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記事 26件
  • 【13万字・詰め合わせセット】船木誠勝とUWF、骨法、笹原圭一、原理主義者対談、亀田1000万円…

    2017-05-31 23:59  
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    part40
    ◎検証「1984年のUWF」!! 船木誠勝ロングインタビュー「えっ、そんなことが書かれてるんですか? それは全然違いますよ」

    ◎ラ・ラ・ライジン♪ 笹原圭一RIZIN広報インタビュー〜格闘技界の夢と未来を踊るように語る〜

    ◎『1984年のUWF』と骨法――堀辺正史の「船木離脱」の真相はデタラメなのか? ■証言者・中川カ~ル

    ◎紀元前のシューティング……「スーパータイガー・ジムに通った高校生」

    ソムチャーイ高津

    ◎「斎藤文彦INTERVIEWS⑭」

    WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る

    ◎MMAが一番格上なのか? 格闘技原理主義者対談〜橋本欽也vs大沢ケンジ〜

    ◎シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク

    UFCが狙う那須川天心/井上直樹契約舞台裏/MMA八百長事情

    ◎小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで

    ◎中井祐樹、柔道女子日本代表に寝技を指導する

    ◎那須川天心インタビュー「キックのほうがやっぱり凄いなって思わせたいですね」

    ◎事情通Zの「プロレス 点と線」

    ・TBSファイトスポーツ総決算『亀田興毅に勝ったら1000万円』

    ・「最近のプロレスは危険だ!」という危険な報道

    ■オマスキファイトのMMA Unleashed

    ・管理のズサンなサファリパーク!! UFC『アスリート・リトリート』で好プレー・珍プレー続出

    ・【UFC7勝3敗】インディシーンのまだ見ぬ強豪プロレスラー、マット・リドルとは何者か

    ・WWE総帥ビンス・マクマホンの生涯を描いた映画の制作が決定!リークされた脚本に書かれていたこととは?

    ・久々に爆発! 好試合満載のUFC 211を振り返る

    ・WSOF身売り、新団体プロフェッショナル・ファイターズ・リーグとは何か

    ■二階堂綾乃

    ・痩せない人が痩せない理由……アヤノ流ダイエット

    ・撮影会で使えるプロレス格闘技の技!!

    ■ズンドコ・トラブル興行研究会

    ・大仁田厚のT-2000加入と、こんにゃくドラゴン誕生<漁師JJ・編>

    ・負けることに慣れた組織……国際プロレス崩壊直前を私は見た<小泉悦次・編>


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    2017年一発目のイベントを終えたRIZIN。旗揚げ当初と比べて選手の若返りが図られたイベントにはポジティブな雰囲気が漂っている。こうなったら「ラ・ラ・ライジン♪」と明るく踊るしかない!!  というわけで、大晦日を振り返るインタビューが好評だったRIZIN広報・笹原圭一氏に明るい未来について語っていただきました。RIZINの夢の国なのか――?
    ――横浜アリーナのプロレス格闘技興行ってあまりいい印象がないんですね。だからってわけじゃないでしょうけど、最近はあまり使用されてなかったですし。
    笹原 ボクもそこが気になってましたねぇ。横浜アリーナのバックステージには、いままで行なわれた過去のイベントの名前が一覧になってるんです。「なつかしいな……」って眺めていたら、『PRIDE.2』と『ハッスル2』の名前もあって。――うわあ……伝説のズンドコ興行の!!(笑)。笹原 どちらにとっても横アリ初進出だったんですが、もうイヤな記憶しか蘇ってこない(笑)。大会前にそんなものを見ちゃって不吉な予感しかしなかったんですけど、フタを開けてみたらほとんどが好試合で。
    ――面白かったです。でも、笹原さん。いい興行のあととは思えないほど、疲れきった顔をされてますね(笑)。
    笹原 いやあ、もう疲れましたね。なんでこんなに疲れたんだろ? 思い出すだけで疲れますねぇ。
    ――笹原さんはやることが多そうですね。
    笹原 メインの広報以外にも、イベント全般に関わっているので、何かあると「笹原、アレどうなってる?」と来るわけです。「んあー」とか言ってしらばっくれられれば楽ですけど、まぁ当然そんなことできないので、走り回ったり、調整したりで。それが終わってホッとしたというより、次回に向けて改善しなきゃって考えると、吐き気がするほど疲れるわけです(笑)。
    ――「ゴールのないマラソン」なんですね(笑)。
    笹原 ホント大変ですよ。たとえば決められた人間しか控室に入っちゃいけないとか、いろんな決まり事があるんですけど、格闘家や関係者ってけっこう自由な方が多いじゃないですか(笑)。
    ――「◯◯選手の応援に来ました〜!」ってパスもないのに控室にズカズカと入ってくるイメージがあります(笑)。
    笹原 警備員がいても、選手や関係者と一緒に紛れて入ってきちゃう場合があるんですよ。あとは、「リングサイドに〇〇さんが勝手に座ってます」とか「私の分の弁当が足りないんです」とか、とにかくありとあらゆる報告や、相談事が来るわけです。それを一つずつ捌いてたら「10年持つ身体が3〜4年しか持たない!」みたいなことですよ。
    ――ストロングスタイルな役回りなんですね(笑)。
    笹原 今回も規定より多い人数で入場しちゃった選手もいましたし。「止める間もなく入って行っちゃったからどうしようもなかったです」という報告があったんですけど、「テメェ、死ぬ気で止めろ!」と言いたいんですけど、運営のシステムがまだまだ完璧じゃないという現実もあるし、選手や関係者側にも「まぁこれくらいなら許されるでしょ」みたいなところもあるわけです。
    ――そういえばPRIDEやDREAMと違って入場がスッキリしてたのはそういうことなんですね。
    笹原 そうなんです。今回から一緒に入場できるのはセコンドだけにしたんですよ。みんなあの花道を歩きたいんで、制限しないと平気で20人くらいで入場してくるんですよ。
    ――グレイシートレインとシュートボクシングのセクシーなラウンドガールだけですよ、大人数でも許されるのは!
    笹原 あと今回のRIZINには、じつは蝶野(正洋)さんが来てたんですよ。KINGレイナと戦ったジャジー・ガーベルトと蝶野さんは仲がいいんです。
    ――ああ、ドイツ繋がり。蝶野さんの奥さんはドイツ人ですもんね。
    笹原 そうそう。ジャジーって小さい頃から両親が不在の環境で育っていて。ジャジーは蝶野さんのことを“日本のお父さん”として慕ってるんです。それで大会数日前に蝶野さんのマネージャーから「激励に来たい」という連絡があったんですよ。蝶野さんと会うのは破壊王(橋本真也)の葬儀以来になるのかな。そのあとボクは『ハッスル』で蝶野さん風のキャラクターに扮して「アイ・アムGM!」って好き勝手に叫んでましたけど(笑)。
    ――それはガッテムな再会ですね(笑)。
    笹原 で、たとえ蝶野さんでも、規則として選手の控え室には入れないんです。そんなことを言ったら「なんで俺が控え室に行けないんだ!エーオラー!」とか言われるんじゃないかとビビリながら説明したんです(笑)。まぁ当然ですけど、蝶野さんは非常に紳士で、そんなワガママを言うこともなく、運営本部にジャジーを連れてきて、そこで談笑してもらったんです。
    ――そこで無理をいわないのが蝶野さん。大人ですねぇ。
    笹原 蝶野さんクラスの大物ならジャジーの控室に連れて行っても誰も文句は言わないんでしょうけど、ルールをこうと決めたら、誰かが絶対に守ってピリピリした空気を出しておかないと、運営って回っていかないですからね。 
    ――今年のRIZINは大会数が増えてますから、もっと忙しくなりそうですね。
    笹原 次は7月ですけど、ゴールデンウィークがあいだに入ってるんで、じつはもう時間がないなぁ。カードも決めなくちゃいけないし、もっと運営も強化しなくちゃいけないし、やることは山積みです。
    ――今回のRIZIN横浜大会は2007年一発目の興行でしたが、2006年の一発目と比較すると顔触れはガラリと違いますね。
    笹原 圧倒的に若返ってますよね。昨日の一夜明け会見に出た選手で30代は川尻(達也)選手ひとりだけですからね。大会を通してPRIDE経験者は川尻選手だけですし、男子も女子も新しい選手が出てきてることは喜ばしいことです。
    ――カードからして昨年より充実してますが、なかでも堀口(恭司)選手の獲得は大きいですね。
    笹原 いやあ、全然違いますよね。イベントに説得力が出てきますし。それにしても堀口選手は本当に強かったなあ……。戦った元谷(友貴)選手は試合が始まって数分で「これはヤバイ……」って堀口選手のレベルの高さを感じたそうですし。
    ――その元谷選手は大ケガを負ったそうで。
    笹原 靭帯を損傷して、目と耳もケガしているみたいで、全治3ヵ月らしいです。元谷選手だから最後まで立っていられたんだと思いますよ。
    ――元谷選手クラスでも、こうなっちゃうんだという驚きがありました。
    笹原 差はあるんだろうなとは思っていましたけど、あらためてそれを見せつけられて、試合を見ていて言葉を失いましたもん。で、今年はその堀口選手を軸にバンタム級GPをやりますけど、フライ級にもいい選手がたくさんいますし、軽量級の選手は本当にチャンスがありますよね。
    ――当初はクロン・グレイシーの階級に合わせたGPの開催を予定してましたよね。
    笹原 そうなんですよ。『FUJIYAMA FIGHT CLUB』の「誰がギャビを殺るのか」じゃないですけど、「誰がクロンを殺るのか」というテーマでGPをやりたかったんです。クロンとは交渉して最終的にはGPに出ること自体に前向きな回答をいただいてたんですけど……ひじょうにですね、アレがお高いんですよね(笑)。
    ――ハハハハハハ! 決勝まで残ったら大変なことになってしまうほどアレですか(笑)。そこはグレイシーですねぇ。
    笹原 そこはホントに妥協しませんよ。クロンって親父のヒクソンに猛反発してるんですけど、そこは親父譲りです(笑)。
    ――技術と精神、そしてマネジメント能力を受けついでいる(笑)。そこは日本におけるグレイシーの商品価値がわかってるということですよね。
    笹原 クロンはONEやベラトールとも話をしていたみたいですけど、グレイシーの価値が一番わかっているのは日本じゃないですか。
    ――でも、その話を聞いてちょっと安心しました。そんなにアレがお高くなってるということは、いまのところUFCやベラトールは手を出さないだろうなって。
    笹原 でしょうね。UFCなんかは「イチからやってよ」という話になるでしょうし。
    ――今後もクロンはRIZINに継続参戦するということですね。
    笹原 ワンマッチで出てくることになると思います。クロンのことなので、何を考えているのかわからないですけど。「バンタム級に落としてGPに出る!」とか言い出しても私は驚きませんよ(笑)。
    ――そのクロンの階級のGPを断念して、バンタム級GPが浮上したと。
    笹原 やろうと思えばフライ級GPもできたんですけど、フライには新しい選手が多いのでしっかりと炊いてからやりたかったんですね。バンタムには所(英男)選手や(山本)アーセン選手もいるし、そこに以前バンタムでやっていた堀口選手が入れば面白そうじゃないですか。
    この記事大好評インタビュー12本、コラム8本、13万字オーバーで540円!!(税込み) 

