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記事 28件
  • 【13万字・記事詰め合わせ】谷津嘉章、『ギブUPまで待てない!!』の裏側、中井りん、崔リョウジ、竹田誠志…

    2016-10-31 23:59  
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    part33収録記事●現在焼肉店店主・谷津嘉章インタビュー
    流浪のプロレス人生のすべてを語る! 
    「ガチだったら楽だけど、そうじゃないから」
     
    ●大反響!アジャ・コングインタビュー②
    恐るべし全女の異種格闘技戦/ダンプ松本、究極の親分肌
     
     
    ●狂乱のデスマッチファイター竹田誠志が語る「広島カープ25年振りのリーグ優勝」
     
     
    ●好評連載「斎藤文彦INTERVIEWS⑦」
    ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった
     
     
    ●ネット騒然インタビュー!! 中井りん「RIZIN様への参戦? 前向きではありますが……」
     
    ●事情通Zのプロレス 点と線
    プロレスメディアに「エアインタビュー」はあるのか/「アンチヨシタツ」とは何なのか?
     
     
    ●これを読めばアナタも勝ち組! 崔リョウジ
    ランズエンドがあなたを啓発する! 「夢、努力、勝ち癖、4億円」インタビュー
     
    ●小佐野景浩のプロレス歴史発見
    80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!
     
    ●敏腕マネジメントがMMAシーンを激語り! シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク
     
    ・ドゥテルテ旋風!フィリピン麻薬撲滅運動がUFCを吹き飛ばした
    ・4100億円が動いた! UFC売却の端緒は『ハスラー2』にあった!?
    ・「元UFCファイター」に勝ってもUFCには近づけない?
     
     
    ●金原弘光のゼロゼロ年代クロニクル
    生涯獲得ファイトマネー10億円? 生まれ変わったらダンヘンになりたいよ!
     
     
     
    ●オマスキファイトのMMA Unleashed
    ・中邑28連勝、アスカ79連勝、イタミはGo 2 Sleep解禁!日本人旋風が吹き荒れるWWE
    ・GSP、UFCと決別か!? コナー・マクレガー、ペットボトル投げの罰金ナゾの50%オフ!/ UFCに大リストラの嵐
    ・UFCに残されたフロンティア、中国市場は酸いか甘いか
    ・RIZINレビュー:けなげさに胸が詰まるJ-MMAのすばらしき世界
     
     
    ●格闘技界の事件・騒動を分析! 「MMAオレンジ色の手帖」
    ・異論!?反論!? 選手・関係者の証言から考えるチケット手売り問題
    ・続発!?外国人選手規定体重オーバー問題■「MMAオレンジ色の手帖」
     
     
    ●二階堂綾乃のイラストコラム
    過敏ワード化? 「プ女子」論争再び/カビとの闘い!!
     
