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記事 28件
  • 【パンクラス地上波登場へ】中井りんインタビュー「RIZIN様への参戦? 前向きではありますが……」【村田夏南子が対戦表明!】

    2016-10-14 00:00  
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    11月13日のパンクラスディファ有明大会にて国内復帰第2戦を迎える中井りんインタビュー。いま日本で最も勢いがあるパンクラスの地上波生中継登場が期待され、一方でレスリングで吉田沙帆里を追い詰めた村田夏南子から対戦表明されるなど、中井りんの存在があらためてクローズアップされている。世間から女子格闘技が脚光を浴びつつある現在、中井りんの生の声を聞こうとコンタクトを取ると、大量の昆虫を前に微笑む写真が送られてきた! 「かぶとむし200円」「ミズカマキリ300円」……中井りんはいったい何をやっているのだろうか?(聞き手/松下ミワ)中井りんパンクラス復帰第2戦! 11・13ディファ有明http://www.pancrase.co.jp/tour/2016/1113/index.html
    ──中井さん! 今回も電話インタビューというかたちですが、取材をご快諾いただきありがとうございます!中井 いえいえ。中井りんと宇佐美館長はDropkickが大好きなので。
    ──恐縮です。今回いただいた写真はカブトムシの飼育……ですかね?
    中井 これはですね、夜店でカブトムシとクワガタを売っている写真です。
    ──えっ、夜店で売ってる?
    中井 はい。
    ──どういうことでしょうか……? 
    中井 じつはこの夏、真夜中に一人で近くの山に登って、度胸と体力をつける修行をしていたんですね。何時間も断崖絶壁を駆け上がらないといけないし、崖を転げ落ちたりもしますから、命懸けの身体を張った体力作りになるんです。
    ──危ない修行ですねぇ。 
    中井 かなり怖いです。深夜の山奥だから誰もいないはずなんですけど、ときどき大きな物音がしたりして。クマとかイノシシが出てくるんじゃないか……という感じで怖かったですね。その山奥トレーニングのときにカブトムシやクワガタムシをたくさんつかまえることができまして。
    ──あっ、もしかしてそのクワガタを……。
    中井 はい。私たちのジムは今治市内のアーケード商店街にあるんですけど、練習の合間に、そのカブトムシとクワガタムシを売ることにしたんです。
    ──つまり、中井りんの昆虫ビジネスですか!
    中井 アハハハハ!  そうですね。アーケードを通るお客さんに、写真を撮らせてとか、握手やサインをくださいと言われることもあるんですけど、「クワガタかカブトムシを買ってくれたら握手します!」とお願いすると皆さんすぐに買ってもらえますね。アハハハハハハハ!
    ──そんなゴキゲンな催しが行われたんですねぇ。ちなみに、この夏はどのぐらい採取したんですか?
    中井 採った数でいうと、たぶん100匹は超えてると思いますね。というか何百匹になると思います。
    ──何百匹!トレーニングのついでという感じじゃないです(笑)。
    中井 まあ、皆さんがどのくらい虫の種類に詳しいかはわからないですけど、ヒラタクワガタ、ノコギリクワガタ、コクワガタとかいろいろありまして。一番安くて一匹100円から売っていたんですが、ヒラタクワガタの大きいのになると一匹3000円にもなって。それがけっこう儲かったので、生活の足しになりました。
    ──もはや業者の勢いですね(笑)。
    中井 大きさとか形とかを気にするようにして、できるだけ高く売れそうな感じのものだけをつかまえるようにして。その売れ残りが30匹ぐらいあるんですけど、産卵させて養殖したらどうかと思っています。
    ──完全に業者です(笑)。前回取材したときは「資金問題を抱えている」と言われてましたが、その昆虫ビジネスで無事に解消されたんですか?
    中井 たしかに昆虫で少しは儲かったんですけど、現在は生活を維持することも苦しくなっています……。
    ──昆虫は助けてくれなかった。
    中井 私たちは、もう5~6年前から、格闘技のレベルの高い北米で練習したいとずっと考えているんです。もしくは東京に長期滞在して練習したいと。でも資金がなくて実現できていません。それに最近は館長が“病気”になって働けなくなってしまって、ますますお金に困るようになりました。
    ──えっ!  ちなみに館長はなんの病気なんですか?
    中井 ちょっとそれは言えないんですが……。
    ──いや、中井りんファンはムチャクチャ気になると思いますよ!
    中井 ごめんなさい、“病気”とだけしか言えないんです……。この10年間、何もかも館長がやっていたので、いまのままでは同じ生活を続けていくどころか、いまやっていることも挫折してしまいそうなんです。
    ──それは弱りましたねぇ。
    中井 あのー……つかぬことをおうかがいしますが、そういった資金というのは、ライジンサマは出していただけるんでしょうか?
    ──「ライジンサマ」というと、クワガタの種類ではなく格闘技イベントのRIZINのことでしょうか。
    中井 はい、格闘技イベントのRIZINです。
    ──いきなり名前が飛び出したのでビックリしています。
    中井 だってRIZINはお金持ちなんですよね? 
    ──いや、どうなんでしょう。
    中井 RIZINのファイトマネーの額は高いんですか? 
    ──いやあ、それはちょっとわかりかねますね。クワガタよりはお金になるとは思いますが……。この続きと、谷津嘉章、『ギブUPまで待てない!!』の裏側、中井りん、崔リョウジ、竹田誠志などの記事がまとめて読める「13万字・詰め合わせセット」はコチラhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1130438 
  • 続発!?外国人選手規定体重オーバー問題■「MMAオレンジ色の手帖」

