• このエントリーをはてなブックマークに追加

今なら、継続入会で月額会員費が1ヶ月分無料!

記事 2件
  • 【全日本プロレス編】アポロ菅原インタビュー「いま振り返っても何もできなかったんじゃないかな」

    2020-09-02 10:12  
    110pt
    国際プロレス、全日本プロレス、パイオニア戦志、SWS……昭和から平成にかけて様々なプロレス団体を渡り歩いてきたアポロ菅原インタビュー第2弾。アポロが見た80年代・90年代のプロレス界とは?【前回はこちら】
    アポロ菅原「国際プロレス最後の夜は、麻雀をやっていました」
    【1記事から購入できるバックナンバー】
     

    ・『ゴング』と東スポの元記者が語るプロレスマスコミ黄金時代/小佐野景浩☓寿浦恵一

    ・本当に強かったビックバン・ベイダー■金原弘光

    ・【最終回】サイモン・ケリー「IGFはパン屋になって、みんな幸せになった」

    ・追悼! 佐山タイガー最大の難敵・初代ブラックタイガー■斎藤文彦INTERVIEWS
    ――菅原さん! 前回のインタビューが好評だったので今回もよろしくお願いいたします。
    菅原 ああ、そうですか。期待に添えられるかどうかわかりませんけど(笑)。
    ――前回は国際プロレス崩壊までのお話を伺いましたが……全日本プロレス入団後、当初は本隊の一員として行動されてたんですよね。
    菅原 ヨーロッパ遠征に行くまではそうですよね。遠征に出るまで4年近くそうだったんじゃないですか。
    ――全日本でやってみて国際プロレスとの違いは何か感じましたか?
    菅原 そんなに大きくは感じませんでしたけどね。 あまり変わらない感じでしたよ。ただ、これはもう言ってもいいですけど、国際の巡業は外国人選手と一緒に移動してましたからね。
    ――敵陣営の外国人と一緒に行動する姿を見せることはご法度でしたね。
    菅原 途中からは分かれるようになりましたけど。全日本は日本人と外国人は別々でしたね。
    ――途中入団はやりづらくなかったですか?
    菅原 まあ、やりづらいかといえば、やりづらいですよ(笑)。ヨソからきてるわけですから。そこは気にしてもしょうがないなぁと思ってましたけどね。
    ――外様の扱いも受けたという。
    菅原 そういうことを気にしちゃうと「これもそういうことなのかな」って思っちゃうんですけど。自分は意外とそういう細やかさはないんですよ。「こういうこともあるさ」という感じで受け止めていましたよ。
    ――寮住まいではなかったんですよね?
    菅原 なので毎日道場には行ってなかったですね。道場に行かない日は遠藤(光男)さんのジムでトレーニングをしたり。あの当時の道場には越中(詩郎)さん、三沢(光晴)、(ターザン)後藤なんかがいて。自分だけひとり歳が離れてるんですけど、お互いに練習で頑張れたというか。
    ――切磋琢磨したわけですね。
    菅原 そういう格好のいい話ではないですけどね(笑)。でも、そういうことですよね。最初の柔軟運動から始めて、最後までキッチリやっていた記憶がありますよ。 
    ――プロレス団体ってどうしても派閥というか、グループができるじゃないですか。菅原さんはどなたと一緒に行動したんですか?
    菅原 いやあ、巡業でもだいたいひとりだったんじゃないですか。天龍(源一郎)さんや渕(正信)さんから、たまに飲みに誘われたりしましたけど。レスラーってあんまりつるまないんじゃないんですか。ホテルに入って少し休憩してから会場に向かって、試合をやってホテルに帰ってきて寝て。翌朝も移動で早いですからね、基本はやっぱりひとりで自由に過ごすんじゃないですかね。
    ――先輩レスラーの付き人をやってるような立場だと雑用で大変だけど、という。
