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記事 81件
  • この旦那にしてこの妻あり!! 天龍源一郎を支えたまき代さん■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2022-09-01 00:00  
    150pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は天龍源一郎を支えたまき代さんです。

    <1記事から¥100から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!>
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    冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…


    ――先日お亡くなりになった天龍さんの奥さん・まき代さんとは、小佐野さんはかなり長いお付き合いだったんですよね。
    小佐野 そうですね。全日本プロレスの担当記者になったのが1984年なんですけど。あの当時って携帯電話がなかったので、シリーズオフの取材は自宅に電話するしかないんですよ。そうすると奥さんのまき代さんが電話に出るので「『週刊ゴング』の小佐野と申しますが、天龍さんお願いします」と。接点はそこからですよね。その頃のまき代さんは会場にも来ない。あとから聞いたら、世界最強タッグの最終戦だけ見に来ると。
    ――1年の終わりに顔を出すってことですね。小佐野さんが顔を合わせてお付き合いを始めたのは、いつ頃になるんですか?
    小佐野 天龍さんが全日本プロレスをやめた翌日ですね。天龍さんが全日本プロレスをやめたのは1990年4月。4月19日に最後のジャンボ鶴田戦を終えた天龍さんは、26日に馬場さんと最後の話し合いをして退団。そのニュースが業界中を駆け巡りますよね。私はその日の夜に天龍さんに電話をして「インタビューさせてほしい」と頼んだんですが、もう全日本所属ではないから全日本の事務所では取材できない。どこで取材するとなったら、手っ取り早いのは天龍さんの自宅しかないわけですよ。その取材で初めて天龍さんの自宅に行ったときに、まき代さんとお会いしたんです。
    ――やめた翌日の4月27日にはさっそく取材をしたんですね。
    小佐野 そうですね。その頃、天龍さんは千歳船橋のマンションに住んでました。帰りはまき代さんの車で千歳船橋の駅まで送ってもらって。そのときは天龍さんがいないから、まき代さんと2人っきり。そこで初めて一対一で話をした。私が「天龍さんがこんなかたちになっちゃって不安はないですか?」と聞いたら「13歳でカバンひとつで福井から出てきたわけだし、家族さえ見失わなければそれでいいんです」と言っていたことを覚えてますね。
    ――そこからまき代さんは天龍さんのマネージャー的存在として関わるようになったんですか?
    小佐野 いや、まだそういうわけではなかったです。SWSのときは団体所属だから何かやることはなかったけど、SWSができるまでの取材応対は彼女がせざるをえない。だから私だけじゃなくて、週プロや東スポの取材応対もするし。
    ――まき代さんは性格的にはどんな方だったんですか?
    小佐野 すごいさばさばした、京都の人、関西の人と感じですね。印象に残ってるのは、88年に『ひるのプレゼント』というNHKの番組に、元子さんと保子さん(ジャンボ鶴田夫人)とまき代さんの3人で出たときがあって。
    ――伝説の番組ですね(笑)。
    小佐野 そのときのまき代さんの受け答えがすごく面白かった。たとえば「夫婦関係はどういうものですか」みたいな質問が出ると、保子さんなんかは「テニスのラリーのようなもの」なんて、ちょっとおしゃれなこと言ったりするんだけど。まき代さんは「いや、プロレスです」と。「ご主人の趣味はなんですか?」「プロレスです」「ケガは心配じゃないですか」「本人が納得してやってるんだからしょうがないんじゃないんですか」とサバサバ答えていて。その番組を阿修羅・原さんが見てたらしくて「いやー、源ちゃんの奥さん最高だったね。いかにも源ちゃんの奥さんらしいよ」と笑ってたのを思い出しますね。
    ――だから天龍さんも任せられたんでしょうね。
    小佐野 それこそ天龍同盟の頃は肩で風を切って歩いてる天龍源一郎だから、この旦那にしてこの妻ありで。あと覚えてるのは、天龍さんが89年2月にWCWに出たとき。1人でアメリカ遠征中の天龍さんの家に泥棒が入ったんですよね。まだ幼稚園生だった娘の紋奈さんが逃げていく泥棒の後ろ姿を見てしまったという。そのときはマンションじゃなくて購入した一軒家。泥棒が入ったことがあってマンションに引っ越すんだけども。まき代さんはアメリカにいる天龍さんに泥棒のことは言わなかったんです。アメリカの天龍さんに心配させたくないから。
    ――そこまで気遣いが……肝も据わってますねぇ。
    小佐野 でも、全日本の関係者が天龍さんに泥棒の件を教えちゃって。天龍さん、いったん日本に戻ってきて、家族の無事を確認してから、またアメリカに行きましたね。
    ――天龍さんもさすがですねぇ。まき代さんはそうなることがわかってるから黙っていたと。
    小佐野 そういうことですね。あのときは全米PPVの大会の出場も予定されていて、WCWに正式に招待された初めての日本人選手だったから。全日本との絡みがなければ、WCWは天龍さんが欲しかったんです。そんな重要な仕事があるのに日本に戻しちゃいけないと、まき代さんは思ったはずなんですよね。
    ――全日本離脱の決断は天龍さんに任せたんですよね?
    小佐野 そうですね。「家ではとにかくプロレスの話を全然しないから何もわからない」と言ってました。SWSがダメになってWARが旗揚げしたんだけど、経理ができる人間がいない。まき代さんは経理ができるので、経理担当ということでWARに入っていく。弟の武井正智さんも初めは本部長というかたちでWARに入って、のちに社長になるんだけど、その頃の天龍さんは家族に対してプロレスの話をまるでしないから。まき代さんや武井さんに「大将は何を考えているのか」とよく聞かれたもんです。全日本をやめる前には、天龍さんがポロッと漏らした「ジャンボに負けたらやめるよ」という言葉を私が表紙にして、結果的にスクープになったんだけど。メガネスーパーから話があって迷っていたことは、もちろんまき代さんも知ってましたけど、『ゴング』の表紙を見て「何これ?やめるなんて言っちゃったの?」って驚くという。
    ――家族にすら何が起きているかを教えないのは天龍さん独特なんですかね。当時のプロレスラーの基本姿勢だった感じもありますけど。
    小佐野 人によりけりだと思うけど、おおかた天龍さんみたいなスタンスだったと思う。鶴田さんなんかは、普通に奥さんにしゃべってたような気がするけど。天龍さんが家に帰ってきて、ご飯を食ってて、ごほっと咳したら、額から血が吹き出てきて家族がビックリしたとか(笑)。タイガー・ジェット・シンのサーベルでやられた傷みたいだけど。
    ――笑いごとじゃないですけど、やっぱり特殊な職業ですね(笑)。
    小佐野 でも経理として関わるとなると、知らないじゃまずいよね。実際その後の天龍さんはファミリービジネスになっていくわけだから。天龍さんがいろいろとご家族にしゃべるようになったのは、たぶんフリーになってからじゃないですかね。WARも終わって、新日本に外敵軍団として上がった2004年あたりぐらいかな。
    ――変な話ですけども、プロレスの情報公開のあり方が緩やかになってきている時期とかぶりますね。
    小佐野 天龍さんが全日本に復帰したのは2000年。その前にFMWで大ハヤブサになったでしょ。当時FMWのプロデューサーだった冬木(弘道)さんに頼まれて。
    ――冬木さんとはWARの契約の件で裁判中だったんですよね。それなのにお願いされたから天龍さんの男気で引き受けるという。
    小佐野 あれ、私が冬木さんに頼まれて天龍さんに連絡したんだけど。この件も天龍さん、家族にしゃべってなかったから。娘の紋奈代表に聞いたら、家に帰ったらハヤブサのマスクがあって、本人がシャワー浴びてて「何これ?」と。家族に何も言わず大ハヤブサに変身して家に帰ってきたと(笑)。そんなこともあったから、天龍さんが全日本に戻るときも、元子さんから頼まれて天龍さんに話を持っていったんだけれども「嶋田家の今後にとって非常に大事な話になると思うので、まき代さんもぜひ一緒にお願いします」と。天龍さんひとりで決められちゃうと私としても責任を感じちゃいますよね。そのあとどうなるかわからないから。

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  • 頑固一徹! 追悼・ターザン後藤さん■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2022-07-28 12:00  
    140pt
    スーパーFMWのサイトよりプロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は頑固一徹! 追悼・ターザン後藤さんです。

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    大谷晋二郎選手の試合中の事故について
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    『至高の三冠王者 三沢光晴』を書いた理由
    新日本プロレスvsノア対抗戦から見えた個人闘争の炎
    令和の横アリ大実験!新日本vsノア対抗戦
    東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞2021
    プロレスと結婚した風間ルミさん
    武田有弘☓小佐野景浩 「これまでのノアと、これからのノア」

    『ゴング』と東スポの元記者が語るプロレスマスコミ黄金時代/小佐野景浩☓寿浦恵一
    【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」
    北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!
    冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…


