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【非会員でも読める10万字・詰め合わせセット】追悼KID、天心vs堀口、本間聡、朝倉未来、新日vsWWE……
2018-09-30 23:59550pt非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! part56は大好評インタビュー14本、コラム7本、10万字オーバーで540円!!(税込み)
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part56
◎全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話■木原文人✕小佐野景浩
◎タダモノじゃない朝倉兄弟の兄ミクル……その「死と覚悟」を大沢ケンジが聞く
◎UFC日本再侵攻! 堀口恭司UFC復帰のタイミングはここだ!?■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク
◎新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか■斎藤文彦INTERVIEWS
◎静かなる怒り……『ありがとうUWF 母さちに贈る』/Dropkick読書会
◎【追悼KID】魔裟斗vs山本KID徳郁に見えた修斗四天王の輝き……
◎「格闘代理戦争出場ならず」「ドキドキする女子同士のグラップリングスパー」■二階堂綾乃
◎お疲れ気味のプロレス界…男子は新日本、女子はアイスリボンがひた走る■事情通Zの「プロレス 点と線」
◎初日だけで1万枚突破! 天心vs堀口のスーパーファイト大反響!!■笹原圭一RIZIN広報
◎天心vs堀口をプロはこう見る!
・「このタイミングは堀口くんにとってベストです」■山田武士
・天心vs堀口は「フェイクの天才」対決です■鈴木秀明
・この2人のレベルになると、あとは「覚悟」の問題です■新田明臣
◎オマスキファイトのMMA Unleashed
・レスリングオブザーバーのスターレーティングとは何か
・追悼、山本”KID”徳郁 米国からも押し寄せる悲しみの声
・やばいUFC:ジョン・ジョーンズ減刑の本当の理由 / ハビブのロシアン・コネクション
・没後30周年! 改めてしのぶブルーザー・ブロディ最期の1日
・米インディプロレスの記念碑的祭典『ALL IN』で起きたこと
◎アメプロインディ通信「フリーバーズ」
・「この少年は誰だ?」…身長155センチのレスラーがアメリカを騒がす
・「バトル・オブ・ロサンゼルス」にはプロレス界の未来が見える
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プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は全日本プロレスのリングアナウンサーなどでおなじみ「木原のオヤジ」こと木原文人氏との対談!全日本プロレスの秘話を16000字でお届けします! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!
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小佐野 プロレスの世界でやったことのない仕事ってないでしょ?木原 リング屋、リングアナ、広報、営業、通訳、音響、照明……KAIENTAI-DOJOや『ガンバレ☆プロレス』でプロレスの試合もやりましたからね。やってないのはレフェリーくらいですよ。
小佐野 オヤジ(木原のあだ名)が音響をやってなかったら、じつはテーマ曲ってここまでプロレス界に普及してなかったんだもんね。
木原 自分で言うのもなんですけど、音響のパイオニアですよ(笑)。照明は(和田)京平さんに教えてもらいましたけど、音響は教えてもらう人がいなかったですから。東京工芸大学時代に習ったことも活かしました。
小佐野 それまではテレビ中継のときだけ会場にテーマ曲が流れてて。普段の地方興行ではテーマ曲をかけてなかったよね。
木原 地方の体育館には音響の設備もないし、当時のプロレス団体も音響担当がいなかったですからね。87年から89年くらいかな、第1試合目から入場曲をかけるようになったのは。
小佐野 それこそ最初のほうは、用意したカセットデッキにマイクを近づけて場内に流していたでしょ(笑)。
木原 だから音がメチャクチャ悪かったんですよ。開場時と大会終了後に流れる音楽や、勝者のテーマ曲もボクが勝手に流して始めたんですよ。それまでは日本のプロレス界にはそういう文化がなくて、無音の会場でしたよね。勝者のテーマ曲は、WWE(当時WWF)と仕事(日米レスリングサミット)をしたあとから機会があれば時々やるようになって。
小佐野 あの当時、全試合テーマ曲を流すことは冒険だったと思うよ。
木原 「前座の試合の入場にテーマ曲を流すのはおかしい」とよく怒られましたね。初めて第1試合でテーマ曲を流したのは小橋建太選手や菊地毅選手なんですけど。若い選手の試合にテーマ曲が流れると、先輩にイジメられちゃう時代でしたからね。
小佐野 先輩方に「顔じゃねえぞ!」って言われてたよね。
木原 ボクはリングアナですけど、試合の担当じゃないときは売店に立ってないといけないんですが、音響をやるときは売店を抜けることになります。すると「オヤジがまた音楽で遊んでる」って日々言われていました。
小佐野 全試合入場曲は新日本とどっちが先なんだろうね?
木原 どうなんですかねぇ。どっちが先かはわからないけど。ただ、言えるのは全日本も新日本も当時はひとり何役かするのが常識でしたから、音響だけの担当はいなかったと思います。その後SWSには音響の業者が入ってたと記憶していますね。
小佐野 SWSから興行もいろいろと変わった感じはあるよね。
木原 いまは音響の設備もちゃんと整ってますからね。ボクが音響のやり方を教えた人間がプロレス界のたくさんあちこちに散らばってますよ。
小佐野 宮原健斗の入場パフォーマンス、オヤジが音響じゃないと無理でしょ?
木原 あの音を絞ったり上げたりは簡単にはできないですね。宮原選手と打ち合わせしてるわけじゃないんですが、「ここでほしいだろうな……」ってときに合わせて調整しています。
小佐野 職人芸だよ、あれ。「ケント!!」コールと曲のバランスが絶妙で。
木原 ありがとうございます。地方興行で「ケント!!」コールが起きないときはボクが声を出してるんですよ(笑)。
小佐野 誰かの一声がないとね(笑)。
木原 宮原選手に「ボクの入場はボクと木原さんとで作り上げたと思ってます」って言われたときは凄く嬉しかったですね。音響係冥利に尽きますね。この世界って何か決まりがあるわけじゃなくて、ホント感性とセンスですからね。そういえば(仲田)龍さんに頼まれて、NOAHの後楽園ホールに音響の手伝いに行ったことがあったんですよ。
小佐野 龍さんは全日本プロレス時代のリングアナの師匠だもんね。
木原 龍さんからすれば、NOAHの人間におまえの仕事を教えてやってくれって意味もあったんですけど。なんと、そこにたまたま新日本の永田さんが試合に出てて、勝利を収めた永田さんの曲を流したらリング上の永田さんと目が合ったんですよ。永田さんは「なんでNOAHの会場にいるんだろう?」みたいな感じでボクを見つめたんですが、その瞬間ボクは思わず「THE SCORE」を流しました。すると永田さんが踊り出しちゃって……。
小佐野 ナガダンスね。あれ、現場にいたけど、よく「THE SCORE」を用意してたなあと思って(笑)。
木原 ほとんどの曲をボクは持っているので、すぐにスタンバイしました。聞くところによると、永田さんは、あれ以来NOAHでも踊ることになりましたからね。
小佐野 「緑のマットを青に染め上げた!」って言って踊り続けてたもんね(笑)。
木原 あれは誰の確認も取らないで、もちろん龍さんの確認も取らないで流したんですけど。プロレスってナマモノですから、ひらめきが大切だってことなんですよね。
小佐野 そもそもオヤジはいつ全日本に入ったんだっけ?
木原 社員としてなら、長州さんたちがいなくなったときの後楽園ホール。
小佐野 1987年4月だよね。菊地(毅)が入門した時期と一緒かな。
木原 さかのぼること2〜3年前から全日本にはバイトとして出入りしてたんですよ。まだ学生でしたけど、小佐野さんとも会話はしてますよね。
小佐野 してるよねぇ。
木原 たとえば屋外の大会では控室はテントじゃないですか。そこに床屋さんを呼んで馬場さんが髪を切ってもらったり、みんなでキャッチボールをしたり。屋外試合って面白かったですよね。
小佐野 はいはいはい(笑)。
木原 屋外だと控室の仕切りがないから、そういうときにマスコミの皆さんとお話をさせてもらえる機会がありましたね。
小佐野 バイトではいつぐらいから始めたの?
