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  • シャーク土屋、世志琥、KINGレイナ、渕正信、ドナルド・トランプとWWE……【14万字・詰め合わせセット】

    2017-03-31 23:59  
    550pt
    非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! part38は大好評インタビュー15本、コラム10本、14万字で540円!!(税込み) 

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    part38収録記事◎FMW猛毒伝説!! シャーク土屋・前編「アポなしで全女に乗り込んだらTVスタッフに殴られたんだよ!◎爆勝MMAデビュー! 世志琥「プロレスラーとして、いつでも戦えるように準備していました」
     

    ◎いま最も危ないオンナ!! KINGレイナの大暴走インタビュー 「私、どれくらい強いのか自分でもわからないから」

     

    ◎「斎藤文彦INTERVIEWS⑫」ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか
    ◎小佐野景浩の「プロレス歴史発見」―― 全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信

    ◎堀口恭司インタビュー「RIZINが世界のフライ級の中心になれれば……」
    ◎UFC帰りを迎え撃つ 元谷友貴「日本のレベルはUFCに負けていないと思う」
    ◎UFC残留! NY移住!! 佐々木憂流迦インタビュー「奇跡が起きました」
    ◎U系はクセが凄い!! 幻のヴォルク・ハンvs鈴木みのる舞台裏■金原弘光
    ◎佐伯繁DEEP代表、パンクラス酒井正和代表、インタビューでお互いを挑発!◎キック界・世紀末救世主伝説――北斗拳太郎、北より悪党たちに死を告げるために!!
    ◎幻のキング・ハク戦と『1984年のUWF』■中井祐樹インタビュー◎事情通Zのプロレス点と線
    紫雷イオと宝城カイリ、WWE移籍か/『プロレス総選挙』という踏み絵◎RIZINが堀口恭司に提示したファイトマネーを推測!?■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク◎オマスキファイトのMMA Unleashed 
    ・米国女子MMAは、いちローカル団体の冒険から始まった…『フックンシュート』、22年の歴史に幕をおろす
    ・相次ぐ計量失格!! なぜ減量安全策が逆効果を生み出しているのか
    ・GSPはラウジー、マクレガー不在のUFCの救世主となれるのか?
    ・【内幕記事に騒然!!】世界一のエンタメの舞台裏には、ビンス・マクマホンの恐怖政治があった◎ズンドコ・トラブル興行研究会
    ダフ屋と興行師の哀歌!! 岩手水沢騒動<小泉悦史・編>
     
    アルティメットクラッシュ…新日本プロレスと総合格闘技<漁師JJ・編>……他

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    FMW女子部の一期生として団体旗揚げから活躍してきたシャーク土屋インタビュー前編!! 土屋は糖尿病により右ヒザ下切断、癌により右胸全摘手術という闘病生活を送っていたが、昨年11月に引退セレモニーを行なっている。デザイナー志望がひょんなことから悪の限りを尽くす猛毒ヒールレスラーになるまでの半生をお読みいただきたい!!(聞き手/小野仁)――FMWの旗揚げ準備期間に団体のロゴマークを制作したことがきっかけになったという風変わりな入門のエピソードを、まずはあらためて詳しくうかがいましょう。

    土屋 自分はさ、高校を卒業して美術学校に通ってたんだけど、「プロレスラーになりたい!」って熱が高まって、1度だけジャパン女子のオーディションを受けて落ちたんだよね。そのときに知り合ったお姉さんと仲良くなって、その人がFMWの事務所に入ってたんだよ。そうとは知らずに、ある日、お姉さんに「顔貸しな」って言われてついてったら、事務所に黒っぽい人が座ってて……。

    ――その人こそ大仁田厚だったわけですね。

    土屋 そう。「自分、デザインできるんだって?」って聞かれて「はい、デザインの学校に行ってます」って答えたら、「いま会社を立ち上げてんだけど金がなくてさ、ロゴマークを作ってくんねぇ?」って言われて「あ、はい。自分でいいんですか」「いいいい、全然。(プロの)デザイナーに頼めねぇから」って。

    ――そんな発注だったんですね(笑)。

    土屋 で、「インパクトがあるロゴにしてくれ」って言われたから、文字だけじゃなくてファイティングポーズのシルエットを入れてね。あれは大仁田さんのシルエットをかたどったんだけど、本人いわく「ちょっと短足すぎねぇか?」って(笑)。FMW初期の団体ロゴマークhttp://blog.goo.ne.jp/miwatti88/e/c35c1d6e4e30e7a6df0ceddb3904bba1

    ――ちなみに、ロゴの制作代は少しでも出たんですか?

    土屋 大仁田さんが「これでメシでも食ってけ」って、お姉さんに5000円渡して、2人で食事して終わりだよ(笑)。

    ――その初対面のときに、いきなりプロレスラーとして勧誘されたそうですね。

    土屋 「自分、身体デカいなぁ。ウチ、女子部やるけど、やるか?」って言われて「はい」って返したら、「じゃあ、1期生でデビューが決まってる奴がいま下(事務所ビル地下の道場)で受け身やってっから見てけよ」って。見に行ったら「ドドドドーン!」って感じでとんでもない受け身を取ってるんですよ。「どういう受け身だ!? 頭打ってるだけだろ!」って格闘技やってない自分が見てもわかる。それが里美和(笑)。

    ――衝撃の初対面だったんですね(笑)。

    土屋 それがまた「アゲハ蝶かオマエは!?」というようなスウェット着てやがって(笑)。ぜってぇコイツとは仲良くなれねぇと思ってたもん。

    ――土屋さんとは真逆のキャラクターですよね(笑)。

    土屋 無理! あんなカラフルなスウェット着てる奴とは……って感じだったんだけど、すっかり仲良くなったどころか、自分が倒れたときに助けてくれた救いの主だからねぇ。人生どうなるかわからないもんだね(しみじみと)。「FMWアイドル女子レスラー」の今はキリスト教伝道師……里美和ロングインタビューhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1183681

    ――入門テストなしで練習生生活を始めたかたちですが、その時期を覚えていますか?

    土屋 旗揚げ(1989年10月)まで、そんなに時間がなかったはずだから、3ヵ月ぐらい前だったんじゃないかなぁ。ウォーリー山口さんに借りてた馬込の事務所地下に道場があって、そこで元たけしプロレス軍団(TPG)の人たちに教わってたんだよね。受け身は高山さん(圭司=外道)に習ったのよ。あの人に習ってよかったと思うね。自分は高山さんと練習時間が重なることが多くて、おかげさまで受け身はうまくなったね。

    ――もちろん、大仁田さんとも顔を合わせる機会はあったわけですよね。

    土屋 よくイジメられたよ。オーディション組が入ってくる前なんて、美和ちゃんと自分の2人しかいないから、「おう、おう、土屋! カレー作ったから食ってけ。里も来い」なんて言われて食わされたけど、もう辛いのよ! あの人のカレーって。

    ――邪道カレーは激辛!

