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記事 20件
  • 【13万字・記事詰め合わせセット】堀口恭司、萩原京平、AKIRA、沢村忠、アポロ菅原、オレンジ・キャシディ……

    2021-01-31 23:59  
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    非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! part84大好評記事17本、13万字オーバーで600円!!(税込み)

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    part84
    ◎【BIG COMEBACK!!】堀口恭司「海くんもATT来ちゃえば? と思いますけどね」

    ◎朝倉海vs堀口恭司……ジャパニーズMMAと献身

    ◎萩原京平13000字ロングインタビュー「次はドミネーター、狙いは朝倉兄貴ですよ」

    ◎天心vs武尊の大きなポイントは「契約体重」です/鈴木秀明

    ◎井上直樹はもっと手がつけられなくなります■水垣偉弥

    ◎【大晦日その後】憂流迦vs朝倉未来? 井上直樹vsセルジオ・ペティス!?■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク

    ◎いいキ◯タマを持っていたRIZIN大晦日15000字大総括/RIZIN広報・笹原圭一

    ◎【前代未聞“超”異種格闘技戦】シバター戦はやってよかったのか? HIROYA1万字インタビュー

    ◎格闘家がセルフプロデュースで成功する方法!?

    ◎RIZINは平均視聴率10%を超えてはならない!

    ◎クレベル・コイケのことが大好きになれる記事■Dropkick柔術部・橋本欽也

    ◎SWS解散とザ・マミー変身/アポロ菅原インタビュー

    ◎新日本プロレス入門、野上彰だった頃/AKIRAインタビュー

    ◎沢村忠から天心vs武尊まで…キックボクシングの始まりと、その光と影■細田昌志☓高崎計三

    ◎秋山準の“三冠外し”マイクとは何か■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    ◎誰もが憧れる、無気力の天才オレンジ・キャシディ

    ◎ブロディ・リーは8歳の息子のベルト姿を見届け、天国に旅立った



    ◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉血の匂いが漂った平本蓮戦を制した萩原京平インタビュー。「アウトサイダーに出なくてよかった」と語る地下格闘技のこだわりとは?13000字インタビュー!(聞き手/松下ミワ)――いきなりですけど、萩原選手ってSNSが苦手なんですか?
    萩原 ああ、あんまりやらないですね。実際に会ったときの印象と違うことありません?
    ――たしかに、そういうパターンもあるような。
    萩原 昔SNSで知り合った人と実際に対面したときに、その人の印象に悪い意味でのギャップがあったんですよ。逆にそういうふうに思われるのがイヤやなと思って、あんまりツイッターもやらないようになりましたね。
    ――とくに炎上がイヤだからという理由ではない、と。
    萩原 炎上はどうでもいいですけど、SNS上だけで騒いでいるヤツもいてるじゃないですか。実際にしゃべってみたら全然そういう人じゃないというパターンが自分の中では“ダサい人”と思てるんで。
    ――言葉だけ威勢がいいタイプがイヤなんですね。
    萩原 自分の中ではそういうダサいヤツになりたくないので、あんまりつぶやかへんというのはありますけど、でも見てるのは見てますよ。ファンの人からもらったメッセージも、一応は全部目を通しているんで。返事してはないですけどね(笑)。
    ――となると、最近は萩原選手の名前がSNS上に頻繁に上がってきていることも、ちゃんと知っているわけですね。
    萩原 それは感じます。メッセージの量も、とくに大晦日が終わったあとは1日何十件も来てるんで。うれしいし、モチベーションにもなるんですけど「この騒ぎはいつ収まるやろ?」と(苦笑)。
    ――まだ祭りは終わってないですか(笑)。
    萩原 まあでも、こんだけ鳴り止まんくなったのは、やっぱり大晦日からですね。
    ――日常生活でも、知名度アップを感じることはありますか?
    萩原 むちゃくちゃありますよ。家の近所のイオンで買い物しとっても声をかけられるようになったし、ドライブスルーしとっても店員さんに声をかけられたりするんでねえ。
    ――ドライブスルーでスルーしてくれない(笑)。
    萩原 だから、ホンマに日常生活から気ぃつけなあかんなと思てます(苦笑)。
    ――その大晦日の平本蓮戦は、宣言どおりの試合内容でした。
    萩原 試合が決まったときからあの作戦やったんで、記者会見のときから「俺はこういう戦い方をする」と教えてましたもんね。それも込みで「ちゃんとテイクダウンディフェンスとか練習しとけよ」と言っとったんですけど。
    ――それが本当にハマって自分でも気持ちがいい試合展開だったというか。
    萩原 全部ハマったっすよね。ただひとつ予想外だったのは、めちゃくちゃ疲れるという(苦笑)。
    ――やっぱり、自分から寝技を仕掛けるのは疲れましたか。
    萩原 普段は自分からテイクダウン取りに行ったりはしないんでね。でも、今回はレスラーのしんどさがわかりましたよ。とくに、自分からしつこく組みに行くのは今回が初めてやったんで、いろいろ勉強になりました。試合が終わったあと、控室でもしばらく動けなかったですもん(笑)。
    ――そんなに! ただ、平本選手の打撃はプレッシャーもありましたよね?
    萩原 うーん、プレッシャーはそんなに感じひんかったんですけど、たしかに試合映像を見返すと「うまいな」と。反応できてないパンチもあったし、やっぱり平本くんの打撃は凄いなと思いましたね。
    ――具体的には、どのへんが凄かったですか?
    萩原 まず、1ラウンド目のファーストコンタクトで、ボクが右を振りにいったときに、ボクは「タックルするぞ」という目線で振りにいったつもりやったんですけど、それにまさかのワンツー合わせてきたところです。ファーストコンタクトでカウンターを合わせてくるヤツってなかなかいてないんで。そこはホンマに凄いと思いました。
    ――序盤にいきなりその凄さを感じた、と。
    萩原 ボク、けっこう試合のファーストコンタクトは大事やと思てるほうで、そこで威圧をかけて飲み込んでもうたら自分の流れに持っていきやすいというのがあるんですよ。だから、それを狙って「平本くんも絶対に返してこないやろ」と思って振りにいったんですけど、そこを返されましたね。
    ――途中、萩原選手が足を取りにいったように見えたシーンがありましたが、あれじつはフラッシュダウンだったというお話をされていましたよね?
    萩原 まあフラッシュダウンというほどでもないんですけどねえ。ボクがタックルに行こうとして頭を下げたときに、向こうのジャブが当たったんで、そこでバランス崩して倒れてしまったというか。まあ、パンチをもらって倒れてるんでフラッシュダウンになんのかなあ?
    ――でも、寝技の展開には自信があって。
    萩原 最近は、寝技の練習が7割ぐらいになってますから。ただ、寝技もガッツリやり始めたのは芦田崇宏戦が終わってからなんですけどね。
    ――え! それまでは、全然やってなかったということですか?
    萩原 全然というか、テイクダウンディフェンスの寝技だけでした。だから、こっちから仕掛けにいったりという寝技はまったくしてなかったですね。それをやり始めたのは、まさに芦田戦からで。
    ――芦田戦と言ったって、去年の9月ですよ(笑)。
    萩原 そうそう(笑)。連戦しすぎて、もう芦田戦が何年も前みたいな感じになってますよ。
    ――それまでやらなかったのはなぜなんですか?
    萩原 必要ないというか、MMAでも寝技を使わずに打撃だけで戦うのがカッコいいと思てたんで。逆に、MMAやりはじめの頃は寝技の練習がめちゃくちゃキライで、「なんで男と抱き合わないかんねん……」と思てるタイプやったんですよ。でも、岩崎(正寛)さんと出会ってからは考えが変わったというか。
    ――萩原選手は柔術家の岩崎正寛さんに寝技を教わっているんですよね。
    萩原 まあ寝技も奥が深いし、一本極められるストライカーはカッコいいと思うようになって、そっから柔術も真剣にやるようになりました。
    ――いろんな人との出会いがあって、カッコよさの基準もどんどん変わってきている、と。いまってUFCでもテイクダウンを切って倒す展開が多いですが、以前はそこを目指していた感じだったんですか?
    萩原 最初はそうです。もともとは地下格闘技出身なんで、地下格は寝技がないんでね。
    ――あ、寝技はないんですか?
    萩原 ないっすよ(笑)。寝技の展開は一応あるんですけど、バーっともつれて寝技の展開になっても、5秒たったらブレイクなんで。
    ――5秒ブレイク! じゃあ、ルールとして寝技はナシというか。
    萩原 「ひたすら殴り合え!」みたいな大会なんでね。そういう場所でやってきたから、MMAのアマチュア大会に出た頃は、「なんでコイツ、こんな抱きついてくんねん。気持ち悪いわ」と思てたんです。だから、芦田戦も組まれても倒されへん自信はあったんですけど、あの試合で負けてからいろいろ勉強にもなったし、考え方だいぶ変わりましたね。
    ――それは、寝技もやらないと勝てないという考え方に?
    萩原 MMAなんでね(笑)。まあ、ナメてたと思います。ストライカーは絶対に通る道というか。だから、平本くんもボクとの対戦は「打撃で」という考えやったかもしれないんですけど、それはボクがMMA始めた頃と似ていると思っていて。気持ちがわかるじゃないですけど、そんな簡単にレスリングも寝技も上達できないとわかってたんで、平本戦は100パーセント勝てると思てたんですよね。
    ――一歩先を進んでいたからこそ、わかっていた。
    萩原 MMAのストライカーで柔術をちゃんとやっている人も少ないですもんね。海外のUFCファイターとかはみんなちゃんと柔術もやってるんで、そこをやっておかないと海外では戦われへんなと思てます。ゆくゆくは組んでくるヤツには極める、そういう戦い方をしたいですから。
    ――そういう意味では、RIZIN参戦以降、かなり成長に手応えがある感じなんですね。
    萩原 めちゃくちゃ感じてます。半年前の自分とは別人なんでね。自分でもそれを実感できているんで、楽しくなってきているというか。いろんなことを覚えたいですね。
    ――いいですねえ。でも、萩原選手のキャリアってあんまりよく知られてないですよね。もちろん、地下格闘技出身であることは知っているんですけど。
    萩原 ああ、地下格も一応公式戦績みたいなので20戦ぐらいしていると書いてあるんですけど、ホンマはもっと試合してますからね。1ヵ月間、毎週日曜日に試合しとった時期もあったんで。
    ――毎週日曜日に試合ですか!
    萩原 その試合も2日前のオファーとか、めちゃくちゃあったんで。バンバン試合に呼んでもらって、日本全国いろんなところに行ってましたから。
    ――え、日本全国なんですか?
    萩原 行ってます、行ってます。九州にも行ったし、東京にも来てるし。10代の頃はそんな感じでした。
    ――それって、いわゆる地下格ブームの頃の話ですかね?
    萩原 いや、たぶんそれは第1次ブームの話ですよね?
    ――地下格ブームに第1次とかあるんですね(笑)。
    萩原 フフフフ、あるんですよ。ボクが憧れてた地下格はほんまに練習もせんと、喧嘩自慢がガーっと上がってきてた時期なんですけど、ボクが試合をしていた頃の地下格はけっこう練習して上がってきているヤツもおった頃なんで。
    ――そのブームって、『THE OUTSIDER』に牽引されていた感じだったんですかね?
    萩原 違いますね。というか、『THE OUTSIDER』はボクの中で地下格とは思ってないので。あれはもう完全にセミプロでしょ。
    ――地下格出身者からすると、『THE OUTSIDER』はセミプロ!
    萩原 地下格というのは、たとえば『益荒男』(ますらお)とか。『益荒男』はボクも出てたヤツなんですけどね。ボクは『益荒男』のトーナメントにも出たりしたんですけど、「次は決勝戦や」というときに、ちょっといろいろ問題があって、ボクらは『益荒男』から出入り禁止になりました(笑)。
    ――詳しくは聞かないようにします(笑)。
    萩原 あとは、KRUNCHというのも地下格ですね。でも、KRUNCHは主催者が逮捕されたんですよね。これ「地下格あるある」なんですけど(笑)。
    ――RGさんが絶対に言わなそうな「あるある」ですよ(笑)。
    萩原 主催者が逮捕されて大会がなくなるというのは、ようあるんです。ちなみに自分は悪いことはやってないですよ(笑)。
    ――安心しました(笑)。でも、そういう世界に、萩原選手はどういうきっかけで入っていったんですか?
    萩原 初めて触れたのは中学生ですかね。当時、ボクの実家の近所に格闘技のジムができたんですよ。そのジムが24時間無料開放されているジムで、倉庫みたいな感じの場所なんですけど、リングもシャワーもあって。
    ――24時間無料開放ジム……。なかなか凄そうな場所ですねえ。
    萩原 考えられへんでしょ?(笑)。地下格系の人しかいてないジムなんですけど、設備はめちゃくちゃよかったんですよ。ボクらは中学生ぐらいでしたけど、そんなん夜中まで開いてるジムがあったら「行こうか」となるじゃないですか。だからよう集まって、スパーリングトーナメントしたりとか。
    ――勝手にトーナメントを開催していた(笑)。大好評記事17本、13万字オーバーの記事詰め合わせは、まだまだ続く……
     