    ――今年の5月29日にお亡くなりになったターザン後藤さんについてお聞きします。
    小佐野 突然のことだったので、ちょっとビックリしました。去年の12月に電話でしゃべってるんですよ。私が書いた三沢光晴の本に協力してもらった関係で、謝礼の振り込み先を聞いたときが最後かな。そのときは全然元気で。その取材のときも直接は会ってなくて電話取材だったんです。
    ――小佐野さんが後藤さんと知り合ったのは全日本プロレスの時代ですよね。
    小佐野 彼が九重部屋をやめて、全日本へ入ってきたのは80年の4月。私が『ゴング』でアルバイトを始めたのが80年の3月なんですよ。その頃の『ゴング』は週刊誌じゃなくて、現場に毎日出ていたわけじゃないから選手と密だったわけではないけれども。いつも「お疲れさまでございます」とすごく丁寧に挨拶してくれる新弟子の印象がありましたね。親しくなったのは、日本テレビ系列の『底ぬけ脱線ゲーム』の特番があったからです。全日本の選手も参加していて、私が取材に行ったら、現場で後藤から声を掛けられて「すいません、誰かアイドルと写真を撮ってもらえませんか」と(笑)。番組に出演していた石川秀美に声を掛けて、ツーショット写真を撮ってあげたんです。
    ――取材の体でプライベートショットを(笑)。
    小佐野 それをパネルにしてあげたら、彼は実家に送ったみたいです(笑)。で、彼は相撲出身で気が利くから、まだ未成年なのにウイスキーの瓶を持ってきて「この前はありがとうございました」と。
    ――大人の世界がわかってるんですね(笑)。
    小佐野 あと全日本プロレスのグアム合宿で一緒に酒を飲んだりしてね。週刊になる前に親しくなった初めての全日本の選手かもしれない。当時の全日本に若い選手っていなかったから。三沢(光晴)が入ってきたのはその1年後。週刊の時点で若い選手は1個上の冬木(弘道)さん、1個下の三沢、2個下の川田(利明)と後藤。新日本には若い選手がいっぱいいたけど、全日本はみんなおじさんばっかりだから。
    ――そういう世界で若手が新弟子からやっていくのは大変だったんでしょうね。
    小佐野 彼の入った頃の若手は越中詩郎さんぐらいしかいなかった。そのあと何人か入ってきてんだけど、みんなやめちゃうんだよねぇ。私は『ゴング』に入る前は新日本のファンクラブをやっていて、新日本の選手は知ってたけども全日本の選手って知らない。それに年上の人ってなんとなく近づきにくいから、自然と若い子たちとまず仲良くなっていきますよね。
    ――後藤さんというとコワモテのイメージがありますけど、当時はどういう方だったんですか?
    小佐野 コワモテといっても、結局はターザン後藤にリングネームを変えて、ヒゲを生やして、コスチュームもワンショルダーのアニマル柄になってからだから。もともと童顔だから以前は子供っぽく見えたんです。性格は真面目で細かい。彼が寮長になったときは厳しかったよ。「夜遊びしちゃダメ」とか(笑)。きっちりした人だった。
    ――川田さんとは同い歳だけど先輩だったり、年下の後輩に三沢さんが売り出されたり、けっこう複雑な立場ですよね。
    小佐野 後藤いわく「自分のほうが年下だから、ことさら三沢に対して先輩風を吹かせてたと思うけど、三沢のほうが大人だったから、そのへんは許してくれてた」と。三沢がタイガーマスクになってスターになっても、ずっと「後藤さん」って変わらず接してくれたと。後藤はずっと三沢のことは意識してたみたい。彼は三沢みたいな華麗なファイターではなくパワーファイター。当時のコーチ役だった佐藤昭雄さんに「彼らと同じ動きしたって誰も喜ばないよ。おまえは動くな。荒々しくやれ」と。初めの頃は「自分も三沢と同じ動きができる」とハイスパートなプロレスやってたら、昭雄さんから「おまえがやるプロレスはそれじゃないよ」と注意されて。馬場さんからは「やれることは何でもやれ」って言われてたんだけどね。昭雄さんの指示でヒゲを伸ばして、タイツも変えて“ターザン後藤”にしてもらった。
    ――後藤さんの腕組みイメージは佐藤昭雄さんのプロデュースからきてるんですね。
    小佐野 試合にしてもバタバタ動かず重厚にやりながらも飽きさせない。昭雄さんがいなかったら、なかなか芽が出なかったと思う。いつまでたっても小僧みたいな感じだったし、やっぱり三沢や川田のほうが顔つきは精悍だから。後藤は目がクリクリっとしてて、ヒゲがなかったらかわいい顔立ち。昭雄さんにしてみれば、若手をそれぞれに個性を持たせて、ちゃんと育ててあげたいっていう思いがあったんだろうね。
    ――あのキャラクターは“ターザン後藤”以外の何者でもないですもんねぇ。
    小佐野 海外遠征に行く前にロード・ウォリアーズとテレビマッチで抜擢されて。秒殺で負けたとはいえテレビに出してもらったからね。それは彼が頑丈だからウォリアーズ相手でも大丈夫ってこともあった。
    ――相撲出身の頑丈さですね。
    小佐野 彼は八角理事長と同期だからね。
    ――つまり安田(忠夫)さんとも同じってことですよね。すごいメンツです(笑)。
    小佐野 彼がようやく海外修行に出れるようになったとき、いずれ三沢の敵役みたいな感じで戻れたらいいなって気持ちはあったみたいだね。
    ――アメリカ修行には出ましたけど、全日本には戻ってこなかったじゃないですか。いったい何があったんですか?
    この続きと、佐藤大輔、『Breaking Down』、青柳館長、ターザン後藤などの7月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事17本の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2113070この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事130円から購入できます!

     
  • 大谷晋二郎選手の試合中の事故について■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2022-04-28 10:27  
    130pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は大谷晋二郎選手の試合中の事故についてです。

    <1記事から¥100から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!>
    DDT25周年……「文化系」から文武両道プロレスへ<new>
    『至高の三冠王者 三沢光晴』を書いた理由
    新日本プロレスvsノア対抗戦から見えた個人闘争の炎
    令和の横アリ大実験!新日本vsノア対抗戦
    東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞2021
    プロレスと結婚した風間ルミさん
    武田有弘☓小佐野景浩 「これまでのノアと、これからのノア」

    『ゴング』と東スポの元記者が語るプロレスマスコミ黄金時代/小佐野景浩☓寿浦恵一
    【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」
    北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!
    冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…


    ――4月10日のゼロワン20周年記念興行で、杉浦貴選手とシングルマッチで対戦した大谷晋二郎選手が頸髄損傷の重傷を負ってしまう事故が起きてしまいました。
    小佐野 あの日は昼間にDDTの解説があって、時間がかぶっちゃうこともあってゼロワンの会場には行ってないんです。事故が起きた瞬間の試合映像は見てます。
    ――杉浦選手のターンバックルに投げるジャーマンを受けた直後のことでした。
    小佐野 その技は杉浦が普段は繋ぎ技としてやってる攻撃なので、その技が決まった瞬間自体は衝撃映像ではなかった。叩きつけられた大谷が自分で首を起こそうとするんだけど、そこから動くことができない。そのときの周りの判断が難しくて、試合を止めるまでに時間かかっていた。杉浦は「これからだオラ!」って煽っていたけど、大谷は起き上がれない。杉浦はいったんその場を離れるんだけど、大谷のセコンドは「起きてください」と声を送っている。レフェリーが大谷本人に確認して、そこでようやく試合を止めた。すぐに止めていいかどうかプロレスは本当に難しいね。格闘技の場合は「おかしい」と思ったら、すぐに止めるでしょ。でも、プロレスの場合はそうじゃない。
    ――プロレスはそこが難しいですね……。
    小佐野 格闘技ってルールで守られてるじゃないですか。「こうなったら止めます」というルールの中で試合をしてる。でも、プロレスの場合は、5カウント以内の反則がオーケーであったりとか、グレーな部分があって。そこがプロレスの醍醐味でもあったりするから。あとは「 Show Must Go On」じゃないけど、いわゆる純粋な格闘技的な見方をしてくれないから、戦っているレスラーたちも中途半端なところではやめられないという意識の高さはある。たとえば昔の全日本で三沢(光晴)と川田(利明)がやったとき、試合開始5分で三沢が川田の蹴りで眼窩底を骨折して、三沢本人も吐き気がしてるから大ケガをしたことがわかってるわけ。でも30分時間切れ引き分けまで戦い抜いた。あと大阪で川田が裏拳をやったときに折れたことはすぐにわかったけど、そのまま試合をやって最後はパワーボムまでやっちゃって。
    ――言い方が難しいですけど、ストーリー以外のハプニングもあっても続ける場合があるわけですね。
    小佐野 ホントに止めなきゃいけないケガもあるし、いまの三沢たちのようにそのまま続ける場合もあるから、すぐには止められない。ひょっとしたら、まだ起きるかもしれないと。それこそ猪木さんの舌出し失神事件と一緒ですよ。坂口さんが無理やり猪木さんをリングに上げたよね。
    ――1983年6月2日、第1回IWGPリーグ優勝戦のアントニオ猪木vsハルク・ホーガン。エプロンでホーガンのアックスボンバーを食らって場外転落した猪木さんが起き上がれず、セコンド陣が猪木さんをリングに上げて……。
    小佐野 結局あれは猪木さん1人の演出だった……という話になってるわけだけど、猪木さん本人が何も語ってないから謎は謎のままだよね。
    ――右腕だった坂口征二さんが「人間不信」の書き置きを残して失踪しちゃうくらいだから、何かがあったことはたしかとはいえ。あと天山広吉vs小島聡のIWGP&三冠統一戦では、60分フルタイムドロー直前に天山選手が脱水症状を起こしてレフェリーストップ。これも予想外のアクシデントのように見えましたね。
    小佐野 変な話、試合中に選手がおかしな状態になって立てなくなる場合がある。このままだとレフェリーのダウンカウントが10まで数えられちゃうから、相手が慌ててストンピングを入れて相手を起こして試合を継続させたりすることもあるから。「こんなとこで終わっちゃ、まずい」という判断だよね。
    ――場外カウントもレフェリーが配慮することがありますよね。
    小佐野 とくに全日本の場外カウントは10カウントだから。和田京平さんは本当にダメだったら数えちゃうけど、行けそうだったら数えないで、なんとか試合を成立させようとする。
    ――そこの見極めは難しいですね。試合の流れ的に決着はまだ先に見えて、これは起きてこられないんじゃないか……ってときはありますし。
    小佐野 この前の全日本プロレス後楽園ホールで諏訪魔と大日本の野村卓矢のシングルがあったけど、諏訪魔の最後のラリアットなんて、野村本人の意識がない角度から横殴りに入ってるから。京平さんはそのままワン・ツー、ちょっと間をおいてスリーを叩いた。昔の全日本でいえば、ジャンボ(鶴田)のパワーボムを食らった天龍さんがもう絶対に起き上がってこないと思って3カウントを叩いたそうだね。
    ――それはつまりレフェリーとしても「ここでは勝負は終わらないだろう」「ここで終わると思ってなかったけど……」と読みながら臨機応変にレフェリングしてるってことですね。
    小佐野 川田が三沢のタイガースープレックスを食らったときに、京平さんが返すだろうと思ってツーで止めけど、川田は返せなかったんだよね。三沢が「京平ちゃん、いま返さなかったでしょ?」と聞いたら「レフェリーが叩いてないんだから返してる」と。それで三沢は仕方なくもう一発タイガースープレックスを決めてワンツースリー。
    ――川田さんからすれば災難ですねぇ。
    小佐野 今回大谷も「立ってくるだろう……」とみんな思っていたはず。必殺技ではなかったからね。いつもと違う点をいえば、ノアのリングだとターンバックルが3つに分かれたセパレートタイプ。ゼロワンは1本なので、そこの当たり方の違いはあったのかもしれないけど……ターンバックルへの技が必要かといえば、必要ではないと思う。わざわざターンバックルにぶつけなくたっていいとは思うけど、この技は初めてやったわけじゃないからね。いま非難するんだったら、初めて使ったときに非難されるべきで。杉浦以外にも使うレスラーはいっぱいるし、ターンバックルにパワーボムをやる人だっているわけだし。あとは大谷の首が悪かったのも事実だから。
    ――ターンバックル・ジャーマンだけに問題があったわけではないという……。
    小佐野 2016年9月10日のリアルジャパンのディファ有明大会で、大谷が船木誠勝に勝ってリアルジャパンのチャンピオンになったことがあったんですよ。その試合中に大谷は頚椎損傷をやっちゃって1ヵ月休んでるんです。そのときから首はどう考えても悪いはず。去年の4月の全日本のチャンピオンカーニバルでは右肩をやって欠場して、今度は9月に左腕もケガしたでしょ。肉体的にかなりキツくなってたのは事実だと思うんだよね。
    この続きと、伊澤星花、斎藤裕、西川大和、レッスルマニア、高田延彦、JBC…などの3月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「15万字・記事15本の詰め合わせセット」はコチラ
     