     
  • 【近日更新!!】ヤマケンこと山本喧一ロングインタビュー/ミノワマン、14年ぶりにパンクラスに帰還

    2017-05-28 15:01  

    UWFインターナショナル、キングダム、リングス……U系団体を渡り歩いたヤマケンこと山本喧一が大激白!! 前田日明が襲撃されたUFC-Jで飛び出した「田村潔司は偽善者」発言を中心に、プロレスから格闘技と向かっていったU系三派分裂後の新世界を振り返ります! 
    14年ぶりにパンクラスに帰還するミノワマンも降臨! 超人追求の果てに見つけた人間としての幸せとは……? 90年代から“美濃輪育久”を見続けてきたプロ格者は必読な内容です!Dropkickメルマガ人気インタビューの一覧表。
    会員じゃなくても購入できます! 【今月の過去記事アクセスランキング】1位 『1984年のUWF』はサイテーの本!■「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」2位 『1984年のUWF』には描かれなかったリングスの実態……■金原弘光
    3位 上田勝次 FMWを支えたキックボクサー「アイツが死んで以来、ヒジは使ってないよ…」 4位 
  • 【検証「1984年のUWF」】船木誠勝「えっ、そんなことが書かれてるんですか? それは全然違いますよ」

    2017-05-28 12:36  
    110pt
    話題沸騰のノンフィクション本『1984年のUWF』!!  これまでDropkickでは、この本をテーマに金原弘光やフミ斎藤氏に話を伺っているが、今回は満を持して新生UWFの当事者である船木誠勝が登場! 15000字オーバーのロングインタビューで「1989年の新生UWF」を語ってくれた!<関連記事>・「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」/『1984年のUWF』はサイテーの本!・『1984年のUWF』には描かれなかったリングスの実態……■金原弘光・更級四郎 Uと馬場”を支えた黒衣の絵描き ・更級四郎×ターザン山本G馬場ブレーンの語らい――全日本プロレスが再生した日 ・中野巽耀「一番尊敬できた先輩は高田延彦だよ」 ・尾崎允実元パンクラス代表「前田日明とも仲は良かったんですよ」 ・山本宜久「ヒクソンと戦ってるとき、放送禁止用語が聞こえてきたんですよ…」 ・謙吾「スーパールーキーが見たリングスvsパンクラス仁義なき戦い」 ・滑川康仁地獄のリングス前田道場卒業生 ・横井宏考リングスの怪物くん「格闘技は前田さん、プロレスは橋本さんが師匠でした」 ・入江秀忠修斗とUを漂流した男「俺は自称UWFじゃないんですよ」 木村浩一郎90年代・灰色の狂気――「FMWとリングスで俺はこの業界をナメてしまったんですよ」 



