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記事 27件
  • MMAミュージックカウントダウン■「MMAオレンジ色の手帖」

    2015-10-15 22:16  
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    格闘技ブログ「MMA THE ORANGE」の管理人オレンジがディープなエピソードをお届けする「MMAオレンジ色の手帖」! 今回のテーマは……とんでもなくデカい泣き声で産声を上げた新格闘技イベント「RIZIN」。8年ぶりに格闘技界に復帰する榊原信行氏が実行委員長を務め、高田延彦が統括本部長、出場選手にはエメリヤーエンコヒョードル、桜庭和志×青木真也が名前を連ねて大きな花火を連発。さらにフジテレビでの地上波放送が決定しているというからテンションが上がったファンも多いのではないでしょうか。私もYouTubeで記者会見の様子を見て、ニンマリしながら年末年始の予定をあれこれと算段し始めました。期待が高まる「RIZIN」ですが、会見を見て少し気になったのが使用されていたBGM。PRIDEだったら会見の最後に「デンデンデデン」とPRIDEのテーマが流れたり、DREAMであればロビー・ウィリアムズの「Let Me Entertain You」が流れて大団円になるところ。まだ始まったばかり(キッズリターン風に言えば「まだ始まってもいない」)で仕方ないですが、全てを丸く収めてくれるRIZINらしいテーマ曲を持つ事が今後の一つの課題でしょう。先日開催された「UFC JAPAN」を見ても、ヴァンダレイ・シウバの入場曲「Sandstorm」を使ったディエゴ・ブランダオン、桜庭和志と同じ「SPEED TK RE-MIX」で入場したニック・ハインに大歓声が起こったのは実に象徴的。恐らく2人の試合を初めて見るであろう観客からも惜しみない大きな手拍子が巻き起こったのはBGMの力に他なりません。そう、格闘技イベントにおける音楽の力は何気に偉大なのです。そこで今回のMMAオレンジ色の手帖は格闘技イベントの音楽をフィーチャー。観客の心を掴む入場曲の法則を紐解きつつ、思い出深い入場曲や入場シーンを振り返っていきたいと思います。題して「MMAミュージックカウントダウン」。今宵も電波と充電の続く限りよろしくお願いします。まず初めに入場で盛り上がる曲、印象に残る曲は一体どんなものなのか。今回はオレンジ流にその法則・構成要素を因数分解して、独断と偏見で5つのポイントにまとめてみました。1,ド頭からサビで始まる東京ドームやさいたまスーパーアリーナのような大会場ならいざ知らず、後楽園ホールやディファ有明のように比較的リングが近い(花道が短い)会場では、曲のサビに行く前にリングインしてしまう事もしばしば。いかした曲が流れて、さあこれから盛り上がるというところで曲が終わってしまい、肩透かしをくらった事は1度や2度ではありません。その一方でサビに合わせてロープをくぐろうと牛歩戦術を駆使するのも、いかにも見え見えな感じがして興ざめです。そこで盛り上がる曲の基本はド頭からいきなりサビで始まるか、サビに到達する時間が短い事。代表的なのは五味隆典の入場曲「THE MAD CAPSULE MARKETS/ Scary」や青木真也の「ウルフルズ/バカサバイバー」など。どちらも開始直後に沸点を迎えるので盛り上がる事必至です。■五味隆典 入場曲https://youtu.be/eFb1zVYnaxE■青木真也 入場曲https://youtu.be/n9QTaxnm-P0 
  • 中井祐樹の「東奔西走日記」10月1日〜16日編

    2015-10-15 22:02  
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    日本格闘技界の礎を築いたレジェンド、中井祐樹先生@yuki_nakai1970 が日常を綴る新連載! 今回は10月1日から15日までの東奔西走ぶりをお届けします!  前回の日記はコチラ→http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar88387310月1日 木曜日 雨 オマージュとオリジナリティー 午前・夜とクラスをこなす。加えて午後には田中康弘先生のサンボクラスが開講されている。フル稼働に近い状態だ。 自分がやっていることは大概「オマージュ」だ。一日中いつ行っても開いていて誰かがカチャカチャやってる、っていう新日本プロレスの道場みたいでありたい、というのがまずある。 余分なものを排し、ひたすらたっぷりレスリングできる、というのはビリー・ライレー・ジムなんかのイメージだ。時間無制限で決めたらハイお次、というのもね。 やりたい練習を随時できる、というのも甲野善紀さんだったかの練習会でやってると聞いてヒントを得た。 しかし、最後は配合の部分。それは「オリジナリティー」ってやつだ。誰でも受け入れるとかプロアマとかのレベル差でクラスを分けないという発想は中井ならではのもの。正直他の人に真似はできないだろう。自慢なのではない。やりたいようにやり、それがひとつのやり方として説得力を持つ・持たせる、ということが大事なのだ。もちろん、たくさんの方々の支えに依っていることは言うまでもない。感謝、感謝。10月2日 金曜日 曇り リアリー? アサイーを摂りながらの朝のBGMは浜田省吾「君が人生の時」と「MIND SCREEN」。誰が何と言おうと俺はシティポップ期が好きなんよ。R&Rな感じのはピンと来ないんだな昔から(失礼)。特にこの2作は手放せない。 某大ベテランの試合復帰の件を会う人会う人から言われる。僕から何も言うことはない。ただ、自分自身試合から降りたことで見えてくるものと見えなくなっているものがあるな、とは感じている。出たいなと思う競技がないので今は考えていないが、プロ・アマだとか試合そのものを重大に考えずに出るのも決して悪くはないんだろう。本当に出たいのは…素手の格闘技かな。フォールも有って、シューズも有りで時間制限も無いような。…そんなんねえか普通。打撃をなくした普及版はいつかプロモートしてみたい。ささやかな夢だな。10月3日 土曜日 晴れ 繋がり “格闘技ドクター”“Dr.F”こと二重作拓也先生とは近年SNSをきっかけに親しくさせてもらっている。