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記事 61件
  • SWSは企業プロレスだったのか?■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2020-09-10 10:47  
    105pt

    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマはSWSは企業プロレスだったのか?です!
     





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    ――新日本プロレスの親会社がブシロードだったり、ABEMAがDDTやNOAHを傘下に収めたりと、企業プロレスがあたりまえになっているプロレス界ですが、過去でいえばメガネスーパーを資本としたSWSが企業プロレスと扱われていますが、正直あれは企業プロレスと呼ばれるものではないですよね。
    小佐野 SWSは企業プロレスではないよね。あれはタニマチ・プロレス。
    ――要するにスポンサー・プロレスということですね。
    小佐野 SWSも企業プロレスをやりたかったんだけど、結果的にタニマチ・プロレスになってしまったのかな。 
    ――あのSWSから見た企業プロレスとタニマチプロレスの違いってなんですか?
    小佐野 ひとつには、レスラーがオーナーを経営者と見ているか、単なるタニマチとして見ているのか。そこの意識の違いかな。ビジネスとして成立するかどうかはわからないけども、少なくともビジネスとして物事を考えているのが企業プロレスなんだと思う。
    ―― SWSにはそのビジネス的視点がまったくなかったということですか?
    小佐野 だって当時のメガネスーパーの田中八郎社長は最初から「儲けなくてもいい」って言ってたからね。 「SWSは金儲けじゃなく私のロマンだ」と言って取り組んだから、60億かかろうが70億かかろうが関係ないと。
    ――SWSは最終的に100億円近く使ったわけですもんね……。
    小佐野 始めからビジネスとして考えていなかったし、 それに地方巡業にしても、あの舞台装置やスタッフの数からすると、いったい何人入れば採算が取れるの?って。とても売り興行にはできない。SWSの地方興行はほとんど手打ちでやっていたんだけど、どうやっても黒字にはならなかったと思う。東京ドームとかビッグマッチなら話は別だけどね。
    ――それは長期的視点による投資ではなかったんですよね。
    小佐野 そうじゃないよね。ひとつのメリットとしてはメガネスーパーの知名度が上がったということは田中社長は言っていたけどね。宣伝効果はたしかにあった。
    ――お金を出してくれたことはありがたいけども、会社組織としては評価しづらいところがあるわけですね。
    小佐野  SWSに参加した選手たちは散り散りになったけど、いまになったら感謝してるはずですよ。少なくとも天龍(源一郎)さんはSWS以前からトップレスラーだったけど、他のレスラーはあんなにいい待遇を受けたことないんだから。とくにあの頃は何年も現役が続けられる時代ではなかったから、おいしい話があったら飛びつくよね。
    ――いまみたいに50代60代でもプロレスができる時代ではなかったですね。
    小佐野 あの時代のレスラーは40歳がギリギリやれる年齢だと思っていたからね。みんな自分のタイムリミットを知っていたから、できるだけ良い条件の団体を選ぶでしょ。SWSがなくなったあとに天龍さんが WARを旗揚げしたのは42歳だったけど、 そんな歳で新団体を作るのか?ってみんな驚いた。昔だったら引退するような年齢なんだから。 
    ――SWSは金権プロレスだとして『週刊プロレス』から大バッシングを浴びました。当時はプロがお金で動くことが批判される時代で。 
    小佐野 いまだったら批判はされないよね。90年代は野茂英雄がメジャーリーグに挑戦したときでさえマスコミは大バッシングしたからね(笑)。 SWSはそれより前の出来事だから。
    ――野茂バッシングもSWSと同じくマスコミの傲りが招いたものですよね。
    小佐野 あのSWSの失敗があったから、そのあとプロレス界に企業が入ってきてもファンはアレルギーを起こさなかったし、プロレスラーも経営方針に理解を示すようになった。SWS消滅以降しばらくプロレス界には大きなスポンサーは付かなくなったからね。みんな寄ってたかってメガネスーパーを叩いたから、プロレスに興味のある他の企業も敬遠しちゃってね。
    ――プロレスに手を出すと『週プロ』やファンに怒られるイメージがついちゃいましたね。
    小佐野  時が経ってから振り返ってみると、あのバッシングはよくなかったんじゃないかという話にもなって、田中八郎氏の評価も変わってきてるし。 
    ――問題は運営の仕方だったということですね。
    小佐野 そこはブレーンの問題があったんだと思うよ。はじめが若松(市政)さん主導で、途中から天龍さんが入ってきたけど、既得権があるわけだよね。桜田(一男)さんは桜田さんでアメリカでも試合をやっていたから、日本とアメリカ両方で稼げればいいぐらいの感覚で。
    ――SWSの中心人物だった桜田さんは「なんか揉めてるけど、まあいいや」くらいの感覚でしたよね(笑)。
    小佐野 若松さんはそれまでプロレス界であんまりいい思いをしてこなかった人だから。国際プロレスから新日本に移って、マシン軍団のマネージャーとしてブレイクはしたけど、レスラーとしては評価されなかった。表舞台を歩いてこなかった人がああいう立場になったら浮かれちゃうところもあるし。 
    ――若松さんはいい人ですけど、SWSマネーを掴んだこと豹変したところがあったんですか?
    小佐野 少なくとも我々マスコミの前ではまるっきり変わらなかったけど、坂口さんに言わせると「若松は変わった」と。「俺には後ろ盾があるんですよ」というものを匂わせるようになったみたいだね。
    ――しかし、若松さんは大当たりの宝くじを拾ったようなもんですね。
    小佐野 若松さんのおかげで多くのレスラーがいい待遇を受けられたんだけど、若松さんは自分のような不遇の立場のレスラーを集めちゃったところもあった。
    ――たしかに燻り加減があるレスラーがSWSには集まってましたね。
    小佐野  地味目なレスラーが多かったよね。それと若松さんは人間性は別として、プロレスにビジネス的な視点がある人ではなかったから。
    ――プロレス団体の運営に関わったことがない。
    小佐野 ブッカーすらやったことがないよね。
    ――80年代当時ブッカーという存在は認識されていたんですか?
    小佐野 そんなには感じてなかったかな。だって当時は誰がブッカーなんてわからなかったから。全日本で佐藤昭雄さんがやってた時代はわかったけど、新日本で誰がその役をやっていたのかはわからないし、おそらくブッカーのシステムがあったわけじゃなく、大筋は猪木さんで考えて、毎日の現場監督は坂口さんがやっていたんじゃないかな。それに当時のマッチメイクは外国人を呼んで、大まかな流れの中で組み合わせてくだけだからね。 
    ――明確なシステムがなかった。
    小佐野 全日本にしても馬場さんと元子さんが大まかに考えて、周りの人間に何か知恵はないかとか聞いたりして、最終的には仲田龍と『週プロ』の市瀬(英俊)くんがまとめたりね。
    ――あの頃「俺が猪木さんにアイディアマンだった」と主張する人がウジャウジャいるのは漠然としていたからですね。<会員ページへ続く>
    いま入会すれば読める9月更新記事石井和義館長に訊く「国立競技場の借り方」/神龍誠「NOAHに入るために中卒で総合格闘技をはじめました」/RIZIN広報笹原圭一2連戦反省会/【全日本プロレス編】アポロ菅原インタビュー/天心vs皇治、武尊vsレオナは連鎖する……続々更新!https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/202009

     
  • 名子役から名優へ…中嶋勝彦■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2020-07-06 16:51  
    105pt