    2016-10-13 10:38  
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    格闘技ブログ「MMA THE ORANGE」の管理人オレンジがディープなエピソードをお届けする「MMAオレンジ色の手帖」! 今回のテーマは「続発!?外国人選手規定体重オーバー問題」です!ここ最近の日本格闘技界は上昇気流に乗って押せ押せムード。ゴールデンタイムに放送されたRIZINは並み居る強豪裏番組を抑えて8.7%の高視聴率を獲得。当日に放送されたフジテレビの番組の中で3番目に高い視聴率というから局内の評価も上々というのも頷けます。さらに酒井正和代表の指揮の下で快進撃を続けるパンクラスはMXテレビで悲願だった地上波での中継をスタート。徐々にですがかつての黄金時代の勢いを取り戻しつつあるのではないでしょうか。この勢いを表すバロメーターの1つが来日する外国人選手の数。どれだけ多くの外国人選手が日本で試合をしているかを見ると日本格闘技界の浮き沈みがおぼろげながら見えてきます。中でもわかりやすいのがパンクラス。黎明期から絶頂期も低迷期もそして現在に至るまで大会を開催し続け、景気の波に合わせて外国人選手を起用してきただけの事はあります。まず初めにパンクラスの外国人選手起用の歴史を定点観測してみました。まだポイント制を採用してUWFの名残を残していた1998年。1年間の総試合数99に対して外国人選手はのべ59人が出場。その割合はなんと59.6%に及びます。単純計算で2試合に1試合以上は外国人選手が出場。しかも外国人選手同士の対戦もあっただなんて現在のパンクラスからはにわかに信じられません。この続きと、谷津嘉章、『ギブUPまで待てない!!』の裏側、中井りん、崔リョウジ、竹田誠志などの記事がまとめて読める「13万字・詰め合わせセット」はコチラhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1130438 
  • UFCに残されたフロンティア、中国市場は酸いか甘いか■MMA Unleashed

    2016-10-12 17:27  
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    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは「 UFCに残されたフロンティア、中国市場」!

    このところ米MMAニュースサイトを賑(にぎ)わせた記事に、「WME/IMGによるUFC買収に際して、ゴールドマン・サックス銀行が仕組んだ18億ドルにのぼる大型資金調達に対し、米連邦準備銀行(FRB)が危険性勧告を行った」というものがある。WME/IMGは、40億ドルとされたUFC買収資金のうち、18億ドルをレバレッジド・ファイナンスという手法による借金でまかなった。ゴールドマンがこのローン債権を平均金利7.5%で市場に売り出したところ、高金利を求める投資信託やヘッジファンドが積極的に購入希望が殺到したという。FRBは、この資金調達は本当に合理的な担保性があるものなのかと疑問を呈しているというのである。この続きと、谷津嘉章、『ギブUPまで待てない!!』の裏側、中井りん、崔リョウジ、竹田誠志などの記事がまとめて読める「13万字・詰め合わせセット」はコチラhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1130438
     