今日は今年2015年中に発表される予定の先生の新刊用のフォトセッションにナカイも参加することになったのである。 Fight&Life誌に二号連続で対談が掲載されたおり明かされているがミュージシャンのプリンスの話がきっかけという間柄。一方的に互いは知っていたものの、まさにSNS時代、いろんなキッカケがあるものである。格闘技しかやってこなかったものの、格闘技よりもむしろ人間が好きなのだ。だから作家や映画監督、俳優やミュージシャンなどなど自分には代われない人々に関心がある。みんなが知ってることはほとんど知らない偏った男だけれど、「広く深く」いろんな作品を味わってきた。自分は決して文化人ではないけれどごくわずかの深いところで数多くの人と交わることができる。ありがたや。 さて二重作先生の新作である。先生の主宰する「格闘技医学会」は医学的見地から格闘技の現場を分析し、知識を共有しレベルアップをはかろうとする、まことにガチで崇高な志をもった方々の集合体である。きっと今までになかった、新たなスタンダードになるものが市場にドロップされるに違いない。刮目せよ。 追伸、築地でのお寿司、ご馳走さまでした。なまらうまかったっす。このインタビューの続きと、榊原信行、石川雄規、アニマル浜口物語、スコット・コーカー、プロレス点と線、金原弘光、笹原圭一書評などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar901262 
  • 「私が殺した少女/原尞」■笹原圭一の書評の日が昇る

    2015-10-12 18:39  
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    格闘技界一の読書家として知られる笹原圭一氏が 書評をライジングするこのコーナー。今回取り上げる本は「「私が殺した少女/原尞」」です!すいません、更新がほったらかしになっておりました。
    北川景子の結婚報道にモチベーションが下がっていたわけではなく、先日行われた記者会見の準備でTTKMだったからです。そう、てんてこ舞いしていたってことです。
    これまで記者会見は何度もやっているので、段取りも準備も目をつぶってもできるくらいなのですが、今回は私の経験のなかでも五本の指に入るくらい大変な会見でした。正確には、会見自体が大変だったのではなく、そこに至る準備なのですが。
    詳しく話すと5万字くらいになりそうなので割愛。まぁいずれどこかでお話しする機会があるかもしれません。STKHです。その時がきたら話します。
    というワケでひっさしぶりにイベントの準備に追いかけ回され、本を読む時間はもちろん、書評を書く時間も、睡眠時間も削られてフラフラになっていました。でも、なんだろうこの感じ。そう、PRIDEを最初に立ち上げたときの感じと似ているなと思って働いていました。
    ちょっと昔話を書きましょう。このインタビューの続きと、榊原信行、石川雄規、アニマル浜口物語、スコット・コーカー、プロレス点と線、金原弘光、中井祐樹日記、笹原圭一書評などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar901262
     
  • 【バトラーツの奇跡と絶望】石川雄規“情念”のロングインタビュー

    2015-10-12 01:36  
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    アントニオ猪木に憧れプロレスラーを目指し、佐山サトルのシューティングで腕を磨き、アメリカで“プロレスの神様”カール・ゴッチに教えを請い、帰国後は藤原喜明を師事。まさにストロングスタイルの王道を歩み続けたプロレスラー、石川雄規。彼とその仲間が興したプロレス団体バトラーツは、殴る、蹴る、極めるの原始的な戦い、いわゆるバチバチのスタイルで熱狂的な人気を博していく。しかし、経営不振で2001年に一度幕を下ろし、その後は形を変えての活動を続けていたが、2010年に解散。石川は現在はカナダでプロレスの指導しているが、石川が同地に導かれたプロレスの奇跡と絶望とは? イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!
    ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■お得な詰め合わせセット par20記事内容 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar883409◉無我の伝道師西村修ロングインタビュー真のプロレスを追求すべく、現代のプロレス、そして長州力に逆らい続けた歴史を17000字でタップリと! 癌の告白もプロレスの肥やしにしてしまう生き様を読め!◉好評連載中!小佐野景弘の「プロレス歴史発見」
    悲運の闘将ラッシャー木村物語!耐え抜き続けたその人生、初めての自己主張は「全日本プロレス移籍」だった……◉ブシロードクラブの怪物・岡倫之「プロレスラーが世界最強であることを証明します!」
    プロレスと格闘技がジャンル分けされた現代においてあらゆる格闘技で腕を試し続ける岡――どんなプロレスラー像を抱いているのか?◉ゼロゼロ年代格闘技バブルの秘話続出! 語ろう和術慧舟會!全国に支部を展開、多くのプロ格闘家を送り出し、「ケージフォース」や女子格闘技などのイベントを運営。PRIDEやK−1などメジャー団体にも影響力を与えていた格闘技集団とはなんだったのか? ◉INVICTAアトム級世界王者・浜崎朱加女子MMAイベントの最高峰INVICTAのアトム級タイトルマッチを制して、日本人で初めて北米MMAの王座を獲得した浜崎朱加インタビュー!◉金原弘光のゼロゼロ年代クロニクル②90年代ゼロゼロ年代のオモテとウラを知り尽くした金ちゃんが過去を振り返るインタビュー連載!ヴァンダレイ・シウバ戦試合直前に起きた悲劇とは?◉事情通Zの「プロレス 点と線」業界のあらゆる情報を線に繋げて立体的に見せる大好評コーナー。今回は4本立て!「話題騒然!棚橋弘至vsHARASIMAで何が起きたのか?」「ヒョードルのインスタグラムはブラフなのか?」「ヒョードルはなぜ大晦日を選んだのか?」「川尻達也と日刊スポーツ」◉マット界一の読書家笹原圭一の酔いどれ書評! 