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  • DDT25周年……「文化系」から文武両道プロレスへ■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2022-04-04 10:12  
    120pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回はDDT25周年……「文化系」から文武両道プロレスへです!

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    【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」
    北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!
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    ――小佐野さんはDDT25周年興行の解説をやられてましたね。
    小佐野 面白かったけど長かった。6時間半だよ。
    ――椅子に座ってるだけで大変ですね(笑)。
    小佐野 前半3時間半、後半は3時間。その前日の東京女子の解説もやってるんだけど、それが前半2時間半、後半2時間の合計4時間半。DDT翌日の全日本大田区大会の解説もトータル4時間だから3日間で15時間ですよ(笑)。
    ――おつかれさまです!
    小佐野 出場選手が多くて、それぞれの流れも全部把握しなきゃいけない。なによりDDT&東京女子の両国はけっこう寒くてね。底冷えするんだけど、休憩にならないとトイレも行けないから、水分を控えに控えた3日間でしたよ(苦笑)。
    ――いまのビッグマッチは昼過ぎに始まって21時前後までやるから、長くなってあたりまえで。プロレスファンも慣れっこになってますね。
    小佐野 たまに試合数が多すぎて、どうやって大会進行するんだろう?って興行もあるよね。
    ――25周年記念イベントはどうでした?
    小佐野 DDTが旗揚げした1997年は多団体時代でしょ。当時『週刊ゴング』編集長だった私からすれば、当時のプロレス界にとって、あってもなくてもいい団体だったんですよ。
    ――雨後の竹の子のように団体が出てくる時期だっただけに。
    小佐野 しかも団体の中心となる高木三四郎、三上恭平(MIKAMI)、野沢一茂(NOSAWA論外)の3人はキャリアが浅かったし、コーチ役的存在だった木村浩一郎(スーパー宇宙パワー)や、仮面シューターの渡部(優一)さんもビッグネームではなかったから。プレ旗揚げ戦で集まったファンに旗揚げしていいかどうかジャッジしてもらってスタートという流れだったけど。その頃はファンタジー路線でもなく、ジャイアント馬場の遺伝子やアントニオ猪木の遺伝子を持ってない団体がポンと生まれただけで。木村浩一郎のことはその前から知っていて、彼らは旗揚げ前に編集部に挨拶に来たのかな。木村浩一郎が「マジメにやります」みたいなことを言ってたような記憶がある。
    ――『週刊ゴング』の編集長として視界には入ってなかったんですね。
    小佐野 編集長時代は一度も会場に行ったことがない。というか、あの時代は団体が多すぎて行けなかった。まして編集長は現場取材に行く立場ではないから。それでも、なるべく現場の空気を知りたいから行くんだけど、さすがにDDTまでは手回らなかった。初めてDDTを会場で見たのは編集長をやめてからだから、99年や2000年頃かな。北沢タウンホールや渋谷クラブATOMでやっていた定期戦に行くようにしてたんだけど、けっこうカルチャーショックを受けた。お客さんがプロレスファンとは違う。あの頃のDDTは若者のサブカルのトレンドみたいな感じにしたかったと思うんけど。たとえば大学生ぐらいの女性ファンが多かった。彼女たちの会話を聞いてると、やったらDDTのストーリーに詳しい。でも、絶対にこの子たちは既存のプロレス団体を知るわけがないなっていう種類の子たち。ああ、ここを開拓したんだDDTは……って思ったよ。
    ――ATOMでプロレスをやる時点で新しい団体ですね。
    小佐野 初めてATOMに行ったとき場所がわからなくて。コンビニで道を聞こうかなと思ったら、たまたま高木三四郎がコンビニに入ってきたから、「これから取材に行くんだけど」って連れていってもらったんですよ(笑)。
    ――話は変わりますけど、円山町周辺のクラブっぽい箱で、『ゴング』の発行元だった日本スポーツ出版のリニューアルパーティーがあったじゃないですか。高田延彦のジンギスカン屋『モンゴリアンチョップ』も円山町でしたし、妙にプロレス界隈が円山町づいていたなって。
    小佐野 あのパーティーに私もいたよ(笑)。天龍(源一郎)さんが呼ばれたからアテンドしてね。そのとき天龍さんに「俺、会社を辞めますから」って初めて伝えて。
    ――そんなことがあったんですか。
    小佐野 あの日、会社の新しい幹部に初めて会ったんですよ。
    ――ボクは新生『ゴング』に一枚噛んでいた宮崎満教さんと繋がりがあったから、なぜかカミプロの人間だったのに呼ばれたんですね。
    小佐野 満教さん自体がバイタリティのあるすごい人というか、人間的には嫌いではなかったよ。一生懸命やる人で、自分で広告を取ってきたりとか。
    ――面白い人ですよね。山師感はすごかったんですけど(笑)。
    小佐野 で、編集長じゃなくなってDDTを見に行くようになったその年の暮れだと思うんだけど。後楽園ジオポリスの大会でポイズン澤田JULIEが高木三四郎に負けて。そのあと澤田が自分の生首を持って炎の中に入っていく……という映像が流れたんだけど。それって当時としてはギリギリの演出だったんですよ。
    ――そんな映像が用意されているのは、おかしいってことですね。DDTは現実とファンタジーのリンクのさせ方が早い団体でしたね。
    小佐野 それはWWEでいえば、試合に敗れたアンダーテイカーが棺桶に入れられて、映像が切り替わると天国に消えていくみたいなことだったから。それをDDTはやったから「うわ、日本のプロレスもここまで来たか!?」と驚いた。それは高木三四郎も冒険だったみたいで「はたして、ここまで踏み込んでいいのか……」と。
    ――新生FMWもエンターテイメント路線でしたけど、そこまではやってなかったと。
    小佐野 映像ではそこまでやってないかな。新生FMWはリング上でのエンターテイメントだったというか。DDTの場合は最後までパッケージされたものだから、けっこう衝撃的だった。その当時はファジーって言っていたと思うんだけど、曖昧なファンタジー路線。簡単にいえばDDTの胡散臭い路線はそこから確立していったのかな。それから10年近く経ったあとに、DDT両国でポイズン澤田JULIEが蝶野正洋と一騎打ちをしたんだけど、蝶野も澤田のジャラジャラの呪文にかかって動きが止まったからね。
    ――新日本の練習生だった澤田が、新日本のトップを取った蝶野をDDTの世界に引き込んだ歴史的なシーンですね。
    小佐野 新日本でいえば、フリーになった田中ケロちゃんが長井満也とDDTに乗り込んで「こんなくだらない団体」って煽ったこともあった。
    ――新日本時代の田中ケロちゃんはインディ批判が絶えなかったから、そこを火種にしてましたね(笑)。
    小佐野 さんざんやりあって最後には認めあってね。
    ――同じエンタメ路線でも『ハッスル』の場合はいきなり大砲をぶっ放した感じですけど、DDTはちゃんとマスコミや他団体とのコミュニケーションを取りながらやっていた……から、エンタメ路線も批判が出なかったのかなと。
    小佐野 やりかたがうまかったよね。『週刊プロレス』の菓子折り事件とかあったでしょ(笑)。
    ――DDTの誌面での扱いについて広報が菓子折り持参で編集部を訪問したら、当時の編集長に「菓子折りは必要なかった」と誌面に書かれたことが騒ぎになりましたよね。このネタ、もう何年も何年も転がして(笑)。
    この続きと、伊澤星花、斎藤裕、西川大和、レッスルマニア、高田延彦、JBC…などの3月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「15万字・記事15本の詰め合わせセット」はコチラ
     
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  • 新日本プロレスvsノア対抗戦から見えた個人闘争の炎■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2022-01-11 16:00  
    110pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は新日本vsノア対抗戦です!