    土屋 食わねぇと怒られるから、辛いの苦手だったのにガマンしてやっと食ったら、「おーう、食ったか。2杯目いけ! どうだ?」「おいしいです」「ホントか!? オマエ~」って。そこで「ちょっと辛いですね」なんて言おうもんなら「おい! たいがいにしろ!」って怒られっから。

    ――カレーの辛さも文句は言えないんですね(笑)。

    土屋 これは旗揚げあとだけど、雪が降った日なんか、ウチら2人、壁際に立たされて、5mも離れてないところから雪球を思いっきり投げつけてくるからね、あの人。後ろが壁だから、ウチら横にしか逃げられないわけだよ! 雪球が壁に当たってカツンっていうから、「大仁田さん、何か入れました!?」って聞いたら「石ぃ!」って。

    ――危ないですよ!(笑)。

    土屋 「石入れないでくださいよぉ!」「ウ●コよりいいだろぉ?」とか笑って言いながら(苦笑)。

    ――何発かは当たったんじゃないですか?

    土屋 当たったよ。そうやってフツーにイジメられたからねぇ、ウチら2人は。

    ――大仁田さんとしてはイジメてるつもりじゃないんでしょうけどね。

    土屋 遊んでるつもりなんだけどね。

    ――むしろ可愛がっている証拠というか……。

    土屋 基本、イタズラ好きだからね。だけど、こっちがイタズラだと思ってると、それがシリアスなときがあるから見極めが難しいんだけど……。道場で美和ちゃんと2人で腹筋やってたらさぁ、「おうおう、やってんなぁ」って革靴のままリングに上がってウチらの腹を踏んでくわけよ。それもトレーニングだと思って一生懸命耐えてたんだけど、美和ちゃんが踏まれた勢いでオナラ出ちゃったのよ。そしたら、「オマエ、たいがいにしろよ!」って、革靴の角でコーンって殴られちゃって(笑)。

    ――「たいがいにしろ」って、大仁田さんが踏むから圧迫されたんでしょう!(笑)。

    土屋 そこで「オマエが踏むからだ!」って言えないから(苦笑)。こっちが「たいがいにしろ」って言いたいけど。まぁ、でも楽しかったよ。

    ――FMW初期の頃には1台のバンにギュウギュウ詰めに乗って移動していたそうですね。

    土屋 初期の頃に大仁田さんがバンを運転して、みんなで移動してたときに、途中に海があったんだよね。ニタさんが釣り好きだから、その頃は市ちゃん(フライングキッド市原)か誰かが付き人で、いつも竿を持たせてんのよ。そしたら「オイ、寄ってくぞ」って。

    ――試合前に釣りですか。

    土屋 こっちからすれば「えっ、会場に向かわなくていいんですか!? いいのかな? リング作りやらなくて」って感じ。男子に「オイ、うつぼ獲ってこい、素手で」とか。2時間ぐらいで結局、ちっちゃいフグみたいのを1匹釣り上げて「なんだよ! 釣れねぇな」って、海に放り返して会場に向かったの(笑)。そういう思い出もあるけど、ごく最初の頃って、自分はあんまり地方(巡業)に行ってないんだよね、美術学校に通っていたから。

    ――学校に通いながらのプロレス活動だったんですね。

    土屋 大仁田さんが「ちゃんと卒業はしておけ!」って。関東近辺とか、行けるところは行ってたから、ほとんど気づかれてないようだけどね。

    ――一介の新人ながらにスポット参戦だったという。

    土屋 会社もお金なかったはずだけど、(巡業に途中で合流する場合の)交通費は出してくれてたんだよ。だって、そうしないと、自腹でなんか行けるわけないじゃん。ウチの親はお金持ってたけど、「交通費ないと試合に行けないんだ~」って言ってお金くれるような親じゃないから。「じゃ、行かなきゃいいじゃん?」って言われるのオチで(笑)。テッド(・タナベ=故・田辺哲夫氏)っていたじゃん、レフェリーの。

    ――みちのくプロレスでもレフェリーをやられていた。

    土屋 あの人が送り迎えしてくれた。車持ってたからね、FMWの宣伝カーだったライトバンだけど。「ごめん、テッド、迎えに来て」って。「家(練馬区の実家)の近所の川越街道まで自転車で行くから拾ってって」とか。たしかテッドは護国寺あたりに住んでたんだよ。それで練馬に寄って拾ってもらってたんだよね。

    ――新人だった土屋さんからしたら、業界の大先輩ですよね。

    土屋 テッド? 大先輩かもしれないけど、ツッチーツッチーって可愛がってくれたから、使えるものは使わなきゃ!って(笑)。

    ――まさか、当時から本当にテッド呼ばわりしてたわけじゃないですよね?

    土屋 いや、「テッド」とも呼んでたよ。時によって「田辺さん」とか「テッド」とか使い分けて(笑)。テッドがすっげぇデブだったじゃん。横向きに寝てたら(身体の下敷きになった)自分のヒジが脇腹に入ったらしくってアバラを折ったことがあってさ、体重で圧迫されて。

    ――ええええ!?(笑)。

    土屋 朝起きたら、なんか息するだけで痛ぇなっていうんで病院に行ったら、肋骨が折れてたんだって。「何やってんの!?」って、みんなでバカにした覚えもあるし(笑)。

    ――テッドさんがFMWにいたのは本当に初期の頃ですよね。

    土屋 うん。オーディション抜きで最初に入った美和ちゃんと自分の2人を何かと可愛がってくれてた。食事に連れてってくれたりね。とくに自分のほうが面倒見てもらったかな。

    ――その頃はテッドさんも決して金銭的に余裕があったわけではないでしょうけど。

    土屋 それでも先輩がオゴるっていう、プロレス界のしきたりだよね。オゴられるっていえば、リッキー(・フジ)さんはパチンコが好きでさ、勝つと「いいよ。ファミレス行こうぜ」って連れてってくれんの。チャラとかトントンだと「長崎ちゃんぽんな。ちゃんぽんだけだぞ。餃子も食いたかったら自腹な」って、シビアなオゴり方をしてくれた(笑)。

    ――餃子は自腹(笑)。

    土屋 それから、ヒールバスを運転していたデンジャラスドライバー・タケウチね。

    ――“有刺鉄線職人”としてマニアの間で知られる武内正義さんですね。

    土屋 よしか(クラッシャー前泊)と非道と3人で、みんな1000円ぐらいずつ出して、残りは全部、武内さんにお世話になってたね。あの人は凶器作りの名人でさ、ヒールバスの連中はみんな「運ちゃん、これ壊れた~」って(笑)。

    ――修理を頼んでたんですね。

    土屋 自分がFMWを離れて単独で動いていた時期にも「有刺鉄線木刀が折れたから新しいの作って」って頼んで、LLPWの会場に新品の有刺鉄線木刀を送り届けてくれたこともあったね。

    ――こうして聞くと、土屋さんにとって、レスラーとしての生まれ故郷であるFMWは、かなり快適な空間だったようですね。 
  • UFC残留! NY移住!! 佐々木憂流迦インタビュー「奇跡が起きました」

