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記事 3件
  • 小林邦昭さんが言ったんですよ。「JJジャックスはイヤだろ?」って/AKIRAインタビュー

    2021-04-16 18:00  
    130pt

    野上彰として新日本プロレスでデビューしたAKIRAインタビューシリーズ第3弾(聞き手/ジャン斉藤)AKIRAインタビューシリーズ①新日本プロレス入門、野上彰だった頃


    ②海外修行で感じた異様な新日本プロレス

    ――ヨーロッパから凱旋帰国したAKIRAさんはIWGPジュニアのベルトを獲りましたよね。
    AKIRA そうでしたっけ? 何か忘れちゃいましたよね。
    ――ご本人としてはヘビーとジュニア、どちらでやって行こうと考えていたんですか?
    AKIRA どうだったかなあ。帰ってきたときはジュニアでしたよね。だからジュニアのベルトを獲ったのか。
    ――かなりボンヤリしてるんですね(笑)。
    AKIRA あの頃のジュニアの体重は幅が広かったですよね。105キロとかがリミットだったはずなので。体重が全然足りなかったので「ジュニアなんだろうなあ」とは思ってましたね。憧れの人がダイナマイト・キッドや藤波(辰爾)さんだったので、そのつもりもありましたけど。
    ――それなのにそんなに時間が絶たず、ヘビー級に転向することになるわけですね。
    AKIRA そこは会社側の意向もあったのかな。それとジュニアはあの頃から上限を知らない技のオンパレードになってきたので「これはちょっと違うな」「あまりやりたくないな」と自分で思ってましたね。 海外で学んだプロレスは、その技にたどり着くまでの過程を見せるというか、そこがプロレスの醍醐味だと。日本に帰ったら、そういうプロレスをやっていきたいなと思っていたので、上限知らずの技のびっくり箱みたいなプロレスとは違うし、身体もしんどいなあと思っていたのかもしれないですね。
    ――飯塚高史(当時・飯塚 孝之)、エル・サムライ(松田納)の3人で、闘魂トリオというユニットも結成されましたね。
    AKIRA  あれ自体の活動は、ほとんどなかったですよね(笑)。なんとなく括られて、そういう名前が出てきただけで。海外修行に出てるときに松田くんとはイギリスでタッグを組むはずだったんですけど。湾岸戦争が始まったあたりぐらいでセキュリティーが厳しくなって。イギリスのプロモーターから労働ビザじゃなくて観光ビザで入国してくれという手紙をあろうことか空港で係員に見せちゃったらしいんですよね。それで松田くんはイギリスに渡ることができなくなったらしいです(笑)。 
    ――ハハハハハハ! じゃあ、闘魂トリオには、なんの思い入れもないわけですか。
    AKIRA ないですねぇ。トリオってなんだよって、コント集団かなって(苦笑)。
    ――闘魂トリオとして頑張ろう! と3人で話し合いもなかったんですか?
    AKIRA なかったですよねぇ。本当に名前だけで。3人で写真を撮ったのかなあ。6人タッグで試合に出たことすら覚えてないです(苦笑)。 
    ――闘魂三銃士と6人タッグで試合をしていたことはおぼえてますよ!(笑)。新日本って選手に何かきっかけを与えて、あとは選手に任せっきりみたいなとこもあるじゃないですか。
    AKIRA  そこは会社が何かちゃんとしたものを用意するのは怖かったところもあったんじゃないですかね。もしそれでダメだったら、誰かが責任を取らなきゃいけないし。 
    ――それに、いまみたいに会社がストーリーをガッチリと提示する時代ではなかったですね。
    AKIRA そうですね。いまのプロレスみたいにこういう方向性で、キャラ作りがあって……みたいな指示があるわけでもなく。あくまで自然発生的に起きたものを尊重しましたからね。女子プロレスなんかも、そういうことがよくあったらしいですけど。
    ―― プライベートのトラブルや上下関係をリングに持ち込むわけですよね。 
    AKIRA とくに新日本はリアルな路線じゃないと受け入れられないなって選手や会社側もたぶんに思っていたし、だから、そのあとボクがJJジャックスを組んでも周りはうまくいかないことはわかっていたし(苦笑)。
    ――飯塚選手との伝説のタッグチーム、日本の陽気な奴らこと「ジャパニーズ・ジョウリー・ジャックス」ですね。JJジャックスのことはあとでたっぷり伺うとして……当時は闘魂三銃士に馳浩に佐々木健介、長州さんに藤波さんってかなり層が厚かったですよね。
    AKIRA  だからって他の団体に行くっていう考えはなかったんですけどね。
    ――入門当初からのお話を聞くかぎり、ぶっちゃけ居心地はあまりよくないように見えるんですね。
    AKIRA 居心地は昔からあんまりいいものではなかったです(苦笑)。だからって他団体に行くって考えは……SWSに行くという手もあったのかもしれないですよね。 実際ドイツにいた頃は若松さん(将軍KYワカマツ)や桜田さん(ケンドー・ナガサキ)が会いに来てくれたことあるんですよ。
    ――それはSWS移籍の話をするために?