    <1記事から¥100から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!>
    令和の横アリ大実験!新日本vsノア対抗戦
    東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞2021
    プロレスと結婚した風間ルミさん
    武田有弘☓小佐野景浩 「これまでのノアと、これからのノア」

    『ゴング』と東スポの元記者が語るプロレスマスコミ黄金時代/小佐野景浩☓寿浦恵一
    【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」
    北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!
    冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…


    ――新日本プロレスとノアの全面対抗戦はかなり盛り上がりましたが、カード発表当初は「交流戦か、対抗戦か」という議論にもなりましたね。
    小佐野 「交流戦か、対抗戦か」は選手それぞれの捉え方になっちゃうと思うんだけど、第0試合の新日本・藤田晃生とノア・矢野安崇の若手シングル対決。この試合によって対抗戦のムードがガッと盛り上がったと思うんだよね。 今大会のファンの意識はあの試合で決まったのかなと。キャリア半年の藤田とキャリア1年の矢野にはプレッシャーはあったと思うけど、お互いの団体の看板を背負ってガッチガチに頑張ったと思う。彼らが緊迫感のある試合をしたから、対抗戦として空気ができあがったかなと。
    ――しかもドローだったことでスイッチが入ったわけですね。藤田vs矢野は第0試合でしたけど、オープニングマッチって本当に重要ですね。
    小佐野 それは新日本プロレスvs U インターの対抗戦もそうだったよね。第1試合の永田裕志&石澤常光vs金原弘光&桜庭和志の緊迫感のある試合があのときの対抗戦に火をつけた。新日本やノアのファンは普段自分たちが見ている団体を応援するだろうし、 そこには中立のファンもいるんだろうけど、 交流戦というイメージだったらチケットは完売にはならない。対抗戦だからこそ応援しようとファンも意気込むんだろうし、藤田vs矢野のぶつかり合いがうまくハマったというか。
    ――カード云々じゃなくて団体同士の選手が試合をすれば、やっぱり応援しちゃいますもんね。
    小佐野 それにプロレスラーってリングに上がったら自分が一番でありたい生き物だから。それは普段の試合からそうなんだから対抗戦も交流戦もないんだよ。 ただ、昔はただ勝てばいいというものだったけど、いまはキャラクターが強い選手ならば、そのキャラを活かさなきゃいけなったりする。そこらへんも問われるところが昔とは違う点だよね。 勝ち負けも重要だけど自分のキャラクターを届けられるかどうか。 極端な話、負けてもいいけどキャラクターを発揮すればいいという考えの選手もいる。 第0試合の藤田vs矢野のあとにノアのファンキーエクスプレス(キング・タニー、モハメドヨネ、齋藤彰俊)が出てきたけど、彼らはファンキーな部分を見せなきゃいけないわけだよね。
    ――名前がファンキーだとそうですよね(笑)。
    小佐野 この試合が一番最初じゃなくてよかったと思う。キャラの強いファンキーたちの試合が最初だったら会場の空気はちょっと変わっていたかもしれない。 ファンキーは第3世代(永田裕志、小島聡、天山広吉)と戦ったけど、ファンキー側は齋藤彰俊が出てきたでしょ。あのシーンはよかった。 齋藤彰俊はかつて1人で新日本プロレスに乗り込んだわけだから。
    ――90年代の新日本vs誠心会館の抗争ですね。
    小佐野 それに当時新人だった永田裕志にとって齋藤彰俊は壁だったんだよね。上に行くために倒さなきゃいけない相手。昔から見てるファンからすると、齋藤彰俊と永田裕志から始まると当時の記憶がよみがえってきたんじゃないかな。
    ――今回の対抗戦で思ったのは、どういった歴史を感じたりするのかが問われるなって思いました。
    小佐野 本来は、知識がなくても楽しめるべきなんだけど、組み合わせによっては過去を思い出しちゃうレスラーがいっぱいいたってことだよね。いろんな団体に出たうえで、いまは新日本所属、いまはノア所属だったりするし、 どこかのリングでその選手と接点があったりするわけだよ。石森太二が言ってたのかな。“ノアのレスラーと、いまノアにいるレスラーでは違うからと。石森は今回、HAYATA、吉岡世起と当たった。石森がノア所属だった当時、吉岡はいなかったし、最後のほうにHAYATAとは絡んでるけど、石森の中ではHAYATAはノアのレスラーという認識ではないってことだよね。石森からすれば、あくまで外からノアに来たレスラーだから。石森の意識ではノアとの対抗戦と言われても違うでしょと。 でも、それはそれで個人の闘争になるわけだから。
    ――横アリがレスラーの交差点になってるんですね。
    小佐野 戦いながら懐かしさを感じる組み合わせもあったし、こんなところで巡り合うだという見方もあったよね。

    この続きと、扇久保博正、平本蓮、船木誠勝、伊澤星花、齋藤彰俊、佐藤天……などの1月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「15万字・記事18本の詰め合わせセット」はコチラ
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  • 東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞2021■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2021-12-16 18:13  
    110pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞2021です!

    <1記事から¥100から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!>プロレスと結婚した風間ルミさん
    武田有弘☓小佐野景浩 「これまでのノアと、これからのノア」

    『ゴング』と東スポの元記者が語るプロレスマスコミ黄金時代/小佐野景浩☓寿浦恵一
    【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」
    北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!
    冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…


    ――今月のテーマは、小佐野さんが選考委員の1人を務めた東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞2021についてお伺いします!
    小佐野 今年は蝶野正洋と小橋建太が特別選考委員として参加。選考委員は19人。第1次投票で過半数の10票を上回ったら決定。過半数を満たなかったら上位3名もしくは2名に絞って投票するするというかたちで選考されました。☆MVP  鷹木信悟 
    ☆ベストバウト 潮崎豪vs武藤敬司☆最優秀タッグ賞 タイチ&ザック・セイバーJr. ☆殊勲賞 ジェイク・リー 
    ☆敢闘賞 竹下幸之介☆技能賞 グレート-O-カーン ☆女子プロレス大賞 林下詩美
    ☆新人賞 荒井優希 
     

    ――MVPは新日本プロレスの鷹木信悟選手でした。
    小佐野 MVPは鷹木と武藤敬司の一騎打ち。鷹木14票、武藤5票。一発で鷹木に決定しましたね。
    ――今年はこの2人が妥当ですよね。
    小佐野 MVPは逃したけど、武藤は58歳にしてGHCのチャンピオンになったり、DDT、ノア、東京女子の3団体が集結したサイバーフェスでは禁断のムーンサルトを披露したよね。
    ――人工関節のヒザをマットに打ち付けると「もう二度と歩けなくなる」と、お医者さんにめちゃくちゃ怒られたやつですね。
    小佐野 負けたけど、あのムーンサルト一発で主役を奪ったからね。新日本はコロナでリング上をだいぶ狂わされたところもあって、鷹木もコロナにかかってしまった。負傷欠場でカードの変更を余儀なくされる大変な状況の中、その鷹木が新日本を引っ張っていった。東京オリンピック直前の東京ドーム大会では棚橋弘至を挑戦者に迎えてのIWGP世界王座タイトルマッチだったけど、あのとき世間はオリンピック一色の中、オリンピック以外のニュースを取り上げるということで取材に来た新聞記者があの試合を見て感動したというか、オリンピック一辺倒じゃないという印象を持つくらい存在感があったと言ってたね。
    ――鷹木信悟はコロナやケガなんかのトラブルがなかったら、こういう展開になってなかったかもしれませんが、そのチャンスを逃さないのが鷹木信悟の強さですね。
    小佐野 鷹木が受賞会見でも言っていたけど、「運とタイミング」というものがあるから、それを掴めるか掴めないか。あと彼のファイトスタイルはどちらかっていうとクラシカルなものに近いでしょ。新しいんだけど、昭和のプロレスファンも馴染めるようなもの。飯伏幸太や内藤哲也がいる中、そこも差別化できたのかもしれないよね。
    ――鷹木信悟は完全なアスリートプロレスではないってことですね。
    小佐野 そうだね。かといって、そういったアスリートプロレスの要素がないわけではない。そんなに身体を大きくないんだけど、パワーでも勝負できる。2018年の全日本のチャンピオン・カーニバルで、巨体の石川修司と互角の勝負をしちゃったしね。あとドラゲー出身ということもあって弁も立つ。
    ――これでMVPは新日本プロレスの11年連続受賞ですけど、今年は「また新日本か……」という印象ではなかったですね。
    小佐野 新日本プロレス所属レスラーの受賞が続いてる中でも、鷹木が風穴を開けた感じはあるよ。棚橋やオカダ・カズチカ、内藤だったりが代わる代わる取り続けてきた中、今回は鷹木がポンと出てきたわけだから。なんだかんだ業界を動かしてるのは新日本プロレスなので、新日本を引っ張ってる存在がMVPを取るのはある意味で当然の流れなのかもしれないけど。
    ――ベストバウトはノアの潮崎豪vs武藤敬司のGHCヘビー級選手権試合。
    この続きと、吉成名高、平本蓮、堀口敗戦、中村大介、伊澤星花、YA-MAN……などの12月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「14万字・記事23本の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2072140この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事110円から購入できます!