    今回取り上げるのは「東天の獅子/夢枕獏」です!■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
    ――石川さんが「バトル・アーツ・アカデミー」のコーチとしてカナダに渡られてからだいぶ経ってますよね。
    石川 もう2年と3ヵ月ですか。月日が経つのは早いですねぇ。
    ――向こうでの生活はもう慣れましたか。
    石川 比較的ノンビリですよ。昼過ぎくらいにジムに行って。ジムにはいろんなクラスがあるんですけど、デイタイムはMMAクラス、夕方からは子供たちのクラス、夜にはプロレスを教えたりしてね。
    ――ジムはどんな場所にあるんですか?
    石川 トロントの隣町。トロント空港から車で10分くらいの住宅街。とにかくジムは広いんですよ。オクタゴンがあって、キックボクシングのスペースがあって、アマレスのマットがあって、リングもある。ウエイトトレーニングの設備もありますし。会員は軽く300人以上はいるんじゃないですかね。正確な数字は聞いてないですけど。
    ――プロレスコースはどういう指導内容なんですか?
    石川 結局やることはレスリングなんですよ。とかく北アメリカだとプロレスはエンターテイメントとして見られてるでしょう。がっちりとロックアップしてロープに振って……というのがプロレスだと思われてますからね。それはプロレスのメインロード。WWEのプロレスはそのメインロードのダイジェストを見せてるだけなんです。
    ――プロレスをやるからには緻密なロードマップを知っておかないとマズイわけですね。
    石川 そうそう。いまはメインロードしか知らないでやってるプロモーションやレスラーが多すぎるんですよ。本来のプロレスリングにはMMAのスキルがあって、その周りにエンターテイメントの要素が混じってる。その外側だとマネすれば、なんとなくそれらしくは見える。でも、それじゃエンプティ(からっぽ)なんですね。WWEはエンプティじゃないですよ。素晴らしく完成されたエンターテイメントです。ファンもどきの“プロレスラー”は、外側の華やかなわかりやすい部分だけ見て「あの技、あの動きなら、自分もできるかも」と思うわけですよ。
    ――では、石川さんの指導に「プロレスはこんなことから習わないといけないの?」って驚く生徒もいるんじゃないんですか。
    石川 そういう人も少しはいましたよ。ボクがキャッチレスリングからみっちりと教えて「そういうものがなければエンプティだ。エンターテイメントにはならない。ただのフェイクだ」という思想を叩き込んでいますよ。
    ――いまは日本でもそういった指導をする団体は少なくなってますね。
    石川 かもしれないですね。いまは素人がプロレス団体を立ち上げるようになっちゃってるんで。でも、本来のプロというものは、道を外れても走り続けないといけないんですよ。素人でも見たことがあるメインロード以外の細かい道でも高速でカーチェイスできなきゃダメなんです。素人だったらすぐにクラッシュしちゃうような道をね。それがプロフェッショナルレスリング。
    ――つまりフリースタイルの対応力が求められるわけですね。
    石川 いくらいい身体をしていても、かっこいいハイスパートをやるだけじゃダメなんですよ。第1試合も第2試合も第3試合も、おんなじよーな奴が出てきて、おんなじのよーな試合をやって、プロレスの表面だけのモノマネをして自己満足してるんですよ。「どうだい、俺はプロレスができるだろ?」って、いやいや全然できていない。偽物ですよ。
    ――そこで石川さんはカナダで真のプロレスを伝えてる、と。
    石川 これからはバック・トゥ・ザ・レスリングの時代になっていくはずなんですよ。そこは繰り返していくと思うんですよね。レスリングの時代、ルチャっぽい動きの時代、マッチョマンの時代……そしてまたレスリングの時代が戻ってくる。本物のレスリングが求められたとき、誰も指導者がいなかったらどうします?
