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記事 4件
  • 岡田斗司夫の毎日ブロマガ・増刊号「これからのニコ生ゼミのラインナップ(予定)」

    2018-06-25 21:00  
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    岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2018/06/25・増刊号

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    今回は、ニコ生ゼミ6月24日(#236)から、ハイライトをお届けいたします。




    動画や全文が気になった方、【ブロマガチャンネル】メルマガ専用 岡田斗司夫アーカイブ(月額2,160円)のご入会はこちらから!

    http://ch.nicovideo.jp/okadatoshio-archive
    ───────────────────────────── 「これからのニコ生ゼミのラインナップ(予定)」

     これからの7月から8月ののニコ生ゼミのラインナップを軽くお知らせしておきます。
     7月1日は誕生日スペシャル。
     まぁ、誕生日というのは僕の誕生日スペシャルなんですけども(笑)。
  • 【岡田斗司夫のニコ生では言えない話】手塚治虫が飢死するほど多様性を好む日本人第55号

    2013-10-21 07:00  
    220pt
    「手塚治虫のヒロインの中で一番好きなキャラクターをあげろ」と言われ「ムーピー」と答えたら軽蔑の目で見られたことのある佐藤家清です。
    全4回に渡ってお届けする2013年8月10日に行われた出版シンポジウム「電子出版ノススメ〜鈴木みそ×小飼弾×岡田斗司夫〜」の第3回目です。
    「copyright」と「著作権」という言葉の違いから、「未来の電子書籍」の話など、興味深い話が飛び出しましたが、今回は日本人が求めてる多様性の欠点とおもしろさを語った部分をダイジェストでお送りします。
    ************************************
    <小飼>
     僕は、 日本の人というのは 、たぶん、 日常に“多様性”を強く求める人 だと思います。
     その根拠というのは、電子出版とかと話がずれるんですけども、コンビニに売ってる食べ物。
    <岡田>
     はいはいはい。ああ、そうですよね。
    <小飼>
     アメリカのコンビニって、日本と比べてずっと単純なんですよ。
     こう言っちゃなんですけども、 コーラとペプシしかないのが彼らの世界です。
    <岡田>
     コーラとペプシとゲータレイドしかないですよね。
    <小飼>
     そうそうそう。
     だから、それに比べたら、日本の自動販売機の中身ですら、ずっと多様なわけですよ。
     それらには「シンプルにしよう!」という圧力は常に働いてるはずなんですよ?
     だけど、あんまりシンプルになってないですよね、自販機の中身って。
     ましてや、フィクションとかには、もっともっと多様性を求められるんですよ。
     アメリカのスペースオペラには、『スターウォーズ』と『スタートレック』しかないわけではないじゃないですか。
     でも、 日本ではずっと作品数が多いんですよ。異様なほど作品が多いんですよ。 はい。
     だから、たぶん、そういうところはかなり長く残るんじゃないかな?
     もしそうでないとすると、日本にもスターウォーズとスタートレックを見る人しか残ってないはずです。
     もう席巻されちゃってますよ。とっくに洗脳されちゃってるはずです。
    <岡田>
     まあ、そうですよね。
    <小飼>
     でも、今やむしろ逆じゃないですか。
     お話に飢えて、ハリウッドはどんどん日本の作品を物色してるわけでしょ。
     実は、日本人というのは、お話を創る、絵空事を創る能力がものすごい高い人達で。
     それはなんでかって言ったら、絵空事にどっぷり浸かってる人達がものすごく多いからなんですよね。
    <岡田>
     あとは、その 「国民性として多様性を好むから」 ですよね。
    <鈴木>
     日本人が国民性として多様性を好むから、そういうチマチマしたいろんなものが好き、と。
    <小飼>
     そう。
     逆説的かもしれないですけど、 社会が割と均一だから、そっちの方に多様性を求める っていうことがあるのかもしれないですね。
    (中略)
    <岡田>
     じゃあ、「日本においては」と言うか、電子出版とかネットによる無料化の波が来ても、海外のように単一のものがメガヒットして売れて、残りはもう本当に何もなくなっていくというふうには、たぶんならない?
    <小飼>
     難しいでしょうね。
     もしそれが成り立つのであれば、もう日本の自動販売機にはコークとペプシしかなくなってると思います。
    <岡田>
     それよりも僕らは、面白いかどうかちょっとわからない新作が次々と出て、それをお試しで100円とか50円で楽しめる社会を選んでるわけなんですよね。
    <鈴木>
    「幕の内弁当的である」ということなんですよね。 牛丼よりも。
    <小飼>
     そうなんですよ。そういった意味では、すごい商売がキツい国ですよね。
     というのも、本来ならば“定番”だけ出してれば良いはずなんですよ。
     でも、そうなってないでしょ?
