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伊藤真氏:司法問題を総選挙の争点にしなくてどうする
マル激!メールマガジン 2024年10月30日号(発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――マル激トーク・オン・ディマンド (第1229回)司法問題を総選挙の争点にしなくてどうするゲスト:伊藤真氏(弁護士)―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――衆議院選挙が明日に迫った。マル激では総選挙と同時に行われる最高裁判所の国民審査に際して、有権者に必要な判断材料が提供されていないとの考えの下で、毎回、審査対象となる最高裁裁判官がこれまでどのような事件に関わり、どのような判断を示してきたのかを提供してきた。最高裁判所の国民審査が、一般国民が裁判所に対して何らかの意思表示を行うことができる事実上唯一の手段になっているからだ。しかし、最高裁国民審査には本質的な問題がある。それは審査対象となる裁判官が前回の国民審査、つまり総選挙以降に任命された新任の裁判官に限るということだ。審査対象となる裁判官はいずれも任官後3年以下であり、中には数カ月しか裁判官を務めていない人もいる。それを審査しろというのはもともと無理な話なのだ。しかも、最高裁の裁判官は一度審査を受けると次は10年後まで審査を受けない。裁判官の任官時の年齢がほぼ全員60代であり、最高裁裁判官の定年が70歳であることから、2度審査を受けることになる裁判官は事実上存在しない。つまり、国民審査というのは名ばかりで、最高裁の裁判官として重要な決定を下した経験のない、つまりこれまでの経歴以外にほとんど判断する材料が何もない、任官したての裁判官を信任するか不信任とするかを決めるしかない制度なのだ。これは形骸化以前の、制度の根本的な欠陥と言わなければならない。改善すべき点は簡単で、10年に1回などというルールを撤廃し、毎年15人全員を審査対象にすればいいだけのことだ。日本の司法が国民の信任を得るためにも、制度の改善が待たれる。そして、それは法律を作る国会の仕事ということになる。今回のマル激では国民審査の対象となる最高裁裁判官の限られた数の判決記録を掘り起こすとともに、弁護士の伊藤真氏をゲストに招き、司法問題全般についても議論した。なぜならば、昨今、国際的にも国内的にも現在の日本が抱える最も深刻な問題と考えるべき司法の問題が、明日迎える総選挙ではほとんど各党の公約に取り上げられてさえいないからだ。58年ぶりに再審無罪となった袴田事件の判決では警察と検察による証拠の捏造が厳しく断罪されている。また、大川原化工機の冤罪事件や高裁で再審決定が出された福井女子生徒殺人事件では、いずれも警察や検察による事実上の事件のでっち上げや被疑者に有利な重要な証拠の隠蔽などが指摘されている。今回の総選挙は日本の刑事司法の病理がいやというほど噴き出すさなかに行われている国政選挙なのだ。言うまでもなく長期の勾留と弁護士の立ち合いが認められない過酷な取り調べに加え、メディアにあることないこと情報を非公式に漏らして報じさせるリーク報道によって被疑者を自白に追い詰めていく日本の人質司法は、国連の人権委員会や拷問禁止小委員会などでも繰り返し問題視されてきている。にもかかわらず、今回の総選挙では司法問題、とりわけ目に余る警察の権力の濫用や冤罪連発の原因となっている検察による自分たちには不都合な証拠隠し、そしていたずらにハードルが高い再審法の改正が、議論の遡上にさえあがっていない。伊藤弁護士は、司法の問題が政治的争点にならないのは、票にならないからだろうと指摘する。これは日本人の正義観や民度にも直結する問題になってしまうが、まだ日本人の多くが「100人の罪びとを放免しようとも1人の無辜の民を刑することなかれ」の意味、つまりなぜ推定無罪が民主政の要諦なのかを十分に理解できていないということなのかもしれない。しかし、それを認めてしまっては、日本という国では正義が貫徹されていないことを認めることになってしまう。国民の側から警察や検察の暴走を制御しろという強い要請があるわけでもなく、かといって司法の問題に真剣に取り組んでも票や金になるわけでもない。しかも、既存のメディアもその司法体制の一翼を担っているため、それを批判することはメディアを敵に回すことにもなってしまう。政治と金とか景気のようなわかりやすいテーマがいくらでもあるときに、そんな面倒くさいテーマをわざわざ取り上げようという奇特な政治家や政党はほとんどいないというのが、現在の日本の現状なのだ。袴田事件の無罪判決を受けて畝本直美検事総長は10月8日、控訴を断念する談話を発表したが、その談話の大半は無罪判決に対する批判や不満の表明に費やされているという驚くべき内容になっていた。