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元パンクラス尾崎、天龍vs週プロ、新倉史祐の新日道場伝説、大山峻護・引退■詰め合わせセット
2014-09-30 23:59550pt
非会員でも購入できる大好評インタビュー&コラム詰め合わせセット! part8は大好評インタビュー5本、コラム2本、6万字オーバーが540円!! そのほかの詰め合わせセットはコチラ■元パンクラス社長・尾崎允実が語るU系の深層!「前田日明とも昔は仲は良かったんですよ」■小佐野景弘の「プロレス歴史発見」! 天龍源一郎vs週プロ、SWS崩壊劇を語る!■新日、ジャパン、SWSを流浪した新倉史祐が語る昭和・新日本プロレス道場伝説!SWSの真相!!■大山峻護、引退――PRIDE青春残酷物語「ハイアン、ヘンゾ戦はトラウマになりました……」■MMAオレンジ色の手帖、大好評グルメ記事 「後楽園ホール編」「新宿FACE編」■【UFC秒殺デビュー!!】佐々木憂流迦「才能はないけど、選ばれた人間だとは思いますよ」■今回の「総合格闘技が生まれた時代」シリーズは、元パンクラス代表の尾崎允実氏が登場!93年に船木誠勝や鈴木みのるとともにパンクラスを立ち上げた尾崎氏は、90年代の狂った熱を全身で受け止めたひとりである。第二次UWF、パンクラス、リングスとの抗争、マスコミとの確執……15000文字インタビュー!――いまは映像制作のお仕事をされている尾崎さんですが、かつてパンクラスで苦楽を共にした船木(誠勝)選手や鈴木(みのる)選手とは連絡は取ってるんですか?
尾崎 鈴木とはたまに電話で話す機会はあるんですけど。船木はないですね。
――べつの仲が悪くなったわけじゃないんですよね?(笑)。
尾崎 というわけではないんですけど。いやもう、船木と過ごした時代は本当に大変だったので(苦笑)。
――凄い時代でしたよね。
尾崎 あの頃を振り返れば、鈴木は放っておいても安心できたんです。よけいなことを言わなくても任せておけばいいというか。船木のことは信用してないわけじゃないんですけど、なんて言えばいいか……。
――船木さんは研究に没頭する学者タイプですよね。そういう人間に向き合うとすると全勢力を傾けないといけなくて。
尾崎 だから大変なのかもしれませんね。でも、彼と一緒にいなかったら経験できなかったことばかりで。それは鈴木にも言えることなんですけど、パンクラス以前の(新生)UWFの頃から付き合いがありましたから。
――そもそも尾崎さんはパンクラスを始める前に何をやられていたんですか?
尾崎 もともとボクは大学生のときにアルバイトで『月刊プロレス』編集部に入ったんです。
――『週刊プロレス』の前身ですね。
尾崎 ええ。どうして『月刊プロレス』に入ったかといえば、ボクは映像制作志望だったということもあって、テレビ朝日でアルバイトADをやってたんですよ。それで『おはようテレビ朝日』の現場にいたんですが、そのときサブ司会をやっていた古舘(伊知郎)さんと親しくなって。でも、テレビ朝日のアルバイトADというのは1年契約。その契約が終わったときに古舘さんを通して紹介してもらったのが『月刊プロレス』なんです。
――というと、古舘さんとはかなり親密だったんですか。
尾崎 メチャクチャ仲は良かったです。古舘さんに「手伝ってくれ」と言われて、テレビ朝日のアナウンス部で『東スポ』のプロレス記事をスクラップにまとめてたこともありましたし。
――当時の『月刊プロレス』編集長は杉山(頴男)さんですよね?
尾崎 そうですね。次長で変な奴がいましたけど(笑)。
――ハハハハハハ! 「変な奴」というとターザン山本さんですかね。
尾崎 あのときターザンとは2回も大喧嘩しましたけどね。怒ったターザンから「おまえはクビだああ!」と言われたんですけど、「あんたに雇われてるわけじゃない!」って怒鳴り返しました(笑)。
――その関係はのちのちまで続くわけですか(笑)。
尾崎 『月刊プロレス』時代はアルバイトとはいっても、試合レポートを書いたりして、ほぼ記者としてやってましたよ。『デラックスプロレス』の編集もやっていたし、『プロレスアルバム』でハルク・ホーガンやタイガーマスクの特集もサブでやってたし。船木や鈴木がプロレスラーとして影も形もない頃からこの業界には関わってるんですよね。それでそのときに一番仲が良かったのは高田延彦。
――あ、そうだったんですか。
尾崎 高田延彦とはそこから個人的な付き合いが始まって。結局『月刊プロレス』には2年くらい在籍してたのかな。古舘さんとの約束でやめることになったんですよ。
――古舘さんの約束というと?
尾崎 古舘さんとは「俺がテレビ朝日から独立するときはおまえも一緒に来い」という約束をしてて。それで古舘プロジェクトが立ち上がったときにボクも参加して。古舘さんのマネージャーとして働くことになるんです。
――古舘さんは売れっ子でしたから相当忙しかったんじゃないですか。
尾崎 休みが1日もないくらいメチャクチャ忙しかったですよ。古舘さんがベッドに入ってから自分の家に帰って、古舘さんが起きる前に迎えに行って。
――その頃も古舘さんは『ワールドプロレスリング』の実況をやられていたんですか?
