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記事 20件
  • 【記事詰め合わせ】ミスター高橋、ハッスル悪夢、モントリオール事件、ザ・ファンクス、中邑真輔NXT…

    2016-04-30 23:59  
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    記事内容一覧◉伝説のレフェリーが語るプロレスの魔術と裏側! 
    ミスター高橋with田山正雄「試合はこうして壊れていく」
    誠心会館、ヘラクレス・ローンホーク、前田日明vsアンドレの場合――!!
    ◉若鷹ジェット信介――ハッスルの最期を看取った男
    黒歴史ファイティングオペラはなぜ消滅したのか? バブルと悪夢を振りかえる!
    ◉新連載!フミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の新連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 初回のテーマはプロレス史上最大の裏切り劇「モントリオール事件」!
    ◉金原弘光のゼロゼロ年代クロニクル⑨ プロレス道場の実態がいま明らかになる!
    UWFが柔術を知った日〜道場はどう変わっていったのか〜 
    ◉好評連載!小佐野景浩のプロレス歴史発見
    我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! キミはまだドリーの恐ろしさを知らない……
     
    ◉アメリカ修行中! 堀口恭司の一時帰国インタビュー
    「ヒマすぎて練習しかすることがないんです」
    ◉Omasuki Fightインタビュー
    コナーvsネイトPPV150万件突破……スーパーファイトという麻薬の時代
    ■オマスキファイトのMMA Unleashed
    ・コナー・マクレガー、チキンレースに敗れる? 衝撃の引退騒動を追う
    ・ダラスに響きわたるストロング・スタイルコール!  中邑真輔 10億点のWWEデビュー!
    ・ドキュメンタリー:UFCファイターの試合当日
    ・MMA死ね!ニューヨーク州合法化法案可決も、議会では反対派が本音をむき出しに!
    ■MMAオレンジ色の手帳
    ・やっぱりRIZINが動くとTwitterが揺れる?〜ペットボトル事件を振りかえる〜
    ・格闘家のTwitter事情〜RIZINが動くとTwitterが揺れる?
    ■二階堂綾乃のオールラウンダーAYANO
    ・カール・ゴッチ「歯があるから虫歯になる。全部抜こう」■二階堂綾乃のオールラウンダーAYANO
    ・アマチュアMMA出場必要経費13500円
    ■中井祐樹の「東奔西走日記」
    3月15日〜4月14日編

