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【岡田斗司夫のニコ生では言えない話】内田樹先生、大学の学費が高いのが問題なのです。第22号
2013-02-25 07:00220pt久しぶりに大学の授業に出てみたら、みんなが見たこともない教科書を使っている。そんな悪夢を未だに見るのぞき見のミホコです。岡田が語る通り、現在の大学制度のおかげで、 ダメっぷりに磨き をかけることができた青春時代だったと言えます。
そんな大学ならいらないのか?
それでも勉強のチャンスは増やすべきなのか?
それとも、せめて 学費をうんと割安 にすべきなのか?
今回は、岡田が語る「大学改革論」をお届けします。
この海賊放送
「大学問題を考える~内田樹さんのブログを読んで」
http://go.otaking-ex.com/YjIAnQkh
は、内田樹先生のブログ「内田樹の研究室~みんなまとめて、面倒みよう」 のに対するアンサーとして語られました。
資料1.田中大臣の不認可問題の影にあるもの
http://blog.tatsuru.com/2012/11/07_1601.php
資料2.コンビニ化する大学と知性の危機について
http://blog.tatsuru.com/2012/11/15_1542.php
同じ現状認識に立ちながら、二人の立ち位置の違いが、解決策の大きな差となってあらわれてるとことろが興味深いです。
先日発売された、内田樹先生との対談本
『評価と贈与の経済学』
http://go.otaking-ex.com/FUa6GQgG
の続編として楽しむのも一興です。
まずは、ハイライトからどうぞ。
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内田先生がブログで言ってることを要約します。
「今更、文部科学省がレベルが下がった大学が云々かんぬん言うのは変だ。
大学に自由競争を導入して、レベルの低い競争力のない大学を、潰れるべくして潰してしまおうじゃないか。
これはもともと、10年以上前に、経済界とか産業界の人をスタッフに入れた上で決めて始めた全体の方向性。日本国中いろんな所でやっている自由競争の波、規制緩和の波のひとつだった。」
大学のレベルが低い、だから自由競争だと15年間やった。
そのおかげで、じゃあどうなったかというと、潰れた大学なんてほとんどない。逆に、大半の大学が定員割れを起こして、そして大半の大学がどんどんレベルが下がっていった。
結局、規制緩和によって教育に新規参入した結果、学生のレベルが下がるだけ下がっちゃったじゃないか。
で、今後は新しく大学どんどん造るのやめましょうと言っている。
潰れるべき大学はつぶれるべきだと思うと今言ってるけども、(新しく大学を造らないこと)も全く同じ。これから先そんなことをやっても学生のレベルは上がらない。それよりは、そりゃ中卒より高卒、高卒より大卒のほうが学習期間が長いんだから、学習期間が長い方が、ものを学ぶチャンスが多いに決まってる。
つまり、学力が上がるチャンスがあるに決まってる」
っていうふうなことを言ってるわけですね。
で、僕の考えは、内田先生と似てるんですけども、ちょっと違うんですよ。
内田さんの最新ブログの最後の方に、『岡田さんが予言してるように 授業料が20万30万という「超低価格大学」 が出てくるだろう。』と説明されています。
『そういう コンビニ大学 が知的なイノベーションの起点たりうるか。大学は、知性の場であり続けられるのか。』
内田先生はそれに対しては「ノー」というふうに言っている。
まあ、イエスと答えることは難しいですね。
教育機関というものの生産性というのは、サイズとか教育方法とか教育理念を異にするいくつもの大学が混在することによって最大化する。生態学的な多様性が失われるとき知性の危機が訪れる、と書かれています。
(中略)
内田さんが言ってることの原理は僕大賛成なんですよ。
でも、用語がそれぞれ違うと思います。