木原 高校3年生になった頃ですかね。
小佐野 ということはジャパンが全日本に来る前あたりかな。俺が全日本プロレスの担当になったあたりだね。
木原 自分が付けたコーナーマットがテレビや雑誌に映っているのは感動モノでしたよ。全日本のアルバイトなのにUWFのトレーナーを着ていったこともあります。それで「UWF」というあだ名をつけられて、そのあと三沢(光晴)さんの命名で「オヤジ」になりました。あの頃の全日本ってボクみたいな若いバイトがいっぱい集まってたんですよ。龍さんがその走りで。
小佐野 馬場夫妻ってプロレスファンの若い子たちが好きだったよね。いま新日本のレフェリーのレッドシューズ海野くんや、新生K−1プロデューサーの宮田充くんも手伝ってたでしょ。
木原 そうですね。いまでも活躍してる人が多いですね。ボクの場合は、全日本の四日市大会を見に行ったときに売店で「リングの片付けを手伝ってもらえないか」と京平さんに誘われたのがきっかけです。ボクはプロレスが好きですけど、好きなのはプロレスだけじゃなく、プロレス記者、カメラマン、リング屋、テレビの作り方……など、すべてのプロレス業務に興味がありました。
小佐野 それがいまのなんでもやることにも繋がってるわけね。あの頃の全日本って子会社がいろいろとあったでしょ。最初はB&Jの社員?
木原 そうです。でも、ジャイアントサービスからも給料をもらったり、リングアナになってからは全日本からもギャラをもらったりして、ありがたかったです。
小佐野 みんなそんな感じだよね。こないだ海野くんに話を聞いたときもジャイアントサービス、全日本プロレス、B&Jから給料もらったって。
木原 さらにボクはTシャツやタオル、テレフォンカードのイラストやデザインも手がけていました。ある日、馬場さんがボクが描いたバスタオルを見て「オヤジは絵がうまいなあ。ようし、1枚書いたら俺が10万やる。だからこれからも頑張れ」と言ってきたんですよ。油絵もやられてる馬場さんに絵がうまいと褒められたのは励みになりましたね。
小佐野 馬場さんに絵で褒められるのは凄いよね。リングアナはいつからやったの?
木原 リングアナは89年にデビューしたんですけど、1年前の88年にやる話もあったんですよ。馬場さんから「オヤジ、次のシリーズからアナウンスせえ」と言われて。
小佐野 なんで遅れたの?
木原 ボクはリング屋の立場で毎日会社に行かなくてよかったんですけど、たびたび顔を出してたんですよ。ファンクラブの会報誌のお手伝いとか、もろもろ雑用もあったし、会社にいれば誰か選手が来て手伝うこともあったし。先輩スタッフの昔話を聞いてるだけで幸せでしたね。どこかでヒマを潰したり、遊んでるんだったら会社にいたほうが面白いと思って……。
小佐野 プロレスという世界が好きだったんだね。
木原 電話番もしてたんですよ。ある日、馬場さんにCM出演依頼が来て「馬場のCM出演に関しては、絵コンテや企画書を送ってください」と話をして電話を切ったら、元子さんが凄い目つきで睨みつけていて。「みんな、ちょっと集まって! この子、馬場さんのことを呼び捨てにした!」と突然怒られました。
小佐野 うわあ〜(笑)。
木原 だって、社外の方に対しては自分の上司の名前に「さん」付けはしないですよね。
小佐野 「さん」を付けちゃダメなんだよね。
木原 ただ、当時の全日本はちょっとややこしい状況で。日本テレビから出向していた松根(光雄)さんが社長だったんですよ。元子さんは「馬場会長」という名前の意識が強くて……。
小佐野 はいはい、初代社長だった馬場さんは会長になってて。元子さんからすれば「馬場会長」だもんね。
木原 そんなときに電話口で「馬場」と呼び捨てしたボクが許せなかったんでしょうね。「この子にはリングアナをさせられない!」っていうことになって。全日本は元子さんが黒だと言えば、白いものも黒ですから(笑)、京平さんたちも「馬場さんを呼び捨てするなんて、とんでもない野郎だなっ!!」という話になって。
小佐野 ハハハハハハハ。ありがちだね。
木原 ボクも突然だったので「すいません、ボクが悪かったです」と謝るしかなくて。それでリングアナデビューが遠のきました。馬場さんからすれば「オヤジはなんで今シリーズからリングアナをやらんのだ?」ぐらいの感覚だったと思いますよ。
小佐野 細かい事情は知らないだろうからね。
木原 用意した衣装はトラックに何ヵ月も積んだままでした。そんなある日、木更津で興行があったんですけど、龍さんが大渋滞に巻き込まれて会場到着が遅れることになりました。すると元子さんが「オヤジは衣装を持ってるからリングアナができるわよ」ということになり、鶴見五郎vsリチャード・スリンガー戦からリングアナをやることになったんですよ。あのとき龍さんが遅刻してなかったら、その後もリングアナもやってなかったかもしれないですね。木更津でデビューなんて、奇遇なことに龍さんと同じ会場なんですよ。これも運命だったんですかね。
小佐野 思ったんだけど、全日本のリング屋さんってみんな器用というか、“プロレスごっこ”もうまかったでしょ。受け身もちゃんと取れるしさ。
木原 ボクが最高のやられ役で、全員の技を全部受けましたよ(笑)。
小佐野 馬場さんは“プロレスごっこ”は嫌いじゃなかったよね。楽しくニコニコ見ていて。普通だったら「おまえら、リングで遊ぶな!」って怒られそうだけど。
木原 「もっとやれ、もっとやれ。他の技もやれんのか? なんで教えてないのにこんなにうまくできるんだあ?」って感心してましたよ(笑)。じつはボクは学生の頃にウォーリー(山口)さんの店に出入りしてて、当時TPG(たけしプロレス軍団)の練習生だった邪道さんや外道さんと一緒にトレーニングしたこともありましたからね。
小佐野 西馬込のマニアックスね。リングが置いてあって。
木原 馬場さんから「オヤジは運動神経がいいなあ。レフェリーをやってみるか」という話になって。で、ボクの代わりに西永(秀一)がリングアナをやる話が浮上してきたんです。すると西永が「リングアナだけをやりたくない」って馬場さんに言ったみたいです(笑)。
小佐野 あー、なるほどね(笑)。
木原 馬場さんは「オヤジはリングアナとしてパンフレットにも載ってるしなあ」ということで、ボクのレフェリー転向の案はなしになりました。後日、龍さんが「西永の野郎、どうしてもリングアナはイヤだって言いやがって。俺らのことをナメてるよな」と。龍さんに「そうですね」と言いつつ、ボクもできることならレフェリーをやりたかったですけどね(笑)。
小佐野 当時のレフェリーは新日本だとミスター高橋さん、国際だと遠藤光男さんとか、みんなゴツゴツした身体じゃない。全日本プロレスだけはレフェリーという専門の職業を作ったんだよね。そこは素晴らしいなと思った。
木原 だからみんな身長は小さいですよね。選手より大きかったらマズイですから。西永は背が高かったからホントはマズイんですけどね(笑)。でも、ジョー(樋口)さんは身体がゴツかったんですよ。
小佐野 ジョーさんは元レスラーだもんねぇ。
木原 ボクは全日本のレジェンドと呼ばれる人たちの家には遊びに行かせてもらってるんですよ。ジョーさん、ラッシャー木村さんや寺西勇さんとか。家で昔の写真を見せてくれるんですよ。若かりし頃のジョーさんがベンチプレスで160キロを挙げている写真は驚嘆でした。作/アカツキ
小佐野 オヤジは木村さんたちから「モノマネをやってくれ」ってよく言われてたよね(笑)。
木原 そうですね。ベテランの方々には仲良くしてもらいました。全日本が分裂してほとんどがNOAHに行くことになったじゃないですか。あのときNOAH勢が全日本の地方興行に4大会だけ出たことがあったんです。
小佐野 分裂前に契約していた売り興行だから、NOAH勢も出なきゃならなかったんだよね。
木原 あのときはさすがに両陣営がギスギスしていたんですけど、ボクだけNOAH勢の控え室に呼ばれて、永源(遙)さんに「おい、オジキ(木村)が馬場さんのマネを見ないと元気が出ないんだって言ってるぞ、おい」ってことで、木村さんの前で馬場さんのマネをやらされました(笑)。
小佐野 活字では伝わらないけど、オヤジの馬場さんの形態模写はホントうまいよね。歩き方から薬を飲み方まで。馬場さんのそばにずっといたことの証だよ(笑)。
木原 そうですね。たとえば握手の仕方、何気ない動作、息遣い。三沢さんに言わせると「オヤジのモノマネは普段の細かい動き過ぎて、テレビでは絶対にウケないよな」って言われてました。
