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記事 5件
  • 「仲田龍さんが気力体力尽き果てたのはわかりますよ。ボクもやられましたから……」中村祥之インタビュー⑤

    2016-09-01 00:00  
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    大好評「ゼロワンを作った男」中村祥之インタビュー最終回。橋本真也亡き後、新たな航海に出た中村氏。時代とともに変わりゆく興行の世界をどう生き抜こうとしてるのか?中村祥之インタビューシリーズ①負けたら即引退試合SP、過激な舞台裏http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar940189②橋本真也、新日本プロレス決別の理由http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar974841③ファイティングオペラ「ハッスル」とはなんだったのか?http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1034482④破壊王・橋本真也の死――不倫とゼロワン崩壊http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1049820◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉
    非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! part31は大好評インタビュー9本、コラム11本、13万字オーバーで540円!!(税込み)  試し読みも可能です!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1095857■「久しぶりにターザンが面白い!」と大絶賛!
    ターザン山本インタビュー
    汚れた「ハンカチ王子」斎藤佑樹騒動……ベースボール・マガジン社の黒歴史/SWS田中八郎と剛竜馬、その極太な関係――!! 
     
     
    ■アジャ・コング デビュー30周年記念インタビュー①
    「あの頃の全日本女子プロレスは、AKB48やジャニーズだった」
    勝たないと稼げない! 衝撃の「押さえこみルール」の実態にも迫る!
     
     
     
     
    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチ特集
    斎藤文彦INTERVIEWS⑤「ゴッチさんの自伝がないのはなぜだと思います?」
     
    神様最後の話し相手・西村修「ゴッチさんはもう一度、日本に来たがってたんです。でも……」
     
     
    ■事情通Zのプロレス点と線
    G1優勝! ケニー・オメガの「DDT発言」とはなんだったのか?/G1決勝進出決定! そのとき後藤洋央紀は……
     
    ■小佐野景浩のプロレス歴史発見
    ガチンコすぎる真夏の祭典!
    プロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス
     
    ■UFC、新生K−1、ベラトール、DEEPが無料で見られるAbema大革命!
    AbemaTV格闘技チャンネル担当者インタビュー「格闘技ファンの力で大きくなりました!」
     
     
    ■あびる優、絶叫再び!
    才賀紀左衛門「奥さんが格闘技やることに基本反対。連敗したらやめるとか約束付きです」
     
    ■RIZIN親子参戦! 山本アーセン「話題が絶えない家族ですよ。いつも何かありますよ(笑)」
     
     
    ■オマスキファイトのMMA Unleashed
    ・大反響! 塾長ドン・フライ、堂々のUFC殿堂入り! 万感のスピーチを読め!
    ・ドナルド・トランプとUFCの奇妙な関係
    ・マーク・ハント大激怒!  労働組合委員長として腐敗の巣窟UFCと戦ってやる!
    ・暴力柔術 is back! ニック・ディアスは開口一番に何を語ったのか
    ・UFCオーナーチェンジ完了!! GSPは復帰するのか、そしてニックは薬物検査を切り抜けられるのか
     
     
    ■MMAジムにも通いだしたプ女子・二階堂綾乃
    柔道、レスリング……わいた耳の話/プ女子がプロレスを好きになったきっかけ
     
     
    ■MMAオレンジ色の手帳
    数字で見る格闘技〜MMAで成功する日本人五輪選手とは!?/田村潔司にぶつけたい若手MMAファイター
     
    ■総合格闘技界のレジェンドが綴る格闘技の日々
    中井祐樹の「東奔西走日記」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1095857◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉

    ――中村さんが巌流島に仲介したラウェイ戦士のトゥトゥミンは残念ながら負けちゃいましたが、直前まで相手が二転三転してドタバタされてましたね。
    中村 大変でしたね、巌流島は(苦笑)。対戦相手が最終的に決まったのが前々日の夜中で。
    ――日本在住のアフリカ人格闘家ルクク・ダリ選手が代役になりましたが、1週間後に別のMMAイベントに出るはずだったところを、ボビー・オロゴンがダリ選手の所属ジムやそのMMAイベントに通さないで話をつけたことからトラブルになりましたね。
    中村 グラチャンに出るはずだったんですよね。しかもあの選手はコンゴの柔道オリンピック強化指定選手だったのに、谷川(貞治)さんは「キックボクサーなんですよ〜〜」と言い張ってね(笑)。
    ――うーん、さすがペテン師(笑)。
    中村 ボクはラウェイ関係者には「違う違う!」と言ったんですけどね。キックボクシングルールならそんなに強くないけど、柔道をやっていたから道着の襟を掴む技術はこっちより強い。「このルールならおいしい仕事」と思って出てきたと思いますよ。彼に練習をつけてる菊野(克紀)さんも「強いですよ」と言っていましたしね。
    ――至って普通のMMAファイターですよね。
    中村 そうそう。巌流島って「元○○」という肩書きをつけてるけど、今回出ていたバレーボールの選手だってバレーだけをやってたわけじゃない。過去にバレーボールをやってたMMAファイターでしょ? 巌流島ってこういう内幕なんだなあって。
    ――こんなにバタバタしていたら試合はキャンセルできましたよね?
    中村 ミャンマーからわざわざ来ちゃってるから。ボクはやめてもいい腹づもりだったんですけど、ラウェイ側は「やる」と言うので。
    ――まあ、そうなっちゃいますよねぇ。有明コロシアムが会場でしたけど、お客さんはまったく入ってなかったですね。
    中村 見事にガラガラでしたね、見事に。うーん、見事!(笑)。
    ――「見事!」3連発な客入り(笑)。いままでの巌流島もお客は入ってなかったですけど、谷川さんはよく興行を続けられますよね。
    中村 もうね、他人のことだから気にしないですけど、間違いなく4桁の赤字でしょう。
    ――4桁の赤字!! アマチュアクラスの選手を起用してるのでファイトマネーは絞れそうですけど……。
    中村 それでも余裕で4桁はいってますよ。
    ――宿泊費だ航空代だ会場費だ……って考えたら。
    中村 切符が売れなかったら普通はある程度、招待券を撒くんですけど。それでも着券率が異様に悪かったですよね。あの日、ウチは後楽園ホールで火祭り決勝だったんですけど、そっちのほうがお客は入ってたんじゃないかって。
    ――業界関係者っぽい人がSNSで「巌流島に来ました!」って書き込んでるんですけど、とてもお金を払ってくるような席じゃなかったんですし。あくまで予測ですけど、実券は500枚くらいなんじゃないなあ、と。
    中村 それくらいでしょうね。そういう匂いを感じざるをえないです。そこまでしてやり続けるのは、谷川さんの中には「夢をもう一度!」という思いがあるのかなあ。
    ――興行という魔物に取り憑かれてしまっている。
    中村 そうかもしれませんね。
    ――中村さんもこれだけ長いこと興行をやってると、そういう瞬間を感じたりしないですか?
    中村 ボクはね、最近はバカな興行はしてないから。勝ち目のない興行はやってない。
    ――大振りしないわけですね。確実にミートするという。
    中村 そこはわきまえてますよ。できるなら大きくやりたいですけど、いまってお金をかけてもお客さんが入るわけじゃないから。
    ――中村さんが最後に大振りしたのはいつですか?
    中村 ボクがやったわけじゃないんだけど、最後の最後で責任を押さえつけられたプロレス・エキスポかなあ。
    ――伝説の両国3連戦! ありましたね〜。
    中村 金曜日の夜、土曜日の昼夜で3興行やってね。
    ――ああ、2日で3興行だったんですよね……。大振りすぎる!(笑)。
    中村 もうムチャクチャですよね(苦笑)。あれはボクが主催者じゃないんだけど、あたかもボクがやったものとして責任を押し付けられて。
    ――たしか若手実業家の方がやられたんですよね。
    中村 プロレスや格闘技が好きで興行をやってみたいと考えたんでしょう。ウチは主催じゃなくてあくまでお手伝いということで関わったんです。それにウチはその金曜日に後楽園ホールで興行が入ってたんですよ。後楽園を中止する代わりの対価をいただいて。
    ――後楽園ホールを中止させてまで!
    中村 その後楽園をプロレス・エキスポのオープニングセレモニーみたいな前ふりにして、翌日両国1大会でいいんじゃないかって話はしたんです。
    ――その構成のほうが無難ですね。
    中村 ボクと蝶野(正洋)さんで10回は言いましたよ。でも、「2日で3興行やる」と言って聞かない(苦笑)。
    ――成功する自信があったんですかねぇ。
    中村 その実業家の方が言うには「金曜の夜と土曜日の昼はファミリー層が動く」と。スーパーマーケットや大型ショッピングモールにはそういうデータがあるらしいんですよね。
    ――いや、スーパーマーケットじゃなくてプロレスの興行なんですけど……(笑)。
    中村 ボクも蝶野さんも興行に関わって長いから「動かない」と言い続けたんですけど。おまけにマス席も1マスでしか売らない。1マス買うのに最低でも2万円かかるんですよ。
    ――ひえ〜〜!!(笑)。
    中村 そんなに高いマス席、誰も買わないですよ。個別で1枚ずつ買いたい人は「どうぞ2階席のチケットをお買い上げください」と。
    ――そんなんだから両国史上最低の客入りになったんですね……。
    中村 ヤバかったのは土曜の昼かな。土曜の昼からプロレスは見ないですよね、やっぱり。そりゃスーパーマーケットにはお客さんは来ますけど(笑)。プロレスファンは土曜日の昼に興行を見る習慣がない。見に来るのであるならば、土曜の昼に後楽園ホールでたくさん興行があるはずなんですよ。
    ――ちなみに売れた枚数は……。
    中村 何枚売れたのかは定かではない。でも惨劇です。
    ――プロレス格闘技界ってこういうパターンが多いですよね。出資者がプロデューサーとしても口を出し過ぎてズンドコしていくという。でも、お金を出してくれるから周囲は誰も……。
    中村 反対できない(笑)。過去に失敗と言われる興行は意外とこのケースが多いですね。
    ――周囲も強引には反対しづらいんですよねぇ。
    中村 極端なことをいえば、お客さんが入ろうと入らまいと報酬は発生するわけだから、主催者がやるというなら周りは従うわけですよね。「でもお客さんは入らないと思いますよ」とは言います。
    ――周りのアドバイスに耳を傾けないんですよね、たいていの人が。
    中村 プロレス界に偏見を持ってるじゃないですけど、自分たちのほうがビジネス的に優れている、プロレスは立ち遅れているという見方をしてるんでしょうね。でも、プロレスが立ち遅れてるんじゃなくて、こっちは興行界なんですよ。普通の目線で見たら「何をやってるんだ?」と思われるかもしれないけど、そんなに簡単なもんじゃないんですよね、興行って。
    ――2日で両国3興行のほうが「何をやってるんだ?」の世界ですけど(笑)。
    中村 もうね、一生忘れられないですね(苦笑)。いい選手が出てたんですよ、アメリカから選手も呼んだりして。ドン・フライとかスコット・ノートン、あとダニー・ホッジさんも来日してましたね。選手は与えられた仕事をきちんとやろうという士気は高かった。ドン・フライさんは来日してから帰るまで、ずっと酔っ払ってて手に負えなかったけど(笑)。
    ――そのあとネパールで「プロレス・エキスポ」名義の興行をやってましたよね?
    中村 それは名前を付けただけですね。逆にネパールのほうが客が入ったんです(笑)。
    ――チケットの前売りは散々だったわけですけど、主催者の方は最後まで成功を信じて疑わなかったんですか?
    中村 大会4日前に「中止にしたい」と言ってきた。
    ――うーん、この!(笑)。
    中村 あまりにも切符が売れないから4日前に「中止にしたい」と。中止ならギャラも全額払う必要もないって考えたんでしょう。
    ――中村さんはなんて言ったんですか?
    中村 「ダメ」。
    ――ここまで来たら引き返せない。
    中村 切符が売れてないから中止というのは日本ではありえない。中止にせざるをえない理由があるならばわかりますよ。たとえば天災とかね。でも、切符が売れてないから中止はダメ。
    ――主催者は渋々やったんですね……。
    中村 渋々やった。だからボクのせいにされてるところがある。でも、そんなことを許したら、変な前例ができちゃうでしょ。切符が売れていなきゃ直前でやめていいんだって。
    ――けっこうな赤字になったはずですよね。
    中村 これはあくまで個人的な読みですけど、あの2日間3興行で赤字6000万以上。
    ――2日で6000万を溶かした! その方はプロレス興行には二度と……。
    中村 やってないですね、心が折れてましたから。プロレスは時々見に行ってますけど。そのお金を有効利用したら、ひとつのプロレス団体ができます。どんなに赤字を出したとしても2年間は持ちますよ。それを2日間で使い果たしたのはもったいないですね。まあ、本業からすれば、かすり傷程度でしょうけど。
    ――かすり傷程度! 世の中にはお金持ちがいるんですねぇ。
    中村 白石(伸生)さんもバッと現れて、バッと消えましたね。白石さんも相当、お金を使ったと思います。
    ――全日本プロレスの元オーナーでガチンコプロレスの白石さん。
    中村 グレート・ニタvs曙さんの電流爆破のとき白石さんに「人間爆弾をやってくれ」ってお願いしたときありましたよ。あのときの電流爆破は再戦で切符が動きそうになくて。そのとき白石さんがネットで炎上していたから「これはおいしい」と思って直接掛け合いに行って(笑)。
    ――炎上男に燃えてもらおう、と(笑)。
    中村 白石さんって派手なファイティングスーツを着て試合をしたことあるじゃないですか。
    ――ああ、蝶野さんとやりましたねぇ。
    中村 白石さんと面談したときにそのスーツを持ってきて、それには大きな爪がついてるんですけど「これで戦ったら死んじゃうよ?」とか真顔で言っていて。「何を言ってるんだろう……!?」と思ったんですけど、人間爆弾をやってもらいたいですから「凄いですね!」って褒めて(笑)。
    ――大人の受け身を取ったわけですね(笑)。
    中村 やっていただけることになったんですけど、試合当日の朝になって「やっぱりやりたくない」と言い出したんです。「ここまで来たんですから!」って説得したら「だったら入場テーマ曲を用意してくれ」って言われて、CHAGEand ASKAの「YAH YAH YAH」をかけさせられて(笑)。
    ――どこまでが本気なんだかわからない!
    中村 笑い話ですよ、ホントに。
    ――白石さんもお金を出してくれるから、周りも注意できなくて暴走した感じはありますね。
    中村 プロレス・エキスポと同じだと思いますよ、雰囲気は。2日でお金を使い果たしたか、数ヵ月になったかだけの話で。
    ――マット界に参入する方々って、自分もプロレスラーだと勘違いするのか表現したがる人間が多いですよね。
    中村 この業界に来ると勘違いをしちゃうんですかね。たとえばウェブニュースなんかで取り上げられると「有名人になった」と錯覚に陥るんですよ。
    ――ボクは「ビンス・マクマホン病」と呼んでるんですけど(笑)。
    中村 ビンスになりたいんなら4桁の億を持ってこないと(笑)。
    ――身体を鍛えて半ケツも出さないと!
    中村 ビンスはボデイビルをやって身体を鍛えて、なおかつビジネスセンスにも優れている。プロレスというビジネスで絶対に成功してやるっていう決意が強いからなんでもやったわけじゃないですか。そこはブレないんですよ。
    ――ただ、フロントの人間が否応なしにスポークスマンとして駆り出されるケースも多いですよね。中村さんも『ハッスル』ではいろんなことをやらされて。
    中村 振り返ってみれば、2000年代というのは、フロントの人間が前に出されて、罵り合って、傷つけあい、結果、なんの得にもなってなかったですね(苦笑)。上井(文彦)さん、永島(勝司)さん、亡くなった仲田(龍)さんしかり。前に出て責任を追う立場だった。
    ――新日本プロレス時代、中村さんの上司だった上井さんは駅長コスプレまでしてましたね。
    中村 上井さんがやっていたビッグマウス・ラウドのことはあんまり詳しくないけど。
    ――あれ、ビッグマウス・ラウドって最終的にゼロワン傘下に入りませんでしたっけ? 
    中村 傘下になったというか……初めは知らなかったんですが、ビッグマウスという会社とビッグマウス・ラウドという会社が存在していたんです。ラウドは村上(和成)さん、ビッグマウスは上井さんの会社。そこのやりとりはボクたちは知るよしもなかったんだけど。村上さんがやられていたラウドの受難をうまく回避できる方法はないかということで相談に乗ったということですね。
    <参考記事>平成のテロリスト・村上和成――格闘家が挑んだ命懸けのプロレス道!!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar663887
    ――関わったのはビッグマウス末期の話なんですね。
    中村 そうそう。
    ――ビッグマウス時代の上井さんとは接点はなかったんですか?
    中村 ビッグマウス・ラウドの興行が始まった頃かな。ある人を通じて食事をさせていただいて。そのときゼロワンはドン底じゃないけど、後楽園で1000人くらいしか入らない時期で。逆にビッグマウス・ラウドは旗揚げや2回目は超満員が続いてたんですよ。
    ――スタート当初は活気がありましたね。
    中村 前田(日明)さんもいたしね。上井さんは「もうちょっとしたら助けてやるからな!」と言われて。
    ――ところが前田さんが離れ、上井さんと村上さんのあいだにトラブルが起きて、ビッグマウス自体が落ちていってしまって。その時期に上井さんとは会われたんですか?
    中村 そのときは消えていた。
    ――消えていた!
    中村 困った村上さんから相談を受けて、初めてビッグマウスとビッグマウス・ラウドが別法人だと知ったんですよ。
    ――そのあと上井さんは「シュポ〜!」とUWAI STATIONをやりだしましたね。
    中村 駅長になりましたね。ドン荒川さんのつながりからプチシルマがスポンサーにつきましたけど、選手が全面に立つわけじゃないし、スポンサーのための興行だからいまになってみるとネタですよね、ネタ。もう一部の人しか知らないでしょう、プチシルマもプロレス・エキスポも(笑)。
    ――プロレス興行がどうしようもない時期だったというか。
    中村 混迷期というか、どんどんとバラバラになっていった時代ですよ。いまは大箱で打つ団体が限られてますし、小さい興行だと報道されてない。報道されないから成功しようが失敗しようがわからない。
    ――あの時期はUWAI STATIONですら後楽園ホールでやってましたもんね。
    中村 あの時代は小箱で後楽園ホールでしたから。
    ――橋本(真也)さんが野心を抱いて独立した時代と比べると、興行規模も変わってきたということですね。
    中村 大きく変わりましたよね。2000年以降も興行師としてやられ続けている人間の中に、大日本プロレスの登坂さん、DDTの高木さんがいますけど。お二人は小さい箱から手がけてきた方々なんですよ。だから、いまの時代のプロレスがどういうものかはわかってる。永島さんや上井さん、ボクたちみたいに新日本という名前があるところから来た人間との差は出てきますよね。
    ――見てきた風景が違う。
    中村 違う違う。DDTさんや大日本さんのやり方はうまいですもん。ボクらにはマネできない。
    ――かつてNOAHを仕切られていた仲田龍さんも、中村さんと同じ括りですよね。
    この続きと、高杉正彦と剛竜馬、中村祥之と仲田龍、ドーピングの闇、プ女子とお金などの記事が読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ!
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1112535