    ●中井祐樹の「東奔西走日記」
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    レスリングオリンピック代表からプロレスに転向、新日本プロレス、ジャパンプロレス、全日本プロレス、SWS、SPWF、PRIDE出場……流浪のプロレス人生を送ってきた谷津嘉章がすべてを語るインタビュー連載の第1回! 新日本入団から、あのゴッチさんを怒鳴ったというアメリカ修行時代の道場ガチンコマッチまで! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!――谷津さんに濃厚なプロレスラー人生を振り返っていただきたくて、小田原の国府津までやってまいりました!
    谷津 わざわざご苦労さん。そうだなあ。アントニオ猪木さんに騙されたのかなあ(苦笑)。 
    谷津さんが店主を務める国府津「はかた亭」――ハハハハハハハ! 谷津さんといえば、まずはレスリングのオリンピック出場に触れないわけにはいかないですよね。
    谷津 俺は足利工大附属高校でアマレスを始めたんですよ。そこの学校の後輩には三沢(光晴)や川田(利明)なんかがいるんだけど。俺はそんなにアマレスはやりたくなかったんですよね。自分は中学のときはルンペンだったから。
    ――ルンペン?
    谷津 帰宅部で何も運動をやってなかったんですよ。いまはさ、ちびっ子レスリングが盛んですけど、昔は柔道や相撲からレスリングに転向する奴が多かったんです。吉田沙保里や伊調馨は小さい頃からレスリングをやってたでしょ。
    ――谷津さんは高校から始めてすぐに頭角を現したんですね。
    谷津 覚えるのが早くてね。国体で優勝して、高校2年のときにひとりだけ選抜チームに入ったし。周りはみんな先輩ばっかだから行きたくなかったんだけど。
    ――覚えるのが早いどころじゃないですね(笑)。
    谷津 モントリオールオリンピックは20歳のときに出ましたからね。俺はオリンピック村で20歳の誕生日を迎えたんですよ。
    ――19歳で! それはかなり異例だったんですか?
    谷津 格闘技では異例ですね。まあレスリングを始めてわずか数年の出来事ですよ。 
    ――それはつまり相当強かったんですね。
    谷津 うん。
    ――さすが「日本重量級史上最強の男」ですね(笑)。
    谷津 それがいいんだか悪いんだかね、人生そこで変わっちゃいましたよね。そこから車屋なんかで働こうなんて思わないじゃないですか。どんどんとレスリングのほうに見出されていっちゃうわけだからね。
    ――当時はオリンピックレスラーいえども待遇はあまりよくはなかったんですよね。
    谷津 全然ですよ。その次にモスクワオリンピックがありましたよね。アメリカとの政治的事情で日本はボイコットしちゃったけど。
    ――谷津さんが出場すればメダルは確実だったと言われる。
    谷津 まあ、やってみなきゃわからないですけどね、それは。あの1年2年手前くらいから待遇がよくなってきましたね。強化指定選手というのがあってね、ABCとランク付けされるんですよ。それぞれ栄養費として毎月お金がもらえるんだけど。自分はね、重量級の中でBだったんですよ。
    ――Aクラスじゃないんですね。
    谷津 Aっていうのは世界選手権のチャンピオンクラスですよ。Bってのはアジア大会クラス。Cは強いかな弱いかな、とりあえず強化指定って感じで。19歳でBは俺しかいなかったんです。それはアジア大会優勝したから。
    ――Bだと栄養費はどれくらい支給されるんですか?
    谷津 Bはね、月5〜6万円もらってたかな。あと遠征費も全部じゃないけど協会が出してくれる。それだけじゃ足りないから世界選手権に出るときなんかは県庁や地方自治体に挨拶に行って、壮行会をやってもらって資金を集めるんです。いまでもスポーツ選手というのはね、周囲の応援がなきゃできないですから。そっちに忙しくて練習できなくて勝てなかったなんて言い訳だからね。強い奴は強いですから。
    ――当時は“日本レスリングの父”八田一郎さんがレスリング協会の会長でしたけど、練習方法がとにかく独特で厳しかったんですよね。
    谷津 根っからの怠け者の俺でさえ、あの頃は練習をやってましたよ(苦笑)。練習は1日10時間。朝練、昼練、夜練。練習方法も異常。たとえば1年間、左手で飯を食えとか。
    ――利き腕じゃないほうを使いこなせるように。
    谷津 強化選手が合宿に行くじゃないですか。朝いきなり起こされてね、上野動物園に連れて行かれてライオンの檻の前で寝るとかね。
    ――ハハハハハハハハ! 精神修養ですね(笑)。
    谷津 「かつて日本はロシアのバルチック艦隊に勝ったんだから、おまえらもロスケに負けちゃいかん!」とよく言われましたよ。「なーんか時代錯誤だなあ……」とは思ってたんだけど。「強いところで練習しないと強いくならん」という方針で、強い選手に揉まれて精神的コンプレックスを払拭しろと。「ロシアは強い」という潜在意識があったけど、一緒に練習すればなくなるだろうっていう発想なんですよ。だから俺も2ヵ月くらいモスクワに住んで向こうの選手と練習しましたよ。
    ――当時はソビエト連邦として未知の国で。
    谷津 相撲でいう心技体の「心」で負けちゃいけない。「強い」という先入観があると落ち着かなくてどこかで上ずっちゃたりしてね、ホントの実力が出ないうちに勝負が終わっちゃうから。
    ――トップクラスになると精神が重要になってくるわけですね。
    谷津 心が一番大事。あとで自分もプロレスデビューするわけじゃないですか。スポットライトを浴びてお客さんがウン千人も見てる。もっと大きな会場だと何万人もいるでしょ。異常な大歓声とスポットライトの中で「……これ、何をやったらいいの?」と戸惑ったこともありましたよ。
    ――レスリングで実績を積んでいてもジャンルが違うと戸惑うもんなんですね。
    谷津 ガチンコだったらできますよ。ガチンコじゃなくて、プロレスはある程度、技と技を競うわけだから。ガチだったら、そりゃあ楽ですよ。プロレスは難しいです。
    ――谷津さんはモスクワ五輪ボイコットによりプロレス入りをするわけですよね。あのボイコットで五輪出場が絶たれてしまい、涙を流した選手は多かったですけど……。
    谷津 俺も「ありゃまあ」って感じでしたよ。
    ――「ありゃまあ」ですか(笑)。
    谷津 卒業して2年間は学校の職員をやりながらオリンピックを目指していたのに、その目標がなくなってしまったから。あっちこっちで4年間練習して、けっこうなお金も使ってたじゃないですか。100万200万という単位じゃないからね。モスクワがダメになってこれからどうするかって考えたときに「そうだ、アレがあったなあ……」って。それがプロレスですよ。 
    ――たとえば教師や指導者という道もあったと思うんですけど。
    谷津 うーん。その頃はオツムが足りなかったせいか、その考えはなかったね。まだ若かったからね、自分の身体を使って何かをやりたかったんですよ。
    ――同じオリンピックレスラーの長州さんや鶴田さんがプロレス入りしていたことも影響しました?
    谷津 ないですね、自分はあんまり。だって知らなかったもん。ジャンボがプロレスに入ったことは知ってたけど、長州力のことは知りませんよ。
    ――へえー、同じアマレスでもそういうもんなんですね。
    谷津 なんでジャンボのことは知ってたかというと、ジャンボの同級生が俺のライバルだったの。いまは北海道のレスリング協会の会長をやってますけど。
