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記事 28件
  • 【非会員でも読める10万字・詰め合わせセット】シンサックの奥さん、マサ斎藤、加藤清尚、レスナー……

    2018-08-31 23:59  
    550pt
    非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! part55は大好評インタビュー16本、コラム5本、10万字オーバーで540円!!(税込み)

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    part55 

    ◎Uのミライを見た女――高岡左千子「私は運気からUWFのスケジュールを組んでいたんです」
    ◎きみは大道塾の超人・加藤清尚の「当然の奇跡」を知っているか
    ◎プロレスラーが憧れたプロレスラーマサ斎藤さん■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
    ◎怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」■斎藤文彦INTERVIEWS
    ◎堀口恭司のマネジメントが語る那須川天心と絶対に戦うべき2つの理由■石井史彦
    ◎「9月のRIZINは持てるものすべてをオールインします」笹原圭一RIZIN広報インタビュー
    ◎浅倉カンナインタビュー……大炎上リマッチで深まったRIZINを背負う覚悟
    ◎「浅倉カンナvsRENA」の素晴らしさをチェール・ソネン、巌流島から語ってみる
    ◎【RIZIN登場】日沖発インタビュー「地元・名古屋の試合はこれが最後なんじゃないかなと」
    ◎QUINTETは最終的には『週刊プロレス』にも載って欲しい■QUINTET審判団・新明佑介
    ◎【賢者か、変人か】デメトリアス・ジョンソン、もうちょっと悔しがってよ!■大沢ケンジ
    ◎海外練習の環境作りはここまでやります!■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク
    ◎“世界と戦う”ニッポン女子格ファイター、ニューヨークへ行く/魅津希インタビュー
    ◎「プロレスラーは強いんです!!」……金原弘光が大病から奇跡のリング復帰!!
    ◎棚橋弘至優勝! G-1クライマックス!!■二階堂綾乃
    オマスキファイトのMMA Unleashed
    ・マクレガー対ヌルマゴメドフ実現:全ての伏線はオクタゴン内で回収される!
    ・アメリカの大学スポーツ部でも不祥事! 学生時代のコールマンもセクハラ被害を受けていた!
    ・最強デミトリアス・ジョンソン妄想世界ツアー「RIZINのベルトを取りに行く」
    ・ニック・ディアスのDV逮捕騒動、その後を追う:ニックは痛いファンにハメられたのか
    アメプロインディ通信「フリーバーズ」・新日本プロレスのニューヨーク侵攻!! ROHの証言
    ・竹田誠志、米デスマッチトーナメント出撃! 「アメリカのファンをドン引きさせたい」
    ◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉「新生UWF社長・神新ニのブレーンにして、船木誠勝ら多くの選手の名前を改名させた占い師がいる」――『1984年のUWF』を契機に続々と出版されるUWF関連書籍。それらの誌面をときおり賑わす「シンサックさんの奥さん」が気になって仕方ないUマニアは多いのではないだろうか。Uの重要人物でありながらも情報量が少ないことや関係者たちの一方的な証言もあり、オカルトチックなイメージができつつあった謎の女性、それが今回登場していただいた高岡左千子氏だ。「Uのミライを見た女」にとって新生UWFとはなんだったのか? 
    ――高岡さん、今日はよろしくお願いいたします。
    高岡 どういう話を聞きたいの?
    ――高岡さんは数多くの格闘家やプロレスラーの占いをされて、ためになるアドバイスを送られていたそうなので、そのへんのお話を……。
    高岡 そういう話ね。でも、占いだけではないのよ。簡単に言葉にするのは難しいんだけど、その人間の運気を見てあげるのね。人間の運命というのは努力と実践で変えていくことができるから、悪いときには悪いときの過ごし方、良いときには良いときの過ごし方があって、どういう過ごし方をすればいいのか羅針盤を示してあげるわけ。
    ――なるほど。“気づき”を与えてあげるとでもいいますか。
    高岡 いまでも見てあげてるのよ。ジムを開こうとしている場所、日時とかね。
    ――もともとそういうお仕事をされてきたんですか?
    高岡 仕事としてはやってない。趣味でやっていたんだけど、最初は大学のときに心理学を必須科目で始めたのがきっかけ。あとウチの父親が姓名判断をやっていて。
    ――そういった血筋を受け継いでるんですね。
    高岡 私の場合、全部独学なんだけどね。
    ――旦那さんであるシンサックさんは有名なムエタイファイターであり、前田憲作さんをはじめ多くのキックボクサーを指導した伝説的なトレーナーですけど。どういう縁で知り合ったんですか?
    高岡 誰かの紹介。格闘技は全然好きじゃなくて、試合を見に行くこともそんなになかったんだけど。このジムだって、もともとやるつもりはなかったんだけど、旦那がUWFの選手にキックを教えたり、セコンドに付いていたりしてたんですよ。
    ――安生洋二さんがチャンプア・ゲッソンリットと引き分けたのは、シンサックさんの指導力もあったそうですね。
    高岡 最初はここにジムがなくて、高速道路の下にある公園で練習をやってたの。
    ――松葉通りのところですよね。
    高岡 どこも貸してくれなかったのよ、あの時代。べつに壁を叩くわけじゃないのに「壁を壊されるから」とか言われてね。重機ミシンの大きな会社の大きな体育館が国領にあって、交渉して貸してもらうことになったんですよ。そこで2年くらいやったかなあ。たまたまいまのジムの大家さんが昔キックが好きで、借りられることになって千歳烏山の駅前で20年近くやってる。年中無休深夜3時まで。
    ――タフですね!(笑)。高岡さんがUWFのアドバイザー的な役割を務めることになったのは、何がきっかけだったんですか?
    高岡 きっかけは、なんだろう? Uの選手がウチのジムに来てたからじゃないかな。あと公園でやってる頃は、UWFの道場を使えるときもあって。それで砧の道場に何回か行ったことある。
    ――そうやってコミュニケーションを取るようになったんですね。
    高岡 だからいろんな関係者のことは知ってます。最近亡くなった木暮(祐二)さんとも親しかったしね。木暮さんのことも見ていた時期があったんですけどね。
    ――木暮さんはUWFやリングス影の功労者ですね。
    高岡 新生UWFは新日本から抜けて作ったでしょ。そのときに社長の神(新二)さんが相談が来たの。そのとき神さんに言ったのは「相談を受けるのはいいけども、私の言ったことを100%聞いてくれる? 聞いてくれるなら協力する」と。
    ――神社長はどうしてそこまで高岡さんを信頼するようになったんですか?
    高岡 にっちもさっちもいかなかったからでしょ、それまで。UWFがダメになって、新日本に戻りました。また飛び出して新生UWFを作ったけど、先行きに不安はあったんじゃないですか。
    ――そこで高岡さんに運気を見てもらおうと。
    高岡 私は1年先のスケジュールまで組んだんです。実際には3年先まで見るんだけど、1年1年でUWFの計画を立ててたの。なぜかというと、1年1年でみんなの運気が変わるから。
    ――その1年間の動きで運気は変わっていくんですね。
    高岡 当時の資料は捨てちゃったかな、UWFとサヨナラしたときにね。当時のノートにUWFの1年間のスケジュールを組んであってね。選手の運気を見ながら会場の大きさ小ささも考えて、運気が悪かったら会場は小さくする。東京ドーム大会も11月の運気がいいから、1989年11月29日にやるって決めてたんですよ。でも、その日の東京ドームは他のイベントが入ってたの。だけど、私は神さんに「絶対にキャンセルになるから予定に入れときなさい」って言ってたんです。
    ――えええ!?大好評インタビュー16本、コラム5本、10万字オーバーの詰め合わせセットはまだまだ続く!!
     
