っても負けてもキャラクターをやりきる強さがあるってことですよね。
    ――今回は試合後は泣きながら「秋山成勲戦で気持ちが切れていた」「本当はつらかった」とコメントしてますよ。
    この続きと平本蓮、中邑真輔、猪木追悼、齋藤彰俊、石渡伸太郎、臼田勝美……などの10月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「16万字・記事15本」の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2129474この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事150円から購入できます!

     
  • 猪木を語ることは自己の人生を語る行為である■斎藤文彦INTERVIEWS

    2022-11-25 10:15  
    150pt

    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマはアントニオ猪木です!

     

    Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■IWGP女子王座の違和感の正体

    ■WWE総帥ビンス・マクマホン引退


    ■新日本プロレスが丸ごと直輸入された『FORBIDDEN DOOR』
    ■新日本プロレスvsAEW「禁断の扉」の行方

    ■さらばストーンコールド、トリプルH、テイカー!! レッスルマニア38


    ■追悼“レイザー・ラモン”スコット・ホール
    ■【お家騒動】シェイン・マクマホンがWWEをクビに?


    ■対抗戦?交流戦?新日本vsNOAHから見えてくる2022年
    ■アメリカで英語化されたPURORESUプロレス
    ■AEWはWWEのライバルになりえるのか


    ■コロナに散った『ワールドプロレスリング』海谷ディレクターを偲ぶ
    ■前田日明の「噛ませ犬」だけではないポール・オーンドーフの功績
    ■WWE☓新日本プロレス業務提携の噂、その出元
    ■ドラマが現実化するプロレス版・星野源&新垣結衣は?■NWAの最期を看取った男ジム・クロケット・ジュニア
    ■ビンスの黒衣、猪木の親友パット・パターソン

    ■晩年のロード・ウォリアーズ
    ■ロード・ウォリアーズの衝撃

    ■追悼! 佐山タイガー最大の難敵・初代ブラックタイガー

    ■全女消滅後の女子プロレス新世界

    ■木村花さんはドウェイン・ジョンソンのようなスーパースターになるはずだった

    ■女子プロレスの景色を変えた女帝・ブル中野■マッハ文朱が女子プロレスというジャンルを変えた

    ■新日本プロレスの“ケニー・オメガ入国妨害事件”という陰謀論■WWEvsAEW「水曜日テレビ戦争」の見方■WWEペイジの伝記的映画『ファイティング・ファミリー』■AEWチャンピオンベルト盗難事件■「ミスター・プロレス」ハーリー・レイスの偉大さを知ろう■ウルティモ・ドラゴンの偉大なる功績を再検証する■都市伝説的試合映像ブレット・ハートvsトム・マギー、ついに発掘される ■【追悼・爆弾小僧】すべてはダイナマイト・キッドから始まった
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」



    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

    ■“怪物脳”に覚醒したケニー・オメガ■怪物デイブ・メルツァーと『レスリング・オブザーバー』■新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか■怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう ■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
    ■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る■『1984年のUWF』はサイテーの本!
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」


    ■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る



    ■超獣ブルーザー・ブロディ

    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
    ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜




    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 
    ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
    ■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑

     
    ――今月のテーマはアントニオ猪木です。
    フミ 猪木さんが亡くなって4週間が経とうとしていますね(この配信は10月27日)。猪木さんに関して、きょうはふたつのことをお話ししようと思っています。まずひとつは、アントニオ猪木さんはこの世から去ってしまったんだけれど、ボクらの中では現在進行形の猪木さんがまだつづいている感じというか、続いているということです。もうひとつは、ビジネスとしてのアントニオ猪木。このふたつについてお話をさせてください。猪木さんが亡くなったのは10月1日の朝7時40分でした。このことをさまざまな方法で耳にした人たちがまず午前8時くらいから友人、知人たちに直メールを送るかたちでこの情報が広まっていったんだけど、アメリカの東海岸ニューヨーク時間でいうと、金曜日の夜7時です。そのあたりはさすがWWEだと思ったのは、その夜の『フライデーナイト・スマックダウン』生中継の番組オープニングと同時に猪木さんの訃報をアナウンスしたことでした。
    ――緊急対応したんですね。
    フミ 「猪木さん死去」の情報が口コミで伝わり、さらにネットで拡散されはじめてから2時間足らずで、アメリカの生中継のテレビ番組でこのニュースが報じられた。ちゃんと猪木さんのグラフィックを画面に映して、番組オープニングと同時に実況のマイケル・コールと解説のコーリー・グレイブスが「レジェンドであり、スーパースターであり、プロモーターであり、そして政治家でもあったアイコン中のアイコンのアントニオ猪木さんがお亡くなりになりました」と視聴者に伝えました。この機会を逃すと、土日を挟んで翌週の月曜『マンデーナイトロウ』で触れるしかなくなるわけです。このニュースがアメリカに伝わったであろうと時点から2時間足らずで、『スマックダウン』の番組オープニングでこれに対応したWWEの制作力はさすがだなと思いました。
    ――猪木さんは世界的にも大物だったということですね。
    フミ そうですね。また、コーリー・グレイブスの解説の中には「オフィシャルのレコード(記録)に入ってはいませんが……」と前置きをしたうえで「アントニオ猪木さんはWWE史上、ただひとりの日本人の世界チャンピオンでした」と補足したんです。
    ――なぜオフィシャルに入ってないのにチャンピオンなのか……最近のファンはわからないですね。
    フミ 1979年のことだから、もう43年も前の話です。猪木さんが徳島で当時のWWFチャンピオンのボブ・バックランドを破ってチャンピオンベルトを腰に巻いた。その7日後の蔵前国技館で前王者バックランドを迎えて初防衛戦をしたとき、タイガー・ジェット・シンが乱入してきて、その時点で反則裁定だ、バックランドがフォールを取った取らないと、大混乱の展開になって、結果的にはノーコンテストになったんですが、猪木さんはこういうかたちでの防衛は納得できないということでベルトをいったん返上。猪木vsボブ・バックランドの再戦を翌月のマディソン・スクエア・ガーデンでやると日本のテレビと活字メディアでは報道され、事態は収拾された。ところが、いざニューヨークに着いてみたら、バックランドはWWF王者としてボビー・ダンカンと防衛戦。日本では王座決定戦として報道されて、猪木さんはWWFマーシャルアーツ王者としてその防衛戦をアイアン・シーク相手に行った。そもそも猪木さんの王座奪取は日本で起きたことであり、その初防衛戦がノーコンテスト裁定になったこともアメリカのテレビでは伝えられていなかった。そのまま猪木さんが王座を返上をしたこともあってWWEの記録にはオフィシャルなかたちとして残されなかった。だから今回、番組内で「オフィシャルのレコードには残ってはいませんが」と前置きしたうえで「日本人としてただひとりのWWEワールドチャンピオンでした」と40数年越しに初めて認めたことは画期的なことなんです。
    ――国が違うと情報が伝達されない時代のエピソードですね。
    フミ それ以後、猪木さんはWWF世界王座に挑戦していません。今回の訃報はアメリカではFOXニュースですぐさま報道されました。それはやっぱり1976年のモハメド・アリとの格闘技世界一決定戦のインパクトがものすごく大きいんですね。もちろんあの試合だけが理由ではありませんが。プロレスラーであり政治家ということもあるし、猪木さんは98年に引退後、いったんアメリカに移住しましたよね。
    ――ニューヨークとロサンゼルスで生活されてましたね。
    フミ あの時代の猪木さんは1ヵ月ごとに日本とアメリカを行ったり来たりする生活でした。これもあまり報道されていないことですが、猪木さんは申請からたった2週間でアメリカのグリーンカード(永住権)を取っちゃったんですね。
    ――わずか2週間とはすごい話ですね!
    フミ イミグレーション関連のすごく優秀な弁護士さんが就いていたこともありますが。アメリカは移民の国、オープンな国といわれていますが、メキシコや中南米からのアンドキュメンテッド・ワーカー(不法就労者)の大量流入の問題などがあり、実際にはそれほど簡単に就労ビザは取得できないし、グリーンカードを取るのはすごくたいへんなんです。だけど、猪木さんの場合は、申請書を提出してから2週間でグリーンカードが下りた。それはなぜかというと、出身国で伝記が何冊も出版されているような偉人であり、パーラメント(国会議員)だったからです。プロレス本というジャンルの中に“猪木本”というサブジャンルがありますよね。猪木さんに関する単行本はそれくらいたくさん出版されている。プロスポーツのスーパースターで、政治家としても活躍し、日本で伝記が何冊も出版されているような偉い人、さらに今後も継続的に収入が見込める有名人が引退し、余生をのんびり暮らすためにアメリカに来ているということで、一発でグリーンカードが取れちゃったんです。
    ――皇室クラスの待遇といっても大げさじゃないです(笑)。
    フミ 日本における参議院議員は、アメリカでは上院議員とよく似たポジション。アメリカの司法当局からみてもただ者じゃないわけです。でもまあ、日本とアメリカを股にかけた猪木さんのこういう現実の社会での偉大さが理解できるのは、50代以上のプロレスファンなのでしょう。98年の引退試合からもう24年という長い時間が経過していますし。
    ――40代前半の人は、現役時代の猪木さんの試合を見たことがない。40代以下になっちゃうと、「ダーおじさん」や「ビンタの人」というイメージですね。
    フミ スーツ姿の猪木さんしか知らない、黒タイツと黒シューズのアントニオ猪木をまったく知らない層ということですね。猪木さんがすごいところは、プロレスではありがちな1試合だけの限定復帰を決してやらなかったことです。ジャニーズの男性アイドル(滝沢秀明)とスパーリング的なことをやったときも、ウォームアップの上下を着たままでしたし、引退後、一度もリング上で裸になっていないんですね。
    ――2001年の大晦日にサスケとタッグを組んで紅白仮面&ジャイアント・シルバとタッグマッチ的なことをやりましたが、そのときも裸にはなってないですね。
    フミ いわゆる全身裸に近い状態で、黒タイツに黒シューズのアントニオ猪木は二度とリングに現れなかったわけです。そこが猪木さんの美学というか、引退したからには、お客さんの前で裸にならないということだったのかもしれない。そして一度もリングには復帰してないのに、亡くなるその日まで、マスコミやメディアの前から姿を消したことがなかった。だから現役時代を知らない人たちにとっては、いつもぱりっとスーツを着て、赤い闘魂マフラーを巻いているイメージだけが強いわけです。
    ――あれが引退後の猪木さんの正装ってことですね。
    フミ 普段からスーツを着ている人たちから見ると、猪木さんのズボンの長さが最高というか絶妙だったらしいんですね。スーツのパンツの裾のほど難しいものはなくて、短過ぎちゃいけないし、長過ぎちゃいけない。いまはデニムだったら、わりとロールアップして短く履く時代ですよね。昔のジーンズだと、スニーカーを履いたとき、裾がぎりぎり地面に近く、カカトに付くか付かないかぐらいの長さがベストといわれていたんだけど、スーツの裾だけはとにかく難しくて。革靴にかぶさるくらいがいいらしいんですけど、猪木さんのスーツの裾の長さが絶妙過ぎて、スーツマニアから見ると最高だったらしいんです。 
    ――まさかスーツの裾から猪木さんの魅力が語られるとは思いもしませんでした(笑)。
    フミ 先ほどもお話したように、アントニオ猪木は死んでも生きているという意味で、こうやって語っているだけで、猪木さんは現在進行形の存在でありつづけるといえるんですね。
    ――亡くなってからますます猪木さんのことが語られてますね。
    フミ もちろん、一番語りやすいプロレスラーであることはたしかなんだけど、それにしても、誰もがアントニオ猪木を語りたがる。これはどういうことかっていうと、アントニオ猪木を語ってはいるんだけれど、じつはそのひとりひとりが、ご自分の人生について熱く語っているんです。アントニオ猪木さんから勇気をもらったとか、元気をもらったとか、こんな試合を見て感動した……とか。猪木さんがこの試合をやったとき、ボクは高校生だったとか。それぞれ自分の人生と重ね合わせて、それぞれのアントニオ猪木が存在するわけです。1万人のプロレスファンがいるとすると、1万通りのアントニオ猪木がちゃんと存在している。猪木さんのことを語りつつ、必ず自分の人生を語っているんです。<14000字インタビューはまだまだ続く>
    この続きと平本蓮、中邑真輔、猪木追悼、齋藤彰俊、石渡伸太郎、臼田勝美……などの10月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「16万字・記事15本」の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2129474この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事150円から購入できます!
     
  • スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガン率いるNWA、乱れる

    2022-11-22 10:46  
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    アメリカのインディプロレスの“現在”を伝える連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます! 今回のテーマはスマッシング・パンプキンズのビリー・コーガン率いるNWA、乱れるです!
    <1記事から買えるバックナンバー>・プロレス界の歌ウマ王は誰だ?■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
    ・AEWの噂と誹謗中傷……信者はアンチに豹変する
    ・【こじらせ武藤敬司】ファンキー加藤インタビュー「プロレスに青春ごと救われました」
    ・齋藤彰俊インタビュー③「新日本プロレス道場で過ごした日々」


    「ビリー・コーガンが考えているNWAのアイデアは駄目だ。小恥ずかしいよ。俺はもうNWAの一員として、こんなところに関わりたくないよ」
    設立から74年が経ったNWA(National Wrestling Alliance)は、現在人気ロックバンド、スマッシング・パンプキンズのリーダー、ビリー・コーガンがオーナーとして辣腕を振るう団体である。
    大のプロレスファンだったコーガンは、2017年にNWAの名称、権利、商標、ビデオライブラリー、そして、世界最高峰と称された黄金のNWA世界ヘビー級王座のベルトなど、NWAのありとあらゆる物を買取り、団体運営に乗り出した。2019年10月からは、定期番組を毎週配信するなど、数多いアメリカインディー団体の中でも、とりわけ精力的に活動を続けている人気団体のひとつと言えよう。
    先日、地道ながらも老舗NWA復活に尽力してきたコーガンに対し、一番身近な人物から批判の声があがってしまった。本業のバンド活動でも最新アルバム「ATUM(オータム)」を発表したばかりのビリー・コーガンに、いったい何が起きたのか。
    コーガン政権となってから5年、そのうちの約3年半をNWA世界ヘビー級王者として君臨し、コーガンNWAの比類なきエースとして団体を先導してきたのが、“ナショナル・トレジャー(国宝)”と称される英国人レスラー、ニック・アルディスだ。マグナスの名前で、TNA(現インパクト)で活躍し、NOAHやWRESTLE-1に来日したこともある。アルディスは、コーガンと共にNWA復活に貢献し、NWAには欠かすことのできない重要人物の1人だ。コーガンとは一蓮托生の間柄だったはずのアルディスが、自身の36歳の誕生日である11月6日にSNSで発表したのが、冒頭の決別宣言だった。
    この続きと平本蓮、中邑真輔、猪木追悼、齋藤彰俊、石渡伸太郎、臼田勝美……などの10月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「16万字・記事15本」の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2129474この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事150円から購入できます!
     
  • 手負いの平本蓮はRIZINに出るべきだったのか?■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク

    2022-11-22 10:26  
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    多くのMMAファイターをマネジメントするシュウ・ヒラタ氏が北米MMAシーンを縦横無尽に語りまくるコーナー。(この記事は11月4日にニコ生配信されたものを編集したものです)


    【1記事100円から購入できる過去記事】・西川大和UFC契約の舞台裏/RIZINマッチメイク二転三転
    ・井の中の蛙化にしてるのは○○キッズのせい?・LFAだけが「UFCの登竜門」なんかじゃない
    ・平本蓮とRIZINの契約、井上直樹vs瀧澤謙太、PFLとベアナックルは美味しい?


    この配信は11月6日の弥益ドミネーター聡志vs平本蓮戦の2日前に収録されたものです。平本蓮のマネジメントを務めるシュウさんが試合前はどのような心境だったのかをお読みください。
    ――シュウさんがマネジメントする平本蓮選手がケガを明かしたうえでRIZIN名古屋の出場をあらためて宣言しました。3週間前にケガをしたということなんですけど、試合1週間前にこうやって発表するということは、欠場も視野に入れての動きだったんですか?
    シュウ これは平本くん本人が記者会見で明かしてたから言っちゃうけど、まずケガをしました。それから医者の診断を受けて、レントゲンも撮って見た結果、まあ試合はできないだろうという判断。打撃を出すために必要不可欠な「踏ん張り」がまったくできないだろうと。そこからRIZINさんに連絡しまして、RIZINさんのほうでも治療先を手配してくれまして。そうやっていろいろとやって、最終的にはRIZINさんの熱意ある交渉に平本くんが応じたって感じですかね。
    ――ケガはけっこう大変なんだけども、平本選手からすると、イベントに穴を開けるわけにいかないという責任感があったっていうことですかね。
    シュウ 彼は記者会見ではいろいろと強気なことを言ってますけど、そこはプロ意識はありますよね。一番はじめにケガで無理だろうという診断を下されたときは「不甲斐ない」と本人が言ってたんで、そのひとことに彼の思いは集約されていたと思うんです。
    RIZINさんが手配してくれたPRPや超音波の治療を受けても、折れた骨は簡単には繋がんないんですよね。それでも、とりあえずやれることは全部やろうと。これは大沢ケンジさんに言われちゃったんだけども、シュウさんは選手を甘やかしすぎだと(笑)。
    ――あれま(笑)。
    シュウ 私は「ケガをしたら無理に試合しなくていい」と選手に言いますし(笑)。あと、これ、いい機会ですから、ここで説明したいことがあります。
    一部のファンの方々、そして選手の中にも、MMAの世界でのマネジメントの立場とか仕事に関して、ちょっと勘違いしている人もいると思うんですね。
    弊社は日本の芸能事務所みたいに、タレントのレッスンとかいろんなものに長々と投資して、給料を出しているわけではない、代理人、つまりエージェント業なんです。
    今回のようなケースで、団体側から「なら選手と直接話させてくれないか?」と言われたら、もちろん「いいですよ」と私は言うんです。これが日本の芸能事務所だと、それはNGというと思うんですね。そこがまず根本的に違うというを理解していただきたいですし、選手側も理解するべきだと思うんです。
    マネジメントやエージェントは選手の上司ではなく、伴走者、共犯者なんです。だからファイトマネーだって、マネジメントに振り込まれるのではなく、選手に振り込まれ、そこからパーセンテージを選手がマネジメントに支払うのが通常であり、MMAの世界で、マネジメントかエージェントとかジムが選手の代わりにファイトマネーを受け取ったりとか、選手の知らないところで試合や仕事を断ったり決めたり、選手の間に入って団体と話させないとか、それは全然違うと私は思うんですよね。
    だから、たとえば記者会見で試合を組んでくれて団体にありがとうというのはわかりますけど、マネジメントにありがとうという感覚、これは私は違うと思うんです。マネジメントと団体とのあいだの話は「大人の話だから」とか言って、自分は入れないないみたいなことをいう選手がいるんですけど、それも違いませんか?とよく考えてほしいです。自分の人生であり「マネジメント」は自分の「エージェント」「代理人」じゃないですか、と。だから最近私はどこでも言うようにしているんですが、日本人MMA選手全員の“矢沢永吉”化を求めているんです(笑)
    ――シュウさんの矢沢永吉論が出ました!
    シュウ 自分の当然の権利は主張しましょうよ、と。そして、これね、永ちゃんの凄いところの一つだと思いますけど、自分のためになる人たちをうまく使いなさい。これはね、話すと長くなるんで、ここでやめますが(笑)。たとえば、UFCでもPFLでもベラトールでも、窓口はマネジメント一本化は徹底してます。絶対に選手に直接連絡が行くことはありません。けど、それが新しい複数契約の交渉の過程で最後の最後まで条件で合意できなかったら? 団体は最後に必ずマネジメントにこう言います。「なら、最後に選手と直接話して確認させてくれ」と。それに対してマネジメントがノーと言える権利はないんですよね。
    実例を挙げますね。ずいぶん前の話ですけど、水垣偉弥選手vsブライアン・ボウレス選手のUFCでの試合。これ、いま初めて明かすんで、本人も知らないことなんですけど、ボウレス選手のマネジメントが新しい複数試合契約の交渉をUFCとしており、それがまとまらないと試合が組めないという状況だったんです。けど交渉が決裂したんです。そのときにUFCのマッチメイカーのショーン(・シェルビー)が電話でこう言ってきたんです。「合意できなかった。だから最後のステップとして、ブライアン本人と話すからちょっと待ってくれ」と。
    それで本人と話して何をどう説得したのかは知りませんが、ボウレス選手はUFCから提示された複数試合契約のオファーを受けたんですよね。で、水垣さんとの試合は成立したんです。
    団体側からしたら契約しているのは選手なんだし、私からしても別に直接話されても都合の悪いこともないですし「どうぞ、話してください」ということになるんですね。
    ただ、どんなことを榊原さんに何を言われても「自分が無理」という判断なら「ノーと言い続ければいい」と平本くんには言ってたんです。だけど、そこは選手が最終的に決めることですし。今回もケガは不安だけど、平本くん本人がやりたいと決めたことなので。ケガした直後は、あの強気の平本くんが前述のように「不甲斐ない」って落ち込んでいたので、いろいろと考えることがあったんじゃないですか。
    ――なんでもネタにするのがSNSの世界ですが、平本選手のケガがウソだと思っている人がけっこういるんですよね。
    シュウ ケガは本当ですね。手元にレントゲン写真も持ってますし。ていうか、選手がケガしたときに「逃げたんじゃないか」みたいな声が一部のファンからいつも挙がりますけど、これもうね、完全に無視してもいいと思いますよ。もともと試合するのが怖い人はこの仕事を選びませんし、相手が怖いとか、勝てないと思っていたら試合は受けないです。
    ――そもそもイヤだったらオファーの時点で断りますよね。
    シュウ これは、競技ですからね。そこらへんの街の諍いとかケンカとはまったく違うんですから(笑)。そういうことを言い出す人たちも意外と本当はそれをわかっていて、炎上させるためにとか、別の意図でそういうことを言っている確信犯的な人も多いかもしれないんだから、ぐらいの気持ちで無視すればいいと思うんです。
    ――対戦相手の弥益ドミネーター聡志選手だってキャッチウエイトになるんだから、ケガの状況は確認するでしょうし。平本選手がもし欠場したら代役は鈴木千裕選手だったんですかね?『ブレイキングダウン』、RIZINvsベラトールの対抗戦も語る1万字インタビューはまだまだ続く
    この続きと平本蓮、中邑真輔、猪木追悼、齋藤彰俊、石渡伸太郎、臼田勝美……などの10月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「16万字・記事15本」の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2129474この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事150円から購入できます!
     
