• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 19件
  • 【13万字・記事17本詰め合わせセット】船木誠勝とUWF、井上直樹、金太郎、中村倫也、昇侍……

    2021-08-31 23:59  
    600pt
    非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! part91大好評記事17本13万字で600円!!(税込み)
    ◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉
    part91



    ◎船木誠勝「2021年のUWF」14000字インタビュー
    ◎【RIZIN井上直樹戦】金太郎「絶対にジャイアントキリング起こしたりますよ」
    ◎WWEを追い詰める「CMパンクとダニエル・ブライアンのAEW移籍説」
    ◎前田日明の「噛ませ犬」だけではないポール・オーンドーフの功績■斎藤文彦INTERVIEWS
    ◎沖縄初の修斗世界王者・平良達郎はこうして生まれた■松根良太
    ◎なぜ私はTDTのスポンサーオファーを断ったのか■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク
    ◎弱火なビッグマウス!井上直樹「金太郎選手は……実績的に……やってもなあって」
    ◎静岡プロレスとは何だったのか■インディの帝王・佐野直インタビュー②
    ◎髙谷裕之インタビュー「LDH martial arts」が格闘技の未来をつくる
    ◎「もうやめるはずだったんです」……すれ違いのRIZIN、大塚隆史人生劇場
    ◎プロレスラーTAJIRIはなぜコラムを書き続けるのか
    ◎最狂夫婦がRIZINに襲来! 久保優太&サラ「なんなら嫌われたいぐらい」
    ◎AEWとドミノ・ピザが巻き起こすプロレス流血問題
    ◎“修斗伝承者”中村倫也 日本格闘技界の歴史と未来を背負う男
    ◎なぜ私が東京女子プロレスの解説を?■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
    ◎なぜRIZINのPPV価格は5000円なのか
    ◎昇侍インタビュー「どこでも昇侍がRIZINでどこまでやれるのか」

    ◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉GLEAT旗揚げ戦で強烈な「2021年のUWFスタイル」を披露した船木誠勝インタビュー。14000字でUWFスタイルに迫ります!(聞き手/ジャン斉藤)
    ――先日のGLEAT旗揚げ戦は、船木さんの試合が一番衝撃的だったという声が挙がってまして。
    船木  それはどういうことなんですかね。
    ――「これぞUWF!」という肯定的な感想ですね。
    船木 なるほど、それは安心しました(笑)。
    ――淀みのない動きや、みなぎる緊張感。UWFスタイルを初めて見るファンも、他の試合とはレベルが違うことがひと目で理解できたと思います。
    船木 いまUWFの試合をやろうとすれば、ああいうかたちになってしまうんですけど。
    ――いまUWFをやれば、あの試合になるわけですか。
    船木 はい。2021年のプロレス格闘技界を見渡して「 UWFスタイルって何かな?」って考えたときに、ああいうスタイルになってしまいます。今回のスタイルは自分の中ではプロレスなので、格闘技ではなくUWFスタイルをやればああなってしまいますね。
    ――たしかに間合いや動きがMMAっぽかったんですけど、やっぱりMMAの影響は捨てきれないわけですね。
    船木 そうですね。UWFスタイルは総合格闘技の技術を使わないと成立しないと思ってるので。 そこは今回の他の試合とはちょっと違うのかもしれませんね。 プロレスしかやってない選手はプロレスの中で格闘技っぽい技をやったり、 ロープに振らなかったり、あとはをあえて技を受けたりした選手もいましたね。でも、自分の中ではそれらの手法はなかったんです。
    ――なるほど。他のUWFルールは3試合ありましたが、ごらんになったんですね。
    船木  モニターがありましたので、ちょこちょこですけど。
    ――最初のタッグマッチはどう思われましたか?
    船木  タッグマッチになると、どうしてもゲーム的になるというか。ちょっと気になったのは、そのへんのルールがその前のプロレスルールの試合とどう違ったのか、 お客さんはその違いをちゃんと把握していたのか。さっきまではロープに振ったり、走ったりしていたのに今回はなぜ限定されるのか。そこらへんをお客さんが掴めているのかなと。ルールが限定されるということは、つまり動きが減っていくことですから。それが楽しいのかどうか。ルールに縛られると、回りくどくなってしまうような感じがしまからね。
    ――使える技が限定されると単調になりがちですね。
    船木  興奮する試合になれば、お客さんもそのへんは取っ払って熱狂できるんですけど。 あんまり名前が知られてない選手同士がやると「どうなの、これ?」となりかねない。試合内容がものすごく重要になってくるような気がします。
    ――女子(橋本千紘vs福田茉耶)の試合はどうでしたか?
    船木  あの試合はちょうど自分の前の試合だったので、声だけしか聞こえなかったんですよ。新人(福田茉耶)の子は田村(潔司)が教えてるんですよね。 マッチメイク自体をいうと、体格差がありすぎるような気がしますね。 
    ――体格は橋本選手が圧倒的に有利でしたね。
    船木 あの体格差を見ちゃうと、新人の子が勝つことは無理かなって思っちゃうじゃないですか。
    ――ああ、なるほど。体格に開きがあるのは格闘技としては難しいと。
    船木  UWFもあのまま続けていれば階級制を取り入れたと思うんですよ。 橋本選手と新人の子はヘビーとジュニアぐらいの差があったと思います。 そのへんの曖昧さはどうなのかなと。普通のプロレスとしてみれば普通にありなんですけど、自分と戦った飯塚(優)選手も若干サイズが小さいから、お客さんは明らかに自分のほうが勝つんじゃないかと見られるわけじゃないですか。そういう意味では、自分が試合において不利な体勢になることは絶対に見せられないわけです。
    ――そこまで考えて戦うと……。そういえば橋本選手が福田選手のハイキックを食らってフラフラするシーンにリアリティをあまり感じなかったのは、経験や体格差前提で見ていたからかもしれません。
    船木 そこだと思うんですよね。実際に「格闘技として戦ってみたらどうなるのか」を基本に試合をしたほうがいいんじゃないかと思いました。 自分だけそう思ってるのかもしれないですけど(笑)。自分が UWFをやってた時代はですよ、 みんなが真剣勝負として見ていたわけじゃないですか、プロレスじゃなくて。
    ――競技として見ていたわけですよね。
    船木 いまの時代でも、その部分は残さないとUWF スタイルは無理だと思うんです。 となると、勝ち負けはすごく重要になってくると思うんです。
    ――現在はMMA というジャンルが確立されていますが、UWFの根っこは変わらずそこにあるべきだと。
    船木 もともとが格闘技をやろうとしていたプロレス団体だったわけじゃないですか。そこから藤原組、リングス、Uインターに分かれたときに、 ちょっとずつかたちが変わって。 藤原組からまた分かれたパンクラスは完全に格闘技になっちゃいましたし、リングスも最終的には格闘技になりましたよね。最初はみんなプロレスだったわけですよ。そのもとを正せば新日本プロレスなんですけどね。 
    ――ここ最近AKIRAさんの話を聞く機会があったんですけど、 新日本の前座は UWFほどの格闘技スタイルではなかったけど、限定された動きの中でテクニックを競うものだったと。
    船木 ああ、そうです。新日本の前座はまさにそういう試合でした。 道場でセメントの練習をしないと絶対に無理ですね。理にかなった試合展開にはなると思います。
    ――プロレスのグラウンドって型的な動きもあるわけじゃないですか。
    船木 そういう型的な動きは試合で覚えていくんです。だから前座の試合はヘタでしたよ、みんな。道場で“試合の練習”はしないですからね。ぶっつけ本番でやってますから。 でも、ヘタでよかったんですよ、前座ですから。 上の試合になるに従って綺麗な動きや技が見せるわけですから。前座のプロレスは元気が一番でしたよね(笑)。「技を何かやろうとするな。オマエたちから元気を取ったら何が残るんだ」ってよく怒られましたよ。
    ――そこは全日本プロレスとは違うわけですよね。
    船木 そこは猪木さんに繋がっていく伝統的なスタイルだったとは思いますね。ただ、いま思えば新日本のスタイルは日本だけだと思いますね。
    ――みんな「新日本だけのスタイル」と言ってるんですよね(笑)。
    船木 特殊なところだなあと思います。 そんなとこでプロレスを学んだので自分なんかは相当、特殊な人間だと思ってます(笑)。
    ――ハハハハハハハ! AKIRAさんが5年前に船木さんの興行で試合をしたとき、おもいきり蹴られて「懐かしかった」と言ってましたね。
    船木  痛かったと思いますよ。あんな蹴り、外国人レスラーにやったら怒られますよ(笑)。
    ――そういうスタイルが先鋭化していったのがUWFという解釈でよろしいですか。
    船木 最初のUWFは佐山(聡)さんが途中からシューティングに切り替えようとしたらしいですね。藤原(喜明)さんは新日本と同じスタイルでやっていたらダメだと思ってたらしいんですよ。で、道場の練習をそのまま見せる、リング上で解禁しちゃうと。それがいろいろと組み合わさってできたのが旧UWF のスタイルなんでしょうね。 最初から格闘技にしようという方向ではなかったと思うんです。格闘技としての色が濃くなっていたのは新生UWFになってからです。
    ――UWFに移籍した船木さんは格闘技としてのスタイルをやりたかったんですか?
    船木 新日本にUWF軍団が帰ってきて対抗戦をやっていたじゃないですか。若手の自分は安生(洋二)さん、中野(巽耀)さんと前座で試合をしていたり。ああいう感じで新生UWFでやろうとしたんですよ。 つまり対抗戦みたいな感じですよね。自分は途中から入るわけですから完璧なUWFの選手ではない。1人ぐらい違う戦いをする奴がいても大丈夫かなと思ってたんですよね。
    ――つまりイデオロギー闘争をUWF でもやろうとしたってことですね。
    船木 そうですね。自分の中では海外に行く前に見た高田さんや越中さんの試合がUWFだと思ってたんです。 あの試合で記憶が止まってるじゃないですか。それは自分が勝手に想像していただけなので、ろくに中身を見ないで移籍してしまったわけですよね(笑)。
    ――そんな勘違いがあったんですか!(笑)。
    船木 でも、新生UWFはスポンサーに対して新しい格闘技をやると説明していたというか、 プロレスから移行していくという方針が最初の1年間でできあがっていたみたいなんですね。 その説明を自分はされてなかったので、リングに上って初めて「あれ?」と思ってですね。だからドロップキックをやったりとか、自分なりに抵抗していたんですけども(笑)。
    ――新生UWFの方向性をよくわかってなかったんですね(笑)。
    船木  凱旋帰国試合で藤原さんとやりましたけど、藤原さんも新日本プロレスの人間。 だから試合もどこかプロレスっぽいところがあって。 藤原さんが試合途中に頭突きをしたら、藤原さんの反則負けで。
    ――新生UWFで頭突きは反則になったんですよね。
    船木  せっかく自分の凱旋帰国試合だったので、マイクで「ちゃんと決着をつけたい。藤原さん、もう一度やりましょう」とアピールしたんですよね。 それで延長戦が始まって、自分がヒザ十字で負けたんですけど、 マイクを使って延長したことが新生ではダメだったらしいですね。新生UWFはプロレスではないんだと。
    ――新生UWFの格闘技スタイルはあくまでもスポンサーやイメージづくりの一環もあったということですね。
    船木 そうだと思いますね。新生の理想は格闘技的、スポーツ的。月に1度しか試合がないわけですから、ひたすら道場で練習するんですよ。 本当にヒマなので練習するしかない。試合会場よりは道場が主ですよね。
    ――こういう話を聞くと船木さんには強い思想がなかったように見えちゃうんですが、鈴木みのるさんとの博多スターレーンの試合はかなり実験的で衝撃的だったじゃないですか。
    船木 あれは自分がフライングしてやってしまった試合というか。 UWFを格闘技的にしたいんだったら、じゃあ格闘技をやってしまおうと。それにレガースを履かないとキックができないというルールに対しても反抗したかったというか。だったらプロレスのシューズだけを履いて格闘技の試合をやってやろうと思ったんですよ。 とにかく反発ばっかりですよね(笑)。
    ――船木さんからすればプロレスをやるんだったらプロレス、格闘技をやりたいんだったら格闘技をやりたいってことですよね。 
    船木 はい。 そのへんのことをちゃんと聞きたくて、全体会議のときに前田(日明)さんに「いつになったらできるんですか」って聞いたら「あと3年」と。 あと3年でお客さんを育てなきゃいけない。 自分としてはちょっと気が遠くなったというか、 3年間もはっきりとしない時期が続くのかなあと。
    ――話を聞くかぎり、船木さんの中では明確なUWF スタイルというのはなかったということですよね。
    船木 ないです。なかったです。 あるわけないです、そんなもの(笑)。
    ――ハハハハハハハ!
    船木  自分が作った団体ではないですし、 誘われたから移籍したわけで。移籍する前、高田(延彦)さんに「プロレスの技を使ってもいいんですか?」って聞いたんですよ。そのとき高田さんは適当に答えたと思うんですけど「使える技はね」と。それは「相手と協力しないとできない技はダメだよ」ってことだと思うんですけど、正直、高田さんもよくわかってなかったと思いますけどね。
    ――みんな手探りだったという。
    船木 自分はUWFに移籍する前、ヨーロッパにいたじゃないですか。日本からプロレス雑誌が送られてくるわけですけど、 そこに載ってる写真を見てUWFのスタイルをイメージするしかなかったんですよね。蹴ってる写真、投げてる写真、関節を極めている写真だけじゃないですか。 「いったいどんな試合をしてるんだろうな」と。 とんでもない試合をしてるんだろうなっていうイメージですよね。
    ―― 実際に見てみたら、ちょっと違ったわけですよね。
    船木 正直そうですよね。要するに格闘技の技を使うプロレス。ダウンしたら、今度は反対の選手がダウンする。そこで盛り上がるのはわかりました。
    ――前田さんが顔面ヒザ蹴りで田村さんを長期欠場に追い込んだ試合があったじゃないですか。あれはUWFスタイルだと思いますか?この続きと、大好評記事17本13万字の詰め合わせセットはまだまだ続く…… 
  • 昇侍インタビュー「どこでも昇侍がRIZINでどこまでやれるのか」

