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島田裕巳氏:オウム真理教と地下鉄サリン事件20年目の教訓
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島田裕巳氏:オウム真理教と地下鉄サリン事件20年目の教訓

2015-03-25 23:00

    マル激!メールマガジン 2015年3月25日号
    (発行者:ビデオニュース・ドットコム http://www.videonews.com/
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    マル激トーク・オン・ディマンド 第728回(2015年3月21日)
    オウム真理教と地下鉄サリン事件20年目の教訓
    ゲスト:島田裕巳氏(宗教学者)
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     オウム真理教事件とは一体何だったのか。地下鉄サリン事件から20年目を迎えた今、われわれはその問いに向かい合うことができるだろうか。
     1995年3月20日午前8時頃、オウム真理教の複数の信者が、首都東京のど真ん中の霞ヶ関駅周辺において、通勤ラッシュで満員の地下鉄車内で猛毒ガスのサリンをまき、13人が死亡、6000人以上が中毒症状などを訴えるという前代未聞の無差別テロ事件を引き起こした。この事件は世界でも例を見ない、都市の真ん中で一般市民の無差別殺戮を目的に化学兵器が使われるという、歴史上初めての化学兵器テロ事件だった。
     オウム真理教は麻原彰晃(本名松本智津夫)が設立したオウム神仙の会が前身で、仏教の流れをくむ一方、ヨガの修行や技法などを取り入れて独自に体系化された新興宗教だった。麻原とたびたび対談をした経験を持つ宗教学者の島田裕巳氏は、オウムが信者を獲得していく秘訣は、激しい修行がもたらす精神的な満足感だったという見方を示す。
     信者を1万5000人にまで増やし、特に出家制度を取り入れたことで信者らが集団生活を送るようになっていったオウム真理教は、次第に過激な思想を身に纏うようになっていった。最初は、激しい修行で信者の一人が死亡した事故を隠蔽することがきっかけとなり、教義のために殺害を正当化するような理論武装が行われていった。そしてそれが、坂本弁護士一家殺害事件や松本サリン事件などの複数の殺人事件を経て、ついには地下鉄での無差別殺人事件にまでエスカレートしていったのだった。
     それにしてもなぜオウムがそこまで先鋭化したのか。なぜ1万5000を超える人々が、ハルマゲドンだポアだといった、悪い冗談としか思えないような理屈を謳った教義に引き寄せられていったのか、20年前われわれは、もう少しそれを真剣に問わなければならなかった。オウムは決して社会から隔絶された突飛な事件ではなく、当時の日本社会に内在する矛盾が危険な形で吹き出したものだった可能性が高いからだ。
     地下鉄サリン事件から20年が経過した今日、あの事件からわれわれはどのような教訓を得ることができるだろうか。事件当時、ジャーナリストとして第一線でオウムを取材していた神保哲生による当時の取材映像などを交えながら、ゲストの島田裕巳氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

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    今週の論点
    ・オウム関連事件を振り返る
    ・オウムの実態と、教祖麻原の“被害妄想”
    ・日本人に欠けていた、自己啓発や新興宗教の手法に対する免疫力
    ・オウムとイスラム国の符号と、サリン事件の教訓
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