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記事 24件
  • 【非会員でも読める11万字・詰め合わせセット】マサ斎藤、マシン引退、天心vsロッタン、北原光騎、WWEvs新日本…

    2018-07-31 23:59  
    540pt
    非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! part54は大好評インタビュー13本、コラム6本、11万字オーバーで540円!!(税込み)

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    part54 
    ◎追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で■斎藤文彦INTERVIEWS
    ◎【追悼・獄門鬼】谷津嘉章「巌流島で猪木さんと向き合えるのはマサさんしかいなかったよな」◎「キックぼんやり層」必読!! 那須川天心vsロッタンはここがヤバかった◎あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩
    ◎【契約問題】アンディ・サワーもRIZINもやれることがあった■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク

    ◎やっぱり面白かったQUINTETを分析! 中井祐樹「10th PLANETはグレイシー一族に通じる」

    ◎SKE48須田亜香里アイアンマンベルト奪取の衝撃は……!?■事情通Zの「プロレス 点と線」
    ◎杉山しずか「格闘技を続けてよかったなあと、しみじみ思います」
    ◎スーパー・ストロング・マシンが戦った熱き時代■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」◎元祖・大仁田信者が50歳で覆面レスラーになるまで〜ワイルド・セブンの告白〜◎追悼ビッグバン・ベイダー……IWGPの輝きは皇帝戦士から
    ◎テイクダウン神話の崩壊……「打撃の時代」になれば日本人は有利になる■大沢ケンジ
    ◎三沢光晴への決別の書……馬場元子『ネェネェ馬場さん』/Dropkick読書会
    オマスキファイトのMMA Unleashed
    ・新日本プロレス、ついにMSG進出! WWEは報復発動か?
    ・コーミエ・レスナーのアングルは是か非か 「やらせだ、フェイクだと言っているヤツらは、一生貧乏してろ」
    ・舞台裏でガチンコ勝負! UFCとWWEの放映権はこうして売りさばかれた
    ・悪いヤツほど得をする? 米MMA反則事情
    ・元UFCファイター、レスリー・スミスが労働組合結成に大奔走!
    アメプロインディ通信「フリーバーズ」
    ・「アメリカの大仁田信者」マット・トレモントの奇跡
    ・SNSで狂い咲く50歳プロレスラーの遅咲き人生
    ◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「追悼・マサ斎藤さん」です! イラストレーター・アカツキさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!――フミさんはマサさんとの付き合いは相当長いんですよね。
    フミ ボクがミネソタの大学に通っていた21歳のときに、マサさんがミネアポリスを本拠地とするAWAに転戦してきて知り合ったんです。かれこれ35年もお付き合いをさせていただいて、マサさんからいろんなことを教わりましたし、ケン・パテラの事件で刑務所に入ったときは冬と春に2回、面会にも行ったことがあるんですよ。
    ――貴重すぎる経験ですね!(笑)。
    AWA時代のマサさんと、大学生時代のフミ斎藤フミ ボクが「フミ斎藤」を名乗るようになったのは小学生の頃で、日本プロレスの第14回ワールドリーグ戦にマサさんが凱旋帰国したときからなんです。そのときからボクはフミ斎藤を名乗り、やがて本物のマサ斎藤さんとアメリカで出会うことになるんですね。
    ――斎藤姓の人間の多くがあだ名やニックネームで「◯◯斎藤」と名乗るきっかけは、プロレスラーのマサさんなんでしょうね。
    フミ マサさんは1942年8月7日生まれの75歳でした。でも、なぜかアメリカのウィキペディアでは2月1日生まれの76歳と書かれていて、アメリカのプロレスメディアやファンのあいだでは年齢に関する議論も行なわれたりしてたんですね。
    ――レスリングで東京オリンピックに出場したマサさんは日本プロレス入りしますが、1年足らずで離脱しちゃいますね。
    フミ 日本プロレスの内部の封建的なタテ社会に嫌気が差したところもあったんでしょうね。東京オリンピックから日本プロレスに入ってドロップアウトしたのは2人いるんです。マサさんとサンダー杉山さん。杉山さんは国際プロレスに移籍しますが、マサさんは東京プロレスに移ります。
    ――そこで運命のライバルとなる猪木さんと出会うんですね。
    フミ 日本プロレスを追放された豊登さんが、2年間の海外修行を終えて帰国の途中だった当時23歳の猪木さんを誘って東京プロレスを旗揚げします。猪木さんと同じ23歳だったマサさんも、なんの迷いもなく東京プロレス入りしますが、あとになってから話を聞くかぎり「最初からアメリカに行くつもりでプロレスラーになった」と。プロレスラーとしてアメリカに永住するつもりだったそうなんです。
    ――日本のプロレス界に留まるつもりはなかったんですね。
    フミ 興味深いのは、東京プロレス旗揚げ前の準備期間の4ヵ月間、猪木さんとマサさんはハワイでルームメイトだったんですよ。アパートの部屋をシェアしてたんです。
    ――若き猪木さんとマサさんがルームシェア!
    フミ そこの出会いがのちにいろいろと繋がっていくんですが、猪木さんは昭和18年2月生まれ、マサ斎藤さんは昭和17年8月生まれ。学年は一緒なんですがマサさんは最初に会ったときから猪木さんのことを尊敬していたそうなんです。
    ――同世代から見ても猪木さんはカッコよかったんですね。
    フミ そのときのマサさんのキャリアは1年ちょっとで、猪木さんはキャリア6年の先輩。猪木さんはアメリカで武者修行してきたことで英語がペラペラでしたし、アメリカでウエイトトレーニングやっていたから身体つきもかっこよかった。当時のマサさんはポッチャリとした体型でしたから、猪木さんの身体を見て「俺もウエイトトレーニングをやらなきゃいけない」と思ったそうなんです。
    ――マサさんのウエイト好きは猪木さんから! いろいろと繋がっていきますね。
    フミ ボクはマサさんと1983年にミネソタで出会ってから、マサさんに何度も何度も日本とアメリカのプロレスの話を聞いたことはあるんですけど、猪木さんの悪口を言ったことは一度もないんです。それだけ猪木さんのことが大好きだったからこそ、試合ではタッグを組むのではなくて対角線のコーナーに立ちたかったんでしょうね。
    ――猪木さんの“ライバル”として存在を示したかった。
    フミ 東京プロレスは2シリーズだけで潰れてしまいました。それからマサさんはアメリカに渡ることになりますが、ビザを取るために半年ぐらいブランクがあって。そのあいだマサさんは木村政雄、のちのラッシャー木村さんと半年間ルームシェアをしていたんです。 
    ――猪木さんの次はラッシャー木村さんとルームシェア!(笑)。
    フミ 木村さんは1941年生まれで猪木さんより年齢はふたつ上。ルームシェアした2人が猪木さんのライバルとして一時代を築くのは運命的ですよね。マサさんは念願のアメリカに渡りますが、マサさんのアメリカの本拠地といえばAWAというイメージが強いですよね。でも、マサさんがAWAに来たのは1983年のこと。1967年に渡米して16年近く経ってからで、その頃のマサさんはもう41歳なんですよ。
    ――円熟期の時代だったんですね。
    フミ 30代のマサさんが一番気に入っていたテリトリーはフロリダです。気候は温暖で、天龍源一郎、キラー・カーンら日本人レスラーもよく遠征していた土地ですし、試合は毎日あって、車での移動でどこの会場でも日帰りで家に帰ってこられる。でも、一番長くいた場所はどこかといえば、サンフランシスコなんです。いまのプロレスファンからすれば、サンフランシスコはいまいちピンとこない場所だと思いますが、1963年から1983年までの20年間、ビッグタイム・レスリングというプロモーションが活動してたんです。そこでキンジ渋谷という日系アメリカ人とタッグを組むんですが、キンジ渋谷はマサさんより12歳ほど年上で、試合では8割方リングの中にいるのがマサさん。ロサンゼルスでは日本から遠征してきたジャイアント馬場さんとも試合をしてますね。ジャイアント馬場&ジョン・トロスvsマサさん&キンジ渋谷のケージマッチという試合がありました。
    ――アメリカとは思えないほどの日本な組み合わせですね。
    フミ 当時の日本人レスラーといえば、ニヤニヤお辞儀をしながら相手を後ろから襲う。いわゆるパールハーバーの奇襲攻撃ですね。マサさんもそれまでの日系レスラーどおりのファイトしていたそうです。後ろから相手の両肩を掴む頸動脈クローや地獄突きを使ったり。
    ――ボクなんかは晩年のマサさんの試合しか見たことないんですが、最初からうまかったんですか? 
    フミ そこは対戦相手から学ぶところが多かったみたいですね。たとえばサンフランシスコにはレイ・スティーブンスという名レスラーがいたんですが、ニック・ボックウィンクルさんが「レイは俺の何十倍も才能あった」と。あのニックさんがそこまで褒めるレスラーだったんです。
    ――天才が褒める天才ですか。
    フミ レイ・スティーブンスは激ウマのプロレスラーがホレるプロレスラーの典型で、コーナーポストに飛ばされたときに逆さまに落っこちてエプロンに立つのはこの人が始めた動き。何か技を食らったあとにペタペタペタ歩いてバタンと前から倒れる。リック・フレアーでおなじみの動きも、レイ・スティーブンスがやりだしたんです。
    ――フレアーはレイ・スティーブンスのフォロワーだったりしたんですね。 
    フミ そんな激ウマなレスラーがいて、黄金テリトリーでお金も稼げる。サンフランシスコは最高の生活だったみたいですね。ただ、アメリカの場合はひとつの土地に何年も留まることはできないんですよね。だからサンフランシスコを北上してオレゴンに行ったり、さらに北に向かってカナダ・バンクーバーのジン・キニスキーのマーケットで戦ったり。あの時代のマサさんは相当稼いだみたいで、ゲームセンターのオーナーだったんです。 
    ――ゲームセンターのオーナー!(笑)。
    フミ それとサンフランシスコにアパート一棟、所有してたんですね。アメリカでは最も長い期間、活躍した日本人レスラーだったんです。
    ――たしかにほかの日本人レスラーは途中で帰国しちゃいますね。
    フミ マサさんも1979年、つまり昭和54年に1年間だけ日本を主戦場にしていたときがあったんですけどね。新日本プロレスでお正月から年末まで外国人サイドのレスラーとして毎シリーズ参加しました。そのあとはアメリカを主戦場としながらたまに来日にしてたんですが、80年代初頭にはもう一度フロリダに戻り、そこでは素人が挑戦してきたときに相手をする役割なんかもやっていて。
    ――用心棒だったんですか!
    フミ 「マサだったら大丈夫!」とプロモーターは任せていたんでしょうね。それぐらいの実力者だったんですね。
    ――実際に素人が挑戦してくるんですか?
    フミ プロレスラーより身体が大きいレスリングの選手や、フットボールプレイヤーたちですよね。あとはプロレスがフェイクだと思ってる人間。そういった連中をマサさんが軽くひとひねりすることで「レスリングはフェイクじゃない」と証明するんです。
    ――興行の宣伝にもなるんですね。
    フミ これはマサさん本人も語ってきませんでしたが、マサさんがイラスト化されると斜視気味に描かれますよね。じつはマサさんは右目が見えていなかったんです。
    ――ああ……。
    フミ 試合中のアクシデントで右目の視力を失ってしまったんです。それも日本プロレス時代というキャリアとしては早い時期に。 
    ――そうだったんですか……いったい何があったんですか?大好評インタビュー13本、コラム6本、11万字オーバーの詰め合わせセットはまだまだ続く…… 
  • あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩

