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【パイオニア戦志】高杉正彦インタビュー〜剛竜馬とウルトラセブンに愛をこめて〜
2016-09-15 10:43110pt国際プロレスの崩壊を見届け、全日本プロレスではウルトラセブンに変身して、伝説のインディ団体パイオニア戦志やオリエンタルプロレスでは剛竜馬の片腕だった男高杉正彦が登場! プロレス界の歴史から封印されかかっているセブンや剛竜馬の秘話についてたっぷり語っていただきました! 剛竜馬とSWS田中八郎のタッグの金銭感覚が尋常じゃないんです……!! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!<関連記事>
SWS田中八郎と剛竜馬、その極太な関係――!! ターザン山本インタビューhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1087710
――高杉さんは前田日明さんに新生UWF入団を掛けあったり、インディの先駆けとなったパイオニア戦志をパンクラスのようなシュートスタイルでやろうとしたりと、ガチンコ方面の意識が強いのはやっぱり腕に自信があったからなんですか?
高杉 まあ、昔はコレばっかやらされたからね(シュートサインで)。前田には歳を取ってるということで断られたけど。そのあと藤原喜明が入ってるんだよなあ。ハッハッハッハッ!
――Dropkickメルマガの読者はガチンコ系の話が大好きなんです!
高杉 俺が入った国際プロレスの吉原(功)社長は力道山時代の日本プロレス道場の師範代だったでしょ。力道山先生は忙しくて道場にあまり来られなかったから、吉原社長が現場を任せられたんだよ。あの人は早稲田のレスリング部の出身だからね。
――競技志向だったんですね。
高杉 プロレスの創成期は柔道や相撲からの転向が多かったから、みんなレスリングのブリッジができなかったんだよね。社会人だった吉原さんが力道山道場へ練習に行ったときに「レスリングを教えてやってくれ」ということで。それだから吉原さんはガチンコにはうるさかった。
――プロレスラー志望だった高杉さんは、大学でアメリカンフットボールをやられてたんですよね。
高杉 そうですね。あの頃が大学に行く・行かないじゃ給料や役職も違ったでしょ。だから親が「大学だけは行ってくれ」ということでね。俺は勉強もできたから(笑)。
――学業優秀だったんですね(笑)。
高杉 日大のアメリカンフットボールか、東海大のレスリング部。どちらかを推薦で入れることになったんですよ。ボクは神奈川県の秦野高校という田舎の学校に通ってて、東海大だとまた4年間田舎で過ごさないといけないのがイヤだったんですよね。だから日大で(笑)。
――でも、プロレス志望だったらレスリング部を選ぶじゃないんですか?
高杉 レスリングもやりたかったんだけど、あの当時ってフットボール上がりで有名なプロレスラーがいっぱいいたでしょ。デストロイヤーとか。
――アメフトもプロレスへの道のひとつではあったんですね。大学在籍中に元日プロの金子武雄さんのボディビルジムに通いだしたんですよね。
高杉 アメリカのフットボーラーは冬場に身体を鍛えて、夏場にプレイするって感じなんだけど。日本の場合はあまりウエイトトレーニングをやらないから。フットボール部は1年でやめて、身体を鍛えるために金子さんのところに行ったんですよ。あそこにはボディビルダーやキックボクサーとか力自慢がいっぱい来てて。マットやバーベルもあっていろんな練習をさせられましたよ。シュートの練習もやりましたし。
――プロレス団体ならどこでもよかったんですか?
高杉 ホントは新日本プロレスに入りたかったんですよ。
――高杉さんは山本小鉄さんの私設ファンクラブ『豆タンク』を作るくらいですもんね。
高杉 あれは高校生のときですよ。その縁もあって山本さんもかわいがってくれてね。
――どうして小鉄さんのファンクラブなんですか?
高杉 自分がプロレスラーになったときに山本さんや星野勘太郎さんのような選手になりたいと憧れてたんです。
――かなり渋い高校生ですね(笑)。
高杉 普通だったら猪木さんや坂口(征二)さんでしょ? ボクの場合はヤマハブラザースが好きだったんです(笑)。前座や中堅レスラーの試合が好きだったんですよ。それでファンクラブの会報を作ってたりしてね、山本さんが「新日本の事務所に遊びに来なさい」ってことで会員みんなで押しかけたこともあったし。山本さんは凄くいい人でしたよ。
――新日本に入るために何かアクションは起こしたんですか?
高杉 新日本の事務所にお願いしに行ったこともありますよ。「入門させてくれ」と頼んだんだけど、応対してくれた新間(寿)さんが「ダメだ」と。
――ダメな理由は聞きました?
高杉 とくに言ってくれなかったし、よくわかんなかったね(苦笑)。ガッカリしたままジムに戻ったら先輩方が「高杉、今日は元気がないな」って声をかけられて、事情を説明したら「会長に話を通したのか?」と。断られた話が会長の耳に入ったら「馬鹿野郎! ホントにプロレス団体に入りたいなら話をつけてやるから、ちゃんと練習してろ!」と。
――金子さんは業界に顔が利くわけですもんね。
高杉 それで吉原社長に紹介してくれたんですよ。あの当時の金子ジムの人間はだいたい国際。吉原さんと金子さんは力道山道場のときに仲が良かったから。
――高杉さんは国際でもよかったんですか?
高杉 こうなったらどこでもいいなって(笑)。
――当時は簡単に入門できないですもんね。
高杉 なれない、なれない。あの当時は東大に入るより難しいんだから。東大なんか試験があるんだからさ、勉強すれば入れるでしょ。プロレスは試験がないんだもん。何かしらツテがないと合宿所に入れないから。
――金子さんの紹介で国際には簡単に入れたんですか?
高杉 横浜文化体育館で国際の興行があったときに会長と一緒に行ったんですよ。会長が吉原さんに話をしてくれたんだけど、「もう選手がいっぱい。大学の柔道部やレスリングからも入れてくれって頼まれてる」ってことで断られたんだよね。当時は就職先がないからプロレスに入りたい奴がいっぱいたんですよ。
――相撲や柔道に成り手はたくさんいて。
高杉 日プロの若手も凄かったでしょ。東京五輪のマサ斉藤、ラクビーからグレート草津さん、大相撲のラッシャー木村さん。まあ凄いのばっかだよ。
そうしたら会長が「いいから入れろ! コノヤロー!!」って怒ってね(笑)。最終的に合宿所に入れてもらえたんだよね。
――無理やりだったんですね(笑)。当時の合宿所には誰がいたんですか?
高杉 あんときは田中(忠治)さん、デビル紫さん、鶴見五郎に剛竜馬、若松(市松)さん。5人くらいかな。
――合宿所はどんな建物なんですか?
高杉 プレハブだったね。渋谷にあったときはビルだったんだけど。ボクが入ったのは昭和52年だから、ちょうど国際の経営が傾いてきたときで大宮にあったんですよ。都落ちだよね。プレハブの1階が道場で2階が寮。
――練習は厳しかったですか?
高杉 新人は基礎トレーニングをとにかくやらされるんだよ。足の運動1000回やったあとにリングで受け身。首投げ50回、腰投げ50回、ボディスラム50回。そしてリングでシュートの練習ですよ。「かかってこい!」と言われてもヘロヘロで力なんか出ないですよ(笑)。
――まず体力の壁があるんですね(笑)。
高杉 ほとんどの奴はすぐに逃げちゃうね。1日2日は耐えられるけど、「これがずっと続くのか……」って考えたらね。
――絶望的になりますよねぇ。シュートの練習では誰が強かったんですか?
高杉 鶴見さんが強かったですね。レスリングをやっていたし、動きが柔らかくてふわっと真綿みたいに極めてくるんだよね。剛とか力任せだから「あ、これは1年もすれば勝てるな」って思ったよ(笑)。
――ハハハハハハハハ! 新人ながら見切ってましたか(笑)。
高杉 感覚でわかるんですよ。あと鶴見さんは汚い極め方をやらないから。
――汚い極め方ですか?