  • 【青春と金】格闘探偵団バトラーツの悲しき思い出……■臼田勝美インタビュー③

    2022-11-17 17:05  
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    藤原組、バトラーツなどで活躍した臼田勝美インタビューシリーズ第3弾です!(聞き手/ジャン斉藤)
    ①臼田田勝美「念願のデビュー前に藤原組をやめたのは……」
    ②正道会館と藤原組退団
    ――藤原喜明さん以外の所属選手が藤原組をやめられて、バトラーツを旗揚げされますが、皆さんお金があったわけじゃないですよね。
    臼田 お金は全然ないっすね。合に出たときに一応ファイトマネーというかたちでもらってましたけど。とりあえずは、藤原組の頃からずっとリングの設営をやってくれてたパンチ(田原)さんのところでアルバイトとかしながら。自分はその頃、八王子の実家に住んでいたんで、週3日ぐらい越谷の道場に来るような感じでやってました。試道場で使うリングや練習器具なんかは、藤原さんが「持ってっていい」と。
    ――そこは親心なんですね。
    臼田 道場の物件なんかは、石川(雄規)さんが自分のマンションを紹介してもらった不動産屋の社長さんに、安い物件を探してもらって。石川さんがちょうど埼玉の越谷でマンションを買った流れですよね。
    ――八王子から越谷だとけっこう大変ですね(笑)。あの当時のプロレス界で、若手だけで団体を立ち上げるのはなかなか大変ですよね。
    臼田 いまのインディーと比べても大変だったと思いますよ。プレ旗揚げ戦が、GAORAのテレビスタジオマッチで、旗揚げ戦が石川さんの地元の小田原でやって。あとはもう地方の体育館ばっかりで回ったんですが、全然お客さんが入らなくて。選手やスタッフの数のほうがお客より多いぐらいです(笑)。後楽園ホールなんかは、とてもじゃないけど借りられないなって。コツコツやって初めて北沢タウンホールでやったときに、後楽園ホールをやると発表したら、お客さんがすごく沸いて。そんときは鳥肌立つぐらいゾクゾクしましたねぇ(しみじみと)。
    ――後楽園はひとつのゴールですもんね。途中まではアルバイトしながら続けてたんですね。
    臼田 そうですね。地方をだいたい5~7試合くらい回していけるようになったら、基本的なベースの月給プラス、1試合ファイトマネーいくらになって。初めて後楽園ホール大会をやったときは満員だったし、そのへんからマスコミも注目するようになって、会社のお金の流れもよくなったとは思うんすけどね。
    ――後楽園を満員にできるってかなり大きいですよね。
    臼田 でかいですよね。その頃は俺も全然、お金の流れを知らなかったから。あとになってから後楽園満員だったら純利益でいくらっていう内訳を聞いてみると、なかなか選手には還元されてなかったんですよ。
    ――聞きづらい話ですけど……どこに還元されてたんですか?
    臼田 どこなんですかね(笑)。だから選手対会社の対立の構図がもうできあがってました。俺も『紙のプロレス』のインタビューでもよく言ってましたから。
    ――創刊当時の『紙のプロレスRADICAL』はバトラーツを推してましたね。みんなで藤原組をやめて、若者だけで一致団結しているムードだったけど、早い段階から亀裂が……。
    臼田 ある程度、お金が入ってくるようになると、だいたいどこもダメになりますよ。それまでは「みんなで一緒にお金をつかもう!」みたいな感じもあって。あとは「自分たちのプロレスをやるんだ!」ってことで、理想の部分で矢印が同じ方向を向いてるけど。こんだけお客さんは入ってんのに、全然給料上がんないし。正直、上の人間の生活の水準が上がってんのは、見ててわかるんで。アパートからマンションに引っ越ししたりとか、乗ってる車が中古の日本車から高級車に変わるわけですよ。新日本にレギュラー参戦してる頃の(田中)稔さんでさえ、原付バイクなのに。
    ――そうだったですね……。
    臼田 だから、あのへんから会社に対して不満が強かったと思います。そこで一番初めに行動を起こしたのが池田(大輔)さんですね。池田さんがバトラーツ退団を発表するだいぶ前に、俺は直接言われましたね。「兄貴には話しときますけど」って。歳は向こうのほうが上なんすけど「兄貴」と呼ばれていて(笑)。池田さんは「全日本主戦場でフリーになろうと思ってる」と。馬場さんと会って話していることは俺もマスコミから聞いてたから。「そっちのほうがいまよりお金になるんだったら、いいんじゃない」って。池田さんはみんなの代表っていうわけでもないけど、誰かが行動を起こさないと会社の人間はわかんないから「爆弾を落とします」と。
    ――バトラーツを盛り上げてきた池田さん離脱はけっこうショッキングですよね。臼田さんはやめようと思わなかったんですか?
    臼田 俺はあの当時格闘スタイルしかできないなと。それ以外のプロレス、別にやりたいと思ってなかったので。それはすごく視野が狭かったんですけど。新日本のスーパージュニアに参戦してからだいぶ考え方が変わったんですけどね。
    ――バトラーツって話題を作るためにいろいろやってましたよね。
    臼田 PRIDEから、みちのくプロレスまで選手が出てる団体はなかったですよね。ある意味、ホントに格闘探偵団。そこを狙って、そういうネーミングにしたわけでもないんすけどね、初めは(笑)。
    ――石川さんは猪木さんに強い憧れがあって、猪木さんを模倣する感じでしたけど。経営的にもまさに“小さな猪木”だったところはあるんですか?
    臼田 石川さんというよりかは、別の人たちが……。誰とは言わないっすけど。1人は名前を出しても、関係者しか知んないような人だし。もう1人はみんな知ってますけど、今度ノアで船木(誠勝)さんと桜庭(和志)さんが久々にやる場にいますね(笑)。
    ――ハハハハハハハハ! あのレフェリーですね(笑)。
    臼田 俺もそんなに腹を割って話とかしてないから、わかんないですけど。団体自体よくわからない方向に進み出しましたよね。
    ――バトラーツはリング外のビジネス展開もいろいろとやっていて。アパート経営みたいなこともやってませんでしたっけ?
    臼田 ああ、寮ですよね。初めは資金稼ぎの目的もあって、プロの練習が終わったあとの道場を一般人も解放したんですよ。言ったら新日本のプロレス学校みたいなもんで。それが思った以上にいい感じで会員が増えたから、道場を駅前に移してB-CLUBっていうバトラーツジムにすると。B-CLUBはいいけど、道場は道場で残してほしいなと思ったんだけど、家賃的に道場2つなんか抱えられないから、道場はもう引き払っちゃって。そのB-CLUBの会員さんの専用のアパートも込み込みで借りれるってやつですね。
    ――会員制のジム&寮。
    臼田 アパートの家賃はじゃっかん高いけど、いつ来てもジムで練習できるみたいな。ビジネス的にはうまいやり方だけど、道場をなくすのはちょっとイヤだなと。稔さんも「道場、残してほしい」と言ってましたけど。
    ――アパート経営はうまくいったんですか。
    臼田 初めはいってましたけどね。
    ――石川さんはサスケさんと一緒に「MOJICO」というFAXのビジネスを手掛けていたこともありましたよね。マルチ商法という批判もありましたけど。
    臼田 あー、なんかやってたかもしんないですね。
    ――臼田さんは興味はなかったんですか?
    臼田 ないですね。一切お金も出してないし。たとえ言われても「勝手にやってください」みたいな。儲かったら儲かったっていいかもしんないけど、変なふうに巻き込まれて失敗して揉めたらバカバカしいから。
    ――実際に変なことになったみたいですもんね。
    臼田 いや、なりますよ。石川さん自身は、そういうつもりはないんだろうけど、お金ありきで考えるような人たちが集まってくる。そこには誠意や誠実さがないから。要はいいときだけの付き合いじゃないですか。
    ――お金がなかったことでのし上がっていったバトラーツが、お金を手にしたことで変わっていくという……。
    臼田 やっぱり98年に両国国技館でビッグマッチをやって、あれがなまじか成功したと騒いだじゃないっすか。
    ――ロード・ウォリアーズやボブ・バックランドの大物を呼んで。
    臼田 言ったら超満員ではないけども、満員マークは付けれるぐらいな客入りになったし。まさかバトラーツが両国大会やるなんて旗揚げした頃には誰も思ってないし。でも、あんときに「この団体、終わったな」と思ったんすよ。石井館長だったら、大きな興行をやっても次の次ぐらいまで考えるわけですよね。両国成功がゴールじゃなくて、そこがスタートラインに立った感じで、次に向かっていくべきなんですけど、それがまったくなかったんすね。もう浮き足立っちゃって「やった、やった!」みたいな感じになってるから。選手が喜ぶならわかるんすけど、会社の背広組の人間も浮き足立ってんのを見て「ここが限界だろうな」って。当時のインタビューでも言ってますよ。あとはもう落っこってくだけだなと。
    ――実際バトラーツはあそこから迷走していきましたもんね。臼田 実際そのとおりになったんで。とどめがZERO-ONEの火祭りボイコットですね。