    2018-07-31 20:05  
    108pt

    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回の特別編! 小橋建太プロデュース「Fortune Dream5」でデビュー30周年&引退記念試合を終えた北原光騎さんと語らってもらいました! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!




    <関連記事>「佐山先生に言われたんです。俺の影になってくれと」…中村頼永インタビュー
    【男が男に惚れる天龍劇場】北原光騎インタビュー「俺にとって天龍さんは“神様”だよ」【濃厚18000字】トンパチ折原昌夫が明かす全日本プロレス、SWSの信じられない話!!嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!


    小佐野 初めて会ったのはジャパンプロレスに入ってきたときだよね。
    北原 ジャパンの合宿所かな。小佐野 87年5月。池尻にあったジャパンの道場に寝泊まりしてて。北原 入ったのはジャパンなんですけど、長州さんたちは新日本に戻っていたし、全日本の天龍さんや(阿修羅・)原さんの付き人の仕事もやることになったから「全日本の合宿所に来い」と言われて。
    小佐野 立場は正規軍の若手なのに、そのまま付き人としてレボリューションと一緒に行動するんだよね。
    北原 レボリューションは巡業のときジャパンプロレスのバスを使ってたんですよ。(百田)光雄さんや永源(遙)さんとか、全日本の“はぐれ親父”たちがコッチのバスに乗るようになって。あ、永源さんはジャパンだったからそのまま乗ってたのか。
    小佐野 ジャパンの残党や、クセのあるレスラーが正規軍から抜け出して、天龍さんのバスに乗ってたんだよね(笑)。あのとき何歳だっけ?
    北原 22歳とか23歳とか。
    小佐野 「今度の新弟子は佐山(聡)さんのスーパー・タイガージムのインストラクターをやっていた」と聞いて、これはまた毛色の変わった人が入ってきたなあと思ってましたよ。当時の新弟子ってみんな若かったでしょ。子供じゃなくて大人が入ってきたという印象。
    北原 いまは25〜26歳で入ってくる奴は普通にいるんですけどね。
    小佐野 大学を卒業してから入ってくる人なんかも多いから。中学を卒業したり、高校を中退してくる新弟子と違って“プロレス少年”ぽくない感じ。いままでの新弟子とは違った話やすさがあったよ。
    北原 ああ、そうだったんですか。
    小佐野 先輩レスラーよりもマスコミとしゃべっていたほうが楽だったように見えたけど?
    北原 どうですかね。たしかに先輩としゃべるのはイヤでしたけどね。……なんというか、「来るならこいよ?いつでもやってやるぞ?」って感じで(苦笑)。
    小佐野 ハハハハハハ。ギラギラしてたよねぇ。
    北原 いや、先輩の命令はちゃんと聞いてましたよ。でも、態度は凄くデカかったと思うし、新弟子なのに頭は坊主にもしてなかったし。
    小佐野 挨拶や礼儀はスーパータイガージムにいたからちゃんとしてるけど、先輩に対して「……コイツには勝てるんじゃないの?」っていう目で見てたよね?(笑)。
    北原 いつも、それ。俺にはそれしかなかったですよ。そんな俺を見て仲野信市さんが「コイツには絶対負けないぞ」と思ってたらしいです(笑)。
    小佐野 あの頃の全日本の合宿所は小橋建太や菊地毅もいたし、面白いメンツが揃ってたよね。
    北原 菊地は一つ下で、小橋が三つ下。
    小佐野 菊地は一応先輩になるんだよね。ちょっと前に入門してて。
    北原 小橋の一ヵ月後あとくらいに玉さん(田上明)が入ってきて。
    小佐野 高木功も入ってるからけっこう豊作の年だよ。お相撲さん2人にアマレスのチャンピオン、シューティングの選手。何もなかった小橋はそれがバネになったみたいだけど。
    北原 当時はまだ若いから、「……この子たち、できるのかな?」って思ってましたよ。いや、若いね、考えが(笑)。
    小佐野 シューティングをやってきてたんだから、普通はそう思うよね。
    北原 とくに先輩でも偉そうに言われると「おまえ、試合でやってやるぞ……」っていうプライドは持ってましたよ。そういうものは絶対に出しちゃいけないんだけどね。当時栗栖(正伸)さんから「リングの上で絶対に関節技の練習をやるなよ。逆立ち腕立て伏せなんてもってのほかだ」と言われて。その意味がわからなくて、あるとき逆立ち腕立てだけやってたら、ある先輩に「そんなことをやるんだったら受け身を取れ」と言われて。「ああ、栗栖さんが言っていたのはこういうことか」と。関節技も全日本プロレスには必要ないってことで。
    小佐野 不思議なのは、全日本がどこで関節の練習をやらなくなったのかはわからないけど、日本プロレス時代はやってたんだよね。もともと沖識名さんができる人だったし、途中でゴッチさんがいなくなってもその技術は残ってたんだよ。だからアキレス腱固めもあったんですよ、日本プロレス時代。それがいつのまにか……小橋なんかとはそういう練習をやってたでしょ?
    北原 やってましたよ。小橋のほうから「教えて」と。
    小佐野 彼らは覚えたいわけだもんね。
    北原 菊地はアマレス出身だから抑え込むのが得意だし。覚えるのは早かったですよ。でも、彼にはそんなに教えてないのかな、小橋のほうが熱心だったかな。さっき小佐野さんが「小橋には何もなかった」というところの貪欲さというか。俺から見ると「コイツ、いい身体してるな」って思ってたんだけど。入門したときから身体はデカかったし。
    小佐野 持って生まれたいい身体だよねぇ。小橋に関節技を教え、先輩の川田利明にはキックをコーチして。じつは新しい技術を全日本に取り入れてるけど、先輩に教えづらいよね、普通。作/アカツキ
    北原 前に川田さんと対談したときに聞いたんですよ。「あのときよく俺に聞こうとしましたね?」って。そうしたら「オマエはできるんだから、ちゃんと聞くのはあたりまえだろ」って。
    小佐野 巡業中も一緒に練習してたもんね。シューティングで後輩だったスーパーライダーの渡部(優一)さんが、高校のレスリング部で川田の先輩だったというネジれた関係だったけど。修斗初代王者/仮面シューター・スーパーライダー 渡部優一「東映の許可? 取ってますよ(笑)」
    北原 俺としてはラッキーでしたよ(笑)。水戸黄門の印籠みたいなもんで。でも、それがなくても川田さんは後輩に変なことしないんですよ。あんまり明るい人じゃないけど、意地悪をやったりするような人ではない。そういうのはまた別にいるから(笑)。