尾崎 やってましたね。地方会場で実況の仕事があるときは、会場に入る前に市役所や観光案内所に寄ってそこの土地柄を調べて、そのメモを古舘さんに渡すんです。
――そのメモが実況の前口上なんかに使われたりするんですね。
尾崎 そうそう(笑)。だから新日本の会場にはけっこう出入りしてましたよ。あれは蔵前国技館だったかなあ。「ブルーザー・ブロディが出る、出ない」で大騒ぎになって。控室にボクと古舘さんがふたりでいたら、山本小鉄さんが「大変だ。ブロディが試合をやらないかもしれない!」って慌ててやってきたことはおぼえてますね。
――ホテルの部屋に立てこもったブロディを小鉄さんが「試合に出ないから俺はここで切腹する!」と逆に脅して出場させた事件ですね。
尾崎 ボクも小鉄さんには凄くお世話になってるし、船木の引退興行のときに花束贈呈で来場してくださったのは、そういったつながりもあったんですよね。だからボクはパンクラスで急にプロモーターになったけど、もともとこの業界にはいろいろとつながりはあったんですよ。
――そこから船木さんたちはどうやって知り合うんですか?
尾崎 ボクが古舘さんの事務所をやめて、ある芸能プロダクションのマネージャーをやってるときに、高田のテーマ曲を作ることになったんです。『クロスファイヤー』っていうタイトル。
――そんなことまでやってたんですか(笑)。
尾崎 作曲はボクの義理の兄貴。パンクラスのテーマ曲も作った男なんですけど。
――あの名曲『Hybrid Conscious』を!
尾崎 あれはボクが兄貴を騙して作ってもらったんですよ。旗揚げ前でお金がなかったのに(笑)。『クロスファイヤー』のB面は高田ちゃんが歌が上手いから歌ってもらったんですけど。
――高田さんの歌い口調って完全にハウンドドッグなんですよね(笑)。
尾崎 『クロスファイヤー』のときもそんな感じでしたよ(笑)。そのときに彼の紹介で新生UWFの神(伸二)社長に会ったんです。そういった縁からボクがUWFのレーザーディスクを作ることになったりして。レーザーディスクの中でボクが選手と語り合ったりもしてるんですよ。
――では、Uの選手とは顔見知りだし、因縁の前田(日明)さんとも当時は仲が良かったんですか?(笑)。
尾崎 ……当時はね(苦笑)。
――ハハハハハハハハ!
尾崎 映像関係はレーザーディスクだけじゃなくて、UWFはTBSで2回だけ放映したでしょ。あれもボクが神さんに話を持ってたんですよ。UWFの地上波は後にも先もあの2回だけ。番組テロップにボクの名前が入ってます(笑)。
――新生UWFは前田さんと神社長らフロント陣の揉め事をきっかけに解散しますが、あのときいったい何が起きていたですか?
尾崎 うーん、これは話がかなり長くなるし、全部は書けないですよね(苦笑)。だって、ボクも渦中にいましたから。
――渦中に!
尾崎 話せる範囲で言うと、渋谷・道玄坂で雀荘をやってる人がいて、その方はのちにリングスのフロントに入るんですけど。UWFの解散宣言が出る前にその雀荘に選手をみんな集めて「一緒にまとまってやっていこう」という話し合いがあったんです。その場にはボクもいたんですけど、なぜかいたかというと、各選手と仲の良かった数少ない男だったし、UWFをWOWOWで放映するって話を持っていったのは僕絡みだった。
――新生UWF幻のWOWOW中継は尾崎さん仕事だったんですね。
尾崎 あのときはみんながバラバラになりそうだったけど、「WOWOWから5億出るから!」という話でなんとか引き止めて。
――5億!
尾崎 5億ですよ、5億。選手全員が(第三次UWFを)やるんだったら。あの話し合いには藤原(喜明)さんと中野(龍夫)選手はいなかったのかな。そういえば、その話し合いの前に前田氏に呼ばれるんですよ。「尾崎さん、フロントとして入ってくれ」っていうことで。
――はー! いまとなってはなんだか面白い(笑)。
尾崎 そのときは断ったんですけどね。そんな気はまったくなかったから「選手の相談には乗るけど、あくまでボクは映像や出版関係の仕事がやりたいだけだから」と。
――そこまで尾崎さんがUWFに関わっていて選手と仲が良かったとなると、のちに前田さんがいろいろと疑心暗鬼になるのはわかりますね。
尾崎 UWFや前田氏にはずいぶんと力を貸したつもりだったんですけどね(苦笑)。
――しかし、そんな雀荘会談があったのに、前田邸の選手ミーティングで「解散宣言」が飛び出したのは驚いたんじゃないですか?
尾崎 そりゃあ驚きましたよ。雀荘でみんなで「よかったね」って喜んでいたばっかりだから。
――あの選手ミーティングで前田さんが選手たちに「俺を信用できるか?とたずねたら、安生(洋二)さんと宮戸(優光)さんのふたりが「できない」と答えたことが解散宣言につながったという話になってますよね。
尾崎 という話にはなってるけど。ボクが聞いてる話とは違うんですよね。「信用しますけど。でも……」と。「でも」がついたんですね。ふたりの真意はわかりませんけど。あの夜にまず鈴木から電話があったんです。そのあとに船木。鈴木は泣いてたんですよね。「前田さんが解散と言いました……」と。こっちとしても寝耳に水だから「何それ……?」と驚いて前田氏に電話をした んですよ。「なんでそんなことを言ったんですか。みんなバラバラになっちゃいますよ」と。
――はー!!
尾崎 前田氏は「選手に冷や水をぶっかけっただけだ」って。本気で解散するつもりはなくて、要は冷却期間を置こうとしたんでしょう。でも、解散となったら藤原さんも自分ひとりでやろうとするはずだし。……いいのかな、こんなことしゃべっちゃって?
