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じ~んせ~い 楽ありゃ 苦もあ~るさ~♪
はい、本当にそう思います。
この手の言葉が実にたくさんあるってことは、多くの先人たちも繰り返し実感してきたのでしょう。
禍福はあざなえる縄のごとし
人間万事塞翁が馬
沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり
暗い顔をしている友人に「人生、雨の日ばかりじゃないから」と励ましたり、逆に励まされたりした経験は、誰もがお持ちでしょう。
iPS細胞の臨床応用を成功させたとされる森口氏も、きっと同じようなことを感じているはずです(無理矢理時事ネタを挟み込んでみました)。
で、なにゆえにこんな書き出しをしているかというと、私の身の回りでトラブルが頻出して落ち込んでいるからではなく、非常に慌ただしくなってきたからです。
慌 ただしくなると、良いことや、悪いことにいちいち構っていられなくなり、とにかく前に進まなきゃ、という気持ちになる。この「とにかく前へ」という気持ち のときこそ、自分が何に頼り、何を行動の指針にしているかが見えてくるような気がします。と、相変わらず今回もぼんやりとした主張なのですが、気にせずに 今週の本を紹介しましょう。
「光圀伝/冲方丁(うぶかた・とう)」です。
率直な感想をまず申し上げますが、ちょーーーーー面白かったです。
あ まりの面白さに思わずグローバー・テイシェイラに「面白いから、これ読んでみて!winボーナスさ!」とプレゼントした挙げ句、負けて落ち込んでいるステ ファン・ボナーに「ステファン、気を落とすなよ。これでも読んで元気出せよ!」と差し入れしたくなるくらいって、非常に分かり辛いので、とっとこハム太郎 じゃなかった、とっとと内容を紹介しましょう。
本作は「助さん、格さん、やっておしまいなさい!」でお馴染みの、水戸のご隠居こと水戸光圀のお話です。
我々 の水戸光圀像は、たいていの人は、テレビドラマの水戸黄門の影響を受けているはず。が、あの諸国漫遊が創作だということは、今やトリビアにもならないくら い皆さんご周知の通り。日本各地を歩き回り、印籠をかざして悪代官を懲らしめるどころか、光圀は江戸と水戸からほとんど外に出ていません。風車の矢七も、 うっかり八兵衛も実在の人物ではなく、いつもお風呂に入っている由美かおるが、実際に光圀の傍に仕えていたなんてこともないわけです。残念。
光圀の若かりし頃は、いわば不良で、格式の高い家に育ちながら街をほっつき歩いて悪いことばかりしていた。喩えるなら、小泉孝太郎やDAIGOが街の不良とつるんで、かつあげしたり、暴力をふるったりしていたわけです。
で、 あるとき、孝太郎が喧嘩で顔を腫らして帰宅すると、純一郎に「痛みに耐えてよく頑張った!おめでとうっ!!」と言われ改心したように、光圀もある書物との 出会いによって学問に真剣に取り組むようになります。そして、日本史の授業でも習ったことがあると思いますが「大日本史」の編纂に乗り出すわけです(イン チキなたとえ話やウソが混じっていますが、賢明なる読者の皆さんはテキトーに読み飛ばしましょう)。
光圀は兄を差し置いて水戸藩の第二代藩主となったため「なぜ、兄ではなく自分が」という思いを抱き続けたとされています(その煩悶のはけ口として、街で全開バリバリなツッパリをしていたわけです)。
本作においては、この「なぜ、兄ではなく自分が」という煩悶が、ストーリーの大きな柱となっています。それは「義」という言葉に集約され、光圀の行動規範となって行きます。
本 作が単に「義に生きた光圀」を描いただけならば、諸国漫遊して政道を糾すテレビドラマの光圀像と、表現方法こそ違え、同じような輪郭になっていたはずで す。本作が素晴らしいのは単なるヒーロー像を描くのではなく、そのヒーローの苦悶や煩悶を描き、彫りの深い人物像に仕上げているから....ではない。違 うのです。
