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記事 29件
  • 【非会員でも読める11万字セット】メイウェザーvs天心、高橋奈七永、追悼・爆弾小僧、柴田惣一……

    2018-12-31 23:59  
    540pt
    非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! part59は大好評インタビュー12本、コラム8本、11万字オーバーで540円!!(税込み)

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    part59

    ◎全女イズム最後の継承者・高橋奈七永インタビュー「リングの中でも外でも潰し合いでした」
    ◎世界を驚かせる妖しい仕掛けとは何か? 「世紀の呼び屋」康芳夫インタビュー

    ◎柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」

    ◎【追悼・爆弾小僧】すべてはダイナマイト・キッドから始まった■斎藤文彦INTERVIEWS
    ◎激論!! メイウェザーvs天心は真剣勝負でやるのか■シュウ・ヒラタ☓ジャン斉藤

    ◎平成最後のやれんのか! 川尻達也大晦日直前インタビュー

    ◎川尻達也vs北岡悟が生きた時代……「やれんのか!」は「でも、やるんだよ!」である

    ◎「メイウェザーにパンチは当たらないでしょう……でも那須川天心に夢を見たい!」■鈴木秀明

    ◎佐々木憂流迦RIZIN契約の裏側から、クロンUFC入りまで!!■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク

    ◎【K-1MAXフォロワーの原点】那須川天心vs武尊実現のポイントは「ゴールデンタイム」ではないか

    ◎プロはこう見る!「コールドウェルが固く攻めてきたら堀口くんが有利です」■大沢ケンジ

    ◎RIZINとベラトールを実力で繋げた堀口恭司……これが新しいMMAファイター像だ!!


    ◎オマスキファイトのMMA Unleashed
    ・追悼ダイナマイト・キッド:「レスラーとして偉大だったが、人としては惨めな人生だった」
    ・UFC232会場変更の顛末! ファン大混乱、そして薬物検査に形骸化の危機!
    ・にわかに暗雲立ちこめるUFCのESPNデビュー大会:DV加害者とDV被害者が競演の異常事態
    ・北米PPV市場ははからずもUFCが独占へ:その背景を追う
    ・UFCのラスト・ストリートファイター、ブライアン・オルテガがガレージからアメリカンドリームをつかむ!
    ◎アメプロインディ通信「フリーバーズ」
    ・DDT退団、海外を放浪する入江茂弘のタチムカウ生き様
    ・「WCWを潰した俳優」デヴィッド・アークエット、血まみれの贖罪
    ・「受け身の天才」と呼ばれた男、ジェイミー・ノーブル■ジョバーのブルース
    ・年末年始の主役!? 棚橋弘至と浜崎朱加の2大イケメン


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    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は東京スポーツの名物記者として活躍し、テレビ解説者としても有名な柴田惣一氏をゲストに迎えてお送りします! 12000字のプロレスマスコミ大御所対談!! 




    <1記事から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!>多発するプロレスラーのケガを考える愛すべき元横綱・輪島が戦った全日本プロレスの2年間全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話プロレスラーが憧れたプロレスラー、マサ斎藤さんあの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩最後まで全日本プロレスを愛した馬場元子さん
    中邑真輔、棚橋弘至、柴田勝頼……新・闘魂三銃士最後のムーンサルトプレス……天才・武藤敬司縁の下の力持ち!! 坂口征二の荒鷲人生WARからイッテンヨンへ! ライオン・ハート時代のクリス・ジェリコ
    「情」で生きる佐々木健介の激烈人生! 
    プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE 暴走親方、諏・訪・魔!!嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み!  猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!
    全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信
    鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”
    高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿――小佐野さんと柴田さんがいつからのお知り合いなんですか?

    柴田 もう長いよね〜。ボクは1982年に東京スポーツ入社ですよ。

    小佐野 俺は先に『ゴング』でアルバイトでやってたけど、その当時は月刊誌の編集者だったから、毎日張り付いている新聞記者とはスタンスが違うわけだよね。会場に頻繁に顔を出すようになったのは1984年に『週刊ゴング』になってからで。

    柴田 東スポに入った最初の頃は忙しくて周りを見る余裕がなくて。しばらくしてからいろいろ話をするようになったんだよね。

    小佐野 あとから『ゴング』の全日本担当として現場に行くようになったでしょ。柴田くんは馬場さんと並んでニコニコしゃべってるから凄いなあと思ってね。こっちは馬場さんに全然相手にされなかったんだから。口も聞いてくれないし。

    柴田 そうだっけ?

    小佐野 そうだよ。馬場さんには話しかけても適当にあしらわれる。からかわれるというか、まともに取材を受けてくれない。本当に困っていたら、そのシリーズのオフに初めて「小佐野くん」と普通に接してくれるようになった。馬場さんは1シリーズだけ新人記者の様子を見ていたってことだよね。

    柴田 ああ、それはわかる。馬場さんは敵か、味方かを分ける人だから。いったん認めると凄くフレンドリーなんだけど。 

    ――当時は試合がないときでも、新日本や全日本の事務所にそれぞれ担当記者が詰めていたんですよね。

    柴田 そうそう。担当記者が事務所に詰めていたし、我々の時代は事務所の出入りが自由だから。

    小佐野 いまは新日本の事務所に取材に行っても、入館証を持っていないからトイレにだってひとりでは行けないんだよね(笑)。

    柴田 ハハハハハハ。

    小佐野 昔は社員の机の上に重要資料とかがポンと置いてあったりするわけだから(笑)。ハッキリ言って会社としてどうかとは思うけどね。

    柴田 ボードには切符が何枚売れているとか実数が書いてあるしね。それは団体が我々のことを信頼していたっていうことでもあるんだけどね。

    小佐野 まあこっちも余計なことは書かなかったから。

    柴田 あの頃はプロレスマスコミしか集まってなかったからね。いまはプロレス以外のマスコミも取材に来るわけでしょ。あんな自由に出入りさせるわけにはいかないよね。外には出したくない機密情報もあるよ。

    小佐野 昔は会場の控室にも自由に入れたし。自由とはいっても、そのレスラーによってハードルはあるんだけどね。

    柴田 控室で石油ストーブにあたりながら、猪木さんや坂口さんらと普通に茶飲み話できてたから。ある時点になったら、我々は控室から出て行く。

    小佐野 そこは阿吽の呼吸。「そろそろ出ましょうか」と。

    柴田 そういう信頼関係があったんだけど、あるときからガラリと変わったよね。

    小佐野 新日本は長州さんが現場監督になってから。全日本の場合はしばらくOKだったんだよ。三沢光晴体制になってもオープンだったんだけど、NOAHになってから現場を仕切るようになった小川良成が「これがマズイ」ということで厳しくなった。

     

    柴田 そこはね、FMW時代の大仁田(厚)選手が良くも悪くも変えちゃったところはあったよね。大仁田選手がマスコミを抱え込むために、いろんな情報をどんどんしゃべるようになっちゃったんですよ。「◯月◯日に何か事件が起こるよ」とかね。