    この続きと平本蓮、中邑真輔、猪木追悼、齋藤彰俊、石渡伸太郎、臼田勝美……などの10月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「16万字・記事15本」の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2129474この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事150円から購入できます!
     
  • 福岡、名古屋、対抗戦!! 笹原圭一のブレーキの壊れたRIZINトーク

    2022-11-14 22:09  
    150pt


    大会後恒例の笹原圭一RIZIN広報インタビューです! 今回は福岡、名古屋、そして大晦日の対抗戦について!(聞き手/ジャン斉藤)
    【1記事から購入できるバックナンバー】・「メイウェザーvs朝倉未来は素晴らしかった」とRIZIN広報・笹原圭一さんが言ってました
    ・堀口恭司再生トーナメントが始まります■笹原圭一RIZIN広報
    ・RIZINに外国人を取り戻す■RIZIN海外事業部・チャーリー柏木信吾
    ・RIZIN沖縄は内容的にも金銭的にも「大負け」です■笹原圭一

    ――笹原さん! 福岡、名古屋とRIZINの地方ツアーがあり、そのあいだにベラトールとの対抗戦が発表されて、年末に向けてRIZINが加速してますね。
    笹原 まぁウチの社長の車にはブレーキが付いていないですから。「ムチャクチャ強く踏む」か、「強く踏む」という2択のアクセルだけ(笑)。
    ――地獄のプロモーターはスピード狂(笑)。
    笹原 ベラトールとの対抗戦は思っていた以上に格闘技ファンからポジティブな反応があって、ホッとしました。
    ――ハードコアカードが好きなファンたちは「格闘技のためなら死んでもいい!!」と思い込んでいますし、エンタメカードを組もうとものならば「格闘技のためにRIZINは死ね!!」くらいのスタンスですね(笑)。
    笹原 そうそう(笑)。そうした怨念のような重たい気持ちに応えられてよかったなと。発表された対抗戦5カードはどれも勝負論があって、興奮できるものだったことに加えて、あの熱気はブレイキングダウン(以下BD)の影響があったんじゃないかなと。
    ――えっ、BDがですか?
    笹原 要は格闘技ファンからすると、心情的にはBDを否定したいはずですよね。「あんなの本当の戦いじゃねえよ!」と。そんなときにベラトールとの対抗戦を発表したじゃないですか。たぶんAJマッキーやパトリシオとかそんなに試合は見たことないけど、「本当の格闘技はこれなんだ!」と胸を張りやすかったんじゃないかなって思うんです。
    ――信仰の象徴として崇めたいと。ボクも中日ドラゴンズの新・外国人のことがよく知らなくても「すごいやつが来るぞ!」って勝手に思い込んでますからね。
    笹原 ウチのベラトールを中日ドラゴンズの外国人ごときと一緒にしないでくださいよ!
    ――でも笹原さん、RIZINはBDと仲間だと思われてますよ!
    笹原 いいじゃないですか、仲間で。同じ宇宙船地球号の乗組員じゃないですか、我々は(笑)。
    ――そのうちUFCも“ウチ”扱いしそうですね(笑)。でもRIZINはこの半年のあいだにTHE MATCH東京ドーム、沖縄大会、メイウェザーvs朝倉未来、RIZIN3大会……そして大晦日はベラトールとの対抗戦。THEMATCHを含めると今年だけで13大会やってるんですよね。
    笹原 そうなんですよ。誰よりもオールを漕いでいる乗組員なんですけど(笑)、「RIZINとBDは同じね」とか言われると、まぁ正直悲しい気持ちになります(笑)。もちろんBDにはBDの面白さがあるとは思ってますが、RIZINとは全然違うんじゃないかと思いますけどね。
    ――RIZINはブレーキが壊れてるだけでブレイキングダウンしてないと(笑)。というわけで今日は福岡、名古屋、大晦日についてたっぷりおうかがいしますが、まずは名古屋大会から。後半戦4試合はホントに濃厚でしたね。
    笹原 うしろ3つは判定決着ですけど、内容的には面白かったですね。
    ――1分間のショート格闘技が流行ってる中、15分間フルの面白さがあったという。メインの弥益ドミネーター聡志vs平本蓮は下馬評を覆して平本蓮が勝利しましたが、試合直前、平本蓮のケガによりキャッチウエイトに変更されて物議を醸しました。
    笹原 平本選手が足の指をケガをしたとの報告があったので、平本選手には事務所に来てもらって詳しいケガの状況を聞いてみたんですよ。
    ――直接、会って話をしたんですね。
    笹原 そうです。なので直接会うまでは「またまた大袈裟なんだから~。まぁ言ってもそんなに深刻な感じじゃないでしょ」と高を括っていたら、松葉杖で現れて、強気フルスロットルな平本蓮が深刻な顔をしているわけですよ。
    ――“ブレーキの壊れた”平本蓮が、ブレーキ踏みたそうにしていた。しかしRIZINは社長も選手もブレーキがぶっ壊れてますね(笑)。
    笹原 平本選手は足が痛くて踏み込むこともできないと。練習もできないし、足を動かせないから体重も落とせないので、これは試合は相当厳しいなという感じだったんです。加えて今成正和選手と戦うずはずだった摩嶋(一整)選手もケガしてしまって。 
    ――格闘技にケガはつきものとはいえ、名古屋大会は大変なことになったわけですねぇ。
    笹原 代役を踏まえてカード編成をやり直したんです。それで鈴木千裕選手が今成選手とやることにはなったんですが、弥益ドミネーター聡志vs平本蓮の代替えカードはナシになる可能性もあったんです。
    ――うわっ、それはなかなかキツイですねぇ。
    笹原 そうなったら朝倉海選手が欠場した7月の沖縄大会と同様、チケットやPPVの払い戻しにする可能性もあった。福岡は牛久vsクレベルで盛り上がって、対抗戦も発表されて、いい流れで大晦日に繋げたかったので、平本選手に治療も受けてもらいギリギリまで粘っていたんです。
    ――最悪メイン消滅だけど、ギリギリまで様子を見ていたと。
    笹原 やっぱり平本選手本人の中でも、メインを飛ばすことに対しての葛藤はあったと思いますし、なにより責任を感じていましたから。状態を見たうえでの話し合いの結果、足のケガでフェザー級リミットの66キロまで落とすことは難しい。70キロのキャッチウエイトならということで、弥益選手のほうにも確認したら「試合前日の計量オーバーだったら絶対にやらないけど、事前にキャッチにするのはかまわない」と了承をいただいて、試合成立に至ったということです。
    ――平本選手が欠場して試合がなくなっても不思議じゃなかったし、弥益選手は平本選手の事情を汲んでくれたと。
    笹原 もちろんお互いに万全で試合を組めれば良かったですし、両選手共に言いたいことはたっくさんあったと思いますが、2人とも試合成立に向けてその言いたいことを飲み込んでくれて、メインの責任を果たしてくれたってことです。
    ――弥益選手が70キロを無理矢理飲ませられた、みたいな意見もありましたが、それも含めて弥益選手が「やる」という判断をしたと。
    笹原 「おい弥益、この条件を飲まなきゃ、オマエは二度と使わねーぞ!ガッデム!!」みたいなことをボクらが言うと思いますか?
    ――すごく言いそうですよ!(笑)。
    笹原 ぎゃーーっ!そんなこと言うわけないですよ。ちゃんと真摯に向き合って話をしてますから!
    ――平本選手がケガを公にした記者会見は言いたい放題で、いつもの平本蓮劇場でしたよね。
    笹原 いつもの平本節が炸裂していましたけど、じつはものすごく重い決断をしてくれたんですね。なので会見では「ケガしたんだから、しょうがない」みたいにどこかで言い訳を用意しちゃう感じになって、さすがに舌鋒が鈍るかと思っていたら、平本選手はいつもの調子で挑発してきた。その結果、鈴木千裕選手がブチ切れるという(笑)。
    ――あの2人のケンカは最高なので、会見でもPPVにしたほうがいいですよ(笑)。 
    笹原 実際、平本選手は相当不安があったと思うんですよ。だって練習もほとんどできてなかったわけですから。でも、ちゃんとプロとして会見をやり切ってくれましたし、そこには朝倉未来選手のことが頭の片隅にあったように思います。
    ――メイウェザー戦のダメージから頭痛も残っているので「大晦日は出ない」宣言ですね。
    笹原 平本選手はずっと未来選手を標的にしてきたし、あえて出ることで比較されるわけですからね。出場発表したあとも未来選手にさんざん噛みついてますし。
    ――それで勝っちゃうわけだから、平本選手は賭けに勝ったわけですね。
    笹原 試合後、社長は平本選手に「ギャンブルに勝ったな!」って言葉をかけてたんですが、私からすると社長がギャンブルに勝った印象ですよ。いや、ノリ打ちして二人とも勝った感じですね(笑)。
    ――パチンコとかで、複数人で投資金額をシェアして、最終収支を人数分で分け合う打ち方ですね。
    笹原 一方で、直前で体重変更があったにもかかわらずこの試合を引き受けてくれたドミネーター選手には、本当に感謝しかないです。
    ――殴られながらも前に向かっていく姿は晩年の桜庭(和志)さんを彷彿させました……。等身大の魅力がある格闘家だし、感情移入しちゃいますよね。
    笹原 試合後のコメントも心が打たれるんですよ。ドミネーター選手はこれまでにいい場面に出てきて、格闘技でおいしい思いをしているという後ろめたさがある。だからどこかでいつかそれを返さなきゃいけないんだろうなって思っていた、と。もちろんそんなことをやすやすと受け入れる気持ちはないけど、結果的に新しい世代の平本選手にそのバトンを渡す結果になったと言っているんです。
    ――ちょっと話はズレるかもしれないですが、それって「誰に負ければいいのか」というある種のプロ意識ですよね。誰かにつなげることで格闘家としての自分の痕跡を残す。
    笹原 これはドミネーター選手がどこまで意識しているのかわかりませんが、彼って自分のことを「弥益」って言うじゃないですか。これって、格闘技ファンである弥益聡が、ファイター弥益を客観的に見ているからこその物言いだと思うんですよ。弥益聡個人であれば受け入れ難かったり、言いたかったりすることがあるけど、自分が憧れた格闘家像なら痩せ我慢してでも胸を張る。だって自分がファンの時代に胸を踊らせた格闘家たちはそうしてきたじゃないか、って思いが読み取れるんですよ。
    ――ドミネーター選手のプロフェッショナルぶりが光っているけど、本人からすれば簡単には割り切れないってこともたくさんあるってことですよね。
    笹原 まだ試合後のドミネーター選手のインタビューを見ていない方がいたら、ぜひ見ていただきたいんですけど、弥益ドミネーター聡の人間性がむき出しになっていますから。
    ――だからこそ、また次の試合が見たくなりますよね。
    笹原 試合後に本人とちょっと話したら、引退を匂わせるようなことを笑いながら言っていたいので、「何言ってんの。このままRIZINが逃すわけないでしょ」と返しておきました(笑)。まぁでもしばらく休んで、また闘いたい気持ちが芽生えたら、いつでも戻ってきてほしいです。
    ――平本選手もケガを感じさせない戦いぶりで。
    笹原 4戦目で自分のスタイルがほぼ確立したのはすごいなと思いました。もちろんまだまだやらなければいけないことはあるんですけど。そもそも今回の試合は、戦前はドミネーターが有利と言う声が大きかったですが、平本選手本人は自分がアンダードッグだと1ミリも思ってないんですよ。「いや俺、全然勝てますよ」と。圧倒的に自分を信じている。だからこそケガしたことが不安だったわけですよね。
    ――勝てる試合だから万全で臨みたかったと。フェザー級っていまのところクレベル以外は10回やって8~9回かならず勝つような組み合わせってないですね。
    笹原 今回もドミネーター選手ももっと違う戦略があったのかもしれませんが、平本選手がそれをさせなかったんだと思います。格闘IQの高いドミネーター選手を逆にドミネートできたことは、大きな自信に繋がったと思います。
    ――大晦日はケガで無理ですが、来年の平本選手のマッチメイクが楽しみですね。さっそく朝倉未来待望論が湧き上がってますから。☆侍マーク・ハントのファインプレー
    ☆元谷友貴は前田智徳である
    ☆福岡は大会中止寸前だった!?
    ☆対抗戦査定試合がいくつかあった
    ☆クレベル・コイケの「オレたちはファミリーだ」
    ☆ベラトール対抗戦は全敗でも……14000字インタビューはまだまだ続く
    この続きと平本蓮、中邑真輔、猪木追悼、齋藤彰俊、石渡伸太郎、臼田勝美……などの10月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「16万字・記事15本」の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2129474この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事150円から購入できます!