  • 流浪のプロレス人生のすべてを語る! 谷津嘉章インタビュー「ガチだったら楽だけど、そうじゃないから」

    2016-10-11 19:52  
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    レスリングオリンピック代表からプロレスに転向、新日本プロレス、ジャパンプロレス、全日本プロレス、SWS、SPWF、PRIDE出場……流浪のプロレス人生を送ってきた谷津嘉章がすべてを語るインタビュー連載の第1回! 新日本入団から、あのゴッチさんを怒鳴ったというアメリカ修行時代の道場ガチンコマッチまで! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!
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    非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! part32は大好評インタビュー11本、コラム9本、13万字オーバーで540円!!(税込み)  試し読みも可能です!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1112535
    ■高杉正彦インタビュー〜剛竜馬とウルトラセブンに愛をこめて〜
    現役最後の国際プロレス戦士が語る伝説のインディ団体パイオニア戦志、ウルトラセブン、そして盟友・剛竜馬の知られざる驚愕エピソード!
    ■“ゼロワンを作った男”中村祥之インタビュー⑤
    中村氏に降り掛かったスキャンダル報道を語る!
    「仲田龍さんが気力体力尽き果てたのはわかりますよ。ボクもやられましたから……」
    ■日本人柔術家が衝撃提言!? 「日本人格闘家はどんどんドーピングしたほうがいい!」
    あきらかになるMMA、そして柔術界のドーピングの実態! 子供に魔法の薬を勧める親が……!
    ■小佐野景浩のプロレス歴史発見
    『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!
    老舗プロレス雑誌の誕生と終焉を見届けた男の胸によぎるものとは……?
    ■「斎藤文彦INTERVIEWS⑥」
    『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜
    ■二階堂綾乃さんに聞く「プ女子はお金を使わず冷めやすいのか?」
    スーパーササダンゴマシンの問題発言で再びクローズアップされた“プ女子”という存在。女性プロレスファンの視点と、マット界の歴史から考察します!
    ■中井祐樹先生の直言インタビュー 
    日本MMAが日本柔道から学ぶべきもの「もっとミックスドマーシャルアーツしろ!」 
    なぜ日本から足関の達人は消えてしまったのか? 格闘技界を見続けてきた中井先生だからこその解説!■新生K−1の独走に待った? 新日本をV字回復させたブシロードがキック界に電撃参入! 『KNOCK OUT』とは何か?
    ■金原弘光の好評連載インタビュー
    「リングスオランダとドーピング、どっちが怖い?」
    ■「JKプロレス技本」発売記念!  エロマンガの巨匠・師走の翁先生インタビュー
    JK風俗事件、エロ落書きから一冊の本ができるまで!■世紀の再戦マクレガーvsネイト大爆発! 競技化してどんどん面白くなる総合格闘技を大沢ケンジ師匠が目からウロコの徹底分析!
    ■オマスキの北米コラム「MMA Unleashed」
    ・シュートマッチ勃発で全世界震撼!? レスナーvsオートンWWEサマースラムの舞台裏!
    ・「かつての薬漬けの自分のことは好きではない」チェール・ソネン、ベラトールで電撃現役復帰
    ・UFCマッチメイカー勇退! ゲームセンターで働いていたオタクがMMAの歴史を変えた
    ・CMパンク狂騒曲終幕!  次戦はベラトールか、RIZIN桜庭戦か
    ■MMAオレンジ色の手帳
    ・インド王族武術の使い手! 謎の格闘集団「 TEAM DATE」とは何か? 
    ・RIZIN包囲網? 強力裏番組を徹底解剖〜9.25視聴率大戦争〜
    ■二階堂綾乃コラム
    ・体調管理のスペシャリスト、それは格闘家!
    ・格闘家の汗の匂い問題! おすすめの洗剤と柔軟剤は?
    ■中井祐樹の「東奔西走日記」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1112535
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    ――谷津さんに濃厚なプロレスラー人生を振り返っていただきたくて、小田原の国府津までやってまいりました!
    谷津 わざわざご苦労さん。そうだなあ。アントニオ猪木さんに騙されたのかなあ(苦笑)。 
    谷津さんが店主を務める国府津「はかた亭」――ハハハハハハハ! 谷津さんといえば、まずはレスリングのオリンピック出場に触れないわけにはいかないですよね。
    谷津 俺は足利工大附属高校でアマレスを始めたんですよ。そこの学校の後輩には三沢(光晴)や川田(利明)なんかがいるんだけど。俺はそんなにアマレスはやりたくなかったんですよね。自分は中学のときはルンペンだったから。
    ――ルンペン?
    谷津 帰宅部で何も運動をやってなかったんですよ。いまはさ、ちびっ子レスリングが盛んですけど、昔は柔道や相撲からレスリングに転向する奴が多かったんです。吉田沙保里や伊調馨は小さい頃からレスリングをやってたでしょ。
    ――谷津さんは高校から始めてすぐに頭角を現したんですね。
    谷津 覚えるのが早くてね。国体で優勝して、高校2年のときにひとりだけ選抜チームに入ったし。周りはみんな先輩ばっかだから行きたくなかったんだけど。
    ――覚えるのが早いどころじゃないですね(笑)。
    谷津 モントリオールオリンピックは20歳のときに出ましたからね。俺はオリンピック村で20歳の誕生日を迎えたんですよ。
    ――19歳で! それはかなり異例だったんですか?
    谷津 格闘技では異例ですね。まあレスリングを始めてわずか数年の出来事ですよ。 
    ――それはつまり相当強かったんですね。
    谷津 うん。
    ――さすが「日本重量級史上最強の男」ですね(笑)。
    谷津 それがいいんだか悪いんだかね、人生そこで変わっちゃいましたよね。そこから車屋なんかで働こうなんて思わないじゃないですか。どんどんとレスリングのほうに見出されていっちゃうわけだからね。
    ――当時はオリンピックレスラーいえども待遇はあまりよくはなかったんですよね。
    谷津 全然ですよ。その次にモスクワオリンピックがありましたよね。アメリカとの政治的事情で日本はボイコットしちゃったけど。
    ――谷津さんが出場すればメダルは確実だったと言われる。
    谷津 まあ、やってみなきゃわからないですけどね、それは。あの1年2年手前くらいから待遇がよくなってきましたね。強化指定選手というのがあってね、ABCとランク付けされるんですよ。それぞれ栄養費として毎月お金がもらえるんだけど。自分はね、重量級の中でBだったんですよ。
    ――Aクラスじゃないんですね。
    谷津 Aっていうのは世界選手権のチャンピオンクラスですよ。Bってのはアジア大会クラス。Cは強いかな弱いかな、とりあえず強化指定って感じで。19歳でBは俺しかいなかったんです。それはアジア大会優勝したから。
    ――Bだと栄養費はどれくらい支給されるんですか?
    谷津 Bはね、月5〜6万円もらってたかな。あと遠征費も全部じゃないけど協会が出してくれる。それだけじゃ足りないから世界選手権に出るときなんかは県庁や地方自治体に挨拶に行って、壮行会をやってもらって資金を集めるんです。いまでもスポーツ選手というのはね、周囲の応援がなきゃできないですから。そっちに忙しくて練習できなくて勝てなかったなんて言い訳だからね。強い奴は強いですから。