    2017-03-26 16:14  
    55pt
    UFC残留が決定した佐々木憂流迦インタビュー。リリース濃厚とされていた裏側には何があったのか?UFCとの契約を更新したことが判明した日本人UFCファイター佐々木憂流迦。UFCは新体制移行後、膨れ上がった選手数を抑えるために、たとえ勝ち越しても再契約のオファーが選手のもとに届かないケースが珍しくなくなっている。
     そんな中、佐々木憂流迦はUFC通算2勝3敗と負け越し。バンタム級で1勝2敗、その後はフライ級に転向して1勝1敗。現在の“UFC基準”であれば残留が厳しい戦績だ。
      負け越し更新の裏側には何があったのか――。佐々木憂流迦は契約最終試合のウィルソン・ヘイス戦では判定負けを喫したが、ランキング5位(ウィルソンは王者デメトリアス・ジョンソンへの挑戦が決定)の相手に最終ラウンドには、あわや一本勝ちまで追い詰めたこと、そしてフライ級ファイターの将来性を買われての再契約となった。
     もうひとつ強運にも恵まれた。本来ならば、昨年11月のブラジル大会でマテウス・ニコラウ(ランキング11位)と対戦予定だったが、試合直前ギリギリにマテウスに禁止薬物陽性反応が発覚し、試合が消滅。UFCから代替選手が用意されたが、熟考の末にブラジル大会の出場をキャンセル。すると、3ヵ月後の2月大会でランキング5位のウィルソン・ヘイス戦が用意された。目の前の試合をガマンしたことが功を奏した。もしマテウスに陽性反応が出なかったら、あのまま代替選手のオファーを受諾していたら、ヘイス戦の最終ラウンドを取らなかったら……選択のセンス、強運、実力でもぎ取った契約更新とも言えるかもしれない。
     佐々木憂流迦は今後はニューヨークに移住。アンデウソン・シウバ、ヘンゾ・グレイしー、ハイアン・グレーシー、ヒカルド・アルメイダなど有名選手の元コーチが専属トレーナーとして付き、ジム全体でバックアップ体制が取られての再出発となる。それでは本人の話を聞いてみよう。
    ニューヨークの佐々木憂流迦 ©OnTheRoad Management――UFC契約更新おめでとうございます!
    憂流迦 ありがとうございます。いやあ、奇跡ですね!(笑)。
    ――奇跡ですか!!
    憂流迦 ホントですよ。2勝3敗なのにUFCが評価してくれたのはありがたいですよね。ファイトマネーも上がったんですよ、負けてるのに(笑)。
    ――なんと!
    憂流迦 信じらないですよね。それで次の試合も決まりそうなんですよ。たぶん6月くらいになるんじゃないかなあと。
    ――6月というとシンガポールっぽいですね。憂流迦選手をマネジメントのシュウ・ヒラタさんはかなりのやり手ですけど、いったいどうやったんですかね(笑)。
    憂流迦 俺もわからないです(笑)。
    ――壮大なドッキリかもしれないですよ(笑)。判定負けとなったウィルソン・ヘイス戦で契約満了となりましたが、試合直後はどうなると思ってたんですか?
    憂流迦 2勝3敗だし、負けたから再契約はないなと。判定のコールされてるときに「ああ、終わったな……」って。
    ――普通に考えたら再契約はないと思いますよねぇ。
    憂流迦 しかもいまのUFCの状況を考えたら再契約は難しいじゃないですか。
    ――いまは勝ち越してもリリースされたり、ランカーがFAしても熱心には引き止めないですもんね。堀口(恭司)選手のフリーエージェントにはビックリしたんじゃないですか?
    憂流迦 そりゃあビックリしましたよ。またタイトルショットを狙える位置にいましたから「ウソだろ!?」って。ニュースを読んでUFCのランキングを見たら、もう名前が消えてるから、仕事が早いなあって。
    ――UFCと契約更新できなかった場合、憂流迦選手はどうするつもりだったんですか?
    憂流迦 シュウさんには「一番早くUFCに戻れる道筋を作ってほしい」とお願いはしていたんですけど。
    ――あくまでUFCに拘ると。新体制になってからUFCは方向性が変わったという声がよく聞かれますよね。
    憂流迦 周りやネットでもそう言われてますけど、実力主義は変わってないんじゃないかと思うんですよね。やっぱりUFCがナンバーワンだし、そこでチャンピオンになれば一番だって言えますから、そこは間違いないと思うんです。それでシュウさんが「一度UFCと話をしてみるから」と。そうしたらUFCから「ちょっと待ってほしい」という連絡があって。
    ――ほほう。
    憂流迦 リリースされると思ってましたから、「ちょっと待ってほしい」ということはどういうことなんだろうな?って思うじゃないですか。
    ――一縷の望みがあるんじゃないか……と思っちゃいますよねぇ。
    憂流迦 そうしたら奇跡が起きた(笑)。
    ――ハハハハハハ。
    憂流迦 これはボクの力じゃないですね。これって去年から始まってるんですよ。まずランカーのアリ・(バガウティノフ)とのオファーを受けたんですけど、結局流れて11月のブラジル大会でマテウス(・ニコラウ)に決まって。そのマテウスが直前でドーピングで引っかかって、代替選手が用意されたんですけど、UFCに「ランカーとやるためにブラジルに行くのに……」ということで断ったんです。そうしたらランキング4位のウイルソン戦のオファーがあって。
    ――マテウスがドーピングアウトになったのは試合直前ですよね。試合に向けてトレーニングしてきた選手からすれば、代替選手との試合に飛びついてもおかしくないですが……。
    憂流迦 UFCから来たオファーをすべて受けるだけじゃダメなんだなって思います。とくに日本人選手は受けちゃうかもしれないですね、「断ったらいけないんじゃないか……」って。ボクもあそこでランカーでもない代替選手とやったら、今回契約更新できなかったかもしれないです。
    ――危なかったですねぇ。
    憂流迦 そこはシュウさんと、いまのコーチの話し合いで決められたので。ボクがすべての判断をしてるわけではないんですけどね。
    ――もし自分だけの判断するとしたら……。
    憂流迦 それは難しいなあ。まず自分だけで判断はしないですからね(笑)。そこはメチャクチャ信頼してるのでホントに。やっぱりマネジメントはプロフェッショナルな人に任せたほうがいいとは思うんですよね。
    ――憂流迦選手が判断するのは“誰に任せるのか”ということですね。
    憂流迦 チョイス能力の問題が大きいと思いますよ。これから出てくる若い子たちは、そこを知っておかないと、ホントにかわいそうなことになりますよ。
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  • 【全文公開中】日常の中でできるトレーニング!!■二階堂綾乃

    2017-03-26 14:48  
    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、ついに格闘技デビューをしてしまったこのコーナー。今回のテーマは「日常の中でできるトレーニング」です!世の中には「読むだけで痩せる!」「読むだけで身体が柔軟になる!」「読むだけで美人になる!」と、謳う本が数多く存在します。そんな読むだけで願いが叶う本なんてあるわけがないのに、この手の本がなくならないどころか次々と出版され、時にはベストセラーになるのはなぜでしょう。そう、多くの人間がめんどくさがり屋だからです。痩せたいけど運動したくない……股割りしたいけどストレッチは痛いしめんどくさい……そんな人が本のタイトルだけ見て購入し、読みもせずに本棚の肥しになり、読んでいないことも忘れて次々と似たような本を購入するのです。全員がそういうわけではな無いと思いますが。
    そして私もめんどくさがり屋
  • U系はクセが凄い!! 幻のヴォルク・ハンvs鈴木みのる舞台裏■金原弘光