    小佐野 FMWからすれば会場へ取材に来てもらいたいからね。『ゴング』の編集部にも電話があったんだよ、「ここで何が起きますから、ぜひ取材を」って。当時の新日本や全日本はテレビマッチのときは会場取材してたんだけど、テレビ放送のないFMWがどうやってマスコミに来てもらうかといえば、事前に何かが起こるって先に伝えるしかないんだよね。

    柴田 そうすると新日本・全日本になかなか踏み込めなかったマスコミは、FMWを応援するようになるよね。

    小佐野 そのFMWも大仁田が離れてからエンタメ路線になって、プロレス以外のマスコミが取材に来るようになったから、さすがに冬木弘道が「これはマズイ」と。プロレスを知ってる人間だけならいいけど……ってことで一時期、規制を設けた。

    柴田 それが古き良き時代だったかどうかはなんとも言えないけども、まあそういう時代でしたよね。

    小佐野 ネタが欲しいときには道場に行って一緒にチャンコを食べればいいし。

    柴田 そうそう(笑)。事務所に行くか、道場でチャンコを食べるか。

    小佐野 チャンコの味のリクエストなんかもしちゃったりね(笑)。当時はシーリズオフになっても、『ゴング』は週に1冊作らなきゃいけなかったからね。選手を連れ出して変な特訓をやったり。

    柴田 わけのわからないことをやらせたよね(笑)。

    小佐野 当時は携帯なんかなかったから、選手の家に電話するしかない。選手の奥さんが電話に出ちゃったりしてね。

    柴田 選手との付き合いはダイレクト。当時は団体も何も言わないわけですよ。

    小佐野 ああ、じつは週刊誌の場合はそうじゃなくて、全日本は許可がないと取材するのはダメだったんだよ。

    柴田 ああ、そう。

    小佐野 会場での取材は自由だったから、電話で取材したんだけど、会場で話を聞いたことにしてね(笑)。

    柴田 ああ、なるほどね。

    小佐野 元子さん(ジャイアント馬場夫人)にいろいろ言われたけどね。「控室でこんなに長く話をしてた?」って(笑)。全日本がうるさくなったのは、輪島さんが入団してから。元横綱のプロレス転向ということで、一般マスコミも全日本に取材に来るようになっちゃったからね。団体側からすれば勝手に取材されるのは困るし、どうしても原稿チェックしたくなるわけですよ。

    柴田 でも、新聞の場合はいちいち許可をもらってる時間はないからね。

    小佐野 そこは週刊誌からすれば羨ましかったよね。プロレス界自体がチェックを厳しくやり始めたのは、UWFインターの宮戸(優光)くんからだよね。彼は原稿チェックが厳しかったから。

    柴田 新聞の場合はそんな面倒なことを言われたら「じゃあ、載せませんから」って感じだったし。

    小佐野 まあそうなるよね。あの原稿チェックによって高田延彦は非常につまらない男になっちゃったんだよね。高田延彦の地が出たのは『ハッスル』に入ってからですよ(笑)。昔から面白い男だったんですけどね。

    柴田 選手を変にガードをしちゃダメってことだよね。

    小佐野 なるべくその選手の口調は残したいわけじゃない。「俺」が「私」に変えられちゃうだけでも硬い内容に見えちゃうから。 

    柴田 そこは「こっちに任せてくれ!!」って言いたくなるよね。こっちは普段から話を聞いてるから、あらためて取材しなくても選手が何を考えてるのかはわかるから。

    小佐野 いまは団体のチェックもあたりまえだし、けっこう大変だよね。

    ――選手もSNSで直接、発信できちゃう時代でもありますしね。

     

    小佐野 あの長州現場監督時代の厳しい中でも、選手はみんな言いたいことは言ってたんだけどね。

    柴田 とくに規制があったわけじゃなくて、選手が自己主張するのはOKだったよね。

    小佐野 それが本当に面白かったら、あとから長州さんが追っかけてくる。

    柴田 うん、面白かったら長州さんも一緒に走るんだよね。

    小佐野 でも、長州さんはNOなものは絶対にNOだから怒っちゃうこともある。そこは選手たちも勝負だから、マスコミの力を借りて一か八かで発信する。長州さんが面白がるか、怒られるか。

    柴田 紙面を通じて長州さんの顔色を伺う……っていうのはあるよね。

    小佐野 新日本時代の大谷晋二郎がクビになりかけたときがあったでしょ。あのときは長州さんが大仁田とやる・やらないが話題になっていて、それがスーパージュニアを開催している時期だったから、大谷がキツめの批判をしたんだよね。それに長州さんは怒っちゃって「オマエはクビだ!!」と。大谷も「じゃあ、やめます」って巡業先から帰っちゃった。 あの佐々木健介が必死に大谷をなだめるというね(笑)。

    柴田 西村修選手も長州さんとは相当揉めたよね。そこは勝負してたんですよ。

    ――紙面を通じてキャッチボールをすると。

    柴田 基本的にガチンコですよ。もともと流れがあるものもあるけど、ガチンコから流れが作られるのもあるし。そこは周囲の反応を見ながら動いていく。それは猪木流ですよね

    小佐野 それでいえば、全日本が東京ドームでやったときに藤波さんが「出たい」と言い出したんだよね。あの人はあまりしゃべるのがうまくないでしょ。こっちが藤波さんの言いたいことをうまく書いてあげたんだけど、その発言が新日本で問題になって会議が開かれたときに、藤波さんは自分のインタビューが載った『ゴング』を持ち出して「ボクが言いたいことはこれです!」と(笑)。

    柴田 選手がなかなかうまく言えないときは、マスコミがサポートしてあげるってことだよね。東スポを読んで「あー、俺がやりたいことはこれなんだな」って納得する選手はいたんですよ。武藤選手なんかもそうでしたよ(笑)。そこは持ちつ持たれつの関係。

    ――蝶野さんも東スポの使い方はうまかったですよね。

    柴田 いまの内藤哲也選手なんかは蝶野選手みたいなやり方ですよね。

    小佐野 内藤もあの反逆さが売りになってるわけだから。昔で言えばアントニオ猪木というプロレスラーのイメージは、東スポの桜井康雄さんが作ったようなもんだし。

    柴田 もちろんその選手の面白くないと、いくらマスコミが盛り上げてもスターになれない。マスコミが魅力を引き出してあげるということだね。

    小佐野 天龍革命もそうだったよね。天龍さんが自分で団体やマスコミを動かしたのが天龍革命の面白さで。長州さんたちが新日本に戻ってしまった。どうするか? 自分がジャンボ鶴田ら本隊とやりあうしかないって阿修羅・原さんとコンビを組んでね。そうやって盛り上がることで、あのジャイアント馬場があとから天龍さんについていくかたちになったんだから。

    柴田 天龍革命は全日本プロレスの中では画期的なことだよね。本当の革命だった。

    小佐野 だから俺らマスコミも面白がって応援してしたわけだもんね。でも、マスコミが「天龍、全日本離脱か」みたいに煽ったときは天龍さん本人は内心焦ってたらしいんだよね。「本当に全日本をクビになったらどうするんだ?」って。 

    柴田 馬場さんの性格をよく知ってるからね。

    小佐野 馬場さんはバッサリと切り捨てる人だからね。紙が売れる、選手も人気が出る、団体のチケットも売れる……うまく進めば八方うまく収まるし(笑)。

    柴田 俺らマスコミが「面白い!!」と思ったことは、ファンが「面白い!」とも思うだろうしね。そうすれば団体も乗ってくるだろうし。だから楽しかったですよ。活字メディアが力を持っていた時代だったから。 

    ――東スポだと毎日記事を書かないといけないですから、大変だったんじゃないですか?