     
  • 令和の横アリ大実験!新日本vsノア対抗戦■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2021-12-02 00:00  
    110pt

    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は令和の横アリ大実験!新日本vsノア対抗戦です




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    プロレスと結婚した風間ルミさん
    武田有弘☓小佐野景浩 「これまでのノアと、これからのノア」

    『ゴング』と東スポの元記者が語るプロレスマスコミ黄金時代/小佐野景浩☓寿浦恵一
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    北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!
    冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…


    ――今回、突然発表された新日本プロレスとノアの対抗戦ですが、率直に小佐野さんはどう思われました?
    小佐野 本当に唐突だなと思うよね。あの日、俺は一日中外出していたからネットも何も見てなくて、家に帰ってメールをチェックしたら、新日本からもノアからもリリースが届いてたんだけど、その会見場が同じ場所だったから「……ということは」と。
    ――このタイミングで対抗戦は本当にビックリですよね。
    小佐野 ただ、冷静に考えれば、ノアの親会社であるABEMAというのはテレ朝関連の会社だからね。いまABEMAでも新日本の放送もやってるはずだから対抗戦をやってもおかしくはないんだけど、いままでの両団体の関係からすると、2016年には新日本から派遣されていた鈴木軍のノア撤退があり、そこからノアも会社が大きく変わって、新日本とは絶縁みたいなムードがあったから。いまのノアはサイバーファイトグループの団体として、DDTと共に「新日本を追い抜く」というスロガーンがある。それが急に興行的には手を握るわけだから意外といえば意外だよね。
    ――正直、なぜこうなったのかというのは見えづらいし、いろいろと語りがいのあるドッキングです。
    小佐野 あり得ないことが起きるということでは、これが本当のサプライズなんじゃないかな。そういう意味でのインパクトはあったと思う。
    ――そもそも新日本が1月8日の横浜アリーナを押さえた段階で計画があったのか、もしくはそこに間に合わせたのか……そういうことも勘ぐりたくなりますね。
    小佐野 でも、新日本とノアは全日本も含めてコロナになってから馳浩先生のところに陳情に行ったりして、プロレス界は足並み揃えてやってたからね。興行会社としての競争はあるだろうけど、馬場・猪木時代の新日本と全日本のような対抗の仕方をしているわけじゃないから。当時は本当に仁義なき戦いというか、たとえば全日本が創立10周年記念興行を蔵前でやりますと発表したら、新日本がその前日に蔵前を押さえて先に大会をやっちゃうとかさ(笑)。
    ――ホントにヒドいですね(笑)。
    小佐野 昔はそういうヒドいことをやってたけど、いまは紳士的な競争をしている。
    ――両団体とも話題性としてメリットは充分あると思うんですけど、新日本は1・4と1・5の東京ドーム大会2連戦、ノアは1・1の武道館もあるじゃないですか。そこで、1・8にこの興行を持ってくるのは対抗戦に話題を食われてしまうデメリットもありますよね?
    小佐野 内藤(哲也)なんかは「いまワールドタッグリーグをやってる」のにって不満を漏らしてるよね。それにスーパージュニアもやってるから、高橋ヒロムなんかも「なんでこの時期にやるの?いま大事なシリーズをやってるときに、なぜそれが吹っ飛ぶようなことをやるの?」と。その気持ちもわかるよね。1・8のカードも当然発表しなきゃいけないわけだけど、元旦やドーム大会で打ち消しあっちゃったら意味がないわけだし。
    ――そして、この動きは継続的にやっていくのかどうなのか。
    小佐野 新日本とノアにしてみたら、とにかく一発やってみないことには何が起こるかわからないわけじゃない。やっぱりファンの反応もあるし、そもそも「交流戦」なのか「対抗戦」なのかという話にもなっているわけだし。逆に、「ここまで対抗戦の日程が決まってます」というのもおかしなことですよ。
    ――交流戦ならともかく対抗戦は先が見えたら緊張感がなくなりますね。
    小佐野 やっぱり1・8の内容、客入り、評判、そういうものが大切になってくるし、「なんだ、まだ先があるんじゃん」となると、その時点で緊張感は途切れちゃうから。あとは、今回どんなカードが出てくるのかもわからないしね。
    ――まだカードは何も発表されてないですね。
    小佐野 で、こういうことをやるときは団体同士は信頼関係を持ってやらないといけないけど、レスラー同士はそうはいかない。
    ――そこなんですよね、面白いところは。
    小佐野 そうじゃなきゃ対抗戦は意味がないですよ。そこで「仲良くやりましょう」ではダメ。選手たちが対抗戦モードに入ってるのはいいことだと思うし、みんなけっこうヒリヒリしてるでしょ?
    ――どちらかというと新日本側は対抗戦の煽りが何たるかというのがわかってる感じが凄く伝わってきますよね。
    小佐野 オカダ・カズチカの上から目線だったりね。
    ――棚橋(弘至)も、以前DDTでHARASHIMAとやって物議を醸したときみたいに、やっぱりメジャーとしての意識が凄く強いから面白いですね。
    小佐野 やっぱり、プロレス業界を世間に響かせようという思いもあるだろうし。業界自体を活性化させようという起爆剤の一つだと思うよ。00年代のノアって業界の盟主と呼ばれるくらいの勢いがあって現場を仕切っていた仲田龍氏は新日本に敵愾心を燃やしていたんだけど、新日本が苦しんでいた時期に選手を派遣した。それは「新日本の1・4がなくなったらプロレス業界は終わり、業界全部が沈むから、新日本が沈むと困る。だから協力するんだよ」と。
    ――じつはプロレス業界ってそうやってフォローしあうことが多いですよね。前向きに向き合ってくれるんだったら協力は惜しまない。
    小佐野 それが、馬場さんと猪木さんの時代だったら、本当に拮抗しているから潰し合いになっちゃうんだろうけど、いまは運命共同体みたいなところがあるからね。
    ――1990年2月10日、新日本の東京ドーム大会に全日本税が参戦したときもまさにそうで。
    小佐野 スタン・ハンセンや天龍(源一郎)さんが出た興行ね。あの対抗戦も唐突に決まったからね。まるっきり話題にもなってないところにポンと出したから。
    ――ホントにビックリしましたね。
    小佐野 あの当時の新日本は坂口(征二)体制になって、年初めに馬場さんと坂口さんが一緒に記者会見をやって「今年は仲良くやっていきますよ」ということで、スティーブ・ウイリアムスが全日本に円満移籍してきたりね。その代わり、全日本が権利を持つリック・フレアーは「新日本の東京ドームでグレート・ムタとNWA世界戦をやってください」という交流ムードはあったんですよ。とはいえね。
    ――天龍さんを新日本に貸し出すことはありえない。
    小佐野 あのときも1月のシリーズ中に急に発表されたから、天龍さんにコメントを求めたら「大事なシリーズ中に他団体のコメントなんかできるか」とコメントしなかったんだから。つまり、いまの内藤や高橋と一緒だよね。
    ――そ選手の急な貸し借りといえば、全日本の川田利明のUインター参戦とかもありました。馬場さんは「助けてくれ」と言われれば助けるという。
    小佐野 まあ、ただ単に助けるわけじゃないんだろうけど、あの人の場合は(笑)。やっぱりビジネスマンだからね。でも、結局2・10は本当に坂口さんとしては「馬場さんありがとうございます」で、馬場さんも「坂口は信用できる男だからカードも一任するよ」と言ってたんだけど……。土壇場になるといろいろと変わっていくという(苦笑)。
    ――最初は長州力&小林邦昭vs天龍源一郎&川田利明だったのが、小林さんがトンパチでお馴染みのジョージ高野さんに変わってしまって(笑)。
    小佐野 だから、全日本側も川田を三沢タイガーに変えたでしょ。
    ――昔は「なぜ、ジョージ高野と三沢タイガーがパートナーなんだろう」とピンとこなかったんですよ。当然、長州力のパートナーは小林邦昭が合ってるし、天龍源一郎のパートナーは川田利明のほうがいいだろうと。
    小佐野 たしかに、維新軍と天龍同盟になるからバランスとしては凄くいいんだけど、あそこでジョージに急に変えるところが長州力のセンスなんだろうね。
    ――つまり「ジョージは何がするかわからないぞ」ということですよね(笑)。
    小佐野 そしたら、やっぱり全日本だって……。まあ、ジョージがどんな人かは知らないだろうけど、絶対に「これは何かあるな」と不穏な空気を感じるわけだから。そうしたら、神経が図太い三沢のほうがいいだろうということになるよね。あとは、三沢タイガーを新日本のファンに見せたいというのもあっただろうし。で、三沢は前の年の春にヒザの手術をしたばかりだったんだけど、年明けの1月シリーズからカムバックだったんだよね。
    ――復帰直後にあんな対抗戦に駆り出される。
    小佐野 で、あの日は馬場さんは東京ドームに行ってないんだけど、(ザ・グレート・)カブキさんをお目付役で行かせて「何かあったら帰ってこい」と。
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  • プロレスと結婚した風間ルミさん■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2021-10-21 17:51  
    110pt

    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は風間ルミさんを偲びます




    <1記事から¥100から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!>
    武田有弘☓小佐野景浩 「これまでのノアと、これからのノア」

    『ゴング』と東スポの元記者が語るプロレスマスコミ黄金時代/小佐野景浩☓寿浦恵一
    【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」
    北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!
    冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…


    ――小佐野さんと親交の深かった風間ルミさんがお亡くなりになりました。
    小佐野 突然のことで本当にビックリしました。新型コロナに入ってから会う機会がなかったんですよね。2017年11月にキャプチャーの大会で北原(光騎)と風間のトークショーがあって、私がMCをやったんだけど。それが最後かもしれない。 最近は昔のように飲んだりしてなかったから。最後に飲んだのは、彼女は神楽坂で『絆』という飲食店をやってたでしょ。あの店を閉めるということで、その前に夫婦で行ったんですよ。そうしたら尾崎魔弓と元デイリースポーツの宮本さんもいて、4人で飲んだ記憶がある。
    ――宮本さんとはデイリーの名物記者だった方ですね。

