• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 5件
  • 半田滋氏:史上最大の防衛費は日本の安全に役立っているのか

    2018-01-31 23:00  
    550pt
    マル激!メールマガジン 2018年1月31日号(発行者:ビデオニュース・ドットコム http://www.videonews.com/ )──────────────────────────────────────マル激トーク・オン・ディマンド 第877回(2018年1月27日)史上最大の防衛費は日本の安全に役立っているのかゲスト:半田滋氏(東京新聞論説兼編集委員)────────────────────────────────────── 高額兵器と攻撃的兵器。これが今年度の防衛予算の特徴のようだ。 1月22日に開会した通常国会では主に来年度予算案が審議されるが、中でもとりわけ過去最高となる5兆円を突破した防衛関係費(防衛予算)が大きな争点となる。 確かに北朝鮮が核実験や弾道ミサイルの発射実験を繰り返し、中国の軍備拡大も続くなど、東アジアの安全保障は新たなアプローチが必要な情勢ではある。しかし、そうした中で打ち出された史上最高額の5兆1911億円の防衛予算の内訳を見ていくと、必ずしも緊迫の度合いを増す東アジア情勢に対応した装備が計上されているようには見えない。 端的に言えば、F-35A戦闘機やV-22オスプレイ、イージス・アショアなど必ずしも日本のニーズに合致するとは思えない高額の兵器を次々とアメリカから買わされている一方で、現行憲法の枠を超える弾道ミサイルのような攻撃的兵器の研究費が、十分な議論もないまま計上されているのだ。 安倍首相は国会で「専守防衛の精神にいささかの変更もない」と述べる一方で、「従来の延長線上ではなく国民を守るために真に必要な防衛力のあるべき姿を見定めていく」と語り、日本の防衛政策の基本方針を定めた防衛大綱を見直す意向を表明するなど、日本の防衛政策が大きな転換点を迎えていることは間違いなさそうだ。 防衛政策に詳しい東京新聞論説・編集委員の半田滋氏は、安倍政権は憲法改正を念頭に置いた防衛装備の整備を進めていると指摘するが、憲法改正をめぐる議論はまだ何も始まってもいない。そうした状況の下で日本が敵基地攻撃能力を持てば、当然周辺国はそれに対応した防衛体制を整えてくる。果たしてそれが日本の真の安全保障に資するかどうかについては、慎重な判断が必要だ。 史上最高額となった来年度の防衛予算とその中身の妥当性について半田氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
    ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++今週の論点・史上最大の防衛費と、FMS=対外有償軍事援助という欺瞞・高額で“ポンコツ”を買う日本・弾道ミサイル迎撃システム「イージス・アショア」は、本当に必要か・今国会が軍拡に向けた“芽吹予算”となるか+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
    ■史上最大の防衛費と、FMS=対外有償軍事援助という欺瞞
    神保: 今回は今年度予算で5兆円を突破した防衛費を取り上げます。内容にもかなり問題がありそうで、これから国会でも取り上げられていくと思いますが、その国会のチェック機能が弱まっているので、議論を聞いたときに「そういう意味か」と分かる補助線になればいいなと考えました。最初に少し、宮台さんからお電話で聞いて驚いたのですが、この番組にも出演していただいた西部邁さんが亡くなりました。宮台さんは生前、非常に親しくされていましたね。
    宮台: 『朝まで生テレビ!』でご一緒したとき、ある種のプロレスだなと思って、激烈に対立したら、西部さんが途中で怒って帰ってしまった、という事件もありましたが、実は最後まで楽屋で待っていらっしゃって。お酒を飲んでごきげんな顔で、「これからは宮台くんの時代だね。わっはっは」と言われたのが印象的です。今日のテーマに関連して言うなら、アメリカの言うことを聞いていればなんとかなる、と信じている大衆は頭がお花畑だし、それを推進しているやつは別に日本を守ろうとしているわけではない――これは、西部さんがずっとおっしゃっていたことです。
    神保: 政治状況もそうですが、それに対して市民社会もほとんど抵抗力を示せていないということも含めて問題かなと思います。さて、防衛費の中身ですが、装備の内容がどうも高いばかりで支離滅裂なんじゃないか、アメリカ政府からの購入が増えている、という問題も取り沙汰されています。これを本当に厳しく書いている方が、主要新聞ではこの方しかいないのではないかということで、今回はお願いして、防衛庁をずっと取材されている東京新聞論説兼編集委員の半田滋さんに来ていただきました。今回、予算として初めて5兆円を突破したということですが、金額ベースでいくと、第二次安倍政権になるまでは2003年くらいからずっと、防衛費は減っていたんですね。
    半田: そうです。10年連続して減り、第二次安倍政権になって6年連続して増えてきました。
     