    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は「名子役から名優へ…中嶋勝彦」です。




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    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!
    全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信
    鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”
    高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿
    ――NOAHの中嶋勝彦選手は、デビュー当初からすると「こんな選手だったけ?」と驚いて見てしまいます。
    小佐野 勝彦がデビューしたのが2004年1月、彼が15歳9ヵ月のときで、いまは32歳だからね。そりゃあもう見た目から何から変わって見えるよね(笑)。
    ――もう32歳なのか、まだ32歳なのか。
    小佐野 彼がデビューしたのはWJだけど、その頃は喋ったことがないんですよ。 まずひとつには長州力が若手がマスコミと喋ることを禁じていたんですよ。
    ――プロとしてのハードルがあるということですね。
    小佐野 KAIENTAI-DOJOを主宰していたTAKAみちのくも、新人は喋るなという方針だったね。WJで途中から喋ることが許されたのは石井智宏だけで、宇和野貴史とかあのへんは「一切コメントするな」と。勝彦が初めてコメントを出したのは、X-1に出たときかな。
    ――WJ主催の伝説の総合格闘技イベント! 中嶋選手はプロレスよりも先にMMAでプロデビューを飾っていて。
    小佐野 私はX-1は会場取材してないから、何を喋ったかはわからないんだけど。 翌年1月のプロレスデビュー戦は取材してるんだけど、もともとは空手出身で、蹴りだけじゃなくてドロップキックもよかったから「プロレスに向いてるのかな」と。
    ――期待の新人としてデビューしたのに、WJが崩壊しかけたので退団して。中嶋選手は母子家庭で食べるためにプロレス入りしたところがあったから、どうなっちゃうんだろう?と。
    小佐野 親を食わすためにプロレス業界に入ってきたわけだからね。結局、勝彦本人が(佐々木)健介に電話をして「一緒にやらせてください」とお願いしてね。健介は勝彦より先にWJを退団していたんだけど。
    ―― WJ時代から2人の結びつきは強かったということなんですね。
    小佐野  健介は2004年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会で古巣に復帰して。観客にブーイングを浴びながら永田裕志相手に大流血戦をやった翌日、後楽園ホールに来場してデビューを飾る勝彦に花束を渡していた。
    ――ケンカ別れしたWJ の会場に訪れたんですね。
    小佐野 健介が背広で会場に来たから「どうしたの?」って聞いたら「勝彦のデビュー戦ですから」と。勝彦はその後もしばらくWJで試合はするけど、健介との繋がりはあったと思う。健介の奥さんだった北斗晶からも「髪の毛は染めるな」と言われていたみたい。「髪を染めちゃうとママさんファンがつかないよ」と。
    ――さすが北斗晶ですね(笑)。
    小佐野 そこは女性ウケというか、お母さん層を意識してるよね。 さすが黒のタイツに拘っていた健介に「なんで黒なの?」と変えさせた北斗だよ(笑)。
    ――健介さんもフリーになった直後なのによく中嶋選手を引き取りましたね。
    小佐野 そこも健介もかなり悩んだらしいんだよね。自分だってフリーになったばかりなのに、はたして勝彦のことも食わせていけるのかな?と。健介には子供が2人いたから。最終的には「子供が1人増えたと思えば、 育てられるか。2人も3人も一緒だ!」と。
    ――割り切り方が凄い!
    小佐野 それで勝彦は健介の家に2年半近く住んでいたからね。
    凄い話だよね、あの時代にいち個人の家に住み込みするって。
    ――他の団体に入団するのは厳しかったでしょうね。
    小佐野 まだ子供だったからね。新弟子から受け入れることは難しいだろうし、まず勝彦本人はWJから始まってるから健介のもとに行くことは自然だったのかもしれない。健介も中嶋勝彦を受け入れることでベビーフェイスになったわけだから。復帰した新日本ではブーイングを浴びてヒールだったけど、それが5月の東京ドームのライガーvs勝彦戦の試合途中、勝彦の頑張りに思わずセコンドに駆けつけた健介と北斗が声援を送ってから、周囲の健介と北斗の見方が一気に変わったわけだから。
    ――「健介ファミリー」という概念があの試合から一気にハマりましたね。
    小佐野  みんな佐々木家の懐事情も知ってるわけだしね。 そこまで稼いでるわけじゃないのによくぞ16歳の少年を引き受けて必死に育てているなと。
    ――そこはリアルなストーリですから感情移入しますよねぇ。
    小佐野 勝彦と喋るようになったのは、あの東京ドームが終わったあと。健介オフィスが全日本にレギュラー参戦するようになってからですね。おぼえてるのは全日本デビュー戦の健介・勝彦vs川田利明・土方隆司で最後は勝彦が土方の腕十字でやられるんだけど。試合途中に勝彦のハイキックが川田の顔面にいい感じで入って、イラッときた川田が勝彦の顔面にスピンキックを入れるんだよね。そうしたら「川田、大人げないぞ!」と野次が飛んで(笑)。
    ――川田さんがムッとする光景は目に浮かびますね(笑)。
    小佐野  あの試合後、勝彦は悔し泣きをしていたんだよ。その1ヵ月後に名古屋で天龍(源一郎)さんと渕(正信)さんのアジアタッグに健介・勝彦が挑戦して。名古屋は勝彦の地元だからお母さんや勝彦の友達が応援に繰り出す中、天龍さんが16歳の少年の顔面に蹴りをボコボコ入れまくるという(笑)。
    ――天龍さんらしい(笑)。 
    小佐野 天龍さんからすれば「16歳だろうがなんだろうがタイトルマッチのリングに上がってくるなら手加減するわけないだろう」っていう。 あの当時の天龍さんって父親よりも上の年齢でしょ。身体の大きさも全然違うわけだし、 岩みたいな人にぶつかっていかなきゃならないんだから。天龍さんが褒めていたのは「アイツはビビってなかった。新人で子供のくせに全然ビビッてなかった」と。
    ――デビュー当初から凄い選手たちとやってるんですよね。「笑った」というと失礼なんですけど、シングル初白星がデビュー半年後で相手が……。
    小佐野 サスケでしょ(笑)。
    ――さすがサスケだなあと(笑)。
    小佐野 あの頃はみちのくプロレスにも上がっていたよね。翌年の1月には川田利明とシングルマッチをやってるんだけど、 その頃の勝彦には飛び癖がついていてね。


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  • デビュー戦から見た木村花というプロレスラー■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2020-06-02 00:00  
    110pt

    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は「デビュー戦から見続けた木村花というプロレスラー」です。




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    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!
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    高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿
    ――小佐野さん、スターダムの木村花選手がお亡くなりになりました。 
    小佐野 本当に残念ですね。まさかこんなになるとは……彼女のことはインタビューをしたこともないし、喋ったことすらないんですよ。お母さんの木村響子さんのことは知ってるので、もしかしたらどこか紹介されたことがあるかもしれないんですけどね。でも、デビュー戦から試合を見ています。
    ――花選手はW-1のプロレス総合学院出身なんですよね。
    小佐野 月謝を払ってプロレスを学ぶ学校。デビューした頃はプロレスの新人らしい水着。 言い方は悪いんだけど、ダサい水着でベビーフェイスだったんですよ。それがスターダムの大江戸隊に入ったらヒールになって。 そうなるとコスチュームが地味な水着から黒のタイツに変わるんだけど、そのときのインパクトが相当強かった。カッコいいなって。スラッとしたスタイルだから大江戸隊のコスチュームがよく似合うんですよ。このタイツがここまで似合う日本の女子プロレスラーはなかなかいないです。 
    ――ホントにカッコいいですよね。
    小佐野  顔も濃い系の美人で背もスラッとしてるし、みんなが口をそろえて褒めていたようにプロレスラーとしての華を感じた。W-1での野暮ったさと、大江戸隊のヒールとしてのかっこよさのギャップはなんなんだろうって驚いたくらい。初期の頃は素質があったかどうかは見えなかったし、動きに器用さは感じなかった。それでも女子プロでトップを取るんだろうなっていうスターとしての空気感は確実にあったよね。
    ――その場にいるだけでスターなんだなってわかりましたよね。 
    小佐野 姿を見ただけで「この子はスターなんだろうな」っていう期待を抱かせる選手だったからね。それは女性だから……という話じゃなくて男子のプロレスラーにもそういう選手っているんですよ。人を惹きつける色気というのかな。そういうものって努力して身に付けるものではない。 天性のものなんだろうなね。
    ――「選ばれし者」だったわけですね。
    小佐野 女子プロが随分と小型化していく中で最近はスラっとした選手はなかなかいなかった。ビッグブーツ一発決めるだけでも見せ場を作ってしまうから。こういう強みを持ってる子はスターになるよなって。どの団体も欲しいと思う選手ですよ。一瞬の動きの中の華がある。そういうものを見ちゃうと「この子は絶対に売れるな」と。 オカダ・カズチカが闘龍門から新日本に来てまだ前座でやっていた頃。東京ドームの第0試合で6人タッグをやったのかな。 会場全体の雰囲気を感じるためにスタンド席にいたんだけど、そのとき彼のドロップキックを見たら華があるなって。オカダのファーストインプレッションはそこだったからね。 彼が大成してから皆ドロップキックが凄いと言っていたけど、第0試合に出てた頃から凄かったんですよ。あの広いドームでドロップキックが凄いって思わせる選手ってなかなかいないからね。
    ――木村花にはオカダ・カズチカに通じる華を感じたと。

    この続きと、石渡奥さん、鈴木秀樹×サイモン、木村花、KNOCKOUT、北岡悟…などの6月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める「11万字・記事21本の詰め合わせセット」はコチラ 
    https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1917730この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事90円から購入できます!
     