まず、うーん、なんだろうな、 教育観とか研究機関ていうものは、多様性が大事だっていうのはその通りなんですね。
で、今逆に多様性が少なすぎるんですよ。
大学しかないじゃないですか。研究とか教育とか。そこが変なんですよ。
おまけにですね、僕根本の問題はですね、大学の学費が高いということだと思います。 -
【岡田斗司夫のニコ生では言えない話】大企業が恐竜のように滅びても、哺乳類になって生き延びよう第21号
2013-02-18 07:00220pt『ジュラシック・パーク』みたいに、昔は本当に恐竜と人間が同じ時代を生きていたんだって信じていました。無銘のマサフミです。
前回に引き続き、慶應義塾大学で行われた岡田斗司夫講演「ネット社会でビジネスはどう変わっていくのか」後半の模様をお届けします。
後半では「ビジネス」に焦点を当てて考えます。
かつては多くの人が必要だったビジネスが、情報処理技術で少人数でもできる時代になり、大企業はまるで恐竜のように、自らの大きさを支えきれずに苦しんでいます。
ではネット社会でのこれからのビジネスの形、岡田の提唱する『マイクロビジネス』『フラッシュビジネス』とは何なのか。
巨大企業が恐竜ならば、哺乳類としてこれから進化していくのはどんな人達になるのでしょうか。
ここはかつて隆盛を誇った巨大企業の最後の時代。
そんな映画のようなあり得ない世界を、みんな揃って生き延びましょう。
講演後半の模様、ハイライトからどうぞ。
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『マイクロビジネス』
『フラッシュビジネス』
こんな言葉ありません。僕が作った言葉です。
おそらくこれらがこれからの大きい流れになるでしょう。
マイクロビジネス、というのは、実は『Amazon』もそうなんです。Amazonというのも、これまで巨大な仕組みが必要であった出版というものを、わずか数人の力でできるようにした仕組みなんですね。
『ニコニコ生放送』にしても『YouTube』にしても同じです。テレビ局というものすごく手間のかかる、何千人という人を介するシステムというのを、わずか数人でできるようにしたっていうのが、今のビジネス、ネット時代のビジネスの特徴なんですよ。
つまり、 まず、産業規模が小さい。そして、今、必要とされている、明日必要とされていることが、すぐにできること。
同時に、それが駄目だと思ったらすぐにやめれること。これも恐ろしいですよ。マイクロビジネスで、たとえば皆さんが今面白いソーシャル・ビジネスとか、ソーシャル・サービスとか思いついたとしても、2年後に誰かがもっと面白い仕組み、新しい仕組みを思いついたら、皆さんはすぐにそのビジネスを畳まなきゃ駄目なんですね。
そこでがんばって「いやいや俺たちは既に先行投資もしたし、もう何年もやってきたから」といって踏ん張っちゃったら、今のシャープとかソニーと同じになっちゃうんです。これまでにがんばってきたものの蓄積っていうのが、イワシ化された「今、何か」が重要な社会では、まったく考慮に入らないんです。
もし、それで皆さんが“キャラクター化”に成功したら別ですよ。“関係性化”に成功すれば別ですけども。
つまり、コンテンツからキャラクター、関係性になったんだから、これまで皆さんが自分が起業してきた新しい会社で2年間何をやったのかっていうのは、コンテンツ時代の発想ですから、まったく意味はないんですよ。
ただ、その結果、皆さん1人1人の“社長としての自分の個性”というのが世の中にアピールされてれば、そのキャラクターとしてはまだ勝負できます。同じように、お客さんとどのような関係を結んでたのか、もしくは従業員とどのような関係を結んでたのかによって、次のビジネスチャンスはあるかもわかりません。
ただ、それまでこんなことをやってきたとか、「うちは老舗として何年もこの商売やってきた」みたいなコンテンツに関しては意味がなくなっていきます。老舗としてやってきたという“ブランド”というキャラクターには意味があるんですけども、そこで作ってきたもの自体には、どんどんどんどん意味性が低くなってくる。これが、一番最初に話したネット社会の特徴です。
