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記事 25件
  • 【記事詰め合わせ13万字】WJ屋形船、中邑WWE、中村祥之、RENA、Uインター地獄、ズンドコIGF

    2016-01-31 23:59  
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    ◉負けたら即引退試合SP、過激な舞台裏――!!
    中村祥之「新日本プロレスはあのとき橋本真也がいらなかったんです」
    90年代・新日本のエースだった男はどうして追いつめられていったのか? 禁断の小川直也戦の伏線はここにあった!
    ◉男たちのプロレス屋形船! 友情とカネが砕け散ったWJ
    髙田龍インタビュー
    WJの立ち上げに関わった男が語るマグマ団体と長州力
    「あのふたりはもう酒を飲めない関係になってしまったんですよ……」
    ◉「MMA?絶対に無理!!」未来へ飛んだRENA――!!
    シュートボクシング広報が語る大晦日出撃までの道のり!
    ◉恐怖のT寮長に震えろ! UWFインターナショナル地獄の寮生活■金原弘光のゼロゼロ年代クロニクル⑥
    ◉RIZINに燃えた川尻達也、興奮のあまりUFC緊急出撃! 
    故郷に想いを馳せる新年インタビュー
    ◉さらなる飛躍へ――堀口恭司、アメリカン・トップチームに移籍!! 師匠 KIDの男気も炸裂!
    ◉大沢ケンジ師匠の格闘談義は大晦日RIZIN! 「ロシアで最強幻想を取り戻せ!」
    ◉小佐野景浩のプロレス歴史発見、今回のテーマは秋山準!
    「全日本プロレスを二度は裏切れない……」大森隆男の取締役就任はジャイアント馬場が描いた未来予想図だった!?
    ◉好評連載!事情通Zの「プロレス 点と線」
    ・本当に怖いWWE――中邑真輔、電撃獲得か
    ・何をやってもズンドコだと思われるIGF大晦日
    ・【RIZIN来襲か】ヴァンダレイ・シウバの行方
    ・世IV虎、復帰の波紋
    ◉Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」
    ・米MMA記者が語るRIZIN観戦記:J-MMAの未来は見えたのか
    ・2015~2016年 UFCタイトル戦線総まくり!
    ・今が旬!萌えるジャパニーズ・ディーバASUKA、WWEで大ブレイク中!
    ・ユニフォーム違反選手続出、遅れるカード発表
    ・MMAは本当にクリーンになったのか/UFCでも相次ぐタレントによる不可解な謝罪
    ◉日本格闘技界の礎を築いたレジェンド中井祐樹先生が日常を綴る連載! 
    「東奔西走日記」
    ・12月15日〜31日編
    ・1月1日〜14日編
    ◉暗黒時代から新日本プロレスを見続ける二階堂綾乃がお送りするイラストコラム「オールラウンダーAYANO」
    ・アメリカでも中邑真輔のクネクネは浸透してる!?
    ・体育の授業にコンディショニングを!
    ◉格闘技ブログ「MMA THE ORANGE」の管理人がお届けする「MMAオレンジ色の手帖」! 
    ・プロフェッショナル 速報の流儀
    ・格闘技ド素人の母親と格闘技マニアの祖母が見たRIZIN
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    新日本プロレス、ZERO-ONE、ハッスル、超大花火プロレスを作ってきた男、中村祥之ロングインタビュー。長州力の運転手から始まった中村氏のプロレス業界歴は、新日本の猛烈営業部隊の一員として全国を飛び回り、その後は破壊王・橋本真也の片腕となりゼロゼロ年代をかき回して、いまに至る。裏も表も知り尽くした中村氏の17000字にも及ぶ今回のインタビューでは、栄華を極めた90年代新日本バブルの実態、エースだった橋本真也が新日本に見捨てられるまで……を語っていただいた!「ハルク・ホーガンのギャラは7000万円ですよ。部屋にはフルーツも用意しておく決まり事もあって(笑)」――中村さんも取材を受けた『真説・長州力』ですけど、あの本にどんな感想をお持ちですか?
    中村 まだ全部は読めていないですけど。うーん、なんか長州さんが丸くなってるなって。丸くなったという表現が適切かどうかはわからないんですけど、「人間」になったなって。
    ――『真説・長州力』から「人間・長州力」が見えたんですね。