  • 小川良成…孤独と苦難から生まれた「孤高のテクニシャン」■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2020-05-06 10:52  
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    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は「小川良成…孤高のテクニシャンの歴史」です。




    <1記事から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!>新型コロナ禍の中のプロレスW-1活動休止、NOAH新体制、全日本はWWEと接近?追悼“喧嘩日本一”ケンドー・ナガサキ
    【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」
    新生NOAHは何が変わったのか?
    獣神サンダー・ライガーと山田恵一プロレス者の青春「竹内宏介とザ・マニアックス」ケンドー・カシンの数奇で偏屈なマスクマン人生日本のプロレスを変えた「浅井嘉浩」という男革命戦士・長州力、笑顔でリングを降りる――追悼・青木篤志さん望月成晃×小佐野景浩〜空手家がプロレスラーになるまで〜三銃士、四天王、UWF、邪道…平成のプロレスを変えた5つの勝負ジャイアント馬場没20年追善興行と飯塚高史引退試合北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」多発するプロレスラーのケガを考える愛すべき元横綱・輪島が戦った全日本プロレスの2年間全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話プロレスラーが憧れたプロレスラー、マサ斎藤さんあの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩最後まで全日本プロレスを愛した馬場元子さん
    中邑真輔、棚橋弘至、柴田勝頼……新・闘魂三銃士最後のムーンサルトプレス……天才・武藤敬司縁の下の力持ち!! 坂口征二の荒鷲人生WARからイッテンヨンへ! ライオン・ハート時代のクリス・ジェリコ
    「情」で生きる佐々木健介の激烈人生! 
    プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE 暴走親方、諏・訪・魔!!嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!
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    鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”
    高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿
    ――NOAHの小川良成選手のレスリングマスターとしての注目度が上がってますね。小佐野 彼の場合は周期的にこうやって注目されるんだよね。プロレスが荒れてくると脚光を浴びるというか。プロレスのスタイルが変化していくときに普遍的な小川良成のプロレスが注目される。
    ――小佐野さんが小川選手と初めて会ったのはだいぶ昔のことですよね?
    小佐野 初めて会った日のことは覚えてないんだけど、『ゴング』が週刊化されたのが1984年なんですよ。その年の5月から私は『ゴング』の担当記者となった。小川が入門したのはその年の夏前ぐらいなんです。入門の頃から知っててデビューした初めての選手が小川良成。
    ――小川選手は53歳ですから長い付き合いですね(笑)。
    小佐野 17歳の頃から知ってるから53歳になったと聞いてビックリしちゃってますよ(笑)。小川は高校をやめて全日本プロレスに入門したんだけど、その頃の全日本の合宿所には寮長の冬木弘道、ターザン後藤、川田利明の4人しかいなかった。
    ――凄い組み合わせ!
    小佐野 小川以外にも新弟子はいたんだけど逃げちゃったし、冬木さんはその年の11月にメキシコに修行に出ちゃったから、3人だけになっちゃった。小川は先輩の雑用仕事が大変だったのか、2~3回いなくなってるんですよね。「あれ、消えたんだ」と思ってまた別の日に道場に行くと小川の姿はある。
    ――どういうことですか?
    小佐野 結局小川がいないと後藤と川田が雑用をやることになるから困るわけですよ。百田光雄さんなんかも小川を説得したみたいですよ。小川のお父さんが厳しい人だったみたいで「家にいるより、こっちのほうがいいだろう?」と(笑)。
    ――ハハハハハハハハ! 合宿所より怖い実家って!
    小佐野 戻ってきても、なかなかデビューできなかった。翌年の85年にはジャパンプロレスが全日本にやってきて選手が溢れ過ぎちゃったしね。小川は身体が細くて体重は70キロ程度だったから、デビューするまで1年以上かかったんですよ。85年の9月。
    ――当時で1年といったら、かなり時間がかかったほうですね。
    小佐野 アメリカから帰国したカブキさんが「オマエは何ヵ月練習生やってるんだ?」って呆れるぐらいだから。彼がまだ幸いだったのは、天龍(源一郎)さんの付き人をやっていた冬木さんがメキシコに行っちゃったことで、練習生の頃から天龍さんの付き人になったこと。天龍さんがねじ込んでデビューさせてもらったんですよ。「1年も練習生やってるんだからデビューさせてやってくれ」と。
    ――天龍さんの配慮がなかったら、もっとデビューは先延ばしにされていたかもしれないんですね。
    小佐野 天龍さんが「オマエは身体が小さいから目立たないといけない」ということで、黒と黄色の縦縞のロングタイツを履けと。もうそのタイツが派手すぎて 客席から笑いが起きるぐらいだったんですよ(笑)。
    ――冬木さんと川田さんのタッグ「フットルース」の派手なバンダナとタイツも天龍さんのアイデアだったそうですね。ロックンロールエクスプレスの影響で(笑)。
    小佐野 天龍さんが「ジャパンにも挨拶してこい」ということで、小川はその派手なタイツのままジャパンの控室に向かったんですよ。そして「全日本プロレスでデビューすることになりました小川です!」と挨拶したら、長州さんたちに大笑いされて(笑)。
    ――ハハハハハハハハ!
    小佐野 全日本の先輩たちからも「かわいそうになぁ」と言われてね。デビュー戦は天龍さんが控室から出てきて試合を見てくれたらしいんですよ。 小川いわく「ちゃんとタイツを履いてるかどうか確認したんじゃないか」と(笑)。
    ――チェックが厳しい(笑)。
    小佐野 デビューした当初の小川は、相手をロープに飛ばして自分もロープに飛んだ反動でエルボーパッドみたいな技をやっていて。それも天龍さんのアドバイス。「オマエは身体が軽いからこういう技をやってみろ」と。天龍さんにはかわいがられたみたいだね。小川は付き人として巡業中に天龍さんのコスチュームを毎日洗濯するでしょ。シリーズ中に洗濯代ということで、新人の試合のギャラをはるかに超えるお小遣いをもらってたらしいから。「気付いたら20~30万円もらってましたよ」と。
    ――さすが天龍源一郎!
    小佐野 ただ、環境的には小川の下には誰もいないでしょ。孤独は孤独でジャパンプロレスの佐々木健介だけは仲が良かった。お互いに下っ端同士だからね。ジャパンプロレスには新人の馳浩がいたけど、彼はエリートだから。
    ――そのうち小橋建太、北原光騎、菊地毅の3人が全日本に入ってくるんですね。
    小佐野 この3人の後輩との人間関係は微妙で。菊池や北原は小川よりも年上なんですよ。それに菊池はレスリングの大学チャンピオンで、北原はシューティング(修斗)をやっていた。
    ――バックボーンがあったんですね。 
    小佐野 小橋も早生まれだから小川とは学年が一緒。そういう後輩たちが87年に入ってくる。それまでにも新弟子は何人か入ってきたはずなんだけど、長続きしなかった。ジョン・テンタや高木(功)とか経歴がある人は入ってるんだけど、彼らは普通の新弟子とは違うから。小橋、北原、菊池の3人は同期だから仲がいい。 小川はこの3人とは絶対につるまないし、若手の頃は小川のことは大嫌いだったはず。だってイヤな先輩だもん(笑)。
    ――ずっと孤独だったんですねぇ。
    小佐野 そのあいだ小川はずっとドンジリなんですよ。ようやく新弟子が入ってきたと思ったら年上や同い年だったり。しかもその頃の小川はスランプで。87年の正月シリーズで花巻で試合があったんです。笹崎(伸司)との第1試合でダイビングボディアタックをやったら、着地の位置が悪くて左から手をついてしまって、左肘を脱臼。そのまま救急車で運ばれて4月ぐらいまで復帰できなかった。その1年後の88年にもマイティ井上さんと試合でまた左肘を脱臼しちゃって、夏ぐらいまで休むことになった。翌年の89年の夏か秋ごろには三頭筋を断裂しちゃって移植手術を受けてる。
    ――毎年何かしらケガをしてるんですねぇ。
    小佐野 90年に師匠の天龍さんはSWSに移籍するけど、小川はその手術もあって長期欠場中。仮にSWSに移ろうにも無理だった。小川本人はSWSに移籍するつもりはなかったと言ってるけど、その気があっても天龍さんにはついていくことはできなかった。
    ――小川選手は天龍同盟の一員でしたけど、そこまで天龍同盟のイメージは強くないですね。
    小佐野  小川いわく「俺は天龍同盟でも何でもなかった。ただの天龍さんの付き人だ」と。 天龍さんが離脱以降、後輩の小橋と菊池は超世代軍として存在感を出していた。小川は鶴田軍のメンバーだったけど、そのイメージもあまりない。ずっと前座のファイトに徹していたね。
    ――海外修行にも出てないですよね。
    小佐野 あの年代で海外に行ってるのは北原だけ。小川がようやく脚光を浴びたのは、秋山準が出てきた頃。90年代半ばだよね。――もう10年選手になってから! 