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    「ミスター高橋さんに会いませんか?」――Dropkickチャンネルで90年代プロレス界のディープなエピソードを披露してくれたレフェリー田山正雄氏の紹介で実現したこの対談。ミスター高橋といえば新日本プロレスのリングで幾多の試合を裁き、引退後に執筆した『流血の魔術・最強の演技』がベストセラーとなり、プロレス界を震撼させた伝説のレフェリー。高橋氏考案のチューブ体操をしながらお読みください。――今日は田山さんのご紹介で伝説のレフェリー、ミスター高橋さんにお話を聞く機会をいただきました。田山さんの師匠が高橋さんになるんですよね。
    田山 そうですね。ボクが新日本プロレスのレフェリーテストを受けたときの試験官が高橋さんで。
    高橋 俺は田山を採用したときに、後継者だと思ってた。でも、田山のレフェリングをまともに見たことないんだよ。チラチラとは見てるだけで育成はしてない(笑)。
    田山 でも、レフェリーの育成って、本番で恥をかいて成長するというかたちですよね。あの試験のときは道場に7〜8人の志望者が来たのかな。面接のほかにスクワットや腕立てをやりましたよね。
    高橋 田山は運動能力でダントツだったよな。アマレスやってたこともあって。
    田山 高橋さんに言われましたよ。「キミは体力的にはレスラーとしても合格だよ」って。その頃の新日本だとレフェリーも体力がなくちゃいけないということなのか、レスラーと一緒にスクワット1000回やってましたもん。おぼえてるのは、道場でみんながダラダラしながらスクワットやってたんですよ。そうしたら高橋さんが喝を入れるかたちで、スクワットの歴史から教えてくれたんですよね。「その昔、力道山時代の日本プロレスへ初来日したタイガー・ジョキンダーが……」。
    高橋 おお、よくおぼえてるな(笑)。
    田山 永田裕志があのときの高橋さんの真似をするんですよ(笑)。高橋さんの前ではやらないと思いますけど。
    高橋 そうなんだ(笑)。
    田山 高橋さんも道場で凄く練習してましたよね。
    高橋 俺はほとんど毎日道場に行って身体を鍛えてたよね。体重は100キロあったけど、デブじゃない(笑)。あの頃は腕の太さが50センチくらいあったんだ。
    田山 ホントいい身体してましたよね。ジョー樋口さんは試合中に巻き込まれて失神してましたけど、高橋さんは頑丈だからそんなことはなかったですよね。
    高橋 (アンドレ・ザ・)ジャイアントのラリアットにはさすがにマジでふっ飛ばされたけどね(笑)。田園コロシアムのスタン・ハンセン戦。喉に食らって1週間近くまともに飯が食えなかったよ。
    田山 おぼえてるのは、高橋さんがマサ(斎藤)さんにミドルキックをやってことなんですよ(笑)。試合内容は忘れたけど、そのシーンだけはおぼえてるんですよね。
    高橋 俺がやったの?
    田山 はい。
    高橋 ああ、それは大阪城ホールじゃないかな。ガスパーっていたでしょ、海賊軍団。
    ――猪木さんとマサさんの試合中に乱入したガスパーが、自分とマサさんの手を手錠でつなげてしまって、試合をメチャクチャにした事件ですね。
    高橋 あのときガスパーをやってたのはクロネコ(ブラックキャット)なんだけど、本当は猪木さんに手錠をかけるはずが、間違って斎藤さんにやっちゃったんだよね。
    田山 なんでそんなことになっちゃったんですか?
    高橋 クロネコは日本に来たばっかりだから日本語が不自由だった。日本語と片言のスペイン語で伝えたんだけど、クロネコが理解できなかったんだよね(笑)。何度も「コンプレンデ(わかったか?)」と確認したんだけど、彼は「シー(はい)」を繰り返してたんでアングルを理解してたと思ったんだ。
    ――予想もしていなかった展開に猪木さんも呆然としてましたよね。
    高橋 仕方ないから斎藤さんとガスパーをいったん控室に戻して手錠を外したんだけど、このまんまで終わらせるわけにはいかないでしょ。控室でこのあとのことを話したんだよ。俺は斎藤さんに「リングに戻って暴れ狂ってください。それを制止するために蹴飛ばしますから、俺にラリアットをください。それで反則負けにしましょう」と。
    ――結局、海賊乱入に納得のいかない観客が暴動を起こしてしまったんですね。
    高橋 起きた。警察が来たりして酷かったですね。同じプロなんだからクロネコもわかるだろって思ったんだよね。そのあとは日本語をおぼえてペラペラになったんだけど。
    田山 ネコさんの運転する車に乗ってるときに助手席で眠っちゃったときがあったんですよ。「すいません、寝ちゃいました」って謝ったら「大丈夫。俺も寝てたらから」なんて冗談を言えるくらいの上達ぶりで。いや、本当に寝てたかもしれないんですけど(笑)。
    高橋 ハハハハハハハハ。俺は努力家のクロネコが大好きだったんだよな。でも、クロネコと橋本(真也)は手が合わなかったよな。
    田山 高橋さんも橋本さんと言い合いになりませんでしたっけ? 大掃除のとき。
    高橋 あったなあ。
    田山 橋本さんが高橋さんに暴言を吐いて。ボク、現場にいたんですけど、「これは大変なことになったな……」って。
    高橋 あのときは道場と合宿所の大掃除や餅つき準備の日だったけど、橋本は選手会長だったのに道場に来てなかったんだよね。道場で一番年上で古株の俺は行かないほうが若い人は気が休まったと思うんだけど、1年間お世話になった道場の大掃除をやらないと落ち着かないんだよね。それで飯塚(高史)と一緒にロッカールームを掃除していたら、橋本の私物が凄く出てくるんだよ。当時はCDじゃなくてカセットテープでしょ。そんなのが段ボール箱にたくさん。
    ――橋本さんは自宅に置けないものを道場に置くスタイルだったそうですね(笑)。
    高橋 そうしたら背広を着た橋本が道場にやってきたんだよ。大掃除の日にだよ。
    田山 あのとき橋本さんはどこか地方に行っていて、安田さんと一緒に帰ってきて。ボクが東京駅に迎えに行ったんですよね。だからスーツ姿で。
    高橋 背広姿で掃除するつもりがないんだなって。それで「おまえの荷物は全部捨てたからな!」って言ったら、橋本は大事にしていたカセットテープを本当に捨てられたと思ったんだろうね(笑)。俺に「テメエ!」とか暴言を吐いたんだよ。
    田山 これは大変なことになったと思いましたよ……。
    高橋 俺が「おまえ、誰に向かってものを言ってるんだ。ちょっと来い!」って橋本をロッカールームに連れていったら、何も捨ててないことがわかってね。「高橋さん、悪かったです。ボクのことを殴ってください!」って謝ってきたけど。殴ったら俺のほうが手を痛めちゃうよ(笑)。
    ――かなり頑丈ですもんね(笑)。橋本さんもブラックキャットさんもお亡くなりになっちゃいましたね。
    田山 新日本に留学していたクリス(・ベンワー)も死んじゃいましたねぇ。
    高橋 エディ・ゲレロも死んだね。
    田山 みんな早く死んじゃうんですよ……。
    高橋 みんなムチャするもんなあ。たとえば睡眠剤のハルシオン一粒だけで俺なんかぐっすり眠っちゃうんだけど。彼らはそれを何粒も平気で飲むんだもんね。
    田山 アルコールと一緒に飲んじゃうし、食事の最初のほうに摂るから、後半は記憶がないまま行動してるんですよね。危ないのは、錠剤を粉にして他人のお酒に入れるという冗談もやったり。
    高橋 俺が引退したあと、田山が外国人係だったときにもそんなイタズラをやってたの?
    田山 凄かったですよ。ボクは二十歳くらいだったから、バンバンやられて。次の日に起きたらどこにいるのかわからない。眉毛はないわ、前髪もないわで。
    高橋 ハッハッハッハッ!
    田山 あとビガロたちに薬を盛られて、起きたらオカマレスラーの部屋にいたことありますよ。いくらなんでもやりすぎだろ!って(笑)。
    ――危険すぎますね(笑)。
    田山 ボクが寝るたびにジーパンのチャックにアロンアルファを落とされて。トイレに行こうにもチャックが開けられないから、ハサミで切り裂くんですよ。
    高橋 それくらいで腹が立っていたら通じないんだよ、外国人レスラーは。でも、俺には、いたずらは仕掛けてこない。なぜかというと、昔は地方を巡業してもどこに何があるかなんて外人レスラーはわからないでしょ。コンビニもファミレスもなかった時代。ということは、俺がいないと飯も食えないんだよ。
    田山 高橋さんに眠ってもらうわけにはいかないんですね(笑)。
    高橋 だから俺がいたずらを仕掛けるほうだったんだよ(笑)。
    ――お話は弾んでおりますが、今日は「不穏な試合」についてお聞きしたいと思ってます。壊れた試合というか、一線を越えそうになった試合。ちょっと前にも女子プロレスで不穏な試合がありまして……。
    高橋 ああ、その試合のことは聞いた。顔が腫れあがっちゃったんだってね。
    ――たとえば新日本プロレスvs誠心会館の抗争は、高橋さんが裏で仕切っていたのは有名な話ですが、新日本の上層部は当初「一線を越えたもの」という認識だったんですよね。
    高橋 おっしゃるようにだね、あれをマッチメイクしたのは俺なんだけど。俺の後のマッチメイカーに黙って仕掛けたんだよ。本当はいけないことなんだけどね。
    ――独断でやるって凄いですね。
    高橋 あの頃の新日本はね、いまいちファンの興味を惹く、話題になるマッチメイクがなかったんだよね。俺はもともとマッチメイカーだったこともあって「こうしたほうが面白いのになあ」って常日頃から思ってたわけだよ。俺は小林(邦昭)のことを「三ちゃん」と呼んでるだけど、彼と飯を食ってるときに「三ちゃん、俺はこういうことを考えてるんだけど」って話をしたら「高橋さん、それ面白いですよ。俺にやらせてください」って。でも、俺がマッチメイカーじゃないから。
    ――マッチメイカーが試合を組むわけですから、勝手に試合はできないですよね。あたりまえですけど。
    高橋 そうしたら三ちゃんが「高橋さんの考えどおり、ケンカが発端のアングルだからいいんじゃないですか」って言うんだよ。それなら後楽園の試合のときに実行しようと考えたんだ。何をやるかといえば、誠心会館との抗争。向こうの青柳(政司)だけには話はしたんです。「こういうことをやりたい。そのきっかけを作りたいから弟子をひとり連れて控室に来い」と。田山、あのときのことおぼえてる?
    田山 おぼえてるも何もあの現場にいたんですよ(笑)。
    高橋 あ、いたの。そうか(笑)。
    ――歴史の証人なんですね(笑)。
    高橋 後楽園ホールの控室の扉って、立て付けが悪くてちゃんと閉まらないんだよ。閉めると必ず空いちゃうんだよね。つまり、それを利用したんだ。控室を表敬訪問した青柳とその弟子。帰るときに控室の扉を閉めたけど、ちゃんと閉まらない。小林は「館長、ちょっと待てよ。アンタのところは弟子の教育もできてないのか。ドアをちゃんと締めていかないのが武道家か!」なんて詰め寄った。突然小林が青柳に食って掛かるから、弟子もなんとなく青柳の近くに近寄るじゃない。そのときに小林が「ガキはすっこんでろ!」とおもいきりぶん殴ったんだよ、生でね。
    田山 その瞬間を見てましたよ……。その騒動が始まる前に、そこのドア付近にある自動販売機の前で小林さんが突然スクワットを始めたんですよ。いつもはそんなことしていないのに。
    ――小林さんは青柳さんが来るのを待ってたということなんですね。
    田山 いまの話を聞くかぎりそういうことですね(笑)。
    ――青柳さんは弟子には詳しい事情を説明してないんですよね。
    高橋 してない。知ってるのは、俺と三ちゃん、青柳の3人だけ。あの件から何年も経って、俺が引退したあと、名古屋で空手の試合があって、俺はそこにゲストで呼ばれたんだ。そのときに、あるゴツイ男から「高橋さん、ボクのことをおぼえてますか?」って話しかけられたの。「どこかで会ったかね?」「会うも何も後楽園ホールの控室で酷い目に遭いました(笑)」って。三ちゃんに殴られた空手家ですよ(笑)。
    ――誠心会館の弟子たちも何も知らされていないから、あんなにヒートしてたんですね。
    高橋 そういうことだね。とにかく俺は小林に「これはケンカだ。おもいきって殴れ。相手も空手家だから死にはしない」と。そうして小林がおもいきり殴ったから大騒ぎになった。誠心会館は青柳以外は誰も事情は知らないから「表敬訪問に行ったのに殴られて帰ってきた。このままで済ますわけにいかない!」と怒った。俺は当然そうなることを読んでいたし、青柳には言ってたんですよ。「仕返しする動きは止めるなよ。やりたい奴にはやらせておけ」って。そして大阪府立の大会に行ったとき、案の定、向こうの連中が襲ってきたんだよ。
    ――それはリアルな襲撃なんですね……。
    高橋 あらかじめ青柳から電話はあった。「高橋さん、今日、ウチの連中が大阪に行きます」と。俺は小林と同じタクシーに乗って会場に着いた。降りたときに誠心会館の連中が5〜6人襲いかかってきた。小林がムチャクチャにいかれた。
    ――小林さんは襲い掛かってくることは知ってたんですよね?
    高橋 知ってた。「相手はケンカで来るぞ」と。
    ――小林さんは襲撃を受け入れたんですね……。
    高橋 俺がすぐに間に割って入ったんだけど、小林はケガをして救急車を呼んだよ。お客さんも近くにいて騒ぎになったんだけど、連中はタクシーを拾ってあっという間に逃げたんだけどね。
    ――完全にヤクザの出入りですね。
    高橋 そうしたら「ヤクザじゃあるまいしこんなことをやるのはおかしい。リングで決着をつけようか」ってことになった。裏側を知らない会社は、小林に「本当にやるのか?」と聞いたら「やるしかない」と。それで向こうの斎藤彰俊と小林がやることになったんだよ。
    ――斎藤彰俊さんは裏側を知ってたんですか?
    高橋 知らない。
    ――じゃあガチンコでやるつもりだったということですね。
    高橋 そう。でも、試合直前に言った。斎藤彰俊を呼んで事情を説明したら「ああ、そうなんですか……」って。でも「これは通常のプロレスじゃねえんだから投げに来ようがこらえればいいし、ロープに振られても飛ぶ必要はないぞ」と言ったんだ。
    ――ケンカマッチに見せるからには中途半端なことをするなってことですね。彰俊さんは試合直前にそんなことを言われてビックリしたでしょうね。
    高橋 むしろホッとしたのかもしれない。のちのちになってサイパンに行ったときに俺と彰俊が同じ部屋になったんですよ。「自分がいままでやってきた試合の中で最高だった」と言ってましたし、これまでやってたプロレスとは内容が違うからもの凄い反響があった。テレビを見た地方のプロモーターたちが「俺のところでもやってくれ」って大変だったんだよ。
    ――現場の人たちが試合を見ても、通常のプロレスだとは思わなかったんですか。
    高橋 わからなかった。レフェリーは俺がやったしね。ほかのレフェリーにやられちゃマズいわけだよ。ケンカじゃないことがバレてしまう。だから小林が「レフェリーは高橋さんにやってもらいたい」と会社にお願いしてね。
    田山 あれだけ殺伐とした試合は最後だったかもしれないですね。面白かったです。
    高橋 そうやって抗争を続けてたんだけど、あるときにどうもおかしいことに気付いたマッチメイカーが小林に「後楽園のときも本当のケンカだったのか?」って聞いて、そこで「じつは高橋さんが……」とバラしちゃってね。本来の予定では、そこからもっと続けるつもりだったんだけど、マッチメイカーとしては面白くないわけだよ。
    ――勝手にやっていたわけですもんね。
    高橋 誠心会館の看板を懸けて試合をやって、新日本側が勝って看板を奪っんだけど。マッチメイカーが「これからは仲良くするってことで……」ってことで控室で看板を返しちゃったんだよね。それで尻切れトンボで終わってしまったんですね。
    ――マッチメイカーには無断で抗争を作っていくケースってほかにもあるんですか?
    高橋 いや、ないね。あれは俺のスタンドプレー。やっちゃいけない。もの凄く反響があった試合だけど、違反です。あれがもし俺がマッチメイカーだとしてだよ、そんなことをやられたら怒るよ。繰り返すようだけど、反響は呼んだけど、勝手にやった俺が悪い(笑)。小林なんかに言わせると「あんな激しい試合はしょっちゅうできない。高橋さんは食らわすときは本気でやれよって言うし、当たってないパンチだとレフェリーをやってて怒るし」ってね。ハッハッハッハッ!
    ――新日本上層部が抗争を止めたこともきっかけで、反選手会同盟が結成されますが、そこもナチュラルなストーリなんですか?
    高橋 いやいや、反発なんてのは作りですよ。そんなことを自分たちが勝手にできる組織ではないですよ。そこは俺もわからないけれど、尻切れトンボで終わったものをうまく利用したのかもしれない。
    ――誠心会館は不穏な試合でもなく一線も超えたわけではないですが、試合途中に壊れたケースってありますか?
    高橋 あるよ。俺がマッチメイカーをやったのは1984年から88年。新日本が凄いとき。マッチメイカーになった最初のシリーズにヘラクレス・ローンホークという奴が来たんですよ。
    ――伝説のダメ外人ですね(笑)。 
  • やっぱりRIZINが動くとTwitterが揺れる?〜ペットボトル事件を振りかえる〜■MMAオレンジ色の手帳

    2016-04-26 11:22  
    110pt
    格闘技ブログ「MMA THE ORANGE」の管理人オレンジがディープなエピソードをお届けする「MMAオレンジ色の手帖」! 今回のテーマは……RIZN名古屋のペットボトル騒動についてインタビュー形式で(聞き手/ジャン斉藤)。――前回のコラムで「RIZINが動くとTwitterが揺れる?」というテーマで書いてもらいましたが、予言的中じゃないですけど、RIZIN名古屋大会もツイッター界隈が揺れましたねぇ。
    オレンジ 嫌な感じの揺れ方ですけど(笑)。リングサイドで観戦していた青木選手が試合の勝者に対戦要求されてたので、リングに向かって水の入ったペットボトルを投げつけたら、向こう正面の解説席にいた川尻達也選手の目に当たったという……。
    ――一見コントっぽい感じの流れではあるんですが、水の入ったペットボトルはけっこうな重量があって、ぶつけられたらケガを負いかねない。川尻選手はこれまで3度の網膜剥離になってますし、ヒヤッとする光景ではあったんですよね。検査の結果、問題はなかったそうなので一安心ですが。
    オレンジ 本当にケガがなかったことはなによりですし、今回の事件ってかなり危ないことだったと思うんですけど、ツイッターを見るかぎり、皆さんそれほど触ってないんですよね。
    ――じつはツイッターはあまり揺れなかったと?
    オレンジ 揺れたは揺れたんですが、なんていうんですかね、これはボクにも心当たりがありまして。ツイッターがない時代は、ボクは青木選手のことが好きなこともあって、ブログでわりかし青木選手のことを書いてたんですよ。でも、ツイッターが一般的に普及する中、青木選手が格闘技ファンに直接反撃してるところを見ると、どうも萎縮しちゃって(苦笑)。
    ――あー(笑)。そういえば、ちょっと前にも青木選手とマッハ(桜井マッハ速人)選手がツイッターで激しくやりあってましたし、あんな光景を見たら、ちょっと腰が引けますよねぇ。
    オレンジ なので、ブログに書いて青木選手本人に何か言われたらどうしよう!?って思っちゃいますよね。
    ――いまのSNSって触れたほうが負けみたいな雰囲気ありますね。
    オレンジ 土俵に上がったら負け!みたいな感じですよね。青木選手のことは、PRIDE武士道やDREAMでやってるときは文句なく一番好きな選手で、もしUFCで戦ったらどうなるんだろう?ってワクワクできる数少ない日本人でしたし、(ギルバート・)メレンデスに負けたときも本気で立ち直ってほしいと思ってたんです。やっぱり青木選手って日本人の中では圧倒的に強いじゃないですか。
    ――平均化する近代MMAの中、ファイトスタイルに個性があったうえで強いファイターってなかなか見当たらないですね。
    オレンジ でも、普段の言動やつぶやきが気になっちゃって、青木選手のことを口にする機会は減ってしまったんですよねぇ。
    ――そういえば、青木選手が何か騒ぎを起こすと、青木選手の名前を書かずにつぶやいてる人っていますよね。「おや、なんだかタイムラインが騒がしいぞ。何があったんだろう。……あっ(察し」って感じで。この記事の続きと、ミスター高橋、ハッスル悪夢、モントリオール事件、ザ・ファンクス、中邑真輔NXTなどのインタビュー・コラムがまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1019120
     