    ――いまは絶滅危惧種的なところはあるかもしれませんね。
    石川 WWEのプロレスは、言ってみればディズニーランド。完成されたエンターテイメントの世界ですが、そのプロレスも世の中には絶対に必要なんですよ。だけど、プロレスってそれだけじゃないんですよ。猪木さんが築き上げてきた文学的な世界もあるんです。挑戦すること、戦い続けること、信じ続けること……俺たちは猪木さんのプロレスを通して人生を考えてきたじゃないですか。
    ――考えてきましたねぇ(笑)。
    石川 テレビの前に正座して、猪木さんの戦う姿を見て「俺の人生はどうなんだろう? こんなんでいいのだろうか……?」って自問自答していたわけですよ。ディズニーランドに遊びに行ってそんなことは考えないじゃないですか。「あー、楽しい、面白い!」の世界ですから(笑)。
    ――ディズニーランドで自分の人生は考えないですね(笑)。
    石川 いまのプロレスはそうやってみんなディズニーランド化しちゃってるんですよ。なぜ文学的なプロレスをやらないかといえば、面倒くさいから。アントニオ猪木のプロレスは、“行間を読ませる”文学的要素がものすごく含まれていて、とても深い。でも、表現する側にとってはこんなに面倒くさく、難しいものはない(笑)。
    ――その面倒臭さが癖になるわけですね。
    石川 いまは体育会系のプロレスばっかでしょ。「俺はプロレスが好きなんだ、こんなに好きなんだあ!」というプロレス。でも、猪木さんはそんなことは言ったことがないし、そんなプロレスをやったことがない。「俺はなんでレスラーになっちゃったんだろう? 俺はレスラーになってよかったんだろうか……?」っていう、まるで禅問答のような哲学的なことをこちらは勝手に感じ、勝手に考え、勝手に思いを巡らせていたわけです。そうして心を揺さぶられたんですね。いや、もしかしたら“勝手に心を揺さぶっていた”だけのかもしれないけど。うん。
    ――猪木さんの対極にディズニーランドとして、当時は馬場さんのプロレスがあったわけですよね。
    石川 猪木さんが馬場さんのプロレスを嫌いだったとか、好きだったとかということでなく、自らの立ち位置を確立するためには、舶来のエンターテイメントプロレスを凌駕する、日本文化に則した“日本のプロレス”が必要であると、本能的に感じたのではないでしょうか。まさに、未来の日本のために天から与えられた使命というか。馬場さんのプロレスが対極にあったからこそ俺たち猪木信者も、意地になって“考えるプロレス”をしていたんでしょうね。
    ――そう考えると猪木さんのプロレスは特殊だったんですね。
    石川 私の世代の前後、プロレスラーを目指し、プロレスラーになった人間は、ほとんどがアントニオ猪木のプロレスに影響され、狂ったクチじゃないですかね(笑)。そこは馬場さんのプロレスがいい悪いじゃなくて。猪木さんは狂い人として、他人を狂わせるプロレスをやっていた。ヒールだベビーフェイスだでプロレスをやっていなかったんですよね。
    ――昔WWEのレッスルマニアでロックvsホーガンをやったときに、ヒールのはずのホーガンがファンから大声援を送られて試合中に立ち位置がチェンジしたことがありましたけど。
    石川 それなんですよ! 本来はそのレスラーから滲み出るものによって、ヒールやベビーフェイスって分けられていくものじゃないですか。なのに、この試合はどっちがベビーをやるのか、ヒールなのか。見る方も緊張感もなく「こっちが悪役だから」ってブーイング、ベビーフェイスだからって声援。そうじゃないんですよ、プロレスは!
    ――石川さんのプロレスへの思いは、両親にプロレスラーになることを大反対されたことで深まっていったところもあるんですよね。
    石川 俺が「プロレスラーになる」と言い出したことで、進路問題は揉めに揉めて母親は具合悪くなって寝込んだりしましたしね。でも、迷いはありませんでした。“闘い続けよ。夢は叶う”というアントニオ猪木の言葉か正しいということを自分の人生をもって証明してやると心に決めてましたから。
    ――お母さんに「猪木と私、どっちを取るの!?」まで言われたんですよね。
    石川 でも、あのときの俺は「猪木!」と言えなかったんです。口をつぐんでしまった自分を十数年、責め続けましたねぇ。「俺はダメな奴だ、ダメな奴だ、ダメな奴だ……」って。それで行動で示すしかなかった。
    ――そんな親御さんの反対もあって、とりあえず大学には進まれて。
    石川 日大のレスリング部に入りました。周囲は特待生というんでしょうか。高校生のときにインターハイチャンピオンとか、活躍してきた選手ばかり。中にはオリンピックに出る選手もいますしね。そんな中に、アマレス未経験の生徒がわざわざ厳しくて有名な体育会レスリング部に飛び込んできたわけですから、変人だと思われましたね。
    ――そこに飛び込んだのはもちろんプロレスラーになるためですね。
    石川 とりあえずやれることをやろう、と。高校ではスポーツに全然、力を入れていない進学校のコーチもいない柔道部でしたから。それでも高校のときはスクワット1000回2000回やってましたからね。「打倒・新日本プロレス!」とわけのわからないことを言いながら。もうリアル「1、2の三四郎」ですよ(笑)。
    ――日大のレスリング部も相当厳しそうですね。
    石川 高校を出たばかりの青年にとっては地獄のようでしまよ。あの頃、日大のレスリング部員は合宿所に住んでいて、もう、一年生は奴隷のよう。電話のコールはその日の当番が3回以内で出なければならないルールで、遅れるととぶっとばされましたしね、まあ、この緊張感を持つ癖は、社会に出て役にたちましたけど(笑)。
    ――バリバリの体育会系(笑)。
    石川 寝てるときも油断はできないんですよ。先輩が何か用があるときは壁を叩くんです。夜中に「ドンドンドンドン!」って。バッと起き上がって走って先輩に部屋に行くと「ちょっとカーテン閉めて」
    「水を持ってきて」とか。インスタントラーメン買ってきて作ったりすると、他の先輩が「あっ、俺も食べたいな」と、またコンビ二走ったり。
    ――完全に奴隷扱いなんですねぇ。
    石川 1年間は完全に奴隷。で、2年生になったときに佐山サトル先生が三軒茶屋でスーパータイガージムを開いたことを知ったんですよ。即座に「これだ!」と。レスリング部はちょうど1年の区切りでやめさせてもらいました。奴隷扱いは1年生までだから、下働きがつらくてやめるわけじゃないですよってことで。
    ――では、ほぼ立ち上げ初期のスーパータイガージムに通われたんですね。
    石川 比較的そうですね。北原(光騎)さんがコーチのときで。北原さんとは1年くらい経ってから全日本プロレスに行かれましたから。あの伝説の合宿も参加しましたよ。
    ――あの伝説の!!(笑)。佐山さんがスパルタ指導する動画は衝撃的ですが……。 ――合宿ではいつもあのテンションなんですか?