高杉 カール・ゴッチがやるようなやつ。普通にやって極まらないと、目に指を入れたりとか汚い手を使うんだよ。
――ああ、尻の穴に指を突っ込むってやつですね。
高杉 吉原さんもそういうのは嫌ってたから。日プロはみんなそういう汚いことばっかやってたから(笑)。
――日プロって前座の試合からメチャクチャだったんですよね。
高杉 だってケンカだもん、ケンカ。平気で腕を折ってくるからね。
――力道山vs木村政彦のセメントマッチじゃないですけど、「やれるときはやっちまえ!」という。
高杉 でも、吉原さんはそんなのは嫌ったね。そこは大卒の方だから。
――あ、学歴の問題ですか(笑)。
高杉 そういうもんですよ(笑)。国際の前座もケンカみたいな試合になったよ。無法地帯。
――油断はできないんですね。
高杉 もうメチャクチャですよ。若いと血気盛んだからそういう試合になっちゃうんだけど、後味が悪いんだよねぇ。だから頭のいい人はやらなくなるんだよ。
――そこは学歴があるかどうかなんですね(笑)。
高杉 負けたほうは頭に来るから仕返しを考えるでしょ。力道山先生が木村政彦のことをやっちゃったときなんて、木村政彦の地元・九州を巡業するときは力道山先生のことを●●●が取り囲んでボディガードとして守っていたというからね。
――命懸けだったんですねぇ……。
高杉 あの頃は戦争あがりで「いつ死んでもいい」という連中がいっぱいいたかたね。
――だからこそリング上でもいつ仕掛けられてもいいように腕を磨いて。
高杉 国際は今日はボクシング、次の日はレスリング、3日目は相撲ってやらされるんだから。それに試合もコレで決めていたからね(シュートサイン)。
――えっ、どういうことですか? 凄く興味があります!(笑)。
高杉 道場のコレの強さで決めてたんだよ。吉原さんが「この子は強くなってきたから上で使おう!」と。
――セメントが強くないと上にはいけない。ロマンがありますね!
高杉 国際はね、そういう部分があったよ。だからみんなコレのやる気があったんだよ。いまのプロレスとは違いますよ。
――形は違いますけど、全日本女子プロレスの前座も「押さえこみルール」の完全実力主義で。
高杉 そうだったみたいね。
――男子レスラーのあいだでも、あの「押さえこみルール」は知れ渡っていたんですか?
高杉 知ってたよ。冬木や阿修羅がしょっちゅう女子プロを見に行ってたんだよ。「なんでそんなの見に行くんだよ」って聞いたら「面白いんですよ。時間は決めてるんですけど、それを過ぎたらコレなんですよ」って。ビックリしちゃってさ。話によると、やっぱり女は最後をどうするかで揉めるんだって。だったら全女の社長が「ある程度やったらあとは好きにしろ!」と。
――実力で決めろ!という。
高杉 だから押さえこみのブリッジのやりとりは凄かったじゃない。見てて面白いもんね。
――道場の強さが反映されていた国際も凄いですね。
高杉 上の人間はそうでもないけど、下の人間はそうですよ。メインの人間でも最近は不甲斐ないと感じたら、社長は「道場で稽古しろ!」って命令してね。
新日本も猪木さんにそういう考えはあったんじゃない。でも、新日本に強いのはいないからね。
――いないですか?
高杉 木戸(修)さんくらいじゃない。あと長州(力)か。
――藤原(喜明)さんは?
高杉 藤原は強くないでしょ。藤原は若手やぺーぺーには強いけど、上の人間には勝てないでしょ。長州が新日本に入ったとき藤原に勝てなかったそうだけど、長州がいろいろとおぼえたら全然みたいだし。
――長州さんはオリンピックレスラーですもんね。
高杉 藤原と浜さん(アニマル浜口)の試合も見たけど、藤原はまったく通用しなかった。藤原は身体が細いし、地力がある選手には勝てないんだよ。木戸さんなんて太ももが凄いじゃん。
――フィジカルは強そうですよね。ラッシャー木村もやったら凄かったという話ですよね。
高杉 木村さんは……強くなかったんじゃないかあって。相撲は強かったのかもしれないけど。やっぱりリングでやらせたら草津さんが一番だったよ。運動神経もよかったし、コレは草津さんも凄かった。息子もK−1をやったでしょ。
――草津さんはラクビー日本代表ですから身体能力をハンパじゃなかったんですね。原さんもラクビー日本代表でしたけど。
高杉 阿修羅は力があったね。でも、闘争心がない。優しすぎたねぇ。逆に草津さんは闘争心が凄かった。日プロのときに生意気だってことで試合中に腕を折られたことがありますからね。
――ところで、高杉さんが入門した頃の国際の客入りはどうだったんですか?
高杉 いや、入ってたよ。健闘はしてたね。年間で7〜8シリーズで150試合くらいやって、外国人も呼んでいたでしょ。そりゃあ新日本・全日本のほうが強かったけど、国際もけっこう入ってたんですよ。
――給料も遅れることはなく。
高杉 俺は入ったときはもう遅れてたね。まともに出たのは1回だけ。
――1回だけですか!?
高杉 まともに全額もらったことはない。それでもサラリーマンの倍くらいはもらえるんですよ。
――当時のプロレスは稼げるんですねぇ。
高杉 ボクが入った頃はそれでもお客はいたけど、全日本と対抗戦をやってから本当にダメになったね。木村さんや草津さんが全日本のレスラーに負けるでしょ。ファンは負けた選手の団体を見に来ないでしょ。そこは顕著だよね。ガクッと入らなくなる。
――潰れるんじゃないかと思いました?
高杉 潰れるとは思わなかったけどね。12チャンネル(テレビ東京)もついてたし、試合内容も良かったからいけると思ってたよ。
――のちにパイオニア戦志を一緒に立ち上げる剛さんも、斜陽の国際を離脱して新日本に移りますよね。
高杉 剛はギャラに不満があったんですよ。彼は俺と同い歳だから22歳。ほかの先輩は30歳を越えてて所帯を持ってたでしょ。国際って所帯持ちを優遇するんだけど、剛からすればメインでもやってるのにギャラがなんで少ないんだって不満があるわけですよ。そこでちょっとでもギャラを上げてやればいいのに、そこは吉原さんってヘタだったね。俺なんかも全然上がらなかったから。
――それだと、やりがいは出てこないですよね。
高杉 1年間やったら査定してあげないと。プロなんだから。だって5000円10000円のギャラを上げたってたいしたことないでしょ。外国人には俺たちの3倍くらいのギャラを出してるんですから。
――国際を離れる剛さんが人情なしの悪者になった風潮はありましたよね。
高杉 うーん、そこは半々だね。先輩方は怒ってたけどね。「八木(剛竜馬の本名)、みんな苦労してきたんだぞ。おまえだけじゃねえんだ!」って説教されてましたよ。
――というと、剛さんは先輩の前でも不満を漏らしてたんですか?
高杉 剛はよくグチるから。酒を飲むとグチばっかだから(笑)。それに阿修羅が国際に入ってきたでしょ。阿修羅のほうが素材はいいから、剛は次期IWAチャンピオン候補だったけど、阿修羅にその座を取られちゃった。その焦りも剛にはあったんですよ。
――それだったら、ほかの団体で……という。
高杉 そうそう。
――高杉さんは、経営が苦しくなっていった国際プロレスの最期を見届けますね。
高杉 潰れる年の3月に12チャンネルとの契約が切れたでしょ。そのあとフジテレビと交渉してたんですよ。あの当時のプロレス団体ってテレビ中継がないとやっていけないから。国際は最初に放映していたTBSとの契約が切れたけど、12チャンがついたからやっていけたんだよね。
――多くの所属選手に給料払って、外国人レスラーを呼ぶにはテレビ局からの放映権料がないと無理ってことですね。
高杉 フジテレビは女子プロ(全日本女子プロレス)を放送してたし、社長が「決まりそうだから頑張ってくれ」と期待をもたせてたんだけど、7月の頃にはダメだとわかって。その頃、草津さんはケガが理由で営業に回ってたけど、巡業コースも切れないという状態になってね。もうこれで国際も終わりだなって。
――北海道シリーズの羅臼町大会を最後に幕を閉じたんですね。最終興行は感慨深いものがありました?
高杉 いやあ、あんまり……。
――感慨なし(笑)。
高杉 俺は前々からメキシコから呼ばれてたから。内心「早く潰れてくれ」って思ってたんだよね(苦笑)。
――ハハハハハハハハ!
