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記事 34件
  • 都市伝説的試合映像ブレット・ハートvsトム・マギー、ついに発掘される■斎藤文彦INTERVIEWS

    2019-05-26 11:26  
    85pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「都市伝説的試合映像ブレット・ハートvsトム・マギー発掘される」です! Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■レッスルマニアウィーク現地取材レポート■平成という「アントニオ猪木が去った時代」■アメリカの新団体AEWは脅威になりえるか■それでもケニー・オメガは新日本プロレスに残るか■【追悼・爆弾小僧】すべてはダイナマイト・キッドから始まった
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」



    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期


    ■“怪物脳”に覚醒したケニー・オメガ■怪物デイブ・メルツァーと『レスリング・オブザーバー』■新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか■怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう ■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
    ■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る■『1984年のUWF』はサイテーの本!
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」


    ■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る

    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

    ■超獣ブルーザー・ブロディ

    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
    ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜




    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 
    ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
    ■「現場監督」長州力と取材拒否■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのかフミ いまアメリカの一部のプロレスファンのあいだでトム・マギーが大きな話題になってるんですよ。
    ――あのトム・マギーが2019年のいま!(笑)。
    フミ 何が起きているかといえば、WWEネットワーク(動画配信)の中で『ホーリーグレイル』というドキュメンタリー番組が配信されてるんです。『ホーリーグレイル』とは財宝や秘宝を意味しています。その番組で、これまでマニアのあいだで「現存していない」「いや、どこかに眠ってるはずだ」と議論が重ねられていた都市伝説的な映像が発掘されたんです。それは何かといえば、1986年にWWEで一度だけ行われたブレット・ハートvsトム・マギーのシングルマッチなんです。
    ――ブレット・ハートvsトム・マギーがお宝映像????
    フミ この試合はニューヨークのテレビテーピング用の会場で行なわれて、試合をした時点ではオンエアするかどうかは決められてないんですが、映像は収録されていたので実況・解説の声も当てられています。なぜこの試合が行なわれたかといえば、大型ルーキーと言われていたトム・マギーのテストマッチだったんです。
    ――トム・マギーがWWEで使えるかどうか。
    フミ 当時のトム・マギーはマイナー契約というかたちでWWEの契約支配下にいたんです。結論からいえば、このテストマッチでトム・マギーは素晴らしい動きを見せたんです。
    ――えっ!?(笑)。
    フミ あとで説明しますが、彼のことをよく知る日本のプロレスファンには意外な話ですよね。いい結果を残したことで、バックステージで試合をチェックしていたビンス・マクマホンが狂喜したんです。「ハルク・ホーガンの後継者を見つけたぞ!」と。
    ――トム・マギーがハルク・ホーガンの後継者!(笑)。
    フミ あのビンスがそれくらい喜んだという曰く付きの試合なんです。当時『レスリング・オブザーバー』でも、この試合について報じられていて。トム・マギーの試合がよかったことでビンス・マクマホンが大いに喜んでいたと。あのビンスでさえトム・マギーに騙されたことになりますよね。
    ――あの迷レスラーのトム・マギーが……いったいどうなってるんですか。

    この続きと、望月成晃、剛竜馬、天心vs亀田、三又又三、トム・マギー…などの記事がまとめて読める「13万字・記事22本の詰め合わせセット」はコチラ 
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  • レッスルマニアウィーク現地取材レポート■斎藤文彦INTERVIEWS

    2019-04-23 21:14  
    85pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「レッスルマニアウィーク現地取材レポート」です! Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■平成という「アントニオ猪木が去った時代」■アメリカの新団体AEWは脅威になりえるか■それでもケニー・オメガは新日本プロレスに残るか■【追悼・爆弾小僧】すべてはダイナマイト・キッドから始まった
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」



    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期


    ■“怪物脳”に覚醒したケニー・オメガ■怪物デイブ・メルツァーと『レスリング・オブザーバー』■新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか■怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう ■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
    ■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る■『1984年のUWF』はサイテーの本!
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」


    ■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る

    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

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    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 
    ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
    ■「現場監督」長州力と取材拒否■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか――フミさんはニューヨーク・ニュージャージー現地取材でレッスルマニアウィークを楽しんできたそうですね。
    フミ はい、現地まで行ってきました。見てきた大会はレッスルマニアだけじゃないんですけど、4泊6日というタイトなスケジュールでした。
    ――4泊6日で東海岸までは大変ですね!(笑)。ニューヨークまで片道12時間のフライトですし。
    フミ 日本を木曜日に発って、木・金・土・日とニューヨークに滞在して、月曜日朝6時にニューヨークを出て火曜日に帰国しました。若ければまだいいですけど、本当に疲れましたね。 スターダムのロッシー小川さんともその話になったんですが「これがこなせなくなったら、もう この仕事はできないでしょう」と。
    ――タフな旅はプロレスの世界にはつきものという。
    フミ レッスルマニアウィークということで、現地ではたくさんのイベントが行なわれてました。土曜日の新日本&ROHのMSG興行と、日曜のレッスルマニア本戦。この2つだけは皆さん絶対にスケジュールに組み込んでいたはずですが、インディー系各団体の興行、ファンフェスもいろいろとあったんです。レッスルコンではレジェンド中のレジェンドが現れて、日本人ではJBエンジェルスの山崎五紀さんのサイン会もありましたね。
    ――ニューヨークで日本食レストランを経営中の!
    フミ 新日本&ROHのMSG興行と同じ時間帯にはブルックリンでWWEのホール・オブ・フェイムのセレモニーもありました。
    ――殿堂入りしたブレット・ハートがスピーチ中に暴漢に襲われるという事件が起きちゃいましたね……。
    フミ 金曜日の午後4時からは日本の女子プロレス団体スターダムの『アメリカンドリーム2019』という大会があったんですが、ボクは現地でPPV解説をやらせていただきました。この大会はiPPV形式で配信されたんですが、iPPVとはインターネット上で視聴できるストリーミング形式のPPVで、9ドル99セントで購入できます。スターダムの日本人14選手がアメリカに大移動して、ニューヨークのクイーンズで自主興行を行なって、会場は600人超満員札止め。もしかしたら当日券が必要かもしれない……ということで、小川さんは日本から選手たちのポーズ写真が印刷されたチケットを持っていってるんですが、 ほとんどのファンはネットで前売り券を購入してたんですよ。つまり集まっていたのは本物のマニアなんですね。
    ――日本から当日売り用のチケットを持参したのも面白いですね(笑)。 
    フミ 客層は日本のスターダムのお客さんがそのままアメリカ人になったみたいでした。お客さんはほぼ男性で、試合も大事なんですが試合後の物販もまた同じくらい大切。大会自体は5試合で2時間ちょっとのコンパクトなものだったんですが、そのあとは物販タイム。選手とツーショットが撮れて、サインをもらえて、少しだけお話できるチケットを1選手10ドルで販売。それを10枚単位で購入したお客さんがたくさんいたんですよ。
    ――そこも日本のスターダム興行と変わらないんですね。
    フミ 岩谷麻優の列に並んでいたかと思えば、木村花のところに並び直したりしている。物販だけで2時間半近くやってましたからね。日本人でもアメリカ人でもオタク度は変わらないところがあるってことですね。
    ――日本の女子団体がアメリカで興行を打つなんて滅多にないことですもんね。
    フミ いままでもアメリカの興行に日本の女子選手が数名参加することはありましたけど、今回はスターダムの主力選手がアメリカに渡って、リングアナウンサーの選手紹介から入場式まで、いつもどおりの興行をやりましたからね。白いベルト(ワンダー・オブ・スターダム選手権)を懸けた渡辺桃 vs 林下詩美は試合後、誰もキューを出していないのに観客全員が立ち上がってスタンディングオベーションが起きたんです。 その様子を見て、お客さんたちは日本の女子プロレスそのものを見たかったんだなっていう気がしましたね。
    ――物販を含めて日本の女子プロ直輸入を待ち望んでいた。
    フミ これもレッスルマニアウィークならではの熱気ですよね。レッスルマニアは世界最大のプロレスの祭典ですけど、アメリカ全50州と世界60カ国からファンが詰めかけたんです。
    ――いったいどれほどの経済効果があったのか……。
    フミ ニューヨークは観光地でもありますから。例年以上にプロレスファンが集まってましたね。町を歩いていると「この人はプロレスファンなんだろうな」ってひと目でわかるんですよ。アメリカ人なのにバレットクラブの T シャツを着ている人があちこちにいて、レプリカのチャンピオンベルトを肩にかけて悠然と歩いていたり、腰に巻いちゃってる人もいて。
    ――プロレスファン大確定!(笑)。

