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記事 23件
  • 【修斗世界王者】内藤のび太は仮面を脱いでも“のび太”だった!!

    2014-11-17 19:39  
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    本年度の国内MMAベストバウトとの声もあがる激戦を制して、無敗のまま修斗世界フライ級王者になった内藤のび太。某国民的アニメの主人公を真似たリングネームは、内藤本人の気弱な性格と見た目からネーミング。某・野比のび太が銃を握れば一流のガンマンとなるように、内藤がオープンフィンガーグローブをつければ一流のMMAファイターに変身するのだが、リングを降りた修斗ののび太は“ジャイ子と結婚するのび太”、つまり「ネガティブなのび太」であった……。とにかく応援したくなる!――飲み物は何を頼まれますか? 
    のび太 そうですね……この「フラペチーノ」ってなんですか?
    ――ええと、「フラペチーノは何か?」と深く考えたことないですけど。フローズンドリンクとでも言えばいいでしょうか。内藤選手は飲まれたことがないんですか?

    のび太 ……ないですね。スターバックスにも入ったことないですし……なんか、緊張するんですよね、こういうオシャレなところに入ると……。
    ――いやいや、ありふれたカフェですよ!(笑)。本日の取材は月曜の昼を指定されましたが、お仕事はお休みなんですか?
    のび太 あ、いや、いまは働いてないんですよ……。
    ――ああ、修斗の世界戦に備えて一旦やめられたとか。
    のび太 というわけでもないんですけどね……。ただ単に人間としてダメなだけで……30歳なんですけど。
    ――格闘技の練習する以外は何をしてるんですか?
    のび太 そうですね……ボーっとしてますね。
    ――リングネームの「内藤のび太」はそういった私生活のキャラもあってネーミングされたんですかね。
    のび太 はい。パラエストラ松戸にボクより先にプロデビューしたジャイアン貴裕という選手がいるんですけど。ボクがデビューするときに「おまえはのび太な!」というふうに決まってしまって……。彼は歳下なんですけど……。
    ――歳下に「おまえはのび太な!」ですか(笑)。内藤のび太の心の友・ジャイアン貴裕。世界王座奪取後のリング上でパンクラス王者との対戦をぶち上げるなど、のび太を導いてくれるドラえもん的存在でもある。ボエ〜♪――気は弱いほうなんですね。
    のび太 身体が小さいですからね……。あんまり気は強くはないんですよね。喧嘩なんかもしたことはなくて……。兄弟喧嘩はありますけど、人を殴ったことなんてないです。
    ――中学や高校時代は何か部活はやられてたんですか?
    のび太 中学のときはサッカー部に入ってましたけど……とくにそこまで運動はやってなかったし、運動神経もよくなかったです。
    ――何かのマニアというわけでもないんですかね?
    のび太 とくに何も詳しくないですねぇ……。
    ――アイドル好きでもなく。
    のび太 そういうわけではないです。ボクは背が高い人が好きなので。
    ――背が高いアイドルっていないんですかね(笑)。格闘技以外で趣味は何かありますか?
    のび太 いまは……ちょっと本を読んだり。
    ――何を読んでるんですか?
    のび太 そうですね……いまは夏目漱石ですね。
    ――もしかして文学青年なんですか?
    のび太 あ、いや、違います……。ボク、最近スマートフォンにしたんですけど。そうしたら無料で読めるので。ただで読めるなんて凄いなって。
    ――ああ、青空文庫アプリで。
    のび太 あと……『ドグラ・マグラ』を読んでます。
    ――無職で『ドグラ・マグラ』の組み合わせはヤバイですよ!(笑)。ここまで無気力なのにどうして格闘技をやろうと思ったんですか?★記事の続きと村上和成、安西グレイシー、冬木弘道、ノブ・ハヤシ、多重ロマンチックのインタビューが合わせて7本7万字が読める詰め合わせセットはコチラhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar676078 
  • 「ADULT VIDEO WRESTLING」とは何か?■二階堂綾乃のオールラウンダーAYANO⑬

    2014-11-14 09:54  
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    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだした! その模様をイラストレポートすることになった当コーナーですが、今回はプレゼントされた謎のDVDについて!プロレスが好きだ総合格闘技が好きだと言っていると、ありがたいことにそれ関連のDVDを借りたりもらったりプレゼントされたりすることがあります。ムタや『四角いジャングル』やUFC等、普通にもらって嬉しいDVDはホクホクと楽しんでいるのですが、時々「これは……!?」と思う摩訶不思議なDVDに遭遇することがあります。今回は今までである意味一番レアなDVDに遭遇した時のお話しです。
    ある日知り合いにプロレス関連のDVDをたくさんいただいたとき、1枚だけ聞いたことのない団体名のDVDがありました。その団体は「AVW」。一応プロレスファンとして団体の名前は網羅しているはずの私がまったく聞き
  • 羽生君で話題の「脳しんとう」で、元プロレスラーがWWEに損害賠償訴訟を起こす!■MMA Unleashed

    2014-11-14 09:48  
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    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム。今回はフィギュアスケートのアクシデントで話題になった「脳しんとう」。日夜バンプを取り続けたきた元プロレスラーがなんとWWEを訴えたという……。
    フィギュアスケートのGPシリーズ第3戦・中国杯で、ソチ五輪金メダリストの羽生結弦選手がフリーの演技直前の練習で激突し脳しんとうを起こしながら出場を強行したことについて、メディアでは賛否両論がまきおこっている。
    ちょうどそんなおり、80年代に新日本プロレスに来日し、アントニオ猪木とシングルマッチを行った経験もある米プロレスラー、ビリー・ジャック・ヘインズ(61)がWWEに対して、外傷性脳損傷についての医学研究や証拠を隠蔽・隠滅し、自らの利益のために選手を著しく酷使したとして、オレゴン州ポートランドの地方裁判所でWWEを相手取り訴訟を起こした。ヘインズは訴状で、WWE時代に脳しんとうを15回起こしたと述べ、イスやチェーン、その他の武器で頭部に何度も打撃を受けた結果、後年になってうつ病と認知症を発症したとしている。ヘインズの弁護士は、この訴訟に対する他のプロレスラーの参加も呼びかけ、1人当たり500万ドルの賠償を求める集団訴訟に仕立ていく計画だ。
     