    記事を読む»

  • 後藤弘子氏:性暴力被害者に寄り添う社会を作るために

    2018-01-24 23:00  
    550pt
    マル激!メールマガジン 2018年1月24日号(発行者:ビデオニュース・ドットコム http://www.videonews.com/ )──────────────────────────────────────マル激トーク・オン・ディマンド 第876回(2018年1月20日)性暴力被害者に寄り添う社会を作るためにゲスト:後藤弘子氏 (千葉大学大学院教授)────────────────────────────────────── 性暴力被害やセクハラが、世界的に社会の大きな争点として浮上している。 去年10月、ハリウッドの超大物プロデューサーのセクハラ疑惑が明るみに出て、映画界から追放となった。その後、被害にあった有名女優らの呼びかけもあり、世界中で女性たちが次々と性暴力やセクハラ被害を訴える「#me too(ミートゥー)」が大きな運動に発展した。これまで泣き寝入りを余儀なくされていた性暴力やセクハラ被害の実態が明るみに出る一方で、一方的な告発によって加害者とされた男性を社会から抹殺するような動きを問題視する向きも出てきている。また、今月になってフランスの女優たちが、行き過ぎた告発が性的自由を奪う恐れがあると反論するなど、セクハラや性被害を巡る論争は世界的に大きな広がりを見せている。 一方、日本ではジャーナリストの女性が、著名な男性ジャーナリストによる性暴力被害を実名で訴え出たことで、性暴力被害の問題や被害者救済のあり方が関心を集めている。 その女性は、性暴力を受けた時の状況を克明に男性警察官に説明しなければならなかった時の精神的な苦痛や、男性警察官から被害届けの提出を思いとどまるよう促された経験などを証言し、性暴力に対する警察や検察の捜査が「ブラックボックス」状態にあると訴え続けている。しかし、欧米諸国と比べて日本では、セクハラや性被害を訴え出る女性に対する社会の偏見が根強く残っていることもあり、依然として性被害を告発することが女性に取って大きなリスクになっている面があることは否めない。 内閣府のデータでは日本で過去に無理矢理に性交された経験のある人の割合は6~7%。しかし、その中には、本当は嫌だけどしょうがないと受け止めているケースは含まれていないのではないかと、千葉大学大学院教授の後藤弘子教授は指摘する。また、セカンドレイプを恐れて泣き寝入りする被害者の数も相当な数にのぼると考えられている。 実際、性暴力は上司や学校の先生、親・兄弟など知っている人からの被害が多くを占めている。被害にあいながら誰にも相談しなかったと答えた人の割合も7割近くにのぼる。また、誰かに相談しても「早く忘れなさい」、「あなたにも非がある」と言われたり、被害自体を認めてもらえないことが大きな心の傷となっている場合も多い。 昨年、刑法の性犯罪に適用される条文の改正が110年ぶりに行われた。強姦罪は強制性交等罪と呼称が変わり、それまで女性のみに適用されていた性犯罪の規定が、男性にも適用されることになった。刑の下限も懲役3年から懲役5年に引き上げられ、被害者の告訴を必要としない非親告罪化も行われるなど、性犯罪被害者に寄り添う社会の実現に向けて少しずつ前進はしているように見える。しかし、刑法には「暴行または脅迫」の事実を立証しなければならない規定は残り、刑事告発のために被害者の協力が不可欠なことに依然、変わりはない。密室で行われることが多い性犯罪で、同意の有無を立証することは容易ではない。 後藤氏は、被害者救済の仕組みは、以前よりは整ってきてはいるが、まだ本当に被害者の立場に立ったシステムにはなっていないとした上で、制度の設計者や法律の立案者たちが、被害者のニーズを受け止められていないところにその原因があると指摘する。セクハラや性暴力被害者に寄り添う社会を作るためには何が必要なのか。被害者救済や支援の仕組み、性教育の在り方、社会として性の問題をどう語るのかなども含めて、刑事法とジェンダーが専門の後藤弘子氏と、社会学者・宮台真司、ジャーナリスト・迫田朋子が議論した。++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++今週の論点・性被害の告白が、なぜ共感を呼ばないのか・110年ぶりの法改正 「強制性交等罪」になり何が変わるか・「#me too」へのカウンターは、的を射ているか・近しい人と、性体験について話し合うという処方箋+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
    ■性被害の告白が、なぜ共感を呼ばないのか
    迫田: 今回のテーマは「性暴力被害」。昨年からセクハラ被害に関する報道がさまざまに続いておりますが、宮台さんどうご覧になっていますか?
    宮台: 伊藤詩織さん問題が明るみになり、ずいぶん世間で議論されました。ハリウッドでは女優たちが「こんなひどいプロデューサーがいるよ」というところから始まって、「#me too(ミートゥー)」の動きが広がったと。また今年に入ってからは、カトリーヌ・ドヌーブを含めた名のある女性たちが100人署名し、行き過ぎた告発が性的自由を奪う恐れがあると反論しています。この性暴力の扱いについては、時間的な変化も非常にはやく、現在でも国の間、あるいはアメリカでも州によって違って、明確な境界線がよく見えない。非常に微妙な問題も多く含んでいるんです。 また性の問題は一般の問題と違い、恋愛が得意な人と苦手な人がいて、個人的な不安や劣等感、場合によっては差別意識ももろに投影されてくるということで、一般の犯罪をどう扱うか、という話とはずいぶん違う。その辺の微妙さをまずみなさんにお分かりいただいたうえで、よく考えていただくという番組にできればと思います。
     