     
  • 破壊王・橋本真也の死――不倫とゼロワン崩壊■中村祥之インタビュー④

    2016-06-15 18:58  
    108pt
    大好評「ゼロワンを作った男」中村祥之インタビュー第4弾。今回はゼロワン崩壊――橋本真也と冬木弘道・元夫人の不倫劇、中村氏らゼロワン勢との決別、そして突然の死、その裏側で起きた混乱について。イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!中村祥之インタビュー①負けたら即引退試合SP、過激な舞台裏http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar940189②橋本真也、新日本プロレス決別の理由http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar974841③ファイティングオペラ「ハッスル」とはなんだったのか?http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1034482――7月の「巌流島」にミャンマーラウェイ最強の男トゥントゥンミンが参戦しますが、これは中村さんのミャンマー人脈から実現したでそうね。
    中村 トゥントゥンミンはミャンマーでは国民的ヒーローで、日本でいえばアントニオ猪木みたいな存在なんですよ。強すぎちゃって向こうでは相手がいなくて、公式記録では1敗しかしてないし、それも判定での負け。田舎の野試合を含めると120戦して2敗。
     
    ――国民的ヒーローの出場交渉に中村さんが駆りだされたんですね。
    中村 日本に来ること自体が彼の選択肢の中にはなかったんです。ファイトマネーを積めば出てくるという人間じゃないし……なんか「巌流島」にうまく使われましたね。
    ――中村さんにとっては、あまりお金にならない仕事ということですか?
    中村 プラスどころか交渉に行くミャンマーまでの旅費すら自腹ですよ(笑)。
    ――えええええ!? さすが「巌流島」(笑)。
    中村 「こういうことなんだよなあ、巌流島に関わることは……」って冷静になれました(笑)。仕方ないので自分の仕事を無理くり作り出すしかなかったです。
    ――せめて旅費くらいは請求すればいいんじゃないですかね。
    中村 「お金がない!」って言い張ってますからね。
    ――お金がないなら中村さんに依頼すべきではないような……(笑)。
    中村 しかも、選手のギャラもミャンマー国内の金額より低いんですよ。
    ――「ミャンマーラウェイ最強の男」を呼ぶというのに!(笑)。
    中村 巌流島は「これしか出せない」というから、まいったなあと。ボクのミャンマーのパートナーが「ナカムラに恥をかかすわけにはいかない」ということで、その差額を出してくれることになったんですけど。
    ――ミャンマーで恥をさらす「巌流島」(笑)。
    中村 まあ、流れで関わってしまったので、仕方ないかなあと。疑うときりがないじゃないですか。
    ――谷川(貞治)さんや山口(日昇)さんがやってるイベントですもんね。
    中村 彼らはあくまでクリエーターですから、主催・運営に関してはズンドコに決まってるわけですよね。昔のPRIDEやK−1も「まあ、いいんじゃない」ってこんな感じで物事を進めていたわけですし。
    ――あのときはまだ金が唸っていたからなんとかなったんでしょうけど……ファイトマネーはちゃんと払ってほしいですね。
    中村 そこはオンキャッシュだって言ってます。初回取り引きですからね。「巌流島」があとから「振り込みで……」って言ってきたから、それは絶対にダメだと。
    ――あとから言ってきた!(笑)。
    中村 当日キャッシュで払ってくれないなら無理だと。ファイターからすればモチベーションが落ちますよ。しかも何千万というギャラならまだしも、こっちだって恥をしのんだ金額ですよ。その差額を埋めるという人を探してまで来日するんですから。
    ――後日払いだと「振り込んだんですけど、入金されてないですか?」とか言い出しかねないですよねぇ。その場でもらったほうが安全というか。
    中村 疑わしいかぎりです(笑)。正直いまの格闘技業界は信頼に値しない。大きいことをやるほうはとくにね。だって赤字になる確率が高いじゃないですか。博打ですよ、あれ。小さいところは赤字も黒字も小さいからなんとかなるんでしょうけど。いまの格闘技界で大きいことをやって回るわけがない。
    ――じゃあ試合が終わるまで気は抜けないわけですね。
    中村 大不安ですよ(笑)。
    ――会場は有明コロシアムですよね。大丈夫なのかな(笑)。
    中村 谷川さん、会場の2階3階は使わないでやりますって宣言してましたけどね。こないだのTDCホールだって4000人くらいの発表をしてましたけど、TDCってそこまで入らないですよ。なんでいまどき、そういう盛った発表をしてるんだろう?って(笑)。
    ――スポンサー向けなんじゃないですか?
    中村 いや、スポンサーの立場からすれば「この人たちはホラ吹きなんじゃないの?」って疑いますよ。だって入らない人数を発表してるんですから。
    ――あー、たしかに。
    中村 TDCは1800席しかないし、ステージをどかしてもMAXで2400席しか敷けない。それなのにそういう発表をしちゃう感覚が格闘技業界の人たちにはまだ残ってるんだなって。それだと、いまのスポンサーさんにはアプローチできないですよね。
    ――いまの時代は可視化されやすくなってますから、観客動員の発表の仕方が難しいですよね。
    中村 「満員」を発表したいならそれだけでいいし。後楽園ホールも盛りすぎてプロレス界が怒られたんですよ。消防法で規定されてる人数以上の発表はやめてください、と。
    ――だから近年の後楽園大会の観客動員は、以前より抑え気味になってるんですね。
    中村 立ち見も333人しか入れちゃいけないって書いてあるから、固定席プラス333人しか書いちゃいけないんですよ。
    ――昔のマット界はどれだけ盛るかが勝負みたいなところがありましたよね。いまは「超満員!」「完売!」アピールが激しい時代ではありますけど(笑)。
    中村 全日本と新日本が敵対していた時代は、その地区で人数をいくつ入れたとか勝負してたというか、まあネタですよね。会場の入り口でカウンターを持たされて800人しか入ってないけど、1200人だと上に報告したら、1400人で発表されて(笑)。
    ――ハハハハハハハハハハ! 上乗せの上乗せ(笑)。
    ◉マスコミから「橋本さんと冬木さんの奥さんが手を繋いでる姿を載せていいですか?」って連絡があったんです……
    ――今回はゼロワン解散についてお聞きしたいんですが、前々回の話で言えば、税金問題をきっかけに橋本さんと中村さんの関係が壊れていくんですね。
    中村 「こういうふうになったのは中村祥之のせいだ」と橋本さんの側近の方が囁いていたんでしょうね。
    ――橋本さんは当時、冬木(弘道)さんの奥さんだった中村薫さんとお付き合いをされていましたね。橋本さんには奥さんがいらしましたから不倫になりますけど。
    中村 冬木さんの奥さんと一番最初に会ったゼロワンの人間はボクなんですよ。病気で療養中の冬木さんと2人でゼロワンの事務所に来ていただいて「余命がわずかだから最後に橋本真也と戦いたい」と。スポーツ新聞の記者を通じてそんな話があったんです。ボクは「橋本さんにお伝えします」と言いました。
    作/アカツキ――橋本さんは冬木さんと試合をする約束をされますが、冬木さんはお亡くなりになり、橋本さんは川崎球場で金村(キンタロー)さんと電流爆破有刺鉄線デスマッチを行います。試合開始直後、橋本さんは冬木さんの奥さんから冬木さんのお骨を受け取り、そのままロープに飛び込んで爆破する(https://www.youtube.com/watch?v=BzSl9RXwqvI )……というシーンも見せて。中村さんは、おふたりが男女の仲ではあることはご存知だったんですか?
    中村 ご存知ではないですよね。ご存知ではないけど、橋本さんはわかりやすい方なので。たとえば新しい趣味ができると、行動がハチャメチャになってくるんです。
    ――生活スタイルが変わってしまうんですね。
    中村 変わる変わる。巡業のときに岡山で試合をして、翌日は九州で試合なのに、最終の新幹線の名古屋に向かって、そこでレンタカーを借りて東京に帰るんです。で、九州には翌日飛行機でやってきて、大会開始ギリギリに会場に到着する。
    ――そこまでして東京に戻りたかった、と。
    中村 関西エリアの試合のときは、橋本さんの試合がメインイベントなのに新幹線で東京に帰りたいから、試合の順番を変える。橋本さんが第2試合に出てきちゃったり(笑)。
    ――ちょっとそれは興行が締まらないですねぇ。
    中村 「橋本さん、それだけはやめてください」と押し問答になるわけですよ。選手たちは「橋本さんの言うことだから……」って自分たちが頑張ろうとするんですけど。
    ――そこに女性の影は感じていたんですか?
    中村 東京に帰りたい何かがあったんでしょうし、みんな大人だからわかってないふりはしてましたけど。たとえば橋本さんが東京にいるとき運転手はボクや沖田がやっていたけど、いつのまにかアパッチの黒田(哲広)くんがやるようになったり。
    ――黒田選手は冬木さんが作ったプロレス団体WEWに所属してましたし、奥さんとは近い存在でしたね。
    中村 わかるでしょ。簡単ですよ。こっちも大人だから言わないですけど。
    ――冬木さんの奥さんは中村さんから見てどんな方なんですか?
    中村 数回しかお会いしてないですけど、ボクの感性だと近寄りがたい。魔性っぽかった。冷静に見たらビジュアルもいいし、家庭的だし、橋本さんのお熱になるのはよくわかる。マスコミにも好きになる方はいたんですよ。
    ――マスコミで?
    中村 何人も冬木さんの奥さんに熱を上げちゃって。
    ――そ、そうなんですか。
    中村 3人くらいが冬木さんの奥さんのことで揉めてるんです。最終的には橋本さんがそうなっちゃったから、その3人からすれば橋本さんは敵になっちゃって。
    ――修羅場になってたんですねぇ。
    中村 あのときの橋本さんは団体経営で追い詰められていたけど、冬木さんの奥さんはきっと優しくしてくれたんでしょうね。ボクたちは仕事だから厳しいことを言うんですよね。でも、向こうでは「それは橋本さんは悪くない」ってかばってくれる。
    ――だから巡業中でも一緒にいたかったんですね……。税金問題以降、中村さんの社内的な立場はどうなっていったんですか?
    中村 周囲の方が橋本さんにいろいろと吹き込んでいたんでしょうね。ボクは役員でもなんでもなく、有限会社ゼロワンのイチ社員であって。とりあえず別の社員を経理として雇ったんですよ。ちゃんと仕事ができる方だったんですけど、ボクと橋本さんの意見が合わなくなったときにやめちゃって。
    ――何があったんですか?
    中村 橋本さんが有限会社ゼロワンを閉じて、新しい会社を作ると。そこに経理の子も一緒に移るという話だったんです。有限会社ゼロワンはもう立ちゆかくなってたんですよね。見る人が見たら「これはもう無理だ」という経営状態で。だったら「倒産させて新しい会社を作ろう」と。
    ――新会社でゼロワンをやっていこう、と。
    中村 うーん、それがゼロワンだったのか、新団体なのかはわからない。アパッチ軍とゼロワンから移ってくる選手による団体ですよね。結局、冬木さんの奥さんも苦しかったと思うんですよ。アパッチはそこまで大きな団体ではありませんでしたし、まだゼロワンが羨ましかったんじゃないかな。それで橋本真也という存在をアパッチに移しての新団体設立構想ですよね。
    ――そういった流れの中で、中村さんと薫さんが話をする機会があったんですか?
    中村 絶対にボクとは会わないのはわかっていましたよ。寝首をかいたようなもんでしょ。 
    ――橋本さんはゼロワンの選手たちに新団体の話はしてるんですよね。
    中村 したした。ボク抜きで。
    ――あ、中村さん抜き。
    中村 全選手を集めて「俺は肩のケガでしばらく休むが、俺についてくれば、新日本にも上がれるぞ」と。橋本さんは蝶野(正洋、当時・新日本プロレス)さんと仲が良かったから。
    ――そういえば、橋本さんが突然新日本の両国に乱入したことありましたね。あの登場は新団体設立の伏線だったんですね。
    中村 橋本真也は新日本育ちですから、新日本に戻ることは違和感なかった。大谷(晋二郎)さんも過去に所属していたから「なるほどな」とは思ったはずですよ。だけど、選手は誰一人、橋本さんについていこうとはしなかった。ボクはひとりだけ取り残されると思っていたんですよ。選手はみんな橋本さんのところに行くと思ってましたから。
    ――どうして選手たちは橋本さんの新団体に行かなかったんですかね。
    中村 それはわからない。
    ――中村さんから選手たちに今後について何か話はされていたんですか?
    中村 してない。あの時点でボクは新しい団体をやるとは言ってなかったし、自分の身をどうするかで精一杯。新日本にはもう戻れないし、武藤さんに頭を下げて全日本に入るか、ハッスルで面倒を見てもらうくらいしかないですよね(笑)。
    ――では、選手が自分たちで下した決断なんですね。
    中村 各々の判断だったと思います。あとはやっぱりケガで身体が動かない橋本さんにこれ以上、負担をかけちゃいけないと思っただろうし。みんな橋本さんについて行きたかったとと思うんですよ。だけど、最後の数ヵ月の行動を知ってるわけじゃないですか。そこには一抹の不安はある。
    ――何かあったら投げ出しかねない状況ではありますね。
    中村 だからってボクのほうを見てたって「こいつはいい加減、金を使い果たしてるしな」って思っただろうし(笑)。右も地獄、左も地獄……。パッと、くじ引きを引いたら、こっちだったということじゃないですか。
    ――橋本さんは選手が誰も来なかったことにどう思ったんですかね。
    中村 ボクが裏で糸を引いてると思ったはずなんですよ。
    ――ああ、きっとそう考えるでしょうねぇ。
    中村 選手が誰も来なかったことに最初は焦ったと思うんですけど、あとから考えたら楽になったんじゃないかなあ。橋本さんにはスポンサーやタニマチもおられたと思うんですけど、橋本真也を使って動ける人間はいなかったし。 
    ――新団体と言っても現実的に動きづらかったという。中村さんは、残った選手たちとZERO1MAXを旗揚げすることになるんですね。
    中村 大谷さんから「選手たちは一丸となってやっていきます」と言われたんですけど、ボクは全員残るとは思ったなかったから、そこまでの準備はしていなかったんですけど。
    ――そうして橋本さんはゼロワン解散を記者会見で発表するわけですね。
    中村 その会見にはボクと大谷さんも出たのかな。その日、たまたま後楽園ホールで興行があって、そこで大谷さんが「俺は橋本さんに捨てられんたんじゃない。旅立ったんだ!」と言ってね。そこから紆余曲折を経て、翌年の1月にZERO1MAXを旗揚げして。
    ――中村さんたちが橋本さんを追放したという見方もありましたよね。
    中村 追放されたのはどちらかというとボクですよね。クーデターでもなんでもなく、橋本さんの呼びかけで選手たちが集められて、新団体の話を聞いてるわけですし。
    ――解散に関して橋本さんとの話し合いの席はなかったんですか?
    中村 解散発表会見の10日前くらいかな。橋本さんが社員・選手を全員集めた会議をやる、と。ボクはその場に橋本さんが弁護士を連れてくるんじゃないかなって思ったんです。橋本さんにはその知恵はないけど、周囲の人間はそういうやり方をしてくるだろうな、と。それでこっちも弁護士を用意した。それは選手を守るためでもありますよね。橋本さんが雇用主で、選手たちは労働者側。雇用主側に弁護士がつくなら、労働者側にも弁護士をつけなきゃと。ギャラの未払いもあったから、そこは選手たちを守らないといけないと思いましたし。
    ――中村さんが弁護士を連れてきたことに橋本さんはどんな反応だったんですか?
    中村 橋本さんはこっちが弁護士を用意してきた時点で「やられた」と思ったんでしょうね。今後の交渉事は弁護士を通じてやることになった。そちらが弁護士を通すのであれば、こちらの弁護士を通してくださいと。
    ――その場で橋本さんは何か発言されてたんですか?
    中村 しない。喋ろうとすると弁護士に制されていた。「そういうことを言うからダメなんだ」って。
    ――よけいなことを言いかねない(笑)。
    中村 橋本さんはイライラしてましたしね。周囲に炊きつけられていたわけじゃないですか。「こうなった原因は中村にある」と。
    ――選手に操ってるに違いない、と。
    中村 ボクは何一つやってないんですけどね。この続きと、保坂秀樹、クリス・ベンワー、BABYMETA×NXT、リコシェ vs. オスプレイ論争などの記事が読める「13万字・詰め合わせセット」はコチラ 
  • ファイティングオペラ『ハッスル』とはなんだったのか■中村祥之インタビュー③