     
  • ボクは最初からあのレベルの平本蓮を見ていたんです■石渡伸太郎

    2022-11-12 21:34  
    150pt
    RIZIN名古屋の解説を務めた石渡伸太郎インタビュー。一時期指導した平本蓮の勝利をどう見たのか?(聞き手/ジャン斉藤)【1記事から購入できるバックナンバー】・【史上最大のMMA対抗戦】榊原信行とスコット・コーカー、敗れざる者たちの逆襲
    ・【フライ級革命】堀口恭司の新しい旅が始まる■笹原圭一RIZIN広報
    ・RIZINに外国人を取り戻す■RIZIN海外事業部・チャーリー柏木信吾
    ・日本が誇る漫画家・イラストレーター 寺田克也「人間を超える瞬間を見たい」
    ――今日は、石渡さんが解説を務めた名古屋のRIZIN LANDMARK 04についておうかがいしに来ました! 
    石渡 よろしくお願いします。
    ――主に平本蓮選手と元谷友貴選手についてなんですが、2人とも一時期CAVEにも練習に来られてましたね。
    石渡 だから「石渡から離れたから勝った」という意地悪な意見がたくさんあるかなと思ったんですけど(苦笑)。
    ――あー、ここ最近の石渡さんって冤罪に近いような絡み方されてますよね。
    石渡 SNSで冤罪いっぱい受けているんですよ! 悪口言われたり、ガセを書かれたり。
    ――平本選手が欠場するんじゃないかという噂があったときに「平本蓮がケガ欠場すると石渡が言ってた」みたいな嘘のツイートもありましたし。
    石渡 あれはさすがに悪質だから「開示請求する」とDMを送ったら「ごめんなさい、ボクは人から聞いた話を言っちゃっただけで……」という返事があって。まあ、謝罪できるならいいよということにしましたけど。
    ――ファイターを指導すると必ず結果がついてきますし、それでいろいろ言われるから大変ですよね。
    石渡 まあでも、それで注目してもらっているうちに選手が出てくれば、それでいいかなと思ってますけど。デマだけはやめてほしいですよね。
    ――まずは、倉本一真選手と対戦した元谷友貴選手の強さについて石渡さんに教えていただきたいな、と。
    石渡 まあでも、ボクからすると、こういう展開、こういう結果になるだろうなというのが普通に出た感じですね。正直、ふたりには差があるかなと思っていたので。
    ――ここ数試合の元谷選手の完勝ぶりには目を見張るものがあって。以前は下のポジションになることも多かったですが、ここ最近はことごとくテイクダウンを凌いでますよね。
    石渡 最近は凄くスプロールがいいですよね。たしかに、前はわりと下になる瞬間があったり、パンチを被弾して下になる展開も見られたんですけど、最近はないですし。そういうのも含めてボクが今回の試合を観て思ったのが、打撃がぜんぜん欲張らなくなったなということなんですよ。
    ――「打撃を欲張らない」ですか。
    石渡 たとえば『ストリートファイターII』で言ったら、全部が「弱パンチ」なんですよね。キックも全部「弱キック」で。それが凄くいいなあと思っていて。
    ――すべてが「弱モード」。
    石渡 そこで、もっと威力を出そうと思ってちょっと迷った部分もあったと思うんですよ。正直、今回の試合もさんざん左を当てていたので、もうちょっと握りが深ければ倉本選手もダウンしていたんじゃないかなと思いましたし。でも、たぶんそこを捨てたんだと思うんです。
    ――それだと明らかにKOが生まれにくくなると思うんですが、それでも「弱モード」にするメリットがあるということですか?
    石渡 ありますね。たとえば、パンチを打ったあとにグッと力んでいたら、逆にタックルを取られやすくなるじゃないですか。でも、元谷選手はポコンと当てているだけだから、またすぐ次に切り返せるんですよね。
    ――つまり、次の展開に向けて余力が残せる、と。
    石渡 だから、打撃と組み技がつながったんだと思うんですよ。元谷選手って、もともとは威力ある前蹴りとかも蹴っていましたけど、いまはそのときとは違うバランスでやってると思います。だから、最近の好調ぶりはバランスの違いによるものだと思いますね。
    ――瀧澤謙太戦はKOされちゃいましたが、ここ数年はずっと安定してますね。
    石渡 全体的に出力を落としているように見えますよね。極めに関しても、こだわってガッといくというよりは、ちょっと落としてますし。たぶん、それが凄くいいんだと思います。ファイターはずっと若い頃の感覚を追い求めがちですけど、年齢を重ねていく中で、元谷選手は打撃の威力をある程度捨てることによって、全体のバランスを取ったんだなと思います。
    ――やりながら、そこにたどり着いたという。
    石渡 たぶん、考えてやっているんじゃなくて、やってるうちにしっくりきているのを感覚で覚えているというか。そういう感覚をスパーリングでつかんでいってたのかなと感じました。
    ――MMAは若さだけでは突っ走れないからこそ、そういう試行錯誤が必要なんですね。それにしても、元谷選手の最近の相手は厄介な相手が多いというか。今回の倉本選手もそうですし、太田忍選手も凄くやりづらそうな相手なのに、完勝ですもんね。
    石渡 ボクも接戦にはなるだろうと思いましたけど、ふたりの間には大きな差があると見てました。
    ――接戦になるけど、大きな差があるって深いですね。
    石渡 いい勝負をするのと、勝つのはまったく話が違いますから。たとえば、倉本選手は過去の岡田遼選手との対戦を見ても、パンチをもらって負けてますよね。ああいうディフェンス勘というのも、そうそうすぐに改善できるものじゃないですし。まあ、かなり練習を積んで自分の強みもわかっていると思うんですけど、今回の試合でもバックについたときにジャーマンを連発したじゃないですか。あの動きはまだMMAになってないなと思いました。
    ――というと、あのジャーマンはよくなかったんですかね?
    石渡 元谷選手は完全にジャーマンを警戒して前にいってますしね。だから、ボクはいらなかったと思います。全体のつながりが壊れちゃうんで。だったらバックについてグラウンドコントロールすればいいのかなと。
    ――あそこでジャーマンは有効ではなかったと。
    石渡 ほかの試合でもジャーマンを決めるシーンはありましたが、それを元谷選手クラスのトップどころにやっても「平気で対応するよ」と。なので、倉本選手のポテンシャルも間違いないと思うんですけど、まだ経験が足りない感じですかね。あと3年やったらヤバいかもしれないですけど。
    ――しかし、倉本選手や太田選手はレスリングではトップクラスの実力ですが、元谷選手クラスになるとそうそうテイクダウンできないですね。
    石渡 もちろん、しっかり胸を合わせればブン投げれると思いますけど、なぜできないかと言われれば、それはMMAには打撃があるからです。
    ――そこはやっぱり総合格闘技なんですね。
    石渡 だって、顔を叩かれますから。その恐怖心はなかなか拭えないですよ。そういう意味でも、もともとディフェンス勘の悪い人っていますから。ウチのアキラとかもそうですけど(苦笑)。
    ――それは、持って生まれたものだったりするんですか?
    石渡 いやー、ボクはリズム感とかなんじゃないかなと思っているんですけどね。だから、だいたい歌を歌わせるとわかりますよ(笑)。
    ――えええ! そんな関連性が!?
    石渡 いや、通じるものは少なからずあると思ってますね。だって、武尊選手とか歌もうまいじゃないですか。朝倉未来選手もうまいですし。やっぱり、みんな打撃ができる選手は歌がうまいんですよ!
    ――はー、目から鱗です! ちなみに、石渡さんは……?
    石渡 ぼ、ボクは普通です……。――ハハハハハ! ぜひ聞いてみたいです(笑)。<平本vsドミネーターの感想もまだまだ語る>
    この続きと平本蓮、中邑真輔、猪木追悼、齋藤彰俊、石渡伸太郎、臼田勝美……などの10月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「16万字・記事15本」の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2129474この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事150円から購入できます!