『マイクロビジネス』っていうのは小規模なビジネスですね。大企業がやってるようなことを、小さい企業で肩代わりするようなもののことです。
つまり、巨大な恐竜を滅ぼすような、卵を盗む哺乳類の仕事というのは、これから絶対に行けます。
同時に『フラッシュビジネス』ですね。
これから 100日間だけは必要とされてる仕事、2、3日だけは必要とされてる仕事っていうのは、これからも絶対に行けるんですけども。何年も必要とされてる仕事とか、ここから先、5年も10年も定番として生き残る仕事っていうのは目指しては無理なんです。
漫画の話で言うと……これはジャンプ編集部でも、どの編集部でも言われてるんですけども。もう、これからは『ワンピース』のような国民作品という、巨大でいつまでも愛されるような作品っていうのを作ろうとするのは無理だと。
そうじゃなくて、もっと小さい話。単行本5巻か10巻ぐらいで終わってもいいような、いわゆる『デスノート』とか『バクマン。』型の、話が簡潔で、終わりが見えても構わない。そして、今、今年面白いと思われたら、2年後にはブックオフで大量に安売りされても構わないような漫画しか、もう生き残れない。ジャンプ編集部ですら、そういうふうに思ってるんです。
そういうふうなビジネスっていうのが出てくるだろうと。なので、“作りやすくて壊しやすい会社”っていうのを、皆さんは作るべきだと僕は思います。
「それはどんなのだ?」って言われたら困るんですけど、ほんとにね、マイクロが良いんです。マイクロっていうのは、人数が少ないっていうこともあるんですけども、売り上げ自体が少なくても成立する会社です。
例えば、iPhoneを買った人にその使い方を教えるだけの企業でいいです。そうすると、教えるギャラとして取れるのは、たぶん1000円から5000円ぐらいだと思うんですよ。そんなのが1日何人あるのかわからないんですけども、1人か2人の人間が食うだけだったらギリギリできると思うんです。
そういう仕事だったら行ける。マイクロだから。おまけにiPhoneだったら、“今わからない人”がいるからです。でも、これが何ヶ月かしたら、もうみんな操作法がだんだんわかってくるんで、こんな商売駄目になるんです。
でも、僕らはついつい、「えー!? そんな1人あたり5000円とか2000円ぐらいで、5人とか10人とかに教えるチンケな商売できないよ! 大学まで行ったんだから、そういうもんじゃなくてもっとビジネスなことをやりたい!」っていうふうに、ついつい巨大化のほうを考えちゃうんです。
「来年になったらもうニーズがなくなるようなそんなことやってもしょうがないよ! 名刺作って名刺配ってる間にその仕事がなくなるようなことやってどうすんだ? そうじゃなくてずっと続けれるような収益モデルビジネスモデルっていうのを考えたい!」っていうふうに考えちゃうんですけども、そう考えるとどんどんドツボにはまっていきます。
マイクロとフラッシュというのが僕は今後のキーワードだと思ってます。
あとはもう本当に、「誰か飲み会の幹事やってくれよ」というときに、普通は友達の中で“人が良いやつ”が幹事を引き受けるんですけども。そうじゃなくて「日本中どこでやる飲み会でも全ての幹事を引き受けます」というような会社もいけると思います。これも飲み会ひとつあたりの収益というのは多分1000円か2000円ぐらいなんですけども、日本中の飲み会の情報というのを集めればそれがビジネスになる。
だから ネット社会の特徴というのは誰か1人が始めるにしても、それまでだったら周りの人にしかいえなかったから、こういうマイクロでフラッシュなものっていうのは、バイトにはなったけど仕事にならなかったんですね。
でもネットワークで一瞬で数百万人の人に知らせることができるからこそ、マイクロ、フラッシュであろうとも、何とか食える程度の仕事にはなるというふうに僕は思います。 -
【岡田斗司夫のニコ生では言えない話】ネットビジネス成功の鍵は「キャラクター」と「関係性」第20号