    AKIRA  一緒にメシを食っただけです。そこで若松さんが「SWSに来い」と誘うと引き抜きになっちゃうから、そういう言葉は出なかったんですけどね。若松さんに恩があったので、何か報いなきゃなんないなあとは思ってたんですけど。
    ――それは若松さんが「マネージャー若松」として新日本に参戦した時代の話ですか。
    AKIRA そうですね。ボクがケガをしてて、会場に行っても雑用ばっかりで試合に出られない時期があったんですよね。 ケガがあるので組んでの練習はできないんですけど、若松さんが毎日スクワットを付き合ってくれたり、若松さんを背負って階段を上り下りしたりとか…… 毎日のように付き合ってくださって。 
    ――でも、AKIRAさんは「SWSに行きます」と口にはできなかった。
    AKIRA そうですね。「来い」って言われたら行ったと思いますよ。
    ――AKIRAさんが戻ってきた新日本の道場は馳さんと健介さんが仕切るようになってましたけど。 以前とは雰囲気は違いました?
    AKIRA だいぶ違いましたねぇ。 その頃は長州さんが現場監督で引き締めなきゃいけないということで必死だったんですよね。馳さんがその意を汲んで、道場の出席簿が作られたりとか。
    ――出席簿ですか!
    AKIRA 蝶野(正洋)さん武藤(敬司)さんが道場に全然来なかったこともあって(笑)。
    ――ハハハハハハハ!
    AKIRA そういった出席簿を契約公開のときにチラつかせたかったんですかね。 それまでは練習中に水を飲む機会はアバウトだったんですよ。選手それぞれが練習中に台所のほうで水を飲んで、また戻って練習したりとか。でも、水筒みたいなものを個人で用意するか、ウォーターサーバーを用意するから飲むようにと。休憩時間も決められて、選手が自由に休むことは禁止になったんですよ。
    ――長州さんたちからすると、水を飲みに行ってサボるんじゃないかと。
    AKIRA そうやって締め付けられると空気を悪くなっていきますよね。ちょっと上の先輩なんかはスポンサーさんとの付き合いや営業活動で飲みに行って、翌朝は二日酔いだったりするわけですよ。そういう場合は練習も休んでも大目に見られてたんですけど、 長州さんになってからは許されなくなって。 
    ――出席簿が用意されたからって、武藤さんや蝶野さんは道場には来たわけじゃないですよね?
    AKIRA そうなんですよねぇ(笑)。武藤さんや蝶野さんはリングのパフォーマンスがよかったんでね、手の付けようがないってことですよね。
    ――橋本さんは誰よりも道場にいる時間が長かったわけですよね。AKIRA いや、合同練習のときはあんまり道場にいなかったんですけどね(笑)。練習が終わった昼過ぎに来て遊んでるって感じです。


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  • AKIRAインタビュー「海外修行で感じた異様な新日本プロレス」

    2021-03-17 17:00  
    150pt
    野上彰として新日本プロレスでデビューしたAKIRAインタビューシリーズ第2弾(聞き手/ジャン斉藤)前回はこちら・新日本プロレス入門、野上彰だった頃/AKIRAインタビュー
    【1記事から購入できるバックナンバー】・沢村忠から天心vs武尊まで…キックボクシングの始まりと、その光と影■細田昌志☓高崎計三
    ・プロレスの青春! 新日本プロレス学校の最後を見届けた男■渡辺宏志・プロレス格闘技界運命の1991年■斎藤文彦INTERVIEWS

    ――AKIRAさんは新日本プロレスでデビューしたあとも今後の不安はあったそうですね。
    AKIRA やっぱり、身体の線の細さが気になっていたんですね。しばらく自分に自信が持てなかったです。いま思えばデビューしたからって「これでバンバン行けるぜ!」と自信持って戦っているヤツなんかいないんですけど。
    ――でも、あの当時の新日本って入門するのもハードルが高いし、デビューするのも大変で。そこにたどり着いた時点で相当凄いというか。
    AKIRA まあでも、UWF騒動だジャパンプロレスだで人間が少なくなっていた時期でしたから。中堅層や若手のホープは軒並みいなくなっちゃってましたからね。
    ――逆にやりやすかった部分もなかったんですか?