――大丈夫です! たぶん(笑)。もう20年以上前のことですし。
尾崎 まあ、事実だから、誰かにとやかく言われることもないんだけど。
――藤原さんが雀荘会談に来なかったのは独自でやる考えがあったからですか?
尾崎 いやいや、藤原さんはあの場に来るのが面倒くさかっただけでしょう(笑)。そういう場でしゃしゃり出てしゃべる人ではなかっただけで。
――前田さんとの電話に話を戻すと、前田さんはどんな反応だったんですか?
尾崎 ボクがそう言ったら慌ててましたね。「どうしたらいい?」って聞くから「船木とか若い選手を抑えたほうがいいですよ」と。あのとき前田氏が船木のマンションの前で船木の帰りをずっと待ってたという有名な話があるじゃないですか。それはボクが前田氏にそう言ったからですよ。
――でも、船木さんには帰ってこなかったという。
尾崎 それで結果的に3つに分かれて……いや、ボク的には4つだな。神さんとも仲が良かったわけだから。高田ちゃんや前田氏、みんなと仲は良かったし、どこにもいい顔をするわけにはいかない。どうしようもなかったですね。
――尾崎さんは3つに分裂すると思ってました?
尾崎 思わなかったです。
――どうなると思ってました?
尾崎 うーん、「うまくはいかないだろうな……」と思ってましたけど。まずリングでやりたいことがみんなバラバラだったから。
――そのカラーの違いは分裂後にハッキリしましたね。でも、こないだ船木さんにインタビューしたら「そこまで格闘技をやりたいわけじゃなかった」とは言ってましたけど。
尾崎 うーん、それはいまになって言えることじゃないかなあ。船木が藤原組に行ったのは、パンクラスのスタイルができるという理由だったはずだし。だってUWF時代にも前田氏に「UWFを格闘技にしたい」とお願いしたら「5年待ってくれ」と言われた話があったでしょ。
――そこにはいろんな思惑があったのかもしれませんね。高田さんとの関係はどうなったんですか?
尾崎 いまでもたま〜に話はしますよ。でも、電話に出てくれなかった時期が2年間くらいあったのかな。
――理由は思い当たりますか?
尾崎 おそらくだけど、ボクが当時Uインター所属だった田村潔司をパンクラスに引き抜こうとしてるということかなあ。田村選手が自分の本で「パンクラスに誘われた」とか書いてたんですけど。それじゃないかなあ、と。
――パンクラスは誘ってないんですよね?
尾崎 誘ってないです。でも、田村選手は鈴木を通して「話をしたいことがあるから会ってほしい」という連絡があったんです。それで向ヶ丘遊園のファミレスで待ち合わせをして。田村選手はボクに会うなり立ち上がって「ボクを引き抜いてくださいっ!!」って言うんですよ(笑)。
――ハハハハハハ!
尾崎 「ちょっと待ってくれ。俺は高田との関係もあるから引き抜きなんてできないよ」って断ったんですけど。その3日後くらいにも、ある関係者から「尾崎さん、田村のギャラ月●●円でいいからパンクラスで契約しれくれないか」という連絡があったんですけどね。結局その後に彼はリングスに行くんですけど。
――でも、高田さんはパンクラスが田村さんを引き抜こうとしたと思ったんですかね。
尾崎 そこは本人に聞いてみないとわからないですけどね。でも、いまは普通に連絡は取れるようになりましたから、誤解は取れたでしょ。私の本にも引き抜きは事実誤認だと書いたし(笑)。
――話をパンクラスで設立前に戻すと、船木さんとは藤原組時代も付き合いはあったんですか?
尾崎 藤原組の映像関係の仕事をちょっとやってたんですよね。そういったこともあって、船木たちが藤原組を出たときに「パンクラスの社長をやってくれ」とお願いされたんですよ。
――尾崎さんは当初は社長就任を断ったんですよね?
尾崎 そうです。ボクは芸能・番組制作のプロダクションを作ったばっかりでお金もなかったですし。手伝えることは手伝おうと思ったけど。だから藤原組の寮を出て住むところがない國奥(麒樹真)、柳澤(龍志)、稲垣(勝臣)たちに、プロダクションで借りてた乃木坂のマンションを貸してあげたりして。そこは住居用じゃなくて事務所用のビルなんですよね。そんなところで彼らがちゃんこを作るから、その匂いがビルにこもちゃって騒ぎになっちゃいましたね(笑)。
――やる気がなかったのに社長を引き受けた理由はなんですか?
尾崎 脅された(笑)。
――ハハハハハハ!
尾崎 ホントにやるつもりはなかったんだけど。船木たちが「どれくらいお金が必要ですか?」と聞くから「3000万円くらいは必要なんじゃないの」と言ったんです。そうしたらみんなでその大金を集めてきたんですよ。
――そこまでされて断りきれなくなってきたんですね。
尾崎 鈴木は「尾崎さんは俺たちを見捨てるんですか?」というセリフまで吐きましたからね(笑)。「そこまで言うか」と思って、一緒にプロダクションを立ち上げた6人がひとりでも反対したらやらないという条件を鈴木に出したんです。そうして6人全員をひとりひとり呼び出して聞いたら全員が「やるべきです!協力しますよ!」と。
――尾崎さんがパンクラスをやりたくなかった理由はなんですか?