  • クレベル・コイケのことが大好きになれる記事■Dropkick柔術部・橋本欽也

    2021-01-25 15:55  
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    「柔術ぼんやり層」に優しいブラジリアン柔術黒帯にして柔術専門ライターの橋本欽也氏が語るクレベル・コイケ!【1記事から購入できるバックナンバー】
    ・日本柔術界の最高傑作! ホベルト・サトシ・ソウザは何が凄いのか?
    ・語ろうグレイシー!! ヒクソンの息子クロンのMMAデビューを10倍楽しむ方法
    ・MMAが一番格上なのか? 格闘技原理主義者対談〜橋本欽也vs大沢ケンジ〜・秋田で何が起きた? QUINTETエキシビジョンマッチ騒動■橋本欽也

    ――柔術ライターの欽也さん!今日はクレベル・コイケの凄さについて語ってください!!
    欽也 俺は「Dropkick柔術部」の講師と言っても過言ではないですからね。ブラジリアン柔術のスポークスマンとして大任をはたしますよ。
    ――まずクレベル・コイケはどういう柔術家なんですか?欽也 クレベル・コイケは、サトシ(・ソウザ)がいる静岡のボンサイ柔術所属。日本のボンサイ柔術のトップはRIZINにも出たマルキーニョス(マルコス・ヨシオ・ソウザ)で、サトシがナンバー2、その次がクレベル。
    ――ボンサイ柔術「第3の男」なんですね。 欽也 ボンサイ柔術はブラジルのサンパウロに本部道場があって、アジウソン・ソウザ、つまりサトシの父親が始めた道場で。エリオ・グレイシーから脈々と受け継がれるリネージュがあるんですよ。
    ――正統派のブラジリアン柔術。欽也 創始者のお父さんが亡くなったあとは長男(マウリシオ・ソウザ)がブラジルの道場を引き継いでます。その長男は出稼ぎ外国人として来日してて、2000年初期に日本でも道場を始めたんですけど、それがボンサイ柔術の日本支部。そこで同じ出稼ぎブラジル人の子供として来日していた中学生時代のクレベルが入会してるんですよね。
    ――中学生の頃から所属してたんですか。欽也 クレベルは14歳のときに来日してるんですよ。当時はPRIDEが流行っていたから、お兄ちゃんのクリスチャン・コイケが柔術サークルに通ってたんですよね。そこに弟のクレベルもついていって。そのうちマウリシオ・ソウザが来日して、その柔術サークルに参加したんだけど。ブラジルで柔術をやってきたマウリシオとはレベルが違うわけですよ。それならマウリシオは自分で道場を……とボンサイ柔術の日本支部を立ち上げたら、そのサークルの人間がみんな移籍して。
    ――それでクレベルもボンサイ柔術に参加した。欽也 だからクレベルも旗揚げメンバーというか。その時点でサトシはまだ来日してないですからね。サトシはブラジルで柔術をやっていて紫帯で日本に来てるんですけど、クレベルは日本で柔術を初めてる。この2人は同い歳なんですけど、2人のルーツはちょっと違うんですよね。
    ――ブラジルからやってきて日本で柔術を始めたクレベルと、ブラジルで柔術を始めて日本にやってきたサトシ。欽也 ボンサイ柔術がロイヤルファミリーだとすると、クレベルは親戚みたいな関係。実際に家族ぐるみの付き合いだし。
    ――クレベルはブラジリアン柔術の世界ではどのレベルまで活躍したんですか?欽也 クレベルはワールドクラスの選手ではあるんですけど、サトシやマルキーニョスみたいに黒帯で国際大会の入賞歴がないんです。紫帯でヨーロピアンで優勝して、パンナムでも入賞はしてるんだけど。黒帯になってからも海外の大会には出てるんですけどね。
    ――柔術の実績ではサトシのほうが上なんですね。欽也 サトシのMMAデビューって最近じゃないですか。黒帯になってからMMAをやってる。でも、クレベルって黒帯になる前の18歳のときにMMAデビューしてるんですよ。サトシはずっと柔術、柔術、柔術だったんだけど、クレベルはMMAと柔術を交互にやってるんですよね。18歳のときからやってるからキャリアとしては長いんです。
    ――そこもサトシとは対照的ですね。欽也 クレベルは戦いが好きなんだよね。KSWの契約が終わって、Road TO ONE(西浦“ウィッキー”聡生戦)でも勝ったんだけど、なかなか試合が組まれないってことで、自分で大会の参加費を払って国内の柔術大会に出てたんですよ。それでメダルを取りまくってね。決勝戦で負けたこともあったんだけど、クレベルは柔術とMMAをどっちもやりながら出てるじゃないですか。相手は柔術しかやってない専門家相手とやってもある程度まではいける。QUINTETでも活躍した岩崎(正寛)くんにも負けたことはあるんですけど、岩崎くんはCARPE DIEM BJJのトップの1人だから。
    ――岩崎選手は最近、萩原京平選手も指導されてますね。欽也 参加費7000円を払ってまで柔術に出るぐらいだから本当に戦いが好きなの。あとヤンチャ坊主だったし。
    ――かなりの暴れん坊だという噂は聞いてますね(笑)。欽也 クレベルはホントにブラジル人気質なんですよ。陽気でバカ(笑)。学校も行かないで昼は働いて、夜はクラブでケンカして……みたいなライフスタイル。家族がブラジルに帰っちゃったときは、すさんだ時期もあって。そのときはサトシの家に居候してて、2人は密接な関係が築けたというか。俺もクレベルと大ゲンカしたことがありますよ。
    ――あれま。なんでケンカしたんですか?欽也 2011年にアメリカのロスの大会に一緒に行ったことがあって。そのときにメンデス兄弟が俺が泊まっているホテルに試合写真を取りに来たんです。
    ――メンデス兄弟は柔術界ではビッグネームですね。 欽也 試合後の打ち上げも終わってからだから、夜中の1時頃に俺の部屋にやってきたんですよ。受け渡しの作業が終わって自分たちのホテルに帰るってなったときにタクシーを呼んだんですね。でも、当時はUberなんてものもなかったから全然来なくて。そうしたらクレベルが「なんでタクシーが来ないんだ!?(怒)」って俺に怒り始めて。
    ――なぜ欽也さんに(笑)。 欽也 ホント「知らねーよ!」って話なんだけど、「メンデスはワールドチャンピオンなのになんでこんな扱いするんだ!」ってずっと怒ってて。俺とクレベルの大ゲンカをハファエル・メンデスが「まあまあ、ケンカはやめろ」と止めに入るという。
    ――ワールドチャンピオンが仲裁を(笑)。 欽也 頼まれて写真をコピーしてやってるだけなのに。それから日本に戻ってもクレベルとは半年くらい口をきかなかったんだけど。アイツは柔術の試合で活躍するから、柔術ライターとしてコメントを取らないといけないでしょ。そのときに「あのときは悪かった……」みたいな感じで謝ってきて。
    ――和解はしたんですね。 欽也 。クレベルはメンデスたちとはファミリー的関係なので「試合が終わって疲れてるのになんでこんな扱いをするんだ?」ってキレちゃったんだろうね。俺は関係ないのに(笑)。
    ――すぐにスイッチが入っちゃう。
    欽也 「なんで他人のことでそんなに熱くなるんだ?」って思うんだけど、RIZINのときもそうでしょ。 ボンサイ柔術の選手が勝ったら試合後にみんなで抱き合うし、サトシが泣きながらクレベルがRIZINに出られるようにマイクしたり。この感覚は日本人にはなくないですか?