    AKIRA うーん、ある程度、分別のある上の人がコントロールしてくれて、何かしらのカリキュラムがあって育ててくれるならよかったんですけど……もう猿山みたいな感じでしたからね(苦笑)。
    ――ハハハハハハハハ!
    AKIRA 2個上の後藤(達俊)さんとかが仕切っちゃうわけだから、もうグチャグチャですよ。
    ――後藤さんは酔っ払うと包丁が投げつけるわけですからね(笑)。デビュー前から巡業にはついて回ってたんですよね?
    AKIRA 新弟子時代からついてました。いつだったか、同じ年に入門した船木(誠勝)選手が巡業中に「どっかでデビューさせてやる」という話があったらしいんですけど。そのときに船木選手はリングシューズを持って行ってなかったらしくて怒られたという話がありましたね。
    ――つまり、シューズは最初から用意しておかなくちゃいけないんですね。
    AKIRA ボクも靴を履きながら練習してたり準備はしてましたからね。当時の新人は、なぜかみんな黒パンツに黒シューズでしたけど。
    ――それは「デビューさせるから用意しろ」と言われるんですか?
    AKIRA 「ボチボチだから用意しとけ」という感じです。それも全部特注だったんで。当時、新日本にジャージとかを卸してくださっていたスポーツ屋さん、「スワロースポーツ」というお店なんですけど、みんなそこに頼んでました。いまはお店もたくさんありますけど、当時はレスリングパンツなんかはその「スワロースポーツ」さんが仕切ってまして。あの新日本の白線ジャージを作っているのもそこだけでしたから。
    ――となると「注文=プロになる」という高揚感もありますよね。
    AKIRA いやあ、どうなんですかね。ボクは「よし」というよりも「……大丈夫かな?」という感じだったというか。新弟子で辞めちゃう人だけじゃなく、デビュー後に何試合かやってから辞める人もいると聞きましたんで。
    ――AKIRAさんは誰の付き人だったんですか?
    AKIRA ボクは2年ぐらい坂口征二さんに付かせていただいて、そのあと3年ぐらい藤浪辰爾さんに付いてましたね。
    ――坂口さんはどんな方でした?
    AKIRA 木村健悟さんや藤波さんからはよくお小遣いをもらっていたんですけど、坂口さんはそんなには(苦笑)。
    ――あら(笑)。
    AKIRA 猪木さんは何かの機会に私物をくれたりすることがあって。お下がりのイッセイミヤケの服を持ってきてくれたりしてましたよ。撮影か何かで1回着たら、もう着ないんでしょうね。合宿所に持ってきて「着ていいぞ」と。
    ――全日本や新日本の付き人は巡業に行くと「洗濯代」と称して、けっこうまとまったお金をもらったりしていたと聞きますね。
    AKIRA 藤波さんのお小遣いはその洗濯代という名目ですけど、坂口さんの場合は本当にきっちり洗濯代の額だったりするわけで(苦笑)。
    ――文字どおりの「洗濯代」! 誰の付き人になるかで懐事情は変わるんですね。
    AKIRA でも、坂口さんはちゃんと面倒は見たがってた人みたいですよ。坂口さんって石原軍団とかに憧れてたりするんで。大好きなんですよ、渡哲也さんとか。巡業バスの中で『西部警察』だったかな? 朝バスに乗ると、みんなまだ眠いから「寝かせてくれ」という感じなのに、『西部警察』を録画したVHSテープを持ち込んで再生して「バキュンバキュン」とか派手な音させて。藤原喜明さんはよくそれにキレてました。
    ――「うるさいぞ」と(笑)。
    AKIRA 藤原さんは後ろほうの席なんですけど、ちょうどスピーカーがあるんですよ。だから、傘の尖ったところでスピーカーを壊そうとしてましたから。というか、壊してましたね(笑)。
    ――ハハハハハハハハ! 藤原さんの破壊ぶりのほうが石原軍団っぽい。
    AKIRA 坂口さんは石原軍団に憧れていたから、たとえば選手たちを盆と正月は家に呼んだりとかね。まあ、ボクは付き合いが悪いんで、一度断っちゃったんですけど。
    ――副社長のお誘いを断れるんですか!