    小佐野 フフフフフ。 
    北原 そこらへんはキツかったですよね。でも、「やるならいつでもやってやるぞ」って思ってましたから。
    小佐野 「試合でおもいきり蹴ればいいんだ」ってあの頃言ってたもんね(笑)。
    北原 俺、試合で毎回ムカついてましたよ。どうしても先輩に気を遣うところがあるじゃないですか。
    小佐野 でも、やっちゃうんでしょ?
    北原 あるときスピンキックをやったらマイティ井上さんのアゴが外れちゃって。
    小佐野 うわあ……。
    北原 メチャクチャ怒られましたよ。やっぱりケガをさせちゃいけないっていう大前提があるから。
    小佐野 しかも井上さんも気が強いからね。 井上さんは山本小鉄さんと揉めたことがあるから。光雄さんはそんな感じじゃないでしょ?
    北原 光雄さんからは何か言われたことはない。「オマエの好きなことをやれ!」って。でも、光雄さんは試合内容には厳しかったですよ。第1試合の菊池が試合後にトイレで光雄さんに怒られてたんですけど、その説教がメインまで終わらないんですよ。先輩たちが「菊地はどこに行った?」って(笑)。
    小佐野 ターザン後藤さんも光雄さんのお説教タイムを食らってたなあ。付き人の仕事ができないぐらい延々と。
    北原 俺は怒られなかったなあ。バスの席が隣だったけど。
    小佐野 若手は大技を簡単に使っちゃダメな時代だけど、光雄さんに大技を試して、OKだったら他の試合でも使えるって感じだったけど。それでもあの頃キャプチュードとか普通に使ったでしょ。
    北原 俺、1試合目からドロップキックも普通にやってたし、佐山さんのサマーソルトを使ってましたからね。長州さんたちが抜けたあとで全日本も大変だったから、あまりうるさくなかったんでしょうね。
    小佐野 あのときの全日本が「若手でもやれることはやっていい」と変わりつつある時期だったのはラッキーだったよね。苦々しく思ってる先輩がいても、お客さんが喜ぶならいいやって感じで。だからって若手がレガース付けて佐山タイガーみたいな動きをするって凄いけど(笑)。
    北原  佐山さんとダイナマイト・キッドがやっていた試合を光雄さんとやってたんですよ(笑)。
    小佐野 「百田光雄キッド」(笑)。
    北原 そんな試合をやっていたらキッドの目にも止まって。キッドから「オマエ、なんであんな動きができるんだ?」と聞かれて、誰かが佐山さんの弟子だってことも教えたんでしょうね。「海外に行きたいか?」って聞かれて「行きたい」と。まあ、その場だけの適当な話だろうなって思っていたら、あとになって天龍さんに「行きたいか? 馬場さんからもオッケーをもらってるから」って。
    小佐野 それで当時の若手の中で誰よりも早く海外修行に行けたわけだよね。
    北原 天龍さんが凄いのは、みんながいる合宿所ではその話をしないんですよ。
    小佐野 嫉妬するもんね、周りの若手が。
    北原 「ちょっと外に行くぞ」と天龍さんの車に乗って、町内一周回ってるときに聞かされて。凄い気遣いですよね。
    小佐野 そうしてジョニー・スミスと一緒にカルガリーに入ったんだよね。
    北原 カルガリーのキッドの家に3ヵ月ぐらい住んでたんだけど、そのあいだキッドはイギリスに帰っていたりしてて。まあ向こうは大変でしたよ。当時のカルガリーのマーケットはクローズド寸前で。小切手が全部不渡りになっちゃったり。
    小佐野 カルガリーはWWEの侵攻を受けてヤバイ時期だったもんね。帰ってくる頃に完全にクローズドだったでしょ、プロモーション自体が。もう時効だと思うけど、観光ビザで試合をしてなかった?(笑)。
    北原 途中で捕まってから変わったんですよ。ダイナマイト・キッドとテレビマッチというときにイミグレーションに連れて行かれそうになって。スチュ・ハートがあいだに入って「明日行かせるから、テレビマッチだけは撮らせろ」と。
    小佐野 ハハハハハハ。
    北原 次の日にイミグレーションに行ったら、たまたま蝶野(正洋)さんの外国人マネージャーがいたから、手続きをやってもらったんですよ。「すぐに許可は出せないから仕事するなよ」と言われてたんだけど、隣町だったら大丈夫だろうということで、州をまたごうとしたときに交通事故に遭ったんですよね。
    小佐野 あの事故は夏のことだよね。
    北原 アメリカ独立記念日の日。7月4日。一緒に乗ってたデイビーボーイ・スミスも大ケガしちゃったから、その事故は新聞の一面にデカデカと出たんですよ。
    小佐野 デイビーボーイは有名だもんねぇ。 
    北原 一番前に乗っていたデイビーボーイはフロントガラスに頭突きしちゃって、髪の毛がガラスにへばりついてて。俺はクリス・ベノワと一番後ろの席に座ってたんですよ。ちょうど食べていたソフトクリームがどっかへ飛んで行っちゃって「俺のアイスクリームはどこに行ったんだ?」って探しましたよ。
    小佐野 それどころじゃないのに(笑)。
    北原 それでちょっと仕事が途切れましたよね。デイビーボーイがケガしちゃってスターがいないから。
    小佐野  当時のカルガリーには大剛鉄之助さんと、安達(勝治、ミスター・ヒト)さんが日本人選手の面倒を見てたけど、その人間関係も面倒くさくなかった?
    北原 そうなんですよ(苦笑)。
    小佐野 あの2人、仲が悪いもんね(笑)。
    北原 俺はプロレスファンでもなんでもなかったから、よく知らないんですよ。「ミスター・ヒト? 誰それ?」って感じで。向こうから声をかけられて「オマエか、今度来た日本人は」って。「どうも、はじめまして」って挨拶はしましたけど。
    小佐野 向こうは先輩だもんね。あの頃の人間関係でいうと、全日本系は安達さんになるのかな。
    北原  一応そうなんだけど、あの頃は馬場さんともダメだったのかな。健坊はいつも大剛さんと食事をしていて、俺も何回か呼ばれたことはあるんだけど。オフィスが違うわけだから凄く困りましたよ。 
    小佐野 健介とタッグを組んだのは帰ってくる間際だよね?  サムライ・ウォリアーズ。
    北原 そうですね。健坊とやってるときに全日本プロレスに上がったオペラ座の怪人みたいなやつでしょ。
    小佐野 ザ・ブラックハーツ。
    北原 そいつがUWFファンで「コレで行くか?」って聞いてきたから「いいよ」って。
    小佐野 フフフフフ。
    北原 健坊も「いいよ」って。テレビマッチなのにボコボコしたなあ。最後は簡単にワン・ツー・スリーを取られてね(笑)。