高杉 早くメキシコに行きたくてね(笑)。国際の最後ねぇ……羅臼もお客さんは入ってましたよ。地方だと新日本も全日本も変わらないんだよね。みんなプロレスが見たいから、ポスターを張って宣伝カーを回してちゃんと営業をやれば、田舎の人は見に来る。国際には金網デスマッチという看板があるから、金網をやれば客は来るから。
――当時のメキシコに日本人レスラーはいたんですか?
高杉 俺が呼ばれたエンプレッサ(EMLL)には日本人はいなかった。UWAには小林邦昭、グラン浜田、ヒロ斉藤、栗栖正伸の4人かな。会場に行ったらUWAとエンプレッサの対抗戦をやってたんだよね。控室に行ったらグラン浜田と小林邦昭がいて、邦昭が「なんでいるんですか?」ってビックリしちゃって。
――面識はあったんですか?
高杉 うん。邦昭から「どこに泊まってるんですか?」と聞かれたから「ホテルに泊まってる」って言ったら、邦昭が住んでる日本人のアパートが一室空いてるからってことで誘われて。邦昭にはいろいろとケアをしてもらいましたよね。
――小林さんはメキシコでかなり稼いでいたけど、ペソが暴落したことで国外退去したんですよね。
高杉 そうそう。向こうは変動相場でね、日本円が半分になっちゃうんだもん。邦昭も最初の半年間で1000万円貯めたというんだけど、それが半分になっちゃったということで。メキシコに住んでるぶんには問題ないんだけどね。
――それくらい稼げるということは現地のプロレス人気は高かったんですね。
高杉 凄かった。トップは年間で3000万くらい稼いでたから。
――そのメキシコ遠征の途中に全日本プロレスでのウルトラセブン変身計画が浮上したんですよね。
高杉 全日本の人間から連絡があって「馬場さんが会いたがってる」と。あのときタイガーマスクが新日本で凄い人気だったけど、全日本のジュニアはそうでもなかったでしょ。大仁田はまだまだだったし、そこで俺に白羽の矢が立ったんじゃない。山田隆さんっていたでしょ。
――全日本中継の解説をやってた東スポのデスク。
高杉 山田さんが俺のことを馬場さんに言ってくれたみたい。「元・国際でこういう選手がいるから、馬場ちゃん取ったほうがいいよ」と。
――ウルトラセブンのマスクマンに変身するアイデアは誰が出したんですか?
高杉 それは俺が売り込んだの。新日本でタイガーマスクの人気が凄かったじゃん。それに対抗するにはマスクマンのほうがいいんじゃないかなって。それに俺は身体が小さいから、トップを取るにはマスクマンしかないから。
――当時は身体が大きくないとトップは張れなかったですね。ウルトラセブンのほかに候補はあったんですか?
高杉 いろいろと考えたんだよ。ライオン丸とかさ(笑)。メキシコにいたヒロ斉藤が言うにはさ、ウルトラマンが新日本に来日したとき凄い人気だったんだって。
――円谷プロの許可を取らずに勝手にウルトラマンを名乗ったルチャドールですね(笑)。
高杉 試合はしょっぱかったけど、地方に行くと子供たちはウルトラマンに群がるんだって。その話を聞いて「これだ!」と思ってね。でも、ウルトラマンは先にやられてるでしょ。だったら「ウルトラセブンだ!」ってそういう話ですよ(笑)。
――ウルトラマンの後追いだったんですね(笑)。
高杉 それで日本の弟に「ウルトラセブンの本を送ってくれ」って連絡したんだよ。写真がないとマスクが作れないから。でも、あの当時は昭和57年頃か、世間的にはウルトラシリーズの人気がまるでなかったんだよね。人気がないから本も売ってないんだって(笑)。
――ちょうどテレビ番組のウルトラシリーズが打ち切られた年なんですよね。
高杉 本屋を3〜4軒歩いてようやく「ウルトラシリーズ入門」という小さい本を見つけて、それを送ってもらったんですよね。その本をマスク屋に持ちこんでセブンのマスクを作ってもらったんだよね。
――メキシコではセブンのマスクを被って試合はしたんですか?
高杉 メキシコでは被ってないです。とりあえず帰国したけど、秋頃のシリーズから出ようかなって考えていたら、全日本から「夏のシリーズから出てくれ」って。そのシリーズにはマスカラスやチャボ・ゲレロが来るんだよ。そんなところに出たら、せっかくのセブンが死んじゃうのに。
――マスカラスと一緒だとセブンは埋もれちゃいますねぇ。
高杉 でも、馬場さんは「出てくれ」って。
――馬場さんにセブンのマスクは見せたんですか?
高杉 見せてないね。
――ということはセブンの動きも見てない。ウルトラセブンというコンセプトだけで馬場さんはGOサインを出したということですね。
高杉 そうそう。それで大宮スケートセンターで興行があったときに「明日、大仁田への挑戦状を持って来てくれ」って言われてね。こっちは青森で知り合いと飲んでたのに大宮まで行くのが大変だったよ。
――けっこう行き当たりばったりですね(笑)。
高杉 そのあと全日本の道場で練習をさせられたんだよ。佐藤昭雄さんから「高杉、若い選手とやってくれないか」ってことで。あの頃の若手は三沢光晴、越中(詩郎)、(ターザン)後藤あたりか。冬木はもともと国際にいたから知ってたけど。5分一本勝負で4人とやったのかな。夏の暑いときでさ。
――どうして馬場さんはそんなに慌ててたんですかね。
高杉 そこはわからない。こっちもどういうファイトスタイルにするか固まってなかったし、もうちょっと準備期間がほしかったよね。大仁田とジュニア選手権をやるという計画だったんだけど、こっちは大仁田と手を合わせたことないんだから。佐山は邦昭と前座の頃から何度もやってるでしょ。だから相手の動きもわかるし、タイガーマスクと邦昭はいい試合になったんでしょ。
――ところでウルトラセブンは円谷プロに許可を取ったんですか?
高杉 取ったんですよ。最初は円谷プロからクレームが来たんですけど。
――「最初は」って勝手にやったんですね(笑)
高杉 日本テレビか全日本のどちらかにクレームが来たんですよ。そんときの全日本は馬場さんが会長で、日本テレビの松根(光雄)さんが出向社長。その松根さんが何度も円谷プロと交渉したらしいですよ。ウルトラマンとか勝手にやられてイメージを壊されたけど、松根さんは「今度は大丈夫だから」と。それで後楽園ホールに見に来たんですよ、円谷プロの人間が7人くらいで。
――もうデビューしてるのに確認するって、昭和のいい加減さが出てますね(笑)。
高杉 そんときはチャボ・ゲレロと組んで大仁田&佐藤昭雄とタッグマッチだったんだけど。それがいい試合でねぇ、後楽園ホールがひっくり返るような盛り上がりで。これは自分の中でも最高の試合だったよ。客が沸いて沸いて!
――査定試合としては最高の出来。
高杉 円谷プロの人間が松根さんに「今回はいいですよ!」ということで。だから許可はもらってるんですよ。
――でも、円谷プロの歴史上、公認したプロレスラーはウルトラマンロビンだけということなんですよ。
高杉 ウルトラマンロビンなんてレスラーじゃねえべ(笑)。
――高杉正彦非認定レスラー、ウルトラマンロビン(笑)。いや、円谷プロが公認したレスラーという話で。
高杉 そうなの?
――円谷プロとのあいだに契約書はあったんですか?
高杉 どうなんだろうね?
――全日本から円谷プロに使用料などのお金は払っていたんですか?
高杉 払ってないでしょうね。
――払ってない!
高杉 そこは俺と全日本のあいだにも契約書はなかったから。口約束だけ。あんときさ、ウルトラセブンのTシャツを売ったりしたらかなり儲かったと思うよ。元子さん、やればよかったのに。
――そういうサイドビジネスがあってもいいはずですよね。
高杉 だってファンが押し寄せて「セブンのマスクを売ってください!」って凄かったんだもん。でも、こっちはメキシコで10枚しか作ってないから売るわけにはいかないでしょ。あの頃は客が入ってたから、Tシャツやマスクを作ったら凄く売れたと思うよ。
――お話を聞くかぎり、全日本の戦略性をまるで感じないですね。もっとうまくプロデュースすればいいのに!(笑)。
高杉 だって第5戦で若手だった越中詩郎にピンフォール負けしたんだよ。来週熊本で大仁田とのジュニアヘビー級選手権が決まってるのにさ。
――そんなバカな!!(笑)。藤波辰爾vs剛竜馬「敗者追放マッチ」の真相、SWS選手全員反対でご破算になったパイオニア軍団のSWS入り、メガネスーパー田中八郎と剛竜馬の狂った金銭感覚コンビ、剛竜馬の最期……とは?