いや、もちろん光圀のそうした部分は過不足無く描かれているのですが、作者は驚くべき仕掛けでもって(これが本当に凄いんです)、「義に生きる儚さ」も同時に描いています。
我々は、何かの行動指針を持って生きることは正しいことだと思っています。何かに悩み、苦しんだりするときに、その指針を頼みにして難局を乗り切る。
はい、正しいです。
正しいのですが、その指針が100年の風雪に耐え、未来永劫変わらない「徳目」だとは、誰も断言できません。光圀が貫いた「義」が果たして正しかったのか、正しくなかったのか。そもそも、正しいとか、正しくないという判断が、歴史のなかでどれほどの意味を持つものなのか。
本 作には光圀以外にも、数多くの魅力的な人物が登場します。その人物達との出会いや別れとともに、光圀の激烈な生き方を堪能するのが「素直な」読み方だと思 います。全然それでも楽しく読めるのですが、作者の「歴史を紡ぐことに生涯をかけた光圀が、やがて自分自身もまた歴史の審判を受けることになる」という仕 掛けをしっかり味わうと、単なる評伝や英雄譚とは違う別の味わいが出てくるはずです。
有名な人も、無名な人も、たくさんの人たちによって 歴史は紡がれて行きます。私も、あなたも歴史の大河のなかでは、ちっぽけな芥にしか過ぎません。我々がテキトーに生きようが、懸命に生きようが、歴史に大 した影響は及ぼさないはずです。目がキラキラした人ならば「だから、自分らしく生きることが大切なの!」とか言いそうですが、私はそういうのがあまり好き ではないので、そんなこと言うつもりはありません。
むしろ自分らしく生きなくたって、無理矢理生き方に意味付けしなくなって、人は生きていけます。
じ~んせ~い 楽ありゃ 苦もあ~るさ~♪ と唄いながら頑張る程度で良いのでは、と思うわけです。
大変な傑作なので、是非みなさん読んでみてください(たぶん、2014年のNHKの大河ドラマになります)。
では、今週はこのへんで。
(文・DREAMイベントプロデューサー 笹原圭一 @sasaharakeiichi)
はい、本当にそう思います。
この手の言葉が実にたくさんあるってことは、多くの先人たちも繰り返し実感してきたのでしょう。
禍福はあざなえる縄のごとし
人間万事塞翁が馬
沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり
暗い顔をしている友人に「人生、雨の日ばかりじゃないから」と励ましたり、逆に励まされたりした経験は、誰もがお持ちでしょう。
iPS細胞の臨床応用を成功させたとされる森口氏も、きっと同じようなことを感じているはずです(無理矢理時事ネタを挟み込んでみました)。
で、なにゆえにこんな書き出しをしているかというと、私の身の回りでトラブルが頻出して落ち込んでいるからではなく、非常に慌ただしくなってきたからです。
慌 ただしくなると、良いことや、悪いことにいちいち構っていられなくなり、とにかく前に進まなきゃ、という気持ちになる。この「とにかく前へ」という気持ち のときこそ、自分が何に頼り、何を行動の指針にしているかが見えてくるような気がします。と、相変わらず今回もぼんやりとした主張なのですが、気にせずに 今週の本を紹介しましょう。
「光圀伝/冲方丁(うぶかた・とう)」です。
率直な感想をまず申し上げますが、ちょーーーーー面白かったです。
あ まりの面白さに思わずグローバー・テイシェイラに「面白いから、これ読んでみて!winボーナスさ!」とプレゼントした挙げ句、負けて落ち込んでいるステ ファン・ボナーに「ステファン、気を落とすなよ。これでも読んで元気出せよ!」と差し入れしたくなるくらいって、非常に分かり辛いので、とっとこハム太郎 じゃなかった、とっとと内容を紹介しましょう。
本作は「助さん、格さん、やっておしまいなさい!」でお馴染みの、水戸のご隠居こと水戸光圀のお話です。