    柴田 たしかに毎日書くのは大変。会場に行く前に「今日はこのネタでどうだろう」とデスクと相談してから取材をしてね。ハマればそのネタで書くんだけど、試合を見てからでは遅いよね。

    小佐野 柴田くんはとにかくネタを探してたよね。

    柴田 亡くなった仲田龍リングアナウンサーとは世代が近いから「何かネタはない?」ってよく話をしたりして。昔のマスコミはリングサイドの本部席の隣に座れたから、そこでリングアナと会話できることは大きかったんだよね。ただ、話をしてる姿をテレビで見た元子さんが怒って、別の場所になっちゃったんだけど(笑)。

    小佐野 「何を雑談してるの?」ってことでね。一時期はテレビマッチのときはしゃべらないようにして(笑)。たしかに本部席にの隣に座れるのはマスコミとして大きいよね。リングアナが一番内部情報に詳しいんだから。

    柴田 そこで得た情報をもとに選手取材して記事にするわけだよね。選手もいろいろとしゃべりたいことはあるんだけど、勝手には発信はできないから、こっちから聞いてあげて。

    小佐野 「こんな話を聞いたけど……」なんてきっかけを作ってあげるってことね。

    柴田 選手の結婚話なんて、そういうとこから入手するわけですよ。

    小佐野 東スポは結婚ネタを他紙に絶対に抜かれちゃいけないという宿命があったでしょ(笑)。

    柴田 大変なんだよ〜。東スポはプロレスメディアの王様じゃないといけないというプライドがあって、結婚は一番最初に記事にすると使命があった。もう必死でしたよ(笑)。 
  • 那須川天心を信じないで何を信じろというのか〜メイウェザー騒動・解説〜

    2018-12-30 09:03  
    80pt
    プライベートジェットで来日し、その晩は焼肉をたいらげたフロイド・メイウェザー・ジュニア!! 二転三転した世紀の一戦は無事(?)に行なわれるようですが、11月上旬にメイウェザーがドタキャンを示唆し、あらためて対戦に合意した直後にアップした記事を再掲します。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■この記事はメイウェザーvs天心を語ったDropkickニコ生配信を編集したもので、11月20日にアップしたものです(語り:ジャン斉藤)【関連記事】・メイウェザー騒動、米MMAメディアの反応まとめ 「メイウェザーは帰国して、那須川の動画でも見たんじゃないんでしょうか」■MMA Unleashed・なぜ我々は「メイウェザーvs天心」の茶番・八百長扱いを大歓迎するのかRIZINのメイウェザーvs那須川天心騒動ですが、緊急渡米してメイウェザー側と交渉にあたっていた榊原さんが帰国して羽田空港で会見を開き、「試合は行なわれる」と発表しました。でもまあ大晦日まで、だいぶ日にちはありますからね。『下町ロケット』でいえば、ようやく第1話が終わったばかりですよ。まだ何が起こるかはわからない(笑)。
    メイウェザーが参戦中止を示唆してから、この件に関する関係者の発言や、ウェブニュースの内容って正直かなりいい加減なものが多かったと思うんですよね。「契約してなかったに違いない」とか。ボクのツイッターにも「RIZINが北米進出するための話題作りだ」とか絡んできた人がいて。RIZINが北米に進出する気配はまるでないのに!(笑)。
    怪しいのはわかるんです。横溝正史の金田一耕助シリーズに『犬神家の一族』という作品がありますよね。どう見たってゴムマスク姿のスケキヨが怪しいことはみんなわかってるんですよ。「アイツ怪しいぞ!」「あのスケキヨはニセモノなんじゃないか!?」って(笑)。
    金田一耕助シリーズってまだ決定的な証拠は出てこないのに、加藤武が演じる等々力警部が「よし、わかった!」と簡単に犯人を決めつけますよね。今回の騒動も決めつけが早いんじゃないかって思うんですね。「俺は最初からこうなることはわかってた〜」って。いやいや、怪しいのはこっちだってわかってるんですが、結論付けるのは不思議な点が多すぎるんです。金田一耕助が真犯人を突き止める頃には、主要人物はあらかた殺されちゃってるんですけどね(笑)。
    ちなみに金田一耕助最後の事件となった『病院坂の首縊りの家』は、映画と違って原作では事件発生から20年後に解決するんです。20年後、ですよ。猪木vsモハメド・アリも試合直後は酷評されましたけど、後年になって新事実が明らかになっていき、数十年後に再評価されたじゃないですか。答えを見つけようとする姿勢は当然必要ですが、我々は物事をジッと考えて真実を見つける方法を、マット界の歴史から学んでいるはずなんです。
    ただ20年も待ってられないですからね。現時点でのそれなりに推理は必要なっていくので、金田一ジャン助なりの見解を披露したいと思います。
    以前の報道でも明らかにされましたが、那須川天心vs堀口恭司を見たメイウェザー側がRIZINにコンタクトを取ってきたそうです。じつは発表の1ヵ月前くらいから業界内では「メイウェザーとRIZINが交渉している」という噂は流れてたんですが、みんな半信半疑で「そんなの実現するわけないでしょ?」と。だって明らかに怪しい。メイウェザーはスケキヨみたいなもんなんですよ。(会員ページへ続く……)

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    https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1714784
     
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  • 【フリー公開中】大晦日直前必読!! 堀口恭司のセコンドから見た難敵コールドウェル戦

    2018-12-29 23:44  

    今回、堀口恭司のコーナーマンとしてアメリカン・トップチームから派遣されたのは、堀口の試合ではすっかりおなじみのマイク・ブラウンコーチ、そしてこのジョシュア・スミスだ。初めて堀口のセコンドに付くというスミスが、この大一番に抜擢された意味は……? そして、マイク・ブラウンいわく「NCAAのD-1を制したコールドウェルは、UFCフライ級王者ヘンリー・セフードよりレスリングが強いよ」という難敵相手にATTはどう闘おうとしているのか――!?
    【告知】Dropkickニコ生配信情報 https://ch.nicovideo.jp/dropkick/live・お正月RIZIN大総括 開演:01月01日 (火) 21時00分・シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク 開演:01月02日 (水) 20時00分
    ――スミスさん、まずアナタの経歴の方から聞かせてください。
    スミス 5歳の頃にレスリングを始めたん
  • 全女イズム最後の継承者・高橋奈七永インタビュー「リングの中でも外でも潰し合いでした」