2013-02-11 07:00220pt「昔のネットは遅くて繋がりにくかったし、やたら金がかかって大変だったよ」
高額請求に怯えずに、どこでも高速回線を使えるのは本当にありがたいですね。無銘のマサフミです。
今回から2回に渡り、昨年12月に慶應義塾大学で行われた岡田斗司夫講演「ネット社会でビジネスはどう変わっていくのか」の模様をお届けします。
前編の今回は「ネット社会」に焦点を当てて考えます。
10年前と今とでネットの文化も変わってきています。
その変化を分析することで未来を予測し、ビジネスのヒントを探っていきましょう。
未来では今のビジネスはどんな風に語られるんでしょうね。
「昔のビジネスは遅くて繋がりにくかったし、やたら金がかかって大変だったよ」
それでは講演前半の模様をお届けします。まずはハイライトからどうぞ。
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今の日本のネット文化っていうのは、この10年ぐらい前からずっとあった『ブログ文化』から変化して、『フェイスブックとかTwitterやLINEの文化』になりつつあります。さっき話した明治時代の文化から情報社会、そしてネット社会っていう大きい変化の中で、さらにこのネット社会だけ見ても、この10年の間に切り替わっているんです。
この大きな差は何かっていうと、ブログ文化っていうのは“内容主導”なんですね。ブログに書かれてることの大部分は、その人が誰かを問わないんです。「誰が書いたのか?」っていうのを問うのではなくて、「どんなことが書いてあるのか?」っていうのを問われる社会です。
それは2ちゃんねる文化にも似ています。2ちゃんねるという掲示板でも、大事なのは書いた人間が誰であるのかではなくて、その中で何が語られているのか、それに関してちゃんと正当性・論理性があるのかっていうのを問われている。
だから、ネット社会というのは、まるで「匿名性があるのが当然で、そして、その内容に間違いがなければ誰が言ったのかということはあまり大事ではない」っていうふうに言われてました。それがこの10年ぐらいです。
ところが、現在それが廃れつつあって、もう今ブログ書いてる人はあまりいなくなりました。どういうふうになったのかっていうと、フェイスブックの文化やTwitterやLINEの文化に流れています。
これが何を意味するのかというと、 ブログ文化のときは言ってることの内容が大事だったから、例えば映画を観たんだとしたら、その映画に関して語るとか論じるとか、その意見を読んだみんなが「ほう、なるほど。面白いな」と思うようなものが必要だったんですね。
しかし、フェイスブック文化というのはそういうものが必要ではない。それよりは「その人が子どもの頃からの写真をどのように見せてるのか?」、「どのような友達がいるのか?」、「どんな学校に行ってるのか?」ですね。「どんな顔なのか?」、「どんな写真を見せてるのか?」ということが問われる。
つまり、フェイスブック文化っていうのは、ブログ文化が“コンテンツ型”だとすると、完全に“キャラクター型”なんですね。 一口にネット社会といっても、僕らが今体験しているネット社会自体もこんなふうに変わってきちゃってる。コンテンツ主導型からキャラクターの主導のほうへゆっくりと切り替わってて、ブログ文化はほぼもう滅びつつある。
僕はよくブログとかの検索をするんですけども、この1年ぐらいGoogleとかで検索をしてもほとんどブログが引っかからなくなってきてるんですね。
そうではなくて、Twitterのタイムライン表示とかフェイスブックの「今何してる?」とか、そういうようなものばかりが引っかかるようになってきてる。日本ではこのブログ文化っていうのが10年前はすごく花開いていたんですけど、これがなくなりつつあるんですね。
社会学者の人たちはついつい『ネット社会』っていうふうに大枠で考えちゃうんですけども、もうちょっと“流れ”で見るとこうなってます。
