5月13日のニコ生ゼミの有料部分で行った “ロボット学” というのが、どんなものなのか?
それをちょっと目次だけ紹介します。
用語集みたいに、ちゃーっと話してみますね。
これだけでピンと来た人は、有料部分を聞く必要が無いんじゃないかなと思います(笑)。
どんな話をしたのかっていうと、“マジンガー革命” というのがあったと。
巨大ロボットアニメには『マジンガーZ』革命っていうのがあって。
この『マジンガーZ』っていうのがモーゼみたいなもの。
敵がロボット怪獣なのに対して、そういうモンスター性に対して科学性で戦うというような、旧約聖書のモーゼ的なポジションです。
それに対して『機動戦士ガンダム』っていうのは、科学性という受肉ですね。
肉体を持った、新約聖書におけるキリストのようなポジションであって。
敵も味方も科学であるので、マジンガーZの中にあったような “悪魔” とか “地獄” っていうのを個人の内面として捉える。
マジンガーZの時は外面として捉えていたものが、内面になっている。
しかし、マジンガーZからガンダムへ、受肉したキリストとしてのリアリティを持ったガンダムっていうのは、リアリティをひたすら求めてゴシック化してしまう。
これを『機動警察パトレイバー』によるニーチェイムズと僕は呼んでいるんですけども(笑)。
劇場映画『機動警察パトレイバー2』では、ついにロボットが登場しない、『ゴドーを待ちながら』みたいなロボットアニメになってしまったと。
それで押井守さんは、これによってロボットアニメ界の共産党になる事に成功したんですよ。
与党あっての野党みたいなもんですね。
「そんなロボットアニメはリアルではないぞ!」と言う事によって、野党トップの座を得たと。
でもそれは、ひたすら「非科学的だ!」とか「軍事的にありえない!」というマントラを唱えているうちに、“ロボット好き” という人たちが社会の中で孤立化してしまって、社会の中心が教会の外へ出てしまった。
カソリック教会の外へ出てしまった。
つまり、「心が震えるなら、内面が震えるなら、それで いいんじゃないか」というプロテスタントの誕生ですね。
「リアリティっていうのは、マーキング程度で いいんじゃないか」というようにロボットアニメは進歩していった。
そういう事が、有料部分で主に語った内容です(笑)。