    2017-03-23 20:59  
    55pt
    伝説のプロレス団体UWFインターナショナルでデビューして、キングダム、リングス、PRIDEと渡り歩いた日本格闘技の生き証人金原弘光が格闘技界黎明期を振りかえる連載インタビュー。今回のテーマはU系はクセが凄い!! 幻のヴォルク・ハンvs鈴木みのる舞台裏です!――今回は自主興行の舞台裏についてうかがいます。
    金原 自主興行ね。デビュー20周年記念興行とMMA引退試合興行で2回後楽園ホールやったよ。
    ――後楽園規模の自主興行をやるのは大変ですよね。
    金原 大変だよ〜。まず予算を決めるでしょ。そして選手の日程を合わせないといけない。鈴木(みのる)さんが出てもらったけど、鈴木さんは新日本に参戦していたから、休みの日がなかなかない。その中で後楽園ホールが空いてる日を探す。選手の日程がわからないのに長州さんみたいに「東京ドームを押さえろ!」というわけにはいかないからね(笑)。
    ――新日本とUインターの東京ドーム対抗戦! あの電話会談の前にドームは押さていたようですが……(笑)。後楽園ホールはすんなり借りれるんですか?
    金原 俺の場合は会社を持ってなかったら、DEEPの佐伯(繁)さんを通して借りた。
    ――金原さん、DEEPに出ていましたもんね。興行を初めてやってみて何が一番大変でした?
    金原 外国人選手の交渉かなあ。メールでやりとりしたんだけど、これが本当に大変で。あと外国人選手はビザを取らないといけないでしょ。飛行機やホテルを押さえてといけないし、成田空港まで送り迎えをしなきゃならない。
    ――送り迎えも金原さんがやったんですか?
    金原 やったよぉ(笑)。
    ――団体と違ってスタッフがいるわけじゃないですもんねぇ。
    金原 1回目のときはダン・スバーンやビリー・スコットが出たでしょ。Uインター系だから高田(延彦)さんに「使わせていただきます」って挨拶したんだよ。
    ――ええええええ!? Uインターは消滅して10年以上経っていたし、高田さんが彼らを使う予定もないのに?(笑)。
    金原 それでも挨拶しないといけないんですよ。高田さん本人とは話ができなかったけどね。高田道場まで足を運んで関係者の方に報告して。あとUインターの取締役だった鈴木健さんにも挨拶に行ったんだよ。挨拶しないと「勝手にダン・スバーンとビリー・スコットを使ってる!」という話になっちゃうんだよね。この続きも読める「14万字・詰め合わせセット」がお得です!
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  • 【FMW猛毒伝説】シャーク土屋・前編「アポなしで全女に乗り込んだらTVスタッフに殴られたんだよ!」