    中村 そうそう。長州さん、人になったなって。
    ――じゃあ、以前の長州さんはなんだったんですかね?(笑)。
    中村 昔は24時間1日じゅう、長州力を背負っていたというか。いまはオンとオフがあるんだなって。
    ――長州力というキャラクターを過剰なまでに演じていたという。
    中村 いまは家の外に一歩出たら長州力でいる部分と、吉田光雄でいられる部分が出てきたということですよね。
    ――長州さんがジャパンプロレスとして全日本プロレスに参戦していた頃、大学生の中村さんは長州さんの個人事務所リキプロダクションでアルバイトしてましたよね。そのときは吉田光雄の部分は見えなかったんですか?
    中村 あの頃はダース・ベイダーでしたよ(笑)。
    ――ハハハハハハハハハハ! 
    中村 ホントに。近寄れない。
    ――そんな暗黒卿と何か会話した記憶はありますか?
    中村 リキプロの頃は「はい」しか言えなかったんです。「いいえ」や「どうしてですか?」なんてことは口が裂けても言えなかったんですね。長州さんが口にするには「行け」「迎えに来い」くらいですし(笑)。
    ――中村さんは運転手のアルバイトをやってたんですよね。
    中村 ボクの知り合いが「車付きのアルバイトがあるよ」と。学生だから車なんか買えないじゃないですか。面白そうだなと思って面接に行ったらそこに長州さんがいたという。
    ――プロレス関連の仕事につきたいというわけではなかった。
    中村 全然全然。リキプロダクションは恵比寿のマンションにあったんですけど。部屋に入ると昼間なのにカーテンが閉まっていて、薄暗い照明がついてるだけ。そこにサングラスをかけた長州さんがいるんですよ(笑)。
    ――ダース・ベイダー!(笑)。
    中村 長州さんの姿を見たその瞬間、固まりましたねぇ。
    ――長州さんの人間嫌いな部分が全面に出ている感じですね。
    中村 あの頃の長州さんはとにかくマスコミに追っかけ回されていたんですよね。プロレス界では時の人で、プロレスマスコミが事務所に押しかけてくることが多かった。基本的に長州さんのマネージャーがさばいてはいたんですけど、マネージャーもずっと事務所にいるわけではない。ボクたちみたいなアルバイトだと隙があるじゃないですか。その隙に事務所に入り込んでくるという。
    ――当時はマスコミも攻めの姿勢だったんですね。
    中村 長州さんがガングリオンで欠場したときは『東スポ』の若い記者が3日間くらい張り込んでいたりしてましたからね。長州さんの自宅マンションにも張り込んでいた。 
    ――そこまで追っかけ回されると人嫌いにもなりますね。
    中村 と思うんですよね。ずっと監視されてるわけですから。心が休まるときがなかったんじゃないですか。そうしてボクは「プロレス界はこういうところなんだ」って言葉ではなく実地体験でおぼえていきましたね。
    ――長州さんに怒られたりしたことはあったんですか?
    中村 長州さんに怒鳴られたことは……リキプロのときはないですね。うん。ボクは長州さんに対して失敗はしてないです。ドライバーをやってただけですから。
    ――長州さん専属のドライバーなんですか?
    中村 長州さんが中心で、ほかにジャパンの選手でも長州さんに言われたら、という感じです。長州さんはその頃、BMW735という一番高いBMWに乗ってたんですよ。電話付きで。
    ――80年代で電話付きはヤバイですね(笑)。
    中村 そんな車に乗るってのはステータスじゃないですか。いつ長州さんから連絡があるかわからないから、家に車を乗って帰って24時間いつでも迎えにいけるようにしてたんですよ。だから大学にもそのBMWで通学して(笑)。21歳でそんな車に乗れるってことでバイトを続けてたところはありますね。
    ――優越感に浸れるというか。
    中村 優越感、優越感(笑)。お金じゃなくて夢のような世界に身を置いてるという。
    ――そのうち長州さんとジャパンプロレスはゴタゴタしてきますよね。
    中村 ボクが入った頃からギクシャクし始めてて。でも、ギクシャクしてる意味がわからなかったから。ジャパンプロレスは知っていたけど、リキプロという長州さんの個人事務所があることも知らなかったし。そこでグッズなんかを売っていたわけですよ。長州さんの貯金箱やトレーナーとか。
    ――やっぱり相当売れたんですか?
    中村 通販は梱包だけでも忙しくてそれだけで1日が終わってましたよ。あの頃は現金書留だったんで、それが束になって事務所に毎日届くんです。それを空けて宛名書きをして、グッズを梱包して、郵便局に持っていく。1日に何回も郵便局と事務所を行き来しました。そのグッズの売り上げだけで相当なもんだったし、事務所の人間が食べていけましたからね。
    ――リキプロのスタッフは何人いたんですか?
    中村 ボクを含めて5人。4人だと忙しくて人手が足りないからボクを入れたわけですから。
    ――リキプロだけでもけっこうな年商があったんですね。
    中村 グッズをプロレスショップに運ぶだけでも一日何往復。リキプロの業務が忙しくて全日本プロレスさんの会場に数回した行った記憶がないんですよ。そのあと長州さんがガングリオンで休んで、いつのまにか新日本の両国に長州さんが乱入して。
    ――運転手いえども離脱騒動はわけがわからなかった。
    中村 わからなかった。「迎えに来い」「ここで降ろせ。待ってろ」「帰るぞ」の世界ですから。あとになって「そういうことだったんだな」って。で、長州さんが新日本プロレスに復帰したあと、ボクは大学4年の6月でリキプロダクションをやめてるんです。それは新日本に長州さんが戻ったことで、事務所がプロダクションとして機能しなくなったからなんですよね。
    ――権利も含めて新日本に集約されていったということなんですね。
    中村 ボクは事務所で一番若かったんで「おまえももういいだろ」ってことでやめることになって。そうしたら当時の新日本プロレス営業部長だった上井(文彦)さんに誘われたんですよ。もともとアルバイト時代から面識はあったんですけど、「新日本で営業のアルバイトしないか?」と電話があって。ちょうど夏休みだったし、上井さんはわざわざ自分の母親に代わって「息子さんのことはちゃんと面倒を見ますから」と話をしてくれて。親も夏休みのあいだくらいはいいかなってことで。そこが縁でズルズルといまに至ってるんですけどね(笑)。
    ――上井さんは中村さんを新日本の社員にするつもりだったんですかね。
    中村 そうですね。「ワシが面倒を見てやるからな」ってことは言ってくださいましたね。
    ――当時の新日本の営業は人手が足りてなかったんですか?
    中村 興行数のわりには人がいなかったんですね、たしかに。当時の地方巡業はほとんど自主興行だったし、年間でなんだかんだで130興行近くはやってましたから、その数を4〜5人で回すのは至難の業。しかも当時はそこまでプロレスに爆発的な人気はなかったですしね。切符を売るのが大変でしたから。
    ――「冬の時代」と言われてましたね。
    中村 最初は上井さんのサポートから始めたので、西日本、九州の担当が多かったです。だいたい興行のある30日から35日前に現地に乗り込むのが通常のパターン。そこから興行当日の1ヵ月間、ビジネスホテルに泊まりながら宣伝と切符売り。大学4年の夏休みから27歳までの5年間は、1年で340日くらいは出張してましたね。それはボクだけじゃなくて営業マンは全員そんな生活スタイルでしたけど。
    ――自宅で寝ることなんかないという。
    中村 シリーズが終わるといったん会社に戻るんですよ。そこで切符が何枚売れて、経費はどれくらい使いましたとか精算する。そうして次のシリーズの切符とポスターが用意されて、その中から担当地域をチョイスされるんです。それは恐怖ですよ。たとえば山口県から帰ってきたばかりなのに、その隣の広島県とか。東京に戻ってくる必要はなかったんじゃないかって(笑)。
    ――精神的にイヤになりますね(笑)。全国を回るから観光気分に浸れるときもないんですか?
    中村 いろんなところに行ってるのに観光名所は全然見てないんですよね。営業で行ってるのに観光しても仕方ないじゃないですか。
    ――休みはあるんですか?
    中村 休みは自分で作るもんだと言われましたけど。現地のお客様との付き合いも多くて、その交流ツールとしてゴルフを使いましたね。お客様との距離感を埋めるために、ボクは23歳の頃に上井さんに連れられてゴルフを始めて。上井さんはあのとき35歳か。上井さんは35歳でゴルフデビューして。関東だと土日にゴルフをするじゃないですか。田舎に行けば行くほど、土日にゴルフしないんですよ。
    ――土日だと割増料金になりますし、タニマチには平日に時間が空いてる方が多そうでうね。
    中村 そうそう。平日に朝7時に「いまから道具を持って来い」と。お客様にゴルフ代を全額出してもらって、一緒に遊んでもらってるわけですよね。そういう付き合いを重ねることで切符を買ってもらったり。
    ――当時はプレイガイドだけの売り上げでは成り立たない世界だったんですか?
    中村 あの当時はプレイガイドで売れることはなかったです。当日券で15〜20万円売れればいいかなあ、と。だから毎日飛び込みでもいいからチケットを売ろうとしてましたよ。売らないとホテル代も出ないし、飯も食えないから。
    ――プロレス中継がゴールデンタイムから離れていましたし、世間への訴求力が失われていたんですね。
    中村 何をしても響かなかった時代ですよね。ある田舎を「ブレイジング・チェリーブロッサム・ビガロ」というシリーズ名を叫んでる田中ケロさんのテープを流しながら、宣伝カーを走らせていたことをいまだにおぼえてる。「世の中にビガロは関係ないだろ……」と思いながら(笑)。
    ――ハハハハハハハハハハ! 一番チケットが売れなかった興行のことは覚えていますか?