    ――当時は“日本レスリングの父”八田一郎さんがレスリング協会の会長でしたけど、練習方法がとにかく独特で厳しかったんですよね。
    谷津 根っからの怠け者の俺でさえ、あの頃は練習をやってましたよ(苦笑)。練習は1日10時間。朝練、昼練、夜練。練習方法も異常。たとえば1年間、左手で飯を食えとか。
    ――利き腕じゃないほうを使いこなせるように。
    谷津 強化選手が合宿に行くじゃないですか。朝いきなり起こされてね、上野動物園に連れて行かれてライオンの檻の前で寝るとかね。
    ――ハハハハハハハハ! 精神修養ですね(笑)。
    谷津 「かつて日本はロシアのバルチック艦隊に勝ったんだから、おまえらもロスケに負けちゃいかん!」とよく言われましたよ。「なーんか時代錯誤だなあ……」とは思ってたんだけど。「強いところで練習しないと強いくならん」という方針で、強い選手に揉まれて精神的コンプレックスを払拭しろと。「ロシアは強い」という潜在意識があったけど、一緒に練習すればなくなるだろうっていう発想なんですよ。だから俺も2ヵ月くらいモスクワに住んで向こうの選手と練習しましたよ。
    ――当時はソビエト連邦として未知の国で。
    谷津 相撲でいう心技体の「心」で負けちゃいけない。「強い」という先入観があると落ち着かなくてどこかで上ずっちゃたりしてね、ホントの実力が出ないうちに勝負が終わっちゃうから。
    ――トップクラスになると精神が重要になってくるわけですね。
    谷津 心が一番大事。あとで自分もプロレスデビューするわけじゃないですか。スポットライトを浴びてお客さんがウン千人も見てる。もっと大きな会場だと何万人もいるでしょ。異常な大歓声とスポットライトの中で「……これ、何をやったらいいの?」と戸惑ったこともありましたよ。
    ――レスリングで実績を積んでいてもジャンルが違うと戸惑うもんなんですね。
    谷津 ガチンコだったらできますよ。ガチンコじゃなくて、プロレスはある程度、技と技を競うわけだから。ガチだったら、そりゃあ楽ですよ。プロレスは難しいです。
    ――谷津さんはモスクワ五輪ボイコットによりプロレス入りをするわけですよね。あのボイコットで五輪出場が絶たれてしまい、涙を流した選手は多かったですけど……。
    谷津 俺も「ありゃまあ」って感じでしたよ。
    ――「ありゃまあ」ですか(笑)。
    谷津 卒業して2年間は学校の職員をやりながらオリンピックを目指していたのに、その目標がなくなってしまったから。あっちこっちで4年間練習して、けっこうなお金も使ってたじゃないですか。100万200万という単位じゃないからね。モスクワがダメになってこれからどうするかって考えたときに「そうだ、アレがあったなあ……」って。それがプロレスですよ。 
    ――たとえば教師や指導者という道もあったと思うんですけど。
    谷津 うーん。その頃はオツムが足りなかったせいか、その考えはなかったね。まだ若かったからね、自分の身体を使って何かをやりたかったんですよ。
    ――同じオリンピックレスラーの長州さんや鶴田さんがプロレス入りしていたことも影響しました?
    谷津 ないですね、自分はあんまり。だって知らなかったもん。ジャンボがプロレスに入ったことは知ってたけど、長州力のことは知りませんよ。
    ――へえー、同じアマレスでもそういうもんなんですね。
    谷津 なんでジャンボのことは知ってたかというと、ジャンボの同級生が俺のライバルだったの。いまは北海道のレスリング協会の会長をやってますけど。
    ――それくらいプロレス事情に疎いのにプロレス入りのツテはあったんですか?
    谷津 福田(富昭)さんの仲介で新日本に入ることになったんですよ。
    ――八田さんのあとを引き継いでレスリングの隆盛に尽くした福田さんですね。
    谷津 あのとき福田さんが猪木さんや新間さんとどんな話をしてたのかは俺は知らない。
    ――あ、谷津さんは交渉していないんですか。
    谷津 全然してない。福田さんから「おまえ、新日本に入れ」って言われただけ。条件も何も言われてない。向こうに任せっきり。
    ――それって怖くないですか?(笑)。
    谷津 まあ、自分のことを自分で決められないような男なんですよね。でも、ちょっと興味があるからプロレスに入るんです。プロレスに興味はあったんですよ。
    ――では、猪木さんに会ったのは入団が決まったあと。
    谷津 いや、その2年前に会ってるんですよ。モントリオールオリンピックが終わったあとにロサンゼルスでたまたま会ったことがあるんです。そんときに「将来プロレスをやらないか?」なんて言われて小遣いをもらいましたよ。700ドルくらい。
    ――あの頃の700ドルって大金ですよね。
    谷津 日本円で20万弱ですよ。プロレス入りしてからほかのレスラーに「猪木さんからよくそんな大金をもらったな。猪木さんって凄くケチなんだよ」って言われてね(苦笑)。
    ――ハハハハハハ! 
    谷津 あのとき猪木さんは見栄を張ったんじゃないですか。あと俺のことが欲しかったんでしょう。当時は「キング・オブ・スポーツ」を謳ってから。
    ――レスリングの強い選手を入れたかったんでしょうね。
    谷津 で、10月30日の熊本・水神体育館で入団挨拶をしたんですよ、新間さんが「凄いヤツを紹介します」ってことで。そこから合流したんですけど、あんときは若手に前田日明、ジョージ高野、仲野新市とかがいて。クソ生意気だったんですよ、とくに高田(延彦)が。
    ――谷津さんはエリートですから敵愾心もあったというか。
    谷津 当時の高田は猪木さんの付き人をやってたんですよ。猪木さんの付き人をやるってことは将来を嘱望されてるわけだしね、俺に対して「アマチュアなんかに負けねえぞ!」って態度で。野球少年なのにさ。
    ――野球少年なのに(笑)。
    谷津 挑戦的なんですよ。たしかに練習も凄くてね、スクワットなんか1000回やってて、俺も「凄いなあプロレスラーは」って感心しながらついていったんだけど。翌日の鹿児島大会が終わったあと俺の歓迎会があったんですよ。「おまえ飲め!」なんて焼酎をバンバン飲まされてね。もう酔っちゃってわけがわからくなっちゃって「なんだアマチュアはそんなもんか!」なんてバカにされて。
    ――プロの洗礼を受けたんですね。
    谷津 翌日は当然二日酔いでね、朝9時に出発と聞いてたから、巡業バスにギリギリ10分前に乗り込んだんですよ。そうしたら全員バスに乗ってて冷たい目で俺のことを見るわけよ。よくよく聞いたら新日本の習慣というかルールでは、9時集合だったら30分前に集合なんだって。だったら最初から教えてくれよって話でしょ。「この連中は最悪だな……」って思いましたよね。
    ――「昭和・新日本」って意外と女々しい話が多いんですよね(笑)。
    谷津 これはあとでわかったんだけど、歓迎会のときに焼酎で潰されたでしょ。ほかの連中は途中から水を飲んでたっていうんだから。「レスリングは弱いなあ」ってなんて言ってたくせにさあ。
    ――バカ正直に生きちゃいけない世界なんですかね(笑)。
    谷津 練習なんかもっと酷いよ。星野勘太郎っていたでしょ。「おまえが入ってきたとき、いつもは300回だったヒンズースクワットが1000回になったんだバカヤロー!」って。
    ――練習もハッタリだったんですか!(笑)。それくらいレスリングエリートの谷津さんを警戒してたというか……。
    谷津 なんかヨソモノ扱いというか、プロレスもろくに教えてくれなかったから。薄々は気づいていたけど、プロレスがガチじゃなくてショーなんだってちゃんと教えてくれたのはアメリカに行ってからですよ。この続きと、『ギブUPまで待てない!!』の裏側、中井りん、崔リョウジ、竹田誠志などの記事がまとめて読める「13万字・詰め合わせセット」はコチラhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1130438 
  • 【ドゥテルテ旋風】フィリピン麻薬撲滅運動がUFCを吹き飛ばした!?■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク

    2016-10-11 19:25  
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    多くのMMAファイターをマネジメントするシュウ・ヒラタ氏が北米MMAシーンを縦横無尽に語りまくるDropkickニコ生配信コーナー。深くてタメになるトークを活字でもお届けします! 今回お送りするテーマは「UFCフィリピン大会電撃中止の真相」「BJペンの代役に川尻達也が?」「ジョゼ・アルドのUFC離脱騒動」です!(10月に配信された一部を書き起こしたものです)。
    ――ヒラタさん! 10月15日の予定されていたUFCフィリピン大会が開催1週間前に中止になってしまいました。この緊急決断の理由としてメインイベントのBJペンが負傷欠場としたことが挙げられてますが、業界内ではフィリピンの過激な麻薬撲滅運動の影響もあるんじゃないかと囁かれていますね。
    シュウ こういう大騒動になったから言うわけじゃないですが、以前から私はUFCに忠告していたんですよ。
    ――いまのフィリピンはヤバイですよと?
    シュウ はい。今年の6月30日付けでフィリピンはドゥテルテ大統領に変わったじゃないですか。そのあとの7月30日にWSOF-GCがマニラ大会をやったんですけど、そのおかげで7月1日以降はメディカルの申請なんかがどうなるのかわからなかったんです。
    ――でも、WSOF-GCはその前から動いてたんですよね。
    シュウ 5月6月頃からフィリピン政府に通じている弁護士にいろいろと動いてもらってたんですけど、「7月になったら大統領が新しくなるから俺のパイプはなくなる。新しいパイプを探してくれ」と。
    ――えええ!?(笑)。
    シュウ フィリピンというのは面白い国で昔から大統領が変わるとルールもドラスティックに変わるんです。なので7月以降はどうなるのかわからなかったんですよね。
    ――普通だったら政権が変わろうがシステムは引き継ぎますよね。そうしないと混乱を招くだけですし……。
    シュウ フィリピンは違うみたいです(笑)。WSOF-GCが新しい政権から何を命じられたかといえば、血液検査、心電図検査、レントゲン検査、そしてドラッグテストをやりなさいと。
    ――ドゥテルテ大統領は麻薬撲滅運動に力を入れていて、麻薬組織関係者が1000人以上も殺害されています。裁判を通さないで射殺するケースも多いことから国際社会から非難を浴びていて。
    シュウ まあ選手は当然受けるべき検査なんですけど、どういうわけかセコンドも全員検査を受けなきゃいけなかったんですよ。
    ――セコンドも!(笑)。
    シュウ セコンドがなぜ心電図検査は受けなきゃいけいのか(笑)。「アホみたいな話だよね」と言いつつ従ったんですけど、こんなことがあったので10月のUFCも何を言ってくるかわからないぞ、と。そういう現場を経験していないUFC関係者は「まあ大丈夫でしょ〜」という呑気な感じだったんですよね。
    ――温度差があったんですねぇ。
    シュウ WSOF-GCのときはセコンドまでのチェックだったけど、UFCのときは解説者やバックステージの人間にもやれと言い出す可能性が高いと予測してたんです。なぜかというとフィリピンの麻薬撲滅運動がどんどんと過激になってるじゃないですか。我々の現場ジョークで「解説者のジョー・ローガンはフィリピン大会は実況できないね」なんてのがあったんです。これは公になってますけど、ジョー・ローガンはエディ・ブラボーと一緒に大麻を吸っている動画が普通にネットで流れてますから(笑)。
    ――フィリピンでは完全にアウトですね(笑)。
    シュウ 検査結果次第で強制送還や拘束されかねない。新しい大統領にはすべてを変える力があるわけですから。そしてここにきてフィリピンに入国するUFC関係者は全員ドラッグテストをしろという話になったわけですからね。セコンドどころじゃない。
    ――関係者全員!
    シュウ あの大統領の政策を見ると、これはサプライズではないですよね。彼らの視点からすれば、ドラッグが大きな問題になってるアメリカという国の中でも、ラスベガスというパーティータウンからやってくるわけですから。 
    ――ネイト・ディアスは試合後にマリファナを堂々と吸ってましたし(笑)。
    シュウ フィリピンでそんなことやったら死刑ですよ!(笑)。これはUFCというか欧米企業全般に言えることですけど、第三諸国やアジアの文化を甘く見てるんじゃないかなって。この続きと、谷津嘉章、『ギブUPまで待てない!!』の裏側、中井りん、崔リョウジ、竹田誠志などの記事がまとめて読める「13万字・詰め合わせセット」はコチラhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1130438 
  • 過敏ワード化? 「プ女子」論争再び■二階堂綾乃

