-
【プロレス記事9本6万字詰め合わせ】齋藤彰俊、長井満也、小川良成、AKIRA、『極悪女王』…
2024-09-30 23:59550pt
非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! プロレス記事9本6万字で550円!!(税込み)
◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉クビから再雇用……苦しかった頃のノア■齋藤彰俊
◎長井満也インタビュー
・魔界倶楽部/柴田勝頼K-1参戦
・幻の新日本プロレスvs北朝鮮軍人
◎上谷沙弥のヒールターンは女子プロレスを変えるか
◎考察系YouTuberとケーフェイ■事情通Z
◎小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
・孤高のプロレスラー、小川良成引退
・小川良成…孤独と苦難から生まれた「孤高のテクニシャン」
◎プロレスと「お芝居」の違いとは?■AKIRAインタビュー⑤
◎なぜ『極悪女王』で“ブック”というネットスラングが使われたのか
◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉
齋藤彰俊インタビュー第9弾はクビから再雇用……苦しかった頃のノアです(聞き手/ジャン斉藤)
――遅くなりましたが、ZERO1世界王座奪取おめでとうございます!
彰俊 ありがとうございます。この年齢になって、初めてシングルのベルトを獲りました(笑)。
――じつはそうなんですよね。ベルトに挑戦する機会はありましたけど……。
彰俊 タッグのベルトばっかりでしたからね。
――何か感慨深いものはありますか?
彰俊 ふと気づいたらデビューして33年3ヵ月目、今年の3月に第33代王者が獲れたんです。全部3の繋がりだったので、上にいる方のおかげもあるのかな……。
――ああ、なるほど……。
彰俊 そういう縁を感じちゃいましたねぇ。
――ベルト奪取後にケガをされて休まれてましたが、彰俊さんの負傷欠場は珍しいですよね。
彰俊 ああ、そうですね。仙台でGHCタッグ選手権(2002年/森嶋猛&力皇猛vs秋山準&齋藤彰俊)のときに胸骨やアバラが折れて、頸椎もケガしたことがありましたけど。
――聞いてるだけで痛いです……。
彰俊 あのときはリングサイドのお客様にも骨が折れる音が聞こえたらしくて、自分も「あ、これは大ケガだな」と思いましたね(苦笑)。
――プロレスだとアバラにヒビが入ったぐらいでは欠場しないと言いますよね。
彰俊 アバラはですね、ヒビが入っても自然治癒でくっつくんですよ。ヒビで休むことはあまりないです。
――いったいどこからケガになるんですかね?(笑)。
彰俊 いやあ、どうなんですかね。自分も手の甲を骨折したときにプロテクターみたいなやつをつけてやりましたけどね。
――プロレスラーの欠場はよっぽどのことであると。
彰俊 ひとついえることは、身体だけじゃなくて心までケガしたときですね。「このまま試合したら迷惑をかける」となったとき休むという感じだと思います。
――いまは団体側もそのへんのケアには気を遣ってますし。
彰俊 そうですね。やっぱり選手は商品なので。でも、平成維震軍のときに鎖骨を骨折して箸も持てないときがあって。越中(詩郎)さんに欠場の話をしたら「彰俊、みんな頑張ってるからさ」って休めなかったことはありますね(笑)。
――それは6人タッグだから、他の維震軍メンバーが彰俊さんをフォローしてくれるってことですか?(笑)。
彰俊 いや、そういうわけでもないですね。そんなときでも自分が率先して行けっていう(笑)。
――ハハハハハハハ! ベテラン中心の平成維震軍の中では彰俊さんが一番若いですし。
彰俊 そうなんですよね(笑)。なので、まあ自分が行くしかないっていう。いまはそういうムチャをすることはないかもしれないですね。
――いい時代です! 前回の続きなんですけども、三沢光晴さんが亡くなられて、田上(明)さんがノアの社長に就きます。田上さんの社長就任を聞いたときはどう思われました?
彰俊 副社長が百田(光雄)さんだったんで、そのまま社長になるのかなって思いましたね。でも、田上さんも四天王の一人ですし、キャリア的にも年齢的にも田上さんなんだっていう感じがしましたよね。
――百田さんの名前が出ましたけど、百田さんは小橋(建太)さんを社長に推薦したけど、それが却下されたから退団する……というちょっとしたゴタゴタがありましたね。
彰俊 そこはあまり詳しくは……そういうことがあったんですね。自分は会社の経営にはまったく関わってないですし、ノアがそうなった原因が原因ですので、自分はそこまで気が回ってなかったところはありましたね。何がどうなっても「申し訳ないな」っていう気持ちだったので……。
――三沢さんが生前の頃からノアの日本テレビ中継が終わったり、経営のほうもだんだん苦しくなっていった印象があるんですけども、現場はどうだったんですか?
彰俊 皆さんご存知のどおり、三沢社長はたとえ苦しくてもそういうところは一切、表に出さない方なんで。だから選手たちは試合に集中できるような環境ではありましたね。
――あの頃からノアに関する暴露本が立て続けに出てましたけど、どういう風に見てたんですか?プロレス記事9本6万字の詰め合わせセットはまだまだ続く……
-
【格闘技記事10本14万字】浅倉カンナ、安保瑠輝也、ドーピング問題、くるみ……
2024-09-30 23:59550pt非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! 格闘技記事12本13万字で550円!!(税込み)
◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◎浅倉カンナ、第二の人生へ「これで終わるんだ、これで最後なんだ……」
◎恐怖のRIZIN開国と世界戦略■笹原圭一
◎令和のスポーツ冒険家! 安保瑠輝也「一歩踏み出しても、死ぬわけではない」
◎ヒロヤ“MMA人生チャレンジ”12000字インタビュー
◎トレーナーから見た「2024年のドーピング問題」■タケダイグウジ
◎もう手が付けられない!! 久保優太“大覚醒”インタビュー
◎RIZINアンバサダー蒼瀬くるみちゃん12000字インタビュー
◎真夏のUFC査定試合出陣! “最後のピーズラボ戦士”内藤由良
◎シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク
・UFC日本大会の可能性/独禁法訴訟に急展開
・リングス公認「リングス東大」とは何か■宇留野修一
◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉伊澤星花戦で引退する浅倉カンナ1万字インタビューです!
――いったい何があったんだろう?と。
浅倉 ハハハハハハハ。ホントに何があったんだろう?(笑)。そうですねぇ。このあいだの記者会見でも言ったんですけど、これというきっかけは正直、なくて。自分はいままで「何かをやめる」という選択をしてこなかったんで、引退をするって決めることもけっこう難しかったんですけど。きっかけがなさすぎて……まあ、それはありがたいことなんですけどね。試合をしたいのにケガで引退する人もいる中で、自分は自分で引退をすることを選べたので。
――何か決定的な理由があったわけではないんですね。
浅倉 そうです。だから「何があったんだろう?」と聞かれても……何か大きな理由はないんです。
――いつぐらいから引退を抱えていたんですか?
浅倉 2連敗したことがあったじゃないですか。浜崎(朱加)さんと大島(沙緒里)さん……。
――けっこう前のことですね。2021年ですよ。
浅倉 そのあとのSARAMIさんとの試合(2022年4月17日)が自分の中ではしんどかったんですよ。「これで3連敗したらどうしよう?」って。そこでは勝てたんですけど、けっこうやり切ったあとにトーナメントがあって。パク(・シウ)ちゃんとの試合でけっこうボコボコにやられて。あのへんの流れはけっこう大きかったかもしれないです。「これから、どうなるのかな……」ってモヤモヤしてましたね。
――勝ち負けのジェットコースターに乗ったことでいろいろと考えることがあったと。決意したのはいつぐらいなんですか。
浅倉 去年の秋頃、冬に入るくらいですか。V.V Meiさんとの試合が4月にあったじゃないですか。そこから試合はしてなくて……自分で決めました。
――秋頃にRIZIN事務所に行かれて榊原さんと会われたじゃないですか。榊原さんがSNSにアップしてましたけど。あのときは引退のことを伝えてたんですか?