  • ポール・ウォーカーの柔術ムーブ炸裂! 『ボビーZ』■高橋ターヤンのバトル映画地獄変⑦

    2014-11-12 22:00  
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    映画ライターで北米MMA事情通の高橋ターヤンがプロレス格闘技関連の映画を紹介するコーナー。今回取り上げる作品は、非業の死を遂げた俳優ポール・ウォーカーの柔術ムーブが堪能できる『ボビーZ』だ!今から約1年前、有望なアクション映画スターが交通事故で亡くなった。
    ポール・ウォーカー
    モデルから俳優に転身し、2001年の『ワイルド・スピード』で一躍スターダムに躍り出たウォーカー。大作だけでなく、『南極物語』のようなヒューマンドラマ、『ワイルド・バレット』や『ハリケーン・アワー』のような小粒でピリリと辛い作品など、幅広い作品に出演。『ワイルド・スピード』の最新作の撮影中、友人のレースドライバーの運転するポルシェで事故に遭い、そのまま帰らぬ人となった。享年40歳。俳優としてその将来を嘱望され、キャリア的にも絶頂期を迎えんとしていた矢先の事故死となり、多くのファンがその死を悼んだ。 
  • 平成のテロリスト・村上和成――格闘家が挑んだ命懸けのプロレス道!!

    2014-11-12 19:44  
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    プロレスと格闘技の境界線が曖昧だった「プロ格・大航海時代」の90年代――格闘家のプロレス転向の嚆矢ともいえた存在が村上和成である。初期・和術慧舟會を知る男は、伝説の格闘技イベント『トーナメント・オブ・J』やバーリトゥードと呼ばれていた時代のアメリカを体験し、日本では『PRIDE・1』の記念すべきオープニングマッチを務めた。プロレス転向後はアントニオ猪木が率いる最凶軍団UFOに参加し、“暴走王”小川直也の片腕として活躍。100年に1度のシュートマッチ、小川直也vs橋本真也の通称“1・4事変”では、UFO軍団の暴挙に怒り狂った新日本プロレス勢に集団で踏みつけられ意識不明の重体に追い込まれた。そのアクシデントをきっかけに新日本勢との抗争劇が開始。「平成のテロリスト」として多くの団体で存在感を示していたが、脳挫傷を負って以降はリングとは距離をおいている。そんな村上和成の命懸けのプロレスロードを16000字でロングインタビューで振り返ってみた。

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    非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! part9は大好評インタビュー7本、7万字オーバーが540円!!  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar654402

    ■伝説のUWF戦士・中野巽耀は“欠席王”だった!「UWFのメンバーが話し合いをやったって、まとまるわけがないんだよ」■アンデウソン・シウバを極めた元カリスマブロガーの懺悔録! 高瀬大樹ロングインタビュー「俺は本当に悪い奴でしたよ……」

    ■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」! 阿修羅・原物語失踪後、阿修羅が身を寄せていた北海道の寿司屋に盟友・天龍が訪れた……

    ■喧嘩日本一!ケンドー・ナガサキこと桜田一男の日米を股にかけたの黄金プロレス人生!!「SWSが使った金は100億円。凄くいい団体だったよ……」「メガネスーパーの田中社長が亡くなる直前、あることを頼まれたんだよ」

    ■不良格闘技イベント『アウトサイダー』で超有名アマチュアファイターに”“リアル神代ユウ”佐野哲也「格闘技を続けるために警察学校をやめたんです」■無謀か、勇気か? 男・佐伯繁、大晦日さいたまスーパーアリーナに進出!「今年DEEPがやらなかったら、大晦日のたまアリで二度と格闘技興行はできないかもしれない」■女王が結婚、出産、育児を経て6年ぶりに復帰!!しなしさとこインタビュー「総合格闘技と女性の戦い」