     例えば、『カップヌードル』って、醤油味とシーフードとカレーと、あとはチリトマトぐらいが定番になっただけで、あとは毎年新作が出ては忘れ去られというのをずっと繰り返してるわけですよ。
     でも、「この部分って本来必要ないんじゃん! もう、オリジナルとカレーだけ作ってろ!」って、なんでならないんでしょう?
    <岡田>
     なるほど。
     じゃあ電子出版の価格も、将来か近未来かわからないんですけども、1ドルらへんに落ちつくんじゃないんですか?
     つまり、あらゆるお試しが1ドルで出来るという辺りに有料の1段階目が来て。
     そっから上のものっていうのが、さっき僕が言った“その作家の生涯”を10万円ぐらいで買うのか、もしくは1年間の作品を1万円で買うのかわかんないですけど、そういうところに来ると。
     お試しは、たぶんYouTubeなりePubかなんかに無料のものがまず大量に流れて、その中で、「あ、ちょっとこれ面白そうだな!」と思ったら1ドル、100円ぐらいの流れで。
    <鈴木>
     それで 消えていく変なジュース みたいな。
    <岡田>
     だから、Amazonもその1ドルの辺りの98円とか100円辺りの利率を変えてますよね。 その戦略だと思うんですけども。
    <小飼>
     いや、でも、日本がなんでこんなに、著作みたいなものだけではなくて、やたら新作が出る国なのかっていうのは僕の中でも謎なんです。
     諸外国はそうでないから。
    <岡田>
      こんなにアイドルが量産される国、世界中どこにもない ですよね。
    <鈴木>
     で、消えてくし。
    <岡田>
     そう。
    「なんで1億3千万人しか人口いないのに、このアイドルの数は何よ!」とか。
    「あの“ゆるキャラ”の数は何よ!」っていう(笑)
    <鈴木>
     ものすごい勢いで消えていくところに哀愁を感じてるんじゃないですかね。
    <小飼>
     アレなんですよ。
      普通、コカコーラを発明したら、それで1世紀は食えるはず なんですよ。
    <岡田>
     ハハハ。そうですね。
    <小飼>
     コカコーラをパクっても、それで1世紀ぐらい食えるんです。2番手辺りまでは。
     それ1パターンで良いはずなんです。
    <岡田>
     なのに、この国は『ブラックジャック』がヒットしなかったら “手塚治虫”が飢え死にしてたかもわかんないぐらい、実は“古くなるのが早い国”なんです よ。
    <小飼>
     そう。だからアレなんですよ。
      手塚が新作を出し続けるという、恐ろしい国 ですよね。これは。うん。
    <鈴木>
     だから、過去作品のアーカイブで食ってくっていうのは甘いんだ。
     すぐに古くなっちゃうからいつも新作描かなきゃいけないのに、新作を電子で書くって大変なんですよ。
    (中略)
    <小飼>
     謎なのは、「なんでそういう作品だけに席巻されてないんだろう?」というところ。新作が出る事そのものなんですよね。
     この21世紀に『進撃の巨人』が売れている事なんですよ。
    <鈴木>
      作者というより、読者が望んでる んですよね。
    <小飼>
     そう。
     だから……なんて言えばいいのかな? 「もう、その世界だけでは物足りない!」という人が常に供給されているというのが、これ結構な謎ですよね。
    「一生、美味しんぼで良いじゃん!」って、なんでならないんだろう?
