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2025年6月の記事 4件

安藤光義氏:備蓄米が安く放出されても「コメ問題」が解決したわけではない

マル激!メールマガジン 2025年6月25日号 (発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ ) ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― マル激トーク・オン・ディマンド (第1263回) 備蓄米が安く放出されても「コメ問題」が解決したわけではない ゲスト:安藤光義氏(東京大学大学院農学生命科学研究科教授) ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  小泉進次郎農相が随意契約による安価な備蓄米の放出を一気に進めたことで、「令和のコメ騒動」とまでいわれた一連のコメ問題は、とりあえず一息つける状態になったかに見える。  「令和のコメ騒動」では、コメの値段が1年前の倍以上の金額に高騰し、一部の地域ではコメが手に入りにくくなるなどの問題が起きた。これはコメの需給バランスが崩れたことから起きた問題だった。コメの需要に対して供給が不足したのでおのずと値段が上がり、「騒動」にまで発展したのだった。  しかし、問題はなぜコメ不足が起きたのかということだ。単に冷害や台風などで取れ高が減ったのであれば、一時的に備蓄米を放出して供給を増やせば問題は解決する。とはいえ、そもそもコメの生産が需要を下回った最大の原因が、政府による生産調整、つまり減反にあったとすれば、一連のコメ不足が実は人災だったということになる。  今回コメ不足が起きた背景には、日本のコメ政策、ひいては日本の農業政策の根本的な失敗があった。今回のコメ騒動を奇貨として、日本の農政の失敗を検証し、問題点を改めなければ、ちょっとした気象条件や国際環境の変化によって、再びコメ不足に陥る可能性は十分にある。  日本のコメをめぐる問題は大きく2つある。1つは実質的にコメの生産調整が今も続いていること。減反である。そして、もう1つは小規模な兼業農家が数の上では圧倒的多数を占める、非効率的な農業構造が温存されていることだ。これらが日本の農業の競争力を奪い、結果的に食料安全保障を脆弱なものにしている。その、いわば本質的な問題が、コメ不足という現象によって明らかになった。  安倍政権下の2013年、政府は5年後の「減反廃止」を宣言したが、それは名ばかりのもので、2018年以降も実質的な減反は続いてきた。人為的に生産を抑えることで、コメの価格を維持することが、減反の第一義的な目的だった。もともと減反によって生産が抑えられているところに、猛暑による2023年産米の品質の低下やコロナ後のインバウンド需要の回復など複数の要因が重なった上に、南海トラフ地震への注意を呼びかける臨時情報によって一部の消費者がコメの買いだめに走ったために、コメの需給バランスが大きく崩れた。  しかし、そもそもコメの値段が下がらないようにするために、コメが不足もしないし過剰にもならないギリギリの状態を維持しようとすれば、わずかな外的要因の変化によってたちまちコメの供給不足が起きることは避けられない。減反を続けている限り、いつまた価格高騰やコメ不足が起きてもおかしくないのが日本の農業の実情なのだ。  さらに、日本のコメ農業は収益性の低い小規模な農家が圧倒的に多い。小さな田んぼが散らばっていれば大型機械の導入などが難しく、効率が悪くなる。そのため減反によって価格維持を図っていても、赤字経営に陥っている小規模農家は多い。  隣接する田んぼを集約し大規模化を進めれば生産コストを下げることができる。農水省も食料安全保障の観点から農業の大規模化を進めているが、実際にそれを実現するためには構成員の多くを小規模農家が占める農協(JA)や自民党の票田など、いわゆるコメ利権に切り込むことになるため、少なくとも従来の自民党政権ではこれを変えることは難しかった。  しかし、そもそも日本の農業が置かれている状況は、そんなことを言っていられるほど安泰ではない。日本の食料自給率はカロリーベースで38%と、先進国としては最低水準にある。