    AKIRA 巡業先で「腹減ってないか? メシでも食いに行こう」と誘われたこともありましたけど、それも断ったことありました。いま考えればとても優しい方だったんですけど、当時は「早く寝かせてくれ」という思いが勝っちゃって「まだ仕事残ってますんで」と。坂口さん、ちょっと寂しそうでしたね。「行きます!」と言っていれば、また違ったレスラー人生だったのかもしれないですけど……そういうところがボクはダメでしたねえ。
    ――その後の面倒見も良くなったり。
    AKIRA そうですね。坂口さんはその場にふさわしいというか、どちらかというと盛り上がる人を連れて行きますね。酒を飲むのがあんまり好きじゃない人は「じゃあ、いいや」と。そこは気遣いをしてくださる方でした。
    ――試合のほうは手応えを感じつつあったんですか?
    AKIRA デビューしてから最初に高揚感があったのは、やっぱり船木&野上組vs安生洋二&中野龍雄組でしたね。
    ――UWF勢が新日本に戻ってきたときの。
    AKIRA 手応えというのは、あの時期ぐらいからですけど。でも、本当にいまと昔ではプロレスの仕組みが全然違うというか。最初の頃はすべてが手探りなんですよね。
    ――いわゆるフリースタイルを超えた勝負というか。
    AKIRA こっちのさじ加減で「もうお客さんが満足しているな。これ以上、お互いに出すものないな」って探りながら着地点を見つけたり。
    ――それ、ホントに難しい試合じゃないですか!
    AKIRA どっちも退かないとなると、試合が永遠と終わらないという。
    ――新日本プロレスの前座が15分一本勝負でドローが多かったのはそういう理由で。
    AKIRA 橋本真也選手との試合では腕ひしぎをかけられたんですけど、「ここで終わるわけにはいかない」ってギブアップしなかったんですよ。そうしたら、最終的に腕ひしぎの腕を離してもらえなくて、ヒジを捻挫してしまったということもあったりしましたね。
    ――すごいなあ……前田日明さんが新日本前座時代を誇りにしてるのは、格闘技を超えた勝負をしてきたからなんでしょうね。
    AKIRA だから緊張感ありましたよ。あの当時、アメリカの有名なスポーツライターが新日本を見にきていて、それを見抜いてました。「前座のヤングボーイたちがそういう試合をやってるから、上の試合が成立するんだ」と。だから上のカードもある程度ショーとして成り立つものが、リアルに写るんだと書いてました。
    ――正直、それはそれで怖いプロレスですよね。
    AKIRA いや、怖いですよ。いつ誰がどうなるかわからないじゃないですか。
    ――後年になって小川直也vs橋本真也の1・4事変なんかがありましたけど、当事者でさえ先の見えない試合は前座では普通にあったということですよね。
    AKIRA ただ、15分間だけだし、そこまで背負っているものはないので、ダラダラした試合で15分引き分けになることもあったんですけど。ボクはあんまりダラダラしたつまんない試合は見せたくなかったので、そこは妙にお客さんの空気を読みがちで。そのままプロレスをやっていたらまったく成立しなくなるんで。
    ――そこで大人の態度を取れるってすごいですよ。背負ってるものがないといっても、相手がUWF勢となると話が違ってくるじゃないですか。
    AKIRA やっぱりボクらもデビューして1~2年のわりにはそれなりの意識があったので一生懸命でした。いま思うと、あの頃の一生懸命さというのは、とても素晴らしいことをやってたなと思ったりしますよ。その後のチャンピオンシップの一生懸命さとは、また違った意味があったなと。10代後半だったりするのでフィジカル的にも最高潮ですし、いくらでも動ける身体だし。お客さんに対するサイコロジー的なものはそれほど考えられなくても、身体が続くかぎり動こうとしたことに関しては、もう奇跡的なものを作っていたんじゃないかなとは思います。だから、その思いというのは、何かの取材で安生選手や船木選手と会っても「あの頃が原点だね」という話をしたりしますね。
    ――何かを残した手応えがあったということですよね。