小佐野 リング上のプロレスラーのモノマネじゃないってことだよね。 でも、天龍さんのモノマネで全日本の合宿所に電話して小橋が焦ってなかった?(笑)。
木原 いろいろやりましたね。最近だと店を予約するときは佐々木健介のモノマネです(笑)。
小佐野 そういえば天龍さんはSWS時代、小橋を殴りに合宿所に行ったことあったでしょ。
木原 なんかありましたねぇ。
小佐野 あれは小橋が折原昌夫に「おまえはどうせSWSに行くんだろう?」ってイジったら、酔っ払った天龍さんが夜中に乗り込んだんだよね(笑)。そうしたら新弟子の浅子覚しかいなくて。天龍さんはゴルフクラブを持ってたから、浅子は怖くて2階まで逃げたんだけど、天龍さんが追っかけてきて万事休す。「おまえは誰だ?」「新弟子の浅子です!」「そうか、頑張れよ!」って高額の小遣いを置いていったもらった逸話があるよね(笑)。
木原 単なるいい話ですよ(笑)。大好評インタビュー14本、コラム7本、10万字オーバーの記事まとめセットはまだまだ続く…… -
修斗、リングス、K−1、PRIDE…90年代を漂流した格闘家・本間聡ロングインタビュー
2018-09-30 12:10102pt黎明期のシューティングでデビューし、リングス、PRIDE、UFC……とさまざまなリングを渡り歩いた総合格闘家・本間聡ロングインタビュー。成瀬昌由との2連戦やPRIDEでの佐野巧真戦は「プロレスvs格闘技」の決闘感が溢れた勝負として語り草となっている。現在は故郷・佐渡で生活する本間に、異常な熱を帯びていた90年代を振り返ってもらった(聞き手/ジャン斉藤)
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山田学 初代シューターにしてパンクラシストの大冒険 修斗初代王者/仮面シューター・スーパーライダー 渡部優一
――本間さんはいまでも正道会館所属なんですね。
本間 なんだかんだ20年近く正道会館にお世話になってるんですよね。
――本間さんって流浪されているイメージがあって。
本間 そんなことはないんですけどね(笑)。シューティング(修斗)を4年やって、そこからずっと正道会館ですから。まあ、いろんなリングには上がってはいるんですけど。
――シューティングから始まって、リングス、PRIDE、UFC……と。
本間 まぁ全部、中途半端ってことですよね(苦笑)。自分なんかはホント大したことなかったですから。
――シューティング出身で、U系のリングで戦ったのは本間さんと山田(学)さんぐらいなんですよ。
本間 山田さんは、団体の中に入っちゃいましたけどね。
――本間さんとU系レスラーの試合は果し合い、決闘というイメージが強くて。
本間 自分の中ではそんな意識はなかったんですけどね。向こうはどう思ってるかはわからないですよ。それより当時はリングスに上がるというだけで、周りから冷たい視線が浴びたんですよ(苦笑)。
――ええと、それは「真剣勝負をやっているのか?」ってことですね。
本間 ですね。自分の試合は全部真剣勝負だったんですけど、やっぱり若い頃って純粋じゃないですか。『フルコンタクトKARATE』に「リングスに上がった本間は裏切り者だ!」みたいに書かれるのがイヤだったんですよ(笑)。
――うわー、それは若くなくても気になります(笑)。
本間 いま振り返れば、そこまで気にしないでよかったかな……って思えるんですけどねぇ。
――それくらい当時の格闘技界はピリピリしてたってことですよね。
本間 リングスに上がっていた頃は「ゼンショー総合格闘技部」所属で、すき家の店頭に立って働きながら格闘技をやってたんですよ。朝日(昇)さんから「身体の大きい奴がいないから練習に来てくれ」ってことで木口道場に行ったら、桜田(直樹)さんや草柳(和宏)さんが怖い顔してて(苦笑)。
――「リングスの人間が来やがったな」ってことなんですかね(笑)。
本間 リングスの人とは、しゃべったこともないんですけどね。
――本間さんはもともとプロレスファンだったんですよね?
本間 もちろんプロレスファンです。アントニオ猪木の大ファンで。思春期で多感な時期にああいうのを見るとキますよね。ベタなんですけど、猪木と矢沢永吉とローリング・ストーンズのキース・リチャーズ。この3人にきらめいていたんですよ、中学のときは。ハッキリ言って佐山先生はそこまでファンではなかったんですよね(笑)。
――初代タイガーマスクの全盛期も見てますよね?
本間 タイガーマスクはそんなにピンとこなかったんですよね。やっぱり猪木vsウィリー・ウィリアムスの異種格闘技戦とか。「猪木が死ぬんじゃないか……」ってドキドキしてましたから。
――猪木さんの影響で何か格闘技を始めたんですか?
本間 高校のときは野球をやっていて。佐渡の田舎なので、何か格闘技をやろうという選択肢がなかったんですよ。高校を卒業したら、親が「大学に行け」と。大学に入ったら格闘技をやろうと決めてて。大学は千葉商科大学なんですけど、それで津田沼道場に通うようになったんですよ。
――初代シューターの田中健一さんの。
本間 大学には2浪したんですけど(笑)、1浪したときはそのままUWFに入ろうかな……って思ったりしてて。新生UWF旗揚げの後楽園ホールも見に行きましたよ。前田(日明)さんと山崎(一夫)さんの試合。ただ、荒井(勉)さんの本のとおりなんですよね。真剣勝負ではないなって。
――荒井さんはプロレスミニコミ誌の『わしらは格闘技探検隊』は「UWFは真剣勝負ではない」と書いてましたねぇ。
本間 エスエル出版会から出た本にも「猪木vsブロディのカミソリ流血シーンはこうだった」みたいなことが書いてましたけどね。
――あの時期って内幕本がけっこう出てましたよね。そういった本を読んでどう思われたんですか?
本間 うーん、微妙でしたねぇ。UWFに行かなくてよかったかなあと思いましたね。
――やるんだったら真剣勝負だと。
本間 「やるんだったら」ってことですね。『格闘技通信』に津田沼にシューティングの道場があることを知って。見学に行ったら佐山先生がたまたまいらしたんですよ。
――当時の津田沼道場ってどんな感じだったんですか?
本間 車庫の中にマットを敷いただけですね。自分を含めて4人でやってました。月謝が3000円だったかな。自分が入って半年後くらいに一緒に練習していた藤倉(光雄)さんという方が川口(健次)さんと試合をしたんですよ。体重差が10キロぐらいあって負けちゃったんですけど、その負けがショックで藤倉さんは道場をやめちゃったんですよね。
――ただでさえ人がいないのに。
本間 自分もやめようかな……とも考えたんですよ。とりあえず続けたんですけどね。当時は人数が少ないですから、試合に出れば選手になれるって感じですよね。学校の学園祭みたいなところでも試合をしたこともありましたし。たしか法政二校だったかな。学園祭のイベントの一環でアマチュアの試合をやったんです(笑)。
――学生プロレスみたいな扱いなんですかね(笑)。
本間 後年になってアマチュア修斗を見たら、当時とはもうレベルは違いますよ。自分は身体が大きかったので極めっこなると、そんなにやられたことってなかったんですよ。でも、単なるプロレスファンですからね。レスリングや柔道をやってたわけじゃないので、デビュー戦後2連敗したんですね。藤原(喜明)組長の寝技を見よう見まねでおぼえたプロレスファンが勝てるわけないですよ(笑)。
――ハハハハハハ!
本間 それからボクシングの宮田ジムにも通ってたんですよ。そこで阿部健一さんと出会って。阿部さんのジムにも練習に行くようになって平(直行)さんと知り合ったんです。津田沼では田中さんと寝技をやって、宮田ジムでボクシングをやって、阿部さんのところにも行くようになって。そうしたら山田(学)さんたちにも勝てるようになったんですよね。
――スーパータイガージムでは練習しなかったんですか?
本間 三軒茶屋のゴリラビル(スーパータイガージム)には1回ぐらいしか出稽古に行ったことないです。朝日(昇)さんのデビュー戦の相手だった斎藤(友行)さんという人と一緒に行って。川口さん、桜田さん、草柳(和宏)さんがいて。俺、プロレスファンだったんで寝技のときにプロレスラーみたいな呼吸法やったんですよ。「ハァハァ!」みたいな。そうしたらメチャクチャ怒られて(笑)。
――ハハハハハハ!
本間 それから二度と行かなくなりましたね(笑)。あの頃はみんなカリカリしてましたよね。
――それだと佐山さんとの接点はあまりなかったんじゃないですか?