この続きと、高杉正彦と剛竜馬、中村祥之と仲田龍、ドーピングの闇、プ女子とお金などの記事が読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ!
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体調管理のスペシャリスト、それは格闘家!/二階堂綾乃
2016-09-09 20:0055pt数年前まで身体が弱くひょろひょろで一年中青白い顔をしていた私ですが、身体を鍛えてからは心も身体もだいぶ健康的になりました。しかしここ最近調子に乗って睡眠時間が短いのにジムに行ったり、3日連続でジムに行ったところ血尿が出ました。これが私の限界か…情けない。私はだいたい1日4時間以上トレーニングしたり、1週間に4日以上ジムに行くと体調を崩します。元々の身体の弱さもあると思いますが、何事もやりすぎは禁物ですね。しかしプロレスラーや格闘家等スポーツ選手は何故毎日のようにトレーニングしてもあまり体調を崩さないのでしょうか。そういえば私のパレハも以前はちょこちょこ熱を出して寝込んでいたのですが、本格的にMMAの練習を始めてからは逆に体調をあまり崩さなくなりました。今回はそんな格闘家の体調管理に関するお話しです。
ちなみに私は血尿が出た日もジムに行きました^^
内藤哲也選手が海外遠征中あまりにもよく眠るので「good naito」とあだ名をつけられたという話は有名ですが、私のパレハも家にいる時はだいたい寝ています。1日スケジュールが開いている日は昼頃まで寝てブランチを食べ、昼寝して夜ご飯、そして就寝です。寝る子は育つと言いますが、寝る子は筋肉も育つようですね。しかしパレハの場合、仕事のある日は一日平均3、4時間しか夜眠る時間がない上、休日はお出かけしたがるので、時間ができたらよく寝るとは言えこんな睡眠時間で週5、6トレーニングをして、しかも1日6時間程トレーニングをすることも珍しくないのに身体を壊さないのは異常です。
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『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜■「斎藤文彦INTERVIEWS⑥」
2016-09-09 20:00110pt80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回は「『週刊プロレス』と第一次UWF――若かりし頃のヤング・フミ斎藤は『週プロ』とUをどう見ていたのか?斎藤文彦・最新著作『プロレス入門』神がみと伝説の男たちのヒストリーhttps://www.amazon.co.jp/dp/4828419071/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_.ROZxbW0XSD1C〘神がみと伝説の男たちのヒストリー〙
鉄人テーズ、神様ゴッチ、人間風車ロビンソン、魔王デストロイヤー、
呪術師ブッチャー、ファンク兄弟、ハンセン、ホーガン・・・・・・
日米プロレスの起源から現代まで
150年以上にわたり幾多のレスラーが紡いだ叙事詩を
レジェンドたちの生の声とともに克明に綴る
「プロレス史」決定版
キャリア35年のプロレスライター・フミ・サイトーが、
幾多の取材、膨大な資料、レスラーへの貴重なインタビューをもとに記した
「プロレス入門―歴史編」『昭和プロレス正史 上巻』http://u0u0.net/ygEd
活字プロレス誕生から60余年――
いま初めて綴られる、プロレスのほんとうの歴史。
日本のプロレス史は力道山、馬場、猪木という3人の偉大なスーパースターによってつくられた。そして彼らの歴史的な試合や事件の多くは主に田鶴浜弘、鈴木庄一、櫻井康雄という3人のプロレス・マスコミのパイオニアによって綴られてきたが、ひとつの史実でも語り部によってそのディテールが異なっている。たとえば力道山のプロレス入りのきっかけとなったとされるハロルド坂田との出会いや、力道山から馬場、そして現在の三冠王座へと継承されたインター王座の出自についても、それぞれストーリーが違ってくる。本書は過去60余年に活字化された複数のナラティブを並べ、ベテランのプロレスライターでありスポーツ社会学者でもある著者がこれを丁寧に検証し、昭和プロレス史の真相に迫った大作である。
Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006――こないだターザン山本さんをインタビューしたときに、ベースボール・マガジン社が『ベースボール・フライデー』という暴露系雑誌を作ったことがあるという話になりまして。
フミ斎藤(以下、フミ) それは異様に面白かったと評価されている山本さんのインタビュー?
――はい。「ひさしぶりにターザンが面白い!」と変なふうに絶賛されたインタビューです(笑)。実際にそんな本があったんですか?
フミ 思いつきでそういう雑誌が80年代前半に企画されたことはたしかですね。そのときボクもまだ若かったから、どういう事情でそんな本を出すことになったのかは知る由もないんだけど。当時は20歳そこそこの学生ですよ。
――ヤング斎藤文彦!
フミ アメリカの大学に通うため向こうに6年間住んでいたんですけど、そのあいだに3回帰国してるんです。アメリカの大学の夏休みは6、7、8月の3ヵ月間もあって長いですからね。その81年、82年、83年の夏休みを『月刊プロレス』編集部のアルバイトとして過ごしたんです。修行中のプロレス記者ともいえるんですけど(笑)。
――『月刊プロレス』時代から関わってたんですね。
フミ 『週プロ』初代編集長の杉山さんにはいろいろと教わりましたし、山本さんはまだ「ターザン山本」を名乗ってなかった頃ですよ。
――「山本隆」時代ですね。
フミ 「隆司」もじつはペンネームで。ボクは山本さんの後ろをちょこちょこと付いて歩いてたんですよ。山本さんと一緒に京王プラザのロビーでレスラーを待ち伏せして、アブドーラ・ザ・ブッチャーの部屋を突撃取材したり。
――山本さんと一緒にゲリラ取材をやってたんですね。
フミ 「ブッチャーが部屋に戻ったらしい」という情報を聞いたら、ロビーからブッチャーの部屋に電話するんです。ブッチャーから「いまから部屋に上がってこい」と取材OKの返事をもらって、2〜3時間ほど話を聞くんですよね。
――いまのプロレス取材とはやり方が全然違うんですね。
フミ あるとき京王プラザで山本さんと一緒に張り込んでいたんですけど、待ち人が来なかったときがあって。そうしたらタイガー戸口さんがふらりと横切って「あれ、あんたら何してるの? 時間があるならお茶でも飲もうよ」と。京王プラザの2階にある喫茶店で2時間くらいお話するんだけど、それがものすご〜〜〜く収穫が多いんですよ(笑)。「プロレスってこういう世界なのか!」と驚きと発見がありまして。
――戸口さんの話は深そうですね(笑)。
フミ あるときタイガー・ジェット・シンを待ち伏せしてたら上田馬之助さんに声をかけられて、喫茶店でお話したこともありましたね。上田さんの話も、もの凄く収穫があったんですよ。話が弾んで「これから一杯飲みに行くんだけど、あんたらも来るか?」なんてお誘いをいただいたりしまして。
――いまは団体の広報を通して取材するのが一般的ですが、当時はゲリラ取材が許されてたんですか?