    98〜00年頃、元アイドルの木原美智子(中央)がパーソナリティをしていたラジオ番組に一緒に出演した風間ルミさんと小佐野さん。
    小佐野 あと山本小鉄さんのお通夜のときに、ジャパン女子のみんなが風間ルミの店で明け方まで飲んだ。私はジャパン女子がどうして分裂したのか詳しくは知らないんだけど、LLPWとJWP に分かれたみんなが仲良く飲んでいたからね。
    ――小佐野さんはジャパン女子自体は取材はされたことがないんですね。
    小佐野 表面的な取材しかしたことはない。結局女子プロって自分のフィールドじゃなかったから、どんな内紛があったのかはよく知らない。 ジャパン女子の関係で最初に知り合ったのは神取忍。彼女はフリーだなんだって面倒な時期があったでしょ。
    ――神取さんが当時・全女の長与千種とやる・やらないでゴタゴタしていた時期ですね。
    小佐野 ある日、『ゴング』の編集部に行ったら神取が寝てて(笑)。「おはよう」って起きてきて、 そこから知り合いになったんだよね。
    ――すごい出会いですね(笑)。
    小佐野 浪人中に『ゴング』編集部に遊びに来ていたみたいで。それから天龍(源一郎)さんや三沢(光晴)さんの飲んでるところに神取が来るようになって、ほかのLLPWのメンバーも集まるようになった。つまり最初は飲み友達。仕事はまったく関係ない。 神取はそんなに飲まないんだけど、風間がいてイーグル沢井がいて、大沢ゆかり(ジェンヌゆかり)がいて、 穂積詩子、半田美希、遠藤美月、レオ北村がいて……。大向美智子は当時まだ未成年だったかな。 そのうち私が編集長になったんだけど、「それはそれ、これはこれ」ということを約束して一緒に遊んでた。それでLLPWを1回見に行くかということで取材してね(笑)。
    ――ホントに仕事抜きだったんですね(笑)。 
    小佐野 仕事で関わった……というのはちょっと違うかもしれないけど。穂積詩子が引退試合で結婚する維新力と組んで、藤原組長&神取忍とやったんですよ。
    ――素晴らしいカードですね(笑)。
    小佐野 試合前に穂積から電話がかかってきて「何か連携技はないか」と。しかも夫婦になることが発表されたあとだから、夫婦っぽい技じゃないといけない。そのときに維新力との連携プレーを考えてあげたことはある(笑)。
    ――仲人みたいな仕事!(笑)。LLPWの妖しげなカラーからすると、ピュアハートのJWPと割れて当然なのかっていう。
    小佐野 根っこは同じなのにJWPとは別世界でしょ。 LLPWは“夜の世界”だから。それはやっぱり風間と神取のカラーだったんだろうね。 LLPWは三禁(酒、煙草、男)がなかったし。
    ――LLPWは三禁解禁の団体!
    小佐野 LLPWに参加した立野記代は全女出身だったでしょ。本当に全女に三禁がなかったか聞いたら「本当に三禁だったんです」と。スポンサー関係でお酒を飲まなきゃいけないときも必ずウーロン茶を飲んでいた。そういうふうに松永会長に言われていたらしくて。 全女には中学を卒業して入る子が多かったから、親御さんの手前「ちゃんとしてますよ」っていうところはあったんだろうね。
    ――三禁は親御さんの不安解消の面もあったということですね。小佐野 ただ、昔の LLPWの道場は埼玉のどこかにあったんだけど、そのときから門限には厳しくて。必ず時間になると誰か先輩が寮に電話をして、ちゃんといるかどうか確認してたね。 
    ――取材してみたLLPWはどうでした?  
    小佐野 団体としては泥臭いというか……。印象的だったのは対抗戦になると急に殺伐とするんだよね(笑)。全女とJWPの対抗戦ってうまく成立してたでしょ。でも、 全女とLLPWがやると本当に「ふざけんなよ!」の世界。
    ――ああ、わかります。全女とJWPのような「Win-Win」感はLLPWにはなかったですよね。
    小佐野 全女からするとLLPWもJWPの格下で下に見てたんだけど……違いがあるとすれば、JWPの場合はフロント同士の交渉。でも、LLPWの場合、全女と交渉するのは選手兼社長の風間だから。 
    ――フロントのワンクッションがLLPWの場合なかった。全女の言い分がストレートに選手に伝わったら殺伐としますよね(笑)。
    小佐野 そうそう。フロントがソフトな内容に変換して選手に伝えることがないから。そもそもLLPWは全女から「とりあえず会場に見に来てください」ってお願いされて行ってみたら、リングの北斗から挑発されて「騙された!」と。最初から不信感もあったりするわけですよ。ましてや北斗は嗅覚があるから JWP とやっても綺麗な対抗戦になってしまう。 自分には美味しくないということで、あえてLLPWとやったのかもしれないしね。
    ――駒沢での対抗戦は伝説ですよね……。LLPW勢が秒殺されまくって。
    小佐野 風間いわく「みんな泣きながらあっという間に控え室に帰ってくる。ウチはパンクラスなの?」と思ったって(笑)。しかも全女の選手たちは場外に椅子を置いて座ってヘラヘラ見ててね。
    ――全女の恐ろしさがいかんなく発揮された興行ですねぇ。
    小佐野 言えるのはLLPWは基本的に男のプロレス。それは小鉄さんに教えてもらったから。
    ――小鉄さんはジャパン女子のコーチだったんですよね。
    小佐野 初めてLLPWを見に行ったときに「LLPWは男のプロレスなんだ」と思ったことを覚えてる。全女は女子プロレスだから、そこの噛み合わせも面白かったのかもしれない。あと風間がすごいなと思ったのは、あの時代に女社長やったことだよね。当時の地方興行って反社の縄張りがどうのこうの絡んでくるでしょ。「ここで興行をやるのにウチに挨拶がない!」って、呼び出しをくらって……。――うわ~!!この続きと、斎藤裕、平本蓮、破壊王、AKIRA、クレベルvsRIZIN…などの10月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「14万字・記事18本の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2059994この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事110円から購入できます!
     
  • 武田有弘☓小佐野景浩 「これまでのノアと、これからのノア」

    2021-09-25 18:47  
    130pt

    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回はノアを統括するサイバーファイト取締役の武田有弘氏をお迎えしてノアを語ります!




    <1記事から¥100から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!>

    『ゴング』と東スポの元記者が語るプロレスマスコミ黄金時代/小佐野景浩☓寿浦恵一
    【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」
    北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!
    冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…