    <鈴木>
     その供給元が出版社じゃなくなって、web漫画になったりとか、PixivだったりLINEだったりに変化する事もありえますよね。
    <小飼>
     既に確立した世界観を続けるというのであれば、これはビジネスラインにかなり上手く乗るじゃないですか。
     
    (中略)
    <小飼>
      よく出来た物語世界っていうのはそれくらいの価値があるんですよ。
     少なくとも、一人の作家どころか、一つの出版社が、もうかなり長い間食っていけるぐらいの価値がある んですよ。
     だけども、やっぱそこに甘んじてないっていうのは、日本のすごいところだと思いますよ。
  • 【岡田斗司夫のニコ生では言えない話】ファンのマゾヒズムを刺激する海外SF、萩尾望都も匙を投げた日本SF。第44号

    2013-08-05 07:00  
    220pt
    この連載のおかげで、長年本棚に眠っていた、レムの『ソラリスの陽のもとに』(2001年27刷)とクラーク『2001年宇宙の旅』(2001年14刷)をついに読んだ“読書のミホ”です。 みなさんも、岡田斗司夫のお薦めSFをどれか読んでみましたか? さて、いよいよ佳境です。どこを切っても、ありえないほど濃ゆ~い“岡田味”のSF解読、70年代から一気に現代まで駆け抜けます。 今日の課題図書にもなった『神の目の小さな塵』。70年代のSF代表作の一つです。 これは“ファーストコンタクトもの”というやつです。“わかりやすく派手なスターウォーズ”と“内面や社会を描く時期”のちょうど間の時代だったもんだから、いいとこ取りをしてるんですね。 左右非対称で不思議な“モート人“という宇宙人が出てきます。 舞台となってるのは、今から千年後の“銀河帝国”です。銀河全体には“地球文明”というのが広がって、その結果、帝政ローマのような帝国主義を築くことに成功している。 地球人は、どこまで行っても、原始生物とか動物みたいなもの以外、宇宙人と会ったことがない。「結局、この宇宙には人類以外に知的生命体なんかいなかったんだな」と思い始めて500年ぐらい経って。 いきなり銀河の向こうから宇宙船がスーっと入ってきて、それが太陽に向かってると。 一生懸命そいつを捕まえたら、中の宇宙人は死んでしまってて、それが左右非対称で、右腕が2本、左腕が1本しかない。さらには首がなくて……という不思議な姿をしてるんですね。 「ひょっとして、人間だって、右腕が2本のほうがうまく物事ができるんじゃないのか?」と考えてしまうほど、うまく合理的に進化した生物だったんですよ。 その宇宙人を発見したことにより、宇宙船が改良されて、モート人の惑星に行って、彼らとコンタクトする。 すると、地球人にとっていろいろ衝撃的な、何でこんな社会を作ってるのか……モート人というのは、技術者とか王族とか医者とか、あらゆる階層ごとに“形態”が違うんですね。 その種族間では結婚できない。身長も違えば生殖器まで違うから、子供を作ることすらできない。 そのように分化した種族の中で、“コミュニケーター”と呼ばれる各種族間の意思疎通だけをする種族がいる。 それが地球人に向かってきて、あっという間に英語を覚えて、コミュニケーションをとりだす。 彼らは、生物の本能として、考え方がわからない他の種族と考えを共有することができるという珍しい種族なんです。 そういうモート人たちと地球人たちと出会いの物語が『神の目の小さな塵』です。 これは、ほんのちょっと前の50年代ぐらいのSFだったら、“ストレートなSF”として書かれたんですけども、なんせ『スターウォーズ』の世界の影響をそろそろ受けてるんですね。 つまり、“単純化による面白さ”というのの影響を受けてるから、あくまでキャラクターとしてのモート人のかわいさ、面白さというのがかなり出ちゃってる作品なんです。 だから、読みやすい。 あと、これは他のSFと違って、“ベストセラー小説”として作られた。 アメリカのヒットしたテレビドラマは、いろんな人物の考えてることやいろんな物事が同時進行することによってお話が進んでいくんですよね。 それと同じように、艦長だけでなく、その恋人、青年士官、科学者、犯罪者でもあり宇宙一の金持ちでもある老人、いろんな人が自分の立場からのお話をずうっと進行することで、ものすごい厚みというのを作ってる。 「これぞアメリカのベストセラーの作り方!」という、見本みたいな本です。 (…中略…) でね、クラークさん。『2001年宇宙の旅』とか、『地球幼年期の終わり』を書いた、イギリス人の作家、アーサー・C・クラーク。 