    朝日昇“奇人”が語る「本当に恐ろしい昭和格闘技」 山田学初代シューターにしてパンクラシストの大冒険 鶴巻伸洋W☆ING発、リングス行き! 怪しい格闘家人生 修斗初代王者/仮面シューター・スーパーライダー 渡部優一「東映の許可? 取ってますよ(笑)」――船木さん、いまプロレスファンのあいだでは『1984年のUWF』(柳澤健・著/文藝春秋・刊)というノンフィクション本が話題になってるんです。
    船木 その本を読んでないんですよ。どんな内容なんですか?
    ――ざっと説明すると1984年に設立されたUWFが、佐山(サトル)さんや前田(日明)さんらによってプロレスから格闘技に転換していこうとする流れを追った本になりますね。
    船木 1984年というと、それこそ自分が新日本プロレスに入門した頃からの話なんですね。
    ――そうなりますね。ただ、新生UWFや旧UWFの選手たちに取材していなことや、内容が偏ってるんじゃないかという批判がありまして。そこで当事者である船木さんにいろいろと伺いたいと思っています。
    船木 わかりました。
    ――新生UWFの前にお聞きしたいのは、船木さんは『船木誠勝の真実』(エンターブレイン・刊)という自伝を出されていますよね。
    船木 ありましたね。あれは2003年の本じゃないですかね。
    ――はい。あの本はかなり衝撃的な内容だったんですね。
    船木 えっ、何を書いてるんですか? 全然おぼえてない(笑)。
    ――そうですか(笑)。
    船木 あの本は自分が書いたんじゃないんですよ。自分がしゃべったものをもとにライターさんが書いてくれたんです。だいぶ直してるはずですけど。
    ――できあがった原稿を船木さんは最終的にチェックしてるんですよね?
    船木 いや、当時パンクラスの社長だった尾崎(允実)さんが目を通して、本として出せるものにしたとは聞きました。
    ――というと、最終稿はご覧になってないんですか?
    船木 できあがったものは読みましたね。もうおぼえてないんですけど。
    ――読んでみて「こんなことを言ったかな?」と思った箇所はありませんでしたか?
    船木 うーん、それはないと思いますけどね。
    ――この『船木誠勝の真実』以外にも本は出されてますけど、本の作り方は同じ形式ですよね。
    船木 そうですね。自分がしゃべって誰かに書いてもらう。いままで自分が出したいと思って出した本って一冊もないですんですよね。出せば売れる時代ってあったじゃないですか。編集してる人から依頼があって、会社としても本は収入源になりますから。
    ――2000年に安田拡了氏が書かれた船木さんの評伝『海人』でも軽くは触れられてるんですが、『船木誠勝の真実』ではより深くプロレスと格闘技の違いについて書かれてるんです。簡単に言ってしまえば、プロレスは競技としての真剣勝負ではない、と。
    船木 そうなんですか。
    ――新生UWFのメンバーでそこに踏み込んでいるのは船木さんと、高田(延彦)さんの自伝『泣き虫』だけなんですね。それは船木さんの意志で語ったんですか?
    船木 と思いますね。自分はプロレスと格闘技を両方やっていますし、それはどっちがいいとか悪いとかの感じではしゃべってないと思うんですね。それは「いま自分たち(パンクラス)がやってきたことはこういうことなんだよ」って説明したかったんです。
    ――たしかにプロレスと格闘技の違いに触れないと、意味がわからないことではありますね。
    船木 自分は15歳のとき新日本プロレスに入門したんですが、当時の前座はギリギリの試合というか、なんの筋書きもなくやってたところはあるんですね。
    ――内容的にはフリースタイルだったわけですね。
    船木 そこから外人レスラーと戦うようになって、海外修行に行けば完全に向こうのスタイルに合わせなきゃいけないんです。
    ――船木さんはヨーロッパ武者修行でプロレスを勉強されたわけですよね。
    船木 それで帰国してから新生UWFに参加したんですけど、その頃のUWFはスポーツ的な方向に行こうとしてたんですね。だから凄く戸惑ったんです。自分はプロレスをやろうとしたんですけど、UWFはスポーツや格闘技の方向に向かってる。せっかく新しいプロレスをやろうとしてたんですけど、凄く先に飛んじゃってるなって。
    ――『1984年のUWF』では船木さんが「UWFがリアルファイトであると信じた」「ところが、実際に移籍してみると、UWFは船木が考えていたようなリアルファイトの格闘技ではなかった」「船木はプロレスに過ぎないUWFに失望した」と書かれてるんですね。
    船木 えっ、そんなことが書かれてるんですか? それは全然違いますよ(苦笑)。UWFは格闘技やスポーツとして打ち出していましたよね? 
    ――はい。
    船木 自分はその流れについていけなかったんですよ。
    ――船木さんはUWFがあまりにも格闘技的であることに驚いたということですか。
    船木 はい。だからボブ・バックランド戦でコーナーポストからドロップキックを出したりしてその流れに抵抗したんですよ。
    ――「プロレスをやりたい」というメッセージ的なアクションだったわけですね。
    船木 そうですね。UWFではケガしちゃって長いこと休むんですが、そのあいだに自分なりに「このUWFという電車に乗らなきゃいけない」って考えたんですよ。UWFを格闘技やスポーツにするのであれば、ほかのスポーツや格闘技の勉強をしなければならない。それでボクシングやキックボクシング、いわゆる格闘技のビデオをさんざん見たし、ボクシングを新しく習ったんですよ。
    ――やるのであれば徹底的に格闘技としてやらなきゃいけないということですね。
    船木 はい。やっぱりトップを走りたかったですから。海外から帰ってきてUWFのトップに食い込もうとしましたけど、ついていけなかったですから。
    ――なぜ『1984年のUWF』で船木さんが「格闘技じゃないことに失望した」というように書かれているのかと言えば、先ほどお話した『船木誠勝の真実』からの引用でもあるんですね。『船木誠勝の真実』には「UWFの試合は自分が思っていたほど格闘技ではなかった」「UWFの試合はセメントをやってるのだと勘違いをしていた」と書かれてるんです。
    船木 えっ、ホントですか?
    ――はい。『海人』にもそのように受け止められる記述がありますね。これは船木さんがしゃべられたんですよね?
    船木 いや、それは絶対にないですね。UWFが思った以上に格闘技ぽかったので戸惑っていたんです。その本に書いてあることは間違いですね。
    ――では、どうして「UWFは格闘技だと思っていた」と書かれてしまったんでしょうか。
    船木 どうしてなんですかね。
    船木誠勝が「新生UWFはプロレスだと思っていた」という主張をするのは今回が初めてではない。いまから3年前の2014年、Dropkickが船木インタビューをした際にも同様の主張を述べている。
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar597913

    船木 残っても新日本に居づらくなるので、UWFに移ったほうがいいなと思いました。でも、UWFに行ってみてわかったんですが、あそこまで格闘技寄りになってるとは思いませんでした。自分はちょうど海外に行っていたのでUWFの映像が見れてなかったんですよ。『週プロ』や『ゴング』に載った試合写真しか見れてなかったですけど。蹴って投げて極めるだけのスタイルになってるとは思いもしませんでした。
    ――船木さんが格闘技の世界に飛び込みたかったんじゃなくて、行ってみたら格闘技スタイルになっていたという。
    船木 そうなんです。自分はたしかに強さは強さで求めてましたけど、スタイルを格闘技にするという発想はなかったです。
    ――新生UWFの頃って船木さんがイライラしたり、苦悩しているイメージあったんですけど……。
    船木 はい。してましたね(苦笑)。
    ――それはもっと格闘技に振り切りたくてイライラされていたじゃなかったんですか? 
    船木 そうじゃないんです。UWFが格闘技スタイルに寄りすぎちゃってて最初から「?」マークがあったからなんです。それでUWFのときに骨折して半年くらい休んだことがあったんですけど。そのときにボクシングのビデオをいっぱい見たり、骨法を飛び出して小林千明さんという東洋太平洋のチャンピオンにボクシングを習ってました。そうしてるうちに、UWFをやるのであればもっと格闘技に近づけないとダメだと考えたんですね。