    ――それくらいプロレス事情に疎いのにプロレス入りのツテはあったんですか?
    谷津 福田(富昭)さんの仲介で新日本に入ることになったんですよ。
    ――八田さんのあとを引き継いでレスリングの隆盛に尽くした福田さんですね。
    谷津 あのとき福田さんが猪木さんや新間さんとどんな話をしてたのかは俺は知らない。
    ――あ、谷津さんは交渉していないんですか。
    谷津 全然してない。福田さんから「おまえ、新日本に入れ」って言われただけ。条件も何も言われてない。向こうに任せっきり。
    ――それって怖くないですか?(笑)。
    谷津 まあ、自分のことを自分で決められないような男なんですよね。でも、ちょっと興味があるからプロレスに入るんです。プロレスに興味はあったんですよ。
    ――では、猪木さんに会ったのは入団が決まったあと。
    谷津 いや、その2年前に会ってるんですよ。モントリオールオリンピックが終わったあとにロサンゼルスでたまたま会ったことがあるんです。そんときに「将来プロレスをやらないか?」なんて言われて小遣いをもらいましたよ。700ドルくらい。
    ――あの頃の700ドルって大金ですよね。
    谷津 日本円で20万弱ですよ。プロレス入りしてからほかのレスラーに「猪木さんからよくそんな大金をもらったな。猪木さんって凄くケチなんだよ」って言われてね(苦笑)。
    ――ハハハハハハ! 
    谷津 あのとき猪木さんは見栄を張ったんじゃないですか。あと俺のことが欲しかったんでしょう。当時は「キング・オブ・スポーツ」を謳ってから。
    ――レスリングの強い選手を入れたかったんでしょうね。
    谷津 で、10月30日の熊本・水神体育館で入団挨拶をしたんですよ、新間さんが「凄いヤツを紹介します」ってことで。そこから合流したんですけど、あんときは若手に前田日明、ジョージ高野、仲野新市とかがいて。クソ生意気だったんですよ、とくに高田(延彦)が。
    ――谷津さんはエリートですから敵愾心もあったというか。
    谷津 当時の高田は猪木さんの付き人をやってたんですよ。猪木さんの付き人をやるってことは将来を嘱望されてるわけだしね、俺に対して「アマチュアなんかに負けねえぞ!」って態度で。野球少年なのにさ。
    ――野球少年なのに(笑)。
    谷津 挑戦的なんですよ。たしかに練習も凄くてね、スクワットなんか1000回やってて、俺も「凄いなあプロレスラーは」って感心しながらついていったんだけど。翌日の鹿児島大会が終わったあと俺の歓迎会があったんですよ。「おまえ飲め!」なんて焼酎をバンバン飲まされてね。もう酔っちゃってわけがわからくなっちゃって「なんだアマチュアはそんなもんか!」なんてバカにされて。
    ――プロの洗礼を受けたんですね。
    谷津 翌日は当然二日酔いでね、朝9時に出発と聞いてたから、巡業バスにギリギリ10分前に乗り込んだんですよ。そうしたら全員バスに乗ってて冷たい目で俺のことを見るわけよ。よくよく聞いたら新日本の習慣というかルールでは、9時集合だったら30分前に集合なんだって。だったら最初から教えてくれよって話でしょ。「この連中は最悪だな……」って思いましたよね。
    ――「昭和・新日本」って意外と女々しい話が多いんですよね(笑)。
    谷津 これはあとでわかったんだけど、歓迎会のときに焼酎で潰されたでしょ。ほかの連中は途中から水を飲んでたっていうんだから。「レスリングは弱いなあ」ってなんて言ってたくせにさあ。
    ――バカ正直に生きちゃいけない世界なんですかね(笑)。
    谷津 練習なんかもっと酷いよ。星野勘太郎っていたでしょ。「おまえが入ってきたとき、いつもは300回だったヒンズースクワットが1000回になったんだバカヤロー!」って。
    ――練習もハッタリだったんですか!(笑)。それくらいレスリングエリートの谷津さんを警戒してたというか……。
    谷津 なんかヨソモノ扱いというか、プロレスもろくに教えてくれなかったから。薄々は気づいていたけど、プロレスがガチじゃなくてショーなんだってちゃんと教えてくれたのはアメリカに行ってからですよ。
    ――当時の新日本はデビュー直前に新人にケーフェイを教えるという話もありましたね。谷津さんは新日本道場で練習はされてたんですか?
    谷津 通いですけど、道場で練習してましたよ。
    ――通いということは、新弟子生活は経験されてないんですね。
    谷津 ないですね。当時は練馬に住んでいて、そこから野毛の道場に通ってたんですけど。
    ――先輩レスラーに怒られたことはありますか?
    谷津 ないですね。
    ――なんだか外国人レスラーみたいですね。
    谷津 うん。だから新日本プロレス出身という自負はないんですよね。
    ――なるほどなあ(笑)。道場ではどういう練習をされてたんですか?
    谷津 受け身、ウエイト、ブリッジをやったり。見てくれたのは小鉄さんだけど、プロレスは教えてくれなかったですね。
    ――基礎体だけやらされたんですね。ほかの若手とは馴染まれたんですか?
    谷津 いやあ、あいかわらず冷たかったですよ。凄く対抗意識を持ってましたし、若手は藤原(喜明)さんとガチの練習をやってたんですよ。あのときの新日本の練習はガチばっかですから。
    ――谷津さんも参加されたんですか?
    谷津 俺はやらないですよ。プロレスをおぼえたいですから。
    ――混ざらなかったんですね。
    谷津 だってさ、俺が勝つのはわかってるから。でしょ? 
    ――まあ技術が違うでしょうし。
    谷津 「こっちは何年アマレスやってると思ってるの?」って話で。
    ――向こうから誘われたりもしなかったんですか?
    谷津 なかったですね。まあ、誘わないでしょ(苦笑)。そのうち高野俊二や仲野、ジョージなんかは「谷津さん」なんて声をかけてくれたけど、高田は妙に対抗してたんだよなあ。たとえばコインランドリーに洗濯に行くじゃない。あとから来た高田が「ダメですよ、谷津さん。そこは猪木さんの場所ですよ!」って怒ってきて。なんだよ、猪木さんの場所って。
    ――専用の洗濯機があったんですね(笑)。
    谷津 1ヵ月もしたらアメリカに出されてニューヨークでプロデビューしたんですよね。
    ――いきなりマディソン・スクエア・ガーデンだったんですよねぇ。
    谷津 あのときは猪木さんがボブ・バックランドとやって、カンちゃん(キラー・カーン)も出てたな。その前にローカルの大会で試合はしてるんですよ。小さな体育館みたいなところで。やったといってもね、形になってるかどうかはわからないですけど。
    ――ああ、さすがにいきなりマディソン・スクエア・ガーデンではなくて。
    谷津 ジョン・レノンがセントラルパークで撃たれた頃ですね。ほとんど毎日試合をやってました。あの頃のWWFはビンス・マクマホンのお父さんがやってて、お父さんはアマチュアレスリングが好きなんです。だからボブ・バックランドなんかもチャンピオンになったでしょ。
    ――そのサーキットでプロレスに慣れてきたんですね。
    谷津 慣れていきましたね。頭もスマートになって、ケーフェイも解かれて、要注意人物じゃなくなったんですよ。パット・パターソンから「プロレスはこういうものだ」って教えてくれたんだけど。
    ――ガチンコではないぞと。 
  • 【アンコール劇場】修斗とUを漂流した男・入江秀忠「俺は自称UWFじゃないんですよ」