    2016-05-23 22:39  
    108pt
    大好評「ゼロワンを作った男」中村祥之インタビュー第3弾。今回は20000字のロングインタビューで伝説のエンタメイベント『ハッスル』を振り返ります! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!中村祥之インタビュー①負けたら即引退試合SP、過激な舞台裏http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar940189②橋本真也、新日本プロレス決別の理由http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar974841<関連記事>【黒歴史ファイティングオペラ】若鷹ジェット信介――ハッスルの最期を看取った男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1000164長州さんは『ハッスル』の可能性を感じて「これ、天下取れるぞ!」と言いました――ミャンマー、ネパールと海外でのプロレス興行が続いてたことで、海外滞在が長かったようですね。
    中村 今年に入ってからは長かったですね。1月20日にミャンマーに入って、4月のネパールの大会が終わるまでですから、ちょうど3ヵ月。そのあいだ日本にいたのは10日間くらいで。現地で興行の準備はもちろんのこと、後始末もやらないといけないですから。
    ――興行をやってすぐに帰ってくるわけにはいかないんですね。プロレス初開催となったミャンマーは、興行前からトラブルが相次いで大変だったようですし。
    中村 そりゃあもう大変でした。会場も変わるどころか、日にちも変わる(笑)。
    ――日時変更でよく開催できましたね(笑)。
    中村 予定していた会場が使えなくなったことで日時を変更することになったんです。どうして使えなくなったか? 使用する会場は国が管理しているんですけど、ミャンマー新政府が集会をやるから貸せない、と。
    ――納得できない理由ですよね、それ(笑)。
    中村 ちょうど新政府に移行していた時期なので、お上には逆らえないし、異議申し立てできない。海外での興行ではよくあることなんですよね。直前で会場が使えなくて、空き地でやったりするケースもあるし。
    ――というと、会場が使えないことも予測してたんですか?
    中村 あー、してましたね。ただ、大会直前に変更するとは思いませんでした。ミャンマーで興行をやると決めて、今年に入ってから何も言われなかったので、できると思ってて。でも、甘かった。現地入りしてから雲行きが怪しくなってきて、最終的に会場は使えないと。
    ――ギリギリの会場変更は想定してなかったんですね。
    中村 2月13日にやる予定だったんですけど。ラウェイが使ってる会場が借りれるかどうか調べたら、ラウェイは14日に大会が予定されていて、13日は前日準備のため使えない。でも、前々日の金曜日なら貸せるよ、と。
    ――それで日時を1日早めて2月12日やることになったんですね。
    中村 選手の日程も、いろんなトラブルを想定して10日着にしてたんです。遅い組でも11日着。何か問題があって現地入りできないかもしれないので。そうやって備えていたことがラッキーでしたね。12日に試合だったので、これが12日着だったら間に合わない。
    ――トラブル対策が功を奏したんですねぇ。
    中村 2月2日に12日に変更しますと発表したんですけど、現地としては当然延期すると思ってたんでしょうね。「どうする?」と聞かれて即座に「やります」と答えたら「本気か?客は入らないぞ」と。それでもやろうとする僕の熱意を知ったラウェイ協会さんと信頼関係が生まれて。会場だけじゃなくて興行ライセンスもラウェイ協会さんから借りれることになったんです。
    ――ミャンマーで興行をやろうとした以上、ライセンスは持ってたんじゃないですか?
    中村 いや、それが僕も知らなかったんですけど、ミャンマーには3種類の興行ライセンスがあって。田舎で興行ができるライセンス、国内最大都市ヤンゴンでやっていいライセンス、あとミャンマー全土の中で国際選手を招聘してやっていいライセンスがあったんです。僕らは最後のライセンスを持っていないと興行をやっちゃいけなかったんですよね。
    ――ライセンスの詳細を知らなかったんですか?
    中村 知らなかった。現地のパートナーも知らなかった。
    ――では、もし日程トラブルがなくてラウェイ協会との接点が生まれなかったら……。
    中村 選手たちは空港で入国を止められて興行はできなかったでしょうね。日程がズレてラウェイ協会の人たちに知りあえてよかった。ラッキーだった(笑)。
    ――不幸中の幸いどころじゃないですね(笑)。チケットはどれくらい売れたんですか?
    中村 お客さんはおおよそで2000名くらい。チケットも刷り直しで、10日間しかないわりには頑張ったかなって。プレイガイドと言われているところで売れたのはたったの17枚ですからね。当日券でどれだけ動くのかが勝負で。
    ――プロレス初観戦のお客さんの反応はどうでしたか?
    中村 僕が想像していた以上にお客さんの反応はよかったです。プロレスを楽しんでました。オープニングに「プロレスとは……」という紹介映像を流したんですけど、それだけでドカンと沸いて。
    ――前回のインタビューでは、プロレス未開の地で女子プロが強いという話をされてましたけど。
    中村 もう沸きに沸きました。「おしんの娘」という名前でね、やってもらったこともあって(笑)。
    ――おしんの娘って(笑)。やっぱりアジアでおしんは強いですねぇ。
    中村 ミャンマーでも浸透してるんですよ。「おしん」と言っただけでドカンですよ(笑)。
    ――おしん最強!(笑)。
    中村 アジアの女性は基本的に格闘技に興味はないんですけど、おしんだけにはひっかかるということですね(笑)。
    ――「WWE=プロレス」と認知されているミャンマーで、田村潔司選手をメインに据えたのは意外だったんです。田村選手のスタイルだと正直、客受けは悪いだろうな、と。
    中村 やっぱり「メイドインジャパン」のプロレスを持って行きたかったんですよね。WWEのマネはできるんですよ。でも、日本のプロレスを見せたくて。ただ、大谷(晋二郎)社長が海外に行けなかった時期で。子供さんが生まれるかどうかだったので、そこは無理は言えなかったんですね。大谷晋二郎を外したら、鈴木秀樹選手も日本風ですし、大きな会場の見せ方でいえば、KENSO選手もいる。田中(将斗)選手はリングの対戦相手はもちろんのこと、お客さんとも戦うことを知ってるので信頼できる。
    ――その中から田村選手を指名したんですね。
    中村 日本のプロレスはWWEとは違うし、「プロレスってなんなんだろう?」とミャンマーの人に考えさせるような試合を見せたかったんです。ただ、田村さんは、ちょっとナーバスになってましたね。かなりの年数、プロレスの試合をされていないこともありましたし、周囲のレスラーや関係者は田村さんのことを知ってる人ばかりではない。そこを少しでも和らげようとして、U-FILEの大久保選手にもミャンマーに来てもらたっりしたんですけど。
    ――田村選手が戦いやすい環境を作ろうとしたんですね。
    中村 でも、田村選手は対戦相手のジェームス・ライディーンのことを知らないじゃないですか。ミャンマーの人も、田村選手のようなプロレスは見たことない。そういう意味では、いろいろと難しかったかもしれませんけど、田村選手の佇まいは、さすがのものがありますよね。「プロレスはショーだ」と見ているお客さんに「あれ、これはなんなの……?」というエクスキューズは出せたし、今回はミャンマーにはどういうプロレスが向いているのかっていうリサーチ興行にはなりましたよね。ラウェイ協会の方に「事前にテレビでコマーシャルを流していれば、反響はもっと違かった」と言われたり、メディアも100社くらい取材に来てくれていたので。
    ――次回開催はもっとやりやすくなったんですね。
    中村 「年内いつでもできるよ」とは言われてるんですけど、心の準備が……。自分のテンションが高まらないと、できるもんじゃないですよね。ミャンマーをやって次はネパール。いまはちょっと海外でプロレスの興行というエネルギーはないです(笑)。
    ――ミャンマーに続いて行われたネパール大会は、ひさしぶりの興行だったんですよね。
    中村 ネパールは13年にやったのが最後でしたね。大地震で街が壊滅状態。多くの建物が壊れたままで、ネパールの人たちもネガティブな感情を持っていて、向こう10年はプロレスはできないと言われてて。そんな中、去年の年末くらいから「ネパールでプロレスでやりたい!」という若者がチームを作っていて、プロレス開催の機運が高まってたんですよ。でも、いろいろと問題はあって。まず会場の国立競技場は使えても、客席は震災の影響でブロックされてるんですよね。ひび割れの補修には何年もかかるだろう、と。だからグラウンドだけを使ってやることになったんですけど。
    ――普通だったら開催が難しい状態だったんですね。
    中村 地震のあと、ネパールではコンサートから何から何まですべて自粛してたんです。ちょうど僕らの興行と同じ日にクリケットの国際戦が復活したくらいなんですよ。
    ――明るいニュースとしてプロレス興行は歓迎されたんじゃないですか。
    中村 歓迎されましたね。国家元首が会場までに来てくれて。
    ――国家元首が!
    中村 国家元首が来てくれたってことで、興行の様子が翌日の新聞にも載ったんですよね。ありとあらゆるテレビや新聞が扱ってくれたので、選手は翌日から有名人になって(笑)。
    ――プロレスが復興の象徴になったんですねぇ。
    中村 この国家元首は強い人なんですよ。なかなか屈しないことで有名。インドから経済制裁じゃないですけど、ありとあらゆる物資の供給をストップされても、インドにNOを突きつける。人々の信頼が厚い国家元首がわざわざ会場に来てくれて、スピーチもしてくれたんですよね。そういう意味でレスリングの信頼は高まって、大会後には「プロレスラーになりたい!」という問い合わせが100件からあって。
    ――じゃあ、ネパールでも至急開催しないといけないですね(笑)。
    中村 いますぐ乗り込んでやるテンションではないですよね(笑)。
    ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯
    ――それで今日は前回のインタビューの続き、『ハッスル』についておうかがいしたいんです
    中村 『ハッスル』には最初から関わってましたね。
    ――『ハッスル』誕生のきっかけとなった第1次W−1にはタッチしていないんですよね。
    中村 ないですね。W−1は橋本さんが出場したくらいかな。
    ――あ、出てましたね。破壊王とジョーサンとシングルマッチ(笑)。
    中村 W−1って、いまのプロレス団体になる前にも何かありませんでしたっけ?
    ――上井(文彦)さんが矢面に立っての第2次W−1もありました。第2次も旧K−1の主導でしたけど、第1次はK−1、PRIDE、全日本プロレスの協力体制が敷かれていて。
    中村 そうだそうだ! W−1と契約したゴールドバーグが全日本に来てましたよね。
    ――ゴールドバークは、当時PRIDEの常務だった榊原さんの会社と契約したんですよね。
    中村 それで全日本に貸したんですけど、W-1も続かなくて契約を消化できなかった。
    ――そのうちK−1とPRIDEがケンカ別れして、ゴールドバークの契約を消化するために榊原さんがDSE主催のプロレスイベント『ハッスル』をやることになって。
    中村 そうだそうだ(笑)。橋本さんが出たW−1は東京ドームですよね?
    ――それが第1次W−1の最終興行ですね。その前後に石井館長の脱税逮捕、森下社長の自殺もあったりして、マット界激動の時期だったんですけど。
    中村 『ハッスル』というイベントが始まったのは04年1月4日ですけど……『ハッスル』という名前になるまでも数ヵ月かかってるんですよね。DSEとしては、PRIDEは格闘技として成立しているから、プロレスイベントをやるなら住み分けをしていきたい、エンターテインメントとして振り切っていきたい、と。でも、僕たちの立場では、そういうことはなかなかできないんですよ、正直。
    ――DSEはプロレス界の外にいるけど、中村さんたちはプロレス界の中にいるわけですもんね。
    中村 そうです。なんだかんだ山口(日昇)さんを窓口としてDSEと話をしていったんですけど。
    ――山口日昇は当時kamiproの編集長で、榊原さんのブレーンでしたね。
    中村 最後の最後には高田(延彦)さん、小川(直也)さん、橋本さん、榊原さん、山口さんらがいる緊迫した空気の中、『ハッスル』はどういったものを打ち出すのかという会議をやって。
    ――それまで小川さんとDSEの仲は良くなかったんですけど、『ハッスル』をきっかけにして関係は修復されていきましたね。
    中村 これは個人的な考えですけど、DSEはまずプロレスで小川さんと信頼関係を築いたうえで、PRIDEにも出したかったんじゃないかなって。
    ――つまり、田村さんをPRIDEを出すためにDSE仕切りのUスタイルイベントを有明コロシアムでやったようなもんですよね。
    中村 そうそう(笑)。
    ――小川さんがPRIDEヘビー級GPに出たことでDSEは莫大な収益を上げましたから、『ハッスル』の投資は安いもんだったのかもしれません(笑)。