この人の『宇宙のランデヴー』という作品が、70年代にポンッと出てきました。 これ、すごい不思議な話なんですね。 ここまでのSFの進化で出てきた“SFを読みやすくする工夫”が一切入ってないんです。 2030年ぐらいに、宇宙の彼方から巨大な円筒形、シリンダーがやってくるというだけの話。 (ホワイトボードに巨大な円筒形を書き込む) “地球に向かってくる”んじゃないんですよ。直径7キロのこの円柱が、まっすぐ、地球を抜けて、太陽のほうへ向かって落ちていくんですね。 「“300年とか何世代もかけて星から星を旅する宇宙船”じゃないか?」って地球人が考えて、“エンデヴァー号”という宇宙船を飛ばす。 どんどん近づいていくと、“ロケットの噴射口”もなにもない。どうやって星の間を行く速度に加速したのか、どうやって飛んでるのかもわからない。ただゆっくり回転してまっすぐ飛んでるだけ。 回転速度を調べてみたら、中の重力がちょうど地球と同じぐらいだというのがわかる。 もう、その辺で、みんな嫌な予感がしてるんですよね。 「これ絶対、内部に生命住んでるよ!」と。 「そうでなかったら、こんなちょうどぐらいの遠心力で重力なんか作れるはずがないし、こんなに面が真っ平らで、正確な円形のものを作れるはずがない。これ人造物だよ!」と。 エンデヴァー号は、でっぱりと点がある中心付近に着陸する。着陸した瞬間にその合理性がわかるんです。 そっから先も、見ただけで、圧倒的に僕らの文明より進んだ、どんな未開人にも使えるような仕組みで。でも、この物体、表面の劣化とかを計算しても、どう考えても40万年以上前のものなんですよ。 それで、延々、中へ降りていくと、わけのわかんない生物の、わけのわかんない機械だけが並んでるっていう小説なんですけども。で、生きているものが1つもないんすよね。 僕が言ってる話、かなりわけわかんないでしょ? ただ、ものすごく面白いんですよ。(会場笑) こんな、女1人も出てこない、恋愛沙汰もない、エンデヴァー号の船長と地球とが交信してて、「ナニソレ?」「いや、わかんないよ!」って言ってるだけの話が面白いんですね。 船長はどんどん奥へ行くんですけども、タイムリミットがある。 こう、地球をかすめて、太陽に向かって落ちていって、そのまま太陽に飲み込まれて、死んでしまう。 だから、「取れるだけのデータを取ろう」と、いろんなものを持ち出そうとするんですけど、博物館みたいな感じで、あらゆるものが台座から動かない。 「もうだめだ。脱出するしかない!」「さあ、脱出しよう!」って瞬間に、中の灯りが“ババババッ”と点くんですよね。 実はこいつ、延々、太陽のエネルギーを表面で受けてたんすよ。 で、氷がとけて、遺跡だと思っていた自動機械たちがゆっくり動き出して、彼ら本来の活動を始めるんですね。メンテナンスとかを一斉に。 その場にいる人間たちを無視して、この宇宙船は動き出すんですけど、それでも太陽に向かって落ちていく。 「もう逃げなきゃいけない!」  写真だけ撮って、エンデヴァー号がやっと逃げて行って。 「ああ、あんなに高度な、40万年後も動くような自動機械を作っていた宇宙人たちの宇宙船も滅びてしまうのかあ!」と思っていたら。 太陽に向かって“バーッ”と落ちてたものが、どんどん白熱化してエネルギー貯めてたかと思うと、急にコースを“ギュウーン!”って、ありえない方向に変えて宇宙の彼方へ行っちゃうんですよ。 見ていた科学者たちが 「ああ、ニュートンの第2法則が消えていく……」 って言う(笑) まったく理解できない方法で“ギューン”と。で、エンデヴァー号が“ギュワー”って航路が動いちゃうんですね。 まるで、でっかい船の近くを通った小舟が、波の影響で動いちゃうかのように、何もないはずの宇宙空間で、いきなり方向転換した「ラーマ」っていうこの巨大な物体のおかげで、“ギューッ”と自分の船たちが回転していって。 消えてくのを見るしかない。 ……すごい不思議な話なんですよ。 ラストで、科学者がハッと顔を上げて、「ちょっと待てよ!」と。 「ラーマ人は何でも“3”だよな……?」と思ったら、レーダーの彼方にもう“2つ”、映ってるんですよね(笑) それで終わるっていう話で。 あの、たぶん、皆さんはこれ買わないだろうと思って、俺もう全部言っちゃってるんですけども(笑)。 こういうですね、SFも先祖帰りをして、あえて古典的な「技術っていうのにどんな面白いことがあるのか?」を突き詰めた作品です。 そして、“宇宙人と地球人が出会う”っていうのは、単に「ハン・ソロ、お前の命をもらった!」とか「俺はメタンガスしか吸えねーぜ!」