    船木が自伝の証言を否定している理由として「UWFをプロレスだと見抜けなかった当時の自分を偽っている」とは考えられないだろうか。ところが『週刊ファイトとUWF』(波々伯哲也・著/双葉社・刊)では、「UWFはプロレス」という認識を持った当時の船木の証言が掲載されている。

    バックランド戦後、深夜1時に船木に電話すると「ハーッ」と大きな溜息をついて「海外で抱いていたUWF(への憧れ)がつぶれました」
    「佐山さんと対立してたころの前田さんが好きでした。殺し合いじゃない、ギリギリの闘いだと言っている前田さんとは同じ考えだなとか思って。今は前田さんがいないほうがいいんじゃないかと」
    「オレはどうすればいいんだろう。ルールを気にして試合をやってても、気分がよくないし憂鬱なんです」

    自伝では「格闘技だと思っていた」と書かれているが、船木は当時から「UWFが格闘技寄りになっていた」ことに戸惑っていた。同じ本人の証言なのになぜこうも食い違ってしまっているのだろうか……? とりあえずインタビューを続けよう。
    ――『週刊ファイトとUWF』という本では、新生UWF参戦当時の船木さんの証言が掲載されてるんですが、それはいまおっしゃられたように「UWFはプロレスだ」という捉え方。スポーツ化するUWFに不満を漏らしていますね。
    船木 はい。俺は最初からUWFはプロレスだと思ってました。
    ――『週刊ファイトとUWF』では「佐山さんと対立している頃の前田さんが好きだった」というコメントも記されています。競技よりもギリギリのプロレスを支持しているんですね。
    船木 前田さんってプロレスの中で危険な試合をして生き残ってきたじゃないですか。尊敬してましたよね。そういう試合って気持ちの強さがないとダメですから。前田さんはだから潰されなかったんです。
    ――だからこそ新生UWFのスポーツの世界観に違和感があったと。海外遠征中の船木さんは、新生UWFの社長だった神新二さんから送られてくる『週刊プロレス』からしかUWFのリング上の景色は確認できなかったわけですよね。
    船木 写真しか見てないんで「凄い試合をしてるんだろうな」と。当時の『週プロ』の記者の書き方から熱狂的に雰囲気になってることはわかっていたので想像が膨らみましたね。
    ――新生UWFはどういうプロレスだと思われていたんですか?
    船木 なんて言えばいいんですかね……。
    ――船木さんも経験された昭和・新日本の前座をさらに激しくしたような……。
    船木 そうですね。もしくはスーパー・タイガー(佐山サトル)と高田さんのような試合ですね。旧UWFって佐山さんが参加したときからスタイルがガラッと変わったんです。で、自分が入門した3ヵ月目の頃、UWFの大会が用賀の特設リングであったので、山田(恵一)さんと後藤(達俊)さんと一緒に見に行ったんですね。
    ――そのメインがスーパー・タイガーvs高田延彦だったんですね。
    船木 それがホントに凄い試合だったんです。「高田さん、死ぬんじゃないか……」って思うくらいの激しい試合で。でも、山田さんが「やろうと思えば俺たちもできる」と言うんですよ。自分は入門したばっかなので、とてもできるとは思えなかったんですけど。
    ――新生UWFのプロレスは、スーパー・タイガーvs高田延彦のような試合だと想像したんですね。
    船木 そうですね。新日本の前座時代には、UWFからやってきた中野(巽耀)さんや安生(洋二)さんと試合をしてたじゃないですか。あの試合のイメージもありましたし、海外武者修行に出る前に高田さんから新生UWFに誘われたんですが「プロレスでも使える技があるなら残していきたい」と言ってるんです。だから新生UWFもプロレスだという意識はありましたね。
    ――船木さんは『週刊ゴング』に海外武者修行日記を連載してましたよね。
    船木 ああ、やってましたね。
    ――プロレス記者としての繋がりもあったわけですから、UWFで何が行われてるか教えてもらえなかったんですか?
    船木 いや、記者の方は「UWFはお客さんが入ってますよ」ということしか言わないですね。
    ――神社長や前田さんが海外の船木さんに会いに来ましたよね。そのときもリング上の話はしてないんですか?
    船木 していないですね。「新日本の海外修行が終わったらどうやってUWFに合流するか」とかそういう話だけですね。「弁護士を入れてでもちゃんと話をするから」とまで言ってくれて。
    ――もしUWFが格闘技になっていたらそれは革命的なことだし、前田さんにしても船木さんには伝えないとおかしいですね。
    船木 UWFはプロレスはプロレスでも格闘技寄りにはなってたんですけどね。
    ――船木さんは新生UWFに参戦した頃から暗いイメージがつきまとってるんですね。
    船木 自分でこういうのもなんですけど、俺はメチャクチャ明るい人間なんですよ(微笑)。 
    ――それはよく言われる「UWFで格闘技ができないから失望して暗くなった」というわけではないんですね。
    船木 いや、自分はプロレス大ファンだったんですよ。だって中学卒業して15歳でプロレス入りするくらいですよ?(笑)。――たしかに(笑)。
    ・「俺は前田さんを取ったわけじゃないですよ」……『1984年のUWF』には描かれなかった「骨法離脱の真相」!! 船木はなぜ堀辺師範の命令に背いたのか?
    ・神社長についていかなかった理由
    ・新生UWF解散現場……前田日明のマンションで何が起こったのか?
    ・藤原組離脱の遠因は北尾光司にあった!
    ・“電流爆破”と同じだったパンクラスの真剣勝負……この続きと、骨法、RIZIN反省会、原理主義者対談、アンダーテイカー、亀田1000万円…など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1274136
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  • 管理のズサンなサファリパーク!! UFC『アスリート・リトリート』で好プレー・珍プレー続出!■MMA Unleashed

    2017-05-26 15:26  
    55pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは……UFCが『アスリート・リトリート』開催:
    リーボックに噛みつく選手、女子選手殴打事件、好プレー・珍プレー特集!