本間 俺はあんまり期待されてなかったし、なんとも思われてなかったんじゃないですかね。入って3ヵ月目ぐらいに合宿に行ったんですよ。
――シューティングの鬼合宿ですね。
本間 そのとき参加した8人はシューターで、俺だけ素人なんですよ。
――もう大変だったんじゃないですか?
本間 いやもう、ホントにキツかったですねぇ。練習中に佐山先生から「オマエら最強になりたいだろうっ!?」と激を入れられて。練習がつらくて吐きそうでそれどころじゃなくて、やる気のない感じだったんでしょうね。佐山先生に「なんだ、その目は!?」って殴られて(笑)。
――ハハハハハハ! YouTubeにアップされているシューティング合宿の映像でも佐山さんがボコボコしてるじゃないですか。
本間 あー、ミットを持ってるのは津田沼の子で、殴られたのは関島(康人)さんのジムの子で。蹴り方が関島さんと同じなんですよね。
――あの佐山さんは「本気で怒ってない」ってみんな言うんですよ。
本間 演技なんでしょうね、たぶん。俺が佐山先生に殴られたのは、その1回きりだったんですけどね。いまとなっちゃいい思い出ですけど。
――よく続けましたね。
本間 いやー、格闘技が好きだったんでしょうねぇ。あの頃はレベルが低かったので、それなりに練習していれば、それなりに強くなるし、結果も出たんですよね。勝ったら嬉しいし、負けたら悔しいしの繰り返しで。
――選手会であるシューター会議にも出てたんですか?
本間 1回出たことあるんですけど、あんまり行きたくなかったんですよね。リーダー格だった石川(義将)さんが仕切ってて、佐山先生はいないんですけどね。下っ端の俺が出ても意味ないじゃないですか。黙ってるだけですし。
――どんな話をするんですか?
本間 うーん、やっぱり一番は金ですね。ファイトマネー全然出てなかったですから。俺は大学生だったし、バイトもしてたんで、金はどうでもいいってわけじゃなかったんですけど、金のことで揉めるのはイヤだったんですよ。だから要求したこともなかったですし。それよりも試合に勝ちたい気持ちのほうが強かったんで。あとになって佐山先生の本を読んだら、先生の自宅まで行ってギャラをもらってた人もいたとか。「そんなことしてたんだ?」ってビックリしました。ギャラなんてデビュー戦のときに3万円もらっただけですよ。
――シューターたちは先行きが不安だったということですよね。
本間 それはそうでしょうね。だからなのかカリカリしましたからねぇ、みんな。でも、あたりまえですよ。『1984年のUWF』でターザン山本さんが「UWFの選手は金と女の車しか興味がなかった」って言ってますけど、それの何が悪いの?って思いますよ(笑)。
――つまらない正論ですよね、あれ(笑)。
本間 田中さんは金じゃなくてグローブがどうだとか、そういう不満はよく言ってましたけどね。俺からすると佐山先生に一番文句を言ってたの田中さんなんですよ。一番文句言ってた田中さんがいまでも佐山先生と一緒にいるのは面白いですね(笑)。
――不満を抱えたままだと、途中でやめちゃうんでしょうねぇ。
本間 朝日さんも「そんなに長く続けることはない」って言ってたんですけどね。朝日さんは俺の先輩なんですけど、デビューした時期はそんなに変わんなくて。「プロになる気はない」って言ってた記憶ありますよ。
――新生UWFの大人気ぶりはどう見てたんですか?
本間 その頃はシラけて見てましたよね。シューティングのみんなは自分たちのやってることが認められなくてイライラしてましたよ。中井(祐樹)さんなんかも気が強かったですからね。いまはあんなにニコニコしてますけども。
――じつはヤバイ人ですよね(笑)。
本間 木口道場で最初にスパーリングしたときに、足関節を取ったら怒っちゃって。あとから「本間さん、今度はシューズを脱いでやりましょう……」なんて耳打ちしきて。シューズだと足関節は逃げにくいですからね。
――怖い!(笑)。
本間 リングスに上がったときも、中井さんから「坂田亘が生意気だから、ヤッちゃってくださいよ」とか言われましたし(笑)。
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朝倉兄弟の兄ミクル……その「死と覚悟」を大沢ケンジが聞く/天心vs堀口をプロはこう見る! 「このタイミングは堀口くんにとってベストです」/レスリングオブザーバーのスターレーティングとは何か/「バトル・オブ・ロサンゼルス」にはプロレス界の未来が見える……ほか
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/201809
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【追悼KID】魔裟斗vs山本KID徳郁に見えた修斗四天王の輝き……
2018-09-28 11:3572ptこの記事は山本KID徳郁の死を語ったDropkickニコ生配信を編集したものになります(語り:ジャン斉藤)【関連企画】
追悼、山本”KID”徳郁 米国からも押し寄せる悲しみの声■MMA Unleashed
山本KID徳郁さんが癌により、お亡くなりになりました。KIDさんは2年前から癌と戦っていたそうですが、ちょっと前に週刊誌が報道するまで、闘病中であることは世間に漏れてきませんでした。正確にいえば、KIDさんは表沙汰にする気はなかったんですが、自分の意に反して報道されてしまうことを知り、その前に自ら発表したんですね。癌であることを伏せたまま治療し、またUFCのオクタゴンに立ちたかったというKIDさん。ジムだけではなくRIZINやUFCの関係者にも伝えられていたのに、表面化しなかった。誰もがスクープを発信できるSNSの時代にですよ? KIDさんの意志を尊重する周囲との絆の深さを感じます。
KIDさんのことは何度か取材させていただいたんですが、一番印象に残ってるのは修斗のデビュー戦なんです。ボクがまだマスコミの世界に入る前のことで、後楽園ホールで観戦しました。2001年3月2日。この日付からピンとくる方がいるかもしれませんが、両国国技館で橋本真也のZERO-ONE旗揚げ戦と同日だったんです。両国国技館と後楽園ホール。どちらも最寄りは総武線の駅なんですが、両国と水道橋、どっちの駅で降りるか迷ったんですよねぇ。
KIDさんは「凄い奴がデビューする」という噂だったし、ZERO-ONE旗揚げ戦も小川直也と三沢光晴の初絡み。橋本か、山本か……。気持ち的にはZERO-ONEに傾いてたんですが、新宿からだと水道橋のほうが先に着くじゃないですか。水道橋で降りちゃったんですよね。ところがその日の修斗は個人的にはそこまで面白くなかったんですよ。一方のZERO-ONEは大爆発も大爆発で。なのでKIDさんの試合を見るたびにZERO-ONE旗揚げ戦を思い出してしまう変な身体になっちゃったんですよねぇ。
KIDさんの死はあらゆるメディアが報じていますが、KIDさんの活躍で中・軽量級に光が当たった……というのが一般的なストーリーなのかもしれません。それは大正解でもあり、ちょっと間違いもあるんです。どういうことかといえば、2000年代前後の修斗は、ファッションやサブカルと融合したことで若者に絶大な支持をされていて……。修斗は地上波で大々的に放映されていなかったのにけっこうな認知度を得ていて。KIDさんと戦った魔裟斗さんの自伝「青春」には、彼がキックをメジャーにするために全日本キックを離れたり、石井館長やテレビプロデューサーに直談判したり、そうやって必死に行動することになったきっかけは、あの時代もっとも洗練されていた修斗の存在に触発されたと記されているんです。
この続きと、追悼KID、天心vs堀口、本間聡、朝倉未来、木原のオヤジ、新日vsWWE…………などの記事がまとめて読める「10万字・記事21本の詰め合わせセット」はコチラ
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やばいUFC:ジョン・ジョーンズ減刑の本当の理由 / ハビブのロシアン・コネクション■MMA Unleashed
2018-09-28 10:3672ptOmasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマはやばいUFC:ジョン・ジョーンズ減刑の本当の理由 / ハビブのロシアン・コネクションです!