  • きみは大道塾の超人・加藤清尚の「当然の奇跡」を知っているか

    2018-08-31 18:49  
    91pt
    総合格闘技が萌芽し、グローブ論争などで揺れ動く80年代後半の格闘技界――その震源地のひとつだった大道塾で「小さな巨人」と呼ばれた伝説の格闘家、加藤清尚師範インタビュー。格闘技ファンなら憧れの存在であった加藤師範に、格闘家たちが「狂っていた」あの時代の空気から、右足切断の危機に見舞われた交通事故からの復帰までを語っていただきました!【1記事から購入できる関連企画】・【和術慧舟會創始2万字語り】西良典インタビュー「総合格闘技がなかった時代の話をしよう」
    ・村浜武洋“流浪と怒り”のロングインタビュー「やるか!? おう、コラ! ああん!?」・「佐山先生に言われたんです。俺の影になってくれと」…中村頼永インタビュー<シューティング黎明編>・運命のバリジャパ、安生道場破り、幻の長州戦真相――中村頼永インタビュー<ヒクソン来襲編>・紀元前のシューティング……「スーパータイガー・ジムに通った高校生」/ソムチャーイ高津
    ――試合映像が見られなかったあの時代は『格闘技通信』なんかでその活躍を目にして興奮していましたが、加藤清尚さんといえば80・90年代の伝説の格闘家で。
    加藤 いえいえ(笑)。
    ――「グラップラー刃牙」の加藤清澄のモデルになるのも納得の存在感があったというか(笑)。しかし、いまでも身体はゴツいですよねぇ。
    加藤 まあ、これが仕事なんで。試合に出るわけじゃないんですけどね。
    ――165センチの加藤さんの体格で北斗旗無差別級を制覇したって凄いことですよね。
    加藤 やっぱり身体が小さくても大きい人に勝つっていうことに憧れがあったので。体重別ももちろん出ていましたけど。先輩に無差別で優勝した方がいたので。岩崎弥太郎先輩なんですけど、自分もそういう格闘家になりたいなっていう。
    ――岩崎さんは160センチなかったんですよね。当時は無差別志向は強かったですよね。
    加藤 そうですね。いま振り返ると、なかなか難しいことではあるんですけどね、無我夢中でしたから。
    ――加藤さんがもともと格闘技を始めたきっかけはなんですか?
    加藤 『空手バカ一代』を読んでからですよね。自分らの世代ってだいたいそうじゃないですか。あのマンガを読んで空手の世界に入って。それまでは野球とかやってたんですけど、団体競技が合わなかったので。個人競技で身体一つで強くなりたいってことですね。当時は空手で世界を旅するとかロマンがありましたし。
    ――ケンカは強かったんですか?
    加藤 いや、べつに。ケンカ自体全然しないですよ。でも、普通の男だったら強くなりたいっていうふうに思うじゃないですか。腕力的な強さ、単純な強さに憧れるっていうか。そのへんが動機でしたね。
    ――それで地元・仙台にあった大道塾に入ったんですね。
    加藤 当時の仙台には強い選手がたくさん集まってたんですよ。
    ――大道塾はスター軍団でしたよね。西良典、長田賢一……そのあとも続々と選手たちが集まって。
    加藤 強くなりなりたいと野望を持った若者がみんな仙台に来てたので(笑)。環境的にも恵まれてたなって思いますね。そこは東孝塾長の求心力は凄かったってことですけど。
    ――強くなることしか考えないという狂気性があったというか。
    加藤 いまもそういう人はいる……のかな(笑)。当時は「みんな変わってんなあ」と思ってましたよ。自分が一番まともだなって思ってましたからね(笑)。
    ――ハハハハハハハ! みんな自分が一番まともと思ってそうで(笑)。
    加藤 「この先輩凄いけど、ちょっと変だな……」って。そうでもなきゃ強くなれないのかもしれないですしね。
    ――以前、長崎で西先生を取材したときも、穏やかなんですけど、言ってることがおかしいんですよ。「当時は少年部の指導が面倒くさくてね。自分だけが強くなりたいのに邪魔くさくてしょうがなくて」とか(笑)。
    加藤 西先輩は自分が高校時代のときに一番お世話になった先輩で。高校三3年間は通いだったんですけど、毎日道場で一緒でしたね。西先輩は木村政彦先生の弟子ですからね。木村先生も凄かったわけじゃないですか。
    ――あの拓大柔道部出身ですからねぇ。
    加藤 当時の拓大柔道部なんて「やめる」といった部員の親まで呼び出されて大変な目に遭ったみたいですからね。
    ――日大タックルどころじゃない(笑)。
    加藤 あの当時の格闘家はみんなおかしいんですよ。山田学とは当時から親しかったんですけど、いまも凄いですよ。朝6時に起きて夏の暑いときに自転車で50キロ走って(笑)。競輪選手と一緒に練習してるみたいですけど「競輪選手に転向しろ」と勧められるくらい早くて。
    ――シューティングもその点は最高なんですよね。中井祐樹先生もいまは聖人君主みたいな扱いですけど、危ないですし(笑)。
    加藤 田中健一さんもステキでしたよ(笑)。あと本間聡とか。
    ――あ、じつは今度新潟で本間さんを取材するんですよ。
    加藤 ああ、本間ちゃんと親友なんですよ。30年くらいの付き合いで。東京に来たときは酒をよく飲みますし。
    ――加藤さん、酒が強いんですよね。ロシア人をウオッカでKOしたとか。
    加藤 ああ、自分が勝ちましたね。大道塾が初めてロシアに行ったときに歓迎パーティーがあるじゃないですか。