    2021-08-28 14:41  
    110pt
    朝倉海戦以来、1年ぶりのRIZIN参戦となる昇侍インタビュー。「どこでも昇侍」は、どこでも厳しい道を歩んでいました(聞き手/ジャン斉藤)【1記事から購入できるバック・ナンバー】・「勝ち方がわかりません……」コーナーマン八隅孝平が見た矢地祐介復活勝利の裏側・フィーリング頭脳派・元谷友貴は何を考えているのか・RIZIN漢塾 塾長・石渡伸太郎“引退”1万字インタビュー・ボンサイ柔術「朝倉未来・ムサエフ攻略」の裏側■“怪物くん”鈴木博昭
    ――昇侍選手は2回目のRIZIN参戦ですが、最近はファンの方からイジられキャラになってるというか、 「どこでも昇侍」という愛称が定着して……。
    昇侍 ハハハハハ! 
    ――選手のSNSなんかで昇侍選手の姿がよく見かけるからですけど。このネーミングはどう思われましたか?
    昇侍 …… ちょっと面白かったですね(苦笑)。「どこでも」という言葉自体、「どこでも昇侍」か「どこでもドア」しかないじゃないですか。
    ――ドラえもんか、昇侍か(笑)。ご本人には、どこでも顔を出してるなっていう意識ってありました?
    昇侍 いや、そうでもないんですけどね(苦笑)。
    ――「どこでも昇侍」という意識はないわけですね。
    昇侍 格闘技が好きなので、強い選手に会えることは嬉しいし、格闘家は尊敬してるので、そういう人たちの考え方、普段の練習する姿を見て学んで、そうやって自分を高めていきたいという気持ちがけっこう強いので。見え方によっては「どこでも昇侍」に見えるのかなって(笑)。 
    ――昇侍さんは「これだ!」と思ったら、相手にすっと入っていけるんですね。
    昇侍 縁があって知り合った方とは仲良くはします。だけど、ファンがガッカリしない程度の距離は必要なのかなって。
    ――最近のファンはそこはけっこう気にするんですよね。試合後ドミネーター選手が朝倉未来選手のYouTubeに出演したら一部のファンからバッシングがあったり。ドミネーター選手いわく「YouTubeに毒されすぎだ」ってボヤいてましたけど(笑)。
    昇侍 実際、練習も同じ体格じゃないとできないので。練習したことがある選手と試合をすることはけっこうあるんですけどね。
    ――日本は狭いですからね。昇侍選手は2013年のチェ・ドゥホ戦を最後に引退されて、2017年に復帰されましたけど。フェードアウトされているあいだは何をされていたんですか?
    昇侍 一度引退するまでは所属していたKIBAマーシャルアーツクラブでインストラクターをやってたんですけど、チェ・ドゥホに負けて心機一転、違う仕事をしようと。それでラーメン屋で修行をして。
    ――あのチェ・ドゥホ戦に今後の進退を懸けていたんですよね。
    昇侍 この試合に負けるようなら、このまま格闘技を続けても……と。18歳ぐらいから格闘技を始めて、あたりまえのように格闘技をやってきて。実際に離れてみると、自分にとって人生のすべてが格闘技にあったんだな、 こんなに好きだったんだな……と。そこをあらためて痛感して。お金はもちろん大切だし、だけれども、いましかできないこと。自分の中で自問自答をして、一番やりたいことは格闘技だったことがわかったんですよね。
    ――昇侍選手は高校時代、元プロ野球の投手でパ・リーグ新人王・八木智哉さんと一緒に野球をやられていて。 昇侍さんが格闘技の進退を考えていた頃、八木さんは日本ハムファイターズからトレードされたり、オリックス・バファローズから戦力外通告されたんですよね。
    昇侍 そうです。よく知ってますね(笑)。
    ――その件も影響があったんですか?
    昇侍 それはめちゃくちゃ影響ありましたよ。プロ野球は結果を出さなければ戦力外通告される。クビを切られたら野球をやりたくてもできません。 そういったシビアな世界で同級生の智哉が頑張ってる姿を見ていて。逆に格闘技というのは、やりたければずっとできる世界なので、線引きを決めずに続けることのリスクもあるというか。
    ――やろうと思えば続けられるからこそ、リスクを抱えることになるんですね。
    昇侍  それは身体のダメージとか、お金や将来のことを含めて。それでいったん線を引いたんですけど……戻って来ちゃいましたね(苦笑)。
    ――ラーメン屋ではどれくらい修行されたんですか?
    昇侍 2年半ですかね。店を出せるくらいまで勉強したんですけど。
    ――ちなみにラーメンはいま作っても美味しいんですか?(笑)。
    昇侍 あ、美味しいです。自信があります。醤油ラーメン、喜多方ラーメンですけど、料理はなんでも作れるようになりました。
    ――そのあいだはトレーニングはされてたんですか?
    昇侍  はい。仕事の合間に重りを背負って走ってましたね。
    ――えっ、どういうことですか?(笑)。 
    昇侍 いつでも復活できるように25キロのパワージャケットを着て、いつでも5分3ラウンド戦えるように走ってました。
    ――全然引退してないですよ!(笑)。 ラーメン修行をしながらも、心は格闘技に……。
    昇侍 そうですね。やっぱり自分のやりたいものは格闘技なんだなって。
    ――そこまで格闘技を忘れられないのなら、最初に引退されたときの悔しさってすごかったんじゃないですか。
    昇侍 悔しさはありましたけど、日本の格闘技界で食っていくことって当時はかなり厳しかったじゃないですか。 UFCとか世界で活躍するレベルまで行かないと、続けても厳しいという中で、その天秤にかけたのがチェ・ドゥホ戦で。 
    ――チェ・ドゥホはその後UFCで活躍してますし、相当強敵でしたよね。 だからこそ天秤にかける相手としては格好だったという。
    昇侍 あの試合のダメージも凄かったですし。半年くらい頭痛が収まらなかったり……。
    ――そういうこともあって、ここが潮時なんじゃないかと。それでも復帰しようと思ったきっかけはなんだったんですか?
    昇侍 ずっと心の中でしこりというか、格闘技に戻りたいという思いがどんどん大きくなっていきましたね。
    ――それでトイカツこと戸井田カツヤさんのフィットネスジムに関わることになって。 
    昇侍 もともと戸井田社長とは現役時代、練習もやってましたし 、キックボクシングの『ファイトフィット』というブランドを都内で40店舗近く展開してるんですけど。そういったビジネスモデルを確立されたのが戸井田社長の実績で。以前の自分の中では格闘技をビジネスにすることはできないなって思ってたんですよ。 昔はそうだったじゃないですか。
    ――昔は試合で稼ぐくらいですよね。
    昇侍 いまは一般の人に格闘技を教えることが仕事になるので、いつか自分もジムをやったりするつもりなので、戸井田社長のところで勉強させてもらいながら格闘技の練習環境を作ろうと。戸井田社長にお願いして入社させていただきました。
    ――格闘技を続けるには何かしら生活の安定基盤が必要だということですね。 
    昇侍 そうですね。東京に出てきて一人暮らしをしながら格闘技をやる人はいっぱいいると思うんですけど。すぐには格闘技では稼げないですから、安定した仕事をしないとプロとしてやってくことは難しいので。復帰するにあたり、いまの自分があるのは戸井田社長のおかげであることは間違いないですね。
    ――トレーニングはしていたとはいえブランクは感じました?
    昇侍 やっぱり試合間隔というのはけっこうあるもので。「ない」と思っててもありますよね。試合を重ねていくことで徐々に感覚を取り戻した感じですね。
    ――昇侍さんは野球の強豪校(日本航空高等学校)でプレイしてたぐらいだから体力は相当あったんでしょうね。
    昇侍 プロ野球に行くような智哉と比べれば、球技センスはなかったですけど、身体能力はありましたね。 
    ――ポジションはどこだったんですか?
    昇侍 センターですね。ベンチ入りできるか、できないかで……。
    ――甲子園3回戦まで進んだチームで、すごいじゃないですか!
    この続きと、船木誠勝とUWF、井上直樹、金太郎、中村倫也、昇侍……などの8月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事17本の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2046818この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事110円から購入できます!
     
  • なぜRIZINのPPV価格は5000円なのか

    2021-08-23 20:35  
    110pt
    この記事は『RIZIN LANDMARK vol.1 』を語ったDropkickニコ生配信を編集したものです(語り:ジャン斉藤)【1記事から購入できるバックナンバー】・ボンサイ柔術「朝倉未来・ムサエフ攻略」の裏側■“怪物くん”鈴木博昭
    ・ホベルト・サトシ・ソウザは何が凄いのか?■柔術ライター・橋本欽也・死に様までを見せつける全裸格闘家コナー・マクレガー

    ・“台風の目の中の男”斎藤裕をめぐる騒動の解釈
    今日の配信は22時開始でしたけど、設定を間違えて20時開始にしてしまって。30分近く無音の配信が行われてしまっていたという(笑)。本当にすいません! でも、それなりの視聴者が集まっていたようで、配信のコメント欄を見たら『RIZIN LANDMARK vol.1 』のPPV価格について議論が起きてましたね、無音の配信なのに(笑)。まさしく「3人集まれば派閥が生まれる」ってやつです。
    ついに配信似特化したRIZINスタジオマッチ、『RIZIN LANDMARK』が始まるわけですが、すごく呼びづらい名称ですよね。『RIZIN CONFESSIONS』は通称「ライコン」ですけど、縮めて「ライラン」ってピンとこないですし。ここはいっそのこと「RIZINランド」にすれば、中西学さんが登場しそうでゴキゲンじゃないですか。いまのRIZINファンには伝わらないネタですね。
    この「RIZINランド」にかぎらずPPV価格5000円は以前から高いという批判の声は挙がってましたが、まあ高い・安いは人それぞれですからね。自由に意見して全然いいと思うんですよね。ただ、ビジネスとして分析するなら市場や経営者目線がないとトンチンカンになってしまいます。「お金がないから安くしろ!」って言ってもいいんですけど、経営面を語るのなら場合はなんの分析でもないじゃないですか。日本市場の現状だと安くしたから売れるってわけではないですし。なぜRIZINがPPVの価格を値上げしたかといえば、新型コロナで経営が大変だという前提があるわけです。
    この続きと、船木誠勝とUWF、井上直樹、金太郎、中村倫也、昇侍……などの8月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事17本の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2046818この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事110円から購入できます!
     
  • なぜ私が東京女子プロレスの解説を?■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2021-08-23 20:14  
    110pt

    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは女子プロレスです!