  • コナー・マクレガー、チキンレースに敗れる? 衝撃の引退騒動を追う■MMA Unleashed

    2016-04-21 18:56  
    76pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回は「ドキュメンタリー:UFCファイターの試合当日」の続きをお送りする予定でしたが、電撃発表されたコナー・マクレガー引退について。なお本稿はマクレガーが引退撤回前に書かれたものです。「コナーは引退を交渉ツールに使っている。でもコナーは、まずい相手にブラフを仕掛けている。UFCの経営陣はギャンブラーなんだ」
    日本時間で4月20日の未明、コナー・マクレガーが「若くして引退することに決めた。これまでありがとう。また後で」とごく短いTweetを発信、UFC 200メインイベンターのいきなりの引退宣言にはネット上が話題騒然となった。その後ダナ・ホワイトもESPNのスポーツニュースで、マクレガーのUFC 200出場を取りやめると発言、両者が対立関係にあることが明るみに出た。そこで今週は予定を変更して、この大ニュースに関するこれまでのダナ・ホワイトの発言と、主な米MMA記者による状況分析を紹介する。
    ●米国時間4月19日(火)夜、ESPNスポーツセンターに出演したでダナ・ホワイトの発言(番組動画より)
    Q コナー・マクレガーの件、大変な騒ぎになっていますが、いったいどういうことなんですか。
    コナー・マクレガーをUFC200に出場させないことに決めた。新しいメインイベントをいま検討している。コナーはマーケティング活動やCM撮影のためにラスベガスに来ることを拒んだ。アイスランドでトレーニングをしているので、出向くことができないということだった。かつて、ニック・ディアスがジョルジュ・サンピエール戦の記者会見に来なかったとき、私はディアスを出場させなかった。選手が記者会見に参加したがらないことはよくあるが、そういうことでは困るんだ。コナー・マクレガーがこれで引退をするのかどうかは、彼の問題であって私は知らない。ただ私に分かることは、彼はUFC200には出場しないということだ。
    Q マクレガーはなぜラスベガスに来ることができないといっているのですか。
    行きたくない、練習の妨げになるから、と言うんだ。しかし、大会に出場する選手は全員やってくる。いいか、私はコナーをひいきしていると非難されることが多いくらい、コナーのことは尊敬している。ショートノーティスでも引き受けて試合に出場してくれるし、大会を救ってくれたこともある。だからといって、大会前記者会見やプロモーション活動を免除されるわけではない。我々は大金を投じてプロモーションをやっているんだ。
    Q こうしたニュースが流れてしまった以上、コナーの将来はどうなっていくのでしょうか。
    彼との関係が悪いわけではないんだ。ファイター・コナーのことは尊敬している。人間としてもいい男だ。ただ、プロモーションに参加しない、というわけにはいかない。コナー陣営とは密に連絡を取り合っている。私は今日の2時のフライトに乗らないといけない。それまでにコナーは、この試合に出場すること、今週末ラスベガスに来てプロモーション活動を行うことを約束してくれないといけない。
    ●米国時間4月20日(水)、Fox Sportsのスポーツトーク番組に出演したでダナ・ホワイトの発言(番組動画より)
    Q コナーの欠場はプロモーション上の理由だとおっしゃいますが、ネット上ではカネの問題ではないか、コナーが1,000万ドルを要求しているとの噂も流れています。
    これはカネの問題ではないぞ。それは違う。インターネットの悪いところだ。カネの問題ではない。コナーはたくさんのカネを稼いでいているし、金額にも満足している。それにコナーはおおむね信用できる男だ。いったん契約をしたら、試合を発表した後にもっとよこせと言ってくるようなタイプの人間でもない。
    Q コナーは本当に引退すると思いますか。
    いいや。
    Q コナーは来年あたり、また試合をしますか。
    そう思うね。
    Q コナーのベルトははく奪ですか?
    そこは問題になってくる。コナーは引退するのかしないのか、はっきりさせないといけない。引退するというのなら、UFC200の「ジョセ・アルド vs. フランキー・エドガー」は空位の王座をかけた試合になる。
    Q 次にコナーといつ話をしますか。
    さあ、分からんな。この大会に出場しないと決めたのはコナーの方なんだ。でもこちらつぃては、ショー・マスト・ゴー・オンなんだよ。まあ、この番組の直後に電話をくれれば、試合は予定通りやる可能性もあるがね。
    この記事の続きと、ミスター高橋、ハッスル悪夢、モントリオール事件、ザ・ファンクス、中邑真輔NXTなどのインタビュー・コラムがまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1019120 
  • 【レフェリーの魔術】ミスター高橋with田山正雄「試合はこうして壊れていく――」