    大会がなかった先週末(現地時間5月19日~21日)、UFCは300人以上の契約配下選手をラスベガスに呼び寄せ、『2017年アスリート・リトリート』を開催した。従来『ファイターズ・サミット』と称して実施していた選手向け研修会に、新オーナーである芸能事務所WME-IMGがお得意のエンターテインメント要素を付け加えて、選手が気分的にリフレッシュできるように企画された催し物である。
    メニューは、新オーナーのアリ・エマニュエル、パトリック・ホワイトセルとの朝食会に始まり、バスケットボール界のスーパースター、コービー・ブライアントのトークショー、ラップ歌手スヌープ・ドッグのライブショーといったエンターテインメントが提供された。
    また、スポンサー企業のリーボックとアンハイザー・ブッシュからのプレゼンテーション、UFCの歴史についてのレクチャーなども行われた。リーボックの代表者からは、ソーシャルメディアでリーボックにネガティブなことを書いている選手がいるとの苦言が呈された。またアンハイザー・ブッシュの代表者は、当社は勝者にしかスポンサーシップを提供したくないなどと語り、選手の不評をかった。
    選手は最近オープンしたばかりのUFC新社屋キャンパスに案内され、UFCパフォーマンス・インスティテュートのオープニングセレモニーに参加した。UFCパフォーマンス・インスティテュートは、選手に最新の科学的トレーニングや、最高レベルのリハビリ治療を提供する施設である。こうした取り組みにより、UFCでは負傷による選手の試合欠場を減らしていきたいとしている。
    また、ニューヨーク病院特別外科(New York Hospital for Special Surgery)がUFCの公式病院になることが発表された。同病院がUFCパフォーマンス・インスティテュートに整形外科医と理学療法士を派遣するほか、UFCイベントにはリングドクターを派遣することになる。
    このイベント、ベテラン選手は今ひとつ乗り切れていなかったものの、若い選手にはおおむね好評だった模様であるとレスリングオブザーバーは報じている。とはいえ、血気盛んなプロファイターを一堂に集めて狭い場所に詰め込む以上、ちょっとしたハプニングやもめ事は避けられない。ファン目線でも、知りたいのは真面目なプレゼンテーションの内容より、むしろアクシデントの方だったりする。部外者禁制のこの『アスリート・リトリート』で発生したハプニングを以下にまとめてみよう。この続きと、船木誠勝とUWF、骨法、RIZIN反省会、原理主義者対談、アンダーテイカー、亀田1000万円…など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
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  • 痩せない人が痩せない理由……アヤノ流ダイエット■二階堂綾乃

    2017-05-26 15:12  
    55pt
    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、ついに格闘技デビューをしてしまったこのコーナー。今回のテーマは「ダイエット」です!1〜2年前まで身長163センチの私の体重は、43〜45キロの間をウロウロしていたのですが、柔術の大会に一番下の階級(45キロくらい)で出場しようとしたとき、私以外その階級にエントリーしている人がおらず試合ができませんでした。いくら強くなっても対戦相手がいなくては意味がない!……と、それから増量活動に励み、いまでは48〜50キロの間を彷徨うまでに成長しました。しかし増量に成功した頃にはMMAやヨガ等、やりたいことが増えすぎて柔術をやる時間がなくなってしまい結局柔術の試合には出ていません。てへぺろり☆
    そんな私ですが、このたび訳あって減量に挑戦しました。と言っても身体づくりが目的なので体重は2〜3キロ減らしゃあいいかな、程度の軽いものです。そしていろいろとやった結果、だいたい2〜3週間で水抜きなしのナチュラルな体重が2キロ程落ちました(ざっくり)。
    たまに周りの人に「頑張っているけど痩せないのはなぜ?」「どうやって痩せればいいの?」等アドバイスを求められることがあったのですが、何もしなくても痩せているタイプのため、いままでは良いアドバイスができませんでした。
    しかし今回減量をしたことで痩せない人が痩せない理由がちょっとわかったので、今回はダイエットの参考になりそうなお話しをします。
    まずダイエットの方法は人によって合う合わないがあるので、「これをやったら絶対痩せる!」「これを食べれは誰でも痩せる!」というものはありません。そりゃ毎日食事の量を少なくすれば絶対痩せますけど、それを続けられない人はけっこういますからね。一番大切なのは自分に合うダイエットの方法を探すこと、そしてもう一つ大切なことは「気持ち」です。この続きと、船木誠勝とUWF、骨法、RIZIN反省会、原理主義者対談、アンダーテイカー、亀田1000万円…など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
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  • 中井祐樹、柔道女子日本代表に寝技を指導する

    2017-05-24 19:38  
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    中井祐樹先生の新連載企画!! そのときどきの事件やニュースを中井先生の格闘技観を通して解説していきます! 3回目のテーマは「柔道女子日本代表の強化合宿」です!
    【これまでの記事】幻のキング・ハク戦と『1984年のUWF』消えた腕自慢、道場破り……突破者よ、出てこい
    ――中井先生は先日、柔道女子日本代表の強化合宿で特別講師として寝技を指導されましたね。“伝説の格闘家”中井祐樹氏が柔道女子代表に柔術指導https://www.daily.co.jp/general/2017/05/02/0010151348.shtml
    中井 昨年末に金野潤強化委員長と増地克之女子代表監督がパラエストラ東京にいらして「ぜひ指導をお願いしたい」というお話をいただきまして。2年前には金野先生が監督を務める日大柔道部と、我々ブラジリアン柔術の合同練習をやっていたりしたんですけど、今回はまさかまさかの……。
    ――日本代表の指導なんですね。
    中井 メッチャ緊張しましたよ。ボクのような“フェイク柔道家”が……自分で言うなって話ですけど(苦笑)。「総本山に足を踏み入れていいのかな?」っていう悩みはあったんですけど。
    ――そういうもんですか。
    中井 ボクは4年しか柔道をやってないし、強化合宿の参加する選手やコーチは錚々たるメンバーなので、普通だったら私なんかは口すらきけない立場なんですよ。そもそも国レベルの仕事になりますからね。
    ――東京オリンピックに向けた国家プロジェクトではありますね。
    中井 こんな私にも敬意を持って接してくれたので、しっかり応えていきたいなって思いました。年明けに青木(真也)くんが全柔連でノーギの指導をしたじゃないですか。そのあとに柔道女子が全日本女子レスリングチームと合同練習してましたが、今回の指導もその流れなんですね。
    ――リオ五輪前には沖縄角力をやったり、日本柔道はいろいろとチャレンジしてますね。
    中井 集中力を養うためにろくろを回して焼き物を作っていたりとか(笑)。金野先生のアイデアだと思うんですけど、そこに井上康生監督の改革の動きがうまく合致してるところはありますね。
    ――実際に指導してみていかがでしたか?
    中井 合宿初日の夜入りして、懇親会でスタッフの方と顔合わせをして。翌日の午前と午後の練習をまるまる私の講習に当てられたんです。
    ――おお、けっこうな時間を割いたんですね。
    中井 どちらも2時間半から3時間くらい。報道陣が取材したのは午後の部なんですけど、その日に世界選手権のメンバー発表や、ジャージのお披露目があったのでマスコミがやけに多かったんですね。だからあちこちでニュースになってたんです。
    ――ちょうど報道陣が殺到する日だったんですか。
    中井 私の講習をわざとその日に持ってきたのかはわからないですけど、井上監督一流の作戦というか、メディアにアピールするのがうまいんだと思うんですね。
    ――新しい試みをやっていると。たしかに井上監督になってから柔道代表のイメージは変わりましたね。
    中井 それで前日の夜入りしたときに柔道の寝技の動画を見せられたんです。攻めれそうで攻められそうにない寝技の映像集。足が抜けそうで抜けないもの、相手にこういう寝技をされて困ってるというもの。私にはそういう局面の対処法をやってほしいというリクエストなんです。こういう寝技のかたちになったときの何か解決法はないか?と。この続きと、船木誠勝とUWF、骨法、RIZIN反省会、原理主義者対談、アンダーテイカー、亀田1000万円…など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
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  • WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る/「斎藤文彦INTERVIEWS⑭」