コメ離れなどと言われて久しいが、その一方で、需要が増え続けている小麦の自給率は15%にとどまる。世界の穀倉地帯と呼ばれるウクライナで戦争が起きた途端に、日本中でパンやパスタが一斉に値上げされたことは記憶に新しいはずだ。その上、コメの自給までが困難になれば、日本の食料安全保障は決定的に脆弱なものとなる。  減反をやめればコメの値段が下がり、少なくとも一時的にはコメ余りが起きるかもしれない。そうなると輸出に活路を見出すしかない。政府は今年4月、コメの輸出量を2030年までに約8倍に拡大する目標を打ち出しているが、効率の悪い小規模農家が多く残る現在の日本のコメの生産コストは、アメリカや中国、タイなどの他のコメ生産国と比べてもかなり高く、アメリカの4倍以上だ。日本は輸入米に1キロあたり341円の関税をかけているが、関税分を上乗せしてもアメリカ産のコメの方が安い値段で消費者に届く。 農業政策が専門の安藤光義・東京大学大学院農学生命科学研究科教授は、現在の価格競争力ではコメの輸出は難しいだろうと語る。  今後、高齢の小規模農家の離農はますます進むと見られる。その結果、長期的には国内でコメの需要を賄えなくなる恐れもある。コメの自給を維持するためには、特に小規模なコメ農家が多い東北地方で小規模農家が離農した後の田んぼを大規模農家に集約できるかどうかがカギになると、安藤氏は語る。  コメ価格の高騰はなぜ起きたのか。コメ騒動の背景にある日本の農業の構造問題とは何か。コメ騒動を奇貨としてその構造問題に切り込めなければ、日本の食料安全保障が危ういのはなぜか、などについて、東京大学大学院農学生命科学研究科教授の安藤光義氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 今週の論点 ・コメの生産調整は事実上いまも続いている ・随意契約による備蓄米放出の是非 ・コメ農家の減少と食料安全保障 ・持続的な農業のための構造改革の必要性 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ■ コメの生産調整は事実上いまも続いている 神保: 今日は6月18日の水曜日、コメの問題をもう一度取り上げたいと思います。前回コメ問題について話してから、小泉農相が登場し、随意契約による備蓄米の放出がありました。本来であればコメ行政を見据えて必要な改革を行うチャンスなのですが、日本ではそれを奇貨とできず、問題がすり替えられてしまいます。令和のコメ騒動とまで言われているのに、単に備蓄米が放出されてコメが安く買えて良かったというだけで終わってしまうわけにはいきません。 宮台: 現象に一喜一憂するのではなく、構造的な問題を憂慮しなければなりません。 神保: 結局は構造的な問題が原因なのに、それが複雑でかつ利害関係が巣食っているので、手をつけようとすると政治的にもメディア的にも色々と痛手を負います。それを避けるために現象に逃げているという動機もあると思います。それならばコメ問題をしつこくやっていきたいと思い、今回あらためて農政の専門家に来ていただき、何をどうしなければならないのかを伺いたいと思います。 宮台: 生態学的思考が大事です。確かに原因や結果が見えていたとしても、因果関係自体がある前提の上に成り立っているということがあるので、その前提が本当に成り立っているのかということを絶えず検証しなければなりませんし、さらにその前提で良いのかどうか検証しなければなりません。 神保: こうすればもっと安くなるという市場原理はありますが、食の問題は最後には安全保障に関わります。コメ以外の穀物の輸入依存度が高い中で、コメは自給できています。単純に市場原理に従って輸入などをしてしまえば安くはなるのかもしれませんが、それで良いのかどうかという問題もあり、その一方、今度はそれを理由にして意味不明な保護が何重にも出てくることで必要以上に価格が上がってしまうということもあります。 宮台: 全ての保護は利権の保護です。しかし、どの利権を保護することでどの利益が奪われるのかという計算が難しいですよね。 神保: 利権の中にもいわば消費者にとって意味のある利権と意味のない利権があるので、そういうことも含めて問題の本質に近づいていきたいと思います。ゲストは東京大学大学院農学生命科学研究科教授の安藤光義さんです。