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2013年12月の記事 26件

【岡田斗司夫のニコ生では言えない話】アオイホノオの裏側」 岡田と庵野監督たちとの出会いからDAICON3まで第65号

今回は年末スペシャルということで、久しぶりにのぞき見のミホコがお届けします。 皆様、『アオイホノオ』をご存知ですか? 日本一熱いマンガ家:島本和彦先生が、『ゲッサン』に連載中のマンガです。 岡田との楽しい対談で、ご存じの方もいらっしゃるかと思います。 島本和彦×岡田斗司夫対談「アオイホノオの真実」 島本和彦×岡田斗司夫対談「アオイホノオの真実」 この動画は投稿者により非公開に設定されています。 このマンガの舞台は、島本先生の出身大学「大阪芸術大学」。 実は、エヴァンゲリオンの庵野秀明監督をはじめ、ガイナックスの現社長・山賀博之監督、プリンセスメーカの生みの親:赤井孝美監督らが同時代に学んでいた大学なのです。 『この物語はフィクションである』という宣言から始まるこの伝記マンガ(笑)、特筆すべきは学生時代の岡田斗司夫が登場し、活躍する点です。 しかも、島本先生が自ら、ガイナックスや岡田に取材を繰り返して描かれた「フィクションという名の伝記マンガ(実録もの)」なのです。 マンガとして楽しめる上に、裏話としてもおもしろく、資料としての価値がある、一粒で三度おいしいマンガと言えます。 しかもストーリーが進むほど、岡田をはじめ、DAICONのスタッフ(将来のガイナックス・スタッフ)が中心に! 既に主役が誰だか、メインの舞台がどこだかわからないほどです。 今月発売された11巻では、なんと表紙イラストも岡田はじめガイナックスゆかりのスタッフばかりが登場しています。 アオイホノオ11 表紙  これを記念して、このブロマガでも、DAICON3特集です。 週刊アスキー『ま、金ならあるし』で連載された『最終ビジネスシリーズ』。 第20回日本SF大会 DAICON3 からDAICON4にかけて。オープニングアニメ(いわゆるDAICONのアニメ)や、仮想通貨クレジットの顛末まで、お金の話を中心にじっくりと語られる連載エッセイ。全19話の力作です。 ここでは、そのさわりの部分、DAICON3の頃のエピソード(2#~6#)のみを切り取ってお届けします。 舞台は大阪。時は昭和53年。岡田はまだ学生になったかり。あこがれのSF研に所属できてすっかり浮かれています。SFファン活動の頂点である「日本SF大会」というイベントを主催することを決心するのですが・・・ ************************************ なにかに熱中している若者は、いつの時代も貧乏と相場が決まっている。 アイドルのおっかけにはまっているヤツは、夜行バスや激安航空券情報にやたら詳しくなる。 劇団に所属して熱心に活動しているヤツは、短期日払の割高バイト情報にやたら詳しくなる。 ご多分に漏れず、僕も大学時代、若さゆえの情熱のせいでイヤになるほどの貧乏を経験した。 当時、僕が熱中していたのはSFだ。SF小説に熱中したってたかが知れている。 バイトで稼いだお金は全部SF小説を買うのにつぎ込む。 そんなことは僕にとって「当たり前」で、苦労とも貧乏とも思わなかった。 ところが、僕が熱中していたのはSF小説だけでなく「SF」という活動すべてだった。 SF映画やSFアニメ、そしてなによりSFファン活動。そのファン活動の頂点として僕たちの上に君臨していたのが「SF大会」だ。 「SF大会」とは、年に1度開催される「SFファンの、SFファンによる、SFファンのための」イベントだ。 日本各地のSFファンたちが立候補し、毎年夏に持ち回りで開催する。 SF作家の先生方もゲストできてくれるが、基本的には学生を中心としたボランティアだけで自主的に運営する、というところは学祭に似ている。 しかし学祭と違って会場を借りなければいけないし、そのために入場料もとるので、動くお金は見たことも無いほどの金額になる。 イベントのレポートがSF専門誌に掲載されたりもして、華やかだ。 大阪の片隅でそんなレポートを読むしかなかった僕にとって、心からあこがれるイベントだったのだ。 当時、熱烈SFファンだった僕は、SF小説を読みまくったせいで浪人し、それでも懲りずに読みまくり、関西で一、ニを争う偏差値の低い大学にSFサークル入会を目当てに潜り込んだ。 勢いこんだ僕は入学式の翌日、SF研究会に入会し、木曜には「やたら熱い1年生が入会してきた」と先輩たちをビビらせ、その週の土曜には関西中の大学SF研究会の連合組織・関西SF研究会連盟、通称「関S連」の大集会に出席していた。 大集会といっても梅田の喫茶店でイケてない文系大学生が集まってクリームソーダとかカルピス飲んでSF論を交わしているだけである。そこにいきなり登場した、やたら生意気な一年生が「関西のSFファンの力を結集して、大阪でSF大会を開催しましょう」とぶちあげたわけだ。 他大学の先輩たちは、1年坊主がいきなりやってきて、場違いなほど熱苦しく語り倒すのを、あきれ返って見守るばかりだった。 反対されなかったのを良いことに、僕はさっそく唯一のSF専門雑誌「SFマガジン」の読者蘭に告知を出した。 「来年1979年は大阪でSF大会を開きます!申し込みは大阪府堺市中百舌鳥町~~岡田まで!」 2ヶ月遅れて、その告知はSFマガジンに掲載された。 するといきなり、大学SF研OBから呼び出された。 「お前ら、なんちゅうことをしでかしてくれたんや! とにかく東京へ行って謝ってこい!」 東京ではBNFの方々が激怒しながら僕たちを待ちかまえているという。 BNF? ビッグ・ネーム・ファン、つまり業界内で有名な影響力の強いファンのことだ。 有名なのにファン? それはなんだ? 首をかしげながら、僕たちは夜行バスに飛び乗り東京へと向かった。 待ちかまえる大説教が、僕たちを超貧乏に叩き込むとは知らずに。