尾崎 やりたくないというか、その当時、自分のやりたい仕事はプロモーターではなく映像制作、そしてマネージメントでしたから。
――嫌なんじゃなくて本当にやりたいことがあったわけですね。
尾崎 そうそう。それで、とりあえず「やる」とは言ったけど、数年のあいだにボクの代わりを探して身を引くというのが考えだったんです。それに興行なんかやったことないから最初は右も左もわからないわけですよ。チケットをどこで売ればいいのかもわからない(笑)。
――最初は道場もなかったわけですよね。
尾崎 道場向けのいい物件があっても、「プロレスの道場で使う」と聞くと断られるんですよ。当時は「総合格闘技」なんて言葉はなかったし、選手はプロレスラーって名乗ってましたから。
――旗揚げ戦は最初からNKホールでやろうとしてたんですか?
尾崎 NKホールしか空いてなかったんです。ある程度の大きさの箱で日曜祭日で借りれるところがね。5月に記者会見をやって旗揚げが9月21日。そのあいだにやったことといえば、東京FMホールの有料公開スパーとトークショーくらいですよ(笑)。
――船木さんたちから、パンクラスのコンセプトは聞いてたんですか?
尾崎 聞いてはいても、ホントに格闘技をやるとは思ってなかったんですね。いずれはやるにしても、旗揚げ戦ですぐにやるとは思ってなかった。
――社長もビックリという。
尾崎 ボクはリング上のことは「一切口を出さない」と言ってたんですけど。ボクはボクで新しいことをやろうとしてたんです。たとえば、ほとんどの仕事は業界外の人間にやってもらおうとしたりね。デザイナーやコピーライターの方には何人か会ったんですけど、「プロレス好きですか?」と聞いて「あんまり……」という人にあえてお願いしたんですよ(笑)。従来とは違う色をパンクラスでは出したくて。
――デザインもコピーもパンクラスは新しかったですよね。
尾崎 画期的だったと思いますよ。「ハイブリッドレスリング」という言葉もそのコピーライターが作ったし。カメラマンもプロレスを撮ったことない方に頼んで。団体ロゴとコピーに関しては請求された金額は300万円。
――300万円!
尾崎 そりゃそうですよ。会社のロゴだし、一流の方に頼んだんだから。300万円でも安いかもしれないです。
――でも、300万円を払ったかいはありましたね。
尾崎 いや、それが払ってないんです(笑)。旗揚げに用意したお金が3000万だから、そのうち1割も払えないじゃないですか。パンフレットなどの仕事をレギュラーでやってもらうことで破格の金額にしてもらったんですけど(笑)。
――旗揚げ戦のチケットは売れました?
尾崎 売れました。チケットの値段はボクからしても「高いかな」と思ったんですけど、実券で7〜8割は売れたはずですね。あそこは6〜7000人は入りましたから、けっこうな売上になりましたよね。全部で5試合しか組んでいないのに。
――試合タイムは全試合で13分ちょっとで。
尾崎 いまでもおぼえているのは大会が終わって会場を片付けているときに、あのターザン山本が近寄ってきて「おまえ、何をやったのかわかってるのか!?(怒)」って絡んできたんですよ……。 -
非会員でも購入可能 ! 大好評インタビュー詰め合わせセットシリーズ一覧
2014-09-30 23:58【非会員でも購入可能 インタビュー詰め合わせセット各540円】
part1■ 中井祐樹「ボクシングができるアントニオ猪木が理想でした」■朝日昇「本当に怖い昭和格闘技」、他インタビュー
part2 ■菊田早苗「新日本は刑務所、Uインターは収容所だった」■矢野卓見、堀辺正史を語る「骨法は俺の青春でした」
part3■【元レフェリーの衝撃告白】「私はPRIDEで不正行為を指示されました……」■小比類巻貴之「ミスターストイックのキャラは正直、しんどかったです」
part4■エロマンガ家・師走の翁が語る「JKリフレプロレス技事件」■ヤノタク、再び骨法と堀辺正史を語る■平成の仕掛け人・永島勝司「アントニオ猪木と北朝鮮」■クロン・グレイシーのMMAデビューを10倍楽しむ方法
part5 ■地獄の合宿から前田日明襲撃事件まで!山田学が無謀な冒険を続けた理由■元・骨法の内弟子・北條誠「矢野くんも皆 -
「中井りんは環境を変えるべきか」「ザ・解説業」■川尻達也のUFC日本大会トーク
2014-09-28 21:3355pt網膜剥離からの再起を目指している日本人UFCファイター、川尻達也。9月のUFC日本大会ではWOWOW中継の解説者として参加したが、あらためて興行の感想をうかがった。元パンクラス社長・尾崎氏インタビュー、新日本プロレス道場伝説が読める!9月度更新インタビュー&コラム記事一覧はコチラ!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar631033――川尻さん!今日は大好評で幕を閉じたUFC日本大会についてお聞きします。
川尻 面白かったですねー。3年前の1回目のときは自分でチケットを買って見に行ったんですよ。
――あ、ご自分で(笑)。
川尻 去年もチケットを買ったんですけど、胃腸炎で寝込んでいて行けなくて(笑)。たしか娘も風邪かなんかで入院していたせいもあったんですけど。今回は1回目より盛り上がっていたというか、ひさしぶりに熱気のあるさいたまスーパーアリーナになったというか。
――たまアリは会場の広さを自由にできますけど、一番小さいバージョンでやったことで熱が凝縮された感じはしますよね。
川尻 逆にそれがよかったかもしれませんよね。ホント熱かったですよね。
――今回の川尻さんはWOWOW中継の解説としての参加でしたが、板についた仕事ぶりでしたね。
川尻 こう見えて、解説の仕事はけっこう長いですからね。BJペンvs五味(隆典)くんの解説もやってますからね(笑)。
――あの伝説の!