ではですね、このTwitterとかLINE文化っていうのは何かっていうと。これはブログっていうのは誰が見るのかわからない不特定多数のものですけども、Twitterっていうのは自分をフォローしてくれる人しかほぼ見てくれない。LINEに至ってはお互いに「LINEのアドレス交換しましょうね」といった人以外は見えなくなっちゃっています。
すみません、このTwitterとかLINEとかに関して詳しくない方もこの中にいらっしゃると思いますけども、『ブログ』が誰にでも見られるような電子掲示板、“ネットワーク上の掲示板”のようなものだとすれば、『フェイスブック』っていうのはそれに自分の名前などが張られている“名刺つきの掲示板”のようなものだと考えてください。
では『Twitter・LINE』というのは何かっていうと、“友達との内緒話みたいなものを、半分公開・半分非公開で行うような仕掛け”だと考えてください。コンテンツからキャラクターって言ってますけど、こちらのほうはさらに“関係性”が重視されるようになってきます。
なかなかビジネスの話になりませんけども、最初に言いましたとおり、ネット社会でビジネスはどう変わるのかを語る上で、分けて考えるべき『ネット社会の部』を話しています。
【14:44】
ネット社会はコンテンツ型から『キャラクター型』、「その人はどういう人なのか?」ということと、『関係性型』、「お互いがどういう関係をもってるのか?」になってきています。
つまり、その人が誰かは関係ない、何をいったのかが大事なんだっていう中身(コンテンツ)型の文化ではなくて、その人がどういう人なのかによって中身の受け取られ方が違う……例えば、「駄目だ、これはこういう理由で駄目だ」と言っても、それは俺が言うのとあいつが言うのとでは受け取られ方が違うというのをキャラクター型ですね。
あるいは、仲間内だから思い切って言えるという関係性型。こういうふうな形に変わりつつある。
「ネット社会っていうのはイワシ化」ってふうに一言で言いましたけども。
今、何が起こってるかっていう情報共有が一瞬で進むような社会になった結果、ネット社会……っていうのは元々は“コンテンツを共有するための仕掛け”だったわけですね。どっかの学会で論文が発表されたら、それが誰にでも読めるというようなものだったんですけども。
既にそれは“キャラクター型”か“関係性型”のほうへまとまりつつある。
そして、こういった“起こりつつある変化”が戻ることはあまりないんですよね。ネット社会っていうものがこっから先もう一回コンテンツ型に戻るっていうのは、僕はあまり考えてません。
フェイスブックにしてもブログ的な機能はあるんですけども、ほとんどの人は使わなくなりつつありますから。今生まれつつある新しいネットビジネスというのは、ほとんどがこのキャラクター型か関係性型、これを伸ばすタイプになってるからですね。
このような「今何をしてるのか」、「今何を考えてるのか」っていうのが一瞬で共有されるような世界では、僕らは“間違った選択”を何より怖れるようになります。
何故かというと、自分がやっていることや、「ああしよう、こうしよう」と決めたことのほとんどは公開されたり友達が知っちゃってたりするからです。例えばiPhoneを買おうかアンドロイドを買おうかみたいなことですら、僕らは間違った選択をすることを極端に怖れるようになった。
「こいつと付き合うかどうか」とか「どの大学に行こうか」とかそういうふうなことに関して、坂本龍馬型の、自分自身でよく考えて決めざるを得ない情報が少ない社会では“自己決断”が最大のポイントだったのが、情報社会では“いかに広く情報を集めるのか”がポイントになってくる。
つまり、かつてだったら自分の理想や理念があったら、世間で色々言われても、世間の情報自体があまり変わらないから、個人的な判断が優先されてたんですね。
ところが情報社会になると情報が一杯あるわけだから、「それよりはまず情報集めようよ」ということになってくる。さらにこれが関係性型キャラクター型の社会になってきちゃうと、周りの人が何を選んだのかで僕ら決めるようになるんですね。