伊藤氏は、間違いを犯さないことが国民への信頼につながると検察が勘違いしていることが問題だという。捜査機関による証拠の捏造などあってはならないことだが、実際に起こってきた以上は、証拠がないのに有罪とされる人が出てきてしまう。そうなった時に、人権を守るための再審が速やかに開始されるように整備されなくてはならない。法の番人としての最高の権力の地位にあり、人権の最後の砦でもある最高裁の裁判官の審査は、そうした状況の下で行われることになる。国民審査では辞めさせたい裁判官がいれば投票用紙に「×」を書くが、そもそも空欄で提出すれば「信任した」とみなされてしまう。情報がないため誰に×をつければいいかわかないから全部を空欄で出せば、信任、つまり今の最高裁は本当によくやってくれているという意思表示をしたことになってしまうのだ。今回審査の対象となる6人の中には最高裁判事としての実績がほとんどない人もいるので、今回のマル激では少し対象を広げて、前回の総選挙以降に最高裁が判決や決定を下した重要な事件を取り上げ、その中で今回の審査対象となった裁判官の判断内容を同時にチェックした。判決としては今回は以下のものを取り上げた。・名張毒ぶどう酒事件再審請求事件・1票の格差を放置したままの選挙の無効を訴える訴訟2件(伊藤氏が代理人を務める)・経産省のトランスジェンダー女性にトイレの利用制限を科したことの是非を争う裁判・『宮本から君へ』で出演者の1人が薬物事件で逮捕起訴されたことを理由に助成金を取り消したことの是非を争う事件・沖縄県の意思に反して国が辺野古の基地建設のための埋め立て許可を代執行したことの是非を争う訴訟・犯罪の犠牲になった同性パートナーに犯罪被害者給付金を給付するかどうかをめぐる裁判・旧優生保護法下で不妊手術などを強制された被害者に対する補償に除籍期間を適用することの是非を争う裁判・性同一性障害の人が性別を変更するための手術要件が違憲かどうかをめぐる裁判日本が抱えている司法の問題とは何か、なぜこれだけ問題を抱えていながら、政治は一向に動こうとしないのか、冤罪をなくすために何が必要なのか、最高裁国民審査のポイントなどについて、弁護士の伊藤真氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++今週の論点・袴田事件、大川原化工機事件―これほど大きな問題が起きても争点にならない司法改革・審査対象の最高裁判事はどんな人たちなのか・審査対象の判事がこれまで関わった裁判・「疑わしきは被告人の利益に」が社会に浸透していない+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++■ 袴田事件、大川原化工機事件―これほど大きな問題が起きても争点にならない司法改革神保: 10月27日に衆議院選挙があり、総選挙の場合は同時に最高裁の国民審査があります。国民審査は制度自体に問題があり、裁判官は任官した最初の総選挙で国民審査の対象になります。したがって対象になっているほとんどの人が最高裁の裁判官としては判決にあまり関与していない状態で審査されなければなりません。下級審の場合、裁判長などをしていれば名前が挙がることはありますが、実際にどういう判決を下してきたのかということをフォローすることは容易ではありません。判事の最高裁判決に不満があるのかどうか、本当はそれを審査をしたいのですが、そういう機会がありません。また最高裁は定年が70歳で、基本的には60代の人が裁判官になります。10年後にもう一度審査があるのですが、10年後には皆定年になっているので、実際は最初の選挙時に審査をするだけです。宮台: 僕たちはこれを何度も取り扱ってきましたが、初めて聞く人には分からないかもしれません。簡単に言うと、制度的ガス抜きがあり、国民が参加しているように見えて何も動かないんです。 -
伊東ゆたか氏:トラウマを乗り越えることの難しさを社会は理解できていない
マル激!メールマガジン 2024年10月23日号(発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――マル激トーク・オン・ディマンド (第1228回)トラウマを乗り越えることの難しさを社会は理解できていないゲスト:伊東ゆたか氏(児童精神科医)―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――故ジャニー喜多川氏(本名・喜多川擴=2019年7月9日死去)の性加害問題について、ジャニーズ事務所が事実を認めて謝罪をしてから1年余りが過ぎた。10月15日、ジャニーズ事務所の後継会社であるスマイルアップは、ホームページ上で500人余りに補償金を支払ったことを公表した。