    記事を読む»

  • 水島宏明氏:ポスト・トゥルース時代のメディアに何ができるか

    2018-01-17 23:00  
    550pt
    マル激!メールマガジン 2017年1月17日号(発行者:ビデオニュース・ドットコム http://www.videonews.com/ )──────────────────────────────────────マル激トーク・オン・ディマンド 第875回(2018年1月13日)ポスト・トゥルース時代のメディアに何ができるかゲスト:水島宏明氏(上智大学文学部教授)────────────────────────────────────── 「今さらメディアの話かい」などと訝られるかもしれないが、今年、マル激ではあらためてメディア問題を積極的に取り上げようと考えている。 マル激は2000年の番組発足当初から、メディア問題を中心的な課題の一つに据えてきた。番組内容を一冊の著書にまとめた「マル激本」の第1弾は、メディアと政治の関わりを徹底的に深堀りした「漂流するメディア政治」(2002年)だった。その中でわれわれは当時、メディアではほとんど取り上げられていなかった記者クラブ問題や再販価格制度やクロスオーナーシップなど日本メディア固有の構造的な問題を多角的に議論し、それが日本の政治や社会にどれだけ大きな影響を与えているかなどを考察してきた。 15年以上の月日が流れ、最近マル激ではあまりメディア問題を多く取り上げなくなっていた。社会の劣化が急激に進み、今さらメディアを批判してどうこうなるような次元の話ではなくなってしまったというのもその理由の一つだが、15年以上経っても、ほとんど何も改善されないメディアの状況に、ある種の絶望感を抱いていたことも事実だった。 しかし、どんなに劣化が進んだとしても、メディアが民主主義の砦であることに変わりはない。これを軽視すると、民主主義が機能不全に陥るばかりか、われわれの社会がどのような問題に直面しているかについての共通認識すら持つことが困難になってしまう。問題の所在さえわからないのに、問題が解決されるはずがない。 そうこうしているうちに、当分揺らぎそうもないように見えた新聞・テレビを中核とする既存のメディア企業体の経営基盤は弱体化の一途を辿り、世代によってはほとんど新聞やテレビを見ない人が多数を占めるような時代になった。もはや通り一遍の新聞・テレビ批判だけでは何の意味もなさなくなっている。 しかし、既存メディアの牙城を突き崩し始めているネットメディア、とりわけFacebookやTwitterに代表されるSNSは、一見、ユーザー側が自分が求める情報に自由にアクセスしているように見えて、何億人という全世界のユーザーから日々収集している膨大なビッグデータを元に、巧みな広告誘導や情報操作が行われていることや、それが消費行動のみならず、選挙結果や政治思想に大きな影響を与えていることが明らかになってきている。 かつてはマスメディアの問題に過ぎなかったわれわれの「メディア問題」は、マスメディアの凋落によって解決したのではなく、実際はより複雑で深刻化していると考えた方がいいだろう。そのような状況の下では、まずメディアに何が起きているかをきちんと踏まえた上で、それを多角的に考察し、われわれ自身のリテラシーを上げていくことが必要になる。 今週はその取っかかりとして、テレビ局に長年勤務し、現在、上智大学の教授を務める水島宏明氏に、今、テレビに何が起きているかを聞いた上で、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司とともに、ポスト・トゥルース時代にメディアに求められる役割とは何かを議論した。++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++今週の論点・メディア批判が「KY」として扱われる状況・「忖度」と、マスメディアのバラエティー化・表現の自由に対して国連から批判も、大ボス不在で解決は困難か・影響領域から関心領域へ――ジャーナリズムの役割を果たせ+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
    ■メディア批判が「KY」として扱われる状況
    神保: 今年はやはり、メディアの話をきちんとやりたいと思います。ご記憶にある方はあると思いますが、2002年に出した最初のマル激本(『漂流するメディア政治 情報利権と新世紀の世界秩序』)は、メディアをテーマにしたものでした。そして、当時に言っていたことがいまもよくなっていないし、むしろ悪くなっているかもしれない。実は最近あまり扱っていなかったことを、若干反省しています。 今さらメディアがいかにクソかという話をどんなにしたところで、どうしようもないじゃないかという感じもあり、食傷気味なところがあって、話してこなかったんです。ブログもなく、ブロードバンドがようやく普及し始めるかどうかというころに無謀にも動画配信を始めて、メディアの問題はもう十分にやってきたんだから、という感じで見てこなかったところがあった。宮台さんもいま、あまりメディアの話はしないでしょう?
    宮台: 確かに「いまさら」という感じはある。そして、それは「前に言ったでしょ?」という意味ではなく、状況がかなりひどくなっていて、従来の言い方ではおそらく届かないし、動かないだろうということもあります。特に重要なのは、昔は権力者とその手先がいて、民が騙される、というデマゴギーの図式があったのだけれど、ポスト・トゥルースはそもそも、民の多くが正しさを尊重しないということ。インターネットのコミュニケーションが典型ですが、まさに正しいかどうかはどうでもいいという民を動員するようなタイプの情報が氾濫する。そういうものに騙されたり動員されたりすることを含めて、従来のマスメディアといまの状況には大きな違いがあり、その結果として、誰に向かって物を言えばいいのか絞りきれなくなっているね。
     

