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2018年3月の記事 31件

【15万字・詰め合わせセット】「プロレスとヤクザ」、中井りん、山田学、伊調問題告発者B氏、池田大輔…

非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! part50は大好評インタビュー18本、コラム6本、15万字オーバーで540円!!(税込み) ◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉ part50  ◎いったい何が起きていたのか? トライハードジム「K-1契約問題」記者会見全文 ◎谷津嘉章、興行という灰色の世界を語る――「プロレスとヤクザ」 ◎最狂シューティング伝説!! 山田学「グレイシーに道場破りと勘違いされて、ボクもやろうやろう!と」 ◎嵐の総合格闘技編 安田忠夫「IWGP王者になりたくないから、はじめは断ったんだよ」 ◎「ムエタイぼんやり層」必読!! 那須川天心と梅野源治はここが凄い!/山口元気×鈴木秀明 ◎最後のムーンサルトプレス……天才・武藤敬司■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」 ◎ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■斎藤文彦INTERVIEWS ◎復帰戦完勝! 中井りん「フライ級なら私が世界最強です! イノシシだって倒せます!!」 ◎ゼロゼロ年代のレフェリング論――島田裕二の『島田は見た!』■Dropkick読書会 ◎バチバチとは何か? 池田大輔インタビュー……ちょいとビターなフーテン人生 ◎伊調馨問題・告発者B氏とは何者か「安達さんがUインターにレスリングを教えてくれたんだよ」■金原弘光 ◎堀口恭司、激白「日本の格闘技界を盛り上げるためには、強い奴同士が戦わなきゃ」 ◎【#MeToo】身体を鍛えてから一度も変質者に遭ってない■二階堂綾乃 ◎事情通Zの「プロレス 点と線」 ・【春の女子プロ界隈】アイスリボン、東京女子絶好調、電流爆破問題・RIZIN、K-1、KNOCKOUTに天心、武尊!! トライハードな連続ドラマ・ミルコ・クロコップのRIZIN引退試合はどうなるのか ◎不良番外地から格闘マッドシティへ…朝倉海インタビュー「ビッグチャンスが来た」 ◎3月のマット界ニコ生トーク!! 小比類巻貴之、山中vsネリ、ターザン山本、ミルコ…/ゲスト橋本宗洋 ◎アメプロインディ通信「フリーバーズ」 ・【#MeToo】マイケル・エルガンはすべてを失ってしまったのか ・レッスルマニアの裏側で「2018年のUWF」開催!! ■オマスキファイトのMMA Unleashed ・ミルコ・クロコップ、USADA無視のベラトール強行参戦は是か非か ・「真剣味に欠けていた」ジョン・ジョーンズ、超長期欠場の可能性高まる カリフォルニア州聴聞会レポート ・UFC独占禁止法違反訴訟、原告が損害額は最大16億ドルだと主張 ・ロード・トゥ・レッスルマニア:ロンダ・ラウジーWWEでの全仕事(前編) ◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉大好評だった中井祐樹×大沢ケンジ対談!! もっとシューティングのことを知りたい!……ということで、初期Dropkickメルマガに掲載された山田学ロングインタビューを再録しよう。現在は東京・大塚で整体施療院を営む山田さんは初代シューターとして修斗黎明期を体験し、その後パンクラスに移籍。日本総合格闘技の礎を築いた両団体で活躍した唯一のファイターだ。修斗やパンクラス時代のエピソードはもちろんのこと、ビクトー・ベウフォートとの道場マッチや安生洋二の前田日明襲撃事件まで……90年代格闘技の修羅場を語っていただいた。シューティングの最狂ぶりが身体の芯まで響く16000字インタビュー!! <関連企画>■朝日昇 “奇人”が語る「本当に恐ろしい昭和格闘技」 ■修斗初代王者/仮面シューター・スーパーライダー 渡部優一「東映の許可? 取ってますよ(笑)」■「佐山先生に言われたんです。俺の影になってくれと」…中村頼永インタビュー<シューティング黎明編> ■運命のバリジャパ、安生道場破り、幻の長州戦真相――中村頼永インタビュー<ヒクソン来襲編>■【和術慧舟會創始2万字語り】西良典インタビュー「総合格闘技がなかった時代の話をしよう」■紀元前のシューティング……「スーパータイガー・ジムに通った高校生」/ソムチャーイ高津――初代シューターにして初期パンクラスでも活躍されていた山田さんは、総合格闘技というジャンルがなかった頃から戦ってきたわけですよね。 山田 そうですね。決して冗談じゃなくてね、ボクがある試合に勝ってなかったら総合格闘技はなかったと言ってもいいくらいなんですよ〜! これはもう本当に(ニッコリ)。 ――そうだったんですか!(笑)。では、今日はそのへんのお話をたっぷりとおうかがいしますが、もともとは栃木のほうで空手をやられていたそうで。 山田 栃木の小さな町道場だったんですけど。17歳の頃、映画の『燃えよドラゴン』を見てブルース・リーみたいになりたいなと思ったのがきっかけですよね。 ――それでシューティング(修斗)を始める前に地元・栃木で就職されてるんですよね。 山田 防衛庁関係のね、ちゃんとした会社だったんですよ。 ――防衛庁関係! いったいどんな仕事なんですか? 山田 戦闘機やレーダー関係。詳しくは言えないんですけど(笑)。 ――あ、国家機密ですか(笑)。プロレス格闘技に興味はあったんですか。 山田 それがまったくなかったです。空手も健康のためにやっていただけなんで。どっちかというと格闘技は好きじゃなかったんですよ。 ――それがどうして佐山聡先生のシューティングに入門するようになったんですか。 山田 佐山さんが昔タイガーマスクをやっていたことは知ってたんですけど。空手をやってるときに投げ技ができる人が勢いで相手を投げたんです。空手で投げは反則ですから審判は「はい、立ってスタンドから」と指示するんですけど、そのときに「これでは路上で通用しないな」と思って。路上に審判はいませんから。 ――それで全局面で対応できる格闘技に興味を持つようになったんですね。 山田 そのときに『格闘技通信』が創刊されたんですね。読んだ『格通』がたしか創刊号か2号目だったんですけど、三軒茶屋に佐山さんのスーパータイガージムができて会員募集をしているという記事が載っていて。じゃあ行ってみるかと。 ――旧UWFの興味から入門したわけじゃないんですね。 山田 ボクはいつも直感で動くんですけど、「この人は日本で一番強い」と思ったんで。一番強い人に習えば一番強くなれると思ったんですよね。それで次の日、場所もよくわからないのに栃木から三軒茶屋のジムに行きましたからね。ローカル線で上野駅まで3時間かけて行って。上野から三軒茶屋まで1時間かけてたどり着いて。 ――シューティングってどういうものか理解してたんですか? 山田 なんとなく。『格闘技通信』に殴って蹴って関節技を決めると書いてあったんですけど。「関節技ってなんだろ?」って感じで。 ――関節技もよくわからないまま!(笑)。当時は栃木で仕事をしながら三軒茶屋まで通ってたんですよね。 山田 ジムには週1回ですね。でも、自主練は毎日やってました。自宅でひとりで(笑)。 ――どんな練習をしてたんですか。 山田 まずスパーリングは頭の中でやるんですよ。 ――刃牙の空想カマキリ戦の世界ですよ!(笑)。 山田 だってスパーする相手がいないですから。仕事を終えて最初にスクワットを1500回やって、それから15キロ走るんです。そしてサンドバックを2時間叩いて、そのあとウエイトを1~2時間やって。 ――日をまたぎそうですね……。 山田 それから柔道のダミー人形を使って「こうかな?」って自分になりに考えながら関節技の練習。だからボクのサブミッションは独特です。それは誰にも教わってないですから。 ――独学でやられていたんですねぇ。 山田 たまたま地元で紹介された整体の先生のところへ治療に行ったんです。そこで「身体を治せるということは壊せるんだな」って考えて。治せるんだから壊せる、壊せるんだから治せるという逆転の発想。両方できて武道家だなって思ったんですよ。なんで「整体を習おう」と週1回、朝から晩まで先生に付き添って。いわゆるカバン持ちですよね。ずっと先生の整体を見ながら、身体の構造をいろいろと質問したりして。それがいまの整体の仕事にもつながってるんですよね(笑)。 ――しかし、そうでもしないと格闘技の勉強はできなかった時代なんですねぇ。 山田 「十字固めのどこが痛いんだ?」って感じでしたから。あと高校の柔道部に行って寝技を習ったりしてね。だから近所では「あそこの息子は頭がおかしい」と言われてたんですよ。夜にサンドバックを叩きながら奇声を発していると(笑)。 ――ただでさえ当時は格闘技への理解もなかったでしょうし。週に一度のシューティングではどんな練習をされてたんですか? 山田 初めて行ったときはステップワークを1~2時間やったんですよ。で、次の週に行ったときにまた同じことをやらされるは嫌だから勝手に一番上のクラスに参加したんです。当時は3クラスあって、初級者、中級者、選手。ボクは週に1回しか通えないから、なるべく選手クラスで勉強しようと。そこで川口健次に「おまえ入ったばっかだろ?」と言われたんですけど「いや、長いこといますよ」なんて嘘をついて(笑)。それで選手とたちと練習するようになったんですけど、最初はスパーやってもボロボロですよ。しかも真夏は四十度を超えるんですよ、室内。 ――当時は何人くらいいたんですか? 山田 あの当時1500人はいました。 ――1500人!!!! 山田 でも佐山さんが1回怒ると100~200人はいなくなりましたから(笑)。 ――ハハハハハハハ! 山田 また入ってくるけど、佐山さんが怒ったらやめての繰り返しで。 ――やっぱり佐山先生は怖かったですか? 山田 ……おかしいですよね(笑)。 ――ハハハハハハハ! 基本鉄拳制裁ですもんね。 山田 いま高校とかで生徒が教師に頭を叩かれたことが問題になってるじゃないですか。ボクらの場合は木刀ですからね。あれを見ちゃうと「体罰って何?」って感じですよね(笑)。 ――YouTubeに合宿映像が残ってるんですけど、あれも凄いですよね。 山田 いやいや、あれはまだ優しいほうですよ(ニッコリ)。 ――あれで!! 山田 あんなの優しいですよ。だってまだ選手に話しかけていますから。ボクからすると「あ、今日は機嫌がいいのかな~?」って感じで。 ――あれで!!! 山田 耳が切れて出血するじゃないですか。「それがなんだ!? 耳が切れるほうが悪いんじゃ!!(怒)」って感じでしたから。 ――では、優しくないときは……。 山田 もう倒れてからマウントパンチですよ。 ――は!? 山田 ハハハハハ。それで生き残れない奴は来なくていいというスタンスですよね。だから根性はつきますよね。だから朝日(昇)と「あそこで生き残った奴はみんなキチガイだ」っていう話をしてて。並の精神状態だと残れないです。 ――だって月謝を払って通ってるわけですよねぇ……。 山田 お金を払って殴られに行ってるわけですから(笑)。 ――佐山先生のスパルタ指導にはどんな意図があったと思いますか。 山田 ボクにも言ってたんですけど、「みんな来ないでほしい。強い奴だけ来ればいいし、強い奴だけが残ればいいんだ」と。