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  • 「キックぼんやり層」必読!! 那須川天心vsロッタンはここがヤバかった■ムエタイキラー鈴木秀明

    2018-07-31 20:05  
    80pt
    「キックぼんやり層」にもそのヤバさが伝わってきた那須川天心vsロッタン!!  現役時代は「ムエタイキラー」として名を馳せた鈴木秀明氏が、「神童」を封じ込めたロッタンの戦略や強さ、そして瀬戸際で見せた天心の底力を語ります。必読です!【関連企画】・「ムエタイぼんやり層」必読!! 那須川天心と梅野源治はここが凄い!/山口元気×鈴木秀明・ロッタン直前インタビュー「天心よ、逃げてばかりではなく、向き合った闘いをしよう」・テン年代の仁義なき戦いか……考察・新生K−1の「那須川天心訴訟」問題――6月17日に行なわれた那須川天心vsロッタン・ジットムアンノンの一戦ですが、鈴木さんはどういう予想をされていたんですか?
    鈴木 ボクは7:3で那須川選手が勝つと思っていました。
    ――おお~、那須川選手の優勢予想。
    鈴木 はい。那須川選手のスピードというのは、本当にビックリするぐらいの速さなので。それにフェイントの技術も凄い。さらにムエタイでは基本的にやらない三日月蹴りだったり、顔への前蹴り、バックブロー、バックキック……そういう多彩な技を繰り出せるので、ロッタン選手はやりづらいかなあと思っていました。ロッタン選手のミットを見ても、ガードが凄く高いというわけじゃないのでパンチは当たるんじゃないかなと。ただ、結果的にそういう試合にはならなかったですねえ。
    ――那須川選手にとっては本当に苦しい試合だったというか。
    鈴木 じつはボク、この試合の直前にタイでロッタン選手の練習を見てきたんですよ。ロッタン選手が所属するジットムアンノンジムは、ムエタイで3年連続MVPを獲ったパンパヤック選手をはじめ、凄い選手が何人も所属しているので、一度見に行きたくて。そのときにロッタン選手のミット打ちの練習も見てきたんですけど、感覚が面白い選手だなって。
    ――面白いといいますと?
    鈴木 基本的に、ミット打ちってパターンが3つあるんですよ。コンビネーションを決めて打つミット打ちが一つ、トレーナーが指示をしながらそこに打ち込むミット打ちが一つ、そして最後の一つが、選手の攻撃に合わせてトレーナーが受けるミット打ちなんですけど。ロッタン選手がやっていたのは、3つ目のタイプのミット打ちだったんですね。凄く独創性があるというか。近距離での打ち合いも凄く上手で、普通に打っている中に所々フェイント入れたりとか、ちょっとズラして打ったりとか。そうした近距離での戦いが、今回の試合でも効果的に出ていたなって。
    ――それが那須川選手の戦いづらさにつながったということですか?
    鈴木 そうです。そもそも那須川選手は距離を取って戦うタイプなんですよ。那須川選手の何が凄いって、フェイントを混ぜておいて相手が詰めようとしたすれ違いさまに「切る!」 みたいな。そういう攻撃が得意な選手だから、本来ならある程度は距離が必要なんですよね。だけど、今回はロッタン選手の戦略にハマって、近い距離で戦ってしまった。試合前にロッタン選手は那須川選手のことを凄く煽ってましたよね?
    ――那須川選手に「逃げるな」と挑発してましたね。
    鈴木 那須川選手はプロ意識の高い選手なので「じゃあ、やってやるよ!」と思ったかもしれない。それがあの距離の近さに影響してしまったのかなって。
    ――見事にロッタン選手の戦略にハマってしまっていたということですか。
    鈴木 だからボクは序盤の戦いを見て、もしこの距離ずっと続いたら、ロッタン選手が有利だろうなと思いました。スタートで最初の一歩目を引き寄せちゃうと、ロッタン選手はやりやすいんですよ。ただ、那須川選手は煽られてあの距離になったものの、意外とパンチも当てやすかったというのもあって、1、2ラウンド目をロッタン選手の距離で過ごしてしまったんでしょうね。
    ――打撃が当たっていたがゆえに、相手の距離を許してしまった。面白いですねぇ。
    鈴木 それが那須川選手の最大のミスだったと思います。「この距離でも戦える」と思ったんでしょうし、実際に2ラウンドはパンチをけっこう当てていましたし。
    ――でも、そこで那須川選手はもう一度自分の距離に戻すことはできないんですか?
    鈴木 いや、一回この距離をやっちゃうと、ロッタン選手は自然にこの距離に入りやすいんですよ。これ、ムエタイの首相撲とかもそうなんですけど、一回組まないと、なかなかそのあとも組みづらいんですけど、一回組んじゃうと今度はどんどん組みやすくなるという。
    ――距離感を掴みやすくなる。
    鈴木 総合の選手もいきなりタックルに入るんじゃなくて、わざと胸元とかにパンチとかして距離を掴むとか言いますよね? 「この距離だ」と把握するために。だからパンチを出して「これが触れるタイミングだな」とわかったら、それでタックルを決めにいくみたいな。
    ――身体が自然とその距離を決めてしまうということですか。
    鈴木 さすがに那須川選手も距離を置こうとはしているんですよ。ただ、ロッタン選手は構えを右と左でパッパッと変えるタイプで、そうなると那須川選手は的が絞りづらい。それに加えて、ロッタン選手はちょこちょこちょこと前に出て距離を詰めてくるんですよね。普通、右vs左というのは、右利きの選手は左を取りたがるんですよ。そうすると距離が取れるから。でも、ロッタン選手は右と左で構えを変えるし、さらに“ちょこちょこ歩き”をしてインサイドに入ってくるから、すぐに距離が詰まっちゃうんですよね。この“ちょこちょこ歩き”って、普通はあんまりやらないんですけどね。
    ――けっこう珍しいんですね。
    鈴木 珍しいですね。こういう詰め方はしないです。こうなると那須川選手の得意な攻撃を出しづらくなるんです。那須川選手はカウンターもそうですが、ヒジから先の変化が凄いんですよ。パンチって、そのまま「ドンッ」と打つのと、ヒジから先をストンと変化させる打ち方があるんですけど、那須川選手はそこで肩をフッて外すような感じなんですよね。だから普通の人よりパンチが伸びるんです。それに加えて、手首の角度を変えるというか。
    ――つまり、パンチが伸びてくるし、途中で軌道も変わるんですね。
    鈴木 しかもそれをカウンターでできるから相手が倒れるんですけど、このロッタン戦の近距離になっちゃうと、肩をグンとはずして伸ばすのも、手首を変化させるのもなかなかできないんですよ。だからいつもより那須川選手のパンチが当てづらくなるんですよね。
    ――距離が詰まると那須川選手はかなり戦いづらくなってしまったと。
    鈴木 一番効く攻撃が何かというと、やっぱり“見えない攻撃”なんですよ。つまりカウンター。前田日明さんが安生洋二さんに後ろから殴られたときに、あれは“見えない”から倒れるんですよ。
    ――よく大沢ケンジさんも「パンチって、もらおうと思ったら効かない」と言ってますね。
    鈴木 ただですね、恐ろしいのは、ロッタン選手にはその“見えない攻撃”が効かないんですね。
    ――どういうことですか?
    この続きと、マサ斎藤、マシン引退、天心vsロッタン、北原光騎、WWEvs新日本……などの記事がまとめて読める「11万字・記事19本の詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/article/ar1639388
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  • 舞台裏でガチンコ勝負! UFCとWWEの放映権はこうして売りさばかれた
■MMA Unleashed