    2017-05-24 18:46  
    77pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマはジ・アンダーテイカーです!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1167003■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1185954■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのかhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1218726■『1984年のUWF』はサイテーの本!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1244660――今月のテーマはジ・アンダーテイカー!……なんですが、アンダーテイカーは先日のレッスルマニアで引退したということでよろしいんですよね?
    フミ はい。レッスルマニアのローマン・レインズ戦で引退したとボクは思っています。レッスルマニアって今年で33回目の開催なんですが、テイカーさんはそのうち25回も出場してるんです。途中でケガで出られなかったのが2回(94年、00年)あったんですけど。
    ――レッスルマニアの出場回数もさることながら、あのWWEにこれだけ長期在籍していることも恐ろしいことですよね。
    フミ 本当のロングセラーですよね。たいていのレスラーは消耗して姿を消すか、レッスルマニアにだって何回か出る程度ですよ。ホーガンやジョン・シーナ、マッチョマンだってここまで長くは在籍していないですし。27年もWWEに上がり続けたテイカーさんは、WWEがプロデュースした最高傑作ということになりますよね。
    ――テイカーさんはデビュー当時から有望な選手だったんですか?
    フミ もちろんです。テイカーさんが「パニッシャー・ダイス・モーガン」というリングネームで新日本プロレスに初来日したときに、ボクは『週刊プロレス』でインタビューしているんですが、アンダーテイカーに変身する前だから詳しいプロフィールを教えてくれたんです。そのときはまだキャリア3年だと言ってました。
    ――新日本のリングに上がったのは1990年3月のことですね。アンダーテイカーに変身するのは90年11月ですから直前。
    フミ テイカーさんは高校まではホームタウンのテキサスに住んでいて、バスケットボールの奨学金でテキサス工科大学に進んだんです。大学ではスポーツ経営学を専攻。プロフットボールやプロバスケットボールのマネジメントに興味があって、クリニック分野も勉強していたそうです。
    ――それがどうしてプロレスラーになったんですか?
    フミ プロレスに方向転換したわけではなく「最初から大学を出たらプロレスラーになろうと決めていた」と。当時のアメリカでプロレスラーになる人ってフットボールやバスケで大学に進んだけど、途中でやめて……というパターンが多いんですけど、テイカーさんは大学をちゃんと卒業しています。計画的に行動する人ではあると思うんですね。それで知人の紹介でダラスのバズ・ソイヤーの道場に通ったということです。
    ――若き職人肌レスラーのバズ・ソイヤーですね。
    フミ 旧ソ連のアマチュアレスラーたちが新日本に参戦したときに、バズ・ソイヤーはアメリカのレスリング代表として出ましたよね。ナショナルチーム出身ではないんですけど、ジョージア州のチャンピオンだったんです。
    ――レスリングの心得もあるし、プロレスに初挑戦する旧ソ連勢の相手としては好都合だったんですね。
    フミ ちなみにケン・シャムロックもバズ・ソイヤーからプロレスを習ってるんです。テイカーさんはダッチ・マンテル、ドン・ジャーディンからもプロレスを教わりました。
    ――いま一部で話題沸騰のダッチ・マンテルですね(笑)。
    フミ その3人の中で最も影響を受けたのがドン・ジャーディンなんです。ドン・ジャーディンは覆面レスラーのザ・スポイラー、スーパーデストロイヤーの正体として有名ですが、長身のレスラーとして初めてロープ歩きをやった人なんです。
    ――ロープ歩きはテイカーさんの得意技ですけど、つまり……。
    フミ ドン・ジャーディンが「君は背が高いからこの技を使いなさい」と伝授したんですね。テイカーさんのことをそれくらい気に入ってくれて手取り足取り指導しました。面白いことにテイカーさんのデビュー戦もマスクマンだったんです。
    ――そこもドン・ジャーディンと被ってるんですね。
    フミ 理由を考えると、テイカーさんは赤毛の白人レスラーだったからじゃないかと。アメリカだと赤毛で肌が白い男性は、どうしてもかわいすぎちゃうんですね。だから赤毛の白人レスラーがデビューするときは、周囲は「彼はマスクマンだね」「髪の毛を違う色にしたほうがいいね」ってアドバイスされがちなんです。
    ――そういえば、アンダーテイカーも厳密には素顔キャラではないですね。
    フミ アンダーテイカーはマスクマンに近い概念ですからね。テイカーさんが覆面レスラーとしてデビューしたのはいまから30年前の1987年3月、ダラスのスポータトリアム。相手はあのブルーザー・ブロディ。あまり使いたくない言葉ですけど、テレビマッチのジョバー(負け役)だったんです。ブロディが1分足らずで勝っちゃうような試合。
    ――それでもデビュー戦がブロディだったんですね。
    フミ テレビ収録用の試合だから誰が相手でもかまわないはずなんですけど、ブロディが「キミがいい」ってテイカーさんを指名したんです。テイカーさんはデビュー前の新人ですから、大部屋のロッカールームをウロウロしてたんでしょう。そんな無名時代のテイカーをブロディが指名した。翌年にブロディはプエルトリコで亡くなってしまいますから、ブロディと接触するワンアンドオンリーの機会だったんですね。
    ――ギリギリでブロディという大物に触れることができた。
    フミ デビュー戦のときはテキサス・レッドというリングネームだったんですが、面白いことにブロディも新人の頃はテキサス・レッドというマスクマンを短期間ながらやっていたときがあったんです。
    ――テキサスでは馴染みのある名前なんですね。
    フミ ビッグ・レッドというシナモン味のガムもありますから、ありふれた名前ではあるんですね。テイカーさんはそこからダラスで2ヵ月くらい活動して、その次は南アフリカ共和国へのツアーに参加したんです。そのあとはアメリカ各地のインディペンデントを渡り歩きました。たいしたギャラがもらえなくても、大きな団体にスカウトされるまで、ガソリン代がポケットに残ってるうちはいろんなリングに上がり続けたんです。
    ――下積み期間だったんですね。
    フミ そうして88年のはじめに先輩のダッチ・マンテルに誘われて、テネシーのCWAに上がることになったんです。そのときのリングネームはマスター・オブ・ペイン。そのCWAとダラスのワールドクラスが合併してUSWAという団体が生まれると、そこではパニッシャーというマスクマンに変身したんです。そして新日本参戦前の90年にはWCWに上がるんですよ。セッド・ビシャスとダニー・スパイビーがスカイスクレイパーズというタッグチームを組んでいたんだけど、セッド・ビシャスがケガをしてその代役としてテイカーさんが選ばれたんですね。WCWのときはミーン・マークやマーク・キャラスを名乗っていて。
    ――コロコロと名前が変わりますね(笑)。新日本時代はパニッシャー・ダイス・モーガン。
    フミ 新日本もテイカーさんの素材の面白さを評価して、また日本に呼ぼうとしてたんです。スコット・ホールとのコンビでIWGPタッグ王座にも挑戦していますから、新日本としては今後も使っていきたいレスラーだったんでしょうね。新日本にスカウトしたのはカルガリー在住のジョー大剛(鉄之助)さん。大剛さんが見つけてきた新日本外国人選手はコンガ・ザ・バーバリアン、ハクソー・ヒギンズ、グレート・コキーナ(ヨコヅナ)、ザ・ソウルテイカー(ザ・ゴッドファーザー)。みんな大型レスラーですよね。外国人選手はヘビー級に限るという考えがあったんでしょう。
    ――テイカーさんのことも期待していたんですよね。
    フミ テイカーさんが日本を離れる前に、彼のインタビューが載った『週プロ』を手渡しに行ったんです。そうしたら「オフィスからまた来てくれと言われたよ」って言うから再来日するんだと思っていたんです。そうしたらそのままWWEと契約してしまって。
    ――あの新日本参戦は素のテイカーさんの姿が見れたんですね。
    フミ ずいぶんと貴重ですよ、そのままテイカーさんはスーパースターになるわけですから。この続きと、船木誠勝とUWF、骨法、RIZIN反省会、原理主義者対談、亀田1000万円…など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
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  • 久々に爆発! 好試合満載のUFC 211を振り返る■MMA Unleashed