    ──武田さんは新日本プロレス出身で、リデット時代からノアの運営にタッチされています。本日は小佐野さんと「これまでのノアと、これからのノア」について語っていただきたいと思います。
    武田 小佐野さんはノアに関しては詳しいですよね。
    小佐野 そうですね。選手たちのことは旗揚げ前から知っているわけだし。
    ──武田さんと小佐野さんはいつぐらいに知り合ったんですか?
    小佐野 武田さんが全日本プロレスにいた頃かな? 
    武田 そうですね。ボクは95年に新日本さんに入社して、02年に武藤(敬司)さんたちと全日本さんに移って。
    小佐野 私は全日本の担当だったから、新日本方面の方とはそこまで接点が持てなかったんですよね。武田さんのことで覚えてるのは、武藤さんの取材をするために武田さんに電話したら「わかりました。じゃあ、この日はどうでしょう?」ってすぐに日時を挙げてくれた。変な話、それまでの全日本の人たちって取材対応はかなり遅かったんですよ(苦笑)。
    武田 なるほど(笑)。
    小佐野 「あっ、武田さんは頼んだら、すぐやってくれるんだ」って安心した印象がある。
    武田 そこはせっかちな性格なんで。でも、そんな普通のことで驚かれるなんて、すごい会社だったわけですよね、全日本プロレスさんは。
    小佐野 もう20年近く前のことですし、当時のプロレス団体ってそんな感じですよね。
    武田 結局ボクは1年くらいで全日本さんをやめたんじゃないかな。
    小佐野 武藤さんが全日本の社長になったときはいた?
    武田 ……ときまでは、いたかなぁ。どうだろう。この業界の人って「自分は何年入社」とかいろいろ覚えているんですけど、そういう時系列の記憶がまったくなくて。
    小佐野 あの頃は業界もグシャグシャしてたから余計にね。あのとき新日本からは選手だけじゃなくて、武田さんとかフロントの人たちもゴッソリ抜けて全日本に来たでしょ。
    武田 新日本プロレスさんの試合ビデオを制作していたヴァリスの人間も移ったり。
    小佐野 それで武藤さんはレッグロックという会社も作ったりもしてて。
    武田 結局、全日本プロレスさんには全日本プロレスさんのやり方があるんで、武藤さん関連のグッズや芸能方面は別会社がやろうと。関係がややこしかったですね。
    ──当時K-1やPRIDEのブレーンだった柳沢(忠之)さんのローデスジャパンもいろいろと関わってましたよね?
    武田 あー、そうです。柳沢さんは新日本時代からけっこう仕事をやらせてもらってて。その人脈でスカパーさんで放送したり。当時はいまと違ってネット配信なんかはなかったから、CS放送やスカパーのPPVをやるしかなくて。
    小佐野 当時は地上波に頼らない団体運営が試されていた時代だったよね。
    武田 ものすごく大変でしたよね。ボクは新日本さんに戻っちゃいましたけど。
    ──ノアはサイバーエージェント(以下CA)体制となりましたが、体制変更の混乱もなくスムーズにやられてるなっていうイメージがあります。
    武田 じつはCA体制に移る前が最大のピンチだったんですよね。リデット体制になってそれまで整っていなかった社内の体制はうまく整えることができて、支払いなんかは問題なくなっていて。あとは投資していただける会社さえつけば……という段階だったんです。だから、もしCAの話がうまくいかなかったら、ノアは消滅していたんじゃないかなって。その頃と比べると、スムーズに見えるのかもしれないです(笑)。
    小佐野 CA以前のリデット体制でいえば、19年11月の両国大会が勝負所だったんですよね。あのときデイリースポーツの月1連載の記事を書くときに、武田さんに話を聞いたら「とにかく結果を出さなきゃいけない」「時間がない」と繰り返していたことがすごく印象的で。
    武田 あの大会が11月で、そのあとくらいからですかね、CAとそういう交渉が始まったのは。正式に決まったのは、発表間近だったんですよ。
    ──武田さんの「とにかく結果を出さなきゃいけない」という発言は発破をかけるために言ってるんだと捉えてていて。まさか本当に危機的状況だとは思わなかったですね。
    小佐野 まあノアがここまで生き抜いてきたのは、奇跡に近いものがありますよ。
    武田 それこそボクが関わる前から奇跡の連続だったんじゃないですか。
    小佐野 ホントそうですよ。ノアは三沢(光晴)さんがご存命のときもヤバかったわけだから。日本テレビの地上波もなくなっちゃったし、選手のリストラが始まっていたし……。
    武田 リデット体制になるまで、親会社も何回か変わってますよね。そんな中、新日本プロレスさんから選手がやってきて。
    小佐野 鈴木軍で2年間なんとか回してね。
    武田 全日本さんもいろいろあったけど、ノアの激動のせいで目立たないところもあるじゃないですかね。
    小佐野 そうかもしれないね(笑)。
    ──多くのプロレスファンはそこまでノアが深刻だとは捉えてなかったと思うんですね。大会はなんとかやってるから。
    小佐野 体制は変わっていたけど社名は社名であって、団体名とはまた別だからね。
    武田 やっぱりノアという看板の名前が大きかったのかな。どんなにピンチに陥っても、なくならなかったですよね。ボクがノアに関わったのは2019年の3月からで、経営の財務はもうキツイなってのはわかっていましたけど。リデット体制になってから、財務面ではまともにはなったんですよ。
    小佐野 いまだから言えますけど、リデットの前はホントにダメでしたよ。パンフレットの制作代は踏み倒されましたし(苦笑)、遅配はあたりまえで。もう当時の代表に直に話をしないとお金が出てこないっていう状況だったから。ノアとは昔からの繋がりだから、仕事の依頼は断らなかったんですけど。
    武田 その頃と比べたらリデット体制はすごくよくなったんですけど、それでもピンチには変わりなくて。CAに提出する資料を作って、プレゼンもやって、結果を待ってるあいだはドキドキして精神的にキツかったですね。
    小佐野 武田さんがノアに関わるようになって、いろいろと新しいことを打ち出していきましたよね。
    武田 当時のノアは結局やれてないことが多くて。やるべきことをやれば、よくなることはわかってたんですけど。何かをやろうとすると、お金がかかるっていうのがプロレス団体なので、なかなか難しいところでしたよね。何かをやったからといって、いきなりお金がバーっと入るわけでもないし。
    小佐野 やっぱりお金がないと、やれることやれないし。
    武田 結局ノア、全日本プロレス、新日本プロレスの宿命ですけど、ちっちゃく成功すればいいっていうわけでもないじゃないですか。そこが難しいですよね。やっぱり常に大きく、メジャーっぽくやらなきゃいけない。
    小佐野 思ったのは、武田さんは新日本の人間じゃないですか。ノアは全日本系。その選手たちと一緒にやっていくのは大変だったんじゃないですか。
    武田 ちょっと考え方が違うといえば違いますけど、そこまでめちゃくちゃな違いはないっていう安心感はありました。どちらかというと新日本さんが攻めだったら、ノアは守りのような文化はありますけど。いまはとりあえず「大きな成功しよう」と。その方法をちゃんと説明することで理解はしてもらっています。武藤さんが入団したりとか、ぶっ飛んだ攻めがあったりするじゃないですか(笑)。
    小佐野 驚きますよ(笑)。ノアらしからぬ攻めってことですね。
    武田 全日本系という意味では、やっぱり変化はあまり求めないところはあるのかな。なぜ変化させたかというと、変化を恐れているともう経営は成り立たなくて、選手を守れないから。変化することで批判されることは承知の上ですね。
    小佐野 やり方でいえば全日本や昔のノアっぽくはない。新日本っぽいんだけど、それがうまく刺激としてノアに入ってきてる。いまのノアがいいバランスだなと思ったのは、鈴木軍が来たときはノアのファンが引いちゃってたんですよ。
    武田 あー、そこまで見てないんですよね、あの当時のノアは。
    小佐野 結局、それまでのノアは長い試合を丁寧にやる文化だったのが鈴木軍がそれをぶっ壊して、鈴木軍ペースの試合になっちゃったことで、それまでのノアのファンが離れちゃったんです。
    武田 鈴木軍に太刀打ちできるくらいノア側が強ければよかったんでしょうけども。
    小佐野 まさに丸藤(正道)は当時を振り返って「あれはウチらのせいだ。結局全部向こうが持ってっちゃったから」と言っていて。結局、鈴木軍のほうがよっぽどノアのことを考えて戦っていたから。
    ──いまのノアの現場が変化を受け入れたのは、「さすがにもう変わらないとやっていけない」という空気を感じたからですか。
    武田 それも当然ありますし、一番大きかったのはお金がそんなにあるわけじゃないですけど、しっかりとした会社がついていれば、遅配とかお金に関する迷惑をかけなくてもいいことで信頼されるじゃないですか。小佐野さんがおっしゃった「ダメだった」ころは、会社から言われたことやっても、給料が出なかったり遅れたりしたら「ホントに任せていいの?」っていう不安な気持ちがあったと思うんですよ。
    ──生々しい話ですが、お金や生活の安定をさせてくれる人じゃないと選手はついていかない。
    武田 そりゃそうですよ。来月給料が出るかどうかわからない中で「試合をしろ」と言っても集中できないですよ。いいパフォーマンスはできないですよね。
    小佐野 集中しないとケガもしやすいしね。
    武田 たとえば小佐野さんや周りの人にも迷惑をかけてることを選手が知っちゃうと……。いまはとりあえずちゃんと信頼関係があるので、これから団体が大きくなれば選手に還元できる体制にはなっているので。
    ──それくらいノアは追い込まれていた時代があったっていうことなんですね。
    小佐野 これは武田さんが来る前なんだけど、芸能関係の仕事があるじゃないですか。そのお金を全部会社に持っていかれちゃったって選手から聞いたことあった。あとは未払いでどうしようもないから、業者さんにも毎回その場で現金払いという時代もあったみたいで。
    ──プロレス団体ってそこまでいくともう終わりですけど、そこからよみがえるってそうそうないですね。
    武田 そこで終わりとしないのがプロレス経営者なのかなと(笑)。FMWやW★INGとか昔からそうかもしれないけど。
    小佐野 あと周りも多少被害を被っても「ノアは潰しちゃいかん」という意識がずっとあって。
    武田 それもありますね。「ノアだから」って。
    小佐野 それは絶対あると思う。そりゃあ未払いに対しては「ふざけんな」ってなるかもしれないけど、「でもノアだしな……」っていう気持ちもあって。
    ──90年代はメガネスーパーの失敗があったことで「企業プロレス」のイメージは最悪だったんですが、最近は逆に「企業プロレスじゃないとダメだ」という空気にもなってます。
    武田 新日本プロレスさんもユークスが親会社になって、そのあとブシロードであそこまで復活して。企業プロレスじゃないとダメだってことじゃないですけど、たとえば新日本プロレスって90年代中盤にドームツアーをやっていた頃は年商39億円かな。いまのブシロード体制は50億円。この50億円は当時はなかったデジタル売上も追加されているじゃないですか。デジタルに強い親会社がつけば、いままでやれてなかったことがやれたり、獲得できなかった人材を獲得できたりする部分では相性がいいというか。そういう意味では、親会社がつくっていうのは理にかなってるのかなと思います。ただ単にお金を出す親会社がついてるだけなのは、あんまり意味がないと思うんですけど。
    小佐野 結局SWSの場合は企業プロレスというかタニマチプロレスだったから。税金で取られるくらいなら、とか、ちょっとでも宣伝になればいいやくらいの姿勢だったよね。
    武田 それだとビジネス的にシンクロしてなかったのかなと。だからユークスさんやブシロードさんとか、今回のリデットやCAは、お互いにメリットのある団体と親会社のつき方なんじゃないですかね。ノアに関していえば東京ドームをやっていた全盛期は年商20億円くらいあったんです。アナログ売上だけで20億円。
    ──2004年や2005年の頃ですね。
    武田 だからポテンシャルは全然あるんですよ。それに当時のノアが持ってなかったメディアがある。ABEMAもありレッスルユニバースもあり、そういう意味では本当にいいかたちはできていますよね。
    小佐野 2005年頃って、業界の盟主が新日本からノアに移ったって言われたんだけど。そこからの転落が早かったんだよなあ……。
    武田 あのときのノアの東京ドームってYoutubeなんかでも映像が見れますけど、お客様がすごく入ってますよね。その当時のボクは新日本さんに戻ってたんですけど、新日本プロレスはドーム大会にお客様が入ってなかった。三沢さんと杉浦さんのタッグがドーム大会に出たときに、当時ノア所属だったKENTAさんが会場を見て「新日本のドーム、お客さん入ってねぇじゃん」って言ってましたもん(苦笑)。
    小佐野 あの当時の新日本はいつドームから撤退しても、おかしくなかったよねぇ。
    武田 逆にノアの東京ドームは本当に入ってたと思うんですよ。ただ、あの当時のノアって力を持ちすぎていろんな団体と助け合う、束ね合うというか、ちょっと変な方向を目指してしまったように見えたんですよ。
    小佐野 要は「対・新日本」みたいなね。
    武田 そうそう。あの頃の新日本さんはどこからも嫌われてる団体だったから(苦笑)。誰も相手にしてくれなくて、それが結果としてブルーオーシャン的な世界が作れたのかなと。
    小佐野 あのときノアが中心となってグローバル・レスリング連盟(GPWA)っていう組織も作りましたよね。
    武田 そうなるとノアの選手がいろんな団体に出て助けなきゃいけない。で、いろんなところから選手を借りる。そうなると、どのカードをやってもどこかで見た試合だし、そのうちネタは切れますよね。あれでノアが完全にレッドオーシャンになっちゃったのかなと。
    小佐野 交流の弊害ですね。
    武田 そこを新日本さんは独自でやろうと。誰からも嫌われてるから(苦笑)。
    小佐野 あんまり亡くなった人のことは言いたくないけど、当時のノアの現場を仕切っていた仲田龍氏が野望を持ちすぎちゃったんじゃないかな。あの当時「銀行が金を借りてくれとしょうがない」って言ってたもんね。そういうこともあって拡大路線に入ると、他団体の選手を呼ぶことになるし、お金がかかるようになっちゃって。
    武田 ボクがノアに入ってから社員面談をやって「なぜノアがダメになったか教えてくれ」って聞いたら、大多数の人は「東京ドームをやったこと」そして「東京ドームをやめたこと」で。新日本プロレスは東京ドームがガラガラなことが何度もあったのに、それでもやり続けたんですね。それは資本があったから、ユークスのお金があったからで。ノアは新日本プロレスみたい会社の後ろ盾がなかったから、ドームをやり続けることができなくなったんだと思うんですよ。
    ──新日本とノアにはそこに違いがあったんじゃないかと。
    武田 なぜ「東京ドームをやめたこと」がよくなかったかというと、新日本さんにはいろんな資産があって。道場ももちろんそうだし、IWGPというタイトルやG1クライマックスという毎年恒例のシリーズ、そしてイッテンヨン東京ドーム。そういうフォーマットができてるから、人気が落ちてもそのフォーマットを軸に復活できるじゃないですか。そのフォーマット自体が資産なんです。ノアって引き継いだ段階で、東京ドーム大会もやめてしまったし、この時期にはこのシリーズを行うという毎年恒例のシリーズもなかったし、なんのパターンもフォーマットもなくなってたと思うんですよ。何か思いつきます? ノアで。
    ――そう言われると……たしかに。
    小佐野 変な話、最後に残ったのは「三沢光晴」っていう名前だけだから。それだけで、あとは何も残ってなかったね。
    武田 「三沢さんだったら、どう考えるだろう?」という文化頼りになんとかやってきて。新たに来年1月1日に日本武道館をやろうとしたり、今後はいろんなパターンを作ろうと思ってます。<16000字対談はまだまだ続く>
    この続きと、秋山成勲ヌルヌルの裏側、斎藤vsクレベル消滅、井上直樹…などの9月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「14万字・記事16本の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2053667この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事110円から購入できます!