    AKIRA ただ、やっている本人は盛り上がりはそんなに感じてなかったし、ただただ一生懸命で。身体や体力で負けちゃいけないということで、その準備のために等々力不動の階段を20往復ぐらいして、本当に一生懸命でした。
    ――そういう意味では、新日本の選手って特殊な前座の環境で鍛えられていたわけですね。
    AKIRA まあ、そうなんだろうけど、そこは従来のプロレスとは違うものになっちゃいますけど
    ――そこは受け中心の全日本プロレスとの違いというか。
    AKIRA だから世界基準で言ったら、新日本出身のレスラーと戦う相手は困っちゃいます。絶対に「何この人?」って戸惑ったと思いますよ。
    ――いわゆる“固いレスラー”すぎて。
    AKIRA 海外修行のときには、みんなそういう経験があったと思いますね。
    ――AKIRA選手は海外修行としてヨーロッパに行かれましたね。
    AKIRA そうです。坂口さんからは「メキシコだからな」と言われていて、それを断ったことがありました。
    ――またしても坂口さんの話を(笑)。
    AKIRA いま思えばメキシコでよかったんでしょうけど……メキシコのルチャというのは、約束事で成立するアクションショー的な部分が大きいじゃないですか。
    ――新日本の前座とはまったく違いますよね。
    AKIRA つい最近までUWF勢と試合してて、リアルなプロレスを追求している空気があったのに、またそこに行っちゃうのか、と。しかも当時のメキシコは治安も衛生状況も悪かったというか。そういう話を保永(昇男)さんがいつも面白おかしくバスの中で言うわけですよ。「あんなところ行くもんじゃない。行っても一銭にもならなかった」とか。
    ――これから行く身としては冗談とは受け取れない(笑)。保永さんもメキシコの経験があるから、あのうまさがあったように思えますけど。
    AKIRA ブラック・キャットさんがお膳立てしてくれてたんでしょうけど、それを聞いちゃうと「スミマセン、行きたくないんですけど」と(苦笑)。そうすると、坂口さんも優しい人だから「ああ、そうか」ということで、行き先がヨーロッパになったんですよね。
    ――そんなことが許されたんですね(笑)。たしかに当時は格闘技思考が強かったから「ルチャなんて」というムードはありましたもんね。
    AKIRA アームドラックですら「どうなの?」という空気がありましたよね。リッキー・スティムボードとかキレイで派手でカッコいいんだけど、それを真似ようとしたら練習すら付き合ってもらえなかったですから。全日本だったらバンバンやったんでしょうけどね。だから、ボクらの世代はあんまりやる人いなかったですし、あってもロックアップでゴロンと自分が倒れて引き込むようなものはあるけどもという。
    ――90年頃にそのリッキー・スティムボードが新日本に初来日してグレート・ムタとのドリームカードが組まれましたけど、お客受けが悪かったですよね(笑)。
    AKIRA まあ、いまだったら絶対に面白がれるんですけど、お客さんも巻き込んでそういう価値観になってましたよね。本当、難しいですよ。

    この続きと、アポロ菅原最終回、宮田和幸、橋本宗洋批判、佐伯繁、AKIRA…などの3月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「12万字・記事20本の詰め合わせセット」はコチラ
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  • 新日本プロレス入門、野上彰だった頃/AKIRAインタビュー

    2021-01-01 00:00  
    130pt
    野上彰として新日本プロレスでデビューしたAKIRAインタビューシリーズ第1弾。入門、デビューするまでの狂った季節(聞き手/ジャン斉藤)【1記事から購入できるバックナンバー】・北尾光司vsジョン・テンタがシュートマッチになった理由/アポロ菅原
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    AKIRA あんまり面白い話はできないですよ?