    中村 大学4年のときのアルバイト時代、長野県の駒ヶ根市で興行があったんだけど。大分県の営業から帰ってきたばっかで「行ってくれ」と。開催まで17日しかなかったんですよ。「何をやるかは九州に5週間いたからわかるだろ」と。でも、九州は上井さんのお客さんを引き継いで回れたからよかったんですよ。長野県に知り合いはいなかったですけど、「知り合いは自分で作れ」と(笑)。
    ――縁もゆかりもない土地に放り出されたんですか(笑)。
    中村 駒ヶ根市の天竜川沿いを毎日飛び込みで営業してましたね。結局、前売りで195枚しか売れなかったんですけど。この数字、いまだにおぼえてますよ(苦笑)。
    ――絶望的な数字ですねぇ。
    中村 その頃は猪木さんが巡業に帯同してたんですけど。駒ヶ根市の大会当日に「この大会の営業担当を猪木さんが呼んでるよ」と。
    ――もうイヤな予感しかしません(笑)。
    中村 当日券売り場にいたら、いまの新日本の菅林会長がニヤニヤしながら「祥之、猪木さんが呼んでるよ」と(笑)。で、控室に行ってみたら猪木さんにいきなり引っ叩かれたんです。
    ――ひえ〜〜(笑)。
    中村 「何をやってるんだコノヤロー!」って怒鳴られて。こんなガラガラの会場で試合をさせるのか、と。だから大学4年生のときには闘魂ビンタを受けてるんですよ(笑)。
    ――中村さんはアルバイト営業で仕事を始めたばかりなのに(笑)。当時はプロレスファンがこぞって見に来るようなものではなかったんですね。
    中村 いやいや、ザ・興行という意識ですよね。演歌歌手の興行に近い。ツールが宣伝カーとポスターしかないわけですよ。予算があるところはテレビスポットが打てますけど。
    ――90年代の坂口征二体制になってから、従来の興行システムが変わっていきますよね。
    中村 革新的に変わりました。時代に合ったものになっていった。
    ――それまで全国津々浦々でやってた興行スタイルをいわゆる大都市集中型に変えて。
    中村 興行を絞って集中してやろう、と。年間100くらいに落としたと思いますよ。
    ――営業の負担は減りました?
    中村 営業の負担は減ったというより、より集中して営業ができるようになりましたよね。あっちこっち行かずによくなった。それまでの興行は東京から始まって、西へ行ったら西からまた東京に帰ってくる。北も同じ。3週間あるならオフは1日だけでそのルートの中で興行を打ちまくってましたから。市町村の小さい体育館でもやってましたよね。
    ――だからなのか、古いプロレスファンって、足を運んだことのない土地でも体育館情報に詳しかったですからね(笑)。
    中村 あの頃は全女もあったけど、それこそ全女は空き地でもやってたでしょ。特設リング。半端じゃない興行数ですよ(笑)。
    ――そんな古くからの興行システムはどういう理由で変わったんですか?
    中村 坂口さんが新日本の社長になられたときに上井さんが営業本部長になって。上井さんは若いボクらとコミュニケーションを図って「どうしたら切符が売れるのか?」ということを絶えず話し合っていたんです。
    ――営業部全体で今後の新日本を考えていた結果なんですか。
    中村 上井さんはボクら若い子の意見を吸い上げて坂口さんに伝える。あの時代、新日本が伸びた要因はそこじゃないですかね。上井さんはアイデアの泉でしたよ。悪いことを含めて(笑)、思ったことをすぐに口にするから。思ったら行動に出ないと気が済まないんですよ。
    ――意見を吸い上げる坂口さんの存在も大きかったんですね。
    中村 あと猪木さんは毎日会社にいる人ではなかったけど、坂口さんは毎朝来られて夕方までいる方だったんですよ。だから坂口さんが社長になったあとは会社に緊張感がありましたよね。それに坂口さんには各地に知り合いが多いじゃないですか。社長自ら電話をしてくれて「営業の人間が行くのでよろしくお願いします!」と。それも凄く大きかった。社長自ら電話があるから向こうもいろいろとやってくれるんですよね。
    ――猪木さんはそういうタイプじゃないですよね。
    中村 あと武藤さんがWCWから帰ってきて闘魂三銃士が全員揃ったことも大きいですよね。
    ――武藤さんが凱旋帰国したときのNKホール大会は、新しい息吹を感じましたね。
    中村 あのNKホールは切符が売れましたよ。橋本さんと武藤さんのタッグマッチ対決。ファーストコンタクトの橋本さんのローキックで、武藤さんのヒザの靭帯が切れるという伝説の試合(笑)。
    ――あのシーンは強烈でした(笑)。その年の夏に後楽園ホール7連戦もチャレンジして。
    中村 『バトルホール・ア・ウィーク』。倍賞(鉄夫)さんが突然「後楽園で一週間やるぞ」ってそのタイトルを言い出して。あの興行は売れましたね。あそこからだと思うんですよね、新日本が上がっていったのは。地方でやるより東京のほうがいいだろうと。経費もかからないし、テレビ朝日も地方まで来てもらって収録してもらうよりは、大げさな話、1カ月分の収録ができちゃうじゃないですか。後楽園ホールで一週間やるってのは奇想天外で発想で、のちに両国国技館で一週間やるっていうとてつもない企画に発展していくわけですけど。
    ――そうして90年代のプロレス人気に火がついていくんですね。
    中村 いい時代でしたねぇ。でも、ボクはリキプロ出で外様なので、生え抜きって感じじゃないですか。あくまでリキプロから来た人という意識が消えなかったんですよ。あと上司の上井さん自体が出戻りなんで。その上井さんに入れてもらってたんで。
    ――上井さんは旧UWFから戻ってきたんですよね。
    中村 だから見えない大きな壁がありましたよね。内部なんだけど外注みたいな。「おまえ営業だけど、長州さんや上井さんのアレだろ」って感じで。
    ――営業という立場だと、レスラーと交流することはあるんですか?
    中村 ほとんど言っていいほど交流はなかったですね。当日レスラーに会場で試合をしてもらって帰ってもらうだけ。たまに打ち上げでご挨拶するけど、まず会場で口を利くことはない。
    ――営業畑の中村さんはどういうプロレス観があったんですか?
    中村 そこは凄くシンプルになって、自分のやることはひとりでも多くお客さんに来てもらうことしか考えてなかったです。どんな手を使おうと切符を売ることしか考えてなかったですね。2001年に新日本をやめてゼロワンに移る直前までチケットを売ることしか考えてなかった。プロレスの中身なんてまったく考えたこともなかった。
    ――営業の立場だとそういう考えになるんですね。
    中村 ただ、いま振り返ってみると、北朝鮮の「平和の祭典」を現地で見たことはけっこう大きい財産になってるなって。あのイベントは、猪木さん、倍賞(鉄夫)さん、永島(勝司)さんのラインじゃないですか。周囲は「お金を損をしてまでなんでやるの?」って冷ややかな感じで。外様のボクもどちらかというと冷ややかチーム。でも、あのときはなぜかわからないですけど、永島さんに頼んだんですよ。「北朝鮮に連れて行ってくれ」と。単なる営業マンが。
    ――北朝鮮に行きたい理由が何かあったんですか?
    中村 うーん……ただ、行きたかったんでしょうね。この機会じゃなかったら一生行けないような場所ですし(笑)。永島さん、ボクとは年齢は違うんですけど、同期入社なんですよ。永島さんが『東スポ』の記者から社員になったときにボクも新日本に入って。あと専修大学の先輩後輩の間柄ということで、名前をおぼえてもらってて。それで北朝鮮に連れて行ってもらった。そこからですね、プロレスに対する考え方が変わっていったのは。
    ――カルチャーショックを受けたんですか?
    中村 ショックもショックで。日本でいえば、5万人の東京ドームが最高の箱じゃないですか。北朝鮮のときは2日間で38万人。あの光景を見たときは腰を抜かしましたねぇ。あと我々のためだけに別の会場で10万人のマスゲームもやってもらったんですよ。
    ――ウエルカムパーティーが10万人のマスゲーム!(笑)。
    中村 アントニオ猪木、新日本プロレスという組織はここまでのことをやれる組織なんだ、凄いところに入っちまったなって。あの興行は結果的に新日本にとって大ダメージになったんですけど、あの絵はプレイスレスだと思いますよ。1億2億損したというかもしれないけど、はたして1億2億出したらあのマスゲームができるかといえばできないし。
    ――当時の新日本はかなり儲けていたイメージがあるので、1億2億は大金とはいえ、北朝鮮の失敗で切羽詰まってしまったのが意外だったんですよ。
    中村 結局、選手たちのギャランティが上がったからじゃないですかね。売り上げもよくなったというけど、ドン底から上がったくらい。たとえば500枚しか売れなかったところが800枚売れるようになった。ちょっと気持ちに余裕が出てきた程度で。ドーム興行をやっても大掛かりな演出をしてましたからね、お金をかけて。
    ――WCWとの業務提携で年間1億円近く払ってたんですよね。ファイトマネーは別で。
    中村 もう大笑い。スティングとか呼んでいたけど。
    ――nWo絶頂期にオリジナルメンバーをワンマッチだけのために呼んでましたよね。とてつもないことをやってるなって(笑)。
    中村 ハルク・ホーガンが来たときあったでしょ。
    ――グレート・ムタと福岡ドームでシングルをやったときですかね。
    中村 あとから聞いたんですけど、そんときのホーガンのギャラが7000万円。
    ――ええええええええええええええええええええええええ!
    中村 7000万円。
    ――そりゃ金もなくなりますね(笑)。
    中村 ホーガンを含めて関係者は全員ファーストクラス、ホテルはスイートルーム、部屋にはフルーツを用意してないといけないという決まりごともあったらしくて。プロレス界って凄いんだなって(笑)。
    ――所属選手の年俸もけっこう払ってたんですよね。
    中村 とてつもない金額だったんじゃないですか。億までいかないにしてもその半分は。
    ――安田さんにしても数千万クラスだったそうですし……。中村さんもけっこうもらってたんですか?
     