    2017-05-18 14:49  
    62pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは……久々に爆発! 好試合満載のUFC 211を振り返る!!日本時間5月14日(日)に開催されたUFC 211は、スター選手の不出場・意味のわかりにくい暫定タイトルマッチ・薄味のマッチメイク・相次ぐ大会キャンセルなど、まるで新体制下の産みの苦しみを味わっていたかのように切れ味を鈍らせていた今年上半期のUFCが、ようやく深い眠りから覚醒したかのような、豪華で充実した大会となった。
    UFC 211の前日に行われた『サマーキックオフ・プレスカンファレンス』でも、ジミー・スヌーカ風に着飾ったケビン・リーがマイケル・キエザに殴りかかったり、バックステージではダニエル・コーミエがジョン・ジョーンズにペットボトルを投げつけるなど、こちらも猥雑(わいざつ)で不謹慎でエキサイティングなUFCが戻ってきたかのようで非常に楽しめるものだった。
    今回はUFC 211の主な試合を、海外での報道内容も織り交ぜながら振り返ってみたい。
    ●スティペ・ミオシッチ def. ジュニオール・ドスサントス(1R2分22秒 TKO)
    ヘビー級実力者同士の2年半ぶりの再戦。前回はドスサントスがミオシッチをどうにかこうにか判定勝ちに丸め込んだ。その後負け知らずでチャンピオンにまで登り詰めたミオシッチと、ケガも多く年1試合ペースがやっとのドスサントスの間に、実力の逆転が起きているのではないかとは予想されたが、それでも1発入れば試合が終わるヘビー級の試合であるから予断を許さない。
    試合開始早々から、ミオシッチのスピードと手数がドスサントスを圧倒する。ミオシッチが、何だこんなものかと高をくくって、いささか不用心に攻め込んでいるように見えるほどである。そこがまさにベテランのドスサントスがまいているエサなのではないか、何か秘策やワナを懐から取り出してみせるのではないかと用心深く見ていたのだけれど、結局逆転劇は起きることなく、ミオシッチがドスサントスがそのままあっさりと寄り切ってしまった。リマッチというのは、時の流れや勢いの差をとても忠実に反映するものだと本当に思う。筆者の記憶の範囲では、リマッチで時の流れに逆らうような結果が出たことはほとんどない。
    ちなみに、つい“ベテランのドスサントス”と書いてしまったが、ドスサントスは現在33歳、一方のミオシッチは現在34歳である。元々野球選手になりたかったというミオシッチ、MMAデビューは27歳の時だったのだ。
    ミオシッチはこれで、アンドレイ・アルロフスキー、ファブリシオ・ヴェウドゥム、アリスター・オーフレイム、ドスサントスという強豪を4人連続で1ラウンド・ノックアウトしたことになる。現状では向かうところ敵なしというよりほかない。
    試合後のミオシッチは次戦については特にコメントをせず、「時間を取ってじっくり考えてみたい」と語った。何をじっくり考えるのかと問われても、同じ答えを繰り返すばかりで詳しいことは話さなかった。ミオシッチは、UFC 203(2016年9月)でオーフレイムをKOした際、オーフレイムの方がファイトマネーが高かったことをうけて、「フェアではない。改めてもらわなければならない。ないがしろにされたような気分だ。私は契約を見直そうと交渉を試みているが、UFCは見直してくれない。どうやら彼らは私の寛大さを弱さだと思っているようだ。再交渉は現時点では話がグチャグチャになって放置されている」などと珍しく怒りをあらわに語っていたこともあるので、そのことと関係があるのかもしれない。この続きと、船木誠勝とUWF、骨法、RIZIN反省会、原理主義者対談、アンダーテイカー、亀田1000万円…など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
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  • 大仁田厚のT-2000加入と、こんにゃくドラゴン誕生■ズンドコ・トラブル興行研究会<漁師JJ・編>

    2017-05-18 11:36  
    51pt
    「ズンドコ・トラブル興行研究会」!! プロレス格闘技のウラに精通する書き手たちがマット界を騒がせたズンドコな事件を振り返ります! 今回はプロレスブログ「多重ロマンチック」の漁師JJさん。今回のテーマは「大仁田厚のT-2000加入と、こんにゃくドラゴン誕生」です!<漁師JJさんの記事>
    アルティメットクラッシュ…新日本プロレスと総合格闘技
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1230766ファン不在から得た教訓……棚橋弘至、伝説のノーピープルマッチ
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1251981プロレス界には、記憶の片隅に忘れ去られていることがある。
    サイバーエージェント出身の兎仮面・キラーラビットがCHAOSメンバーにいたこと。
    平成維震軍にテリー・ファンクがいたこと。
    そして大仁田厚が蝶野正洋率いるクールなヒール軍団、T-2000(チーム・トゥーサウザンド)のメンバーだったことです。
    (※次点はロス道場所属のザ・コブラII)
    T-2000といえば近年では2017年1月5日、スコット・ノートン来日時に一時的に再結成。チーズバーガーがちゃっかりメンバーに入っていたサングラスの似合う黒づくめのおしゃれユニット。そんな中に汗と傷と血の似合う涙のカリスマ、大仁田厚が所属していたのです。なぜ多くの人の印象に薄いかといえば簡単な話。リング上ではT-2000としてほとんど試合をしてないからです。この続きと、船木誠勝とUWF、骨法、RIZIN反省会、原理主義者対談、アンダーテイカー、亀田1000万円…など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
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  • 紀元前のシューティング……「スーパータイガー・ジムに通った高校生」/ソムチャーイ高津