それを受け、翌16日にはNHK会長が記者会見で「(ジャニーズ事務所を引き継いだ)スタートエンターテイメント所属のタレントへの出演依頼を可能とする」と発言するなど、業界全体で事態の幕引きを図ろうとしているのが透けて見える。しかし、問題は解決しているわけではない。故人とはいえ、500人を超える未成年者に対して行われた性加害は、簡単に忘れ去られてよいものではない。この数字も、あくまで事務所が認めたものであり、実際にどれほどの被害者がいるのかも定かではない。性犯罪とも言える行為の検証も行われないままの幕引きを許してしまう社会の在り方自体が、性加害が繰り返される温床となる。これに先立ち10月9日には被害当事者が記者会見を行い、トラウマを抱えながら何とか生き延びてきたこの1年について語った。会見では誹謗中傷に晒された上に、旧ジャニーズ事務所の心ない対応に傷つけられ、命を失った仲間や日本で暮らすことを断念し海外に移住した仲間のことが紹介された。傷つけられるのを覚悟の上で、被害者自身が被害を訴え出ることによってしか問題解決の糸口が見つけられない現在の日本の実態が、重い課題として社会に突きつけられている。子どものトラウマに向き合ってきた児童精神科医の伊東ゆたか氏は、トラウマを生き延びたトラウマサバイバーたちに向けられる社会の眼差しがとても重要になると語る。トラウマからの回復には時間がかかる。トラウマを抱えながらも今まで生きてこられたのは本人にはその能力があったからだと理解し、トラウマからの回復は可能だという前向きな姿勢を持つことが大切になる。被害者に対する誹謗中傷など、とんでもないことだ。臨床の現場では、トラウマ・インフォームド・ケアという考えが導入されていると伊東氏は言う。ケアを受ける本人も、支援者も、まずトラウマを意識することが重要になる。これは「トラウマのメガネ」という言い方もされている。児童相談所などの現場では、性被害も含めさまざまな小児期の逆境体験をしている子どもたちを支援する枠組みとして、生活環境からの様々なアプローチの方法も試みられているという。トラウマに対する理解が圧倒的に不足しているなかで、性被害を含めたトラウマをどうしたら乗り越えられるのか。今もトラウマを抱える子どもたちと向き合っている伊東ゆたか氏と、社会学者の宮台真司とジャーナリストの迫田朋子が議論した。+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++今週の論点・ジャニー喜多川氏による性加害問題を風化させてはならない・トラウマ・インフォームド・ケアの重要性・トラウマを受けた子どもへの具体的な治療の枠組み「ARC」・子どものトラウマに対する理解がまだまだ足りていない+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++■ ジャニー喜多川氏による性加害問題を風化させてはならない迫田: 故ジャニー喜多川氏による性加害問題に対し事務所が謝罪してから1年余りが過ぎ、先週は被害当事者の記者会見がありました。そこでは風化しているのではないのかという危機感も明らかになったので、今日は当事者がどれだけ傷を負っているのかという話も含めて進めていきたいと思います。宮台: 一般にスキャンダルは「賞味期限」が過ぎるとメディアには出なくなってしまいます。最近の吉田恵輔監督の『ミッシング』という映画にも詳しく描かれています。迫田: それによってトラウマを受けている当事者たちの被害はより大きくなり、特に誹謗中傷が酷い状況です。なおかつ一昨日、NHK会長の記者会見では、旧ジャニーズ事務所所属のタレントをもう一度出演させるという話も出ました。宮台: 巷では紅白歌合戦に間に合うタイミングでまた出演させると言われていますよね。迫田: 逆に言えば当事者の思いは横に置いたまま風化していくという現実があります。宮台: NHKだけではなく民間放送もほとんど同じ決定をしているので、ほとぼりが冷めたと思っているのでしょう。迫田: どういう問題だったのかをもう一度確認したいと思います。1999年ごろ、週刊文春がジャニー喜多川氏の性加害問題をキャンペーン報道して、それに対してジャニーズ社とジャニー喜多川氏が名誉棄損で週刊文春を訴えました。その民事訴訟で、喜田村弁護士の「本当に少年たちが嘘の証言をしているとあなたは思うのか」という質問に対し、ジャニー喜多川氏が嘘の証言をしたとは言えないと答え、認めた形になりました。しかしほとんど報道されず、亡くなるまで謝罪などは何もありませんでした。2023年3月にBBCドキュメンタリー『J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル』が放送されて問題が明らかになりました。8月4日に国連人権理事会、当事者の会が記者会見をし、9月7日にジャニーズ事務所がジャニー喜多川氏の性加害を認めて謝罪しました。