    2016-10-06 22:51  
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    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、ついに格闘技デビューをしてしまったこのコーナー。今回はまたまた勃発してしまった「プ女子」論争について!<参考記事>二階堂綾乃さんに聞く「プ女子はお金を使わず冷めやすいのか?」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar11004019月10日、ファッション誌VOGUEが主催する「VOGUE FASHION’S NIGHT OUT 2016」というファッションのお祭りが原宿で開催されました。原宿にはいつにも増して、おしゃれピーポーが集まり、道行く人々のどや顔率が異様に高かったのが印象的でした。私は部屋着、パジャマ、トレーニング着、普段着のほとんどがプロレスシャツで、おしゃれな服は100%、おしゃれな叔母のお下がりというおしゃれにあんまり興味のないタイプなのですが、この日はおしゃれブランドニコアンドが発売するおしゃれなグレムリンコラボグッズの先行発売会目的でこのおしゃれラビリンスに潜入してきました。
    私はプオタでもありますが、映画『グレムリン』フリークでもあります。エステやブランドに興味がない代わりにグレムリングッズにお金をかけ、東京と大阪中のアメトイのお店を練り歩き、リアルなギズモフィギュアに3万円出しました。ちなみに『グレムリン』の内容を簡単に説明すると、ある日ケツあご天パのビリー君は小太り残念発明家のお父さんにモグワイと呼ばれる可愛すぎる生き物をプレゼントされ、そのモグワイに「ギズモ」と名付けます。モグワイを飼うには破ってはいけないルールが3つあり、このルールを破るとモグワイが増殖したり死んでしまったり、凶暴な「グレムリン」に変身したり……と、まあそんなファンタジックなホラー作品です。この続きと、谷津嘉章、『ギブUPまで待てない!!』の裏側、中井りん、崔リョウジ、竹田誠志などの記事がまとめて読める「13万字・詰め合わせセット」はコチラhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1130438
     
  • 中邑28連勝、アスカ79連勝、イタミはGo 2 Sleep解禁!日本人旋風が吹き荒れるWWE■MMA Unleashed

    2016-10-06 16:07  
    55pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは「日本人旋風が吹き荒れるWWE!」クリス・ジェリコから「そのキャラはマイケル・ジャクソンとフレディ・マーキュリーとブルース・リーを足して3で割ったよう」と称される中邑は、1月にWWEに入団して以来、WWEでもっとも”オーバー”(成功していてファンにも受け入れられている)している選手となっている。『WWEサマースラム2016』(日本時間2016年8月22日、ニューヨーク)では、ブロック・レスナーがランディ・オートンの頭をかち割って会場を凍り付かせた事案があったことは先に紹介した(「シュートマッチ勃発で全世界震撼!? レスナーvsオートンWWEサマースラムの舞台裏!」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1096780)。サマースラムはまた、WWEが”The New Era”(新時代)と称して推進してきたRAWとSMACKDOWNのブランド再編成と新戦力の登用が1つの形となって現れた大会でもあった。
    具体的には、AJスタイルズがジョン・シナを撃破、カール・アンダーソンとルーク・ギャローズの”ザ・クラブ”は現タッグチームチャンピオンに勝利(反則裁定なので王座は移動せず)、フィン・ベイラーはセス・ロリンズを破って新設のWWEユニバーサル王座を本戦昇格後3試合目にして獲得(のちに負傷欠場により返上)といった新戦力の活躍があった。これらの選手には明らかな共通点がある。もうおわかりであろう、新日本プロレス出身選手ばかりなのである。この続きと、谷津嘉章、『ギブUPまで待てない!!』の裏側、中井りん、崔リョウジ、竹田誠志などの記事がまとめて読める「13万字・詰め合わせセット」はコチラhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1130438
     