自分の意志判断が使える代わりに情報が少ない社会と、情報があまりに多すぎて自分の意志判断が使えず情報収集に労力を割く社会。そして関係性を維持しようとするあまり、自分の判断っていうふうなものがあまり使えない社会。
こういうふうに社会全体が大きく流れています。そこでは僕らは“間違った選択”を極端に怖れるんですね。
だから、周りの友達があまり反対するような彼氏や彼女とは付き合えなくなったり、就職するときでも「自分はこういう仕事が良いんじゃないかな?」と思ってても、自分と価値観が合う仲間や家族とかの反対を押し切って何かをすることが大変難しい。
その結果、多分、大学生の皆さんは男女交際というのが大変やりにくくなってる。何でかっていうと、皆さんには彼女や彼氏を作るときでも自分の友達への“説明責任”というのがあるからですね。変な言い方ですけども。
何で最近“イケメン”が受けて不細工な男が受けないかというと理由は簡単で。女の子はもし不細工な男の子と付き合うんだったら、友達からの「あんた何であれと付き合ってんの?」という問いに関して全て説明しなきゃいけないからです。この説明ってめっちゃくちゃ難しいんです。なので、イケメンがもてはやされる理由には“友達への説明責任が無いから”というのがある。
間違った選択というのは許されない。この社会では、間違った選択というのをやってしまうと、それらの失敗は自分のフェイスブックとかで記録がずっと残りますし、TwitterやLINEとかで友達にどんな陰口を言われるかわかんないからですね。 -
【岡田斗司夫のニコ生では言えない話】岡田スクールの原イメージ・適塾とECCOTの両立第19号
2013-02-04 07:00220pt12月3日にTSビジョンの第一回をお届けしてから、少し期間があいてしまいました。
覚えて頂いておりますでしょうか?
(第一回はこちら。http://ch.nicovideo.jp/ex/blomaga/ar20210 )
こんにちは、、のぞき見のミホコです。
岡田斗司夫をFREEにすることを目的とする組織FREEexは、3年間所属するとメンバーは卒業すべしと決められています。
もうすぐ、設立当時からのメンバーの卒業時期が到来します。
それを記念して、私たちFREEex限定だったコンテンツを公開します。
FREEexができて1年半弱経った2011年6月末のこと。
岡田斗司夫が、 FREEexメンバーに向けて3夜連続の講義 を行いました。
内容は、岡田自身の活動のありかた、メンバーの役割、SNSクラウドシティでの展開など、多岐にわたりました。フレームを引いたり寄ったりしながら、立体的に語られる将来像は、まさにビジョンと呼ぶにふさわしい充実した講義でした。
それから1年半経った現在、読み返すと、なんと現在展開されている 「岡田スクール」 http://blog.livedoor.jp/cloudcityblog/archives/21752690.html
の原型が、既に明快に語られていることがわかります。
使われたメディアは、ボイスチャットシステム「TeamSpeak3」。
FREEex内の会議や講義で前々から使用されていたものです。
音声は岡田斗司夫のみ。メンバーはチャット欄で、質問や返答をする方式で進められます。
一年半後、あるいはもっと先の未来を見据えた講義は、今まで外に出したことがない貴重な資料です。まさにニコ生では言えない話「TSビジョン講義 第二夜」。
まずは、ハイライトをお届けします。
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【26:20】
(レジュメに) 「適塾とECCOTの両立を目指す」 と書きました。
“適塾”と昨日は言ったんですけども、表現を変えることも可能なんですよ。
適塾というのは、お互いが先生になって教え合うところなんですね。それを具体的にクラウドシティの中で考えると、サロンのカデミーでお互いが教壇に立って教えるってことです。
ここ何ヶ月か、クラウドシティで進行してることをずーっと見てると、面白い事件は誰かの日記とそのコメントで必ず話し合われている。
その結果、それがどっかにまとまってないのが問題なだけなんですね。