【岡田斗司夫のニコ生では言えない話】アオイホノオの裏側」 岡田と庵野監督たちとの出会いからDAICON3まで第65号

【岡田斗司夫のニコ生では言えない話】『叛逆の物語』は『ガンダム』と並ぶ92点、呪われし上級編第64号

僕は無銘のマサフミ。ついに残ったのは君一人だね。 岡田斗司夫ゼミ「『魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を金払って観たから言いたいこと言うよ!」から、最後はまどマギ上級編をお届けするよ。 この先、『叛逆の物語』の核心が語られることからは逃れられない。 まさか岡田斗司夫が『機動戦士ガンダム』と並べて評価するほどの作品が生まれるなんて、思いもしなかったよ。 『叛逆の物語』を観ないうちにネタバレを聞いてしまうなんて、一人残った君の願いは叶ったといえるのかい? 『叛逆の物語』の結末がハッピーエンドかアンハッピーエンドか、それは僕にも分からない。 どちらであろうとも全ては僕、いや、君と僕達が語り続けるためのエネルギーになるんだけどね。 もうすぐオオミソカの夜が来る。 さあ、僕と契約をして、『魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を観てよ! ************************************  でね、「ハッピーエンドか、アンハッピーエンドか?」っていうことまで、まとめて話しちゃうんだけども。  ハッピーエンドかアンハッピーエンドかというのに関してはね、いろんな考え方があると思うよ。  俺ね、実はわかんないんだ。  あの、『カリオストロの城』ってさ、ハッピーエンドに見えるかアンハッピーエンドに見えるかって人それぞれだと思う。  で、55歳の、中年を過ぎた、ややもう老年にさしかかったオッサンの俺としては、あれはアンハッピーエンドなんだよ。  ルパンは最後、クラリスに手を出すこともキスすることもなく、「せっかく太陽の世界に出れたんじゃないか」って言って、責任も取らずに「いくらでも俺のこと好きになりなよ、困った時があったら来るかもよ」みたいなことを言って行っちまうんだよな。  つまり、その女の子の中に永遠の刻印を残すことに成功するんだ。  で、「今後、俺以上に好きになる相手というのは出来ないだろう」とわかった状態で、突き放して逃げてしまうので……っていうふうに見えちゃうので、これはアンハッピーエンドだなというふうにも言えると。  でも、そういう恋愛をしたいっていうふうに女の人が思ってたらハッピーエンドかもわかんない。  どっちとも言えるな。   で、『ガンダム』のTV版は、そのガンダムという巨大ロボットの力とか、戦争っていうものの呪いから主人公・アムロが解放されて自由になる話だから、ハッピーエンドであって。  そっから先の『ゼータ』や『ダブルゼータ』っていうのは、1回もハッピーエンドに成功してない。  今に至るまで、ガンダムっていうのは……そのガンダムの力っていうのがどのようなメタファーであろうとも、そっからの解放というのがされてないから。  で、『火垂るの墓』は、主人公のあの兄ちゃんが妹を死なせてしまって、繁栄の20世紀末の神戸を未だ見てるっていう地獄・煉獄の中で、生きることも死ぬことも出来ない。だからアンハッピーエンドっていうふうにも考えられるんだけども。 