浅倉 そうですね。やめるにしても自分の中では「終わり」を決めたかったんですよね。ここまでやると決めて、それまではおもいきり頑張る。榊原さんには大晦日ともう1試合、2試合やりたいですって伝えました。大晦日に勝って最後に伊澤(星花)選手……っていう考えだったんですけど、結局大晦日の相手が決まらず。それでラストに伊澤選手とやらせてくださいとお願いして今回の試合が決まったって感じですね。ホント自分のわがままなんですけど、RIZINや伊澤選手には感謝しています。
――浅倉選手はRIZIN女子部門を支えてきたんだから、RIZINとして最後の花道を飾ってあげたいってことだと思います! 伊澤選手とは超RIZIN3でやる話もありましたよね。
浅倉 じつはそうなんですよね。伊澤選手のケガでどうなるかわからなくなって。とりあえず練習は続けていたんですけど、7月に入ってから伊澤選手がもしかしたらできるかもってなって。でも、その頃には超RIZIN3のチケットがほぼ売り切れてたんですよ。
――つまり引退試合に応援団を呼べないという(笑)。
浅倉 そうなんです(笑)。最後の試合になるから、いろんな人に見てもらいたいじゃないですか。応援団が呼べないのはちょっと寂しいなと思って。
――超RIZIN3でやろうと思えばできたってことなんですかね。
浅倉 そこは超悩みましたねぇ。準備してきたし、やりたいんですけど、チケットはない。
――超RIZINで超悩んだと(笑)。超RIZIN3ほどのビッグイベントであれだけカード揃うと話題性っていうところでも……。
浅倉 そうです、薄まる(笑)。もしかしたら9月になってよかったのかもしれないなって。でも、これも経験ですよね。自分はいままで試合が流れることなかったんですよ。最後に一気に来たなって。
――浅倉選手はまだ26歳と若いじゃないですか。引退はビックリしたんですよ。
浅倉 これはもうずっと言ってきたんですけど、普通に結婚して子供を産むとか、格闘技とは別の普通の人生を楽しみたいところはもともとあって。ここまで長くやる考えはなかったんですけど。そのモヤモヤと被ったことで、やめることにしましたね。
――あの……いますぐ結婚という話があるわけでもないんですね。
浅倉 それが全然ないです!(笑)。
――なるほど(笑)。
浅倉 いまのところ全然見込みないんですけど、格闘技のない普通の人生を楽しみたいですね。
――いろんな人から結婚引退だと誤解されてないですか?
浅倉 いや、ホントすごいです。誰かに会うたんびに「結婚?」って聞かれるんですよ。本当はそれで理想だったんですけど、全然(笑)。
――女子格闘家が引退される理由って結婚や出産が多いですよね。
浅倉 そうですよね。自分も寿退社が理想だったんですけど……残念ながら叶わなくて(笑)。何も決まっていないし、何か大きな理由があったわけじゃないし、自分の中では格闘家って常に燃えているイメージだったんで。燃えるものがない中、年1試合とかしかしてなくて、これじゃあ格闘家は名乗れないなって。
――RIZINでのマッチメイクも一周しちゃったところはありまけど、他の団体で試合をする考えはなかったですか?
浅倉 ちょっと前は海外の試合に出てみたいなって思ってたんですけど、最近はそこまでも……。
――そんな中でも伊澤さんと戦うことは燃えるものがあるわけですか?
浅倉 やっぱり伊澤選手とはずっと戦いたかったんで。やらずに終わっちゃうのは引退したあとにモヤモヤしそうだし、いままでどおり集中して練習できている感じですね。
――超RIZIN3で所(英男)さんは「負けたら引退」という形式でやってましたけど、勝ったら続けるという選択はないんですかね?
浅倉 いや、それはないですね。勝っても気持ちは変わんないと思います。
――ある女子プロレスラーが引退試合の10カウントゴングの途中に急遽、引退撤回したことがあって。
浅倉 えーーーーっ!?
――最後の最後に「やっぱり続けたい」って気持ちが沸き上がったんですよね。その選手はまだ現役です。
浅倉 いや、自分の場合ははないですねぇ。
――引退ではなくちょっと休む考えはなかったんですか?
浅倉 鶴屋(浩)先生に引退することを伝えたときに「一旦休んでまたやりたくなったらやればいいんじゃないの?」って言われたんですけど、自分の中ではそれは違くて。格闘家って毎日練習することが仕事だし、それがあたりまえにできないのは、自分の中では違うなっていう感じです。
――ということはもうジムにも通わない?
浅倉 ……そうなるんですかねぇ。それはやめてみなきゃわからないです。毎日練習して生きてきたんで。
――それこそ、ちっちゃい頃からレスリングをやっていたわけですもんね。
浅倉 汗をかかないとモヤモヤしちゃうかもしれないんで、もしかしたら練習に来ちゃうのかなあ……。いまでも「ああ、今日も練習に行かなきゃ……」って憂鬱まではいかない気持ち抱えながらジムに来てたんですけど、その気持ちがもう味わえない。それがどんな感じなのかは、試合が終わってみないとわからないですよねぇ。
――引退後の「普通の生活」はワクワクしたりしてます?
浅倉 そうかもしれないですね(笑)。引退ってマイナスなイメージがあるかもしれないですけど、自分はそんな感じではないです。「格闘技のない人生ってどんな感じなんだろう……」って楽しみではあります。
――次のお仕事は何か考えてるんですか?
浅倉 ……次はまだ決まってないです。
――結婚もしなければ、仕事もない!!
浅倉 痛いところを突かないでください(笑)。
――けっこう不安じゃないですか?
浅倉 不安ですよ(笑)。でも、自分で何かできればいいなと思ってて。
――しばらく休んでから、新しい何かに動き出す感じですかね。
浅倉 休むヒマはないのかなって焦りもありますけど。本当は引退前に決まってるのが理想だったんですけど、結婚もダメだったので。一旦試合に集中してます!(笑)。
――「ここまで長くやろうって考えてはなかった」とのことでしたが、気がついたらデビューしてから10年近く経っていたわけですよね。
浅倉 何も知らないままこの世界に入った感じだったんで。高校のときにレスリングをやめて「これからどうしよう」ってときに新しく頑張れることを見つけて。浅倉 でも、よくわからないままやり続けて。こんな自分がこうやって格闘技人生を歩めるなんて思わなかったんですけど。もう25歳くらいには結婚して引退して子供を産んで……みたいのが理想で。
――「よくわからないままやり続けて」というのはよくわかるんですよ。浅倉選手がデビューした頃って、格闘家という職業としてそこまで成立してないところはあったじゃないですか。10本14万字の格闘技記事詰め合わせセットはまだまだ続く……
-
なぜ『極悪女王』で“ブック”というネットスラングが使われたのか
2024-09-26 09:57200ptなぜ『極悪女王』で“ブック”というネットスラングが使われたのか。ニコ生で配信されたものを大胆に編集したものです(語り/ジャン斉藤)【1記事から購入できるバックナンバー】・【リングス退団編】俺はそんなことを絶対に言っていない■長井満也
・エル・リンダマンのグレイトなプロフェッショナルインタビュー
・00年代の怪しい目撃者“Show”大谷泰顕■松澤チョロの「脱線プロレス」
・武知海青ショック/ゼロワン内紛?■事情通Zの「プロレス 点と線」
『極悪女王』の議論が白熱しています!SNSでも全面的に絶賛しちゃいけないみたいな雰囲気になりかけてまして、「一部のマニアの方は不満があるようですが」なんて前置き付きで褒めるポストが散見されて笑ってしまいました。安心してください。プロレスファンは狂犬ばかりじゃないですよ!(笑)。
なぜ燃えているかといえば、「ブック」という存在しないネットスラングがたびたび使われていたからですが、ケーフェイ絡みは慎重に扱ってもなんだかんだ言われますからね。柳澤健さんの『1984年のUWF』も、そこから無理筋に全面否定しようとする声があった。だから安全運転で車を走らせなきゃいけないんですが、この配信に向けて資料を整理していたら、暴走しているDropkickの過去記事を発見。皆さんは「ブックなんて言い方はしない」って否定するじゃないですか。そこはボクも同意なんですけど、まさに「ブック」(台本)が流出したことがあるんですよね(笑)。
皆さん、『ハッスル』の台本流出事件をおぼえてます? アサヒ芸能に流出したやつですよ。ボクは台本流出事件を中村カントクに振り返ってもらったことがあるんですが、ホントにデタラメなんです。以下、一部抜粋!<まだまだ続く>
この続きと齋藤彰俊、長井満也、小川良成、AKIRA、『極悪女王』……などの「プロレス記事9本6万字詰め合わせ」が550円(税込み)が読める詰め合わせセットはコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2204344この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事200円から購入できます!