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    ――いまは格闘家が気軽にプロレスのリングに上がれる時代ですけど、村上さんは意識不明に脳挫傷……命がけでプロレスに取り組んでましたよね。
    村上 あー、そこは時代的なものもあると思うんですね。ボクの場合は佐山(サトル)先生や小川直也という人間に出会って、もっといえばアントニオ猪木にプロレスというものを教えられたわけですから。
    ――プロレスデビュー当時から濃い方々との付き合いがあって。
    村上 じつはボクはガキの頃からプロレスをバカにしていた人間で。格闘技やってた頃も「なぁ〜にがプロレスだよ?」と文句を言っていたほうなので(笑)。それがこんなにもプロレスに惚れこんでしまって……。ボクの人生でプロレスくらいなんですよ、ここまで惚れ込んでしまったものって。
    ――村上さんは新弟子生活を経てデビューしたわけじゃないですよね。
    村上 はい。だからプロレスの練習をしたことがなかったんですよね。それに猪木さんが小川さんに出した指令が「村上にはプロレスの練習をさせるな!」ですから(笑)。
    ――ハハハハハ! プロレスをやるのに!
    村上 「おまえは本能のままに戦え!!」と。それはいまでもそうなんですけどね。受け身とかは現場で勉強していくというか、「これは痛いな」「このまま受けるとヤバイな」ってそんな状態。だから最初は「なんでみんなロープに振られるんだろう?」ってバカにしてたんですけど。でも、ちゃんと背中にロープを当てて返らないと危険なんですよね。
    ――ロープの中には鉄のワイヤーが入ってるから、ヘタに受けると危険ですね。
    村上 それでロープを利用したほうがいいことがわかったんですよね。それでも理解するのに5〜6年はかかりましたけど(笑)。あとボクがラッキーだったのは「本能のまま戦え!」とは言われたけど、実際にそう戦ったら相手が大怪我することもあるじゃないですか。「本能のまま戦え!」という猪木さんの難しい言葉を具現化してくれたのは、バトラーツの石川(雄規)社長だったんですよね。
    ――なるほど! 石川さんって“猪木プロレス”を真剣に考えて実践してましたね。
    村上 そうです、そうです。石川さんは猪木さんの黒いタイツや赤いタオルも真似てましたし、猪木さんのような試合をしていた。ボクがバトラーツに上がったときに「何をやってもどんなことをやってもいいんだよ」と言ってくれたのがその石川社長で。その言葉を受けてボクは試合になるとケガをさせたり、ケガをしたり……たいていはケガをさせるほうだったんですけど(苦笑)。
    ――そうやって場数を踏むことで、村上さんの暴走スタイルが確立されていったんですね。
    村上 はい。バトラーツで経験が積めたのは大きいですよね。
    ――小川さんとはその経験の違いがあったのかもしれませんね。
    村上 小川さんはWWEとかアメリカンプロレスが大好きだったりするじゃないですか。
    ――ハルク・ホーガン大好きですからね(笑)。
    村上 そうなんですよね(笑)。それでいて猪木さんや佐山さんにプロレスとは何かを教えられ、新日本プロレスとも緊張関係がある中で、リングに立ち続けてきたので、小川さんはどうしても「コノヤロー!」というスタイルにはなっていきますよね。
    ――経験が浅い時期から先鋭的なストロングスタイルが求められてしまった、と。
    村上 それは小川さんしかできない役割でしたし、一緒に長くやってきましたけど、ボクとは立場は違いましたよね。あとUFOのときは小川さんの命令もあって身体を絞ってたんですよ。でも、永田裕志の蹴りをもらったときに「この身体ではダメだ」と思って。永田裕志もボクと同じ本能のまま戦ってくるタイプですけど、それだけに細身だとあの蹴りは耐えられないんですよね。
    ――永田さんのキックでプロレスに目覚めたところもあるんですね。
    村上 当時のボクは90キロもなかったですからね。ボクと戦う相手は蹴ったり殴ったりバンバンくるわけで、ボクはその攻撃をガッチリ受けて「そんなの効かない!」とアピールしなくちゃならないですから。それで肉を付けるようになったんですよ。
    ――村上さんは格闘家の頃からプロレスラー志望ではなかったんですよね?
    村上 考えもしてなかったですよね。というか、ボクの場合、人生の分岐点がほぼほぼ自分の意思じゃないんですよ。高校の柔道部の監督の命令で拓殖大学に入りましたし、大学卒業間際に拓大の先輩にあたる西良典先生が東京で和術慧舟會の大会をやったんですけど、意味もわからず出ることになったり(笑)。
    ――総合格闘技も自分の意志ではなかった、と。
    村上 そうなんです。「おまえ、殴って蹴って骨を折ったら、みんなから拍手されるんだぞ? 喧嘩しても拍手はされないだろ?人生の記念になるぞ!!」とか言われて(笑)。しかも大学の先輩後輩の関係ですから断ることなんかできないんですよ。先輩の言葉に「NO」はない。それで大会に出たら優勝してしまって。
    ――それが「真・格斗術トライアル・トーナメント」なんですね。
    村上 あれは新宿スポーツセンターでやったんですよ。1回戦の相手がトーワ杯3位の方で。柔道着にグローブをつけさせられて「先輩、これだと相手を掴めないんですけど」って言ったら「馬鹿野郎!とにかく相手をぶん投げて骨を折ればいいんだよ!」と怒られて(笑)。
    ――ハハハハハハハ! 総合格闘技の知識はあまりなかったんですね。
    村上 まったくないです。柔道と相撲と喧嘩殺法だけ。とりあえず格闘技をやらなきゃいけないと紹介されて通ったところが黒崎道場だったんですよ。「誰だよ、黒崎って?」という感じだったんですけど。
    ――“鬼の黒崎”を知らなかった!(笑)。
    村上 まったく知らなかったです(笑)。黒崎先生には「つま先で立って構えていろ」と言われて。ボクはバカだからそのままの姿勢で立ってたんですけど、何時間経っても先生が来ないんですよ(笑)。
    ――必殺・放置プレイ笑)。黒崎道場にはセメントでできたリュックを背負って歩くという練習もあったそうですね。
    村上 ありましたねぇ。二宮金次郎のようにマキが入ったカゴを背負って走ったり、砂袋が入ったタイヤを引っ張りながら走ったり。そのうちに「佐山のところに行ってこい」ってことで佐山先生のところでキックの練習をするようになりました。それでトーナメントで優勝したら「フリー」だった所属がいつのまにか「和術慧舟會」に変わっていて。
    ――あ、入門した記憶がない(笑)。
    村上 「えっ、和術慧舟會ってなんだろ?」って感じですよ(苦笑)。
    ――村上さんの頃って東京本部の道場はあったんですか?
    村上 道場はボクがアメリカで試合をする半年くらい前にできたんですよね。東京での活動自体は、久保(豊喜)社長と、亡くなられた守山(竜介)さんが拓大出身だったことで、西先輩に頼まれて始まったんですけど。
    ――そこも拓大の上下関係から生まれたんですね。
    村上 久保社長は当時、不動産の仕事をやっていて。その久保社長の事務所の中に間借りするかたちで、守山さんは中古車ディーラーの仕事をやってましたね。
    ――当初は仕事の合間に東京本部の活動をされていたんですね。
    村上 新宿スポーツセンターや区の柔道場を借りて、守山さんと2人きりで練習してたんですよね。ただ広い柔道場に2人だけで(笑)。
    ――それが和術慧舟會東京本部の原点だったんですねぇ。
    村上 そのうち宇野(薫)くんとかあのへんのチームが練習に来るようになって、そのうち東京本部の道場ができたんですよね。
    ――のちに和術慧舟會のエースになる小路(晃)さんと村上さんと同郷ですよね。
    村上 アイツとはまったく接点がないんですよ。高校が同じ柔道部なんですけど、大学に進んだボクが格闘技をやってることを知っていて、「格闘技をやりたい」という電話があったので慧舟會に入るように薦めたくらいで。どこかで会えば「おう!」と話はしますけど。
    ――話を戻すと村上さんは「トーナメント・オブ・J」にも出ることになりましたけど。高阪剛さんをはじめ、のちの有名格闘家がこぞって参加した伝説のイベントですよね。
    村上 ボクは1回戦で郷野(聡寛)選手と闘ってハイキックで負けて。そこで初めて火が付いたんですよ。「コイツにはリベンジをしないといけない!」って。蹴り一発で負けた自分が情けなくて、就職活動を一切放棄して格闘技に集中したんです。
    ――無茶しますねぇ。
    村上 いろいろと就職の話はあったんですけどね(笑)。それで翌年の「トーナメント・オブ・J」で郷野選手にリベンジを果たして、格闘技をやってることがだんだん楽しくなってきたんですけど。働かないと当時は格闘技だけで食べていけないじゃないですか。
    ――「プロ格闘家」が成立しない時代でしたね。
    村上 それで築地の市場で働くことにしたんですよ。築地の仕事って早朝に始まって昼に終わるという感覚があって、それなら練習もできるかなと考えていたら、ボクが働いていたところは朝早くて夜遅いんです(苦笑)。そんな中、アメリカのエクストリームファイティングからオファーがあって。慧舟會を通しての話だったんですけど、試合の3週間前に「行け!」と言われて。
    ――そこも断れない命令でしたか(笑)。