    この続きと、堀口恭司、萩原京平、AKIRA、沢村忠、アポロ菅原、HIROYAvsシバター…などの1月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事17本の詰め合わせセット」はコチラ
    https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1990515
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  • 格闘家がセルフプロデュースで成功する方法!?

    2021-01-25 15:35  
    130pt
    この記事は格闘家のセルフプロデュースを語ったDropkickニコ生配信を編集したものです(語り:ジャン斉藤)【1記事から購入できるバックナンバー】・「東京ドームを押さえろ!」(長州力)■名言で振り返るマット界の歴史
    ・シューティング初代ライトヘビー級王者・川口健次インタビュー

    ・「MMA史上、最も試合がつまらない男」ベン・アスクレンとUFCの5年戦争劇的決着!
    ・アントニオ猪木の「環状線理論」から見るRIZIN大晦日
    今回はですね、どんな格闘家でも求心力と幻想を得ることができるセルフプロデュース論を語りたいと思います。……いや、できるかも、程度で耳を傾けてください。
    RIZINや注目の試合があったりすると、セルフプロデュース論が語られがちですよね。プロとしてどうなんだ?とか。青木真也選手の試合前後も同じで。そこは青木真也選手自身がセルフプロデュースの重要性を訴えているというか。なんかね、青木真也選手の言動と見てると、セルフプロデュースを語ることでセルフプロデュースをしている格闘家に見えるんですよね。そこはマナー講師みたいなもんですかね(笑)。
    というところで、青木選手のジェームス・ナカシマ戦を見ようと思ったんですけど、ちょっと首を痛めちゃってリアルタイムでは見れてなかったんです。お金がないとかじゃなくて物理的に首が回らない! そんな状態で朝を迎えて、青木選手勝利の結果を受けた皆さんの反応を見てて思うことがあったんですよ。なにかというと、毎回青木真也選手の試合って受け止め方が変わらないなって。もうここ5年ぐらい同じものを見てるんじゃないかなって思うくらい。

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  • 【前代未聞“超”異種格闘技戦】シバター戦はやってよかったのか? HIROYA1万字インタビュー

    2021-01-23 12:03  
    130pt
    YouTuberシバター戦の「X」として大晦日に参戦したHIROYAインタビュー。前代未聞の結果と反響をどう受け止めているのか?(聞き手/松下ミワ)【1記事から購入できるバックナンバー】
    ・23歳・格闘技経験なしの女子がなぜ突然キックを始めたか/ぱんちゃん璃奈インタビュー

    ・【代理戦争、その後】古瀬美月インタビュー「もう19歳ですし、私には時間がないんです」

    ・世界一過激な格闘技で稼ぐ男 渡慶次幸平……血とカネとラウェイと



    ・追悼ブランコ・シカティック…石の拳が夢見たK-1、そしてアントニオ猪木/甘井もとゆき

     