-
マネジメントから見たドーピング問題■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク
2024-09-23 10:12200pt
多くのMMAファイターをマネジメントするシュウ・ヒラタ氏が北米MMAシーンを縦横無尽に語りまくるコーナー!この原稿は9月5日にニコニコ生放送で配信されたものです(聞き手/ジャン斉藤)
【1記事から購入できるバックナンバー】・川尻達也vs鈴木芳彦「RIZIN開国の不毛な議論」23000字
・谷津嘉章、興行という灰色の世界を語る――「プロレスとヤクザ」
・全女イズム最後の継承者・高橋奈七永インタビュー「リングの中でも外でも潰し合いでした」
・マーク・コールマン、性的虐待の告白
――シュウさんが緊急来日していたのは平本蓮選手の件のため……と思っていたファンが多いんですけど、じつはそういうわけじゃなかったんですよね。
シュウ じつは全然違うんですよ(笑)。私の父が高年齢だったり、まあ諸々家庭の事情で帰国したんですけど。RIZINバンタム級王座決定戦が決まった(井上)直樹くんや、インヴィクタと契約した大島沙緒里選手なんかと会う予定はあったんですけど。日本について2日目だったかな。夜中にいろいろと電話がかかってきて……。
――SNSを発端とするドーピング疑惑騒動の件ですね。
シュウ そこからけっこう時間が取られましたね(苦笑)。
――シュウさんはいまはもうアメリカに帰国されてまして。日本では本日の記者会見でドーピング検査の結果が出て陰性でしたけども、その件についてはあとでうかがうとして。シュウさん周りではもうひとつ大きな事件が起きていたそうですね。
シュウ じつはそうなんです。元UFCストロー級王者のジェシカ・アンドレージが大谷翔平と水原一平の事件と似たようなケースに巻き込まれてしまったんですよ。
――ジェシカが身近な人物に大金を騙し取られてしまったということですか?
シュウ はい。ジェシカは2017年9月のUFC日本大会で試合してますけど、あのときセコンドについていた女性はのちの奥さんだったんですね。
――ジェシカはレズビアンなんですよね。
シュウ そのあと結婚したんですが、いろいろありまして、その奥さんと別れることになったんですけど。そのときも気づいたら、口座からお金はなくなっており、元・奥さんは、そのお金で全身の整形手術したりとか、いろいろありまして。そしてリーガル的に奥さんに払うものは払わなくちゃいけなかったりして。ジェシカは本来ならばそこでファイナンシャル・アドバイザーにお金のことを相談すればいいのに、ヘッドコーチに相談しちゃったわけなんですよ。
――格闘技で信頼しているうちに境目がなくなったやつですね……。
シュウ ヘッドコーチに銀行とかいろんな重要情報の設定をお任せしちゃって。ヘッドコーチには奥さんもいるわけですけど、ジェシカのふりをして物を買ったり、銀行のお金を動かしはじめちゃったんですよねぇ。銀行から確認の電話が来たら、コーチの奥さんがジェシカのふりをして話していた、ということなんです。
――まさに水原一平!
シュウ これはもう起訴状の中に書かれていることですけども、ジェシカのクレジットカードを使って新車を3台くらい買ったり。
――えええええええ!
シュウ これがまたすごいのがその新車3台をどうしてたかというと、ジェシカの拠点はラスベガスで、ヘッドコーチもずっと住んでたんですね。あそこには世界各地から選手がやって来るじゃないですか。その選手たちに半ば強引にその新車をレンタカーさせてお金を稼いでいたんです(笑)。
――他人のお金で車を買ったうえにビジネスを始める!(笑)。
シュウ あと金貸しもやったらしいんですよ。
――盗んだ金で金融業! 尾崎豊よりひどい!
シュウ 発覚を恐れたのか、いまはブラジルに逃げちゃいましたけど、ブラジルの国境に牧場ひとつ買ってるらしいですから(笑)。
――そこまでいくと、たくましいですよ(笑)。
シュウ いや、ホントにすごいですよね、そこはギャンブルに注ぎ込んだ水原一平とはちょっと違うというか……まあ全然いいことではないです(笑)。
――犯罪者という同じ括りですよねぇ。
シュウ この全貌をすべて明らかにすることは大変です。まずアメリカで起訴して、そのあとで母国のブラジルでも起訴して……ってことをやらないといけないんで、なかなかめんどくさいんですよ。
――損害額はどれくらいなんですか?
シュウ ざっと200万ドルくらいですね。
――水原一平と比べればアレですけども、シャレにならない金額ですね……。
シュウ シャレにならない金額ですけど、ジェシカってUFCでファイト・オブ・ナイトのボーナスを何回も獲っているし、チャンピオンとしてPPVのシェアをもらえたこともあるんで相当稼いでたんですよ。離婚やこういうトラブルを経て一気にお金がなくなってるんですけど、いまでもガンガン試合をしてますからね。・非UFCの実質上ナンバー1はRIZIN
・RIZINは独自のドーピングルールを作るべき
・今回の告発によって誰が一番得するのか?
・コミッションにも抜き打ち検査はある……14000字はまだまだ続く
この続きと浅倉カンナ、安保瑠輝也、ドーピング問題、くるみ……などの「10本14万字・格闘技記事」が550円(税込み)が読める詰め合わせセットはコチラ
https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2204342
この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事200円から購入できます!
-
プロレスと「お芝居」の違いとは?■AKIRAインタビュー⑤
2024-09-20 10:16200pt
野上彰として新日本プロレスでデビューしたAKIRAインタビューシリーズ第5弾。今回はプロレスと「お芝居」の違いとは?……(聞き手/ジャン斉藤)
☆この記事は2021年7月に掲載されたものです
AKIRAインタビューシリーズ
①新日本プロレス入門、野上彰だった頃
②海外修行で感じた異様な新日本プロレス
③“日本の陽気な奴ら”JJジャックス解散の理由④昭和・新日本なら小川直也vs橋本真也の事件は起きていない──AKIRAさんが新日本プロレスに復帰した頃は、ちょうど新日本が暗黒時代と呼ばれた時期に突入するんですけど。猪木さん周辺がビッグマッチのたびにマッチメイクに介入したりして、現場の雰囲気は相当悪かったと聞きますね。
AKIRA あの頃はボクもスポット参戦になっちゃってたんで。だから、どっぷり道場にいたいう感じではなかったですね。
──現場の空気感はわからなかったと。
AKIRA うん、勝手気ままにやってましたね。「もう関わんなくていいや!」くらいに思ってたので。
──現場がゴチャゴチャしていたのは知ってたんですか?
AKIRA なんか嫌な空気はなきにしもあらずでしたけど。みんなガマンしてやってるところはあったと思うんで。控室でもTEAM2000や外人レスラーと一緒だったので、あんまり嫌な感じはなかったですけど。本隊の控室へ行くとシーン……としてましたよね。
──暗黒の渦に巻き込まれないで、比較的自由な立場でやられていたと。
AKIRA 自由にやってましたね。新日はそのあと、もっとどんどん落ちていったのかなあ。
──長州さんや橋本(真也)さんが新日本をやめて、それぞれ新団体を作ったり、武藤(敬司)さんは全日本プロレスに移籍したりとか。
AKIRA あぁ、そんなこともあったんですね。グチャグチャだったんですね、その頃。
──グチャグチャだったんです(笑)。AKIRAさんも全日本に行くわけじゃないですか。
AKIRA そうですね。どういう経緯だったっけな……。そこは新日本から「契約は打ち切りで」って言われちゃったんです。全日本は武藤さんに誘われたんじゃなくて……渡辺(秀幸)さんかな?