フミ あの時代は新日本と全日本の2団体しかなくて。馬場さんワールドと猪木さんワールドしかなかった。マスコミの数も少なかったし、顔はなんとなく知れているから、そういう取材の仕方も成立したんですよね。
――顔なじみだったから許されてたんですね。
フミ それに山本さんは『週刊ファイト』上がりじゃないですか。『ファイト』は大阪をベースにしたタブロイド新聞だったので、東京で試合やレスラーを取材した記者からI編集長(井上義啓)が電話で報告を受け、多少の妄想と暴走を含めて、I編集長の脳みその中で濾過されたものが『ファイト』の紙面になっていましたよね。
――『ファイト』はI編集長の私小説的世界でしたね。
フミ 地の利が圧倒的に不利だったので『ファイト』の根本はゲリラ取材なんですね。山本さんはそのゲリラ殺法を『ファイト』で身につけてるからフットワークが軽かった。山本さんが朝から晩まで一度も編集部に来ない日がけっこうあったんですけど、それは遊んでるんじゃなくて、どこかで張り込みをしてるんです。長州力のマンションの前で張り込んでいたり、誰かがホテルの喫茶店で密会してるところをマークしたり。山本さんはカバンの中にキャノンのカメラを忍ばせておいたから、何かあったら自分で写真を撮ってたんです。あの時代は携帯電話なんてないから、山本さんはポケットに十円玉をたくさん詰め込んでいて、何かあると公衆電話から編集部に電話をかけてきてたんですね。
――完全に写真週刊誌記者ですね(笑)。
フミ 山本さんは「団体が喜ぶ記事を書いたら読者にとってはいちばんつまらない」というのが基本姿勢だったんです。つまり団体が「こういうことを書いちゃ困るよ」という内容がプロレスファンが最も喜ぶものになる。読者を喜ばせるために雑誌を作るべきだ、団体関係者が喜ぶようではダメなんだと。山本さんはその部分を徹底してたんですね。
――それは当時のプロレスマスコミとして異色の存在だったわけですよね。
フミ そうでしょうね。こういうことを言うと『ゴング』や東スポの悪口に聞こえちゃうかもしれないから、そこは誤解しないで聞いてもらいたんですけど、当時のプロレスマスコミは、宣伝媒体としての役割が大きかったんですね。それを表すものとして、後年長州力さんの「マスコミなんて東スポさえありゃいいんだよ」という有名な発言がありますよね。
――プロレス団体の立場からすれば、マスコミは宣伝媒体として存在してるという意識が強いわけですよね。
フミ 昔のプロレスにはシリーズ興行というシステムがありましたよね。新日本や全日本は年間8〜9シリーズあって、ひとつのシリーズで3週間近く巡業する。70年代なんかは1シリーズ8週間近くやっていたりしたんです。それこそ夏に東京を出て、戻ってきたら秋だったりするんですよ(笑)。
――その長い旅にマスコミはついて回る。
フミ そうすると記者とレスラーは親しくなるし、団体とマスコミも一蓮托生の関係になる。プロレスが盛り上がることは、媒体にとってもいいことでしょう。持ちつ持たれつみたいもんで、団体側が「こうやって報道してね」というものをそのまま活字にするかたちが昭和30年代から昭和50年代までの伝統というか慣習だった。
――団体からすれば無料で広告を打ってるようなもんですよね。
フミ それが変わっていったのは第1次UWFという団体の登場からでしょうね。UWFが誕生したことによって本当の意味でのプロレスマスコミができたと言えるんですよね。
――UWFがジャーナリズム精神を生んだと?
フミ そこに『月刊プロレス』の週刊化が重なったことが大きいですね。まずボクが経験した『月刊プロレス』編集部の話からすると、ボクは単なるアルバイト小僧で。いつも終電ギリギリで家に帰って、朝9時には編集部に出てくる。ほかの編集者は一番早くて11時くらいの出社なんですけど。それまでに炊事場でお湯を沸かして、2つあった魔法瓶をいっぱいにして。当時は禁煙システムじゃないから、各机に灰皿が置いてあるんですけど、吸い殻が山盛りになってるんですよ。それを毎朝片付けていたんですね。
――雑用をこなしてたんですね。
フミ 『週プロ』初代編集長の杉山さんは、会社で言えば部長的なポジションだったんです。編集長という役職はついてるんだけど、実質上編集長的な作業をしていたのは山本さんなんですよ、最初から。
――あ、そうなんですか。
フミ 杉山さんは『週刊ベースボール』からプロレス編集部に配属された管理職だから。
――杉山さんは優秀な編集者でしたけど、プロレスというジャンルにはあまり興味はなかったそうですね。
フミ そこが強みでもあり弱みでもあったし、ちょっとプロレスをバカにしていたところもあったかもしれない。ただ、プロレスに興味はないけど、プロレスという業界は面白いと思っていた。杉山さんは最初からそういうスタンスだったんですよ。
――誌面は山本さんが取り仕切っていたんですね。
フミ 山本さんが『ファイト』から移籍してきたのは81年。最初は『プロレスアルバム』をひとりで作っていたんだけど、途中から『デラックスプロレス』を担当するようになって、ハルク・ホーガンにギターを弾かせたり、タイガーマスクを海に連れて行ったり、いろんなバラエティ企画をやってたんです。雑誌の付録として人気レスラーのステッカーとか、VHSテープに張るラベルやアイロンプリントを考えたのも全部山本さんなんです。
――ヤングターザン、有能ですね!(笑)。
フミ あと、これは知らない方が多いと思うけど、『月刊プロレス』が『週刊プロレス』になったんじゃなくて、中身としては『デラックスプロレス』が『週刊プロレス』になったんです。
――方向的には『デラプロ』だったんですね。
フミ そうすると『週プロ』と内容が被ってる『デラプロ』のほうの売り上げがズトンと落ちていったんです。なので『デラプロ』はマガジンインマガジンとして「月刊クラッシュギャルズ」をという誌面刷新を打ち出して、女子プロ雑誌に方向転換していったんですね。
――当時は女子プロブームでしたね。
フミ のちに『週プロ』で次長を務める宍倉(清則)さんが編集長代行をやっていたんですけど。あと週刊化に関して、これも皆さんおぼえてないかもしれないですけど、83年の第1回IWGP決勝戦。あのときには週刊化がすでに決まっていて、IWGP決算号と言ってIWGP公式リーグ戦だけを一冊にまとめた増刊号を出したんですね。それが『週刊プロレス』のテスト版だったんです。
――幻のゼロ号があったんですね。
フミ そこで面白いのは週刊化に合わせるように、プロレス界に事件が相次いで起こったんです。テスト号を出したIWGP決勝戦でアントニオ猪木さんの“舌出し失神KO事件”。経営不振によるクーデター事件が起きて、そしてタイガーマスクの引退。長州力の維新軍団やUWF勢が新日本を離脱していった。
――それだけ事件が相次いだら普通は団体が潰れてますね……。
フミ そういう激動の中で創刊したての『週刊プロレス』にジャーナリズムとしてのチャンスがめぐってきたわけです。週刊化されたときに「日刊だと浅すぎる。月刊だと遅すぎる」というキャッチコピーがありましたよね。毎週毎週、駅の売店に雑誌が並ぶことでジャーナリズムのかたちになっていったと思うんですよね。
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UFCマッチメイカー勇退! ゲームセンターで働いていたオタクがMMAの歴史を変えた■MMA Unleashed
2016-09-09 20:0055ptOmasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマはUFCのマッチメイカー、ジョー・シルバの退任について! 獣神サンダーライガー、ジム・クロケットプロがUFCのマッチメイクに影響を与えていた!?