    2018-12-28 16:11  
    108pt
    やっぱり全女は凄い!! プロレスは凄い!……と唸ること間違いなしの高橋奈七永ロングインタビュー!! 14000字のボリュームでお届け!!【関連記事】神取忍インタビュー「ジャッキー佐藤シュートマッチの真実」「北斗晶」「ブル中野」……【アジャコング インタビューシリーズ】①「あの頃の全女はAKB48やジャニーズだった」②恐るべし全女の異種格闘技戦/ダンプ松本、究極の親分肌③偶然と必然が折り重なった「アジャ様」覚醒の瞬間④ブル中野・2年間戦争/バイソン木村との哀しき別れ⑤対抗戦ブームの終焉と全女退団……⑥さらば! 私が愛した全日本女子プロレス――高橋さんが全日本女子プロレスのオーディションを受けたのは96年のことですが、そのときは激戦だったんですか?
    高橋 私たちの時代は応募者40~50名ぐらいでした。それこそクラッシュギャルズの時代は何千人もオーディションを受けに来ていたと聞いていたんで、それと比べると全然ですね。
    ――いくら人数が少ないとはいえ、オーディションを受かる自信ってありました?
    高橋 ないですよ! やっぱり、プロの世界なんでレベルが高いんだろうなと思ってましたし。だから私、オーディション前はアニマル浜口ジムに通ってたんですよね。それでも自信はなかったです。だって、ほかにどういう人が受けに来るかもわからないから。どんなに凄い人が集まっているんだろう?って怖かったですけど、実際はそうでもなかったという感じでしたね(笑)。
    ――そもそもアニマル浜口さんのジムで練習をこなすのが大変ですよね。
    高橋 当時は「プロレスラーになりたい!!」という目標はハッキリしていましたから。アニマル浜口ジムで「プロの世界はこういうものだ」と高いレベルで教えてもらえたのは逆にありがたかったですね。
    ――浜口さんってメンタル重視でもありますよね。
    高橋 なにしろ「気合いだあああ!!」の人ですから。でも、本当にあのまんまなんですよ。何かのスイッチが入ると「海や、地球や、空気というのは……」みたいな壮大な語りが始まりますし(笑)。
    ――ハハハハハハハ! 浜口ジム出身の小原道由さんが言うのは、テレビのカメラが回ってなくてもパワフルみたいで。
    高橋 変わらないですねぇ。私がジムに通っていたときは、24時間スクワットという企画に挑戦されたりもしていましたし。
    ――それはテレビの企画でですか?
    高橋 いや、テレビは関係なかったと思います。
    ――プライベートで!(笑)。
    高橋 一人で黙々とスクワットです。もちろん途中でバナナを食べたり、休憩を取ったりしてるんですけど、基本的に24時間ずっとスクワットを続けるという。精神力がハンパないなと思いました。
    ――そんなお父さんのもとで育った京子さんはたくましいはずですよね。
    高橋 私は京子ちゃんと1歳違いで、ジムで一緒にスパーリングをやったりしたんですけど。親子だからこそ、よりキツく京子ちゃんを怒っていた気がします。2人ともオンオフは凄くハッキリしていて、京子ちゃんも練習中は絶対に笑わないし、気の緩みも絶対に見せないんですけど、練習が終わった瞬間にいつものホワ~~ンとした京子ちゃんになるんですよ。
    ――テレビに出ている京子さんは、おっとりしてますもんね。
    高橋 あれが普段の京子ちゃんです。スイッチが入った瞬間もう別人。アニマルさんがよく「目をひんむけ! 野獣になれ!」って言うんですけど、その言葉どおり目の色が変わりますよね、京子ちゃんは。
    ――そういう厳しいところで練習されたら全女にも受かりますよね。入門当時はどんな1日のスケジュールだったんですか?
    高橋 まず朝起きて、9時から寮や事務所の掃除をします。10時から朝練が始まって、それが終わって全女のレストラン『SUN賊』でアルバイトというか、ウエイトレスやるんですよ。
    ――全女の自社ビルの中で経営していた飲食店ですね。
    高橋 夕方からまた練習という感じです。当時の練習は走ったり、縄跳びしたりとか基礎トレーニングですね。全女の道場って目黒のビルの中にあったんですけど、天井が低いのでリングをそのまま立てられないんですよ。だから、コンクリートの上にマットを敷いて練習をするんですけど、それがめっちゃ堅いという。
    ――ああ、マット下のスプリングがないんですね。
    高橋 あんな堅いところで受け身を取っていることも逆に自信にもなるんですよね。だから全女の人はみんな強いんですよ。
    ――「100発投げ」という全女名物の特訓がありますけど、コンクリにマットを敷いただけの場所に投げられるのはイヤですねぇ。
    高橋 そうそう、100発投げね。あれって練習試合を何十分もやったあとに最後の最後にやるんですよ。みんな泣きながら投げられてましたねぇ……。
    ――それは厳密に100回数えるんですか?
    高橋 数えますよ。投げる側が1人10発ずつ投げるんですけど、それを見ている周りのみんなが数えるんですよね。
    ――ちょっと寒気する光景ですねぇ。道場だけじゃなくて地方巡業中の試合前にも100発投げをやることがあるんですよね?
    高橋 もちろんありました。地方の場合はお昼頃に会場入りするんですけど、若手はそこから急いでリングを作って、息つく間もなく練習して……というスケジュールで。そのあとに100発投げを受けながら、アジャ(・コング)さんにメッチャ怒られたことを覚えてますねぇ。私、入門してから何度か逃げちゃってて、何回も出戻りしている身なんですよ。そのことを100発投げのときにほじくり返されて「おまえ、逃げたんだろ!」「また逃げんのかよ!」みたいに怒られて。
    ――それって練習というよりはシゴキに当たるんですか?
    高橋 いや、というわけでもないですね。デビューが決まっていたから、そういう意味で試されていたんだと思うんですけど。デビュー前とか追い込み期間になるとやるわけで。どういう状況でもケガしないという練習だし、心も身体も鍛えられるわけなので理にはかなってますね。
    ――100発投げが理にかなってる!!(笑)。
    高橋 だって、試合なんて心が折れたところで負けるんですから。イヤですもん、自分に負けるの。試合で負けることより、自分に負けることのほうがイヤです。100発投げは自分に負けないための練習ですよね。
    ――先ほど「道場で何十分も練習試合を……」と気になることをおしゃってましたが、それってどういうことなんですか?
    高橋 普通にタッグマッチをやるんですけど、あの練習試合が一番激しいんですよねぇ。当時レフェリーだったボブ矢沢さんがコーチも兼任してたんですけど、矢沢さんがOKと言うまで練習試合は終わらないんですよ。つまんない試合だと3カウントを入れてもらえかったり。
    ――それはプロの試合として成立していないと矢沢さんは認めてくれないということですか?
    高橋 そうです。しょぼい技じゃなくて、しっかり追い込んでフォールしないとカウントを取ってくれないんです。いつも40分くらいは平気でやりますし、最高で60分もあったなあ。
    ――60分!? それって昭和プロレスでよくあった、ゆったりしたリズムのフルタイムドローではなくて、展開の速い内容ですよね?
    高橋 どこでフォールをしてくれるかわからないからずっと全力ですよ。
    南月たいよう(SEAdLINNNGレフェリー・コーチ) 練習試合なのにビルを飛び出して道路なんかでもやりあって帰ってくるときもありましたよ(笑)。
    ――早すぎた路上プロレス!(笑)。