10月にはジャニーズ事務所が「スマイルアップ」に社名変更し補償業務を担い、「スタートエンターテイメント」という会社が発足してタレント業務を引き継ぐことになりました。BBCは今年3月に『捕食者の陰 ジャニーズ解体のその後』という続編を放送し、10月15日にはスマイルアップが補償を通知した530人のうち510人と合意をしたと発表しました。しかし連絡が取れている申告者は763人いるので約200人は認めなかったということです。その翌日の16日にNHK会長が所属タレントの出演を解禁すると発表しました。ジャニー喜多川氏の性加害について530人の被害者をスマイルアップが認めたという状況で、数字だけ見ても驚きます。宮台: どういう要件が満たされていなければ認めないのかということが本来公開されるべきですが、まだ交渉中ということもあり分かっていません。所属タレントには落ち度がないという問題もあります。ジャニーズに限らず性被害を告発できなかったケースは色々あり、もし告発していればそういう人がいるということへの注意を促せたのにもかかわらず、それはできませんでした。他方で声をあげられない側のリアリティには非常に濃密なものがあり、心理学的な合理性もあります。したがって簡単に責めることはできませんが、ネットでは言いたい放題です。 -
高原孝生氏:なぜ今これまでにないほど核戦争の脅威が高まっているのか
マル激!メールマガジン 2024年10月16日号(発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――マル激トーク・オン・ディマンド (第1227回)なぜ今これまでにないほど核戦争の脅威が高まっているのかゲスト:高原孝生氏(明治学院大学国際平和研究所客員所員、明治学院大学名誉教授)―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――被爆者の立場から核兵器廃絶を訴えてきた日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が10月11日、ノーベル平和賞を受賞した。今回、核兵器廃絶を訴えてきた被団協がノーベル平和賞を受賞したことの背景には、今まさに世界でこれまでにないほど核の脅威が高まっていることが指摘できる。ウクライナに侵攻したロシアは、プーチン大統領がアメリカを始めとするNATOのウクライナ支援国に対して核の脅しととれる発言を繰り返している。北朝鮮も10月7日に金正恩総書記が「敵が武力行使を企てれば核兵器の使用も排除しない」と述べている。紛争が続くパレスチナ地域ではイスラエル政府の極右閣僚が昨年、ガザへの核兵器使用も選択肢にあるなどと発言している。国際政治の表舞台でここまで露骨に核による威嚇が語られることは、いまだかつてなかったことだ。そうした中でロシアのプーチン大統領は9月25日、核兵器の役割や使用する条件を定めた「核ドクトリン」の内容を変更する方針を発表した。新方針の下では非核保有国による攻撃でも核保有国の支援を受けていれば共同攻撃と見做すとしている。明らかにアメリカの支援を受けたウクライナを念頭に置いた方針変更で、これが正式決定されればロシアによる核兵器使用のハードルが大きく下がる恐れがある。特に近年、米ロが互いを直接攻撃できるような強力な「戦略核」に対し、あえて破壊力を抑えた「戦術核」の開発が進み、実際に使用される懸念が広がっている。破壊力を抑えたといっても、広島に投下された原爆と同等の殺傷力を持っており、核兵器である以上、従来の兵器とは破壊力という点でも非人道性という点でも明らかに次元が異なることは忘れてはならない。1945年に広島、長崎に原爆が投下されて以降、核兵器は一度も使われずに来た。なぜこれまで核戦争にならなかったかというと、互いに核兵器を保有することによって核兵器が使えなくなるという「核抑止」が機能してきたからだという考え方がある。しかし、明治学院大学国際平和研究所客員所員で平和研究の第一人者の高原孝生氏は、核戦争が起こらずにここまで来たのは、その場にいた個々の人間がたまたま「正しい判断」を下した結果であり、核抑止を過信してはならないと警鐘を鳴らす。実際はそこでいう「正しい判断」というのも、個々人が核戦争だけは避けなければならないという強い思いから、ルールに反した行動を取ったことが、核兵器使用の回避につながったというのが現実だった。規定のルールに従っていれば、何度も核戦争が起きていても不思議はなかったということだ。例えば1983年、アメリカの核ミサイル攻撃を探知するソ連の早期警戒システムが誤作動する事件があった。当直で勤務していたペトロフ中佐は、アメリカが核ミサイルを発射した場合は、共産党の首脳部に即座に報告しなければならない立場に置かれていたが、ミサイルの数が少なすぎることからシステムの誤作動の可能性を疑い、規則に反して報告をしないままミサイルの着弾予想時間が過ぎるのを待った。