    石川 そうです。
    ――そうです(笑)。
    石川 先生もムキになる性格だから、体育館のスペースを借りて練習するときは、ほかのアマチュアの競技の人間に見せつけるかのように厳しくやるんですよ。
    ――見られることでハードになっていくわけですね(笑)。
    石川 でも、ボクは先生に引っ叩かれたことはなかったですね。なんかね、俺には優しかった。そこは本能でわかるのかな、「コイツはリミットまでやってない」とか「石川はキチガイだから放っておこう」とか(笑)。だってジムでも「先生、今日はスクワット4000回やりました」とか報告してましたから。
    ――4000回……!!
    石川 「えっ、4000回~!?」「雑誌にスクワットやると背が伸びる、て書いてあったので!」「バカ、あれは嘘だ。背なんかのびないぞ!」なんてやりとりもあったなぁ(笑)。合宿でも、まず板の間でフットワーク1時間。最初の10分で足の裏が水ぶくれになって。
    ――うわあ……。
    石川 それでも知らんぷりして、足がグチャグチャになってるのに続けて。あとで先生から「お前、早く言えよ〜」って呆れられました。あの鬼の佐山先生にそんなことを言わせたのは俺だけですよ(笑)。
    ――佐山さんも呆れる根性(笑)。
    石川 根性があるとかそういう話じゃないんですよ。だってプロレスラーになるために、猪木を否定した大人たちを土下座させるためにも、死んでもプロレスラーになろうと決めたんですから。
    ――シューティングは何年やられていたんですか?
    石川 大学の3年間ですね。
    ――そのときはまだ競技化されてなかったんですよね。
    石川 ちょうどボクが大学を卒業するときにその動きがあったんです。その候補選手に12名が選ばれて、10名が承諾して、1名が「自信がない」ということで辞退して。もう1名は何も名前が書かれてなかったんですけど、たぶん俺だったんですよね。あのときの俺は、佐山先生には言えなかったんだけど、ゴッチさんのところに行きたかったから。あの頃の佐山先生はプロレスが大嫌いだったから言えなかった。プロレスラーになりたいからシューティングをやめてゴッチさんのところに行くなんて言えなかったんですよ。
    ――当時の佐山さんはシューティングを形にすることが使命でしたし、新日本やUWFでいろいろとあったことで、プロレスと距離を置いてましたね。
    石川 でも、ボクは強くなるためにシューティングをやりましたから。だって強くないとプロレスラーになれないし、セミプロの延長線上がプロなんですよ、本来は。いまは「アマチュアプロレス」とか言ってるバカがいるわけでしょ? 「アマチュアプロ野球」なんて言わない。アマチュアを超越してるのがプロなんだから。そのためにもシューティングをやったし、ゴッチさんのところにも行きたかったんですよ。
    ――それまでゴッチさんとはお会いしたことはあったんですか?
    石川 ゴッチさんが佐山先生のジムに指導に来たことがあったんです。そのときにゴッチさんに習いたいな、と。あの頃、俺は身体も小さいし、年齢も22歳。当時の入り口にしては、若くない。山本小鉄さんに会っていただいて直談判したけれど、門前払い。プロレス団体に入るのはほんとうに難しかった。入門テストをクリアしても「おまえ小さいから、ダメ」と落とされたなんて話もよく聞きましたね。そんな時代。
    ――当時は団体も少なかったし、プロレスラーは狭き門でしたね。
    石川 ゴッチさんに「大学を卒業したらゴッチさんのところに行きたいんです」って伝えたんですけど、ゴッチさんからすれば単なる少年。目を丸くして驚いてるんですよ。「まあ、いいけど……」という軽い感じのリアクションで。で、実際に行くにあたって、佐山さんにゴッチさんの家の住所を聞けないでしょ。『週刊プロレス』編集部を訪ねてターザン山本さんに相談したんです。そうしたら「行けばわかるよ!」と。
    ――さすがターザン、適当だなあ(笑)。
    石川 『ゴング格闘技』の雑誌かなんかにゴッチさんが家の前でいる写真が載っていて。その写真には湖が写ってたんですよ。そこがオデッサという街であることはわかってた。オデッサはフロリダのタンパから車で30分くらい。そこに行って湖を探せばゴッチさんに会えるんじゃないかと思ったんですよね。
    ――湖だけを手がかりに。
    石川 それでお金を貯めてアメリカに渡ったんですけど……オデッサに行ってみたら、数百の湖や沼があるんですよ(笑)。
    ――ハハハハハハハハ!