──新日本のマッチメイカーで、武藤さんたちと一緒に全日本プロレスに移籍した渡辺さん。
AKIRA 当時のボクはお芝居でなかなか食えてたんですよ。だから別にプロレスはいいやと思っちゃってて。だから新日本に契約をしてくれないなら、それはそれで。無理に「次のリングを探さなきゃ!」っていう感じでもなかったんですけど、渡辺さんから連絡もらって。スポット参戦でいいなら全日本に出してもらいたいなと。
──全日本プロレスの居心地はどうだったんですか?
AKIRA 自分の中では、ちょっと楽な感じがありましたね。っていうのは試合自体も、新日の試合だと朝起きてから、そこに集中してもってかないといけないところがあったんですよ。それが全日だと、そこまで集中しなくてもいいのかなと。新日の場合はそれが3~4試合目でもやっぱりキチっとやんなきゃみたいな張り詰めたものがあったというか。「行ってきます」と家の玄関を出るけど、「また家に帰れるかなぁ……」みたいなモヤモヤはいっつもあるんですけど、全日はそれが意外となくてですね。朝のうちに子供とさんざん公園で遊んで、それから夜に試合という感じで。
──全日本はメリハリがついていたという。
AKIRA あるときの地方巡業なんて昼ごはんのときに「ビール飲め」と渕(正信)さんからジョッキが回ってきて(笑)。「おまえ、これを飲んだら俺が全部払ってやるよ」と。要は「人生もっと楽しみながらプロレスやったらいいんじゃないか」っていう提案だったんでしょうね、渕さんとしては。
──渕さんのほうが古き良き巡業の風景なんでしょうけど。新日本は現場監督の長州さんがそういう雰囲気が好きじゃなくピリピリするもんなんだっていう。
AKIRA それはたぶんそうですね。長州さんが現場監督だったときが一番厳しかったです。巡業で何連戦かでみんなクタクタで、会場で「今日はゆっくりしたいな……」ってだらけてるように見えると、長州さんは「オマエら何やってるんだ!練習しろ!!」って怒るんですよね。
──で、全日本のほうはもう昼間から「ビール飲んじゃえ!」みたいな。
AKIRA でしたね(笑)。毎日じゃないですけどね、もちろん。全日本のそういうやり方も、もっと楽しめばよかったんですけど、性格上そこまでは……まぁ飲むには飲んだけど、なかなか。「早く酒を抜いて試合に間に合わなきゃ」とかそんな感じで。
──そこは新日本の感覚が抜けきってない感じだったんですね。
AKIRA でしたね。渕さんおもしろいですよ。当時は毎晩のように六本木に連れられて朝まで飲むことは多かったですし。渕さんは当時、千駄ヶ谷かどっかそのへんのマンションに住んでいて。あるとき渕さん、荒谷(望誉)さんの3人で飲んで渕さんのマンションに泊まって。朝起きたら横に荒谷さんがごろっと寝てたんですね。そうしたらムクって起きて「すみません、AKIRAさん! こんな汚いところ泊めちゃって!」って謝ってきて。自分の家と勘違いしたんですけどね(笑)。
──ハハハハハ! 渕さんとは頻繁で飲んでいたんですね。
AKIRA 渕さんの部屋には壁一面に映画のコレクションが並べてあって。ゆくゆくは小説家になりたいとか言ってました。
──渕さんの小説は読んでみたいです! いまのプロレス界ってコロナ関係なく六本木で飲むってこと自体があんまりないですよね。
AKIRA あー、そうですね。節制ばかりで、お酒を飲みに行く人も少なくなってるみたいですね。食事会で「酒を飲む」って言ったら「えーっ!? 」って顔されちゃう時代ですからね。・『ハッスル』の和泉元彌のコーチ
・邪道・外道のブッカー就任
・プロレスと「お芝居」の違いとは?
・新日本の前座が変わった大事件……まだまだ続く!
この続きと齋藤彰俊、長井満也、小川良成、AKIRA、『極悪女王』……などの「プロレス記事9本6万字詰め合わせ」が550円(税込み)が読める詰め合わせセットはコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2204344この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事200円から購入できます!
-
【メダル11個!!】パリ五輪レスリング日本代表が超強かった理由■保高幸子
2024-09-17 08:24200ptRIZINオフィシャルカメラマンとしてのおなじみ!レスリングを20年以上も撮り続けている保高幸子さんにパリ五輪のレスリングを振り返ってもらいました!(聞き手・ジャン斉藤)【1記事から購入できるバックナンバー】・【知りたいんでしょ!?】日本レスリングが東京五輪で強かった理由■保高幸子・レスリングを20年間、撮り続けきたカメラマン――保高幸子インタビュー――レスリングを撮るために世界の果て飛んでいく保高さんですが、Dropkickのインタビューは2021年の東京オリンピック以来になります!
保高 ですよね。あれからもう3年ってめっちゃ早い(苦笑)。
――東京オリンピックでレスリング日本代表が獲得したメダルは金5、銀1、銅1でしたが、今回のパリは金8、銀1、銅2と大躍進でした。女子6種目、男子12種目で11個の獲得だから凄すぎます!
保高 本当に凄かった。ただ、私たち関係者のあいだでは「全員メダル圏内だね」という話をしてたんですよ。
――全員メダル圏内! ただでさえメダル鉄板競技だったのになぜここまで?
保高 今日は「なぜこんなにメダル獲得できたのか?」ってことは絶対に聞かれると思ってたんで、一生懸命考えてきました(笑)。まずレスリングの強豪国ってイランやアメリカなんですけど、そういった国との違いを考えてみたら、日本のレスリングは本当にオリンピックでしか注目してもらえないから、全勢力をパリに注いだということなんじゃないかなと。だって、イランやアメリカはオリンピックで結果を出さなくても年中チヤホヤしてもらえるんですよ。
――へえー、そんなにチヤホヤされるんですか?
保高 もちろん、どの国もオリンピックの金メダルに価値があるんですけど、日本はオリンピック以外“ゼロ”なので。
――正直、オリンピック以外の注目度はゼロに等しいですよねぇ。
保高 選手たちもそこは理解しているし、フリースタイル57キロで金メダルだった樋口黎なんかも、世界選手権は目標にしてないですからね。世界王者になったところで、誰もチヤホヤしてくれないし。
――イランやアメリカでチヤホヤされるというのは、具体的にはどういうことなんですか?
保高 たとえばですよ、イランだったら世界選手権で勝った程度でも、選手が帰国した際の空港に人だがりができますよ。
――あー、MMAでも国によって大歓迎シーンがよくありますね。
保高 キルギスは人口700万人の国なんですけど、けっこうレスリングが強くて。最初に有名になった女子選手のインスタフォロワー数はいま50万人とかなんですよね。700万人の国で50万人いるんですよ?オリンピックで優勝したことないのに。
――凄い!
保高 今回のオリンピックで文田健一郎に準決勝で負けたキルギス選手もフォロワー数10~20万人かな? 彼はマネジャーもついてますからね。なので、日本の選手とはオリンピックの捉え方がちょっと違うんですよ。
――日本人選手のオリンピックのモチベーションは他国より高いんですね。
保高 日本が勝てた理由は日本代表が若い世代だったこともあると思います。いまもSNSの時代になって、他国のトップ選手の生活などが垣間見えるじゃないですか。スポーツウェアのモデルになっているかっこいいビジュアルが流れていたり、大スター扱いされてフォロワーが何十万何百万単位だったり、国内大会で4万人の観衆を集めたり……日本だったらオリンピックで金メダルを何個も獲っても難しいことが起こっているから、「日本だってレスリング人気が高くなることは不可能じゃない!」という気持ちが出ていますね。
――隣の芝生の青さがSNSで可視化されたわけですね。
保高 レスリングがそれだけ人気がある国がたくさんあるということは、レスリングというスポーツが面白くないとかそういう理由じゃない。そこに選手たちが気付いてしまったんじゃないかと思います。そこを変えるためにはまずオリンピックで勝つしかないと。
――執念が違うわけですねぇ。
保高 よく日本選手にはハングリー精神がないと言われますけど、オリンピックで勝たないと錦を飾れないという面でのハングリー精神は負けないんだと思います。
――水泳なんかは世代交代が難しそうに見えたんですが、その中でレスリングが強かったのは組織的な強さもあるんじゃないかなと。
保高 ちょっと他のスポーツのことはわからないですけど、レスリングに関しては、逆にコロナ禍があったことで協会として強化がほとんどできなかったと聞いてるんですけどね。全日本合宿がほぼなかったですし。
――え、そうだったんですか?