    2016-10-27 00:00  
    110pt
    Dropkickアンコール劇場にキングダムエルガイツ代表入江秀忠(イリエマン)が登場! 最近のファンからすると「DEEPバラエティ代表」、古しのファンからは「UWFを勝手に名乗ってる男」のイメージが強い入江。しかし、その格闘技人生はさすが90年代を生き抜いてきた男、ド濃厚なものであった(この記事は2014年8月に掲載されたものです)。 

    「大相撲、学生相撲、修斗、そしてキングダムへ……」
    ――「1990年代の総合格闘技」を語っていただくシリーズをやっていまして。
    入江 サイトを見ました。「あの人はいま……」みたいな感じではないんですよね?(笑)。
    ――というわけではないですね。90年代の格闘技界ってグチャグチャしていてホント興味深いですし、いまだからこそ語れることもあると思いまして。
    入江 はいはい、ボクもかなり長いですからね。
    ――もともと入江さんは大相撲をやられていたんですよね。
    入江 はい、相撲ですね。一級上が貴乃花や曙さんであり、同期が魁皇。周りはそうそうたるメンバーだったんですよ。
    ――大相撲全盛期。
    入江 当時の相撲人気はヤバかったですね。チケットは取れないし、満員御礼の記録が続いていたし、千代の富士さんが53連勝していた頃で景気はよかったですね。タニマチが若手まで全員にお小遣いを渡したり、もの凄く羽振りのいい時代だったと思いますよ。
    ――入江さんは相撲取りになりたかったんですか?
    入江 いや、ぜんぜん。
    ――あ、違うんですか(笑)。
    入江 10代の頃は相当グレていて。高校を2回クビになるくらい荒れていまして。それで3校目の高校に入学しようとしたときに、大相撲の元・佐渡ヶ嶽親方(元・横綱、琴櫻)が「ウチの部屋に入門来てみないか」と。自分の親が佐渡ヶ嶽部屋を後援してたんですよね。親からすれば不良でどうしようもなかったので預けようということだったと思うんですけど。ボクも東京に行けば何かあるかなと思って。
    ――入門してみてどうですか? 最近だと新弟子のかわいがりが問題になってますけど、当時はかなり厳しかったんじゃないですか。
    入江 日本最後の封建制度みたいなところはありましたね。本当にもう……それはそれは地獄というか(笑)。
    ――日本最後の地獄(笑)。
    入江 いまでも夢にうなされるくらいの地獄ではあったんですけど。ただ、そこを我慢してきたことで、そのあとの人生で何が起きても耐えることができましたよね。
    ――いちばん酷い目にあったのはなんですか? 言える範囲でいいですけれども。
    入江 言える範囲のことはないですね(笑)。
    ――ハハハハハハ! すべて言えない範囲(笑)。
    入江 本当にね、想像を絶する世界ではあったので。いまの時代はちょっとしたことで大問題になったりするじゃないですか? ボクがいたときは問題にもならなかったので本当に凄かったですね。
    ――何か悪いことをやって怒られるのではなくて、意味もなく怒られたり殴られたりする理不尽の嵐だったというか。
    入江 そうですね。それがいいところでもあるんですけど、いまの相撲部屋は業界の取り組みでだいぶ良い方向に変わったと思います。それで相撲には1年くらいいました。
    ――相撲を辞めた理由はなんだったんですか?
    入江 取り組みで飛び蹴りをやってしまいまして。3大新聞の紙面を飾ったくらい大問題になったんですよ(笑)。
    ――ハハハハハハ。どうしてそんな荒技を?
    入江 突っ張りはともかくとして、張り手という行為は反則という意識があって。張られたもんだから頭にきて相手を土俵下に投げたあと、勝ち名乗りも受けないでドロップキックを喰らわせたという。
    ――凄い!(笑)。
    入江 それがきっかけで廃業したというか。それ以前に大学に行きたかったこともあったんですね。ちょうど学生相撲から誘いがあったので、それで自分から廃業届けを出して。
    ――大相撲から学生相撲に移るのは珍しくないんですか?
    入江 当時でも珍しい話ですし、ありえないかもしれません。自分は節々でそういう運に恵まれていたところはありますよね。どうしようもなくなったら誰かに助けてもらっている気がします。
    ――それで大学に通うようになったんですね。
    入江 日大だったんですけれども、大学相撲で8連覇している名門だったんですよ。だけど、その当時の監督が、ボクが相撲を1年間やったとはいえ、日大は小学校から相撲をやっているようエリートが10人くらいいたので。追いつけないとはいえないまでも、エースにはなれないなって感じだったと思うんですよ。だったら1年のときからバリバリのエースでやれるようなところに行ったほうが活きるんじゃないか、と。それで国士舘大学を紹介してもらってそこに移籍したんですよね。
    ――流れ流れてますねぇ。
    入江 国士舘では1年から卒業までエースでやらせていただいて。いま考えると日大で補欠の2番手3番手でやっていても相撲は続かなかったんじゃないかなとは思ってます。
    ――総合以前から壮絶な格闘技人生ですね(笑)。卒業後はどう考えていましたか?
    入江 先生になりたかったんですよね、学校の。
    ――大相撲に戻りたいと思わなかったですか?
    入江 大学卒業後、まわしを巻いたことは一切ないですね。
    ――もともと好きで相撲を始めたわけではないこともあるんですかね。
    入江 それもたしかに(笑)。ただ一度やり始めたことは納得するまでやる気持ちがありましたから。それで先生になろうとしたんですけれど、冷静に考えるとボクって高校を2回もクビになってるんですよね(笑)。
    ――ハハハハハ。
    入江 じつは高校もバレーボールの特待生で、大学も相撲特待で入っているじゃないですか。まったく受験を知らない男だったんですよ。なんだかんだで教員免許は取ったんですけれど、当時の採用試験1000人受けて30人しか通れないような倍率だったので。だから受験を知らない男が通るようなものではないですよね。そこで総合格闘技をやろうと思ったんです。きっかけは第1回のバーリトゥードジャパンでヒクソンが優勝したじゃないですか。その試合を見て総合格闘家になろうと思っちゃったんですよね。
    ――プロレス格闘技に興味はあったんですか?
    入江 ぜんぜんです。じつはここだけの話、現在U系の団体を背負ってはいても、当時はとくに興味がなかったんですよ(苦笑)。UWFっていうムーブメントは知っていましたよ。大きなムーブメントでしたし、一般のマスメディアなども扱ってましたから。総合格闘技がどんなものか知られていない時代だったんですけど、ヒクソンの試合を見て「これなんなんだろう?」っていう興味が出てきまして。それでシューティングをやり始めたんですよね。
    ――当時格闘技を習うとなるとシューティングしかなかったですもんね。あとは骨法くらいで。
    入江 骨法にも問い合わせてみたりしたんですよ。でも、骨法の場合は、体験も何もなくいきなり入門しなくちゃならなくて。
    ――骨法は見学ができないシステムなんですよね。
    入江 だからどういうことをやってるのかもわからないし。シューティングもその頃は三軒茶屋のジムはもうなくて。オープンしたばかりのK'z FACTORYに入ったんですよね。
    ――佐山シューティングは体験してないんですね。「地獄の合宿」とか。
    入江 佐山先生とはここ数年知り合う機会がありまして掣圏道で教えてもらってるんですけど。当時もその合宿には本当に興味があって。大相撲とどれくらい違うのかな?と。ボクも毎日が地獄の合宿だったので(笑)。
    ――毎日が地獄の合宿(笑)。
    入江 ボクも佐山先生直系の弟子の方たちに教えてもらったんです。K'z FACTORYでは草柳(和宏)さんを初め、初代シューターの先輩方。そのあと移籍した木口道場での師匠は木口(宣昭)先生ですね。
    ――K'z FACTORYのあと木口道場に移ったんですね。
    入江 はい。木口道場には1年くらいかな。そのあいだに全日本アマチュア修斗選手権のヘビー級で優勝してるんですよ。総合を初めて7ヵ月で取ったんです。決勝で戦った藤井克久は全日本レスリングの準優勝をしていて。総合格闘技にグランドパンチも導入されるかされないかの瀬戸際の頃ですね。
    ――入江さんや藤井さんも相当な逸材だったんじゃないですか?
    入江 優勝したときは『格闘技通信』がページを割いてくれて。「どすこいシューター」というキャッチフレーズで初めは鳴り物入りだったんですよ。ところが途中から鳴らなくなったという(笑)。
    ――鳴りませんでしたか(笑)。
    入江 充実してましたけどね。朝起きたら走りこみをして、昼間はバイトして、夜は19時くらいから22時くらいまで練習して。そして寝る前に走りこみをする生活を毎日送っていて。なぜそこまでトレーニングをしていたかというと、ヒクソン・グレイシーは8時間練習していると。だから俺も8時間やらなくてはいけないなと(笑)。 
    ――入江さんの「打倒ヒクソン」はその頃からの目標なんですね。のちにヒクソン戦実現1万人署名運動もやってましたけど、思いつきで言い始めたわけではなくて。
    入江 アマ修斗のチャンピオンになった直後から言っていたんですよ。ヒクソンとやるためにこの世界に入ったので引くに引けなかったんですよね。
    ――K'z FACTORYや木口道場でいうと五味(隆典)選手との接点はあったりしました?
    入江 五味選手は木口道場の昼のレスリングで。まだ五味選手がアマチュアの頃でしたけど。あと佐藤ルミナさんとかプロが集まってましたし。
    ――当時は佐藤ルミナがブレイクする前夜でしたね。
    入江 総合自体が「これから盛り上がって行くぞ!」という期待感が凄くありましたね。ルミナさんもあの頃が一番面白かったと言ってたそうですけど、勉強することがたくさんあって本当に面白かったですよね。それでルミナさんが修斗の後楽園でヒカルド・リッキー・ボテーリョに一本勝ちしたじゃないですか。
    ――日本人が柔術黒帯からMMAで初めて一本勝ちした伝説の試合ですね。
    入江 ボクも後楽園でガッツポーズしましたよ! 柔術の青帯にも勝てないと言われていたので。いい時代でしたよね(しみじみと)。ボクはバイト2つを掛け持ちして、あと練習はするだけで遊びも何もしない。夜は「あしたのジョー」か格闘技のビデオを見ながら酒を飲む。それだけが楽しみの20代でした。
    ――そんな修斗漬けの生活からプロレス団体のキングダムに入門するんですね。
    入江 自分でも不思議だなと思いました。当時U系と修斗ってまったく接点がなくて、まったくのベツモノ。言い方は悪いけれど、修斗はU系を認めていない部分があったし。それなのにどうしてU系のキングダムに入門したかというと、修斗のヘビー級っていまもそうですけど選手があまりいなくて、デビュー戦もできない状態だったんですよ。3年も4年も毎日毎日練習して、どこに出稽古に行っても負けない状況になっていたのに闘う相手がいない。チャンスがなかったんですよね。そんな中でPRIDEでヒクソンvs高田延彦があったじゃないですか。「キングダムに入ったら、もしかしたらヒクソン戦っていう可能性もゼロではないんじゃないかな……?」と思ってキングダムに電話したんですよ。
    ――そこもヒクソン戦実現が動機だったんですか。
    入江 そうしたら運良くキングダム取締役の鈴木健さんと会えることになって。身体と実績を見て「すぐにデビューさせる」という話になったんです。それで1998年1月の興行に来てくれと言われたので会場の後楽園に行ったんですよ。お客さんは超満員だったんですけど、試合が終わったあとに桜庭(和志)さんたちがリングに上がって「ボクたちはキングダムを辞めて高田道場に移籍します」って発表して。そんな話は一切聞いてなかったんですよ!(笑)。
    ――高田さんはキングダムには正式参加してなかったんですよね。高山(善廣)さんや垣原(賢人)さんたちも全日本プロレスに移籍して。
    入江 あの時点で安生(洋二)さん、金原(弘光)さん、ヤマケン(山本喧一)さん以外はみんなキングダムから出ていくことになったんですよね。後楽園は暴動寸前の空気になって「高田を呼んでこい!」とか野次が飛んでたりして。 
    ――団体崩壊寸前のタイミングで入門(笑)。
    入江 「やばいな、これ……」って思いましたね。大会が終わったあとに安生さんと鈴木さんが来て「おまえをこれから売り出すから」って言われたんですけど。
    ――デビューもしてないのに(笑)。
    入江 いちおうそこから道場通いですよ。5階地下1階の立派なビルの道場。
    ――キングダムはどういった団体だったかはご存知だったのですか?
    入江 知ってましたよ。U系の流れをくむ団体っていうことは。
    ――キングダム母体のUインターにはエンセン井上さんがよく出稽古に行かれていましたけど。
    入江 その話をボクも聞いてて。エンセンさんから金原さんや桜庭さんが強いよっていう話は聞いてはいたんですけれど、そのときは別世界のことでしたね。ボクは修斗信者、修斗最強みたいな思想があったので。
    ――キングダムの試合スタイルにはどういう認識があったんですか?
    入江 ボクは最後に入ったので詳しいことはわからないんですけど、ボクの試合はシュートを要求されましたね。 
  • 「アンチヨシタツ」とは何なのか?■プロレス 点と線