川尻 伝説といえば、修斗名古屋大会の解説もやってるんですよ。
――伝説の名古屋大会?
川尻 ある選手が勝ったあとにリング上で何を言うかと思ったら「◯◯先輩との約束なので歌います! おっぱい、乳首、モミモミ〜♪」って歌い出して。みんなドン引きですよ!!(笑)。
――解説の話と全然関係ないですよ!(笑)。 -
日本未公開MMA映画『WARRIOR』■高橋ターヤンのバトル映画地獄変④
2014-09-28 21:1755pt映画ライターで北米MMA事情通の高橋ターヤンがプロレス格闘技関連の映画を紹介するコーナー。第4回は日本未公開MMA映画『WARRIOR』です!
映画ライターを長年やらせて頂いていると、「なんでこの作品が日本で公開されないのか……」と思える作品に出会うことが比較的多い。特に昨今の映画会社はやたらと「女性目線」の映画ばかりを重用し、「男の男による男のための映画」というのは敬遠されてしまっているような気がする(まあこれは男が映画館に行かなくなったからなんですが)。
そんな未公開映画の中でも、制作国のアメリカをはじめとする世界で評価が非常に高いにも関わらず、まったく日本での公開のアテが無い作品が今回ご紹介する『WARRIOR』である。 -
9月度更新!インタビュー&コラム記事一覧
2014-09-26 10:15・道場破りから前田日明vsルスカまで……新倉史祐「俺が見た昭和・新日本プロレス伝説」・【愛と苦しみのPRIDE物語】大山峻護、引退――「ハイアン戦の恐怖はしばらく消えませんでした」・【総合格闘技が生まれた時代】元パンクラス代表・尾崎允実「前田日明とも仲は良かったんですよ」ほか、多数のインタビュー&連載コラムが入会すれば読めます!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/201409 -
UFC日本大会に見えた「ジャパニーズMMAの逆襲」■大沢ケンジ
2014-09-26 09:4355pt和術彗舟會HEARTS総帥・大沢ケンジの格闘技解説コーナー。今回のテーマは「9・20UFC日本大会」です!――今回はUFC日本大会についていろいろとおうかがいします!
大沢 自分は会場で観たんですけど、かなり熱気がありましたねぇ。UFCの会場だとお客さんも外国人っぽく振る舞いますよね。「ヒュ〜〜!」みたいな(笑)。日本の格闘技興行の比べると楽しんでる雰囲気が表に出てましたよね。
――UWFの昔から、試合をおとなしく見るという風習がまだ残ってるんですかね(笑)。
大沢 日本人は見たものが面白かったら楽しむんですけど、外国人は楽しむために来てるから、つまんなかろうが騒ぐんですよねぇ。あの盛り上がりを感じると、なんかこう……もうちょっと現役をやっていれば良かったなあって(しみじみと)。
――引退をうらやむくらいの盛り上がり(笑)。
大沢 もっと真剣にやっていればUFCに行けたんじゃないかなって。くやしい思いが強いですよねえ。まあ、こうして格闘技ジムをやっているかぎりはこういう気持ちは出てくるんでしょうけど。やっぱり金(原正徳)ちゃんが勝ったことでよけいにそう思いましたね。
――金原選手はUFCデビュー戦でバンタム級ランカーのアレックス・カサレスに判定勝ちを収めました。
大沢 金ちゃんって、すっごい強いんですよ、練習でも。「これはちょっと勝てないなあ」と感じることがあって、それは自分が引退を決めた要素のひとつでもあるんですよ。その金ちゃんがいつになってもUFCに出られない。「このまま埋もれていくのかな……」というムードもある中で、今回やっと出場を果たして、ランキング10位の選手を1、2ラウンド圧倒して。2ラウンドの途中に拳を骨折したから3ラウンドは守りに入りましたけど。それでも余裕を持って戦ったわけじゃないですか。日本のトップなんだからランキング10位くらいはぶっ飛ばせるわけですよね。 -
UFC日本大会終了! 米メディアはどう報じたか■MMA Unleashed
2014-09-26 09:3355ptOmasuki Fightの北米MMA抄訳コラム。今回は好勝負が連発された「UFC日本大会」北米での反響!