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  • 小佐野景浩が見た新型コロナ禍の中のプロレス

    2020-04-24 12:12  
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    「情」で生きる佐々木健介の激烈人生! 
    プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE 暴走親方、諏・訪・魔!!嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!
    全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信
    鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”
    高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿
    ――小佐野さん、新型コロナウイルスの影響で3月と4月のプロレス界も大変なことになりました。小佐野 先月と比べても相当、悪化してますねぇ。
    ――K-1の開催を巡って世間が騒ぎになりましたけど、緊急事態宣言が出たことでプロレス興行も次々に中止や延期に追い込まれて。
    小佐野 K-1が世間的なニュースにもなった頃、じつはプロレスも興行をやっていたんだけど、あんまり目立ってなかったんだよね。あそこからプロレス界も注目されていったような気がする。
    ――K-1は大会場で行政が介入したからニュースになったとはいえ、あれだけ叩かれたことで戦々恐々としていたプロレス団体は多かったんじゃないかと思います。小佐野さんは3月中は会場取材されてたんですか?
    小佐野 けっこう取材してますよ。3月15日のW-1大田区体育館、翌日の大日本プロレス25周年横浜文化体育館大会。大日本ではバラモン兄弟がいつものように水ではなく消毒液をまくというね(笑)。
    ――それはそれで怖いですよ!(笑)。
    小佐野 3月19日は、新間(寿)さんが「コロナなんかブッ飛ばせ!」ってこと開催されたリアルジャパンの後楽園大会。新間さんはリング上から「コロナウイルスは私が全部吸い込んだから皆さんは大丈夫です!」と叫んだりしてね(笑)。
    ――ハハハハハハハハ! 新間さんだから許される……のかな(笑)。
    小佐野 その翌日にはDDTの後楽園ホールがあったし、3月23日は全日本プロレス後楽園ホール大会の三冠戦、宮原健斗vs諏訪魔。私は全日本のテレビ解説の仕事をやったんですよ。 この大会は全日本プロレスTVでのネット配信が決まっていて、 それプラスGAORAでの中継が予定されていたんだけど、 新型コロナの事情が鑑みられてGAORAは放送を取りやめられた。
    ――GAORAはK-1の放送も取りやめましたね。
    小佐野 その全日本の大会は急遽サムライTVが放送したんですけど、 後日あらためて実況解説を取り直したから、同じ大会を2回しゃべることになったんです。それ以降は大会がどんどん中止になっていく流れになって。3月29日のノアの後楽園は無観客興行、4月1日のW-1最終興行の後楽園も無観客。本来だったらチャンピオンカーニバルの開幕戦だった4月6日の全日本後楽園大会は、チャンピオンカーニバル自体が中止になっちゃったんだけど、会場が新木場1stリングに変更となり無観客でやって。
    ――興行をやるなら無観客という流れになっていきましたね。
    小佐野 その大会は全日本プロレスTVが生配信して、無観客だったということでGAORAが4月29日に中継します。
    ―― GAORAは無観客であれば放送するんですね。
    小佐野 いわゆる観客ありだと放送しないという判断なんですよ。おそらく会社のコンプライアンス的なものがあるんでしょう。大日本プロレスの北海道ツアーもいろいろと批判の声が上がってましたよね。
    ――北海道は、いち早く独自で緊急事態宣言を出してましたね。
    小佐野 「たくさん感染者が出ている東京から来ないでくれ」と。結局大日本は1大会やったところで政府が緊急事態宣言を出したということで5月5日の文体までの興行は取りやめになって。新日本プロレスも5月の『レスリングどんたく』までの興行は中止になってるし。
    ――福岡は、博多どんたく祭り自体が中止になってますからね……DDTもだいぶ先の興行まで中止になりました。
    小佐野 新型コロナには、手も足も出ない状況になってることはたしかだよね。もう大ダメージですよ。 そして会場自体が使えなくなってきたし。
    ――緊急事態宣言により後楽園ホールも使えなくなっちゃいましたね。 
    小佐野 配信ツールを持ってる団体はどこかしら会場を見つけて発信はできるんだけど、会場が使えないとなるとどうしようもない。
    ――WWEのように自前の会場を持っているわけではないですし。 
    小佐野 いまは多団体時代でプロレスをやってない日はない……って言われるぐらいだったのに、プロレスをやってない日が日常になってきた。ちょっと前からすれば、想像しえなかったことが起きてるよね。
    ――取材するほうもリスクがあるというか……。
    小佐野 無観客試合はアナウンサーと並んでマスクなしで解説仕事。GAORAからサムライTVの中継に変わった別録りも録音スタジオでしゃべってきたからね(苦笑)。 
    ――三密ですよ!
    小佐野 まあ、どこへ行ってもゼロリスクはありえないから。普段から、うがいや手洗いを徹底して、もの凄く気を遣っている。自分がかかるのは当然怖いんだけど、取材相手にうつすのが……選手や団体関係者、マスコミ誰か一人でもかかったらまずい。 
    ――興行に関わってる人は全員休まなきゃいけなくなるし、無観客興行といってもリスクはあるわけですよね。
    小佐野 観客ありでやってたときも、いろいろと対策は取っていて。休憩中に換気のために窓を開けたりするから寒かったんですよ(笑)。 あとは休憩中のグッズ販売をやめたりね。
    ――濃厚接触の機会になっちゃいますよね……。
    小佐野 開場時間を早くしてお客さんが集中して入場しないようにしたりとか。あと興行終了後、お客さんが一斉に帰らないようにブロック別に退場させたり。後楽園ホールにしても会場の5階までのエレベーターは密室になっちゃうときがあるからね。他のイベントに比べてプロレスはしぶとくやっていたけど、できる範囲のことはやっていたのは事実なんだよ。


    この続きと、小川vs藤田大凡戦の謎、古瀬美月、ぱんちゃん、異常なレッスルマニア…などの4月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める「11万字・記事20本の詰め合わせセット」はコチラ 
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  • W-1活動休止、NOAH新体制、全日本はWWEと接近?■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2020-03-17 11:30  
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    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は「W-1活動休止、NOAH新体制、全日本はWWEと接近?」です。




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    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿
    ――W-1が4月1日の後楽園ホール大会を最後に活動休止することが発表されました。小佐野さんはこの件をどんなふうに話を聞いていたんですか?
    小佐野 私は大晦日のW-1大阪大会のテレビ解説の仕事をやっていたんだけど、その頃から「来年のW-1は厳しくなりそうだ」という話がチラホラと耳に入ってきていて。活動休止の発表は2月末だったけど、それ以前に掴んでいた情報としては、「3月15日の大田区大会のあとに活動停止を発表する」と。
    ――ボクも「大田区大会後に発表する」と聞いたその日にW-1の活動休止会見があったのでビックリしたんです。
    小佐野 なぜ予定が変更になったのかはわからないけど、新型コロナの騒ぎがある中で大会をやるためには発表を前倒しにする必要があったのかもしれないね。もしかしたら、大田区はそこまでチケットが動いてなかった。だったら活動休止を先に発表することで、より多くのW-1ファンに見てもらおう……としたのか。考えられるのはそういった理由だよね。このご時世、発表せずに大会をやったらチケットを買っていても観戦をキャンセルするお客さんは多かったと思うんだよね。
    ――変な話ですけど、「最後のビッグマッチ」というのは開催のエクスキューズにもなりますもんね。
    小佐野 この状況だと興行を打つのは厳しい世の中だからねぇ。興行を取りやめるにしても、新日本やNOAH、DDTとか親会社がバックアップしてくれる団体以外は本当に大変だと思うよ。 
    ――数大会飛ばすだけで死活問題ですよね……。
    小佐野 やっぱり興行会社だから、お客さんからお金をもらってナンボの世界。中止になれば会場のキャンセル料を取られる。興行をやらないということは確実に赤字になるってことだから。
    ――話を戻すと、W-1は2013年に旗揚げ。約6年半の活動期間でした。
    小佐野 会見でW-1の社長のカズ・ハヤシが明らかにしていたけど、W-1は旗揚げしたときからずっと赤字だった。聞いた話だと旗揚1年目の赤字は1億円はあったんじゃないかな……。全日本を飛び出してW-1を作った武藤(敬司)たちにしてもお金があって旗揚げしたわけじゃないからね。
    ――当時・全日本プロレス社長だった白石(伸生)さんとやっていけなくなったことで、武藤さんや一部の選手たちが出ていったわけですもんね。何か大きな志があってスタートしたわけじゃない。
    小佐野 もう白石さんとは一緒にできない……という理由から、いまのオーナーがバックアップしたことで始まった団体がW-1。結局は黒字に転換することはできなかったんだけど。W-1旗揚げ当初のメンバーもけっこう抜けている。 残っているのは社長のカズ・ハヤシ、副社長の近藤修司、河野真幸、稲葉大樹、アンディ・ウーくらいかな。船木誠勝や浜亮太、中之上(靖文)が抜けたり、エース候補だったKAIと真田聖也もやめている。レフェリーの村山大値さんもやめて、リングアナの阿部(誠)くんはいま新日本だからね。
    この続きと、IGF旗揚げ戦、中嶋勝彦vs鈴木秀樹、中西学引退、RIZINカメラマン…などの3月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める「9万字・記事18本の詰め合わせセット」はコチラ 
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  • 追悼“喧嘩日本一”ケンドー・ナガサキ■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2020-02-01 00:00  
    100pt

