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記事 43件
  • 「おいしいたまご」

    2020-10-21 07:00  
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     一年を通じて食べているたまごもまた季節のうつろいを感じさせてくれる。海辺の町で暮らし始めて十年。一年を通じて近所の養鶏場で朝産みのたまごを買っているせいだろう。
     

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  • 「楽園」

    2020-05-29 07:00  
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     海から里山に上がっていく途中に幾つかの川がある。そのうちの一本に散歩がてら娘を連れて行った。橋の横にある階段を下るとちょうど良い広さの河原がある。浅瀬で大雨などで増水しない限り流れも緩やかなので地元の子供たちの遊び場になっている。
     

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  • 「二〇二〇年五月二十四日」

    2020-05-25 07:00  
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     ビーチサンダルを履いて、海を散歩した。日曜の午前十一時。地元の顔見知りとその子供たちが数名、波打ち際で水遊びをしている程度の人出だ。熱くなり始めた砂の上を歩いて、波打ち際まで来る。さざ波が足首まで海を連れて来る。冷たい冬の記憶が足下から脳天へと駆け上って来る。五月とはいえ、本当に水が綺麗だ。浜にはゴミひとつ落ちていない。
     

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  • 「FREEDOM」

    2020-04-27 07:00  
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     人は何を求めて海を訪れるのだろう。潮風。波。砂浜。太陽。解放感。ロマン。想い出。出会い。あなたはどうだろう。改めて言葉にするのは照れ臭いし自分でも青臭いと思うけれど、ぼく自身が海に求めているものは「自由」だ。
     

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  • 「名前も知らない花」

    2019-08-05 07:00  
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     盛夏の小径を歩いていると色とりどりの花との思い掛けない出会いがある。庭先に薫るペチュニア。海沿いの窓辺を彩る月下美人。そして電柱の根元に咲く名も知らぬ小さな花々。そういう花々に目がいくようになったのは、娘と同じペースでゆっくりと歩くようになったからだと思う。
     

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  • 「ピミエント・パドロン」

    2019-07-31 07:00  
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     冷えた白ワインで乾いた喉を潤した僕らの前に、熱々のオリーブオイルで素揚げにされた細長いピーマンに粗塩を振ったものがカウンターに置かれた。それが僕とピミエント・パドロンの出会いだった。
     

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  • 「潮騒」

    2019-07-26 07:00  
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     潮騒を聞いていた。砂浜に寝転んで、背中で太陽の放射熱を感じていた。曇天だったけれど、雲の切れ間には時折り陽射しが光の梯子となって降り注いでいた。
     その数時間前、雨が降っていないのを確認して久し振りに里山の菜園を覗いた。ミニトマトを摘んで頬張ってみる。このところの多雨のせいでトマトに全く甘味が乗っていない。雑草ばかりが我が物顔で背丈を伸ばし蒼と茂っている。救いはピミエントパドロンが豊作なことだ。雨の少なかった去年は実っても辛い実しか採れず、原産国のスペインでないとうまく育たないのだろうかと手探りだったのだけれど、もっと大量の水を必要とする作物だったのかもしれないと実感した。
     それにしても熱い。まるで熱帯雨林気候のような体にまとわりつく湿度だ。そして無風。不快指数は最高潮に達していた。立っているだけで自律神経もみるみる不調になった。海の水に裸足を浸して頭の先まで冷えるところを想像した。

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  • 「絶望のキャベツスープ」

    2019-04-05 07:00  
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     今、三浦半島を空撮したら陸地の大部分はキャベツで埋め尽くされているんじゃないだろうか。大部分とまでは言わなくても明らかに人口よりキャベツの方が多い。という季節の真っ只中に僕はいる。その上、今年は秋蒔きした春キャベツが暖冬で早く採れ始めてしまったので後から蒔いたものもあって、地元は例年以上に春キャベツで溢れ返っている。朝市や無人販売所で山積みになっているのはもちろん、精肉店で生姜焼き用に厚切りの豚肉を買っても「じゃあ付け合わせに」ともれなく近所の農家さんが育てたキャベツが丸ごと一個オマケでついてくるぐらいだ。なので食卓には毎日何らかの形でキャベツ料理が並ぶのである。
     

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  • 「ビーチクリーンと焚き火と音楽と」

    2018-11-23 07:00  
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     ビーチクリーンと称する海でのゴミ拾いがイベント化したのはいつのことだったのだろう。少なくとも僕が「早乙女タイフーン」という連続ドラマの脚本を書いた2001年にはなかったと思う。夏の海のゴミ拾いがまだライフセーバーの専売特許だったあの頃には。 

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  • 「愛し愛されて生きるのさ」

    2018-10-10 07:00  
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     愛するもののそばで寄り添うように生きることができたら人はそれだけで幸せなのだろうか。愛した分だけ相手にも愛されたい。そう思うのもまた人間ではないだろうか。けれども見返りを求めるのは本当の愛と言えるのだろうか。僕は――僕は見返りが欲しいと思ったどころか、見返りがあるなんて考えたこともなかった。少なくとも目の前の海と空、そして太陽に対しては。 

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