【1記事から購入できるオススメ記事】最強デミトリアス・ジョンソン妄想世界ツアー「RIZINのベルトを取りに行く」マクレガー対ヌルマゴメドフ実現:全ての伏線はオクタゴン内で回収される!ニック・ディアスのDV逮捕騒動、その後を追う:ニックは痛いファンにハメられたのかアメリカの大学スポーツ部でも不祥事! 学生時代のコールマンもセクハラ被害を受けていた!2017年7月29日開催のUFC 214前日の薬物検査に失格したジョン・ジョーンズに対する処分についての調停手続きが終了し、出場停止期間1年3か月が命じられた。処分は薬物検査に行われた2017年7月28日から遡って適用されるため、ジョーンズは今年10月28日以降、試合に出場することができる。
ジョーンズの薬物検査失格は2度目で、本来であれば4年間の出場停止処分が下されるべきところだったので、驚きの期間短縮が実現したことになる。これほどの大型減刑は、果たしてどんな理由で可能になったのであろうか。
実はUSADA内部では調停の前から、ジョーンズから「USADAに対する重大な支援(substantial assistance)があった」として、出場停止期間を2年6か月短縮し、1年6か月とする案が検討されていたのだという。
これに加えて、敏腕調停人Richard H. NcLaren氏が、まあまあ本人も反省しているようだから、ととりなしたこともあって、調停でさらにプラス3か月のボーナス減刑が加算されたわけである。
では、今回の大型減刑の理由とされている「USADAに対する重大な支援」とはいったい何のことであろうか。
UFCアンチドーピングポリシーの10.6.1.1条には、「選手が別件のアンチドーピング案件や犯罪につながりうる事例に関する重大な情報や協力をUSADAに提供した場合、出場停止処分が減じられる場合がある」と定められている。
つまり、「ドーピング違反者の発見や通報」、たれ込みを意味するのである。
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【天心vs堀口プロはこう見る】この2人のレベルになると、あとは「覚悟」の問題です■新田明臣
2018-09-25 16:2062pt那須川天心vs堀口恭司のスーパーファイトをプロはこう見る! 第3弾は「バンゲリングベイ」の新田明臣代表です!(聞き手/高崎計三)<関連企画>・「このタイミングは堀口くんにとってベストです」■山田武士・天心vs堀口は「フェイクの天才」対決です/鈴木秀明・初日だけで1万枚突破! 天心vs堀口のスーパーファイト大反響!!■笹原圭一RIZIN広報──新田さんはキックボクサーとして活躍されて、いまはジムの会長として多くの選手を輩出されていますし、その中で寒川直喜選手などはMMAにも出場されていました。また、ジムにはMMA選手も多く出稽古に来られているということで、この対戦についてお聞きするのにピッタリかなと。ということで、よろしくお願いします!
新田 そうですね、よろしくお願いします。天心くんのジムには見学に行ったこともあって、やはり気持ちとしてはキック側で見てしまいますけどね(笑)。
──もちろん、そこは仕方ないと思います。では最初にズバリ、結果予想からお聞きしたいんですが。
新田 天心くんの、うーん……判定勝ち……ですかね。
──ほう。KO決着ではない?
新田 KOを期待したいですけど……堀口選手の独特の動きと、KOされない戦いぶりを考えたら。堀口選手って、これまでKO負けってないですよね?
──一本負けと判定負けが1つずつあるだけで、KO負けはないですね。
新田 打たれ強そうだし、ハートも強いですからね。キックとは違う独特のステップで、動きが多いという長所もありますし。伝統派空手が元になっているようですが、リズムが違いますよね。格闘技って、結局リズムとリズムの戦いなので。そこで天心くんがいままで体験したことのない動きができるというのは強いですよね。
──なるほど。
新田 ただ、2人とも近いものはあるんですよね。天心くんも動きは多いので、そこは面白いところだとは思いますが。あとは、お互い実際に向かい合ったときに、どれだけスピードが違うのかっていうのは、見てみないとわからないところがありますよね。スピードと間合いの勝負だと思うので。
──堀口選手はMMAファイターではありますが、彼の動きは「MMA特有の動き」ともまた違いますよね。
新田 そうなんですよ。その意味では、バンゲリングベイに来ているMMAの選手との比較もあまり意味がないでしょうし。佐々木憂流迦くんが練習に来ていて、彼も動きが多いタイプですが、また違いますしね。また、これだけキャリアを積んでいることから来るハートの強さもありますし。
──そのうえで那須川選手の判定勝ちを予想されたわけですが、那須川選手が上回っている点は?
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「格闘代理戦争出場ならず」「ドキドキする女子同士のグラップリングスパー」■二階堂綾乃
2018-09-25 15:3672pt
2018年にもなって「いまの新日本プロレスには猪木イズムが足りない!」などと口走ってしまうオールドファンに向けて二階堂彩乃(@nikaidoayano)先生が“いまのプロレス”の魅力をお伝えする共存共栄コーナー。今回のテーマは「格闘代理戦争出場ならず」「ドキドキする女子同士のグラップリングスパー」などです!【関連企画】・QUINTET女子版をやってほしい!!・プロレスファンのマナーはいいと思ってます!・ポールダンサーは踊るよ……妖しい興行に旦那が出た話・【#MeToo】身体を鍛えてから一度も変質者に遭ってない・「Y2J」コールができなくても楽しかったクリス・ジェリコ
・棚橋弘至優勝! G-1クライマックス!!――今日は巌流島を会場観戦されたんですよね。
二階堂 面白かったんですけど、帰る頃になって滝のような大雨が降ってきて、もの凄く近くに雷が落ちたりして。外に出られなくなったお客さんで会場ロビーがごった返してたんですよ。
――あらら。
二階堂 私は早くお家に帰りたかったんで外に出ようとしたらスタッフに「警報が出ています!」って制止されちゃって。雷がやんだときに突破しましたけどね。
――いやあ、それは危ないですよ。死亡理由が巌流島の帰り道に雷が打たれた……って不名誉にもほどがありますし(笑)。
二階堂 プロレス格闘技ファンとしてカッコよくないですか?(笑)。
――もうちょっとマシな大会で死んで欲しいです(笑)。
二階堂 アハハハハハ。今回初めて巌流島を見に行ったのは、私の中でUインターブームが起きていて、いろんな本を読んでる中で平直行さんの『UWF外伝』がメッチャ面白くて。その平さんが巌流島に出ると聞いたので見てみようと。
――マジメですね!
二階堂 えらいでしょ?(笑)。いろいろ調べていくと、まだ見たことのないプロレス格闘技が欲しくなっちゃうんですよね。
――チケットを買って見に行ったんですか?
二階堂 ちゃんと当日券を買いました!!
――招待券が大量に出まくってそうなこんな大会に!(笑)。二階堂さんの格闘技ネットワークなら手に入りそうですけど。
二階堂 たしかに誰かに頼んだら、もらえてもおかしくないですけど。
――巌流島はチケットが完売してないのに「完売!」みたいに煽るのはやめたほうがいいと思うんですけどね。
二階堂 ホントに前売りは完売だったんですか?
――大会直前になると、プレイガイドでの販売ができなくなるのはどこのイベントも同じで。それを「完売」と称してるだけじゃないですかね。
二階堂 前売りが完売だと聞かされてると、私みたいなピュアなファンは「じゃあ早く並ばなきゃ!!」って早めに会場に行っちゃうんですよ(笑)。
――すいません。谷川貞治の代わりにボクが“平謝り”します(笑)。
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新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか■斎藤文彦INTERVIEWS
2018-09-22 09:4576pt80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「新日本プロレスのMSG侵攻はWWE一強独裁に何をもたらすのか」です! 【関連記事】
・新日本プロレス、ついにMSG進出! WWEは報復発動か?
・米インディプロレスの記念碑的祭典『ALL IN』で起きたこと・新日本プロレスのニューヨーク侵攻!! ROHの証言Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー
■怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう ■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る■『1984年のUWF』はサイテーの本!
■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」
■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る
■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期
■超獣ブルーザー・ブロディ
■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜
■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』
■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
■「現場監督」長州力と取材拒否■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか――来年2019年4月6日に新日本プロレスとROHの連合軍が、WWEの本拠地マディソン・スクウェア・ガーデン(以下MSG)で合同イベントを行います。つい先日にはCodyとヤング・バックス兄弟が『ALL IN』という非WWEのスーパーイベントを成功させました。アメリカのプロレス界ではいったい何が起ころうとしてるんでしょうか?
フミ まず『ALL IN』のほうから説明すると、これはCodyとヤング・バックスの3人が中心となってプロデュースしたイベントで、1年がかりで準備したものなんです。ROHや新日本プロレスなど、NON WWEの選手たちが出場しました。
――定期的に興行を行なう団体ではなく、単発のイベントだったんですね。
フミ 場所はシカゴのシアーズ・センター・アリーナ。収容人数は1万人。開催するのは東海岸に強いROHでもない。このような単発のイベントが1万人の観客を動員できるかどうかというところから始まったんですが、なんと大成功させてしまったんですね。
――成功の要因はなんだったんでしょうか?