我々 の水戸光圀像は、たいていの人は、テレビドラマの水戸黄門の影響を受けているはず。が、あの諸国漫遊が創作だということは、今やトリビアにもならないくら い皆さんご周知の通り。日本各地を歩き回り、印籠をかざして悪代官を懲らしめるどころか、光圀は江戸と水戸からほとんど外に出ていません。風車の矢七も、 うっかり八兵衛も実在の人物ではなく、いつもお風呂に入っている由美かおるが、実際に光圀の傍に仕えていたなんてこともないわけです。残念。
光圀の若かりし頃は、いわば不良で、格式の高い家に育ちながら街をほっつき歩いて悪いことばかりしていた。喩えるなら、小泉孝太郎やDAIGOが街の不良とつるんで、かつあげしたり、暴力をふるったりしていたわけです。
で、 あるとき、孝太郎が喧嘩で顔を腫らして帰宅すると、純一郎に「痛みに耐えてよく頑張った!おめでとうっ!!」と言われ改心したように、光圀もある書物との 出会いによって学問に真剣に取り組むようになります。そして、日本史の授業でも習ったことがあると思いますが「大日本史」の編纂に乗り出すわけです(イン チキなたとえ話やウソが混じっていますが、賢明なる読者の皆さんはテキトーに読み飛ばしましょう)。
光圀は兄を差し置いて水戸藩の第二代藩主となったため「なぜ、兄ではなく自分が」という思いを抱き続けたとされています(その煩悶のはけ口として、街で全開バリバリなツッパリをしていたわけです)。
本作においては、この「なぜ、兄ではなく自分が」という煩悶が、ストーリーの大きな柱となっています。それは「義」という言葉に集約され、光圀の行動規範となって行きます。
本 作が単に「義に生きた光圀」を描いただけならば、諸国漫遊して政道を糾すテレビドラマの光圀像と、表現方法こそ違え、同じような輪郭になっていたはずで す。本作が素晴らしいのは単なるヒーロー像を描くのではなく、そのヒーローの苦悶や煩悶を描き、彫りの深い人物像に仕上げているから....ではない。違 うのです。
いや、もちろん光圀のそうした部分は過不足無く描かれているのですが、作者は驚くべき仕掛けでもって(これが本当に凄いんです)、「義に生きる儚さ」も同時に描いています。
我々は、何かの行動指針を持って生きることは正しいことだと思っています。何かに悩み、苦しんだりするときに、その指針を頼みにして難局を乗り切る。
はい、正しいです。
正しいのですが、その指針が100年の風雪に耐え、未来永劫変わらない「徳目」だとは、誰も断言できません。光圀が貫いた「義」が果たして正しかったのか、正しくなかったのか。そもそも、正しいとか、正しくないという判断が、歴史のなかでどれほどの意味を持つものなのか。
本 作には光圀以外にも、数多くの魅力的な人物が登場します。その人物達との出会いや別れとともに、光圀の激烈な生き方を堪能するのが「素直な」読み方だと思 います。全然それでも楽しく読めるのですが、作者の「歴史を紡ぐことに生涯をかけた光圀が、やがて自分自身もまた歴史の審判を受けることになる」という仕 掛けをしっかり味わうと、単なる評伝や英雄譚とは違う別の味わいが出てくるはずです。
有名な人も、無名な人も、たくさんの人たちによって 歴史は紡がれて行きます。私も、あなたも歴史の大河のなかでは、ちっぽけな芥にしか過ぎません。我々がテキトーに生きようが、懸命に生きようが、歴史に大 した影響は及ぼさないはずです。目がキラキラした人ならば「だから、自分らしく生きることが大切なの!」とか言いそうですが、私はそういうのがあまり好き ではないので、そんなこと言うつもりはありません。
むしろ自分らしく生きなくたって、無理矢理生き方に意味付けしなくなって、人は生きていけます。
じ~んせ~い 楽ありゃ 苦もあ~るさ~♪ と唄いながら頑張る程度で良いのでは、と思うわけです。
大変な傑作なので、是非みなさん読んでみてください(たぶん、2014年のNHKの大河ドラマになります)。
では、今週はこのへんで。
(文・DREAMイベントプロデューサー 笹原圭一 @sasaharakeiichi)
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