    この続きと、追悼・北尾光司、骨法、レッスルマニア、平成ベストバウト…などの記事がまとめて読める「13万字・記事20本の詰め合わせセット」はコチラ 
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  • 平成という「アントニオ猪木が去った時代」を支えたのは武藤敬司と棚橋弘至だった■斎藤文彦INTERVIEWS

    2019-03-26 22:58  
    90pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「平成とプロレス」です! Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■アメリカの新団体AEWは脅威になりえるか■それでもケニー・オメガは新日本プロレスに残るか■【追悼・爆弾小僧】すべてはダイナマイト・キッドから始まった
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」



    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期


    ■“怪物脳”に覚醒したケニー・オメガ■怪物デイブ・メルツァーと『レスリング・オブザーバー』■新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか■怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう ■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
    ■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る■『1984年のUWF』はサイテーの本!
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」


    ■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る

    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

    ■超獣ブルーザー・ブロディ

    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
    ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜




    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 
    ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
    ■「現場監督」長州力と取材拒否■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか――フミさん、今回のテーマは平成です。平成のベストバウト5を挙げていただきます。
    フミ 昭和も63年と1ヵ月と非常に長かったのですが、平成も31年目。平成元年に生まれたとしても30歳の立派な大人ですから充分長いですよね。自分のことでいえば、27歳から57歳の30年間ということになります。その30年間の中でも印象深い試合はたくさんあるので、そこから5試合だけ選ぶとなると困っちゃうんですが……。
    ――すいません(笑)。
    フミ 平成といっても、やっぱり自分が熱心にプロレスを取材し、生で観た試合になりますね。ここ30年のあいだで印象に残ってる試合を順番にあげていけば、1988年8月8日の横浜文化体育館、 IWGPヘビー級チャンピオンだった藤波辰爾にアントニオ猪木が挑戦した試合ですね。
    ――有名な88・8・8の藤波vs猪木……でも平成じゃないですよ!(笑)。
    フミ 昭和63年の試合なんですよね。なぜこの試合を選んだのか説明すると、まず猪木さんがIWGP王座に挑戦した最後の試合だったということ。ここから遡ること3年前の東京体育館でも、猪木さんと藤波さんのシングルマッチは実現していて、レフェリーはルー・テーズさんでした。猪木さんの卍固め3連発に藤波さんがギブアップせず、ルー・テーズがレフェリーストップで試合を止める結末。このときのシングルマッチは、前年の84年の新日本プロレスの大量離脱事件を受けて実現したものなんです。
    ――旧UWFやジャパンプロレス勢の離脱で新日本はグラングランに揺らいでいて。
    フミ  総勢30名近くのレスラーが新日本をやめました。「困ったときの……」という言い方は失礼かもしれませんが、新日本に何かあったときに猪木さんと藤波さんが強烈なシングルマッチをやる。88年のシングルマッチも、前年11月に前田日明の長州力顔面襲撃事件が起きて、88年の春には第2次UWFが旗揚げされた中、猪木さんと藤波さんの2人は「これぞ新日本プロレス!」という試合をやったんです。結果は60分フルタイムドロー。藤波さんは猪木さんにフォール勝ちできなかったんですけど、王座防衛をはたしました。翌年の89年1月に昭和天皇が崩御されて、昭和が終わり平成という時代が始まるんですが、その前に行なわれたあの猪木vs藤波は、まるで平成のプロローグだったのかなと思えるんです。
    ――昭和を締めくくった試合として選んだんですね。
    フミ あのときは横浜文化体育館の記者席で、お亡くなりになったプロレス評論家の菊池孝さんとおしゃべりしながら観戦しました。 試合時間から30分経過すると「もしかして60分やりますかね?」という話になり、50分が過ぎても菊池さんは「60分フルタイムと思わせて決着がつくんじゃないか」と言っていましたね。時間切れ試合終了と同時に長州力がリングに入ってきて猪木さんを肩車すると、越中詩郎に肩車された藤波さんと2人は握手をして。 そこにはUWFの風景はなく、その時点での一番ピュアな新日本プロレスをディスプレーした名シーンでしたし、いま振り返るとプロレスの世界も昭和を終える準備をしていたようにも見えるんですね。 
    ――あの頃からU系の躍進が始まり、インディも台頭して新日本と全日本の2団体時代の図式は崩れていきますね。
    フミ 平成元年には、猪木さんは反則やリングアウト決着などのエクスキューズなしに、長州さんのリキラリアットを食らって3カウント取られたりしてるんですね。平成元年の夏には国会議員にもなったことでプロレスの第一線からフェードアウトしていき、新日本プロレスはいまでも定期的に開催されている東京ドームに初進出します。そこで来年の2020年1月に引退する獣神ライガーがデビューしています。
    ――まさに昭和と共にアントニオ猪木の時代も終わったと。
    フミ 昭和が終わった日、つまり昭和天皇が崩御した1月7日に新日本は後楽園ホール大会を予定していたんですけど、急遽興行を取りやめたんです。 
    ――あの時期はあちこちでイベントが自粛されてましたね。
    フミ いまだったら中止しなくてもバッシングされることはそこまではないとは思うんですけど、昭和が第二次世界大戦を真ん中に挟んで激動の時代だったということもあるんでしょうね。後楽園が中止になったあの日、ボクは自宅にいたんですが、新日本のシリーズに参戦していたバンバン・ビガロから家に電話があったんですよ。「試合がなくなっちゃって暇をしてるからホテルでのんびりしないか?」と。あの歴史的な日にボクは京王プラザホテルでバンバン・ビガロと過ごしました。 京王プラザホテルのビガロの部屋から街を見下ろすと、新宿のネオンはすべて消えてたんです。真っ暗な街並みが昭和の最後の思い出として残ってますね。
    ――ひとつめは猪木vs藤波ですね。<会員ページへ続く!>


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  • それでもケニー・オメガは新日本プロレスに残るか■斎藤文彦INTERVIEWS

    2019-01-20 16:18  
    80pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「それでもケニー・オメガは新日本に残るか」です! Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■【追悼・爆弾小僧】すべてはダイナマイト・キッドから始まった
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    ■“怪物脳”に覚醒したケニー・オメガ■怪物デイブ・メルツァーと『レスリング・オブザーバー』■新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか■怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう ■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
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    ■超獣ブルーザー・ブロディ

    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
    ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜




    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 
    ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
    ■「現場監督」長州力と取材拒否■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか――今回のテーマはオール・エリート・レスリング(AEW)です。同団体には新日本の常連外国人レスラーが多数参戦し、ケニー・オメガも移籍を匂わせています。新日本と掛け持ち参戦するという流れは見えないので、日本のプロレスファンもその動向が気になっていますね。
    フミ まず簡単にアメリカの状況を整理すると、プロレス市場の中心にいるのは世界最大の団体WWEです。WWEと比較すると、ROHやインパクト・レスリング(TNA)はインディと言えますよね。AEWが誕生し、選手争奪がさらに激しくなっているので、インパクトあたりはこのまま衰退の道を辿るんじゃないかとも囁かれています。
    ――WWEと他団体の力の差は、100対1と言っても過言ではないようですね。
    フミ ROHと提携してアメリカに進出しようとしている新日本プロレスが現在は世界2番目のプロレス団体と言えます。そして今回のテーマであるAEWは、昨年『ALL IN』を成功させたCodyとヤングバックスが中心となって旗揚げしようとしています。
    ――AEWのオーナーは、超お金持ちなんですよね。
    フミ AEWの社長トニー・カーンの父親シャヒード・カーンは個人資産65億ドルの実業家です。いろんなスポーツフランチャイズや企業を抱えるオーナーで、フォーブスマガジンによればアメリカでは65番目に金持ち、世界で217番目の金持ちで。資産だけでいえばビンス・マクマホンよりお金は持ってるんです。
    ――驚異的な資金力を誇ってるんですねぇ。
    フミ ただスポンサープロレスが成功した試しがないのは歴史が物語っていて、お金があれば団体はうまくいくというものではないですよね。ちなみにCodyは副社長として、ヤングバックスもエグゼクティブとしてもAEWに参加しますが、現時点で選手契約を結んでいるのがハングマン・ペイジ、クリストファー・ダニエル、PAC等、12名くらい。その中で唯一特別な契約を結んだのがクリス・ジェリコなんです。どういう特別な内容かといえば、ジェリコはほかの選手と違ってバンドFOZZYのツアーなどのジェリコ個人の活動ができる。また、ジェリコが希望すれば、新日本にも継続参戦できるんです。
    ――ジェリコはさすがのVIP扱いなんですね。<会員ページへ続く!>
    この続きと、RIZIN大晦日特集、地獄のシューティング合宿、イッテンヨン、ケニー・オメガ…などの記事がまとめて読める「11万字・記事22本の詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 【追悼・爆弾小僧】すべてはダイナマイト・キッドから始まった■斎藤文彦INTERVIEWS

    2018-12-21 18:20  
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    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「すべてはダイナマイト・キッドから始まった」です! 【関連記事】■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」




    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期


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    ■“怪物脳”に覚醒したケニー・オメガ■怪物デイブ・メルツァーと『レスリング・オブザーバー』■新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか■怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう ■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
    ■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る■『1984年のUWF』はサイテーの本!
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」


    ■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る

    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

    ■超獣ブルーザー・ブロディ

    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
    ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜




    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 
    ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
    ■「現場監督」長州力と取材拒否■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか――今回のテーマは、先日12月5日の誕生日に60歳でお亡くなりになったダイナマイト・キッドさんです。
    フミ ダイナマイト・キッドは引退後してから車椅子の生活を送ってましたが、現役時代から「あんなに激しいプロレスをやっていたら、いずれ最後は身体がボロボロになってしまうだろう」と言われていたんです。実際にそのとおりになってしまったんですね。キッドの身長は173センチと発表されていましたが、プロレスではよくあることなんですけど、実際よりも高く公式発表しているケースが多い。キッドの本当の身長は170センチくらいだったかもしれないんですが、公式プロフィール上の身長が173センチとなっている有名なプロレスラーは2人いて、獣神サンダー・ライガーと、そして初代タイガーマスクの佐山聡なんです。
    ――おお〜!
    フミ キッドの宿命のライバルだった初代タイガーマスクと、その後のジュニアヘビー級を支えたライガーと身長が同じだったのは運命的ですよね。
    ――キッドはあの小さい身体でヘビー級のレスラーとも渡り合っていたということですね。
    フミ キッドが活躍した80年代のWWEはステロイドの時代でした。ステロイドでパンパンに身体が膨らんだレスラーの典型例として、ダイナマイト・キッドの名前は挙がりますが、彼が84年にWWE入りしたときに周りのレスラーたちがあまりにも身体が大きかったので、キッドも大きくせざるをえなかったんでしょう。
    ――時代の渦に巻き込まれたと言えるんですね……。
    フミ 91年に全日本プロレスで引退したキッドは、93年に復帰しますが、最後に日本で試合をしたのは96年10月みちのくプロレスの両国大会でした。そのときはドス・カラスと小林邦昭とタッグを組み、初代タイガーマスク&ミル・マスカラス&ザ・グレート・サスケと対戦する6人タッグマッチだったんですが、かつて筋肉でパンパンに膨れ上がっていた身体はガスが抜けたように細くなっていて。体重はもう70キロくらいしかなかったと思います。
    ――全盛期の肉体を知っているだけに、あの細りきった姿はショッキングでしたね……。
    フミ WWEでは従兄弟のデイビーボーイ・スミスとブルディッシュ・ブルドッグスというタッグチームを結成していましたが、デイビーボーイも身体をパンパンに大きくしていたんです。あの時代の流れにキッドも翻弄された面もあったんだと思います。身長を伸ばすことはできないけど、体重は増やせる。あの当時のWWEはハルク・ホーガンの時代です。ホーガンの挑戦者はキングコング・バンディやビッグ・ジョン・スタッドやビッグ・ボスマンであったり、一番の名勝負は『レッスルマニア3』のアンドレ・ザ・ジャイアント。
    ――大男や筋肉マン同士の対決がメイン。ジュニアヘビー級というカテゴリーがなかったWWEのリングでキッドは身体を大きくして闘っていたんですね。
    フミ ダイナマイト・キッドの全盛期はそのWWEの時代ではなくて、やっぱり初代タイガーマスクと闘った81年から83年の頃なんです。彼は1958年生まれ。その年に誰が生まれているかといえば、スティング、レックス・ルーガー、スコット・ホール。57年生まれでいえば、ホーク・ウォリアー、ブレット・ハート、ケビン・ナッシュ。いま名前が挙がった彼らの全盛期は90年代ですよね。80年代前半に全盛期を迎えたダイナマイト・キッドというレスラーは早熟型。年齢でいえば20代前半の頃だったんです。――20代前半であのハイレベル!

    フミ デビューも15歳と早いんです。1973年にイギリスで、ビッグダディというイギリスのジャイアント馬場さん的存在のレスラーに「ダイナマイト・キッド」というリングネームを付けられました。このリングネームほど、漢字に当てやすいものはないですよね
    ――「爆弾小僧」ですもんね。
    フミ キッドはイギリスで闘ってるときに、カナダのカルガリーから遠征してきたハート一家の次男ブルース・ハートに発見されたんです。ブルースはお父さんであり、カルガリーのスタンピード・レスリングのプロモーターのスチュー・ハートに「イギリスに凄いレスラーがいる」と報告したんですね。こうしてキッドはカルガリーに呼ばれたんですが、その身体のサイズを見たスチューは「えっ、これがプロレスラーなのか?」と驚いたそうなんです。
    ――こんな小さい身体で大丈夫なのか、と。
    フミ 当時のカルガリーで人気のあったレスラーはモンゴリアン・ストンパーやキング・カーティス・イアウケアやキラー・トーア・カマタ、アメリカから遠征してくるアブドーラ・ザ・ブッチャー。身体の大きいレスラーたちだったんです。というのはカルガリーの観客は林業や炭鉱、牧場で働いてる肉体労働、ブルーカラー層が多かったので、身体の大きいレスラー同士の荒っぽいプロレスが好まれていたんですね。しかし、ダイナマイト・キッドがカルガリーで活躍することによって、日本でいうところのジュニアヘビー級にあたる、ミッドヘビー級のタイトルが作られることになったんです。
    ――その後、世界中のプロレスに影響を与えることになるカルガリースタイルは、ダイナマイト・キッドのカルガリー登場から生まれたんですね。
    フミ キッドはその実力でカルガリーという土地のレスリング・スタイルを変えてしまったばかりか、いまのプロレスに繋がる革命を起こしてしまったんです。<会員ページへ続く>
    この続きと、メイウェザーvs天心、高橋奈七永、追悼・爆弾小僧、柴田惣一…などの記事がまとめて読める「11万字・記事20本の詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 怪物デイブ・メルツァーと『レスリング・オブザーバー』■斎藤文彦INTERVIEWS