     
  • 【悪口と本音の15000字】平本蓮インタビュー「朝倉未来には負ける気がしない」

    2022-11-11 15:07  
    150pt
    弥益ドミネーター聡志を撃破した平本蓮15000字インタビューです!(聞き手/ジャン斉藤)【1記事から購入できるバックナンバー】・弥益ドミネーター聡志「下手な鉄砲も数打ちゃ当たるじゃないですけど……」
    ・平本蓮「俺のオナニーが面白いなら応援して、つまらないなら嫌っといて」
    ・「メイウェザーvs朝倉未来は素晴らしかった」とRIZIN広報・笹原圭一さんが言ってました
    ・スパーの一本取られた・取られないのは、ホントにどうでもいい■水垣偉弥
    ――平本さん、素晴らしい勝利でした。
    平本 ありがとうございます!
    ――内容的にも相当、手応えがあった試合だったんじゃないですか。
    平本 いや、そうですね。手応えはめちゃくちゃありました。試合中も時間が経てば経つほど、自信がついてきて。1ラウンド終了した時点で「このまま余裕で勝てる」「もうやられることはないだろうな」と確信していたんで。
    ――1ラウンド終了の時点で。
    平本 はい。1ラウンド目に足関の対処がスムーズにできた時点で、これはもういけるなって。
    ――そして実際に勝利をモノにしたと。自信があったとはいえ、試合後の早朝4時頃、勝ったことに興奮して寝られないってツイートされてましたよね。
    平本 いやあ、嬉しかったっすね。久々に本当に“勝負”したというか、相当気合いが入っていた部分はあったんで。今回、いつものような減量がなかったからこそ、試合に集中する時間がすごい長くて、先週の1週間はめちゃくちゃ長く感じたっすね。それもあって寝れなかったっす。やっぱり自分の中で自信はあるけど、半信半疑というか自分のことを信じきれない。格闘家って自信があってもそういう警戒心が大事だと思うんですけど、それで集中力が増しますよね。
    ――油断しないってことですね。
    平本 だからこそナメずに戦えたというか。勝てるイメージはあったんで、打撃で距離をコントロールしたときに「今日はもう絶対にいける」と。ヤマスさんはレスリングがすごい強い選手ってわけでもないじゃないですか。初見殺しというか、トリッキーな寝技があるので。ボクはグラップリングの基礎をたくさんやってきたからこそ、ファーストコンタクトで初見殺しみたいな技さえ警戒しとけば、まずレスリングで負けることはないかなって思ってたんで。
    ――レスリングの対応はできると。
    平本 そういうところが試合で見せれたかなと。あんまり組みの展開になってないですけど、自分の中では「普通にできるよ」みたいなところは見せれたかなとは思いますね。
    ――この試合で急に覚醒スイッチに入ったのか、それとも鈴木千裕戦の頃から、練習でもこれくらいはできる自信はあったんですか?
    平本 レスリングの練習はたくさんやっていたから、自信はあったっすけど、やっぱ怪物くん(鈴木博昭)との試合を経て、試合でもコントロール可能だなって思ったときに、やっぱり試合を経験することですげえ強くなったというか。スパーリングでも、むしろテイク(ダウン)に来てほしい。そうすると自分に勝機が生まれるんで、そういうふう戦いができるようになりましたね。
    ――そのテイクダウンを切って打撃で削って自分のペースに持ち込むと。
    平本 自分の中に穴がなくなってきてるのかなと思いますね。やりたいことができるようになった。形としてできるようになった。
    ――一番のピンチは試合前にケガしたことですか?
    平本 そうっすね。ケガが一番……「もう終わった」と思ったんで(苦笑)。
    ――ケガした直後は欠場する流れだったから、相当落ち込んでいたみたいですね。
    平本 そうっすね。グラップリングがまずできない。踏ん張れなかったし、靴を履いても痛かったし、足を触られたらすぐにテイクされんじゃねえかなってくらいの状況だったんで。
    ――松葉杖だったんですよね。
    平本 そうっすね、最初はもう痛すぎて。ちょうど同じ時期に一緒に練習したK-1ファイターも同じ場所を同じように骨折したんですけど、そいつは手術しましたからね。
    ――うわ、ヘタしたら平本さんも……。
    平本 ボクは痛みに強いんで、折れて2週間ぐらいは、ただの突き指だと思ってたんですけど。さすがに治んねえなと思ってレントゲン撮りに行ったら、折れてたんで(苦笑)。それでも回復は早かったとは思いますね。
    ――そのへんから平本蓮が欠場するんじゃないかって噂が流れ始めますよね。SNSも止まっていたから「逮捕されたんじゃないか」とか(笑)。
    平本 ハハハハハハハ。みんな本当に好き勝手妄想しやがって、逮捕ってなんだよって(笑)。
    ――最初は欠場するはずだったんですよね。
    平本 正直、試合は無理だなって。喪失感もすごくて「どうしたらいいんだろう……」って落ちましたよねぇ。自分の中では戦いにならない、勝負にならんと思ったんですけど。SNSでファンの声が見られる時代だから。想像以上に自分に期待してくれてる人がたくさんいる。出場を「どうしようか」って悩んでるときに、RIZINの事務所で社長(榊原信行)といろいろと話をしてたんです。そうしたらバラさんが「早く蓮と飲みに行ってブルーハーツを歌いたいな……」と言い出して笑っちゃったんですよ(笑)。
    ――ハハハハハハ! ブルーハーツ好きの平本さんの口説き文句(笑)。
    平本 それで「出ようかな」って決心ついたというか、ここはひとつ男を見せようと思いましたね(笑)。
    ――榊原さんが田村潔司を口説くときは誕生日ケーキを持参して「ハッピーバスデー、タムちゃん♫」と歌ったらしいですから『情熱の薔薇』くらいは軽く歌ってくれそうですよ(笑)。
    平本 自分の中では社長のあの言葉が大きかったっすね。やろうと決めたからには集中力を持ってやろうと。ピンチはチャンスじゃないですけど、逆にすごく高まったかもしれないですね。