    村上 なんで自分にオファーがあったかというと、ボクが木村政彦先生の孫弟子にあたるという話題性もあったと思うんですよね。強かろうが弱かろうが、柔術発祥の地である日本の格闘家に勝ったら「凄い」という話になりますし。
    ――木村政彦の名前はやっぱり轟いていたんですね。
    村上 本当に木村先生は凄いですよ。とくに大外刈りは倒されたら一本だし、倒されなかったら足の骨が折れますから。
    ――ファッ!?
    村上 拓大では木村先生式の大外刈りの練習させられるんですけど、それは木村先生にしかできなくて。ボクの拓大時代の柔道部監督だった岩釣(兼生)先生が、木村先生の弟子の中でも唯一習得したと言われてるんですけど、木村先生に言わせるとそれでも半分の出来らしくて。岩釣先生にその大外刈りをかけられたんですけど、足の骨が折れるかと思いましたね(笑)。
    ――半分でもその破壊力(笑)。
    村上 当時の岩釣先生って60歳近かったたんですけど、身体を持たれたら動けなかったです(笑)。で、アメリカの試合に出ることになったんですけど、試合に備えるとなると仕事をやめないといけないじゃないですか。そこで困っていたら、働いていた会社の専務がバスケのジュニア五輪の選手だったことがあるんです。その方が社長に「村上が試合に出るから試合前後は休まないといけない」と頼み込んでくれて。
    ――元スポーツマンとして親身になってくれたんですね。
    村上 社長も最初は「総合格闘技ってなんだよ、それ?」って半信半疑だったんですけど、ボクが取り上げられてる『格闘技通信』を見せたら「おまえは雑誌に載るくらい選手なのか?」って納得してくれて。ボクが働いていたのは仲卸の青果だったんですけど、店の前にカンパ箱を置いてくれて。毎朝1万円を入れていってくれるオジサンもいたんですよ(笑)。
    ――築地を挙げて応援されてわけですか(笑)。
    村上 1週間か10日くらいで20万円くらいになりましたねぇ。でも、対戦相手の写真を見せたら「おまえ、こんな身体のでかいヤツには勝てねえだろ!?」って。
    ――バート・ベイル。スーパーヘビー級の体格でリングスや藤原組にも出てましたね。
    村上 そんなことはまったく知らなくて。アメリカに行ったら、ほかの選手たちが「頼むからアイツをぶっ飛ばしてくれ!」って口を揃えて言ってくるんですよ。通訳が言うには「ベイルはみんなから嫌われてるらしいんだよ」って。
    ――ちなみにファイトマネーはどれくらいだったんですか?
    村上 慧舟會を通してたので正確な金額はわからないですけど。あんときは面白いシステムで、相手のファイトマネーが100万、ボクが10万だとしますよね。ボクが勝ったら金額がひっくり返るんですよね。
    ――それは面白いですね。
    村上 イベント側はバート・ベイルを看板選手にしたかったみたいですけど、ボクが勝ってしまったから相撲といえば金星ですよね。ボクは10万円もらってなかったですけど(笑)。
    ――ひっくり返ったお金は届かなかった、と(笑)。
    村上 まあ、アメリカで試合ができるだけで満足でしたけどね。相手はホントに力が強くて、ハンパじゃなかったんですよ。もう柔道の原理が通用しない。「殺さなかったら殺される!」と思って、そこからはもう喧嘩殺法ですよね。しこたま殴りまくって、それでレフェリーに止められてコーナーに戻るように言われたんですけど、ドクターチェックみたいなことをして試合を再開させようとするんですよ。
    ――看板選手を負けさせることはできなかったんでしょうね。
    村上 でも、ベイル本人が「もうできない……」ということで。それで後日、ベイルが出る予定だったタイトルマッチにボクが出ることになったんです。
    ――それがモーリス・スミス戦なんですね。
    村上 そこではモーリスに負けてしまったんですけど。当時の格闘技興行って「生きるか、死ぬか」みたいなところがあって、控室で「俺は何人殺したぞ!」とかうそぶいてるような連中ばっかなんですよ。
    ――ならず者の集まりという。
    村上 試合も危なくて、どんなに殴られても、完全に伸びてる状態でもレフェリーが止めない。いまの10倍は殴られたあとでようやく止めるから、負けた奴はみんな救急車で運ばれますよね。
    ――いまからするとホント危ないですよね……。
    村上 レフェリーが総合格闘技というものをよくわかってなかったんですよ。だからセコンドが割って入って試合を止める。あとルール上は噛みつき、金的、目潰しは禁止だったんですけど、噛み付き以外は全部やってきますからね。パンチを打つふりして目に指を入れてきますし、ファールカップをズラしてきますし。
    ――まさに“なんでもあり”という。
    村上 あとエクストリームファイティングの第2回大会に出場した選手は全員逮捕されてますからね。
    ――地下格闘技でも一斉摘発はされないですよ!(笑)。
    村上 なんで逮捕されたかというと、グローブをつけることは州の規則で決まってるんですけど、試合前にみんなグローブを外して素手で戦ったんです。それで宿泊先のホテルに帰ったら警官隊に囲まれて全員逮捕(笑)。ボクの出場した回からグローブをちゃんとつけるようになりましたから。
    ――あの頃のMMAイベントは開催するだけでも一苦労でしたね。
    村上 あのときはボクシングを脅かす存在だったんですよね。お客なんて5割も入ってないんですけど、PPVがたくさん売れたみたいで。翌日にショッピングモールに買い物に出かけたら、みんなから声をかけられて驚きましたね。
    ――そのあと村上さんは「PRIDE・1」の記念すべき第1試合に出られて。
    村上 それで「もう格闘技はいいかな」と思ったんですよ。もともと好きで始めたことではないし、ある程度やったんでこれでいいかな、と。UFOに入ってからも自分の意志で格闘技のリングに上がったことは一度もないんですよ。すべて会社なり小川さんが「行け!」ってことで。
    ――伝説の2003年『猪木祭り』のステファン・レコ戦も急なオファーだったじゃないですか。
    村上 オファーから試合まで2週間なかったですね。ルールも総合にするかどうかという話になったんですけど、「なんでK−1の選手と戦うのに総合なんですか。プロレスラーはどんなルールでも戦うんですよ」ってことであえてK−1ルールで戦って。
    ――プロですね!
    村上 でも、ギャラもらってないんですけどね(苦笑)。
    ――あら、村上さんも『猪木祭り』被害者の会でしたか!(笑)。
    村上 半分もらってないです。半分は事務所に言ってもらいましたけど。けっこうもらってないことがあるんですよね。『真撃』とか。
    ――ゼロワンが主体となったプロ格イベントですね。主催したステージアはじつは第1回『猪木祭り』も主催していて。
    村上 大阪城ホール、超満員だったんですけどねぇ(笑)。ジョシー・デンプシーというボクサーにおもいきりフックでぶっ倒されてるのにノーギャラだったんだよなあ……。
    ――話を戻すと、村上さんは猪木さんが主宰するのUFOでプロレスデビューすることになりますね。
    村上 きっかけはホント偶然で。ちょうどゴールドジムが日本にやってきたんですけど、行徳のゴールドジムを間借りするかたちで「何かをやってもらえないですか?」という話になって。そんなにやる気はなかったんですけど、順道会館という道場を始めたんですけど、格闘技界って閉鎖的じゃないですか。「俺のところには連絡が来てないぞ!」という声が凄くあって。
    ――道場をやるなら挨拶してこい!と。
    村上 そうなんですよ。お金もないし、手書きの文章を作って、いろんなジムや道場にFAXを送って。そうしたら以前練習をさせてもらった佐山先生から連絡があったんですよ。「村上くん、六本木の事務所に来てよ。会長がいるからさ」と。会長って最初は誰のことかわからなかったんですけど(笑)。それがプロレスの始まりですね。
    ――FAXを送ったことで佐山先生の目に止まったわけですか。
    村上 そうなんですね。それで事務所に行ったら猪木さんと佐山さんがいて。「会長、彼です。2年前から言っていたのは」と言われて。「はじめまして、村上です」と挨拶したら猪木さんは「おお、頑張れよ!」とおっしゃられて。何を頑張るのかわからなかったんですけど(笑)。そうしたら1週間後にまた佐山さんから電話があって「3日後にロサンゼルスに行ってくれない? オーちゃんも行くから」と。「誰だよオーちゃんって?」感じで。
    ――「会長」だの「オーちゃん」だの(笑)。
    村上 あらためて事務所に行ったら小川さんがいたんですよ。「オーちゃん=小川直也のことかよ!?」ってビックリしちゃって(笑)。柔道家のボクからすれば小川直也というのは雲の上の存在ですよ。直立不動になりましたし。
    ――それで小川さんと一緒にロサンゼルスに格闘技修行に行くことになったんですね。※最強UFO軍団、試合前から異様だった小川直也vs橋本真也“1・4事変”、試合後大乱闘で意識不明、小川直也喧嘩別れの真相、上井文彦に騙されたビッグマウスラウド……16000字ロングインタビューはまだまだ続く!★記事の続きと、安西グレイシー、冬木弘道、内藤のび太、ノブ・ハヤシ、多重ロマンチックのインタビューが合わせて7本7万字が読める詰め合わせセットはコチラhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar676078 
  • 榊原代表サイン入りCDからフリーペーパーまで……格闘技お宝鑑定団!!■MMAオレンジ色の手帖<File⑨>