みたいな、そういうのじゃなくて。 この『宇宙のランデブー』で書かれているのは、圧倒的な、絶望するぐらい遠い、地球人類のレベルと宇宙人のレベルの差なんですよ。 これは、なんでしょうね?  僕らSFファンの“マゾヒズム”って言うんですかね?  「地球人じゃ全然かなわねーよ! でも、宇宙に行ったらあんなスゲーヤツらがいるのかもしれない!」っていう。それともあの『ドラゴンボール』で悟空が言う「オラ、なんだかゾクゾクしてきたぞ!」みたいな。 あんな感覚がして僕は好きです (…中略…) さて、「じゃあ、日本人にはそういうスケールのデカいSFは書けないのか?」 ……書けます。 光瀬龍が書いた『百億の昼と千億の夜』というSFモノがあります。 これ、とんでもない作品でですね、最初にプラトンが出てきて。 プラトンが旅してたら、「アトランティスてのを知っているか?」「いや、知らない」と。 紀元前の世界に、“パラボラ・アンテナ”とか“電子レンジ”のようなものが存在している寂れた村があって、そこでアトランティス伝説が語られる。 その夜、プラトンは「アトランティスがなぜ沈んだのか?」の夢を見る、っていうのが“プロローグの1”としてちょっと語られて。 プロローグの2が、いよいよシッダルタ太子がシャカ王の元を離れて……(会場笑) 「やめてください、あなた! 私たちを捨てて行かないで! 」 「私は“仏教”というものを作るのじゃ!」 「じゃあ、この子を踏んでいって!」 「オッケー!」 “ぎゅう”って赤ん坊を踏む、という、有名なブッダの旅立ちのシーン。 4人のバラモン僧がシッダルタを待っていて、亜空間にそのまま連れて行かれる。(会場笑) そこで“銀河同士の戦い”ってのを見る、と。 銀河と銀河が総力を挙げて“コバルト爆弾”を落としながら青いレーザー光が進む中、アシュラ王という、天の神様に対抗する軍団がもう数億年戦い続けているという話を聞く。 「勝てるはずがないのになんで彼は戦うことをやめないんだろうか?」 「ではシッダルタ太子よ、アシュラに会ってみるか?」と。 そのアシュラ王が、“絶世の美少女”で。 周りで原子爆弾がバンバン炸裂してる中、二人で「まぁ、勝てないのはわかってるんだけど戦うんだよ」みたいな話をして。 次の話が、いよいよ“ゴルゴダの丘でキリストが磔にされる”という話で(笑) 「なにこれー!?」っていう、すっげーエピソード3連発のあと、全ての文明が崩壊して、人類が崩壊して、この地球上からあらゆるものがなくなってしまった“超未来”に……なんだろ?   “不思議な3人組” ですね。 プラトンの生まれ変わりと、釈迦の生まれ変わりと、アシュラ王の生まれ変わりが、宇宙を旅して、最後、「56億7000万年後に弥勒菩薩が救済に来る」という伝説の正体をつきとめに行く、っていうスゲー話です。 萩尾望都が漫画にしたんですけども、あまりのスゴさに、上下巻2巻で「無理!」って言って逃げたっていう(笑) 次は、『天地明察』で賞を取った、冲方丁の記念すべき代表作、『マルドゥック・スクランブル』です。これは、先ほどのSF史的に言うと“ネット社会”以後のやつです。
  • 【岡田斗司夫のニコ生では言えない話】ソフトバンクの孫社長は、SF読まないからダメなんだ。第42号

    2013-07-22 07:00  
    220pt
    岡田斗司夫のSFの読み方「ドラッカーよりもハインラインを読め!」  http://go.otaking-ex.com/SvoVatCL は、岡田斗司夫ブロマガチャンネルの動画の中で、なんと再生回数1位! です。 その人気コンテンツをお届けします。まだ動画を見てない方はそちらも是非。 小学校の時からずっとSFの読者だった岡田斗司夫が、昔からいちばんやりたかった、という『SF読書会』がついに実現したのが、2012年9月15日(土)。 30年間あこがれつづけた読書会というだけあって、導入部分から“やる気満々”、独特な岡田SF史観に圧倒されます。 SF小説を変えたものは何だったのか、「スターウォーズ」の歴史的意義とは、そしてなぜ今こそ「SFを読め」なのか……  ご挨拶が遅れました。はじめまして! “SF初心者”な読書のミホがお届けします。一緒に学んでいきましょう。 ************************************ “SFとは何か” …… あまり言ってもしょうがないんですね。 “ロックとは何か”と同じで。人によって差がある。 SFっていうのは、1920年ぐらいから発生しはじめて、おそらく1950年代に大爆発した文学形式、なんですね。 