    2018-10-23 21:01  
    80pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「怪物デイブ・メルツァーと『レスリング・オブザーバー』」です! Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー
    ■新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか■怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう ■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
    ■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る■『1984年のUWF』はサイテーの本!
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」


    ■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る

    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

    ■超獣ブルーザー・ブロディ

    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
    ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜




    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 
    ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
    ■「現場監督」長州力と取材拒否■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか――アメリカの老舗プロレス情報誌『レスリング・オブザーバー』の記事に新日本プロレスのメイ社長が「外国の一部ゴシップ誌が〜〜」というコメントで言及しましたが、今回はその『レスリング・オブザーバー』がいったいどんなメディアなのかがテーマです。
    フミ 『レスリング・オブザーバー』は1982年に刊行されたミニコミ誌で、1985年から週刊化されました。ボクは当初から定期購読しています。アメリカのプロレス業界にジャーナリズムを持ち込んだのは『オブザーバー』編集長のデイブ・メルツァーです。彼はカリフォルニア州サンノゼに住んでいて、プロレス以外の趣味は何も持っていません。メルツァーはボクより2つくらい年上なんですが、プロレス少年がミニコミ誌を書き続けているうちにそれが本業になってしまった怪物なんです。
    ――デイブ・メルツァーは伝説上の人物っぽいところもありますねぇ。
    フミ 『オブザーバー』の年間定期購読料は130ドル。週に一度郵送されてきます。いまはウェブ版(年間購読料200ドル)もありますが、内容はA4版の文字だけの20ページ。読みきれないうちに次号が郵送されてくるほどのボリュームなんですが、これはデイブ・メルツァーひとりで書いているんです。
    ――あっ、デイブ・メルツァーひとりのライティングなんですか!
    フミ とんでもなく凄いことですよね。創刊から35年間、毎週毎週デイブ・メルツァーひとりの手で発行を続けているんです。ウェブサイトやポッドキャストはブライアン・アルバレスというメルツァーの弟子みたいな方がやってるんですけどね。
    ――35年間書き続けるってホントに怪物だ(笑)。
    フミ 『オブザーバー』自体が突然変異から生まれた怪物みたいなメディアなんですけどね。デイブ・メルツァーは子供の頃から大のプロレスファンだったんですが、10代の頃からファンジン、日本で言うところの同人誌を作っていたんです。タイプライターで打った原稿をコピーして、ホッチキスで止めて会員に郵送する。そのファンジンには全米各地の試合結果やプロレスラーのプロフィールが載っていて、アメリカや日本のプロレス雑誌の試合写真を切り貼りしてあったんです。
    ――そのファンジンがアーリー『オブザーバー』なんですね。
    フミ 当時のアメリカのプロレスマスコミというのは、ビル・アプター編集長が作るところの『プロレスリング・イラストレーテッド』や『インサイド・レスリング』という表紙はカラーなんですけど、中身はザラ紙のマガジンが主流でした。アメリカ全土の本屋さんや大きなドラッグストアのマガジンラックで売っていたんです。すべてのプロレス専門誌がニューヨークで発行されていたので、ニューヨークの地下鉄の駅でも売っていましたが、当時のアメリカ全土で発行部数5万部10万部の世界に過ぎなかったんですね。
    ――そこまで大規模ではなかったと。
    フミ アメリカのプロレスが活字によって支えられていたことは一度もないんです。なぜかといえば、雑誌はすべて月刊誌で速報性がない。80年代までのアメリカは各テリトリーで興行が行われていましたが、プロレスマガジンはその地区ごとのローカルカメラマンたちに試合写真を送ってもらっていました。そこから編集して本を作って全米の本屋さんの店頭に並ぶ頃には、すべてのニュースが2〜3ヵ月遅れになっちゃうんですよ。
    ――となると業界に与える影響力は薄いですねぇ。
    フミ それに記事の内容もとっても子供っぽいものなんです。「ケビン・サリバンは悪魔の使い」だとか各団体のストーリーラインに沿ったもの。たとえばNWA王座をめぐるダスティ・ローデスとハーリー・レイスの関係性などにしても、あくまでリング上のことなんです。
    ――オーソドックスな編集なんですね。
    フミ ニューヨークで発行されていたので、表紙はWWF(現WWE)のレスラーが中心でした。バディ・ロジャース、アントニオ・ロッカの時代から、ブルーノ・サンマルチノ、ボブ・バックランド世代まで、その時々のチャンピオンが表紙を飾っていたんです。ところが1984年にビンス・マクマホンがWWEの指揮を執り、ハルク・ホーガンをエースに全米ツアーを始めると、リングサイドで写真を撮っていたカメラマンをすべて追い出します。記者にもプレスパスを出さなくなった。日本の雑誌だけがずっと取材できたのは、WWEと直接交渉したからなんです。 
    ――会場からプロレスメディアを締め出した。メディアに影響力がないから、追い出したところでWWEは痛くも痒くもないってことですね。
    フミ なぜそんな手段に出たかといえば、WWFはオフィシャルマガジンを創刊して自らがメディアを作ったんです。オフィシャルマガジンの写真は特写でオールカラー。これまでにはない完成度の高いプロレスマガジンが出版されたことで、WWEは「プロレスには活字マスコミが存在しない」という世界を作ることに成功したんです。メディアとしての影響がないなら、雑誌ビジネスとしてもそれを自分たちで出したほうがいいに決まってますからね。
    ――スポーツ新聞やテレビなどのメディアの力で成長を遂げた日本のプロレス市場とは違うんですね。いまの新日本プロレスもメディアの力を頼らない領域に入ってますが……。
    フミ いまの日本は『週刊ゴング』や『週刊ファイト』は休刊しましたし、『週刊プロレス』もかつての部数ではなくなって、東京スポーツもプロレスをあまり報じなくなってますね。話を『オブザーバー』に戻すと、それまでファンジンを手がけていたメルツァーは大学卒業後、新聞社に就職したんですが、やっぱり自分にはプロレスしかないと会社をやめ、1985年から本格的に始めたのが『レスリング・オブザーバー』なんです。出版メディアからではなくあくまでもミニコミ誌から発展していくことになります。
    この続きと、追悼・輪島、天心vs堀口、修斗対談、マクレガーvsハビブ……などの記事がまとめて読める「10万字・記事20本の詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか■斎藤文彦INTERVIEWS

    2018-09-22 09:45  
    75pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「新日本プロレスのMSG侵攻はWWE一強独裁に何をもたらすのか」です! 【関連記事】
    ・新日本プロレス、ついにMSG進出! WWEは報復発動か?
    ・米インディプロレスの記念碑的祭典『ALL IN』で起きたこと・新日本プロレスのニューヨーク侵攻!! ROHの証言Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー
    ■怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう ■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
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    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」


    ■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る

    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

    ■超獣ブルーザー・ブロディ

    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
    ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜




    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 
    ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
    ■「現場監督」長州力と取材拒否■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか――来年2019年4月6日に新日本プロレスとROHの連合軍が、WWEの本拠地マディソン・スクウェア・ガーデン(以下MSG)で合同イベントを行います。つい先日にはCodyとヤング・バックス兄弟が『ALL IN』という非WWEのスーパーイベントを成功させました。アメリカのプロレス界ではいったい何が起ころうとしてるんでしょうか?
    フミ まず『ALL IN』のほうから説明すると、これはCodyとヤング・バックスの3人が中心となってプロデュースしたイベントで、1年がかりで準備したものなんです。ROHや新日本プロレスなど、NON WWEの選手たちが出場しました。
    ――定期的に興行を行なう団体ではなく、単発のイベントだったんですね。
    フミ 場所はシカゴのシアーズ・センター・アリーナ。収容人数は1万人。開催するのは東海岸に強いROHでもない。このような単発のイベントが1万人の観客を動員できるかどうかというところから始まったんですが、なんと大成功させてしまったんですね。 
    ――成功の要因はなんだったんでしょうか?
    フミ 『ALL IN』は団体ではありませんが、いつの時代もオルタナは存在していました。90年代のECW、00年代のTNA(現インパクト・レスリング)などもそうですが、『ALL IN』との違いを言えば、かつてのアメリカではPPVビジネスが成立しなければ、プロレス団体の運営・経営は成功できない仕組みだったんです。
    ――興行のあらゆる収入手段の中で最も効果的なのはPPVだったんですね。
    フミ ただし、団体側がPPVをやろうとすると、ケーブルカンパニーやPPVプロバイダーと視聴契約料のパーセンテージ配分などのビジネスをしないといけません。ファンもPPVを見るためにはケーブルテレビと契約したり、チューナーも必要になってくる。ひと手間もふた手間かかるわけです。 ところが2010年代も終わりに近づく現在では、インターネットの動画配信という新しいかたちでスマホやパソコンでアメリカどころか世界中のプロレスが見ることができるテクノロジーが完成していますよね。これまではアメリカからは見ることもできなかった日本のプロレスがライブで楽しめる時代になった。そういった環境の変化も後押ししたことで、『ALL IN』は大成功を収めたと言えるんですね。 
    ――『ALL IN』を見ている日本のファンもいましたね。
    フミ 『ALL IN』成功の理由はもうひとつ。やっぱりWWEのプロレスだけは満足できないマニア層はいつの時代も存在するんですよ。
    ――どのジャンルにもメインストリーム以外の刺激を求めるファンはいますね。
    フミ 『ALL IN』に集まった1万人の観客は、大都会シカゴだけの1万人ではなく、アメリカ全土からの密航者がシカゴに集まってきたんです。それほどWWE一強独裁体制にもの足りなさを感じているファンが多い。いまアメリカではROHやインパクトなどの団体が活動していますが、あくまでも形だけの自由競争社会。現実としてはWWEが市場を独占してるんですね。今回の『ALL IN』が巨大な点を打ったことはたしかで、この点が線になっていけば面白いことになっていくんですが……。 
    ――巨大な点を打ったどころでは、どうにもできないWWEの現状があるってことですか。
    いま入会すれば読める9月更新コンテンツ
    追悼、山本”KID”徳郁 米国からも押し寄せる悲しみの声/全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話/90年代を漂流した格闘家・本間聡ロングインタビュー/朝倉兄弟の兄ミクル……その「死と覚悟」を大沢ケンジが聞く/天心vs堀口をプロはこう見る! 「このタイミングは堀口くんにとってベストです」/レスリングオブザーバーのスターレーティングとは何か/「バトル・オブ・ロサンゼルス」にはプロレス界の未来が見える……ほか
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/201809


     
  • 追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で■斎藤文彦INTERVIEWS

    2018-07-25 12:17  
    108pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「追悼・マサ斎藤さん」です! イラストレーター・アカツキさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー
    ■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう ■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
    ■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る■『1984年のUWF』はサイテーの本!
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」


    ■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る

    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

    ■超獣ブルーザー・ブロディ

    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
    ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜




    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 
    ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
    ■「現場監督」長州力と取材拒否■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか――フミさんはマサさんとの付き合いは相当長いんですよね。
    フミ ボクがミネソタの大学に通っていた21歳のときに、マサさんがミネアポリスを本拠地とするAWAに転戦してきて知り合ったんです。かれこれ35年もお付き合いをさせていただいて、マサさんからいろんなことを教わりましたし、ケン・パテラの事件で刑務所に入ったときは冬と春に2回、面会にも行ったことがあるんですよ。
    ――貴重すぎる経験ですね!(笑)。
    AWA時代のマサさんと、大学生時代のフミ斎藤フミ ボクが「フミ斎藤」を名乗るようになったのは小学生の頃で、日本プロレスの第14回ワールドリーグ戦にマサさんが凱旋帰国したときからなんです。そのときからボクはフミ斎藤を名乗り、やがて本物のマサ斎藤さんとアメリカで出会うことになるんですね。
    ――斎藤姓の人間の多くがあだ名やニックネームで「◯◯斎藤」と名乗るきっかけは、プロレスラーのマサさんなんでしょうね。
    フミ マサさんは1942年8月7日生まれの75歳でした。でも、なぜかアメリカのウィキペディアでは2月1日生まれの76歳と書かれていて、アメリカのプロレスメディアやファンのあいだでは年齢に関する議論も行なわれたりしてたんですね。
    ――レスリングで東京オリンピックに出場したマサさんは日本プロレス入りしますが、1年足らずで離脱しちゃいますね。
    フミ 日本プロレスの内部の封建的なタテ社会に嫌気が差したところもあったんでしょうね。東京オリンピックから日本プロレスに入ってドロップアウトしたのは2人いるんです。マサさんとサンダー杉山さん。杉山さんは国際プロレスに移籍しますが、マサさんは東京プロレスに移ります。
    ――そこで運命のライバルとなる猪木さんと出会うんですね。
    フミ 日本プロレスを追放された豊登さんが、2年間の海外修行を終えて帰国の途中だった当時23歳の猪木さんを誘って東京プロレスを旗揚げします。猪木さんと同じ23歳だったマサさんも、なんの迷いもなく東京プロレス入りしますが、あとになってから話を聞くかぎり「最初からアメリカに行くつもりでプロレスラーになった」と。プロレスラーとしてアメリカに永住するつもりだったそうなんです。
    ――日本のプロレス界に留まるつもりはなかったんですね。
    フミ 興味深いのは、東京プロレス旗揚げ前の準備期間の4ヵ月間、猪木さんとマサさんはハワイでルームメイトだったんですよ。アパートの部屋をシェアしてたんです。
    ――若き猪木さんとマサさんがルームシェア!
    フミ そこの出会いがのちにいろいろと繋がっていくんですが、猪木さんは昭和18年2月生まれ、マサ斎藤さんは昭和17年8月生まれ。学年は一緒なんですがマサさんは最初に会ったときから猪木さんのことを尊敬していたそうなんです。
    ――同世代から見ても猪木さんはカッコよかったんですね。
    フミ そのときのマサさんのキャリアは1年ちょっとで、猪木さんはキャリア6年の先輩。猪木さんはアメリカで武者修行してきたことで英語がペラペラでしたし、アメリカでウエイトトレーニングやっていたから身体つきもかっこよかった。当時のマサさんはポッチャリとした体型でしたから、猪木さんの身体を見て「俺もウエイトトレーニングをやらなきゃいけない」と思ったそうなんです。
    ――マサさんのウエイト好きは猪木さんから! いろいろと繋がっていきますね。
    フミ ボクはマサさんと1983年にミネソタで出会ってから、マサさんに何度も何度も日本とアメリカのプロレスの話を聞いたことはあるんですけど、猪木さんの悪口を言ったことは一度もないんです。それだけ猪木さんのことが大好きだったからこそ、試合ではタッグを組むのではなくて対角線のコーナーに立ちたかったんでしょうね。
    ――猪木さんの“ライバル”として存在を示したかった。
    フミ 東京プロレスは2シリーズだけで潰れてしまいました。それからマサさんはアメリカに渡ることになりますが、ビザを取るために半年ぐらいブランクがあって。そのあいだマサさんは木村政雄、のちのラッシャー木村さんと半年間ルームシェアをしていたんです。 
    ――猪木さんの次はラッシャー木村さんとルームシェア!(笑)。
    フミ 木村さんは1941年生まれで猪木さんより年齢はふたつ上。ルームシェアした2人が猪木さんのライバルとして一時代を築くのは運命的ですよね。マサさんは念願のアメリカに渡りますが、マサさんのアメリカの本拠地といえばAWAというイメージが強いですよね。でも、マサさんがAWAに来たのは1983年のこと。1967年に渡米して16年近く経ってからで、その頃のマサさんはもう41歳なんですよ。
    ――円熟期の時代だったんですね。
    フミ 30代のマサさんが一番気に入っていたテリトリーはフロリダです。気候は温暖で、天龍源一郎、キラー・カーンら日本人レスラーもよく遠征していた土地ですし、試合は毎日あって、車での移動でどこの会場でも日帰りで家に帰ってこられる。でも、一番長くいた場所はどこかといえば、サンフランシスコなんです。いまのプロレスファンからすれば、サンフランシスコはいまいちピンとこない場所だと思いますが、1963年から1983年までの20年間、ビッグタイム・レスリングというプロモーションが活動してたんです。そこでキンジ渋谷という日系アメリカ人とタッグを組むんですが、キンジ渋谷はマサさんより12歳ほど年上で、試合では8割方リングの中にいるのがマサさん。ロサンゼルスでは日本から遠征してきたジャイアント馬場さんとも試合をしてますね。ジャイアント馬場&ジョン・トロスvsマサさん&キンジ渋谷のケージマッチという試合がありました。
    ――アメリカとは思えないほどの日本な組み合わせですね。
    フミ 当時の日本人レスラーといえば、ニヤニヤお辞儀をしながら相手を後ろから襲う。いわゆるパールハーバーの奇襲攻撃ですね。マサさんもそれまでの日系レスラーどおりのファイトしていたそうです。後ろから相手の両肩を掴む頸動脈クローや地獄突きを使ったり。
    ――ボクなんかは晩年のマサさんの試合しか見たことないんですが、最初からうまかったんですか? 
    フミ そこは対戦相手から学ぶところが多かったみたいですね。たとえばサンフランシスコにはレイ・スティーブンスという名レスラーがいたんですが、ニック・ボックウィンクルさんが「レイは俺の何十倍も才能あった」と。あのニックさんがそこまで褒めるレスラーだったんです。
    ――天才が褒める天才ですか。
    フミ レイ・スティーブンスは激ウマのプロレスラーがホレるプロレスラーの典型で、コーナーポストに飛ばされたときに逆さまに落っこちてエプロンに立つのはこの人が始めた動き。何か技を食らったあとにペタペタペタ歩いてバタンと前から倒れる。リック・フレアーでおなじみの動きも、レイ・スティーブンスがやりだしたんです。
    ――フレアーはレイ・スティーブンスのフォロワーだったりしたんですね。 
    フミ そんな激ウマなレスラーがいて、黄金テリトリーでお金も稼げる。サンフランシスコは最高の生活だったみたいですね。ただ、アメリカの場合はひとつの土地に何年も留まることはできないんですよね。だからサンフランシスコを北上してオレゴンに行ったり、さらに北に向かってカナダ・バンクーバーのジン・キニスキーのマーケットで戦ったり。あの時代のマサさんは相当稼いだみたいで、ゲームセンターのオーナーだったんです。 
    ――ゲームセンターのオーナー!(笑)。
    フミ それとサンフランシスコにアパート一棟、所有してたんですね。アメリカでは最も長い期間、活躍した日本人レスラーだったんです。
    ――たしかにほかの日本人レスラーは途中で帰国しちゃいますね。
    フミ マサさんも1979年、つまり昭和54年に1年間だけ日本を主戦場にしていたときがあったんですけどね。新日本プロレスでお正月から年末まで外国人サイドのレスラーとして毎シリーズ参加しました。そのあとはアメリカを主戦場としながらたまに来日にしてたんですが、80年代初頭にはもう一度フロリダに戻り、そこでは素人が挑戦してきたときに相手をする役割なんかもやっていて。
    ――用心棒だったんですか!
    フミ 「マサだったら大丈夫!」とプロモーターは任せていたんでしょうね。それぐらいの実力者だったんですね。
    ――実際に素人が挑戦してくるんですか?
    フミ プロレスラーより身体が大きいレスリングの選手や、フットボールプレイヤーたちですよね。あとはプロレスがフェイクだと思ってる人間。そういった連中をマサさんが軽くひとひねりすることで「レスリングはフェイクじゃない」と証明するんです。
    ――興行の宣伝にもなるんですね。
    フミ これはマサさん本人も語ってきませんでしたが、マサさんがイラスト化されると斜視気味に描かれますよね。じつはマサさんは右目が見えていなかったんです。
    ――ああ……。
    フミ 試合中のアクシデントで右目の視力を失ってしまったんです。それも日本プロレス時代というキャリアとしては早い時期に。 
    ――そうだったんですか……いったい何があったんですか?
    この続きと、マサ斎藤、マシン引退、天心vsロッタン、北原光騎、WWEvs新日本……などの記事がまとめて読める「11万字・記事19本の詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/article/ar1639388
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  • 皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に■斎藤文彦INTERVIEWS

    2018-06-27 19:16  
    90pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に」です!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー
    ■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう ■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
    ■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る■『1984年のUWF』はサイテーの本!
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」


    ■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る

    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

    ■超獣ブルーザー・ブロディ

    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
    ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜




    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 
    ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
    ■「現場監督」長州力と取材拒否■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか――今月のテーマは先日お亡くなりになったビッグバン・ベイダーさんです。
    フミ ベイダーはアブドーラ・ザ・ブッチャーやタイガー・ジェット・シン、アンドレ・ザ・ジャイアントやハルク・ホーガン、ブルーザー・ブロディやスタン・ハンセンらと同ランクで、日本で最も活躍した外国人レスラーだと思います。新日本プロレスからビッグバン・ベイダーのキャリアが始まって、UWFインターナショナル参戦中は、じつはWCWの世界チャンピオンでした。その後WWEに転戦して全日本プロレスにも登場。馬場さんの死後、三沢光晴がNOAHを立ち上げるとそのまま移籍。WJや『ハッスル』を経由して武藤・全日本プロレスに姿を現すと、その後はアチコチのインディのリングにも上がり、最後の来日となったのは昨年2017年4月、藤波辰爾さんのドラディションでした。
    ――ベイダーは日本とアメリカでトップを取ったわけですね。
    フミ ベイダーは四大陸でチャンピオンになっています。新日本のIWGP、全日本の三冠、メキシコではカネックを破りUWA世界王座、ヨーロッパではオットー・ワンツに勝ってCWA世界ヘビー級王座、アメリカではWCW世界ヘビー級王座を3度獲って。Uインターでも高田延彦を破ってルー・テーズさんが所有していた旧NWAのベルト、プロレスリング世界ヘビー級王座も獲得してるんですね。
    ――WCWヘビー級王座は3度も獲得ですか。
    フミ 80年代後半から90年代前半のベイダーは新日本で約5年間活躍していましたが、当時はネットがなく日本の様子が詳しく伝わっていなかったのに、アメリカからベイダー待望論が起きたぐらいなんです。それは日米のマニア同士がVHSビデオを交換しあっていた影響もあるんですね。
    ――日本にベイダーという怪物がいるぞと。
    フミ ベイダーの意向ではなく当時、新日本と業務提携していたWCWから呼ばれたんです。ベイダーはWCWのスターだったスティングとは波長が合ったというか、試合をやれば名勝負になったことでトップに立ちました。これはボクがベイダー自身に聞いたことですが、悔やまれるがあるとすればWWEとGHCのベルトも獲りたかったと。
    ――ああ、その2団体のベルトは獲ってない。意外です。
    フミ ベイダーはWWEでもトップレスラーのひとりではあったので、あのままWWEにいればベルトは獲れたかもしれないですが……あとで説明しますが、プロレスラーとしてのプライドがその機会を逃してしまったと言えるんですね。GHCに関していえば、2000年代以降のことですからベイダーに体力的な衰えがあったと言えます。ただし、GHC(グローバル・オナード・クラウン)という名称のヒントを与えたのは、じつはベイダーらしいんですよね。三沢さんはNOAHを立ち上げる際、「何々プロレス」という団体名称は避けたかったんです。三沢さんが意識していたネーミングは、当時で言えばPRIDEなんです。その名称だけでファンがどういう団体かを理解してくれる。三沢さんたちは「ノアの方舟に乗って全日本から脱出した」からNOAHになった。チャンピオンベルトの名称も同様の理由があったんです。ベイダーはGHCのベルトは獲れませんでしたが、あの人の指紋はベルトについているということですね。
    ――王者ならずともNOAHという団体に影響を与えてたんですね。
    フミ 三沢さんはNOAHを旗揚げしたときに外国人レスラーはベイダーとスコーピオだけ欲しかったみたいなんです。ベイダーも三沢さんのことは大好きだったみたいで。三沢光晴という男は「エースクォーターバックだ」と。ロッカールームでもフィールドでもナンバーワンのリーダーシップを発揮しているスタープレイヤーだと証言していましたね。
    ――ベイダーの出世試合といえば、当時全日本のトップ外国人だったスタン・ハンセンとの殴りあいですね。
    フミ 1990年2月10日東京ドーム、スタン・ハンセン戦ですね。この試合は本当に凄かったです。メインイベントではなかったんですけど、東京ドームの観客の印象に残ったのは間違いなくハンセンvsベイダーでした。ベイダーのラフファイトに怒ったハンセンが顔面パンチを見舞うと、突如ベイダーはリング上でマスクを脱ぎ出すします。騒然とする大観衆の目の前に現れたのは、お岩さんのように右目が腫れ上がったベイダーの顔でした。マスクを脱いだのは眼下底骨折の痛みに耐えられなかったこともあるし、目が腫れたことでマスク越しの視界が悪くなってしまった理由もあったんでしょうね。
    ――衝撃的なシーンでしたねぇ。
    フミ 今はプロレスに関するディティールが比較的オープンに語られる時代ですが、あの日あそこでベイダーがマスクを脱ぐ予定ではなかったんでしょうね。その後ベイダーは素顔で戦うようになっていきますが、ハンセンのパンチ攻撃が目に入ってしまったことがそのきっかけとなったんです。ちなみにベイダーは帰国後に眼球を摘出したうえで眼下底骨折の手術してるんですね。選手生命に関わるケガになりかねなかったですが、そのあと何事もなかったかのように復帰しています。
    ――素顔の迫力も加わったことで、ベイダーの存在感はさらに増したと言えますね。
    フミ 偶然と必然が重なり合って歴史は作られていくものなのかもしれませんが、あそこでマスクを取ったことでベイダー物語の新しいチャプターが始まったとも言えますね。この試合がいまだに語り継がれているのは、そんなアクシデントが起きたあとでもド迫力のファイトが繰り広げられたからです。当時は両者リングアウトという結末が凄く嫌われていた時代だったのに、試合の満足度が高くて「この両リンは仕方がない……」と誰もが納得してましたから。
    ――こういう激闘のために両リン決着があるというか。
    フミ 98年になるとベイダーは馬場・全日本に上がるんですが、かつて死闘を演じたハンセンのリクエストで世界最強タッグに出場しているんです。それはハンセンの中で世代交代のバトンタッチを意識したものだったんでしょう。ハンセンのライバルだったジャンボ鶴田さんはすでにセミリタイア状態でしたし、ハンセン自身も2000年には引退することを決めていたので。
    ――トップレスラーに君臨することになったベイダーですが、デビュー戦は最悪といえるものでしたね。
    フミ 忘れもしない1987年12月27日両国国技館。ベイダーは「たけしプロレス軍団」の刺客として新日本プロレスのリングに初登場しました。当時テレビ朝日の新日本プロレス中継は定位置だった金曜夜8時からも外れ、『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』にリニューアルされていたんですが、その中で企画されたひとつが新キャラのデビュー。それがビッグバン・ベイダーだったんです。
    ――まずベイダーのキャラクターありきだったんですよね。
    フミ ボクは『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』の番組制作に関わっていたので(伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』)、ベイダーの企画書を読んだことがあります。ベイダーという名前はまだ決まってなかったんですが、マサ斎藤さんが連れてくる外国人レスラーが変身すると。キャラクターの原画は漫画家の永井豪先生。途中から使われなくなりましたが、煙が吹き出る甲冑のデザインが先にできていて、その甲冑を脱ぐとガスマスクのような黒覆面を被っている。
    ――あとは誰をベイダーにするか……だったんですね。
    フミ ベイダーの中身には3人のレスラーが候補に挙がっていたんです。1人目が実際にベイダーに変身するレオン・ホワイト。2人目は当時ダラスでディンゴ・ウォリアーを名乗っていたのちのアルティメット・ウォリアー。3人目は当時新日本プロレス道場の留学生だったブライアン・アダムスです。彼は横田基地の米軍を除隊後、プロレスラーになろうと新日本に入門してました。
    ――ブライアン・アダムスはのちにデモリッション・クラッシュとしてWWEでも活躍しますね。
    フミ 当初はディンゴ・ウォリアーで決まりかけていたんですが、直前でWWEと契約してしまったんですね。彼がもし日本でベイダーになっていたら、WWEでアルティメット・ウォリアーは誕生してなかったわけですし、ベイダーというキャラクターもどうなっていたのかわからない。そこは運命のifですよね。
    ――それでレオン・ホワイトに決定したんですね。
    フミ ブライアン・アダムスは外国人であったけど、まだ新日本プロレスの練習生。マサさんは最初からレオン・ホワイト推しだったんです。レオン・ホワイトは2年前の85年にAWAでデビューしており、日本に連れてくる時点でヨーロッパのオットー・ワンツの団体CWAでチャンピオンだったんです。リングネームはブル・パワー。オットー・ワンツが彼のことを凄く気に入ってて長期滞在させていて。オットー・ワンツと同じような体型だし、試合のリズムも合ったんでしょうね。――マサさんもベイダーに惚れ込んだわけですね。


    この続きと、安田忠夫最終回、朝日昇、天心訴訟、ベイダー、QUINTET、ザンディグ……などの記事がまとめて読める「11万字・記事21本の詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――■斎藤文彦INTERVIEWS

    2018-05-27 13:11  
    90pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――」です!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー
    ■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう ←new■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
    ■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る■『1984年のUWF』はサイテーの本!
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」


    ■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る

    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

    ■超獣ブルーザー・ブロディ

    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
    ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜




    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 
    ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
    ■「現場監督」長州力と取材拒否■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか――ジャイアント馬場さんの奥さんである馬場元子さんと、馬場さんの親友だったブルーノ・サンマルチノさんが同時期にお亡くなりになってしまいました。
    フミ サンマルチノさんが4月18日、元子さんが4月14日にお亡くなりになりましたね。元子さんの場合は密葬を済ませたあと、4月23日に東京スポーツを通じて発表されました。
    ――発表されるまでは、生前の元子さんと親交のあったプロレス界関係者でさえも知らなかったそうですね。
    フミ 元子さんはもうプロレス界の人ではなかったことも、しばらく公表されなかった理由かもしれませんね。元子さんのことは姪っ子さんが最後まで面倒を見ていたようですが、もしかしたら和田京平さんはご存知だったかもしれません。馬場さんが亡くなったあとも、京平さんは元子さんを支え続けていて、それはプライベートにまで及んでいたそうです。ある日、元子さんから「京平ちゃん、家に来て」と言われて家に行ってみたら「電球を変えて欲しいの」と。
    ――昭和の奉公人の世界というか。フミさんが最後に元子さんに会ったのはいつなんですか?
    フミ 秋山準が現在の全日本プロレスの運営会社の社長になったときに元子さんは後楽園ホールに来られてますが、そのときだったと思います。全日本プロレスとはいっても屋号を引き継いでいるだけなんですが、元子さんは「秋山くんならば」ということで、全日本プロレスの暖簾を使う許可を出しているんですね。
    ――名前は全日本プロレスだけど、法人会社は変わっていて。コンテンツホルダーは元子さんなんですね。
    フミ 全日本プロレスという名前と、おなじみの団体ロゴを使うことは元子さんのお墨付きなんです。こんなケースはありえないと思いますが、秋山選手以外の人が「全日本プロレス」という名前を使うことはできない。いまの全日本プロレスには3冠のベルトがあり、アジアタッグのベルトがあり、チャンピオンカーニバルや世界最強タッグも開催されている。全日本プロレス以外の何物でもないわけですよね。どこの世界でも家元が亡くなると跡目を巡って争いごとが起きるものなんですが、秋山準の全日本プロレスは極めて正統・正当性が高いわけですね。
    ――秋山選手は馬場・全日本プロレスの生え抜きですし。
    フミ 秋山選手は元子さんにきちんとお伺いを立てる人なんですが、こんなエピソードがあるんです。3冠というのは取ったレスラーの好みが出るというか、ジャンボ鶴田さんは基本的にインターのベルトを腰に巻いたんです。あとの2本は手に持ちました。
    ――インターを巻いてUNとPWFは手に持つんですね。
    フミ それはジャンボ鶴田さんの拘りなんでしょうね。スタン・ハンセンの場合は3本とも手に持つ。鈴木みのるもそうでした。天龍さんであれば、UNのベルトを腰に巻いたんですよ。
    ――天龍さんの原点はUNですもんね。 
    フミ 三沢光晴や川田利明はインターを腰に巻くタイプだったんですが、秋山選手の場合はなぜかPWFのベルトを腰に巻きたかったんです。秋山選手は2011年に初めて3冠を取りました。馬場・全日本のときは取ってなかったんです。
    ――それくらい馬場・全日本時代の3冠の壁は厚かったということですねぇ。
    フミ 3冠を取ったときに秋山選手は何をしたかといえば、元子さんに電話をかけて「馬場さんをイメージさせるPWFのベルトを巻いていいですか?」と確認を取ったんですよ。元子さんからすれば嬉しいことだったのではないかと思います。何年経ってもも、まずそうやって元子さんにお伺いを立てるわけですから。
    ――そういった配慮ができるからこそ、元子さんも秋山選手に全日本プロレスを託せるわけですね。
    フミ 秋山選手は全日本プロレスから離れNOAHに移りましたが、また全日本に戻ってくることになった。武藤・全日本よりも秋山・全日本の方が、かつての全日本プロレスっぽいところを感じられるじゃないですか。
    ――「神は細部に宿る」じゃないですけど、どのベルトを巻くのかという確認が取れる人間ですもんね。
    フミ チャンピオンベルトというものは宗家に代々伝わる掛け軸、坪やお皿ではないですが、それほど伝統で由緒あるお宝という認識が秋山選手にはあったということですね。
    ――ベルトは単なる興行の道具ではないと。
    フミ 秋山・全日本になってから、新しく3冠のベルトが作られ、旧3冠の3本のベルトは元子さんのもとに返されたんです。そこは元子さんの要望だったと思いますし、晴れて“本家”に戻ったということですね。元子さんはホスピスのようなところに入院されていたと聞いていますが、恵比寿には馬場さんと元子さんが住んでいたマンションがあるんです。そこにはいま言った3冠のオリジナルベルトがありますし、馬場さんがハーリー・レイスに勝ってNWAのベルトを2回取りましたが、そのときに自分用に作ったNWAのベルトもあると伝えられているんです。
    ――記念ベルトじゃないですけど。
    フミ いわゆる「ハリーレイスモデル」と言われているベルトと同じ作りで、レプリカと言っていいのかわからないですが、チャンピオンになった選手だけが作ることが許されるベルトがあるんです。それは誰にも見せたことがないんですね。
    ――そのお宝ベルトが馬場マンションに眠ってるんですね。
    フミ 馬場さんのマンションにはそれ以外にも等身大の馬場さん人形が置いてあり、馬場さんの歴代ガウンがすべて揃ってるんです。1着数百万円、ヘタしたら1000万円近くするガウンが全部残ってるらしいんですよ。
    ――関係者が勝手に売り払ったといわれる猪木さんのガウンとは扱い方が違う(笑)。
    フミ 赤や朱色、たまにしか穿かなかった青のショートタイツ、歴代リンズシューズももちろん残っています。それから元子さんはミル・マスカラスの大ファンだったこともあって、マスカラスが来日するたびにもらっていたマスクがたくさん溜まっていて。プラスチックの衣装ケース5〜6個の中に敷き詰めてあると言われてるんですよ。
    ――マスク屋さんもビックリのコレクション!
    フミ 元子さんは純粋な人で、マスカラスは「千の顔を持つ男」と言われたので、本当に1000種類のマスクがあると思っていたそうなんです。たしかに初期はデザインが違うマスクがたくさんあったんです。あるときから、お馴染みのマスカラスデザインが基本になって、色だけが変わっていきました。それでもマスカラスが来日するたびに元子さんはマスクをもらっていたので、本当に1000枚ぐらい持ってるらしいですよね。
    ――そのコレクションは相当価値があるんじゃないですかね。
    フミ マスカラスのマスクなんて1枚何十万円もの値打ちがありますし、それが1000枚近くあるわけですからね。いろいろものがありすぎて、恵比寿のマンションの地下にあるストレージルームを借りて、そこにはジャイアントサービスのグッズもいわゆる在庫も大量にあるらしいんです。
    ――『開運!なんでも鑑定団』で取り扱って欲しい(笑)。
    フミ 馬場さんはハワイにもマンションを持っていますし、全国津々浦々というわけではないですが、全日本の売り興行のときにお金を払えなかったプロモーターが代わりに土地で支払ったケースもあるらしいんですよね。
    ――それも凄い話ですね(笑)。
    フミ プロレスファンからすれば恵比寿のマンションに残されたお宝がどうなるかは気になりますよね。馬場さんの博物館を作れます。オリジナルの3冠ベルトやガウンも飾れますし、馬場さんが普段着ていたスーツだって見てみたいですね。この続きと、サバイバル飛田、朝日昇、馬場元子、RENA劇場、倉持隆夫などの記事がまとめて読める「13万字・記事23本の詰め合わせセット」はコチラ 
     
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