    ――RIZINのYouTubeで公開されている大晦日のシバター戦、再生回数がとんでもないことになってますね!
    HIROYA ああ、なんか500万回いったみたいですねえ。凄いのか、どうなのか……。
    ――いや、凄いですよ! HIROYA選手とシバターさんの対談動画も、軒並み100万回を超えていますし。
    HIROYA まあ、全部シバターさんのおかげです(笑)。ただ、YouTubeの収益は凄く増えているんですけど、ボク自身は街に出て声をかけられる多さが変わったかというと、そうでもないんですよね。
    ――というか、すでに有名選手ですもんね。
    HIROYA いやいや(苦笑)。だから、何か変わったかというと、とくにそうでもないというか。
    ――シバターさんと対談したということは、試合後に連絡を取り合ったということですよね?
    HIROYA ああ、そうです。シバターさんのチャンネルで「HIROYA聞け」って動画があったじゃないですか。じつは、その前にRIZINのほうから連絡があって、「シバターさんが、HIROYA選手とYouTubeでコラボしたいと言ってるよ」と。
    ――コンタクトはシバターさんからだった。
    HIROYA それで、ボクのLINEを伝えていただいて連絡を取り合ったんですけど。「じゃあ、対談しましょう」と決まってすぐに、「HIROYA聞け」の動画が上がっていたので、「こんな動画上げたんだ……」と。なので、ボクも「シバター聞け」というアンサー動画を上げた感じです。
    ――じゃあ、お互いに呼びかけ動画が上がることは知らなかった(笑)。
    HIROYA そうなんです。その後、うちのジムに来てもらって撮影をして。翌日にもシバターさんの提案で大阪までパチンコ対決をしに行ったんですよ。
    ――そういえば、シバターさんはリング上でも「次はパチンコ対決だ」と言われていたような。
    HIROYA シバターさんはパチンコのYouTubeチャンネルもあるらしく。それがリベンジマッチだったという感じです(笑)。
    ――実際のシバターさんはどんな方でした?
    HIROYA それまで、そんなに動画も観たことなかったんですけど、なんとなく「どうせ、この人めちゃめちゃいい人なんだろうな」とは思っていて。で、実際に会ったら、やっぱり凄くいい人でした(笑)。
    ――それはよかったです(笑)。
    HIROYA 試合の前にちょっと会って挨拶はしたんですけど、試合が終わってからは話もしてなくて。ちゃんと話したのはYouTubeでの対談のときだったんですけど、本当にいい人でした。LINEも凄く丁寧で、普通にビジネスのやりとりみたいな文面でしたね(笑)。
    ――ハハハハハ! しかし、HIROYA選手のチャンネルって大雅選手と合同ですよね? 試合後に「こういう試合はしてほしくなかった」「あいつはムカつきますね」と言っていた大雅選手の気持ちもけっこう複雑というか。
    HIROYA うーん、どうなんですかね? 大雅は大雅で自分だけのチャンネルを別に持っているんですけど。まあ、もともとボクらがYouTubeを始めたのはちょうど1年前ぐらいなんですよ。最近の格闘技の中では大雅のほうが知名度があるし、大雅のファンが多かったと思うんですけど、今回ボクがこういうかたちで注目されることになって、チャンネル登録者数も倍になったり。
    ――倍になったんですか!
    HIROYA だから、多少複雑な気持ちはあるとは思うんですけど、ボクは逆にそういうのは利用しろよと思うんですよね。
    ――おお! さすがお兄さん。
    HIROYA ボクはもう自分の中では裏方なので、あんまり表に出てガンガン有名になってやるというのは思ってなくて。だから、大雅は試合で結果を出すのはもちろんですけど、今回の件で知名度が上がったボクを利用して、いままで大雅のことを知らなかった人に知ってもらう、試合にも興味を持ってもらうというのが一番いいと思うので。
    ――HIROYA選手って、考え方が柔軟ですよね。
    HIROYA まあ、完全に引退したわけじゃないですけど、第一線で戦っている選手ではないから、こういう考え方ができるのかもしれないです。
    ――そもそも、オファーがあったのは大会の2週間前だったそうですね?
    HIROYA はい。そのときはRIZINから連絡をいただいて、単刀直入に「シバターとやらないか」と。
    ――直球勝負だったんですか。
    HIROYA そのときにYouTuberでボクシングをやっているローガン・ポールの話もされて。でも選手目線でいうと、あの華やかな舞台に、しかもボクもシバターさんもトップクラスの実力があるわけじゃないのに「出たい」という選手の中に割って入るのはどうなのかなあ、と。
    ――しかも、今回は31日のみの興行だったから本当に試合数も限られていました。
    HIROYA ボクは、『TRY HARD GYM』というジムの管理をしている立ち位置でもあるので、そういうヤツがそんなおちゃらけたことをやって、選手たちはどう思うのかな……? と。
    ――となると、当然返事は即答とはいかず。
    HIROYA 時間はなかったんですけど、1~2日は考えましたね。そのあいだにも大雅やジムのプロ選手とかに意見を求めたりはしていたんですけど。
    ――大雅選手はどういう反応だったんですか?
    HIROYA 大雅にはLINEで伝えたんですけど「いや、舐めてるね(笑)」と。
    ――けっこう手厳しいですねえ。
    HIROYA まあ、とくに大雅はエンターテーナーというより職人タイプというか、とにかく実力で勝つことを大事にしている選手なので、よけいにそういう反応だったのかな、と。当然、大雅も年末出られるんなら出たかっただろうし。
    ――たしかにそうですよね。
    HIROYA だからこそ、ボクも言いにくかった部分はあったんですけどね。
    ――それでも決断したのはなぜだったんですか?
    HIROYA まあ、いいように言えば、ボクのこのフニャフニャの性格を言いくるめられたということなんでしょうね(笑)。
    ――ハハハハハハハ! フニャフニャなんですか(笑)。
    HIROYA もう、フニャフニャです(苦笑)。ボクなら受けてくれるだろうと思って、ボクにオファーしたところはあったと思うので。大雅にそういう話をしたときも「どうせやるんでしょ?(笑)」みたいな反応だったんですよ。だから、大雅はボクのことを凄くわかっているな、と。
    ――さすが兄弟!
    HIROYA ほかの選手に聞いても、「HROYAさんもジムの知名度も上がると思うし、いい影響があると思うからいいんじゃないですか?」と。
    ――そもそも、このカードに関しては直感で「面白そう」と思いました?
    HIROYA 絶対に面白くなるだろうとは思っていました。あとは、この試合を受けることに関してもいい評価につながるだろうな、と。そう思ったいやらしい部分もありましたかね。ボクが頼まれたということは、ボクにできるからというか、ボクにしかできないと思ったし、RIZINには大雅も出させてもらってお世話になっているので、少しでも力になれればという感じですかね。
    ――立場的に、選手とイベント側に挟まれた“中間管理職”でもあるし。
    HIROYA まあ、そうですね(苦笑)。
    ――ただ、出場を決めたはいいものの、「X」として当日発表だったじゃないですか。そこがまた変則的でしたよね。
    HIROYA そうなんですよ(苦笑)。どうせ出るならボクもYouTubeで宣伝して、注目されて出るというのが面白いんじゃないかと思ってましたけど、RIZINとしては当日まで「X」で貫いて、試合が終わってから後日談としてYouTubeで榊原社長との対談とかを流すのがいいんじゃない? と。まあ、ボクも全然それに反対でもなかったし。ただシークレットだっただけに、正直、ボク全然練習もできてなくて……。
    ――ええっと、「練習できなかった」というのは?
    HIROYA だって、会員さんの前でガンガン練習できないじゃないですか。
    ――ああ、なるほど!(笑)。
    HIROYA もう、普段はほとんど練習はしていないボクが、なぜか急に練習しているのもおかしいし……。
    ――ハハハハハ! それは絶対に疑われます! 「X」じゃないかと(笑)。
    HIROYA だから、ジムに人があんまりいないときにオープンフィンガーグローブをつけてサンドバックを打ったり、あとは年末でジムが閉まってから、プロ選手だけのときに練習したりして。
    ――凄く忠実に秘密を守っていたんですね(笑)。
    HIROYA でも、ちゃんとバレてなかったのって凄いですよね?
    ――たしかに、いまの時代にどこからも情報が漏れないって凄いですよ!
    HIROYA しかも「X」は、同じ時期に来日してたピーター・アーツなんじゃないかとか、いろんな人の名前が挙がっていたじゃないですか。だから、それも凄く不安で……。みんな「Xは誰だ?」と期待しているのに、ボクが出て「なんだ、HIROYAか……」みたいな反応になったらどうしようって、本当に不安でしたね。
    ――プレッシャーがキツいですよねえ。でも、煽りVで「X」が明かされたときは会場も沸いてましたよね。
    HIROYA そのときにみんながザワザワしていたので「よかったあああ!」と思いました(笑)。
    ――あのK-1のテーマ曲が流れたときはしびれました(笑)。でも、オファーを受けたとはいえ、ルールもイレギュラーで。とくにMIXルールというか、2ラウンド目MMAというのはHIROYA選手にとって不利ですよね。
    HIROYA MMAに関しては、一度、K-1からRIZINに来た頃に「MMAに挑戦してもらうかもしれないから」ということで北岡(悟)さんのパンクラスイズム横浜に練習に行ってたことがあったんですよ。でも、行ったのは2回ぐらいで、それ以外は練習したことないし、やったうちに入らないですよね。
    ――……あ! でも、シバターさんのセコンドについていたのは、同じくパンクラスイズム横浜の川村亮さんでしたよね?
    HIROYA そうなんです。シバターさんが練習しているのも北岡さんのところだったんで、北岡さんたちも「HIROYAくんは、地の力が強いから気をつけて」みたいなアドバイスをしていたみたいで。もう、すべて知られているわけです(苦笑)。
    ――知らないあいだに丸裸だった。
    HIROYA そういうことだったのか……と。しかも、シバターさんがあそこまで対策をしてボクに挑んでくるとは思っていなかったので、やられたな……と思いましたね。
    ――シバターさんも「キックルールの1ラウンド目は、HIROYA選手がローを蹴ってきたら、抱きついて時間を稼ぐ」みたいな話をされていましたもんねえ。
    HIROYA だから、ラウンドをまたいだときは「どうしよう。2ラウンド目になっちゃった……」と。それしか考えてなかったですけど、とりあえず寝技には持ち込まれないようにしないとな、と。
    ――普段、MMAの試合はけっこう観るほうなんですか?
    HIROYA 全然ですねえ。まあ、観ることもありますけど、そんなに詳しくはわからないし。
    ――グローブはどうでした?
    HIROYA グローブはとくに違和感はなかったんですけど、オープンフィンガーだから薄いじゃないですか。だから「ガードしても意味ないだろう」というのが自分の中にあったり。逆に「こうしなきゃ、ああしなきゃ」というのを考え込んでしまったので、それがよくなかったですよねえ。もう、ボクはどんなグローブでも普通にもらったら倒れちゃうんで……。
    ――ああ……。「打たれ弱くなっている」という発言もありましたが、やっぱり大変なんですねえ。
    HIROYA 「打たれ弱くて、ダメージが残っている」とか、そういうのはよくわからないんですけど、もらったら効いちゃうし倒れちゃうんで「そうなんだろうな」と。
    ――もう50戦以上も戦っているので、蓄積があるというか。
    HIROYA 日常生活は普通なんですけどね。忘れっぽいとか、記憶力がないとか、滑舌が悪いとかはあるんですけど、それってもともとだから(笑)。
    ――なるほど(笑)。
    HIROYA だからYouTubeの企画とかで、ちゃんと調べてみたいですけどね。ただ、脳のCTを撮ったところで、結局それだけじゃわからないみたいで。そういう検査ができるところがあれば調べてみたいんですけど。
    ――HIROYA選手ってまだ29歳ですよね。やはり、キックの選手は消耗が早いということなんですかね。
    HIROYA 打撃を受けるからってことなんですかねえ? まあ、キックよりMMAの選手のほうが寿命は長いとはいいますよね。
    ――キックは耐久競技ですもんね。
    HIROYA まあ結局の話……ボクはめちゃくちゃナメてました!(キッパリ)。
    ――ええええ!?
    HIROYA 本当に「ナメてた」の一言ですよ。シバターさんの実力もあんまり知らなかったし、さっき「練習が全然できなかった」と言いましたけど、そういう言いわけは何もなく、単純に勝てると思っていたので。
    ――でも、それを素直に言えるのが凄いですよ! 
    HIROYA いやいやいや。本当にダメでしたから……。<10000字インタビューはまだまだ続く>

    この続きと、堀口恭司、萩原京平、AKIRA、沢村忠、アポロ菅原、HIROYAvsシバター…などの1月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事17本の詰め合わせセット」はコチラ
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  • 秋山準の“三冠外し”マイクとは何か■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2021-01-23 10:22  
    130pt

    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは年末年始のプロレス界です!


    <1記事から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!>
    杉浦貴……いいときも、悪いときも、ノアで戦い続けた男
    G1、チャンカン、N-1……秋の3大リーグ戦・総括


    追悼ロード・ウォリアーズ
    SWSは企業プロレスだったのか『ゴング』と東スポの元記者が語るプロレスマスコミ黄金時代/小佐野景浩☓寿浦恵一
    名子役から名優へ…中嶋勝彦
    デビュー戦から見た木村花というプロレスラー
    小川良成…孤独と苦難から生まれた「孤高のテクニシャン」新型コロナ禍の中のプロレスW-1活動休止、NOAH新体制、全日本はWWEと接近?追悼“喧嘩日本一”ケンドー・ナガサキ
    【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」
    新生NOAHは何が変わったのか?
    獣神サンダー・ライガーと山田恵一プロレス者の青春「竹内宏介とザ・マニアックス」ケンドー・カシンの数奇で偏屈なマスクマン人生日本のプロレスを変えた「浅井嘉浩」という男革命戦士・長州力、笑顔でリングを降りる――追悼・青木篤志さん望月成晃×小佐野景浩〜空手家がプロレスラーになるまで〜三銃士、四天王、UWF、邪道…平成のプロレスを変えた5つの勝負ジャイアント馬場没20年追善興行と飯塚高史引退試合北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」多発するプロレスラーのケガを考える愛すべき元横綱・輪島が戦った全日本プロレスの2年間全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話プロレスラーが憧れたプロレスラー、マサ斎藤さんあの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩最後まで全日本プロレスを愛した馬場元子さん
    中邑真輔、棚橋弘至、柴田勝頼……新・闘魂三銃士最後のムーンサルトプレス……天才・武藤敬司縁の下の力持ち!! 坂口征二の荒鷲人生WARからイッテンヨンへ! ライオン・ハート時代のクリス・ジェリコ
    「情」で生きる佐々木健介の激烈人生! 
    プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE 暴走親方、諏・訪・魔!!嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!
    全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信
    鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”
    高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿

    ――小佐野さん、あけましておめでとうございます!
    小佐野 あけましておめでとうございます。
    ――新年早々プロレス界は新型コロナウイルスで再び大変なことになっちゃってますけど……。
    小佐野 ホントにね。これからいったいどうなるのか。関東近郊の興行はいまのところ大丈夫なのかもしれないけど、地方がどうなるのかわからないもんね。
    ――聞くところによると、今年の新日本プロレスは例年以上に後楽園ホールを多めに抑えているみたいですね。 
    小佐野 地方だと県や市の施設だったりすると、情勢によっては貸してくれないことも出てくるだろうし。
    ――今回の緊急事態宣言は2月7日までですけど、その直後のNOAHや3月のスターダムの日本武道館の先行きも……。
    小佐野 3月にはZERO1の両国国技館もあるし。国技館は相撲協会の持ち物だから大相撲の開催状況にもよるだろうし。
    ――相撲ができないのにプロレスにはやるわけにはいかないってことも。
    小佐野 いまはまた外国人の入国がダメになってるわけでしょ。それこそ外国人をたくさん呼んでいる新日本なんかはまた困っちゃうだろうし。いつルールが変わるかわからないから使い方も難しくなってるよね。
    ――ビッグマッチに起用するはずが入国できずに……ってケースですね。
    小佐野 KENTAなんかはまたアメリカに戻ってるけど、またしばらく来れないんじゃないかなあ。
    ――新日本プロレス正月の東京ドーム2連戦は、大会直前に入場制限がかかってしまって。当日券の販売ができなくなってしまいました。
    小佐野 12月29日の段階で前売りをストップすることになってしまった。こういうビッグマッチは当日になってフラッと見に行ったり、前日が面白かったから翌日も行こう……となるんだけどね。ひじょうにタイミングが悪かったんだけど、会場はスッカスカという感じではなく。 4日のほうがお客さんは入っていたんだけど、5日も入場制限のわりには……という。
    ――今年も連日開催してよかったですよね。これで1日だけだったら収益が……。
    小佐野 ホントにそう。2日開催されるということで試合数も例年と比べて減らしていたんだけど、 大会時間は長かった。試合数を減らしたぶん1試合1試合のボリュームは凄かったんだよね。
    ――試合数のわりに、お腹いっぱいですよね(笑)。最近は歳のせいかロングタイムの試合を続けて見るのが重くて……。
    小佐野  2時間から2時間半を過ぎちゃうと、見てるほうも疲れちゃうよね。 1月4日のセミだったオカダ・カズチカvsオスプレイが35分近い激闘だったから、メインの内藤哲也vs飯伏幸太のときにお客さんは疲れていたし、メインのハードルが高くなったと思うよ。
    ――メインの内藤哲也vs飯伏幸太も30分超えの死闘になって。
    小佐野 翌日1月5日も後ろ4試合は全部シングルマッチでしょ。見る側も腰を入れないと集中力が切れちゃうし、やるほうだって大変だけど。 新日本プロレスとしては4試合シングルを並べても充分に楽しませる自信があったということだよね。マッチメイクする側とすればリスキーですよ。
    ――マッチメーカーの掲げる高いハードルを越えられる選手たちが新日本に揃っているってことですね。
    小佐野  選手たちもずいぶんプレッシャーはかかっていたとは思うんだけど。初日で印象に残ってるのはセミだね。
    ――オカダvsオスプレイ。
    小佐野 メインの内藤vs飯伏も面白かったけど。オカダとオスプレイはいままでタッグを組んでいたけど別れて激突する。今回が彼らにとっては序章になった。オカダは久しぶりにレインメーカーでフィニッシュしているし、ここのところずっとマネークリップだったでしょ。 ここからオカダvsオスプレイの物語が始まるんだと期待させる試合になった。 そういう意味ではメインの内藤は2冠王者としてプレッシャーだったろうね。1年前の東京ドームでベルトを統一して、さあこれからっていうときにコロナが始まって。やっと再開できたと思ったらEVILにベルトを取られて、また取り返して。メイン前にオカダvsオスプレイの試合を見ていたら、イヤになってもおかしくないよ(笑)。
    ――メイン前にこんな凄い試合をやりやがって!と(笑)。
    小佐野 古い話になっちゃうけど、 NOAHで力皇が小橋(建太)に勝ってGHC のチャンピオンになったときって、外敵として天龍源一郎、高山善廣、鈴木みのるがメイン前に暴れていたから、力皇は「俺はいったいどうすればいいんだ!?」って(笑)。
    ――メインまで盛り上がり過ぎてしまう(笑)。
    小佐野 「お客さんが満足しちゃうんですよ。その場に最後に出て行ったって……」という話を後年になって聞いたよ。
    ――メインまでに盛り上がりすぎる現在の新日本プロレスで、メインを張ることがどれだけ凄いことかって話ですね。
    小佐野 そういう意味では2日連続メインを張った飯伏は凄いと思いますよ。初日も大変だったけど、2日目も長い試合をして。
    ――2日目はジェイ・ホワイト相手に50分近くやりましたもんね(笑)。
    小佐野 飯伏がもの凄い頑張ったと思う。 内藤とジェイ・ホワイト相手だと試合も全然違ってくるから。とくにジェイ・ホワイトは大技をやるタイプの選手じゃないから。ジェイ・ホワイトがまたうまいんだよね。あれはうまい(しみじみと)。本当にいいヒールだなぁと思って。敗戦後のコメントでは心が折れていたから心配なんだけど(笑)。
    ――「ニュージーランドを出て、もう3年半、両親にも会ってない」「明日だってどうなるか分からない。契約上は出場することになっているが」「8年間頑張ってきたがもう無理だ」とか……WWE移籍も噂されているので、あのコメントは謎掛けになってますよね。
    小佐野 そこには彼の本音も入ってるんだと思うんだけどね。
    ―― 新日本プロレスって完全なキャラクタープロレスじゃないのが面白いですね。
    小佐野 やっぱりにじみ出てくるものがあるから。変な話、ファンはそこが見たいわけでしょ。「作られた世界なのか……」と思わせつつも、ポロって飛び出してくる本音。今回のドーム2連戦で今年の“種蒔き”は充分にできたんじゃない。コロナによって情勢も変わってくるから、どうなるかはわからないけど……。
    ――いまの新日本プロレスは、どこからか飛び道具を持ってきて埋め合わせができるプロレスでもなくなっちゃってますしね。
    小佐野 急に呼ばれたゲストができるプロレスではなくなっちゃってるからね。新日本プロレスというひとつの世界観の中でやってくものだから、新日本の流れに入ってこれる人じゃないと。
    ――NOAHはどうでした?

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  • 沢村忠から天心vs武尊まで…キックボクシングの始まりと、その光と影■細田昌志☓高崎計三

    2021-01-18 10:34  
    150pt
    話題のノンフィクション本『沢村忠に真空を飛ばせた男: 昭和のプロモーター・野口修 評伝』の著者・細田昌志氏と、格闘技ライターの高崎計三氏がキックボクシングの光と影の歴史を振り返る対談!(聞き手・ジャン斉藤)


    【1記事から購入できるバックナンバー】「キックぼんやり層」必読!! 那須川天心vsロッタンはここがヤバかった





    天田ヒロミ K-1天国と地獄「谷川さんがやるようになってK-1はダメになりました」 小比類巻貴之 「ミスターストイックのキャラは正直、しんどかったです」 佐藤嘉洋 判定問題のせいで闇に葬り去られていますけど、魔裟斗戦はMAX史上最高の盛り上がりだったと思います 