  • 世IV虎、復帰の波紋■「プロレス 点と線」

    2016-01-28 08:55  
    34pt
    事情通Zがプロレス業界のあらゆる情報を線に繋げて立体的に見せるコーナー「プロレス 点と線」。今回はのテーマは世IV虎復帰について!<参考記事>スターダム世IV虎vs安川惡斗を考える〜これは私怨による制裁試合ではない〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar739360世Ⅳ虎の引退セレモニーで何が起きたのか?

    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar813481
    ――安川惡斗戦がきっかけとなり引退に追い込まれた世IV虎選手がSEAdLINNNG(シードリング)後楽園ホール大会で、師匠の高橋奈七永選手のセコンドとして電撃登場しました。
    事情通Z これはビックリした。世IV虎選手がシードリングの後楽園ホールに来るという事前情報は耳にしてなかったし、完全に隠密行動。今後の情報も漏れ伝わってこない。3月のシードリング後楽園大会に復帰するじゃないかという憶測はなされているけれど。
    ――世IV虎選手は引退後、プロレスとは関係のない仕事をしてたんですよね。永島のオヤジがなぜか接触を図ろうとしたという不穏な噂も耳にしてましたけど(笑)。
    Z 恐れ入谷の鬼子母神だねえ(笑)。奈七永選手や夏樹☆たいよう選手と連絡を取ってるという話は耳にしてたんだけど、それは復帰云々ではなく、2人が世IV虎選手のことが心配で連絡をしていたと。シードリングが旗揚げするときも、かつてスターダムにいた選手たちが試合に出たり、挨拶したりしたそうだけど、その中に世IV虎選手の姿はなかったと。でも、じつは変装して会場に来ていたそうなんだよね。いまの世IV虎選手はかなり痩せていて黒髪だし、サングラスやマスクをすれば本人だとはわからない。
    ――プロレスラーの外見ではなかったと。
    Z プロレスの練習はしてななかっただろうし、シードリングの3月大会で復帰するかどうかは微妙なところ。あの身体つきだと、つい最近までプロレスに戻ろうという考えはなかったんじゃないかな。
    ――世IV虎選手はプロレスをやめることも本意ではなかったわけですよね。この続きと、WJ屋形船、中村祥之、RENAの大晦日、中邑WWE、プロレス点と線、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「13万字詰め合わせセット」はコチラ 
  • MMAは本当にクリーンになったのか/UFCでも相次ぐタレントによる不可解な謝罪■MMA Unleashed

    2016-01-28 08:49  
    34pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは「抜き打ち検査の精度」「ヴァンダレイトニック・ディアズの謝罪」です!

    ここが気になる!UFC時評:USADA検査は本当に有効なのか、UFCでも相次ぐタレントによる不可解な謝罪
    【えっ、ミルコの検査結果が陰性?USADA検査は本当に有効なのか】
    HGH(ヒト成長ホルモン)の使用を自ら認めた上で引退を表明したミルコ・クロコップに対する、USADAによる抜き打ち検査の結果が陰性であったことが明らかになった。ミルコは、HGHを使った翌日に抜き打ち検査の検査員が来たため、腹をくくってUFCにその旨を告白していた。
    いくら検査結果が陰性であったとしても、本人が違反薬物の使用を告白した以上、ミルコに対する2年間の出場停止処分が解除されるわけではない。ミルコにしてみれば、黙っていれば何事もなかったはずだったのだが、もはや後の祭りである。それよりも、本人が私用を申告しているのに薬物を検出できなかったことは、権威ある検査機関であるUSADAにとっては気まずい展開だ。
    とはいえ、HGHは検出されにくいことで有名で、一般には注射してから12時間以内でなければ、陽性結果が出ないとされているのだという。UFCファイターで過去にHGHで処分を受けた選手は、チェール・ソネン、カン・リー、ミルコ・クロコップの3名だけである。うち、ソネンとミルコは、実際には陰性だったのに、本人が使用を認めたため処分を受けたというケースである。カン・リーはマカオでのマイケル・ビスピン戦のあとの薬物検査でHGH陽性反応がでたものの、検査を担当した香港の検査会社に不手際があり、結局検査結果は無効とされ、リーへの出場停止処分も取り消されたのであった。このとき、リーの再三の要求にも拘わらず、UFCが誤りを認めて謝罪することがなかったことから、激怒したリーは現役を引退、現在はUFCに対する反トラスト法裁判の原告団代表となっている。このように、HGHがまともに検出されたことはほとんどなく、むしろHGH陽性結果は余計なもめ事を巻き起こしているだけであるかにも見える。この続きと、WJ屋形船、中村祥之、RENAの大晦日、中邑WWE、プロレス点と線、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「13万字詰め合わせセット」はコチラ 
  • UWFインターナショナル地獄の寮生活■金原弘光のゼロゼロ年代クロニクル⑥

    2016-01-25 10:00  
    34pt
    伝説のプロレス団体UWFインターナショナルでデビューして、キングダム、リングス、PRIDEと渡り歩いた日本格闘技の生き証人金原弘光がゼロゼロ年代を振り返る連載インタビュー。今回のテーマは番外編としてUWFインターナショナルの寮生活を振り返ります!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届け!――前回のインタビューの最後にちらりと触れた「UWFインターナショナルの寮」の話が好評だったんです。
    金原 あ、ホントに。
    ――最後は「続く」となってたんですけど、その寮の話の続きだと思ってるユーザーも多くて。
    金原 ああ、みんなUインターの量の話を知らないんだ。『紙プロ』とかでしゃべったのはだいぶ昔だしね。
    ――10年以上も前のことですから。なので知らないユーザーに向けて、今回はUインター寮のお話をお願いします!
    金原 わかりました。俺がリングスからフリーになって勝ち星から見放されて絶不調だったときって小泉(純一郎)さんが首相の時期なんだよね。だから小泉さんの顔を見るたびにあのつらい時期を思い出すんだけどさ。それよりつらかったのがUインター寮時代ですよ(笑)。
    ――勝ち星なしの6年間に匹敵するってどんな暗黒世界なんですか!(笑)。プロレス団体って厳しいもんだという認識はあったんですよね?
    金原 ある程度は覚悟していたよ。寮には垣原(賢人)さん、リングスに移る前の長井(満也)さん、俺を含めた1期生が4人。全部で7人が住んでいたんだよね。
    ――垣原さんに長井さん、一期生4人。えっと、1名足りないんですけど……。
    金原 一番上に寮長のTさんがいたんですよ(笑)。
    ――寮長のTさん!(笑)。 
    金原 Uインターの寮は、高田(延彦)さんが買ったばかりの新居だったんだよね。1回も住んでないのに寮として提供してくださって。
    ――新日本プロレス旗揚げのとき、猪木さんの新居を寮に改築しましたけど、高田さんも似たようなことやってたんですね。
    金原 寮に着いたら「髙田」って表札があるんだよ。UWFインターナショナルの文字はどこにもないしさ、住所を間違えたのかなって(笑)。そこは普通の新築一軒家なんだけど、2階に2部屋、1階に広いダイニングキッチンがあって。先輩方は2階の部屋にいるんだけど。寮に入るときに「布団だけ持って来なさい」と言われて。そのあと新弟子がたくさん入るんだけど、ほとんどがつらくなって逃げるでしょ。新弟子たちの布団だけが寮に残るから、そのうち「布団も持ってこなくていい」ってことになって。
    ――布団を持って夜逃げするわけにはいかないですよね(笑)。
    金原 Uインターの旗揚げが5月で、その前の3月に入門したんだけど。当時は道場もなかったんで、寮の近くの大きな公園でみんなでヒンズースクワットや腕立て伏せ、ダッシュなんかをやって。練習がキツイのはいいんだけど、寮生活が本当につらくてね。たとえば寮長はテーブルでメシを食うけど、下々の者はちゃぶ台を出して食うんだよ(笑)。
    ――江戸時代の丁稚奉公みたいですね(笑)。ダイニングキッチンのテーブルは小さいんですか?
    金原 大きいよ。7〜8人は座れるけど、そのテーブルで食べていいのは、寮長と垣原さん、長井さんもかろうじて「おまえもいいよ」って感じで。練習生ならそういう格差があっても仕方ないんだけど、俺はデビュー以降もちゃぶ台だったからね(笑)。
    ――デビューしても、ちゃぶ台!(笑)。
    金原 「下で食ってろ!」って言われてね。風呂も寮長から順番通りに入るのはわかるんだけど、練習で汗をかいてるし、汚れてるからみんな早く入りたいでしょ。でも、寮長がなかなか風呂に入らないんだよね。真夜中に入ったりするんだよ(笑)。
    ――寮長が風呂に入るまでみんな待ってるんですか?
    金原 待ってるんだけど、疲れてるから汚い身体のまま寝ちゃうこともあったよね。でも、あるときこっそり風呂に入ってさっぱりしてときもあったよ。「隠れて風呂に入っちゃおうぜ!」って(笑)。
    ――ハハハハハハハハハハ! 打ち首モノですね(笑)。
    金原 湯船の汚れをすくって何食わぬ顔で「お風呂、沸いてます!」って伝えてね(笑)。そうでもしないと、いつになってもお風呂に入れないんだよ。
    ――なかなか風呂に入らないのは、寮長の嫌がらせなんですかね?この続きと、WJ屋形船、中村祥之、RENAの大晦日、中邑WWE、プロレス点と線、中井祐樹日記などが読めるお得な「13万字詰め合わせセット」はコチラ 
  • 体育の授業にコンディショニングを!■二階堂綾乃のオールラウンダーAYANO