    2016-04-20 19:20  
    110pt
    「ミスター高橋さんに会いませんか?」――Dropkickチャンネルで90年代プロレス界のディープなエピソードを披露してくれたレフェリー田山正雄氏の紹介で実現したこの対談。ミスター高橋といえば新日本プロレスのリングで幾多の試合を裁き、引退後に執筆した『流血の魔術・最強の演技』がベストセラーとなり、プロレス界を震撼させた伝説のレフェリー。高橋氏考案のチューブ体操をしながらお読みください。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
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    ◉上田勝次 FMWを支えたキックボクサーの壮絶人生!
    「ヤクザモンが死んだケンカ以来、このヒジは使ってないよ…」
    ◉追悼・堀辺正史……“弟子”矢野卓見インタビュー親子喧嘩ついに終幕「ダメなお父さんでしたねぇ……」
    ◉小佐野景浩のプロレス歴史発見ジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち
    ◉マット界初! 選手組合「日本キックボクシング選手協会」とは何か?キック界の夜回り先生・佐藤嘉洋
    ◉事情通Zの「プロレス 点と線」中継も大会未定…日本のUFCはどうなってしまうのか?/総括:世志琥vs安川惡斗
    ◉またも歯に衣着せぬインタビュー大炸裂!鈴木秀樹「はぐれIGF軍団のすべて」
    ◉金原弘光のゼロゼロ年代クロニクル⑧高田延彦vsバービッグ、北尾戦、新日本プロレスの対抗戦から考える「プロレス道にもとる行為」とは?
    ◉MMAオレンジ色の手帳<特別編>巌流島の皮をめくると「谷川モンスター軍」が現れた
    ◉大沢ケンジ師匠のプロ格談義単なる冗談つぶやきがYahoo!ニュース渋谷莉孔引退騒動から見るセルフプロデュース
    ◉生活苦? 中井りんはなぜ戦うのか――!!
    「飢え死にしたくないので戦います!」
    ■オマスキの北米コラム――MMA Unleashed
    ・2007年のドナルド・トランプ  『バトル・オブ・ザ・ビリオネア』ビンス・マクマホン戦とは何か
    ・5分で分かるWWE、UFCの2015年度決算内容■MMA Unleashed
    ・外人MMAファイター”あるある”、『神に感謝します』とは何か
    ・衝撃の結末 UFC 196 米メディア・アンソロジー
    ■二階堂綾乃のオールラウンダーAYANOあこがれのマウスピース/「柔術をやっていてよかった!」という妄想小説
    ■中井祐樹の「東奔西走日記」
    キャッチ・アズ・キャッチ・キャンに思う
    ■「MMAオレンジ色の手帖」格闘技ぶらり途中下車〜WSOF発UFCファイトパス経由REAL行/総合格闘技就職ジャーナル
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1000062
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    ――今日は田山さんのご紹介で伝説のレフェリー、ミスター高橋さんにお話を聞く機会をいただきました。田山さんの師匠が高橋さんになるんですよね。
    田山 そうですね。ボクが新日本プロレスのレフェリーテストを受けたときの試験官が高橋さんで。
    高橋 俺は田山を採用したときに、後継者だと思ってた。でも、田山のレフェリングをまともに見たことないんだよ。チラチラとは見てるだけで育成はしてない(笑)。
    田山 でも、レフェリーの育成って、本番で恥をかいて成長するというかたちですよね。あの試験のときは道場に7〜8人の志望者が来たのかな。面接のほかにスクワットや腕立てをやりましたよね。
    高橋 田山は運動能力でダントツだったよな。アマレスやってたこともあって。
    田山 高橋さんに言われましたよ。「キミは体力的にはレスラーとしても合格だよ」って。その頃の新日本だとレフェリーも体力がなくちゃいけないということなのか、レスラーと一緒にスクワット1000回やってましたもん。おぼえてるのは、道場でみんながダラダラしながらスクワットやってたんですよ。そうしたら高橋さんが喝を入れるかたちで、スクワットの歴史から教えてくれたんですよね。「その昔、力道山時代の日本プロレスへ初来日したタイガー・ジョキンダーが……」。
    高橋 おお、よくおぼえてるな(笑)。
    田山 永田裕志があのときの高橋さんの真似をするんですよ(笑)。高橋さんの前ではやらないと思いますけど。
    高橋 そうなんだ(笑)。
    田山 高橋さんも道場で凄く練習してましたよね。
    高橋 俺はほとんど毎日道場に行って身体を鍛えてたよね。体重は100キロあったけど、デブじゃない(笑)。あの頃は腕の太さが50センチくらいあったんだ。
    田山 ホントいい身体してましたよね。ジョー樋口さんは試合中に巻き込まれて失神してましたけど、高橋さんは頑丈だからそんなことはなかったですよね。
    高橋 (アンドレ・ザ・)ジャイアントのラリアットにはさすがにマジでふっ飛ばされたけどね(笑)。田園コロシアムのスタン・ハンセン戦。喉に食らって1週間近くまともに飯が食えなかったよ。
    田山 おぼえてるのは、高橋さんがマサ(斎藤)さんにミドルキックをやってことなんですよ(笑)。試合内容は忘れたけど、そのシーンだけはおぼえてるんですよね。
    高橋 俺がやったの?
    田山 はい。
    高橋 ああ、それは大阪城ホールじゃないかな。ガスパーっていたでしょ、海賊軍団。
    ――猪木さんとマサさんの試合中に乱入したガスパーが、自分とマサさんの手を手錠でつなげてしまって、試合をメチャクチャにした事件ですね。
    高橋 あのときガスパーをやってたのはクロネコ(ブラックキャット)なんだけど、本当は猪木さんに手錠をかけるはずが、間違って斎藤さんにやっちゃったんだよね。
    田山 なんでそんなことになっちゃったんですか?
    高橋 クロネコは日本に来たばっかりだから日本語が不自由だった。日本語と片言のスペイン語で伝えたんだけど、クロネコが理解できなかったんだよね(笑)。何度も「コンプレンデ(わかったか?)」と確認したんだけど、彼は「シー(はい)」を繰り返してたんでアングルを理解してたと思ったんだ。
    ――予想もしていなかった展開に猪木さんも呆然としてましたよね。
    高橋 仕方ないから斎藤さんとガスパーをいったん控室に戻して手錠を外したんだけど、このまんまで終わらせるわけにはいかないでしょ。控室でこのあとのことを話したんだよ。俺は斎藤さんに「リングに戻って暴れ狂ってください。それを制止するために蹴飛ばしますから、俺にラリアットをください。それで反則負けにしましょう」と。
    ――結局、海賊乱入に納得のいかない観客が暴動を起こしてしまったんですね。
    高橋 起きた。警察が来たりして酷かったですね。同じプロなんだからクロネコもわかるだろって思ったんだよね。そのあとは日本語をおぼえてペラペラになったんだけど。
    田山 ネコさんの運転する車に乗ってるときに助手席で眠っちゃったときがあったんですよ。「すいません、寝ちゃいました」って謝ったら「大丈夫。俺も寝てたらから」なんて冗談を言えるくらいの上達ぶりで。いや、本当に寝てたかもしれないんですけど(笑)。
    高橋 ハハハハハハハハ。俺は努力家のクロネコが大好きだったんだよな。でも、クロネコと橋本(真也)は手が合わなかったよな。
    田山 高橋さんも橋本さんと言い合いになりませんでしたっけ? 大掃除のとき。
    高橋 あったなあ。
    田山 橋本さんが高橋さんに暴言を吐いて。ボク、現場にいたんですけど、「これは大変なことになったな……」って。
    高橋 あのときは道場と合宿所の大掃除や餅つき準備の日だったけど、橋本は選手会長だったのに道場に来てなかったんだよね。道場で一番年上で古株の俺は行かないほうが若い人は気が休まったと思うんだけど、1年間お世話になった道場の大掃除をやらないと落ち着かないんだよね。それで飯塚(高史)と一緒にロッカールームを掃除していたら、橋本の私物が凄く出てくるんだよ。当時はCDじゃなくてカセットテープでしょ。そんなのが段ボール箱にたくさん。
    ――橋本さんは自宅に置けないものを道場に置くスタイルだったそうですね(笑)。
    高橋 そうしたら背広を着た橋本が道場にやってきたんだよ。大掃除の日にだよ。
    田山 あのとき橋本さんはどこか地方に行っていて、安田さんと一緒に帰ってきて。ボクが東京駅に迎えに行ったんですよね。だからスーツ姿で。
    高橋 背広姿で掃除するつもりがないんだなって。それで「おまえの荷物は全部捨てたからな!」って言ったら、橋本は大事にしていたカセットテープを本当に捨てられたと思ったんだろうね(笑)。俺に「テメエ!」とか暴言を吐いたんだよ。
    田山 これは大変なことになったと思いましたよ……。
    高橋 俺が「おまえ、誰に向かってものを言ってるんだ。ちょっと来い!」って橋本をロッカールームに連れていったら、何も捨ててないことがわかってね。「高橋さん、悪かったです。ボクのことを殴ってください!」って謝ってきたけど。殴ったら俺のほうが手を痛めちゃうよ(笑)。
    ――かなり頑丈ですもんね(笑)。橋本さんもブラックキャットさんもお亡くなりになっちゃいましたね。
    田山 新日本に留学していたクリス(・ベンワー)も死んじゃいましたねぇ。
    高橋 エディ・ゲレロも死んだね。
    田山 みんな早く死んじゃうんですよ……。
    高橋 みんなムチャするもんなあ。たとえば睡眠剤のハルシオン一粒だけで俺なんかぐっすり眠っちゃうんだけど。彼らはそれを何粒も平気で飲むんだもんね。
    田山 アルコールと一緒に飲んじゃうし、食事の最初のほうに摂るから、後半は記憶がないまま行動してるんですよね。危ないのは、錠剤を粉にして他人のお酒に入れるという冗談もやったり。
    高橋 俺が引退したあと、田山が外国人係だったときにもそんなイタズラをやってたの?
    田山 凄かったですよ。ボクは二十歳くらいだったから、バンバンやられて。次の日に起きたらどこにいるのかわからない。眉毛はないわ、前髪もないわで。
    高橋 ハッハッハッハッ!
    田山 あとビガロたちに薬を盛られて、起きたらオカマレスラーの部屋にいたことありますよ。いくらなんでもやりすぎだろ!って(笑)。
    ――危険すぎますね(笑)。
    田山 ボクが寝るたびにジーパンのチャックにアロンアルファを落とされて。トイレに行こうにもチャックが開けられないから、ハサミで切り裂くんですよ。
    高橋 それくらいで腹が立っていたら通じないんだよ、外国人レスラーは。でも、俺には、いたずらは仕掛けてこない。なぜかというと、昔は地方を巡業してもどこに何があるかなんて外人レスラーはわからないでしょ。コンビニもファミレスもなかった時代。ということは、俺がいないと飯も食えないんだよ。
    田山 高橋さんに眠ってもらうわけにはいかないんですね(笑)。
    高橋 だから俺がいたずらを仕掛けるほうだったんだよ(笑)。
    ――お話は弾んでおりますが、今日は「不穏な試合」についてお聞きしたいと思ってます。壊れた試合というか、一線を越えそうになった試合。ちょっと前にも女子プロレスで不穏な試合がありまして……。
    高橋 ああ、その試合のことは聞いた。顔が腫れあがっちゃったんだってね。
    ――たとえば新日本プロレスvs誠心会館の抗争は、高橋さんが裏で仕切っていたのは有名な話ですが、新日本の上層部は当初「一線を越えたもの」という認識だったんですよね。
    高橋 おっしゃるようにだね、あれをマッチメイクしたのは俺なんだけど。俺の後のマッチメイカーに黙って仕掛けたんだよ。本当はいけないことなんだけどね。
    ――独断でやるって凄いですね。
    高橋 あの頃の新日本はね、いまいちファンの興味を惹く、話題になるマッチメイクがなかったんだよね。俺はもともとマッチメイカーだったこともあって「こうしたほうが面白いのになあ」って常日頃から思ってたわけだよ。俺は小林(邦昭)のことを「三ちゃん」と呼んでるだけど、彼と飯を食ってるときに「三ちゃん、俺はこういうことを考えてるんだけど」って話をしたら「高橋さん、それ面白いですよ。俺にやらせてください」って。でも、俺がマッチメイカーじゃないから。
    ――マッチメイカーが試合を組むわけですから、勝手に試合はできないですよね。あたりまえですけど。
    高橋 そうしたら三ちゃんが「高橋さんの考えどおり、ケンカが発端のアングルだからいいんじゃないですか」って言うんだよ。それなら後楽園の試合のときに実行しようと考えたんだ。何をやるかといえば、誠心会館との抗争。向こうの青柳(政司)だけには話はしたんです。「こういうことをやりたい。そのきっかけを作りたいから弟子をひとり連れて控室に来い」と。田山、あのときのことおぼえてる?
    田山 おぼえてるも何もあの現場にいたんですよ(笑)。
    高橋 あ、いたの。そうか(笑)。
    ――歴史の証人なんですね(笑)。
    高橋 後楽園ホールの控室の扉って、立て付けが悪くてちゃんと閉まらないんだよ。閉めると必ず空いちゃうんだよね。つまり、それを利用したんだ。控室を表敬訪問した青柳とその弟子。帰るときに控室の扉を閉めたけど、ちゃんと閉まらない。小林は「館長、ちょっと待てよ。アンタのところは弟子の教育もできてないのか。ドアをちゃんと締めていかないのが武道家か!」なんて詰め寄った。突然小林が青柳に食って掛かるから、弟子もなんとなく青柳の近くに近寄るじゃない。そのときに小林が「ガキはすっこんでろ!」とおもいきりぶん殴ったんだよ、生でね。
    田山 その瞬間を見てましたよ……。その騒動が始まる前に、そこのドア付近にある自動販売機の前で小林さんが突然スクワットを始めたんですよ。いつもはそんなことしていないのに。
    ――小林さんは青柳さんが来るのを待ってたということなんですね。
    田山 いまの話を聞くかぎりそういうことですね(笑)。
    ――青柳さんは弟子には詳しい事情を説明してないんですよね。
    高橋 してない。知ってるのは、俺と三ちゃん、青柳の3人だけ。あの件から何年も経って、俺が引退したあと、名古屋で空手の試合があって、俺はそこにゲストで呼ばれたんだ。そのときに、あるゴツイ男から「高橋さん、ボクのことをおぼえてますか?」って話しかけられたの。「どこかで会ったかね?」「会うも何も後楽園ホールの控室で酷い目に遭いました(笑)」って。三ちゃんに殴られた空手家ですよ(笑)。
    ――誠心会館の弟子たちも何も知らされていないから、あんなにヒートしてたんですね。
    高橋 そういうことだね。とにかく俺は小林に「これはケンカだ。おもいきって殴れ。相手も空手家だから死にはしない」と。そうして小林がおもいきり殴ったから大騒ぎになった。誠心会館は青柳以外は誰も事情は知らないから「表敬訪問に行ったのに殴られて帰ってきた。このままで済ますわけにいかない!」と怒った。俺は当然そうなることを読んでいたし、青柳には言ってたんですよ。「仕返しする動きは止めるなよ。やりたい奴にはやらせておけ」って。そして大阪府立の大会に行ったとき、案の定、向こうの連中が襲ってきたんだよ。
    ――それはリアルな襲撃なんですね……。
    高橋 あらかじめ青柳から電話はあった。「高橋さん、今日、ウチの連中が大阪に行きます」と。俺は小林と同じタクシーに乗って会場に着いた。降りたときに誠心会館の連中が5〜6人襲いかかってきた。小林がムチャクチャにいかれた。
    ――小林さんは襲い掛かってくることは知ってたんですよね?
    高橋 知ってた。「相手はケンカで来るぞ」と。
    ――小林さんは襲撃を受け入れたんですね……。
    高橋 俺がすぐに間に割って入ったんだけど、小林はケガをして救急車を呼んだよ。お客さんも近くにいて騒ぎになったんだけど、連中はタクシーを拾ってあっという間に逃げたんだけどね。
    ――完全にヤクザの出入りですね。
    高橋 そうしたら「ヤクザじゃあるまいしこんなことをやるのはおかしい。リングで決着をつけようか」ってことになった。裏側を知らない会社は、小林に「本当にやるのか?」と聞いたら「やるしかない」と。それで向こうの斎藤彰俊と小林がやることになったんだよ。
    ――斎藤彰俊さんは裏側を知ってたんですか?
    高橋 知らない。
    ――じゃあガチンコでやるつもりだったということですね。
    高橋 そう。でも、試合直前に言った。斎藤彰俊を呼んで事情を説明したら「ああ、そうなんですか……」って。でも「これは通常のプロレスじゃねえんだから投げに来ようがこらえればいいし、ロープに振られても飛ぶ必要はないぞ」と言ったんだ。
    ――ケンカマッチに見せるからには中途半端なことをするなってことですね。彰俊さんは試合直前にそんなことを言われてビックリしたでしょうね。
    高橋 むしろホッとしたのかもしれない。のちのちになってサイパンに行ったときに俺と彰俊が同じ部屋になったんですよ。「自分がいままでやってきた試合の中で最高だった」と言ってましたし、これまでやってたプロレスとは内容が違うからもの凄い反響があった。テレビを見た地方のプロモーターたちが「俺のところでもやってくれ」って大変だったんだよ。
    ――現場の人たちが試合を見ても、通常のプロレスだとは思わなかったんですか。
    高橋 わからなかった。レフェリーは俺がやったしね。ほかのレフェリーにやられちゃマズいわけだよ。ケンカじゃないことがバレてしまう。だから小林が「レフェリーは高橋さんにやってもらいたい」と会社にお願いしてね。
    田山 あれだけ殺伐とした試合は最後だったかもしれないですね。面白かったです。
    高橋 そうやって抗争を続けてたんだけど、あるときにどうもおかしいことに気付いたマッチメイカーが小林に「後楽園のときも本当のケンカだったのか?」って聞いて、そこで「じつは高橋さんが……」とバラしちゃってね。本来の予定では、そこからもっと続けるつもりだったんだけど、マッチメイカーとしては面白くないわけだよ。
    ――勝手にやっていたわけですもんね。
    高橋 誠心会館の看板を懸けて試合をやって、新日本側が勝って看板を奪っんだけど。マッチメイカーが「これからは仲良くするってことで……」ってことで控室で看板を返しちゃったんだよね。それで尻切れトンボで終わってしまったんですね。
    ――マッチメイカーには無断で抗争を作っていくケースってほかにもあるんですか?
    高橋 いや、ないね。あれは俺のスタンドプレー。やっちゃいけない。もの凄く反響があった試合だけど、違反です。あれがもし俺がマッチメイカーだとしてだよ、そんなことをやられたら怒るよ。繰り返すようだけど、反響は呼んだけど、勝手にやった俺が悪い(笑)。小林なんかに言わせると「あんな激しい試合はしょっちゅうできない。高橋さんは食らわすときは本気でやれよって言うし、当たってないパンチだとレフェリーをやってて怒るし」ってね。ハッハッハッハッ!
    ――新日本上層部が抗争を止めたこともきっかけで、反選手会同盟が結成されますが、そこもナチュラルなストーリなんですか?
    高橋 いやいや、反発なんてのは作りですよ。そんなことを自分たちが勝手にできる組織ではないですよ。そこは俺もわからないけれど、尻切れトンボで終わったものをうまく利用したのかもしれない。
    ――誠心会館は不穏な試合でもなく一線も超えたわけではないですが、試合途中に壊れたケースってありますか?
    高橋 あるよ。俺がマッチメイカーをやったのは1984年から88年。新日本が凄いとき。マッチメイカーになった最初のシリーズにヘラクレス・ローンホークという奴が来たんですよ。
    ――伝説のダメ外人ですね(笑)。この記事の続きと、ハッスル悪夢、モントリオール事件、ザ・ファンクス、中邑真輔NXTなどのインタビュー・コラムがまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1019120 
  • UWFが柔術を知った日〜道場はどう変わっていったのか〜 ■金原弘光のゼロゼロ年代クロニクル⑨