    石川 現地に着いて「なんだよ、これ!?」って絶望ですよ! 湖、湖、湖だらけで。(スマホを取り出して)いまグーグルマップで見てみます? ほら、湖ばっかり(笑)。
    ――いまだったら行かないですか?(笑)。
    石川 行ってないですよ(笑)。だから運が良かったんです。知らなかったら行けたんですから。
    ――なるほど(笑)。
    石川 そのときに乗ったタクシーの運ちゃんがいい人でね、「写真一枚を頼りに日本から来たのか?なんのために?」と聞くから事情を話したら「Oh my God!  Crazy !」と驚かれて。「俺は昔、日本に一度だけ行ったことがあるんだ。京都だったかな。道に迷って途方に暮れていたんだが、そのときに通りすがりの人に親切にしてもらった。でも、その人は通りすがりの人だからお礼もできない。ジャパニーズボーイ、おまえにお礼をする」って一緒に探してくれたんですよ。
    ――いい運ちゃんですね(笑)。
    石川 それで湖の周辺をタクシーで走ってくれたけど、探しても探しても見つからない。俺も心の中で「こんだけ探したんだから夢を追いかけたと言えるよな……」って一瞬挫けたんですよ。そのとき運ちゃんが「コーヒーでも飲もう」とコンビニみたいなところに寄ったんです。そこでゴッチさんの写真をコンビニの客に見せたら、お婆さんが「私の家の隣のおじいさんよ、この人!!」って(笑)。すぐにその場所までタクシーですっ飛んでいって。たしかにゴッチさんはいた。
    ――神様に会えた!
    石川 でも、ゴッチさんは俺の顔を見て戸惑ってるんですよ。「誰だっけ?」って感じで。
    ――うわあ(笑)。
    石川 そりゃそうですよね、日本で一度会った名もない少年ですから。でも、あのときにゴッチさんが「ヘイ、ボーイ。おまえはいい身体してるけど、ウエイトトレーニングの偽物だろう? こういう腕立て伏せできるか、ああいう腕立て伏せできるか? こんなオールドマンでもできるぞ」ってかまってくれたんです。ゴッチさんは、なんか気になる人はイジるんですよ、からかうんですよ。ホントに嫌いだったら声もかけない。ゴッチさんが俺のことを「ヘーイ、偽物、偽物」ってからかってくれたことを思い出して、「ゴッチさん、本物の筋肉に変身してきました!」と言ったら、ゴッチさんは驚いた顔をして「……あのときのボーイか!」って。
    ――まるで筋書きがあるかのような展開ですね。
    石川 一個一個の宿題というか、やれることをやっていくと次の出会いが生まれるんですよ。あの頃の自分は、プロレスラーになるという夢を、大人たちによってたかって否定されても、やれることを全力でやった。ただひたすらスクワットを何千回も繰り返すだけだとしても。それが何につながるかわからなくても、ただひたすら、そのときに“やれる事”を最大限にやった。
    ――そのままゴッチさんのところでトレーニングすることになったんですか?
    石川 いや、そのときのゴッチさんは誰かに教えるってことはしてなかったです。自分のトレーニングはやっていたんですけど。「友人のマレンコ(ボリス・ラリー・マレンコ)がプロレススクールをやっている。そこに行け。わたしも教えにいくことにしよう」と、言ってくれたわけです。
    ――マレンコスクールでゴッチ教室が開催されたんですね。
    石川 マレンコスクールではアメリカンプロレスとシュートレスリングを教えていて。ボクはいられるのは3ヶ月間だけだったんですけど、ゴッチさんがしょっちゅう道場に来てくれて教えてくれて。デビー・マレンコもゴッチさんに習っていましたね。
    ――全女に参戦していたデビー・マレンコですね。
    石川 彼女もゴッチさんに興味を持って、ゴッチさんの教室に参加するようになって。ゴッチさんの弟子の中では唯一の女性なんじゃないですかね。
    ――普段のゴッチさんはどんな人柄だったんですか?
    石川 マレンコさんの家で、ゴッチさんと一緒にビールをしょっちゅう飲みましたねぇ。ラリーさんはゴッチさんとは仲良しなんだけど、ゴッチさんのおしゃべりにつかまるのをおそれて「ちょっと買い物に行ってくる」って姿を消しちゃうんです。ゴッチさんは平気で3〜4時間しゃべり続けますから。
    ――逃げ出すほどのおしゃべり好きですか(笑)。
    石川 電話で2〜3時間しゃべったあとに「ところで電話でもなんだから、話に来い!」というくらいの話好きですから(笑)。
    ――ゴッチさんはどんな話をしてくれるんですか?