    ――「乾杯!」「乾杯!!」の連続でゲストが潰されるやつですね(笑)。
    加藤 塾長に「負けるなよ!」と言われて。あれはロシアで空手普及が解禁になったときで大和男子を見せましたよ。ロシア人はみんな吐いてました(笑)。
    ――大道塾のロシア進出にはウオッカの勝利も効いてたんですね(笑)。
    加藤 本間ちゃんとは自分が仙台から東京に移ってきたときは出稽古したり。彼は平直行さんと一緒にゼンショー総合格闘技部だったじゃないですか。
    ――すき家の親会社がそんなことやってたなんていまでは信じられないですけど。
    加藤 当時は俺も市原もフリーターだったこともあって、東塾長から「ゼンショーに入れ」って言われたんですよ。東塾長からすれば将来が不安があるんだったら入ったほうがいいと。当時自分はキックをやってましたけど、総合格闘技にも興味あったし。本間ちゃんはリングスに出てたじゃないですか。あれに出たかったんですよね。
    ――リングスの実験リーグですね。リングスで戦う加藤さんは見たかったです!
    加藤 ゼンショーは各団体のチャンピオンウラスを集めようとしていて、自分らが入るなら特待Aの扱いだったんですよ。特待Aは16時まで仕事をして、それ以降は練習できる。でも、平さんに聞いたら「残業があるよ」って(笑)。
    ――そんなに甘い話じゃないよと(笑)。
    加藤 真剣に考えましたよ。市原とも話をしたんですけど「続かないだろうな」ってことで。そうこうしているうちにキックをやるためにアメリカに行くことになったんですけどね。
    ――市原さんとはいまでも繋がりはあるんですか?
    加藤 自分は全然会ってないですね。会った人はいないんじゃないかな。
    ――最後に市原さんを確認できたのは『ゴング格闘技』で……。
    加藤 ああ、桜庭(和志)さんと対談したやつですよね。あれって2000年くらいですよね。でもまあ、アイツらしいですよ。人付き合いがいいわけでもないし、スパッとやめて格闘技界から姿を消して。アイツは天才でしたよ。変な奴かもしれないけど、天才。ホント強かったですよ。
    ――あのギラギラ感はいまの日本人格闘家にはないですよね。
    加藤 あの集中力、殺傷能力はヤバイですよね。
    ――話は戻りますが、総合格闘技誕生以前は顔面あり・なし、グローブ論争が激しかったじゃないですか。
    加藤 そうでしたね。大道塾が素面(スーパーセーフ)で素手の顔面ありを始めて。道着で無差別でやるっていうのが総合格闘技の走りじゃないですけど。
    ――かなり画期的でしたよね。
    加藤 自分らもまだ手探りの状態ではありましたよね。格闘技の知識はなく憧れしかないから、「そういうルールでやるんだ」って。やってくうちにいろいろなことがわかってきて、他の格闘技の研究を始めて。仙台にボクシングジムができたときは西先輩と一緒に通ったり、ボクシングやキックボクシング、極真空手とか他の空手の試合も見るんですけど。当時は映像がなかなか手に入らなかったんですよね。
    ――西先生も同じこと言ってましたね。
    加藤 何かのビデオが手に入ったらみんなで見たり、貸してもらったらテープが擦り切れるまで何度も見るから、どんどん画像も悪くなって(笑)。
    ――YouTubeなんかであたりまえのように転がってるいまとは違いますね(笑)。
    加藤 たとえばスイッチしてのミドルキックってあるじゃないですか。当時は教えてくれる人が近くにいないですし、蹴り方がよくわからなくて。仙台にキックボクシングジムはあったんですけど、交流はなかったし、出稽古に行くという発想もなかったんですよ。いまなら会場で知り合って練習するっていうこともあるんですけど。あの頃はムエタイのビデオを見て、どうやってミドルを蹴るのか何回も何回も見直すんです。コマ送りで(笑)。
    ――いや、ホント大変な時代ですね!(笑)。
    加藤 最初はどうしても蹴れないんですよね。何回も何回もビデオ見て、そのうちなんとか蹴れるようになってきて。あとになってタイに行ったときに左ミドルは直されませんでしたからね。その方法で間違いではなかったんです、フォーム的に。
    ――それだけ真剣に技術解析していたってことですね。
    加藤 ムエタイのビデオなんてめったに手に入らないですからね。長田先輩がタイで試合をしたときがあったじゃないですか。
    ――現役ウェルター級王者のラクチャート戦ですね。急に試合をすることになってKO負けしたもののダウンを奪って。
    加藤 帰ってきたときにその試合のビデオを見せてもらって。先輩も凄いけど、タイ人もやっぱり凄いなって。向こうでの練習もちゃんと撮ってきたんです。
    ――実地体験したうえで映像を持ち帰ってくる。命がけの資料映像ですね!(笑)。
    この続きと、シンサックの奥さん、堀口キック挑戦の真意、マサ斎藤、加藤清尚、ブロック・レスナー…………などの記事がまとめて読める「10万字・記事21本の詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1639388
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  • プロレスラーが憧れたプロレスラー、マサ斎藤さん■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2018-08-31 18:49  
    76pt