保高 まあ、全日本合宿って以前から年にトータル2ヵ月あるかどうかだったんですけど、このオリンピックに向けては4日間程度の練習を数回ちょろっとやった感じだったので。そのぶん各所属チームでの練習がよかったんだと思いますね。中でも日本体育大学(以下、日体大)ですよね。今回、金メダルを獲った選手は全員が日体大関連の選手なんですよ。樋口黎、清岡幸大郎、日下尚、文田健一郎は全員が日体大で練習してて、それから藤波朱理も日体大の女子で練習してますし。ちなみに、元木咲良、桜井つぐみ、鏡優翔も先生やコーチが日体大出身の若手なんですよね。
――みんな日体大ネットワークの中にいるんですね。
保高 なので女子はもちろん、男子に関しては業界外の人から見ると、なんとなく「ゴリゴリの外国人に囲まれて世界で勝つのは難しいんじゃないの?」と思うかもしれないんですけど、みんな絶対に金メダルを獲ると信じてやってきてる。オリンピックでメダルを獲ったコーチはその中にひとりしかいないんですけど、自分たちが金メダルが獲れなかったのは日本人だからじゃないということをわかっていて。選手たちに「金メダルを獲れるんだ!」と信じさせてあげられたと思います。
――その成果なのか、男子も女子も重い階級でちゃんとメダルを獲ってます。
保高 今回獲ったメダルの中で一番階級が重いのは男子は74キロですね。その階級の高谷大地に関しては、外国の凄く強い選手がガチガチに緊張してたのもあるんですけど(笑)。
――そうだったんですか(笑)。
保高 高谷選手本人が言ってました。「こいつ、めっちゃ緊張してるな」って。彼はもともと凄くリラックスしていて。なぜなら「金メダルは獲れないだろう」と、ちょっとネガティブに考える選手なんですけど、それがリラックスにつながって。レスリングって対戦相手と一緒に入場口に並ぶんですけど、その緊張してる外国人選手を横で見て「こいつめっちゃ緊張してるなぁ~(笑)」と思ったので気が楽になったと言ってましたね。フィジカルも見た感じで負けてる気がするだけで、実際は負けてないってことを何年もかけて実感してますから。
――フィジカルでも世界と勝負できると。
保高 86キロの石黒隼士もメダルは獲れなかったけど、海外の選手にフィジカルは負けてないんですよ。だから、ちゃんと鍛えればやれることは実感してて。
――MMAやキックでは「外国人にはフィジカル負けするから」となりがちですけども……。
保高 たぶん、それちゃんとやってないだけですよ(キッパリ)。
――そう言われたら何も言い返せない(笑)。
保高 ああ、MMAでフィジカル差が出るのは前日計量というのもあるのかなあ?当日計量になってから日本の調子がいいようにも思います。指導法に関していうと、レスリングの日本人選手はもの凄い練習量をこなしてます。
――太田忍選手も言ってました。オリンピック向けの練習は「死ぬかと思った」と。
保高 やりすぎてみんなしょっちゅう口唇ヘルペスです。たとえば、選手たちが外国に武者修行に行くじゃないですか。そのレポートによれば、外国人はとにかく練習時間が凄く短いんですよね。1時間半とかで終わったりするらしくて。
――効率化されてるんですかね。
保高 そうかもしれないし、短いからこそ集中してガッとできると思うんですけど。逆に日本の選手は練習量がすごい。日本だと3時間近かったり、高校生の中には8時間やるところもあるんです。
――8時間って、ほぼ練習の1日じゃないですか!(笑)。
保高 日本人選手にスタミナがあるのは、厳しい練習を経験しているからだし、「こんなところで負けられない!」という気持ちで臨めるんじゃないかなと。
――最近は何かと脱・根性論的な風潮がありますけども、才能がある選手に根性トレをやらせたら確実に強くなるということですね。
保高 だから、みんな言ってますね、「根性も必要だ」と。日本人ってけっこう淡白な性格だったりするじゃないですか。ロシアやキルギス、インドの選手とかは、べつにそんなに練習やってなくても死にもの狂いの試合ができるんですよ。でも、日本の選手はそこまで練習で追い込まないと、たぶん執念みたいなものが出ないんだと思います。私はずっと練習を見てるわけじゃないんですけど、長年オーバービューで見てきた感じとしてはそう思います。あとはメンタル面。これは、最近メンタルコーチをつけてる選手が増えていて。私が把握してるだけで清岡、樋口、桜井はメンタルコーチをつけてやってるんですよ。そういう選手たちは「役に立った」と発信しているし、そこの存在も大きいと思いますね。
――MMAではレスリング出身の中村倫也選手もメンタルトレーナーをつけてますよね。
保高 ああ、たぶん同じメンタルコーチの方か、そのつながりだと思いますね。
――昔のスポーツ選手だと、それこそ「国家のために」とか何か自分が帰属するものがあるから力が出せたり、それこそ信仰や宗教も支えになりますよね。晩年のヒョードルもロシア正教に帰依してましたけど。
保高 日本人みたいにあんまり信仰がなかったりすると、どこに目標を置くかとか、何のために戦うかがはっきりわからなかったりすることがあるのかもしれないですね。特定の神もいないから、そうするとメンタルコーチに頼るという。樋口は強メンタルの持ち主なんですが「メンタルが弱い人がやるものと思っていたけど違った」と発信していますね。そういえばオリンピックに出なかったある選手と話をしたら「最近プレッシャーでずっとレスリングが楽しくない。オリンピックでの選手たちはすごく楽しそうに試合していた」と言ってて。文田健一郎にオリンピック前に聞いた話だと、東京五輪のあとは自分のやりたい投げるレスリングは研究されてなかなか投げを打てない。勝つために違うスタイルでやっていたけど、レスリングが楽しくなくなってしまったと。でも、昨年世界選手権決勝で試合したキルギス選手は警戒しすぎずに戦ってくれて、自分のやりたいレスリングができて楽しかった。そこから元のスタイルに戻してからまたレスリングが楽しくなったと言っていました。それでオリンピックでも勝つことができたんだから、やっぱりメンタルは重要ですね。
――自分を信じきれるメンタル、そして地獄の根性トレが支えていたわけですね。
保高 川井姉妹に「外国の選手とフィジカル差での不利を感じるか」って聞いたんですが、やっぱり感じないと。「アフリカ系の選手はタックルが伸びるバネがある」といった特長の違いはあるけど、それぞれが得意なところどうを使ってどう伸ばして苦手をどう克服していくかだそうです。
――たとえばドーピング抜き打ち検査があるから、外国人と対等に戦えていることもあるんですかね?
保高 「ドーピング抜き打ち検査があるからクリーンだからだろう」と思うかもしれませんけど、外国の選手でもやってる選手はいるみたいですねぇ。・日本人選手がクリーンな理由は…
・三恵海運とは何か
・いまこそ八田イズム
・メダリストのMMA転向は?
・レスリング界にも朝倉未来がほしい……13000字インタビューはまだまだ続く
この続きと浅倉カンナ、安保瑠輝也、ドーピング問題、くるみ……などの「10本14万字・格闘技記事」が550円(税込み)が読める詰め合わせセットはコチラ
https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2204342
この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事200円から購入できます!