    2016-01-25 09:53  
    34pt
    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、ついに格闘技デビューをしてしまったこのコーナー。今回は「コンディショニング」についてです!
    今でこそジムに通いウェイトトレーニングや柔術等身体を動かすことを心から楽しんでいる私ですが、学生の頃は体育の授業がわりと嫌いでした。運動系の部活動に興味はなく、あまり外で遊ばずシルバニアファミリーに米粒を与え、ぬいぐるみの中に「心臓」と書いた紙を縫い込み、モスラを召喚しようと真剣に悩むインドア派な少女でした。
    そのわりに小学校5年から高校卒業まで毎年運動能力賞を取り、幅跳びと長座体前屈、反復横飛びに至っては毎回10段階評価の10をとるどころか学年トップレベルのハイスコアをたたき出す、運動しないくせに無駄に運動神経のいい子でした。
    しかしそんな運動神経のいい私が体育を嫌いだった理由、それは、普通に楽しくなかったからです。小学生まではドッヂボールやマット運動等「運動」というか「遊び」が多かったので楽しかったのですが、中学校になるとまず体育の先生が更年期障害っぽいおばさんで、クレーマーの如くよくわからない理由で生徒を叱りつける学校一のモンスター教師でした。
    そのうえ体育は男女別になり、空手や柔道の方が面白そうなのになんの興味もないバレー、バスケ、水泳等をやらされ、特にテクニックを詳しく教えてくれるわけでもないので私の素晴らしき運動神経をもってしても特に上達するでもなく、部活をやっている人だけが活躍できる「体育」が楽しくありませんでした。この続きと、WJ屋形船、中村祥之、RENAの大晦日、中邑WWE、プロレス点と線、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「13万字詰め合わせセット」はコチラ
     
  • ここが気になる!UFC時評:ユニフォーム違反選手続出、遅れるカード発表■MMA Unleashed

    2016-01-22 11:23  
    34pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは「ユニフォーム違反選手続出、遅れるカード発表」……UFC帝国に何が起きているのか?

    ほころびが見え始めたリーボック・ユニフォーム制度
    UFCは、ファイトウィークにリーボック・ユニフォームを着用しなかった3選手に対して罰金処分を、ユニフォームルール(Athlete Outfitting Policy)に抵触した12選手に対して警告処分を行ったと発表した。
    UFCでは処分を受けた選手の名前は明かしていないが、ドナルド・セラーニ、ネイト・ディアス、ハファエル・ドス・アンジョスの3名が罰金を支払ったことを自ら明かしている。ドスアンジョスは、罰金額は1万ドルだったと語っている(おそらく3名とも1万ドルを徴収されたものとみられている)。これらの選手はいずれも、12月19日にはUFC on FOX・オーランド大会に出場した選手だ。
    セラーニは、「病気のばあさんを元気づけたかった」という理由で、トランクスに”いつものように”小さなアメリカ国旗を縫い付けていたのだと明かしている。ディアスは計量に自分のジーンズをはいて登場した。ドスアンジョスも計量にリーボックのシャツではなく、所属先のEvolveのシャツを着ていた。この続きと、WJ屋形船、中村祥之、RENAの大晦日、中邑WWE、プロレス点と線、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「13万字詰め合わせセット」はコチラ
     
  • 【RIZIN来襲か】ヴァンダレイ・シウバの行方■「プロレス 点と線」

    2016-01-22 11:02  
    34pt
    事情通Zがプロレス業界のあらゆる情報を線に繋げて立体的に見せるコーナー「プロレス 点と線」。今回はのテーマは「ヴァンダレイ・シウバの行方」です!(聞き手/ジャン斉藤)――ニュースです! ヴァンダレイ・シウバがUFCから契約解除され、晴れて自由の身となりました。
    事情通Z あいからわずMMAの話題は弱い私なんですが、ヴァンダレイって引退してなかったっけ?
    ――引退してます。その発端は、一昨年7月にUFCでチュール・ソネンと戦うはずが、抜き打ちのドーピング検査を拒否して逃亡。公聴会も欠席したことでネバタ州のアスレチックコミッションから永久追放を処分を受けました。
    Z ネバタ州がライセンスNGということは、ほかの州でも発行はされない。
    ――現在その処分は解除されましたが、ライセンスが取得できないことからアメリカ国内では試合ができない。アメリカ国外で試合をしようにもUFCとの契約が残っている。UFCは国外大会を開催していますが、アスレチックコミッションの処分を受け止めヴァンダレイを起用しない。追い込まれたヴァンダレイは引退の道を選びUFCに逆ギレ。Facebookで「UFCは八百長をやっている。証拠もある!」と書き込んだことでUFCから訴訟を起こされていました。
    Z 引退をきっかけにFacebookの暴走って完全に「アメリカの森嶋猛」じゃないか(笑)。 この続きと、WJ屋形船、中村祥之、RENAの大晦日、中邑WWE、プロレス点と線、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「13万字詰め合わせセット」はコチラ 
  • 【男たちのプロレス屋形船】友情とカネが砕け散ったWJ……■髙田龍インタビュー後編

    2016-01-21 00:00  
    77pt
    90年代インディの夢と地獄を語ったインタビューが大反響だった髙田龍氏。http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar930538社会人プロレスSPWFやレッスル夢ファクトリーでプロレスの苦味を味わったが、ひょんなことから再びプロレスに引き寄せられていく。長州力、永島勝司……男たちが夢を抱いて乗り込んだプロレス屋形船。それは伝説のプロレス団体WJだった――!!  16000字で「ど真ん中」を歩けなかった」WJを追います! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届け!■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! par23は大好評インタビュー9本、コラム6本、10万字で540円!!(税込み)  試し読みも可能です!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar939606
    ◯謙吾ロングインタビュー  スーパールーキーが見たリングスvsパンクラス仁義なき戦い血を血で洗う格闘技抗争劇――前田日明NKホール襲撃事件の闇がいま語られる!◯小佐野景浩のプロレス歴史発見「天龍番」が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合――!!◯あなたはあの弱小団体をおぼえているか――レッスル夢ファクトリー90年代インディの夢と地獄!! 同団体代表の髙田龍が初めて口を開いた! ◯金原弘光のゼロゼロ年代クロニクル⑤ 格闘家は占い師に頼りたくなる!?6年間勝ち星なし、ファイターはここまで精神的に追い込まれてしまうのだ……◯キックファン待望の一戦は永遠にマッチメイクできない!? ライター高崎計三がキック初心者にわかりやすく解説! 「武尊vs那須川天心はなぜ実現しないのか?〜あるいは馬場イズムのキック公園〜」
    ◯1990年代新日本プロレス居酒屋トーク! 高岩竜一×田山レフェリーの理不尽とは何か?

    「先輩レスラーに呼びだされて飛んでいったら、『なんでもねえよ』ってぶん殴られるんですよ!」◯なぜ横綱は大晦日に再び挑むのか? そこには13年間にわたる怨念があった――曙インタビュー「プロレスファンの皆さん、俺と一緒に入場してください!」◯大沢ケンジ師匠の格闘技談義はUFCの女王ロンダ・ラウジーの敗戦を検証!なんとロンダはホーリー・ホルムにもう勝てない!?