    2018-07-27 13:20  
    65pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマは「舞台裏でガチンコ勝負! UFCとWWEの放映権はこうして売りさばかれた
」です!<1記事から購入できるMMA Unleashedオススメコラム>・いったい何が起きているのか? パンクラス計量シーンに米MMA記者が猛然と激怒!
    ・ロンダの異常な愛情、または如何にして柔道を捨ててボクシングを愛するようになったか ・【内幕記事に騒然!!】世界一のエンタメの舞台裏には、ビンス・マクマホンの恐怖政治があった
    ・米国女子MMAは、いちローカル団体の冒険から始まった…『フックンシュート』、22年の歴史に幕をおろす

    UFCとWWEの売上で大きな部分を占める米国でのテレビ放映権料の契約が、今年5月に相次いで更新されたことは本欄でもすでに詳報した。UFCは 、契約期間5年、放映権料総額15億ドルでESPNと契約を締結(年間平均3億ドル)、WWEは契約期間5年、総額23億5000万ドルで、RawについてはNBC Universalと(年間2億6,500万ドル)、SmackdownについてはFOXと(年間2億500万ドル)の契約を締結した。
    その後米国のメディアでは、これらのビッグディール交渉の経緯や背景について論じる記事が散見された。筆者も興味を持って目を通しているのだが、読めば読むほど強く思うことは次のようなことである。つまり、UFCとWWEといえば、確かにパンツ一丁で行う試合を売っているという大きな共通点はあるものの、競技としては実のところは全く正反対の作業をしており、かたやスポーツ、かたやエンターテインメントを標榜(ひょうぼう)しているはずなのだが、少なくともテレビ放映権交渉の世界では、完全に競合商品・ライバル・代替品として扱われているということだ。
    そのことを示すエピソードには次がある。
    この続きと、マサ斎藤、マシン引退、天心vsロッタン、北原光騎、WWEvs新日本……などの記事がまとめて読める「11万字・記事19本の詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/article/ar1639388
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  • やっぱり面白かったQUINTETを分析! 中井祐樹「10th PLANETはグレイシー一族に通じる」

    2018-07-27 12:57  
    70pt
    エディ・ブラボー率いる10th PLANETが制したグラップリング団体戦QUINTET2。中継の解説者を務めた中井祐樹先生にその面白さをまたまた語っていただきました〜!!【1記事から購入できる関連企画】■中井祐樹、「QUINTETの面白さ」と「グラップリングのあり方」を語る■キャッチはどこへ消えたのか? 宮戸優光×中井祐樹「プロ・レスリング」の文化と競技論■【原理主義の親玉に訊く】「中井さん、なぜそこまで強さを追求するんですか?」■中井祐樹☓大沢ケンジ――今回も面白かったQUINTET2ですが、中井先生はどのチームに注目してたんですか?
    中井 台風の目は石井慧選手のチームTEAM VAGABONDのジョアオ・アシスだと思ってたんですよ。
    ――アブダビコンバット(ADCC)王者の柔術家ですね。
    中井 1人も抜けずに分けられてしまいましたね。「TEAM VAGABOND」にはサンボの世界チャンピオン(アンドレイ・カズショナク)、柔道のオリンピックチャンピオン(石井慧)、ADCCのチャンピオンがいたんですよ。その3人が揃っていても優勝できなかった。そこは組み合わせの妙があったりしますよね。 
    ――チーム戦ならではですね。すると中井先生は「TEAM VAGABOND」の優勝を予想していたんですか。
    中井  10th PLANETが優勝すると予想していた人は多くて「圧勝じゃないですか」と。TEAM VAGABONDが強いのでギリギリじゃないかな……と思ってたんですね。
    ――10th PLANETは大将対決のレフェリー判定でTEAM VAGABONDを破りましたね。
    中井 ギリギリの勝利でした。TEAM VAGABONDのカズショナクが中堅対決をヒザ十字で抜いたときは、10th PLANETはこのまま敗退するんじゃないか……というムードになりましたよね。
    ――ところが10th PLANETの大将アダム・サックノフがカズショナクをRNCで仕留め、大将戦に持ち込んで。カズショナクがここで分けていればTEAM VAGABONDの1回戦突破は濃厚でしたが……。
    中井 強い選手が抜いたとき次の試合を分ける……というのがじつは難しいんですよね。このクラスの選手たちは「守る」ということをしなくてもいいくらい強い方々なので。守りに入った場合、いつもの力が発揮できなくなるケースはありがちなんですね。だって誰が彼らを亀の態勢にできるんだ?って話じゃないですか。
    ――ああ、なるほど(笑)。実力者が分けを狙うのは意外と難しいんですね。
    中井 「絶対に分けなきゃいけない状況」と「絶対に抜かなきゃいけない状況」は違うんですよね。一本を取れるポイントゲッターが逆に抜かれることもあるんですよ。
    ――その勝負のアヤが10th PLANET薄氷の勝利を生んだと。
    中井 10th PLANETとTEAM VAGABONDの大将戦の指導数は同じ、チーム全体の指導数も同じ……ということで大将戦の試合内容でジャッジしましたね。でも、チーム全体の試合内容を見たらTEAM VAGABONDのほうがやや優勢かな……という説があるのはわかります。
    ――あー、チーム全体だとそういう見方も出てきますね。
    この続きと、マサ斎藤、マシン引退、天心vsロッタン、北原光騎、WWEvs新日本……などの記事がまとめて読める「11万字・記事19本の詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/article/ar1639388
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  • 追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で■斎藤文彦INTERVIEWS