    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は先日お亡くなりになったケンドー・ナガサキこと桜田一男さんです。




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    【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」<new>
    新生NOAHは何が変わったのか?
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    ――ケンドー・ナガサキこと桜田一男さんがお亡くなりになりましたが、本当の突然のことで……。
    小佐野 本当にビックリしました。私がこの話を聞いたのは1月12日の夕方頃。いろいろと連絡が入ってきて「桜田さんが亡くなったらしいよ」と。桜田さんは1月5日にはプロレスのファンイベントにも出ていたし、亡くなった前日には知り合いの誕生パーティーにも出席していた。ネットで騒ぎになったけど、いつどういう理由で亡くなったのか結局、何も確証が取れないまま桜田さんの死が記事になってしまった……という感じだよね。
    ――たしかに新聞記事でも死因は明らかになってませんでしたね。
    小佐野 最初に記事したのはデイリースポーツなのかな。アメリカのカリフラワー・アレイ・クラブ(プロレスOB会)の方から発表があったと。でも、カリフラワーのほうでも詳細はわかってない。
    ――おそらく日本のインターネットで騒ぎになってるから、カリフラワーとしても発表したのかもしれないですね。
    小佐野 やっぱり報道の基本は「何月何日何時にこういうわけで亡くなった」というのがないとね。人の生死に関わることだから。なので、こういう噂が出た段階で本人に聞くのが一番だから、桜田さんの携帯に電話をしてみたんだけど出なかった。
    ――これが団体に所属していたり、引退したあとでもそれなりに繋がりがあったりすれば、家族から連絡があったのかもしれませんね。
    小佐野 桜田さんは一人暮らしだったからね。日本のどこかに親戚はいるのかもしれないけど……それこそダラスに住んでいる息子さんが発表するしかない。
    ―― SNSで最初に桜田さんの死を報じたのは、漫画家みのもけんじ先生。「ソースはあるんですか」というリプライがいくつかあったんですけど、親族から発表のしようがないから難しいんだろうなと。「ウィキペディアに載ってません」と疑問を持ってる人もいましたけど、そういう状況なら載ってるわけないですよね。
    小佐野 それにウィキペディアに載ってるからといって事実かはどうかは別の話だからね。
    ――いつお葬式が執り行われたのかどうかすらわからないってことですかね。
    小佐野 何にも情報は入ってきてないね。
    ――13日の大日本プロレス後楽園ホール大会で桜田さんの追悼テンカウントゴングを鳴らしたときに、親族の方がいらしたみたいな報道もありましたけど。
    小佐野 あの大会を取材してるけど、親族の方はいなかった。桜田さんは大日本の旗揚げメンバーだったけど、しばらく絶縁状態で。最近になってまた交流する機会が生まれたくらいだからね。親戚が日本にいてもおかしくないんだけど、その親戚が公表を控えたら何も情報入ってこないわけで。
    ――親族の方もプロレスメディアやマスコミとの繋がりがなければ、特に連絡もしてこないでしょうし。
    小佐野 あるいはそっとしておいてほしいという意向があるのかもしれない。昨年に北尾光司さんが亡くなったときと一緒ですよ。みんな亡くなったことは知ってるんだけど、家族や親族からの発信がないからどうにもならない。そこは遺族の意向もあるからね。
    ――公表したくない場合もあるという。
    小佐野 阿修羅・原さんが亡くなったことは公にはなったけど、お葬式は取材はしないで欲しいという親族の意向があったから。だから私は取材じゃなくて個人としてお葬式に出たんです。あのときはある新聞社が追い返されたからね。
    ――小佐野さんでさえ詳細が掴めてないんですから、最期のお見送りができたプロレス関係者はわずかなんでしょうねぇ。
    小佐野 私は1年半前に出た桜田さんの自伝に関わっていたんだけど、元気だったからいまでも亡くなったことが信じられないですよ。
    ――ボクもちょっと前に取材したばかりなのでビックリです。桜田さんって怖いですよね。威圧的、暴力的な怖さじゃなくて「怒ったら本当にヤバいんだろうな」という雰囲気を醸し出していて。
    小佐野 普段はひょうひょうとしてるんだけどね。そんなに感情を表に出すわけでもないんだけど、ひょうひょうと物騒な話をするから。 すぐに「誰かを食らわした」という話になったり(笑)。
    ――躊躇なくやれる怖さがありますよね。
    小佐野 有名なのは日プロ末期に試合で大城大五郎さんをやっちゃったやつ。坂口征二さんらと一緒に日プロを離脱する大城さんを「なんの恨みもないけど、小鹿さんが焚きつけるから拳で顔面をガンガン殴った」と。
    ――離脱への制裁ですね。「なんの恨みもない」けど殴れるのが怖いですよ!
    小佐野 未遂に終わったけど、クーデターを企てた猪木さんもボコろうとしたわけだから。でも、人間的には優しくて面倒見がいい。武藤敬司とフロリダやプエルトリコをサーキットしているときに料理を作っていたのは桜田さん。車も運転してくれるし、お弁当も作ってくれる(笑)。
    ――普通は逆ですよ、武藤さんが後輩なんですから(笑)。
    小佐野 天龍(源一郎)さんが初めてアメリカ遠征に行ったときも桜田さんが面倒を見てメシを作ってくれたそうだから。イヤイヤやってるわけではない。そういう人なんですよ。
    ――桜田さんはそこまで華やかなレスラーじゃないのに「なぜトップなんだろう?」って不思議だったんです。
    小佐野 身体は大きいんだけどね。スタイル自体は地味だし、実際に強いかどうかは試合からは伝わってこない。「ケンドー・ナガサキ」のペイントは桜田さん本人のアイディアではなくて、ブッカーをやっていたテリー・ファンクからの要請。 桜田さん曰く「カブキさんの焼き直しだからさ」と。
    ――桜田さんにインタビューしてわかったのは、ケンカが強いことでトップヒールとしてのキャラクターが崩れることはなかったんだなってことですね。もちろんプロレスラーとしての技術はあってことですけど、あの時代に日本人が一匹狼としてやっていくには腕っぷしや度胸が凄かったんだろうなって。
    小佐野  マサ斎藤さんもそうだったけど、アメリカで苦労した人はみんな優しいよ。カブキさんもアメリカで会ったときは凄く優しかったし。でも、2人とも怒ったら怖い。
    ――優しくてヤバイ人、すなわちケアもできて理不尽なことに屈しないからアメリカで生き残れるんですかね。
    小佐野 桜田さんもどこへ行ってもトップを取っていたからね。桜田さんはキラー・カール・コックスからプロレスを教わってるんです。以前、渕正信さんが言っていたけど「馬場さんが評価してるプロレスラーの1人はカール・コックス。あの人はメリハリがあってうまい」と。 安達(勝治、ミスター・ヒト)さんと一緒になったあとは、カルガリーのスチュ・ハートにも気に入られて。息子のブレット・ハートをコーチしたり。
    ――技術をしっかり備えている職人肌なんですね。
    小佐野 スタイルに関係なくどこでも試合ができる人だったんだと思う。 ドイツのハノーバートーナメントにも出て好成績だったし。でも、ルールを無視してメチャクチャやったことでプロモーターと揉めて、最後はピストルをぶっ放されたらしいからね(笑)。
    ――ハハハハハハハ!どうすればピストル沙汰になるんですか!
    小佐野 桜田さんは「頭にきたから後ろから襲ってやろうとした」んだけど、安達さんに止められたみたいで。「相手はピストルを持ってるんだからやめろ!」と(笑)。
    ――さすが“ケンカ日本一”ですね(笑)。

    この続きと、追悼ケンドー・ナガサキ、暗黒・新日本、亀田vsJBC、井上直樹、平田樹………などの2月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める「11万字・記事22本の詰め合わせセット」はコチラ https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1871460この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事85円から購入できます!