ひとり、ふたり残ればいいと思ってたみたいですよ。だから毎日ふるいにかけてたわけです。よく「心技体」というじゃないですか。最初は「心」なんです。心ができていない人間が技も身体もできないという理論で。 ――つらくありませんでした? 山田 いやあ……「もっと激しくやってくれ!!」と思ってましたよ。 ――山田さんも狂ってますね(笑)。 山田 この人を「お!」って驚かせたら一人前だと思っていたんで。 ――中井(祐樹)先生がシューティングに入った頃は地獄の合宿をやってないから逆に佐山先生にリクエストをしたそうですね。「なんでやらないんですか!?」って。 山田 まあ、あいつも頭がおかしいですから。ハハハハハ! ――あんな合宿をお願いするんですからね(笑)。 山田 中井が入ったのはボクの所属が木口(道場)になった頃なんですよ。「寝技が強い奴が入ってくるから」と言われて。それでボクと朝日とかと一緒に練習したのが最初の出会いですね。中井は真夏なのにロングジャージを着てきたから「あ、こいつも頭がおかしいな」って(笑)。 ――真夏にロングジャージ(笑)。 山田 あのね、タイガージムってヘンチクリンな人間の集まりだったんですよ。 ――朝日さんも変わってますよね。話しだすと止まらないですし。格闘技の質問をしてるのにいつのまにメジャーリーグのダルビッシュの投球術の話になってたり。 山田 そうそうそう(笑)。自分も変わってますけど、当時は記者の方から言わせると「格闘技界には3人まともに話ができる人はいる」と。それはボクと中井と高阪剛で(笑)。 ――格闘技界の3賢者ですね(笑)。途中でその朝日さんもいた木口道場へ所属が変わったのはどういう理由があったんですか? 山田 練習するなら強い人というのがあって。当時はサブミッションがわからないということで朝日に「稽古をつけてくれない」と頼んだら「いいよ。俺はいつも木口にいるから」ということで。それで木口に行ったら寝技の強い選手ばっかりなんですよ。 ――初心者が足を踏み入れられない雰囲気だったとか。 山田 あの当時はちょっと異常でしたね。「自分が一番強い!」と思ってる奴らがやりあうみたいな。木口さんの繋がりでいまの吉田沙保里選手のコーチも来てたんですよ。ほかにもボクシングの選手が来てたり、技術が体系化されていないので、いろんな格闘家を呼んでいろんな練習を取り入れて。 ――そうやって総合の研究が進んでいたんですね。朝日先生が言うのはとにかく木口先生が強かったとか。 山田 強かったですねぇ。勝てなかったですもん。とにかく力が凄いんですよ。オリンピックに行くような人はさすがだなって思って。いつもギターを弾いてるオヤジなんですけど、レスリングはホントに強くて。 ――それで栃木から上京したのはいつ頃なんですか? 山田 それはパンクラスに入団してからですね。 ――あ、それまで栃木でやられていたんですか。 山田 シューティングには4年間在籍しましたけど、練習はほとん栃木です(笑)。最後の1年くらいは、ボクの高校の同級生でいま栃木の山田道場を任せている太田とやっていたんですよ。たまたま道端で会って話をしたら太田は新日本プロレスに入りたかったらしくて、テストに1回落ちたのかな。「また鍛えなおしてもう1回受けたいんだ」っていうから「俺と一緒に練習しよう!」と。 ――「これでひとりじゃなくなる」(笑)。 山田 これはラッキーだぞと(笑)。太田は初心者だったからイチから教えたんですけど、それは自分の確認にもなりますから。 ――でも、東京の選手と差がつくんじゃないかって焦りませんでした?  山田 それはずっとありましたけど、そこを補うのは精神力ですよね。それだけです。だってお金にもならないことをやってるわけですから。(ファイトマネー)15000円で殺し合いをやってるわけですよ。 ――ファイトマネーは15000円!! 山田  それもチケットですからね。ボクなんか栃木だから友達に「東京に見に来てくれ」とか買ってもらうわけにもいかないし。だからシューティングで13戦やったけど、11戦は無償ですね。お金になってないですもん。 ――どんなモチベーションで戦ってたんですか? 山田 「強くなりたい!」という思いだけです。それだけでやる気満々ですよ。そういうふうに思えないとやっていけないんでしょうね。 ――言葉が悪いですけど、狂っていないとやり抜けない。 山田 やれないと思いますねぇ。おかしな生活でしたから。東京に行ったときも最終電車がなくなって栃木に帰れないことはしょっちゅうで。そのときは新橋で浮浪者たちと一緒に寝るわけですよ。「◯◯さん、終電がないのでここで寝ていいですか?」とお願いして。 ――すっかり顔なじみだったわけですね(笑)。 山田 浮浪者、浮浪者、俺、浮浪者の順で寝てますから(笑)。 ――やけに身体のゴツイ浮浪者ですよ(笑)。 山田 そんときに怖い思いしたのはネズミですよ。新橋のネズミはデカイ。猫くらいの大きさなんですよ。ホントびっくりしましたもん。 ――そうしているうちにパンクラスに入団するわけですけど。 山田 鈴木みのるさんとやりたかったんですよ。俺のほうが強いと思ったし、当時のパンクラスの中で鈴木さんが一番強いと思ったんですよ。それで「戦わせてください」と。 ――それはシューティングの選手として対戦要求したんですか? 山田 個人です。「非公開でもいいからやりましょう。パンクラスの道場行きますから」と。 ――非公開で(笑)。シューティングの選手からすると、常に話題を集めていたU系には嫉妬心みたいなものはあったんですか。 山田 当時のシューティングって鎖国時代だったんですよ。佐山さんが「取材を受けない」という方針で。「中途半端な奴らが表に出るな」ということで選手は脚光を浴びなくて。だから試合後のコメントも出ないし。いま試合後に勝者がリング上でファイティングポーズを取るじゃないですか。あれはあの当時せめて目立ちたくてボクがやり始めたです(笑)。 ――それくらい目立ちたかったんですか(笑)。 山田 桜田(直樹)さんに「先輩、もっと目立ちたいですよね」「じゃあ、試合が終わったあとにこうやってポーズを取ればいいんじゃない」って。それで試合後にポーズを取るようになったらみんなマネをし始めて。昔はリングに一礼してリングを降りていたんですから。 ――それくらいギラギラしてたこともあっての対戦要求。 山田 佐山さんからずっと言われていたんですよ。「プロレスは強くない。プロレスと格闘技を一緒にするな」と。それでパンクラスに「ホントに強いのか俺が証明してくる」ということで話をしにいったんです。そうしたら当時のパンクラスの尾崎社長が「そういう話はありがたいんですけど、私らも興行でやってるわけですから」と。 ――まさか道場マッチでやらせるわけにはいきませんよね。 山田 「もし本当に山田選手が鈴木みのるとやりたかったら、いきなりは無理ですけど、パンクラスに入団して段階を踏んでいけば実現させます」と。それですぐに先日お亡くなりになった浦田(昇、修斗コミッショナー)会長のところに行って「鈴木みのるを倒したいからパンクラスに行っていいですか?」と聞いたら「いいよ」と。続けて「シューティングの看板を背負っていけよ。おまえがシューティングを広めろ。いまはいろんなところが総合格闘技をやってるけど、いちばん最初にやり始めたのは佐山聡。その最初の選手はおまえなんだから看板を背負え!」と言われまして。 ――それはしびれますね! 山田 佐山さんにもその話をしたら「わかった。行って来い」。その一言です。 ――でも、佐山先生はU系に対してはアレルギーはありましたよね。 山田 ありました。だからボクに負けてほしくないという気持ちが強かったらしくて。それは後になってわかるんですが……。 ――U系の中ではパンクラスが最初に競技化したわけですが、どうごらんになってたんですか? 山田 俺たちのやってることは間違ってなかったと思いましたね。そうじゃなかったらほかの人たちもやらないだろと。それまでは「あれ、なんのスポーツ? 中途半端に殴って投げて」という印象しかなかったと思うんですよね。あと興味を惹いたのは当時のパンクラスは無差別だったんです。こんなおもしろいことはないぞ、と。だってデカイ人間を倒せるんですよ。ボク、73キロしかなくてホントはミドル級だったんですけど、計量のときに重いものをポケットに入れて体重計に乗るんですよ。 ――えええ(笑)。 山田 そうすると84キロを切るか切らないかくらいになって。ボクはいつもミドル級の身体でライトヘビー級で闘ってたんです。だって小さい身体でデカイやつを倒せば最強じゃないですか。 ――そこはロマン優先なんですね。 山田 冒険ですよ(笑)。「俺はどこまで冒険できるんだろう!?」と。それでパンクラスの入団のときに尾崎社長に「ボクのことを2試合、見てください」と言ったんです。デビュー戦と2試合目。2回やって2回とも勝てなかったらクビにしてくれ、と。 ――というと、その時点で正式に契約していたわけじゃなかったんですか。 山田 契約も何もないですよ。「結果を出してから考えてください」って。だってそこまでずっとタダ働きしてきたわけだから、とくに要求するものも何もないですよ。 ――でも、パンクラス入団にあたって仕事をやめて上京したんですよね? 山田 防衛庁関係の仕事はね、20歳のときにやめてました。部長が深夜にテレビを観てたらシューティングがやっていて「おまえ出ていたよな」と言われて。「ウチの会社、副業できないんだけど。いちおう聞くけど、うちの会社と格闘技、どっちを取る?」と聞かれて会社をやめました。その会社、なかなか入れないところなんですけど。 ――はあ……そこまで格闘技に! 山田 周りからも「もったいない」と言われましたよね。でも、ボクは冒険王なんで(笑)。「人生を冒険しなくちゃいけない!」と思って。 ――そこから違う仕事をしながら格闘技を続けたんですか。 山田 アルバイトです。ガソリンスタンドとか山のてっぺんに温泉場があるので、そこの旅館で掃除や賄いを作ったりとか。温泉場まで片道30キロくらいあるんですけど、ロードレーサーで毎日登って行くんですよ。標高差1500メートルくらいありましたから(笑)。 ――それで週に一度は片道3時間かけて東京に行ってたわけですか(笑)。 山田 だから休みがないですよ。休んだおぼえがないですもん。頭おかしいでしょ(笑)。 ――それでパンクラスで2試合とも勝利して正式に契約をしたわけですよね。 山田 そうですね。そこで初めて格闘技でご飯が食べられるようになったんです。これで朝から晩まで練習ができるなと思ったんですよ(笑)。人を殴ってご飯が食べれるんだなあって……。 ――てっきり格闘技で食うためにパンクラスに入団したのだと思ってたんですが、それは結果的にそうなっただけなんですね。 山田 いや、ただ鈴木みのるを倒したかっただけなんです。それがたまたま入団できることになって。えらそうに雑誌なんかに載るようになっちゃって。やっぱり月に1回定期的に試合ができるのが幸せでしたよね。月1回も戦えるんですよ。 ――でも、月1ペースってけっこう大変じゃなかったですか? 山田 大変は大変ですよ。怪我をすれば治すのに時間はかかるし、試合間隔は4週間しかないですから、なるべくケガをしないように勝つという。 ――そういう事情もあったのか、船木選手も「潰し合いはしたくない」と言ってましたね。 山田 それでみんなが勘違いしていて「パンクラスは八百長じゃないのか?」という話が流れいてたんですよ。大好評インタビュー18本&コラム6本、15万字オーバーの詰め合わせセットはまだまだ続く……   

