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記事 25件
  • コナー・マクレガー戴冠劇を読み解く■MMA Unleashed

    2015-07-17 08:36  
    55pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回は今年最大の盛り上がりを見せたメンデスvsマクレガー!

    UFC年間最大級のビッグマッチ、「UFC189:メンデス vs. マクレガー」は、アイルランドのコナー・マクレガーがチャド・メンデスをKOし、UFCフェザー級暫定王座を獲得して幕を閉じた。今回は、大きな反響を呼んだこの試合を、米MMAメディアがどのように評したか、さまざまな視点からの分析を紹介しよう。
    ●UFCは記録的な金額を「アルド vs. マクレガー」のプロモーションに積んだ。アルド欠場が決まった後も、すでに多くのチケットが売られていたため、マクレガーは出場せざるを得なかった。試合を延期してアルドの復調を待つという方法もあったし、マクレガーにそれほど厳しくない対戦相手をあてがうこともできたはずだった。
    しかしUFCは、トップコンテンダーで、フェザー級最高のレスラーであるチャド・メンデスを代役にたてた。マクレガー台頭にケチがつくとすれば、UFCがマクレガーをレスラーからプロテクトしてきたという点にあった。もっとも今回のマクレガーは、メンデスと違い、フルキャンプを張って練習をしてきたという点で優位ではあった。
    これはUFCにとっても、金銭的にいって、史上最大のギャンブルとなった。
     
  • “プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?■小佐野景浩のプロレス歴史発見

    2015-07-15 19:36  
    110pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回はかつて世界のプロレス界を牛耳っていたプロモーター連合組織「NWA」の盛衰からプロレスの流れを読み解く! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

    非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! par17は大好評インタビュー7本、6万字オーバーで540円!!  試し読みも可能です! http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar821226par17◉高岩竜一 90年代ハチャメチャ新日本プロレス「ボク、新日本に9年しかいなかったんですけど、おそらくいまの新日本プロレスの選手よりも給料をもらってたと思うんですよね」◉小佐野景浩のプロレス歴史発見「癌に勝った絶対王者・小橋建太」

    「小橋は凄く研究熱心で、力道山や猪木さんの試合を見て、間合いの勉強もしたみたいだよ。一流のレスラーだけあって奥深いプロレス哲学を持ってるけど、彼は口にしない。そこは昔気質のプロレスラーなんだろうね」
    ◉【プロレスなんでも屋】ウォーリー山口「ジャイアント馬場と竹内宏介、ふたつのG魂」二人の巨人に仕えた男、ウォーリー山口が語るプロレス黄金期の裏側――!!◉事情通Zの「プロレス 点と線」世Ⅳ虎引退式で何が起こったのか? なぜ森嶋猛は引退試合を延期したのか?業界のあらゆる情報を線に繋げて立体的に見せる!◉元『週刊プロレス』記者・安西伸一の「90年代プロ格回顧トーク」「SWSバッシング時の週刊プロレス編集部」――ターザン山本からバッシング指令はあったのか?◉大沢ケンジ師匠の格闘技談義網膜剥離を乗り越えて復活勝利! 川尻達也地獄からの生還を語る!◉元横浜ベイスターズ・古木克明インタビュー「プロ野球選手の格闘技挑戦」「『Dynamite!!』のファイトマネー50万円、いまだ払ってもらってないですよ。やめたのはそういう理由があるんです」■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