     
  • 【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」

    2020-01-01 00:00  
    110pt

    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は特別編! 小橋建太さんとのスペシャル対談です!!




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    ――小橋さんと小佐野さんが初めて会ったときのことはおぼえてますか?
    小橋 おぼえてますよ。
    小佐野 私も鮮明におぼえてますね。初めて小橋さんに会ったのは1987年6月20日。
    ――日付までおぼえてるんですか(笑)。
    小佐野 なぜかというと、その日に小橋さんが入門したから。小橋さんが初めてしゃべったプロレスマスコミが私になるのかな。
    小橋 そうなりますね。入門した日に当時六本木にあった全日本プロレス事務所に行ったんですよ。そうしたら、もの凄い数のマスコミが集まっていたからビックリしちゃって。「なんで新人の入門者が来るのにこんなにマスコミがいるんだろう?」と。そうこうしてるうちに小佐野さんと日刊スポーツの記者の方に「ちょっとこっちへ……」と別の場所に連れて行かれたんですよ。
    小佐野 他のマスコミに気付かれる前にこっそり個室に連れて行ったんですよね(笑)。
    小橋 そこでいきなりインタビューが始まってたんですけど、どうも話が合わないんですよね。小佐野さんは「おかしいなあ……」という顔をしてて。なんのことはない、ボクと田上明を間違えたんですよ(笑)。
    小佐野 フフフフフフ。上半身裸にして写真も撮ったりしてたのにね(笑)。
    小橋 あの大勢のマスコミは玉麒麟(田上明の四股名)が入門するということで事務所で待ち構えていんですよね?
    小佐野 いや、というわけじゃなかったんですよ。あのときは全日本のシリーズオフで、何も話題がないからマスコミは事務所に集まって記事のネタを探してて。玉麒麟が入門してくることを知ってる記者は限られていたんだけど、こっちは相撲の知識がまるでないでしょ。身体の大きい小橋さんが入ってきたから「これが玉麒麟か!もう髷を切ってるんだ」と勘違いしちゃってね(笑)。
    小橋 丸坊主なんですけどね(笑)。
    小佐野 日刊スポーツの記者と顔を見合わせて「他のマスコミに気付かれる前に別の場所で取材するしかない」と。いざインタビューしてみるとプロフィールが全然違うわけですよ。
    ――別人ですもんね(笑)。
    小佐野 インタビューを始めた以上はやめるわけにはいかないし、とりあえず写真も撮っておくかと(笑)。 
    小橋 それから1週間ぐらいしたあとに、砧の全日本道場に小佐野さんがやってきたので「あのときの写真をください」とお願いしたら「なくなったからまた撮るね」とアッサリ言われて(笑)。
    小佐野 「記事にはできないんだよ」とも言ったのかな。その頃は玉麒麟クラスだとすぐに記事にはなるけど、一介の新人だとデビューする前にやめちゃうかもしれないから記事にはできなかったんですよ。
    小橋 でも、北ちゃん(北原光騎)と菊地(毅)さんの記事は載ったでしょ? 何かで読みましたよ。 
    小佐野 菊池くんはアマレスの全日本チャンピオンだったし、北原くんはスーパータイガージムのインストラクターだったから載せられたのかもしれないね。
    小橋 ボクは何もバックボーンがないから最初は書類審査で落とされましたからね。不合格通知が来たから、電話で広報の方に「なんでダメなんですか?」と聞いたら「キミには実績がない。会社は辞めたの?だったら別の会社を探しなさい」とガチャンと切られて(笑)。
    小佐野 その頃の身長・体重は?
    小橋 身長は186センチで体重は100キロです。北ちゃんや菊地さんのプロフィールを知っていたので「なんで彼らより身体の大きいボクが入れないんだろう?」と。
    小佐野 それだったら全然問題なく入門できるはずだよね。不運だったのは前の年に相撲出身のジョン・テンタと高木功(嵐)が入って、そしてこの87年にはアマレスの菊地くん、シューティングの北原くんが入って。そのあとに田上明が入ることが決まっていたから、全日本からすればもう新人はいらないということになってたんですよね。
    小橋 ボクが入門したときに何の実績もない新弟子がひとりいたんですよね。スカしましたけどね。
    小佐野 逃げちゃったわけね。なにせ全日本は新弟子が育たない。小川良成がデビューして以降、小橋さんたちの代まで3年ぐらいあいだが空いていたし。
    ――そんな環境の中、小佐野さんは小橋さんがデビューできると思ってました?
    小佐野 できると思ってましたよ。まず田上明と間違えたということは、それだけ身体ができあがっていたということですからね。 普通の新弟子はあそこまで身体ができてない。
    小橋 入門したときは100キロぐらいあったんですけど、2週間で10キロぐらい減ちゃったんですけどね。トレーニングもキツイですけど、先輩・後輩の関係もキツかったです。
    小佐野 いろいろと雑用をやるわけだもんね。いまだったらパワハラだなんだって騒がれるようなことも当時は関係ないし。
    小橋 みんなそれでやめちゃうんですよ。大学のレスリング部のキャプテンとかも入ってきましたけど、みんなスカしましたから。
    小佐野 全日本は本当に新人がデビューしなかった。新日本の場合はテストで一斉採用するから同期と切磋琢磨して頑張れるところがあるでしょ。全日本の場合はパラパラっと入門させるから、最後に入った人間が雑用なんかで大変な目にあっちゃうんですよね。小橋さんのあとにデビューしたのは折原昌夫?
    小橋 そうですね。新人はたくさん入ってきたんですけどね。
    小佐野 当時の『週刊プロレス』ってレスラーの格に関係なく若い選手をピックアップしていて、『週刊ゴング』はそれが許されない本だったんだけど。私としては小橋さんの人気が出てから扱うのがイヤだったわけ。この選手は『ゴング』と共に育った……というイメージが欲しかったから、小橋さん、菊池くん、北原くんは新人の頃から押さえておきたかったんですよね。
    小橋 それでもやっぱり田上明でしょ?(笑)。
    小佐野 ハハハハハ。デビュー1年目の小橋さんが自分の誕生日にアジアタッグに挑戦することが決まったときに、『ゴング』でスタジオ撮影したじゃないですか。
    小橋 ああ、そんな取材ありましたっけ。
    小佐野 当時の編集長の舟木(昭太郎)さんに怒られたんですよ。「新人をこんな扱いをするんじゃない」と。あの頃の小橋さんはシングルで1勝もしてなかった時期だから。
    小橋 してないですね。ずっと勝てなかったですね。
    小佐野 それはどちらかというと、上のほうの選手と当てられていたこともあったからなんだけどね。
    小橋 外国人選手ともやってましたし。あの頃の全日本は変革期というか、「新人は海外修行に行かせない」という方針に変わって。ボクが馬場さんに「海外に行かせてください」と何度もお願いしても頑として「ダメだ」と。
    小佐野 馬場さんは「海外に学ぶものはもうない」という考えになってたからね。当時の全日本の変わりようにビックリしたのは、小橋さんがデビューした直後の試合でベテランの大熊元司さんにブレーンバスターをやってたこと。だって昔の新人はドロップキックにボディスラム、腕を取ることくらいしか許されてなかったら。当時でもアーダコーダうるさい先輩はいたと思うけど。
    小橋 いろいろと言われることもありましたよ。
    小佐野 ミサイルキックなんかやったら「若手がコーナーポストに上がるんじゃない!」とかね。
    小橋 ヒザにサポーターをつけただけで言われましたから。「そんなものをつけてるんじゃねえよ。顔じゃねえよ」と。だからケガをしてるヒザだけサポーターをつけるという不格好なことをやってましたね(笑)。
    小佐野 当時はサポーターをつけないのがあたりまえだみたいな雰囲気だったよね。馬場さんはちゃんとできるのなら、大技を使っていいよというスタンスだったはずだけど。
    小橋 他の先輩にはけっこう言われましたね。言われても、使ってしまえば、こっちのもんみたいな感じでしたけど(笑)。
    小佐野 あとは先輩が使わない技、使えない技をやればいいと。
    小橋 馬場さんは「使っていい」と言ってましたからね。 馬場さんは「アメリカから学ぶものはもうない。俺が教える」と。海外修行に行かせられないぶん、そうやって「どんどん使え」と言ってくださったんじゃないですかね。だって海外だと好き勝手できるじゃないですか。
    小佐野 海外に出ちゃえば、誰にも文句を言われないもんね。小橋さんは馬場さんに好かれて付き人になったわけじゃないけど、周りからそうは思われなかったところはありましたよね。要は「小橋健太だけ特別扱いされてるんじゃないか」と。
    小橋 いやいや、ボクはデビューするまで馬場さんに口を利いてもらえなかったですけどね、付き人なのに。 人間無視されることがどれだけつらいことか……。
    小佐野 一日中、ずっと身の回りの世話をしてるのに。
    小橋 無視してくるのが同級生だったら「じゃあ、いいよ」ってなるけど、相手は馬場さんですよ。会社のトップですよ。いつ追い返されるのか本当に怖かったです。 周りからは、すんなり行ったように思われるかもしれませんが、人生はなかなか……。
    小佐野 他のレスラーからすれば、馬場さんにかわいがられて、チャンスをもらって「あの野郎!」って目で見ていただろうし、当然試合になればキツイ当たりをしてくる選手もいたんじゃないのかなあと思うんだけど。
    小橋 でも、エリートとして入ってきてチャンスを取り逃したり、チャンスを掴みに行ってない選手もいましたからね。ボクはチャンスをもらったときに必死で掴みに行きました。そこの違いだけですよ。
    小佐野 よく小橋さんが言っていたのは「自分はバックボーンがないから、もしチャンスを逃したら次はない」という危機感があったと。
    小橋 その危機感はありました。必死でしたよ。 
    小佐野 だってはじめは田上明のドロップキックの練習台だったわけだもんね。田上明は馬場さんからドロップキックを教わって、その実験台が小橋さんで。
    小橋 そんなのばっかですよ。ボクは練習のときに馬場さんの前で田上さんのことを投げたことは一度もないです。投げられてばっかりで。ボディスラムやバックドロップ、ブレーンバスター、ビッグブーツの練習台ですよ。<14000字対談はまだまだ続く……>