    2017-03-23 20:59  
    110pt
    FMW女子部の一期生として団体旗揚げから活躍してきたシャーク土屋インタビュー前編!! 土屋は糖尿病により右ヒザ下切断、癌により右胸全摘手術という闘病生活を送っていたが、昨年11月に引退セレモニーを行なっている。デザイナー志望がひょんなことから悪の限りを尽くす猛毒ヒールレスラーになるまでの半生をお読みいただきたい!!(聞き手/小野仁)
    ――FMWの旗揚げ準備期間に団体のロゴマークを制作したことがきっかけになったという風変わりな入門のエピソードを、まずはあらためて詳しくうかがいましょう。
    土屋 自分はさ、高校を卒業して美術学校に通ってたんだけど、「プロレスラーになりたい!」って熱が高まって、1度だけジャパン女子のオーディションを受けて落ちたんだよね。そのときに知り合ったお姉さんと仲良くなって、その人がFMWの事務所に入ってたんだよ。そうとは知らずに、ある日、お姉さんに「顔貸しな」って言われてついてったら、事務所に黒っぽい人が座ってて……。
    ――その人こそ大仁田厚だったわけですね。
    土屋 そう。「自分、デザインできるんだって?」って聞かれて「はい、デザインの学校に行ってます」って答えたら、「いま会社を立ち上げてんだけど金がなくてさ、ロゴマークを作ってくんねぇ?」って言われて「あ、はい。自分でいいんですか」「いいいい、全然。(プロの)デザイナーに頼めねぇから」って。
    ――そんな発注だったんですね(笑)。
    土屋 で、「インパクトがあるロゴにしてくれ」って言われたから、文字だけじゃなくてファイティングポーズのシルエットを入れてね。あれは大仁田さんのシルエットをかたどったんだけど、本人いわく「ちょっと短足すぎねぇか?」って(笑)。FMW初期の団体ロゴマークhttp://blog.goo.ne.jp/miwatti88/e/c35c1d6e4e30e7a6df0ceddb3904bba1
    ――ちなみに、ロゴの制作代は少しでも出たんですか?
    土屋 大仁田さんが「これでメシでも食ってけ」って、お姉さんに5000円渡して、2人で食事して終わりだよ(笑)。
    ――その初対面のときに、いきなりプロレスラーとして勧誘されたそうですね。
    土屋 「自分、身体デカいなぁ。ウチ、女子部やるけど、やるか?」って言われて「はい」って返したら、「じゃあ、1期生でデビューが決まってる奴がいま下(事務所ビル地下の道場)で受け身やってっから見てけよ」って。見に行ったら「ドドドドーン!」って感じでとんでもない受け身を取ってるんですよ。「どういう受け身だ!? 頭打ってるだけだろ!」って格闘技やってない自分が見てもわかる。それが里美和(笑)。
    ――衝撃の初対面だったんですね(笑)。
    土屋 それがまた「アゲハ蝶かオマエは!?」というようなスウェット着てやがって(笑)。ぜってぇコイツとは仲良くなれねぇと思ってたもん。
    ――土屋さんとは真逆のキャラクターですよね(笑)。
    土屋 無理! あんなカラフルなスウェット着てる奴とは……って感じだったんだけど、すっかり仲良くなったどころか、自分が倒れたときに助けてくれた救いの主だからねぇ。人生どうなるかわからないもんだね(しみじみと)。「FMWアイドル女子レスラー」の今はキリスト教伝道師……里美和ロングインタビューhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1183681
    ――入門テストなしで練習生生活を始めたかたちですが、その時期を覚えていますか?
    土屋 旗揚げ(1989年10月)まで、そんなに時間がなかったはずだから、3ヵ月ぐらい前だったんじゃないかなぁ。ウォーリー山口さんに借りてた馬込の事務所地下に道場があって、そこで元たけしプロレス軍団(TPG)の人たちに教わってたんだよね。受け身は高山さん(圭司=外道)に習ったのよ。あの人に習ってよかったと思うね。自分は高山さんと練習時間が重なることが多くて、おかげさまで受け身はうまくなったね。
    ――もちろん、大仁田さんとも顔を合わせる機会はあったわけですよね。
    土屋 よくイジメられたよ。オーディション組が入ってくる前なんて、美和ちゃんと自分の2人しかいないから、「おう、おう、土屋! カレー作ったから食ってけ。里も来い」なんて言われて食わされたけど、もう辛いのよ! あの人のカレーって。
    ――邪道カレーは激辛!
    土屋 食わねぇと怒られるから、辛いの苦手だったのにガマンしてやっと食ったら、「おーう、食ったか。2杯目いけ! どうだ?」「おいしいです」「ホントか!? オマエ~」って。そこで「ちょっと辛いですね」なんて言おうもんなら「おい! たいがいにしろ!」って怒られっから。
    ――カレーの辛さも文句は言えないんですね(笑)。
    土屋 これは旗揚げあとだけど、雪が降った日なんか、ウチら2人、壁際に立たされて、5mも離れてないところから雪球を思いっきり投げつけてくるからね、あの人。後ろが壁だから、ウチら横にしか逃げられないわけだよ! 雪球が壁に当たってカツンっていうから、「大仁田さん、何か入れました!?」って聞いたら「石ぃ!」って。
    ――危ないですよ!(笑)。
    土屋 「石入れないでくださいよぉ!」「ウ●コよりいいだろぉ?」とか笑って言いながら(苦笑)。
    ――何発かは当たったんじゃないですか?
    土屋 当たったよ。そうやってフツーにイジメられたからねぇ、ウチら2人は。
    ――大仁田さんとしてはイジメてるつもりじゃないんでしょうけどね。
    土屋 遊んでるつもりなんだけどね。
    ――むしろ可愛がっている証拠というか……。
    土屋 基本、イタズラ好きだからね。だけど、こっちがイタズラだと思ってると、それがシリアスなときがあるから見極めが難しいんだけど……。道場で美和ちゃんと2人で腹筋やってたらさぁ、「おうおう、やってんなぁ」って革靴のままリングに上がってウチらの腹を踏んでくわけよ。それもトレーニングだと思って一生懸命耐えてたんだけど、美和ちゃんが踏まれた勢いでオナラ出ちゃったのよ。そしたら、「オマエ、たいがいにしろよ!」って、革靴の角でコーンって殴られちゃって(笑)。
    ――「たいがいにしろ」って、大仁田さんが踏むから圧迫されたんでしょう!(笑)。
    土屋 そこで「オマエが踏むからだ!」って言えないから(苦笑)。こっちが「たいがいにしろ」って言いたいけど。まぁ、でも楽しかったよ。
    ――FMW初期の頃には1台のバンにギュウギュウ詰めに乗って移動していたそうですね。
    土屋 初期の頃に大仁田さんがバンを運転して、みんなで移動してたときに、途中に海があったんだよね。ニタさんが釣り好きだから、その頃は市ちゃん(フライングキッド市原)か誰かが付き人で、いつも竿を持たせてんのよ。そしたら「オイ、寄ってくぞ」って。
    ――試合前に釣りですか。
    土屋 こっちからすれば「えっ、会場に向かわなくていいんですか!? いいのかな? リング作りやらなくて」って感じ。男子に「オイ、うつぼ獲ってこい、素手で」とか。2時間ぐらいで結局、ちっちゃいフグみたいのを1匹釣り上げて「なんだよ! 釣れねぇな」って、海に放り返して会場に向かったの(笑)。そういう思い出もあるけど、ごく最初の頃って、自分はあんまり地方(巡業)に行ってないんだよね、美術学校に通っていたから。
    ――学校に通いながらのプロレス活動だったんですね。
    土屋 大仁田さんが「ちゃんと卒業はしておけ!」って。関東近辺とか、行けるところは行ってたから、ほとんど気づかれてないようだけどね。
    ――一介の新人ながらにスポット参戦だったという。
    土屋 会社もお金なかったはずだけど、(巡業に途中で合流する場合の)交通費は出してくれてたんだよ。だって、そうしないと、自腹でなんか行けるわけないじゃん。ウチの親はお金持ってたけど、「交通費ないと試合に行けないんだ~」って言ってお金くれるような親じゃないから。「じゃ、行かなきゃいいじゃん?」って言われるのオチで(笑)。テッド(・タナベ=故・田辺哲夫氏)っていたじゃん、レフェリーの。
    ――みちのくプロレスでもレフェリーをやられていた。
    土屋 あの人が送り迎えしてくれた。車持ってたからね、FMWの宣伝カーだったライトバンだけど。「ごめん、テッド、迎えに来て」って。「家(練馬区の実家)の近所の川越街道まで自転車で行くから拾ってって」とか。たしかテッドは護国寺あたりに住んでたんだよ。それで練馬に寄って拾ってもらってたんだよね。
    ――新人だった土屋さんからしたら、業界の大先輩ですよね。
    土屋 テッド? 大先輩かもしれないけど、ツッチーツッチーって可愛がってくれたから、使えるものは使わなきゃ!って(笑)。
    ――まさか、当時から本当にテッド呼ばわりしてたわけじゃないですよね?
    土屋 いや、「テッド」とも呼んでたよ。時によって「田辺さん」とか「テッド」とか使い分けて(笑)。テッドがすっげぇデブだったじゃん。横向きに寝てたら(身体の下敷きになった)自分のヒジが脇腹に入ったらしくってアバラを折ったことがあってさ、体重で圧迫されて。
    ――ええええ!?(笑)。
    土屋 朝起きたら、なんか息するだけで痛ぇなっていうんで病院に行ったら、肋骨が折れてたんだって。「何やってんの!?」って、みんなでバカにした覚えもあるし(笑)。
    ――テッドさんがFMWにいたのは本当に初期の頃ですよね。
    土屋 うん。オーディション抜きで最初に入った美和ちゃんと自分の2人を何かと可愛がってくれてた。食事に連れてってくれたりね。とくに自分のほうが面倒見てもらったかな。
    ――その頃はテッドさんも決して金銭的に余裕があったわけではないでしょうけど。
    土屋 それでも先輩がオゴるっていう、プロレス界のしきたりだよね。オゴられるっていえば、リッキー(・フジ)さんはパチンコが好きでさ、勝つと「いいよ。ファミレス行こうぜ」って連れてってくれんの。チャラとかトントンだと「長崎ちゃんぽんな。ちゃんぽんだけだぞ。餃子も食いたかったら自腹な」って、シビアなオゴり方をしてくれた(笑)。
    ――餃子は自腹(笑)。
    土屋 それから、ヒールバスを運転していたデンジャラスドライバー・タケウチね。
    ――“有刺鉄線職人”としてマニアの間で知られる武内正義さんですね。
    土屋 よしか(クラッシャー前泊)と非道と3人で、みんな1000円ぐらいずつ出して、残りは全部、武内さんにお世話になってたね。あの人は凶器作りの名人でさ、ヒールバスの連中はみんな「運ちゃん、これ壊れた~」って(笑)。
    ――修理を頼んでたんですね。
    土屋 自分がFMWを離れて単独で動いていた時期にも「有刺鉄線木刀が折れたから新しいの作って」って頼んで、LLPWの会場に新品の有刺鉄線木刀を送り届けてくれたこともあったね。
    ――こうして聞くと、土屋さんにとって、レスラーとしての生まれ故郷であるFMWは、かなり快適な空間だったようですね。この続きも読める「14万字・詰め合わせセット」がお得です!
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  • 相次ぐ計量失格!! なぜ減量安全策が逆効果を生み出しているのか■MMA Unleashed