    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「プロレスラーが憧れたプロレスラー、マサ斎藤さん」です! 
    <マサ斎藤追悼企画>追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で■斎藤文彦INTERVIEWS谷津嘉章「巌流島で猪木さんと向き合えるのはマサさんしかいなかったよな」


    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩最後まで全日本プロレスを愛した馬場元子さん
    中邑真輔、棚橋弘至、柴田勝頼……新・闘魂三銃士最後のムーンサルトプレス……天才・武藤敬司縁の下の力持ち!! 坂口征二の荒鷲人生WARからイッテンヨンへ! ライオン・ハート時代のクリス・ジェリコ
    「情」で生きる佐々木健介の激烈人生! 
    プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE 暴走親方、諏・訪・魔!!嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み!  猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!
    全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信
    鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”
    高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿

     

    ――小佐野さんは晩年のマサさんを何度取材されていたんですよね。
    小佐野 ここ何年間かのあいだで3回ぐらい取材してるんですよ。マサさんの自宅におじゃましたりして、最後に会ったのは一昨年の6月ぐらいかな。
    ――マサさんはパーキンソン病の関係で、なかなかしゃべりづらそうでしたよね。
    小佐野 こっちも慣れたっていうのあるけど、けっこう聞き取れたよ。一度電話でインタビューしたこともあって。そのときマサさんはリハビリ施設に入っていてね。締め切りの問題があって電話取材になったんだよね。 
    ――ボクがマサさんを取材したときも、しゃべってるうちにだんだん饒舌になっていって。取材を受けるのもリハビリの一環だったのかなと。
    小佐野 プロレス技の解説をするときなんて身体を動かして身振り手振りだったから。記憶力が凄くてなんでも覚えてるんだよ。もっといろいろな話を聞きたかったなあ……。
    ――小佐野さんはプロレスファンの頃からマサ斎藤というプロレスラーのことを見てきたんですよね。
    小佐野 小学生の頃だけど、マサさんがサンフランシスコでキンジ渋谷さんとタッグを組んでいた試合を『月刊ゴング』で読んでいた。アメリカから帰国して、日本プロレスの第14回ワールドリーグに参加した試合もテレビで見てましたよ。
    ――どういうスタイルだったんですか? ボクは猪木さんと戦っていた40代の姿しか知らないんですよ。
    小佐野 コスチュームは田吾作スタイルなんだけど、反則をしないレスラー。まあそれは日本陣営だからなんだけどね。坂口(征二)さんと明大で同期、レスリングをやっていた……という知識はあったんだけど、毎シリーズに参加するわけじゃないから、あくまで助っ人という扱い。裏を返せば、その年の3月に新日本を旗揚げしていたから、猪木さんに取られないように日本プロレスに参戦させたところはあったんだと思う。もともとマサさんは東京プロレスで猪木さんと一緒にやっていたから。
    ――マサさんは新日本に参戦する意志はなかったんですか?
    小佐野 そのときマサさんはロサンゼルスのミスター・モトさんに世話になっていて。モトさんの意向もあって日本プロレスに戻ったんだって。マサさんとしては猪木さんのいる新日本プロレスに上がりたかったんだと思うよ。面白いのはその日プロに上がってる時期に、猪木さんと坂口さんを裏で引き合わせていたんだよね。
    ――マサさん仲介役で密会! 当時の坂口さんは日プロで、のちに新日本に合流しますよね。
    小佐野 マサさん本人は「3人で食事をしたのはたまたま」とは言っていたけどね。マサさんが猪木さんとメシを食べる約束をしてて、坂口さんに「一緒に行く?」と聞いて。
    ――それって猪木さんと坂口さんがトラッシュトークをやりあっていたあとのことですよね。
    小佐野 うん、そのあと。3人でメシを食ったことが坂口さんの新日本プロレス合流のとっかかりになったんじゃないかな。その件についてマサさんに突っ込んで聞いたら「あー、もう忘れた〜」ってウヤムヤにされたけど(苦笑)。
    ――3人それぞれ思うところはあっての行動だったんでしょうね。
    小佐野 マサさんがいなかったら、猪木さんと坂口さんが2人で会うきっかけもなかっただろうし。テレビ朝日としても日プロの先行きが見えない中、日本テレビが全日本プロレスを放送するようになったから、猪木さんと坂口さんをくっつけようとしていた。そこで意外なのは、坂口さんは合流したけど、マサさんは新日本プロレスに入らなかったこと。
    ――ああ、そういえば。
    小佐野 なぜ合流しなかったかといえば、アメリカで稼いでいたから。
    ――マサさんらしいですね(笑)。
    小佐野 マサさんが「入れてくれ」と頼んだら歓迎されたと思うよ。猪木さんが社長、坂口さんが副社長、マサさんは取締役として3番目のポジションに就いてもおかしくなかった。でもマサさん本人はアメリカでの生活を望んだ。まあアメリカに家族がいるという理由もあったんだろうけどね。
    ――そこまで猪木さんの信頼を得ていたんですね。 
    小佐野 マサさんの話を聞いてると、猪木さんのことが大好きなんだよね。猪木さんのことを絶対に悪く言わないもん。そこはやっぱり東京プロレスが大きいんじゃないかなあ。マサさんと猪木さんはそれからの付き合いだから。東プロが崩壊したあと、マサさんはアメリカに渡ったけど、おそらく猪木さんが道をつけてあげたんだと思う。マサさんとラッシャー木村さんは日プロは除名扱いで戻れなかったから。
    ――猪木さんは日プロにカムバックできるけど。
    小佐野 猪木さんの場合は豊登にそそのかされた若気の至り……という表向きの理由があった。日プロとしては、猪木さんを戻せる状況にしておきたかったんだよ。そこは馬場さんに次ぐエース候補だったしね。北沢(幹之)さんはちゃんと筋を通して日プロをやめてるから復帰できたんだけど、木村さんとマサさんは日プロを脱走しちゃったから。 
    ――そういった若手が二度と出ないように、見せしめじゃないですけども。
    小佐野 日プロに戻れたのは猪木さん、北沢さん、東プロでデビューした永源遙さんと柴田勝久さん。木村さんは国際プロレス、マサさんはアメリカに渡るんだけどね。
    ――猪木さんとの繋がりがあるから、帰国したときのリングは新日本なんですね。
    小佐野 フロリダではカブキさんとタッグを組んだり、天龍さんとか全日本系の人との付き合いのほうがあったんだけどね。向こうでどんな試合をしていたのかは私も直接見たわけじゃないんですけど、キンジ渋谷さんとのタッグのときは、トラディショナルな日系ヒール。フロリダはエディ・グラハムがプロモーターでレスリングが好きな人だから、そこではレスリング中心。レスリング、レスリングで最後に悪いことをやる。レスリングとスニーキーのミックスだよね。 
    ――そこはテリトリーにとって使いわけているんですね。
    小佐野 「アメリカでの試合を見たことない」と言ったけど、じつは見てるんです。でも、それはマサ斎藤の試合ではなくて……どういうことかというと、初めてマサさんと会話をしたのは81年8月5日の水曜日。なぜ曜日まで覚えてるかというと、マサさんは毎週水曜日にマイアミビーチで試合してたんです。当時のマサさんは火曜日はタンパ、水曜の昼間にタンパでテレビマッチの収録があって、セスナでマイアミビーチに飛んで夜に試合。それが終わったらセスナでタンパに戻って、翌日はジャクソンビル。
    ――水曜日のマイアミビーチでマサさんと出会ったんですね。
    小佐野 マイアミビーチの空港に着いてフロリダのオフィスに電話したんですよ。たまたまデューク・ケムオカさんが出てくれて「マサ斎藤が会場にいるから」ってことだったんだけど、マサさんはどこにもいなくてね。メインイベントはアサシンズの試合で、リングサイドで写真を撮っていたら、リング上のアサシン2号から「おい!!」って日本語で声をかけられて。
    ――まさか……(笑)。
    小佐野 「俺だよ!」「……もしかしてマサ斎藤さんですか?」「そうだよ!!」……アサシンズは全身タイツだから、マサさんだってわからなかったんだよ(笑)。
    ――マサさんはどうしてアサシンズをやってたんですか?