【15万字・詰め合わせセット】「プロレスとヤクザ」、中井りん、山田学、伊調問題告発者B氏、池田大輔…

谷津嘉章、興行という灰色の世界を語る――「プロレスとヤクザ」

レスリングオリンピック代表からプロレスに転向、新日本プロレス、ジャパンプロレス、全日本プロレス、SWS、SPWF、PRIDE出場……流浪のプロレス人生を送ってきた谷津嘉章がすべてを語るインタビュー連載の第4回! 今回はレスリング協会のトラブルから始まり、社会人プロレスSPWFからいつのまにか「プロレスとヤクザ」という興行の闇に迫ります! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします! <谷津嘉章インタビューシリーズ> ①デビュー編「ガチだったら楽だけど、そうじゃないから」 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1119227 ②80年代編「昭和・新日本のプロレスは早漏なんですよ」 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1140634 ③SWS編「田中八郎が俺に言ったんだよ。SWSを潰してくださいってね」 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1334578――谷津さん! 今日はSWS離脱以降の話を聞きたいんですけど、その前にレスリング協会のパワハラ騒動について聞かせてください。 谷津 あれかあ。レスリング協会のことはあんまりわかんねぇな。まあ、内部の派閥争いもあるんじゃないかな。2年後の東京オリンピックも絡んでくるし。 ――この騒動の根っこには、レスリング界の派閥争いがあるという報道はされてますね。 谷津 まぁいろいろとあると思うんだけど。どうなってるのかさっぱりわからないのよ、俺も。迂闊に言って間違えると大変だから(笑)。  ――谷津さんの現役の頃から派閥争いはあったんですか? 谷津 あったあった。それはね、相撲や柔道だってあったじゃない。柔道なんて内部告発されて、上村(春樹)さんが会長を退任したでしょ。こういった派閥の争いは特に格闘技が多いな。ロシアでもアメリカでもみんなそう。なんでそうなるかといえば、格闘技は個人種目だから。チームで戦わないでしょ。 ――なるほど。チーム戦だと出場メンバーを派閥だけでまとめるのは、なかなか難しいですよね。 谷津 そうそう。個人種目で起きやすいんだよね。 ――パワハラを告発された栄和人さんのことはご存知ですよね。 谷津 あったりまえだよ、俺の後輩だよ。 ――どんな方ですか? 谷津 ひとことで言えば熱血漢。彼もこうなっちゃって、かわいそうといえば、かわいそうかな。でも、いまはコンプライアンスが厳しいでしょ。耐えることなんてしないで、どんどんリークされちゃうわけだから。逆にこうなることで業界が変わっていくところもあるんだけどね。少しずつ少しずつ、民主的にね。昔なんて殴られるのはあたりまえだったんだから。監督も手で殴ると痛いから、木の棒でおもいきり叩かれてね。 ――スパルタ指導が許されていた時代ですね。 谷津 殴られて顔から血が出たって休めないから。「やる気がないんだったら帰れ!!」って言われて。根性論だね。いまみたいに栄養学なんてものもないし、根性だけ。 ――谷津さんの現役の頃って、レスリングはここまで脚光を浴びてませんでしたよね。 谷津 うん。これは話は変わるけども、長州や俺らが新日本を離れてジャパンプロレスを作ったでしょ。できたばっかでインパクトがなかったんだよね。そんなときに、レスリングもオリンピックのときしか注目されてないから「話題作りとしてレスリングの試合に出てくれ」って話があったんだよ。 ――それで7年ぶりにレスリング復帰して、全日本選手権に出ることになった。凄くリスクがありましたよね? 谷津 当時強化委員長だった福田(富昭)さんは、俺の先輩だから出なきゃいけないだよ。「先輩、負けたらどうするんですか?」って聞いたら「知らねえよ!」って(笑)。 ――ハハハハハハハ! 谷津 出場する選手をリサーチしてみて勝てる自信はあったけど、真剣勝負だからどうなるかわかんないでしょ。勝ったからいいもののさ、もし負けた場合はしばらくアメリカで覆面レスラーになるしかなかったよな(笑)。 ――当時は競技の違いがよくわからなかったから「プロがアマに負けたら恥」というムードはありましたね。 谷津 よく出たよなぁ。大会後に六本木でメシをオゴってもらって、それで終わりだよな(笑)。 ――先輩・後輩の上下関係は絶対なんですね。 谷津 だから俺も一歩間違えたら福田派だから(笑)。SWSのとき田中八郎からロシアのレスリングの選手を連れてこいと命令されたときは福田さんルート。俺は八郎から5000万円を預かって、ロシアまで行ってナショナルチームの監督に前金として2000万円渡してね。ロシアにもなんだかんだ1億円くらい使ってますよ。 ――でも、そんなに大金を使ったのにSWSはロシア勢を使わなかったんですよね?(笑)。 谷津 そうなんだよぉ。WWEと提携することになったから、もういらないってことで。八郎は藤原組にも金を出していたから、そっちに出ることになったんだけどね。 ――話を戻しますが、福田さんはレスリングを世の中に広めるために谷津さんを復帰させたりと、いろいろと仕掛けていたってことですね。 谷津 福田さんはそういう仕掛けは凄くうまいんだよね。先見の明がある。日本は世界より女子が一歩も二歩も進んでたでしょ。そこに力を入れてね。これからレスリング人口が増えていったら厳しい戦いになると思うけど。 ――東京五輪が2年後という重要な時期に騒動が起きてしまったんですね。 谷津 やっぱり福田さん体制で東京オリンピックまでは乗り越えないとね。ここからさ、新政権に移すのは現実的に無理だと思う。本当はゴタゴタしてる場合じゃない時期なんだよ。だから告発した側はこのタイミングだったんだろうけどね。一番話題になるでしょ、平昌オリンピックの時期なんだから。ただ、どんなことにつけても、福田会長に勝てる人間はいない。頭がいいし、先見の明があるから。 ◎「猪木さんが監禁されたときに引き取りに行ったのは◯◯さん」――初期SPWFは社会人プロレスという当時としては画期的な団体でしたね。 谷津 あの頃に活躍していたサスケやハヤブサは学生プロレス出身だったでしょ。いま新日本プロレスでブッキングやってる邪道・外道もそう。学生プロレスがあるんだから社会人プロレスがあってもいいかなって。 ――いまは全国各地で社会人レスラーが活動してますね。 谷津 プロレスラーってほとんどがプロレスファンでしょ。高田延彦だってそうだし、あのアントニオ猪木だってプロレスファンだったんですよ。俺みたいにビジネスとしてスカウトされた連中もいたけど、大部分がプロレスファン。それでいて学生プロレスはダメだっていう流れがあった。いまは棚橋弘至とかが学生プロレスをやってたと言えるようになったけど、昔は言えなかったんだよ。 ――あの当時のプロレス界には学生プロレス出身はタブーなところがありました。 谷津 なんで毛嫌いしていたかというと、プロレスという世界で起きていることを誰にも他言しちゃいけないルール、つまりケーフェイがあるんだよ。学生プロレス出身だと、昔の仲間に変なことを言うんじゃないかと懸念があったわけだよな。  ――あー、なるほど。 谷津 俺はそんなものはクソくらえだと思ってて。プロレスを見るか、やるかのどっちかしかないんですよ。体力に自信があるヤツはやる、体力に自信のないヤツは見る。それだけの話。だったら社会人プロレスを作ってしまえと。 ――SWSは3派に分裂しましたけど、どこかに合流する考えはなかったんですか? 谷津 全然ないよ。そもそもの話をいえば、SWSは部屋別制度なんか作んなきゃよかったんだよな。道場マッチぐらいならまだよかったし、イデオロギーの戦いは対抗戦として面白かったかもしれないけど。でも、エンターテイメントじゃなくてガチで揉め始めちゃったから。SWSのときはけっこうな金額の勝利者賞が出てたから、マッチメイクでいろいろと不満が出るんですよ。 ――プロレスの試合なのに勝者に賞金が出る。それは揉めますね(笑)。 谷津 田中八郎はね、プロレスの仕組みがどういうものかわかってなかったから。それだと負けた選手から不満が出るでしょ。だから一度賞金を選手会の方で集めて、上下関係ごとに分けるという取り決めになったんですよ。 ――田中八郎に黙って、いったん賞金を集めてたんですね(笑)。田中社長にプロレスの実態を教えなかったのは、勝利者賞を出さなくなる恐れもあったからなんですねぇ。 谷津 それにしても分け前はレボリューションの方が多かったんだよね。他の部屋はみんな頭にくるわけ。 ――マッチメイカーはレボリューションのカブキさんでしたし、強い不信感が……。 谷津 そういうこと。神戸でカブキさんは北尾に追っかけ回されたこともあるよね。「なんで俺がテンタに負けなきゃいけないんだ!?」って。ここから話は急展開! 「興行とヤクザ」をテーマに、どうやってプロレスの地方興行は成立していたのか? なぜズブズブの関係から脱却できたのか……現代プロレスの好調ぶりまでを解きほぐします!  この続きと、「プロレスとヤクザ」、中井りん、山田学、告発者B氏、安田忠夫、池田大輔などの記事がまとめて読める「15万字・24本の記事詰め合わせセット」はコチラ    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1461149   この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!  

