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<菊地成孔の日記 令和7年 2月26日>
2025-02-27 10:00220pt12いきなり暖かくなった日の朝10時半に精神科に薬をもらいに行った。ものすげえ混んでいる。どうやらまた患者さんが増加傾向だそうで、歯医者が暇でぼったくり、内科と精神科は患者がオーヴァーしているわけだが、コロナの時も、震災の時も増加したらしいのだけれども、今また増えているとしか思えない。
子供の頃、麻疹が流行った時の内科の待合のように、もう椅子はいっぱい、立って待ってる患者さんや、車椅子介護付きの人とかもいて、向かいに座っている、中学生と思しきメガネの女の子が初診のあの紙あるでしょう、あれに書き込みしてるのを見ると、この子はどう具合悪いのだろうか?この紙を提出したままステージに上がったら、仲間のクルーと一緒にすげえダンスとかしそう。とか想像してしまうような女子中学生。自分が若く程度の低い映画監督とかだったら、彼女をモチーフにどうしようもない脚本とかを書いて、なんとそれが映画化されてしまいそう。な午前中が、そろそろ終わる。
昨夜は一睡もしていない。今、「刑事コロンボ研究(上)」のデジタルゲラ(とはいえ、紙ゲラをPDFファイルにしたもの)のゲラチェックを、アドベのアクロバットというソフトの結構な価格帯の奴を買って、毎日チェックしているのだが、、、、、、と、<え?今、アドベのアクロバット有料高いの買ってゲラチェックしてるって言った?アンタ紙派じゃないの?>と驚いた方もいると思うが、僕はアーミッシュとかじゃない。SUNOもUdioも実装しているし、とはいえ、ずーーーーっとアンチWord、アンチExcelだったんで、まあまあ何というか、老人に付き物とも言えるよね、算盤とか煙管とか伝票とかだったのに、いきなり普通に汎用テクノロジーに適性もっちゃう人。
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<菊地成孔の日記 令和7年 2月22日>
2025-02-22 10:00220pt4これを読むのは可能な限りラジオデイズ最新回、「決闘そしてニューオーリンズ」を聴いてからにして頂きたい。もしくはこれを読んだら、すぐに「決闘そしてニューオーリンズ」を聞いていただきたい。西部劇みたいに「ニューオーリンズの決闘」としたかったのだが、決闘の相手が小田急線の自動券売機なので分節した。
母方の寿司屋は「根本」家といった。「丸子」という屋号は戦前から3代続いたもので、前回書いたように、銚子大空襲(これは有名な「東京大空襲」の帰路、「東京に落とし損ねた爆弾」を「最後に落とせる場所」が、関東最東端の銚子市だったことから、キャンプの最終日に残りの缶詰とか酒とかを全部<やっつけて>しまうのと同じで、銚子市の70%超は焦土と化し、満州から復員した父親は、国鉄の銚子駅から、半壊した実家=「きくち食堂(当時)」が見えたそうだ)を辛くも耐え抜き、戦後に新装したものの、結果、ラジオデイズある通り、花板である母方の長男である徳次郎=徳さんが潰してしまった。
戦前の銚子は勝浦、鴨川、舘山などと並ぶ千葉県の海浜リゾート地Aリーグに属していて、成田や千葉、果ては両国から観光客が来ては犬吠埼で海と海豚、日の出などを見て、歓楽街である「観音町」で観音寺詣をし、映画や大衆演劇を楽しんでから、飲食に入るのだが、「きくちの天ぷら」と「丸子の寿司と伊達巻き」は、2時間も3時間も並ばないと食えなかった。
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<菊地成孔の日記 令和7年 2月21日>
2025-02-21 10:00220pt以下、全て初めて書くことだ。血族の物語に、僕はかなり遅く登場し、実際にほとんどの人と関係がない。僕は血族の中の天使ようなもので、かつ、愚兄と同じで、一族の誇りのようになっているが、「小説家」という非常にわかりやすい仕事ではなく、僕の仕事の全貌が血族に知られることはもう未来永劫にわたってないだろう。「テレビに出た/ラジオもやっていた / 今年の正月にもテレビに出てた / 本も書いている」で、一体僕の何がわかるだろうか。