    2014-11-06 23:00  
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    格闘技ブログ「MMA THE ORANGE」の管理人オレンジがディープなエピソードをお届けする「MMAオレンジ色の手帖」! File⑨は「格闘技お宝グッズ」です。収集癖と所有癖がある私。他の人にとってはなんの価値もないと思うモノでも、集めて捨てずにとっておくという犬のような毎日を送っています。きっとそのときの思い出がモノに乗り移って捨てられずにいるのでしょう。そんな異常なクセを持って長年格闘技に触れていると、あるわ、あるわ、お宝?ガラクタ?の山が。いまとなってはなぜ持っているのか、その理由すらわからないモノも少なくありませんが、今回はコレクションの中から印象深いお宝とその想い出を綴っていきたいと思います。題して「格闘技お宝鑑定団」。日本全国の格闘技マニアの皆様、鑑定のほど、よろしくお願いします!■ロットNo.1  榊原代表サイン入りCD賛否は大きく分かれるものの、PRIDE全盛期の格闘技ファンに大きなインパクトを残してくれたDSE代表・榊原信行氏。その榊原代表のドアップ顔がジャケットになったCDの存在をご存知の方も多いでしょう。一代で成り上がったワンマン社長が社員総会やか株主総会で配りそうな企画ですが、榊原氏がDSEの代表を退いた「PRIDE.34」の会場で実際に来場者全員に配布されました。それはもうPRIDEに対する熱い想いの証に他なりません。 
  • チャイニーズMMA戦国時代!! 諸子百家争鳴を制するのは誰だ?■MMA Unleashed