     
  • 一流レスラー輩出工場ドラゴンゲート■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2021-07-22 08:00  
    110pt

    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは一流レスラー輩出工場ドラゴンゲートです!




    <1記事から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!>
    義足でプロレス復帰する凄いヤツ! 谷津嘉章」
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    【vs秋山準】男色ディーノは脱いではいけなかった「IWGP世界ヘビー級王座」新設
    武藤敬司と秋山準、Wタイトル奪取&入団の衝撃秋山準の“三冠外し”マイクとは何か
    杉浦貴……いいときも、悪いときも、ノアで戦い続けた男
    G1、チャンカン、N-1……秋の3大リーグ戦・総括


    追悼ロード・ウォリアーズ
    SWSは企業プロレスだったのか『ゴング』と東スポの元記者が語るプロレスマスコミ黄金時代/小佐野景浩☓寿浦恵一
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    デビュー戦から見た木村花というプロレスラー
    小川良成…孤独と苦難から生まれた「孤高のテクニシャン」新型コロナ禍の中のプロレスW-1活動休止、NOAH新体制、全日本はWWEと接近?追悼“喧嘩日本一”ケンドー・ナガサキ
    【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」
    新生NOAHは何が変わったのか?
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    ──以前から小佐野さんの連載で人材輩出工場としてのドラゴンゲートの話が出てきましたが、ここにきてあいかわらずのすごさはありますね。
    小佐野 鷹木信悟がIWGP世界を獲ったりね。
    ──鷹木選手の新日本プロレス入団はアヤがあったわけじゃないですか。もともとジュニアの選手として契約して。
    小佐野 あのときは高橋ヒロムがケガで長期欠場となって。新日本としてはジュニアの選手がほしかったから鷹木に声をかけたんだろうけど。
    ──でも、鷹木選手はヘビーで活躍してたわけですよね。
    小佐野 ドラゲーってみんな身体がちっちゃいからジュニアヘビーみたいな見方をされるけど、彼らは階級でやってないから。みんな無差別級。
    ──階級の概念がないわけですね。
    小佐野 だから新日本でジュニアとしてデビューしたときはビックリしたし、ちょっともったいないなと思ったけど。
    ──もったいないですか?
    小佐野 たとえばあの年(2018年)の春、鷹木は全日本のチャンピオン・カーニバルで活躍して、開幕戦で当時・三冠王者の宮原健斗に完璧に勝っちゃったんですね。あの人はヒールなのでドラゲーではブーイングを浴びるんだけど、全日本ではどこの会場にでも大歓声で迎えられて。彼のガンガン攻めるスタイルが全日本に合ってたんです。
    ──キャラクターじゃなくてファイトスタイルが歓迎されてたってことですね。
    小佐野 うん。ユニットで参戦してたわけじゃないからヒールだろうが関係ないからね。石川修司とやった試合なんかも、あんなに体格差があるのに全然見劣りしなかったし。その石川戦はプロレス大賞でベストバウトにノミネートされたくらいだから。
    ──階級の概念が戦いの中で、自分のスタイルを作り上げてきたんですね。
    小佐野 彼は他団体に出ていくことが多かったから田中将斗なんかともけっこうやっていたはずだし。だからこそ新日本のジュニアではもったないなと。そのときの新日本はジュニアのトップでやれる選手がほしかったんだろうね。だって最初からロスインゴに入ったでしょ。ロスインゴでジュニアを充実させるのはけっこうな役割だから。
    ──新日本としても高い評価をしていたってことですね。
    小佐野 鷹木の実力を知ってる選手や関係者からすれば「えっ、なんでジュニアなの?」って思ったはずなんだよね。でも、あのときはあくまでジュニアのテコ入れ。鷹木本人の中にはいずれヘビーでやってやろうっていう考えはあったと思うんだけど。
    ──ジュニアでも期待どおりの実力を見せて。
    小佐野 翌2019年のベスト・オブ・ザ・スーパージュニアはオスプレイに決勝で敗れて準優勝だったんだけど、ジュニアの試合でプロレス大賞のベストバウトにノミネートされたんですよ。「これがジュニアだ!」という試合ではなく、ヘビーでも通用する試合。階級関係なくいい試合ってことでプロレス大賞のベストバウトにノミネートされたんです。
    ──階級の概念のないスタイルだからこそだったんですね。
    小佐野 闘龍門一期生のCIMAにしたって40歳を超えても田中将斗と普通にすごい試合ができる。あとドラゲー出身レスラーは喋りもうまいでしょ。そこはドラゲーならでは。ドラゲーの選手たちのマイクがすごいなって思うのは、まず噛まない。噛んでもリカバリーできる。あとは、よく聞き取れる(笑)。これが一番大きい。普通のレスラーはガーっと怒鳴ると何を言ってるかわかんないけど。
    ──プロレスのマイクって何を言ってるかわかんないですからね、昔から(笑)。
    小佐野 ストロングハーツのエル・リンダマンとかすっごいうまくて全部聞き取れる。それにその人その人の喋り方になってるから、セリフを言ってるわけじゃないんだよね。
    ──ただの「セリフ」に聞こえないんですね。
    小佐野 何か台本を暗記して喋ってる感じではない。そこは重要だよね。変な話、絶対言わなきゃいけない要点だけで、あとは自分の言葉で喋ればいいから。
    ──ドラゲーは新人の頃からみんなマイクがうまいんですか? 
    小佐野 初めは喋らせない。だんだんキャラができてパーソナリティができてからっていう。
    ──そうやって優秀なレスラーが育成されていくわけですね。
    小佐野 いろんな団体で活躍してるよね。戸澤陽はWWEだし、新日本にはオカダ・カズチカ、石森太二がいて。
    ──ウルティモ校長の育成メソッドがすごいという。
    小佐野 そこは大きいとは思うよ。だってそのノウハウでみんな育ってるわけだからさ。あの人はルチャ・リブレを経験して、日本のスタイル、WCWやWWEのアメリカンスタイルでもやって。それらのいいとこ取りを教えたのが闘龍門だから。だから闘龍門ってルチャの団体だと思われたがちだけど、浅井嘉浩の中ではルチャじゃないから。自分がやってきたものがまぜこぜにしたものが闘龍門。
    ──ルチャはあくまでベースのひとつ。
    小佐野 そうそう。ベースはルチャなのかもしれないけど、ルチャではない。ドラゲーの試合を見てるとみんなスピーディーだけどルチャじゃないからね。飛べる選手もいるけど、飛ばない選手もいるわけだから。
    ──ウルティモ校長が団体から去ってドラゲーに名称が変わるわけですけど。引き続き人材が育ってるのはすごいことですね。
    小佐野 やっぱり初期の人たちがすごかったんだよね。ちゃんと教えられた人たちがいたから、その後の選手も鍛えられたんじゃないのかな。たとえば吉野正人は8月1日の神戸で引退するけど、今年で41歳で首が悪かったり身体はボロボロなんだけど、少なくとも体型は崩れてないもんね。ちゃんと身体を作ってる。
    ──プロレスラーってフォルムが変わらないことが重要ですよね。
    小佐野 モッチー(望月成晃)も50過ぎてるわけでしょ? それで身体をちゃんと作ってハタチくらいの子たちと試合してるから。モッチーはいまNOAHに上がってるからNOAH用にちょっと太めにしてるけど。ちゃんと合わせてるところもプロフェッショナルですよね。
    ──大雑把な話かもしれませんが、四天王プロレス以降の日本のプロレスは闘龍門のスタイルが日本のプロレス界を変えてるんじゃないかと思います。
    小佐野 それまでのプロレスと何が違うかといえば、スピードと試合の作りが全然違う。
    ──いわゆるハイスパートレスリングとは明らかにスピードや展開が違いますけど、括りとしてはハイスパートですよね。
    小佐野 まぁ形としてはハイスパートなんだけど……ハイスパートの連続なんだろうね。だから、よくもまぁ動くわなっていう。いまはREDというヒールユニットが出てくると、ちょっとテイストが……技じゃないプロレスになってきてるところはあるんだけど。
    ──ドラゲー以前に細かいところまで練り込んでやってるスピーディーなプロレスってありましたか?
    小佐野 もしかしたら初期のみちのくプロレスはそうなのかもしれないですね。
    ──あー、なるほど。
    小佐野 みちのくもユニバーサルプロレスから派生した団体だからベースはルチャだけど、ルチャじゃなくなっていった。飛び技をつかったハイスパートってことでサスケ、カズ・ハヤシ、TAKAみちのく、ディック東郷が活躍して、他にも人材もたくさん育てている。結局、みちのくはウルティモが教えたわけじゃないけど、ウルティモはユニバーサルにいたという縁もある。あの当時のウルティモの試合はジャパニーズ・ルチャと呼ばれたけど、ルチャを日本人仕様にしたのがジャパニーズ・ルチャで、それが日本のジュニアの主流になっていったから。そのウルティモ・ドラゴンの源流はタイガーマスクなんだけどね。
    ──新日本も体制がユークスとなり、邪道・外道が現場を仕切るようになったことで新日本プロレスのスタイルも変わっていきました。

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