    菅原 そうですね。たとえば越中さんなんかは馬場さんについてましたから、いろいろと大変だったと思いますよ。まあ付き人の仕事がなくても巡業中は自由な時間ってあんまりないんですよ。次の日が試合だったりしますから、たまに深夜2時ぐらいまで飲むことはありましたけど。たまには、ですよ(笑)。
    ――国際プロレスと比べてお客さんを入ってましたよね? 
    菅原 それはもう入ってましたね。 国際プロレスと比べたら数段上ですよ。やっぱり、できればたくさんのお客さんの前で試合したいですからね。そういう面では、やりがいはありましたね。もちろん国際プロレスのときもやる気はありましたよ。やっぱり自分の身体が商売道具ですから、お客さんが少なくても真剣に試合はやったし、試合に備えてトレーニングをやってましたしね。
    ――4年近く全日本で活動されている最中、ヨーロッパ遠征に出るわけですね。
    菅原 あれはどういう流れなんでしょうね。突然という感じではありましたね。先にヨーロッパ遠征に出た鶴見(五郎)さんを自分が追っかけるようなかたちで。
    ――ヨーロッパ遠征は乗り気だったんですか?
    菅原 もともと海外修行の願望は持ってました。あとからの話なんですが 、上田(馬之助)さんが「靴とパンツだけで世界中で商売できるのはプロレスラーだけなんじゃないか」と。「そのとおりですね」って感心したんですけど。
    ――初体験となったヨーロッパのプロレスはいかがでしたか?
    菅原 ラウンド制は日本のプロレスとは違うもんだんだなあと思いましたよ。プロモーターから「2ラウンドまではやって3ラウンドで勝負を決めてくれ」みたいな話もありましたからね。 そういうところは日本とは一緒なんですよ。 日本にも10分なら10分という単位があるわけじゃないですか。そこはヨーロッパも日本も変わらないくて、プロレスは仕事だということですよね。
    ――日本だろうがヨーロッパだろうが、お客さんをどうやって楽しませるかってことですね。
    菅原 向こうではボクは韓国人ということで試合をやりましたね。誰のアイディアっていうわけではないんですけど、 鶴見さんがゴロー・タナカという日本人だから、もう日本人は2人はいらないだろうと。向こうの人から見れば、韓国人も日本人もよくわかんないでしょうし(笑)。
    ――ヨーロッパのプロレスは一箇所にテントを張ってロングラン興行を行なうんですよね?
    菅原 そうですね。ひとつの場所にサーカスのような大きなテントを張っていて、巡業というより相撲の本場所と言ったほうがいいかもしれないですよ。1ヵ月くらいは同じ場所でやりますよね。オーストリアのウィーンで1ヵ月ぐらいやって、そのあと転々として、西ドイツのハノーバーで1月半ぐらいやってるはずです。
    ――同じ場所で1ヵ月近くやるのにお客さんがよく入りますね。
    菅原 それがそれなりに入ってるんですよ。リングに上がって選手紹介するときにお客さんから、おひねりが飛ぶんですけど。向こうでは3試合目、4試合目がメインイベントなのかな。たいていタッグマッチなんですけど、試合はけっこうヒートしますから、お客さん同士でお金を出したりするんですよ。「いまこのチームにいくらお金が入りました!」とかアナウンスされて。
    ―― いまでいうところの投げ銭ですね(笑)。やる気もどんどん出てきますね。 
    菅原 そうするとまたヒートしてね、現金が飛び交うところがありましたから楽しかったですよ。試合が終わったら、そのお金でホテルのバーで一杯やるわけですよ(笑)。
    ――船木誠勝さんがヨーロッパ遠征のときに腕試しの相手をさせられた、みたいなことを言ってましたけど。菅原さんはそういう経験はありますか?<会員ページへ続く> 
  • アポロ菅原「国際プロレス最後の夜は、麻雀をやっていました」