谷津嘉章、興行という灰色の世界を語る――「プロレスとヤクザ」

【バチバチとは何か】池田大輔インタビュー……ちょいとビターなフーテン人生

プロレスの原点とも言える激しい戦い「バチバチ」を信条している池田大輔インタビュー。藤原組、バトラーツ、全日本プロレス、NOAH……新日本系と全日本系を渡り歩いた男が語るプロレスとは何か? 【関連記事】 ◎バトラーツの奇跡と絶望!! 石川雄規“情念”のロングインタビュー ◎平成のテロリスト・村上和成――格闘家が挑んだ命懸けのプロレス道!! ――池田さんは新日本プロレスの道場でプロレスが学べた「新日本プロレス学校」出身なんですよね。 池田 あそこに通ったのに2年ぐらいですね。そのあいだに入門テストを1回受けたのかな……いや、2回かな。もう記憶にないですけど(笑)。 ――新日本プロレス学校にはどういう経緯で入学したんですか? 池田 新日本道場に入門を直談判しに行ったんですよ。そうしたら道場には誰もいなくて。当時道場の料理長だった太(ふとり)さんという方が「そういう人たち向けに新日本プロレス学校があるから、そこに入りなさい」と言われて。だったらそうするしかないなと。 ――プロレス学校には毎日通ってたんですか? 池田 毎日は行ってないですよ。生徒の中でも気の合うメンツがいるじゃないですか。「今日は行こうか」なんて声をかけあったりして。 ――一緒に通ってたのは誰になるんですか? 池田 プロレスラーにはなってないですね。レスリングの関東大会でチャンピオンになった奴なんですけど。 ――西村(修)さん、金原(弘光)さんも通ってたんですよね。 池田 天山(広吉)、サスケもいましたね。 ――プロレス学校ではどんな練習をしてたんですか? 池田 山本小鉄さんがいらしたときは、ヒンズースクワットや受け身をやったり。「好きなだけ練習しなさい」ってとくに時間は決まってなかったんですよ。気が済むまでスパーリングをやったりしたから帰るときは夜10時ぐらいになったり。基本的に道場は夕方から解放されてたんで。 ――新日本プロレスの選手は午前中から夕方まで練習してて、そのあとはプロレス学校の生徒が自由に使えた。素晴らしい環境ですね!(笑)。 池田 選手とニアミスするときもたまにあったんですよ。鈴木みのるさんは誰か一人チョイスしてリング上でスパーリングみたいなことをやったり、片山(明)さんにイジってもらったり。自分が新日本の選手だったらイヤですけどね、よく知らない人たちが道場にいるのは(笑)。会社がやると決めたことで、お金を払って通ってるから文句は言えないんでしょうけど。 ――プロレス学校の末期って、のちにユニバーサルプロレスでデビューする中島半蔵さんが現場を仕切っていたみたいな話を聞きますね。 池田 ですね。小鉄さんに任されたということで、自分らよりは立場が上で。コーチを受けたことは一度もないですけど、すっげえ怖かったですね(笑)。まともに口を聞いてもらえなかったです。 ――同じ生徒なのに!(笑)。 池田 それで2年通ってたんですけど、ヘルニアを患ってまして、スクワットとかできなくなっちゃったんですよね。 ――スクワットとか明らかに身体に悪いですもんね。 池田 まあプロレスをやってる時点で身体には悪いんですけどね(苦笑)。それで田舎に帰ったんですよ。  ――あの頃はプロレスラーになれる機会ってなかったですよね。 池田 いまはいいですよねぇ、ホントに。当時を振り返えると「なんでプロレス学校に2年も通ってたんだ?」って思いますもん(苦笑)。 ――その遠回りの経験にのちに…… 池田 いやいや、ムダですよ!(笑)。 ――ムダですか(笑)。いまはスクワット1000回ができなきゃプロレスラーになれない時代でもないですね。 池田 できないレスラーは多いんじゃないんですか。昔は1000回とかできてあたりまえでしたもん。 ――大変な時代だったんですねぇ。 池田 大変じゃないですよ。それがあたりまえだっただけで。たまにスクワット1000回やりますよ、ヒマなときに。 ――暇潰しにスクワット1000回(笑)。 池田 ゆっくりやって1時間ぐらいなんですよね。「はたしてスクワットに意味があるのかどうか?」っていうことは考えたことないですね。とりあえずプロレスラーはスクワット1000回やるもんだっていう時代だったじゃないですか。 ――やってあたりまえ、できてあたりまえという。 池田 藤原組のときにフロリダのマレンコ道場に行かせてもらったんですけど、向こうでもやることは変わりないですよ。スクワット、腕立て、基礎体力。 ――その藤原組も直訴して入門されたんですよね? 池田 直接行きました。新日本プロレス学校のパンフレットに藤原(喜明)組長の写真も載ってて「私たちが指導します」みたいな感じで書いてあったんです。組長にプロレスを教えてもらえると思って入ったんですよね。 ――でも、指導は受けたことないんですよね? 池田 新日本の道場では、一度もお会いしたことなかったですね(笑)。  ――ハハハハハハハハ! こうなったら会いに行くしかないと。 池田 田舎に戻ってるときに友達の家で藤原組の東京ドーム大会の映像を見せられて。その頃はプロレスを全然見てなかったんですけど、また火がついてしまって。 ――ヘルニアの状態はどうだったんですか?  池田 完治しないまま乗り込みました。 ――えっ!?  池田 完治もしてないし、アポも取らずに。 ――凄いなあ。 池田 プロレス学校のときに知り合った臼田勝美さんが藤原組に入門してたんですよ。臼田さんから道場の場所を聞いて。臼田さんは八王子の自宅から通いだったんですよ。みんなは毎日だったんですけど、臼田さんは1日置きだったのかな。あんまり覚えてないですけど。 ――1日置きの通いって珍しいですね(笑)。 池田 組長は基本的にやりたいんだったら、やらせてやるっていうスタンスなんですね。 ――じゃあ池田さんの入門もオッケーだったんですね。  池田 そうですね。道場に行ったらテレビの撮影クルーが来てたんです。あの頃の組長はバラエティ番組とかたくさん出てたじゃないですか。ちょうど撮影クルーが帰るときで、道場の前に立っていたら組長から声をかけていただいて。「おい、誰だおまえは?」「入門したいんです」「じゃあ明日から来い!」と。 ――あっという間じゃないですか(笑)。 池田 「明日は日曜日か。月曜日から来い」って。年齢を聞かれたので25歳と答えたら「ジジイだな!」って豪快に笑ってましたね。 ――当時のプロレス界だと新人にしては年齢高めではありますね。 池田 すぐに入門できたことは自分もビックリで。テストかなんかでコッテリ絞られると思ってたんですけど。 ――当時の藤原組には誰がいたんですか? 池田 自分が入った頃には、のちのバトラーツのメンバーがほとんどいて。石川雄規さん、島田裕二さん、船木勝一(FUNAKI)さん、田中稔さん、臼田勝美さん、小坪弘良(つぼ原人)さん。1年後ぐらいに(モハメド・)ヨネやアレク(サンダー大塚)が入ってきましたね。 ――池田さんも最初は通いだったんですか? 池田 通ってました。 ――近くにアパートを借りてですか? 池田 いや、そんなお金がなかったので、友達のところに転がり込んで。友達もずっといられると困るということで、組長に「道場に住まわせてください」と直訴して。藤原組をやめるまで道場に住むようになっちゃったんですよね(笑)。 ――練習生の頃は給料は出てなかったということですよね。 池田 出ないですね。昼間に練習して、夜はバイトしてました。あとから入ってきた奴はみんなやめちゃうから、自分がずっとちゃんこ番だったんですけどね。ちゃんこもみんなでお金を出し合って、そのお金をやりくりして材料を買うんですよ。 ――団体からちゃんこ銭は出ないんですか。 池田 自分たちは好きで組長のところに習いに行ってるだけなので。プロレスの修行をしてるだけなんです。 ――あー、団体というより修業の場なんですね。 池田 組長はお昼になると近所の喫茶店でいつも食事をされていて。た〜まに一緒にちゃんこを食べてましたけど。「オマエらはいつも貧しいちゃんこだな。ガハハハハハ!」と笑いながら(笑)。 ――生活も顧みずにプロレスラーになりたい一心だったということですね。 池田 みんな貧乏で服も買えなくて。あの頃バギーパンツが流行ってたんじゃないですか。 ――ロードウォリアーズが履いていて。 池田 石川さんがいっぱい持っていて、「これ履きなよ」って。だからみんなバギーパンツを履いたんですね(笑)。 ――プロレスファン憧れのブツでしたね(笑)。デビューできるかどうかは誰が判断するんですか? 池田 組長です。突然言われます。「オマエ、次にデビューしろ」って。 ――池田さんのデビュー戦の相手はドン荒川さんで。 池田 はい、荒川さんです。試合もおぼえてます。荒川さんは何度か藤原組の道場にいらしたことがあって。