    ◯業界楽屋トーク! 事情通Zの「プロレス 点と線」ヒョードルvsクートゥアは本当に動いていたのか/「東スポ」プロレス大賞/みんなが救われたNOAH最終決戦!!/潮崎豪NOAH登場/フジテレビの夢よもう一度
    ◯MMA Unleashed・ミルコ・クロコップ、13歳の息子を特訓中「私と同じサウスポーでね、クレイジーなハイキックを放つんだ」
    ・神秘のマクレガー〜引き寄せの法則とムーブメント・ドリル・コナー・マクレガーが仕掛ける同時多発的メンタルゲーム
    ・2015~2016年 UFCタイトル戦線総まくり!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar939606
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    ◯永島のオヤジは「まだ金が入ってないよ!」「どうなってるんだ!?」「今日中に2000万円が入らないとダメになっちゃうんだよっ!」と騒ぐんですよ
    ――インタビューの後編は高田さんが深く関与したWJについてお聞きいたします。
    髙田 WJに関しては、社長の福田(政二)さんが悪い、永島(勝司)のオヤジはかわいそう……みたいな内容の記事がいくつかありますよね。私からすれば「それはないだろ!」って思いますよ。
    ――そのWJは、前編でも登場された北関東グループ会長と、永島さんが会ったことから、いろいろと動き出すことになったそうですね。
    髙田 永島のオヤジが新日本プロレスをやめたと聞いたので、連絡を取ったんです。彼のよくない噂はいろいろと聞いてましたよ。でも、噂を鵜呑みにして「この人間はこうだ」とか決めつけたくないし、私自身はとくに酷いことはされなかったし。
    ――高田さんは夢ファク時代に永島さんと交流はあったわけですよね。
    髙田 私は永島のオヤジにお世話になった人間です。彼には「平成の仕掛け人」のイメージしかなかったし、クセのある人だといろんな人には聞かされたけど(笑)。あの時期に新日本をやめたってことは円満退社ではないだろうし、「おつかれさまでした」という慰労の電話をしたんです。「やめてどうするんですか?」って聞いたら「何もやらないよ」と。「また団体を興すんじゃないですか?」「やらない、やらない(笑)」。そんなやりとりをしたんですけど、一席設けて労をねぎらうってことになって。それで指定された店に行ったら、先客とやりとりしてるんですね。横の席に座って話を聞いていたら、どこかの出版社から本を出すということで、相手はライターと編集者。永島のオヤジはお酒を飲んでてロレツが回らなくなっちゃってね(笑)。彼はお酒に飲まれちゃうタイプなんですよ。
    ――よく存じあげております(笑)。
    髙田 そうしたら「本のギャラはいつもらえるんだ?」という話ばっかになっちゃって。でも、永島のオヤジの言い方が要領を得ないから、編集者にその意図が伝わらなくてね、仕方なく私が「前払いはできないんですか?」って聞いてあげたんです。編集者は「ちょっとそれはできないんです。お支払いは1ヵ月後になります」と。そんな話を耳にしてるのが、やんなっちゃってねぇ。
    ――さびしい話ですもんね。
    髙田 だったら私が代わりに立て替えるからって。金額は40万円。
    ――えええ(笑)。
    髙田 出版社が永島のオヤジに払うお金を私がもらうことにする、と。1ヵ月のタイムラグですしね。そうしたら「いやあ、龍さん悪いなあ!」って喜んじゃって喜んじゃって。そういうふうに感謝されるのもイヤだったんですけど(笑)。
    ――しかし、新日本をやめたばかりなのに、そんなにお金がないってどういうことなんですかね?(笑)。
    髙田 そこから2人きりで話をしたんだけど、永島のオヤジはあらためて「プロレス団体はやらない」と言うんです。でも、私が「リングならありますよ」ってポロッと言っちゃったんですよね。
    ――夢ファクのリングが残ってたんですね。
    髙田 そうそう。北関東グループ関連企業の倉庫に置いてもらってたんです。そうしたら永島のオヤジ、急に表情が変わっちゃって。やっぱり助平根性があったんじゃないですかね(笑)。いろんな計画をしゃべり始めたんです。「そのうち長州も新日本をやめるぞ!」と。なんだ、やる気満々じゃないかって。
    ――永島さんと長州さんの意思疎通はできてたんですか?
    髙田 できてたんじゃないですかね。というか、リキちゃんが新日本をやめるとなったら、やることはプロレスしかないだろうし。あの頃はテレビに出てタレント業をやるような柔らかい人間じゃなかったから。
    ――プロレスをやるとなると、永島さんと手を組むしかないんですね。
    髙田 あとになってわかったんですけど、リキちゃんはパートナーが永島のオヤジじゃないと絶対にダメってわけじゃなかった。でも、新日本で長年一緒にやってきて気心も知れてるし、リキちゃんはよく言ってた。「オヤジは期待ハズレなところもあるけど、裏切らないよ」と。
    ――永島さんって悪い人じゃないんですよね。
    髙田 そうなんですよね。最終的にはリキちゃんのことは裏切ったんだけど……。当時の私からすれば、永島勝司といえば新日本プロレスというメジャー団体の重役さんですよ。信用はしますよね。編集者とお金のやり取りとしてるときは「……大丈夫かな?」とは思いましたけど。
    ――不安にはなりますよね。
    髙田 永島のオヤジは新日本が一番良い時期にやってたわけでしょ。正直ね、金銭感覚がおかしいんですよ。プロレスラーだったら「仕方ない」となるけど、あの人は一般人。「背広レスラー」とはよく言ったもんだと思うけど。それで話は進んで「プロレス団体をやる初期投資として2000万円必要なんだ」と言うわけですよ。永島のオヤジはかなり酔っ払っていたし、その場で何か決めることはなくて「お世話になったし、何か力になれれば……」なんて社交辞令で終わったんですけど。帰り道に「2000万くらいだったら、なんとかなるかなあ……」って考えが頭をよぎったんですよね。
    ――出版の前借りもそうですけど、高田さん、お金持ってますね。
    髙田 その頃の私は熊谷で始めた水商売が大成功しちゃって余裕があったんです。いまは、あとかたもなくなっちゃったんですけどね(笑)。会社の経理に「会社にグラつきを起こさない程度でいくら現金を出せるの?」って聞いたんですよ。その数字が2000万円。これは出せるかなあって。
    ――再びプロレスを手がけてみようか、と。
    髙田 自分一人で2000万を出すこともできたんです。「髙田はズルい」と思われるかもしれないけど、北関東の会長はプロレスでいい思いしてないし、水商売の段取りをしてくれたのも北関東の会長。プロレスに金を出しては損をしてるわけじゃないですか。夢ファクのときもそうだし、谷津嘉章のSPWFのときもそう。
    ――そこで北関東の会長に長州・永島の新団体の話を繋げたんですね。
    髙田 そうです。「長州力や佐々木健介も出る」と永島のオヤジは言うわけですよ。リキちゃんが動くなら健介が動くのもわかる。情勢的に新日本の選手が5〜6人動くのは間違いないんだろうなとは思った。北関東の会長にプロレスで夢を見させるのは、最良の策とは言わないけど、これしかないだろう!と。それに元くらいは取れるだろうと思ったんですよね。
    ――長州力というメジャーレスラーの安心感もありますよね。
    髙田 立場が立場だから折半だと失礼になるかなって思って、私が500万で会長は1500万。「まず永島さんの話を聞いてみましょう」ということで京王プラザホテルで会うことになったんですけど。ホテルに着いて車から降りたときに、会長が「高田さん、(2000万円を)出そう!」って言い出して。永島のオヤジに会う前にですよ。
    ――さすが会長! いつなんどき気前がいいですね(笑)。
    髙田 「いいんですか?」って聞き返しちゃいましたよ(笑)。海の物とも山の物ともつかないわけですから「簡単にOKしないで話を聞いてましょう」と言ったんですけど、会長はお金を出す気になっちゃいましたから。で、永島のオヤジがいろいろと今後の話をするんだけど、明確なものはなひとつないんですよ(笑)。
    ――それでよく納得しましたね。
    髙田 そのときリキちゃんは新日本を出たあとからだから。
    ――ああ、新団体設立に現実味があったんですね。
    髙田 その2000万円で何をするかといえば、リキナガシマ企画の法人登記。代表は永島のオヤジ、専務が私で、会長も筆頭株主だから何か役職があった。
    ――リキナガシマ企画の設立について長州さんは把握してたんですか?
    髙田 してたんじゃないですか。リキちゃんがどれくらい真剣に聞いていたかはわからないですけど。
    ――長州さんはその会社には関係ないんですよね。
    髙田 ないです。
    ――でも、名前はリキナガシマ企画なんですね。
    髙田 結局リキナガシマ企画はWJでも何もやることはなかった。
    ――いったいどういう目的で設立されたんですか?
    髙田 リキナガシマ企画という法人が、新団体、のちのWJという別法人のマネジメントをするということだったんですよ。グッズの販売をやろうとしたり、プロレス興行に関する純粋な利益をリキナガシマ企画に落としたかったんでしょうけど、とある事情でできなかった。その事情はあとで話しますけど、そもそも2000万程度のお金でプロレス団体は作れないじゃなですか。インディじゃないんですから。
    ――永島さんの提案に疑問に思わなかったんですか?
    髙田 それはメジャー団体の重役さんのやることだから、そっちはそっちで段取りは付いてると思ってたんですよ。
    ――リキナガシマ企画と同時進行で新団体設立の話も動いている、と。
    髙田 だって新団体の旗揚げ戦は「テレ朝で放送するぞっ!」って言ってたんですよ。
    ――テレ朝は新日本プロレスを絶賛放映中ですよ!(笑)。
    髙田 WJを放送するわけないんですけど、「テレ朝も新日本から離れたがってる」と言うんですよ。あのとき視聴率がよくなくて打ち切りだなんだって話も出ていたんですよね。
    ――たしかにそんな話がありましたね。
    髙田 会長としても夢を追いたい人だから、1500万を出すことになったんです。私はすぐに500万を入金したんだけど、北関東のほうは手続きでちょっと手間取ったのかな。けっこう大金じゃないですか。
    ――1500万ですからね。
    髙田 そうしたら永島のオヤジからの催促の電話が凄いんですよ、何回も何回も。「まだ入ってないよ!」「金はどうなってるんだ!?」と、まるで私が永島のオヤジからお金を借りて払ってないみたいな口調になってきて(苦笑)。
    ――最悪ですね(笑)。
    髙田 向こうが貸し手のような態度。最終的には「今日中に2000万円が入らないとダメになっちゃうんだよっ!」って。
    ――何がダメになるんですか、いったい(笑)。
    髙田 そうなんですよ(笑)。会社を登記するだけの話だから、たしかに早いほうがいいですけど、何もダメにならないし、1日2日遅れても誰にも迷惑はかからない。最終的にお金が入ったら「龍さん、ありがとう〜!」という喜びの電話がかかってきたんですけど。不安は募りましたよね。
    ――高田さんもリキナガシマ企画の役員だから、その2000万の使いみちはご存知なんですよね?
    髙田 資本金が1000万、新日本から移籍する6人にレスラーに100万づつ支度金にする。残りの400万は当座の資金。
    ――あれ? WJの支度金って500万じゃなかったんですか? 
    髙田 それはWJが払った支度金ですね。リキナガシマ企画としても支度金を用意したんです。――え〜っと嫌な予感がしますね(笑)。髙田 WJ立ち上げ後、永島のオヤジに「WJに来なかった選手にリキナガシマ企画が払った支度金を返してもらいましょうよ」と言ったんです。田中みのるや中西学からね。
    ――あ、彼らが移籍すると永島さんは言ってたんですか。
    髙田 あと「ライガーも来る」と言ってたなあ。
    ――怒りの獣神も!(笑)。
    髙田 永島のオヤジは、そういった有名なレスラーの名前を出せば、こっちが喜ぶと勘違いしてたんでしょうね。そんなんじゃないのに(笑)。で、「永島さん、彼らにお金を渡したんですよね? WJに来ないじゃないですか?」って問いただしたら「……100万くらいじゃ動かねえよ」って。
    ―― 永島さんが言い出したのに!(笑)。
    髙田 ホントに頭に来ましたね(笑)。それにそのまんまにしておくお金じゃないです。あとから田中みのるに聞きましたよ。「永島のオヤジから100万もらったんだろ?」「……え?なんの話ですか?」って困ってました。
    ――ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! 
    髙田 越中詩郎や佐々木健介は実際にWJに来たけど、この2人もリキナガシマ企画としてお金は渡してないことがわかったんですよ。
    ――ひどいなあ(笑)。
    髙田 2000万円を振り込んだ銀行口座をあとで調べたんだけど、1日で2000万なくなってました。何に使ったのかは知らないですけど。
    ――あっという間に! そうすると新団体設立のお金も別で作らないといけないですね。
    髙田 リキちゃんと永島のオヤジはいろいろと動いてたみたいですけど。何かのゴルフのコンペがあったときに、福田さんが永島のオヤジに「やるなら応援するよ」って声をかけたんですね。永島のオヤジはその気になっちゃったんだけど、リキちゃんは「福田さんのお金には手は出せない。ダメだ」と。そこはかなり強く言ってたみたいで。
    ――福田さんは北海道で不動産屋やパチンコグループなどを手掛ける実業家で、長州さんの新日本時代からの後援者だったんですよね。
    髙田 リキちゃんと永島のオヤジが福田さんに金の頼みにいくとき、私も一緒に北海道に行くはずだったんですよ。車の渋滞で羽田空港に間に合わなかったんですけど。そういえば、あのときの飛行機代も私が肩代わりしたんだよなあ。
    ――どこまでお金がないんですか(笑)。WJは福田さんがいなかったら旗揚げできていなかったということですか?
    髙田 私たちが出した2000万で見合ったかたちで旗揚げすることもできたと思いますよ。でも、使っちゃいましたから。
    ――最終的に禁断の果実に手を出してしまった、と。
    髙田 いよいよほかに頼めるところがなくなって、しぶしぶという感じですよね。ある日、港区のホテルに呼び出されたんですよ。そうしたらそこにいたのがリキちゃん。夢ファク時代に面識はあるんですけど、実質初対面。その流れで東京に来ていた福田さんにも会って、どこかメシを食いに行こうと部屋を出て駐車場まで歩いたときに福田さんが「なんかさ、ワクワクしない?」って笑顔で聞いてきたんです。
    ――夢とロマンで張り詰めていたんですねぇ。
    髙田 でも、こっちはプロレスでさんざん酷い目に遭ってきてるでしょ。「べつにしません……プロレスは凄く大変ですから」って返したら、福田さんビックリしてましたね。
    ――福田さんはやる気があったんですね。
    髙田 そうでしょう、自分から声をかけたわけですから。だけど最終的に2億という金が動いたわけですから。簡単に出せるお金じゃないですよね。事業家が自分の財産を売り飛ばして用意するなんてことはしないです。自分の使える金融機関を通して用意したし、リキちゃんと永島のオヤジに貸し付けるというかたちですよね。
    ――それでWJ崩壊後に裁判沙汰になるわけですね……。
    髙田 福田さんも事業家として、金だけ出して引っ込むわけにはいかない。「社長は自分がやる」と言い出したんです。
    ――単なるスポンサーではない、と。
    髙田 リキちゃんは「どうぞどうぞ!」と。でも、永島のオヤジは計算外だったと思う。これでWJを自分の思うようにはできないでしょ。永島のオヤジは福田さんのことはスポンサーとして置きたかったけど、福田さんからすれば億の金を出すのであればそういうわけにはいかない。
    ――福田さんが社長をやるとなると、リキナガシマ企画にお金を落とせる流れを作りづらくなるわけですね。
    髙田 そうなんです。リキナガシマ企画は必要ない。すべからくWJ内部でやるべきだし、「なんでリキナガシマ企画に利益を分配しなくちゃいけないの?」となる。極めて筋が通った話ですよね。そうなると永島のオヤジは何も言えなくなっちゃったんですよ。
    ――そうなると、リキナガシマ企画の人間でもある高田さんの立場も危うくならないですか? 
    髙田  そこなんですよねぇ。2000万の返済期限は新団体の旗揚げ戦という話になってたんです。永島のオヤジに言いましたよ。「これ、返すなんてできないんじゃないですか?」「大丈夫大丈夫。俺らがやんないと回らないから」。――うーん、そういう話じゃないですけどね(笑)。
    髙田 私はその時点で新団体に入るつもりはなかったんです。なぜかというと、なんの関係ないから。
    ところが1500万は会長から引っ張ったわけですから、なんとか返してもらわないといけない。でも、永島のオヤジは軽く考えてますからね。このオヤジのそばから離れるわけにはいかないとなると、新団体に入るしか手はないですよね。そこでオヤジの誤算は、福田さんが「龍、おまえも新団体に入らないとダメだよ!」と言い出して、私が福田さんやリキちゃんと仲が良くなっちゃったことなんですよ。
    ◯屋形船の忘年会はバッシングされましたけど……――こうして違和感なく新団体に入り込めたんですね。高田さんに給料は出たんですか?
    髙田 営業部長という立場ですけど、出ていないですよ。その頃、私はお金に困ってなかったこともあったし。福田さんは「月に経費で50万払うよ。その代わり給料なしな」って。その経費も1回だけしかもらってない。あとは全部自腹。
    ――永島さんは給料出てたんですよね。
    髙田 出てましたよ。彼は支度金ももらってます。さっきも話にあったけど、移籍してきた選手ひとり当たり500万円出てたでしょ。もらった人間の中に永島勝司の名前もありましたから。彼に誠意があれば、そこから少しでも私たちに返しますよ。でも、一銭ももらっていないです(笑)。
    ――一銭も!
    髙田 全部がダメになったあと、彼は私にお金を返し始めました。1回目50万、2回目25万、そのあと5万円づつ……。全部で100万ちょっとかな。だけど、2000万のお金を銀行から借りたら、100万なんて金利ですぐに消えますよ。永島のオヤジがそんな状態なので、会長には私のほうから返したんですよ。
    ――結局、北関東の会長は今回もプロレスでいい夢を見られなかったんですね……。
    髙田 私も新団体に入ってなんとかリキナガシマ企画にお金が組み込めないかと福田さんに相談したんですけどね。団体の仕事にも関わるようになって。興行とはまったく関係ないこともやったりして。……◯◯に食われちゃった女の子が事務所に怒鳴りこんできた件も収めたり(笑)。
    ――◯◯さんなら凄くありそうな話!(笑)。
    髙田 リキちゃんも対応してましたよ、その女の子と親御さん相手に。そのあと◯◯はリキちゃんにボコボコにされたんじゃないかな。この続きと、中村祥之、RENAの大晦日、中邑WWE、プロレス点と線、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「13万字詰め合わせセット」はコチラ 
  • プロフェッショナル 速報の流儀■「MMAオレンジ色の手帖」