    2018-07-25 12:17  
    108pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「追悼・マサ斎藤さん」です! イラストレーター・アカツキさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー
    ■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう ■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
    ■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る■『1984年のUWF』はサイテーの本!
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」


    ■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る

    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

    ■超獣ブルーザー・ブロディ

    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
    ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜




    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 
    ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
    ■「現場監督」長州力と取材拒否■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか――フミさんはマサさんとの付き合いは相当長いんですよね。
    フミ ボクがミネソタの大学に通っていた21歳のときに、マサさんがミネアポリスを本拠地とするAWAに転戦してきて知り合ったんです。かれこれ35年もお付き合いをさせていただいて、マサさんからいろんなことを教わりましたし、ケン・パテラの事件で刑務所に入ったときは冬と春に2回、面会にも行ったことがあるんですよ。
    ――貴重すぎる経験ですね!(笑)。
    AWA時代のマサさんと、大学生時代のフミ斎藤フミ ボクが「フミ斎藤」を名乗るようになったのは小学生の頃で、日本プロレスの第14回ワールドリーグ戦にマサさんが凱旋帰国したときからなんです。そのときからボクはフミ斎藤を名乗り、やがて本物のマサ斎藤さんとアメリカで出会うことになるんですね。
    ――斎藤姓の人間の多くがあだ名やニックネームで「◯◯斎藤」と名乗るきっかけは、プロレスラーのマサさんなんでしょうね。
    フミ マサさんは1942年8月7日生まれの75歳でした。でも、なぜかアメリカのウィキペディアでは2月1日生まれの76歳と書かれていて、アメリカのプロレスメディアやファンのあいだでは年齢に関する議論も行なわれたりしてたんですね。
    ――レスリングで東京オリンピックに出場したマサさんは日本プロレス入りしますが、1年足らずで離脱しちゃいますね。
    フミ 日本プロレスの内部の封建的なタテ社会に嫌気が差したところもあったんでしょうね。東京オリンピックから日本プロレスに入ってドロップアウトしたのは2人いるんです。マサさんとサンダー杉山さん。杉山さんは国際プロレスに移籍しますが、マサさんは東京プロレスに移ります。
    ――そこで運命のライバルとなる猪木さんと出会うんですね。
    フミ 日本プロレスを追放された豊登さんが、2年間の海外修行を終えて帰国の途中だった当時23歳の猪木さんを誘って東京プロレスを旗揚げします。猪木さんと同じ23歳だったマサさんも、なんの迷いもなく東京プロレス入りしますが、あとになってから話を聞くかぎり「最初からアメリカに行くつもりでプロレスラーになった」と。プロレスラーとしてアメリカに永住するつもりだったそうなんです。
    ――日本のプロレス界に留まるつもりはなかったんですね。
    フミ 興味深いのは、東京プロレス旗揚げ前の準備期間の4ヵ月間、猪木さんとマサさんはハワイでルームメイトだったんですよ。アパートの部屋をシェアしてたんです。
    ――若き猪木さんとマサさんがルームシェア!
    フミ そこの出会いがのちにいろいろと繋がっていくんですが、猪木さんは昭和18年2月生まれ、マサ斎藤さんは昭和17年8月生まれ。学年は一緒なんですがマサさんは最初に会ったときから猪木さんのことを尊敬していたそうなんです。
    ――同世代から見ても猪木さんはカッコよかったんですね。
    フミ そのときのマサさんのキャリアは1年ちょっとで、猪木さんはキャリア6年の先輩。猪木さんはアメリカで武者修行してきたことで英語がペラペラでしたし、アメリカでウエイトトレーニングやっていたから身体つきもかっこよかった。当時のマサさんはポッチャリとした体型でしたから、猪木さんの身体を見て「俺もウエイトトレーニングをやらなきゃいけない」と思ったそうなんです。
    ――マサさんのウエイト好きは猪木さんから! いろいろと繋がっていきますね。
    フミ ボクはマサさんと1983年にミネソタで出会ってから、マサさんに何度も何度も日本とアメリカのプロレスの話を聞いたことはあるんですけど、猪木さんの悪口を言ったことは一度もないんです。それだけ猪木さんのことが大好きだったからこそ、試合ではタッグを組むのではなくて対角線のコーナーに立ちたかったんでしょうね。
    ――猪木さんの“ライバル”として存在を示したかった。
    フミ 東京プロレスは2シリーズだけで潰れてしまいました。それからマサさんはアメリカに渡ることになりますが、ビザを取るために半年ぐらいブランクがあって。そのあいだマサさんは木村政雄、のちのラッシャー木村さんと半年間ルームシェアをしていたんです。 
    ――猪木さんの次はラッシャー木村さんとルームシェア!(笑)。
    フミ 木村さんは1941年生まれで猪木さんより年齢はふたつ上。ルームシェアした2人が猪木さんのライバルとして一時代を築くのは運命的ですよね。マサさんは念願のアメリカに渡りますが、マサさんのアメリカの本拠地といえばAWAというイメージが強いですよね。でも、マサさんがAWAに来たのは1983年のこと。1967年に渡米して16年近く経ってからで、その頃のマサさんはもう41歳なんですよ。
    ――円熟期の時代だったんですね。
    フミ 30代のマサさんが一番気に入っていたテリトリーはフロリダです。気候は温暖で、天龍源一郎、キラー・カーンら日本人レスラーもよく遠征していた土地ですし、試合は毎日あって、車での移動でどこの会場でも日帰りで家に帰ってこられる。でも、一番長くいた場所はどこかといえば、サンフランシスコなんです。いまのプロレスファンからすれば、サンフランシスコはいまいちピンとこない場所だと思いますが、1963年から1983年までの20年間、ビッグタイム・レスリングというプロモーションが活動してたんです。そこでキンジ渋谷という日系アメリカ人とタッグを組むんですが、キンジ渋谷はマサさんより12歳ほど年上で、試合では8割方リングの中にいるのがマサさん。ロサンゼルスでは日本から遠征してきたジャイアント馬場さんとも試合をしてますね。ジャイアント馬場&ジョン・トロスvsマサさん&キンジ渋谷のケージマッチという試合がありました。
    ――アメリカとは思えないほどの日本な組み合わせですね。
    フミ 当時の日本人レスラーといえば、ニヤニヤお辞儀をしながら相手を後ろから襲う。いわゆるパールハーバーの奇襲攻撃ですね。マサさんもそれまでの日系レスラーどおりのファイトしていたそうです。後ろから相手の両肩を掴む頸動脈クローや地獄突きを使ったり。
    ――ボクなんかは晩年のマサさんの試合しか見たことないんですが、最初からうまかったんですか? 
    フミ そこは対戦相手から学ぶところが多かったみたいですね。たとえばサンフランシスコにはレイ・スティーブンスという名レスラーがいたんですが、ニック・ボックウィンクルさんが「レイは俺の何十倍も才能あった」と。あのニックさんがそこまで褒めるレスラーだったんです。
    ――天才が褒める天才ですか。
    フミ レイ・スティーブンスは激ウマのプロレスラーがホレるプロレスラーの典型で、コーナーポストに飛ばされたときに逆さまに落っこちてエプロンに立つのはこの人が始めた動き。何か技を食らったあとにペタペタペタ歩いてバタンと前から倒れる。リック・フレアーでおなじみの動きも、レイ・スティーブンスがやりだしたんです。
    ――フレアーはレイ・スティーブンスのフォロワーだったりしたんですね。 
    フミ そんな激ウマなレスラーがいて、黄金テリトリーでお金も稼げる。サンフランシスコは最高の生活だったみたいですね。ただ、アメリカの場合はひとつの土地に何年も留まることはできないんですよね。だからサンフランシスコを北上してオレゴンに行ったり、さらに北に向かってカナダ・バンクーバーのジン・キニスキーのマーケットで戦ったり。あの時代のマサさんは相当稼いだみたいで、ゲームセンターのオーナーだったんです。 
    ――ゲームセンターのオーナー!(笑)。
    フミ それとサンフランシスコにアパート一棟、所有してたんですね。アメリカでは最も長い期間、活躍した日本人レスラーだったんです。
    ――たしかにほかの日本人レスラーは途中で帰国しちゃいますね。
    フミ マサさんも1979年、つまり昭和54年に1年間だけ日本を主戦場にしていたときがあったんですけどね。新日本プロレスでお正月から年末まで外国人サイドのレスラーとして毎シリーズ参加しました。そのあとはアメリカを主戦場としながらたまに来日にしてたんですが、80年代初頭にはもう一度フロリダに戻り、そこでは素人が挑戦してきたときに相手をする役割なんかもやっていて。
    ――用心棒だったんですか!
    フミ 「マサだったら大丈夫!」とプロモーターは任せていたんでしょうね。それぐらいの実力者だったんですね。
    ――実際に素人が挑戦してくるんですか?
    フミ プロレスラーより身体が大きいレスリングの選手や、フットボールプレイヤーたちですよね。あとはプロレスがフェイクだと思ってる人間。そういった連中をマサさんが軽くひとひねりすることで「レスリングはフェイクじゃない」と証明するんです。
    ――興行の宣伝にもなるんですね。
    フミ これはマサさん本人も語ってきませんでしたが、マサさんがイラスト化されると斜視気味に描かれますよね。じつはマサさんは右目が見えていなかったんです。
    ――ああ……。
    フミ 試合中のアクシデントで右目の視力を失ってしまったんです。それも日本プロレス時代というキャリアとしては早い時期に。 
    ――そうだったんですか……いったい何があったんですか?
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  • 新日本プロレス、ついにMSG進出! WWEは報復発動か?