  • <全文公開中>4100億円が動いた! UFC売却の端緒は『ハスラー2』にあった!?■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク

    2016-10-06 08:00  
    多くのMMAファイターをマネジメントするシュウ・ヒラタ氏が北米MMAシーンを縦横無尽に語りまくるDropkickニコ生配信コーナー。深くてタメになったトークを活字でもお届けします!(今回掲載されているものは9月に配信された一部を書き起こしたものです)。全文公開でお届けるテーマは「UFC新オーナーの恐るべき実力」です!今月の配信は10月7日21時から! 前半は非会員の方でも聞けますよ〜。――シュウさん! まずUFCのオーナーチェンジの話から聞かせてください。
    シュウ 前UFCオーナーのフランクとロレンゾのフェティータ兄弟は日本円にして4100億円でUFCを売却しましたよね。
    ――4100億円って額が凄すぎて何が起きてるのか想像がつかないんですよ(笑)。
    シュウ いままでのMMAからすれば、ありえない額で買収されたわけじゃないですか。その背景にはいろいろあるんですけども。UFC新オーナーとなっ
  • 「元UFCファイター」に勝ってもUFCには近づけない?■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク

    2016-10-06 08:00  
    55pt
    多くのMMAファイターをマネジメントするシュウ・ヒラタ氏が北米MMAシーンを縦横無尽に語りまくるDropkickニコ生配信コーナー。深くてタメになったトークを活字でもお届けします!(今回掲載されているものは9月に配信された一部を書き起こしたものです)。ここで紹介するのは「UFCマッチメイカー、ジョー・シルバ引退」について。■こちらは非会員でも全文読むことができます!4100億円が動いた! UFC売却の端緒は『ハスラー2』にあった!?/シュウ・ヒラタのMMAマシンガントークhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1116217
    ――UFCマッチメイカーのジョー・シルバが退任したことが話題を呼んでいます。
    シュウ ジョー・シルバは2年前くらいから「そろそろ退任したい」と言ってきたんです。3〜4年前かな、雇用契約を再交渉して給料が高くなって、UFCの株式の一部も譲渡されていたので、あとは普通にリタイアするんだ、と。
    ――UFCの体制が変わったから退任するわけはないんですね。
    シュウ ニューオーナーが気に食わないとかそういうことではないですね。ジョー・シルバや、もうひとりのマッチメイカーのショーン・シェルビーのライフスタイルを見てて思うのは、まず出張が多すぎますよね。
    ――ほぼ毎週のように世界のどこかでUFCは開催されてますね。
    シュウ あんなに出張が多かったら家族と一緒に過ごす時間は少ないと思います。これはジョーの家庭がそうだと言ってるわけじゃなですけど、こんなに出張が多かったら離婚協議で自宅も持って行かれるし、親権も難しいですね。
    ――たくさん稼いでも意味がないわけですね。
    シュウ 家族を大事にするには非常に難しい仕事だと思うんですよ。ジョーも21年間UFCのためにいろいろと尽くしてきて、ここまで大きな実績を残した。もともとゲームセンターのマネージャーだったわけですからね。格闘技雑誌『ブラックベルト』に載っていたUFCの広告を見て、自分から電話をして売り込んだわけですから。そんな人間がマッチメイカーとして世界的なMMAイベントを作り上げたわけですからね。この続きと、谷津嘉章、『ギブUPまで待てない!!』の裏側、中井りん、崔リョウジ、竹田誠志などの記事がまとめて読める「13万字・詰め合わせセット」はコチラhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1130438 
  • ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった■「斎藤文彦INTERVIEWS⑦」

    2016-10-06 08:00  
    110pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回は、斎藤氏が構成作家を務めた伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』からプロレスとテレビの関係性に迫ります! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!斎藤文彦・最新著作『プロレス入門』神がみと伝説の男たちのヒストリーhttps://www.amazon.co.jp/dp/4828419071/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_.ROZxbW0XSD1C〘神がみと伝説の男たちのヒストリー〙
    鉄人テーズ、神様ゴッチ、人間風車ロビンソン、魔王デストロイヤー、
    呪術師ブッチャー、ファンク兄弟、ハンセン、ホーガン・・・・・・
    日米プロレスの起源から現代まで
    150年以上にわたり幾多のレスラーが紡いだ叙事詩を
    レジェンドたちの生の声とともに克明に綴る
    「プロレス史」決定版
    キャリア35年のプロレスライター・フミ・サイトーが、
    幾多の取材、膨大な資料、レスラーへの貴重なインタビューをもとに記した
    「プロレス入門―歴史編」『昭和プロレス正史 上巻』http://u0u0.net/ygEd