-
リングス公認「リングス東大」とは何か■宇留野修一
2024-09-15 21:33200pt
「リングス東大」とは何だったのか? 和術慧舟會から現在に至る流れを宇留野道場の宇留野修一氏に語ってもらいました!(聞き手/ジャン斉藤)【1記事から購入できるバックナンバー】・「すべらせろ!」と叫んだ山田武士が明かす「桜庭和志vs秋山成勲の真相」
・手塚裕之1万字インタビュー「田舎と米をナメるな!!」
・朝倉海というUFC日本大会実現へのラストピース
・万智がいろんな意味でヤバイ! 女子格NEXTスターインタビュー
――塩田“GoZo”歩さんを取材したら伝説の格闘技サークル「リングス東大」の話で盛り上がりまして。誰かそのへんのお話を詳しくできる人いないかなってポストしたら、清水俊一選手から宇留野さんをご紹介いただきました!
宇留野 けっこう古い話なんで、ボクの記憶もアヤフヤなんですけど(笑)。
――90年代格闘技の貴重な資料をたくさんお持ちで!(笑)。
宇留野 家探ししてきました(笑)。
――あっ、リングス東大は女性の方も入っていたんですね。
宇留野 この子は、宇野(薫)がアマ修斗で準優勝したときに女子の部で3位になってます。すごく強かった禅道会の石原美和子さんに負けてるんですね。
――石原美和子さんはいまは教育関係の仕事に就いてるそうですね。あっさり引退しちゃいましたけど……。
宇留野 あの時代の女子はなかなか試合する機会がなかったんですよね。
――そもそもあの当時の一般人が総合格闘技に触れる機会もなかったので、リングス東大の存在は興味深くて。
宇留野 ボクがリングス東大に関わったのは、社会人2年目のときなんですね。リングス東大は94年から始まってるんですが、ボクは95年の春から入ってます。リングス東大の主将の方は東大の3年生だったんです。
――リングス東大は外部の人間も参加できるインカレだったと。リングス東大の初代主将が当時を振り返るブログは残ってますね。
宇留野 はい、ボクも読んだことあります。どうやってリングス東大を知ったかといえば、『格闘技通信』に「リングス東大という格闘技サークルをやってます。練習したい方はどうぞ」という告知があって。社会人でOKということで練習に参加させてもらったのが95年の春だったんです。練習場所は東大駒場キャンパスの柔道場ですね。
――宇留野さんはもともと格闘技をやってたんですよね?
宇留野 はい。スーパータイガージムがスタートです。1986年に入会しました。
――スーパータイガージムって“タイガーマスク人気”でめちゃくちゃ会員が多かったんですよね。
宇留野 いや、ホントにすごかったですね。ボクの会員番号は360番台でした(笑)。でも、通ったのは短くて半年くらいかな。ケガしちゃってしばらく休んで戻ってきたら、懇意にしていたインストラクターさんがいなくなってて。それでちょっといづらいというか、楽しくなくなって、そのままやめちゃったんですけど。そのインストラクターが平直行先生なんです。
――平さんに惹かれて一緒にやめちゃう会員さんもいたそうですね。
宇留野 平さんにはあだ名もつけられて。大きい身体に真っ赤なタイガージムのスウェット上下を着ていたら、「オマエ、ポストみたいだな」ってことで「ポスト」と呼ばれるようになりました(笑)。
――あだ名はシューティングの伝統ではありますね(笑)。
宇留野 普通は初級者コースからやって格闘技の形になっていくんですけど、ボクなんかは2回目くらいに平さんに呼ばれて、昔のプロレスの寝技の練習をやらされて。「まいった!」しても離してくれないやつで遊ばれてたんです(笑)。
――いわゆる“かわいがり”ですね(笑)。
宇留野 そうですそうです。夜の合同練習が始まるまでがボクら初心者の練習。それが終わったら帰るんですけど、合同練習まで平さんに遊んでもらえるんです。平さんがいないときは、北原さんにかわいがってもらって。
――ジークンドーの中村頼長さんもインストラクターでしたよね。
宇留野 頼さんもいらっしゃったんですけど、すごい無口だったんですね。平さんと北原さんがボクをいじるのを優しく見守ってくれてました。ボクが中国武術が好きだったことを知ってて、発剄の実験台にされて。お腹をバーンと突かれて「もし気持ち悪くなったら明日病院に行け」って脅されたことがありますね(笑)。
――大阪の大学に通うことになった宇留野さんがそこでサンボ部を作るんですよね。
宇留野 話せば長くなるんですけど、やる気もないのに高校で柔道部に入ることになったんです。ウチの高校は東海大の系列で、3年生のときに浅井信幸先生というビクトル古賀先生のお弟子さんが指導に来られて。浅井先生に教わった縁で、全日本サンボ大会の高校生から大学2年生までの部に出て勝ったので、世界選手権に行けることになって。そこでもたまたま3位に入ったので、一応肩書きは世界選手権ジュニアだけど3位(笑)。
――すごいじゃないですか!
宇留野 で、大学1年生からどこかの部活に入るのは上下関係もあって、なかなかしんどいじゃないですか。だから学生寮の友達と「何か新しい部を作ろう」と。本当は総合格闘技部にしたかったんですけど、学校側はなんの実績もないのは難しい。じゃあボクはサンボ世界選手権3位だからサンボ部はできるんじゃないかって。まずサンボ愛好会から始まって、次は同好会、最終的に部に昇格していったんですね。部費も5万円、7万円、15万円って増えていきましたね(笑)。
――当時サンボって新しい格闘技として注目されてましたね。
宇留野 泥臭くて、あまり日の目は見なかったんですけど(笑)。リングスにロシアの選手がいっぱい来たり、UWFでもアキレス腱固めとかサンボの技がよく使われてましたし。一番は佐山先生が80年代に「これがサンボだ!」という本を出したり、あとはサンボの大会に出ようとしたことですよね。結局、揉めて幻に終わったんですけど。
――「これがサンボだ!」持ってます! UWFの流れからサンボやシュートボクシング(SB)が脚光を浴びてましたよね。
宇留野 平さんはそのSBに移っちゃったから、ボクはタイガージムにいづらくなって。ボクの体型はシュートボクサーじゃないことは自分でわかってたので追っかけられないし(笑)。ボクは大阪の大学でサンボ部をやってたんですけど、その頃、平さんが正道会館のオープントーナメントに挑戦したことがあるんですよ。
――ベスト8まで進みましたね。
宇留野 そのとき大阪でやってたのでボクは応援に行ったんですよ。会場を歩いてたら突然蹴りを食らって。誰か思ったら平さんで「何してんだよ!」って言われました(笑)。
――正道会館に勢いがあったり、大阪の格闘技文化にも熱がありましたよね。
宇留野 正道会館をはじめとして、空手や打撃系の格闘技が多かったですね。ボクは大阪の八尾という田舎にいたんですけど、組みをやる場所がなかったです。
――旧UWFの森泰樹さんのライルーツコナンってありましたよね?
・新規に優しくなかった90年代の格闘技ジム
・リングス公認「リングス東大」とは何か
・「リングス東大」分裂
・和術慧舟會は「リングス東大」だった?
・和術慧舟會vs骨法……まだまだ続く
この続きと浅倉カンナ、安保瑠輝也、ドーピング問題、くるみ……などの「10本14万字・格闘技記事」が550円(税込み)が読める詰め合わせセットはコチラ
https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2204342
この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事200円から購入できます!
-
UFC日本大会の可能性/独禁法訴訟に急展開■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク
2024-09-13 10:37200pt
多くのMMAファイターをマネジメントするシュウ・ヒラタ氏が北米MMAシーンを縦横無尽に語りまくるコーナー!(聞き手/ジャン斉藤)
【1記事から購入できるバックナンバー】・【年の差24歳婚】北岡悟 「格闘家と結婚」インタビュー
・平本蓮vs安保瑠輝也消滅の内幕■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク
・世界のTK“引退激勝”高阪剛16000字インタビュー
・【こじらせU系】関根“シュレック”秀樹「Uインターが新日本に負けるとは思わなかった」
☆この記事はニコニコチャンネル停止中の7月にnoteに掲載されたものです。――ニコニコ動画がサイバー攻撃を食らっている関係で今日は配信なしの収録になります!