    記事を読む»

  • 中野佳裕氏:2018年のテーマは「関係性の豊かさ」

    2018-01-10 23:00  
    550pt
    マル激!メールマガジン 2017年1月10日号(発行者:ビデオニュース・ドットコム http://www.videonews.com/ )──────────────────────────────────────マル激トーク・オン・ディマンド 第874回(2018年1月6日)2018年のテーマは「関係性の豊かさ」ゲスト:中野佳裕氏(国際基督教大学非常勤講師)────────────────────────────────────── マル激は毎年、1月初旬に、その年に通底する大きなテーマを選んで番組化している。2018年はずばり「関係性の豊かさ」をテーマに据えた。 国際基督教大学(ICU)非常勤講師で社会哲学や開発学が専門の中野佳裕氏は、物質的な豊かさを求めるあまり、かつて人間が当たり前のように持ち合わせていた精神性と関係性の豊かさが失われているところに、現代社会の根源的な病理があると指摘し、「関係性の豊かさ」を取り戻すことの重要性を強調する。 中野氏はかつて「富」や「貧困」という言葉が、必ずしも経済的な豊かさや欠乏を意味するものではなかったことを指摘した上で、近代ヨーロッパで資本主義経済が台頭した結果、簡素な生活の中に見出せる精神的な自由や、限られた資源や富を分かち合って暮らす自立共生的な生活倫理が忘れ去られてしまったと語る。その結果、本来well-being(福祉)とhealth(健康)を組み合わせた意味を持っていたwealth(富)が、単に経済的な量を意味する言葉になってしまい、あらゆる豊かさの大前提だった人と自然や、人と人の関係性に対する価値観が失われてしまった。 中野氏は人類が経済的な富の際限なき追求を卒業し、関係性の豊かさを求める人間本来の生き方を取り戻すためには、近代文明が否定してきた「共通善」の思想を未来社会の礎として肯定する必要があると言う。 無論、グローバル化が進み社会が極限まで流動化した今日、人類共通の共通善や、国、あるいは地域社会の共通善を見つけていく作業は決して容易ではないだろう。しかし、何が事実なのかさえ合意できなくなったポスト・トゥルース時代をこのまま突き進めば、その先には断絶や対立しか待ち受けていないことは明らかだ。誰かがどこかで何かから手を付け始めなければ、何も始まらない。 2018年最初のマル激は「関係性の豊かさ」の重要性といかにそれを回復するかについて、中野氏とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
    ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++今週の論点・教訓を示す「カタツムリの知恵」とは・システムに依存し、道具に使われる人間・「貧しさ」という言葉が持つ、本来の意味・求められる「互酬性の関わり」+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
    ■教訓を示す「カタツムリの知恵」とは
    神保: 明けましておめでとうございます。毎年、年初はその一年を展望する、意思表示の意味を込めた企画をやりたいと考えており、今回のテーマを設定しました。キーワードを言ってしまうと、本日お招きしたゲストの言葉で「関係性の豊かさ」。ぜひそんな話がしたいなと思いました。
    宮台: この2~3年、僕の本や活動のキーワードは、「損得よりも内発性」。簡単に言うと、計算合理性もいいが、もっと享受可能な何かを――もっと言えば、損得を越えて貢献できるということからくるある種の享楽に向かわないと、世界も人生もあまりにも貧しいと。
     