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  • プロレス者の青春「竹内宏介とザ・マニアックス」■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2019-10-14 19:09  
    90pt

    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマはWWEのコーチに就任したプロレス者の青春「竹内宏介とザ・マニアックス」です。




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    ――ジミー鈴木さんの興行で、先日お亡くなりになったウォーリー山口さんの息子さんがプロレスデビューされたとか……。【プロレスなんでも屋】ウォーリー山口「ジャイアント馬場と竹内宏介、ふたつのG魂」

    小佐野 そうなんですよ。ウォーリーさんには子供が4人います。1人は先妻との子供で、再婚した奥さんとのあいだに3人の子供がいて。兄の方は双子で、その2人もプロレスデビューしてるんです。何年か前の興行で兄弟対決して、しかもレフェリーは親父(笑)。
    ――凄い!(笑)。
    小佐野 現場で試合を見たわけじゃないから内容はわからないけど 、15分の時間切れ引き分けだったらしい。どちらかはプロレスは好きじゃないけど親父のために……というわけで1試合だけやったらしいんだよね。で、今回デビューしたのは3人目の橋之介くん。タイガー戸口さんの指導を受けて、橋ノ介くんはこれからもプロレスをやっていきたいらしいですね。
    ――小佐野さんは『ゴング』に入る前からウォーリーさんやジミーさんと面識があったんですよね。
    小佐野 2人は私の先輩なんですけど、ウォーリーさんは英語が喋れるから「面白い奴だな」ってことでプロレス会場に出入りするようになって。あの当時は英語を喋れる人はほとんどいなかったから、外国人レスラーも面白がるわけですよ。ペラペラの英語だから。
    ――どうやって英語をおぼえたんですかね。
    小佐野 ウォーリーさんは子供の頃からアメリカンスクールに通っていてハワイに留学もしていたのかな。小学生か中学生のときにロサンゼルスに遊びに行ったら星野勘太郎さんが遠征に来てて。 一緒にサーキットしたらしいですね。英語が喋れるから星野さんにとっては重宝するんですよ。
    ――そしてプロレスの仕事もするようになって。
    小佐野 知り合ったのは私が新日本プロレスのファンクラブをやっていた高校生のときで。ウォーリーさんは上智大学の比較英文科の2年生か3年生。
    ――上智大学って賢いんですね。
    小佐野 ウォーリーさんはその頃から『ゴング』で取材をしていて、 東スポでは大リーグの記事も書いていた。 向こうの新聞を読めるから記事が書けるんですよ。ジミーさんは大学1年生から2年生でジャンボ鶴田・友の会をやっていた(笑)。
    ――ジャンボ鶴田・友の会(笑)。
    小佐野 私が高校を卒業して『ゴング』でアルバイトをするちょっと前に、ウォーリーさんは上智大学を中退して『ゴング』の発行元である日本スポーツ出版に嘱託として入ってね。
    ――あら、上智を中退しちゃうんですか。
    小佐野 私も中央大学を中退して『ゴング』編集部に入るんだけどね。私は中央大学の法学部法律科だったんですよ。 本来ならば弁護士になるつもりだったんです。
    ――うわっ、小佐野さん賢い!(笑)。
    小佐野 プロレスは趣味にして将来は弁護士になろうかな……と思ってたんですけど。高校を卒業して大学に通うまでのあいだに『ゴング』のアルバイトの話が舞い込んできて、そのままプロレスの世界にハマっていき……。
    ――プロレスマスコミは魅力的な仕事に見えました?
    小佐野 一番影響があったのは竹内宏介さん(『ゴング』初代編集長)の存在。あの頃の竹内さんは34~35歳なんですけど、竹内さんは自分を中心に地球は回ってるぐらいの自信満々で。 頭も冴えるし、おまけにリッチで最新の電化製品はことごとく揃えてる。新しいビデオデッキやステレオを持っていたりね。
    ――ライフスタイルからして憧れちゃうわけですね。
    小佐野  竹内さんは中卒なんだけど、「世の中って学歴じゃないんだな」って思い知らされたわけですよ。学歴がなくて好きなことをやって自分の才能だけでこんな素晴らしい生活ができる。 あの頃の俺らは10代でしょ。30過ぎるとオッサンのイメージがあるんだけど、竹内さんは感性が若いんですよ。たとえば見る映画や聞いてる音楽が一緒だったり、こういう雑誌を作る人は若くなきゃダメなんだなって。それに当時は若い記者がいなかったから。みんな大卒で大人。当時の私は大学1年生だから最年少だったかな。
    ――『ゴング』ってフレッシュなエネルギーに満ちあふれていたんですね。
    小佐野 遊び心もあったしね。小さい会社だったけど、一番売れてるのは『ゴング』だから竹内さんが何をしようが誰も文句言われない。こっちはレールに乗っていた人間だったけど、好きなプロレスに携わりながら成り上がりるんだってことを竹内さんの生き方を見て感じてね。 
    ――それでプロレスの世界に飛び込んじゃったんですね。
    小佐野 不遜だった私は「レールに乗っかって弁護士になる人生よりも……」というか、まだ弁護士になれるかどうかはわからなかったんだけど(笑)、若気の至りで好きなことをやっていけたらカッコイイなと。2004年に日本スポーツをやめるときは43歳にしてプータローになっちゃったんだけどね(笑)。当時はそれくらい竹内さんはカッコよく見えたんですよ。
    この続きと、冨宅飛駈、朝倉海、チャーリー柏木、スターダム買、WWEペイジなどの記事が550円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事23本の詰め合わせセット」はコチラ https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1828791この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事85円から購入できます!