    ――今日はかつてプロレス業界を支えたNWAやAWAといったアメリカのプロレス団体をテーマにプロレスの移り変わりをお聞きいたします。70・80年代の日本のプロレス界において、とくにNWAは巨大な権威、幻想がありましたね。
    小佐野 というのは、プロレスはアメリカから日本にやってきたスポーツであって、80年代の半ばぐらいまではアメリカがプロレスの本場という認識が強かったわけですよね。わかりやすくいうと舶来物をありたがっていた。
    ――“あこがれのアメリカ”ですね。
    小佐野 そう。当時の各団体の勢力を簡単に説明すると、全米のほとんどのエリアをカバーする連合組織がNWA。ニューヨークを中心とした北東部にはWWF(現在はWWEに名称変更)があり、AWAはミネアポリスを拠点とした中西部地域の一部をカバーしていた。
    ――AWAやWWFと違って、NWAという組織は各地区のプロモーターの集合体になるんですよね。
    小佐野 わかりやすくというと、WWFは独立国的な感じでNWAは合衆国なんですよね。AWAは独立国と合衆国の中間的な存在かな。アメリカのほとんどの州にプロレスのプロモーターが存在してたんです。テキサスなんかは広いから何人もいた。それぞれが独立採算制でやっていたんだけど、NWA世界ヘビー級チャンピオンという共通の王者を認定していて。そのチャンピオンがNWAに加盟している各テリトリーを回る。年間のスケジュールもきっちり決まっていて、世界王者が興行を支えるわけですよね。世界チャンピオンの役目はそのテリトリーの観客動員を増やすこと。それができるレスラーじゃないといけない。
    ――そうなると、NWA王者に求められるものは人気なんですか?
    小佐野 基本的にNWA世界王者はヒールなんです。各テリトリーに存在するローカル王者の挑戦を受けるわけですから、ファンは挑戦者を応援するじゃないですか。ヒールじゃないといけない。
    ――なるほど。たとえば全日本プロレスはNWAに加盟しているけど、全日本にもチャンピオンは存在しますね。そのローカルチャンピオンの挑戦を受けることでその土地の興行に貢献するわけですね。
    小佐野 そうなるとファンに「もうちょっとで勝てそうだ!」とドキドキさせるヒールじゃないといけない。それはもともとはベビーフェイスでもヒールができるかどうかなんです。反則三昧のヒールでなくてもいいですよ。ドリー・ファンク・ジュニアみたいに華麗なテクニシャンぶりが嫌味に見えたりしてもいい(笑)。ルー・テーズが日本に来たときだって、ロープ際で力道山の顔面にパンチを入れたり、そういう小狡いことをやってお客さんを煽るわけですよね。
    ――そうやって「おらが村」の王者に引き立てるわけですね。
    小佐野 逆にプロモーターの集合体ではないWWFなんかは、ブルーノ・サンマルチノというベビーフェイスが王者でいいんです。AWAはNWAのように連合体の側面もあったから、ヒールの王者が多かったかなあ。ベビーだったのはリック・マーテルくらい。ジャンボ鶴田もヒールだったでしょ。やってることは日本と同じなんだけどね。
    ――NWAやAWAに“伏魔殿”のイメージが強かったのは、そういった組織の構造上、ヒール王者が求められていたところもあったんですね。
    小佐野 “幻の王座奪取”、“疑惑の3カウント”が多かったよね(笑)。NWA王者は見かけがムキムキマンで強そうであってもダメだし、もちろん弱くてもダメ。基本、強くなきゃダメなんですよ。中には本当に潰しにくる挑戦者が出てきてもおかしくないから。そこできちんと対処することも世界チャンピオンとしての責務。つまりガチンコに強くないとダメなんだよね。相手は何をしてくるかわからないんだから。
    ――そうするとハーリー・レイスなんかはピッタリだったわけですね。
    小佐野 レイスはスタイルも受けだし、そうして怒ったら本当に怖い(笑)。そこに各地のプロモーターが納得するような人間性も求められるんです。中には才能はあるのにチャンスすら与えられないレスラーもいるわけですよ。たとえばディック・マードックは強くてヒールもできるのに「アイツは無理だろ」と認められなかった。ムラッ気のあるマードックにNWA王者としての責務をこなせるかは不安ですよね。
    ――たしかにマードックは難しそう(笑)。
    小佐野 NWA王者は1週間のサイクルでいろんな土地を渡り歩くわけでしょ。どこへ行っても、それなりのクオリティで試合をこなさないといけない。よく知らない相手といきなり試合をしなきゃいけない。しかも60分フルタイムドローの試合も多かったわけじゃない。
    ――それって凄い技量の持ち主ですよねぇ。四天王プロレス以降の近代日本プロレスって、何回も手を合わせることで試合のクオリティを上げてきましたけど。