    <1記事から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!>
    一流レスラー輩出工場ドラゴンゲート
    義足でプロレス復帰する凄いヤツ! 谷津嘉章」
    プロレス不透明決着を考える
    【vs秋山準】男色ディーノは脱いではいけなかった「IWGP世界ヘビー級王座」新設
    武藤敬司と秋山準、Wタイトル奪取&入団の衝撃秋山準の“三冠外し”マイクとは何か
    杉浦貴……いいときも、悪いときも、ノアで戦い続けた男
    G1、チャンカン、N-1……秋の3大リーグ戦・総括


    追悼ロード・ウォリアーズ
    SWSは企業プロレスだったのか『ゴング』と東スポの元記者が語るプロレスマスコミ黄金時代/小佐野景浩☓寿浦恵一
    名子役から名優へ…中嶋勝彦
    デビュー戦から見た木村花というプロレスラー
    小川良成…孤独と苦難から生まれた「孤高のテクニシャン」新型コロナ禍の中のプロレスW-1活動休止、NOAH新体制、全日本はWWEと接近?追悼“喧嘩日本一”ケンドー・ナガサキ
    【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」
    新生NOAHは何が変わったのか?
    獣神サンダー・ライガーと山田恵一プロレス者の青春「竹内宏介とザ・マニアックス」ケンドー・カシンの数奇で偏屈なマスクマン人生日本のプロレスを変えた「浅井嘉浩」という男革命戦士・長州力、笑顔でリングを降りる――追悼・青木篤志さん望月成晃×小佐野景浩〜空手家がプロレスラーになるまで〜三銃士、四天王、UWF、邪道…平成のプロレスを変えた5つの勝負ジャイアント馬場没20年追善興行と飯塚高史引退試合北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」多発するプロレスラーのケガを考える愛すべき元横綱・輪島が戦った全日本プロレスの2年間全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話プロレスラーが憧れたプロレスラー、マサ斎藤さんあの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩最後まで全日本プロレスを愛した馬場元子さん
    中邑真輔、棚橋弘至、柴田勝頼……新・闘魂三銃士最後のムーンサルトプレス……天才・武藤敬司縁の下の力持ち!! 坂口征二の荒鷲人生WARからイッテンヨンへ! ライオン・ハート時代のクリス・ジェリコ
    「情」で生きる佐々木健介の激烈人生! 
    プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE 暴走親方、諏・訪・魔!!嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!
    全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信
    鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”
    高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿

    ――小佐野さんが東京女子プロレスの解説をやるのは意外性があって面白いですね。
    小佐野 今年の2月から始めてるんだけど、それまで東京女子はそんなに見てはいなかったんですよ。去年の暮れにこの話をもらったときには「なんで私に?」という率直な感想だったんだけど(笑)。
    ――東京女子を束ねるサイバーファイトには何か狙いがあったんですかね。
    小佐野 どうなんだろう。今年からDDTの解説もやるようになったし、サイバーファイトの中で何か変えたいものがあったのかもしれないね。
    ―― DDTの解説をやることになったとき、小佐野さんは「全日本プロレス系をずっと追ってきたマスコミからの目線が必要だったんじゃないか」という話でしたけど。
    小佐野 東京女子もそれと同じことなのかなと思ってね。私が解説をやると、どうしても男子のプロレスの視点になるから。で、東京女子の解説のオファーをもらってから1月4日の後楽園大会を取材することから始まって、まずは選手の顔と名前をすべて覚えなきゃいけない。それまでは山下実優、坂崎ユカ、伊藤麻希ぐらいしか顔と名前は一致しないレベルだったんですよ(笑)。 
    ――正直ボクもその3人くらいです(笑)。
    小佐野  1月4日の後楽園の第1試合は遠藤有栖が鈴芽相手にデビュー戦を行なったんだけど。こっちの勝手なイメージだと、いかにも派手に見せる女子プロという感じで試合を組み立てるのかなと思っていたら、いきなりグラウンドで腕や足を取り合ったりしてるわけですよ。鈴芽もそんなにキャリアがあるわけじゃないのに動けるし、ちゃんとレスリングができる団体なんだってことにまず驚いた。そしてベースが男のプロレスなんですよね。
    ――男のプロレスですか。
    小佐野 教わってるのが女子レスラーじゃないと思う。
    ――これまで男のプロレスを感じた女子プロレスってありますか?
    小佐野 そうだなあ、LLPWかなあ。
    ――L・L・P・W!! 東京女子とはカラーがだいぶ違いますね(笑)。それまでも東京女子の試合は見る機会はあったんですよね?
    小佐野 見ることはあったけど、 DDTのビッグマッチなんかでの賑やかしですよね。なんとなくバラエティっぽい印象が残ってたんだけど、じっくり見ると、ちゃんとした試合の組み立てができるんだってわかった。最近の子はデビュー戦からちゃんと動けるよね。オタオタしない。ちゃんと練習してるんだろうなって。
    ――女子にかぎらず最近のレスラーってデビューから動けますよね。
    小佐野 ある程度、仕上がった状態でデビューするよね。昔は最初からできるほうが変な感じだったし、新人の頃はやっちゃいけない技も多かったから。
    ――いまは早いうちから選手の個性が出せる時代ですね。 
    小佐野 でも、知識がないと、どの選手も一緒に見えたりするでしょ?
    ――ボクはグループアイドルはすべてAKB48に見えますね(笑)。
    小佐野 でも、東京女子の場合はコスチュームで覚えやすかったりするんですよ。顔がわからなくても色で覚えられる。あと選手のキャラが被らないから、1~2回見ただけでどんな選手か把握できるんだよね。
    ――本格的に見出した小佐野さんが言うんだから間違いないんでしょうね(笑)。
    小佐野 東京女子の実況解説席には村田(晴郎)さん、 三田(佐代子)さんがいるし、私はゲスト的な感じで喋ってればよかったんだけど。8月7日の名古屋大会が荒井優希の凱旋初試合だったんですよ。
    ――SKE48の荒井優希。
    小佐野  その大会は解説がユリオカ超特急さんで、解説は私だけの編成だったんです(笑)。ユリオカさんは知識豊富なプロレスファンで、SKEの大ファン。とはいえ村田さんや三田さんはいないし、ユリオカさんと解説仕事で喋るのは2005年の『週刊ゴング』にDVDの付録をつけたときに実況解説をやったとき以来なんですよ。それはブルーザー・ブロディの海外試合なんかが収録されてるのかな。
    ――非常に『ゴング』らしい付録ですね(笑)。
    小佐野 ユリオカさんがどれくらい東京女子の知識を持ってるかわからないから、こっちが完璧にしなきゃいけないということで、選手の技をすべて覚えて。そうしたらより深く東京女子のことがわかるようになって、いまでは非常に喋りやすくなりました(笑)。
    ――いまって選手によって技の名前がそれぞれついてるから覚えるのが大変ですよね。何か隙を見せるとSNSですぐに批判されますからね(笑)。
    小佐野 そうそう、ヘタなことは言えないし、間違ったらすぐに指摘されるから(苦笑)。技でいえば女子プロは大変。オリジナルの名前をつけるから。角田奈穂の紫電改という技があるんだけど、 それは太陽ケアのハワイアンスマッシャーなんだよね。だから紫電改を出したあとに「これは太陽ケアのハワイアンスマッシャーですよね」と付け加えると専門家っぽいし、昔のファンは喜んでくれる(笑)。
    ――そういったところが小佐野さんに求められるところなのかもですね(笑)。
    小佐野 東京女子で面白いなと思ったのは技のチョイス。山下実優のアティテュード・アジャストメントとか紫電改とか使う技が渋いんだよね。マニア的。だからそこが男性のプロレスっぽいところなんですよ。 らくという選手のパロ・スペシャルから回転エビ固めはSmile Trainという技の名前で。
    ――さすが小佐野さん、しっかり覚えてますね!(笑)。『ゴング』って女子プロのイメージがあまりなかったですよね。
    小佐野 ないね。 それこそ月刊時代の『ゴング』で女子プロが記事になったのはマッハ文朱がベティ・ニコライに挑戦した試合と、マッハ文朱がジャンボ堀からベルトを取った試合がモノクロページかな。
    ――50年近く前の試合ですね(笑)。
    小佐野 『ゴング』が週刊化された1984年はクラッシュ・ギャルズがオーバーした年で、その年の夏に『炎の聖書』をリリースして。その頃から女子プロの記事を載せるようになったはずだよ。初めてカラーで載せたのがクラッシュ・ギャルズ。
    ――『週プロ』よりは女子プロには熱心じゃなかった印象が……。
    小佐野 竹内(宏介/「日本スポーツ出版社」社長)さんがその昔、女子プロレスラーと付き合っていたからかな(笑)。
    ――そんな理由なんですか!?(笑)。
    小佐野 いや、それはわからないけど。 竹内さんは結婚前に、女子レスラーと親密に付き合っていたらしいよ。内輪の話かと思っていたら、竹内さん本人もトークショーで喋ってたらしいから言ってもいいと思うんだけど。
    ―― クラッシュ以前だと女子プロレスって扱いが難しい感じですよね。
    小佐野  クラッシュ・ギャルズを載せると決めたのは当時の編集長の舟木(昭太郎)さんだから。若手に「おまえ女子プロを取材して来い」って命令して、その記者は長与千種のファンになって帰ってきた(笑)。あの頃はみんな取材に行くと長与千種に惚れて帰ってくるという。
    ――それくらい魅力的だったんですね。いまのマスコミにも言えるんですけど、女子プロレスラー・女子格闘家に取材対象者以上の感情を抱きすぎなんじゃないかって声を大にして言いたいんですけど(笑)。
    小佐野 ハハハハハ! 格闘技もそうなの?
    この続きと、船木誠勝とUWF、井上直樹、金太郎、中村倫也、昇侍……などの8月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事17本の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2046818この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事110円から購入できます!
     