    2016-10-27 00:00  
    55pt
    事情通Zがプロレス業界のあらゆる情報を線に繋げて立体的に見せるコーナー「プロレス 点と線」。今回はのテーマは新日本プロレスに参戦中のヨシタツ選手の不思議です!
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    非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! part32は大好評インタビュー11本、コラム9本、13万字オーバーで540円!!(税込み)  試し読みも可能です!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1112535
    ■高杉正彦インタビュー〜剛竜馬とウルトラセブンに愛をこめて〜
    現役最後の国際プロレス戦士が語る伝説のインディ団体パイオニア戦志、ウルトラセブン、そして盟友・剛竜馬の知られざる驚愕エピソード!
    ■“ゼロワンを作った男”中村祥之インタビュー⑤
    中村氏に降り掛かったスキャンダル報道を語る!
    「仲田龍さんが気力体力尽き果てたのはわかりますよ。ボクもやられましたから……」
    ■日本人柔術家が衝撃提言!? 「日本人格闘家はどんどんドーピングしたほうがいい!」
    あきらかになるMMA、そして柔術界のドーピングの実態! 子供に魔法の薬を勧める親が……!
    ■小佐野景浩のプロレス歴史発見
    『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!
    老舗プロレス雑誌の誕生と終焉を見届けた男の胸によぎるものとは……?
    ■「斎藤文彦INTERVIEWS⑥」
    『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜
    ■二階堂綾乃さんに聞く「プ女子はお金を使わず冷めやすいのか?」
    スーパーササダンゴマシンの問題発言で再びクローズアップされた“プ女子”という存在。女性プロレスファンの視点と、マット界の歴史から考察します!
    ■中井祐樹先生の直言インタビュー 
    日本MMAが日本柔道から学ぶべきもの「もっとミックスドマーシャルアーツしろ!」 
    なぜ日本から足関の達人は消えてしまったのか? 格闘技界を見続けてきた中井先生だからこその解説!■新生K−1の独走に待った? 新日本をV字回復させたブシロードがキック界に電撃参入! 『KNOCK OUT』とは何か?
    ■金原弘光の好評連載インタビュー
    「リングスオランダとドーピング、どっちが怖い?」
    ■「JKプロレス技本」発売記念!  エロマンガの巨匠・師走の翁先生インタビュー
    JK風俗事件、エロ落書きから一冊の本ができるまで!■世紀の再戦マクレガーvsネイト大爆発! 競技化してどんどん面白くなる総合格闘技を大沢ケンジ師匠が目からウロコの徹底分析!
    ■オマスキの北米コラム「MMA Unleashed」
    ・シュートマッチ勃発で全世界震撼!? レスナーvsオートンWWEサマースラムの舞台裏!
    ・「かつての薬漬けの自分のことは好きではない」チェール・ソネン、ベラトールで電撃現役復帰
    ・UFCマッチメイカー勇退! ゲームセンターで働いていたオタクがMMAの歴史を変えた
    ・CMパンク狂騒曲終幕!  次戦はベラトールか、RIZIN桜庭戦か
    ■MMAオレンジ色の手帳
    ・インド王族武術の使い手! 謎の格闘集団「 TEAM DATE」とは何か? 
    ・RIZIN包囲網? 強力裏番組を徹底解剖〜9.25視聴率大戦争〜
    ■二階堂綾乃コラム
    ・体調管理のスペシャリスト、それは格闘家!
    ・格闘家の汗の匂い問題! おすすめの洗剤と柔軟剤は?
    ■中井祐樹の「東奔西走日記」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1112535
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    ――今日は新日本プロレスにレギュラー参戦中のヨシタツ選手について聞きたいんですよ。
    事情通Z えっ、どうしてまたヨシタツ選手を……。
    ――「新日本ぼんやり層」からすると、ちょくちょく変なニュースが流れてくるから気になっていたんです。
    Z たしかにヨシタツ選手はある意味では話題になってるね。最近はツイッターでアンチヨシタツ用のアカウントを開設して「オイ、俺にブロックされてるヤツら、一個アカウント作ってやったからお前らここでやり合えよ*\(^o^)/*」って煽ったんでしょ。
    ――ブロックされてる人間はこのツイートをどうやって見ればいいのか……という(笑)。以前ポケモンGOのビジネスアイデアを任天堂アカウントに売り込んだけど、当たり前のようにレスポンスがなかったからか一転してポケモンGO批判に回ったのも最高に面白かったです。
    Z 正直、ヨシタツ選手のことは詳しくないんだよねぇ。私も「ヨシタツぼんやり層」ですよ。この続きと、谷津嘉章、『ギブUPまで待てない!!』の裏側、中井りん、崔リョウジ、竹田誠志などの記事がまとめて読める「13万字・詰め合わせセット」はコチラ
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1130438
     
  • 【さらばHボム】生まれ変わったらダンヘンになりたいよ!■金原弘光のゼロゼロ年代クロニクル

    2016-10-21 11:45  
    55pt
    伝説のプロレス団体UWFインターナショナルでデビューして、キングダム、リングス、PRIDEと渡り歩いた日本格闘技の生き証人金原弘光が格闘技界黎明期を振りかえる連載インタビュー。今回は先日引退を表明したダン・ヘンダーソンについて!