自分が一番下だったので、竹ノ塚の駅から道場までワゴンでお連れするんですよ。 ――道場での荒川さんの印象って何かありますか? 池田 組長と荒川さんが相撲を取ってましたね(笑)。 ――新日本道場時代と変らないですね!(笑)。 池田 たまに練習が相撲だけの日ってあるんですよ。組長からすれば、自分ら相手にスパーリングをやってもつまんなかったんじゃないですかね。先日組長がおっしゃっていたのは「歳が30ぐらい離れてるんだから、話が合うわけねえじゃねえか」と。たしかにそうなんですよね(笑)。だから練習が終わったら近所の喫茶店でひとりでご飯を食べていたんでしょうね。  ――デビューして初めてギャラがもらえるんですね。 池田 凄く嬉しかったですねぇ(しみじみと)。額は言えないですけど「デビュー戦でこんだけもらえるんだ!」ってビックリしました。そういう意味では、いまのプロレス界とはちょっと違いますよね。 ――いまはファイトマネーも下がってますし……。リングスにも参戦されてじゃないですか。どういう流れだったんですか? 池田 わからないです。 ――わからない!(笑)。 池田 「やれ」と。そういう言い方はされてないんですけど、あのときは島田さんがリングスでレフェリーをやられていたので。 ――島田さんはどういう人でした? 池田 あのままですね。 ――よくわかります!(笑)。 池田 こないだも偶然会いましたけど、あのままですね(笑)。  ――リングスに出ることは組長の許可があってのことなんですよね? 池田 どうだったんでしょうねぇ。許可はいると思うんですけども、当時はどういうやりかただったのかわからないですね。リングスもオファーがあったら、四の五の言わずに出るってことですよね。リングスのスタイルが好きかといえば、そこまで好きではなかったですけど(笑)。自分はプロレスが好きなんですけど、藤原組にいるかぎりは出るということで。そういう団体ですからね。 ――藤原組は藤原さんを残して皆さんやめられますよね。あの離脱は何がきっかけだったんですか? 池田 よくわからなかったですね。なんて言ったらいいんだろうなあ。 ――以前石川さんにインタビューしたときに、外部の人間が取り仕切ることになったことで、藤原さんと選手のあいだに溝ができたと言ってたんです。 池田 じゃあ、それじゃないですかね(笑)。当時はそこまで中に入ってなかったんですよ。 ――雲行きの悪さも感じてなかったんですか? 池田 雲行きの悪さは常に感じてたんですよね。 ――常に雲行きが悪かった。 池田 いや、それは冗談です(笑)。 ――ハハハハハハ。今後のことを組長とお話されたこともないんですか? 池田 ないですね。あったとすれば、札幌中島体育センターの控室で「プロレスはジプシーみたいなもんなんだから、自分の好きなようにやればいいんだ」と言われたのが答えなのかなって。そんなこと直接言われたことに驚いたんですけど、石川さんたちにはもっと前に何か話していたのかもしれないですけどね。 ――池田さんはその言葉で何かを察したわけですね。 池田 そういうことですね。気が利かないので付き人としては失格だったんですけどね。よく怒られたし、「うるさい!」ってグーで殴られたこともありましたねぇ。 ――何を言ったらそんな目に!!(笑)。 池田 まあ、いろいろと間違えてたんですよね(苦笑)。  ――池田さんは仕方なく藤原組から離れたということなんですか? 池田 組長に「自由にやれ」と言われるのであれば、しょうがないですよね。もう藤原組にはいられないんだなって。そのあとも組長とはご一緒するときがあったし、何かあったわけじゃいんですけどね。 ――組だと破門とか物騒な言い方になっちゃいますけど、“卒業”というか。 池田 っていうことになっちゃいましたよね。藤原組がなかったらプロレスラーになれなかったし、組長は親父のように思える存在なんですよね。「いつまでも家にいるな!独り立ちしろ!」っていうことかもしれないなって。 ――そうして石川さんを中心に格闘探偵団バトラーツが旗揚げしますが、90年代はインディ全盛とはいえ、若手中心の団体は想像できなかったと思うんですね。 池田 藤原組という看板があったからプロレスができたところはあって。だって、自分らには何もなかったじゃないですか。デビューしたばっかりのペーペーでしたし。 ――石川さんと今後のことを話したんですよね。 池田 話したと言っても、最終的にバカ話になっちゃいますよね、いっつも。「ダメだコリャ!」って感じで(笑)。ホントに団体なんてできるのか想像もつかなかったですけど、石川さんは頑張ってましたよね。スポンサーになってくれそうな人に会いに行くっていうことで一緒について行ったり。とはいっても、話し合いの輪には入らないんですけどね。だから何がどうなってるのかはわからなかったです。  ――バトラーツは越谷に道場を構えることになって。 池田 あのときも家がなかったので、当初は石川さんのマンションの一室を借りてたんです。道場ができてから、また道場住まいに戻って。 ――若いからこそできる生活ですねぇ。 池田 歳を取ったら難しいですよね。そんなことしませんよ(笑)。 ――バトラーツってうまくいくと思いました? 池田 いやあー、全然思ってなかったです。というか、そんなことも考える余裕がなくて、もう目の前のことをやるしかないと思ってましたよね、自分は。会議のときに「スポンサーをつけたら自分たちの思うようにできなくなるから、スポンサーをつけないで頑張ろう」みたいなことを島田さんが言ってたのかな。 ――えっ、島田さんといえば“スポンサー殺し”のイメージがありますけど(笑)。 池田 だからバトラーツは貧乏でしたね。 ――バトラーツの中で、殴る、蹴る、極め合うという原始的なスタイルが“バチバチ”として注目を浴びますよね。 池田 自分が思うがままに戦っただけで、誰かと「こうやろう」と話し合ったりしたわけじゃないんですよね。石川さんも自分のやり方に合わせてくれたんですかね? 相性がよかったというか、噛み合ったというのか。「オマエのは痛いんだよっ!!」ってよく言われましたけどね(笑) ――痛い……ですよねぇ、あの戦いは。 池田 バチバチって格闘技っぽいスタイルだと思われがちですよね。バトラーツの頃の試合を見てない人は理解できないんじゃないかなと思うんですね。 ――あの時代のバチバチを見てないとわからない。 池田 自分がバトラーツをやめたあとに、バトラーツが格闘技っぽい路線になったみたいで。どんな試合をやっていたのかは見てないんですけど。その時代とゴッチャにしてる人もいるみたいで。 ――たしかに後期は所属選手がMMAに出たりしてましたね。その色とは違うと。 池田 最近でもいろんな団体に呼ばれるときに「バチバチでやってください」と言われるんです。で、バチバチでやると相手から「……痛かったです」って言われるんですよ。バチバチでやると、頭が真っ白になっちゃうんですよ。 ――頭が真っ白になるほど……固いプロレスって相手から嫌われるじゃないですか。バチバチとはまだ違うんですよね。 池田 固く行くところのポイントの違いですよね。言葉にするのは難しいんですけど……お客さんに伝わらないならバチバチするなっていうことですかね。お客さんに伝わらないと意味がないですから。だってお客さんに伝わらなかった蹴りのほうが痛かったりするんですよ。 ――ダメージが伝わる蹴り、ダメージがある蹴りは違うということですね。そしてその2つは被るものでもある。 池田 やっぱりお客さんが湧かないと、こっちもどう攻めたり守ったりしていいかわからないですから。プロレスって遠くから見るお客さんもいるじゃないですか。そこまで伝わるような動きは求められますよね。 ――木村浩一郎さんを取材したときに「バチバチってシンプルに言うと何をやってもいいんです。何かあったらやられたほうの責任だよって。だからといって急所を狙ったらダメだし。でも、初めてやる子はおもいきりやるもんだって勘違いしちゃうんですよ」って言ってたんですね。 池田 ああ、キム兄がそんなこと言ったんですか。まあ、ただの格闘スタイルだと思ってる人はいるんでしょうね。プロレスの溝のところを掘り下げてるだけなので……言葉ではちょっと説明しづらいですよね。 ――以前池田さんはインタビューで、自らの身体を叩いて打撃の効果音を鳴らす行為を否定されてましたよね。この続きと、「プロレスとヤクザ」、中井りん、山田学、告発者B氏、安田忠夫などの記事がまとめて読める「15万字・24本の記事詰め合わせセット」はコチラ    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1461149   この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!  