    中村 小川さんとプロレスの話をしてみると、WWEが大好きなんですよね。だから『ハッスル』は乗りやすいコンテンツだったんじゃないかな、と。小川さん本人としても新日本プロレスではないステージで、新たなプロレスの実績を作っていこうとするモチベーションは凄く高かったことをおぼえてます。小川さんの意見も会議で取り入れられていくので、新たな刺激を持って臨める場だったんじゃないですかね。
    ――小川さんは先頭に立っていろいろやりましたよね。 
    中村 小川さんは本気で世間にアピールしていこうとしてましたよね。そこは猪木イズムっていうんですかね。対世間というものを意識して「あの小川さんがここまでやるの?」って我々スタッフも引っ張られていきましたから。作/アカツキ
    ――でも、中村さんの立場からすれば「これはちょっと……」という企画は多かったんですよね。
    中村 プロレス側の人間だったので、即答でイエスと答えられないことが多かったんですよ。「ここまではできますけど、そこはどうでしょう?」と変にプロレスを守ろうとしてしまった。そこで「プロレスと名乗らないのであればできます」と。だから『ハッスル』は「ファイティングオペラ」を名乗るようになったんですよ。
    ――劇的に変わったのは、『ハッスル2』に高田総統が登場して、ハッスル軍vs高田モンスター軍の構図ができてからでしたね。
    中村 『ハッスル1』は高田本部長のままだったけど。
    ――高田延彦として小川さんと橋本さんと乱闘してたんですよね。高田総統が初登場した横浜アリーナは、あまりにも意味不明すぎて冷えきってましたけど(笑)。
    中村 あの冷え切った感がのちのちの爆発に繋がると思うんですけどね(苦笑)。
    ――しかし、高田さん、「高田総統」の変身によくOKを出しましたね。
    中村 「このアイデアを誰が高田さんに言うのか」っていう問題はあったんですけど(笑)。ところが、実際に高田さんに話を振ってみたら即座に「やろう!」と。高田本部長のまま『ハッスル』に出るのは気持ちが悪かったんでしょう。「こっちのほうがやりやすい」ということで。
    ――高田本部長のままだと、逆にリアリティがないんじゃないかということですよね。
    中村 PRIDEも『ハッスル』も、どっちも得をしない。高田本部長と高田総統にキャラ分けすることに高田さんはノリノリで。小川さんもそういう路線に乗ったし、橋本さんも悪ふさげじゃないですけど、「俺はジュリー(沢田研二)みたいになりたい!」と(笑)。
    ――ハハハハハハハハハハ! さすが破壊王!
    中村 船頭たちがやると言った以上、ほかの選手もやらなきゃダメな流れになって。高田総統も最初は笑われていましたけど、『ハッスル』初の後楽園ホール大会『ハッスルハウス』からコツを掴んだ感じはありました。あの大会、20分でチケット売れ切れですよ。ファンからも大会内容を絶賛されて。
    ――それまでは大会場だったから熱がバラけてたんですけど、密度の濃い空間でやることで、ようやく『ハッスル』が弾けた感じはありましたね。1月4日の『ハッスル1』なんて、4日前の大晦日PRIDE男祭りの会場仕様のままだから悲惨な客入りだったんですけど(笑)。
    中村 『ハッスル1』のときは、4万人収容できるスタジアムバージョンですよね。7000人の観客発表だったけど、会場はスカスカだったじゃないですか。大晦日のPRIDEはギチギチに入っていたのにね。
    ――『ハッスル1』は新日本プロレスの東京ドームと興行戦争になりましたし、無謀にもほどがあるというか。
    中村 もちろん3日や5日にズラすことも考えたんですよ。挑戦するじゃないですけど、あえてぶつけたところはありましたね。
    ――そこはDSEが考えそうなことですよね。
    中村 『ハッスル』って、僕らのプロレスの基本的な考えと、DSEの希望をすりあわていくスタイルでやってたんですけど。キ◯ガイみたいに会議をさせられましたよ。1日10時間を週5回やってましたね(笑)。
    ――そんなに!(笑)。
    中村 なかなか決まらないわけですよ。要はDSEのプロレスチームは“プロレス素人”ばっかでしょ。プロレス学でいえば1時間で終わるようなことでも「こうはできないのか?」という話になって、ワガママな希望がガンガン出てくるんですよ。
    ――プロレスを知らないからこそ、良くも悪くも発想に限界がない。
    中村 あるときの会議なんて、写真集が持ち込まれて「インリン・オブ・ジョイトイで何かできないか?」と。そんなところから話が始まるんですよ?(笑)。
    ――ほぼ無茶ぶりから始まるんだから、1日10時間の会議は必要なんですね(笑)。いまでこそ「芸能人プロレス」のかたちは築かれてますけど。
    中村 インリンさんは最初は東海テレビマターの企画だったんじゃないかな。
    ――インリン様って最初はマネージャー的役割で試合をする感じじゃなかったですよね。
    中村 そこから話がどんどんと進んで「インリン本人は試合をしてもいいと言っている」と。でも、僕らからすれば「プロレスをナメるな!」っていう話になるんですけど、運営側は「これはプロレスではない。ファイティングオペラだ」と。
    ――でも、リングでやることはプロレスですよねぇ。
    中村 そうそう(笑)。リングに上がる以上、危険を伴う。ましてやインリンさんのビジュアルを保つためにヒールを履いて試合をする、と。ピンヒールだとマットに食い込むから「ヘタしたら足首を折れますよ」と言ったんですけど。
    ――ヒールを履いてプロレスって、インリン様ってけっこう高度なことをやってるんですよね。
    中村 だから改良に改良を重ねて、プロレス専用のヒールを開発してね。
    ――プロレス専用のヒール! お金をかけるなあ(笑)。
    中村 それにインリンさんがよく練習した。プロレスに没頭してた。そこは凄いなって思いました。で、そのインリンさんを世の中にどう打ち出すかってなったときに、これはボクが発案者のひとりなんですけど、大きなニュースにしたければ小川さんに任せるしかない、と。
    ――それで小川直也vsインリン様が実現したんですね。
    中村 「ありえない」ことをやるのが『ハッスル』でしょう、と。小川さんは即答でOK。あとはどうケガをさせないかを考えると、インリンさんと小川さんのシングルマッチはできないじゃないですか。運営側がボクの顔を見て「素人さんができるなら、プロレス団体の人間ならできるよね」ってことで、僕も試合に出ることになって。
    ――ありえないことをやるのが『ハッスル』!(笑)。
    中村 運営側の提案に「NO!」と言える隙はなかった(笑)。2vs2でも成立しないということで最終的に3vs3。小川さんとインリンさんの試合を成立させるための兵隊がそれぞれ2人ずつ。
    ――それでインリン様、アリシンZ、ダン・ボビッシュvsHikaru、中村カントク、小川直也の6人タッグマッチになった。同じ“素人”の中村さんが入ることでバランスを取ったんですね。
    中村 リングでボクが一番最初にインリンさんと戦ってるんですよ。携帯電話のカメラでインリンさんを激写するというね(笑)。
    ――どんなプロレスデビューなんですか(笑)。 
    中村 愛知県体育館のメインイベントで、素人のボクがどの面下げてリングに上がればいいんだって話ですよ。そこは葛藤したどころじゃなかったですよ、ホントに。
    ――プロレスの怖さをよく知ってるわけですもんね……。
    中村 最後はダン・ボビッシュにF5で投げられて、クルクルと宙を飛んだんですよ……。リングに落ちるとき怖いから手をついたら、両肩亜脱臼。
    ――うわあ……。 
    中村 本当に怖かったですよ。
    ――しかし、素人になんでそんな大技を……。
    中村 運営側は深く考えてないから(笑)。「早く治してください。次もありますからね!」ってそんな軽いノリかいって。
    ――あの試合で小川さんはインリン様にM字固めでピンフォール負けして、『ハッスル』の目論見どおり大きな反響がありましたね。
    中村 試合が終わった瞬間に対世間にアプローチできたなって思いましたね、そこは勝った負けたじゃなくてね。
    ――インリン様って奇跡が多かったですよね。川田選手に回転エビ固めでフォール負けしたときも、そのはずみで身体の一部であるムチを投げたら、見事にロープに引っかかってロープブレイクになったり。
    中村 あれはリング下のセコンドの誰かが、インリンさんが投げたムチをこっそりロープにかけておく、という話だったんですよ。でも、ムチを投げたらロープに見事に引っかかった。あれ、とんでもない確率ですよ。
    ――あとで『ハッスル』道場でロープに引っかかるか実験したら、一度も実現しなかったとか(笑)。芸能関係で言えば、狂言師・和泉元彌の参戦もワイドショーで毎日のように取り上げられましたね。
    中村 「空中元彌チョップ」のときですよね。
    ――参戦のきっかけも、DSE社員が和泉元彌の同級生だったとかで。そこから話が拡がるのもどうかしてるんですけど(笑)。
    中村 そうそう(笑)。和泉元彌さんもよく練習してましたね。『ハッスル』は人材にもお金をかけてましたけど、準備にもお金をかけてましたよ。
    ――どれもダラダラした試合にならなかったし、芸能人プロレスの基礎を作りましたよね。
    中村 しょっちゅう記者会見なんかで青山のDSE事務所に呼び出されていろいろやっていたし。事務所近くの喫茶店でモンスター軍に襲撃されたりしてね。
    ――それ、警察に通報されて大騒動になったんですよね(笑)。
    中村 DSEの社員がメチャクチャ怒られてましたよ(笑)。だいたいボクは素人なんですよ。「中村カントク」として野球のユニホームを着させられてオープニングアクトをやることだって、いま考えたらおかしな話なんですよね。ドリフターズのDVDを渡されて『8時だョ!全員集合』のオープニングダンスをおぼえろって命令されたりね(笑)。
    ――ハハハハハハ! 長州さんくらいですよね、運営側の要望をはねつけたのは。
    中村 運営側が長州さんを『ハッスル』に出したいと。その理由が長州さんに『ハッスル』ポーズをやらせたいから。そこに拘ってるんですよ。ボクは絶対にやらないと思ってたし、『ハッスル』ポーズをやるくらいなら長州さんは新日本プロレスに戻るくらいの人ですから。でも、長州さんはネゴシエーションを取っていけば聞く耳を持たない人ではない。なんだかんだあって、長州さんが『ハッスル』に出るときに、DSEの事務所で高田さん、小川さん、橋本さん、長州さんという4巨頭の顔合わせがあったんですよ。
    ――その顔合わせだけで金が取れます!(笑)。
    中村 一部の関係者以外はシャットアウト。もうね、張り詰めてましたね、空気が。凍ってましたよ。長州さんと高田さんは久しぶりの顔合わせ。小川さんと長州さんも浅からぬ因縁がありましたし。運が悪いことに高田さんの「泣き虫」という本が出てしまったんですよ。
    ――高田さん自身のプロレス史を振り返った本が、『ハッスル』開始直前に出版されたんですよね。その内容に多くの人間は“暴露本”と捉えて。
    中村 DSEの人たちは、ああいう本が出ることを知っていたのに、ひた隠しにしてたんですよ。
    ――中村さんが知ったのはどのタイミングだったんですか?
    中村 『ハッスル』旗揚げの記者会見の数日前です。
    ――酷い。本当に酷い(笑)。
    中村 こっちが『ハッスル』から引けないところまで引っ張って「じつはこういう本が出るんです」と。
    ――あの本の筆者は金子達仁であって、高田さんではないという言い訳ができましたけど……。
    中村 まあでも通用しないですよね(笑)。ゼロワンとしても、『ハッスル』から引いたほうがいいんじゃないかという話になって。それこそミスター高橋本の高田さん版じゃないですか。そんな高田さんが関わるなんて、プロレス界からすれば、とてつもなくイヤなイベントですよね。
    ――『ハッスル』ってプロレスマスコミからは徹底的に嫌われてましたけど、まあ当たり前ですよね(笑)。
    中村 一番嫌われてたと思うんですよ。でも、それすらも『ハッスル』でネタにしてしまうしかないんじゃないか、と。しょうがない、出ちゃうんだからって感じになって。
    ――そのあと『ハッスル2』の進行台本が流失した事件もありましたよね。『アサヒ芸能』に掲載されて。
    中村 あれも『ハッスル』が意図的にやったんじゃないかって思われるわけですよ(苦笑)。あの進行台本には事細かにいろんなことが書いてあって。『ハッスル1』のときから「こういったものを配るのはマズいですよ」とは言ってたんですけど。プロレス界ではありえないじゃないですか。
    ――そんな物騒なものを裏方全員に配ってたんですね(笑)。
    中村 「これ、回収するんですか? 家に持って帰られたら大変なことになりますよ」「そこまで言うならナンバリングを振って回収する」と言ったはずの台本が流失するという(笑)。
    ――ハハハハハハハハハハ! ズンドコすぎます(笑)。
    中村 ナンバリングしたところでコピーを取られたら犯人はわからないじゃないですか。「泣き虫」に続いて、それすらも『ハッスル』の流れに組み入れるしかないだろうってことになって。
    ――中村さんがリングで白紙の台本を叩きつけて、ウヤムヤにしてましたね(笑)。そんな出だし最悪な『ハッスル』に、あの長州さんがよく上がりましたねぇ。この記事の続きと、ハッスル誕生と崩壊、スティング、KEI山宮、藤波辰爾、さくらえみとアイスリボンなどがまとめて読める「12万字・詰め合わせセット」はコチラ 
  • ミャンマープロレスの軌跡/橋本真也と新日本プロレス、決別の理由■中村祥之インタビュー