    2016-04-20 18:41  
    76pt
    伝説のプロレス団体UWFインターナショナルでデビューして、キングダム、リングス、PRIDEと渡り歩いた日本格闘技の生き証人金原弘光が格闘技界黎明期を振りかえる連載インタビュー。今回は「柔術の邂逅」がUWFインターナショナルにとってどのような影響を与えたのか。 前回はコチラです→http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar973981佐山サトルさんに「Uインターなんて、あんなところに行っても全然練習にならないから無駄だよ」とか言われたみたいなんだよね――UWFインターの後継団体として旗揚げされたキングダムですが、道場は麻布にあったんですよね。凄い場所にありますね(笑)。
    金原 東麻布。凄くいい場所でしょ。それにビル丸々一棟キングダムが使ってたんだよ。
    ――ビル丸ごとですか!
    金原 そのビルの中に合宿所と道場、事務所が入ってたんだよね。
    ――金原さんはその合宿所に寝泊まりしてたんですか?
    金原 いや、俺はもう合宿所は出てた。そこには山本喧一、松井(大二郎)、上山(龍紀)、豊永(稔)が住んでいてね。
    ――そのほかのキングダムのメンバーは、安生(洋二)さん、佐野(巧真)さん、高山(善廣)さん、桜庭(和志)さん、垣原(賢人)さんですね。しかし、6階丸ごとキングダムは凄いですねぇ。
    金原 各階60平米くらいの広さで、地下は“和田(良覚)の部屋”と呼ばれててウエイトトレーニング専用。1階は事務所、2階はレスリング五輪代表だった安達(巧)さんがコーチのグラップリング専用スペース。3階はムエタイのボーウィー・チョーワイクンが打撃を教えて、4階がちゃんこ部屋。5階が合宿所で6階は何があったか忘れた。地下の和田さんを倒せないと上に進めないみたいな感じだから、ブルース・リーの『死亡遊戯』みたいだったよ(笑)。
    ――勝ち残った人間だけが、ちゃんこ部屋にたどりつくという(笑)。それだけ環境が整ってると、普通にジムとして運営できますよね。
    金原 いや、最初の予定では一般の人も通えるジムにして、キングダムの選手たちが教える話もあったんだよね。結局やらなかったけど、いま振り返ってみても最高の練習環境だったよね。Tさんもいないしさあ。
    ――ハハハハハハ!
    金原 いつもの1日のスケジュールは、午前中に2階の安達さんの部屋に集まって、レスリングや関節技をやる。昼飯を食ったあとはおのおの昼寝。ビルは凄く広いからね(笑)。午後は和田の部屋や打撃の部屋で練習して。
    ――外部の選手が出稽古に来てたりしてたんですか?
    金原 誰が来てたかなあ。エンセン(井上)は何回来てたけど、それはUインターの頃からの話だから。
    ――あの当時、修斗の人間がU系の道場に練習に来るって相当凄いことですよね。修斗は格闘プロレスの存在を全面否定していたわけですし、スパーリングなんかやったら殺伐としそうで。
    金原 宮戸(優光)さんがいたらそんな雰囲気になってたかもしれないけど。Uインターの末期は宮戸さんもTさんもいないし、交流の意味でのスパーリングだったから、相手を壊してやろうとか極めてやろうという感情はないよね。「どんな技術を持ってるんだろう?」ってお互いに勉強するためにやるわけだしね。
    ――だからその後も交流が続いてたんですね。
    金原 うん。そもそもエンセンと交流することになったのは、エンセンがたまたま新日本とUインターの対抗戦を見たからなんだよ。両国でやった試合を見て「Uインターの選手は強いと思う」と興味を持って。それから当時の修斗にヘビー級の練習相手がいないこともあって、「練習をしたい」という話があったんだよね。
    ――金原さんたちUインター勢も柔術系の選手とスパーすることの意味は大きかったんですよね。
    金原 凄く大きかった。ガードポジションとか知ってはいたけど、どういう技術なのかはわからなかったから。Uインターにはガードポジションの概念がなかったんで、「抑えこまれてもガードに戻せばいいんだ」ってことは眼から鱗だったよね。まず俺らは寝技で抑えこまれたら「亀になって立つ」という発想でしょ。「下の体勢からこんなに極められるんだ」「こんな動きがあるんだ」って衝撃的だったよね。
    ――やっぱり実際にやってみないとわからないもんなんですね。
    金原 エンセンとやってみて思ったのは、柔術とUインターでは寝技の流派が違うって感じかなあ。空手でもいろいろと流派があるでしょ。それと同じで寝技でも流派があるんだなって。だからお互いをミックスしたら凄いんじゃないかなって直感的に思った。それはエンセンにも言えることで「やっぱりUインターの人たちは強かった」という感想だったから、お互いにメリットはあったよね。
    ――Uインターのプロレスラーは弱くなかった、と。
    金原 まず俺らの身体能力が高いことに凄く驚いてた。
    ――選ばれた人間だけが入門できて、そこから地獄のトレーニングを潜り抜けてきたわけですもんね。
    金原 技術的には、亀の姿勢から極める技にビックリしてた。「こいつら、簡単にバックを取らせるけど、そこから腕を極めるのか」って。
    ――のちに桜庭さんがPRIDEなんかでよく見せた、バックからの腕取りですね。この記事の続きと、ミスター高橋、ハッスル悪夢、モントリオール事件、ザ・ファンクス、中邑真輔NXTなどのインタビュー・コラムがまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1019120 
  • アマチュアMMA出場必要経費13500円■二階堂綾乃のオールラウンダーAYANO

    2016-04-18 09:18  
    55pt
    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、ついに格闘技デビューをしてしまったこのコーナー。今回は……パレハ(スペイン語で仲間)がアマチュアMMAに出場。必要書類の揃え方、必要経費はいくらかかる?先月、一緒に総合のジムに入会した私のパレハが初めてアマチュアMMAの試合に出場しました。パレハが格闘技をやっているという話を友達にすると、よく「格闘技なんて心配じゃない!?」と言われるのですが、四角いリングで脳天から落下する男達を普段からよく目にしている私にとってMMAは安心して観られる競技です。先日アイルランドのMMA大会で死亡事故がありましたが、MMAの死亡事故はとっても珍しく、ボクシングの方が圧倒的に死亡事故が多いです。それに日本のアマチュアMMA大会はレフェリーストップが早すぎるほどに早いですし、怪我が心配な人にはヘッドギアをつける大会もあります。とにかく、私は心配どころか早くパレハに試合に出て欲しくてワクワクしていました。
    初めてのMMA大会は、怪我の心配より何より試合意外のことで戸惑うことがたくさんあったので、今回は試合出場までのことをお話しします。
    私が以前出場しようとした柔術大会の参加費は6,000円で、今回パレハが出場したMMA大会は4,000円でした、最初はMMAってあんがいお金かからないんだなあと思っていたのですが、MMAは柔術と違ってお金がかかるのは参加費だけではなく、競技用具も揃えなくてはなりません。まずオープンフィンガーグローブは会場で借りられて、バンテージ、マウスピース、スパッツやコンバットショーツは練習で使っているもので大丈夫です。しかしキンカップはさすがに借りられないので、結局競技用具は計3,000円弱でインナーパンツと金属製キンカップを購入しました。パレハは身長180㎝のライト級(-70.3㎏)なのですが、パレハのパレハがたぶん大きい方だと思うのでサイズ感がわからず店員さんにキンカップのサイズを相談してみました。すると店員さんはパレハのパレハを見もせず「Lはヘビー級のかなり大きい人がつけるのでMでいいと思いますよ」と仰せ。私はキンカップとは男性のパレハの大きさでサイズが変わるものだと思っていたのですが、体型でサイズを決めればいいようです。ネットでキンカップについて調べた時、yahoo!知恵袋に「俺は通常時で24㎝あるけどキンカップのサイズは…」と質問している方がいたのですが、そんなんまずキンカップどころかズボンにどううやって収めているかの方が気になります。
    ちなみに数日前、ユリオカ超特Qさんのトークイベント「プロレス談話室ユリオカ」にゲスト出演された本間朋晃選手へ「新日でキンカップをつけている選手はいますか?」と質問したところ、新日所属選手でキンカップをつけているのは1人だけだそうな。その一人は誰かと言うと……トークイベントの内容は口外してはいけないので内緒です。うふ。この記事の続きと、ミスター高橋、ハッスル悪夢、モントリオール事件、ザ・ファンクス、中邑真輔NXTなどのインタビュー・コラムがまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1019120
     
  • プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」■「斎藤文彦INTERVIEWS①」

    2016-04-18 00:00  
    110pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の新連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 初回のテーマはプロレス史上最大の裏切り劇「モントリオール事件」!■いま入会すれば読める! 4月更新記事インタビュー、コラム一覧「我らが英雄ザ・ファンクスの凄み!」「若鷹ジェット信介――ハッスルの最期を看取った男」「ダラスに響きわたるストロング・スタイルコール! 中邑真輔 10億点のWWEデビュー!」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/201604
    ――プロレス史からひとつのテーマを取り上げてその背景を語ってもらう斎藤文彦さんの新連載ですが、1回目のテーマはWWEの「モントリオール事件」についておうがかいします!
    斎藤文彦(以下フミ) はい、よろしく。
    ――なぜモントリオール事件を取り上げるかといえば、最近ある格闘技団体の試合中に「これはもう危ない」と判断した主催者がタオルを投入して試合を終わらせたんですが、じつは勝敗を決するような攻防ではなかったということがあって。
    フミ 主催者の判断で試合を止めてしまったんですね。
    ――負けにされた選手がもの凄く不満を漏らして、主催者との関係が悪かったことも匂わせていたので、すぐにモントリオール事件を思い出してしまったんです。あの事件はプロレス史に残るトラブルだったので、いろいろとおうかがいしたいな、と。
    フミ まずモントリオール事件を簡単に説明すると、1997年11月9日のサバイバー・シリーズのメインイベントで、ブレット・ハートvsショーン・マイケルズのWWF(現WWE、以降WWE表記)世界ヘビー級王座のタイトルマッチが行われた。すでに王者ブレットがライバル団体WCWへの移籍が決まってる中、挑戦者のショーン・マイケルズがシャープ・シューターを決めた瞬間、ビンス・マクマホンがリングサイドに現れ、レフェリーに命令して試合を止めて、ショーン・マイケルズの勝利をコールさせた。
    ――ギブアップしてもいないのにこんな裁定を下されて、ブレットはビンス・マクマホンの陰謀だとして大激怒したんですね。
    フミ そもそもシャープ・シューターはブレットの必殺技だったし、2人は犬猿の仲だった。それにこの大会はブレット・ハートの地元カナダで行われていたんですね。
    ――こんなかたちでの敗北は、ブレット・ハートとしてはありえないわけですね。
    フミ 一番のポイントは、WCWに移籍することが決まっていたブレット・ハートは、WWEのベルトを翌日のロウで返上するつもりだった。そしてその案をビンスは了承していた。つまり、この王座転落は、ビンスがレフェリーに命じてライバル団体に移籍する「ブレット・ハートの敗北」を強引に演出したもの。ブレット・ハートはビンスにハメられたんです。
    ――プロレス史上最大の裏切り劇が、大観衆の目の前で行われたんですね……。その後、WWEは全米統一を成し遂げますが、唯一帝国に危機があったとすれば、このブレット・ハートの流失も招いたWCWからの度重なる選手引き抜きですよね。WCWの魔の手がビンスのまさかの決断を誘ったというか、「このまま傷をつけずにWCWに移らせてたまるか」と。
    フミ だからモントリオール事件を語るには、「マンデー・ナイト・ウォーズ」というWWEとWCWのテレビ戦争にふれないといけないんですよね。毎週月曜日の夜にWWEが「マンデー・ナイト・ロウ」、WCWが「マンデー・ナイトロ」というプロレス番組をやっていて。
    ――曜日や時間帯、番組名もモロ被りだったんですね。
    フミ WWEはのちに「ロウ・イズ・ウォー」というタイトルに変えちゃったんだけど、先行していたのはWWEのほう(1993年1月放映開始)で、WCWが同時刻に新番組をぶつけた。始まったのは1995年9月から。
    ――まさに『オレたちひょうきん族』と『8時だョ!全員集合』とのプロレス版ですね。
    フミ なぜWCWが戦争を仕掛けたのか。WCWは「テレビ王」と言われたテッド・ターナー率いるTBSグループ企業の中のプロレス事業部。ターナーはプロレス経営にはタッチせずに、エリック・ビショフが副社長として陣頭指揮を執っていた。ビショフはAWAの元リングアナウンサーだったんだけど、そこまで上り詰めたんですよ。あるときTBS上層部とのミーティングの中で「なぜWWEに勝てないのか」ということが議題に上がった。WWEは90年代に入ってレッスルマニアの回数も重ね、日本のプロレスファンが思ってる以上に、世界制覇に王手をかけていたわけで。
    ――世界制覇目前だったんですね。
    フミ WWEとWCWの力関係は9対1くらいで圧倒的な差があった。WWEの世界制覇の話をすれば、どこまでさかのぼればいいか迷うけど、プロレスの「1984」体制――。「1984」といえばジョージ・オーウェルが1948年に書いた近未来小説ですね。全体主義国家によって管理された近未来の恐怖を描いたSF小説。実際の1984年に何が起きたかといえば、ビンス・マクマホン“ジュニア”が前年の1983年に父親シニアからWWEを買い取り、当時世界最高峰と言われたNWAから脱退して、全米侵攻プロジェクトを始めた。
    ――なるほど。いまのプロレス界はいわば、WWE「1984」の管理体制の中で生きているともいえるんですね。
    フミ 70年代80年代前半のプロレス界は地方分権の時代だったけど、WWEはテリトリー制のプロレスに風穴を開けようようとした。WWEだけで全米ツアーをやっちゃおう!と。テキサスにはフリッツ・フォン・エリックの鉄の爪王国があり、ミネソタやシカゴの北部から中西部にはバーン・ガニアのAWA帝国があったり。どこにもそれなりの大きさのテリトリーがあったんです。テリトリーというのは日本語で「縄張り」ですね。
    ――WWEは各地のその縄張りを破壊しようとしたわけですね。
    フミ それをやってしまったのがWWEの全米侵攻、1984年に起きたんです。最終的にWCWを滅ぼして世界征服をはたすのが2001年だから、なんだかんだ17年はかかってるんですけどね。
    ――当時のプロレスラーや関係者、ファンは、WWEの1984をどう見てたんですか? 「うまくいくわけないよ」と思った人がいても不思議じゃないですけど。
    フミ そこは1984が起こらなくても、地方分権時代は緩やかに崩壊していったんじゃないかと思う。当時ボクはミネソタの大学に通っていたからわかるけど、その街にいけばその街のプロレスがあったんです。ところが80年代前半にケーブルテレビの全米中継が普及してくるでしょ。ケーブルテレビが見られるようになると、アメリカにはその街以外のプロレスがあることがわかってくるわけですよ。
    ――そのテリトリー以外のプロレスも見られてしまう環境が整いつつあったんですね。
    フミ ボクはミネソタだったから土曜日と日曜日の朝に放映するAWAを見ていた。たとえばデトロイトのプロレスファンは、週1回のザ・シークのプロレスを見ていればよかった。その街その街のスターだけ見ていた世界を壊したのは、ケーブルテレビとも言えるんだよね。
    ――テリトリーを越えられるメディアが浸透すれば、WWEも全米をサーキットしやすいですよね。
    フミ 1984の準備段階として1983年12月に当時WWEのチャンピオンだったボブ・バックランドがアイアン・シークに敗れて“失脚”する。そして1984年の1月にボブ・バックランドのリターンマッチが行なわれずに、AWAから引き抜かれたハルク・ホーガンがシークを破って新チャンピオンになった。
    ――ビンスは、バックランドが王者では全米侵攻はできないと判断したんですね。
    フミ そういうことだと思います。全米でプロレスブームを起こすのは、ハルク・ホーガンの絶対的な主人公だと。82年83年のホーガンは1年のうちの半分を新日本、あとの半分をAWAで過ごしていて、のちにハルカマニアとして超メジャーになる原型はできあがっていたし、WWEのチャンピオンになる前の83年6月には、第1回IWGP決勝戦でアントニオ猪木さんを舌出し失神で破っている。これもいま振り返ると凄いことなんだけど、84年はWWEのチャンピオンのまま、新日本との関係も続いていた。そして第2回IWGP決勝では猪木さんと再戦が行われ、長州力とマサ斎藤が乱入して試合をグチャグチャにして、怒ったファンが客席に火をつけるという「6・14蔵前事件」があったでしょ(笑)。
    ――WWE王者になんて目に遭わせるんですかね(笑)。
    フミ ホーガンは同時進行でIWGPとWWEを行ったり来たりしていた。ところが84年暮れのMSGタッグでは、ワイルド・サモワンとのコンビで出場したんだけど、ビンスからストップがかかり、1試合だけ出て“負傷欠場”で帰国。そこからは独占契約となり全米ツアーに専念することになる。新日本に来ていたアンドレ・ザ・ジャイアントものちにWWEと独占契約してね。
    ――WWEは有力レスラーを次々と配下に収めていったんですね。
    フミ AWAからもアドリアン・アドニス、ジェシー・ベンチェラ、ケン・パテラ、大ベテランのマッドドッグ・バション、クラッシャー・リソワスキー、リングアナウンサーのジーン・オークランドを引き抜いちゃって、AWAが空っぽになるほどだった。WWEの猛攻には、AWAではなく、やがて世界最高峰と呼ばれたNWAという組織も形骸化していくわけですよ。だってザ・ファンクス、ハーリー・レイス、ダスティ・ローデスまでもがWWEに行っちゃうわけだしね。
    ――かつて栄華を極めたNWAというアライアンスはこうして崩壊するわけですね。
    フミ リック・フレアーやロード・ウォリアーズを抱えていたノースカロライナ州のクロケット・プロが、滅び行くNWAそのものになっていくんだけど。いくらNWAクロケット・プロでもノースカロライアがニューヨークには勝てるわけがない。かなり頑張ったんだけど経営破綻した末に、テレビ王テッド・ターナーに身売りするわけですね。
    ――NWAクロケット・プロがWCWになるんですね。
    フミ なぜWCWという名前になったかといえば、TBSで放送していたNWAクロケットプロのプロレス番組名が「ワールド・チャンピオンシップ・レスリング」だったんです。番組名がそのまま団体名になった。
    ――初期WCWには武藤敬司がグレート・ムタとして大活躍しましたね。
    フミ 武藤選手が活躍していたのは、まだNWAとWCWの区別がきっちりついていなかった時代で。フレアー、スティング、レックス・ルーガー、ムタの4人がメインだったんですから武藤選手は凄いですよ。看板タイトルもWCW世界ヘビー級王座になるんだけど、フレアーがベルトを巻いてるあいだはNWA世界ヘビー級タイトルだったんですよね。
    ――そうしてWWEに喧嘩をふっかけることになって。
    フミ まず「マンデー・ナイト・ウォーズ」の前の94年6月の時点で、アメリカのレスラーの中でも一般的知名度の高いハルク・ホーガンとWCWが契約を結んだんです。当時のホーガンはWWEを離れており、新日本の福岡ドームに出ていたりしていた。
    ――WWEはホーガンを王者にして1984を始めましたが、WCWはホーガンを主人公して月曜テレビ戦争を仕掛けたと。
    フミ 元リングアナだったエリック・ビショフがターナーに「WWEに勝てないのはプライムタイムで放送してないからですよ」と進言した。それまでのWCWは土曜日の夕方の放映したんだけど。当時WWEは週に5〜6本の番組を放映していて、なかでも看板番組だった月曜日の「マンデーナイト・ロウ」にぶつけようとなってね。
    ――そこから6年にも及ぶ長い戦争が始まるんですね……。
    フミ WCWが消滅する2001年まで、2大メジャー時代のテレビ戦争がずっと続くわけです。そしてホーガンだけじゃなくてWWEからたくさんの選手がWCWに移籍するんです。ランディ・サベージ、ロディ・パイパー、カート・ヘニング、アースクェイク(ジョン・テンタ)。ほとんどの主力選手が移ったけど、最終的にはWWEが勝利するでしょ。それは当時あまり論じられなかったことだけど、WCWという団体はゴールドバーグという例外を除いて、自前でスターを育てたことは一度もなかったんですね。
    ――全部WWEから選手を引っ張ってきただけ。
    フミ エリック・ビショフには「ATMエリック」というアダ名がつくくらい(笑)、引き抜きにお金をじゃぶじゃぶと注ぎ込んだ。自分のお金じゃなくターナー企業のお金だから自由に使えたところもあるんだけど。やっぱりね、WWEはプロレス界最大の団体だったけど、あくまで個人商店が大きくなったところはあるわけですよ。一方のWCWは親会社が巨大なテレビ局。資本の面ではWCWに太刀打ちできなかった。
    ――いまのMMAでいうと、個人商店のUFCがWWEで、バイアコム傘下のベラトールがWCWという感じですね。
    フミ WCWには選手を育てるという発想がなくて。だってnWoの中身はヒールに転向したところのホーガン、WWEではディーゼルだったケビン・ナッシュ、レイザー・ラモンだったスコット・ホール、1-2-3キッドだったシックス、ミリオンダラーマン、リック・ルード、ブルータス・ビーフケーキ……みーんなWWEから持ってきた。ホーガンはその頃ビンス憎しで「WWEを倒すのは俺だ」と思ってたのか、友達を全員呼んできちゃったんですよ。
    ――そこまで選手を引き抜かれたら普通は絶体絶命ですよね。
    フミ たしかにカジュアルなファンにとってはスターが全員WCWに移ってきたように見えるんだけど、目の肥えたマニアからすれば「これ、WWEの再放送だよね」っていう感覚。そのあいだにWWEはブレット・ハート、ショーン・マイケルズ、ミック・フォーリー、トリプルHが育ってくるわ、モントリオール事件が起きる前にはストーンコールドやロックも出現してたんですよ。だからWCWはプロレスファンの気持ちがわからなかったんですよね。プロレスファンはたとえばストーンコールドがどんどん面白くなって巨大化してスーパースターになっていく過程の目撃者になりたかったわけでしょ。それはロックもしかりね。
    ――完成された商品だけを楽しむだけじゃないってことですね。
    フミ WCWにはそのプロレス頭がなかったし、WWEとWCWのテレビ戦争で、WCWが勝ちそうになったのは、nWoの時期だけなんですよ。WWEが視聴率で約1年間、勝てなかったのはnWoの時期。なぜ勝てなかったのかはいまになればわかる。nWoだけはWCWのオリジナルのストーリーなんです。あのホーガンが初めてヒールをやった。それだったら面白い。
    ――スティングもクロウスタイルに変化して、1年間試合をせずに乱入だけを繰り返しただけでしたけど、かなり面白かったですね(笑)。
    フミ WCWをずっと見てきた南部のファンたちからすれば、スティングだけは信用できるレスラーなんですよ。そんなNWAとWCWの象徴だったスティングがどんどんとダークになっていく様にはリアリティがあった。プロレスの中にはそういう真実があるということなんですよね。
    ――それ以外は選手も物語をWCWは提供できなかった、と。
    フミ WWEはWCWに選手を取られても取られても、新しいスターをどんどんと作るわけですよ。それで今回のテーマとなるモントリオール事件の話につながるんだけど。あの裏切りの引き金になったのは、WWEがせっかく育てたブレット・ハートまでもがWCWに移ることになったこと。「引退するまでWWE一筋だ」と言っていたブレット・ハートが最終的には泣く泣く移籍することになる。
    ――泣く泣く移籍ですか?
    フミ そこはブレットのルーツにも関わる話になるんだけど。ブレッドの父親スチュー・ハートさんは、カルガリーのスタンピード・レスリングのプロモーターで、ブレットのファミリーはプロレスビジネスに関わるプロレス一家。ブレットも12歳の頃から会場でチケットのモギリなんかをやっていたんですよ。
    ――将来プロレスラーになることは当然のことだったんですね。
    フミ リングを組み立て、デビュー前はレフェリーもやり、大学生の夏休みには試合をやっていた。ところがスチュー・ハートは、件の1984年にカルガリーのマーケットをWWEに売ってしまったんです。カルガリーがマイナーだとは言わないけれど、雪国のプロレスとしてハッピーな空間だったものが、ニューヨークの大都会のプロレスに吸収されたってことなんですね。
    ――ブレットは時代の移り変わりの真っ只中にいたんですね。
    フミ スチュー・ハートがWWEにマーケットを売る条件は、ブレット・ハート、ジム・ナイドハート、ダイナマイト・キッド、デービーボーイ・スミスの4人をWWEで使ってくれ、と。だからブレット・ハート、ジム・ナイドハートはハートファンデーションとして、キッドとスミスはブルディッシュ・ブルドッグスとしてWWEに入った。こうしてカナダ生まれでカナダのローカル団体で育ったブレットは、ニューヨークで絶対にスターになってやると強い意志を持ってプロレスを取り組んだんですよ。そして84年から8年経った92年に、WCWから移籍していたリック・フレアーに勝ってチャンピオンになったんです。その出世のドラマというのは、ずっとWWEを見てきた人には感慨深いもので、だからこそ「ブレットLOVE」が強いんでしょうね。この記事の続きと、ミスター高橋、ハッスル悪夢、ザ・ファンクス、中邑真輔NXTなどのインタビュー・コラムがまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1019120 
  • 一流柔道家との交流■中井祐樹の「東奔西走日記」4月1日〜14日編

