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篠田英朗氏:国際政治学者だから気づいた間違いだらけの憲法解釈
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篠田英朗氏:国際政治学者だから気づいた間違いだらけの憲法解釈

2017-08-02 20:00

    マル激!メールマガジン 2017年8月2日号
    (発行者:ビデオニュース・ドットコム http://www.videonews.com/
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    マル激トーク・オン・ディマンド 第851回(2017年7月29日)
    国際政治学者だから気づいた間違いだらけの憲法解釈
    ゲスト:篠田英朗氏(東京外国語大学教授)
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     東京外大の篠田英朗教授は、平和構築が専門の国際政治学者だ。その国際政治学者の目で見た時、今、日本で大勢を占めている日本国憲法の読み方はおかしいと言う。もっぱら内向きな議論に終始し、現在の国際情勢や国際政治の歴史からあまりにも乖離しているからだ。
     そもそも現在の日本国憲法は憲法学者、とりわけほんの一握りの著名な東京大学法学部出身の憲法学者による学説がそのまま定説として扱われているきらいがある。例えば9条も、何があっても平和を追求する姿勢を国民に求めているものと解釈されているが、篠田氏は普通に読めば、その目的は「正義と秩序を基調とする国際平和の樹立」にあり、あくまでその手段として交戦権の放棄や軍事力の不保持が謳われていると読むのが自然だと指摘する。
     そもそも日本国憲法の3大原理として、われわれが小学校の教科書で教わる国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3つの柱は、誰がそれを日本国憲法の3大原理だと決めたのかも不明だ。憲法自体には3大原理などという言葉はどこにも出てこないからだ。
     篠田氏は日本国憲法を普通に読めば、その最優先の原理が「国民の信託」にあることは明白だと言う。憲法はその前文で「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し・・・」と記している。前文に明記されている大原則を無視して、誰かの解釈による3大原理なるものが一人歩きをしているのではないか。
     早い話が現在の日本の憲法解釈やその定説と言われるものには、一部の憲法学者たちの価値判断が強く反映されており、われわれ一般国民はそれをやや無批判にファクトとして受け止めてきたのではないかというのが、篠田氏の基本的な疑問だ。
     悲惨な戦争を経験した日本にとって、戦後間もない時期にそのような解釈が強く前面に押し出されたことには、一定の正当性があったかもしれない。また、世界における日本の存在が小さいうちは、国民がこぞって専門家まかせの憲法解釈に乗っかることも許されたのかもしれない。しかし、戦後復興を経て今や日本は世界有数の大国になり、国際情勢も憲法制定時の70年前とは激変している。そうした中でもし日本がこれから本気で憲法改正の議論を始めるのであれば、まず憲法が長らく引きずってきた様々な予断や、強引で無理のある解釈をいったん横に置き、当時の時代背景などを念頭に置いた上で、あらためて日本国憲法のありのままの中身を再確認することには、重要な意味があるのではないか。
     憲法の一大原理である国民と政府との間の「信託」によって、日本国民は政府に対し平和を最優先の目的として掲げるよう求めている。ということは、政府はその目的を達成するために、どのような手段を選択するかが常に問われていることになる。平和を実現するために本来は他にすべきことがあるが、憲法の平和主義原理のために「あれはできない、これはできない」などという話になるのは、全くもって本末転倒ではないか。
     憲法の専門家ではない国際政治学者だからこそ見える日本国憲法をめぐる解釈や学説の不自然さや、憲法の歴史的な背景とその後の国際情勢の変化を念頭に置いた時、今日、日本国憲法はどう読まれるべきか、だとすれば、どのような憲法改正があり得るかなどについて、篠田氏とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

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    今週の論点
    ・憲法の3大原理に根拠はなく、「信託」のみが原理である
    ・憲法はアメリカの法政治思想に即して解釈せよ
    ・日本はいつ「平和国家」になった/なるか
    ・9条2項維持でも矛盾が生じない理由
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    ■憲法の3大原理に根拠はなく、「信託」のみが原理である

    神保: 今回は憲法について、目から鱗が落ちるような議論が聞けることを期待しています。憲法問題は何度も取り上げてきましたが、宮台さんから最初に何かありますか?

    宮台: 少し復習すると、マル激でも初期のころは、憲法学者がやるような「立憲主義とは何か」という比較的オーソドックスな議論をしていましたね。今回はそれよりももう少し具体的に、憲法がどういう政治的な機能を果たし得るのか、という話につながる議論になると思います。

    神保: 今日のポイントは、ゲストが憲法学者ではなくて国際政治学者だというところです。憲法そのものの専門家ではなくて、もう少し広い視野から日本国憲法を見たときに、どこにどういう問題が見えるか。『ほんとうの憲法─戦後日本憲法学批判』(ちくま新書)、『集団的自衛権の思想史 憲法九条と日米安保』(風行社)などの著書がある、東京外国語大学総合国際学研究院教授の篠田英朗さんに伺います。
     さっそくですが、そもそも憲法の専門家ではない篠田さんが、あえてこのタイミングで憲法論争に一石を投じようと思われたのは、どんな契機だったんですか?

    篠田: やはり安保法制の2014年、15年あたりの論争が印象に残り、集団的自衛権それ自体について考えてみたいという思いを表現したのが、昨年の『集団的自衛権の思想史』でした。その過程で、憲法学者のいろいろな言説を調べる必要があったわけですが、自分自身も面白かったと思うことや、若干焦点を絞り切れていなかった部分もあり、ちょうど新書のお話をいただいたので、読む人がいるのであれば出しましょう、ということになったんです。

    神保: 篠田さんご自身は、ソマリアやカンボジアで難民支援やってきて、難民を助ける会のボランティアもやられていましたし、カンボジアのPKOで選挙監視にも加わっています。そういう“現場”を観てきた篠田さんからすると、日本国内の憲法学者による安全保障をめぐる憲法論争には、やはり違和感があったのでしょうか。

    篠田: 外側から見た違和感とともに、内側から見たときの焦燥感があります。僭越ながら、国内で憲法に対する本質的な議論が行われていないと感じており、何も変わらないことに非常に驚くんです。平和構築が専門なので、感じるところは大きいですね。

     
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