    ――高崎さんとのキックボクシングの歴史を振り返る対談、面白かったです!(対談はこのあと掲載)細田 ……いや、今日は騙されましたよ!余計なことをたくさんしゃべらされて。本の宣伝にやってきたのに。
    ――いや、充分に本のプロモーションになったと思いますけど(笑)。それにこの本はメチャクチャ面白かったです。ここ20年近くのプロレス格闘技ノンフィクション本の中ではナンバーワンじゃないですかね。
    細田 ありがとうございます!でも……まだ浸透してないですね。プロモーションが足りない。行き届いてない。だって、この本を知らない人もけっこう多いんです。増田(俊也)さんの『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の爆発的な成功が記憶に新しいだけに、その差を痛感しています。「木村本」は、内容の素晴らしさはもちろん、「力道山」というパワーワード、それに『ゴング格闘技』で連載していたことも大きかったと思うんです。 あの頃(編集長の)松山さんと、著者の増田さんと呑んだことがあって、「ああ、こういう参謀がいるのは大きいなあ」って思っていましたもん。それに当時はまだギリギリ、紙に力がありましたしね。でも、いまはいまでSNSがありますから。だからとにかく、プロモーションをやり続けるしかない。 
    ――『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』はタイトルもショッキングですよね。
    細田 なんといっても「殺さなかったのか」ですもんね。
    ――力道山vs木村政彦のシュートマッチもプロレスファンにとって巨大なミステリーですし。
    細田 プロレスって完全なる活字メディアでしょう。都心の大きな書店に行くとプロレス本がずらーっと並んでいるのに、格闘技の本ってほとんどない。朝倉未来と古川(誠一)会長の本ぐらい(笑)。
    ――いまだに宝島がUWF系の本を出すのはプロレスは売れているからですもんね。沢村忠はキックの歴史がブチ切られているところもあって。
    細田 そうなんですよ。キックボクシング自体は、一応はプロスポーツとしてあるにはあるんだけど。
    ――たとえば力道山vs木村政彦なんて、プロレスで何か事件があると例として挙げられる。沢村の場合は表向きキックの歴史が見えづらいですけど……この『沢村忠に真空を飛ばせた男: 昭和のプロモーター・野口修 評伝』を読むともの凄くキックボクシングというジャンルに興味を持てますよね。 先ほどの高崎さんとの対談とも繋がってきて。
    細田 ホントかなあ。 騙されてるような気がする。というより、こういう取材は珍しいから舞い上がっている気がしないでもない(笑)。
    ――ボクが思ったのは思想のノイズがない本ですよね。 
    細田 思想のノイズ?
    ―― どうしても筆者のプロレス格闘技に対する思想の打ち出しが強すぎて「……そこまで求めてないんだよなぁ」と思うときがあるんですよ。
    細田 ああ……そういうのは、自分が読んでて辟易としていたので、意識的に抑えました。それに、どちらかというと、五木ひろしについてこの機会にじっくり書きたかったりして(笑)。
    ――ガハハハハハハ!
    細田 五木さんは後半しか出てこないんですけど、彼の半生にも非常に興味を持ったんですよ。
    ―― じゃあ、おもいきって五木ひろしをタイトルにすれば……(笑)。
    細田 じつはそこは少し考えました。考えたんだけど、 格闘技の話が6割なのに五木さんをタイトルに持って来るのは、あまりに節操がないだろうと(笑)。思いついたのは「なぜ五木ひろしはガッツポーズをするのか」。
    ――面白いです(笑)。
    細田 沢村忠をタイトルにすることに批判してる人もいるんですけどね。「300ページまで沢村が出てこないじゃねーか!?」って。
    ――ハハハハハハハハ!
    細田 いろいろと細かいところを突いてくる人がいるんですけど、野口修に関しては誰も言ってこない。
    ――そこはもう追いついてないんでしょうね。情報量が圧倒過ぎますから。
    細田 そこは野口修という人が影響力を失ってから亡くなったから。だから書けたと思うし、既存の格闘技マスコミがキックの歴史を書こうとすると、「ムエタイをマネて創られた」となる。決して間違ってはないけど、「端折りすぎだろう」と思うんです。だから創始者の野口修の名前は葬られることになった。キックボクシングの歴史を知るには、まずボクシングの歴史から知っておかなきゃいけない。それは動かし難い事実です。例えば、明治維新を語るとなれば、黒船来航を語らないわけにいかないでしょう。それと同じこと。
    ――ボクシングどころか右翼の歴史まで遡ってますもんね(笑)。というわけで、ここから細田さんが騙されたとおっしゃる高崎さんとの対談になります。
    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
    細田 専門誌で取材をしてくれたのがこれで2件目です。1件目はバウトレビューさんで、宮田(充)さんに紹介していただいたんですよ。
    高崎 とはいっても、本の話がメインというわけではないんですけどね(笑)。
    細田 えーっ、そうなの?
    高崎 せめて礼儀とし本を読んでから来ようと思ったんですけど、分厚すぎて50ページくらいしか読めず……。やっと野口修が生まれました(笑)。
    細田 あー、その辺りは“右翼アベンジャーズ”のところですね。
    ――細田さんと高崎さんに伺いたいのは、那須川天心vs武尊のビッグカードが実現する方向で動き出しましたが、このカードの障壁となっていた団体の対立・分裂を繰り返したキックボクシング業界の歴史です。
    細田 そこをボクが語っていいんですか?(笑)。高崎さんに聞いたほうが早いと思うんですけど。
    高崎 いやいや(苦笑)。
    細田 90年代でいえば、つば迫り合いというよりは緩やかな“連帯”ですよね。キックボクシングが出来たときは、当然、野口修が立ち上げた日本キックボクシング協会しかなかった。それが、程なくしてポコッと別の団体が生まれた。分裂したわけではなくて、ぶっちゃけて言ってしまうと、右翼の世界の大人の事情で誕生するわけです。
    ――その複雑多岐な経緯はこの『野口修評伝』に詳しいわけですね。
    細田 その時代のキック界は非常にヒリヒリしたものがあるんですね。当時はTBS、日本テレビ、NET(現・テレビ朝日)、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の4局でキックが放映されていたんですが、沢村忠をエースとするTBSの一強多弱みたいな状況で。だから、TBS以外は割合あっさりと番組は終了しているんです。でも、一強を支えていた沢村忠が引退しちゃうと、TBSもさっさと終わって『クイズ100人に聞きました』が始まるという。
    ――70年代のキックブームは沢村忠と共に終幕すると。
    細田 たとえば、藤原敏男先生が、ラジャダムナンのチャンピオンになったとき、これは格闘技史的にはもう、大変な偉業中の偉業ですよ。にもかかわらず、テレビ業界的には、さほどの関心を見せないんです。結局のところ世の中の多くの人というのは、往年のK-1ブームもそうなんですけど、目立つものにしか関心がない。世間から注目されていた沢村忠という絶対的なスターが去ってしまったら、キックボクシング自体に急速に興味を失っていったんです。
    ――それだけ沢村忠の存在は巨大だったんですね。
    細田 それは放送していたTBSというテレビ局の力もあります。1970年代のTBSは圧倒的な人気局。全国32局ネットで『8時だョ!全員集合』や『キイハンター』、『ありがとう』『ウルトラマン』とか人気番組揃いで。それが「12チャンネルで放映してる」って言われても「うーん」という感じなんですよ。日テレやテレ朝は、すぐにキックから撤退したし、「キック黄金時代」なんて言われるけど、実は「沢村忠黄金時代」なだけ。最初なかなりヒリヒリはしていたけど、一度バラバラになって、そこからいろんな団体が生まれた。でも、母体が同じだったりするから、あくまでも個人的なつば迫り合い。それもごくごく些細な普通の人間関係に起因するものだったと思うんですね。
    高崎 団体同士のケンカじゃなくて、トップ同士が昔の因縁から「アイツだけは許さない」と憎み続けている歴史ですね(笑)。
    細田 いま高崎さんがハッキリと表現されましたけど、実際にそういったものです。キックにはボクシングのような統一コミッションがないから、そういった争いが余計に如実に表れる。きっとボクシングだってジムの会長同士、仲が悪かったりするはずなんだけど、 JBCという統一コミッションがあるし、統括の協会もあるから「まあまあ仲良く」って収まる。でも、キックの場合はその「まあまあ」がない。そうこうして、近年、那須川天心のようなスターが出てきたら、プロモーション主体に移行していくという。
    ――ブーム終焉を受けて、80年代のキックボクシング界はどんな状態だったんですか?
    細田 まあ人気は壊滅的ですよね。ただ、80年代後半は竹山晴友vs鈴木秀男の竜虎対決で盛り上がって、竹山はその後、元ラジャダムナン王者ラクチャート(・ソーパサドホン)を倒すんですが、それはラクチャートの片八百長だったとかで。そんなマネをされた竹山は悔しくてキックをやめちゃうんですよ。
    ――竹山さんの師匠は大沢昇さんで、激辛カレーで有名だった大沢食堂の主人ですね。 
    細田 大沢昇さんからすれば、竹山晴友は極真の後輩でもあって、個人的に面倒を見てたんですね。自分の食堂の上をジムというか練習場にして。竹山はキックでも大活躍したんですが、ラクチャート戦で「バカバカしい」と泣いてやめちゃう。当時はけっこう大事件だったんです。
    ――『わしらは格闘技探検隊』というミニコミ誌があって大沢さんが定期的にインタビューを受けてましたよね。その本にはUWFはフェイクであると指摘してましたが、竹山vsラクチャートについては具体的に踏み込んではなかったような……ちょっと記憶がおぼろげですけど。
    細田 いまボクが言ったことも片八百長の証拠はないじゃないですか。でも、竹山が泣いてキックをやめたという事実はあるわけで。あの時点で『わしらは格闘技探検隊』も証拠はないから書けなかったんでしょうね。でも、みんなわかっていたはずですよ、こんな不可解な辞め方をしたってことは。当時はこの試合以外にもムエタイのチャンピオンが不思議な試合をやったことがあった。例えば◯◯vs△△とか。そうですよね、高崎さん?
    高崎 なんでボクに振るんですか! 証拠がないから、なんとも言えないです(笑)。
    細田  だから、「沢村忠の試合はフェイクだった」と批判するなら、他も批判しなきゃいけないんじゃないかと思う。沢村忠はもう業界の人間じゃないから批判できる。それってどうなんでしょう。
    ――八百長っていまも昔もタブーですけども、ただ昔は八百長に対する温度って違いますよね。ちょっと前に某・格闘家にインタビューしたときに「あの試合だけワークじゃないですか?」っておそるおそる尋ねたら、笑いながら「いやあ、あの試合は◯◯さんに頼まれちゃって仕方なくね。これを載せちゃうと◯◯さんに迷惑をかかるからカットしてくれないかな」と。そういう義理人情もあって、八百長をやらざるをえない時代だったのかなと。 <13000字対談はまだまだ続く>

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  • 萩原京平13000字ロングインタビュー「次はドミネーター、狙いは朝倉兄貴ですよ」

    2021-01-17 21:11  
    130pt
    血の匂いが漂った平本蓮戦を制した萩原京平インタビュー。「アウトサイダーに出なくてよかった」と語る地下格闘技のこだわりとは?13000字インタビュー!(聞き手/松下ミワ)【1記事¥90から購入できるバックナンバー】・扇久保博正、浅倉カンナを生み出したパラエストラ千葉に迫る■鶴屋浩 代表インタビュー
    ・1991年12月22日高田延彦vsバービックのシュートマッチ■金原弘光
    ・プロハースカ劇勝に3大タイトルマッチ! 水垣偉弥が見たUFC251

    ・格闘家・石渡伸太郎の奥様は小料理屋の美人女将だった!