    2016-02-21 15:05  
    108pt
    ゼロワンを作った男・中村祥之インタビュー第2弾。通称1・4事変で新日本内で立場を失った橋本真也、商品価値を見切った新日本プロレス。両者の思惑が一致するかたちで新団体構想が浮かび上がり、ゼロワンは船出する。ところが意外な理由で破壊王と新日本は決別……そして新日本から出向していた中村氏は「人生の分岐点」と振り返るゼロワン残留を決意するのであった。中村氏が手がけたミャンマープロレスについても語っています!16000字のロングインタビュー。前回のインタビューはコチラ!【負けたら即引退試合SP、過激な舞台裏】中村祥之「新日本プロレスはあのとき橋本真也がいらなかったんです」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar940189■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■【Dropkickベストインタビューセレクション】・木村浩一郎 90年代・灰色の狂気――「FMWとリングスで俺はこの業界をナメてしまったんですよ」 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar569058・塩崎啓二 元レフェリーの衝撃告白「私はPRIDEで不正行為を指示されました……」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar503790
    ・矢野卓見 ヤノタク、堀辺正史と骨法を語る――愛と悲しみの17000字インタビューhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar483646・山本宜久 「ヒクソンと戦ってるとき、放送禁止用語が聞こえてきたんですよ…」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar676442・小原道由 新日本最恐「石澤が止めなかったら、俺は◯◯を殺していたでしょうね」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar707484