ジョー・シルバ勇退:ゲームセンターで働いていたオタクが、いかにしてMMAの歴史を変えたのか
UFCマッチメーカーのジョー・シルバ(50歳)が、今年末をメドにUFCを退職する意向を明らかにしたと、複数のメディアが報じている。
シルバは勤続21年、UFCで最古参社員であり、ズッファの前のオーナーであるSEG時代から在籍し続けている唯一の社員でもある。2001年からヘッド・マッチメーカーを務めている。
報道当初は時節柄もあり、新オーナーWME/IMGに対する不安や不満が退職のきっかけになっているのではないかとのウワサも流れたものの、実際には今回の会社売却に伴って、シルバを含む役員陣に高額の金銭が支払われたことから、もはや金銭面の不安がなくなったとして、これからは家族と過ごす時間を増やしたいと希望しての退職だということだ。金額は7桁(数百万ドル=数億円)とも伝えられる。
シルバはUFCではあくまで裏方に徹していたが、ほとんど全てのマッチメークに采配をふるい、会社の方向性に影響を与え、ホワイト、ロレンゾ・フェルティータとともにPPVのメインカードを決定していた。
マッチメーカーは、試合の取り組みを決定することが主たる業務であるが、実はそこは一番簡単なところで、いったん取り組みを決定しても、ケガや薬物検査失格、ビザの手続き遅れ、そのほかさまざまな理由で毎日のようにブッキングをやり直さないといけないという、エンドレスな作業だ。最近では海外選手も増え、文字通り24時間仕事になっている。これをシルバは、ラスベガスのUFC本社ではなく、バージニア州リッチモンドの自宅から切り盛りしていた。大会数の増加に伴い、出張も増えた。シルバとアシスタントのショーン・シェルビーは、隔週交代で会場に出向くことにしていたという。さらに、選手の採用と解雇、選手との契約交渉もマッチメーカーの重要な仕事で、特に選手のリリースは気分が重くなる仕事だった。要するに仕事の大半は、強烈な個性の選手やマネージャーを相手に、自分の意思を押し通すことなのである。そしてシルバは、敏腕マネージャーたちがウンザリする豪腕で、自分がよしとするマッチメークを、もっとも低コストでやってのけていたのだ。
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Dropkick好評インタビュー一覧
2016-09-08 11:41
Dropkickメルマガ人気インタビューの一覧表。
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【最新追加記事】二階堂綾乃さんに聞く「プ女子はお金を使わず冷めやすいのか?高杉正彦インタビュー〜剛竜馬とウルトラセブンに愛をこめて〜日本人柔術家が衝撃提言!? 「日本人格闘家はどんどんドーピングしたほうがいい!」中村祥之インタビュー⑤「仲田龍さんが気力体力尽き果てたのはわかりますよ。ボクもやられましたから……」大沢ケンジ“世紀の再戦”マクレガーvsネイト大爆発! 競技化してどんどん面白くなる総合格闘技!!シュートマッチ勃発で全世界震撼!? レスナーvsオートンWWEサマースラムの舞台裏!「斎藤文彦INTERVIEWS⑥」『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜【キックボクシング関ヶ原】あのブシロードが電撃参入! 『KNOCK OUT』とはなんだ?中井祐樹 -
二階堂綾乃さんに聞く「プ女子はお金を使わず冷めやすいのか?」
2016-09-08 11:1177pt極悪同盟コスプレでグラップリングマッチに挑んだときの二階堂さん。本文との関連性はまるでありません。スーパーササダンゴマシンの「プ女子」関連ツイートが炎上し、DDTの高木三四郎社長を含めて処分が下された今回の騒動。そのツイートはすでに削除されているので詳しくは各自調査していただきたいが、女性ファンはどう捉えたのか? Dropkickチャンネルでコラムを連載中の二階堂綾乃さんに話を聞いてきました!
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ターザン山本インタビュー
汚れた「ハンカチ王子」斎藤佑樹騒動……ベースボール・マガジン社の黒歴史/SWS田中八郎と剛竜馬、その極太な関係――!!
■アジャ・コング デビュー30周年記念インタビュー①
「あの頃の全日本女子プロレスは、AKB48やジャニーズだった」
勝たないと稼げない! 衝撃の「押さえこみルール」の実態にも迫る!
■「プロレスの神様」カール・ゴッチ特集
斎藤文彦INTERVIEWS⑤「ゴッチさんの自伝がないのはなぜだと思います?」
神様最後の話し相手・西村修「ゴッチさんはもう一度、日本に来たがってたんです。でも……」
■事情通Zのプロレス点と線
G1優勝! ケニー・オメガの「DDT発言」とはなんだったのか?/G1決勝進出決定! そのとき後藤洋央紀は……
■小佐野景浩のプロレス歴史発見
ガチンコすぎる真夏の祭典!
プロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス
■UFC、新生K−1、ベラトール、DEEPが無料で見られるAbema大革命!
AbemaTV格闘技チャンネル担当者インタビュー「格闘技ファンの力で大きくなりました!」
■あびる優、絶叫再び!
才賀紀左衛門「奥さんが格闘技やることに基本反対。連敗したらやめるとか約束付きです」
■RIZIN親子参戦! 山本アーセン「話題が絶えない家族ですよ。いつも何かありますよ(笑)」
■オマスキファイトのMMA Unleashed
・大反響! 塾長ドン・フライ、堂々のUFC殿堂入り! 万感のスピーチを読め!
・ドナルド・トランプとUFCの奇妙な関係
・マーク・ハント大激怒! 労働組合委員長として腐敗の巣窟UFCと戦ってやる!
・暴力柔術 is back! ニック・ディアスは開口一番に何を語ったのか
・UFCオーナーチェンジ完了!! GSPは復帰するのか、そしてニックは薬物検査を切り抜けられるのか
■MMAジムにも通いだしたプ女子・二階堂綾乃
柔道、レスリング……わいた耳の話/プ女子がプロレスを好きになったきっかけ
■MMAオレンジ色の手帳
数字で見る格闘技〜MMAで成功する日本人五輪選手とは!?/田村潔司にぶつけたい若手MMAファイター
■総合格闘技界のレジェンドが綴る格闘技の日々
中井祐樹の「東奔西走日記」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1095857◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉
――スーパーササダンゴマシンさんの「プ女子」ツイートがけっこうな騒ぎになってるので、これは二階堂さんに話を聞かなきゃと思いまして!
二階堂 どれどれと読んでみたんですが、「へえ〜」という感想です(笑)。
――それはどういう「へえ〜」なんですかね? 「へえ〜」にもいろいろな感情があると思うんですけども(笑)。
二階堂 ササダンゴさんが「そういうデータが出てます」と説明されていたんで「ああ、女性のほうがお金を落とさないのか」っていう「へえ〜」ですね。
――でも、詳細なデータは出していないんですよ。
二階堂 そうなんです。そのデータをプレゼンしてほしかったです(笑)。あのツイートはDDTさんの戦略じゃなくて、ササダンゴさんの顧客やファンに女性が少ないから30代40代の男子を狙っていく……ってことなんですよね?
――そうですね。だから高木(三四郎)さんがリツイートしなかったら、ここまで騒ぎにならなかったのかもしれないんですけど。
二階堂 DDTさんは女性ファンがメッチャ多いですから。リツイートしたことでDDTさんの総意だと捉えられてしまったんですよね。
――あれってササダンゴさんの長文原稿の中から抜き出してツイートしたから誤解を受けやすいですよね。ただ、自分が気になったのは、無条件にササダンゴさんの「言ってることは間違ってない」としてる方がけっこういたことなんですね。
二階堂 あー、ササダンゴさんのつぶやきに賛同して「女はお金を使わない」「すぐに熱が冷める!」って思い込んでる男性の方はいるっぽいですね。
――数字を見たわけでもないのに同意するということは、「プ女子」にどういうイメージを持ってるんだろうと。実際に女性ファンはお金を使ってないんですかね?
二階堂 私は「一部の女性ファンはメチャクチャお金を使ってる」ってことはみんな理解してると思ってたんですよ。ビッグマッチがあるときに地方から密航してくる女性ファンを知っていますし。あと自分が好きになった選手や団体の情報は絶対に見逃さないところは男子と変わらない。雑誌も買うし、DVDも買うし、選手がお店を経営していたら行きます。
――なるほど。というと「お金を落とさない」のは偏見なんですかね。
二階堂 そうかもしれないですねぇ。「女性ファンは選手や関係者と親しくなるとチケットを買わなくなる」とか言われますし(笑)。
――招待券をもらってるんじゃないかと。
二階堂 私は買ってますよ! でも、女性ファンはそう思われてるみたいです。
――でも、それって男も変わらないですけどね。知り合いになって関係者として観戦してるプ男子は昔からたくさんいますよ。
二階堂 あー、そうなんですか。噂によると、◯◯さんはどこでも無料で見てるって聞きましたけど(笑)。
――……突然ビーンボールを投げてきますね。
二階堂 あくまで噂です(笑)。私はポリシーとして、プライベートでは選手と親しくならないというのがあって。あんまり親しくなりすぎると、仲がいいから応援しなきゃいけなくなるじゃないですか。そうなると純粋な気持ちで「今日の後藤洋央紀はダメだったな!」って言えなくなるので。
――立派です! 二階堂さんがプロレスファンになった時期と現在では、女性ファンを取り巻く空気に違いはあるんですか?