    2016-04-17 08:44  
    76pt
    日本格闘技界の礎を築いたレジェンド、中井祐樹先生@yuki_nakai1970 が日常を綴る連載! 今回は4月1日から14日まで!4月1日 金曜日 曇り 一流柔道家との交流 昼柔術。一流柔道家にして茶帯柔術家でもある八巻祐選手が御来場。さすがに惚れ惚れする動き、本当に強い。みんないい勉強になったんじゃないかな。乱取りをして、少しお話できた。天然キャラかな? 他競技メインの格闘技者にとって柔術はそれらを補完する格闘技なんだと思う。ブラジリアン柔術の世界で勝ち進んでいくためにはある意味、バックグラウンドの競技を捨てて柔術に染まらなければいけない部分が大きい。それだけ独自性・専門性が高いのだ。 だから柔術を覚えても柔道やサンボやレスリングが強くなるとは必ずしも言い難い。しかし、それらの競技では身に付きにくい部分が柔術によって「補完」されるのだ。是非、柔術を大いに活用していただきたい。4月2日 土曜日 曇り 新たな指針 桜が咲いていた。思わずパチリ。花見ってしたことないけどね。死ぬまでに一度くらいはチャンスあるかな? 今日から亀有のリリオセントラルフィットネスクラブでキッズレスリングスクールが始まった。元気な子供たちが集まってくれました。まずは身体を目一杯動かしてもらい、今どきの世の中で大手を振っては実現しにくい「組んずほぐれつ」を味わってもらおう、と思ってます。 なに、中井がレスリングだって?!って声もあるのかな。確かに俺は強いレスリング選手じゃあない。ってか、そもそも強い選手ではない。自分のやってることはレスリングとは違うように思われてるかもしれないけどレスリングにはいろんなやり方があるんです。オリンピックレスリングは世界に数多ある組技のいわば「ユニファイド(統一)ルール」。今の自分はプロスタイルのレスリングかもしれないけど、自分の持てるすべてを注ぐつもりだよ。乞う御期待。 続いてパラエストラ町田へ。今週の中井クラステーマ「パスガード」よりシングルフックガードパスを取りあげ、続いて初級技として膝抜きのパスをレクチャーした。 後半からはクローズドガードまたは猪木アリ状態を上が指定してからのEBI延長戦風ドリル。上下入れ替えて同じ結果なら最大3回まで表裏やる。時間制限はないため、これはなかなか他の場所ではやらせられない。これを可能ならしめるのは町田メンバーの出席率の高さなんだ。4月3日 日曜日 雨のち曇り 取捨選択こそが人生 朝から浜町は中央区総合スポーツセンター、空道全日本体力別の関東予選へ。俺は教えてる人の試合は極力、行く。 総本部からは2名入賞、全日本に繋がった。ホッ。目黒雄太、魚津礼一、岩崎大河の三選手は予想通り、目を見張る動きだった。要注目。 Twitterで綱登りと懸垂について聞かれる。自分の拙い経験からしか答えられないがフィジカルトレーナーにじゃなく自分に聞いてくれてることの意味は心得てるつもり。時間はかかっても、必ずコメントはします。なんでも話しかけて下さいな。 最後にひとつだけ。どんな運動も格闘技に役立たないものはないのよ。ただ、すべてを行うことは到底できない。その取捨選択こそがその人間を形づくるんだと思うよ。4月4日 月曜日 曇り 恐縮と強迫 書類をいろいろ高校に出しに行く。先生方の中にも格闘技ファンがおられたようで、声をかけていただく。僭越ながら手帳にサインもした。どうぞよろしくお願い致します。恐縮。 いつも言ってることだけれど、今日はナカイのスパーリング方針を書き出してみた。一部書き改めてるけどこんな感じ。「稽古においての私、中井祐樹とのスパーリングは原則、スポーツとしての格闘技の範囲内での『組み技の何でもあり』のルールで時間無制限で行っています。何卒よろしくお願いします。ただし、試合出場を約2ヶ月以内に控えた方等、事情がある方とは出場される大会のルールでお供します」 こんな宣言、普通はしないよね(苦笑)。でも明確にしとくほうが良いかと思ってさ。4月5日 火曜日 曇り 継承者宣言 昨日に引き続き、今日はナカイの略歴をわかりやすい形で書き出してみた。こげな感じですタイ!「パラエストラ主宰の私、中井祐樹は戦前に栄えた高専柔道の流れを汲む七帝柔道(七大柔道)の出身。プロフェッショナル・レスラーとしても知られる格闘家・佐山聡師が創始した総合格闘技・修斗を学び、グレイシー柔術に代表されるブラジリアン柔術は黒帯4段に認定され、格闘技の普及に携わっています」 キャッチーなフレーズを盛り込むのがミソ(笑)。いかがでしょうか。わかりにくいかな? 午後からテアトル新宿で『百円の恋』を観る。日本アカデミー受賞につられてさ、つい。やっぱ泣いちゃったよ。 さらに町田へ。足関節技のリクエストにお応えしてグレイプヴァインからのコンボを詳しく。ツイスターとか膝固めとか股裂きとかね。 後半はパーテレからのEBI風ドリルを行い、その後6分刻みの自由稽古で〆。皆さんスパーお願いに来てくれた。昨日の文が効いたのかな?なんてね。4月6日 水曜日 曇り グラバカ総帥と 週一の図書館。本はディラン関係、CDはビー・ジーズとかさ。エヘヘ。 グラバカジム赤羽へ。クラス参加10回以内の方が約半数だったのでフィニッシュ紹介を継続、今回は腹固めをイチから解説。 基本形二態、横崩しからの導入、絞め方と肘関節との関係、クルスフィックス等。一個こぼしたので希望あれば次回ね。4/29白帯カーニバルにむけ5分刻みの自由稽古で〆。 菊田早苗代表来てて、帰り練馬まで車で送ってもらった。相変わらず「ボヤキの菊ちゃん」でしたが(笑)、助かりました。あざっす! また飲みに行こう、と約束した。この記事の続きと、ミスター高橋、ハッスル悪夢、モントリオール事件、ザ・ファンクス、中邑真輔NXTなどのインタビュー・コラムがまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1019120 
  • アメリカン・トップチームの堀口恭司、一時帰国インタビュー「ヒマすぎて練習しかすることがないんです」