    小佐野 ドリーが日本プロレスにNWAチャンピオンとして来日したとき「アントニオ猪木の試合を見たこともない。記者会見で初めて会った」というのに翌日60分フルタイムドローの試合をやったわけだからね。
    ――凄いなあ!(笑)。
    小佐野 そこは猪木さんも凄いんだけど、ドリーのプライドはそこにあったわけだから。誰が相手でも自分は一流の試合ができると。さらに驚愕なのはドリーはキャリア6年でNWAチャンプになったわけだからね。
    ――ドリーって20代で王者になってますけど、エリート中のエリートだったんですね(笑)。
    小佐野 NWA王者のスケジュールは、セントルイスのプロモーターでNWA会長のサム・マソニックが切っていたから。彼が王者の力量があるかどうか認めないとチャンスはもらえないんだけど。ドリーの場合は父親のシニアがプロモーターとして力を持っていたとこもあるんだろうけど。アマリロのシニアがドリー、カンザスのボブ・ガイゲルがハーリー・レイス、フロリダのエディ・グラハムがジャック・ブリスコという一流レスラーを抱えていた。
    ――政治力がモノを言う世界でもあったんですか?
    小佐野 そういうわけでもない。だって自分のテリトリーから世界チャンピオンが出たら、そのレスラーは世界中をサーキットしないといけないんだから。自分のテリトリーに常時いたスターがいなくなっちゃうわけだからね(笑)。だからちゃんと次期エースを確立しておかないといけないんだよね。
    ――変な話ですけど、そんなに多忙だと、チャンスがあってもNWA王者になりたくないレスラーもいたんじゃないですか?
    小佐野 ドリーはもうなりたくなかった。テリーもたぶんなりたくなかった。それは家庭が壊れちゃうから。テリーはNWA王者時代に離婚しちゃって、チャンピオンから陥落してから再婚してる。チャンピオンのままだと離婚した奥さんを迎えにいけなかったんでしょう。
    ――サーキットに出っぱなしでほとんど家に帰れなかったんでしょうしねぇ。
    小佐野 だから「もういいや、NWA王者は無理!」というレスラーはいたのかもしれないね。やっぱり責任が大きいもん。
    ――そう考えると8度もNWA王座に就いているハーリー・レイスは、おかしなことやってますよね(笑)。
    小佐野 だって自分だけの身体じゃないからね。ケガして欠場したらプロモーターが困るんですよ。
    ――ケガすらできない!
    小佐野 だってケガして休んだらスケジュールに穴を空けて、そのテリトリーに不利益をもたらすわけだから。
    ――お話を聞くと、アンドレ・ザ・ジャイアントがNWA王者になれなかった理由がわかりました。いろいろと無理かなあ。
    小佐野 まずアンドレだとベビーフェイスすぎるでしょ。世界中どこに行っても人気者だし、それにアンドレがNWA王者だと……挑戦者が勝てそうな感じがしないでしょ(笑)。
    ――勝利への期待感がないわけですね(笑)。
    小佐野 だからアンドレはピープルズ・チャンプというかたちのスーパースターだったんだろうね。
    ――ところで小佐野さんが認めるNWA最高の王者は誰になりますか?
    小佐野 そうですね……やっぱりドリーかなあ。レイスもよかったと思うけど、日本人は世界チャンピオンをヒールとして見ないじゃない。リスペクトの対象に見てるから。そういう意味ではレイスはヒール色が強いよね。ドリーは初来日のときはシニアがセコンドとしてリング外からちょっかいを出していたけど。基本はレスリングの実力者としてのイメージが強かったからね。
    作/アカツキ――リック・フレアーはどうですか?
    小佐野 フレアーになると、プロモーターが認めるNWA世界チャンピオンのイメージだよね(笑)。相手の攻撃に「NO!NO!」と怯んでさ。それにフレアーはそんなに身体が大きくないでしょ。地元のファンは「フレアーになら勝てるだろ!」と思うわけですよ(笑)。
    ――輪島が挑戦したときすら「もしや……」と思わせる雰囲気はありましたね(笑)。
    小佐野 でも、WWEがハルク・ホーガンを擁して全米侵攻したときにNWAは太刀打ちできなかったわけですよね。テレビというメディアで全米に試合が流れるようになったら、チャンピオンは強いベビーフェイスでいいんですよね。ファンからすれば、ホーガンという圧倒的に強いベビーフェイスのチャンピオンを見たあとに、NWAのヒール王者を見ると「……なんだこりゃ?」って思いますよね。
    ――テレビプロレスによって歴史的転換が起きたんですね。このインタビューの続きと天田ヒロミ、横井宏孝、巌流島中止の謎、川尻達也、康芳夫、笹原圭一書評などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar841870 
  • 失敗しないMMAチケット購入術■「MMAオレンジ色の手帖」