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  • Uのミライを見た女――高岡左千子「私は運気からUWFのスケジュールを組んでいたんです」

    2018-08-31 18:48  
    91pt
    「新生UWF社長・神新ニのブレーンにして、船木誠勝ら多くの選手の名前を改名させた占い師がいる」――『1984年のUWF』を契機に続々と出版されるUWF関連書籍。それらの誌面をときおり賑わす「シンサックさんの奥さん」が気になって仕方ないUマニアは多いのではないだろうか。Uの重要人物でありながらも情報量が少ないことや関係者たちの一方的な証言もあり、オカルトチックなイメージができつつあった謎の女性、それが今回登場していただいた高岡左千子氏だ。「Uのミライを見た女」にとって新生UWFとはなんだったのか? 
    【1記事から購入できる関連企画】
    ◎『1984年のUWF』はサイテーの本!■「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」 
    ◎鬱と宗教とUWF……プロレスの信仰心はどこに向かうのか■大槻ケンヂインタビュー
    ◎UWFの「次回と自壊」を見届けたスポーツライター/李春成インタビュー
    ◎2万字超えの激白】山本喧一インタビュー「高田延彦、田村潔司…真剣勝負とUインターの愛憎物語」◎『1984年のUWF』には描かれなかったリングスの実態……■金原弘光
    ◎中野巽耀 「一番尊敬できた先輩は高田延彦だよ」 ◎山本宜久「ヒクソンと戦ってるとき、放送禁止用語が聞こえてきたんですよ…」 ◎謙吾「スーパールーキーが見たリングスvsパンクラス仁義なき戦い」 ◎『1984年のUWF』には描かれなかったリングスの実態……■金原弘光
    ――高岡さん、今日はよろしくお願いいたします。
    高岡 どういう話を聞きたいの?
    ――高岡さんは数多くの格闘家やプロレスラーの占いをされて、ためになるアドバイスを送られていたそうなので、そのへんのお話を……。
    高岡 そういう話ね。でも、占いだけではないのよ。簡単に言葉にするのは難しいんだけど、その人間の運気を見てあげるのね。人間の運命というのは努力と実践で変えていくことができるから、悪いときには悪いときの過ごし方、良いときには良いときの過ごし方があって、どういう過ごし方をすればいいのか羅針盤を示してあげるわけ。
    ――なるほど。“気づき”を与えてあげるとでもいいますか。
    高岡 いまでも見てあげてるのよ。ジムを開こうとしている場所、日時とかね。
    ――もともとそういうお仕事をされてきたんですか?
    高岡 仕事としてはやってない。趣味でやっていたんだけど、最初は大学のときに心理学を必須科目で始めたのがきっかけ。あとウチの父親が姓名判断をやっていて。
    ――そういった血筋を受け継いでるんですね。
    高岡 私の場合、全部独学なんだけどね。
    ――旦那さんであるシンサックさんは有名なムエタイファイターであり、前田憲作さんをはじめ多くのキックボクサーを指導した伝説的なトレーナーですけど。どういう縁で知り合ったんですか?
    高岡 誰かの紹介。格闘技は全然好きじゃなくて、試合を見に行くこともそんなになかったんだけど。このジムだって、もともとやるつもりはなかったんだけど、旦那がUWFの選手にキックを教えたり、セコンドに付いていたりしてたんですよ。
    ――安生洋二さんがチャンプア・ゲッソンリットと引き分けたのは、シンサックさんの指導力もあったそうですね。
    高岡 最初はここにジムがなくて、高速道路の下にある公園で練習をやってたの。
    ――松葉通りのところですよね。
    高岡 どこも貸してくれなかったのよ、あの時代。べつに壁を叩くわけじゃないのに「壁を壊されるから」とか言われてね。重機ミシンの大きな会社の大きな体育館が国領にあって、交渉して貸してもらうことになったんですよ。そこで2年くらいやったかなあ。たまたまいまのジムの大家さんが昔キックが好きで、借りられることになって千歳烏山の駅前で20年近くやってる。年中無休深夜3時まで。
    ――タフですね!(笑)。高岡さんがUWFのアドバイザー的な役割を務めることになったのは、何がきっかけだったんですか?
    高岡 きっかけは、なんだろう? Uの選手がウチのジムに来てたからじゃないかな。あと公園でやってる頃は、UWFの道場を使えるときもあって。それで砧の道場に何回か行ったことある。
    ――そうやってコミュニケーションを取るようになったんですね。
    高岡 だからいろんな関係者のことは知ってます。最近亡くなった木暮(祐二)さんとも親しかったしね。木暮さんのことも見ていた時期があったんですけどね。
    ――木暮さんはUWFやリングス影の功労者ですね。
    高岡 新生UWFは新日本から抜けて作ったでしょ。そのときに社長の神(新二)さんが相談が来たの。そのとき神さんに言ったのは「相談を受けるのはいいけども、私の言ったことを100%聞いてくれる? 聞いてくれるなら協力する」と。
    ――神社長はどうしてそこまで高岡さんを信頼するようになったんですか?
    高岡 にっちもさっちもいかなかったからでしょ、それまで。UWFがダメになって、新日本に戻りました。また飛び出して新生UWFを作ったけど、先行きに不安はあったんじゃないですか。
    ――そこで高岡さんに運気を見てもらおうと。
    高岡 私は1年先のスケジュールまで組んだんです。実際には3年先まで見るんだけど、1年1年でUWFの計画を立ててたの。なぜかというと、1年1年でみんなの運気が変わるから。
    ――その1年間の動きで運気は変わっていくんですね。
    高岡 当時の資料は捨てちゃったかな、UWFとサヨナラしたときにね。当時のノートにUWFの1年間のスケジュールを組んであってね。選手の運気を見ながら会場の大きさ小ささも考えて、運気が悪かったら会場は小さくする。東京ドーム大会も11月の運気がいいから、1989年11月29日にやるって決めてたんですよ。でも、その日の東京ドームは他のイベントが入ってたの。だけど、私は神さんに「絶対にキャンセルになるから予定に入れときなさい」って言ってたんです。
    ――えええ!?