    高橋 練習試合じゃもったいない。お客さんに見せたらお金を取れるって言われてましたね。入門から3年目までの人たちが一緒に練習をするんです。上のほうになると一緒には練習しなくなるので。
    南月 でも、奈七永さんは、3年どころか5~6年経ったあとでもやってましたよね? 先輩の中で一番マジメに練習やってました。
    高橋 私は練習しないとリングに立っちゃいけないと思っている人間なので。
    ――代が1年違うと人間関係もガラリと変わるじゃないですか。練習試合でもその関係を引きずっているわけですよね。
    高橋 まあ、逆にこっちは後輩のことを「ガンガンやってこいよ!」って感じでナメてかかってますから。そこで遠慮したりすると、その後輩はそのまま潰されますからね。そういうところから毎日が闘いですよ。気が休まるときがないですね。
    ――練習試合からして潰し合いだったんですか……高橋選手が入門された当時も、抑え込みで決める実力勝負の試合はあったんですか?
    高橋 もちろん。全女の若手はそこから闘いが始まるんで。
    ――抑え込みの実力で序列を決める闘いはプロレス界の中では特殊ですけど、高橋選手も全女流の闘いを理解して入門されたんですか?
    高橋 理解も何もないですよ。私は全女が好きで見ていたし、全女を見ていれば、そういう闘いだってことはわかりますから。そもそも私はプロレスラーの強さに憧れて全女に入ってますし。抑え込みも含めて「闘い」があるのは当然のことでしたね。
    ――高橋選手がいまでも格闘技の試合に出たりするのは、その延長線上というか。
    高橋 そうですね。もともと全女って格闘技戦をやったりとか、アマレスの大会に出たりとか、そういう側面もありましたから。私が一番憧れていた堀田祐美子さんもV☆TOP WOMANという総合格闘技のトーナメントに出て強かったですし。いつか自分もそういう闘いをやりたいなという気持ちはありました。そもそもアニマル浜口ジムからスタートしているので、わりと格闘技の練習はコンスタントに続けてきていたんですね。プロレスラーは強くないといけない、と。
    ――全女はレスリングやキック、MMAの試合をあたりまえのようにやってましたもんね。
    高橋 豊田さんはアマレスの全日本選手権で優勝してますし、アマレスとコラボした大会なんかもあったんですけど、脇澤美穂は当時アマレスのトップだった山本聖子ちゃんとアマレスルールの試合を急にやらされて。負けて泣きじゃくってましたね。アマレスの人にプロレスをやりなさいと急に言われてもできないのと同じで、プロレスラーが急にアマレスの試合で勝てるわけないんですよ。競技が違うから。試合をやらされることにも納得いかないし、負けることもくやしいから泣いてたんだと思うんですけど。
    ――会社の命令だから断れないんですか?
    高橋 イヤだから出ないとか、そんなの通らないじゃないですか。もうやるしかないんですよね。会社も選手もそういう姿勢だから全女という団体は世に出たんだと思います。
    ――タフじゃないと全女では生き残っていけないんでしょうね。
    高橋 しかも、全女はプライベートでの関係性がそのままリングに持ち込まれていましたからね。豊田真奈美さんが、吉田万里子さん、伊藤薫さん、長谷川咲恵さんと「フリーダムフォース」というユニットを作られたときは、巡業のときにそのメンバーだけ変な場所に控室があったりとか。
    ――アジャさんが全女のトップだったブル中野さんに反旗を翻したときは、巡業のバスにも乗れないし、控室にも入れてくれなかったとか。リング上の対立がそのまま反映されるという。
    高橋 豊田さんは会社から何かされたわけではないんですけど、選手のみんなが気に入らないことがあるとそんな目に遭ったり……女の殺伐とした争いはつきまとっていました。
    ――全女が凄いのは、フロント陣が選手間の対立を煽ってたんですよね。
    高橋 ああ、そうなんです。私も前川久美子さんと、些細なイザコザがきっかけでリング上での抗争に発展しましたからね。たしか前川さんが後輩を殴ろうとしたときに、私が止めに入ったんですよ。そのときに私の手が前川さんに当たっちゃって、私が前川さんを殴ったみたいになっちゃって。そこから確執が始まった感じですね。
    ――その確執を聞きつけた会社がマッチメイクすると。
    高橋 それを聞いちゃったら会社は試合にしますよね。つまり「外でやるならリングの上でやれ!」ということだと思うんですけど。
    ――そういう因縁が発端で試合が組まれると、相手との信頼関係って保てるんですか? 
    高橋 信頼関係がないって思いますよね? でも、全女という傘の下にいるから、やっぱり信頼関係はあるんですよ。相手に対しておもいきりぶつかってもいいという信頼関係。相手も自分も「全女の選手だ!」というプライドが強いんで。
    ――そこはお互いにプロなんですね。
    高橋 もちろんプロなのでケガさせないことも大事ですし。そこは全女が好きでみんな集まってきていて、リング上の闘いを充実させたいという共通の思いがあったからこそだと思います。でも、前川さんとの試合はヒドい試合になりましたねぇ。私もグーパンチをいっぱい入れてましたし、2人とも髪をつかみ合って動かないという(笑)。
    ――ハハハハハハ!
    高橋 お客さんのヤジも飛んでいて。前川さんとはその後も何試合かやるんですよ。
    ――うわー、精神的にもキツイですねぇ、それは。
    南月 その抗争が行きすぎたことがあって、奈七永さんが後楽園ホールのエレベーターを蹴って壊すという事件も起きましたよね?(笑)。
    ――エレベーターを破壊ってどういうことですか!?(笑)。
    高橋 あのときは堀田さんも絡むんですけど、堀田さんは当時もう全女をやめられていたんですよ。でも、私と前川さんの試合に乱入してきて、結局前川さんが「私は堀田さんに付く!」と言ってリングから出てっちゃったんですよ。私としては「なんじゃ、そりゃ!?」じゃないですか。怒り狂ってリング下に置いてあるリング設営用スパナを取り出して追いかけたんです。
    ――ええええええええ!?
    高橋 2人が肩を組んで後楽園ホールのエレベーターの中に入っちゃったので、エレベーターのドアをバーンと蹴ったんです。そしたらエレベーターが止まっちゃったという(笑)。
    ――ハハハハハハ! ヤバイやつじゃないですか!
    高橋 あのときは怒られましたねぇ、松永会長に。
    南月 周囲にお客さんもいたし、大事件でした。ほかの選手も控え室から出てきて、みんなで奈七永さんを止めるみたいな(笑)。
    高橋 もう無我夢中だったから。そのときは試合を魅せるというより「勝ちたい!!」「闘いたい」という気持ちのほうが圧倒的に上だったんで。当時は「どうしたらラリアットで人が殺せるか」を真剣に考えて、ずっとサンドバックで練習していましたから。
    ――ひえ~(笑)。でも、そこはプロレスの技の範疇なんですね。
    高橋 プロレスの技でどうにかしたいから、プロレス技を練習しました。
    ――闘いを通して前川選手とわかり合える瞬間はあったんですか?……14000字インタビューはまだまだ続く!!この続きと、メイウェザーvs天心、高橋奈七永、追悼・爆弾小僧、柴田惣一…などの記事がまとめて読める「11万字・記事20本の詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • UFC232会場変更の顛末! ファン大混乱、そして薬物検査に形骸化の危機!■MMA Unleashed