  • “修斗伝承者”中村倫也 日本格闘技界の歴史と未来を背負う男

    2021-08-20 17:00  
    110pt
    レスリングの輝かしい実績を引っさげてMMA転向、LDH martial arts所属ファイターとしてメディアから注目を集め、衝撃的な修斗プロデビュー戦を飾った中村倫也インタビュー。デビュー前から中村が期待されていたのはその実力もさることながら、彼の父・中村晃三氏の存在だ。晃三氏は90年代の中頃から、オーナーとして財政難に苦しむ修斗を救った。「晃三氏がいなかったら修斗は間違いなく消えていた」と当時を知る関係者は振り返る。令和3年、その息子である中村倫也が修斗に現れたのは運命だったのだ(聞き手/ジャン斉藤)
    【1記事¥100から購入できるバックナンバー】レスリングエリートをMMAファイターに育てる方法■宮田和幸インタビュー
    山本宜久「ヒクソンと戦ってるとき、放送禁止用語が聞こえてきたんですよ…」 佐山聡に鉄拳指導された当事者が語る「地獄のシューティング合宿の真実」
    運命のバリジャパ、安生道場破り、幻の長州戦真相――中村頼永インタビュー<ヒクソン来襲編>
    ――2020年4月1日のMMA転向宣言のときから大注目してまして、ツイッターでもやりとりさせていただきましたが……かつて修斗のオーナーだった中村晃三氏のご子息が修斗プロデビュー戦を劇的KO勝ちするってホントに痺れました!
    中村 ありがとございます! 
    ――昔の修斗関係者からの連絡もたくさんあったんじゃないですか? 
    中村 会場にも来てくれて。北森(代紀)さんが「15年20年ぶりに見る人がいっぱいいるよ」って。当時『大宮健康センター ゆの郷』で働いてた人とか。
    ――事業家のお父さんが経営されていた『ゆの郷』のそばにシューティングジム大宮もつくられて、日本中に総合格闘技が広まるきっかけになったという……。ボクはシューティング時代からの大ファンなんですけど、『ゆの郷』に行ったことがないのがくやしくて(笑)。
    中村 ハハハハハ、まあ潰れちゃったっすからね。
    ――『FIGHTER BATTLE AUDITION』の最終選考でも実質的なプロデビュー戦があったといえ、今回はキャリアが違う相手(論田愛空隆)でしたけ。対戦相手を告げられたときはどういう印象だったんですか?
    中村 映像を見て……率直に「いい相手だなぁ」と。MMAの怖さはやっぱりレスリングのときとは全然違いますね。打撃の一発があるし、まさにそれを狙ってくる選手だと思ったので。でも、試合を作り込む段階、アップしてるときに、この集中の仕方ならこれなら大丈夫だと。
    ――髙谷(裕之)さんも中村選手の実力に自信があるから、こういうマッチメイクを受けたと思ったんです。そういった周囲の期待は感じましたか?
    中村 はい、そうですね。ボク『FIGHTER BATTLE AUDITION』を引っ張るって感じでやってきてて、練習でやられることもないんで。なかなかの期待感とプレッシャーはありつつ……ボクが負けたら、LDH martial artsの練習生はどこを見たらいいのかわかんなくなっちゃうなってこともあって。だから「がんばろう!」と思ってましたね。
    ――それで飛び級的なマッチメイクをクリアしちゃうんだから、すごいですね。
    中村 たぶん経験の差というのは、今回の5分2Rではそこまで出ないだろうなと。3Rくらいになれば試合の組み立てが必要になってくる。2Rはわりとトップギアで突っ切れるんで、経験でごまかされる心配はなかったですね。
    ――デビュー戦からそこまで考えてたんですか! 1ラウンドから中村選手ペースでしたけど、解説の大沢ケンジさんがキャリアが上の「論田選手が頑張ってる」ぐらいのことを言っていて。格闘技関係者の下馬評の高さがよく理解できました。
    中村 いやいやいや……周りの期待の高さは、自己評価よりも上を行ってるなあというのは感じつつ(笑)。でも、そこでそう振る舞おうとすると足元をすくわれるので。
    ――そこは至って謙虚なんですね。1Rは終わった段階でどういう手応えがありましたか? 1Rで仕留められなかったのか、それとも。
    中村 いやもうなんか「粗いなぁ、俺……」って思いながら帰ってきましたね。ポジションコントロールをもうちょい丁寧にやらずに、殴って効かせようとしちゃって。そこは焦ってたところはありますかね。「これはあんまりよくないな……」と思いながら帰ってきて。
    ――それは試合じゃないと得られない経験ですか。
    中村 やっぱり練習とは違いますね。経験のある選手の手首の取り方だったり、殴らせないための技術。こういうところで、いままで論田選手は相手の上を取り返してきたんだなと。石橋(佳大)選手との試合を見てても「なんでこんなに上下が入れ替わるんだろう?」って不思議だったんですけど、実際に戦ってみて「あー、なるほど!」と納得したみたいな。ちょっと相手が乗りすぎたときに、どこの方向に動くべきかがわかる。でも、ボクはレスリングの中でもスクランブルを得意にしてたので、そこが救ってくれたっていう感じですね。
    ――2Rに左ハイキックでKO。これは狙ってたんですか?
    中村 はい。もともとハイは当たるだろうなと思ってて。アップのときも石田(光洋)さんにミットをもらってハイを当てるタイミングで繰り返して。で、1Rでちょっと腕が張ってたんで……デビュー戦ならではの力の使い方というか、ガチガチにやってたんで腕が張ってたんですね。だったらハイで……と動いてる中で「あっ、もう当たるわ」と確信して出してます。――確信して!中村 まあ、自分でもビックリしましたけど(笑)。試合で初めて出したハイがあんなにキレイに決まったので。
    ――1Rであそこまでテイクダウンされれば、相手は当然タックルを警戒するでしょうし。
    中村 そうですね、結果的に1Rはひたすらレスリングし続けたのがフェイントになったのかなと。
    ――点数をつけるとすれば100点満点中……。
    中村 いやー、そうですね、60点かなと。まだまだ全然できます。要所要所でヒジを出せるところもあったと思いますし、倒したあとの処理が悪くて立たれたり。振り返ると、いろいろ反省ポイントは出てきますね(笑)。終わってからも「ここから始まるな……」みたいな。勝って安心した感覚と、身が引き締まる感覚。試合中ちょっと動きが悪かったなっていう……いろいろとゴチャゴチャしてました。
    ――試合後のマイクでも「地獄の入り口」と言ってましたが……これ、いい表現ですよね。
    中村 そうですね、たしかに(笑)。
    ――いまのMMAは上に行けば行くほど、ヤバイ敵はどんどん現れるし、ちょっとのスキでも見せられない戦いですもんね。
    中村 はい。だからなのか、デビュー戦で勝っても「こんなにも嬉しくないのか……」と思いましたね。安心はしたけど「うわー、よかったぁー」みたいな開放感はとくにないです。この先が楽しみでもありますけど。
    ――あそこまで「モノが違う」とか煽られたら、実力を証明しなきゃいけない重圧も出てきますよね。
    中村 そうですね。そうなんですよ……「モノが違う」と言われたら(笑)。――正直、レベルが上がりまくった現代MMAで、デビュー戦から結果と内容を出すのって超難しいのに(笑)。中村 やっぱり勝たないと、どんなに頑張ってきても全否定される世界だから。どんな内容でも勝つしかない。倒しにはいくんだけど、とにかく勝つ。試合のときはそうやって切り替えるようにはしましたね。
    ――いまのMMAって変な話、負けることも経験として必要で。10戦して8勝したらいいほうだなっていう感覚がボクはあるんですけど。ただ、これだけ期待感があると“負け”がいい経験とか言ってられないのかなって。
    中村 そうですね(笑)。26歳という年齢的にもそうなんですよ。「負けがいい経験」とか言ってられないんで。だからいかに練習で試合っぽく意識して作っていくかですよね。そこに寄せる技術はボクはあると思ってるんで。
    ――それどういう技術なんですか?
    中村 そこは技術というか、やっぱり集中の問題なんですけど。どこかしら練習だから安心してるところは絶対あるんですけど、それも全部なくして。
    ――そうやって“試合”に近づけることができると。
    中村 はい。リアルに近づけて、同じ2時間の練習でも他の人より絶対に身になる2時間にできる技術は、レスリング時代を通して得たものなんで。
    ――レスリングタイプでよく言われるのは、打撃がどうなのかってところで。
    中村 いやー、やっぱり課題はそこで。身体の面を崩してはいけないというレスリングの鉄則があって。これが打撃の回旋の動きにめちゃめちゃジャマなんですね。だから身体が固定されたままの打撃の打ち方になっちゃうんですよ。そこがレスラーが打撃で苦戦するとこなんだなって思いましたね。
    ――そういえば新井戦でフィニッシュになったパンチを打ったときの身体も……。
    中村 そうなんです。ただ、そういう身体のどこがどう機能してないのかという気付きは、人一倍自信あるというか、そういうことを考えていかないと……まあ近道を探ってますよね。
    ――2試合とも打撃で倒してるわけですから、相当自信にはなってるんじゃないですか?
    中村 うーん……そうですね。まぁ、これで次はタックルは入りやすくなるのかなくらいで(笑)。
    ――タックルだけが武器ではないぞと。
    中村 打撃のフェイントがまた効いてくるし。そういう意味ではキャリアの積み方としてはいい展開かなと思いますね。打撃で倒せるのはキャリアを通して1~2試合あればいいかなってくらいの気持ちだったんですけど(笑)。だから、なんか意外な感じですよね。
    ――自分の想像とは違った方向に進んでる感じですか?
    中村 ちょっと違いますね。ヌルマゴをイメージしてたのが……こうなったらチャンドラーっぽく行こうかなって(笑)。
    ――ハハハハハハハ! ビックリしたのは『FIGHTER BATTLE AUDITION』最終選考の新井拓巳戦でカーフキックを出したけど、カーフの練習はしてなかったという。
    中村 カーフキックも全然練習はしてなかったんですけど、タケさん(大宮司岳彦)から「新井選手はカーフ蹴ってくださいっていうバランスだから、重心が後ろにあったら蹴っていいよ」みたいなことを言われてて。上体が起きてたんで蹴れるかなと思って蹴ったらガスっと刺さって。
    ――いきなり蹴れるもんなんですね。
    中村 そこも本当に考えながらレスリングをやってきたことが活きてて。動かしたい場所に正確に身体を運ぶっていうことは簡単そうで本当に難しいことですけど、数センチ狂わず動かしたい場所に動かせないと勝てない。レスリング時代の鍛錬が活きてるのかなと思いますね。
    ――レスリングのトップクラスは数センチの狂いもなく動けるわけですか……さすがですねぇ。
    中村 そうですね。ボクは数センチの差も予想して動いたりするので、その技術をうまく落とし込めてるかなっていう感じですね。
    ――MMAはやることがたくさんあるから、イメージとは違ったところもあったんじゃないですか。
    中村 そうですね。やっぱりズレが出てくるんで……最初はナメてました(苦笑)。
    ――楽に勝てるだろうと?
    中村 はい。「立つ技術」って言っても、俺がテイクダウンしたら立たれねぇだろみたいな(苦笑)。
    ――そこはレスリングの技術があれば……。
    中村 「立たれねぇだろ」とナメてたんですけど、それこそ最初におじゃましてたTRIBE TOKYO MMAさんでバカみたいに立たれて。やっぱり壁とか使われて立たれるどころか寝かされたら、こっちが立てないわで。
    ――やっぱりMMAのレベルって上がってるんですね……。
    中村 同じ体重だったら組んだら負けるヤツは国内にはいないだろうって思ってて……。
    ――じゃあ、ショックを受けたり。
    中村 「あれ……(小声)」みたいな。最初はマジで心折れましたね。帰り電車でひとり泣いたりしてましたよ。キツすぎて……。
    ――そんなに! 
    中村 でも、それは去年の話で。がんばるポイントがだんだんわかってきたんで。力に入れ方を覚えてきて、こんな感じでやればいいのかと。まだ、上のレベルとはやってないからかもしれないですけど、本当に打撃が遅く見えるというか。
    ――打撃が遅く見える?
    中村 全然打撃が早くないなって。外から見てるスピード感と、いざ試合でやってるスピード感が全然違くて、2試合とも本当にゆっくり見える。それはうまいことゾーンに入れてるのかなと思うんですけど。そこは自信になってるというか、いまのところ。
    ――それはいままでのレスリングの経験や、戦ううえでの思考がそういうふうに見せてるんですかね?
    中村 かもしれないですね。
    ――突然そのモードが切れたらイヤですね(笑)。
    中村 いきなり?(笑)。「打撃、はやっ!?」みたいな。
    ――こういったフルケージまで揃ったジムの環境だと、どんどん強くなりそうですね。
    中村 もっともっと強くなると思いますね(キッパリ)。練習する相手も、若くて元気があって力のかぎり暴れてくるヤツばかりなので。
    ――髙谷さんや石田さんとか実績のある指導者も揃っていて。
    中村 そうですね、あと週1で門脇(英基)さんの柔術。
    ――門脇さん、正直LDHカラーが似合わないですね(笑)。
    中村 ハハハハハ! たしかにボクもビックリしました。
    ――柔術も含めて、すべてここでまかなってる感じなんですか?
    中村 柔術もそうですね。緊急事態宣言中はやってなかったんですけど、それ以外のときはMMAの練習後にそのまま。
    ――デビュー戦を終えて、ここをもうちょっと強くしていきたいところはありますか?
    中村 抽象的なんですけど、寝技のときのスキマを埋めるところですね。まだスキマができちゃってるんで、もうちょっとスキマをなくすような組み付き方と、そこからしっかり殴って削るっていう。そこの精度を上げていきたいですね。
    ――さっき理想のファイターとして名前を挙げてましたけど、ヌルマゴスタイルというか。
    中村 まさにそれですね。その中に打撃とかトリッキーな仕掛けを織り交ぜながら……昔から独創的な試合をする選手が好きで、桜庭(和志)さんやベン・ヘンダーソン、アンソニー・ペティスもそうですし。ああいう芸術的な試合がしたいっていう気持ちは強いですね。
    ――次はランカーとの対戦もありえますよね。
    中村 そうですね。アマのときもプロ選手と3人やってるんで、そのクラスでいいのかなって感じですね。
    ――先ほど年齢のことをおっしゃってましたけど、やっぱりUFCを目指すとなると、コツコツやっていくわけにもいかないですし。
    中村 はい。そして「負けていい勉強になりました」とか言ってる場合じゃないというか。いい勉強になるなら「練習で気づいとけ!」みたいな話になってくるんで。
    ――そういう意味でも実績のある相手とやりたいし、まさに「地獄の入り口」だったわけですね。
    中村 いやあ、地獄に入っちゃいましたねぇ……。
    ――中村選手の場合は総合格闘技のジムがほとんどなかった時代に、小さい頃から修斗を通して総合格闘技に接する機会があったわけじゃないですか。
    中村 ずっとありましたね。見てる時間はたぶん、どの選手よりも長いと思います(笑)。MMAをやるために生まれてきたんだなって。
    ――宿命ですか!(笑)。
    中村 本当に「これをやるために生まれてきた」とずっと思って。UFCのベルトが家に!? レスリングを始めたのは山本ファミリー……幼少に体験したレジェンドだらけのエピソードはまだまだ続く
    この続きと、船木誠勝とUWF、井上直樹、金太郎、中村倫也、昇侍……などの8月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事17本の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2046818この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事110円から購入できます!
     