    2014-11-06 22:52  
    51pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム。今回は活性化する中国MMA市場、その期待と不安……。

    今年の9月上旬、中国の国家体育総局は、中国国内のスポーツイベントに関する規制を緩和、自治体当局からの許可を得ることなく自由にイベントを開催できることとした。この表面上の自由化は、実は中国政府独特の、かつ典型的なやり口である。需要と供給の市場原理の枠組みをきちんとお膳立てすることもないままに、まずはとにかくこれまでの中央集権的な管理を遺棄して放置する。すると、これまでグレイエリアでうごめいていた勢力が新たなビジネスチャンスを狙って浮上してくる。何か月か、何年かがたつと、カオスの中にもそれなりの秩序やパターンが生まれ始める。その段階で政府は新しい規制を打ち出し、浮かび上がってきた市場のおいしい部分の権益を取り戻す――古い国営産業に民間の活力を導入するためにさまざまな業界で繰り返されてきた、古典的なトップダウンの行政手法なのだ。
    中国のスポーツ業界は沸き立っており、創世記にあるMMAも例外ではない。しかし大手プロモーションにとっては期待と不安が入り交じる。一見、門戸開放のように見えて、政府当局は大規模イベントの利益の行方を隠れた場所から注視している。ルールがなくなった分、それぞれのプロモーションは、何が正解で何が不正解なのかもわからないまま、政府当局からのしっぺ返しを食らわないように、自らのリスクで事業を進めていかなければならないのだ。
     