    2018-12-28 12:13  
    70pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマはUFC232会場変更の顛末! ファン大混乱、そして薬物検査に形骸化の危機!です!!

    【1記事50円から購入できるオススメ記事】・追悼、山本”KID”徳郁 米国からも押し寄せる悲しみの声・やばいUFC:ジョン・ジョーンズ減刑の本当の理由 / ハビブのロシアン・コネクション・レスリングオブザーバーのスターレーティングとは何か・米インディプロレスの記念碑的祭典『ALL IN』で起きたこと日本時間12月30日(日)にネバダ州ラスベガスのTモバイル・アリーナで開催予定だったUFC 232が、カリフォルニア州イングルウッドのザ・フォーラムに会場を変更して開催されることが、試合1週間前の現地時間12月23日(日)になって電撃発表された。
    メインイベントに出場予定だったジョン・ジョーンズの薬物検査に「異常(Abnormality)」が見つかったことに関連し、ジョーンズがネバダ州でファイトライセンスを得られないため、ライセンスを取得できるカリフォルニア州に試合会場を移すというのだ。
    今週の米MMAメディアはこの件で持ちきりだが、筆者は目や耳を通した中でも、『レスリングオブザーバーラジオ』の報道はもっとも手厳しいものだった。今回は、このラジオショーで語られたデイブ・メルツァー記者の解説を中心に、何が起きているのかを追跡してみたい。
    ****
    まずは事実関係から。12月9日に実施されたジョーンズの尿検査から、60ピコグラムのトゥリナボル(ステロイドの1種)が検出された。ジョーンズが前回、薬物検査に失格した際(2017年7月28日、コーミエ戦直前の薬物検査)にも、同じ薬物が20~80ピコグラム検出されていた。
    トゥリナボルは、かつては大変検出しにくい薬物として知られ、ロシアのスポーツ選手が一時期、多用していた。少量の服用ではパフォーマンス増強効果は望めないものの、減量中にもパワーを維持することができるというメリットがあるとされる。検査でこの薬物を検出できる期間は、服用後最大で6週間だとされている。
    ジョーンズは、2017年7月6日と7日に行われた検査には合格しているが、7月28日の検査(コーミエ戦直前)で失格した。
    2017年10月11日、コーミエ戦から6週間以上が経過した時点で、ジョーンズは尿検査に合格している。その後USADAは、2018年8月までジョーンズに対する薬物検査を行っていない。ジョーンズの復帰が決まってからここ3か月で、USADAはジョーンズに9回の薬物検査を行った。12月9日の検査で失格するまで、ジョーンズはそのすべてに合格している。12月9日の検査で60ピコグラムのトゥリナボルが検出されると、USADAはこれを「異常値」であり、ジョーンズが新たに違反薬物を使ったのではなく、昨年使用しすでに処分を受けた薬物使用の「残留分(residue)」だと説明した。
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  • 年末年始の主役!? 棚橋弘至と浜崎朱加の2大イケメン

    2018-12-28 11:42  
    70pt
    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃@nikaidoayanoがいつのまにかMMAジムに通いだした行方すを見守るこのコーナー。今回のテーマは年末年始の主役!? 棚橋弘至と浜崎朱加の2大イケメンです。【関連記事】・【フリー記事】私が経験した芸能事務所トラブル■二階堂綾乃
    ・QUINTET女子版をやってほしい!!・プロレスファンのマナーはいいと思ってます!・ポールダンサーは踊るよ……妖しい興行に旦那が出た話・【#MeToo】身体を鍛えてから一度も変質者に遭ってない
    ――今年のプロレス界で最も印象に残ってるものはなんですか?
    綾乃 ショックなことでいうと、オカダ・カズチカと外道さんのコンビが解消されたことがショックでショックで……。
    ――あらま(笑)。
    綾乃 自分が思っていた以上に、あの2人が離れてしまったことがショックでしたねぇ。14日の後楽園ホールのオカダと外道さんの試合を見て、やっと心の整理がついたというか。この試合は心の整理がつかないファンに向けてなのかなって思いました。
    ――今年のオカダ選手はロングタイツにしたり、風船を携えて入場したりとか、マイナーチェンジをしてましたよね。
    綾乃 オカダ選手の変化を好意的に受け止める人と否定する人にけっこう分かれてて。私は長いズボンになったときに「オネエっぽいなあ……」って思っちゃって。
    ――いろいろと試行錯誤してるということですよね(笑)。
    綾乃 それはそれとして今年一番よかったのは「棚橋弘至の年」だったことですね! ここ数年の棚橋選手は大活躍できてなかったじゃないですか。締めのエアギターもなかったし、ベルトも取っていない。いまの新日本の女性人気が高いのは、棚橋選手の力によるものが大きいのに、その本人が真ん中にいないことに不満があったんですよ〜。
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  • 【フリー公開中】平成最後のやれんのか! 川尻達也大晦日直前インタビュー