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【春の女子プロ界隈】アイスリボン、東京女子絶好調、電流爆破問題■事情通Zの「プロレス 点と線」

プロレス業界のあらゆる情報に精通する事情通Zの「プロレス 点と線」――。今回のテーマは、春の女子プロ界隈――絶好調団体と電流爆破問題についてです!【プロレス 点と線シリーズ】 長州力の「オマエはプロレスやめろ!」事件とは何か? 誰だと思ってるんだ!? ヤマモの「アイドルの腰掛け」発言とは何か? ――Zさん! 今回はざっくりとしたテーマですが、プロレス界の好・不調団体を語ってもらいますよ〜。 Z もう新日本プロレスのブッチギリだよ。 ――2018年セ・リーグ予想「広島カープの3連覇は鉄板!」みたいに言い切りますね。開幕ローテが昨季と全員入り変わった我が中日ヤングドラゴンズを見くびるなよ〜! Z 寝言は松坂大輔が7回投げきってからにしろよ。興行が多すぎて新日本以外はやや苦戦気味の印象がある。まず女子からいうと、DDT系列の東京女子プロレスは調子がいい。サイバーエージェントがDDTの親会社になり、AbemaTVで中継されることの恩恵がDDT本体よりもあるというか。そこはアイドルに通じる部分があって、ネットで無料で見られても会場に行きたくなるんだよ。 ――「会いに行けるアイドル」ってやつですね。この続きと、「プロレスとヤクザ」、中井りん、山田学、告発者B氏、安田忠夫、池田大輔などの記事がまとめて読める「15万字・24本の記事詰め合わせセット」はコチラ    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1461149   この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!  

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RIZIN、K-1、KNOCKOUTに天心、武尊!! トライハードな連続ドラマ■事情通Zの「プロレス 点と線」

格闘技方面は「ぼんやり層」ながら、プロレス業界のあらゆる情報に精通する事情通Zの「プロレス 点と線」――。今回のテーマは、不穏な動きが続く立ち技シーンについてです!【プロレス 点と線シリーズ】 長州力の「オマエはプロレスやめろ!」事件とは何か? 誰だと思ってるんだ!? ヤマモの「アイドルの腰掛け」発言とは何か? 事情通Z 「格闘技ぼんやり層」の俺でも最近のキック系ニュースには不穏なものを感じてるよ。 ――これはですね、インタビュー取材と違って編集できない記者会見全文やマイクアピールだからという理由もあるんですよ。 Z いまのインタビューは原稿チェックはあたりまえになっているな。 ――その選手や関係者が現場に近ければ近いほど原稿チェックが厳しくなるから、どうしても当たり障りのない内容になってしまいがちで。だからなのか村浜武洋のような強烈な食材は、普段食べ慣れてないから読者もビックリしちゃうんですね。 Z アレは一発で食中毒になるブツだろ(笑)。村浜武洋“流浪と怒り”のロングインタビュー「やるか!? おう、コラ! ああん!?」 ――「マジメに調理しろ!」とお叱りを受けたんですが、「こういう料理なんです」としか言えなくて。記者会見も食べやすく調理するというか、要旨をまとめた書き原稿がほとんどですよね。 Z 簡潔に内容を伝えたいからね。 ――どこの媒体がどう報じたのか、どこを報じてないのか、その“調理具合”を読み比べても面白いんですけど。そのまま生で出したほうが絶対に美味しいかといえば、そうでもなくて。調味料が欲しくなるときもあるし、現場で雰囲気込みで味わってこその料理もある。「日馬富士の参戦はありえますか?」「交渉はまだしてないですが、出てもらいたいですね」「よし、日馬富士RIZIN参戦へ!」なんてその典型例ですよ。 Z 成型肉みたいなもんだな(笑)。 ――なかなか本音は言えないけど、その言葉には本音が見え隠れするケースが多いんです。なので「記者会見評論家」のボクがここ最近のトライハードな記者会見を振り返ってみようかなと。 Z IGF評論家から記者会見評論家に転向かよ(笑)。 ――まず新生K−1の「TRY HARD GYM所属選手の試合出場キャンセル及びK-1スーパー・フェザー級王者・大雅の王座剥奪 K-1 JAPAN GROUPがTRY HARD GYMとの契約に関する発表」なんですが、この会見にボクは呼ばれてないんですね。 Z おい、記者会見評論家!(笑)。 ――いや、この会見はホントに緊急開催だったために、いつも会見取材してる方々だけが呼ばれたみたいで。 Z いつも会見取材しない記者会見評論家ってどういうことなんだよ。 ――この新生K−1の会見で気になったのは、弁護士が同席してないことなんですね。それくらい緊急だったのかどうなのか。 Z なるほど。たしかにこの手の会見に弁護士は付き物だ。 ――次はKNOCKOUT戦略発表会(http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1433787)で木谷英明オーナーが過激発言を連発したんですけど。これ、インタビューだったら削られちゃう部分が多かったと思うんですよ。記者会見だからオッケーだったというか。 Z まあプロレス方面からすると、じつに木谷さんらしい発言だよ(笑)。 ――木谷さんが一番言いたかったのは「RIZINやK-1はまったく怖くない」ですけど、これは逆にメチャクチャ意識してますよね。この続きと、「プロレスとヤクザ」、中井りん、山田学、告発者B氏、安田忠夫、池田大輔などの記事がまとめて読める「15万字・24本の記事詰め合わせセット」はコチラ    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1461149   この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!  