    2016-01-21 00:00  
    33pt
    格闘技ブログ「MMA THE ORANGE」の管理人オレンジがディープなエピソードをお届けする「MMAオレンジ色の手帖」! 今回のテーマは「格闘技観戦速報」です!2016年は新年早々波乱の幕開け。ベッキーとゲスの極み乙女の不倫騒動に始まり、SMAPの分裂騒動と、人のプチ不幸が三度の飯より好きな性格の悪い私にとってはたまらない日々が続いています。どちらも修復するのは難しそうなので、いっそのこと「みそぎ」という事で雁首揃えてRIZINに参戦するのはいかがでしょう。「ベッキー 卒論合格を賭けて榊原実行委員長に参戦直訴!」「キムタク 中居を涙の腕十字葬」「稲垣 大晦日RIZINで電撃復活!」なんて見出しが一面を飾る日が来るという初夢を見ています。榊原さん、ダメ元でどうかオファーだけでもお願いします。火中の栗を拾いにいきましょう!実際には新年早々傷害容疑で逮捕された高岡奏輔へのオファーが現実的なところですが…。さて、そんな芸能ニュースと妄想の世界とは裏腹につつがなく始まってしまった2016年の日常。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。私はまだ正月気分が抜け切れずフワフワしていますが、今回は大変僭越ながら「私の日常」をクローズアップ。病的なルーティンとしてもはや生活の一部として染み込んでいる「格闘技観戦速報」について綴りたいと思います。まず初めに観戦速報とはなんぞやと。それは観戦する格闘技イベントの試合内容と結果を会場からブログやTwitterを使ってリアルタイムに速報していくものです。何でそんな物好きな事を始めたのか、今となってはよくわからなくなっていますが、速報を始めた2004年当時はTwitterもなく、マニアックな情報を得るのに四苦八苦していたご時世。中規模の大会はせいぜい2ちゃんねるの格闘技板にかじりつかないと結果や内容を素早く把握できない状況でした。そこでせっかく会場に足を運こぶのであれば、地方に住んでいて会場に来れない人や、用事があってどうしても観戦出来ない人達に結果と臨場感を届けられたらという気持ちで始めたような記憶があります。この青臭いジャーナリズム? もしくは大いなるお節介? 今思うと何ともお恥ずかしい話です。この続きと、WJ屋形船、中村祥之、RENAの大晦日、中邑WWE、プロレス点と線、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「13万字詰め合わせセット」はコチラ 
  • 中井祐樹の「東奔西走日記」1月1日〜14日編