    2015-07-15 19:29  
    33pt
    格闘技ブログ「MMA THE ORANGE」の管理人オレンジがディープなエピソードをお届けする「MMAオレンジ色の手帖」! 今回は「失敗しないMMAチケット購入術」!2005年くらいから本格的に格闘技観戦を始めるようになった私。年々その闇雲さに拍車がかかり、今では年間40大会は会場に足に運んでいるでしょうか。リングス時代のヒョードルからPRIDEの絶頂と消滅、パンクラスのbodogとの提携、ADCCアジア最終予選での山本聖子の快進撃などなど、リアルタイムで目の当たりにしてきたのは何物にも代えがたい貴重な体験です。その反面、ボディブローのようにジワジワと効いてくるのがチケット代金。地味に節約して一番安価な席にしたとしても1大会あたり約6000円。40大会だからざっくり計算で24万円。そんな生活をもう10年続けているから総額240万円は格闘技のチケットに投資している計算になります。そこに物販コーナーで購入するTシャツやほぼ毎回食べるディファカレーの代金を加算していったら…エンゲル係数ならぬMMA係数は我が家の家計をどれだけ圧迫しているのかと軽く目まいがしてきました。ここまで極端でないにしても、少しでも安く観戦したいというのがファンに共通する切なる願望。そこで今回のMMAオレンジ色の手帖は総合格闘技のチケット価格を大特集。価格の変遷を振り返りつつ、お得に観戦するためのマル秘テクニックを探していきたいと思います。題して「失敗しないMMAチケット購入術」。今宵も電波と充電の続く限りよろしくお願いします。 
  • 「江口寿史の正直日記/江口寿史」■笹原圭一の書評やれんのか2015

    2015-07-13 10:03  
    55pt
    かつてはPRIDEやDREAMの運営に携わり、格闘技界一の読書家として知られる笹原圭一氏がお送りする書評コーナー。今回取り上げる本は「江口寿史の正直日記/江口寿史」です!久しぶりにケタ違いのズンドコに遭遇して、不謹慎にもワクワクしている笹原です。