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ミルコ・クロコップ、USADA無視のベラトール強行参戦は是か非か■MMA Unleashed

Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマは「ミルコ・クロコップ、USADA無視のベラトール強行参戦は是か非か」です!  <MMA Unleashedオススメコラム>■「まだUFCなんか気にしているの?」米メディアに渦巻くUFC悲観論まとめ■米国人記者が語るイッテンヨン東京ドーム■地球上最強男スティペ・ミオシッチは、それでも時給14ドルで消防署で働くベラトール200(5月25日ロンドン)にミルコ・クロコップ(43)が登場、ロイ・ネルソン(41)と対戦することが発表された。両者は2011年10月のUFC 137でも対戦しており、その時にはネルソンが第3ラウンド、TKO勝ちを収めている。 クロコップは現在8連勝中(連勝記録の自己ベスト更新中)で、前回は昨年の大晦日、RIZINで高阪剛を62秒で撲殺してみせた。 一方のネルソンは前回、現在絶賛開催中のヘビー級グランプリの1回戦でマット・ミトリオンに敗退している(マジョリティディシジョン、ベラトール194、2月16日)。試合後には勝者ミトリオンが、ネルソンはグラウンド・アンド・パウンドをする時、足の親指を金網に引っ掛けて体勢を保っていた、不正で勝とうとするなんて見下げた男だとメディアにぶちまけた。そんな昔の悪役プロレスラーのようなやり口がMMAで実際に有効なのかどうかはさておき、ネルソンは次のように反論、その余りにシュートな内容に誰しもが突っ込みの言葉を失ったのであった。 「マットは相も変わらず目くそが鼻くそを笑うような男だ。ヤツが不正にうるさいのは、ヤツが不倫をしているからだろう。最近はずっと、オレの周囲はその噂でもちきりなんだよ。ヤツはそのイライラをどこかで吐き出すしかなかったんだろう。オレは反則はしていない。ヤツが怒っている理由は、心の奥底で、本当は自分が勝っていなかったことを知っているからだろう」 恐怖のシュートトーカー、ネルソンは、ミルコ戦の発表を受けて早速クロコップにも噛(か)みついている。「クロコップと戦うことになるとは、実のところ驚いている。次はクイントン・ランページ・ジャクソン戦になるものだとばかり思っていたが、ランページがやりたがらなかったらしく、クロコップ戦ということになったようだ。オレはリマッチ賛成派だ。負けた相手とのリマッチは常にやりたいと思っている。自分がそう思っている以上、他人にも同じチャンスをあげたいと思う」 「クロコップは確かに年々強くなってきていると思うが、それはスペシャル・サプリメントを使っているからだと見ている。普通よりもいいサプリメントのはずだ。オレの経験上、誰かがオレと戦いたいとか、オレを倒したいと言ってくる時には、有利になる材料が何かあるものなんだよ。いずれにせよオレは、誰とでも戦ってやる」 この続きと、「プロレスとヤクザ」、中井りん、山田学、告発者B氏、安田忠夫、池田大輔などの記事がまとめて読める「15万字・24本の記事詰め合わせセット」はコチラ    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1461149   この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!  

ミルコ・クロコップ、USADA無視のベラトール強行参戦は是か非か■MMA Unleashed

ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■斎藤文彦INTERVIEWS

80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマはロンダ・ラウジーのプロレスデビュー戦の相手「ステファニー・マクマホン&トリプルH夫妻」です!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー ■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ ■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る■『1984年のUWF』はサイテーの本! ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」 ■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期 ■超獣ブルーザー・ブロディ ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯…… ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜 ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』  ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い ■「現場監督」長州力と取材拒否■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか――今回のテーマはレッスルマニアでロンダ・ラウジーのデビュー戦の相手を務めるトリプルH&ステファニー夫妻です。 フミ この試合の主役はもちろんロンダ・ラウジーなんですが、ステファニーの存在も凄く重要になってくるんです。彼女の父親ビンス・マクマホンはWWEというプロレス団体をここまで大きくした偉大なる人物ですけど、ステファニーは兄シェーン・マクマホンと2人でWWEの登場人物「ミスター・マクマホン」のかつての役割をこなしてるとも言えるんですね。 ――「ミスター・マクマホン」はWWEに登場する際のビンス・マクマホンの名前ですね。 フミ WWE月曜日のTVショー『RAW』のコミッショナーはステファニーで、火曜日のTVショー『SmackDown』のコミッショナーがシェーンなんです。 ――2人はリングの登場人物としてだけではなく、コミッショナーとしてイベント運営も取り仕切ってるという解釈でよろしいんですか? フミ コミッショナーも番組上の役柄です。WWEは世界最大のプロレス団体として時価総額15・1億ドル(約1617億円)のNY証券市場の上場企業なのですが、アメリカの企業の中では中小企業に当たるんですね。株式を公開してるといっても全体の80パーセントはマクマホンファミリーが持ってるんです。ビンス、その奥さんのリンダ、子供のシェーンやステファニー。トリプルHも株は持ってるんですが、ステファニーグループのひとつと考えたほうがいいかもしれません。シェーンとステファニーにはそれぞれ3人の子供たちがいますが、いずれリング内外でWWEに関わることになるんでしょうね。 ――プロレスにどっぷりと浸かってるんですねぇ。 フミ エグゼクティブの立場だったマクマホンファミリーがWWEのテレビ画面に登場するようになったのは、90年代後半から00年代初頭のWWEで繰り広げられた「アティテュード時代」です。ビンス・マクマホン本人が実際にリングに上がることでWWEの人気は急上昇して、ライバル団体だったWCWを崩壊に追い込むんですが、あのへんから現実とファンタジーの境目がボヤけて、どっちが本当の話なのかがわからなくなっていったんです。 ――そうして娘のステファニーもリングに現われるわけですね。 フミ ステファニーは1998年に4年制の大学を卒業して、それから1年間はバックステージで番組制作の勉強をして、99年4月に満を持して『RAW』に登場したんです。いまは2018年ですから、ステファーにはキャリア19年になる。 ――もうそんなに長いことWWEに関わってるんですね。 フミ WWEに登場した頃は22歳で清純派だったステファニーは、今年42歳。プロレスファンは画面を通してステファニーの成長を見続けてきたんですが、あるときはアンダーテイカーに誘拐されたり、またあるときはトリプルHに略奪結婚されそうになったり。いまの若い世代には伝わらない例えかもしれませんが、映画で共演していた山口百恵と三浦友和が実際に結婚してしまったように、ステファニーとトリプルHも現実の世界で一緒になってしまったんです。親子揃って現実とファンタジーの境界線がない人生を歩んじゃってるわけですね。 ――トリプルHとステファニーは画面上では離婚もしてますね(笑)。 フミ ステファニーはあまりにも美人なので初めて登場したときは「女優なんじゃないか?」という説もあったんです。ビンスの本当の娘だということを信じない人もいました。これがもしキャスティング上で誰かが「ビンスの娘」を演じているのであればまったく面白くないんですよね。それは奥さんのリンダにしても同じです。 ――境界線がないから面白いというわけですね。 フミ ステファニーもシェーンもエグゼクティブの立場としてリング上のあれこれ関わるから説得力が生まれる。トリプルHはプロレスラーとして超一流なんですが、WWEというレイアウトの中であの夫婦が並ぶと、ステファニーの方が格上に見えちゃう。そこがまた面白い。 ――そのステファニーがロンダと戦うことでアメリカでは大注目を集めてるんですね。 フミ 今回のレッスルマニアではシングルの2大タイトルマッチが行なわれます。ローマン・レインズがブロック・レスナーに挑戦するユニバーサル選手権は、ローマン・レインズがついに世代交代を果たすかどうかがテーマ。 そして1963年の誕生から55年の歴史を誇り、バディ・ロジャースやブルーノサンマルチノなどの系譜を持つ『SmackDown』のWWE世界王座に中邑真輔が挑戦するAJスタイルズ戦。プロレスファンからすれば、この2試合のどちらかがメインイベントになるんですが、アメリカのメディアにとってはロンダ・ラウジーがメインイベントなんです。 ――それだけロンダ・ラウジーの話題性が強い。 フミ ロンダ・ラウジーのプロレスデビューそのものがビッグニュースなんです。WWE社内の会議では「対戦相手を誰にするのか」ということでいろんなシミュレーションがされたと思うんですが、対戦相手が誰であろうがニュースになる。ただ、これを「点」ではなく「線」にするにはどうすればいいのかいう点を突き詰めていくと、対戦相手はステファニーに落ち着いたんでしょうね。  ――ロンダを連続ドラマの登場人物として見せていこうとしてるんですね。 フミ まず『イリミネーション・チェンバー』というPPVイベントでロンダ・ラウジーの契約書公開調印式が行なわれました。トリプルH&ステファニー夫妻が見守る中、ロンダがサインしようとすると、『RAW』GMのカート・アングルが「本当にいいのか? その契約書にサインしたら最後、この2人の言いなりになってしまうんだぞ?」と念を押します。アングルは「ロンダ・ラウジーは過去の人。私でも勝てると控室でそう言ってたじゃないか、ステファニー?」と続けたんです。 ――そこでロンダがトリプルHたちに不信感を抱いたんですね(笑)。 フミ ロンダはUFCで連敗してからプロレスに転向したので、ステファニーの陰口にリアリティがあるし、ロンダ・ラウジーはUFCで戦うときのような、おなじみのキツイ顔つきになったんです。 ――ロイヤルランブルに現れたときのロンダは素の感じで「表情ができていない」と言われてましたが、戦闘モードになってないから当然といえば当然で。 フミ あのときは髪の毛を下ろして、かわいらしい雰囲気でしたよね。まだWWEと契約していないから、キツイ顔つきになる必要がない。そこはちゃんと道理が通っているんです。 ――たしかに契約をしてない選手が勝手に試合をしちゃいけないですね(笑)。 フミ 怒ったロンダがトリプルHを机の上に投げつけると、ステファニーがロンダに平手打ちを見舞います。すると、ロンダはステファニーに手を出さず、契約書にサインだけして去っていく。翌日、再び『RAW』のリング上で相まみえた4人。カート・アングルはトリプルH夫妻に「あなた方はWWEスーパースターとしてタレント契約をしている。レッスルマニアはロンダ&カート・アングルの試合で決定だ」と告げるんです。 ――筋が通ってますね!(笑)。 フミ ロンダとカート・アングルはオリンピックアスリートでメダリスト同士。その2人が手を組んでカンパニーエグゼクティブと戦うという構図も見えてくるんですね。 ――「オリンピックアスリートvs悪のオーナー」ですね フミ この試合が今後のWWEにどのような影響が与えるかといえば、「アティテュード時代」のロングセラーはビンス・マクマホンvsストーンコールドでしたね。その現代版としてステファニーvsロンダの権力闘争ドラマをやろうとしてるんです。 ――つまりロンダがストーンコールド役!!  この続きと、「プロレスとヤクザ」、中井りん、山田学、告発者B氏、安田忠夫、池田大輔などの記事がまとめて読める「15万字・24本の記事詰め合わせセット」はコチラ    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1461149   この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!  