シュウ かなり大変みたいですねぇ。
――日本史上最大のサイバー攻撃になるみたいですねぇ。早く再開できることを願っていますが……以前の配信でも軽く話をされましたが、北米の女子MMA団体インヴォクタの活動が再開。大島沙緒里選手、東陽子選手が出場することになりました。
シュウ はい、やっと発表されました。大島さんは参戦自体が発表されてましたが、東陽子さんはPFLからリリースされてまして……次の行き場所を探ってたんですけど、いい感じでハマったということで。大島選手は以前からインヴィクタに出てみたいということだったので、ずいぶん前から話はしてたんですけど。どうしてもインヴィクタのスケジュールが決まらないので、しばらく時間がかかったんですよね。今後はCBSスポーツで中継されて、今年は6大会開催予定なのかな。インヴィクタはアンセムスポーツエンターテインメントというメディア会社に買われたんですが、ありがちなんですけど、いろんなコンテンツをバンバン買ってはみたものの、どうやって経営したらいいかわからず行き詰まってるのが実情でした。
――女子の試合はどこも組むのに四苦八苦してるから、インヴィクタには安定してほしいですね……。
シュウ ホントにそうなんです。女子ってUFCからリリースされると次の行き場所が限られるんですよ。PFL、RIZIN、KSW、ONEも女子はやってますけども、団体によっては稼働していない階級が多い。動いている階級も2~3人の一握りの選手のためだけ試合を組んでていたり、要はリーグ戦として確立されてるわけではないんですよね。
――スター選手のための試合が多いですよね。UFCにしても階級によってはフル稼働は難しいところもあったり。
シュウ そうなんですよ。UFCの女子はストローに人気選手が多いイメージがあるじゃないですか。PFLはフライ級のリーグ戦をやっている。だからストロー級の選手がUFCからリリースされると選択肢がほぼないんですよね。そんな都合よくRIZINさんが取ってくれるわけじゃないですし。日本人選手だったら日本に戻ってDEEPジュエルスやパンクラスでやるしかない。だからこうやってインヴィクタが再開するのはありがたいですよね。インヴィクタとしてはできれば日本人選手を毎大会入れたいそうなんですよ。興味がある選手はどんどん売り込めば話はしてくれると思いますよ。それにいまは、ほら円安ですから、海外のほうが稼げますよね(笑)。
――日本人も円安の恩恵が受けられると(笑)。
シュウ ただ、東選手の場合はPFLのときよりは、かなりのカットを受け入れてのインヴィクタ参戦になるんです。野球でいえばMLBからAAAに移るようなもんですよね。
――PFLでいえばシュウさんがマネジメントしている西川(大和)選手の動向はどうなってるんですか?
・格闘家と家族の存在
・堀口恭司がUFCと契約できないのは…
・朝倉海の契約はいい影響がある
・UFC日本大会開催の可能性
・独禁法集団訴訟に急展開
・井上直樹は「誰を倒してRIZINのベルトを取るか」……まだまだ続く
この続きと浅倉カンナ、安保瑠輝也、ドーピング問題、くるみ……などの「10本14万字・格闘技記事」が550円(税込み)が読める詰め合わせセットはコチラ
https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2204342
この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事200円から購入できます!
-
幻の新日本プロレスvs北朝鮮軍人■長井満也
2024-09-11 11:09200ptUWFやリングス、K-1まで、様々なリングで戦ってきた長井満也インタビューシリーズ第11弾! 今回は北朝鮮遠征編です (聞き手/ジャン斉藤)
長井満也インタビューシリーズ
①「我が青春のスーパータイガージム、シュートボクシング」②地獄の新生UWF新弟子③いつのまにか解散してしまった新生UWF④恐るべきプロレス団体リングスの真実⑤リングス伝説の佐竹雅昭戦とは何だったのか
⑥リングスジャパンは仲が悪かったのか?⑦【リングス退団編】俺はそんなことを絶対に言っていない
⑧K-1参戦、安生洋二の前田日明襲撃……リングス退団後の長井満也⑨掣圏道SAプロレス、馬場元子さんの思い出■長井満也⑩魔界倶楽部/柴田勝頼K-1参戦■長井満也インタビュー
☆この記事はニコニコチャンネル停止中にnoteに掲載されたものです
――長井さんは新日本プロレス所属時代、じつは北朝鮮に遠征されてるんですよね。
長井 あれは2004年のことですね。「猪木さんと北朝鮮に行ったことある」なんて話すと、みんな平和の祭典(1995年)をイメージすると思うんですよね。でも、ボクが出たのは国際武道競技大会というやつだったんです。
――中邑(真輔)さんも出たイベントですね。
長井 あのときはボク、垣原(賢人)くん、成瀬(昌由)、柳澤(龍志)選手、中邑くんが参加したような思い出がありますね。ボクらは北朝鮮の格闘技の祭典で試合をやると聞かされてたんですが、どんな試合形式で相手が誰なのか、前日の夕方くらいまで教えてもらえなかったんですよね。
――前日まで何をやるかわからなかった!(笑)。
長井 最初は「なんでもあり」のルールで北朝鮮の軍人と戦う話もあって。これ、おふざけじゃなくて本当にそういう話を聞いてたんですよ(笑)。
――北朝鮮の軍人と「なんでもあり」! NetflixやAmazonプライムのオリジナルドラマにありそうです(笑)。
長井 「もしそうなったら、とりあえずやるしかないな」と。ボクの場合、前日まで何をやるかは決まってないというのは、リングスで経験してたから慣れたもんじゃないですか(笑)。
――ハハハハハハ! 試合中も何が起こるのかがわからないのがリングスの恐ろしさですね。
長井 どうなってもいいように覚悟はしてましたね。
――北朝鮮遠征の話はどんなふうに聞いてたんですか?
長井 話を聞いたのはギリギリでもなかったですけど、呼ばれたメンツがわりと格闘技色が強かったから、きっと格闘技寄りの大会に出るんだろうなと思ってたんですけど。どういう内容で誰とやるかは全然教えてもらってなかったですね。
――何をやるかわからないまま北朝鮮に渡ったと。
長井 そうです。まず成田空港から直接、北朝鮮の平壌空港には行けないので、北京でトランジットですよね。北京で1泊したんですが、せっかく中国に来たから天安門を見に行ったりして。なんでか忘れたんですけど、中国のスターバックスにみんなで行ったんですよ。ボクはラテを頼んだんですけど、ボクのだけ全然出てこなくて。やっと出てきたらココアなんですよね。北京にはそんな思い出があります(笑)。
――北京の思い出がスターバックスですか(笑)。
長井 翌日に北朝鮮の大使館に行ってパスポートの書類を作って、それから空港に向かうことになったんです。その書類に貼る自分の写真を持っていったですが、向こうの係員はボクと垣原くんの写真を間違えて貼ってしまって。北朝鮮の人から見たら一緒なんだなって(笑)。
――ハハハハハ! 猪木さんと一緒に北朝鮮入りしたんですか?
長井 いや、猪木さんはボクらより先に入ってたんですよね。ボクら選手は日本からのツアーと一緒だったんですよ。それは北朝鮮で松茸とフグを食べようというツアーで……。
――あの「北朝鮮ふぐ・松茸食べ放題ツアー」ですか!人質拉致問題の時節柄、不謹慎だということで当時・渋谷にあった新日本事務所に街宣車が抗議に来たという……。あのツアーは実施したんですね。
・ふぐ・松茸食べ放題ツアーとは何だったか?
・平壌のミステリーホテル
・すべてが仕込みのトゥルーマン・ショー?
・垣原賢人の北朝鮮クワガタ騒動
・猪木さんと北朝鮮の壺……まだまだ続く
この続きと齋藤彰俊、長井満也、小川良成、AKIRA、『極悪女王』……などの「プロレス記事9本6万字詰め合わせ」が550円(税込み)が読める詰め合わせセットはコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2204344この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事200円から購入できます!
-
真夏のUFC査定試合出陣! “最後のピーズラボ戦士”内藤由良
2024-09-11 10:55200pt
ダナ・ホワイト・コンテンダーシリーズ出場が決まってミドル級の内藤由良インタビュー!ジャパニーズMMAの申し子でした!(聞き手/ジャン斉藤)【1記事から購入できるバックナンバー】・セコンド大塚隆史が見た朝倉未来戦「蓮くんは五輪アスリート級の取り組み方だった」
・やりすぎくらいがちょうどいい……武尊『ユメノチカラ』を読んで
・RIZIN離脱……高田延彦という後味の悪い男
・【1万字インタビュー】シュウ・ヒラタが「RIZIN大好きさん」とのバトルの内幕を激白!