「節子、お前のことをいつまでも見守っていたい」という意味ではハッピーエンドと言えるかもしれない。  つまり、「カリオストロの城がハッピーエンドだったら、同じようなロジックでハッピーエンドとも言えるんじゃないの?」っていうふうにも思えちゃう。  だから俺、安易にハッピーとアンハッピーとに分類できないんだけどさ。 『風立ちぬ』も、全くその、前のニコ生で話した通りで、俺には火垂るの墓と構造が同じに見えるんだよね。  どちらかというと、宮崎駿が高畑勲に対してアンサーを返したような作品だからさ。なので、最後に主人公が煉獄にいるのも同じなんだけども。  ただ、そこで火垂るの墓と違うのは、火垂るの墓っていうのは「兄ちゃん、もういいの。節子は天国で幸せよーん」とか言って、兄ちゃんは「良かった!」って言って極楽行っちゃう話なんだけどさ。  でも、風立ちぬの主人公の二郎君は、奥さんに「生きて!」って言われても、それにあんまり気づかずにカプローニさんと一緒に酒を飲んでしまうという、もう一回地獄に舞い戻ってしまうというボンクラぶりを示してくれたところで終わる(笑)   つまり、あれはあれで「地獄でも良いんじゃないの?」と。宮崎駿にとっては「こっから先も、この世の中のピラミッド構造の上でアニメ作るんだぞ!」っていう決意宣言でもある。  だから、すごいなんか、「宮崎駿はハッピーなんだろうけれど、アニメとしてはアンハッピーエンドやな」と思ってたな。  じゃあですね、やっと結論部。  まどマギってさ、ハッピーエンドなのかアンハッピーエンドなのかっていうふうに考えるじゃん。   で、ほむらもそうなんだけども、ファンにしても、もう一度まどかと会えると考えて、また『まどマギ』のこと考えて、そしてさらに「この先、また続編の劇場 とかビデオとかTVとかがあるんじゃないのかな?」って期待してしまうという意味では、もう一回、作品に“呪われる”わけだよね。 『機動戦士ガンダム』がガンダムという“力と呪い”からの解放の話であったかのように。  僕らファンにとって『まどマギ』っていうのは、「すごく良いものを見た!」っていう感動という祝福であると同時に、「もっと見たい!」とか、「これを超える感動が現実ではないのか!」とか、「なんでこんなキャラが現実にいないのか!」っていう呪いを必ず受けるんだよ。  ここがこのフィクションの恐ろしいところであってさ。  だから、明治時代の教養人は、青年が小説を読むのを禁止したんだよね。「あんなものを青年のうちに読んじゃいかん!」と言ったぐらいで(笑)  フィクションの恐ろしさっていうのは、それぐらいあるんだけれども。  うーんとね、だからね、今回のまどマギは、僕にしてみればアンハッピーだよね。  また『まどか☆マギカ』を見なきゃいけないし。なんかね、ガンダムを見た後でちゃんとまた見なきゃいけない『ゼータガンダム』みたいなもんだよな。そういうふうに思ってしまうし。  エヴァも同じ構造だよな。   皆さんにとっては、まどか☆マギカはハッピーエンドだったでしょうか? アンハッピーエンドだったでしょうか?  ということで、劇場版まどか☆マギカ上級編を終わりたいと思います。お疲れさまでした。  で、こんなにね、疲れる話になるんだよ(笑)   上級編はね、ゼミだからね。これだっていう結論がなくて、「こう考える、こう考える、こう考える」。そして、「後はみんな、ブログで考えてくれ!」っていう言い方になっちゃうんだけども。