だから「適塾というよりは“家庭教師のトライ”かもしれねぇな」っていうふうに思ってます。
誰かが日記で何かを書くと、僕がコメントするだけでなく、****(社員)なり誰なりかが「それはこうですね」っていうふうにコメントを書く。相手の日記のコメント欄で、そのまま続けることもあるし、自分の日記に書いてURLで誘導することもある。
リンクさえ貼れば、実は誰の日記でやっても、どのサロンでやってもいいんじゃないのか?それぐらい、 クラウドシティ全体を“教室” って考えた方がいいのかもなと思ってます。
これを「適塾って形で最終的にはちゃんとサロンで話そうよ」っていうふうにするのか、もしくは「家庭教師のトライ形式でそれぞれの御宅にお邪魔して、みんなでわいわいやって、じゃあここんとこまとめて全部サロンのとこに転載しようか」っていうふうにするのか。これはちょっと今後の流れに任せてみようかなというふうに思います。
これが適塾の部分です。
それとECCOTの両立を目指す。
『ECCOT』っていうのは何なのかというと、昨日ちょっと話した、“Experimental Cloud Community of Tomorrow”ですね。
僕たちが、今後、世界に提示するクラウド型の拡張型家族とか拡張型組織、サロンですね。「それはこういうものじゃないのか?」っていう実験体を、僕たちはクラウドシティでやっています。
今ちょうど僕が、クラウドシティの中でやってる「市民はどうあるべきなのか?」とか、「社長は本当に権力者なのか?」とか、あのへんは、僕たちにとって実は絶好の教科書なんですね。
鬱陶しいと感じるかもしれませんが、こういうことを話し合う場もクラウドシティにあるべきだと思ってます。毎日毎日、みんなの楽しいこともあれば、 4タイプとかスマートノートに関しての報告 もある。それだけじゃなくて、「市民とはどうあるべきか?」とか「クラウドシティっていうのはどうなるべきか?」っていうめんどうな話もある。それは、僕たちにとってもすごく勉強になるんです。
ちょうど今、市民の人たちが色んなところに引っかかってます。
それを“お客さん意識”って言ったら彼らにとってちょっと悪く言い過ぎなんですけども、彼らは「なんで僕たちは岡田斗司夫に急に怒られたりするんだ!」っていう理不尽さを感じています。それに関しては「あの人の言い方が怖いからいけないんじゃないのか?」っていう、ものすごくありがちな所に落ち込みそうになりながらも、「そうじゃないかも」って色んなことを考えたりもして、、こう、ぐるぐる回ってる。
で、こういうことをやってくれるから、僕らも分かるわけですね。実はオタキングexの社内でも「社長とはなんだろうか?」、「社員とはなんだろうか?」っていうふうに考えることは出来るんですけども、これ“近くに寄りすぎて分かんなくなっちゃう時”があるんですね。僕らには。
それをクラウドシティでは、僕らからはちょっと離れた、客観的に見れる場でやってくれるていると。その反射光で自分たちの問題とか、立ち位置がすごくよく見えると思うんです。
だから、両者の関係っていうのはですね、オタキングex(現在のFREEex)がすごいコアの部分だとすると、クラウドシティっていうのはなんだかんだいっても“僕たちの分身”であるなあ、というふうに思います。
オタキングex(現在のFEEEex)が未来に対して僕たちが提示する拡張型家族とかですね、評価経済型組織のあり方だとしたら、クラウドシティっていうのはもうちょっと軽く、いろんな人がこれから将来複数所属することになる、サロンとか、コミュニティのプロトタイプだと考えてくれればいいと思います。
そのための実験をしてるわけですね。
だから “塾”として僕たちのメソッドをちゃんと理解できて、そして他の人に教えられるようにする っていう部分と、未来型のクラウド組織、クラウドコミュニティだっていうようなことを、“実験・実践”する。
この両方の部分を忘れないでください。
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