    この続きと、シンサックの奥さん、堀口キック挑戦の真意、マサ斎藤、加藤清尚、ブロック・レスナー…………などの記事がまとめて読める「10万字・記事21本の詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1639388

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  • 怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」■斎藤文彦INTERVIEWS

    2018-08-28 22:27  
    72pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「ブロック・レスナー」です! Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー
    ■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう ■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
    ■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る■『1984年のUWF』はサイテーの本!
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」


    ■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る

    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

    ■超獣ブルーザー・ブロディ

    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
    ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜




    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 
    ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
    ■「現場監督」長州力と取材拒否■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか――今回のテーマはWWEのユニバーサル王座から転落したばかりのブロック・レスナーです。ファンからは「やっとレスナーがチャンピオンじゃなくなった……」と嫌われぶりが凄いですね。
    フミ WWEのファンから評判が悪いということは、WWEによるプロデュースがうまくいっている、という証ですよね。
    ――それすらもWWEの手のひらだと。
    フミ WWEが「なぜレスナーを特別扱いをするんだ?」「なぜ毎週試合をしないんだ?」と評判は悪くなるようなドラマを作っているわけです。そこにリアリティがあるのは、レスナーの契約は他の選手と違って、いろんな特別項目が設けられているからです。たとえばPPVのビッグマッチ以外は試合をしなくていいとか。 
    ――現実の特別扱いをドラマに活かしてるんですね。
    フミ レスナー以外に「WWEと契約中にUFCで試合をしていい」という付帯条件が許されている選手はいないんです。彼だけがUFCに出ることができる特別な契約を結んでいる。早ければ2019年の1月にはUFCで試合をするという話もありますよね。
    ――UFCヘビー級&ライトヘビー級の2階級王者、ダニエル・コーミエ戦ですね。
    フミ そうやって他の選手とまったく違う現実を持っているから、プロレスファンから嫌われることも承知の上なんですね。
    ――そこはじつはWWEがうまくコントロールしてるんですね。
    フミ プロレスが一番研ぎ澄まされたかたちで面白くなるのは、現実とファンタジーの境界線が本当にわからなくなっちゃうときですよね。WWEのドラマの中でローマン・レインズ、カート・アングルGMやセス・ロリンズらの登場人物が「アイツは好きなときに出てきて、好きなときに試合している」という批判を口にしていますが、レスナーが試合をするのは年に数回。それだけの出番なのにレスナーは昨年11ミリオンも稼いでるんですよ。
    ――約12億円!
    フミ WWEは上場会社なので、収支決算と同時に契約選手の年俸が公開されるんです。AJスタイルズで2.5ミリオンで約3億円。中邑真輔の額は公表されてませんが、1本(100万ドル)を超えていても全然不思議じゃないですよね。
    ――レスナーにはそれだけ払う価値があるとWWEは評価してるんですね。とはいえ数試合で……。
    フミ 逆に言えば、特別な契約のために「プロレスを通り過ぎる男」としてのストーリーを作らざるをえないところもあるんですね。
    ――ああ、特別な契約を逆手に取っているという。
    フミ よく言えば、こんなにリアリティがあるドラマはなくて、どんなにレスナーのことが嫌いでも、彼の試合になれば「どうなるんだろう?」という興味は惹かれると思うんですね。今回ユニバーサル王座をローマン・レインズに獲られてしまいましたが、WWEのベルトを持ったまま、UFCのオクタゴンに入りかねない現実、あるいはそういう可能性も感じていたんです。だからレスナーの試合を見たくなる。
    ――WWEは何を仕掛けてくるかわからないですもんねぇ。しかし、レスナーってどうしてここまで商品価値が跳ね上がったんですか?
    フミ そこはじつ単純明快で、UFCで本当にチャンピオンになったからだと思いますよ。
    ――へえー、それがWWEでも売りになるんですか。いや、ロンダ・ラウジーもまさにその肩書で売れてるわけですけど。
    フミ UFCに行く前に、WWEのチャンピオンになってますから、もともと番付は上だったんですけどね。レスナーは映画俳優に転向してWWEを去っていくロックに勝ってチャンピオンになったんです。F5という新しい大技を使ってバッタバッタ倒していく。いままで見たことのあるプロレスラーではなく、異分子的な存在が彗星のように現れたことが大きかったんだと思います。「レスナーは他の選手とはちょっと違うな……」と。
    ――最初から特別感、違和感のある存在だったんですね。
    フミ 最初からプロレスラーっぽくなかったですね。「こいつは本当にプロレスが好きでやってるのか?」という雰囲気を漂わせていたこともあって「いつ負けるんだろう?」とみんなが期待して試合を見るわけです。ここがポイントです。チャンピオンになると、いつかは負けるわけですから。
    ――あー、なるほど。出番は少ないですけど、ベルトを持っていることで確実に勝負論が生まれるんですね。
    フミ だからこそレスナーはいつもベルトを巻いてるとも言えるんです。ベルトが懸けられるからこそレスナーの試合には勝負論が出てくる。レスナーの試合だけに限ったことではないのですが、プロレスは勝ち負け、つまり試合結果に意味がなかったら面白くないんですよね。
    ――アメリカンプロレスにも勝負論が当然求められるということですね。
    フミ 映画でも演劇でもそれを見ている瞬間はその内容が素晴らしかったら「これはお芝居だから」とは思わないですからね。
    ――作中のキャラクターの魅力は問われますもんね。いま入会すれば読める8月更新記事プロレスラーが憧れたプロレスラー、マサ斎藤さん/「9月はすべてをオールインします」笹原圭一RIZIN広報/きみは大道塾の超人・加藤清尚の「当然の奇跡」を知っているか/Uのミライを見た女――高岡左千子/【井上姉弟NYへ飛ぶ】海外練習の環境作りはここまでやります!/新日本プロレスのニューヨーク侵攻!! ROHの証言
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  • 棚橋弘至優勝! G-1クライマックス!!■二階堂綾乃