    石川 哲学的な話もするし、昔のプロレスの話もしてくれます。いろんな話ですよ。一番印象に残ってる言葉は「技術は人が教えてくれるけども、ガッツは誰も教えてくれない」ですね。それで3ヵ月経って帰国しようとしたときに、ちょうど日本で(新生)UWFが分派したんですよ。前田(日明)さんのリングス、高田(延彦)さんのUインター、藤原(喜明)さんの藤原組。空中さんは藤原組についていくことになって「石川、今度藤原さんが団体を立ち上げるから新弟子として入らないか?」と誘われたんです。
    ――ゴッチさん訪問からプロレス界への道が開かれたんですね。
    石川 何かに導かれたんですねぇ。藤原さんに初めて会ったのは安行の植木屋でした。空中さんに連れて行ってもらったら、盆栽を見てる藤原さんの後ろ姿が見えて。UWFのジャージを着てるんですけど、背中のUWFの文字がマジックで塗りつぶされてるんですよ。藤原さんらしい(笑)。
    ――UWFが塗りつぶされてた(笑)。そうして藤原組の立ち上げから参加されたんですね。
    石川 藤原組の同期は高橋義生、柳澤龍志。義生はもともとアマレスのチャンピオンで実力もあってボクよりデビューは早かった。入門は数ヶ月、ボクのほうが早かったんです。だからいまでも向こうが「石川さん」と呼んでくれて。
    ――藤原組はメガネスーパーがメインスポンサーでしたよね。
    石川 あの頃はメガネスーパーがバックについていたので、金銭面では恵まれてましたね。若手なのに充分に給料をいただいてました。その代わり地獄のようなトレーニングを朝から晩までやってましたよ。だってみんな生命を危機を感じてみんなやめていくんだもん。
    ――生命の危機ですか……。
    石川 「このままだと殺される……」って。赤子みたいな何もできない新弟子を相手に船木さん、鈴木さんがガチガチのレスリングでいたぶるわけですよ。上に乗っかられて動けない恐怖感ってわかります? 
    ――実験台の状態が延々と続くわけですね……。
    石川 毎日1時間以上やられて、口の中は切れてグチャグチャ。練習が終わったあともイジられるわけですよ。先輩にとっては単なるイタズラかもしれないけど、新弟子にとっては恐怖ですよねぇ。このインタビューの続きと、榊原信行、石川雄規、アニマル浜口物語、スコット・コーカー、プロレス点と線、金原弘光、中井祐樹日記、笹原圭一書評などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar901262 
  • 大好評インタビュー詰め合わせシリーズ一覧④

    2015-10-12 00:55  
    非会員でも購入可能! インタビュー詰め合わせセットPart14〜18 各540円で見出しをクリックすれば試し読み可能par14  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar760930①スターダム世IV虎vs安川惡斗は不穏試合ではない!!②北原光騎が天龍引退に万感の思いを込めて「佐山シューティング、天龍同盟、SWS……」③ビル・ロビンソン最後の弟子・鈴木秀樹「プロフェッショナルレスリングを大いに語る」④Uと馬場を支えた黒衣の絵描き! 更級四郎 キミは「ほとんどのジョーク」をおぼえてるか?⑤ご意見番・小原道由が世IV虎vs安川惡斗をぶった斬る!⑥高校球児がアメリカに渡りUFCを目指すまで〜松田干城のボストン生活〜⑦小佐野景浩×安西伸一 『ゴング』×『週プロ』天龍番だった男たち⑧インディの聖地・新木場1stリングとは何か? 管理人を直撃!⑨達人は実在す
  • 大好評インタビュー詰め合わせシリーズ一覧③

    2015-10-12 00:51  
    非会員でも購入可能! インタビュー詰め合わせセットPart11〜13 各540円で見出しをクリックすれば試し読み可能
    par14 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar760930
    ①スターダム世IV虎vs安川惡斗は不穏試合ではない!!
    ②北原光騎が天龍引退に万感の思いを込めて「佐山シューティング、天龍同盟、SWS……」
    ③ビル・ロビンソン最後の弟子・鈴木秀樹「プロフェッショナルレスリングを大いに語る」
    ④Uと馬場を支えた黒衣の絵描き! 更級四郎 キミは「ほとんどのジョーク」をおぼえてるか?
    ⑤ご意見番・小原道由が世IV虎vs安川惡斗をぶった斬る!
    ⑥高校球児がアメリカに渡りUFCを目指すまで〜松田干城のボストン生活〜
    ⑦小佐野景浩×安西伸一 『ゴング』×『週プロ』天龍番だった男たち
    ⑧インディの聖地・新木場1stリングとは何か? 管理人を直撃
  • 大好評インタビュー詰め合わせシリーズ一覧②

    2015-10-12 00:51  
    非会員でも購入可能! インタビュー詰め合わせセットPart7〜10 各540円で見出しをクリックすれば試し読み可能Part10  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar676078①村上和成ロングインタビュー 命懸けのプロレス道!!初期・和術慧舟會の実態、アントニオ猪木との出会い、最強UFO軍団、生死をさまよった“1・4事変”、小川直也との別離の真実、上井文彦に酷い目にあったビッグマウス時代などを激語り!②元『格闘技通信』記者・安西伸一 俺が愛したグレイシー柔術第1回UFCの衝撃、グレイシー伝道活動、UWFへの複雑な胸中、格通vs高田道場――アンザイ・グレイシーが見た総合格闘技界黎明期とは?