「日本MMAの再建は堀口にかかっているのかもしれないと好意的に報じている」先週末、UFCさいたまスーパーアリーナ大会が盛況のうちに終了した。今回のMMA Unleashedでは、この大会を米メディアがどう報じ、どう評価したかをまとめてみようと考え、情報収集をしてみたのだが、結果から言えば実は期待したような情報を得ることができなかった。
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格闘技版「孤独のグルメ〜新宿FACE編〜」■MMAオレンジ色の手帖<File⑥>
2014-09-25 09:1955pt格闘技ブログ「MMA THE ORANGE」の管理人オレンジがディープなエピソードをお届けする「MMAオレンジ色の手帖」! File⑥は プロレス格闘技会場でもおなじみ新宿FACEのグルメスポット! 読めば食べたくなる5店舗を紹介します!前回更新した「格闘技版孤独のグルメ~後楽園ホール編~」にたくさんの反響ありがとうございます。格闘技ファンの「食」への興味の凄まじさをまざまざと感じています。そこで今回は調子に乗って第2弾。修斗やDEEP JEWELS等がよく開催される新宿FACEに焦点を当て、会場近辺のグルメスポットを紹介していきたいと思います。新宿と言えば「破天荒」、「型破り」という言葉がピッタリなステーキ・ハンバーグのお店「ガッツグリル」を取り上げないわけにはいかないでしょう。何が「破天荒」で「型破り」なのかと言うと、なんとメニューに載っている料理が全て食べ放題! ヒレ、カット、ハラミといったステーキ各種からハンバーグ、タコスにガーリックライス、カレー、サラダ、デザートを好きなだけ注文出来ます。しかも、食べ放題にありがちな作り置きではなく、注文を受けてから一品一品調理するので、料理のクオリティが高くどれもこれも美味い。どの料理で胃袋を満たすか毎回うれしい悩みに陥ります。中でも絶対に注文してほしいのが「マグナムステーキ」。1kg近くはあるであろう肉の塊をテーブルの鉄板で店員さんが焼き上げてくれます。この肉の厚みと旨味たるや圧巻の一言。食べ盛りの若手格闘家ご一行がマグナムを5回も注文して店員をひきつらせたのも頷けます。さらにお酒飲み放題もついてお値段は驚異の3,650円! 新宿FACEから少し歩きますが、それを差し引いても絶対に立ち寄りたいお店です。ちなみに予約必須なのでご注意ください。(この続きはお買い得な「好評記事の詰め合わせセット」でも購入できます) -
道場破りから前田日明vsルスカまで……新倉史祐「俺が見た昭和・新日本プロレス伝説」
2014-09-23 08:56110pt鬼も逃げ出す昭和・新日本プロレスの過酷な練習を耐え抜きプロデビューを果たし、その後はジャパンプロレスやSWSで活躍した新倉史祐さん。現在は渋谷で飲食店「巨門星」を経営している。好評連載中の小佐野景浩氏「プロレス歴史発見」では“全日本プロレス側”の視点からSWSが語られているが、元・新日本である新倉さんは“恐竜団体”の崩壊をどのように見ていたのだろうか? 昭和・新日本道場秘話ととも12000文字のボリュームでお届けします!
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非会員でも購入できる! 単品購入できるインタビュー詰め合わせセット! part7は大好評インタビュー5本立て6万文字が540円!! ■元『週刊ゴング』編集長・小佐野景浩「ジャイアント馬場vs天龍源一郎」とは何だったのか■衝撃告白! 船木誠勝が語る90年代プロ格の時代「俺は真剣勝負をやるつもりはなかったんですよ」■格闘家・桜井隆多は神様の弟子だった!「ゴッチさんがハーモニカを吹いて待ってたんです」■UWFと修斗の鬼っ子!キングダム入江秀忠が見た「総合格闘技が生まれた時代」■ベラトール参戦!所英男「もう一度、人生を変えられる試合がしたいです」
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その他の詰め合わせセットはコチラ!
――このメルマガは90年代のプロレス格闘技ネタが好評なんですよ。
新倉 90年代のプロレスというと闘魂三銃士あたり?
――あとは新倉さんも参加されていたメガネスーパーのプロレス団体SWSですね。
新倉 はいはいはい。俺の本(『プロレスラーの秘密』『プロレスラーの秘密2』)にはSWSの話がぜんぜん載ってなかったでしょ?
――あの本は本当に面白いんですけど、そこが凄く気になったんです。SWSに関しては意図的にブレーキをかけているのかな?って。
新倉 うーん、ただSWSはネタがなかっただけなんだよねぇ。あんまり楽しくなかったから。
――楽しくなかった!(笑)。SWSはプロレスファンからかなり叩かれてましたよね。
新倉 だよね。『週プロ』の(ターザン)山本さんが先頭に立って。俺も最近は取材も受けてないし、たぶん話す機会もないだろうから、SWSのこともバンバンしゃべるよ(笑)。
――よろしくお願いします! SWSの話題の前に90年代ってプロレスが格闘技に変換していくエネルギーに満ちた時代でしたけど、その原点は新倉さんも汗を流した昭和・新日本道場だと思うんです。
新倉 だよね。総合格闘技は猪木さんから始まってるから。
――新倉さんも三迫ジムに通ってボクシングを相当やられてましたよね?
新倉 たまたまなんだけど、家の近くに三迫ジムがあったんだよ。もともとボクシングが大好きでモハメッド・アリやジョージ・フォアマンを見てたし、プエルトリコのロバート・クレメンテ・スタジアムで馳(浩)とのタッグで試合をしたときには感激しちゃってね。だってフォアマンがそこで試合をしたことがあるから。「ああ、フォアマンが戦っていた場所だ!」って。
――かなりのボクシングマニアだったんですね。
新倉 ヘビー級のタイトルマッチはほとんど見てるから。新日本プロレスに入る前からボクシングの練習はしてたしね。
――それでこなだい船木(誠勝)さんに話を聞いたら新日本の道場はほんとどシュートの練習しかやってなかったとか。
新倉 そうだよ。受け身の練習はほとんどなかった。
――船木さんが全日本に参戦したときに渕(正信)さんと話をしたら「受け身の練習量が全日本とは100倍違った」と。
新倉 俺もジャパンプロレスにいたから全日本の練習を知ってるけど、「新日本とこんなに練習方法が違うか」ってビックリしたもんだよ。新日本はフィジカルが7割、セメントが3割。受け身の練習は空いてる時間に勝手にやれって感じでしたよね。
――そこまで徹底してたんですね。
新倉 練習にマスコミの取材が入るとシュートの練習はやらないんですよ。バーベルやスクワット、プッシュアップ、コシティを見せる。あれは取材用の練習でもあるんだよ。
――コシティは取材用の練習!
新倉 会場でシュートの練習をやるときは取材陣を全員外に出してね。誰にも見せないのは猪木さんの方針なんです。あとシュートじゃない練習をやってると猪木さん機嫌が悪いから(苦笑)。シュートの練習をやってると機嫌がいいんだよねぇ、猪木さん。
――そんな新倉さんからすると、全日本の練習はビックリしますよね?