    2018-12-26 12:22  
    大晦日RIZIN.14の前に急遽開催されることになった『平成最後のやれんのか!』、そのメインを締めるのは川尻達也vs北岡悟だ。「やれんのか!」といえば、いまから11年前の大晦日に開催された『やれんのか!大晦日!2007』のオマージュともいえるが、2つの『やれんのか!』に唯一出場する川尻達也に意気込みを伺った。
    いま入会すれば読める12月更新記事 追悼ダイナマイト・キッド/「メイウェザーにパンチは当たらないでしょう……でも那須川天心に夢を見たい!」■鈴木秀明/「コールドウェルが固く攻めてきたら堀口くんが有利です」■大沢ケンジ/全女イズム最後の継承者・高橋奈七永インタビュー/マネジメントが緊急激白!!「堀口恭司は来年ベラトールに出撃します」/「WCWを潰した俳優」デヴィッド・アークエット、血まみれの贖罪/北米PPV市場ははからずもUFCが独占へ:その背景を追う……ほかhttp://ch.nic
  • 【追悼・爆弾小僧】すべてはダイナマイト・キッドから始まった■斎藤文彦INTERVIEWS

    2018-12-21 18:20  
    85pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「すべてはダイナマイト・キッドから始まった」です! 【関連記事】■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」




    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期


    Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー
    ■“怪物脳”に覚醒したケニー・オメガ■怪物デイブ・メルツァーと『レスリング・オブザーバー』■新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか■怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう ■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
    ■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る■『1984年のUWF』はサイテーの本!
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」


    ■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る

    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

    ■超獣ブルーザー・ブロディ

    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
    ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜




    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 
    ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
    ■「現場監督」長州力と取材拒否■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか――今回のテーマは、先日12月5日の誕生日に60歳でお亡くなりになったダイナマイト・キッドさんです。
    フミ ダイナマイト・キッドは引退後してから車椅子の生活を送ってましたが、現役時代から「あんなに激しいプロレスをやっていたら、いずれ最後は身体がボロボロになってしまうだろう」と言われていたんです。実際にそのとおりになってしまったんですね。キッドの身長は173センチと発表されていましたが、プロレスではよくあることなんですけど、実際よりも高く公式発表しているケースが多い。キッドの本当の身長は170センチくらいだったかもしれないんですが、公式プロフィール上の身長が173センチとなっている有名なプロレスラーは2人いて、獣神サンダー・ライガーと、そして初代タイガーマスクの佐山聡なんです。
    ――おお〜!
    フミ キッドの宿命のライバルだった初代タイガーマスクと、その後のジュニアヘビー級を支えたライガーと身長が同じだったのは運命的ですよね。
    ――キッドはあの小さい身体でヘビー級のレスラーとも渡り合っていたということですね。
    フミ キッドが活躍した80年代のWWEはステロイドの時代でした。ステロイドでパンパンに身体が膨らんだレスラーの典型例として、ダイナマイト・キッドの名前は挙がりますが、彼が84年にWWE入りしたときに周りのレスラーたちがあまりにも身体が大きかったので、キッドも大きくせざるをえなかったんでしょう。
    ――時代の渦に巻き込まれたと言えるんですね……。
    フミ 91年に全日本プロレスで引退したキッドは、93年に復帰しますが、最後に日本で試合をしたのは96年10月みちのくプロレスの両国大会でした。そのときはドス・カラスと小林邦昭とタッグを組み、初代タイガーマスク&ミル・マスカラス&ザ・グレート・サスケと対戦する6人タッグマッチだったんですが、かつて筋肉でパンパンに膨れ上がっていた身体はガスが抜けたように細くなっていて。体重はもう70キロくらいしかなかったと思います。
    ――全盛期の肉体を知っているだけに、あの細りきった姿はショッキングでしたね……。
    フミ WWEでは従兄弟のデイビーボーイ・スミスとブルディッシュ・ブルドッグスというタッグチームを結成していましたが、デイビーボーイも身体をパンパンに大きくしていたんです。あの時代の流れにキッドも翻弄された面もあったんだと思います。身長を伸ばすことはできないけど、体重は増やせる。あの当時のWWEはハルク・ホーガンの時代です。ホーガンの挑戦者はキングコング・バンディやビッグ・ジョン・スタッドやビッグ・ボスマンであったり、一番の名勝負は『レッスルマニア3』のアンドレ・ザ・ジャイアント。
    ――大男や筋肉マン同士の対決がメイン。ジュニアヘビー級というカテゴリーがなかったWWEのリングでキッドは身体を大きくして闘っていたんですね。
    フミ ダイナマイト・キッドの全盛期はそのWWEの時代ではなくて、やっぱり初代タイガーマスクと闘った81年から83年の頃なんです。彼は1958年生まれ。その年に誰が生まれているかといえば、スティング、レックス・ルーガー、スコット・ホール。57年生まれでいえば、ホーク・ウォリアー、ブレット・ハート、ケビン・ナッシュ。いま名前が挙がった彼らの全盛期は90年代ですよね。80年代前半に全盛期を迎えたダイナマイト・キッドというレスラーは早熟型。年齢でいえば20代前半の頃だったんです。――20代前半であのハイレベル!

    フミ デビューも15歳と早いんです。1973年にイギリスで、ビッグダディというイギリスのジャイアント馬場さん的存在のレスラーに「ダイナマイト・キッド」というリングネームを付けられました。このリングネームほど、漢字に当てやすいものはないですよね
    ――「爆弾小僧」ですもんね。
    フミ キッドはイギリスで闘ってるときに、カナダのカルガリーから遠征してきたハート一家の次男ブルース・ハートに発見されたんです。ブルースはお父さんであり、カルガリーのスタンピード・レスリングのプロモーターのスチュー・ハートに「イギリスに凄いレスラーがいる」と報告したんですね。こうしてキッドはカルガリーに呼ばれたんですが、その身体のサイズを見たスチューは「えっ、これがプロレスラーなのか?」と驚いたそうなんです。
    ――こんな小さい身体で大丈夫なのか、と。
    フミ 当時のカルガリーで人気のあったレスラーはモンゴリアン・ストンパーやキング・カーティス・イアウケアやキラー・トーア・カマタ、アメリカから遠征してくるアブドーラ・ザ・ブッチャー。身体の大きいレスラーたちだったんです。というのはカルガリーの観客は林業や炭鉱、牧場で働いてる肉体労働、ブルーカラー層が多かったので、身体の大きいレスラー同士の荒っぽいプロレスが好まれていたんですね。しかし、ダイナマイト・キッドがカルガリーで活躍することによって、日本でいうところのジュニアヘビー級にあたる、ミッドヘビー級のタイトルが作られることになったんです。
    ――その後、世界中のプロレスに影響を与えることになるカルガリースタイルは、ダイナマイト・キッドのカルガリー登場から生まれたんですね。
    フミ キッドはその実力でカルガリーという土地のレスリング・スタイルを変えてしまったばかりか、いまのプロレスに繋がる革命を起こしてしまったんです。<会員ページへ続く>
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  • 追悼ダイナマイト・キッド:「レスラーとして偉大だったが、人としては惨めな人生だった」■MMA Unleashed