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    中村 わかりました。ネパールでは何度もプロレスのイベントをやってきたんですけど、ミャンマーは今回が初めてで。きっかけは2年前からビジネスでミャンマーに行き続けてて。同地にプロレスを根付かせて、タイガーマスクを作りたかったんです。孤児のために戦ってるタイガーマスクを原作どおりマンガにして、そこからアニメ化したいな、と。 
    ――プロレスをやるにあたりミャンマー現地の協力者はいたんですよね?
    中村 向こうにヤンゴンプレスという日本語新聞を初めて作った64歳の方がいるんですよ。あと日本に20年間住んでいたミャンマー人もいるんですが、彼は闘魂三銃士世代で「ボクを支えてくれたのはプロレスなんです!だからミャンマーでもプロレスをやりたい」と言うんです。
    ――ミャンマーでプロレスはどれくらい浸透してるんですか?
    中村 向こうでWWEが中継されるようになって1年くらい経っていて、若者のあいだで人気があるんですよ。だから「プロレス=レッスルマニア」という頭があるので「プロレスをやるならこの会場だろ」って6万人が入る会場に連れて行かれたんです(笑)。
    ――「さあレッスルマニアをやろうぜ!」(笑)。
    中村 「ここでも小さいなら別の会場もある」って紹介されたのは10万人のサッカースタジアムなんですけど(笑)。
    ――ハハハハハハハハハハ! 今度は北朝鮮「平和の祭典」規模(笑) 
    中村 ミャンマーの国技はミャンマーラウェイなんですけど、それですら4000人の会場は埋められないんですけどね。普段ラウェイをやってる会場だったらすぐにできるんですよ。でも、闘魂三銃士ミャンマー人が「ボクの中でのプロレスは違う」と。東京ドームや両国、武道館クラスの会場でやるのがプロレスだというイメージがあるみたいなんですね。
    ――さすが90年代のプロレス者、面倒くさい!
    中村 最終的に1万人くらい入るミャンマーの国立競技場でやろうということになったんですけど、そこは一般にはなかなか貸してくれないんですよ。でも意地でもやるぞということで実際に使えることになったんですけど、最近ミャンマーで政権交代が起きたじゃないですか。
    ――あ、スー・チーさん!
    中村 政権が変わったら国立競技場を一般には貸さないという話になっちゃったんですよ。こっちは政権交代前から申し込んでいるのに。
    ――というと、中村さんはミャンマーの選挙の結果を一番心配してた日本人だったんですかね。
    中村 凄く気になってましたね(笑)。選挙で旧政権が大敗したじゃないですか。向こうの人に「大丈夫?」って聞いたら「大丈夫じゃない!」って。そこからずっと後手後手に回ってしまって「もう延期しようよ」と言ったら、メンツが立たないと。それでいろいろと動いて2週間前くらいですよ、正式に開催が決まったのは。
    ――田村潔司の参戦が話題になりましたね。
    中村 別件で山口(日昇)さんと話をしてるときに「ミャンマーで和のプロレスをやりたいんだ」と言ったら「和といったらタムちゃんじゃない〜?」って言い出して。
    ――和といえば田村潔司って全然ピンとこない(笑)。    
    中村 去年の9月頃から話をさせていただいて。「田村潔司が出てくれるわけない」と思ったし、田村さんには年末(RIZIN)の話も来ると思ってたんですけど、トントン拍子に話が進んで「じゃあ行きますか」と。それにミャンマーの人にプロレスをやるとお金を稼げるんだよってことを教えたかったので、田村さんのお弟子さんにプロレス教室をやってもらうという話もあるんですよね
    ――U-FILE CMAPミャンマー支部ですか(笑)。
    中村 そういえば、チケットは昨日ミャンマーに到着したんですけどね。
    ――日本からチケットを送ったんですか?
    中村 向こうでチケットで手配すると、増して印刷するんですよ。要は1000枚頼んだのに、勝手に1000枚刷って売り始めちゃうんですよね。
    ――現地で手配すると二重チケットになりかねないんですね。
    中村 だから日本で印刷して輸送したんです。送料だけで6万円もかかりましたけど(笑)。
    ――どれくらいお客を呼べる計算だったんですか?
    中村 さっぱりわからないです。昔の新日本じゃないですけど、ロサンゼルスの3万人の会場で興行をやったときなんて、蓋を開けたら400人しかお客がいませんでしたから。
    ――えっ、ロスの「平和の祭典」ってそんな悲惨なことになってたんですか!?(ちなみにこの豪華メンバーが出場→http://www.asahi-net.or.jp/~YF7M-ON/memo24.html)
    中村 慌てて2000枚くらい招待券をバラ撒いたけど、全然お客さんが来なかった(笑)。
    ――400人だと大赤字ですよね。
    中村 いや、来たのが400人で実際に売れたのは100枚くらいですよ。
    ――えええええええ!?
    中村 ロサンゼルスってプロレス人気がないんですよ。それなのにやたら高いチケットを売ったんです。
    ――ズンドコだったんですね(笑)。ミャンマープロレスのチケットはどれくらいの価格なんですか?
    中村 VIP1万円、一番安くて2000円です。
    ――その値段、ミャンマーの物価的にはどうなんですか?
    中村 いやあ、高いですねぇ。ボクの中では最高5000円で一番安くて1000円で売りたいんで「1000円の席を作ってくれ」と言ったら、最下層の人間が入っちゃうからダメだと。向こうって金持ちが最下層と同じ空間にいることを嫌がるんですよ。そうしちゃうと金持ちが来ない。
    ――貧富の壁があるんですね。
    中村 ネパールでプロレスをやったときは最初は300ドルでも飛ぶように売れたんですけどね。でも、だんだんと売れなくなったので、一気に500円に下げたら4万人入ったこともありますよ(笑)。
    ――4万人!(笑)。
    中村 圧巻というか、その光景を見てるだけで幸せになりますよ(笑)。「ありがとう!」と言いたくなるというか。屋外の広場に4万人が集まって、入れない人は近くの家の屋根に登って見てるんです。そんなところからリングが見えるとは思えないんだけど(笑)。
    ――日本でいうと街頭テレビ時代のプロレスですね。
    中村 そんな感じです。力道山vsブラッシーの世界ですよ。ダイビングボディプレスやっただけで会場はドカン、しょっぱいドロップキックでもドカン。レスラーがリング上で悪いことをやり過ぎて暴動が起きましたし(笑)。
    ――そこは日本のプロレス史と同じ道を通ってますね(笑)。
    中村 椅子が飛び交いましたからね。それはアメリカ人レスラーがネパール人レスラーを立てなかったからなんですよ。アメリカ人レスラーが「俺は元WWEだぞ。こんなことできない!」と拒否してネパール人をバカにするだけバカにした試合をやっちゃったから。
    ――プロ意識がなかったんですねぇ。
    中村 そのあとボクがあいだに入って収拾を図ったんですけどね。最近はネパールの人たちもプロレスのことがわかってきてるんですけど、それでも本気で怒るんですよ。何か気に喰わないことがあると石が飛んで来るんです。
    ――すばらしい熱さですねぇ。
    中村 ネパールでもずっと続けたかったんですけど、向こうで震災が起きたじゃないですか。たいていの建物が壊れちゃって会場が使えないんですよ。だから「またプロレスをやるのは3年空けなきゃね」って言ったんですけど。ボク、ネパールでNGOを持っていて、代表者は向こうの女性なんですけど。その女性がネパールの女性大統領と親しくて「プロレスをまたやりたい」とお願いしたら、地震で壊れた国立競技場の改修工事を進めてくれることになって。4月16日にまたネパールでプロレスをやることになりました。
    ――国がプロレスを救ってくれたんですか!
    中村 そこは2万2000人の会場なんですけど、ひさしぶりのプロレスなんで、たぶんチケットは売れ切れます(笑)。
    ――凄い!(笑)。
    中村 最後にやったのが一昨年6月で、そのときは3500人の会場だったんですけど。パッと見た感じ、1000人くらいが会場に入れなくて怒ってましたし(笑)。
    ――ネパールでは人気コンテンツなんですねぇ。
    中村 向こうは娯楽がないこともあるんです。だって軍の警備も「プロレスが見たい!」って言ってきますからね。400人の兵隊がマシンガンを片手に会場を警備しながらプロレスを見てるんですよ(笑)。
    ――なんだか物騒すぎますね(笑)。
    中村 リングサイドは富裕層なんですけど、スタンドはガラが悪い客が多いんですよ。何かあるとすぐに暴れるからスタンド最前列にマシンガンを持った軍の警備が並んでるですよね。暴動が起きそうになると「シットダウン!」と叫んで銃口を向けるんです。あと木の棒で客をボコボコ殴ったりね(笑)。
    ――それだけ度を超えちゃう観客が多いってことですね。
    中村 ボクなんかが開会式でマイクでスピーチするんですけど、「貧乏人のミャンマーの皆様……」とか。
    ――そんな煽りを!(笑)。
    中村 「世界で一番貧乏なネパールになんで来なきゃいけのか。臭い、汚い、視界に入れるのも嫌だ!」とか言ったり(笑)。
    ――中村さんはネパールでは悪役なんですか?
    中村 大ヒールですよ。悪名が轟いてますね(笑)。
    ――ネパールの町とか歩いて大丈夫なんですか?
    中村 いや、ダメです。リングではサングラスを掛けてますから、普段は外してますね(笑)。
    ――サングラスって完全に王道ヒールですね(笑)。
    中村 それでも町中を歩いていると「ナカムラ?」って聞かれるんですけど、「アイム・チャイニーズ」って答えて誤魔化してますね(笑)。今度ネパールの大統領官邸に表敬訪問もするんですよ。その代わりレスラー全員スーツを着てくれって言われてて。
    ――ネパールで一番人気のあるレスラーは誰なんですか?
    中村 昔はヒマラヤンタイガーだったんですけど。もう61歳なんで。
    ――えっ、ヒマラヤンタイガーって61歳なんですか!(笑)。
    中村 じつはおじいさんなんですよ(笑)。彼が現地でプロレス団体をやってたんですけど、2つに分裂しちゃったんですよね。ヒマラヤンタイガーが儲けを独り占めするようなおじいさんなんで。
    ――日本プロレス界黎明期と同じ流れ!(笑)。
    中村 歴史は繰り返すんですよね(笑)。ヒマラヤンタイガーの弟子だった子が離脱して新団体を作って、ヒマラヤンタイガーのほうがダメになって潰れちゃったんですよね。
    ――まさに日プロ状態(笑)。歴史を見れば何が起こるかわかるもんなんですね。ミャンマープロレスの模様は次回のインタビューでうかがわせてください!

    ――紆余曲折ありながら、橋本さんはゼロワンを旗揚げすることになりますが、あの時点で新日本と橋本さんの関係は切れていなかったんですよね。
    中村 ゼロワンの旗揚げ戦は、新日本プロレスの名前で両国国技館を借りてもらってたんですよ。ただ、NOAHさんからけっこうな人数のレスラーをお借りする手前、新日本が表に出るわけにはいかない。橋本さんもNOAHさんには「新日本とは切れました」と説明してましたから。
    ――それでも新日本傘下の団体ではあった、と。
    中村 新日本プロレスの衛星団体として、ゼロワンを活動させるという思惑があったんですよ。橋本真也というレスラーは新日本の本隊にはもういらないけど、もうひとつの物語を作るのはいいんじゃないか、と。それにゼロワンは新日本と違ってテレビ朝日の括りのない団体だから、自由にいろいろとできるわけですよね。
    ――そこの猪木さんのUFOと発想は近いんですね。
    中村 似てますね。新日本の上層部はゼロワンでもそういう考えがあったでしょうし、方向性が見えていたわけですよね。だから3月2日の両国国技館をやる前から、ゼロワン第2戦の会場として日本武道館も抑えてたんです。
    ――衛星団体としてやる気満々だった。
    中村  あのときたまたま両国も武道館もボクが営業担当だったんです。でも、新日本が表に立つことはできないから「ZERO-ONE広報 山口悦男」という名刺を作って動いてたんです。
    ――山口悦男さん!(笑)。
    中村 みんなわかってるんでしょうけど、「私は山口悦男です!」と(笑)。
    ――ハハハハハハハハハハ! メインイベントは三沢光晴&秋山準vs橋本真也&永田裕志という対抗戦で、試合後は小川直也、藤田和之らも加わっての大乱闘劇が話題を呼びましたが、新日本主導のプロデュースなんですか?
    中村 いや、すべて橋本さんです。そこは新日本が橋本さんに全権を預けたんです。あのときの橋本さんは目がイキイキとしてましたよ。自分しかできないことをやってる喜びと言うんですかね。NOAHさんとも話をしたのは橋本さんですし。新日本がやってるとなったらNOAHさんは協力はしてくれなかったと思うんですね。
    ――そうはいってもNOAHは新日本の影を感じてたんじゃないですか?
    中村 そこは三沢社長に大人の対応をしていただいたんだと思います。ただ、ゼロワンがテレビ朝日の管理下に置かれていないのは事実だったし、NOAHさんの日テレ中継が開始するのが4月だったので、タイミングはよかったんですよ。ゼロワン旗揚げ戦の3月はギリギリセーフ。
    ――つまりNOAHにもしがらみは何もなかったんですね。
    中村 あの当時、NOAHのリングで三沢社長と秋山さんはタッグを組んでなかったんですけど、「ゼロワンだったらいいよ」と。異例のタッグを組んでくれたのは橋本さんに対する三沢社長の御祝儀ですよ。ボクも“山口悦男”ながら「いまは新日本ですけど、のちのちZERO-ONEに合流します」とNOAHさんに挨拶してるんですけど(笑)。
    ――本当にゼロワンに合流する考えはあったんですか?
    中村 あのときは正直そんなことは考えてなかったんですね。あくまで新日本からの出向という立場だし、橋本さんが社長の団体って怖いじゃないですか(笑)。
    ――ここまでの経緯を振り返ると、ちょっと飛び込みたくはないですね(笑)。
    中村 橋本さんのことはひとりのレスラーとしては尊敬してますけど、経営者としてはいかがなものか……って(苦笑)。だから願わくば新日本とゼロワンはずっと繋がっていてほしいな、と。
    ――ゼロワンへの出向を拒否することはできなかったんですか?
    中村 じつはあのときゼロワンの法人格を取得してるんですよ。有限会社ゼロワン。橋本さんが代表で、そのとき新日本からゼロワンに行くスタッフはボクじゃなくてWさんだった。
    ――武藤(敬司)さんと全日本に移籍してW−1をやったり、そのあとK−1広報を務め、現在は再び新日本に戻っているWさん。
    中村 Wさんがゼロワンのフロントトップという話が決まってたんですけど。3月2日の旗揚げ戦のあとに新日本と橋本さんが揉めるんですよね。理由は旗揚げ戦で橋本さんがガッチリ儲けちゃったから。
    ――あらまー(笑)。両国国技館、超満員でしたもんね。話題性もありましたし、たしかゼロゼロ年代以降の『週刊プロレス』で一番売れたのは、あのときの詳報号だったとか。
    中村 新日本としては「興行の売り上げを新日本に入れろ」と。橋本さんは「これは自分でやった興行だから嫌だ。会場の使用料、選手のギャラは渡す」と。しかも橋本さんは、盛って返したんですよ。でも、新日本は全額じゃないとダメだと。
    ――それは揉めますねぇ。
    中村 でも、有限会社ゼロワンの代表取締役は橋本真也だから。
    ――法的には橋本さんに分がありますね。
    中村 あの興行が5000〜6000人しか入ってなかったら、あんなに揉めることはなかったんですよ。それがとてつもない人数のお客さんが入って、チケットは完売。PPVもバカ売れですよ。ボクの記憶だと、あの日の売り上げは8000万円くらいありました。
    ――8000万円!
    中村 当日券の行列が両国から駅まで伸びちゃって、対応が間に合わなくて両国国技館から怒られちゃいましたから。まだけっこうな人数が並んでるのに「申し訳ないですけど、チケットは売れ切れです!」ってお客さんに謝りましたからね。それでなんだかんだ経費を除いても4000万円は手元に残ったんですよ。
    ――新日本としては衛星団体としてやるはずだったのが計算が狂いますよね。
    中村 ゼロワンの株式を新日本が全額買い取るという話もしてるし、橋本さんと年間契約をし直すという案も提示もされたんですけど。橋本さんはNOAHさんとの交流が始まってるからそれはできない、と。それに「引退までさせられて何を言ってるんだ」と溝は大きくなってしまって。ボクは毎朝、当時新日本の社長だった藤波さんに橋本さんの言い分を報告して、お昼には橋本さんに藤波さんの考えを報告する。伝書鳩で行ったり来たりしてましたね(笑)。
    ――嫌な役回りですねぇ。
    中村 藤波さんは橋本さんのことをよく考えていてくれて「橋本のためにはこうしたらいいんだ」と言うんですけど、橋本さんは「俺なら新日本と離れてもできる!」と意気込んでいて。
    ――両国の大成功で橋本さんの野心が燃え上がってしまったんですねぇ。
    中村 交渉が物別れになりつつある中、新日本は「今度の武道館大会を手伝うわけにはいかない」という方針が決まったんです。その時点でWさんの出向プランも消えた。ゼロワンは新日本から一切援助は受けられなくなったんですが、ボクはNOAHさんとの約束もあったから「日本武道館が終わるまではやらせてください」とお願いしたんですよ。会社も「おまえがそういう気持ちだったらしょうがねえな」ってことで宣伝カーも貸してくれて。新日本のロゴを隠して使いましたよ(笑)。
    ――山口悦男として(笑)。
    中村 ただし、そこで大問題が起きたのは新日本だけじゃなくてNOAHさんからの協力も難しくなってしまったんですよ。――何かトラブルがあったんですか?
    中村 4月1日からNOAHさんは日テレさんとの契約があるから自由には動けない。
    ――あー、日テレ中継が始まっちゃったんですね。
    中村 それに日本武道館はNOAHさんにとっては全日本プロレス時代からの聖地じゃないですか。NOAHですらまだ武道館はやってないのに、なんでゼロワンの武道館大会に協力を……という気持ちが少なからずあったと思うんです。
    ――そこまでしてゼロワンの協力する道理があるのかってことですね。
    中村 あと武道館もスカパー!のPPVでやろうとしたんですけど、NOAHさんの選手が出た試合に関して、映像の権利は日テレに戻さないといけないという条件だったんです。スカパー!としてはそれは納得がいかないということで話が止まってしまった。だからNOAHさん絡みのカードはなかなか発表できなかったじゃないですか。
    ――三沢光晴&力皇vs小川直也&村上和成のカードは、メインイベントなのにギリギリの発表でしたね。
    中村 それは映像権利の問題があって発表できなかったからです。そこで交渉を重ねて重ねて重ねて、大会前日か前々日にまとまって。ようやくそのタッグマッチを発表したら、当日券だけで5000枚売れましたね。
    ――5000枚!(笑)。
    中村 当日券ですよ?(笑)。前売りは4000枚で止まってたんですけど。
    ――三沢vs小川の初対決ですから刺激的でしたよね。
    中村 3月2日の旗揚げ戦で小川さんと三沢社長がリング上で絡んで大騒ぎになったじゃないですか。三沢社長と小川さんがやることがセンセーショナルだと思ったんです。三沢さんは「とにかくテレビの問題だけはクリアしてくれ。こっちは逃げも隠れもしないし、どんなカードでもやるから」って。三沢さんの器量は凄いですよ。
    ――当時の小川直也って不穏試合の印象が強いから、あまり絡みたくない相手ですよね。
    中村 誰もやりたがらないじゃないですか。でも、三沢社長は「なんでもいいよ」と。
    ――あそこで力皇選手をパートナーに持ってきたセンスも抜群ですよね。
    中村 あの試合で力皇さんが開花したじゃないですか。三沢社長は力皇さんの当たりの強さ、受けの強さを見ぬいて起用したんだと思うんですね。
    ――そうして武道館大会もまた儲かっちゃったわけですね。
    中村 新日本に呼ばれて「今回の興行はどうだった?」「前回ほどではないですけど、利益は出ました」「わかった。ゼロワンを手伝うのはここまでだ」と。この記事の続きと、中村祥之、中井りん、光GENJI山本淳一、北岡悟、追悼ケビン・ランデルマン、大沢ケンジ×礒野元などが読めるお得な詰め合わせセットはコチラ 
  • 【負けたら即引退試合SP、過激な舞台裏】中村祥之「新日本プロレスはあのとき橋本真也がいらなかったんです」