    2017-03-23 19:58  
    55pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは……米MMAで相次ぐ計量失格による試合キャンセル:なぜ減量安全策が逆効果を生み出しているのか
    UFCが今年に入ってようやく放った感のあったビッグイベント、3月5日(日本時間)に開催されたUFC 209で、トニー・ファーガソンとの暫定ライト級王者決定戦に臨むはずだったハビブ・ヌルマゴメドフが減量に失敗、試合が急きょキャンセルになるという事態が発生した。ヌルマゴメドフは、155パウンドの契約体重に対し、161パウンドまで下げたところで脱水症状によりダウン、計量前日に病院に搬送されてしまったのである。これにはがっかりした方も多かっただろう。
    ヌルマゴメドフはこれで過去9回の試合機会で6度目のキャンセル(全てが減量失敗というわけではないが)。敬虔(けいけん)なイスラム教徒であることから、ラマダン(断食)期間(5月下旬から6月下旬)中は試合をしない方針であることもあり、次の試合はラマダン明け以降ということになりそうだ。これでは主催者としても信頼して起用することが難しいとの判断となろうかとも思われるが、他方で今大会は、ロシア系住民が多い米国北東部でPPVの事前購入が40万件あったともされており、ヌルマゴメドフが人気の強い地盤を持っていることもまた事実のようである。
    さらに3月19日に開催されたUFCファイトナイト・ロンドンでも、イアン・エントウィッスルが減量に失敗、計量前日に病院に搬送され、試合が急きょキャンセルされている(エントウィッスルはその後、現役引退を発表している)。
    こうした減量失敗による試合のキャンセルは、実は2016年6月にUFCが”アーリー・ウェイイン”を開始した頃から急に増加してきている。この続きも読める「14万字・詰め合わせセット」がお得です!
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  • 【SB王者】キック界・世紀末救世主伝説――北斗拳太郎、北より悪党たちに死を告げるために!!

    2017-03-22 13:49  
    55pt
    入場からインタビューまで徹底して“北斗の男”になりきっている格闘家、北斗拳太郎インタビュー!!  キャラ優先ではなくシュートボクシングの日本スーパーウエルター級王者に就く実力者の謎にヒャッハーと迫ってみた! 
    ――今回はシュートボクシングの日本スーパーウエルター級王者に就いた北斗拳太郎選手の謎に迫りたいと思います。
    北斗 うむ……。
    龍拳 お客人、ご足労であった。ワシが拳太郎の師父・龍拳じゃ。拳太郎は無口がゆえワシがいろいろとご紹介しよう。
    ――龍拳……『北斗の拳』でケンシロウの師父だったリュウケンではなく?
    龍拳  違うぞ。ワシは「ボス神拳」の龍拳じゃ。
    ――な、なるほどぉ……。まずお伺いしたのは「北斗拳太郎」という名前なんです。格闘技ニュースサイトによれば、本名は「貫井拳太郎」であると記されています。
    龍拳 彼が「北斗拳太郎」を名乗り出したのはボスジムに入ってからじゃ。ボスジムで格闘家・北斗拳太郎として生まれ変わった。ボス神拳を極めてもらいたいという願いを込めて「北斗」というリングネームを与えたのじゃよ。
    北斗 うむ……。
    ――貫井拳太郎時代は、デーモン小暮閣下で言うところの「世を忍ぶ仮の姿」みたいなもんですかね……。拳太郎さんはマンガ『北斗の拳』はご存知なんですか?
    北斗 私はいま…26歳…。『北斗の拳』直撃世代ではないが、北斗というリングネームを付けられた縁から全巻読んでみた…じつに面白かった……。
    ――一番面白かった場面はどこですか?
    北斗 連れ去られたリンを助けるため、金色のファルコがたったひとり修羅の国へ向かったところだ…。ファルコよ、無理をするな……。
    ――ああ、ファルコと、名も無き修羅との対決は燃えますよね(笑)。
    龍拳 本当じゃったら「ケンタロウ」というリングネームでもよかったんだが、それだと北斗を連想しづらいと思ったんじゃよ。
    ――ケンタロウだと美味しい料理を作りそうですもんね。
    北斗 ……うむ。母親は小林カツ代だな…。
    龍拳 拳太郎がボスジムを訪れたのは高校3年のとき。浦和にボスジムの支部があってな。拳太郎はその近所に住んでいたんじゃ。
    ――拳太郎さんは埼玉出身なんですか。
    北斗 うむ。いまでも埼玉から赤坂のボスジムまで通っている……。北より、悪党たちに死を告げるために!!
    ――た、たしかに埼玉は北だ!(笑)。
    北斗 ボスジムの浦和支部に入会した理由は…。それはK-1WGPを4度制したアーネスト・ホースト拳法家を輩出したジムであり、その師であるヨハン・ボス大老子から免許皆伝を受け渡された、SenseiツヨシとSenseiヒロシが指導していると聞いたからだ。修羅の国のヨハン・ボス大老子からボス神拳の免許皆伝を享受された者は、数万人いる弟子の中で、現ボスジム・アムステルダムの会長のSenseiイワン・ヒッポリットとSenseiツヨシ、Senseiヒロシだけだ。修羅の国の暗殺拳を学びたい。その気持ちを俺は抑えることができなかった。
    ――ボス神拳は修羅の国の暗殺拳!
    龍拳  “ニホンオオカミ”と呼ばれた伝説の空手家・黒澤浩樹氏のジムも近くにあり、拳太郎の父親は黒澤氏のほうを薦めたらしいが、拳太郎は北斗七星に導かれるようにボスジムジャパンを選んだというわけじゃ。
    北斗 うむ。俺は真の強さを求めている。
    ――ケンタロウ選手はGパンのまま戦っているんですか?
    龍拳 あれはただのジーンズではない。特製素材のGパンスパッツなのじゃよ。
    ――特製素材のGパンスパッツ(笑)。そこはケンシロウのイメージに合わせたんですか?
    龍拳 そうじゃ。シュートボクシングもロングスパッツを推奨しておる。拳太郎はSB王者になる運命だったのかも知れん…。
    ――スパッツ禁止の団体もあると思うんですが……。
    龍拳 問題ない。拳太郎の実力で黙らせればいいことじゃ。
    ――師父・龍拳からすると、“北斗”と名付けたくなるほどオーラはあったんですか?
    龍拳 拳太郎は才能はあった。ただ問題がひとつだけあってな。ボスジム入会当初にワシが技術的な指導をすると、拳太郎が噛み付いてくることがあったんじゃ。
    ――えっ、噛み付くとは?
    龍拳 たとえばハイキックの防御方法を説明するため、拳太郎に蹴らせたとする。すると途中からブラジリアンキックの軌道に変えてワシを倒そうとしてくるんじゃよ。
    ――うわっ、それは師父・龍拳の命を狙って……?
    龍拳 おそらくそうじゃな。
    北斗 あのときの私はまだ若かった……(遠い目で)。
    ――あ、命を狙った自覚がある(笑)。
    龍拳 わしを倒し、ボス神拳伝承者の座を狙ったのだろう。若いのう、フォフォフォ。
    ――ラオウがリュウケンにやらかしたアレと同じですね(笑)。この続きも読める「14万字・詰め合わせセット」がお得です!
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  • ファイプロ奇跡の復活!〜仮想メイウェザー×マクレガー〜■「MMAオレンジ色の手帖」