    ――金原さんがリングスKOKで対戦されたダン・ヘンダーソンが引退します。最後の試合となったマイケル・ビスピンとのタイトルマッチも凄い試合でした。
    金原 ダンヘンは俺と同い歳で46歳なんだよ。昭和でいうと45年生まれ。彼の活躍は羨ましいかぎりだよね。凄く稼いだでしょ(笑)。
    ――ダンヘンはその時々で一番稼げる場所を転々としましたね(笑)。
    金原 あの歳であそこまでやるって凄いことだと思うよ。歳を取ってくるとさ、運動するだけでキツイんだよ(笑)。
    ――動くだけでしんどい(笑)。
    金原 今回の試合だけ見ると、まだまだやれそうだけど、コンディションを維持をするのが大変。俺もいまでもトレーニングをするのは苦じゃないけど、試合に勝つためには追い込まないといけないでしょ。
    ――追い込みが難しいわけですね。
    金原 しかも総合格闘技は全身を使うでしょ。歳を取ると身体も衰えてケガをしやすいからね。減量すると水分が足りなくなって筋肉繊維が切れやすくなって肉離れもしやすくなるし。
    ――ダンヘンって5歳のときからレスリングを始めて、バルセロナとアトランタ五輪に出場して、その後はMMAで闘い続けて、40年間ずっと戦闘モードだったということですよね。なんちゅう精神力と体力ですかね(笑)。
    金原 やっぱりレスリングのオリンピックに出るヤツって身体能力がとんでもなく高いよね。昔、日体大レスリング部に練習に行ってたけど、みんな体力がハンパじゃないし。
    ――実際にKOKで戦ってみてもそこは感じました?
    金原 あのときは1日2試合だったんだよね。1回戦はジェレミー・ホーン、2回戦はダンヘン。前田(日明)さんから「キツイかもしれんが頼むな」って言われて。
    ――ひえ〜(笑)。
    金原 当時ジェレミー・ホーンは20連勝してるときかなんかだし、ダンヘンはオリンピックレスラーだし。やっぱりオリンピックレスラーの体力と強さは感じたよ。関節技は荒っぽさがあったけど、とにかくフィジカルが強かった。体重は同じなのに力がとにかく強いんだよ。この続きと、谷津嘉章、『ギブUPまで待てない!!』の裏側、中井りん、崔リョウジ、竹田誠志などの記事がまとめて読める「13万字・詰め合わせセット」はコチラ
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1130438

     
  • GSP、UFCと決別か!? コナー・マクレガー、ペットボトル投げの罰金ナゾの50%オフ! / UFCに大リストラの嵐

    2016-10-21 11:29  
    55pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回は最近のUFCトピックスです!
    ジョルジュ・サンピエールが米国時間10月17日(月)のネット番組『MMA Hour』に出演し、「UFCとの契約が終了し、僕はフリーエージェントになった」と驚きの発言を行った。
    「そう、いまいったとおり、僕はフリーエージェントだ。僕の弁護士がUFCとの契約を解除した」とGSPは語っている。これまでGSPは主にロレンゾ・フェルティータと復帰について前向きな話し合いを進めていたが、新しいオーナーがロレンゾとの約束を反故(ほご)にしたのだという。このためGSPの弁護士は、期限付きでUFCにGSPに対する試合のオファーをするよう警告をした。UFCは期限ギリギリでロビー・ローラー戦ではどうかという連絡をよこしてきたが、「そこには試合の日程も、会場も、ラウンド数も、何も書かれていなかった、ローラーは最近試合をキャンセルしており、すぐに試合ができる状態かどうかも分からなかった」として、UFCの契約違反によりGSPは正式にフリーエージェントになった(弁護士談)のだという。
    GSPによると、UFC側は「GSPの復帰はUFCにとってリスクである、それはGSPのことをファンにプロモーションし直すためにたくさんのカネがかかるからだ」と説明していたのだという。GSPは、ファンは自分のことを忘れていない、トロント大会は満員にできるはずだとしながらも、「実際、なんだかちょっと笑ってしまうよね。UFCはウソをついている。でも、UFCは自分たちのいっていることが真実であると信じたいあまりに、実際にそう信じ始めているようにみえる」と語っている。
    この続きと、谷津嘉章、『ギブUPまで待てない!!』の裏側、中井りん、崔リョウジ、竹田誠志などの記事がまとめて読める「13万字・詰め合わせセット」はコチラ
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1130438

     
  • 【無料記事】ランズエンドがあなたを啓発する! 崔リョウジ「夢、努力、勝ち癖、4億円」インタビュー

    2016-10-19 10:21  
    昨年新団体ランズエンドを立ち上げた崔リョウジの全文公開インタビュー。数億円とも囁かれる運営資金を背景に、先日は韓国のプロレス団体を招聘して新木場1stRINGで“無料興行”を行うなど、これまでのプロレス界ではありえなかった仕掛けを次々に行っている。いったいランズエンドの目的はなんなのか? Dropkickユーザーはビッグスケールな話が大好きなので話を聞いてきました〜!
    【いま入会すれば読める! 10月更新記事一覧】★中井りん衝撃インタビュー、アジャ・コングの恐るべし全女、谷津嘉章ロングインタビュー、アメリカから見たRIZIN、フィリピン麻薬撲滅運動vsUFCなど…… http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/201610
    ――崔選手のランズエンドは入場無料大会開催など、プロレスファンの目を引く仕掛けをたくさんされています。億単位の資金を用意してるそうで
  • 80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!■小佐野景浩のプロレス歴史発見