  • 冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…■小佐野景浩のプロレス歴史発見

    2014-11-05 14:23  
    122pt
    元『週刊ゴング』編集長・小佐野景浩が90年代のプロレス界を回顧する「プロレス歴史発見」。今回のテーマは「冬木弘道」――。国際プロレスでデビュー。全日本プロレスでは「サムソン冬木」のリングネームでアジアタッグ王座を獲得。天龍源一郎のあとを追うようにSWSに移籍し、WARでは寡黙なキャラを投げ捨て理不尽な言動を振りまく理不尽大王に変身。マッチョボディを自称するだらしない身体でのパワフルファイトと、マット界1、2を争うプロレス頭から繰り出されるアイデアと憎まれ口でヒール人気を得る。2002年、癌のため引退。団体プロデューサーとして再出発するが半年後に癌が再発。橋本真也との電流爆破デスマッチで一夜限りの復帰を宣言するも、リングに上がることなく死去した――。イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」冬木弘道版つきでお届けします。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
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    ■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」! 阿修羅・原物語失踪後、阿修羅が身を寄せていた北海道の寿司屋に盟友・天龍が訪れた……
    ■喧嘩日本一!ケンドー・ナガサキこと桜田一男の日米を股にかけたの黄金プロレス人生!!「SWSが使った金は100億円。凄くいい団体だったよ……」「メガネスーパーの田中社長が亡くなる直前、あることを頼まれたんだよ」
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    小佐野 ……いやあ、あの人のことを思い出すとね、涙が出そうになりますね(しみじみと)。亡くなるまでの1年間は本当に凄い生き様でしたから……。
    ――小佐野さんは冬木さんとはいつ頃から付き合いがあったんですか?
    小佐野 冬木さんとよく話すようになったのは、『ゴング』が週刊化されて、ボクが記者として取材活動をするようになってからですよね。あれは84年の春で、そのときあの人は全日本プロレスの合宿所寮長。三沢(光晴)、越中(詩朗)がメキシコ武者修行に出た直後で、下にいたのはターザン後藤、川田利明、練習生の小川良成くらいかな。すっごく無口な人でね、合宿所に取材に行くじゃないですか。冬木さんはボクの一つ歳上なんですけど、ぜんぜん口を利いてくれないというか。
    ――理不尽大王時代からは考えられない姿ですね(笑)。
    小佐野 「……俺、この人に嫌われてるのかあ」とか考えちゃうくらいコミュニュケーションが取れなかった。そのあと(グラン)浜田さんに連れられてメキシコ修行に行ってプエルトリコへ渡って、1年後の世界最強タッグの途中に、髪の毛を長く伸ばして太って帰ってきたんだけど。
    ――一般的な冬木さんのイメージですね。
    小佐野 そうしたら「ひさしぶり!!」って元気よく声をかけられて。海外生活を経て凄くフレンドリーな性格に変わっていたんです。あとになって事情を聞いたら「天龍さんがマスコミには愛想よくしろというから仕方なくやっていたんだよ」って(笑)。そこからは普通にしゃべるようになったんですけど、冬木さんは話をしていて面白かった。国際プロレスに入門した理由を聞くと、当時国際って入場券プレゼントをやっていたんですけど、プロレスファンの時代の冬木さんは一度も外れたことがなかったそうなんですよね。
    ――まさか読プレの要領で入門ですか!(笑)。
    小佐野 親しみを持って入門テストを受けに行ったら、もうぜんぜんダメで。でも、アニマル浜口さんが「合宿所に荷物を持って住み込んじゃえ!」ってアドバイスされて、そのまま住み着いたんですよね(笑)。
    ――ハハハハハ!
    小佐野 冬木さんはそれまで何もスポーツをやってなくて、体力もなかったみたいですけど、本人は「じっと耐えていた。そうしたらいつのまにかプロレスラーになれた」と。でも実際は国際の社員だった若松(市松)さんと一緒にリング屋として働いていて、ほかの選手が合同練習をやってる脇で、若松さんの指導を受けていた。そういう苦労人なんだけど、それを本人を面白おかしく言っていってたんですよね。
    ――プロ野球で言うところの打撃投手やブルペン捕手みたいなもんだったんですね。その国際が崩壊して冬木さんは全日本に移りますよね。
    小佐野 そこで冬木さんは天龍さんの初代・付き人を務めたんです。全日本プロレスって最初は馬場さんにしか付き人がいなかった。それは馬場さんがレスラーに付き人をつけるのを嫌がっていた。そこからやがて派閥ができるから。
    ――日本プロレス時代、派閥の揉め事を見続けてきた馬場さんらしい判断ですね。
    小佐野 たしかに昔のプロレス記者に話を聞くと、日プロは派閥ができて人間関係が複雑になってたというから。極端に言えば、猪木派と馬場派だったけど、実際にはもっと複雑だったみたいで。そうなることを馬場さんは嫌がったんだけど、さすがにジャンボ、天龍には付き人を付けないといけないという話になったときに、ジャンボは三沢、天龍さんは国際から来て肩身の狭そうな冬木さんをチョイスした、と。
    ――冬木さんは肩身が狭かったんですか?
    小佐野 冬木さんはおとなしい人ではあったし、本人には「やっぱり自分は外様」という意識はあったんじゃないかな。実際にメキシコ遠征に行ったのも、天龍さんが「メキシコでもなんでも海外に行けば、あとは好きなところに行けるから」と国外に出るチャンスを作ってあげたんですよ。
    ――団体主導ではなく天龍さんの計らいだったんですね。
    小佐野 帰国してからは大きいファイトをするようになったし、そこそこ上に行くのかなと思っていたら、馬場さんから「太り過ぎ」と言われたのかな。またアメリカに出されて、そのあいだに日本では天龍さんと(阿修羅)原さんの龍原砲が生まれ、レボリューション(天龍同盟)の最中に帰国して。
    ――そのまま天龍同盟に加入したんですか?
    小佐野 いや、それが初めは敵対関係だったんですよ。合流する流れは凄く面倒くさいので割愛しますけど、冬木さんが言うには「この世界はね、本当に仲が良い者同士はくっつけたくないんだよ。俺と天龍さんは仲がいいでしょ。会社は離したかったの」って。
    ――それは先ほどお話された派閥問題の危惧があったんでしょうね。
    小佐野 そうそう。でも、そこは原さんが天龍同盟に合流する機運を作ったんでしょうね。そして、川田も海外から帰ってきて前座でくすぶっていたんですよ。「こんなに動けるのになんで前座で技の制約を受けて……」という。天龍さんもそんな川田をもったいないと思っていて、だったらレボリューションに来て伸び伸びやったほうがいいだろう、と。
    ――そうやって天龍同盟入りした冬木さんと川田さんの2人がフットルースを結成したわけですね。
    小佐野 メインは龍原砲、中堅はフットルースが全日本マットを活性化させていったんです。
    ――フットルースというネーミングは誰が付けたんですか?
    小佐野 川田は「小佐野さんがゴングで勝手に書いた!」って言うんだけど、当時リングアナだった(仲田)龍さんだと思う。フットルースの派手なバンダナとタイツは天龍さんのアイデア。ロックンロールエクスプレスの影響で(笑)。
    ――ハハハハハ! ザ・80年代のセンス(笑)。
    小佐野 「俺と阿修羅は辛気臭いかんじだから。おまえらは明るくやれ!」と。2人は試合前に御徒町で自前で買ったバンダナを客席に投げる。あのパフォーマンスを川田は死ぬほど嫌がっていたんだけど(笑)。
    ――クククククク。
    小佐野 冬木さんはべつに嫌がるわけでもなく「ま、こんなもんだろ」と斜に構える感じで。作/アカツキ
    ――天龍同盟における冬木さんはどんな立ち位置だったんですか?
    小佐野 天龍同盟に冬木さんは必要でしたよ。とくに技や動きが凄いわけでもないけど、あの人が一番物事をよく見ていた。ある意味、冬木さんが天龍同盟を回していた。原さんが失踪したあと、天龍さんと川田の3人になるじゃないですか。あの人はインサイドワークがうまかったから、6人タッグになると自分が死んで死んで死んで、天龍さんや川田につないで試合を盛り上げる。
    ――冬木さんが試合がリードしていたんですね。
    小佐野 冬木さんは天龍さんにアイデアも出していたと思うんだけど、天龍同盟が解散する頃は2人の仲はギクシャクしていた。天龍さんと冬木さんの考えが合わなくなっていたんです。そうすると天龍さんが不機嫌になって口を利かなくてなって、そんな日が最初は1日だけだったのが、2日になり3日となり……。
    ――溝が深まっていったんですね。
    小佐野 原さんが解雇されてだいぶ経ったあるとき、天龍さんが「冬木、俺は阿修羅を踏み台にしてるか?」と聞いたら、冬木さんは「当然ですよ!」と答えたそうなんです。それを聞いた天龍さんは大激怒して机をひっくり返したという(笑)。
    ――そこで「当然ですよ!」と言えちゃうんですか(笑)。
    小佐野 そこは冬木さんは素直であり、天龍さんに対してウソがつけないわけですよね。でも、そう言えちゃうくらい天龍さんのことが好きだったんでしょうね。
    ――天龍さんがそんなことを聞くってことは、それくらい冬木さんを信用していたことでもありますね。
    小佐野 そうそう。天龍さんは冬木さんだけには弱みを見せていた。まあ、その頃のレボリューションは行き詰っていたところがあって、全日本を活性化させるという天龍同盟の役割は終わっていたわけですから。武道館大会なんてカード発表前にチケットが完売しちゃう状況の中で、天龍さんには「阿修羅と2人でやってきたことがなかったことにされてたまるかよ!!」っていう思いはあったんでしょうけど。
    ――結局、天龍同盟は解散しちゃいますね。
    小佐野 川田は正規軍に戻りたくなかった。というのは海外から帰ってきてから正規軍より天龍同盟の控室にいるほうが長いから。天龍さんと一緒だとそこまで気は楽じゃないだろうけど、正規軍よりは居心地はいいと。でも、冬木さんは正規軍に戻ってもいいと思ってたんじゃないかな。レスラーとしてはそろそろ環境を変えたほうがいいだろう、と。
    ――そこは野心があったんですかね。
    小佐野 冬木さんには個人的な野心があったというわけでもないんだよね。戻ったほうがレスラーとして展望が広がるんじゃないかという感じで。結局、天龍さんがSWSに行ったら冬木さんもあとを追うように移ってしまうんだけど。
    ――SWSの件は天龍さんから話を聞いてたんですか?
    小佐野 冬木さんは自分から天龍さんに連絡を取って「行かせてください」と頼んだみたい。その当時の冬木さんは30歳で彼なりに考えることがあって、このまま全日本にいてもどうなのかなあ、と。
    ――天龍さん離脱時、馬場さんは川田さんを呼び出して「おまえは全日本に必要な選手」として残留を促しましたけど、一方で冬木さんに対する評価はどんなものだったんですか?★記事の続きと村上和成、安西グレイシー、内藤のび太、ノブ・ハヤシ、多重ロマンチックのインタビューが合わせて7本7万字が読める詰め合わせセットはコチラhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar676078
     