    2017-05-18 00:01  
    72pt
    シューティング(修斗)がプロ化する以前を知る男、元キックボクサーソムチャーイ高津インタビュー。総合格闘技をやりたくてもやりきれない時代を生きた男たちの物語があった――!!(聞き手/高崎計三)──高津さんはNJKF(ニュージャパンキックボクシング連盟)のライト級1位にもなられて、キックボクシングの試合は僕はよく取材させていただいてたんですが、格闘技歴の始まりがスーパータイガー・ジムだということは知らなかったんですよ。
    高津 ええ、じつはそうなんです。もう大昔ですけどね(笑)。
    ──この前、たまたまFacebookで高津さんのお友達がそのことを書かれていて、ビックリして。これは当時のお話をお聞きしなきゃ!ということで(笑)。入門したのは何歳のときだったんですか?
    高津 17歳、高校2年生の夏ですね。87年でした。
    ──入門の理由は? やっぱり佐山さんのファンだったとか?
    高津 当時は言えなかったんですけど、タイガーマスクは嫌いだったんですよ(笑)。小林邦昭のファンだったもので。
    ──ええーっ! 小林邦昭のファンっていう人もたしかにいましたけど、少数派でしたよね。しかもスーパー・タイガージムでは(笑)。
    高津 たしかに少数派でしたね。ひねくれ者だったんです(笑)。ジムにはタイガーマスクのファンがけっこうたくさん来てましたけど、僕はあんまり居心地がよくなかったですけど(笑)。
    ──そうでしょうね(笑)。そもそもタイガーが好きじゃないのに、どうしてスーパー・タイガージムに?
    高津 最初はボクシングをやろうと思ってたんです。僕の最初のヒーローは具志堅用高さんだったので。『あしたのジョー』とか『がんばれ元気』とかの漫画から入ったんですけどね。そういうのを読んでたので「特別な人しか始められないんだ」と思っちゃって。スカウトされないと入れないんだろうと思って、中学生の頃にはヨネクラジムまで走って往復したことも何度もありました(笑)。
    ──でもスカウトされず、と。
    高津 で、たまたま87年の6月に第2回プレシューティング大会を見に行きまして、そこで「あ、始めるならいましかない。これ以上遅れたらダメだ」と思ったんです。しかもパンフレットには「会員募集中」って書いてあって「会員って募集してるんだ!」と知って。入会金3万円、月謝1万円と高かったですけどね。
    ──30年前だから、余計に高いですよね。
    高津 はい。それで親にお願いして。親も僕がずっとボクシング、キック、プロレス……要は『ゴング』に載ってるものが全部好きなのをよく知ってたので、「しょうがないから行かせてやる。ただ、入会金と最初の月謝は払ってやるけど、月々の月謝は自分で払えよ」ってことで。それで、通い始めると同時にバイトも始めて。片道1時間かけて通ってましたよ。三軒茶屋のゴリラビル、いまのシルバーウルフジムの場所ですね。なにしろプレシューティング大会には自分より年下の選手も出ていたので、焦ったんですよ。「いまじゃないと間に合わない」と、尻に火がついたような感じで。
    ──最初は見学から?
    高津 見学には何回か行きました。インストラクターに平直行さん、北原光騎さん、中村頼永さんがいた時代で。
    ──凄い(笑)。
    高津 でも平さんと練習できたのは5回ぐらいだけだったんですよ。入ってちょっと経った頃に伊豆の合宿に参加したら、「お前、まだ始めたばっかりなのに合宿まで来て大丈夫なのか?」って言われたんですけど、「いや、スタミナだけは自信あるんで!」って答えたのを覚えてますね。技術は全然でしたけど(笑)。
    ──スタミナはそんなに自信あったんですか?
    高津 ありました。中学の時に野球部にいたんですけど、いま考えるとメチャクチャな部活で、スパルタだったんで鍛えられたんですよね。だから体力とスタミナだけは自信があったんです。実際、合宿では朝のランニングで平さんがガーッと飛ばすんですよ。5人ぐらいしかついていけなかったんですけど、僕は最後まで残ったので、それで認めてもらって。
    ──へえ~。シューティングで合宿と言えば、テレビカメラが入ったあの有名な合宿がありますが……。
    高津 僕が行ったのは第1回の合宿なので、それよりも前ですね。20人ぐらいで3泊4日でした。朝ランニングして、戻ったら体育館みたいなところで練習して。ボクシングジムとか柔道場みたいなのが併設されていたので、いろんなところでやりました。
    ──練習の内容はどうだったんですか?
    高津 筋トレというか、いわゆるゴッチ式トレーニングですね。腕立てとかフットワークとかを、トランプめくってやるヤツ。
    ──ああ、出たマークと数字で種目と回数が決まるというアレですね。
    高津 あとキックミットもやりました。柔道場を借りたときは寝技をやって。体力練習が多かったですね。ダッシュとか長距離走とか。
    ──陣頭指揮は誰が?
    高津 佐山先生です。それにみんな必死についていって。「フットワークやれ」って言われて、30分以上ずーっとやったり。いまの練習とは全く違いましたね。
    ──根性練習ですね。
    高津 面白いのが、その後にキックボクシングに転向して小国ジム(現・OGUNI-GYM)というところに入ったんですけど、そこの合宿に行ったら練習方法が全く一緒なんですよ。要は目白ジムの流れなんですね。佐山先生も目白ジムに行ってたじゃないですか。黒崎健時先生の教えだったんです。
    ──なるほど! つながってたんですね。OGUNI-GYMの斎藤京二会長も、黒崎健時さんの新格闘術出身ですしね。
    高津 合宿では最初のランニングについていけたというので認めてもらえて、平さんにもかわいがってもらいました。中村さんとは家が近かったというのもあったり、あと北原さんはオモチャを扱うように自分のことをかわいがってくれて(笑)。
    ──北原さんって、練習生にあだ名をつけてたじゃないですか。高津さんも?
    高津 いや、僕はとくになくて、「高津」でしたね。くん付けのときもあったかな。たしかに他の人たちはみんなあだ名がありましたけどね。
    ──佐山さんって、やっぱり怖かったですか?
    高津 怖かったですね……いやいや、そんなこと言えないです。言えない言えない(笑)。うーん、いろいろあったけど、いまとなっては全部いい思い出ですねえ……。
    ──いやいや、勝手にまとめないでください(笑)。テレビで放送された合宿では、「それがお前の一生懸命かぁ!?」って竹刀でバシバシ叩いたりしてたじゃないですか。あんな感じですか?
    高津 合宿のときはまだそこまでではなかったですね。その後、試合が増えてきたりするとどんどんそんな感じになっていきましたけど。まあ、佐山さんにもかわいがっていただきました(笑)。
    ──あの合宿の映像を見て、「あれは佐山さんは怒ってない。本当に怒ったらあんなモンじゃない」って言う人が多いんですが……。
    高津 たしかに怒ってはいないですね。カメラの前なので演じてる部分もあったとは思いますけど。本当に怒ったときはあんなモンじゃないですよ。自分が怒られたこともあるし、他の人が怒られてるのも何度も見たし。
    ──こええ……(汗)。どんなことで怒られたんですか?
    高津 うーん……何だったんだろう? まあ僕はクソ生意気な高校生でしたからね(笑)。怒られてもあんまり深刻に考えないで、「ヤベ、今日は機嫌悪いな」ぐらいに受け止めてましたし。
    ──高校生で佐山さんの大爆発を体験するっていうのもすごいですけど(笑)。
    高津 いやあ、僕は正直、北原さんのほうが怖かったですよ(笑)。
    ──ええっ! そんなにですか!
    高津 自分は直接やられてはいないですけど、醸し出す雰囲気とかですね。佐山さんの怒りは演技というか、立場上怒ってる、みたいなものを感じたんですよね。いやまあ、正直みんな怖かったですよ(笑)。この続きと、船木誠勝とUWF、骨法、RIZIN反省会、原理主義者対談、アンダーテイカー、亀田1000万円…など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
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