    2016-10-19 08:35  
    77pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回はジュニアヘビー級の歴史です!
    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 
    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!
    ――サッカーメディアのエアインタビューが話題になってるのはご存知ですか?(プロレスメディアに「エアインタビュー」はあるのか■事情通Zのプロレス 点と線)
    小佐野 知らない知らない。つまり、インタビューしていないのにインタビューしたってことで記事になってるの?
    ――はい。エアインタビューだと指摘されたメディアは「取材している」と反論したことで泥沼になってるんですけど。エアインタビューの決定的な証拠はなくて。
    小佐野 ああ、そうなっちゃうと答えは出ないよね。
    ――いろんな意見が挙がる中で、プロレスというジャンルはかなり特殊なのでエアインタビューが多いんじゃないかという声もあったんですけど。
    小佐野 いや、エアインタビューはないよね。でも、それこそ昔はレスラーもしゃべりがそんなに重要だと思ってないから「適当に書いて」「うまくやっておいて」とかそんな感じだったと思うんですよ。
    ――マスコミにお任せしちゃうというか(笑)。
    小佐野 かなり昔の話になるけど、某誌にスーパーストロングマシン(平田淳嗣)と高野俊二とヒロ斎藤のカルガリーハリケーンズの鼎談が載ったんだけど。そこで毛利元就の3本の矢の話をしてるわけ。
    ――カルガリーハリケーンズという矢も束になるぞ、と。
    小佐野 その記事を読んだ当人の平田さんが「……この3本の矢ってどういう意味?」って(笑)。
    ――言ってもないし、その意味も知らない(笑)。
    小佐野 3人がしゃべってる写真は載ってるんだけど、記事内容は記者が勝手に作ったんでしょうね(笑)。彼らが3本の矢云々言ったところで、毒にも薬にもならないから団体としてもかまわないんだろうけど。
    ――当時のレスラーたちはそれでよしとしてたんですね。
    小佐野 この話の流れでいえば、いま発売中の『Gスピリッツ』で東京プロレス特集をやってるんだけど。東プロ時代の猪木さんが、デイリースポーツで日本プロレスの馬場さんと新春対談をやってるんですよ。「この対談は本当にやってるの?」っていう記事でしょ?(笑)。
    ――ライバル団体のエース同士がおかしいですよねぇ。
    小佐野 しかも記事の中で「寛ちゃん」「正ちゃん」と呼び合っていて(笑)。
    ――ますます怪しい!(笑)。年齢が上の馬場さんが「寛ちゃん」と呼ぶのはわかりますけど。
    小佐野 ところが今回の『Gスピリッツ』でその対談を担当した石川雅清さんを取材したら、なんと本当にやってたんですよね(笑)。
    ――えええええ!?(笑)。
    小佐野 猪木さんも取材したら「ああ、そんな対談やったなあ」と。
    ――エアじゃなかったんですか……政治的障害が多そうなビッグ対談がよく実現できましたよね。
    小佐野 それは日プロが猪木さんのことを欲しかったから。
    ――ああ、なるほど。唾を付けておきたかった。
    小佐野 その頃のデイリーは東プロ派だったから、猪木さんはオッケーだし、日プロに話を持っていったら「ぜひセッティグしてください」となった。そうなったら対談の障害は何もない。当時の馬場さんと猪木さんも仲が悪いわけじゃないから「馬場さん!」「おう、寛ちゃん」と話はできる。
    ――不思議なのは、どうして文中は「寛ちゃん」「正ちゃん」だったんですかね。
    小佐野 猪木さんは東プロのエースという立場だったから「馬場さん」とは書けない。そこは石川さんがうまく作ったんでしょう。実際に対談が実現したことはたしかだけど、中身がどこまで本当かはわからないってことですよね。
    ――当時の馬場さん猪木さんクラスでも、記事内容はお任せだったんですねぇ。
    小佐野 いまの選手や団体は原稿チェックをやりますよね。プロレス界に原稿チェックを持ち込んだのはUインターなんだけど。
    ――Uインターの若手が取材を受けたけど、宮戸(優光)さんの原稿チェックでしゃべった内容の痕跡がなかったなんて話もあったり(笑)。
    小佐野 Uインターになってから、インタビュー記事の髙田延彦の口調が変わったんですよ。それまでの髙田延彦の一人称は「俺」だったんですけど、Uインターから「私」になって、なんだかヨソユキの言葉になってて。それまで高田延彦は原稿チェックしてなかったんだけど、あのときはUインターのすべてを宮戸がプロデュースしたかったんでしょうね。
    ――宮戸さんは高田延彦をアントニオ猪木にするためのイメージ戦略を担ってましたね。
    小佐野 Uインターが消滅して、PRIDEで2回目のヒクソン戦があったときに高田にインタビューしたんだけど、原稿はなんにも直されなかった。高田の高を旧字体にするくらいで。
    ――じつはPRIDE中期になると、高田の原稿チェックは宮戸プロデュース以上に厳しくなるんですね。馬場さんの悪口が載ったインタビューが発売直後に馬場さんが亡くなったことが影響してると言われますけど……Uインターの原稿チェックには『週刊ゴング』の編集長として抵抗はありませんでした?
    小佐野 うーん。こちらが違う受け取り方をしていたり、事実と違って書かれたものを直されるのは仕方ないですけどねぇ。 
    ――口調をすべて「ですます調」で直してくれるのは本当に勘弁してほしいです(笑)。
    小佐野 ああ、その人間の口調は活かしたいよね。
    ――SNSがない時代ならまだしも、いまは関係者や選手のパーソナリティが把握できますからね。原稿チェックでヨソユキにしても違和感しかないと思うんですけど……。
    小佐野 たとえば長州さんや天龍さんが「ですます調」だったら臨場感は出ないし……でも、2人ともいまはテレビタレントになってるから丁寧語でしゃべるんですよね(笑)。
    ――あ、たしかに(笑)。 
    小佐野 いまの天龍さんたちが不自然だとは思わないですけど、「べらんめえ」口調が懐かしかったりしますよねぇ。
    ●●●
    ――今日は日本のジュニアヘビー級をテーマにいろいろとうかがいます。これはクルーザー級の話になっちゃいますが、WWEクルーザー級クラシックトーナメントで脚光を浴びたドラゴンゲートの戸澤陽選手がWWEに移籍します。いつの時代も日本の中・軽量級は世界レベルの人材を輩出し続けていますね。
    小佐野 それはいまに始まったことではなくて、一時期はTAKAみちのくがWWEに上がったことがありましたよね。WWEは最初サスケと契約する気満々で、サスケはテストマッチの相手役としてTAKAを連れて行ったら、WWEがTAKAのほうを気に入っちゃった。
    ――サスケ!(笑)。それはションボリですねぇ。
    小佐野 それはサスケがダメというより、サスケのキャラは向こうではヒールに見えるんですよ。
    ――ああ、たしかに。初見だと凄く気味が悪いです(笑)。
    小佐野 一方のTAKAは当時20代で少年のような見た目で、いかにも日本人のキャラなのに信じられないような飛び方をするじゃないですか。それがアメリカでは新鮮だった。ライバルとして用意されたジェリー・ローラーの息子ブライアン・ローラー(当時のリングネームはブライアン・クリストファー)がヒールだったこともあったので、TAKAは最初ベビーフェイスだったんですよね。
    ――ジュニアでいうとウルティモ・ドラゴンもWWEに上がってますね。
    小佐野 ウルティモがWWEに行ったときは多くのレスラーが対戦できることを喜んでいたんですよ。レスラーからすればレジェンド、憧れの人だったわけですから。でも、あの頃のウルティモは手のケガが治ったばっかりで、コンディションがそんなによくなかった。それにドラゴンスリーパーを必殺技にしてたんだけど、WWEではすでにアンダーテイカーもフィニッシュ技として使ってたんです。
    ――WWEで先にCMパンクが使っていたから、KENTA(イタミヒデオ)がオリジナル技のGo 2 Sleepを使えなかったと同じパターンで。
    小佐野 WWEではCMパンクの必殺技として定着してたからね。そこでウルティモはアサイDDTを無理やり編み出したんです。いまのKENTAはGo 2 Sleepを使ってて技の制限もないですし、昔のWWEと比べると変わってきてますけど。
    ――いまは日本のファイトスタイルやキャラをそのまま直輸入したほうが喜ばれますね。
    小佐野 NXTで中邑真輔、ASUKAが日本と変わらないスタイルで大活躍していて、今度は飯伏幸太がKENTAとタッグを組むでしょ(インタビュー収録後、KENTAは怪我により欠場)。飯伏はWWEからのオファーを断わってるのに単発契約で出るんですから。
    ――それでもWWEが飯伏幸太を使いたいということですね。
    小佐野 WWEにとって日本というマーケットが大切なのか、日本人レスラーが大切なのかはわからないけども。戸澤はNXTじゃなくていきなりRAWに出るという話もありますよね。というのはクルーザー級トーナメントで優勝したTJパーキンスがRAWにチャンピオンとして上がってるから、そのライバルとして起用されると。戸澤が活躍すれば、WWEはさらに日本人を獲る可能性があるってことですよね。
    ――うーん、それはコワうれしい話ですね(笑)。
    小佐野 日本のジュニアヘビー級の原点といえば藤波(辰爾)さんだけど、その主役の座を引き継いだ初代タイガーマスクも全世界に影響を与えてますからね。初代タイガーは82年の暮れにアメリカでサーキットしてますし、あの当時のアメリカのプロレスファンのあいだには初代タイガーのビデオが出回って。日本人だけじゃなくてみんなが初代タイガーに憧れていたんです。
    ――ダビングしすぎて映像が悪くなったビデオテープですね(笑)。初代タイガーの引退後はその座を引き継げるレスラーがなかなか出てきませんでしたね。
    小佐野 藤波辰爾や初代タイガーマスクによってジュニアというジャンルが確立されたけど、結局初代タイガーの存在が大きすぎたよね。みんな虎の影に悩まされたというか、誰が出てきてもタイガーマスクと比較されてしまう。それこそ三沢タイガーもそうだし。
    ――三沢タイガーデビューは初代引退してから1年後のことですから、どうしても比較されちゃいますよねぇ。
    小佐野 当初全日本プロレスは佐山タイガーを上げるつもりだったけど、その計画がダメになったことで三沢光晴をタイガーマスクに変身させることになったんです。
    この続きと、谷津嘉章、『ギブUPまで待てない!!』の裏側、中井りん、崔リョウジ、竹田誠志などの記事がまとめて読める「13万字・詰め合わせセット」はコチラ
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1130438