安藤さんには2013年の安倍政権の時にも出演していただき、その時の番組タイトルは「『減反廃止』で日本の農業は生き残れるか」というものでした。実際には廃止になっていないのですが、形式上は廃止すると言っていたのでそういう番組を作りました。結局、12年経っても減反をどうするのかという問題は残っているのでしょうか。 安藤: はい。米価を維持するために減反が続いています。 神保: もともと食管法は安いお米をきちんと提供するために政府が買い上げ、それを配給のように市場に流すというようなもので、戦争中にできた制度でした。しかし、コメの自給ができるようになりコメが余り始めると、政府の買い上げでは財政的な負担が増してしまうので、生産調整を行ったという理解をしていました。 しかし、今は減反の目的は価格維持だと当たり前のように言われています。減反の目的はどこからコメの値段が下がらないようにすることになったのでしょうか。 

田中辰雄氏:SNS選挙に踊らされないために

マル激!メールマガジン 2025年6月18日号 (発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ ) ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― マル激トーク・オン・ディマンド (第1262回) SNS選挙に踊らされないために ゲスト:田中辰雄氏(横浜商科大学商学部教授) ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  国会は6月22日の会期末を控え、各党とも閉会後に待ち受ける選挙シーズンに向けた臨戦体制に入っている。6月22日に東京都議会議員選挙、7月20日には参議院議員選挙という2つの重要な選挙が予定されているからだ。  ところで、選挙に関しては近年一つ気になる現象が起きている。SNSを巧みに活用した勢力が、軒並み党勢を拡大しているのだ。アメリカでも2016年の大統領選挙ではFacebook上でケンブリッジ・アナリティカなどが暗躍し選挙結果に影響を及ぼしたことが問題視されたことがあったが、いよいよ日本も本格的なSNS選挙の時代に突入したようにも見える。  特に2024年はSNS選挙の年だった。7月の東京都知事選で元安芸高田市長の石丸伸二氏が、現職の小池百合子知事には及ばなかったものの、全国的に知名度の高かった蓮舫氏を抑えて堂々2位に入る大健闘をしたのに続き、10月の衆院選では「手取りを増やす」をスローガンに積極的なSNS選挙を展開した国民民主党が、議席を4倍に増やす大躍進を遂げた。 そして11月の兵庫県知事選では、パワハラ疑惑で議会から不信任され失職に追い込まれた上に、既存のメディア上では徹底的に叩かれながらSNS選挙に活路を見出した斎藤元彦知事が予想外の再選を果たすなど、SNSが実際の投票行動に大きな影響を与える選挙が相次いだ。  石丸氏のケースも国民民主党や兵庫県知事選のケースも、投票行動に影響を及ぼしたのはYouTubeで拡散された動画だった。特に、候補者自身や政党が投稿した公式の動画よりも、ネット上に流通する無数の動画の中から第三者がもっともインパクトがありそうな「肝」の部分だけを短く抜き出した、いわゆる「切り抜き動画」が次々と投稿・拡散され、それが有権者の投票行動を大きく左右していたことが後の調査などでわかっている。  切り抜き動画を作成して投稿する第三者の中には、元々その政治家や政党を支持しているわけではなく、単にアクセスを稼いで収益を得る目的の人も多く含まれていた。彼らは政治に限らず、どんな映像をどのように加工して投稿すればアクセスを稼げるかを熟知していた。また、SNSで拡散された情報は、元々マスメディアに懐疑的で、主たる情報源をネットに求めている若い世代の票の掘り起こしに特に有効だった。  SNSによって、とりわけ若い世代にとって政治がより身近なものになること自体は良いことかもしれない。しかし、SNSが選挙結果を大きく左右するようになることには大きな問題もある。SNS上では誰でも等しく発言が認められるため、真面目な意見が過激で極端な意見に圧倒され隅に追いやられてしまう傾向が目立つ。 また事実関係が怪しい情報も多く流布している。