    2016-01-01 00:00  
    100pt
    新日本プロレス、ZERO-ONE、ハッスル、超大花火プロレスを作ってきた男、中村祥之ロングインタビュー。長州力の運転手から始まった中村氏のプロレス業界歴は、新日本の猛烈営業部隊の一員として全国を飛び回り、その後は破壊王・橋本真也の片腕となりゼロゼロ年代をかき回して、いまに至る。裏も表も知り尽くした中村氏の17000字にも及ぶ今回のインタビューでは、栄華を極めた90年代新日本バブルの実態、エースだった橋本真也が新日本に見捨てられるまで……を語っていただいた!■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! par23は大好評インタビュー9本、コラム6本、10万字で540円!!(税込み)  試し読みも可能です!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar939606◯謙吾ロングインタビュー  スーパールーキーが見たリングスvsパンクラス仁義なき戦い血を血で洗う格闘技抗争劇――前田日明NKホール襲撃事件の闇がいま語られる!◯小佐野景浩のプロレス歴史発見「天龍番」が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合――!!◯あなたはあの弱小団体をおぼえているか――レッスル夢ファクトリー90年代インディの夢と地獄!! 同団体代表の髙田龍が初めて口を開いた! ◯金原弘光のゼロゼロ年代クロニクル⑤ 格闘家は占い師に頼りたくなる!?6年間勝ち星なし、ファイターはここまで精神的に追い込まれてしまうのだ……◯キックファン待望の一戦は永遠にマッチメイクできない!? ライター高崎計三がキック初心者にわかりやすく解説! 「武尊vs那須川天心はなぜ実現しないのか?〜あるいは馬場イズムのキック公園〜」
    ◯1990年代新日本プロレス居酒屋トーク! 高岩竜一×田山レフェリーの理不尽とは何か?

    「先輩レスラーに呼びだされて飛んでいったら、『なんでもねえよ』ってぶん殴られるんですよ!」◯なぜ横綱は大晦日に再び挑むのか? そこには13年間にわたる怨念があった――曙インタビュー「プロレスファンの皆さん、俺と一緒に入場してください!」◯大沢ケンジ師匠の格闘技談義はUFCの女王ロンダ・ラウジーの敗戦を検証!なんとロンダはホーリー・ホルムにもう勝てない!?


    ◯業界楽屋トーク! 事情通Zの「プロレス 点と線」ヒョードルvsクートゥアは本当に動いていたのか/「東スポ」プロレス大賞/みんなが救われたNOAH最終決戦!!/潮崎豪NOAH登場/フジテレビの夢よもう一度
    ◯MMA Unleashed・ミルコ・クロコップ、13歳の息子を特訓中「私と同じサウスポーでね、クレイジーなハイキックを放つんだ」
    ・神秘のマクレガー〜引き寄せの法則とムーブメント・ドリル・コナー・マクレガーが仕掛ける同時多発的メンタルゲーム
    ・2015~2016年 UFCタイトル戦線総まくり!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar939606
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    「ハルク・ホーガンのギャラは7000万円ですよ。部屋にはフルーツも用意しておく決まり事もあって(笑)」――中村さんも取材を受けた『真説・長州力』ですけど、あの本にどんな感想をお持ちですか?
    中村 まだ全部は読めていないですけど。うーん、なんか長州さんが丸くなってるなって。丸くなったという表現が適切かどうかはわからないんですけど、「人間」になったなって。
    ――『真説・長州力』から「人間・長州力」が見えたんですね。