     
  • カビとの闘い!!■二階堂綾乃

    2016-10-19 08:27  
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    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、ついに格闘技デビューをしてしまったこのコーナー。今回は「カビとの闘い!!」<関連記事>格闘家の汗の匂い問題! おすすめの洗剤と柔軟剤は?http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1107768今年の夏は台風祭でした。1つ台風が去ったと思ったら、また台風。そいつが温帯低気圧になったと思ったら、また台風。我が家は洗濯物が多いので雨が続くととっても困ります。
    トレーニング着は汗まみれのまま放置するとカビるので、晴れの日まで洗濯物を貯めておくことはできませんし、パレハは汗っかきのくせにいくら暑くても掛け布団にくるまるのが好きなので、タオルケットや枕カバー等も頻繁に洗濯します。
    この夏は狭い風呂場の乾燥機を駆使し、洗濯物問題をどうにか乗り切った!…と思っていたのですが、ある日風通しをしようとパレハのベッドのマットレスをひっくり返したところ、黒い点々が。……か、カビてるうぅぅぅうう!!! しかもマットレスだけじゃなくて、すのこまでカビてるう!!!すのこベッドはカビにくいはずなのに! くっそお!なめていた!天候不良による湿気を。そしてラーメンを食べると雨でも降ってたのかな?と思うくらい尋常でない量の汗をかくパレハの新陳代謝を。
    今回はそんなカビと私の闘いの記録をご紹介致します。
    この続きと、谷津嘉章、『ギブUPまで待てない!!』の裏側、中井りん、崔リョウジ、竹田誠志などの記事がまとめて読める「13万字・詰め合わせセット」はコチラhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1130438
     
  • 奄美大島、知念実希人、吉岡大、停電柔術……/中井祐樹の「東奔西走日記」10月1日〜14日編

    2016-10-16 10:46  
    55pt
    日本格闘技界の礎を築いたレジェンド、中井祐樹先生@yuki_nakai1970 が日常を綴る連載! 今回は10月1日〜14日まで!
    10月1日 土曜日 曇り いろいろな日 10月16日(日)と10月18日(火)に昨年に続いての奄美大島でのセミナーが決まり、現地の奄美ブラジリアン柔術クラブ代表・仲谷大吾さんが急ピッチで動いて下さっている。ありがたや~。 さて今日はセントラルウェルネスクラブ新浦安・キッズレスリングスクールおよびリリオセントラルフィットネスクラブ・亀有キッズレスリングスクール、さらに町田支部指導。全レッスン、活気あって良かった! 最高に楽しく。 変わらぬパラエストラ町田、変わらぬドラゴン。変わらぬ前田先生がそこに居られた。人は遅かれ早かれ独り立ちしていきます。これからも、我々はいつも通りです! 今日は町田で甲斐よしひろさんと押尾コータローさんのジョイントもあったようだ…。行きたかったが身体は二つないしな。10月2日 日曜日 晴れ 区内で、自宅で 練馬区民柔道大会。会場来たのは3年ぶりくらいか。若干参加者少なくなってたかな。パラエストラ東京からは今年は2名参加。他ジムの方々も別団体所属名義ながらちらほら。 アウェイ感は全くなく(当たり前だが)、むしろホームのように感じた。パンフレットにもほら、まるで柔道チームのごとく…。 夕方から夜にかけて帳簿の仕上げをしつつ、パンクラスを東京MXテレビで観戦。良い展開だ。10月3日 月曜日 曇り 残務整理 帳簿の仕事が少し持ち越したので昼の練習を中抜けして自宅作業。さほどの量ではないからこれでほぼ完了した。稽古に来てくださった方、今日はすいませんでした。 ちなみにBGMは甲斐よしひろ。事務仕事にはドラムスの入っていない弾き語りモノが最適。ゆーらゆら、と、はかどるのだ。10月4日 火曜日 曇り すべてはALRIGHT 朝を映画『死にゆく妻との旅路』を観てゆっくりと過ごす。これ実話かいな。 午後イチで豊玉はり灸で治療。その後いくつかの買い出し等。 夜は町田支部指導。今週=B週の中井クラステーマ「草刈」大特集。大別して3つのシチュエーションより解説。 こう言ってはなんだがひと括りにはできない、闘いの原理原則が散りばめられている。 後半は高校柔道にあわせ3分刻みの自由稽古を。明らかに柔術や総合格闘技にとって全ての運動がドリルなんだ。10月5日 水曜日 曇り 柔術マニア館 池袋支部指導終了。今週の中井クラステーマ「草刈」を大別して3セクションで解説。すべて理合いが異なる技だ。 リクエストにより横エビと本袈裟固からのエスケープを前回に続き取りあげたら、袈裟からのドリルを支部長自ら希望する混沌ぶり。 さすが、文系御用達のこだわりの柔術マニア館・パラ池だ!10月6日 木曜日 晴れ 武術交流 フジテレビ『UFC TIME』収録。宇野薫選手。彼の解釈を聞けるのは嬉しい事だ。 午後から武術家バートン・リチャードソン師をパラエストラ東京にお迎えし対談。月刊『秘伝』の企画であり紹介者として国際武学研究会代表の光岡英稔師も同席。とても楽しい交わりだった。 その後文京区に移動し、バートン師のセミナーに参加。ここでは武術家・甲野善紀先生や曹洞宗の藤田一照僧侶も居られ初の対面となった。 バートン師との対談は終電に迫る程となり、なんと帰りは甲野先生と新宿までご一緒させて頂くことに。スポーツを標榜する僕にはすべてが新鮮だ。さて、何を習おうかな。秘伝、乞うご期待。10月7日 金曜日 晴れ 知念実希人さん! 夜練に今や売れっ子作家となった知念実希人さん久々の参加。さすがに忙しそうで身体がなまってしまったそう。 知念さんの活躍はパラエストラの皆が胸をときめかせ、応援していますよ。来られるときは是非とも選手たちを関節技でバシバシ決めちゃって下さい!この続きと、谷津嘉章、『ギブUPまで待てない!!』の裏側、中井りん、崔リョウジ、竹田誠志などの記事がまとめて読める「13万字・詰め合わせセット」はコチラhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1130438 
  • 試し読みができる! Dropkick好評インタビュー一覧

    2016-10-14 09:02  




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    【最新追加記事】二階堂綾乃さんに聞く「プ女子はお金を使わず冷めやすいのか?高杉正彦インタビュー〜剛竜馬とウルトラセブンに愛をこめて〜日本人柔術家が衝撃提言!? 「日本人格闘家はどんどんドーピングしたほうがいい!」中村祥之インタビュー⑤「仲田龍さんが気力体力尽き果てたのはわかりますよ。ボクもやられましたから……」大沢ケンジ“世紀の再戦”マクレガーvsネイト大爆発! 競技化してどんどん面白くなる総合格闘技!!シュートマッチ勃発で全世界震撼!? レスナーvsオートンWWEサマースラムの舞台裏!「斎藤文彦INTERVIEWS⑥」『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜【キックボクシング関ヶ原】あのブシロードが電撃参入! 『KNOCK OUT』とはなんだ?中井祐樹