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【伊調馨問題・告発者B氏】「安達さんがUインターにレスリングを教えてくれたんだよ」■金原弘光

伝説のプロレス団体UWFインターナショナルでデビューして、キングダム、リングス、PRIDEと渡り歩いた日本格闘技の生き証人金原弘光が格闘技界黎明期を振りかえる。今回は世間を騒がせる伊調馨パワハラ問題、その「告発者B氏」こと安達功氏はU系を変えた人物だった!<関連企画>UWFが柔術を知った日〜道場はどう変わっていったのか〜 ■金原弘光――「伊調馨パワハラ問題」を告発した“告発者B氏”が、かつてUWFインターやキングダムでレスリングコーチをやっていた安達巧さんだったことにはビックリしました!https://twitter.com/bunshunho2386/status/971283046338097152 金原 いやあ、俺もまさか安達さんだとは思わなかったよね(笑)。安達さんとはUインターからの付き合いなんだけど。レスリングのコーチとしてオリンピックレスラーの安達さんがUインターに入ったんだよね。 ――そういう実績の人間を雇ってたって凄いですね。 金原 Uインターは和田(良覚)さんがレフェリー兼ウェイトトレーニングのトレーナー、ムエタイのトレーナー(ボーウィー・チョーワイクン)も雇ってたんだよ。 ――90年代の日本で、アメリカのメガジム並の環境が整ってたわけですね(笑)。 金原 ホントにそうだよね。治療のトレーナーが常駐していれば完璧だったんだけど。でもまあ道場からはちょっと遠かったけど、指定された場所に行けば会社が治療費を払ってくれたから。 ――金原さんがUインターに入門したたときには、安達さんはもうコーチをやってたんですか? 金原 俺が入ったあと。Uインターの末期のことだよ。  ――それまでのUインターはレスリングの練習はどうしてたんですか? 金原 それがまったくやってなかったんだよね。テイクダウンの重要性も安達さんが教わるまで全然理解できてなかった。Uインターのスパーリングはいかに関節を極めるかだったから。たとえばサク(桜庭和志)はレスリング上がりだからスタンドレスリングは強いんだけど、先輩とスパーリングをやるときはいつも若手から仕掛けなきゃならない。先輩は待ってるだけだから、タックルを切られちゃうんだよね。 ――スタンドの攻防にはならないんですね。 金原 結局グラップリングは極めっこしかやってなかったね。安達さんが入ってからテイクダウンが重要になって。グラップリングでいったん極まったら、またスタンドアップでやろうってことになったんだよ。以前は一度寝技になったら、たとえ極まってもその体勢から再開でしょ。この続きと、「プロレスとヤクザ」、中井りん、山田学、告発者B氏、安田忠夫、池田大輔などの記事がまとめて読める「15万字・24本の記事詰め合わせセット」はコチラ    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1461149   この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!  

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【3月のマット界ニコ生トーク】小比類巻貴之、山中vsネリ、ターザン山本、ミルコ…/ゲスト橋本宗洋

格闘技ライターの橋本宗洋氏をゲストに配信されたDropkickニコ生配信。その一部を再構成してお送りいたします!テーマは小比類巻貴之、山中vsネリ、ターザン山本、ミルコ…です!(聞き手/ジャン斉藤) ――新生K−1が告発した小比類巻貴之氏の横領問題ですが、小比類巻側が反論文を出しました。 橋本 これはもう受け取り方次第になっちゃうよね。K−1恵比寿の選手側の主張もあるでしょ。で、コヒはコヒで今回の反論文でお金に関しての説明もしている。俺らには細い契約内容を知らないから、どっちが正しいかなんてわからないよね。 ――小比類巻氏の知り合いの方で恵比寿ジムに通ってた方が書いた「小比類巻道場のこと」(https://note.mu/taejun/n/n66394de9854d)を読んだんですけど。 橋本 あー、読んだよ。 ――「ある程度バイアスがかかってしまいますが」とあるんですが、ある程度ところのバイアスじゃないんですよ。小比類巻氏を擁護した挙句、返す刀で選手を批判している。こうやって感情的にたたみかけれると「小比類巻側が悪いんじゃないかな……」って思っちゃったくらいで(笑)。 橋本 結局それはそれで一方の意見だもんね。ホントどうなってるのかわからないよね。 ――同じようにトライハードジムと新生K-1側の騒動もよくわかんないですね(この配信はトライハードジム記者会見の前に収録されたものです)。どちらかを悪者にしたい向きはあるかもしれませんが、明らかになってないことが多くて。 橋本 俺は格闘技の仕事もしてるし、格闘技が好きだから「どっちもどっちでしょ」なんて言うつもりはないし、一番言いたいことは選手のキャリアを大事にしてほしいってことだよね。コヒだって今後のキャリアがかかってる。 ――新生K-1は立て続けにこういう事件が起きちゃいましたね。 橋本 新生K-1旗揚げのときに「100年続くK-1が目標」と言ってたわけだから、いまのうちにハッキリさせて直すところがあるなら直さないと、もっと大きな問題になりかねないから。逆にこれが正常化なんだってことなのかもしれないけどね、K-1にしたら。 ――以前から天心vs武尊実現についてファンの間で騒ぎになってるじゃないですか。新生K−1がこの件についてわざわざ発信する義務はないんですけど、リアクションが薄いせいもあって新生K-1が閉鎖的に見えてしまってるのが残念ですよね。最近レスリングや相撲でも内部告発が続いてますから、組織のあり方が問われる風潮もありますし。 橋本 本当に問題があったらきちんと解決したほうがいいと思うけど、その流れの中でイメージだけでいろいろと言っちゃうのも無責任だから。イメージだけで言うのはマスコミの仕事ではないからね。 ――視聴者から「K−1オフィシャルジムに上納金はあるんですか?」という質問がありますが、そんなこと知るわけない(笑)。 橋本 どういう契約なのかわからないから、なんとも言えないんですよ。 ――実際にK−1オフィシャルジムを運営してみないとわからないですよね。俺が実際にやってみればいいのか、「K-1 GYM Dropkick」を。「ああ、こんなシステムなんだ」みたいな(笑)。 橋本 そうだよ(笑)。 ――そもそも認可されないと思います(笑)。あくまでも個人的な考えですけど、厳しいジム運営条件を課して潰れてもらってもK−1側は困るでしょ。 この続きと、「プロレスとヤクザ」、中井りん、山田学、告発者B氏、安田忠夫、池田大輔などの記事がまとめて読める「15万字・24本の記事詰め合わせセット」はコチラ    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1461149   この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!  

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