  • AEWとドミノ・ピザが巻き起こすプロレス流血問題

    2021-08-20 17:00  
    110pt
    アメリカのインディプロレスの“現在”を伝える連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます! 今回のテーマは「AEWとドミノ・ピザが巻き起こすプロレス流血問題」です!【1記事から¥100から購入できるバックナンバー】人間風車ビル・ロビンソンから何を学べるか?■対談・中井祐樹×鈴木秀樹
    虐待から救ってくれた一筋の光、それは大日本プロレス■アメプロインディ通信「フリーバーズ」
    柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」「WCWを潰した俳優」デヴィッド・アークエット、血まみれの贖罪
    WWEを猛追するAEWがプロレスとは無縁の企業から攻撃を受けた。いや、反撃というべきか…その企業とはドミノ・ピザだ。AEWvsドミノ・ピザ。ことのあらましはニック・ゲイジのAEW参戦から始まる。
    “アメリカのデスマッチ王”ニック・ゲイジが、全米に生放送されているAEWに出て、あのクリス・ジェリコと試合をするなんて、ちょっと前ならば戯言として一笑されていたことだろう。その非現実的とも言える試合が行われたのだから、いまの世の中、まさに何が起こるかわからない。
    アメリカのプロレスを見ていない人たちに、この衝撃をわかりやすく説明するならば、新日本プロレスの東京ドーム大会に葛西純が出場し、メインイベントで棚橋弘至と血まみれのデスマッチをやるようなものだ。
    クリス・ジェリコvsニック・ゲイジの一戦が行われたのは、AEWが毎週水曜夜に開催しているテレビ生放送大会「ダイナマイト」、7月28日の米ノースキャロライナ州シャーロット大会でのことだ。会場に集まった観客は、およそ7000人。ケーブルテレビ局TNTを通じ、アメリカ全土に生放送され、この日の視聴者数は100万人を超えた。
    “ノールール戦(ノーDQ戦)”と銘打ち行われることになったクリス・ジェリコvsニック・ゲイジ戦。全米中の一般家庭のテレビでも見られる生放送中継番組だけに、ニック・ゲイジが普段GCWでやっている血まみれの暴力的なデスマッチは無理だろうと誰もが思っていた。
    この続きと、船木誠勝とUWF、井上直樹、金太郎、中村倫也、昇侍……などの8月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事17本の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2046818この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事110円から購入できます!
     
  • 最狂夫婦がRIZINに襲来! 久保優太&サラ「なんなら嫌われたいぐらい」

    2021-08-17 17:00  
    110pt
    初代K-1 WORLD GPウェルター級王者・久保優太がRIZIN参戦、MMA転向! 現在は投資家としても大金を稼いでいますが、超大富豪の娘で奥さんのサラさんとともにRIZIN参戦の思いを激白してくれました!(聞き手/ジャン斉藤)【1記事から¥110から購入できるバックナンバー】・【バッティング問題】平本蓮はなぜ皇治と魔裟斗が大嫌いなのか
    ・RIZIN漢塾 塾長・石渡伸太郎“引退”1万字インタビュー
    ・ボンサイ柔術「朝倉未来・ムサエフ攻略」の裏側■“怪物くん”鈴木博昭
    ・菊地成孔☓佐藤大輔■「ローリング20」におけるRIZINと東京オリンピックの行く末
    ――3年前に発売された『K-1チャンピオンの億を稼ぐ株式投資術』は即購入したんですが、「なぜ投資を始めたのか」というそれまでの苦労が生々しくて。移籍を巡る金銭トラブルとか。
    久保 ああ、この本を懐かしい。ありがとうございます(笑)。
    ――株は興味がないんですけど、久保選手を巡るトラブルが刺激的でした! 投資も格闘技も「負ける戦いはしない」ということで、今回のMMAデビューはもちろん勝算があってのことなんですよね。
    久保 はい、勝算のない挑戦はしません。
    ――そもそも昨年ボクシングに転向することでK-1を離脱されましたが……。
    久保 それはですね、やっぱりMMAの練習が楽しくて。こういう言い方はアレですけど、ボクシングはアンダーグラウンドなところが……。
    ――ああ、 なかなか脚光を浴びないジャンルではありますよね。
    久保 世界まで進むと違いますけど、最初はそうですよね。 華やかさがちょっと……という現実もあり、そうなると目立たないので、サラちゃんを惹きつけることができそうにないなと思いました(笑)。
    サラ えっ、私?
    久保 K-1ウェルター級タイトルマッチの防衛戦、惚れたでしょ?
    サラ いやあ、べつに~、惚れてないんですけどお。 
    久保 でも、リング上のプロポーズを受けてくれたでしょ。
    サラ あれは空気を読んだだけ。
    久保 目がハートマークになってなかった?
    サラ なってない。
    ――サラさんとしてはボクシングとRIZINだったら、どちらで戦ってほしいんですか?
    サラ ボクシングとRIZINだったらRIZIN。それは久保ちゃんがRIZINに出るからRIZIN です。
    ――禅問答ですね。
    サラ RIZINってよくわかんなくて。だから私は盛り上げるだけ。私は私の仕事をするだけです。
    ――サラさんにも仕事があるんですか?
    サラ あります。RIZINのことはよくわからないけど、次のRIZINの一番の見所は……いま言っていいのかな?具体的なことはまだ言えませんけど、私が一番盛り上がってやる、目立って皆さんを楽しませられるといいなあと思ってます! 
    久保 あ、一番の見所はボクの試合じゃないんだ……。 
    ―― サラさんもRIZINで勝負するわけですね。
    サラ 私も勝負する。 私の人生の勝負。
    久保 こっちも人生が懸かってるんだけど?
    サラ 私も人生、懸かってるから!
    ――夫婦で人生の勝負なんですね(笑)。RIZINとK-1ってファン気質が違うんですよ。
    久保 ああ、わかります。RIZINにはPRIDE のファンじゃないですけど、そういうマニアックな雰囲気はありますね。
    ――こんな感じだと相当批判の声が飛んでくるかなと。
    サラ  ああ、それはもう慣れてるから。――安心しました。サラ 最初から叩かれる気でいますし。「あんな奴いらなくね?」って思われるんだろうけど。「いらない」って言っても「私が出るんだから見ろ!」って感じ。
    ―― 皇治選手もK-1ではアンチはいましたけど、RIZINに来てからその100倍叩かれて。
    サラ 叩かれるのは楽しみだし、基本的に「見ない」ことですよ。でも空気でわかる。「いま世の中が私のことを叩いてるな」っていうのは空気でわかるから。 
    ――そのセンサーはイヤですね(笑)。話を戻すと久保選手が初めてMMAに触れたのは朝倉未来選手とのコラボなんですよね。
    久保 はい、あそこが初めてです。YouTubeでコラボさせていただいて、MMAがだんだん楽しくなってきた感じです。「こんなに面白いものなんだ!」って。知らないことがたくさんあるので楽しいですね。 K-1というか立ち技は攻略できちゃうというか、デビューしてから18年近くやってるので。
    ――立ち技は知り尽くしてるというか。
    久保 ボクシングも日本チャンピオンや日本ランカーとスパーをやっても互角以上にできちゃうんですよね。それにボクシングってパンチだけのテクニックだったりの勝負になってくるので、逆にMMA の場合はいろんなことを覚えなきゃいけない。そこが楽しいですね。
    ――ボクシングは技術を削るけど、MMAは足していくことになるんですね。
    久保 そうです!
    サラ (つまらなそうに)MMA とボクシングの違いがわからない。
    久保 わからない?
    サラ でも、MMAは寝てるということはわかる。立ってるよりは寝ててくれたほうが私は好きなんですよ。動物って寝て争うじゃないですか。立って戦うのは人間らしすぎるというか。寝て戦ったほうが人間の動物としての本性が出る。
    ――深いお話ですね。
    サラ たしかに! 
    ――ご自分でも思いますか!(笑)。
    サラ だから寝ているMMAのほうが好きなんです。
    久保 MMAは立っても戦うんだけどね。
    サラ でも、MMAに興味はないから。
    ――久保選手はいつぐらいからサラさんがまるで興味のないMMA転向を考えたんですか?
    久保  半年ぐらい前には考えてましたね。
    サラ 本当はオリンピックに出るつもりだったんだよね?
    久保 ボクシングでね。この東京オリンピックには間に合わないから、2024年のパリオリンピックを目指したかったんですよ。
    ――ところがMMAの練習をしてるうちに手応えを感じ始めたというか。
    久保 練習って実際の試合とは違うじゃないですか。そこを踏まえたうえで自分の中では実験だと捉えてるんです。立ち技だと自分が分析派なので、誰と誰が戦うとなったときに、その選手の過去のデータ5試合ぐらいを見ちゃうと展開が見えちゃうんですよね。
    ――YouTube の予想動画でも展開をバンバン当ててますもんね。
    久保 はい。 それを自分の対戦相手に置き換えたときに、どういう展開を作れば勝てるかがわかっちゃうので。それよりも広い大海原じゃないですけど、未知のジャンルにチャレンジしたほうが面白いなと。こうやって人に見られる職業で夢を与えられる立場ですし、守ってる姿や保身に走るんじゃなくて、それよりも挑戦する姿を見せて、少しでも見てる人の元気に与えたいなと。あとサラちゃんも喜ぶんじゃないかなとっ!
    サラ ……。
    ――久保選手の話がだいぶ長かったので、サラさんは途中で飽きてましたね。
    サラ 寝るかと思った。
    久保 ……さっきの記者会見で「サラちゃんを惚れさせたい」と言ったときに、サラちゃんは携帯いじってましたからね(笑)。
    サラ 全然聞いてなかったよ。
    ――いまは宮田和幸さんのBRAVEでも練習してるそうですが、いつぐらいから行かれてるんですか。
    久保 6月くらいから。それ以前はいろいろなところに出稽古したり。いまは週1~2回、パラエストラ東京の中井祐樹先生のところに柔術を教わりに行ったり。 
    ――立ち技の選手がMMAに転向したときに、寝技や組みの練習が肉体的にも精神的にもキツイと聞きますが。
    久保 やっぱりキツイですねぇ。ただ、自分は首相撲の攻防があるムエタイをやっていたので、組みはできてると言ってもらえてますね。
    ――対戦相手の太田忍選手はオリンピックレスラーですけど、ストライカーの久保選手からすると一番イヤなタイプですよね。
    久保 勝算があって受けたカードですし、そのほうが盛り上がるというか。
    サラ やっぱりみんなを楽しませないとね?
    久保 そうだよね。
    ――サラさんはこのカードの面白さは理解されてますか?
    サラ レスラーと……なんだっけ?ボクサー?
    久保 まあ、ボクサーといえばボクサー。
    サラ ああ、K-1ボクサーの戦いが見られるということ? 相手はオリンピックの金メダルでしょ。
    久保 銀メダルね。
    サラ 私、ミーハーだから「オリンピックと戦うんだ!?」って興奮しちゃう。
    久保 オリンピックと戦うよ(笑)。太田選手のタックルを食らうか、ボクがタックルを切りまくって秒殺で KOするか。そういう勝負になると思います。見てる人もワクワクする試合になるんじゃないかなと思います。
    サラ 覚悟は見えたほうがみんな応援しやすいから。
    久保 「レスリングのメダリストvsK-1元チャンピオン」ってイロモノ対決に見られがちですけど、ボクはそういうつもりでリングに上がる気はなくて、ボクはMMAという競技でRIZINに骨を埋める覚悟で挑戦しに来たので。 軽い感じではないです。 
    ――最近はYouTube と格闘家の二足の草鞋的なビジネスが流行ってますけど。久保選手の場合は昔からお金の大切さを説いて、副業を推進してきたのでやっと時代が追いついた感じがしませんか? 
    久保 あっ、そうですね! 当時は株をやってると言ったら悪いイメージがあって「そんなヒマがあったら練習しろ!」って叩かれました。アルバイトで汗水たらして試合に出ることが美徳とされていましたね。でも、朝倉未来選手のおかげで格闘家がYouTuberをやっててもそんなに叩かれないというか、そういう時代になってきましたよね。 
    サラ つまり、それを作ったのは久保優太ってこと?
    久保  いや、ボクが作ったというわけじゃなくて、周りが作ってくれたから、先に副業をやっていたボクの考えが正しいということが証明されたと。
    サラ 先にやっていた。先駆け?
    久保 そう。
    サラ 先駆けだったんだけど、朝倉未来のほうがどんどんどんどん伸びていっちゃって「あらー」みたいな感じ? 
    久保 そうとも言うね……。
    ――格闘家になる前から相当お金に苦労したからこその考えですよね。
    久保 「お金に困りたくない」っていうのはあるんですけど、ボクはよく「選手が何屋さんになりたいかよくわからない」と表現するんですけど。 いまは格闘技を使ってビジネスできる世の中になってますけど、それまではチケットの手売りやスポンサーの営業とかトレーニングに対して悪影響がある仕事が多かったんです。たとえばスポンサーさんに夜遅くまで飲みに連れてかれたり……それだと正直、何屋さんだかわからなくなってしまう。 でも、YouTubeだとファンの皆さんに応援されながら稼げますよね。選手は自分で撮影のスケジュールを調整できますし。
    ――よく「YouTube なんかやってる場合があるなら練習しろ」って言われてますけど、昔はその時間にアルバイトをしたり、チケットの手売りをしたり、スポンサーの接待をしなきゃいけなかったわけですね。
    久保  それを考えたら、いまのほうが健全だと思います。
    サラ タニマチってやつ?
    久保 そんな言葉、知ってるんだ。
    サラ 知ってるよお。
    久保 この本にも書かせてもらったんですけど、20代前半の頃、早く寝たいのになあと思いながらスポンサーさんの飲みに連れて行かれたりね。実際にお店で寝てたら怒られました(笑)。スポンサーさんに気を使いますからそういうお店も楽しくないですよ。
    サラ 自分で遊びに行ってるわけじゃないからね。
    久保  そういう意味では、格闘家にとってはいい時代になったなと思います。
    サラ いい時代になったねぇ。
    久保  月に2~3回ぐらいの付き合いだったらいいんですけど、何百枚とチケット売らなきゃいけないと、毎日のようにあちこちに回らなきゃいけないから。
    ――投資で稼げるようになってからは、チケットを売ったりされたりんですか?
    久保  K-1のときは自分の知り合いから頼まれたときぐらいです。周りにはお金持ちの方が多いので、一番高いVIP席を数十枚買ってもらったりして。
    ――久保選手にとって、お金は精神安定剤ですね。 
    久保 そうですね。でも、いまだに欲が…… 5億あるなら10億欲しいって、どんどんどんどん欲を出してしまってサラちゃんに怒られるという。
    サラ  きりがないよ。
    ――サラさんから見て、久保選手はそんなにガツガツしてるんですか?
    サラ いまはしてないと思います。前はきりがなくて「お金欲しいおばけ」になっちゃって、それだと死ぬまでお金を追っかける人間になっちゃう。どこかで満足しないと。だから「いま幸せ?」って聞くんですよ。幸せだったらもういいんです!
    久保 はい。いまは幸せですけど、ときどき不安になっちゃうんです。そんなときにサラちゃんが悟りを……。
    サラ だって、いまは充分に困らないほどのお金もあるし、幸せなんだから。
    久保 「自分の夢にチャレンジできるありがたい環境があるから感謝しなさい」って怒られるんですよ。
    サラ いまの自分に感謝する(手を合わせながら)。
    ――サラさんがいなかったら、久保選手は大変な人生になっていたかもしれないですね。
    この続きと、船木誠勝とUWF、井上直樹、金太郎、中村倫也、昇侍……などの8月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事17本の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2046818この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事110円から購入できます!
     