    2018-08-28 21:39  
    62pt
    2018年にもなって「いまの新日本プロレスには猪木イズムが足りない!」などと口走ってしまうオールドファンに向けて二階堂彩乃(@nikaidoayano)先生が“いまのプロレス”の魅力をお伝えする共存共栄コーナー。今回のテーマはG-1クライマックスです!【関連企画】・QUINTET女子版をやってほしい!!・プロレスファンのマナーはいいと思ってます!・ポールダンサーは踊るよ……妖しい興行に旦那が出た話・【#MeToo】身体を鍛えてから一度も変質者に遭ってない・中邑真輔がWWEで成功するのは、あったりまえじゃん!・「Y2J」コールができなくても楽しかったクリス・ジェリコ――二階堂さんは新日本プロレスのG-1クライマックス日本武道館3連戦は見に行ったんですか?
    二階堂 私は3日間とも見に行きたかったんですけど……決勝戦はもちろんのこと、2日目はケニー・オメガvs飯伏幸太もあったから完売で。現地観戦は初日だけだったんですよ〜。
    ――凄いなあ、新日本プロレス。
    二階堂 でも、私は棚橋(弘至)選手が優勝すると思ってたので、見に行った大会で棚橋選手がオカダ・カズチカ選手に引き分けて決勝進出が決まったことが凄く嬉しかったんです!(笑)。ここでオカダ選手に勝てば、絶対に優勝だろう、決まりだな!って。
    ――決勝の飯伏幸太戦では、長期欠場中の柴田勝頼選手が棚橋選手のセコンドとして現れて。ドラマとしても完成されてましたね。
    二階堂 飯伏選手のセコンドには、前日に凄い試合をやったケニーが付いて。ただ、棚橋選手と柴田選手の関係のほうが歴史が古いこともあるのか、会場の雰囲気も棚橋選手寄りだったんですね。
    ――このセコンドを含めた構図は燃えますよね。「考えた人」っていうとアレですけど、発案者にはサマーボーナスをあげてほしいですよ(笑)。
    二階堂 ハハハハハハ。こんな凄いものを見せるために棚橋選手はしばらく低迷していたのかな……って思っちゃったくらいで。お家で見て喜んでました!
    ――完全にやられたなって思ったのは、棚橋選手ってケガもあって一線からは退いた……というムードがここ1年くらいあったじゃないですか。
    二階堂 なんだか悲しかったですもんねぇ。私は2010年頃から新日本を見始めて、棚橋選手のIWGP王座防衛11回の記録も見てきてるので、大会最後に棚橋選手のエアギターがないのは寂しいな……って気持ちがずっとあったんですよ。ちょっと前までは「もうエアギターはいらないんじゃないの?」みたいな声も聞こえてきたんですが、ひさしぶりにエアギターを見て安心しました。いやあ、いまの棚橋選手にはオカダ選手も内藤(哲也)選手も勝てないですよ!
    ――ところで最近のオカダ選手のキャラはどうなんですか?

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  • 天心vs堀口は「不思議な試合」になる? 青木vs五味は?……RIZIN榊原信行囲み会見

    2018-08-25 01:50  
    那須川天心vs堀口恭司のスーパーファイトが発表された「RIZIN重大発表記者会見」終了後、RIZIN実行委員長の榊原信行氏が囲み取材に応じた。【関連企画】堀口恭司のマネジメントが語る那須川天心と絶対に戦うべき2つの理由■石井史彦
    いま入会すれば読める8月更新記事プロレスラーが憧れたプロレスラー、マサ斎藤さん/「9月はすべてをオールインします」笹原圭一RIZIN広報/きみは大道塾の超人・加藤清尚の「当然の奇跡」を知っているか/Uのミライを見た女――高岡左千子/【井上姉弟NYへ飛ぶ】海外練習の環境作りはここまでやります!/新日本プロレスのニューヨーク侵攻!! ROHの証言
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    榊原 RIZINとしてはキックトーナメントをやめてワンマッチでファンが見たいものを提供する……というのは大きな決断ということで、「
  • 堀口恭司のマネジメントが語る那須川天心と絶対に戦うべき2つの理由■石井史彦