なんでこんな変な時期に大爆発したのかっていうと、第二次世界大戦が原因です。 2回の世界大戦を経て、科学・技術がいかに僕らの生活を根本的に変えてしまったか。 つまり、戦争っていうのは科学・技術のショーケースでもあったんですね。 科学技術が人類の未来を切り開く、または人類を滅ぼす、という、大きな時代背景がありました。 このあと、1960年代70年代は、世界史としては“疑いの時代”です。 東西冷戦が激化して、ベトナム戦争が泥沼化して、科学技術といってもろくなことないよ、それよりはドラッグとロックとセックスで幸せになろうよ、みたいな運動が世界中で花開いた時代です。 こうなると、SFは変質せざるをえなくなる。 この時代までのティラノサウルス的な、つまり科学がどんどん進歩してこの世界はガンガン変わるぜ、っていう“大型恐竜の時代”から、徐々に徐々に、“ほ乳類の時代”っぽくなってきたわけですね。 SFというもの自体が、人間の内面を描いたり、社会の変化を描くようになってきた。 ところが1970年末、80年代に入る頃に、「スターウォーズ」が出てきてしまった。 「スターウォーズ」というのは、1本の映画であると同時に、アメリカのポップカルチャー、現代文化というものを根本的に変えてしまったものなんです。 戦争に行けば誰しもが傷つくんだ、とか、アメリカの若者はどこにも居場所がないんだ、とか、そういうブルーな世界観の中に、とりあえず「大宇宙があります」「青年が冒険します」「悪いやつは黒い服着てます」(会場笑)っていう、めちゃくちゃ単純な世界観を持ち込んだんですね。 これが大ヒットしたんですよ。 ここでようやく、アメリカのポップカルチャーは心を切り替えた。 “そうか、分かった! 人間の邪悪さとか、人生のしんどさとか、そういうものはもう、現実で人間は知ってるんだ”と。 輝く未来があったから暗い未来が売りになった時代から、暗い現実があるから輝く未来が売りになるという時代がやってきた。 これでSF小説も変わっちゃったんです。 それくらいアメリカ人っていうのは、“人間の内面”とか“科学による未来”というものに疲れ果ててたんですね。 かつてはビジネスチャンスであり、僕らの社会を内面を本当に明日変えてくれるかもしれない、“テクノロジー未来”というものを、単純なお話を見せるための“単なる舞台設定”として考えるようになった。 これが「スターウォーズ」を中心とした、スペースオペラブームの本質です。 僕らがいま知っているSFは、すべてこの末裔なんですね。 ――さて、ここまでが80年代のSFの流れです。ここから先はですね、サイバーパンクというSFがはやり始めます。ついに未来が僕らの世界に追いついちゃったんですね。 ネット社会というものが僕らをどういうふうに変えていくのか。 ネット社会によって生まれてきたSFというのは、もうなにがなんだかわからないんですね。この社会というのはネットによって繋がれてるんだけども、それが人間の頭の中に繋がったらどうなるのかわかんない、家族関係もどうなるかわかんない。 もし本当に、ソフトバンクの孫社長が言うように、携帯電話の未来というのが、5年後、10年後ぐらいに、人間の頭の中で、テレパシーを使うように会話するようになったら……? スターウォーズの時代から30年経って、ソフトバンクのCMで、僕ちょっと「だからSF読まないやつは駄目だな」と思ったんですけれども。 「人間の考えてることがすぐに他人に伝わるから、ビジネスチャンスも豊富になります」というんですけど、そうなっちゃったら、僕らは果たして他人を必要とするんだろうか? 本当に恋愛というものを必要とするんだろうか? 完全な他人の記憶を自分がもう一回再現するようになったら、果たして家から一歩でも出たいと思うんだろうか……? この時代のSFでさんざん書かれたような社会未来像の予想みたいなものが、いま現実になりつつあるんです。 ところが、いろんな起業家、もしくは社会活動している人たちにそういう視点がないんですね。なぜなら、そういうSF読んでないから。 でも、SFファンだったら、侵略されたら果たしてどうなるのかというほうに発想が行くんですね。宇宙人が地球に攻めて来るとしたら、彼らの政治形態がどういうふうになってるのか、気になる。そちらのほうが優れてるんだったら、僕らは民主主義を捨てて、そっちの新しい宇宙人の政治形態を考えてもいいんじゃないか、そんなふうに考えるのはSFファンなんです。 ――では、ここまでが、すみません、“前説”でありましてですね(笑) ここから、岡田斗司夫がお勧めするSF小説というのを話したいと思います。前フリ長い(会場笑)