フミ 『ALL IN』は団体ではありませんが、いつの時代もオルタナは存在していました。90年代のECW、00年代のTNA(現インパクト・レスリング)などもそうですが、『ALL IN』との違いを言えば、かつてのアメリカではPPVビジネスが成立しなければ、プロレス団体の運営・経営は成功できない仕組みだったんです。
――興行のあらゆる収入手段の中で最も効果的なのはPPVだったんですね。
フミ ただし、団体側がPPVをやろうとすると、ケーブルカンパニーやPPVプロバイダーと視聴契約料のパーセンテージ配分などのビジネスをしないといけません。ファンもPPVを見るためにはケーブルテレビと契約したり、チューナーも必要になってくる。ひと手間もふた手間かかるわけです。 ところが2010年代も終わりに近づく現在では、インターネットの動画配信という新しいかたちでスマホやパソコンでアメリカどころか世界中のプロレスが見ることができるテクノロジーが完成していますよね。これまではアメリカからは見ることもできなかった日本のプロレスがライブで楽しめる時代になった。そういった環境の変化も後押ししたことで、『ALL IN』は大成功を収めたと言えるんですね。
――『ALL IN』を見ている日本のファンもいましたね。
フミ 『ALL IN』成功の理由はもうひとつ。やっぱりWWEのプロレスだけは満足できないマニア層はいつの時代も存在するんですよ。
――どのジャンルにもメインストリーム以外の刺激を求めるファンはいますね。
フミ 『ALL IN』に集まった1万人の観客は、大都会シカゴだけの1万人ではなく、アメリカ全土からの密航者がシカゴに集まってきたんです。それほどWWE一強独裁体制にもの足りなさを感じているファンが多い。いまアメリカではROHやインパクトなどの団体が活動していますが、あくまでも形だけの自由競争社会。現実としてはWWEが市場を独占してるんですね。今回の『ALL IN』が巨大な点を打ったことはたしかで、この点が線になっていけば面白いことになっていくんですが……。
――巨大な点を打ったどころでは、どうにもできないWWEの現状があるってことですか。
いま入会すれば読める9月更新コンテンツ
追悼、山本”KID”徳郁 米国からも押し寄せる悲しみの声/全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話/90年代を漂流した格闘家・本間聡ロングインタビュー/朝倉兄弟の兄ミクル……その「死と覚悟」を大沢ケンジが聞く/天心vs堀口をプロはこう見る! 「このタイミングは堀口くんにとってベストです」/レスリングオブザーバーのスターレーティングとは何か/「バトル・オブ・ロサンゼルス」にはプロレス界の未来が見える……ほか
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追悼、山本”KID”徳郁 米国からも押し寄せる悲しみの声■MMA Unleashed
2018-09-21 10:5372pt
Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマは追悼、山本”KID”徳郁 米国からも押し寄せる悲しみの声 です!
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ガンで闘病生活を送っていたことを明らかにしていた山本”KID”徳郁が、9月18日(火)に死去した。享年41歳だった。
若すぎる旅立ちに言葉もない。
筆者が定点観測している米MMA記者、MMAファイターだらけのTwitterタイムラインでも、この一報を受けて、これまでに見たこともないほどたくさんの悲痛な追悼のメッセージが投稿された。
そこで今回は、この報道を受けての米国での反応を紹介して、故人を偲(しの)びたい。
●MMAファイター
ユライア・フェイバー
キッド・ヤマモト、安らかに。悲しい日になった。彼のことは尊敬していた。軽量級の真のパイオニアだ。体調が悪いと知っていれば、何かできたのにと悔やまれる。人生ははかないものだ。
エディ・アルバレス
僕がMMAを始めた頃、VHSテープでキッドの試合を見たことを覚えている。リング上のヤマモトは凶暴さの塊だった。けして忘れない。
BJペン
悲報に大きな衝撃を受けている。MMAは本物のレジェンドを失ってしまった。
ジェフ・カラン
キミとの試合で学んだことはずっと忘れない。すばらしい対戦相手になってくれて、そしてその後は友だちになってくれてどうもありがとう。
レイ・セフォー
キッド・ヤマモト、安らかに。押忍! ご家族にお悔やみを。
アリスター・オーフレイム
安らかに。MMAの本物のレジェンド。
マイケル・チエザ
2000年代の中頃、オレはずっとシャードッグばかり読んでいて、そこでキッド・ヤマモトという日本人の噂(うわさ)を耳にした。インターネット上を探し回って、彼の試合や記事をあさったものだ。ただ、オレにとっては謎の男でもあった。というのも、なかなか試合をライブで見ることができず、試合があるたびにニュースサイトにかじりつくしかなかったからだ。間違いなくオレにとってのオールタイム・グレイトの1人だ。このスポーツへの貢献に感謝したい。
サラ・カフマン
すごく悲しいニュースだ。キッド・ヤマモト、安らかに。あなたの試合を見るのがすごく好きだった。
クリス・サイボーグ
キッド・ヤマモトが亡くなったと聞いた。本当に悲しい。クレイジー・ビーのみなさん、ミユ・ヤマモトの無事をお祈りします。
ギャビ・ガルシア
私は彼の家族が大好きだった。心が折れてしまった。アイドルと友だちを失ってしまった。ヤマモトファミリーにお悔やみを。
カブ・スワンソン
畜生。キッド、安らかに。
パット・ミレティッチ
キッド・ヤマモト、安らかに。すごい選手だった!
サモア・ジョー
ノリフミ・キッド・ヤマモト、たくさんのエキサイティングな時間をありがとう。
●プロモーター
デイナ・ホワイト(UFCプレシデント)
ノリフミ・”キッド”・ヤマモト、安らかに。
スコット・コーカー(ベラトールCEO)
世界は今日、本物のウォリアーを失った。”キッド”・ヤマモト、安らかに。
チャトリ・シットヨートン(One FC CEO)
レジェンドは永遠なり。
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全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話■木原文人✕小佐野景浩
2018-09-18 12:32110pt
プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は全日本プロレスのリングアナウンサーなどでおなじみ「木原のオヤジ」こと木原文人氏との対談!全日本プロレスの秘話を16000字でお届けします! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!
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折原昌夫インタビュー後編「天龍さんの引退試合を見に行かなかったのは……」【濃厚18000字】トンパチ折原昌夫が明かす全日本プロレス、SWSの信じられない話!!更級四郎×ターザン山本 G馬場ブレーンの語らい――全日本プロレスが再生した日
北原光騎 男が男に惚れる天龍劇場「俺にとって天龍さんは“神様”だよ」
倉持隆夫 元・全日本プロレス中継アナウンサー「作られたスポーツを実況するということ」
ウォーリー山口 プロレスなんでも屋「ジャイアント馬場と竹内宏介、ふたつのG魂」
<これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>プロレスラーが憧れたプロレスラー、マサ斎藤さんあの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩最後まで全日本プロレスを愛した馬場元子さん
最後のムーンサルトプレス……天才・武藤敬司WARからイッテンヨンへ! ライオン・ハート時代のクリス・ジェリコ
「情」で生きる佐々木健介の激烈人生!
プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
癌に勝った絶対王者・小橋建太悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー
輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!
全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信
鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”
小佐野 プロレスの世界でやったことのない仕事ってないでしょ?木原 リング屋、リングアナ、広報、営業、通訳、音響、照明……KAIENTAI-DOJOや『ガンバレ☆プロレス』でプロレスの試合もやりましたからね。やってないのはレフェリーくらいですよ。
小佐野 オヤジ(木原のあだ名)が音響をやってなかったら、じつはテーマ曲ってここまでプロレス界に普及してなかったんだもんね。
木原 自分で言うのもなんですけど、音響のパイオニアですよ(笑)。照明は(和田)京平さんに教えてもらいましたけど、音響は教えてもらう人がいなかったですから。東京工芸大学時代に習ったことも活かしました。
小佐野 それまではテレビ中継のときだけ会場にテーマ曲が流れてて。普段の地方興行ではテーマ曲をかけてなかったよね。
木原 地方の体育館には音響の設備もないし、当時のプロレス団体も音響担当がいなかったですからね。87年から89年くらいかな、第1試合目から入場曲をかけるようになったのは。
小佐野 それこそ最初のほうは、用意したカセットデッキにマイクを近づけて場内に流していたでしょ(笑)。
木原 だから音がメチャクチャ悪かったんですよ。開場時と大会終了後に流れる音楽や、勝者のテーマ曲もボクが勝手に流して始めたんですよ。それまでは日本のプロレス界にはそういう文化がなくて、無音の会場でしたよね。勝者のテーマ曲は、WWE(当時WWF)と仕事(日米レスリングサミット)をしたあとから機会があれば時々やるようになって。
小佐野 あの当時、全試合テーマ曲を流すことは冒険だったと思うよ。
木原 「前座の試合の入場にテーマ曲を流すのはおかしい」とよく怒られましたね。初めて第1試合でテーマ曲を流したのは小橋建太選手や菊地毅選手なんですけど。若い選手の試合にテーマ曲が流れると、先輩にイジメられちゃう時代でしたからね。
小佐野 先輩方に「顔じゃねえぞ!」って言われてたよね。
木原 ボクはリングアナですけど、試合の担当じゃないときは売店に立ってないといけないんですが、音響をやるときは売店を抜けることになります。すると「オヤジがまた音楽で遊んでる」って日々言われていました。
小佐野 全試合入場曲は新日本とどっちが先なんだろうね?