もし中佐が規則通りに報告していれば、直ちにソ連から報復の核攻撃が行われ、全面核戦争に発展していた可能性が十分にあった。それ以外にも、核攻撃を想定した西側の訓練をソ連側が本物と誤認識して、間一髪で核戦争に発展しかけたこともあった。互いに核兵器を保有することで核を使えなくするという相互確証破壊(MAD)の理論は、一見合理的に見える。しかし高原氏は、相互確証破壊などの核戦略はアメリカとロシアという1対1の世界しか想定していないところに問題があると指摘する。米ソが圧倒的な核戦力を独占していた時代とは異なり、今や核兵器は9か国が保有するようになっている。その中にはパキスタン、インドのように恒常的な紛争を抱える国もある。北朝鮮は金正恩総書記の意向次第で、何が起きてもおかしくない国だ。警報の誤作動や相互不信なども含め、一歩間違えばいつ核兵器が使用されてもおかしくない状態に世界は陥ってしまっている。核の抑止論では核兵器の使用を抑えられないと高原氏は言う。そのような状況の下で唯一の戦争被爆国である日本は何ができるのか、核には核でやり返すしかないという発想を転換するためには何が必要なのかなどについて、核軍縮が専門で明治学院大学国際平和研究所客員所員の高原孝生氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++今週の論点・ウクライナ戦争とパレスチナ紛争で高まる核の脅威・被爆者の訴え-誰の頭の上にも核が落ちてはならない・神話としての核抑止・核の使用を阻止するために+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++■ ウクライナ戦争とパレスチナ紛争で高まる核の脅威神保: 今日は10月10日、木曜日の収録です。本日のゲストは明治学院大学国際平和研究所客員所員で明治学院大学名誉教授の高原孝生さんです。高原さんには2016年4月にも出演していただき、当時はオバマ政権の2期目でしたが、その年の11月にトランプ大統領が誕生して新しい世界に入りました。オバマさんは大統領就任後の早い段階でプラハ演説をして、核なき世界を目指すと言いながら、なぜそれがなかなか実現しないのかというテーマで話しました。昨今、世界ではロシアのウクライナ侵攻があり、ロシアが核ドクトリンを変えるということがありました。これが今回のテーマを選んだ直接的な動機です。ロシアは核の使用基準を下げたのではないのかと言われていて、それがあってもなくてもウクライナ戦争を非常に難しくしている点は、アメリカを中心としたNATO諸国はウクライナを支援するものの、ウクライナが勝ちすぎるまでの支援はしないというところにあります。支援をしすぎるといざとなったらロシアが核を使うかもしれないという中で、生かさず殺さずというような残酷な形での支援を続けています。一方でイスラエルが今のような状態にあります。今回のきっかけは去年10月7日のハマスによる奇襲でしたが、それに対する報復は誰が見ても過剰で、その勢いを借りてヒズボラやイランもイスラエルの標的となりました。イランは180発以上のミサイル攻撃をしたので、今世界はイスラエルがイランにどういう報復をするのかということに注目しています。核施設へ攻撃をするのではないのかと言われていますが、それはなかなか簡単ではないですし、石油施設への攻撃は経済的な影響が大きいので軍事施設に攻撃するようアメリカから頼まれているという話もあります。6年前に核なき世界がなかなか進まないという話をしていましたが、現在、核を今にも使おうという意見が方々で出てきています。核が世界のプレイヤーになっているような国際政治の現状は、高原さんのように核の問題をやってきている方はどのように見ていますか。高原: 前世紀の半ばに核時代に入りましたが、その前後で時代が画然と分かれていて、それがどうしてなのかということをもう一度掴み直さなければならないと思います。今神保さんがおっしゃったことは国と国の争いのようなレベルの話で、国際政治の構想の下で核兵器のようなものが出てきた意味をもう一度捉えなおす機会が来たと思います。ずっとそのことを議論してきたはずですが、それが十分捉えきれていません。まずフェアでないということがあります。例えばプーチンさんが核ドクトリンをいじることを検討しているということですが、アメリカはずっと同じような方針で来ています。それをおいてプーチンさんが同じことを言いだしたら大騒ぎするというのはどこかおかしく、本来ダブルスタンダードはだめなんです。主権国家がアクターではありますが、国連が今の国際社会の構造の上に立っていて、これはヨーロッパが中心となって作ってきたシステムです。かつてヨーロッパにそういうシステムができた時には違うシステムを持っていた地域がいくつもありました。
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