    ――でも、AKIRAさんって面白そうな場所にずっといたイメージはありますね。
    AKIRA まあ、たしかに。周りはみんなおかしかったですからね。自分で自分のことおかしいと思ってたんですけど、周りが酷すぎて……(苦笑)。
    ――ハハハハハハハ! 自分がまともに感じちゃいますか。AKIRAさんは高校卒業後の1984年に新日本プロレスに入門しますよね。
    たかは
    AKIRA 入門する前、高校3年生の夏休みに新日本の道場を見に行ったんですよね。見学というか、なんだったら道場で座り込みしてテストは受けて「俺の力を見てくれ!」じゃないですけど。上野毛に新日本の道場があると本に書いてあったので、あの有名な新日本プロレスだから誰でも場所を知ってるだろうと思っていたら、駅周辺で話を聞いたら誰も知らなくて(笑)。
    ――駅から道場までけっこうありますしね(笑)。
    AKIRA わかりやすい建物かなと思っていたら、全然そんなことはなくてですね。ちょっとウロっとしてたら、たまたま保険外交のお兄さんがいたんですよ。その人の声をかけたら「知ってるよ」と10分ぐらい一緒に歩いてくれて。着いたら汚いトタン屋根の建物で「うわ、これか!?」って。
    ――いまはリフォームされてますけど、以前は古い建物で。
    AKIRA 午前10時ぐらいだったんですけど、合同練習の前で。翌日試合だったので選手たちが器具の搬入の手伝いをしているところで。練習が始まったら誰も外に出てこなくなって、外に座り込みじゃないですけど、昼の13時ごろまで待っていて。誰かに声をかけられてテストを受けてさせてくれるかもしれないと。そうしたらですね、永源(遥)さんに声をかけられて「アンちゃん、何をしに来たんだ?」と。「テストを受けもらえないですか」と言ったら「テストは事務所に履歴書を送って受けるもんだ」と。あたりまえの答えが返ってきたんですよね(笑)。
    ――普通ですね(笑)。
    AKIRA 「やっぱりそうだったの?」って。アルバイトと同じ工程を踏まなきゃいけないんだなと。それで履歴書を事務所に送ったんですけどね。
    ――高校のときは何かスポーツはやられていたんですか?
    AKIRA とくにやってなかったんですよ。当時はアマレスの部活があるのは県の中で限られたところぐらいだったし。柔道部はあったんですけど、ボクが通っていた高校は新設校で2年目だったんですよ。あんまりクラブ活動が全然盛んじゃなくて、なんか本当にゆる~い感じだったんですよね。そこでもやっときゃなんとか実力は上がったんでしょうけど。そんなに楽しくなくて、自宅で筋トレやったりとか、ちょっと空手道場を通ったこともあるんですけど、その程度だったんですよね。だからスポーツの実績がまったくなかったんですけど、入門テストは1回でパスできて。
    ――一発で受かるって凄いですね。
    AKIRA テストまでに普通のスクワットは500回できるようにしていましたし。あとテレビを見ていたら「これがスクワットだ」ってジャンピングスクワットを紹介してて。それをスクワットだと勘違いしちゃって、ジャンピングスクワットを200回やってたんですよね。
    ――勘違いがいい方向に働いて。
    AKIRA ボクらのひとつ前の世代でいえば佐野(巧真)さんだったりも、新日本プロレスに入る前はスクワット1000回とかやっていたという話で。カリキュラムがわからないから自分たちで考えてテストを受けるしかなかったんですよね。入門募集の告知が『月刊ゴング』に載っていて。そこに身長制限が書いてあって高卒は180センチ以上、大学卒業だと185センチ。自分は180センチなので高校卒業したらテストを受けなきゃダメだなってことで。その頃に佐山(聡)さんのスーパータイガージムもオープンしてるという記事が載っていて。「あ、こんなものがあるんだ」ってことで、声を震わせてジムに電話をかけたら、電話に出たのが佐山さんの声だった気がするんですよね……。
    ――道場に行ったりとチャレンジャーですね(笑)。新日本のテストは誰が試験官だったんですか?
    AKIRA 山本小鉄さんだった記憶がありますね。集まった参加者は10人にも満たなかったですけど。
    ――参加者は他に誰がいたか覚えていますか?
    AKIRA いや、もう覚えてないですね。誰も残らなかったです。ちょっと調子のいい男も受かったんですけど、入門して1週間ぐらいで消えちゃいました。自分も本当に受かるとは思ってなくて。テストが終わったときに小鉄さんが「こういったトレーニングは一生涯を通じてやるもんだから続けるんだぞ」と。ありがたい言葉だなあと思ってそのまま道場から帰ったんですけどね。3月に高校を卒業して、なるべく早く入ろうと思って。道場のしきたりとか先輩の関係もあるじゃないですか。あんまりウカウカしてられないと勝手に思い込んじゃって、早めに寮に入ったんですけど。
    ――先に誰か入門してました?
    AKIRA 同期はいわゆる闘魂三銃士や船木(誠勝)選手なんですけど、彼らはすぐあとに入ってきたんですよね。
    ――道場生活はやっぱり過酷でした?