    2017-03-22 12:32  
    55pt
    格闘技ブログ「MMA THE ORANGE」の管理人オレンジがディープなエピソードをお届けする「MMAオレンジ色の手帖」! 今回のテーマはファイプロでメイウェザー×マクレガーをシュミレーション!?
    人知れずひっそりと始まった「MMAオレンジ色の手帖」もついに今回をもって最終回となりました。気がつけば連載開始から早や3年半。よくもまあ人畜無害で毒にも薬にもならないコラムを好き勝手に書かせてくれたものだと、Dropkickさんの懐の深さには今さらながら頭が下がる想いで一杯です。おちょこ程度に器が小さい私は見習う他ありません。
    そんな私の連載終了と入れ替わるかのように甦るのがマニアを熱狂の渦に巻き込んだゲームソフト「ファイヤープロレスリング」。2005年に発売された「ファイプロ・リターンズ」を最後に惜しまれつつシリーズ終了となりましたが、先ごろアメリカで開催されたゲーム開発者向けのカンファレンスでスパイク・チュンソフトが最新作を開発中である事を発表。2017年7月〜9月頃にプレイステーション4のソフトとして12年の時を越えてついに復活する事が明らかになりました。
    このニュースを受けてプロレス・格闘技界隈の好事家は早くも皮算用を開始。やれ格闘技界からはUFCファイターが大挙登場するのでは?とか、やれジョシカクブームの波に乗ってRENAや山本美憂、ギャビ・ガルシアは確定だろうとか、議論は留まる事を知りません。
    個人的に1番気になっているのがオリジナル選手を作成出来るエディット機能。これまでも選手のルックスや名前、キャッチコピーから使用する技、そしてコンピュータが操作した時の動き方のロジックまで事細かに設定する事が出来ました。これがどう進化しているのか興味津々。正直ネタが出尽くした感はありますが、島田裕二はストップのタイミングが遅いとか、梅木よしのりの甲高い「アクション」コールとかレフェリーの動き方も進化するのかと1人で妄想してニヤついています。発売まであと半年くらいありますが、もうこの衝動は抑える事が出来そうにありません。
    そこで今回はファイプロの醍醐味でもある選手のエディット機能を全面的にフィーチャー。最後に発売された「ファイプロ・リターンズ」を使って格闘技界で起こり得る(実現してほしい)ドリームカード2つを徹底シミュレーションして、伝説のゲーム「ファイヤープロレス」を振り返ってみたいと思います。
    まず最初にシミュレートしたのは今や実現寸前と言われている世界的なドリームカード。ボクシング無敗の5階級王者フロイド・メイウェザーとUFC2階級王者に輝いたコナー・マクレガーがボクシングマッチで合間見える可能性があるというから穏やかではありません。これはもう外す事は出来ないでしょう。
    当然ながらメイウェザーもマクレガーもファイプロには存在しないため一から作成。ボクシングルールがないので打撃のみが認められるK-1ルールで激突させてみました。