    2016-04-15 10:46  
    110pt
    (C) Fujisato Ichiro2016年1月よりアメリカン・トップチーム所属となった堀口恭司。生活拠点もフロリダに移してトレーニングに励んでいるが(次戦は5月8日オランダ大会)、このたびにリーボックとコンバットトレーニングアンバサダーの契約を締結。リーボックのイベントが日本で行われるために帰国したところをキャッチした。
    ――渡米後、初めての帰国ですよね。
    堀口 3ヵ月ぶりですね。

    ――久しぶりの日本はどうですか?


    堀口 帰ってきちゃえば、長いようで短く感じますね。向こうにいるときは「……つまらねえ」って感じだったんですけど。
    ――えっ、「つまらない」とは……?
    堀口 いや、向こうだと練習ばっかの生活になっちゃうので。いまはジムの2階に住んでるので、生活がジムの中ですべてが済んじゃうんですよね。車もないからどこにも出かけられないですし。
    ――アメリカに行く前はどういう生活をイメージしてたんですか?
    堀口 釣り道具を持っていったんですよ。
    ――堀口選手の趣味は釣りですね。
    堀口 最初は近場の池で釣りをやってたんですけど、もう簡単に釣れ過ぎちゃって。日本だと簡単には釣れないんですけど、向こうって半端じゃないんですよ。人もいっぱいいるけど、魚もいっぱいいる(笑)。
    ――バカでも釣れるから面白くないってことですか?(笑)。
    堀口 そうです(笑)。違う場所に行ければまた違うんでしょうけど、車がないからどこにも行けない。休みの日も、友達と予定が合わないと、何もすることがないんですよねぇ。もうヒマで死にそうなんですよ!
    ――ジムのある場所は何もない田舎なんですか?
    堀口 田舎は田舎ですね。車で1時間もあれば都会に行けるんですけどね。
    ――免許は持ってないんですか?
    堀口 国際免許は持ってるんですけど、車は持ってないので。今度のオランダ大会が終わったらなんとかしようかなって。
    ――ヒマすぎる生活は誤算だったんですねぇ。
    堀口 そうですね。メチャクチャ苦痛ですねぇ。練習して疲れるとストレスが溜まるから、そこは釣りで発散にしようとしたら……。
    ――バカみたいに釣れすぎてしまった、と(笑)。
    堀口 やることないから練習するんですよ。そうしたら、ジムのコーチが「おまえは練習しすぎだ。今日は練習をやめてドライブに行くぞ」って気を遣ってくれて。
    ――疲れてるのにやることないから練習しちゃう(笑)。
    堀口 疲れすぎて心も乱れるときもありますよ。「もう疲れた、明日やりたいないなあ」と思っても、次の日も練習しちゃう。もうほかにやることがないから……(苦笑)。身体が疲れてるから英語の勉強をしようとしても全然頭に入ってこないですよ。
    ――英語の勉強はしてるんですね。
    堀口 一応。本を買って、基本的なことを勉強してるんですけど。ヒマすぎるのが唯一の悩みですよね。
    ――スマホのゲームなんかでヒマは潰せないですか?
    堀口 やるですよ。やるんですけど、時間がありすぎちゃって(笑)。それに疲れてるからゲームにも集中できないですよね。
    ――何も考えずにボーっとするには良さそうですけど……。
    堀口 ボーッとしてるのは大嫌いなんです。
    ――困りましたねぇ。アメリカで生活してる気がしないんじゃないですか。
    堀口 いや、みんな英語でしゃべってるんで(笑)。もっというと海外が好きじゃないんです。ただでさえ苦痛なんですよね。でも、練習環境としてはATTは最高ですから。
    ――ジムスペースってどれくらいの大きさなんですか?
    堀口 いやあ……かなり広いですよ。
    ――堀口選手が所属してたクレイジ・ビーのジムも日本の中では大きかったですよね。
    堀口 その10倍くらいですかね。ホント学校の体育館みたいな大きさで。
    ――凄いなあ。さすがアメリカ。
    堀口 メチャクチャでかいです。選手やコーチもたくさんいるから「あれ?おまえ今日来てたの?」みたいなやりとりがけっこうあります(笑)。
    ――2階の住居スペースも広いんですか?
    堀口 15部屋くらいありますね。
    ――15部屋!この記事の続きと、ミスター高橋、ハッスル悪夢、モントリオール事件、ザ・ファンクス、中邑真輔NXTなどのインタビュー・コラムがまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1019120 
  • ドキュメンタリー:UFCファイターの試合当日■MMA Unleashed

    2016-04-15 10:18  
    55pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは、UFCファイターが自らが筆をふるう試合当日のドキュメント! 
    今回はいつもと趣向を変えて、2015年12月29日付BloodyElbow掲載、ジョシュ・サマン(Josh Samman)著、『UFC on FOX 17: Josh Samman's Fight Week Blog (part 3)』(http://www.bloodyelbow.com/2015/12/29/10680776/ufc-on-fox-17-fight-week-blog-part-3-josh-samman)の全訳を2回にわたってお届けする。ジョシュ・サマンは、戦績12勝4敗の現役のUFCミドル級ファイターであるが、かねてからその文才でも知られており、現役MMAライターとしても活躍中だ。今回ご紹介する記事は、UFCファイターが試合当日に何を思い、何をして、どう戦っているのかという、現役選手しか知り得ない経験や心情を、ライターとしての手腕で客観的に描写しているという、奇跡の文武両道といっても過言ではない作品に仕上がっている。題材となっている試合は2015年12月19日、UFC on FOXオーランド大会での「ジョシュ・サマン vs. タムダン・マクローリー」戦で、サマンはこの試合で負けているという点も、この文章のユニークさを際立たせている。
    なおサマンは最近、初の著書『The Housekeeper: Love, Death, & Prizefighting』も出版している。本稿全訳に当たっては、ご本人の許諾を得ていることを申し添える。
    ***
    試合当日の朝の目覚めは、いくつもの意味を持ちうる。ここ最近では、つらくて長い欠場明けからの復帰戦、汚名返上のチャンスがやってきたことを意味することが多かった。しかし今朝目覚めた僕は、過去のことは全部いったん置いておくつもりだった。僕は勝利からも学ぼうとしている。前回のカイオ・マガリャエス戦で学んだこと、それは自分は冷静で集中していた方が良い試合ができるということなのだ。
    携帯をチェックすると、フェイスブックアプリのTimehopが、ちょうど1年前の今日、僕の愛犬が死んだことを知らせてくれていた。こうした偶然があるから、人は宗教に頼るようになる。僕もこんなつながりがあったとは、今の今まで気がつかなかった。気持ちがあふれて流されそうになる。
    僕はじっくりと時間をかけて、思い出を頭から追い出し、朝食に向かう。糖質制限中には、けして口にしなかったようなものを片っ端から食べる。ビスケットにシリアル、パンケーキ。朝食バイキングのオムレツのお兄さんとはもうすっかり友達で、何も言わなくても僕好みのオムレツをちゃんと作ってくれる。
    いったん部屋に戻り、会場の集合時間まで眠ることにしよう。試合当日というのはほとんど同じことの繰り返しだ。食べる。寝る。そしてイメージ・トレーニング。ルームサービスに電話をして、1時間後に食事を持って起こしに来てくれと頼む。これが試合前最後の食事になる。グリルチキンサンド、パスタ、フルーツ盛り合わせが僕の今日の燃料になる。
    食事を終えると下に降りていく。僕らはコーナーに別れて集合する。みんなの態度はまちまちだ。多くの選手がサングラスをかけて、下を向いている。UFCのスタッフが点呼をとっているが、何だかやたらに手間取っている。コール・ミラーにはずいぶん余裕があるように見える。スタッフが僕の名前を間違えて呼ぶと、ミラーが映画『ジム・キャリーはMr. ダマー』でジム・キャリーが忘れ物のカバンをサムソナイトさんに届けに行くというエピソードに引っかけた冗談を言い、場が少し和らぐ。みんなが世間話をし始めた頃、やっと会場までのバスに乗るように指示が来る。
    会場に到着。いつものようにこのタイミングで薬物検査を受けさせられるのかと思っていたけれど、なぜか検査はされなかった。試合当日の計量も行うと言われていたけれど、それもなかった。僕はケージに上がって足元のキャンバスの感覚を確認する。こうするとなぜか会場の雰囲気に自分をなじませることができる。そばにマイルス・ジューリーもいた。開場してファンが入ってくるまでに、案外時間がないものだ。プロダクションの人たちが僕らをケージから追い出す。僕は最後にもう一度、天井の明るいライトを目に焼き付け、そしてロッカールームに戻る。
    今の時間は午後4時、僕の入場は6時の予定だ。こうして時間がはっきり分かっているのは助かる。こんなことはインディ大会の選手たちには望むべくもないことなのだ。とはいえ、実際に前の試合の関係で、入場時刻が15分程度前後することがある。この時間差を踏まえてウォームアップを計算するのは容易なことではない。この記事の続きと、ミスター高橋、ハッスル悪夢、モントリオール事件、ザ・ファンクス、中邑真輔NXTなどのインタビュー・コラムがまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1019120