    2018-07-19 21:12  
    70pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマは「新日本プロレス、ついにMSG進出! WWEは報復発動か?」です!<1記事から購入できるMMA Unleashedオススメコラム>・いったい何が起きているのか? パンクラス計量シーンに米MMA記者が猛然と激怒!
    ・ロンダの異常な愛情、または如何にして柔道を捨ててボクシングを愛するようになったか ・【内幕記事に騒然!!】世界一のエンタメの舞台裏には、ビンス・マクマホンの恐怖政治があった
    ・米国女子MMAは、いちローカル団体の冒険から始まった…『フックンシュート』、22年の歴史に幕をおろす
     
    7月13日、新日本プロレスと米Ring of Honor(以下、ROH)は、2019年4月6日にニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデン(以下、MSG)で、合同興行『G1 Supercard』を開催することを発表した。
    MSGが1968年に現在の場所に移ってきて以来、この会場のメインアリーナでWWE以外のプロレス大会が開催されるのは史上初めてのこととなる。全盛期のWCWですら、MSGはWWEとの関係を重視し、会場使用を許可してこなかったのだ(なお、9月にメキシコのAAAがMSG大会を開催するとの報道もあったが、これまでのところ、団体からの正式発表は行われていない)。
    大会開催のタイミングも興味深い。4月6日といえば、MSGがあるマンハッタンからハドソン川を渡ってすぐ、ニュージャージー州のメットライフ・スタジアムでWWEが『レッスルマニア35』を開催する前日であり、ブルックリンのバークレイズ・センターで開催される『NXT Takeover』大会と同日の開催となる。つまり『G1 Supercard』は、単なる新日本の米国大会の1つというよりは、WWE年間最大の祭典というタイミングで、WWE御用達(ごようたし)の会場に直接乗り込むという、極めて挑発的な意味を持つ興行なのである。
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  • 【追悼・獄門鬼】谷津嘉章「巌流島で猪木さんと向き合えるのはマサさんしかいなかったよな」

    2018-07-19 11:33  
    75pt

    レスリングオリンピック代表からプロレスに転向、新日本プロレス、ジャパンプロレス、全日本プロレス、SWS、SPWF、PRIDE出場……流浪のプロレス人生を送ってきた谷津嘉章がすべてを語るインタビュー連載の第5回! 今回は先日お亡くなりになったマサ斎藤さんの素晴らしき思い出と、WJプロレスの忌まわしき思い出について!
    <谷津嘉章インタビューシリーズ>