    2018-08-23 18:50  
    72pt
    堀口恭司を始めとして多くのMMAファイターのマネジメントを担当している石井史彦氏が語る「堀口恭司vs那須川天心」!! 「契約更新する際、UFCから◯◯◯◯◯って言われたんです。そういう意味で今回の那須川選手との試合は凄く大きいと思うんですよ」――石井さん、堀口恭司vs那須川天心いきなりやるんですね!(笑)。かなりビックリしました!
    石井 いやあ、ボクらとしては全然問題ないですよ。というか、変に引っ張りすぎても意味がないじゃないですか。いまのUFCもベストカードをどんどん組んでいますよね。
    ――UFCも最近は活気づいていますね。
    石井 だからボクらとしても「すぐにやりましょう!」という感じでした。
    ――以前から那須川戦の話になると、キックの経験はないですけど堀口選手は自信満々ですよね。
    石井 それはもう「MMAファイターなら、なんでもできてあたりまえでしょ?」ってことだと思います。いまのMMAって高いレベルでなんでもできないと、トップには通用しないですよね。堀口選手が2016年からアメリカン・トップチームに移籍して一番変わったことってなんだと思います?
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  • アメリカの大学スポーツ部でも不祥事! 学生時代のマーク・コールマンもセクハラ被害を受けていた!

    2018-08-23 18:24  
    72pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマは「ニュース特集:アメリカの大学スポーツ部でも不祥事! 学生時代のマーク・コールマンもセクハラ被害を受けていた!」です!【1記事50円から購入できるオススメ記事】“ローリングサンダー” に全米陶酔! ナスカワマニア暴走中!レッスルマニア裏話:『ファビュラス・ムーラ記念杯』バトルロイヤルに1万人が反対した理由【衝撃レポート】ジョシュ・バーネットはいかにして、薬物検査失格の疑いを晴らしたのかアンドレ・ザ・ジャイアントのドキュメンタリー番組 「1日でもいいから普通の大きさになりたい」米国人記者が語るイッテンヨン東京ドームベストバウトは新日本が独占? アメリカメディア2017年ニュースオブザイヤー








    “赤い処刑マシーン”、ケインが市長に当選、MMAからも相次ぐ政界進出
    WWEプロレスラーのケイン(本名グレン・ジェイコブス、51歳)が8月2日、テネシー州ノックスカウンティ(郡)の市長(正確には郡長)選挙で当選を果たしたと、レスリングオブザーバーが報じた。
    同カウンティは人口45万人、テレシー州の東部に位置し、工業都市ノックスビルを含む都市圏を形成している。共和党の地盤が強く、ケインも共和党から出馬している。
    日本ではそれほど珍しくないプロレスラーの政界入りであるが、米国ではあまり例がなく、1998年にミネソタ州知事に当選したジェシー・ベンチュラに次いで、ケインの市長職はプロレスラーとして史上第2位の高官となる。
    ちなみにベンチュラは民主党でも共和党でもない、第3党候補として当選を果たしたものの、両党との関係構築に苦しみ、知事としてはこれといった評判は残せないまま、1期を務めあげた段階で再選には出馬せず政界から引退している。
    米国のプロレスラーで公職に転じた他の例としては、スコット・スタイナーがジョージア州チェロキー・カウンティの教育委員会役員、マット・モーガンがフロリダ州ロングウッドの区議会委員を務めている。ジェリー・ローラーはメンフィス市長に2度立候補したが落選、ボブ・バックランドは2000年に米下院議員選挙に、リンダ・マクマホンは2回米上院議員選挙に出馬したが、いずれも落選している。
    ケインは選挙運動期間中にはプロレスラーであることをあまりセールスポイントに使わなかったとされるが、当選後の挨拶では、「私のようなプロレスラーが選挙というノーホールズ・バード(ガチンコ)の試合に出て、そして勝ったんだ!」という言葉遣いで喜びを表現している。
    ケインには政治家としての経験はないが、個人的に熱心に政治活動に取り組んできたとされ、政治的にはリバタリアンの立場を取っている。
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  • 攻撃的なマインド!! 朝倉兄弟というヤベー奴■大沢ケンジ

    2018-08-23 17:54  
    51pt
    「おしゃべりアベマ野郎」こと大沢ケンジ師匠が「攻撃的なマインド!! 朝倉兄弟というヤベー奴」を解説! 

    【関連記事】・【徹底解説16000字】福田正人RIZIN審判部長に聞く「RIZINと競技運営の現状」・「中井さん、なぜそこまで強さを追求するんですか?」■中井祐樹☓大沢ケンジ・【選手必読!!】判定基準が10倍よくわかるジャッジ対談■福田正人RIZIN審判部長×大沢ケンジ・これでわかったRIZINの判定基準!■福田正人RIZIN審判部長×大沢ケンジ〜模擬ジャッジ編〜・テイクダウン神話の崩壊……「打撃の時代」になれば日本人は有利になる――和術慧舟會HEARTSでも練習されている朝倉未来選手がRIZIN愛知大会の日沖発戦で衝撃的な勝ち方をしましたね。
    大沢 いやあ、凄かったですねぇ。朝倉兄弟が上京したのは1年くらい前で。弟の海はけっこう真面目に通ってきてたんですけど、未来のほうはここ半年くらいなんですよ。そこからガンガン伸びて。
    ――成長を実感していたところでのRIZINだったんですね。
    大沢 未来の今後に期待できるのは、日本人格闘家にしては珍しいスタイルというか、「どこでも勝負してやる!」という攻撃的なマインドですよね。だから打撃でもあそこまで振り切って打てるし。これはボクの持論なんですけど、日本人に関してはグッラプリングの選手のほうが上に行きやすい時代ってあったと思うんですよ。
    ――寝かせればなんとかなる、みたいな。
    大沢 日本の練習環境はいまでも組み技の比重は大きいですし、アマチュアは寝技の選手のほうが勝ち上がりやすいんですよね。なぜかというと、アマチュアレベルだと寝技の実力差が出やすいから。組まさないで打撃が打てるようになるのって時間がかかるし、アマチュアレベルでは習得が難しいですね。
    ――だからグラップラーが有利なんですね。
    大沢 いまパンクラスで戦っている堀江圭功みたいな伝統派空手の選手も出てきますけど。で、寝技で一本極めてきた新進気鋭の組技師がプロでどうなるかというと、簡単には取れなくて1回目の壁にぶつかるんですよね。
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