特に選挙については、いざ選挙期間に入ると、公職選挙法によってテレビや新聞といった既存のメディアの選挙報道が厳しく制限されているのに対し、ネットにはほぼ何の規制もないため、投票日直前の選挙情報はほぼネットの独壇場となる。  また、いわゆる「ネット世論」が実際にはほんの一握りのヘビーユーザーが発火点となって広がっていることも問題だ。計量経済学が専門でネット選挙の現状に詳しい田中辰雄・横浜商科大学商学部教授が2016年に行った調査によると、ネット上のいわゆる「炎上」に参加した人は全インターネットユーザーの0.7%に過ぎなかった。しかし、この0.7%があえて炎上を意図したような過激な投稿を繰り返し、それが拡散されることによってネット世論が作られていく傾向があるという。  過去1年に11件以上のネット炎上に参加し、51回以上の書き込みをしたことがあるヘビーユーザーを、田中氏は「スーパーセブン」と名付けているが、現状ではネット上で一般ユーザーがスーパーセブンなどの過激な発言を目にしないでも済む仕組みが整備されていない。 そのため中庸な意見の持ち主や真面目な議論を期待する人々はネットから退場してしまう傾向がある一方で、特にネットを使い慣れていない人やネット上の極論やネット特有の「煽り」や「釣り」に対して十分な免疫が形成されていない人は、そうした過激な、そして必ずしも正確ではない言説を鵜呑みにして、踊らされやすい傾向にある。選挙においてはそれが民意を歪めてしまうことにもなりかねない。  ただし、民主主義は言論の自由が保障されていることで初めて成り立つものであり、いたずらに言論を規制すべきではないことは言うまでもない。事業者に偽情報の削除を義務付ける法律などが整備されつつあるが、特に政治的な意見などはそもそもそれが偽情報かどうかの判断が難しい場合も多い。  言論の自由を保障しつつ、ネットによる少数のユーザーの意図的な「炎上商法」に振り回されないために、われわれは何ができるのか。田中氏は、ネット上にメンバーシップ制のコミュニティを作ることがネット上の議論の極端化に対する処方箋の1つになると説く。コミュニティではメンバーしか投稿はできないが、誰でも閲覧は可能にすることができる。実際に投稿している人はごくごく少数なのだから、これでほとんどのユーザーのニーズは満たされるはずだ。誰がコミュニティのメンバーになれるかは、それぞれのコミュニティ管理者に権限を委ねる。  あるコミュニティのメンバーになれなくても、その人は自分で独自のコミュニティを主催することもできるし、コミュニティ外では自由に発言できるので、個人の自由な言論を制約することにはつながらない。ごくごく少数のユーザーの過激な投稿がネット世論を席巻しているところに問題があるので、そうしたスーパーセブン的なユーザーの言説を見ずに、ネット上から有益な情報を入手したり関心のあるテーマの議論に触れたりすることを可能にするような枠組みを作ることは十分に可能なはずだと田中氏は言う。  SNSは選挙にどのような影響を与えているのか。ネット上の極端な意見に簡単に踊らされないために何が必要なのかなどについて、横浜商科大学商学部教授の田中辰雄氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 今週の論点 ・SNS世論が選挙結果を左右する時代 ・炎上参加者の特性とは ・言論の自由をふまえた適切なインターネット規制の必要性 ・「初期故障」の情報化時代を乗り越えるためには +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ■ SNS世論が選挙結果を左右する時代 神保: 今日のテーマはSNSと選挙です。国会は6月20日まで開かれていますが、その後は都議選があり、その1カ月後の7月20日には参院選もあり選挙のシーズンに入ってきています。  われわれは2016年のアメリカ大統領選挙のときに、SNSが政治に与える影響についてかなりつっこんで話しました。当時日本はまだそういう状況ではなかったのですが、都知事選での石丸現象や前回衆院選での国民民主党やれいわの躍進、また兵庫県知事の出直し選挙でも、SNSをうまく使った候補が、マスメディアでは劣勢に見えても実際の投票で勝つというケースが出てきました。アメリカでそういうことが起きていた時は遠くの話のように思っていましたが、宮台さん、いずれ日本もそうなると想定していましたか?  