    ・北岡悟インタビュー「苦労自慢みたいなことは大嫌いなんですけどね」


    ――いきなりですけど、萩原選手ってSNSが苦手なんですか?
    萩原 ああ、あんまりやらないですね。実際に会ったときの印象と違うことありません?
    ――たしかに、そういうパターンもあるような。
    萩原 昔SNSで知り合った人と実際に対面したときに、その人の印象に悪い意味でのギャップがあったんですよ。逆にそういうふうに思われるのがイヤやなと思って、あんまりツイッターもやらないようになりましたね。
    ――とくに炎上がイヤだからという理由ではない、と。
    萩原 炎上はどうでもいいですけど、SNS上だけで騒いでいるヤツもいてるじゃないですか。実際にしゃべってみたら全然そういう人じゃないというパターンが自分の中では“ダサい人”と思てるんで。
    ――言葉だけ威勢がいいタイプがイヤなんですね。
    萩原 自分の中ではそういうダサいヤツになりたくないので、あんまりつぶやかへんというのはありますけど、でも見てるのは見てますよ。ファンの人からもらったメッセージも、一応は全部目を通しているんで。返事してはないですけどね(笑)。
    ――となると、最近は萩原選手の名前がSNS上に頻繁に上がってきていることも、ちゃんと知っているわけですね。
    萩原 それは感じます。メッセージの量も、とくに大晦日が終わったあとは1日何十件も来てるんで。うれしいし、モチベーションにもなるんですけど「この騒ぎはいつ収まるやろ?」と(苦笑)。
    ――まだ祭りは終わってないですか(笑)。
    萩原 まあでも、こんだけ鳴り止まんくなったのは、やっぱり大晦日からですね。
    ――日常生活でも、知名度アップを感じることはありますか?
    萩原 むちゃくちゃありますよ。家の近所のイオンで買い物しとっても声をかけられるようになったし、ドライブスルーしとっても店員さんに声をかけられたりするんでねえ。
    ――ドライブスルーでスルーしてくれない(笑)。
    萩原 だから、ホンマに日常生活から気ぃつけなあかんなと思てます(苦笑)。
    ――その大晦日の平本蓮戦は、宣言どおりの試合内容でした。
    萩原 試合が決まったときからあの作戦やったんで、記者会見のときから「俺はこういう戦い方をする」と教えてましたもんね。それも込みで「ちゃんとテイクダウンディフェンスとか練習しとけよ」と言っとったんですけど。
    ――それが本当にハマって自分でも気持ちがいい試合展開だったというか。
    萩原 全部ハマったっすよね。ただひとつ予想外だったのは、めちゃくちゃ疲れるという(苦笑)。
    ――やっぱり、自分から寝技を仕掛けるのは疲れましたか。
    萩原 普段は自分からテイクダウン取りに行ったりはしないんでね。でも、今回はレスラーのしんどさがわかりましたよ。とくに、自分からしつこく組みに行くのは今回が初めてやったんで、いろいろ勉強になりました。試合が終わったあと、控室でもしばらく動けなかったですもん(笑)。
    ――そんなに! ただ、平本選手の打撃はプレッシャーもありましたよね?
    萩原 うーん、プレッシャーはそんなに感じひんかったんですけど、たしかに試合映像を見返すと「うまいな」と。反応できてないパンチもあったし、やっぱり平本くんの打撃は凄いなと思いましたね。
    ――具体的には、どのへんが凄かったですか?
    萩原 まず、1ラウンド目のファーストコンタクトで、ボクが右を振りにいったときに、ボクは「タックルするぞ」という目線で振りにいったつもりやったんですけど、それにまさかのワンツー合わせてきたところです。ファーストコンタクトでカウンターを合わせてくるヤツってなかなかいてないんで。そこはホンマに凄いと思いました。
    ――序盤にいきなりその凄さを感じた、と。
    萩原 ボク、けっこう試合のファーストコンタクトは大事やと思てるほうで、そこで威圧をかけて飲み込んでもうたら自分の流れに持っていきやすいというのがあるんですよ。だから、それを狙って「平本くんも絶対に返してこないやろ」と思って振りにいったんですけど、そこを返されましたね。
    ――途中、萩原選手が足を取りにいったように見えたシーンがありましたが、あれじつはフラッシュダウンだったというお話をされていましたよね?
    萩原 まあフラッシュダウンというほどでもないんですけどねえ。ボクがタックルに行こうとして頭を下げたときに、向こうのジャブが当たったんで、そこでバランス崩して倒れてしまったというか。まあ、パンチをもらって倒れてるんでフラッシュダウンになんのかなあ?
    ――でも、寝技の展開には自信があって。
    萩原 最近は、寝技の練習が7割ぐらいになってますから。ただ、寝技もガッツリやり始めたのは芦田崇宏戦が終わってからなんですけどね。
    ――え! それまでは、全然やってなかったということですか?
    萩原 全然というか、テイクダウンディフェンスの寝技だけでした。だから、こっちから仕掛けにいったりという寝技はまったくしてなかったですね。それをやり始めたのは、まさに芦田戦からで。
    ――芦田戦と言ったって、去年の9月ですよ(笑)。
    萩原 そうそう(笑)。連戦しすぎて、もう芦田戦が何年も前みたいな感じになってますよ。
    ――それまでやらなかったのはなぜなんですか?
    萩原 必要ないというか、MMAでも寝技を使わずに打撃だけで戦うのがカッコいいと思てたんで。逆に、MMAやりはじめの頃は寝技の練習がめちゃくちゃキライで、「なんで男と抱き合わないかんねん……」と思てるタイプやったんですよ。でも、岩崎(正寛)さんと出会ってからは考えが変わったというか。
    ――萩原選手は柔術家の岩崎正寛さんに寝技を教わっているんですよね。
    萩原 まあ寝技も奥が深いし、一本極められるストライカーはカッコいいと思うようになって、そっから柔術も真剣にやるようになりました。
    ――いろんな人との出会いがあって、カッコよさの基準もどんどん変わってきている、と。いまってUFCでもテイクダウンを切って倒す展開が多いですが、以前はそこを目指していた感じだったんですか?
    萩原 最初はそうです。もともとは地下格闘技出身なんで、地下格は寝技がないんでね。
    ――あ、寝技はないんですか?
    萩原 ないっすよ(笑)。寝技の展開は一応あるんですけど、バーっともつれて寝技の展開になっても、5秒たったらブレイクなんで。
    ――5秒ブレイク! じゃあ、ルールとして寝技はナシというか。
    萩原 「ひたすら殴り合え!」みたいな大会なんでね。そういう場所でやってきたから、MMAのアマチュア大会に出た頃は、「なんでコイツ、こんな抱きついてくんねん。気持ち悪いわ」と思てたんです。だから、芦田戦も組まれても倒されへん自信はあったんですけど、あの試合で負けてからいろいろ勉強にもなったし、考え方だいぶ変わりましたね。
    ――それは、寝技もやらないと勝てないという考え方に?
    萩原 MMAなんでね(笑)。まあ、ナメてたと思います。ストライカーは絶対に通る道というか。だから、平本くんもボクとの対戦は「打撃で」という考えやったかもしれないんですけど、それはボクがMMA始めた頃と似ていると思っていて。気持ちがわかるじゃないですけど、そんな簡単にレスリングも寝技も上達できないとわかってたんで、平本戦は100パーセント勝てると思てたんですよね。
    ――一歩先を進んでいたからこそ、わかっていた。
    萩原 MMAのストライカーで柔術をちゃんとやっている人も少ないですもんね。海外のUFCファイターとかはみんなちゃんと柔術もやってるんで、そこをやっておかないと海外では戦われへんなと思てます。ゆくゆくは組んでくるヤツには極める、そういう戦い方をしたいですから。
    ――そういう意味では、RIZIN参戦以降、かなり成長に手応えがある感じなんですね。
    萩原 めちゃくちゃ感じてます。半年前の自分とは別人なんでね。自分でもそれを実感できているんで、楽しくなってきているというか。いろんなことを覚えたいですね。
    ――いいですねえ。でも、萩原選手のキャリアってあんまりよく知られてないですよね。もちろん、地下格闘技出身であることは知っているんですけど。
    萩原 ああ、地下格も一応公式戦績みたいなので20戦ぐらいしていると書いてあるんですけど、ホンマはもっと試合してますからね。1ヵ月間、毎週日曜日に試合しとった時期もあったんで。
    ――毎週日曜日に試合ですか!
    萩原 その試合も2日前のオファーとか、めちゃくちゃあったんで。バンバン試合に呼んでもらって、日本全国いろんなところに行ってましたから。
    ――え、日本全国なんですか?
    萩原 行ってます、行ってます。九州にも行ったし、東京にも来てるし。10代の頃はそんな感じでした。
    ――それって、いわゆる地下格ブームの頃の話ですかね?
    萩原 いや、たぶんそれは第1次ブームの話ですよね?
    ――地下格ブームに第1次とかあるんですね(笑)。
    萩原 フフフフ、あるんですよ。ボクが憧れてた地下格はほんまに練習もせんと、喧嘩自慢がガーっと上がってきてた時期なんですけど、ボクが試合をしていた頃の地下格はけっこう練習して上がってきているヤツもおった頃なんで。
    ――そのブームって、『THE OUTSIDER』に牽引されていた感じだったんですかね?
    萩原 違いますね。というか、『THE OUTSIDER』はボクの中で地下格とは思ってないので。あれはもう完全にセミプロでしょ。
    ――地下格出身者からすると、『THE OUTSIDER』はセミプロ!
    萩原 地下格というのは、たとえば『益荒男』(ますらお)とか。『益荒男』はボクも出てたヤツなんですけどね。ボクは『益荒男』のトーナメントにも出たりしたんですけど、「次は決勝戦や」というときに、ちょっといろいろ問題があって、ボクらは『益荒男』から出入り禁止になりました(笑)。
    ――詳しくは聞かないようにします(笑)。
    萩原 あとは、KRUNCHというのも地下格ですね。でも、KRUNCHは主催者が逮捕されたんですよね。これ「地下格あるある」なんですけど(笑)。
    ――RGさんが絶対に言わなそうな「あるある」ですよ(笑)。
    萩原 主催者が逮捕されて大会がなくなるというのは、ようあるんです。ちなみに自分は悪いことはやってないですよ(笑)。
    ――安心しました(笑)。でも、そういう世界に、萩原選手はどういうきっかけで入っていったんですか?
    萩原 初めて触れたのは中学生ですかね。当時、ボクの実家の近所に格闘技のジムができたんですよ。そのジムが24時間無料開放されているジムで、倉庫みたいな感じの場所なんですけど、リングもシャワーもあって。
    ――24時間無料開放ジム……。なかなか凄そうな場所ですねえ。
    萩原 考えられへんでしょ?(笑)。地下格系の人しかいてないジムなんですけど、設備はめちゃくちゃよかったんですよ。ボクらは中学生ぐらいでしたけど、そんなん夜中まで開いてるジムがあったら「行こうか」となるじゃないですか。だからよう集まって、スパーリングトーナメントしたりとか。
    ――勝手にトーナメントを開催していた(笑)。<13000字インタビューはまだまだ続く>