  • プロレスラーTAJIRIはなぜコラムを書き続けるのか

    2021-08-15 19:41  
    110pt
     『プロレス深夜特急 プロレスラーは世界をめぐる旅芸人』を上梓したTAJIRIインタビュー!【1記事から購入できるバックナンバー】・レイイザーラモン「学生プロレスから見たプロレスが変わった瞬間」
    ・なぜリデットはノアを救い、GLEATを立ち上げたのか■GREATな社長・鈴木裕之
    ・高野拳磁とPWC伝説■渡辺宏志塾長
    ・小林林邦昭さんが言ったんですよ。「JJジャックスはイヤだろ?」って/AKIRAインタビュー
    『プロレス深夜特急 プロレスラーは世界をめぐる旅芸人』
    前作『プロレスラーは観客に何を見せているのか』が評判だったTAJIRIの最新作『プロレス深夜特急 プロレスラーは世界をめぐる旅芸人』。タイトルからして、ほとんどの方が旅行本と受け取るかもしれないが、じつは世界のプロレス事情から、日本のプロレスのあり方が見えてくる啓蒙書の趣もある一冊だ。イタリア、マルタ、ポルトガル、オランダ、フィリピン、シンガポール、マレーシア、香港……。TAJIRIが訪れた土地にはプロレスの指導者が不在だったり、練習場所すら確保されてないことも多い。そんなプロレス不毛の土地で、プロレスラーとして成功を夢見る選手たちを通して綴られるTAJIRIのプロレス論は、最終的に「日本のプロレスはどうなのか?」に行き着く。

    「プロレスの根本が理解できず表面的な模倣プロレスしかできなくなってしまう。そういうレスラーがいまや世界には蔓延している」(同書より)

    プロレスと酒と旅の本だと、くつろぎながら読んでいると、こんな毒霧を吹きかけられてくるから要注意なのだ。こうして活字を通してプロレス論のアプローチを試みているTAJIRIに話を聞いた(ジャン斉藤)
    ――前作『プロレスラーは観客に何を見せているのか』が大好評で、今回『プロレス深夜特急 プロレスラーは世界をめぐる旅芸人』を上梓されたTAJIRIさんですが、文字を書くことは昔から好きだったんですか?
    TAJIRI そうですね。学生のときは全然好きじゃなかったんですけど、レスラーになってから試合以外にも伝えたいことってあるじゃないですか。その場合、文字しか手法がなかったんですよね。
    ――いつぐらいからその気持ちは強くなっていったんですか?
    TAJIRI プロレス界に入ってからそうでしたね。当時SNSなんかあったら相当ハマってると思いますよ。ボクがデビューした1994年はメールですら使ってる人はいなかったですよね。ECW時代は、日本の友達に手紙を書いて国際郵便で送ってましたから(笑)。
    ――直筆の手紙! 時代を感じますねぇ。
    TAJIRI パソコンなんかを使い始めたのは、世間の皆さんに浸透してから1年後ぐらいで。 WWE に入ってからですから2000年以降ですよね。
    ――ボクもその頃この仕事を始めたんですけど、メールで原稿チェックする人はあまりいなかったですね。だいたいがFAXで。
    TAJIRI そうですよね。ボクはWWE時代、『週刊プロレス』でコラムの連載をやってたんですけど、第1回目は FAXで送りましたからね(笑)。初めてプロレス関連の原稿を書いたのは、フミ(斎藤)さんから『アメリカーナ』という雑誌に何か書いてみないかというオファーがあったときで。
    ――『アメリカーナ』、懐かしい。『週プロ』の別冊ですね。 
    TAJIRI 原稿を書いてFAXで送ったんですけど、そうしたらフミさんから「このくだりをもっと詳しく書いて」という指示が入って。何回かやりとりしていたら最初の8倍ぐらいの量になって。そのとき自分が書いた原稿に感動しちゃったんですよ。フミさんは文字を書くきっかけを作ってくれましたね。
    ――そのときのテーマはなんだったんですか?
    TAJIRI 「いまWWEでどんなことを考えながら戦っているのか」です。何を書こうかって迷うこともなく、たくさん書いちゃいましたね。当時はWWE の情報がそこまで日本に出てなかったので、自己紹介だけでいっぱい書けちゃうんですよ。
    ――たしか日本向けのWWE情報ってあまり見かけなかったですね。
    TAJIRI 『週刊プロレス』でWWEの試合レポートが2~3ページ扱われるぐらいで。ECWのときなんてTVチャンピオンになっても何も載らなかったですから。 
    ――そんな状況だと伝えたいことがたくさん出てきますよね。 
    TAJIRI 当時って日本のプロレスファンがアメプロにそんなに興味を持ってなかったと思うんですよね。 アメプロ好きのマニアは本当に一部しかいなかったと思います。 
    ――日本の団体との交流が途絶えてから、なかなか興味を持ちづらいジャンルになっていたかもしれませんね。
    TAJIRI  ボク自身も興味なかったんですよ。まだWWFという団体名でアルティメット・ウォリアーがいた時代ってまったく面白くなくて。ロックとかが出てきてから面白いなって思いはじめて。昔ってウルトラマンの怪獣みたいなキャラしかいなかったので。
    ―― WWEっていつの時代もプロレスファンや関係者から「プロレスの敵」みたいな扱いをされていて。いまもAEWが出てきたことでカウンターの対象になってますけど、ロック様がいた時代って、日本のプロレスが総合格闘技に侵食されていたこともあって、WWEのベビーフェイス感はすごく強かったですね。
    TAJIRI ああ、その見方は面白いですね。 怪獣しかいなかったWWFは「プロレスの敵」という感じはたしかにしましたよね。
    ――気になるのはWWE のツアーってめちゃくちゃハードじゃないですか。 それなのによくコラム連載ができましたね。
    TAJIRI WWEって移動は大変なんですけど、移動しちゃえば楽なんですよ。RAWの収録はお昼に会場に入って、試合まで何もないときは本当にヒマなので。そういう合間に書いてましたね。その頃TAKA(みちのく)さんも『週プロ』で日記の連載をやってたんですけど、TAKAさんもその時間に書いてました。TAKAさんはパソコンを持ち歩くのはかなり早かったですね。 
    ――締切に遅れたことはないんですか。
    TAJIRI 一度だけ時差を間違えて遅れたことがありますけど(笑)。それだけですね。当時は他にも連載を持っていて。書くことが楽しくてなって、調子に乗って各方面にお願いしていろいろと書かせてもらってたんですよ。ロサンゼルスの日系情報誌、 WWE モバイルとか。多いときで5つぐらい連載を抱えてましたね(笑)。
    ――人気コラムニストじゃないですか(笑)。
    TAJIRI 非常に特殊な経験してるから「これは伝えたい!」っていう材料が次から次と湧き出てくるんですよね。プロレスラーってリング外の生き様も面白かったりするので、 WWEは空き家だから「俺がやらなきゃいけない」っていう妙な使命感に燃えちゃいましたね。 いまもそういうことをやってるところはないですし。 
    ――WWEってマスコミを必要としない世界をつくりあげちゃいましたけど、何か情報規制があったりしたんですか?
    TAJIRI いや、ボクがいた当時はかなりいい加減だったんですよ。 ちゃんとしてなかったですね。一番最初にマガジンハウスから出した本(『TAJIRI ザ ジャパニーズバズソー』)は、日本公演のときにマガジンハウスの方から声をかけられて。シェイン・マクマホンに「こういう話が来てるんですけど」って相談したら、その場で「いいよ。俺にもその本くれよな」でおしまいですよ(笑)。いまはいろいろハードルがあるのかもしれないですけど。 
    ――アメリカって紙媒体でプロレスを伝える文化ってほとんどなかったですよね。
    TAJIRI 写真中心のプロレス雑誌は一時期ウォールマートで売ってたりしてましたけど。 WWEのベルトを持ったロックの裏のページが聞いたこともないようなインディのレスラーだったり。「いったいどういう基準で作ってんだろう?」って。写真が届いた順に載っけてるんじゃないかっていうぐらい適当で。 
    ――向こうで日本語の活字に飢えてませんでした?
    TAJIRI ああ、めちゃくちゃ飢えてましたねぇ。ボクはフィラデルフィアに住んでたんですけど、ロサンゼルスやボストンの日本人街の本屋に行くと、300ドルぐらい日本の本を買い漁って。日本に帰ってきたときは紀伊国屋書店で10万円分ぐらい買ってましたね(笑)。
    ――どんなジャンルの本を仕入れてたんですか?
    TAJIRI とにかく、なんでも。そこに統一性はなかったですね。好きなジャンルでいえば、ドキュメンタリータッチなものが好きで。ルポ系はどんなジャンルでも読んでましたね。基本的に梶原一騎の匂いがするものが好きで。
    ――でも、梶原一騎の手法ってフィクションも混ぜるじゃないですか。 
    TAJIRI 人間の生き様にフィクションを混ぜるって、プロレスに近いですよね。 
    ――ああ、なるほど。そうやって個性を際立たせるってことですね。TAJIRIさんの好きな梶原一騎作品はどれですか? 
    TAJIRI  やっぱり『あしたのジョー』や『空手バカ一代』は外せないですね。 
    ――プロレスものでいえば『タイガーマスク』は?
    TAJIRI うーん、対象年齢がちょっと低いような気がしますね。それにプロレスって漫画にしたらあんまり面白くないような気がするんですよね。ホントに書きたいことを書けないで作者が書いてるというか、 そうしないといけない部分もあって。本当に面白いプロレスものは、本当に書けない部分だったりするので。
     