    ――あらためて出場を決めるまでのあいだは、練習されてたんですか?
    平本 まったくしてないっすね。空手の基本稽古はやってましたけど、踏み込む動きはできなかったんで。ケガで思うようにいかなくて試合もどうなるかわからないときに思ったのは、格闘家は格闘技をやってないとヒマだなって。試合に出ると決めたら、一気に楽しくなったし、楽しいぶん集中できましたよね。
    ――あらためて出ることにはなったけど、ケガもあってフェザー級リミットの66キロまでは落とせないと。
    平本 そうですね。体重はケガしたあとも増えないようにはしていて、71ぐらいだったんですよ。めっちゃ水抜きすれば、66キロまで落とせなくはないのかなって感じだったんですけど、やっぱり普段動いて体重を落とすのとはわけが違うんで。
    ――それで計量で落とせないとなるならキャッチで。
    平本 水抜きも試合当日の朝、ゴールドジムで1時間、弟と軽く動いて計量みたいな感じだったんで。ボクが体格差を活かしたんじゃないかとか言われてるんですけど、ボクはフェザー級でもごついほうでもないし。ドミネーター選手と対面したときに筋肉の感じとか、でかいなって。でも、キャッチウェイトを受けてくれたドミネーターさんに感謝はしてます。それに対して文句を言ってる奴には「うるさいよ!」って開き直ってますね(笑)。
    ――このメインが飛んじゃうと、興行的には大ピンチですよね。そこの責任感ってありました?
    平本 ありました。もし鈴木千裕がメインイベントだったら終わってますよ(笑)。
    ――言い過ぎですよ(笑)。鈴木千裕選手も摩嶋一整選手の代役で今成正和さんと戦って頑張ってたじゃないですか!
    平本 アイツの試合のときは入場ゲートで待機してたんでんすけど。あんなに他人の足首をひねってくれって思ったのは、初めてですよ。「今成さん、早くアイツの足をポキっと極めてくれ!って祈ってて(笑)。
    ――大一番前の心境じゃないし、やっぱり言い過ぎです!
    平本 鈴木の試合の1ラウンド終わったときにハセケンさん(長谷川賢)が「これ、判定まで行くよ。たぶん極まんない感じかも」って。逆にそこで気持ちを整えられたというか。自分の1個前の試合がつまんなかったりすると、選手として出やすいですし。1個前がヘビー級で「絶対に秒で終わるやん」みたいな試合って、やりづらいですよね。白熱のあとの会場に入るよりも、ちょっとシーンとした状態で入るほうが主役感が一気に強まるというか。そういう部分では鈴木千裕には「塩試合ありがとな」みたいな。
    ――嫌な感謝の仕方ですね(笑)。
    平本 試合前も集中しすぎてて、あんまり覚えてないんですけど。アイツ、マイクすげえ長かったじゃないですか。セコンドの赤沢(幸典)さんに終わったあと聞いたんすけど、ボクはずっとボソボソ「うるせえな」ってずっと鈴木に文句を言ってたらしくて(笑)。
    ――覚えてないんですか?
    平本 覚えてないですよ。無意識にずっと口から出ちゃってたっすね。やっぱりアイツは本当に失礼な奴ですから。人気の出ない理由は他人へのリスペクトがないっす。
    ――というと、平本さんは他人にリスペクトがあるわけですか?
    平本 それはもう! ボクは尊敬、リスペクトがありますよ。鈴木はどうやったら人気出るんですかね。
    ――平本さんならどうプロデュースしますか?
    平本 どうしましょうか。アイツは、本当は独りよがりというか。試合って2人で作り上げるものじゃないですか。まあ、そう思わない人もいると思うんだけど。基本はお互いに「負けねえよ!」みたいな魂のぶつかり合いとに感動が生まれるんですけど。鈴木の場合って、なんか厚かましい。鈴木はこないだ萩原(京平)に勝って、試合後に昇侍とメシを食ったときに「あのときの仇は取りました!」とか言ってて。誰も昇侍もお願いしてねえよ!みたいな(笑)。
    ――なるほど(笑)。
    平本 おまえが勝手に美化すんじゃねえよ!っていう。おこがましいじゃないですか。なんか自己中なんだと思う。周りが見えてないですね。
    ――話を強引に戻しますが、試合が決まってから本格的に身体を動かし始めたんですか?
    平本 そうですね。いま空手を教わってる岩崎(達也)先生と「よし、やりましょう」となって。打撃もできる範囲でやり込んで、GENで赤沢さんと対策を練って。赤沢さんは「絶対に足関に来るから」と。ワンチャン、スライディングも狙ってると思うと。そこはサウスポーにしたんで、絶対に入ってこれないと思ったんですけど。
    ――今回サウスポーだったのはそういう理由なんですね。
    平本 まあ、足のケガもあって不安だったこともあるんですけど。足関対策はホントにやってたので、練習の成果がまんま出た感じだったんで。予習したことが全部かたちになりました。
    ――「この問題の答え、わかってる!」という。
    平本 はい。壁際も絶対に負けるわけがないと思ったんで。
    ――足の痛みはありました?
    平本 試合に集中しててアドレナリンが出てたんで全然大丈夫でした。終わったあとは痛かったですけど、やっぱり身体が強いんで。
    ――最初にローを食らって倒れかけたけど、すぐに立ち上がってパンチを返しましたが、ヒヤリとしたのはあそこですか?
    平本 あれ、マクレガーとエディ・アルバレスを思い出しました(笑)。マクレガー、最初転ぶんで。
    ――締めのマイクもマクレガーオマージュでしたし、最初と最後はマクレガーで繋がってるわけですね。
    平本 そうですね(笑)。マイクは思いつきです。喋ることは何も決めてなかったっす。
    ――じゃあ、最後まで冷静に戦えて。
    平本 ボクの中では落ち着いて対処できましたね。蹴りで向こうが近づいてきてくれたので、逆にジャブが当てやすかったし、初っぱなにダメージを与えられたし、スピードでびっくりさせられたのが今回の勝因かなって思いますね。最初に先手を取れたのがすごく重要でした。先手を取るといっても先に手を出せばいいのかってわけじゃなくて。武術空手の「先を取る」っていう自分の強みは出たかなと。
    ――鈴木千裕戦で最初にパンチを食らったじゃないですか。あれも先手を取られたことで……。
    平本 あれもそうっすね。不用意に組み付こうとして距離が近すぎて、そこで相手の距離に入っちゃったんで。いまはそこから修正してるので、鈴木と再戦したら瞬殺っすね(笑)。
    ――よくわかりました(笑)。話を聞くかぎり岩崎先生の空手の影響は強いんですね。
    平本 そうですね。岩崎先生は本当に面白い方で、武術をすごく研究しているし、頭がすごい柔軟であり、いろんなこと常にずっと研究してるので。合わない選手は本当に合わないかもしれないですけど、自分の中でスッと落とし込めるというか。結局強くなるのは自分次第。格闘技が本当に好きな人だったら、岩崎先生の考えはめちゃくちゃ目から鱗じゃないですけど。ボクなんかは、すごい感動したっすね。総合格闘技に自分は適していると思います。具体的にどういうものかというと説明が難しいんですけど、殺気ですかね。殺気で距離感、空間を支配するっていうか。・石渡伸太郎とのグータッチ
    ・岩崎先生がいう「置きに行く打撃」
    ・レスラー相手に本当の真価が問われる
    ・クレベルは太刀打ちが厳しいが……
    ・朝倉未来はボクシングをやったことで崩れる
    ・萩原京平は○○○が足りない
    ・ブレイキングダウンに激白!……などなど15000字インタビューはまだまだ続く
    この続きと平本蓮、中邑真輔、猪木追悼、齋藤彰俊、石渡伸太郎、臼田勝美……などの10月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「16万字・記事15本」の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2129474この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事150円から購入できます!
     
  • 私が愛した“若獅子”アントニオ猪木■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2022-11-08 10:48  
    150pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は私が愛した“若獅子”アントニオ猪木です!

    <1記事から¥100から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!>プロレス界の歌ウマ王は誰だ?
    この旦那にしてこの妻あり!! 天龍源一郎を支えたまき代さん
    頑固一徹! 追悼・ターザン後藤さん
    【サイバーフェス】中嶋勝彦vs遠藤哲哉の張り手事件
    大谷晋二郎選手の試合中の事故について
    DDT25周年……「文化系」から文武両道プロレスへ
    『至高の三冠王者 三沢光晴』を書いた理由
    新日本プロレスvsノア対抗戦から見えた個人闘争の炎
    令和の横アリ大実験!新日本vsノア対抗戦
    東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞2021
    プロレスと結婚した風間ルミさん
    武田有弘☓小佐野景浩 「これまでのノアと、これからのノア」

    『ゴング』と東スポの元記者が語るプロレスマスコミ黄金時代/小佐野景浩☓寿浦恵一
    【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」
    北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!
    冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…