    2018-12-21 18:02  
    70pt

    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマは追悼ダイナマイト・キッド:「レスラーとして偉大だったが、人としては惨めな人生だった」です!!
    【1記事50円から購入できるオススメ記事】
    「近頃の若い選手はプロレスができていない!」インディシーン活況下の米国でも勃発、プロレス観世代抗争!WWE総帥ビンス・マクマホンの生涯を描いた映画の制作が決定!リークされた脚本に書かれていたこととは?ケニー・オメガ熱弁!「新日本プロレスは国境を越えて大きく成長していくべきだ。責任は僕が取る!」 
    ケニー・オメガ発言集・後編「飯伏とは、戦うよりもタッグを組んで、世界を驚かせたい」
    「ダスティ・フィニッシュ」の意味は? オックスフォード英英辞典に見るプロレス隠語集シュートマッチ勃発で全世界震撼!? レスナーvsオートンWWEサマースラムの舞台裏!
    中邑28連勝、アスカ79連勝、イタミはGo 2 Sleep解禁!日本人旋風が吹き荒れる
     

    12月5日(現地時間)、ダイナマイト・キッドことトム・ビリントン氏が逝去した。
    キッドといえば、日本では1981年から始まったタイガーマスク(佐山聡)との一連の名勝負、そしていとこに当たるデイビーボーイ・スミス(現在新日本で活躍しているデイビーボーイ・スミス・ジュニアの親父だ)と組んでの名タッグチームとして人気を博した。
    今年鬼籍に入ったもう1人のキッド、山本“KID”徳郁がMMAで軽量級のパイオニアであったように、ダイナマイト・キッドはプロレスの世界で軽量級の選手の道を切り拓いた存在だといえる。キッド以前には、体重が200パウンドない選手は、基本的にはプロレスラーにはなれないか、なってもスターになることはなかった。それを変えたのがキッドだった。
    キビキビしていてスピードがあってハードヒット、エネルギーにあふれたスタイルを作り上げたキッドは、身体の小ささを感じさせることなく、大きな身体の相手と伍(ご)していくことができた。その試合形式は、クリス・ベノワ、エディ・ゲレロ、ブレット・ハート、獣神サンダーライガー、レイ・ミステリオといった小柄な選手に引き継がれ、さらにそこから、キッドのことを直接知らない今の若い選手にも影響を与えている。画期的だったタイガーマスク戦を改めて見直してみれば、今のプロレスにつながる流儀が透けて見え、その後のプロレスに与えた影響の大きさに改めて気がつくことだろう。
    ***
    代々ボクサー家系だという血の気の多い家庭に生まれ育ったキッドは、子供の頃からアマレスと体操に親しんだ。(会員ページへ続く)
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  • 川尻達也vs北岡悟が生きた時代……「やれんのか!」は「でも、やるんだよ!」である

    2018-12-17 09:11  
    70pt
    この記事は川尻達也vs北岡悟を語ったDropkickニコ生配信を編集したものになります(語り:ジャン斉藤)【関連記事】・川尻達也インタビュー「DREAMが潰れたのは俺のせい。だからRIZINでは……」・血まみれの北岡悟インタビュー「こんな機会はないまま現役生活は終わっていくと思ってた」・大晦日さいたまスーパーアリーナで格闘技がない日今年の大晦日は15時から開始するRIZIN.14とは別に、午前中にも急遽、大会が行なわれることになりました! そのボーナストラックには「RIZIN平成最後のやれんのか!」という大会名がつきましたが、いまから11年前の2017年大晦日に『やれんのか!大晦日!2007』という伝説のイベントがあったんですよね。だいぶ昔のことなので、この大会のことや「やれんのか!」の語源についても知らない人は多いと思いますが、「やれんのか!」という言葉はやたら使われすぎて胃もたれしてるところってなくないですか?(笑)。何かと使いたがる人っているじゃないですか。「◯◯、やれんのか!」みたいに。「ガチ」って言葉もそうですよね。ボクは古い人間なので「ガチンコ」って軽々しく使うべきではないと勝手に思ってるんですね(笑)。
    それは「やれんのか!」も同じなんですが、川尻達也vs北岡悟の試合がメインだからこそ「やれんのか!」という言葉が凄く栄えるという。このカードがあるから「RIZIN平成最後のやれんのか!」は成り立ってると思うんです。「川尻達也と北岡悟がやるならRIZIN.14のほうだろう」という声もありますが、ゼロゼロ年代を疾走した2人が、テン年代の終わりが見えてきたいま、本戦から離れた場所で、彼らしかできない闘いを見せようとする……だから面白いとも言えるんですね。
    まず「やれんのか」の語源からなんですけど、 80年代後半の新日本プロレスで藤波辰爾さんが「いつまでも猪木さんがトップではおかしい」と立ち上がり、その決意の表れとして前髪をチョキチョキとカットする事件が起きたんです(https://www.youtube.com/watch?v=b7LtOomI0FE)。動画を見れば時代背景を知らなくても楽しめるインパクトがあるんですが、ドラゴンがハサミを持ち出したときの猪木さんの慌てようからわかるように、これはすべてフリースタイルの劇場だったんですね。
     猪木さんがリアルに発した「やれんのか?」という言葉がプロレス界になんとなく定着して、それから10数年経った2002年、『PRIDE.23』の吉田秀彦vsドン・フライの煽りVであたらめてフィーチャーされました(https://www.youtube.com/watch?v=ce0jAKdyQNw)。映像が残ってないので確認はできてないんですが、「PRIDE武士道 其の十三」のオープニングVでも効果的に使われたと記憶されてます。それはPRIDEがフジテレビの地上波中継を切られ、危機的状況に陥る中で、選手たちに覚悟を問いた意味もあったわけですね。「おまえら、やれんのか?」と。
    その後、PRIDEはUFCを運営するズッファに買収されましたが、大会は行なわれることなく活動停止。選手たちの今後はどうなるんだ、PRIDEはこのまま終わってしまうのか……と、半年以上の沈黙の末に、旧PRIDEスタッフと残された日本人若手選手たちが、自分やファンに対してケジメをつけるためのイベントが『やれんのか!大晦日!2007』だったんです。
    『やれんのか!大晦日!2007』と『RIZIN平成最後のやれんのか!』のどちらにも出場するのは川尻選手ただひとり。北岡選手は『やれんのか!大晦日!2007』には出てないんですよ。それなのになぜ「やれんのか!」という言葉が彼に相応しいかというと、あの当時パンクラス所属だった北岡選手は一世一代の大勝負に出たんです。

    いま入会すれば読める12月更新記事 「メイウェザーにパンチは当たらないでしょう……でも那須川天心に夢を見たい!」■鈴木秀明/「コールドウェルが固く攻めてきたら堀口くんが有利です」■大沢ケンジ/全女イズム最後の継承者・高橋奈七永インタビュー/マネジメントが緊急激白!!「堀口恭司は来年ベラトールに出撃します」/「WCWを潰した俳優」デヴィッド・アークエット、血まみれの贖罪/北米PPV市場ははからずもUFCが独占へ:その背景を追う……ほかhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/201812