    何かって?決まってるじゃないですか、2,500億円かけて誕生する新国立競技場ですよ。
    デザイン公募から決定、そして今に至るまで、「これぞズンドコ」と言える迷走ぶりに、「神戸ウィングスタジムア以来の超ド級のズンドコだ!」と、わたしのなかのズンドコ太皷が鳴り響いているわけです。

    こういうズンドコのときに必ず見かける光景は、誰もが「俺はさわってねえですから」状態。責任を持って説明する人がいないという状況です。誰もが当事者なのに、全員が部外者みたいな顔をしている。

    で、現状で一番槍玉に上がっているのは、スタジアムのデザインを決定した責任者、なんでんかんでんの元社長の川原氏。違った、世界的建築家の安藤忠雄氏です。顔が似てるから間違えそうになるので、みなさん注意しましょう。安藤忠雄は「マネーの虎」には出ていません。

    確かに、ここまで巨額に膨れ上がる原因となったデザインが、どのような経緯で決定されたかを説明すべきかと思いますが、先日行われた説明会に安藤氏は当然のように欠席。安藤忠雄でググると、関連ワードに「欠席」「逃げた」「無責任」といった単語がズラズラ出てきて、ズンドコ感を覚えずにはいられません。
    ここはちゃんと顔を出して「すいません。計画はゼロからやり直します。ノーマネーでフィニッシュです」とか言わない限りは、国民の怒りは収まらないでしょう。本人がどうしても無理ならば、代わりに川原社長でもいいや、この際。「替え玉でわたくしが説明します」とやれば、みんな「お、ラーメンだけに」と、笑って許してくれるはずです(許しません)。この続きと天田ヒロミ、横井宏孝、巌流島中止の謎、川尻達也、康芳夫などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar841870 
  • 今後の課題■二階堂綾乃のオールラウンダーAYANO

    2015-07-13 00:46  
    33pt
    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、ついに格闘技デビューをしてしまった。今回はデビュー戦を終えてみての感想。6月28日、「湘南魂」が無事終了しました。
    初めての試合なので頑張りました。主にコスチュームを。

    今回は会場がアイスリボン道場だったので女子プロレスラーのコスチュームにしようと思い、ダンプ松本選手を選択しました。コスチュームは素敵にダンプなのに素材が違いすぎて全然似なかったことが悔やまれます。そしてダンプ松本選手のチャームポイント、額のハーケンクロイツを「このマークを見て不快になる方がいたらどうしよう…ドイツ人の方がいたらどうしよう…」と心配になり書けなかった自分は似非ヒールです。そんなことを微塵も気にしていないダンプ松本選手は本物だと、同じ格好をしてみて初めてダンプ松本選手の偉大さがわかりました。
     
  • 【リングスの怪物くん】横井宏考「格闘技は前田さん、プロレスは橋本さんが師匠でした」

    2015-07-09 14:45  
    110pt
    リングスでプロデビュー前から“怪物くん”の異名をつけられるほどそのポテンシャルを評価されていた横井宏考。リングス休止後はMMAだけではなくプロレスのリングでも活動。二足のわらじを履いていたが、2007年のMMAを最後に突然現役を引退してしまった――。日本格闘技界の将来を嘱望されていた“怪物くん”は、狂騒のゼロゼロ年代をどう生き抜いていたのか。イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!
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    非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! par17は大好評インタビュー7本、6万字オーバーで540円!!  試し読みも可能です! http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar821226par17◉高岩竜一 90年代ハチャメチャ新日本プロレス「ボク、新日本に9年しかいなかったんですけど、おそらくいまの新日本プロレスの選手よりも給料をもらってたと思うんですよね」◉小佐野景浩のプロレス歴史発見「癌に勝った絶対王者・小橋建太」

    「小橋は凄く研究熱心で、力道山や猪木さんの試合を見て、間合いの勉強もしたみたいだよ。一流のレスラーだけあって奥深いプロレス哲学を持ってるけど、彼は口にしない。そこは昔気質のプロレスラーなんだろうね」
    ◉【プロレスなんでも屋】ウォーリー山口「ジャイアント馬場と竹内宏介、ふたつのG魂」二人の巨人に仕えた男、ウォーリー山口が語るプロレス黄金期の裏側――!!◉事情通Zの「プロレス 点と線」世Ⅳ虎引退式で何が起こったのか? なぜ森嶋猛は引退試合を延期したのか?業界のあらゆる情報を線に繋げて立体的に見せる!◉元『週刊プロレス』記者・安西伸一の「90年代プロ格回顧トーク」「SWSバッシング時の週刊プロレス編集部」――ターザン山本からバッシング指令はあったのか?◉大沢ケンジ師匠の格闘技談義網膜剥離を乗り越えて復活勝利! 川尻達也地獄からの生還を語る!◉元横浜ベイスターズ・古木克明インタビュー「プロ野球選手の格闘技挑戦」「『Dynamite!!』のファイトマネー50万円、いまだ払ってもらってないですよ。やめたのはそういう理由があるんです」■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