愚兄は僕とは違い、両親がまだ若い頃に生まれ、親戚たちとも付き合い、父親と、非常に健康な(オイデプス・コンプレックスとさえ言えなそうな)、父と長男の確執の果て、極端に血の気の多い父親と大喧嘩の末に2度勘当された末、一転して「ベストセラー作家」として、いきなり父親と長年の確執を霧消させ(あんな極端な手打ちは、あれ以前もあれ以後も見たことがない)、自慢の息子として、一転して -
<訃報>
2025-02-09 10:00220pt5つい先ほど、非常に強い波動を感じまして、目眩と共に全身から力が抜けるような感覚を覚えまして、流石にもう病気でもあるまい、更年期障害もしくは日米首脳会談後の共同声明から受けた衝撃の余波か? 等と思い、直後に嗚呼と額に手を当て、携帯電話を取り上げたところ、昨年末から病床におりました育母の訃報が届いておりました。
とうに齢90を超えておりましたし、私も立派な初老ではありまするが、男子たるもの、育母なれども否、育母ならばこそ、最愛の女性を失った瞬間の気分とはこうしたものかと、しばらくは暗闇の中で動きが取れませんでしたが、その後、光を取り戻してからも脱力したままでありまして、ただ、彼女の存在は、むしろ近づき、存命中よりも些か我が身の側におります。
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<菊地成孔の日記 令和7年 2月7日>
2025-02-08 10:00220pt3オレよりかなり背が高いその女はヤバくて、マスクをしているから目しか見えない。だがざわちんの呪いが(驚くべきことに)まだ祓われ切っていないオレは、マスクをし、アイメイクだけの女が、豹のように四つん這いになって、もうきっと、どこでもこういうモンはいくらでもすげえのが手に入るんだろう。スマホで山ほど買ってんだこいつも。と思うしかない、最近ヴァイナルテープ・アートとか言われてる、2センチ幅ぐらいの長いスパンデックスのテープ1本だけを芸術的に織り込んで水着にしたあれを着ていて、ケツは20代のストリッパーみたいなケツしてるし、今、オレの顔の前2センチぐらいのところまで近づいてるこいつの目は、一重のアジアンビューティーで、デヴィルズアイラインの引き方は完璧。30代になったばかりぐらいだと思うが、恐らく背中ぐらいの髪をツインテールにしてから見事に結い上げていて、オレにはどう縛ってあるのか、全く読めなかっ -
<菊地成孔の日記 令和7年 2月1日>
2025-02-01 10:00220pt7ボブ・ディランの伝記映画(有名な自伝を元に映画化した。という意味ではない。オリジナル)「名もなき者」を試写会で見てきた。別に不快になったり、退屈したりとか、いわゆる20世紀的なネガティヴは何もない。
すっかり21世紀ハリウッドの標準装備となった「ある時代の再現性」もガッツリで、映画は60年、ハンチントン病で入院した伝説のフォークシンガー、ウディガスリーの入院見舞いに、ピート・シーガーもいる前にディランが訪れるところから始まり、65年、伝説のモンタレー・フォークフェスティヴァルで「エレキを持って、観客から命の危険を感じるほどの大ブーイングを食らう」ところで終わる。もう、AI老眼な僕だが、AIによって60年~65年のアメリカが再現されているとしか思えないものすごい精密度による再現だ。
ただ、これほど志の低い伝記映画を僕は見たことがない。呆気に取られた。アコギな商売というのは、こう言うのを指すためにある言葉だ。
この映画の価値は、「ティモシー・シャラメという、当代切ってのグランクリュの美青年が、ボブ・ディランという、風采上がらないギリギリの、異形の天才をやれるかね? やったらどうなる?」というゲスい興味、そのたった一点しかない。それ以外は、ただ、映画の時間分のシーンがくっついているだけだ。ジョーン・バエズもジョニー・キャッシュも、アルバート・グロスマンも大変良い。でも、良いだけで、映画の中で、ほとんど機能しない。
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