    ――ルポ好きという点でいうと、物足りなさはあるかもしれないですね。今回の『プロレス深夜特急』は潜入っぽいところがありますね。タイトルは沢木耕太郎ですし。
    TAJIRI 沢木耕太郎だとわかってない人も、いまは多いんですよね。『深夜特急』なんて日本全国民の愛読書だと思ってましたよ(笑)。
    ――ハハハハハハハ!
    TAJIRI ボクは筒井康隆と椎名誠が大好きで、「俺が動き回ると変な奴が集まってくる」というものを無意識に書いてるのかもしれないですね。
    ――納得です! 『プロレス深夜特急』はTAJIRIさんが世界中の面白い人たちの観察レポートの一面もありますね。そして世界各国のプロレス事情を描くことで日本の道場論の素晴らしさが伝わってきました。
    TAJIRI ああ、なるほど。日本以外の国のプロレスを見ることで、日本のプロレスが見えてきたと。
    ――旅行記でありながら前作『プロレスラーは観客に何を見せているのか』の続きでもあるなと。
    この続きと、船木誠勝とUWF、井上直樹、金太郎、中村倫也、昇侍……などの8月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事17本の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2046818この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事110円から購入できます!
     
  • 「もうやめるはずだったんです」……すれ違いのRIZIN、大塚隆史人生劇場

    2021-08-11 20:52  
    110pt
    バンタム級GP2回戦で扇久保博正戦が決定した大塚隆史インタビュー。DREAM時代「暴言スーパールーキー」と呼ばれた男は最終コーナーを見据える時期に差し掛かっていた……(聞き手/ジャン斉藤)【1記事から購入できるバックナンバー】・「勝ち方がわかりません……」コーナーマン八隅孝平が見た矢地祐介復活勝利の裏側・菊地成孔☓佐藤大輔■「ローリング20」におけるRIZINと東京オリンピックの行く末・【バッティング問題】平本蓮はなぜ皇治と魔裟斗が大嫌いなのか・斎藤裕、「ケラモフのダーティファイト」「朝倉未来vsクレベル」を語る

    ――獅庵戦後、めちゃくちゃ思いつめていた顔をしてたのが印象的だったんですけど。
    大塚 試合後? 疲れてた?
    ――そうですね、いつもよりも疲れた表情で。フルラウンド戦いきったから、というわけでもなさそうで。
    大塚 いやあ、情けないなと思いました。うん。いままで試合した中で一番悔しさが……。マジでホントに一番悔しかったですね、勝った試合の中で。
    ――2回戦に駒を進めたとはいえ、自分のやりたいことができなかったということですか。
    大塚 そうですね、うん。納得いく試合ができなかったです。やっぱりファンにも期待感を持たせたかったので……「大塚は強いんじゃないの?」ってところを見せられなかったのと、自分自身にも「……こんなもんかよ」ってガッカリしたというか。
    ――GPである以上、次戦に期待をもたせたかった。でも今日の会見はめちゃくちゃ面白かったですね。
    大塚 そうですかね?
    ――けっこうバチバチした感じがあって。
    大塚 向こう(扇久保博正)もスイッチ入ったと思うし。
    ――扇久保選手は「東京組と大阪組は全然レベルが違う」と挑発してましたが、東京と大阪に分けられたことに差をつけられてるなという印象ってありました?
    大塚 それはRIZIN側に? いやいや、それはないかな。 獅庵選手は大阪(パラエストラ大阪)なので、大阪ラウンドになるなって思ったんで。べつに大阪と東京……全然気にしてなかったですけどね。他の選手は思ってるんじゃないですか、もしかしたら。扇久保選手の発言に対して、ボソと言ってるのが聞こえましたけどね。金太郎選手の YouTube の人が何か言ってましたけどね。
    ――今回は最初から扇久保選手でオファーがあったんですか?
    大塚 そうですね。 この会見の2週間前くらいに話があって。「お、いいじゃん」って。
    ――第一希望は誰だったんですか?
    大塚 第一希望は特になかったんですけどね。第一希望はないんですけど、獅庵選手との試合を終えたときに「これはマズイな」とホントに思って。優勝候補と言われている朝倉海と井上(直樹)、ここと勝負できると思ってたので獅庵選手との試合をいいかたちで終えて、次にあの2人とやってもいい状態にしときたかったんですよ。でも、今回の試合を見直すと、この2人に勝つにはまだ準備が足りないなぁと。そんなときに扇久保選手が来たので、これはちょうどいいなと。
    ――ここでワンクッションを置けるのはありがたいと。
    大塚 大晦日に迎えられるように勝ちたいなと。そこは本当に素直な意見で、客観的に自分を見直せるかなと。
    ――扇久保選手にはどういうイメージがありますか。
    大塚 どうなんですかね……打撃をやるイメージだけど、テイクダウンやトップのキープだったり、寝技もしっかりできますよね。石渡(伸太郎)選手とかドツキあってるから気合いは入ってるけど、最近はどうなのかな?っていう。
    ――瀧澤謙太戦とか。
    大塚 扇久保選手の実力だったら、もっと圧倒できるんじゃないかなって。こないだの春日井(“寒天”たけし) 選手との試合は途中で拳が折れたので動きに制限がかかったのかもしれないですけど。 
    ――石渡選手が引退しますが、同じ時代を戦ってきた大塚選手には思うところがあるんじゃないですか。
    大塚 石渡選手が引退を表明したRIZIN CONFESSIONSを見たときに寂しさがありましたね。格闘家に対してそんな感情になったのは初めてかな。怪我のことはあったとは思いますけど、同世代でトップで活躍する選手なので「マジかあ……」と。 
    ――大塚選手たちが生きてきた時代はメジャーイベント不在というか、2011年にDREAMがなくなった後の目標はどういうものだったんですか?
    大塚  UFCを目指して頑張ったかなあ。UFCに行くためにどうするかを考えていたから、あんまり苦しいと思わなかったかなあ。 ボクはそのときDREAMに出続けてるわけではなくて主戦場はDEEPだったから。DREAMに定期的に出ていたファイターのほうがしんどかったんじゃないですかね。 
    ――あの時代の目標はUFCになりますよね。
    大塚 それこそDEEPの大晦日に石渡選手をやって勝てば、 UFC にだいぶ近づけられたというのはありましたよね。 シュウ・ヒラタさんにもコンタクトを取ってもらって、 石渡選手に勝つと……だったんですけど。まあ、チャンスを活かせずで。
    ――その石渡選手に堀口恭司選手が勝ってUFC行きを決めたわけですから国内の争いが熾烈だったということですよね。
    大塚 そういうことですよね。
    ――2015年の大晦日にRIZINができたときはどう捉えていたんですか?
    大塚 初めはどうなんだろう。山本アーセンや才賀紀左衛門とかを使っていたから、こういう路線なんだろうなって。注目される舞台ではあるので出たい気持ちはあったんですけど。あと周りもよく言ってくるので「RIZIN、RIZIN」って。 なんだろうなあ……そのときは堀口選手もまだ来てないし、どちらかというとキャラクターのある選手が出るのかなって。
    ―― そこまで気にしてなかったと。
    大塚 すごく出たいとは思ってなかったですけどね。 堀口選手が来てバンタム級GPをやるよとなったときは、 DEEPのチャンピオンだったので「ちょっと待ってよ」という感じでしたよね。 
    ――堀口恭司参戦からRIZINが視界に入ってきたということですね。
    大塚 そのへんから。堀口選手が来るまでバンタム級はフィーチャーされてなかったし。堀口選手が来てからですよね。
    ――それでバンタム級GPが開催されて、大塚選手はベスト4の結果を残しましたけど、そのあとRIZIN出場の機会はなかったじゃないですか。
    大塚 それはボクがバンタム級GPで負けたこともあるんだろうけど、RIZINという舞台ではそこは自分の役不足なんじゃないですか。あそこで理解しましたよね。
    ――理解ですか。
    大塚 準決勝で石渡選手に負けて終わったけど、いちおうベスト4。当然、次もあるんだろうなと思ってて。オファーを待ってたんですよね。そのときはDEEPのチャンピオンで、佐伯さんに「防衛戦どうする?」って。「RIZINがあるんだったらRIZINに出たいです」と言ったんですけど。半年ぐらい待ってたけど、オファーはない感じで。そこで理解したというか、俺の役不足というか……。 
    ――役不足として納得するのは重くなかったですか。
    大塚 いや、全然全然。現実を理解したし、なんていうのかな。俺は人気のある選手でもないし、ルックスがいいわけでもないし、だから強い選手に勝つっていうことが大事なのかなって。シビアな戦いをしなきゃダメだってことで、いま戦える中で一番強い選手とやってやろうと。 そのときパンクラスでチャンピオンだったハファエル・シウバとやれないかなと。
    ――実際にアピールしてましたよね。 
    大塚 そうしたら佐伯さんが「ビクター・ヘンリーなら呼べるよ」と。彼に勝てば間違いないでしょって。それで組んでもらったんですけど……まあ負けてしまってね。 
    ――大塚選手が新人の頃から戦ってきたDEEPを離れて修斗に戦場を移したじゃないですか。
    大塚 あのときは格闘技を続けるかどうかも迷ってて。元谷選手にDEEPで負けたときに「もういいかな、やりきったかな……」って。そのタイミングでコロナが流行って緊急事態宣言に入って練習ができない。よけいにやる気も削がれて。 ――そのまま引退してしまう可能性があったんですね。
    この続きと、船木誠勝とUWF、井上直樹、金太郎、中村倫也、昇侍……などの8月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事17本の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2046818この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事110円から購入できます!