二階堂 私がプロレスを見始めたのは2010年なんですけど、あの頃の会場には女性ファンは少なくて。2012年に新日本の親会社がブシロードに変わって、どんどんと選手たちがメディア露出するようになって女性ファンが増えたあたりから……。
――「プ女子はどうせ……」とか言われがちになってきた。
二階堂 昔は女性ファンが少なかったんで、男性が優しかったんですよ!(笑)。
――昔のプ男子は優しかった!(笑)。
二階堂 私は昔から後楽園ホールのバルコニーで見てたんですけど。女性がひとりでそんな場所に来るのが珍しかったんでしょうね。バルコニーが混んでるときも「あ、女の子がいる。前で見てもらおう!」ってバルコニー前列を空けてもらうことがあったんですよ(笑)。
――後楽園バルコニーのレディファースト(笑)。
二階堂 オタサーの姫状態じゃないですけど、異様にチヤホヤされたことはありましたね(笑)。いまは女性ファンがあたりまえのように会場にいるので、そんなこともなくなりましたけど。
――女性ファンを取り巻く空気も変わっていったんですね。
二階堂 一般的な「プ女子」のイメージってキャピキャピ系だと思うんですよ。以前、あるテレビ局の有名な番組から「プ女子の実態を知りたいから取材をさせてほしい」という依頼があったんですね。でも、私はそのときはもう「プロレスが好きだから身体を鍛える系」になっていたので、テレビ局のイメージするキャピキャピ系の「プ女子」とは違ったんでしょうね。面談したあとその企画は立ち消えになりました(苦笑)。
――「プ女子」失格!(笑)。ササダンゴさんが言う「広告代理店やテレビ局が作った幻想」というのは、そういうことなんでしょうね。
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【スポーツの闇】日本人柔術家が衝撃提言!? 「日本人格闘家はどんどんドーピングしたほうがいい!」
2016-09-08 09:4977pt先月幕を閉じたリオ・オリンピックでも影を差し込んだドーピング問題。MMAシーンでは世界最大イベントUFCでは厳格な検査が導入されているが、先日アウトになったブロック・レスナーをはじめ使用者は後を絶たない。そしてアメリカで追放処分を受けたファイターが日本では大物として歓迎されてしまう有様。我々は心のどこかに引っ掛かりを感じながら闘いを見守っているのが今日の現状である。では、ほかの格闘競技ではどうなのか? 今回はブラジリアン柔術黒帯にして柔術専門ライターの橋本欽也氏に、無法地帯と囁かれる柔術界のドーピングの実態、悪魔と取り引きをしてしまう精神についてうかがった。<関連記事>語ろうグレイシー!! ヒクソンの息子クロンのMMAデビューを10倍楽しむ方法http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar540589◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉
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――オリンピックでドーピング問題が話題になってますが、柔術専門ライターにしてブラジリアン柔術黒帯の橋本欽也さんも、じつはステロイドを使用する寸前だったとか。
欽也 Dropkickで大沢(ケンジ)くんが「どれくらい効果があるのか試してみたい」と言ってたでしょ。俺は実際に買ったからね。
――日本人格闘家でこんな告白は史上初だ(笑)。
欽也 詳しくはあとで話すけどさ、日本人格闘家はどんどん使ったほうがいいと思うよ!(ドン)。
――なんてことを言うんですか!(笑)。
欽也 だってMMAもドーピングの規制が厳しくなったとか言うけど、それでもほとんどの外国人格闘家はやってるわけでしょ。使ってない日本人選手が圧倒的に不利じゃん。
――おっしゃるようにMMAはグレーな状況なんですが、柔術の方面も検査がないからやりたい放題で真っ黒だと聞いたんですけど。
欽也 いや、年に1回だけ検査があるんです。
――年に1回?
欽也 いろんな柔術の大会がある中で、世界最高峰のムンジアルこと世界選手権で検査をやってます。ただし、アダルトの黒帯優勝者だけなんだよね。
――凄く限られてるんですねぇ。
欽也 ほかの柔術大会では「これから検査をする!」と発表したけど、ちゃんと行なわれてるかどうかは不明瞭。やっていない説が濃厚なんだよね。
――ムンジアルの優勝者にはちゃんと検査してるんですか?
欽也 やってる。実際、過去にはギャビ・ガルシアを含めて3人の陽性反応が出た(ブラウリオ・エスティマ、フェリッペ・プレギーサ、ギャビ・ガルシアの3人)
――ギャビ・ガルシアはいまでも検査したらアレしそう(笑)。
欽也 ムンジアルで検査をやるって決まったときは柔術界でも大ニュースになったんだよ。それくらいみんなやりたい放題だったから。で、検査を始めた年のムンジアルで、あの●●●●●が負けたんですよ。
――「柔術ボンヤリ層」のボクでも知ってる有名な選手。
欽也 彼には昔からドーピングの疑いがあったから、検査をクリアするために抜いたことで負けたんじゃないか……っていう憶測もあって。
――優勝しちゃうと検査が待ってるわけですもんね。
欽也 ところがいざ蓋を開けてみたら尿検査だけだったという。血液検査はなし。●●●●●も「こんな検査ザルじゃないか!」って言い出して、その翌年から●●●●●はまたガンガン勝ち始めた(笑)。
――うわあ(笑)。
欽也 極論を言っちゃえば、ムンジアルの黒帯の優勝者以外はやりたい放題なんですよ。「表彰台に上がるだけでいい」と高をくくってる選手はやってもいい。
――「ムンジアルには出ない」というのもひとつの手段になります?
欽也 なる。ADCC(アブダビコンバット)は検査をやってないし、2年に一度の開催でしょ。2015年のADCCは8月にあったけど、6月のムンジアルに出ないでADCCを選んだ選手がいっぱいいた。実力者は軒並みムンジアルを欠場ですよ(笑)。
――あからさまですねぇ(笑)。MMAは勝てば大金を手にできるということでドーピングに手を出すファイターが多いですけど。柔術もそこまでやるってことは稼げるということなんでしょうか?
欽也 多くの大会でチャンピオンになったある有名な柔術家が来日したときに、1週間で4回セミナーをやったんですよ。1回のセミナーで手にするお金は最低でも2500ドル。4回で1万ドルですよ?
――世界各地を回ればかなり稼げますね。
欽也 柔術の大きな大会って1月にはヨーロッパ選手権、3月にパンアメリカ、5月末から6月にムンジアル。それから半年間はセミナーの稼ぎ時。チャンピオンになっちゃえば1回2500-3000ドルを行く先々で稼げちゃうんですよね。それに柔術やグラップリングのスーパーファイトに出れば1試合で1万ドルは稼げる。メタモリスは5万ドルは出すし。
――ドーピングのメリットはある。
欽也 あとブラジル人がムンジアルを獲ったらアメリカで道場を開くというアメリカンドリームが待ってるんですよ。ブラジルには柔術黒帯なんて腐るほどいるから、単なる黒帯が道場は出せない。それにワールドチャンピオンがブラジルで道場を出すと言っても、向こうは柔術が根付いちゃってるから、わざわざワールドチャンピオンに習わなくてもいいし、みんながみんな競技志向じゃない。
――趣味程度でやりたい人間もいますよね。
欽也 そんなこともあってブラジルには道場を出す場所がないんだけど、アメリカはニューヨークとLA以外はガラ空きだから。いまサンディエゴやフェルディフィアに柔術道場が増えているのはそういうこと。ロシアやイギリス、ヨーロッパにも柔術の道場は増えている。そしてもうひとつはアブダビですよ。名のある黒帯がアブダビに行くと、学校の中で子どもたちに柔術を教えると月給5000ドルもらえる。
――それに加えてセミナーやスーパーファイトをやって稼げるわけですね。
欽也 日本人には性善説があるかもしれないけど、そこまでやる夢やビジネスが見えないってところがあるのかもしれない。たとえば、MMAでなりふりかまわず日本国内のチャンピオンを目指せばいいでしょ。検査してないんだから。
――使ってもバレない体制ではありますね。
欽也 誤解を招く発言だけど、UFCと契約するまでやればいいわけでしょ(笑)。
――まあ、ブラジル人ファイターなんてドーピング全力投球してPRIDEで名誉と富を掴んだわけですし(笑)。
欽也 やるべきだと思うよ。で、俺も実際ブラジルに行ったときにステロイドを買ったんだよ。
――買った!
欽也 ステロイドの副作用を抑える薬も買った。
――それも買った!この続きと、高杉正彦と剛竜馬、中村祥之と仲田龍、ドーピングの闇、プ女子とお金などの記事が読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ!
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シュートマッチ勃発で全世界震撼!? レスナーvsオートンWWEサマースラムの舞台裏!■MMA Unleashed
2016-09-02 00:0055ptOmasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは……全世界が震撼したレスナーvsオートン戦について!