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  • 全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-03-20 22:45  
    77pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは全日本プロレス一筋、渕正信です!
    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 
    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!――今回のテーマは全日本プロレス一筋、渕正信選手です!
    小佐野 私が渕さんを初めて取材したのは、渕さんの海外武者修行先だったテネシー州ナッシュビルなんですよ。私は大学生のときから『ゴング』で仕事をしていたんですけど、1981年の夏にアメリカのテリトリーを3週間回っていて。ナッシュビルに行く前はダラスにいたんです。
    ――フリッツ・フォン・エリックの鉄の爪王国ですね。
    小佐野 そのときはカブキさんがメインイベンターで、上田馬之助さんも「テングー」というリングネームで試合に出ていて。興行が終わったあと上田さんに車でダラスのバス停まで送ってもらって。そこからバスの中で一晩過ごしてナッシュビルに着いたんです。
    ――旅慣れてる感じがしますね(笑)。
    小佐野 アメリカのプロレスが好きだったからどこにどの州があるのかはだいたいは知っていたけど、距離感はまったくわからないですけどね。『地球の歩き方』を一冊持っていただけで、目的地に着いたらイエローページで現地のホテルを調べて電話するか、飛び込みで部屋があるか聞いて。ナッシュビルに着いてからは渕さんと大仁田さんが移動からメシからすべて面倒を見てくれたんです。泊まるところも彼らのアパートだったし。
    ――初めて会った渕さんにはどんな印象が抱きました?
    小佐野 私は『ゴング』に入る前は新日本プロレスのファンクラブをやっていたから、全日本より新日本のレスラーのほうが詳しかったんですけど。渕さんは新日本のレスラーっぽかった。
    ――どういうことですか?
    小佐野 思考が新日本のレスラーに近いんですよ。会話してみると「ギャラが貯まったら、そのうちバーン・ガニアのレスリングキャンプか、フロリダのゴッチさんのところで練習をしたいんだよね」って言うですね。
    ――大仁田さんとは違ったんですか?
    小佐野 大仁田さんはパフォーマーとしての自分を磨いていったから。アメリカンプロレスを研究したのが大仁田厚、レスリングを学んでいたのが渕正信。当時の2人はマサ・フチとミスター・オオニタを名乗っていて、ヒールとしてAWA南部タッグチャンピオンだったんですけど、試合のときは必ず渕さんが先発。なぜかといえば、どんなヒールでも先発で出たら必ずレスリングをやるでしょ。渕さんはレスリングをやりたいから先発だったんです。
    ――そんな渕さんが全日本に入団したのはどういう理由だったんですか?
    小佐野 それは馬場さんの大ファンだったから。渕さんはもの凄いプロレスファンで、当時のプロレス雑誌『プロレス&ボクシング』や『ゴング』なんかも当然読んでいて。八幡大学付属高校では陸上部だったんだけど、3年のときにレスリング部に駆り出されて県大会に出たらいきなり優勝しちゃったそうなんですよね。
    ――キャリア1年で優勝ですか(笑)。
    小佐野 そのまま大学に進んだ年の10月に馬場さんが全日本プロレスを旗揚げしたんです。渕さんからすると、大学のレスリング部はそんなに強くないし、これが運命だと勝手に感じて、馬場さんが全日本を旗揚げする以前…8月に日本プロレスを退団した時点で大学をやめてプロレスラーになることを決めたんですよ。
    ――おもいきりましたねぇ。
    小佐野 あの年代は加山雄三ファンが多いでしょ。福岡から上京した渕さんは湘南のほうに家を借りてね(笑)。
    ――ハハハハハハ!
    小佐野 アルバイトしながら自己流で身体を鍛えてチャンスを伺って。クリスマスは女の子とデートしたいし、もうちょっと遊びたいから入門するのはあとに伸ばして(笑)。結局73年3月に入門したんです。
    ――簡単に入門できたんですか?
    小佐野 アポなしで全日本の事務所に行ったら事務所の人間に「道場へ行ってください」と言われて。当時の全日本はまだ道場がなくて、恵比寿の山田ジムというキックボクシングジムが練習場。そこへ行ったら、アメリカ修行直前のジャンボ鶴田さんが道場の掃除をしていたんですよ。キックの人たちは夕方から練習するから、昼間は全日本が使っていい。夕方までに掃除をしないといけなかったんですね。
    ――鶴田さんの掃除姿はレアですね(笑)。
    小佐野 2人は同世代だし、渕さんがレスリングをやっていたことを知ると「いまからレスリングをやろう」と誘われて。鶴田さんはオリンピックレスラーだから渕さんはとても相手にはならないんだけど、当時はアマレスやってる人はそんなにいなかったから、鶴田さんは大喜びで。帰り道にラーメンをおごってくれて「これからボクはアメリカに行ってしまうけど、日本に戻ってくるまで必ずいてね」と。それで入門です。
    ――入門できたのは鶴田さんなんですね(笑)。
    小佐野 そこは鶴田さんが口添えしてくれたんだと思う。当時はまだ寮もなかったから、全日本が目白のマンションを借りていたのかな。佐藤昭雄さん、鶴田さんが住んでいたところに渕さんも加わって。だから全日本入門第1号は鶴田さん、2号は渕さん。でも、公式的には入門第2号は大仁田厚ということになってるんでしょ
    ――そういえば!
    小佐野 渕さんは大仁田さんより先に入門してるんですよ。でも、どうして大仁田さんが第2号の扱いになってるかというと、渕さんは一度全日本をやめてるんです。
    ――出戻りなんですか。
    小佐野 渕さんは入門してすぐ巡業に連れて行かれて、バトルロイヤルにも出てるんです。タイツはまだ作ってなかったから百田光雄さんのものを借りたのかな。その巡業の途中に渕さんのお父さんが脳溢血で倒れたという連絡が入り、実家の福岡に帰ることになった。馬場さんも「父親の容態が良くなったら戻ってこい」ということで、それでいったんやめたんです。ところが実家に戻ってみたら、お父さんの容態はそんなに大したことはなくて。お父さんとしては渕さんを大学に戻したかったみたいですね。
    ――方便だったんですね(笑)。
    小佐野 そうそう(笑)。渕さんは2〜3ヵ月かけてお父さんを説得して、また上京したんです。いきなり全日本に戻るのはバツが悪いから、再び湘南に住んでアルバイト生活。前に入門した同じ時期の74年3月にもう一度全日本に入ったんですよね。
    ――再入門は許されたんですか?
    小佐野 そのときはテストを受けたそうですね。その頃はマシオ駒さんが道場のコーチをやっていて。「何時に道場に来い」と言われたんですけど、春闘のストに巻き込まれて遅刻しちゃったんですよ。
    ――それはマズイですね……。
    小佐野 マシオ駒さんから「何をやってたんだ!?」といきなりブン殴られて。そのあとスクワット500回やらされて、100回ブン投げられて受け身を取らされて、それで再入門オッケー。
    ――テスト前に殴られるって凄いですね(笑)。
    小佐野 100回投げられるのも大変ですよ。その模様を見ていた大仁田さんは「……死ぬんじゃないか」って震えていたそうですし(笑)。正式デビューは大仁田さんのほうが早くて、その数日後に渕さんが大仁田さん相手にデビュー。その年に夏にハル薗田さんが入門して、3人が三羽烏と呼ばれるようになったんです。渕さんにとって幸せだったのは一流外国人レスラーが全日本にたくさん来ていたこと。ビル・ロビンソンや、レスリングが強かったアイアン・シークたちに教えてもらえたんですね。
    ――素晴らしい環境だったんですね。
    小佐野 ロビンソンは鶴田さんにも教えていて、興行開始のリング上でガチンコの練習もやっていたんですよ。
    ――鶴田さんとロビンソンのスパー! 
    小佐野 たまに渕さんもその中に入ってサブミッションの教わってたそうですけど。かなり大変だったと言ってましたね。
    ――全日本にもそういう場があったんですねぇ。
    小佐野 だから渕さんも自信があったんでしょうね。渕さんは『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』にも出てきた岩釣(兼生)さんともスパーリングをやってましたから。
    ――木村政彦の弟子ですね。
    小佐野 岩釣さんは馬場さんに挑戦にしてきたけど、「全日本に入門する、しない」というの話になったでしょ。山田ジムで渕さんと岩釣さんがスパーすることになって、馬場さんは「おまえが負けたら俺がやらないといけなくなっちゃいんだよなあ……」と言っていたから、渕さんは「絶対に負けちゃいけない」と意気込んで。それで5分間やって引き分け。
    ――岩釣さん相手に。
    小佐野 やっぱり柔道家は裸のレスリングは慣れていないし、プロレスラーはスタミナが凄いでしょ。頑張れちゃうんですよ。岩釣さんは「プロレスって大変なんですね」って言って帰ったみたいで。
    ――渕さん、やりますねぇ。
    小佐野 馬場さんはもしかしたら岩釣さんと渕さんのスパーに血が騒いだのか、珍しく「おい、やるか」ってことで渕さんとスパーリングをやったそうなんです。馬場さんに首根っこを掴まれた渕さんはキャンバスに寝かされ、顔面に肘打ちを食らって鼻血を出して、腕を極められて……。
    ――キラー馬場!
    小佐野 馬場さんは「悪かった悪かった」と。そんなことが1回だけあったそうですよ。やっぱり馬場さんは身体が大きいから、いったん押さえつけられるともう動くことはできないって。この続きも読める「14万字・詰め合わせセット」がお得です!
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  • アルティメットクラッシュ…新日本プロレスと総合格闘技■ズンドコ・トラブル興行研究会<漁師JJ・編>

    2017-03-20 22:22  
    55pt
    「ズンドコ・トラブル興行研究会」!! プロレス格闘技のウラに精通する書き手たちがマット界を騒がせたズンドコな事件を振り返ります! 今回はプロレスブログ「多重ロマンチック」の漁師JJさんです。・ズンドコ・トラブル興行研究会ダフ屋と興行師の哀歌!! 岩手水沢騒動<小泉悦史・編>http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1216955アルティメットクラッシュ。プロレス界にそのワードが響いたのはアゴヒゲアザラシのタマちゃんが多摩川に現れ、SMAPの歌う「世界に一つだけの花」が大ヒット。タマちゃんを自然に返そうと白装束でやってきたパナウェーブ研究所が世間をにぎわすころだった。
    新日本プロレスオーナー、アントニオ猪木はこう言った。「ドーム不入りなら(興行にかかわる選手、スタッフ)全員クビだ。どっちが強いのかが見たい」、「面白くなかったら全員ピラニアに食わせる、フッフフ」。
    暗黒期と呼ばれた2003年。当時の新日本プロレスといえば、オーナー・アントニオ猪木の命により、新日本の選手が次々総合格闘技に踏み入れ撃沈。マッチメイクを担当していた上井文彦もこの状況を苦々しく思っていた一人だった。いつ何時誰とでもといえ、ほとんどの選手は突然のオファーでプロレスの巡業の合間を縫っての総合参戦。相手の対策もできず、そりゃ勝てるわけがない。
    オーナーの意見は絶対。しかし状況を変えなければ。上井によれば、企画されたのは1・4東京ドームが終わりひと段落したときだ。「今までよそのリングで好き放題にコテンパンにやられてきたけど、だったらホームリングで逆にこてんぱんにやっつけてやりゃええ」(辰巳出版「「ゼロ年代」狂騒のプロレス暗黒期」より)。浮かんだ無垢な理想とアイディアは、新日本プロレスという舞台で総合格闘技をやればいいという企画だった。そうすれば事前対策も準備か期間も設けられる。きっとそうなるはずだった。この続きも読める「14万字・詰め合わせセット」がお得です!
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