クォン・ヨンソク氏:新政権誕生を機に韓流とK-POPを超えた新たな日韓関係を考える

マル激!メールマガジン 2025年6月11日号 (発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ ) ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― マル激トーク・オン・ディマンド (第1261回) 新政権誕生を機に韓流とK-POPを超えた新たな日韓関係を考える ゲスト:クォン・ヨンソク氏(一橋大学法学部准教授) ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 前大統領の逮捕、罷免に伴う韓国の大統領選挙の投開票が6月3日に行われ、革新系政党「共に民主党」の前代表、李在明(イ・ジェミョン)氏が新大統領に選出された。  今回の大統領選挙は尹錫悦(ユン・ソンニョル)前大統領が突如として宣言した「非常戒厳」が裁判所から違法と判断され罷免されたことを受けて行われたものだが、新しい大統領の下で韓国はどう変わっていくのか。また、日韓関係にはどのような影響が出るのか。  2024年12月3日夜、尹大統領(当時)は唐突に非常戒厳を宣言した。その時韓国は非常戒厳が前提としている戦争や大災害などの非常事態に陥っているわけではなかったが、戒厳令の発令を受けて軍が国会や政府機関に動員され、抗議に集まった市民に銃口を向ける事態となった。しかし、軍に包囲された国会に国会議員が駆けつけ、発令から6時間後の翌4日未明、国会で戒厳令解除要求決議案が可決され、非常戒厳は解除となった。  とはいえ、もし国会による迅速な宣言の解除がなければ、野党議員や政権を批判する者は軒並み逮捕され、言論機関は軍の統制下に置かれる、「軍政」が復活してもおかしくない状況だった。  国会は12月14日、尹大統領の弾劾決議案を可決し、2025年1月19日、尹大統領は内乱罪の疑いなどで逮捕された。元大統領が逮捕されることは珍しくない韓国でも、現職の大統領が逮捕されたのはこれが初めてだった。その後、韓国の最高裁にあたる大法院は尹大統領の罷免を決定し、2025年6月3日に新しい大統領を選ぶ選挙が行われた。  自身が日韓両国で育ち、韓国の政治や文化に詳しい一橋大学法学部のクォン・ヨンソク准教授は、今回の大統領選挙を「韓国の歴史上最も重要な大統領選挙」と位置づける。クォン氏は戒厳令が出された時、韓国がこれまで苦労して積み上げてきた民主化の歴史がいとも簡単に崩れてしまう恐れがあったと、当時を振り返る。  同時にクォン氏は、韓国で戒厳令が出されたことの深刻な意味に日本の人々があまり関心を持っていないように見え、愕然とした思いを持ったとも言う。近年両国の関係は劇的に改善され、特に若者の間では日韓は互いにとても近い存在になっているが、日本人の韓国に対する理解、とりわけその歴史的な苦悩に対する理解は、まだまだその程度なのかも知れない。  新大統領に就任した「共に民主党」前代表の李在明氏は、韓国東南部の慶尚北道の極貧家庭に生まれ、小学校卒業後、少年工として働きながら苦労して大学を卒業し、弁護士資格を取得した上で、市長、知事などを経て大統領にまで登りつめた、いわば「コリアン・ドリーム」の体現者だ。李氏が所属する政党「共に民主党」は国会でも多数を占めていることから、政権は安定した船出となることが予想されている。  韓国は日本による植民地支配に苦しめられた後、朝鮮戦争を経て南北の分裂国家となったが、1961年に朴正煕(パク・チョンヒ)少将がクーデターで軍事政権を発足させて以降、1988年に直接選挙で選ばれた盧泰愚(ノ・テウ)大統領による政権が成立するまでの27年間、軍政の下で市民の権利が抑圧される時代を経験した。だからこそ、今回、自身の政治的な動機に基づく非常戒厳宣言の発令に対する市民の恐怖と反発は根強く、それが野党候補勝利の原動力となった。  クォン氏は李政権の下で韓国はまず停滞する経済問題に取り組むことになるだろうと指摘する。本来は尹前大統領の出身母体でもある検察や検察出身者の暴走が続いていることから検察改革や司法改革にも手を付けたいところだが、広がり続ける貧富の差や高い若者の失業率、その結果としての高い自殺率と世界最低水準の出生率などは新大統領にとって待ったなしの課題となる。  新大統領の下で日韓関係はどう変化するのか。  韓国ギャラップによると、日本人に対して「好感を持つ」と答える韓国人の割合は56%と過去最高の水準で、18歳~29歳の若者に限れば74%とさらに高い。日本でも特に近年では若者の韓国に対する関心は高まっており、実際に韓国に親しみを感じる日本人の割合も全体で56%、18歳~29歳では73%に達している。ついこの間まで嫌韓だの反日だのといった言葉が両国間で飛び交っていたことを考えると、隔世の感がある。  クォン氏はお互いの国や文化に関心を持ちそれを楽しむことは素晴らしいことだが、しかし、それと同時に日本と韓国は互いに学び合うことができる特別な関係にあるべきだと語る。