オートン戦でレスナーは”掟破り”をしたのか?そしてバックステージで第2の事件勃発!
WWEの真夏のビッグイベント『WWEサマースラム2016』が8月21日(現地時間)にニューヨークで開催された。フィン・ベイラー(プリンス・デービッド)が新設WWEユニバーサルタイトルを奪取したり(しかし試合中の負傷により半年間の欠場が決定)、”AJスタイルズ対ジョン・シナ”が会場を大いに沸かせるなど、どこか新日本プロレス成分高めの、内容充実の大会であったが、そのメインイベントでとんでもないバッドエンドで観客を凍り付かせたのが、”ブロック・レスナー対ランディ・オートン”の大惨劇であった。
簡単に試合展開を追ってみよう。ゴング直後から、最近のレスナーのプロレスの試合ではおきまりとなっている”スープレックス・シティ”が全開となり、ぶっこぬきの投げ捨てジャーマンの連発でオートンを一方的に攻め立てる。場外に戦場を移し、フラフラのオートンを放送席のテーブルの上に放り投げるレスナー。テーブルの上で技をかけようとしたところ、オートン起死回生のRKOが炸裂し攻守逆転。カウントアウトギリギリでリングに戻ったレスナーの脳天を、オートンが今度はロープ越しのDDTでマットに突き刺す。オートンがさらにとどめのRKOを狙ってレスナーに近寄ったとき、レスナーが逆転のF5。ここで大の字にダウンしたオートンにレスナーがマウントポジションでのしかかり、オートンの頭部に立てヒジをたたき落とす。ぐったりとしたオートンの頭からはトロトロと大量の流血が止まらず、マットに血の水たまりができる。あまりのショッキングな殺人劇に観衆があ然とする中、レフリーがレスナーのTKO勝利を宣告したのだった。
このアンチ・クライマクティックなエンディングを受けて、米国ではプロレス情報サイトのみならず主流派メディアまでもが、この試合がシュートだったのかワークだったのか、このフィニッシュはプラン通りだったのか否かとの話題を相次いで報じた。
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「MMAボンヤリ層」向けアレコレ■事情通Zのプロレス 点と線
2016-09-02 00:0055pt事情通Zがプロレス業界のあらゆる情報を線に繋げて立体的に見せるコーナー「プロレス 点と線」。今回は格闘技がテーマなので「MMAボンヤリ層」のZさんは聞き役です(ジャン斉藤)――「MMAボンヤリ層」の事情通Zさんは、修斗世界ウェルター級王者が誰かご存知ですか?
事情通Z 本当に本当に申し訳ないんですけど、知らないんですよね……。「MMAボンヤリ層」からするとUFCのチャンピオンでも名前がパッと出せるのは、コナー・マクレガーとロンダ・ラウジーくらい。
――いや、ロンダ・ラウジーはとっくの昔に王座から陥落してます(笑)。
Z うわあ、そうだった……。
――修斗世界ウェルター級王者は松本光史選手なんですけど、ちょっと面白いことが起きてたんですよね。松本選手は9月19日の「VTJ 8th」でカナダ人ファイターのアレックス・リッチと対戦するはずだったんです。ところが8月28日のUFCカナダ・バンクーバー大会のライト級の試合で欠場者が出てしまった。UFCは代役を探したんですが、メディカルやMMAライセンス等の関係でカナダ大会に出られるのはリッチだけだったんですよね。
Z UFCはリッチに代役のオファーをするしかない。リッチにとっては願ってもないチャンスだね。
――ところがリッチはVTJと契約済み。VTJがリリースしないかぎりはUFCに出場できない。ほかに代役選手が見当たらないUFCからすれば、一刻も早くリリースしてもらいたいんだけど、UFCとVTJが直接話し合うわけにはいかない。
Z あくまでVTJとリッチのあいだで交わされた契約だからね。
――リッチは34歳で年齢的にラストチャンスだからなんとかしてUFCに上がりたい。そこでリッチのマネジメント側は、リッチの代役としてエフレイン・エスクデロという選手の参戦をVTJに提示したんです。彼はTUFシーズン8優勝者。
Z 実績があるファイターを用意した。
――実績のある対戦相手に加えて、なんとか話をまとめたいUFCは、関係者を通じてVTJ側に「松本選手がこのエフレインに勝てばUFCとの契約を検討する」と非公式ながら伝えたという噂がありますね。
Z おー、凄い展開(笑)。
――こうしてVTJはリッチをリリースして、松本選手はエフレイン戦を合意するに至るわけですけど。なおリッチはUFCバンクバー大会では判定負けでした。
Z 松本選手も勝てばUFCとの契約がグッと近づく。どこにチャンスが転がってるかわからないってことだね。
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ラジオ体操、横浜ケージファイト、若き選手の訃報に思う/中井祐樹の「東奔西走日記」8月15日〜31日編
2016-09-02 00:0055pt日本格闘技界の礎を築いたレジェンド、中井祐樹先生@yuki_nakai1970 が日常を綴る連載! 今回は8月15日〜31日編です!8月15日 月曜日 曇り 愛してると言って 今日から少しばかりの夏休み。のんびりいろいろたまってたことを用足しする。 BGMはパティ・オースティンの1st『エンド・オブ・ア・レインボー』。僕が最初に買ったCDがこれだ。昨日のイベントで歌手のCHAKAさんが歌ってくださった名曲『Say You Love Me』が冒頭に収められている。 一曲だけ他人の曲で、ほかはパティの自作だとCHAKAさんが教えてくれた。ライナーを見たら、たしかにそうだった。シンガーソングライター色が濃い作品である。未聴の方は是非。 午後からは運転免許更新のため石神井警察へ。車に乗らないから当たり前だがゴールド免許である。自慢にはならないが。 帰りは練馬富士見台周りで帰った。途中で少しばかり疲労を感じたので、味噌ラーメン食ったさ。8月16日 火曜日 曇り いろいろ 午前中、地元の中学校の柔道部に行き一緒に稽古。腹包みと横三角も伝授しました。三年生が勇退し初々しい白帯クンだらけになっていた。どんな色になっていくか楽しみだな。今年はやたらと多い、蝉の死骸をよけて歩きつつ一旦帰宅。 帰ったらテレビで若いタレントが「チャラい」って言っていた。それでSNSでつぶやいたんだけど、たぶんチャラいって言葉、日本で最初に言ったのは俺。大学生の時には既に使っていたが世間ではまったく言ってなかったよ。だからどうした、って感じだが。悪しからず! 池袋にお出かけし、十割そばを食う。うまい、それにここ(『嵯峨野』)は安い。サイコー。 CHAKAさんとのトークライヴに来てくれた高校時代の同級生と再び池袋Absolute Blueにて再会。ユッコ・ミラーさんという新人ミュージシャンのライヴを観た。(ここのライヴを調べてるうちにナカイのトークライヴ出演を知り、来てくれたのだ。)アイドルチックな装いにかかわらずかなり本格的なジャズ・ファンク。堪能しました。その後スナックにも二人で行きました。8月17日 水曜日 晴れ 課外授業 夏休み三日め。午前中は山口百恵の『潮騒』を観た。原作は読んだ記憶がない。読んでみよう。 中学生のメンバーから連絡があり、練習したいと。幸い私も空いていたので課外授業となった。4分を2分と2分に分けていろんなルールでやりました。七大柔道ルールもイイな。これからレギュラーでやろうかな。8月18日 木曜日 雨 セルフ誕生祝い 今日は自分の誕生日。46歳になりました。朝からFacebookを中心にお祝いメールの雨あられ。誠にありがとうございます! しかしすべてにお返事を返せそうにありません…悪しからずご了承下さい! 自分へのセルフお祝いに足もみ、若石鈴足法を受けに亀戸の治療院へ。ゴッドハンド鈴木弘勝先生にがっつり揉んでいただきました! 感謝! 帰りはいつも寄る十割そば屋さんへ。こちらもサイコー。 帰りは新人ミュージシャンの登竜門ライヴ『ミセルバ』を見に渋谷まで。実は知り合いの歌い手さんの応援で、初めて見に行ける、チャンスでした。RYOさん、凄く上手くて、めちゃカッコ良かったです! 羽ばたけ!
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