    中村 そうそう。長州さん、人になったなって。
    ――じゃあ、以前の長州さんはなんだったんですかね?(笑)。
    中村 昔は24時間1日じゅう、長州力を背負っていたというか。いまはオンとオフがあるんだなって。
    ――長州力というキャラクターを過剰なまでに演じていたという。
    中村 いまは家の外に一歩出たら長州力でいる部分と、吉田光雄でいられる部分が出てきたということですよね。
    ――長州さんがジャパンプロレスとして全日本プロレスに参戦していた頃、大学生の中村さんは長州さんの個人事務所リキプロダクションでアルバイトしてましたよね。そのときは吉田光雄の部分は見えなかったんですか?
    中村 あの頃はダース・ベイダーでしたよ(笑)。
    ――ハハハハハハハハハハ! 
    中村 ホントに。近寄れない。
    ――そんな暗黒卿と何か会話した記憶はありますか?
    中村 リキプロの頃は「はい」しか言えなかったんです。「いいえ」や「どうしてですか?」なんてことは口が裂けても言えなかったんですね。長州さんが口にするには「行け」「迎えに来い」くらいですし(笑)。
    ――中村さんは運転手のアルバイトをやってたんですよね。
    中村 ボクの知り合いが「車付きのアルバイトがあるよ」と。学生だから車なんか買えないじゃないですか。面白そうだなと思って面接に行ったらそこに長州さんがいたという。
    ――プロレス関連の仕事につきたいというわけではなかった。
    中村 全然全然。リキプロダクションは恵比寿のマンションにあったんですけど。部屋に入ると昼間なのにカーテンが閉まっていて、薄暗い照明がついてるだけ。そこにサングラスをかけた長州さんがいるんですよ(笑)。
    ――ダース・ベイダー!(笑)。
    中村 長州さんの姿を見たその瞬間、固まりましたねぇ。
    ――長州さんの人間嫌いな部分が全面に出ている感じですね。
    中村 あの頃の長州さんはとにかくマスコミに追っかけ回されていたんですよね。プロレス界では時の人で、プロレスマスコミが事務所に押しかけてくることが多かった。基本的に長州さんのマネージャーがさばいてはいたんですけど、マネージャーもずっと事務所にいるわけではない。ボクたちみたいなアルバイトだと隙があるじゃないですか。その隙に事務所に入り込んでくるという。
    ――当時はマスコミも攻めの姿勢だったんですね。
    中村 長州さんがガングリオンで欠場したときは『東スポ』の若い記者が3日間くらい張り込んでいたりしてましたからね。長州さんの自宅マンションにも張り込んでいた。 
    ――そこまで追っかけ回されると人嫌いにもなりますね。
    中村 と思うんですよね。ずっと監視されてるわけですから。心が休まるときがなかったんじゃないですか。そうしてボクは「プロレス界はこういうところなんだ」って言葉ではなく実地体験でおぼえていきましたね。
    ――長州さんに怒られたりしたことはあったんですか?
    中村 長州さんに怒鳴られたことは……リキプロのときはないですね。うん。ボクは長州さんに対して失敗はしてないです。ドライバーをやってただけですから。
    ――長州さん専属のドライバーなんですか?
    中村 長州さんが中心で、ほかにジャパンの選手でも長州さんに言われたら、という感じです。長州さんはその頃、BMW735という一番高いBMWに乗ってたんですよ。電話付きで。
    ――80年代で電話付きはヤバイですね(笑)。
    中村 そんな車に乗るってのはステータスじゃないですか。いつ長州さんから連絡があるかわからないから、家に車を乗って帰って24時間いつでも迎えにいけるようにしてたんですよ。だから大学にもそのBMWで通学して(笑)。21歳でそんな車に乗れるってことでバイトを続けてたところはありますね。
    ――優越感に浸れるというか。
    中村 優越感、優越感(笑)。お金じゃなくて夢のような世界に身を置いてるという。
    ――そのうち長州さんとジャパンプロレスはゴタゴタしてきますよね。
    中村 ボクが入った頃からギクシャクし始めてて。でも、ギクシャクしてる意味がわからなかったから。ジャパンプロレスは知っていたけど、リキプロという長州さんの個人事務所があることも知らなかったし。そこでグッズなんかを売っていたわけですよ。長州さんの貯金箱やトレーナーとか。
    ――やっぱり相当売れたんですか?
    中村 通販は梱包だけでも忙しくてそれだけで1日が終わってましたよ。あの頃は現金書留だったんで、それが束になって事務所に毎日届くんです。それを空けて宛名書きをして、グッズを梱包して、郵便局に持っていく。1日に何回も郵便局と事務所を行き来しました。そのグッズの売り上げだけで相当なもんだったし、事務所の人間が食べていけましたからね。
    ――リキプロのスタッフは何人いたんですか?
    中村 ボクを含めて5人。4人だと忙しくて人手が足りないからボクを入れたわけですから。
    ――リキプロだけでもけっこうな年商があったんですね。
    中村 グッズをプロレスショップに運ぶだけでも一日何往復。リキプロの業務が忙しくて全日本プロレスさんの会場に数回した行った記憶がないんですよ。そのあと長州さんがガングリオンで休んで、いつのまにか新日本の両国に長州さんが乱入して。
    ――運転手いえども離脱騒動はわけがわからなかった。
    中村 わからなかった。「迎えに来い」「ここで降ろせ。待ってろ」「帰るぞ」の世界ですから。あとになって「そういうことだったんだな」って。で、長州さんが新日本プロレスに復帰したあと、ボクは大学4年の6月でリキプロダクションをやめてるんです。それは新日本に長州さんが戻ったことで、事務所がプロダクションとして機能しなくなったからなんですよね。
    ――権利も含めて新日本に集約されていったということなんですね。
    中村 ボクは事務所で一番若かったんで「おまえももういいだろ」ってことでやめることになって。そうしたら当時の新日本プロレス営業部長だった上井(文彦)さんに誘われたんですよ。もともとアルバイト時代から面識はあったんですけど、「新日本で営業のアルバイトしないか?」と電話があって。ちょうど夏休みだったし、上井さんはわざわざ自分の母親に代わって「息子さんのことはちゃんと面倒を見ますから」と話をしてくれて。親も夏休みのあいだくらいはいいかなってことで。そこが縁でズルズルといまに至ってるんですけどね(笑)。
    ――上井さんは中村さんを新日本の社員にするつもりだったんですかね。
    中村 そうですね。「ワシが面倒を見てやるからな」ってことは言ってくださいましたね。
    ――当時の新日本の営業は人手が足りてなかったんですか?
    中村 興行数のわりには人がいなかったんですね、たしかに。当時の地方巡業はほとんど自主興行だったし、年間でなんだかんだで130興行近くはやってましたから、その数を4〜5人で回すのは至難の業。しかも当時はそこまでプロレスに爆発的な人気はなかったですしね。切符を売るのが大変でしたから。
    ――「冬の時代」と言われてましたね。
    中村 最初は上井さんのサポートから始めたので、西日本、九州の担当が多かったです。だいたい興行のある30日から35日前に現地に乗り込むのが通常のパターン。そこから興行当日の1ヵ月間、ビジネスホテルに泊まりながら宣伝と切符売り。大学4年の夏休みから27歳までの5年間は、1年で340日くらいは出張してましたね。それはボクだけじゃなくて営業マンは全員そんな生活スタイルでしたけど。
    ――自宅で寝ることなんかないという。
    中村 シリーズが終わるといったん会社に戻るんですよ。そこで切符が何枚売れて、経費はどれくらい使いましたとか精算する。そうして次のシリーズの切符とポスターが用意されて、その中から担当地域をチョイスされるんです。それは恐怖ですよ。たとえば山口県から帰ってきたばかりなのに、その隣の広島県とか。東京に戻ってくる必要はなかったんじゃないかって(笑)。
    ――精神的にイヤになりますね(笑)。全国を回るから観光気分に浸れるときもないんですか?
    中村 いろんなところに行ってるのに観光名所は全然見てないんですよね。営業で行ってるのに観光しても仕方ないじゃないですか。
    ――休みはあるんですか?
    中村 休みは自分で作るもんだと言われましたけど。現地のお客様との付き合いも多くて、その交流ツールとしてゴルフを使いましたね。お客様との距離感を埋めるために、ボクは23歳の頃に上井さんに連れられてゴルフを始めて。上井さんはあのとき35歳か。上井さんは35歳でゴルフデビューして。関東だと土日にゴルフをするじゃないですか。田舎に行けば行くほど、土日にゴルフしないんですよ。
    ――土日だと割増料金になりますし、タニマチには平日に時間が空いてる方が多そうでうね。
    中村 そうそう。平日に朝7時に「いまから道具を持って来い」と。お客様にゴルフ代を全額出してもらって、一緒に遊んでもらってるわけですよね。そういう付き合いを重ねることで切符を買ってもらったり。
    ――当時はプレイガイドだけの売り上げでは成り立たない世界だったんですか?
    中村 あの当時はプレイガイドで売れることはなかったです。当日券で15〜20万円売れればいいかなあ、と。だから毎日飛び込みでもいいからチケットを売ろうとしてましたよ。売らないとホテル代も出ないし、飯も食えないから。
    ――プロレス中継がゴールデンタイムから離れていましたし、世間への訴求力が失われていたんですね。
    中村 何をしても響かなかった時代ですよね。ある田舎を「ブレイジング・チェリーブロッサム・ビガロ」というシリーズ名を叫んでる田中ケロさんのテープを流しながら、宣伝カーを走らせていたことをいまだにおぼえてる。「世の中にビガロは関係ないだろ……」と思いながら(笑)。
    ――ハハハハハハハハハハ! 一番チケットが売れなかった興行のことは覚えていますか?
    中村 大学4年のときのアルバイト時代、長野県の駒ヶ根市で興行があったんだけど。大分県の営業から帰ってきたばっかで「行ってくれ」と。開催まで17日しかなかったんですよ。「何をやるかは九州に5週間いたからわかるだろ」と。でも、九州は上井さんのお客さんを引き継いで回れたからよかったんですよ。長野県に知り合いはいなかったですけど、「知り合いは自分で作れ」と(笑)。
    ――縁もゆかりもない土地に放り出されたんですか(笑)。
    中村 駒ヶ根市の天竜川沿いを毎日飛び込みで営業してましたね。結局、前売りで195枚しか売れなかったんですけど。この数字、いまだにおぼえてますよ(苦笑)。
    ――絶望的な数字ですねぇ。
    中村 その頃は猪木さんが巡業に帯同してたんですけど。駒ヶ根市の大会当日に「この大会の営業担当を猪木さんが呼んでるよ」と。
    ――もうイヤな予感しかしません(笑)。
    中村 当日券売り場にいたら、いまの新日本の菅林会長がニヤニヤしながら「祥之、猪木さんが呼んでるよ」と(笑)。で、控室に行ってみたら猪木さんにいきなり引っ叩かれたんです。
    ――ひえ〜〜(笑)。
    中村 「何をやってるんだコノヤロー!」って怒鳴られて。こんなガラガラの会場で試合をさせるのか、と。だから大学4年生のときには闘魂ビンタを受けてるんですよ(笑)。
    ――中村さんはアルバイト営業で仕事を始めたばかりなのに(笑)。当時はプロレスファンがこぞって見に来るようなものではなかったんですね。
    中村 いやいや、ザ・興行という意識ですよね。演歌歌手の興行に近い。ツールが宣伝カーとポスターしかないわけですよ。予算があるところはテレビスポットが打てますけど。
    ――90年代の坂口征二体制になってから、従来の興行システムが変わっていきますよね。
    中村 革新的に変わりました。時代に合ったものになっていった。
    ――それまで全国津々浦々でやってた興行スタイルをいわゆる大都市集中型に変えて。
    中村 興行を絞って集中してやろう、と。年間100くらいに落としたと思いますよ。
    ――営業の負担は減りました?
    中村 営業の負担は減ったというより、より集中して営業ができるようになりましたよね。あっちこっち行かずによくなった。それまでの興行は東京から始まって、西へ行ったら西からまた東京に帰ってくる。北も同じ。3週間あるならオフは1日だけでそのルートの中で興行を打ちまくってましたから。市町村の小さい体育館でもやってましたよね。
    ――だからなのか、古いプロレスファンって、足を運んだことのない土地でも体育館情報に詳しかったですからね(笑)。
    中村 あの頃は全女もあったけど、それこそ全女は空き地でもやってたでしょ。特設リング。半端じゃない興行数ですよ(笑)。
    ――そんな古くからの興行システムはどういう理由で変わったんですか?
    中村 坂口さんが新日本の社長になられたときに上井さんが営業本部長になって。上井さんは若いボクらとコミュニケーションを図って「どうしたら切符が売れるのか?」ということを絶えず話し合っていたんです。
    ――営業部全体で今後の新日本を考えていた結果なんですか。
    中村 上井さんはボクら若い子の意見を吸い上げて坂口さんに伝える。あの時代、新日本が伸びた要因はそこじゃないですかね。上井さんはアイデアの泉でしたよ。悪いことを含めて(笑)、思ったことをすぐに口にするから。思ったら行動に出ないと気が済まないんですよ。
    ――意見を吸い上げる坂口さんの存在も大きかったんですね。
    中村 あと猪木さんは毎日会社にいる人ではなかったけど、坂口さんは毎朝来られて夕方までいる方だったんですよ。だから坂口さんが社長になったあとは会社に緊張感がありましたよね。それに坂口さんには各地に知り合いが多いじゃないですか。社長自ら電話をしてくれて「営業の人間が行くのでよろしくお願いします!」と。それも凄く大きかった。社長自ら電話があるから向こうもいろいろとやってくれるんですよね。
    ――猪木さんはそういうタイプじゃないですよね。
    中村 あと武藤さんがWCWから帰ってきて闘魂三銃士が全員揃ったことも大きいですよね。
    ――武藤さんが凱旋帰国したときのNKホール大会は、新しい息吹を感じましたね。
    中村 あのNKホールは切符が売れましたよ。橋本さんと武藤さんのタッグマッチ対決。ファーストコンタクトの橋本さんのローキックで、武藤さんのヒザの靭帯が切れるという伝説の試合(笑)。
    ――あのシーンは強烈でした(笑)。その年の夏に後楽園ホール7連戦もチャレンジして。
    中村 『バトルホール・ア・ウィーク』。倍賞(鉄夫)さんが突然「後楽園で一週間やるぞ」ってそのタイトルを言い出して。あの興行は売れましたね。あそこからだと思うんですよね、新日本が上がっていったのは。地方でやるより東京のほうがいいだろうと。経費もかからないし、テレビ朝日も地方まで来てもらって収録してもらうよりは、大げさな話、1カ月分の収録ができちゃうじゃないですか。後楽園ホールで一週間やるってのは奇想天外で発想で、のちに両国国技館で一週間やるっていうとてつもない企画に発展していくわけですけど。
    ――そうして90年代のプロレス人気に火がついていくんですね。
    中村 いい時代でしたねぇ。でも、ボクはリキプロ出で外様なので、生え抜きって感じじゃないですか。あくまでリキプロから来た人という意識が消えなかったんですよ。あと上司の上井さん自体が出戻りなんで。その上井さんに入れてもらってたんで。
    ――上井さんは旧UWFから戻ってきたんですよね。
    中村 だから見えない大きな壁がありましたよね。内部なんだけど外注みたいな。「おまえ営業だけど、長州さんや上井さんのアレだろ」って感じで。
    ――営業という立場だと、レスラーと交流することはあるんですか?
    中村 ほとんど言っていいほど交流はなかったですね。当日レスラーに会場で試合をしてもらって帰ってもらうだけ。たまに打ち上げでご挨拶するけど、まず会場で口を利くことはない。
    ――営業畑の中村さんはどういうプロレス観があったんですか?
    中村 そこは凄くシンプルになって、自分のやることはひとりでも多くお客さんに来てもらうことしか考えてなかったです。どんな手を使おうと切符を売ることしか考えてなかったですね。2001年に新日本をやめてゼロワンに移る直前までチケットを売ることしか考えてなかった。プロレスの中身なんてまったく考えたこともなかった。
    ――営業の立場だとそういう考えになるんですね。
    中村 ただ、いま振り返ってみると、北朝鮮の「平和の祭典」を現地で見たことはけっこう大きい財産になってるなって。あのイベントは、猪木さん、倍賞(鉄夫)さん、永島(勝司)さんのラインじゃないですか。周囲は「お金を損をしてまでなんでやるの?」って冷ややかな感じで。外様のボクもどちらかというと冷ややかチーム。でも、あのときはなぜかわからないですけど、永島さんに頼んだんですよ。「北朝鮮に連れて行ってくれ」と。単なる営業マンが。
    ――北朝鮮に行きたい理由が何かあったんですか?
    中村 うーん……ただ、行きたかったんでしょうね。この機会じゃなかったら一生行けないような場所ですし(笑)。永島さん、ボクとは年齢は違うんですけど、同期入社なんですよ。永島さんが『東スポ』の記者から社員になったときにボクも新日本に入って。あと専修大学の先輩後輩の間柄ということで、名前をおぼえてもらってて。それで北朝鮮に連れて行ってもらった。そこからですね、プロレスに対する考え方が変わっていったのは。
    ――カルチャーショックを受けたんですか?
    中村 ショックもショックで。日本でいえば、5万人の東京ドームが最高の箱じゃないですか。北朝鮮のときは2日間で38万人。あの光景を見たときは腰を抜かしましたねぇ。あと我々のためだけに別の会場で10万人のマスゲームもやってもらったんですよ。
    ――ウエルカムパーティーが10万人のマスゲーム!(笑)。
    中村 アントニオ猪木、新日本プロレスという組織はここまでのことをやれる組織なんだ、凄いところに入っちまったなって。あの興行は結果的に新日本にとって大ダメージになったんですけど、あの絵はプレイスレスだと思いますよ。1億2億損したというかもしれないけど、はたして1億2億出したらあのマスゲームができるかといえばできないし。
    ――当時の新日本はかなり儲けていたイメージがあるので、1億2億は大金とはいえ、北朝鮮の失敗で切羽詰まってしまったのが意外だったんですよ。
    中村 結局、選手たちのギャランティが上がったからじゃないですかね。売り上げもよくなったというけど、ドン底から上がったくらい。たとえば500枚しか売れなかったところが800枚売れるようになった。ちょっと気持ちに余裕が出てきた程度で。ドーム興行をやっても大掛かりな演出をしてましたからね、お金をかけて。
    ――WCWとの業務提携で年間1億円近く払ってたんですよね。ファイトマネーは別で。
    中村 もう大笑い。スティングとか呼んでいたけど。
    ――nWo絶頂期にオリジナルメンバーをワンマッチだけのために呼んでましたよね。とてつもないことをやってるなって(笑)。
    中村 ハルク・ホーガンが来たときあったでしょ。
    ――グレート・ムタと福岡ドームでシングルをやったときですかね。
    中村 あとから聞いたんですけど、そんときのホーガンのギャラが7000万円。
    ――ええええええええええええええええええええええええ!
    中村 7000万円。
    ――そりゃ金もなくなりますね(笑)。
    中村 ホーガンを含めて関係者は全員ファーストクラス、ホテルはスイートルーム、部屋にはフルーツを用意してないといけないという決まりごともあったらしくて。プロレス界って凄いんだなって(笑)。
    ――所属選手の年俸もけっこう払ってたんですよね。
    中村 とてつもない金額だったんじゃないですか。億までいかないにしてもその半分は。
    ――安田さんにしても数千万クラスだったそうですし……。中村さんもけっこうもらってたんですか?この続きと、WJ屋形船、RENAの大晦日、中邑WWE、プロレス点と線、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「13万字詰め合わせセット」はコチラ