【岡田斗司夫のニコ生では言えない話】『叛逆の物語』は『ガンダム』と並ぶ92点、呪われし上級編第64号

【岡田斗司夫のニコ生では言えない話】テレビ版『まどか☆マギカ』80点、全話観るしかない中級編第63号

僕は無銘のマサフミ。君にはまた会うことになると思っていたよ。そろそろ『魔法少女まどか☆マギカ』を観る気になったころだと思ってね。 岡田斗司夫ゼミ「『魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を金払って観たから言いたいこと言うよ!」から、まどマギ中級編をお届けするよ。 テレビ版『魔法少女まどか☆マギカ』は、岡田斗司夫が「死んでも観ろ」と80点の高得点をつけた名作だ。 死といっても、ソウルジェムを持っている魔法少女にとっては、普通の人間のように怖がる必要はないことだからね。ぜひ君にも観て欲しいな。 『魔法少女まどか☆マギカ』を観て、君にも一緒に魔女と戦って欲しいんだ。 ************************************  まどマギ中級コースだ。 “中級コース”というのは、「新作の映画を見てなくても大丈夫!」だ。  そろそろネタバレがあります。大丈夫だな? (卓上に「ネタバレなう」と書かれたボードを置く)  まずですね、これは“TV版の正当な続編”だよね。  だから、TV版とか去年の劇場版を見なくて、いきなり新劇場版の『まどマギ』を見ちゃうのはヤバいと思うよ。  まず、僕自身がアニメっていうのをどう見てるのかを伝えるね。  どういう意味かっていうと、これからの話はアニメの見方に関係してくるんだ。   僕はアニメっていうのを“キャラ”じゃなくて“登場人物”として見ている。  どういう意味かって言うと、そのキャラクターが実在している人物だと考えずに、物語を伝えるための、悪い言い方をすれば“ツール”みたいに思っているんだ。  だから、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマーティンって主人公いるじゃん。あのマーティンっていうのは、実在の人物ではなくマイケル・ジェイフォックスっていう俳優さんがやった登場人物だと思ってる。  なので、ぼくはアニメの中の個々のキャラクター、例えば、“ほむら”とか“まどか”とかに特別な感情移入はしないし、あまりできないんだ。  これは別に昔からそうなんだよね、僕の習性で。  ——という人間が語っているという前提で聞いて欲しい。  だから、さっきの採点もキャラクターに思い入れをしている人は、たぶん、ここに上げた得点プラス15点ぐらいが自動的に加算されるはずだから、その分、割と低いんだと思ってくれればいいと思います。  で、えー、劇場版のまどか☆マギカっていうのは……まだネタバレなしで話すんだけども。  やっぱりね、“論理的なシナリオ”が最大のポイントですね。  テレビ版では戦うべき相手を“魔女”にしてるんだ。  魔女っていうのは、魔法少女の心の中がやがて疲れた時、っていうのかな? 心が濁ったときに進化する存在として捉えている。  これ、何かっていうと、子供向けアニメではまず出来ないことで。   子供が成長して大人になる。その、“大人になること”自体を敵にしているっていうのが、テレビ版まどか☆マギカの根本にある発想法なんだよね。  だから、魔女っ子アニメって成長を否定しないとできないんだよ。 『魔女の宅急便』がなんで魔女っ子アニメにならないのかというと。  魔女の宅急便って主人公のキキが成長して、魔法が使えなくなって。で、あの黒い猫の喋ってる言葉がわからなくなるところで“ハッピーエンド”を迎える。  つまり、成長を肯定してるんだ。  あれが魔女っ子モノにならないのは、魔女っ子モノっていうのは成長を肯定しちゃダメだからなんだよ。永遠に否定しないとダメだよ。  なんでかっていうと、魔女っ子モノにでてくる大人っていうのは、主人公たちと関係のない存在であって、本来“悪”なんだよね。  でも、悪なんだけども、家族だからそうと見せないようにしてるわけだ。  だから、テレビ版の『まどか☆マギカ』ってクライマックスの最終話近くになって、まどかとお母さんとの会話のシーンに、かなり長い時間を割いているんだ。  12話しかないアニメなんだよ?  30分の12話しかないアニメで、あんだけ膨大な分数をとるってことは、作者はものすごくあそこを見せたかったんだ。  そこでなんでお母さんとのやりとりとか、大人同士の会話をいれるのかっていうと。   このアニメっていうのは本当は“成長”の話であって、成長したら魔女になるってのは、子供から見たらその通りなんだけど、大人から見たらそれは当たり前のことであって。  でも、子供の世界、夢見る世界が壊れるっていうふうなことを子供たちは怖がっている。  ——という、複雑な構造をしてたのが、テレビ版なんだけども。  新劇場版の戦うべき敵ってのは、テレビ版の成長の物語よりもさらにトリッキーなんだよ(笑)  ものすごく複雑なことをしてるんだけども、「軌跡のように論理的な」っていうのかな? 上手くハメ込んである脚本で、それを作り上げてます。 「全然話がわからない」(コメント)  すまんな(笑)

【岡田斗司夫のニコ生では言えない話】テレビ版『まどか☆マギカ』80点、全話観るしかない中級編第63号
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著者イメージ

岡田斗司夫

作家、評論家 1958年、大阪生まれ。株式会社オタキング代表。FREEex主宰。常に時代の先を読み、ユニークな創造をし続けるクリエイター。アニメ・ゲーム制作会社ガイナックスを創業、社長時にはアニメ『王立宇宙軍オネアミスの翼』『ふしぎの海のナディア』、ゲーム『プリンセス・メーカー』などを手がけ、ブームを巻き起こした。その後、東京大学非常勤講師に就任。作家・評論家活動をはじめる。立教大学やマサチューセッツ工科大学講師、大阪芸術大学客員教授などを歴任。多岐にわたる著作の累計売り上げは250万部を越え、人々は尊敬の意味をこめてオタクの神様「オタキング」と呼ぶ。

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