木原 どうなんですかねぇ。どっちが先かはわからないけど。ただ、言えるのは全日本も新日本も当時はひとり何役かするのが常識でしたから、音響だけの担当はいなかったと思います。その後SWSには音響の業者が入ってたと記憶していますね。
小佐野 SWSから興行もいろいろと変わった感じはあるよね。
木原 いまは音響の設備もちゃんと整ってますからね。ボクが音響のやり方を教えた人間がプロレス界のたくさんあちこちに散らばってますよ。
小佐野 宮原健斗の入場パフォーマンス、オヤジが音響じゃないと無理でしょ?
木原 あの音を絞ったり上げたりは簡単にはできないですね。宮原選手と打ち合わせしてるわけじゃないんですが、「ここでほしいだろうな……」ってときに合わせて調整しています。
小佐野 職人芸だよ、あれ。「ケント!!」コールと曲のバランスが絶妙で。
木原 ありがとうございます。地方興行で「ケント!!」コールが起きないときはボクが声を出してるんですよ(笑)。
小佐野 誰かの一声がないとね(笑)。
木原 宮原選手に「ボクの入場はボクと木原さんとで作り上げたと思ってます」って言われたときは凄く嬉しかったですね。音響係冥利に尽きますね。この世界って何か決まりがあるわけじゃなくて、ホント感性とセンスですからね。そういえば(仲田)龍さんに頼まれて、NOAHの後楽園ホールに音響の手伝いに行ったことがあったんですよ。
小佐野 龍さんは全日本プロレス時代のリングアナの師匠だもんね。
木原 龍さんからすれば、NOAHの人間におまえの仕事を教えてやってくれって意味もあったんですけど。なんと、そこにたまたま新日本の永田さんが試合に出てて、勝利を収めた永田さんの曲を流したらリング上の永田さんと目が合ったんですよ。永田さんは「なんでNOAHの会場にいるんだろう?」みたいな感じでボクを見つめたんですが、その瞬間ボクは思わず「THE SCORE」を流しました。すると永田さんが踊り出しちゃって……。
小佐野 ナガダンスね。あれ、現場にいたけど、よく「THE SCORE」を用意してたなあと思って(笑)。
木原 ほとんどの曲をボクは持っているので、すぐにスタンバイしました。聞くところによると、永田さんは、あれ以来NOAHでも踊ることになりましたからね。
小佐野 「緑のマットを青に染め上げた!」って言って踊り続けてたもんね(笑)。
木原 あれは誰の確認も取らないで、もちろん龍さんの確認も取らないで流したんですけど。プロレスってナマモノですから、ひらめきが大切だってことなんですよね。
小佐野 そもそもオヤジはいつ全日本に入ったんだっけ?
木原 社員としてなら、長州さんたちがいなくなったときの後楽園ホール。
小佐野 1987年4月だよね。菊地(毅)が入門した時期と一緒かな。
木原 さかのぼること2〜3年前から全日本にはバイトとして出入りしてたんですよ。まだ学生でしたけど、小佐野さんとも会話はしてますよね。
小佐野 してるよねぇ。
木原 たとえば屋外の大会では控室はテントじゃないですか。そこに床屋さんを呼んで馬場さんが髪を切ってもらったり、みんなでキャッチボールをしたり。屋外試合って面白かったですよね。
小佐野 はいはいはい(笑)。
木原 屋外だと控室の仕切りがないから、そういうときにマスコミの皆さんとお話をさせてもらえる機会がありましたね。
小佐野 バイトではいつぐらいから始めたの?
木原 高校3年生になった頃ですかね。
小佐野 ということはジャパンが全日本に来る前あたりかな。俺が全日本プロレスの担当になったあたりだね。
木原 自分が付けたコーナーマットがテレビや雑誌に映っているのは感動モノでしたよ。全日本のアルバイトなのにUWFのトレーナーを着ていったこともあります。それで「UWF」というあだ名をつけられて、そのあと三沢(光晴)さんの命名で「オヤジ」になりました。あの頃の全日本ってボクみたいな若いバイトがいっぱい集まってたんですよ。龍さんがその走りで。
小佐野 馬場夫妻ってプロレスファンの若い子たちが好きだったよね。いま新日本のレフェリーのレッドシューズ海野くんや、新生K−1プロデューサーの宮田充くんも手伝ってたでしょ。
木原 そうですね。いまでも活躍してる人が多いですね。ボクの場合は、全日本の四日市大会を見に行ったときに売店で「リングの片付けを手伝ってもらえないか」と京平さんに誘われたのがきっかけです。ボクはプロレスが好きですけど、好きなのはプロレスだけじゃなく、プロレス記者、カメラマン、リング屋、テレビの作り方……など、すべてのプロレス業務に興味がありました。
小佐野 それがいまのなんでもやることにも繋がってるわけね。あの頃の全日本って子会社がいろいろとあったでしょ。最初はB&Jの社員?
木原 そうです。でも、ジャイアントサービスからも給料をもらったり、リングアナになってからは全日本からもギャラをもらったりして、ありがたかったです。
小佐野 みんなそんな感じだよね。こないだ海野くんに話を聞いたときもジャイアントサービス、全日本プロレス、B&Jから給料もらったって。
木原 さらにボクはTシャツやタオル、テレフォンカードのイラストやデザインも手がけていました。ある日、馬場さんがボクが描いたバスタオルを見て「オヤジは絵がうまいなあ。ようし、1枚書いたら俺が10万やる。だからこれからも頑張れ」と言ってきたんですよ。油絵もやられてる馬場さんに絵がうまいと褒められたのは励みになりましたね。
小佐野 馬場さんに絵で褒められるのは凄いよね。リングアナはいつからやったの?
木原 リングアナは89年にデビューしたんですけど、1年前の88年にやる話もあったんですよ。馬場さんから「オヤジ、次のシリーズからアナウンスせえ」と言われて。
小佐野 なんで遅れたの?