新倉 ジャパンのときの長州さん、毎日ピリピリしてた。4時半頃、試合会場に眠たそうに入ってくる天龍さんや鶴田さんの姿を見て「アイツら、死んでるよなーっ!!(怒)。そう思わねえか新倉?」って吐き捨てるように言ってたね。
――それくらい練習の取り組む姿勢が違ったんですね。
新倉 俺たちが4時くらいからリングを占領してることに焦った馬場さんが3時に会場入りするようになりましたからね。三沢(光晴)、川田(利明)、(ターザン)後藤、小川(良成)くん、ハル園田さん、渕さんとか連れて受け身の練習をしたりして。それで4時頃に俺たちが来るとリングを空けてくれてね。
――ジャパンの存在は全日本にとって大きな刺激になったんですね。
新倉 試合内容も変わっていったしね。それまで鶴田さんなんかは笑いながら試合をやっていたんでビックリしましたよね。そんなことは新日本ではありえなかったし。
――鶴田さんってそんな練習量で長州さんと60分フルタイムやっちゃうんだから素材は一流だったんですね。
新倉 そこは持って生まれたものだよね。スタミナは凄かったですから。練習をもっとやっていたら、もっと凄いことになってたんじゃないですか。身体能力は本当に高かったから。
――ところで長州さんはレスリングでオリンピックまで出たバリバリの競技者だったこともあって、セメントの練習は好まなかったという話ですけど。
新倉 あまり好まなかったほうですね。どっちかというとフィジカル中心でコンディションを充実させていくほうで。長州さんはアマレスで人を倒すことにかけては凄かったんですけど、寝技はそんなに強くはなかった。あるとき「長州さん、ひさしぶりにグラウンドをやりましょうか?」って聞いたら、辺りを見渡して「馬鹿野郎、おまえに負けたらどうするだ?」って。
――そこはイメージを大事にするんですね。
新倉 新日本の下からやってる若手は藤原(喜明)さんから寝技を教わってることを知ってるんで。
――当時の新日本のスパーというのは亀の状態から始まるんですか?
新倉 立ちからもやりましたよ。相撲みたいな感じで。荒川さんや藤原さんは相撲は強かったんで。あとボクシングのグローブを嵌めたまんまでスパーリングをよくやりましたよ。
――それは面白いですね。
新倉 俺は相手をロープに追い詰めたところを転がして、寝技で極めるのが得意で。グローブつけてるからスリーパーや逆十字しかないんですけどね。藤原さんから「お、やるじぇねえか」と褒められて嬉しかったもんですよ。
――いまの総合みたいな練習もされてたんですね。
新倉 だから佐山(サトル)さんや前田(日明)さんがUWFの流れに行くのは自然だったと思いますよ。
――藤原さんといえば、地方巡業中にキラー・カンさんとのシュートマッチがあったんですよね。
新倉 あれは凄かったですね。
――ふたりの仲は悪かったんですか?
新倉 というか、小澤(正志、キラー・カンの本名)さんが自慢するんですよ。「MSGで1試合いくらもらった」とか(笑)。前座からずっとやってる藤原さんからすると、それが面白くなかったんですよね。それであるとき小澤さんが入場するときリングに上がるハシゴを出す若手が誰もいなくて、仕方なく藤原さんが用意することになったんですけど、そのハシゴをわざと逆さにしたんですよ。
――嫌がらせをしたんですね(笑)。
新倉 そうしたら小澤さんが「藤原、あんなことするな!」と怒って。それに藤原さんもカチンときて。たまたまその翌日に藤原さんと小澤さんのシングルマッチで組まれちゃってねぇ。
――それで藤原さんが仕掛けたんですか!
新倉 試合前の合同練習で藤原さんの姿が見えないんですよ。「おかしいなあ」と思っていたら、体育館に大きなカーテンがよくあるじゃないですか。それを結んで人間みたいな固まりにしてね、サンドバック代わりにしてボクシングの練習をしてるんですよね。
――やる気満々だったんですね(笑)。
新倉 そんな藤原さんを見て「今日の試合はいくんだろうなあ〜」と思いまして(笑)。
――ハハハハハハ! カンさんはそんな試合になるとは思ってなかったんですよね?
新倉 じゃないですか。藤原さん、いきなり小澤さんを殴りにいきましたよ。藤原さんはロープに詰めて殴りに行くんだけど、小澤さんはいなして。それに小澤さんは頑丈じゃないですか。打っても打っても倒れないし、藤原さん、どこか固いところを殴っちゃって手にヒビが入ったのかな。
――ああ、素手ですもんね……。
新倉 試合後、藤原さんに言いましたよ。「やられたほうより、やった本人のほうがダメージが大きいですね」って。「アイツ、頭が固いんだよ……」とかボヤいてましたけど(笑)。
――ハハハハハハ! しかし、不穏試合になっても続けないといけないんですね。
新倉 あのときは収拾がつかないから長州さんやマサ斎藤さん、藤波さんたちがやってきて、ふたりを場外に連れ出して両者リングアウトで終わってましたね。
――そういう試合ってたまに起きるんですか?