歴史的な問題も含め、両国間の問題と向き合い相互理解によってそれを解決していくことによって、初めて成熟した日韓関係が構築できるはずだとクォン氏は言う。  韓国の政治、経済、そして社会は今どのような状態にあるのか。日本はそれをどのように受け止めるべきなのか。日韓国交正常化から60年を迎える今、われわれはどのような日韓関係を目指していくべきなのかなどについて、一橋大学法学部准教授のクォン・ヨンソク氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 今週の論点 ・非常戒厳とは何だったのか ・李在明政権が目指す改革 ・新自由主義が行き過ぎた国内経済をどう立て直すのか ・互いを映す鏡のような日韓関係 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ■ 非常戒厳とは何だったのか 神保: 6月3日に韓国大統領選挙がありました。その結果については色々なところで報道されていますが、対日スタンスの話か、もしくは韓国の今の流行の話になってしまう。われわれも政治的な意味でこの選挙をどう見るかというのは少しは取り上げますが、個人的には、今回の選挙を見て面白いと思うと同時に羨ましく感じた点がいくつかあります。 1つは、投票率がとにかく高い。今回も約80%の人が投票に行ったそうです。日本では50%台前半が普通になっているので民主化という意味で後れを取っています。80%が投票すればまさに「The people have spoken」と言えますよね。 また、韓国ではリベラル勢力が死んでいないどころかむしろ優勢にある。世界的に見ても珍しい状況かもしれません。これがなぜなのかということも考えていき、隣の国である韓国を見ることで自分たちのことを顧みる機会にもなれば良いと思います。ゲストは一橋大学法学部准教授で、日韓関係やKカルチャーなどについても詳しいクォン・ヨンソクさんです。  まずは大統領選挙の結果を見ていきます。 -------------------- <フリップ> 韓国大統領選挙 開票結果  

5金スペシャル映画特集:映画が突きつける「真の正義」はどこにあるのか

マル激!メールマガジン 2025年6月4日号 (発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ ) ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― マル激トーク・オン・ディマンド (第1260回) 5金スペシャル映画特集 映画が突きつける「真の正義」はどこにあるのか ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  月の5回目の金曜日に特別番組をお送りする5金スペシャル。今回は目黒駅近くのイベントスペース「gicca池田山」で公開収録した映画特集の模様をお送りする。  今回取り上げた映画は次の4本。いずれもわれわれが深く考えずに当たり前だと信じて疑わない物事の表面と、その裏にある真実との隔たりが生み出す不条理を描いた秀作だ。 ・『陪審員2番』(クリント・イーストウッド監督) ・『聖なるイチジクの種』(モハマド・ラスロフ監督) ・『教皇選挙』(エドワード・ベルガー監督) ・『それでも私は Though I’m his daughter』(長塚洋監督)  『陪審員2番』はクリント・イーストウッドの最後の映画とも言われている作品で、恋人を殺害した容疑で罪に問われたジェームズ・サイスという男の裁判で陪審員を務めることになった主人公のジャスティン・ケンプが、そうとは気づかずにこの事件の被害者を車で轢いてしまったのが自分なのだという確信を深めていき、葛藤する物語。しかもケンプにとって都合がいいことに、被疑者のサイスは日頃から言動が粗暴だったことから、陪審員の多くはサイスを犯人だと決めつけていた。 素行が悪いからというバイアスによって有罪評決に落ち着いてしまう不条理な集団心理を克明に描くとともに、そもそも陪審員の中に真犯人がいるという事態を想定していない司法の破綻が描かれている。しかし、そこはイーストウッドだ。最後に人間とはどうあるべきかという問いを突きつけてくる。  『聖なるイチジクの種』は、イラン人のモハマド・ラスロフ監督が命を危険に晒してイランの現体制の問題をえぐった渾身の作品。逮捕や検閲を避けるために監督がリモートで指揮を執り、映像を秘密裏に国外に持ち出して編集されたという曰く付きの秀作だ。22歳のクルド人女性マフサ・アミニさんがヒジャブを適切に着用していなかったとして2022年に逮捕され、亡くなった事件をきっかけに、反政府デモが過熱するイランが舞台だ。 妻や2人の娘と暮らす主人公のイマンは、裁判所に勤務する中、予審判事に昇進し、反政府デモの参加者に不当な刑罰を下すことを強いられるようになった。始めはそれに罪悪感を持ち苦しんでいるように見えたイマンだが、物語が展開していくにつれ、家族に対してさえ監視や統制を強めようとしていく。