    記事を読む»

  • 年末恒例マル激ライブ「ポスト・トゥルースをぶっとばせ!」

    2018-01-03 23:00  
    550pt
    マル激!メールマガジン 2018年1月3日号(発行者:ビデオニュース・ドットコム http://www.videonews.com/ )──────────────────────────────────────マル激トーク・オン・ディマンド 第873回(2017年12月30日)5金スペシャル年末恒例マル激ライブ「ポスト・トゥルースをぶっとばせ!」────────────────────────────────────── 2017年が終わろうとしている。2017年のマル激は、年初に哲学者の内山節氏を招き「座席争いからの離脱のすすめ」を議論したのを皮切りに、トランプ現象に代表されるナショナリズムやオルタナ右翼の台頭、日米同盟と北朝鮮情勢、格差問題、憲法、アベノミクスや働き方改革など安倍政権の諸政策、共謀罪、種子法、解散と衆議院選挙、司法制度や教育無償化等々、多くの問題を多角的に議論してきた。 一連の議論から見えてきたものは、グローバル化の進展やインターネットによる情報革命によって機能不全に陥った民主制度を立て直していくことの困難さと、そうした中で個々人が日々感じている生きづらさに手当をしていくことの重要性だった。 確かに状況はあまり思わしくない。これは日本に限ったことではないが、われわれがこれまで当たり前のように享受してきた民主的な社会の規範や制度が崩れ、それに取って代わることができる新しい理念が見えてこない状況の下で、多くの人が社会のあり方や将来に不安を覚えながら、どうすればいいかがわからずにいるのが現状ではないか。 しかし、何でもありのポスト・トゥルース(脱真実)の時代を乗り越えるためには、まず一つ一つのトゥルースを直視することから始めるしか方法はないというのが、マル激で議論を積み重ねてきた末の結論だった。 まずわれわれはこれまで長らく当たり前と考えてきた世界の秩序が、実は幸運な偶然の積み重ねの結果だったり、途上国や社会の中の特定の弱者からの搾取によってのみ成り立っていた不完全かつ不条理なものだったことを、認識する必要がある。その上で、豊かな社会を築いていくための必要条件を人為的に再構築していくことが、遠回りのように見えて、実はもっとも現実的な処方箋なのだ。 ポスト・トゥルースは、本当の問題から目を背けたまま、便宜的な建前に過ぎない制度や理念を当たり前のものとして、それにただ乗りしてきたことのつけが回ってきたものと見ることができる。 民主的な制度や習慣が前提としていた条件が崩れた中で、それを再構築することは決して容易なことではないだろう。しかし、逆風の中でこそ、長い歴史の中でわれわれが培ってきた「自由」や「平等」などの普遍的な価値の真価が問われる。 年末の恒例となったマル激ライブでは、2017年に起きた様々なニュースを通じて見えてきた世界と日本の現実と、そこで露わになった問題を乗り越えて前へ進むための2018年の課題を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
    ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++今週の論点・ポスト・トゥルースと言葉の自動機械・生まれながらに“障害”を負った、リベラルな民主主義・スピードを緩めることでしか解決しない、問題の数々・公共心のある人間を育てるか、KY嫌悪野郎を育てるか+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
    ■ポスト・トゥルースと言葉の自動機械
    神保: 年末恒例の公開収録で、『ゆく年、くる年』ではありませんが、一年を総括し、新年を展望するのが大きなテーマです。宮台さん、月並みですが、2017年はどうでしたか?
    宮台: トランプさんといい、安倍政権といい、選挙が話題になった年ですね。2017年から2018年にかけて先進各国で行われる選挙で、従来のリベラル、オープンな建前が、クローズドで排外的な本音によって打ち砕かれ、僕らがアメリカや日本で見ているような方向に、すべての国が流れていくのか。それを占う期間でしたが、残念かどうかはみなさんの判断だけれど、やはり建前は本音によって打ち砕かれつつあります。予想通りになったな、ということだと思いますね。
     

    記事を読む»