    ――須藤元気プロデュースの柔術イベント『一騎打』(5月17日)で横井さんはひさしぶりに表舞台に姿を現しましたけど、引退後は格闘技には関わってなかったんですよね?横井 完全に離れてましたね。2007年に引退してから格闘技は一切やってなかったんですけど、去年の9月に柔術を始めたんですよ。――もう一度格闘技をやろうと思ったのはどんな理由があったんですか?横井 いや、格闘技をやろうという感じではないんですよね。いまは会社で働いているので現役のときのように練習する時間もそれほどないですし、趣味の一つとして柔術の黒帯でも目指してみようかなって(笑)。一般会員としてイチから柔術を学んでます。プロとして格闘技をやることはもう考えていないですけど。――『一騎打』はアマチュアのイベントですもんね。そのわりにはその筋のビッグネームが多く参戦してるんですけど(笑)。横井 柔術の世界って帯のカテゴリーごとに試合があるので、黒帯の人と試合する機会はないじゃないですか。『一騎打』で黒帯の杉江(アマゾン大輔)選手と戦えたことは貴重な経験ではありましたね。――今日は横井さんの現役時代のお話をうかがいたいですけど、いつ頃からプロ格闘家志望だったんですか?横井 小さい頃からプロレスファンでプロレスラーになりたかったんです。中学のときは前田(日明)さんに憧れていて。ホントは中学卒業したらリングスに入りたかったんですけど、親に「高校だけは行ってくれ」と泣かれて(笑)。結局大学にも行くことになったんですけどね。――高校の時点で身体は相当大きかったんですよね?横井 高校のときは柔道部と並行しながら相撲もやってましたからね。120キロくらいありました(笑)。――まさに“怪物くん”!(笑)。横井 ウチの柔道部は変わっていて相撲もやってたんですよね。柔道ではインターハイにはダメでしたけど、相撲でインターハイに出ました(笑)。――それなら相撲部屋から勧誘もあったんじゃないですか?横井 そんな話もちょっとあったんですけどね。でも、目標はリングスに入ることでしたから。でも、とりあえず柔道の推薦で近畿大学に入りました。――近畿大学のときは旧UWFの森(泰樹)さんのジム、ライルーツコナンに通われてたんですよね?横井 森会長のところには大学の3年の頃から通ったんですけど。それもやっぱりリングスに入りたかったんで、その準備をするというか。ジムに入会するときに「大学卒業したらリングスに入ろうと考えてます」という話もして。――当時はPRIDEが始まるか始まらないかの時期ですが、どんな練習をされていたんですか?横井 ボクが通った頃はまだPRIDEは始まってないですね。練習はいまとそんなに変わらないです。森会長が技を教えてくれて、みんなでスパーして。ジムの先輩に池本誠知さんがいたんですけど、極めが強かったですよね。――池本さんのファイトスタイルは“U系”っぽいですよね。横井さんはコナン時代に偽名で修斗に出てるじゃないですか? 「阿部新也」として(笑)。横井 そうなんですよね(笑)。いまだから言えるんですけど。近畿大学には柔道の推薦で入ってるので、柔道以外の格闘技をやるのはよくないんじゃないかって考えて。森会長にも相談して偽名で出ようと。――バレなかったですか?横井 柔道部の監督にはバレなかったです。柔道部の仲間は応援に来てくれたんですけど(笑)。――横井さんが目標にしていたリングスは、旧ルールからKOKルールに移行していた時期ですよね。横井 ボクが入ったときはKOKルールでしたね。でも、ルールに関係なくとにかくリングスに入りたかったんで、柔道部の先輩に高阪(剛)さんの知り合いがいたんです。その方からリングスに話をしてもらって、入門テストを受けることになったんですけど。――というと、大学時代は就職活動は何もしてなかったんですか?横井 全然してなかったです。リングス一本。警察方面とか、いろいろと就職のお話もいただいていたんですけど。――大学の柔道部を4年務め上げたら就職先はありますよねぇ。横井 それなのに親にはリングス入りの話を全然してなかったんですよ。――あれまー(笑)。横井 母親が北海道の柔道関係者からリングス入りの話を聞いたらしくて。電話で泣かれましたねぇ。――そりゃ泣きますよ(笑)。入門テストのときは横井さんのほかに何人受けたんですか?横井 ボクひとりだけですね。――ひとりだけ!(笑)。横井 はい(笑)。そんときはボク以外受ける人がいなかったんでしょうね。ボクが入門したあとも、テストを受けたのはひとりだけでしたし。――希望者がいれば受け付けるかたちなんですね。それ、メチャクチャ緊張しますね(笑)。横井 「やっと憧れの世界に足を踏み入れるのか……」という緊張はありましたねぇ。中学生の頃からの夢でしたから。――入門テストはどんな内容だったんですか?横井 まず50メートル走があって、スクワット500回、腕立ては限界まで。ボクは90回やったのかな。そのあとブリッジが3分。そこらへんは森会長に言われてたんですね。「これくらいはできないと無理だ」ということで。あとスパーリングもありましたね。――誰とスパーをやったんですか?横井 伊藤(博之)さんですね。――リングスジャパン最後にデビューした男・伊藤さん。テストは前田さんがチェックされてたんですよね?横井 はい。前田さんがいらして。入門テストを受ける前に前田さんにはお会いしてるんです。大阪のどこかの大学の講演会に来られてて、そのときに初めて挨拶して。――テストの合否はその場で伝えられたんですか?横井 ……と思うんですど(笑)。受かるかどうかドキドキした記憶がないんで。作/アカツキ――リングスの新弟子はどんな生活だったんですか?横井 朝10時から練習なんですよ。その前に昼のちゃんこの仕込みをやって。基本はボクと伊藤さんが仕込むんですけど。――食材は何人分用意するんですか?横井 何人分ですかね……。その頃は田村(潔司)さんが抜けて、山本(宜久)さん、成瀬(昌由)さん、坂田(亘)さんもやめて……。――続々と日本人選手が抜けた時期だったんですよねぇ。では、接触のない先輩が多いんですね。横井 坂田(亘)さんはゼロワンで一緒になりましたけど、リングス時代は1〜2回くらいしか会ってないんですね。――入門早々の選手離脱はどう思われたんですか?横井 前田さんが引退したあとは田村さんのことが好きだったんで。田村さんがリングスを抜けると聞いて「……あれ?」ってショックはありましたね(笑)。――ああ、リングス好きだったら、田村潔司にも憧れますよね。横井 UWFが好きな人はそうなりますよね(笑)。でも、先輩がいなくなったから、デビューも早くなったんですけど。――入門4ヵ月でデビューするって身体はできていたということですよね。前田さんの口癖は「体重何キロ?」でとにかく身体を大きくさせたがるじゃないですか。横井 ボクは何も言われなかったですけどね。「食え!食え!」とは言われてたんですけど、とくにちゃんこのノルマもなかったですし。そのときは100キロ超えていたので(笑)。――ああ、増やす必要がなかった(笑)。横井 身体をでかくするために、練習が終わったあとに500ミリ缶のビールを一気飲みさせられたことがありましたけど。練習直後だからキツかったですね(笑)。――ビールを飲ませるのは新日本イズムなんですかね(笑)。前田さんは毎日道場に来られてたんですか?横井 一時期来られてたんですけど、基本お忙しいので。前田さんの練習は昔ながらなんですよね。スクワット500回やったあとに、ジャンピングスクワット100回やって、次は80回、その次は60回、40回、20回と……(笑)。――聞いてるだけで嫌になります(笑)。横井 腕立て伏せを限界までやって。股割りで後ろからガンガン押されて。みんな筋膜炎になって動けないでいると「俺の若い頃は倍はやったぞ!」って怒られるんですけど(笑)。――それは横井さんと伊藤さんがやらされるんですか?横井 前田さん練習をやってたのはボク、伊藤さん、滑川(康仁)さんですね。――滑川さんはデビューしてますよね?(笑)。横井 されてますね。デビューして5年経ってもその練習をしてましたから。――デビュー5年経っても!横井 凄いなと思いました。このインタビューの続きと天田ヒロミ、巌流島中止の謎、川尻達也、康芳夫、笹原圭一書評などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar841870 
  • 今年最大の欠場劇の裏事情――それでもジョセ・アルドは首を縦に振らなかった■MMA Unleashed