    AKIRA 過酷というか、訳わかんなかったですね。酷いですね、もう。頭のおかしい人が集まっちゃってましたね(笑)。
    ――ガハハハハハハ! ライガーさんが仕切ってて、そこに船木(誠勝)さんと橋本(真也)さんも一緒に乗っかってくみたいな。
    AKIRA あの頃がヤバイ。ライガーさんとくっついちゃうとね、止まらない。言葉は悪いですけど みんないわゆるアスペルガー症候群というか。
    ――な、なるほど(笑)。
    AKIRA 本当ですよ(笑)。ボクもけっこう軽いアスペルガーなんですけど、ちょっとおかしいところがありまして、なかなかモンだったんすけど。歳を取るにつれて、20歳の頃にはそこそこのまともさにはなってたんですけど。それに輪をかけたヤバイ人たち、幼稚園レベルばっかの集まりなので(笑)。
    ――とんでもないところに放り込まれたわけですね(笑)。
    AKIRA 覚悟はしてたんですよ。軽いイジメ的なもの、かわいがりはあるだろうと。でも、それも面白いだろうなと思ってたんですよね。
    ――面白体験じゃないですけど。
    AKIRA 変な格好をして店に買い物に行かされたり。練習に関してはちゃんとできてたので、そんなにムチャは……。ふるいには、かけられていたのかもしれないですけどね。
    ――練習は相当ハードですよね。道場は蒸し風呂状態じゃないですか。
    AKIRA 室内の温度が40°を超えていて、スクワットをすると汗で水溜りができるんですよ。話には聞いていたので「ああ、これのことか……」と。たしかに練習は厳しかったですけど、まっすぐ夢に向かっていたので、なんとかやっていけましたね。
    ――やめようと思わなかったですか?
    AKIRA やめようとは思わなかったですね。ただ、ボクは何事も長く続かなかったんですよ。中学の頃は野球も一生懸命やったつもりでもちょっと続けなくて。一生続かない人間になるのはイヤだなあとは思ってて。プロレスはなんとかはやってやろうという気持ちしかなかったんですね。たぶん小鉄さんもそんなに続かないけど……という感じで入れたと思うんですよ。そのあと何人も入門して途中でやめちゃいましたからね。たくさん入れた中で誰かひとりでも残ればいいやという感じだったんじゃないですかね。
    ――やめる前提でたくさん新弟子を入れていたところはあるでしょうね。
    AKIRA まだ若いし、食い扶持がなくなるわけでもないだろうし。将来に対して責任を持たなくてもいいだろうっていう世の中でしたからね。
    ――ライガーさんの新弟子に対するイタズラは、結果的にふるいにかけるものになってしまって(笑)。
    AKIRA というか、あれはもはや、イタズラじゃないですよね(笑)。生き死に関わりかねないものもあったりするから。
    ――その影響を受けた船木さんが藤原組やパンクラスでやっていたイタズラも、いまは表に出せなかったりしますからね(笑)。
    AKIRA あれはやっぱり縦社会の「イエッサー」の世界ですからね。凄いことをやるなって。イタズラの標的にあった子には慰めの声かけるぐらいしかできなかったですね。そういうときに面白がれて狙われるタイプの子っていうのもいたし、それでいうと自分はそんなに被害に遭わなかった気がしますね。どちらかというと、面白がってやられるタイプではあったんですけど。
    ――道場の生活はあまりにも厳しいから、新弟子時代の武藤さんが「みんなでやめよう!」と言い出すことがあったみたいですね。
    AKIRA 武藤さんはね、しょっちゅう言ってました(笑)。
    ――ガハハハハハハハハ!
    AKIRA 小鉄さんに「やめます」ってよく言ってましたよ。小鉄さんは合同練習後、みんなが飯を食うのを見届けるんですが、寮の応接間でみんなを集めて昔話をすることがあるんですよね。そのときに武藤さんが「もうやめようと思うんですけど……」って。そうすると船木選手は「ま~た口車が始まった。絶対に残るのに」と(笑)。
    ――その武藤さんに口車に乗せられて実際にやめちゃう人もいるんですよね?
    AKIRA そうなんですよ。「今日でやめるから橋の向こうで待っててくれ。1時間後に行くから」と。でも……武藤さんは行かないんですよね。
    ――ハハハハハハハ!
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