    2016-01-18 13:00  
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    日本格闘技界の礎を築いたレジェンド、中井祐樹先生@yuki_nakai1970 が日常を綴る連載! 今回は1月1日から15日まで!1月1日 金曜日 晴れ RISING 昨夜はRIZINより帰宅後バタンキューで、起きたら昼だった。あけましておめでとうございます。まだ眠い。 この三が日はゼッテー何もしないんだ! と誓う。完全休養宣言、である。 さしあたり、来てる年賀状をチェック。数枚の返事を書いたのち録画してた紅白を見る。感想は特になしだなぁ。マッチ懐かしかったけど。 その後、『愛染かつら』を観る。フィルムが完全な形では残っていない、戦前の大ヒット作品が今年最初の映画観賞。映画館じゃないのが残念だけどさ。古映画、やっぱ味わい深いよな~。 夕方より客人をお迎えし会食。しばし時を忘れる。客人が帰られてしばらくしてから今度は『ツレがうつになりまして。』を見始めるも、ほどなく撃沈。あらら、今年もこんな調子かしら。1月2日 土曜日 晴れ 「初夢」 『ツレうつ』を再び観る。今度は最後まで。爽やかな映画。午後から野暮用で新宿まで行き、Uターン。新宿もさすがに普段より静かに感じるね。 ここまで見事に何もしないとボケてきた気がする。でもこれを三が日は続けますよ。人体実験です。これは夢でもあったんです、ささやかな(泣)。1月3日 日曜日 晴れ Sound of Joy 初詣は西新井大師へ。過去最高の混雑、日曜だからかな?遅い昼飯に中華料理屋さんでチャーハン大盛を食べ、ビールも飲む。いや~、正月正月。 帰宅後ゆっくりしてるも家人よりカラオケの誘いがあり、行くことに。カラオケバンバン、ジャックス・四人囃子・瀬川洋・デイブ平尾などがあり驚愕。もちろん歌ったよ。「花が咲いて」、「おまつり」、「ピエロ」、「一人」! 今回は歌わなかったけどフラワートラベリンバンド・頭脳警察・外道なんかもあった。成田賢は調べ忘れたけど。JOYSOUND×UGAってタイプみたいだけど、こりゃヤバいよ! 勝手ながらオススメします。1月4日 月曜日 晴れ 休み過ぎて… 今日から少し復帰ムード。で、身体と身辺のもろもろを処理処理。ぼちぼち。休み過ぎてなんかダルい。ま~こんなの滅多にないからもう少しゆっくりしますね。悪しからず。1月5日 火曜日 晴れ 再起~ぶらぶら 朝、昨夜途中で撃沈した『ロッキー』を観る。意外と濃くはなかったけどやっぱ何かやろう、って気にはなるよね、ウン。ナンバーシリーズ再見していきますかね。 昼過ぎより鍼治療。寝る姿勢について質問したり、正月寝過ぎで(?)腰や大腿部裏側が痛くなった件などを尋ねる。休むと本当に悪い箇所が見つかるんだ、とのお話に納得。不摂生した割には意外と具合は良いとのこと。今年もよろしくお願いします。 町田までの時間、新宿をぶらりと歩く。本屋やディスクユニオン中心だかね。疲れるくらい歩くのが好きなんだな。結局買い物はせず、でも今年読みたいもの聴きたいものはチェックできたぞ。これでよし。 今年最初の指導は町田。「K-1ジム・チームドラゴン・パラエストラ町田」である。今年は指導回数も増えますので皆さん是非お会いしましょう。この続きと、WJ屋形船、中村祥之、RENAの大晦日、中邑WWE、プロレス点と線、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「13万字詰め合わせセット」はコチラ