     
  • 髙谷裕之インタビュー「LDH martial arts」が格闘技の未来をつくる

    2021-08-11 17:40  
    110pt
    衝撃プロデビューを果たした中村倫也が所属するLDH martial arts。同チームを率いる高谷裕之(LDH martial arts代表取締役CEO)の1万字インタビュー。LDHという日本屈指のエンターテイメント企業が作り出す格闘技界の未来とは(聞き手/松下ミワ)【1記事から購入できるバックナンバー】・「佐山先生に言われたんです。俺の影になってくれと」中村頼永インタビュー<シューティング黎明編>・運命のバリジャパ、安生道場破り、幻の長州戦真相――中村頼永インタビュー<ヒクソン来襲編>

    ・佐山聡に鉄拳指導された当事者が語る「地獄のシューティング合宿の真実」
    ・地獄の青春!! 平成の昭和格闘技集団「和術慧舟會」を語ろう/門脇英基×大沢ケンジ

    ――髙谷さんが監修したFIGHTER BATTLE AUDITION、そしてその模様に密着し配信したABEMAの『格闘DREAMRS』両社がタッグを組んで立ち上げたこのプロジェクトでLDH martial arts所属を勝ち取った中村倫也選手が、7月の修斗でプロデビューを果たしました。2RにハイキックでKOするという衝撃の試合でしたね!
    髙谷 倫也はレスリング出身だから、まさかハイキックで倒すとは思ってなかったんで驚きましたね。というか、逆にこっちがめちゃくちゃ緊張しました(笑)。
    ――戦っている本人より(笑)。
    髙谷 ボクも指導者1年生ですから、あれだけの素材をちゃんと育てないといけないというプレッシャーもあるし……でも、ビックリしますよね? レスラーがハイキックで勝ったんだから。みんなも「ビックリした」と言ってました。
    ――「みんな」というのは、LDHの皆さんのことですね。
    髙谷 そう、みんなリアルタイムで観てて。HIROさん(LDH JAPAN チーフクリエイティヴオフィサー)もライブで観てたので、試合後には速攻で連絡が来ました。
    ――HIROさんからも! となると、結果として凄く手応えがあったというか。
    髙谷 今回は本当に最高の勝ち方だったと思います。
    ――今回のマッチメイクは髙谷さんがGOサインを出したんですか?
    髙谷 ああ、そうです。というか、みんなで考えて決めました。
    ――対戦相手の論田愛空隆選手は、岡田遼選手や魚井フルスイング選手とも戦ったことのある選手です。キャリアのある選手との対戦をOKするということは、デビュー戦ながら倫也選手の実力に相当、自信があったということですよね?
    髙谷 キャリアの差があるのでドキドキはしましたけど、自信はありました。ただ、倫也もデビュー戦だったので、そんなめちゃくちゃなカードは組みたくなかったんですよ。たとえば、太田忍選手のデビュー戦は所(英男)くんが相手でしたよね。きちんと考えたときに「ちょっと無理じゃない?」というような選手の立場に立った際、愛のないカードは組みたくなかったんで。
    ――注目されている選手だからこそデビュー戦のマッチメイクは難しいですよね。
    髙谷 正直「デビュー戦なのに」という感じです(苦笑)。デビュー戦なんて普通は「この相手でどうですか?」「はい、お願いします」って簡単に決まるんですよ。自信はあったとはいえ勝ってホッとしたというか。
    ――その倫也選手の勝利で、さらにLDH FIGHTER BATTLE AUDITIONそして『格闘DREAMRS』に箔がついたかたちですが、今回はこの企画の発端からうかがいたいなと。まず、髙谷さんは2019年の斎藤裕戦を最後に引退されましたが、その後、ご自身のライフプランについてはどう考えていたんですか?
    髙谷 引退する数年前から地元のジム『FIGHT FARM』と、ここ『EXFIGHT』をオープンしていたんですよね。ボク自身はすぐに指導者として切り替えられたというか。ケージも常駐され環境はバツクンのEXFIGHT
    ――そんな中でこのFIGHTER BATTLE AUDITIONが持ち上がった、と。
    髙谷 2017年にLDH martial artsを設立した際、すでに将来格闘技イベントを開催することを目標の1つに設定していました。そこに向けて、まずは『EXFIGHT』を開業し、格闘家を育成する拠点を設けつつ、格闘技の裾野を広げる活動を開始しました。サプリメントの開発、販売などもさまざまな事業を展開しつつもイベント開催につなげられるいい選手を発掘するためにもFIGHTER BATTLE AUDITIONを実施するタイミングを図っていました。このプロジェクトを盛り上げるためにも選考のリアルを追っかけて番組として世の中に出せる。そんなパートナーさんを探すべく、ABEMAさんにこの話を持ちかけたところ、プロジェクトに賛同していただいた。という感じです。
    ――となると、LDHが会社として取り組むプロジェクトだったわけですね。
    髙谷 martial artsという会社で取り組むメイン事業です! ですが、事の発端はHIROさんですね。HIROさんが格闘技が好きというのもありますし、ボクにこういう場所を用意してくれたということもあります。ボクも新人発掘とかそういうことをやりたかったんで。そういう流れで「いい選手を集めよう」という話になりました。HIROさんはボクの引退後のことも考えてくれてたと思うんで、その流れを自然に持ってきてくれたというか。
    ――それができるHIROさんも凄いですが、HIROさんから信頼を勝ち取っている髙谷さんも凄いです!
    髙谷 まあ、もう15年以上はLDHに所属しているので。
    ――若い選手を発掘したいというのは、髙谷さん自身も格闘技に救われたからという思いがあるからですか?
    髙谷 ボクは本当に格闘技に人生をよくしてもらったし、ある意味で格闘技しかやってこなかったんで。その恩返しの意味もありますね。
    ――先日、スカパーの番組『DREAMで逢えたら』で所(英男)選手と仲良く思い出話をされていた姿が印象的で。
    髙谷 ホントですか?(笑)。所くんとは同い年なんでね。
    ――髙谷さんがうれしそうに当時の試合を振り返っているのを見て、あらためて充実した選手生活だったんだなと感じました。
    髙谷 ああ、ボクは100やりきったと言えると思います。まあ、やり過ぎたぐらいやったんじゃないかなって(笑)。
    ――お父さんとの微妙な関係性もお話されていましたよね。
    髙谷 結局、親父は1試合しかボクの試合は観にきてないですね。いまは仲はいいんですけど、そんなに「子供、子供」というタイプでもなかったし。その1試合は、タイトルマッチのビビアーノ・フェルナンデスとの試合だったと思います。番組から「観にきてくれ」という感じだったんで、「しょうがねえな」みたいな。……だから、“言われて”ですよ(苦笑)。
    ――ハハハハハ! そういうことで人生が好転していくのを体感されて。
    髙谷 それは、むちゃくちゃ感じてました。格闘技とメディアの力を凄く感じましたね。悪かったときは、親戚中の鼻つまみものみたいな感じだったのが、テレビに出た瞬間に突然、周りの態度が180度変わって。凄く応援してくれたり「チケット手に入らないの?」とか言われたり(苦笑)。
    ――周囲の態度が変わったときは内心どう思われていたんですか?
    髙谷 ……テレビって凄いな、と(笑)。
    ――ハハハハハ!
    髙谷 それは、ホントに思いましたね。でも「なんだよ……」とも思いましたよ。「あんなに態度、悪かったじゃねえかよ。俺は前と同じだからな!」って。
    ――まあ、そう思いたくもなりますよねえ。
    髙谷 でも、格闘技って特殊な世界だし、自分が見本になるのかどうかもわからないですけど、周りが喜んでくれたり、「自分も頑張ろう」という気持ちになってもらえたりすると、試合を通して「何か伝わっているのかな」とは思いました。
    ――今回のFIGHTER BATTLE AUDITIONと『格闘DREAMRS』は、そういう髙谷さんの経験が活きてくるというか。
    髙谷 人生が180度変わったんでね。たとえば、倫也なんかは小さい頃からずっと格闘技で積み上げているじゃないですか。でも、ボクは全然違うところから来たんで、その差が凄くわかるんですよ。
    ――そういう経験もあるから、いま燻っている子たちも格闘技で救いたい、と。
    髙谷 そういう気持ちはあります。ただ、“やんちゃな子”はあんまり応募してこなかったんですよ。
    ――あ、そうなんですか?(笑)。
    髙谷 何人かはいたんですけど、合宿とかでも生き残れなかったです。まあ、喧嘩自慢みたいなのはたいして練習してないじゃないですか。準備不足で合宿でケガしちゃったり、練習についてこれなかったり。
    ――今回のオーディションは、最初に200人ぐらい応募があったと聞きました。
    髙谷 まあ、冷やかしも含めてだと思いますけど。基本、こういうオーディションだと新宿のホストとかがけっこう来るらしいんですよね。
    ――そ、そうなんですか?(笑)。
    髙谷 実際に、そういうのもチョロチョロいながら……。でも、本質的にはLDHのオーディションだったんで、そこまで変な応募はなかったですね。ボクや岡見(勇信)とか、ちゃんと格闘技をやってた人間が募集をしていたというのもあると思うんですけど。
    ――ただ、LDHのオーディションとなると、格闘技とはちょっと人種が違う人も来たんじゃないかなあ、と。
    髙谷 ああ、それもちょこっとありましたよ。「歌も歌えます!」みたいな(笑)。
    ――ハハハハハ! いや、強くて歌えたら最高です!
    髙谷 「両方達成して、唯一無二になりたいです」みたいなことを言ってるヤツがいたんですけど、その彼は強くなかったです(苦笑)。
    ――あらら(笑)。今回、アーティストの皆さんも選考に入られていて、独自の視点で選んでいくみたいな雰囲気を感じたんですが、髙谷さん自身はどういう思いで選考に臨まれたんですか?
    髙谷 ボクたちは本当に強さだけを見て選んでいきました。ただ、アーティストの人たちはボクたちの見えないところとか、LDHの姿勢みたいなところとかも教えてあげながら選びつつ。ある意味、彼らは“持ってる人”じゃないですか。そういう“持ってる人”というのは第六感的にわかる部分もあって。「いいですね、彼」「スター性を感じますね」という意見を聞いたりしてました。
    ――つまり、強さだけじゃなく、華やかさみたいなものも基準になって。
    髙谷 そういう意見も聞きましたね。ただ、格闘技に関しては「ボクらより髙谷さんたちのほうがわかりますよね。だからそんなに偉そうなことは言いたくないです」と任せてくれて。
    ――じゃあ、華はあるけど強くない人は受からなかったということですか?
    髙谷 もちろんです。でも、まあ鈴木崇矢みたいに、華があって実力も証明した子もいましたし。
    ――選考では、岡見さんが「みんなが純粋に『UFCを目指したい』と言ってくれたのがうれしかった」と言われていましたよね。
    髙谷 ボクの中ではそんなに驚きじゃなかったんですけどね。格闘技で一番を目指すならUFCだろうと思ってたんで、「みんな、そう言うだろうな」と。でも、岡見はメディアのイメージとかもあるから「きっとRIZINに出たいと言うんだろうな」と思っていたみたいで。だから、驚いたみたいです。
    ――倫也選手も、経験のある人ほど「UFCを目指す」と言えなくなっているという話をしていて。
    髙谷 まあ、ボクらも「UFCを目指す選手、世界を目指せる選手を発掘する」と言ってきたんで、それが言いやすい環境だったというのはあるかもしれないですね。
    ――これ、放送自体は2カ月ぐらいだったと思うんですけど、収録期間的はどのぐらいだったんですか? 
    髙谷 半年ぐらいです。ただ、自分が通っているジムで練習しながら合宿や大会に来たりしていた子がいたんで、そういう子はあんまり残らなかったですね。どういう練習していたのかわからなかったというか。だから、セカンドシーズンからは「合宿以降はちゃんと来れない人はダメです」ということにしようかな、と。格闘技なんで大怪我してしまう可能性もあるじゃないですか。そこに責任を持てる環境にしていくという感じですね。
    ――合宿や練習試合が進む中で撮影もあるわけですが、そこは違和感なく受け入れられました?
    髙谷 そこは全然。というか、やっぱり番組で取り上げていただかないとね。みんな、新しい格闘技ファン層を取り込みたいという考えだったんで、撮影が大変とかはひとつも感じなかったですね。
    ――途中で那須川天心選手が来たり、平本蓮選手の弟さんが来たりしましたけど、そういうのも自然な流れというか。
    髙谷 天心くんもトップ選手ですし、来てくれるならありがたいですよ。まあ、天心くんのお父さんも以前からちょこちょこ話す仲だったりするんでね。だから、そんなに違和感はなく「ありがとうございます」という感じでした。
    ――「メディアの力は大きい」というのをご自身の体験で知っているから、メディアと一緒に進めることが自然だった、と。
    髙谷 そうですね、盛り上げに力を貸してくれるなんてありがたいですから。
    ――そんな中、プロジェクトを通して一番印象的だったことはなんでした?
    髙谷 やっぱり、合宿が一番でした。あれは、もう過酷だったんで(笑)。
    ――いや、あの合宿はヤバイですよねえ……いったい誰があんな厳しいメニューを考えたんですか?
    髙谷 ボクと岡見と、トレーナー陣みんなで考えました。
    世界と和術慧舟會を知る岡見勇信もサポート――それは、より過酷にしようと?
    髙谷 というか、ボクたちがそういう過酷なことを和術慧舟會の合宿でやってたんでね。
    ――慧舟會の合宿は本当に凄かったんですよね……。
    髙谷 慧舟會の合宿だと腕立て2000回とかやってたんですけど、「さすがにそれはやんなくていいか」となって。
    ――腕立て2000回!
    この続きと、船木誠勝とUWF、井上直樹、金太郎、中村倫也、昇侍……などの8月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事17本の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2046818この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事110円から購入できます!