木原 ボクはリング屋の立場で毎日会社に行かなくてよかったんですけど、たびたび顔を出してたんですよ。ファンクラブの会報誌のお手伝いとか、もろもろ雑用もあったし、会社にいれば誰か選手が来て手伝うこともあったし。先輩スタッフの昔話を聞いてるだけで幸せでしたね。どこかでヒマを潰したり、遊んでるんだったら会社にいたほうが面白いと思って……。
小佐野 プロレスという世界が好きだったんだね。
木原 電話番もしてたんですよ。ある日、馬場さんにCM出演依頼が来て「馬場のCM出演に関しては、絵コンテや企画書を送ってください」と話をして電話を切ったら、元子さんが凄い目つきで睨みつけていて。「みんな、ちょっと集まって! この子、馬場さんのことを呼び捨てにした!」と突然怒られました。
小佐野 うわあ〜(笑)。
木原 だって、社外の方に対しては自分の上司の名前に「さん」付けはしないですよね。
小佐野 「さん」を付けちゃダメなんだよね。
木原 ただ、当時の全日本はちょっとややこしい状況で。日本テレビから出向していた松根(光雄)さんが社長だったんですよ。元子さんは「馬場会長」という名前の意識が強くて……。
小佐野 はいはい、初代社長だった馬場さんは会長になってて。元子さんからすれば「馬場会長」だもんね。
木原 そんなときに電話口で「馬場」と呼び捨てしたボクが許せなかったんでしょうね。「この子にはリングアナをさせられない!」っていうことになって。全日本は元子さんが黒だと言えば、白いものも黒ですから(笑)、京平さんたちも「馬場さんを呼び捨てするなんて、とんでもない野郎だなっ!!」という話になって。
小佐野 ハハハハハハハ。ありがちだね。
木原 ボクも突然だったので「すいません、ボクが悪かったです」と謝るしかなくて。それでリングアナデビューが遠のきました。馬場さんからすれば「オヤジはなんで今シリーズからリングアナをやらんのだ?」ぐらいの感覚だったと思いますよ。
小佐野 細かい事情は知らないだろうからね。
木原 用意した衣装はトラックに何ヵ月も積んだままでした。そんなある日、木更津で興行があったんですけど、龍さんが大渋滞に巻き込まれて会場到着が遅れることになりました。すると元子さんが「オヤジは衣装を持ってるからリングアナができるわよ」ということになり、鶴見五郎vsリチャード・スリンガー戦からリングアナをやることになったんですよ。あのとき龍さんが遅刻してなかったら、その後もリングアナもやってなかったかもしれないですね。木更津でデビューなんて、奇遇なことに龍さんと同じ会場なんですよ。これも運命だったんですかね。
小佐野 思ったんだけど、全日本のリング屋さんってみんな器用というか、“プロレスごっこ”もうまかったでしょ。受け身もちゃんと取れるしさ。
木原 ボクが最高のやられ役で、全員の技を全部受けましたよ(笑)。
小佐野 馬場さんは“プロレスごっこ”は嫌いじゃなかったよね。楽しくニコニコ見ていて。普通だったら「おまえら、リングで遊ぶな!」って怒られそうだけど。
木原 「もっとやれ、もっとやれ。他の技もやれんのか? なんで教えてないのにこんなにうまくできるんだあ?」って感心してましたよ(笑)。じつはボクは学生の頃にウォーリー(山口)さんの店に出入りしてて、当時TPG(たけしプロレス軍団)の練習生だった邪道さんや外道さんと一緒にトレーニングしたこともありましたからね。
小佐野 西馬込のマニアックスね。リングが置いてあって。
木原 馬場さんから「オヤジは運動神経がいいなあ。レフェリーをやってみるか」という話になって。で、ボクの代わりに西永(秀一)がリングアナをやる話が浮上してきたんです。すると西永が「リングアナだけをやりたくない」って馬場さんに言ったみたいです(笑)。
小佐野 あー、なるほどね(笑)。
木原 馬場さんは「オヤジはリングアナとしてパンフレットにも載ってるしなあ」ということで、ボクのレフェリー転向の案はなしになりました。後日、龍さんが「西永の野郎、どうしてもリングアナはイヤだって言いやがって。俺らのことをナメてるよな」と。龍さんに「そうですね」と言いつつ、ボクもできることならレフェリーをやりたかったですけどね(笑)。
小佐野 当時のレフェリーは新日本だとミスター高橋さん、国際だと遠藤光男さんとか、みんなゴツゴツした身体じゃない。全日本プロレスだけはレフェリーという専門の職業を作ったんだよね。そこは素晴らしいなと思った。
木原 だからみんな身長は小さいですよね。選手より大きかったらマズイですから。西永は背が高かったからホントはマズイんですけどね(笑)。でも、ジョー(樋口)さんは身体がゴツかったんですよ。
小佐野 ジョーさんは元レスラーだもんねぇ。
木原 ボクは全日本のレジェンドと呼ばれる人たちの家には遊びに行かせてもらってるんですよ。ジョーさん、ラッシャー木村さんや寺西勇さんとか。家で昔の写真を見せてくれるんですよ。若かりし頃のジョーさんがベンチプレスで160キロを挙げている写真は驚嘆でした。作/アカツキ
小佐野 オヤジは木村さんたちから「モノマネをやってくれ」ってよく言われてたよね(笑)。
木原 そうですね。ベテランの方々には仲良くしてもらいました。全日本が分裂してほとんどがNOAHに行くことになったじゃないですか。あのときNOAH勢が全日本の地方興行に4大会だけ出たことがあったんです。
小佐野 分裂前に契約していた売り興行だから、NOAH勢も出なきゃならなかったんだよね。
木原 あのときはさすがに両陣営がギスギスしていたんですけど、ボクだけNOAH勢の控え室に呼ばれて、永源(遙)さんに「おい、オジキ(木村)が馬場さんのマネを見ないと元気が出ないんだって言ってるぞ、おい」ってことで、木村さんの前で馬場さんのマネをやらされました(笑)。
小佐野 活字では伝わらないけど、オヤジの馬場さんの形態模写はホントうまいよね。歩き方から薬を飲み方まで。馬場さんのそばにずっといたことの証だよ(笑)。
木原 そうですね。たとえば握手の仕方、何気ない動作、息遣い。三沢さんに言わせると「オヤジのモノマネは普段の細かい動き過ぎて、テレビでは絶対にウケないよな」って言われてました。
小佐野 リング上のプロレスラーのモノマネじゃないってことだよね。 でも、天龍さんのモノマネで全日本の合宿所に電話して小橋が焦ってなかった?(笑)。
木原 いろいろやりましたね。最近だと店を予約するときは佐々木健介のモノマネです(笑)。
小佐野 そういえば天龍さんはSWS時代、小橋を殴りに合宿所に行ったことあったでしょ。
木原 なんかありましたねぇ。
小佐野 あれは小橋が折原昌夫に「おまえはどうせSWSに行くんだろう?」ってイジったら、酔っ払った天龍さんが夜中に乗り込んだんだよね(笑)。そうしたら新弟子の浅子覚しかいなくて。天龍さんはゴルフクラブを持ってたから、浅子は怖くて2階まで逃げたんだけど、天龍さんが追っかけてきて万事休す。「おまえは誰だ?」「新弟子の浅子です!」「そうか、頑張れよ!」って高額の小遣いを置いていったもらった逸話があるよね(笑)。
木原 単なるいい話ですよ(笑)。全日本プロレスとNOAHの分裂騒動、元子さんが激怒した天龍源一郎復帰秘話、ビンス・マクマホンを襲撃!?……16000字対談の続きは会員ページへ!
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UFC日本再侵攻! 堀口恭司UFC復帰のタイミングはここだ!?■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク
2018-09-14 12:3272pt
多くのMMAファイターをマネジメントするシュウ・ヒラタ氏が北米MMAシーンを縦横無尽に語りまくるコーナー。今回のテーマはUFC日本再侵攻! 堀口恭司UFC復帰のタイミングはここだ!?です!【1記事から購入できるバックナンバー】・【井上姉弟NYへ飛ぶ】海外練習の環境作りはここまでやります!・【契約問題】アンディ・サワーもRIZINもやれることがあった・「30代のアジア人でもUFCと契約できます!」・格闘家の皆さん、契約書はちゃんと読みましょう!!
――RIZINの那須川天心vs堀口恭司、ONEの日本大会開催が発表されましたが、北米ではどういう扱いなんでしょうか?
シュウ あー、こっちではなんの反響もないですね(笑)。太平洋を越えるとほとんど話題になっていない、というのが現実です。
――ズバリ言い切りましたねぇ(笑)。
シュウ 正直、北米ではRIZINやONEを見ている人はほとんどいないんですよ。日本のファンはもちろんRIZINを知っているけども、アメリカの団体をチェックしてるかといえば、そういうわけでもないですよね。
――まあ、ポーランドのMMAイベントKSWを熱心にチェックはしないですし。
シュウ あくまでアジアの団体の出来事なので、もちろんRIZINもONEも知ってはいるけど、レーダーには入ってないみたいなところはありますよね。ボクにはブラジルにもう15年ぐらい一緒に仕事をしているビジネスパートナーがいるんですけど、彼はスカウト能力が凄く高くて日本のグラチャンまで見てるんです。その彼がONEがブラジルのどこのチャンネルでやってるのかわからなくて苦労したと言ってましたし。ブラジル人のビビアーノ・フェルナンデスが出るからブラジル人が見るかといったら、そういうことでもないですしね。
――日本人選手がUFCが出るから日本人が見るかといえば………ってことと同じですね。
シュウ 那須川選手と堀口選手のキックルールに関して言えば、北米ではキックボクシングの価値が低いということもあるんですね。北米はほかに人気プロスポーツが多すぎるんです。UFCは堀口選手はもちろんのこと、天心選手もいつでも契約してもいいくらいの評価はしてるんですけど。――その天心vs堀口がUFCの日本大会に影響を与えるんじゃないか……という話はあとにするとして。正直UFC以外のMMAイベントって、その規模や実態が見えづらいないところがあるんですね。
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