  • ヴァンダレイ・シウバは大晦日にやってくるのか――!?■UFCの歩き方

    2014-11-03 08:22  
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    山本KIDや堀口恭司、中井りんにストラッサー起一など多くの日本人UFCファイターをマネジメントする石井史彦氏の不定期インタビュー連載。 今回はUFCと泥沼の騒動に発展して引退を宣言。日本の大晦日興行襲来も噂されるヴァンダレイ・シウバの去就についてうかがった!――ドーピング検査問題で北米MMAから事実上“追放”されてしまったヴァンダレイ・シウバについておうかがいします。
    石井 いろいろと騒がれているヴァンダレイ・シウバの件ですけど。まずネバダ州のアスレチックコミッションがヴァンダレイのライセンスを発行しない、と。
    ――ヴァンダレイはドーピング検査を拒否した結果そうなりました。そして公聴会を欠席したことでもうアメリカで試合をすることは絶望的になった。

    石井 その結果ヴァンダレイは引退表明したわけじゃないですか。引退宣言するのはいいんですけど、現時点で契約が残っていると思われるUFC以外で試合をすることはできない。もし試合をする場合はUFCにおうかがいを立てるしかないんです。引退宣言をしたとしてもUFCとの契約自体は残っちゃうんですよね。
    ――ケガで引退した三崎(和雄)選手もズッファ(UFC親会社。参戦していたストライクフォースを買収した)との契約自体はまだ有効なんですよね?
    石井 杓子定規に言えばそうなると思います。要するに「リタイア=フリーエージェント」になってしまうと「今日引退しました。明日ベラトールに行きます」となっちゃうじゃないですか。復帰するならばUFCと交渉して、そこで同意してくれればリリースしてもらえるんです。
    ――特殊な例でいうと、ミルコ・クロコップはUFCと独占契約中でありながらDREAMに出ていたときもありましたよね。 
  • アンテナ重要!! プロレス格闘技ファンのお部屋選び♪■二階堂綾乃のオールラウンダーAYANO⑫

    2014-11-01 00:01  
    51pt
    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだした! その模様をイラストレポートすることになった当コーナー。今回はWOWOW契約をしようとしたら……。最近プロレス観戦はPPVやニコ生等の自宅観戦にハマっています。だって技がよく見えるし、解説つきでわかりやすいし、休憩時間はおつまみを作れるしmトイレ混まないし、最近はチケットを取るのも大変だし。もちろんイッテンヨンなど雰囲気も楽しみたいときは会場で観戦しますが。
    ところがそんなお家でぬくぬく生観戦が難しいのが総合格闘技の試合です。あんまりネットで生配信してないんですよね。私が通っているジムの先生も出場するので観戦はしたいけど、総合の試合ってプロレスよりチケットが高いから毎度毎度会場へ行くのはお財布が厳しいですし、高坂剛の解説も聞きたいのでこりゃいよいよWOWOWデビューするしかないな。あとサムライTVにも入らないとな。と思い、さっそく某ヨドバシカメラへ行ってきました。