    2015-07-09 14:45  
    34pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回は今年最大のビッグマッチ、ジョセ・アルドのコナーマクレガー戦欠場の裏事情!


    ワールドツアーを敢行するなど、UFC史上もっとも念入りでカネのかかったプロモーションで盛り上がりも最高潮に達していたビッグマッチを2週間前に控えて、ジョセ・アルドがあばらの損傷により試合を欠場することを発表した。挑戦者コナー・マクレガーは、代役チャド・メンデスと、フェザー級暫定王座を掛けてMGMグランドでの5ラウンド戦に臨む。この試合の勝者が、秋頃にアルドと統一戦を行うことが濃厚だ。

    「アルドのコーチから、あばらの痛みが強く、試合ができないと連絡があった」。落胆の色を隠せないダナ・ホワイトがESPNの番組で明らかにした。「ジョセ・アルドがタイトル戦を欠場するのはこれで5回目だ。しかしコナーは準備万端、そしてランキング1位の男、チャド・メンデスも準備万端だ。だから暫定王座を制定するのは当然だ。アルドのケガが治ったら、統一戦を行うことになる。けしていい気分ではない。この試合のプロモーションには大金を使った。多くのファンがこの試合に期待してくれていた。残念だ」
     
  • 生活保護生活からの一発逆転!コナー・マクレガーの成り上がり人生①■高橋ターヤンのMMA予備校

    2015-07-07 09:40  
    34pt
     新連載! 映画ライターにして北米事情通の高橋ターヤンが気になるMMAファイターやニュースを取り上げ、過去と現在を繋げて未来を見据える。初回はいま最も熱い男「コナー・マクレガー」だ!
    UFCのビジネスは常に変化し続けている。
    かつては多くのスター選手を抱え、100万件のPPV売上を次々と打ち出してきた。だが現在は“スター選手商売”からは一歩引き、あくまでもUFCブランドを全面に押し出して、むしろそうしたスター選手たちを作り出そうという動きが急速になくなっているようにすら見えている。それはスター選手の生み出す利益が、スター選手が持ち込むリスク、コストとのバランスが悪くなっているからに他ならない。
    しかしそんな中、唯一の例外と言えるほどUFCの猛プッシュを受けているのが、ロンダ・ラウジーとコナー・マクレガーであり、特にマクレガーへのプッシュは尋常ではない状態だ。 
  • プ女子が格闘技をやってみた結果/二階堂綾乃インタビュー

    2015-07-07 09:38  
    55pt
    新日本プロレスの後楽園ホール大会がガラガラだったときから見続けてきたプ女子が格闘技ジムに通いだして、ついに格闘技デビュー! 7月には柔術の試合を控える、当サイトでイラストコラムを連載中の二階堂綾乃女史に話を聞いてきました〜。女子が格闘技をやる最大の悩みは何か……!?――アマチュアとはいえ、ついに格闘技デビューしてしまいましたねぇ。緊張はされました?
    綾乃 試合は全然緊張しなかったんです。いつものスパーをリングの上でやる感じでしたし。それより入場のほうがドキドキしました(笑)。
    ――そこはプロレスファンの性なんですかね(笑)。
    綾乃 私が出た『湘南魂』という大会は試合は真剣だけど、コスプレして入場していいし、けっこう自由なんですね。
    ――二階堂さんは極悪同盟のダンプ松本コスプレで入場しましたね。試合は残念ながら一本負けでしたが……。
    綾乃 私は身体が柔らかいので関節はなかなか極まらないんですけど、事前に「かたちが入ったら凄く早く止めるよ」とKEI山宮先生に言われていたので……。
    ――二階堂さんはGRABAKAに通ってるんですよね。KEI山宮は日本格闘技界の礎を築いたレジェンドですよ!
    綾乃 山宮先生がそんなに有名な選手だって知らなくて。周りの40代のプロレスファンに話をすると、みんな知ってるという。私は普通のネコ好きのオジサンという認識しかなかったんです。いつも靴の中敷きが猫の毛まみれなんですよ(笑)。
    ――『湘南魂』というから、てっきり湘南方面にやるもんだと思ってたんですよね。会場を調べたらアイスリボンの道場だったんで(笑)。
    綾乃 前は湘南でやってたんですけど、去年からなかなか会場が取れなくて。今回の会場を借りるのも大変だったらしいです。アイスリボンの道場で地下格闘技イベントをやったときに使い方が悪かったらしいですよね。だから格闘技には貸したくないという話だったんですけど、山宮先生が「『湘南魂』はそういうものとは違うんです!」と一生懸命説明してやっと借りれたそうです。
    ――山宮さんは黎明期から今日までいろんなかたちで格闘技と関わってるんですね。
    綾乃 山宮先生は『湘南魂』の前日にハードヒットに出てますし。『湘南魂』をやりたいがために2つくらい試合を断ってるみたいです(笑)。
    ――二階堂さんがGRABAKAに通うようになってどれくらいですか?
    綾乃 1年くらいですね。週に3〜4回は通ってます。自分が習いたい授業に出てるんですけど、だいたい柔術コースが多いです。ノーギより柔術が好きです。このインタビューの続きと天田ヒロミ、横井宏孝、巌流島中止の謎、川尻達也、康芳夫、笹原圭一書評などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar841870 
  • 【網膜剥離を乗り越えて】川尻達也インタビュー「目のケガは生まれ変わるための試練だった」

    2015-07-03 07:31  
    72pt
    3度目の網膜剥離を乗り越えて6月20日UFCベルリン大会で復帰。デニス・シヴァー相手を3ラウンドに渡って封じ込め判定勝利を飾った我らが川尻達也。一時は引退の二文字が脳裏をよぎった37歳の男は、苦難の復帰戦を迎えるまでに何があったのか――。還ってきた川尻達也の声を聞け!
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    非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! par17は大好評インタビュー7本、6万字オーバーで540円!!  試し読みも可能です! http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar821226par17◉高岩竜一 90年代ハチャメチャ新日本プロレス「ボク、新日本に9年しかいなかったんですけど、おそらくいまの新日本プロレスの選手よりも給料をもらってたと思うんですよね」◉小佐野景浩のプロレス歴史発見「癌に勝った絶対王者・小橋建太」