     
  • ケンドー・カシンの数奇で偏屈なマスクマン人生■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2019-09-01 00:00  
    97pt

    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマはWWEのコーチに就任したケンドー・カシンです。




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    ――小佐野さん!本題に入る前に今年のG1クライマックスは何大会くらい観戦されたんですか?
    小佐野 大田区体育館、後楽園ホール……4大会は現場に行ったかな。G1は日本全国を回ってやってるし、すべて現地で見るのは大変だよね。なにしろ今年の開幕戦はテキサス州ダラスだったしね(笑)。
    ――ワールドワイドなイベントになっちゃいましたね(笑)。
    小佐野 G1の結果だけしか確認してないと星取表はどの選手も似たような点数だから、いろいろと言いたがる人も出てくると思うんだけど、みんな凄い試合をやってるんだよね。シングルマッチの連戦が続くわけでしょ。よくまあこんなに過酷なシリーズを乗り越えたよなあって。
    ――どの試合も配信もされて注目度が高いですからヘタな試合はできないですよね。
    小佐野 いまの新日本で手なんか抜いたら、あっという間に置いていかれちゃうからね。今回初優勝した飯伏(幸太)なんて開幕戦で足をやっちゃってるし、オスプレイだって2戦目のあとに首に痺れがきちゃって途中欠場の可能性もあったけど、それでも最後まで完走したからね。
    ――心・体・技が整ったプロレスラーじゃないとG1は乗り切れないってことですね。
    小佐野 大変だと思うよ。いまのG1のイメージって、全日本の四天王プロレス時代のチャンピオンカーニバルに近いのかな。三沢光晴、川田利明、小橋健太、田上明だけじゃなくて、スタン・ハンセンやスティーブ・ウイリアムスの外国人レスラーたちも充実していて。あのときもみんなヒーヒー言いながら戦っていたよね。
    ――いまの新日本は四天王プロレスとはスタイルは異なりますけど、ハイレベルなことをやってますもんね。KENTAも日本マット復帰後がこんな過酷なシリーズを乗り切って。
    小佐野 しばらく休んでいたわけだからね。本当によく乗り切ったと思う。あといまの新日本の何が強いって選手層が厚すぎることだよ。今回G1不出場だった鈴木みのるは4試合目くらいに出ていたし、G1の最終日なんて40人以上も試合に出てるわけだから。他の団体はちょっと太刀打ちできないよ。
    ――G1が終わったと思ったらJ-CUPがアメリカで開催されて。
    小佐野 その次はイギリスでオカダ・カズチカvs鈴木みのるのIWGP タイトルマッチがあるでしょう。鈴木みのるはイギリスでもチャンピオン(RPWブリティッシュ・ヘビー級&タッグ王座)だったけど、日本でやっている流れをそのままイギリスに持っていくわけだから。あくまで日本がベースだけど、いまの新日本はどこの国でやるかはそこまで重要じゃなくなってるのかもしれないよね。
    ――それにどの団体の流れも早いから情報量が多すぎて追いつかないですよね。
    小佐野 だから行ける会場はなるべく行くようにしてるんだけど、ちょっと見逃すとわかんなくなっちゃうから。いまは本当に団体が多いからねぇ。すべての団体をフォローできているマスコミはいないよね、たぶん。
    ――どの団体も扱う媒体はあるんでしょうけど、個人は難しいでしょうねぇ。
    小佐野 それは私が週刊誌をやっていた時代からそうなんだけどね。『週刊ゴング』が創刊した84年のときに全日本プロレス担当記者になったけど、行けるときは新日本の会場には顔を出して。 でも、当時は新日本と全日本の2団体時代だからできた話なんだけどね。
    ――90年代に入っちゃうと多団体時代に突入しちゃいますもんね。
    小佐野 いまなんてスポーツ新聞のプロレス担当記者が新しく来ると戸惑ってるもんね。いろんな団体があってどれも違うから(笑)。
    だからプロレス大賞なんかも困っちゃうだろうね。全部の団体をちゃんと見ることは物理的に無可能だから。
    ――プロレス大賞から漏れちゃうケースも出てくるわけですね。
    小佐野 今年はドラゴンゲートをちゃんと見てるようにはしてるんだけどね。解説の仕事をやっている全日本でさえ流れが早いからけっこう大変。地方でタイトルマッチをやること多いから、どこで防衛戦をやったとか詳細を把握するのはあたりまえとして、先日ボディガーがベルトを巻いて入場してきたんですよ。何日か前に大日本プロレスの大阪大会でBJWタッグ王座を獲ったんだけど、アナウンサーに聞かれて答えに詰まっちゃったもんね。「……これなんのベルトだっけ?」って。
    ――他団体の動きも押さえなきゃいけないと(笑)。
    小佐野 全日本の選手は他団体に出ることが多いし、逆に他団体選手が参戦することも多いでしょ。この前も全日本のジュニアタッグリーグにドラゲーのヨースケ♡サンタマリアが参戦したときはマリアの技をとにかく覚えなきゃならないと。 たとえば鉄柱越しの場外プランチャーは「上からマリア」なんですよ(笑)。
    ――全女中継でアナウンサーの志生野(温夫)さんがどんな技でも「投げたー!」とか一括して実況してましたけど、そんなわけにはいかないと(笑)。
    小佐野 いろいろと勉強になりますね(笑)。
    ――さて、今月のテーマはWWEパフォーマンスセンターのコーチに電撃就任したケンドー・カシン(石澤常光)です。
    小佐野 今年に入ってからNXTの新人育成コーチを臨時でやっていただけど、今回正式に契約したということだね。しかし、凄いよね、イッシーは。不思議な人生を送ってるよ。
    ――自由気ままにプロレス界を泳いでますよね(笑)。
    小佐野 私が彼に初めて会ったのは新日本プロレス入団記者会見。その頃の『週刊ゴング』の新日本担当はGK金沢くんだったんだけど、たしか金沢くんが他の取材で行けなくて、私がピンチヒッターだったんですよ。
    ――石澤常光は新日本のレスリング部門・闘魂クラブ所属だったんですよね。
    小佐野 彼は闘魂クラブの第1号だからね。馳浩はイッシーが欲しくて闘魂クラブを作ったんだから。イッシーはレスリングでオリンピックを目指していて、その時点ではまだプロレスラーになるつもりはなかったけど、新日本の社員として働きながらオリンピックを目指すと。そのあとに中西学も闘魂クラブに入ってきてね。
    ――犬猿の仲の2人ですね(笑)。この関係もどこまで本当に仲が悪いのかが伝わりづらくって。
    小佐野 本当にダメなんだよ。本当に関係は悪い。
    ――仲のいい時期もあったんですか?
    小佐野 ない。
    ――断言!(笑)。
    小佐野 以前永田裕志、中西学、藤田和之と「チームJAPAN」というユニットを結成したででしょ。あのときは大人の姿勢でやっていたけど、基本的にはダメだね。
    ――カシンvs中西のエピソードで一番面白かったのは、中西さんの結婚式にカシンが代理人として中西さんとなんの接点もない人間を送り込んだあげく、ご祝儀が縁起でもない数字の4万円だったことですね。中西さんは現金書留で送り返したそうですけど(笑)。
    小佐野 ハハハハハハハ。ちょうどいまから1年前に天龍さんとカシンのトークショーの司会をやったんだけど。天龍プロジェクトの紋奈代表が大のカシンファンだったこともあって組まれた企画でね。2人が控室で「新日本時代最後に会ったのはいつか」という話をしていて。天龍さんが「あのとき中西がいて……」と言ったら「じゃあボクはいませんね!」って食い気味にキッパリと否定していたね(笑)。
    ――あの中西学と一緒にいるわけがないと(笑)。
    小佐野 もともとカシンのほうが一方的に中西を嫌っていて。人間って嫌われれば嫌いになるから中西もイヤになったんだろうね。
    ――ネタなのか本気なのかわかりづらいどころってありますよね。
    小佐野 ケンドー・カシンという摩訶不思議なマスクマンのキャラクターと、素顔の石澤常光の頑固さがないまぜになってるから、いろいろと伝わりづらいんだろうね。若手の頃も素直な人だったけど、頑固なところもあって。海外修行に行くことが決まったときかな。「よかったね。帰ってきたらメインイベントだね」と軽く言ったら「いや、ボクは第1試合に誇りを持ってますから」と。固く言ってきたわけじゃないけんだけどね。
    ――もともとプロレスファンだったんですよね。
    小佐野 ルチャリブレが好きだったり、昔の『ゴング』も読んでいたり。2016年10月の大仁田厚の引退試合の対戦相手だったでしょ。そのときに着てきたオリジナル Tシャツの表は『ゴング』の表紙、裏は『ゴング』の記事というやつで。
    ――カシンはいろんなネタTシャツを作ってきますよね(笑)。
    小佐野 私はそのとき解説だったんだけど、しゃべる時間がなかったから言わなかったんだけど、永田裕志が子供の頃に「大仁田厚、頑張れ!」というハガキをゴングメイトに送ったその記事がTシャツの裏にプリントアウトされてる。表紙はそのときの『ゴング』なんですよ(笑)。
    ――マニアックすぎますよ!(笑)。
    小佐野 そんなの『ゴング』を編集している人間にしか気がつかないんだけどね。永田は「それだけは言わないでくれ」というのにわざわざTシャツにしてくる(笑)。
    ――相手が嫌がる過去を引っ張り出してきますよね。
    この続きと、朝倉海、ケンドー・カシン、ボクシング解放、狂気GCW、AEWベルト盗難などの記事が550円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事23本の詰め合わせセット」はコチラ https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1817475この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事85円から購入できます!