    ――きょうは、毎月レギュラー連載している小佐野さんの配信版をお送りいたします。テーマは、先日お亡くなりになったアントニオ猪木です。小佐野さんといえば全日本プロレス系のイメージが強いですけれども、もともとは猪木さんの大ファンだったんですよね。
    小佐野 じつはそうなんですね。高校2年生のときから、1978年に『ゴング』でバイトを始める80年の春まで、新日本プロレスファンクラブ『炎のファイター』をつくりまして、そこの会長をやってたんですよね。
    ――当時はそういったファンクラブ的なものがけっこうあったんですか?
    小佐野 当時はファンクラブブームだったんですよ。たとえば新日本系だと、藤波(辰爾)さんが凱旋帰国したばっかりで人気があったから、『飛龍』という藤波辰爾ファンクラブがあったり。
    ――『飛龍』はうっすら名前を聞いたことあります(笑)。
    小佐野 猪木さんのファンクラブとしては『若獅子』というものが前からあった。そんな中で自分もファンクラブをつくりたいなと思って、勝手につくっちゃった。それで78年6月1日、日本武道館大会があったんですよ。猪木vsボブ・バックランドのNWF&WWWF世界戦のダブルタイトルマッチ。
    ――WWWFはいまのWWEですね。
    小佐野 その日は現地観戦したんですが、たまたま入り口にいた新間(寿)さんに「すいません、ファンクラブをつくったんですけども、藤波さんにインタビューできませんか」とアポなしでお願いしたら、「いいよ」と会場に入れてくれて(笑)。
    ――すごいですね、新間さんも(笑)。
    小佐野 新間さんはリングサイドにいた藤波さんに「カンペオン」って声をかけて。カンペオンはスペイン語で「王者」って意味なんだけど、「カンペオン、ファンクラブの坊やがインタビューしたいって言ってるから付き合ってあげて」と。藤波さんも快く応じてくれて、そのインタビューを基に会報をつくって、『月刊ファイト』や『月刊ゴング』に「こういうファンクラブをつくりました」を送って会員募集したんです。会報の書評を『ゴング』では宍倉(清則)さんが書いてくれました。
    ――おお、あの宍倉さんが!(笑)。
    小佐野 『週刊ファイト』はターザン山本さんが、その号かどうかわからないけど、書評を書いてくれたことがありましたね。
    ――読んでみたいですね、その書評(笑)。
    小佐野 パソコンも何もない時代だから会報は手書き。撮った写真を貼りつけて、それを神保町の安くて性能のいいコピー屋を探してコピーして、それをでっかいホチキスで止めて会員に送ると。途中から表紙だけはオフセットにしてちょっと豪華にしたり。最終的に会員は100人はいかないくらいだったと思うけど。
    ――SNSどころかネットもない時代のファン同士のコミュニティーですね。そこまで熱狂的だったのは新日本プロレスが好きだったからですか?
    小佐野 プロレスはもちろん全般的に好きで。日本プロレスから見てるし、全日本プロレスも国際プロレスも見てたけども、一番好きなのはやっぱりアントニオ猪木。
    ――猪木さんが好きになったきっかけってなんですか。
    小佐野 もともとは、ボクらの世代だと父親がプロレスを見てた世代なんですよ。テレビでプロレスが始まって力道山が大人気になったからね。それでボクも幼稚園の頃からプロレスを見ていた記憶がある。それはジャイアント馬場全盛期の時代だったけど、子供としては、やんちゃな人が好きじゃないですか。時として暴走してしまうアントニオ猪木。その一方でコブラツイストや卍固めとか、他の選手にない技がすごく新鮮だった。
    ――当時のプロレスでコブラツイストや卍固めは衝撃だったんですね。
    小佐野 あの頃のプロレスごっこでみんながやったのは足4の字とコブラツイスト。卍固めはちょっと難しいんです。コブラツイストも毎週テレビで見てたけど、卍固めはたまにしかやらないから、なかなか覚えられないんですよ(笑)。当時はビデオがないでしょ。まだプロレス専門誌も読まない子供だったから、写真も見られない。そうすると、たまにやる卍固めをテレビで見て目に焼き付けるわけですよ。でも、なかなかわかんないんですよね。
    ――卍固めって猪木さんほど美しくやれる人っていなかったですよね。
    小佐野 その当時はやる人が他にいなかったし、アントニオスペシャルと呼ばれていたからね。
    ――プロレスファンにとってはアントニオ猪木という存在は革新的だったんですね。
    小佐野 タイツもオレンジ色だったり、他の選手と違ってかっこよかった。子供から見ると、他はみんなオジサンなんですよ(苦笑)。
    ――馬場さんにはモンスター感があるし、他は相撲上がりであんこ型が多かったり。
    小佐野 なによりスピーディーなテクニシャンがいなかったから。71年の福岡でやった猪木vsドリー・ファンク・ジュニアの3本勝負は1-1の時間切れ引き分けなんだけど、猪木さんがジャーマンスープレックスでドリーから一本取ったんですよ。その試合をテレビで見て、ますます好きになったことを覚えてる。「猪木はジャーマンスープレックスもできるのか!?」と。
    ――ジャーマンも新鮮なんですね。
    小佐野 ジャーマンスープレックスをやれる人は、カール・ゴッチとヒロ・マツダとアントニオ猪木しかいなかったから。しかもヒロ・マツダは当時はアメリカを戦場にしちゃってたから、ジャーマンは映像で見たことがない。71年当時は専門誌で技の連続写真企画もないですよ。カメラの性能がそこまでよくないから連続で撮ることができない。
    ――令和に話す内容じゃないですよね(笑)。
    小佐野 なんとなく連続写真になったのは72年頃からかな。新日本が旗揚げしたときのゴッチ戦で、ゴッチさんがジャーマンをやったけど、猪木さんの脚がロープに引っかかってカウントを取れないことがあった。そのシーンが3枚くらい連射っぽい感じになったのを雑誌で見たような記憶がある。
    ――猪木さんといえば異種格闘技戦のイメージを持つ人が多いですけども、小佐野さんはそれ以前の猪木さんに熱狂したんですね。
    小佐野 若獅子時代のアントニオ猪木ですよね。いわゆるアメリカンプロレスをやってた時代の猪木さんだよね。ドリー・ファンク・ジュニアの自慢のひとつには、初めて会ったアントニオ猪木と、お互いになんの知識もなくても、60分間試合ができたと。それはやっぱりドリーもすごいし、猪木さんもすごいってことだから。
    ――その頃からプロレスの達人だったってことですよね。その頃の猪木さんに格闘技的な強さは感じました?
    小佐野 その当時は格闘技とプロレスって分けて考えてないからね。プロの競技としてはボクシングとキックボクシングしかないし、プロレスでキックのように蹴る人はいない。プロレスの場合はストンピングだから。
    ――格闘技的な蹴りが導入されたのは、猪木さんのアリキックぐらいからですよね。
    小佐野 異種格闘技戦になるまではそういう技は使ってなかった。あくまでもプロレスをやっているということです。その中で猪木さんの場合は、タイガー・ジェット・シン、ストロング小林、大木金太郎とやったりすることで、凄みが出ていって「若獅子」から「燃える闘魂」になったという。
    ――カリスマ化していく変遷を見たと。
    小佐野 ボクが猪木さんの試合を初めて生で見たのは、1973年2月20日、猪木さん30歳の誕生日だったんですよ。新春バッファローシリーズ、ノーテレビ時代の最終戦の横浜文化体育館。メインが猪木&柴田勝久vsトニー・チャールズ、ジェフ・スポーツなんだけど。
    ――申し訳ないですけど、外国人のことはまったく存じ上げません(笑)。
    小佐野 2人ともイギリスのテクニシャン。トニー・チャールズはドロップキックの名手だった。その日は猪木さんの誕生日ということで、来場者全員が、猪木さんが卍固めをかけたイラストに、猪木さんのサインが入ったせっけんをもらったんですよ。
    ――それは欲しいです!(笑)。
    小佐野 それをプレゼントされたからいまでも覚えてるわけ。次のシリーズから、日本プロレスから坂口(征二)さんたちが合流して、新日本がNET(テレビ朝日)で地上波中継されるようになった。
    ――テレビが付いたことで新日本プロレスは人気が出始めますが、それまで続くと思いました?
    小佐野 あの当時って一番大事だったのは外国人選手なんですよ。新日本に来ていた外国人は知らない名前ばっかりで。たとえば国際プロレスでは下のほうだったレスラーが新日本ではエース格だったりね。だから子供心に不安だったよね。こんな外国人しか呼べなくて大丈夫かな……みたいな。
    ――しかもテレビでもやってないですし。
    小佐野 テレビでもやってないから、旗揚げから1年近く、猪木さんのファイトをボクは見れてなかった。その当時の新日本はビックマッチがあるわけじゃないし、雑誌でも大きく扱われない。新日本が旗揚げした年の10月に、猪木vsゴッチを蔵前国技館でやったんですけど。それはテレビ東京、当時の12チャンネルで放送したんです。たしか夜23時くらいからの録画放送だったと思うんだけど、子供だから早く寝るでしょ。親に「起こしてくれ」って頼んだ記憶がある。
    ――ビデオ録画ができないから見逃しはできないわけですね。
    小佐野 なんでテレビ東京でやったかといえば、その年の10月に全日本プロレスが旗揚げして日本テレビの放送が始まったんですよ。新間さんの話だと、それが悔しくてなんとかテレビ東京で放映できないかと。新日本が金を出して番組枠を買ったんじゃないかな。
    ――テレビ朝日がついて新日本が軌道に乗るわけですね。
    小佐野 軌道に乗ると同時にタイガー・ジェット・シンが来たし、ジョニー・パワーズからNWFのベルトが獲ったし。ストロング小林や大木金太郎戦もあった。ボクも新日本にすごくのめり込んだわけですね。
    ――実質インディーだった新日本プロレスがメジャーに駆け上がっていくさまを共有できたんですね。
    小佐野 お金もできたからアンドレ・サ・ジャイアントだって呼べるようになった。その頃は東京スポーツからアントニオ猪木自伝『燃えよ闘魂』が出たんですよ。これは猪木ファンのバイブルみたいなもんで。このときに初めてブラジル移民時代の詳しい話も知ったし。
    ――あ、それまで知らなかったんですね。
    小佐野 知らなかった。ブラジルから来たことは知ってたけど、どんな物語があったのかはあんまり表に出てこなかったから。どういう経緯でブラジルにいて、どういう経緯でスカウトされて、どうやって日本に来たかってことを初めて知ったんです。プロレスラーの自伝といえば当時は珍しくて、力道山の自伝は出てたと思うけど、馬場さんの自伝は出てなかったはずだから。
    ――馬場さんが主人公のマンガ『ジャイアント台風』はおもいきりフィクションですもんね(笑)。
    小佐野 あれはあれで読んでて非常に楽しかったですけどね(笑)。中学生になると、大人になってきてるので、そういうちゃんとした自伝のほうが面白いわけですよね。
    ――当時にしては珍しい自伝が出るほどの注目レスラーだったってことですね。日プロ時代は馬場さんに次ぐナンバー2でしたけど、エースになる雰囲気はあったんですか。
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