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  • 【岡田斗司夫のニコ生では言えない話】 LINEを使うゆとり世代におきた怖い進化 第77号

    2014-03-24 07:00  
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    LINEやってますか? ちょっと前まで、個人情報の漏洩を理由にLINEはやってませんでしたが、今はスタンプ集めが楽しい前田宏樹です。ブラウンのスタンプが好きです。  2013年12月26日にニコファーレで行われた言論コロシアム『決着 2013』より岡田斗司夫の出演部分を2回にわってお送りします。  舞台はプロレスリングを思わせる特設ステ―ジ。岡田斗司夫が無数に飛び交うコメントを相手に、2013年エンタメ業界に決着をつけます。  ハイライトでお届けするのは、ネットメディアの決着。  ゆとり世代と、その下のLINEネイティブが成長するとどんな大人になるのか。未来を見据える上で興味深い視点だと思います。  それではハイライトを送信! 既読スルーしないでね! *************************************************  今、LINEすごいですよね。特にグループ機能。  例えば4人の仲良しグループがいても、そのうち1人だけを、はみ出した残り3人だけのグループが作れる。しかし、それで安心してはいけない。  残りの3人に関しても、1人だけはみ出して2人だけのグループ作れる。そのほかの人たちも同じなんですよね。  自分はここで仲良しグループに入ってる。でも、自分以外で作っているグループがあるかもしれない。それが無数に階層状にある。そういうLINEを小・中学生くらいの頃からやってるとどうなるのか?  僕この間、はるかぜちゃんこと、中1の元子役女優の春名風花さんと話しました。「9歳からLINEやってると、こういうことができるんだ」というのが分かってきました。  彼女のTwitterのクオリティは、とても高いんです。  どんなコメントが来たら、どんなレスを返すのか、っていうのを何回も自分で書いて、書き換える。それを9歳とか10歳から繰り返すと、状況コントロールがすごくうまいんですね。  さらに下、小学校くらいの”LINEネイティブ世代”っていうのかな。  つまり、ありとあらゆるコミュニケーションが限定されていて、それが自分に対してオープンにされていない。  ”自分をはみ出しにしているようなサークル”がいくつあるのかわからない世代が、どんどん成長してくるとどうなってくるのか。  ネットネイティブの次の”LINEネイティブ”が、ちょっと怖くなってきていますね。  文藝春秋の新年号の取材で答えたたんですけれども、 「やっぱりゆとり世代の教育っていうのはよくなかったですか」 ――っていうのを聞かれて、僕は、 「あ、そうは言えないんだけどな」 ――と思ったんですよ。  なぜなら、人間の能力って実は一定なんですね。つまり、”あるところが伸びるとあるところが下がる”みたいなものです。  ゆとり世代と言われる人たちは、一見学力が下がったように見える。おそらく、学力は下がっているんですが、 「ゆとり世代の人たちは、学力が下がったとしたら、何が上がったのか」 ――ということがまったく論じられていないんですね。    そうじゃなくて、人間の総合力は大体一定だから、何か1カ所が下がれば、どこかが上がるんですよね。  コミュニケーション能力が異常に上がっています。  でも、”自分が考えていることを喋る”とか、あと”ブログやTwitterに書く”とか、そういうコミュニケーション能力じゃないんですよ。  今のLINE世代たちは、どのようなスキルを伸ばしているのか。  LINEなどで"誰かをはみ出し"にするときに、"自分がその中に巧みに入らない"。または”はみ出されても、なんとか生き残るような人間関係の空気読む能力”というのが異常に高いんです。  より社会性の生物になってきているんですね。  その分、”自我がすごく薄く”見えちゃう。「EQが上がっている」という意見がありましたが、同時にそれは自我がないんですね。自我がない人間がたくさん集まると何にも決まらないんですよ。  皆さん、1回フランスに行ってください。  フランスの小中学校に行ったら、議論しかしてなくて、何も決まらないです。  フランス人は自我が強くて、自分が何を主張するのかというのを強く持ってる。つまり自分を強く持ってる分、”自分たちの主張をかみ合わせて適当なところで落としどころを作る”という のが、とても下手です。  日本人はフランス人とまったく逆ですね。  今、LINE世代の人たちは、自分が主張する前に「全員がどういう主張をするようになるのか」というのを読んでやってるんですね。  自分の意見を持たずに、流れの中から自分の考えを探す。 ”自分で考える”ことをしなくなっています。自我が消えつつあり、溶けつつある。そういう時代になりつつある、と思います。