新倉 ありますよ、ありますよ。大阪で栗栖正伸さんが俺に仕掛けてきたりとかね。大阪は栗栖さんの地元で、嫁・子供、友達が来ていたから、いいカッコしたかったんでしょう(笑)。
――そんな理由で仕掛けるんですか!?(笑)。
新倉 やりますよ〜。その当時の俺は合宿所の責任者をやっていたんだけど。栗栖さんが新弟子の牛乳やバナナ、プロテインを勝手に食べたり飲んだりしてたんですよ。それで俺はいっつも注意していたの。「栗栖さん、勝手に飲まないでください!」って。栗栖さんはそれに腹を立てていてね。
――小言の恨みですか!(笑)。
新倉 栗栖さんに過失があるから反論するわけにはいかないじゃないですか。それで試合で仕掛けてきて、おもいきり蹴ったり殴ったりしてきて危なかったですよ(笑)。
――栗栖さんと仲が悪いわけではないんですよね?
新倉 試合が終わったら何もないですよ。いまでも仲はいいですし。あのときは新弟子だった山田(恵一)や佐野(直喜)はキョトンとしながら見てましたけどね。「これは試合なのかな……」って。そんなふうにたまに先輩がやってきますからね。星野勘太郎さんとか。
――ハハハハハハ! さすが新日本の喧嘩師ですね(笑)。
新倉 星野さんはちょっと気に入らないとモロにパンチを入れてきますからね。
――普段から身体も精神も鍛えておかないと生きていけない世界なんですね。
新倉 毎日必死でしたね。猪木さんがウィリー・ウィリアムスと異種格闘技戦をやったときなんて、極真関係から毎日脅しの電話がありましたし。
――ハハハハハハハハ! 空手を舐めるな!!と(笑)。
新倉 「いまから行くから待ってろよぉ!」とか。誰も来なかったんですけど。いちおう念のためにモップに角材をつけて武器を作っておきましたね。
――道場破りはあったんですか?
新倉 ありましたよ〜。空手系が多いですね。こういうことを言うとアレだけど、自分の力を過信してるというか。あるときね、「怪しいもんじゃないんですけど、お話があるんです」って言う奴が来たんだけど、明らかに「やってやるぞ!」という雰囲気なんだよ。拳にタコ、頭はスポーツ刈り。
――明らかに怪しいですね。
新倉 応対したのが新日本の寮だったんだけど、玄関に30センチ以上の靴が何十足も置いてあるでしょ。それを見てビビっちゃってるんだよね。
――昔の新日寮の玄関はちょっと異様ですよね(笑)。
新倉 そこに寮の中から栗栖さんの「もう夜遅いんだから明日にしてもらえ!」という怒鳴り声が聞こえてきて、そそくさと帰っていったけど。あと、これも空手系かなあ。道場に「練習を見させてくれ」という奴が来て。俺が「いま練習中だから、あとにしてくれ」と言っていたら藤原さんが怒りだして「この素人が練習の邪魔するんじゃねえ」「素人じゃないです。空手をやってます」って始まっちゃって。藤原さんが足払いで倒して殴りに行こうとしたところを永源(遥)さんたちが止めてね。
――殺気立ってますねえ。
新倉 プロレスラーは来たらやらなきゃいけないですよね。それはUインターの頃の宮戸(優光)たちも言ってましたよ。いまでも山田くらいはやるんじゃないですか。彼は当時の新日本の流れは組んでると思うんですよね。
――オリンピックの柔道金メダリストで猪木さんと異種格闘技戦で戦ったウイリアム・ルスカも新日本道場にプロレス留学してましたよね。
新倉 いたいた。巡業も出てたんですよ。
――いま考えるとルスカが地方巡業に出ていたって凄いですよね(笑)。
新倉 柔道の世界チャンピオンだからね。ルスカは一切ウエイトトレーニングをやらないであのヘラクレスみたいな身体付きでしたね。
――そのルスカは藤原さんとのスパーで極められまくったという話がありますね。
新倉 最初はルスカは柔道技しか知らなかったから、裸だとそうなるよね。これは長州さんが言ってたけど「裸になったら柔道の山下泰裕でも倒せるよ。柔道着を着ていたらすぐに倒されちゃうだろう」と。レスリング協会の福田さんがルスカを連れて藤原さんとスパーやってたんだけど。ルスカはとにかく投げるんだけど、藤原さんは下からうまいことを極めるんだよね。福田さんビックリしちゃって。ルスカはそのうちいろんな技をおぼえちゃって誰も敵わなくなりましたよ。さすが世界一だけあって。
――新倉さんもルスカと肌を合わせたんですか?
新倉 締められると一瞬。すぐに「ウッ……」って終わりです。俺がルスカの寝技の実験台になってる脇で前田(日明)さんがいろいろと教わってましたよ(笑)。ルスカは前田さんをかわいがってましたから。
――ルスカ教室を受ける前田日明ですか!
新倉 前田さんとルスカのエピソードには面白いものがけっこうあってね。(この続きはお買い得な「好評記事の詰め合わせセット」でも購入できます) -
ヘッドスプリングをやってみよう!/二階堂綾乃のオールラウンダーAYANO⑨
2014-09-23 08:4955pt新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだした! その模様をイラストレポートすることになった当コーナー。今回は「ヘッドスプリング」にチャレンジだ!先日高橋ターヤンさんがコラムで紹介していた『闘魂先生 Mr.ネバーギブアップ』、私もこの映画大好きです。格闘技好きな人は間違いなく楽しめますし、だらしない金八先生が格闘技に挑戦するハイスクールミュージカルなピュアッピュアラブストーリーという感じで、格闘技に興味のない人も楽しめます。まず「勝たなくても試合に出場するだけで大金がもらえるから、負ける為にUFCに出よう!」という発想が素晴らしいですよね。ちなみにこの映画の中で私が一番好きなのは主人公の兄の奥さんです。
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