☆この記事はニコニコチャンネル停止中にnoteに掲載されたものです
――UFCの契約査定試合ダナ・ホワイト・コンテンダーシリーズ出場決定ということで、大チャンスですね。
内藤 はい、もう勝つしかないです。ずっとUFCを目指してやってきたので。
――コンテンダーシリーズ出場にはどういう経緯があったんですか?
内藤 ボクは海外のマネジメントと契約してて。アーセナルというところなんですけど、ベラトールの菊入正行選手と一緒です。パンクラスの福井(幸和)代表のビジネスパートナーだったティキ・ゴーセンがやってるんですけど。そこにはアルジャメイン・スターリング、ブライアン・オルテガ、ダスティン・ポイエー、いまはちょっと外れちゃったんですけど、アーチュレッタも契約してました。アーセナルを通して海外の話が進んだんですけど、なかなか試合ができなかったんですね。
――先日のパンクラス6月大会で試合をしましたけど、前回から2年3ヵ月近く空きましたよね。
内藤 だいぶ空きましたねぇ。そのあいだ試合が飛んだりしてて。コンテンダーシリーズの話でいえば、ボクはキャリア5戦だったんで「あと1~2勝はほしい」ということだったんです。
――全勝とはいえ5試合だとやや足りないと。
内藤 だったらLFAで1試合やってからコンテンダーに行くか。もしくはLFAで複数試合やって、直でUFCとの契約を狙うかという話をしてたんですけど。LFAに出ようとしてもそもそも試合が全然組まれなくて。去年の12月15日にLFAラスベガス大会に出る話もあったんです。1ヵ月前にオファーがあったけど、契約書が送られてこなくて。2週間前になって「相手がミドル級まで落とせないからキャッチウエイトでやってくれないか」と。でも、まずLFAは渡航費が出ない。当然セコンド分の旅費もなし。
――それにLFAだとファイトマネーもそんなに……。
内藤 だから「キャッチウェイトまでして試合をする意味あんのかな……?」と思って。ショートノーティスだし、勝ってもUFCが確定するわけじゃない。だからやめたんです。
――それは正解ですねぇ。
内藤 2年前にもLFAの話があったんですけど、3人ぐらい候補を挙げられて、こっちは全員オッケーで返してたんですけど、それもなしになっちゃって。
――LFAで試合をするのも、なかなか大変だってことですね。
内藤 フィーダーだからちゃんとやってくれるのかなと思ったんですけど、よっぽどパンクラスのほうがしっかりしてるなと(苦笑)。
――拠点がアメリカならLFAでもいいと思うんですけど、日本から試合をするにしてはなかなか厳しい場なのかもですね。
内藤 LFAからしても日本から選手と呼ぶ需要があまりないですよね。だってアメリカには選手がゴロゴロいるわけじゃないですか。そこからUFCに選手を出すほうがコスパがいいですし。そういう話を聞いて自分の中でもわりかし納得はいくんですけど、試合ができないことは厳しかったすね。
――そんな中、コンテンダーシリーズのチャンスが巡ってきたと。
内藤 パンクラスの協力があってのおかげなので、パンクラスでやってきてよかったと思ってますね。
――もう日時も決まってるんですか?
内藤 はい。公開していいのかわからないですけど(試合は9月18日)。
――2年ぶりの試合になった6月30日のパンクラスも直前でいろいろとあって。当初はキルクリフ所属のディラン・オサリバンと対戦するはずでしたが、前々日に入国時の問題により欠場。急遽、在日クルド人のアリ・カラダギィに代わって。
内藤 あの選手がショートノーティスでやってくれるということで、対戦相手なのに救世主でしたね(苦笑)。
――もし試合が流れていたら……。
内藤 コンテンダーシリーズはたぶんなかったです。
――うわー、危なかったですねぇ。
内藤 ホントです(笑)。UFCからすると、まず2年空いてるってことがけっこうネックだったらしくて、とりあえず試合をやってほしいと。今回の代替え選手も1階級下のウェルターから探してくれたんですけど、こっちは万全の状態だし、ボクが逆の立場だったら絶対やんないですよね。だから試合を受けてくれてホントにありがたかったです。
――国内のミドル級だと知り合いになっちゃいますよね。試合を組むにも練習するにも大変な階級というか。
内藤 日本でミドル級をやっていくことの大変さは最近とくに感じてますね。今回UFCと契約できなかったとしても、アメリカに拠点を移したほうがいいのかなと思ってるんですよね。向こうにいれば、UFCが代打を探してるときにすぐ手を挙げられるじゃないですか。
――今夏のコンテンダーシリーズに出場予定だった選手が、ケガ人が出たからいきなり本戦契約になったケースもありますね。でも、日本にいるとそんなチャンスは……。
内藤 難しいですよねぇ。UFCに限らずチャンスが増えると思うので、アメリカ行きは真剣に考えてます。
――アジアのUFC登竜門企画ROAD TO UFCも検討はされてたんですか?
内藤 いちおう話はしてもらってたんですよ。でも、ROAD TO UFCは軽量級中心で、ワンマッチがあってもライト級、めっちゃレアでウェルターだけ。だから今回のコンテンダーシリーズがなかったら、もう向こうに住んでフィーダーでやっていくしなかったですね。
――非UFCメジャーでもミドル級はそこまで稼働してないですよね。
内藤 よく「RIZINに出たほうがいいんじゃないか」とか言われるんですけど、出たところで話が進まないんで出る必要がないんですよね。
――RIZINにミドル級の選手がそこまでいるわけじゃないってことですね。
内藤 そうなんですよね。仮にRIZINでイゴール(・タナベ)くんと試合するとしても、その試合をやったら終わりなんで。それにイゴールくんとは一緒に練習もしたりするんで、やっぱり顔見知りになっちゃうんですね。
――そんな中、コンテンダーシリーズ出場権をゲットできたわけですけど、2年間の空白は大きいですよね。
内藤 大きいですねぇ。ボクはいま28歳なんですけど、この年齢のときに1回も試合できなかったのは……どんどん試合をしていかなきゃいけない時期じゃないですか。格闘家なんて試合しなかったら、ただのニートですからね(笑)。
――何も決まってないのに練習を続けるのはなかなか……。
内藤 そこはやる気云々じゃなくて準備しとかないと。自分が完璧にできてるわけでもないんで、より刃を磨かないと、急に「試合です!」ってなったときに実力発揮できないことが怖かったんで。
――いつやってくるかわからないチャンスのために。
内藤 そこは修行です。しんどかったですけど、期待してくれる人もいっぱいいるんで、その人たちのおかげでなんとかやりきれた感じです。ボクは五味(隆典)さんに憧れたというか、ずっと好きだったんですよ。五味さんは26、27歳くらいのときにPRIDEで大活躍してたんで、いまの自分とどうしても比較しちゃうんですよねぇ。
――それは焦りますよねぇ。MMAを目指したのも五味さんがきっかけなんですか?
内藤 もともと3歳から極真空手を始めて、8歳からピーズラボ横浜で、ちびっ子レスリングを始めたんです。その当時は鈴木(みのる)先生がいたんですけど、あとは大石(幸史)先生、アライ(ケンジ)先生、佐藤光留先生とか、そのときのパンクラスイズムの選手たちがレスリングを教えてくれました。川村(亮)さんは練習生でした。
――あの時代のパンクラス!
・鈴木みのるから金言
・大晦日DEEPはもちろん現地観戦
・パンクラスイズムvsSKアブソリュート
・DREAMや戦極は面白かったのに…
・入場曲は「ラストマン・スタンディング」
・日本重量級の課題……まだまだ続く!
この続きと浅倉カンナ、安保瑠輝也、ドーピング問題、くるみ……などの「10本14万字・格闘技記事」が550円(税込み)が読める詰め合わせセットはコチラ
https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2204342
この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事200円から購入できます!
1 / 3