リベラルのふりをして実は職場でのポジション取りに執着する人物だったことが徐々に露わになる。 現在のイランの人権を無視した神権政治体制を批判しつつも、その中で生きる人間像を通して、根本的な人間の価値とは何かを問いかけている。  たまたまフランシスコ教皇の死去とタイミングが重なったことで異例の注目を集めている映画『教皇選挙』では、カトリック教会の新教皇を選出する選挙で、枢機卿たちが次期教皇の座を巡って様々な駆け引きをする様が描かれる。賄賂の受け渡しや対立候補を陥れるための策略に奔走する枢機卿たちは、宗教的な存在のように見えて実は誰よりも世俗的だ。一方、教皇選挙の進行を任された主人公のローレンス枢機卿は、カトリック教会の信仰が形骸化していることに疑念を持っており、そのような考えを持った自分は次期教皇にはふさわしくないと考えていた。 ここでも現状のカトリック教会のあり方に疑念を持つローレンス枢機卿が神の目から見れば実は最も宗教的な存在だという反転が描かれている。  一見すると粗野で乱暴に見える人物が、実は公共的な精神を持ち、時に法を破ってでも目の前の人や社会的弱者を救おうとする存在だったということがある。逆に、善人に見えても実はポジション取りにばかり固執する人間だったということもある。この3作品はそのようなモチーフが共通して描かれている。われわれがそれを見抜く力をつけるためには、経験と教養が不可欠だ。  最後に取り上げたのは、オウム真理教の教祖、麻原彰晃(松本智津夫)の三女・松本麗華さんを6年にわたり追いかけたドキュメンタリー映画『それでも私は Though I’m his daughter』だ。1995年の地下鉄サリン事件当時12歳だった麗華さんは、加害者の家族だという理由だけで銀行口座の開設まで拒絶され、大学に合格しても入学を断られる。裁判所の命令によりようやく大学入学が認められたが、その後も定職に就くことを拒否され、人並みの生活を営むことができないでいた。 しかし、どんなに凶悪な犯罪の首謀者だったとしても、麗華さんは子どもだった頃の自分には優しかった父親に対しては複雑な感情を抱いていた。事件の真相が十分に解明されないまま2018年に心神喪失状態にある麻原の死刑が執行されてしまったことで、自分の父親がなぜあのような凶悪な犯罪を引き起こしてしまったのかが明らかにならなかったことについて、麗華さん自身が深い悲しみと絶望に沈む姿が記録されている。 映画は、二度と同じような事件が起こらないために必要だった真相解明の機会が失われたことの重みを改めて問いかけている。  物事の背後にある真実や、人間の内面に潜む本質に敏感になるためには何が必要か。4つの映画作品を題材にジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 今週の論点 ・『陪審員2番』に見るイーストウッドの思想 ・反政府デモに揺れるイランが舞台の『聖なるイチジクの種』 ・『教皇選挙』が問う、人間の本質はどこにあるのか ・麻原の三女を追ったドキュメンタリー『それでも私は Though I’m his daughter』 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ■ 『陪審員2番』に見るイーストウッドの思想 神保: 今日はお集まりいただきありがとうございます。こういう小規模な公開収録は、これまで1200回以上マル激をやってきた中でも初めてになります。今回は5金なので、映画を入り口にしつつ、映画以外の話もしたいと思っています。今日は4作品を取り上げますが、まずはクリント・イーストウッドの最新作にして引退作と言われている『陪審員2番』という映画です。  アメリカでは陪審員制度が一般的で、日本でも裁判員制度ができました。個々人の属性によって偏見を生まないために陪審員を番号で呼ぶのですが、主人公は陪審員2番のジャスティスという男性です。最初は普通に陪審員として裁判に参加しているつもりでしたが、途中でもしかすると自分が被害者となった女性を轢いた張本人であり、この裁判が冤罪であるかもしれないという疑いを持ち始めます。 

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神保哲生/宮台真司

神保 哲生(じんぼう・てつお) ビデオジャーナリスト/ビデオニュース・ドットコム代表。1961年東京生まれ。コロンビア大学ジャーナリズム大学院修士課程修了。AP通信記者を経て 93年に独立。99年11月、日本初のニュース専門インターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』を設立。 宮台 真司(みやだい・しんじ) 首都大学東京教授/社会学者。1959年仙台生まれ。東京大学大学院博士課程修了。東京都立大学助教授、首都大学東京准教授を経て現職。専門は社会システム論。

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