    ③大反響! 小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――冬木弘道物語壮絶!癌にプロレスで向かい合った男・冬木弘道……「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った。④
  • 大好評インタビュー詰め合わせシリーズ一覧①

    2015-10-12 00:51  
    非会員でも購入可能!  インタビュー詰め合わせセット各540円Part1〜6見出しをクリックすれば試し読み可能です!part6 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar603088■木村浩一郎「FMWとリングスで俺はこの業界をナメてしまったんですよ」■W☆ING発、リングス行き! 「足首鳴ってんどー!!」鶴巻伸洋の怪しい格闘家人生■川尻達也、3度目の網膜剥離……「復帰できるかはわかりませんが……」■【骨法の祭典2014】ヤノタク×中川カ〜ル「俺たちが愛した喧嘩芸骨法」■ 小林聡・野良犬の哲学「選手もプロモーターも群れてちゃ面白くないんですよ」■2014年のUWF――中村大介「それでもボクはUスタイルで戦い続けます」
    part5 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar566556■地獄の合宿から前田日明
  • 桜庭和志のマスクはエスペランサーを呼んでいるのか〜大晦日会見あれこれ〜■「プロレス 点と線」

    2015-10-09 15:22  
    55pt
    格闘技関連はちょいと弱いのが玉に瑕、事情通Zがプロレス業界のあらゆる情報を線に繋げて立体的に見せるコーナー「プロレス 点と線」。ついにベールを脱いだ日本の大晦日格闘技イベント『RIZIN』の記者会見について!(聞き手/ジャン斉藤)
    ――榊原信行氏の大晦日格闘技イベント『RIZIN』の発表記者会見が行なわれましたけど、いろいろな意味で凄かったですね。いきなりロシアのプーチン大統領の誕生日を祝い出すヒョードルとか(笑)。
    事情通Z 私も会見があった六本木現地にいましたけど、ライブ中継の冒頭は音声が流れなかったみたいですね。
    ――そうなんですよ。音声がやっと流れたと思ったら、しばらくハウリングしてて。なんだかズンドコの太鼓に聞こえてきましたねぇ。
    Z 格闘技方面でこういう大規模な会見は久しぶりですよね。マスコミは100名を超えていたそうですし。ただ、記者会見以前、大晦日の話題になるたびに斉藤さんが言っていた「榊原さんがフジテレビと再び手を組むことは大注目だけど、イベントやカードは良くも悪くもなんの期待もしていない」という意味がわかりましたよ。地上波の復活は嬉しいけど、イベントはこういう方向なのかあ……という反応は多かったので。
    ――新生PRIDEとして期待すると微妙だけど、新生『Dynamite!!』だとしっくりくるんですよね。でも、榊原さんがフジテレビと再タッグって凄い衝撃ですよ。だって反社会勢力との関与を疑われて退場させられた人物ですよ? それが大晦日ゴールデンタイムの注目枠をまた任せられるわけですからね。
    Z だから実際にこうして会見で発表されるまで信じられなかったところはありますね。
    ――とんでもないドラマですよね。榊原さんが会見場に姿を現した瞬間って、NHK『プロフェッショナル仕事の流儀』だったらスガシカオの歌声が流れだすところですよ(笑)。
    Z 「また、大晦日に、戻って、きた」というナレーションつきで(笑)。まず今回の会見を振り返りたいんですけど、記者会見開催は先週金曜深夜にリリースされましたよね。金曜深夜のリリースはけっこう異例です。
    ――それは毎週月曜日発売、憎っくき『週刊現代』の締め切りに間に合わせないようにしたんでしょう。
    Z あっ、そうだったんですか?
    ――いや、ウソです(笑)。
    Z 真実味のあるウソはつかない!(笑)。イベント名もいろいろと噂が出てましたよね。最初は『SAMURAI』。
    ――次に『Z』、『天』の噂が流れて、最終的に『RIZIN』に決まった。『SAMURAI』は和のイメージとしてありがちだけど、なんだか『天』や『RIZIN』って終末論を唱える新興宗教にブラッシュアップされてる感はありますよね。このインタビューの続きと、榊原信行、石川雄規、アニマル浜口物語、スコット・コーカー、プロレス点と線、金原弘光、中井祐樹日記、笹原圭一書評などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar901262 
  • 神田T800周一■二階堂綾乃のオールラウンダーAYANO

    2015-10-09 15:14  
    33pt
    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、ついに格闘技デビューをしてしまったこのコーナー。今回はパンクラスを見に行きましたー!10月4日パンクラス270を観戦しました。去年の年末からほぼ毎月のように観戦しているパンクラス。格闘技のことをほとんど知らずに観始めたため、メインイベント後の本戦一部等も含めて合計で6,7時間観戦することが当たり前だと思っていたのですが、最初から最後まで観るお客さんはほとんどいないということを最近知りました。でもチケット1枚でたっくさん試合が観れるなんてお得だし、メイン後の若手の試合を見て今後活躍しそうな選手をチェックしておくのが楽しいので最後まで見ない人はもったいないなあと思います。
    パンクラスを観始めた頃は選手なんてほとんど誰も知らないし、プロレスのように出場する選手がある程度決まっているわけでもなく因縁とかもほぼないので、継続して毎回見に来るお客さんってあまり多くないんじゃないのかな?と思いましたが、気づけばほぼ毎回観戦している私。パンクラスついでに有明テニスの森駅の2つ隣の青海駅で、ヴィーナスフォートのシルバニアファミリー専門店へ行き、バーミヤンお台場店へ行くのを楽しみにしているというのもありますが、やっぱりパンクラスって面白いんですよね。
    しかし今回のパンクラス270はいつもとちょっと様子が異なっていました。ちょっと前までは自分の応援している選手の試合しか見ないお客さんが多いようで、2試合目くらいまでは人が少なくてメインに向けてだんだん人が増えてくる感じだったのですが、今回は第1試合からお客さんが多い!しかも応援にも熱が入っていていつもより盛り上がっている感じがしました。