    ①デビュー編「ガチだったら楽だけど、そうじゃないから」

    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1119227

    ②80年代編「昭和・新日本のプロレスは早漏なんですよ」

    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1140634

    ③SWS編「田中八郎が俺に言ったんだよ。SWSを潰してくださいってね」
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1334578④興行という灰色の世界を語る――「プロレスとヤクザ」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1459427谷津  マサさん、亡くなっちゃったねぇ。
    ――突然のことでビックリしました……いや、闘病中で75歳という高齢ではあったんですが。
    谷津 みんなもういい歳だよね。猪木さんはマサさんの同学年でしょ。猪木さんは元気だなあ。悪者は元気なのかな(笑)。
    ――ハハハハハハ! 猪木さんも体調はそこまでいいわけじゃないみたいですけどね。
    谷津 だけども、こんなに暑いのに赤いマフラーとか巻いてるでしょ。72歳のキラー・カーンなんかフラフラで大変だよ。それと比べたら猪木さんはまだまだ元気ですよぉ(笑)。
    ――谷津さんはマサさんは古くからの付き合いでしたよね。
    谷津 維新軍の頃からの関係ですよ。あの人はね、ナチュラルなんですよ。
    ――ナチュラル?
    谷津 自然体。いまの言葉でいえば天然だな。他人とは別のところに執着心を持っていて、たとえば筋肉フェチ。「マサさん、ちょっと二頭筋が落ちたんじゃないんですか?」なんて言ったらもう大変だよ。「おお、そうか?」ってトレーニングをガンガン始めるんだよね(笑)。 
    ――軽々しく筋肉には触れられなんですね(笑)。
    谷津 アメリカでの生活が長かったこともあって、食にも強いこだわりを持ってたよね。炭水化物をいっさい取らないでプロテインばっかり。ゆで卵1日20個くらい食べて、あとは鶏肉。自分の肉体のことにしか興味がなくて、世の中の動向のことがよくわかってない。
    ――マサさんが活躍していた頃のアメリカって筋肉信仰全盛期でしたもんね。谷津さんはマサさんからどんなことを教わったんですか?
    谷津 マサさんは腕一本でアメリカを渡り歩いてきたでしょ。レスラーとしてのプロスピリットは教わったよね。絶対にギブアップするな。ヨカタ(一般人)にはケンカには負けるなとか。
    ――プロレスラーとしてナメられるってことですね。
    谷津 だってケン・パテラの事件のときなんて警官相手に大暴れしたんだよぉ。
    ――警官に立ち向かうなんて、銃で撃たれてもおかしくないですよね……。
    谷津 あのときは何が起きているのかマサさんもよくわかってなかったみたいだけどね。寝てるときにピンポンって鳴ってドアを開けたら、いきなり警官に襲いかかられるわけだからね。
    ――条件反射で反撃しちゃったんですねぇ。
    谷津 あの事件で1年半近くアメリカの刑務所に入れられたでしょ。長州力とタイガー服部と3人で面会に行ったんですよ。
    ――そのときのドキュメント番組、見たことあります。
    谷津 出所したときにマサさんが維新軍団に入るという流れでね。帰国したときにマサさんから“宿題”を出されたんですよ。「復帰戦で使う新しい必殺技を考えてくれ」と。それも固め技。
    ――「刑務所で編み出した必殺技」ということですよね。
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  • 「アメリカの大仁田信者」マット・トレモントの奇跡■アメプロインディ通信「フリーバーズ」

    2018-07-16 12:11  
    65pt

    アメリカのインディプロレスの“現在”を伝える連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます! 今回のテーマは「アメリカの大仁田信者マット・トレモントの奇跡」です!
    <1記事から買える関連記事>・ザンディグはどこに消えたのか……血と闇を抱えたデスマッチヒーロー・男vs女はドメスティックバイオレンスを連想させる?…ミックスドマッチ事情・10メートルの高さから、蛍光灯と有刺鉄線の塔へ飛び降りろ!・CMパンク、おまえはそんなところで何をやってるんだ?・これはなんだ? レッスルマニアの裏側で「2018年のUWF」開催!!・【#MeToo】マイケル・エルガンはすべてを失ってしまったのか
    「夢まであともう一歩だというのに、オレはこんな所で何をしているんだ!!」
    2017年、真夏のニュージャージー。マット・トレモントは、病院のベッドの上で、白い天井を見つめながら「これがどうかただの悪夢でありますように……」と神に祈った。
    決戦は8月5日土曜日。憧れのあの人が、もうすぐ日本からやって来て、子供の頃からの夢だった“電流爆破デスマッチ” が実現するのだ。決戦の1週間前に腕の痛みを訴え、急遽入院。検査の結果、ブドウ球菌感染症だとわかった。かなり重症化しており、このままだと壊死を伴う可能性があるため、医者からは腕の切断をも迫られていた。
    「腕の一本ぐらい、くれてやる!」
    絶望的な状況の中、長年の夢を目の前にして悩んでいる暇はなかった。決戦の2日前に、止める妻(事実婚)や医者を振り切って、退院へと強硬手段に出た。
    ニュージャージー州アトランティックシティ出身で、現在30歳のマット・トレモントは、アメリカ四大デスマッチトーナメント制覇という、デスマッチ・グランドスラムを達成した唯一のレスラーである。
    2010年前後に、ザンディグやワイフビーター、JCベイリー、ブレインダメージらが、引退や自殺、逮捕と、それまでデスマッチ界で中心にいたレスラーたちが次々といなくなった。そんな中、トレモントは、MASADA、ダニー・ハボックら、デスマッチ新世代レスラーたちと共に、業界を牽引していった。誰よりも多くの血を流し、誰よりもハードなバンプをとり、“米デスマッチの顔”として、デスマッチの火を消すことなく、さらなる次元へと昇華させてきた。
    デスマッチの歴史を塗り替えるほどの様々な勲章を手にしてきたトレモントだったが、どうしても実現したい夢があった。それは近代デスマッチ、ハードコアの始祖、大仁田厚と対戦することだった。13歳の時からファンだった大仁田と対戦するチャンスは、もしかしたらこれが最後になるだろうと思ったトレモントは、自分の夢に向けて、大胆な行動に打って出た。
    この続きと、マサ斎藤、マシン引退、天心vsロッタン、北原光騎、WWEvs新日本……などの記事がまとめて読める「11万字・記事19本の詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/article/ar1639388
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  • SKE48須田亜香里アイアンマンベルト奪取の衝撃は……!?■事情通Zの「プロレス 点と線」

    2018-07-16 11:49  
    65pt
    プロレス業界のあらゆる情報に精通する事情通Zの「プロレス 点と線」――。今回のテーマは「森嶋猛復帰」「SKE48須田亜香里アイアンマンベルト奪取」「ケニーvs飯伏で何かが起こる?」についてです!【1記事から購入できる6月過去記事ランキング】1位【人生最終回】安田忠夫「もうすべてがイヤになったから、練炭自殺したんだよ……」
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    ――Zさん、ドント・ストップだコノヤローな出来事です! 森嶋猛が現役復帰しました!!
    事情通Z いやあ、森嶋選手の復帰は全然耳にしていなかった。業界でもとくに噂になってなかったよ。2015年にNOAHを退団後、いろいろな仕事を転々としたあと現在は名古屋にいるらしい。BARで働いていたらローカルインディー団体関係者から「コーチをしてくれないか」と頼まれて。指導をしているうちにプロレスの熱が再燃していったと。
    ――引退理由もよくわからなかったですよね。
    Z 謎だった。糖尿病で身体がボロボロという話だったけど、精神的にもまいってたのかな。NOAHで引退試合をやると発表したのに結局中止になったり。
    ――Facebookでもデンジャラスな投稿を繰り返していましたねぇ。
    Z NOAHとトラブルになった……というよりは、身体的にも精神的にも大変だから引退試合は取りやめになったっぽい感じがする。今回の復帰にあたり、あのとき引退したのはドクターストップが理由じゃないと言い出してるんだけどね。
    ――あの当時のNOAHっていろいろと大変でしたし……。
    Z 森嶋選手はNOAHの取締役だったときもあるし、いろいろとあったんだろうね。復帰興行を手がけるのは古巣のNOAHではなく、長州さんのプロデュース興行なども主催しているエス・ピー広告株式会社。元・新日本プロレスの執行役員だった武田(有弘)さんが動いている。
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