    活字プロレス誕生から60余年――
    いま初めて綴られる、プロレスのほんとうの歴史。
    日本のプロレス史は力道山、馬場、猪木という3人の偉大なスーパースターによってつくられた。そして彼らの歴史的な試合や事件の多くは主に田鶴浜弘、鈴木庄一、櫻井康雄という3人のプロレス・マスコミのパイオニアによって綴られてきたが、ひとつの史実でも語り部によってそのディテールが異なっている。たとえば力道山のプロレス入りのきっかけとなったとされるハロルド坂田との出会いや、力道山から馬場、そして現在の三冠王座へと継承されたインター王座の出自についても、それぞれストーリーが違ってくる。本書は過去60余年に活字化された複数のナラティブを並べ、ベテランのプロレスライターでありスポーツ社会学者でもある著者がこれを丁寧に検証し、昭和プロレス史の真相に迫った大作である。
    Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028――今日は前回の続きで天龍さんが全日本プロレスを離脱した以降の『週刊プロレス』の話を……。
    斎藤文彦(以下フミ) その話題に入る前に80年代後半の新日本プロレスについて話をさせてください。1987年(昭和62年)にテレビとプロレスの関係が劇的に変わる出来事が起こるんですね。
    ――80年代前半のプロレスはゴールデンタイム中継で隆盛を極めましたが、徐々に時間帯が悪くなっていきましたね。
    フミ そういう流れの中に『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』という番組が始まるんですね。
    ――山田邦子がメインパーソナリティを務めた、伝説のスタジオバラティプロレス番組ですね。
    フミ あのときボクはまだ25歳の若手だったんですけど、じつは構成作家として『ギブUPまで待てない!!』に参加してるんです。
    ――えええ!? そうだったんですか!!
    フミ 映像を持ってる方がいれば番組のエンドロールを見てもらいたいんですが、ボクの名前がスタッフクレジットに入ってます。
    ――本日は歴史的証言が聞けそうです!(笑)。
    フミ あの『ギブUPまで待てない!!』が始まる頃のプロレス界はどういう状況だったかというと、全日本プロレスから長州さんたちが新日本に帰ってきたときです。長州グループがジャパンプロレスという名前で全日本プロレスに上がったのは85年、86年の2年間だけで、あっという間にやって来て、あっという間に去っていったんですけど、当時まだ10代だったファンにとってはもっと長いあいだ活躍していたイメージが残ってると思うんです。
    ――ジャパンプロレスにはそれほど強烈なインパクトを受けたということですね。
    フミ 長州軍団が参戦していた頃の全日本には、正規軍や外国人選手、国際血盟軍という軍団も存在したりして、もの凄い人数のレスラーを抱えてたんですよ。あの当時ボクらが会場取材をするときは、受付で名前を記帳して、次に足を向けるのはパンフレット売り場なんです。そこでは和田京平さんがパンフレットの1ページ目にゴムスタンプで「本日の対戦カード」を押しています。ボクらはパンフではなく取材ノートにそれを押してもらう。いまでもこのスタンプ形式を続けてるのは全日本とNOAHだけなんですけどね。
    ――古き良き伝統のスタンプなんですね。
    フミ 長州軍団が参戦していた頃の全日本は1日13試合も組まれてたんですよ、かならず。
    ――13試合!
    フミ いまの常識だと7〜8試合もあれば充分なんですけど。当時はタッグマッチや6人タッグだらけで13試合。
    ――それほどの大所帯になってたんですね……。
    フミ 長州力の試合も基本は6人タッグなんですね。ジャパン軍団の試合ってたぶん6人タッグのほうがデザインしやすい。太鼓の乱れ打ち、コーナーからの合体攻撃。次から次へと大技を繰り出して攻撃を続けるスタイルを長州さんは「ハイスパートレスリング」と呼んでいましたが、この単語はもともと英文では「HIGH SPOT」(ハイスポット)なんです。――ハイスパートの語源は「HIGH SPOT」。
    フミ ハイスパートというと、スパートをかけたり、ガンガンやるスタイルと長いあいだ誤解されていたんですが、「HIGH SPOT」がどういう意味かというと「大技を出す見せ場」というプロレスの隠語なんですね。長州さんは骨の髄までプロレスラーの方なので隠語だという感覚がなくて「HIGH SPOT」と使ったと思うんですよね。それがどうして間違って伝わったかというと、長州さんの発音が「ハイスパーッ」というアメリカ式だったからです。
    ――発音の問題! いや、長州さんだと滑舌にしたいですね(笑)。
    フミ 長州さんがしゃべる英語は凄く発音がいいんですけどね。これは90年代入った頃の話なんですが、長州さんとベイダーが立ち話をしてる場面に遭遇したことがありまして。立ち話をしてるところに近づくと「来るな!」と怒られそうなので、知らんぷりしながら背を向けて話を聞いてたんです。そうしたら長州さんの英語って意外とうまいんですよ。ヒヤリングで覚えた英語、外国人レスラーの会話のままおぼえた感じで発音がいい。 
    ――プロレス記者が「HIGH SPOT」という言葉を知っていたらハイスパートとは認識しなかったはずですよね。
    フミ そうですね。「HIGH SPOT」を知らない記者が多かったから「ハイスパート」として活字化されてしまったところはあります。天龍さんも記者たちが「ハイスパートが〜」とか言ったり書いたりしてるから「アンタら、それ意味をわかってるの?」ってしょっちゅう怒ってたんですね。
    ――長州さんたちのスピディーなスタイルと相まって、ハイスパートとして定着してしまったんですね。
    フミ 「HIGH SPOT」がハイスパートとカタカナ化されて別の意味を持っちゃったわけですね。そしてそのスタイルは長州さんたちの置き土産として全日本のリングに残され、天龍革命を経て四天王プロレスに受け継がれていくわけですけど。長州軍団全員が新日本のUターンしたわけじゃなかったですし、 1987年3月の時点で長州さんも簡単に新日本に戻れたわけではなかったんです。
    ――谷津(嘉章)さんをはじめ全日本残留を選んだ選手もいましたね。
    フミ そもそも全日本からすれば長州さんたちとは契約を結んでるわけですから、契約中の離脱は裁判になれば絶対に勝てるわけですよ。そのうえ長州さんたちは全日本を中継する日本テレビとも契約していましたから、新日本に戻ってテレビ朝日のプロレス中継に出ることも契約違反に当たるんですね。
    ――契約に縛られた状態で長州さんたちもよくUターンしようとしましたねぇ……。
    フミ 「どうなるんだ?」と大騒ぎする中、『週刊プロレス』で仕事をしていたボクは「ジャパンプロレスを探ってこい」ということで、世田谷の三宿にあったジャパン道場の前で張り込みをしてたんです。時期はたしか2月だったので夜になると寒いんですよね。当時『週刊ゴング』の小佐野(景浩)さんも道場前で張っていたんですが、自動販売機で買ってきたワンカップ大関をチビチビと飲みながら待機してましたよ(笑)。
    ――ハハハハハハハ! 芸能マスコミのノリですね。
    フミ あのときのジャパン道場には東スポ、内外タイムス、デイリー、レジャーニュース、当時は新参だった日刊スポーツの記者とカメラマンも集まっていたんです。専門誌は『ゴング』、『週プロ』、『ファイト』の記者とカメラマンもいたからけっこうな大人数ですよ。
    ――事務所に出入りする選手や関係者に直撃するんですか?
    フミ そうです。誰かが中から出てきたら、さもたったいま道場に着いたかのように挨拶して近づくんです。
    ――騒動の最中だから喋りたくない選手もいたと思うんですけど……。
    フミ そこは人によりますね。小林邦昭さんなんかは「あんまり言えないんだよ〜」と言いながらもちょっとは喋ってくれて。佐々木健介は全日本プロレスと契約していたジャパンプロレスの選手なんですけど、まだ新人だから「ボクはどうなるんですかね……」ってあまりよくわかってなかったんですよね。
    ――そういえば、三宿にはジャパンプロレスのたまり場となっていたバーがあったとか。
    フミ あっ、「鶴」のことですね。マスターと奥様がお亡くなりになってお店自体はもうないんですけど、町のスナックです。焼き魚、煮物、炒め物、鍋物、カレーうどんと、なんでも作ってくれるし、長州軍団はそこに座り込んで飯を食ってお茶を飲んで、夜になったらお酒を飲みながらカラオケを歌って。
    ――新日本時代にマサさんの付き人をやっていた小原道由さんもそこにしょっちゅう呼び出されていたと聞きました。
    フミ 話を戻すと、結果的にジャパンは2つに割れることになるんですけど、長州さんのUターンは暴走でしかないんですよ。絶対に裁判沙汰になるし、動かないほうがいいと判断したのは谷津さん、仲野信市、寺西勇、栗栖正伸さんら。キラー・カーンさんもですね。永源(遥)さんはプロモーターを兼ねる立場なので全日本残留を選んだ。
    ――長州さんの相棒だったアニマル浜口さんは引退の道を選びましたね。
    フミ 浜口さんは新日本から全日本に移るときに「俺たちは一蓮托生。今度揉め事があったらやめる」と宣言してましたから。しばらく経って長州さんに引っ張られるかたちで新日本で復帰するんですけど、ジャパン分裂により浜口さんの引退のような残念なことも起きましたね。
    ――最終的に長州さんたちは強引にUターンしましたね。
    フミ はじめは新日本のリングに上がれなかったんです。弁護士と相談もしたんでしょうけど、リングに上がったら試合じゃなくても契約違反になる。どうしたかというと、私服のまま場外フェンスの前まで乱入してくる。
    ――あくまでお客さんというスタンス。
    フミ あれは契約上ギリギリのアクションだったんです。画的には立派な乱入なんですけどね。テレビ朝日も日本テレビから訴えられる危険性があったから、そのギリギリの映像をカメラで撮ってオンエアした。
    ――長州さんがそれから10数年後に大仁田さんに言い放った「またぐなよ!」はその経験から来てるんですかね(笑)。
    フミ まあ、感覚はそれに近いものがあったかもしれませんね。そして長州さんがUターンした87年4月に『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』がスタートするんですけど。そのリニューアル前の前年、86年(昭和61年)10月に『ワールドプロレスリング』はプロレスの指定席だった金曜夜8時から月曜夜8時枠へ移動するんです。その金曜夜8時に収まったのはいまでも続く『ミュージックステーション』なんですね。
    ――今年で30周年を迎える『ミュージックステーション』。『ワープロ』金曜夜8時撤退後、いまでもあの枠を守り続けてるですねぇ。
    フミ 当時のテレビ朝日は「2大ステーション」が看板番組だった。ひとつはタモリさんの『ミュージックステーション』、もうひとつは久米宏さんの『ニュースステーション』。
    ――現在は『報道ステーション』という名称となり、司会者も変わりましたが、ニュース枠はいまでも続いてますね。
    フミ 久米さんが『ニュースステーション』の司会をやめられるときに、久米さんの代わりを探しに探した結果、その席に座ったのは古舘伊知郎さんだった。
    ――かつての“プロレス駅長”が“ニュース駅長”に転身したわけですね。
    フミ 金曜夜8時の当時の『ワールドプロレスリング』中継の視聴率は、平均10%台だったんです。だけど、80年代のテレビ業界の考え方ではゴールデンタイムで10%台は低いんですね。燃える闘魂アントニオ猪木にハルク・ホーガン、アンドレ・ザ・ジャイアント、タイガーマスク、維新軍団がリングを飛び回っていた時代の視聴率は20%を超えていたわけですしね。
    ――プロレス人気が下がったと捉えれられますね。
    フミ テレビ局の感覚からすれば、そういう捉え方になりますね。当時の新日本は第1次UWFから戻ってきた前田日明さんがいましたが、まだ民放で数字を獲れるスターではなかったんでしょうね。前田さんの人気が神がかったものになるのは第2次UWF以降ですから。
    ――視聴率回復策として『ワールドプロレスリング』がリニューアルされることになるんですね。
    フミ そうです。『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』という番組タイトルがどういう意味かというと、テレビ朝日としては、このまま視聴率が下がるならギブアップするまで待てないよ?ということなんですよ。
    ――ええええ!? テレ朝がギブアップするまで待てないという意味ですか!
    フミ ボクが参加したときには番組タイトルはもう決まってましたけど、テレビ朝日のプロデューサーから直接聞きました。「このままだとプロレスはゴールデンタイムから消えるよ。ギブアップまで待てないよ」と。
    ――危機感溢れるタイトルだったんですね……。フミさんはどういう経緯で番組に参加することになったんですか?
    フミ フリーの人間で、プロレスのことがわかっていて、現場を取材してて原稿も書ける人間いうことですかね。驚いたのは、それまでの『ワールドプロレスリング』中継はテレビ朝日のスポーツ運動部が制作していたんですが、『ギブUPまで待てない!!』は制作3部というバラエティ制作班の担当になったんです。
    ――最初からバラエティ志向だった。
    フミ その制作を外部のIVSテレビという番組制作会社に委託したんですが、IVSがどんな番組を作っていたかというと、メジャーなものでは日本テレビの『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』なんですね。
    ――テリー伊藤さんが所属していた会社ですね。すると、のちに物議を醸す「たけしプロレス軍団」の影が見えてきました。この続きと、谷津嘉章、中井りん、崔リョウジ、竹田誠志などの記事がまとめて読める「13万字・詰め合わせセット」はコチラhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1130438