    2020-08-01 00:00  
    105pt
    国際プロレス、全日本プロレス、パイオニア戦志、SWS……昭和から平成にかけて様々なプロレス団体を渡り歩いてきたアポロ菅原インタビュー。アポロが見た80年代・90年代のプロレス界とは?【1記事から購入できるバックナンバー】
    俺と剛竜馬とパイオニア戦志12000字■松崎和彦インタビュー
    谷津嘉章、興行という灰色の世界を語る――「プロレスとヤクザ」嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!男たちのプロレス屋形船…友情とカネが砕け散ったWJ 
    ――アポロ菅原さんのプロレスラー半生を何回かに分けて聞かせていただきたいんですが、菅原さんは現在熊本にお住まいとか。
    菅原 そうなんです。今年の4月頃からですね。それまでは関東にいて。
    ――まだ現役ということなんですよね。 
    菅原 まあ、まだやめてはないことはたしかですけどね。ちょっとヒザを痛めてまして、リングに上がるということはいまは考えてないですね。
    ――菅原さんは高校からレスリングを始めましたよね。 あの頃のレスリングは日の当たるスポーツじゃなかったので、失礼ですけど変わり者がやるものというか……。
    菅原  いや、ホントに変わり者だったと思いますよ(笑)。中学生の頃に読んでいた『プロレス&ボクシング』の裏広告に鉄アレイやバーベルの通販が載ってたんですよ。60キロセットのやつを買って、それから身体作りが始まったんですけどね。 
    ――プロレスファンだったんですね。
    菅原 プロレスは大好きでした。プロレスラーになるためではなかったんですけど、身体は作らないといかんだろう。プロレスは無理だとしてもレスリングだったらうまくいくかもしれないなと。それで高校でレスリングを始めたんですが、隙間的なマイナー競技ですよ。 県内でも6つぐらいですよ、レスリング部があった高校は。
    ――プロレスとレスリングってまったく違いますよね。
    菅原 もう別物ですよね。 毎日練習練習で家に帰ってからもウエイトトレーニングは欠かしませんでした。 高校の練習だけでは他人より抜け出すことができなかったと思いますよ。 ボクは大学でレスリングをやったことがないからわからないですけど、高校に関しては力があったほうが絶対に有利です。 もちろん技術は必要なんですけども。 
    ――レスリングで大学に進む考えはなかったんですか?
    菅原 ウチの家は金銭的に余裕がなかったので、大学から誘いはけっこうあったんですけども。レスリングは3年間で充分だと。それで秋田から出て千葉の三井造船という造船所で働くようになったんですね。プロレスラーになろうなんて考えもなかった。
    ――転機となったのはボディビルダーの遠藤光男さんのジムに通うことになったからなんですよね。
    菅原 その前からジムで身体は鍛えていたんですよ。自分が住んでる場所から歩いて5分のところにボディビルジムがあったんですけど、それはもう身体を鍛えることが趣味みたいなもんで。当時ジムに通っていた方は人間的に迫力のある方が多くて。土建屋の社長とかね、ちゃんとネクタイを締めてるような人は少なくて。
    ――いまのようなアスリートっぽいボディビルダーはいなかったってことですね(笑)。
    菅原 だからなかなかの雰囲気でしたよ(笑)。練習が終わったらプロテインよりもビール。そういう世界ですよ。
    ――当時のプロレス界って10代でデビューするような世界ですけど、 菅原さんは25歳と遅咲きですよね。
    菅原 最初はプロレスラーになるつもりはなかったんですけどね。仕事が終わったあとによく麻雀をやったんですよ。だいたい3回ぐらいやって、誰かが泣きの1回を頼んで4回ぐらいやって。こういう生活も悪くはないけど……そういえばプロレスは好きだったけど、会場で見たことないんだよなと思って。新日本、全日本、国際を会場まで見に行ったんですよ。
    ――それで火がついちゃったって感じですか?
    菅原 自分がプロレス界に入ってからの印象はちょっと違うんですけど、お客さんとして見ている感じだと、前座だったらなんとかなるんじゃないのかなと思ったんですよ。
    ――メインクラスはともかく。
    菅原 そうなんですよね。それで25歳のときにプロレスをやってみようかと。遠藤会長に「プロレスをやってみたいんですけど」って相談したら「いいんじゃないか」と。会長は「どこの団体でも紹介できる」ってことなんですけど、会長は当時で国際でレフェリーをやってましたから。
    ――国際プロレスにしようと。入門テストはあったんですか?
    菅原 これがテストだというものはなくて、冬木(弘道)選手と一緒に入るかたちになって。冬木も何もなかったんじゃないのかな。 国際としてはとりあえず人数が多くなればいいんじゃないかっていう感じだったんじゃないですか。それでも道場ではかなり厳しかったですよ。「プロレスをやりたいんだけど」って入ってきても、1日シゴかれると翌日にはいなくなってますからね。
    ―― 菅原さんもキツかったですか?
    菅原 キツかった、と言わないといけないでしょう(笑)。
    ――ハハハハハハハハ。
    菅原 冬木のほうがガッツはあったのかもしれないね。 常に受身の練習。何十回どころか何百回も受け身を取るし、俺と冬木の2人で交互にボディスラムで投げあってね。若松(市政)さんが腕組みしながら「やれ」と。
    ――身体に染み込ませる。当時のリングってめちゃくちゃ固いですよね。
    菅原 練習のときはそうは感じなかったんですけど、国際プロレスのリングはいままで試合をした中では一番固かったですね。マットの下のスプリングが全然効かないから受け身をちゃんと取らないと本当に痛い。だから新日本や全日本でやったときは国際の経験があったので、まあ大丈夫だったんですよ。
    ――道場ではスパーリングもやるんですよね?
    菅原 やりましたよ。 普通に組んでもやったし、アマチュアのパーテールポジション(四つん這いの形)からもやったし。
    ――国際プロレスの経営ってかなり不安定でしたよね。
    菅原 金銭的にはキツかったですけどね。国際は本当にお金がなかったですからね。
    ――給料はどういう話だったんですか? 
    菅原 給料はなかったですよね。
    ――給料なし!?(笑)。
    菅原 はい(笑)。
    この続きと、RIZIN大好きさん問題、アポロ菅原、佐藤光留、サイモン最終回…などの8月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める「10万字・記事16本の詰め合わせセット」はコチラ
     
    https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1939779
    この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事90円から購入できます!