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  • Dropkickメルマガからのご報告

    2021-01-15 10:55  
    ジャン斉藤です。1万周回遅れですがDropkickのYouTubeチャンネルを開設しました。メルマガがメインなので更新頻度は大砂嵐vsサップ再戦の可能性より低いですし、「MEGA2021、4月に延期か」みたいな動画をアップするにしても、こちらが先になりますが、よろしくお願いします。https://www.youtube.com/channel/UCXsyGSHDwVae5fYhanPlPVQ
  • ブロディ・リーは8歳の息子のベルト姿を見届け、天国に旅立った

    2021-01-15 10:33  
    120pt
    アメリカのインディプロレスの“現在”を伝える連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます! 今回のテーマは「ブロディ・リー死去」……です!
    <1記事から買えるバックナンバー>
    全女イズム最後の継承者・高橋奈七永インタビュー「リングの中でも外でも潰し合いでした」追悼ダイナマイト・キッド:「レスラーとして偉大だったが、人としては惨めな人生だった」柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」「WCWを潰した俳優」デヴィッド・アークエット、血まみれの贖罪訃報を聞くことが多かったように感じられた2020年、年の瀬も押し迫った12月26日に、またひとりのプロレスラーが天国へと旅立った。
    ついこの前までAEWで試合をしていたブロディ・リーが、41歳の若さで亡くなったと報じられるや、全世界のプロレスファンが深い悲しみに暮れた。ルーク・ハーパーの名前で、WWEでワイアット・ファミリーの一員として活躍していた選手と言った方が馴染み深いのかもしれない。背丈2メートル近くある大きな体格、後ろで結んだ髪、長い髭のワイルドな風貌が特徴的で、大型で迫力がありながら、器用なプロレスもできるレスラーだった。
    昨年から新天地AEWに活動の場を移したばかりで、もし新型コロナウイルスのパンデミックが起こっていなければ、新日本プロレスのリングにも上がっていたであろう。
    10月7日にCody(コーディ・ローデス)と首輪チェーン戦(ドッグカラー戦)を終えると、肺疾患の治療のため、試合を欠場。その後、およそ2ヵ月にわたり集中治療室に入院し、病魔と闘っていたブロディ・リーだが、12月26日に力尽き、最愛の奥さんと幼い2人の息子を残したまま、帰らぬ人となってしまった。奥さんによると、新型コロナウイルス感染によるものではなく、肺の病気が悪化したため、ブロディ・リーの若い命を奪ってしまったとのことだった。

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  • 【BIG COMEBACK!!】堀口恭司「海くんもATT来ちゃえば? と思いますけどね」

    2021-01-15 09:41  
    140pt
    大手術明けの復帰戦で朝倉海にリベンジを果たした堀口恭司インタビュー(聞き手/松下ミワ)【1記事¥90じゃら購入できるバックナンバー】
    【格闘技ブームをつくった男】石井和義館長に訊く「国立競技場の借り方」

    レスリングを20年間、撮り続けきたカメラマン――保高幸子インタビュー

    【チャーリー徹底解剖】RIZIN海外事業部・柏木信吾12000字インタビュー

    さらば英雄!PRIDE最強時代の幕を開けたミルコ・クロコップの軌跡■笹原圭一
    ――RIZINバンタム級のベルト奪還おめでとうございます!
    堀口 あざーっす!
    ――年末年始は堀口選手の話題で持ちきりでしたが、ボクシング方面ではタトゥーの件も話題になりましたね。
    堀口 ああ、ありましたねえ。
    ――堀口選手はどう思いましたか?
    堀口 まあ、ルールがある以上、それに従ったほうがいいんじゃないのかなとは思いますね。「なんのためのルールだ?」という話になると思うので。ただ、もう身体に入れちゃってるので、しょうがないとえばしょうがないんですけど。ルールがあるならそれに沿って、ラッシュガードを着るとか、そこだけ隠すとか。個人的にタトゥー自体にはべつになんとも思わないですけど。
    ――堀口選手も入れようと思ったことはないんですか?
    堀口 思わなかったですね。……いや、格闘技をやりはじめた頃、KIDさんのタトゥーが「カッコいいな」と思って。
    ――堀口選手は日本在住のときはクレイジー・ビー所属でした。
    堀口 ちょっと入れようかなと思ったことはありましたね。ただ……。
    ――ただ?
    堀口 自分は針がキライなんですよっ。
    ――あ、そんな理由で!(笑)。
    堀口 針がキライなのでやめました。チクチクやられるの、イヤじゃないですか。でも、そうじゃなかったら、いま頃バーンと入ってかもしれないですよ(笑)。
    ――まったくイメージできないです! ちなみにどんなものを入れようとしていたんですか?
    堀口 KIDさんの背中にバラみたいなのが入っていたんで、ああいうのとか。
    ――えええーーー! バラのタトゥーが入った堀口恭司!
    堀口 あと、お腹のところに漢字で名言みたいなのを入れようかなって。
    ――そこまで具体的に考えていたとは……。やっぱり、入れている人の近くにいると、どんどん魅かれていくんですかね。
    堀口 というか、感覚が麻痺します(笑)。みんな入ってるし、自分も入れちゃおうかなって。KIDさんといた10代から20代前半とかは、そんな感じでした。でも、自分が「入れたいな」という思いと同じぐらい、KIDさんのタトゥーがどんどん増えていってたので「俺はやめとこ」って(笑)。
    ――もしかしたら堀口恭司の身体が大変なことになっていたかもしれない(笑)。
    堀口 ワハハハハハ! 
    ――アメリカだと入ってる選手も多いですけど、感化されなかったんですか?
    堀口 うーん、アメリカに住んでからはその気持ちはなかったですけど。
    ――今回の勝利で、そのアメリカと日本の練習環境の違いが凄く語られがちなんです。率直に環境の差はあると思いますか?
    堀口 それはもちろん(キッパリ)。日本と違うから自分はアメリカに行ったので。日本ってやっぱりビジネスとして格闘技が浸透していないし、まだ多くの人が儲かるようなマーケットではないじゃないですか。でも、ビジネスとして稼げない職業は有名にならないし、盛り上がらないというか。
    ――ビジネス的に大きくなれば、格闘家のなり手も増えて、自然と環境もよくなる……ということですね。
    堀口 そうですね。もっとお金が稼げる職業にならないと、日本の環境もよくならないと思いますね。
    ――朝倉海選手に対して「強くなりたいならアメリカに行くべきだ」という声が関係者やファンのあいだから挙がってますが、実際にアメリカに渡った堀口選手からするとどう思いますか?
    堀口 そりゃそうですよ。やっぱりいまの日本で練習して、身内がコーチでというのは限界があるんじゃないかなと思います。コーチであるお兄ちゃん(朝倉未来)も完璧にわかっているわけではないと思うので。
    ――それに選手との兼任になりますね。
    堀口 もうちょっと上を目指したいならトップクラスのコーチを雇ったりしないと難しいかなとは思いますよね。
    ――堀口選手がアメリカ行きを決めたのは、UFCで戦っているうちに足りないものが多いと体感したからですか?
    堀口 自分はUFCのタイトルマッチでデメトリアス・ジョンソンに負けて「このままではDJには勝てない」と思ったんです。あのときデメトリアスには本当の総合格闘技を教えてもらいましたよね。ハッキリ言って自分は打撃だけだったじゃないですか。それだけでは勝てない世界だということを教えてもらいました。
    ――それでATT所属に。それから堀口選手が一番変わったことってなんですか?
    堀口 もちろんトータルに変わりましたけど、「わからないところがなくなった」というのが一番ですかね。
    ――「わからないところがなくなった」。
    堀口 日本にいた頃はわからなかったことすらわかってなかったかもしれないですけど。寝技もできる、レスリングもできる、知っている技も増えた。あとはやっぱり信頼できる仲間ができました。
    ――チームファイトとしてMMAに臨めるようになったわけですね。
    堀口 ああ、そこが一番デカいかもしれないです。
    ――試合をしたばかりですけど、いま海選手が何か迷ったり行き詰まっていることがあるとすれば、堀口選手はなんとなくわかるというか。
    堀口 まあ……わかります。というか「ATT来ちゃえば?」と思いますけどね。
    ――おおおおお!!! さらりともの凄い提案が!
    堀口 まあ、アメリカにはATT以外にもたくさんジムがありますし。仲間と戦うのはイヤだけどなあ……。
    ――それはそうですよね。誤解されがちですが、ATTって大世帯でキャンプも別だったりして年がら年中一緒に練習するわけじゃないですよね。
    堀口 ATT内でもいろいろ派閥はあるんですけど、同じ日本人となると自分も何かと面倒みちゃうんでねえ。
    ――たしかに日本人同士なのにスルーするのは変ですね(笑)。
    堀口 まあ、海くんが来たいといえば、それはそれでいいんじゃないっすか? 
    ――ATTの練習は並のファイターだと持たないという話も聞きますが……。
    堀口 いやいや、そんなことないですよ。それは、自分の練習についてこれないという意味ですね。
    ――やっぱりつらそうだ(笑)。
    堀口 あとは、海外だと最初は友達が周りにいなくて言葉もわからないので、その環境に耐えられない……という人がほとんどで。みんなホームシックになっちゃいますね。
    ――堀口選手はホームシックにならなかったんですか?
    堀口 なりましたよ。
    ――あっ、堀口選手も。
    堀口 一番最初は「うわ、マジつれえ!」と思いましたけど、親の顔とかを思い出したら「絶対に帰れない」と思いました。何がつらいって、やっぱり言葉も通じないし、メシもまずいし、そこっすかねえ。
    ――そこで苦悩する堀口恭司は、ちょっと見てみたかったです(笑)。
    堀口 いや、悩むといっても、日曜日とかヒマな日だけですけどね。だから、自分は釣り竿を買って、ずっと釣りをしてました。ま、それはいまでも変わらないですけど。向こうに家を買いましたけど、家からジムまで車で5分ぐらいなので、生活もあんまり変わらないし。――まだまだ部活の合宿が続いているという毎日なんですね(苦笑)。今回は、まさかのカーフキックで
    決着したことで堀口選手を支えるATTの存在があらためてクローズアップされて。

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