    「小橋は凄く研究熱心で、力道山や猪木さんの試合を見て、間合いの勉強もしたみたいだよ。一流のレスラーだけあって奥深いプロレス哲学を持ってるけど、彼は口にしない。そこは昔気質のプロレスラーなんだろうね」
    ◉【プロレスなんでも屋】ウォーリー山口「ジャイアント馬場と竹内宏介、ふたつのG魂」二人の巨人に仕えた男、ウォーリー山口が語るプロレス黄金期の裏側――!!◉事情通Zの「プロレス 点と線」世Ⅳ虎引退式で何が起こったのか? なぜ森嶋猛は引退試合を延期したのか?業界のあらゆる情報を線に繋げて立体的に見せる!◉元『週刊プロレス』記者・安西伸一の「90年代プロ格回顧トーク」「SWSバッシング時の週刊プロレス編集部」――ターザン山本からバッシング指令はあったのか?◉大沢ケンジ師匠の格闘技談義網膜剥離を乗り越えて復活勝利! 川尻達也地獄からの生還を語る!◉元横浜ベイスターズ・古木克明インタビュー「プロ野球選手の格闘技挑戦」「『Dynamite!!』のファイトマネー50万円、いまだ払ってもらってないですよ。やめたのはそういう理由があるんです」■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


    ――昨日まで偏頭痛で苦しんでいたようですね。
    川尻 2日間ずっと寝てましたね(笑)。何も食わずに水分だけ摂って。
    ――改善策ってないんですか?
    川尻 ないっすね。耐えるしかないです。ボクの場合はだいたい2日もすれば収まるんですけど。
    ――ずっーーーと頭が痛いんですよね?
    川尻 ずっと痛いんですよっ!
    ――それはたまらないですね……。その症状は生まれつきなんですか?
    川尻 子供の頃からですかね〜。でも、偏頭痛という認識を持ったのは、『DREAM・3』のルイス・ブスカペ戦なんですけど。
    ――ブスカペ! ずいぶんと懐かしい名前が出てきましたね(笑)。
    川尻 試合5日前のときに夜寝られなくて、真っ暗の中でゲームボーイアドバンスの『ダービースタリオン』をやってたんですよ。そうしたら眼精疲労なのか凄く気持ち悪くなって、試合ができないじゃないかって思うくらい……。
    ――あわや『ダビスタ』で欠場ですか(笑)。
    川尻 試合2日前に調子が戻ってきて試合はできたんですけど。暗いところで目を酷使すると具合が悪くなるんだなってことが初めてわかって、それからは気をつけるようにしたんですけど。今回はゲームをやっていたわけじゃないので、試合の疲労じゃないですかね。以前も試合後に頭が痛くなりましたから。試合が終わったから心も身体も緩んで、時差ボケもあるから夜遅くまで起きてましたからね。
    ――日常的に偏頭痛に襲われてる人もいるみたいですね。
    川尻 いやあ、地獄だと思いますよ。ボクは1年に数回だし、練習を休んで家で寝てればいいですけど。それでも会社で行かないといけない人もいるわけじゃないですか。 
    ――なってみないと苦しみはわからないですよね。花粉症もそうじゃないですか。
    川尻 花粉症もきつかったですねぇ、今年。
    ――あら、花粉症持ち。
    川尻 花粉症で熱が38度4分出ました。その状態で(桜井)隆多さんの試合のセコンドでアブダビに行ったんですよ。そうしたらアブダビに近づくたびに体調が良くなって、着いたときには平熱で。アブダビに着いたその日からホテルのジムでトレーニングできましたからね。
    ――花粉症になってどれくらいですか?
    川尻 7〜8年くらいですからね。
    ――花粉症は偏頭痛よりは対策がありますよね?
    川尻 いやあ、ボクは何もしていないですね。放っておく。薬はあんまり信用していないです。
    ――薬の力は凄いじゃないですか。MMAにおいても(笑)。
    川尻 ハハハハハハ。今回の追い込み練習のときにすぐにスタミナが切れてたんですよ。ミットをやってもすぐに息が上がっちゃって。疲労が溜まってるのか、足を使うスタイルに変えたのが影響しているのか……なんて思っていたら、ジムの人に「川尻さん、最近疲れやすくなってないですか?」って言われて。「もしかしたら鉄分が欠乏してるかもしれないですよ」と。それで鉄分のサプリを摂ったら翌日から凄く動けるようになって(笑)。
    ――凄いなあ、サプリって。
    川尻 貧血気味だったらしくて。サプリってホントに効くんだなって(笑)。ボクはプロテインくらいしか摂ってなかったんですからね。
    ――そのアドバイスがなかったら試合も危なかったわけですね。
    川尻 スタミナ、ヤバかったですね。ホントはもっとサプリを摂ったほうがいいんですけど、何がどう効くのかがよくわからないんですよね〜。
    ――選手同士で情報交換はしないんですか?
    川尻 話はするんですけど、「アレを摂って、ソレを摂って……」とか面倒くさいし、やってもあんまり体感がないから。練習中は動けるように糖質だけは摂ってるんですけど。
    ――大沢(ケンジ)さんも似たようなことを言ってましたね。効いているのか効いていないのかわからないから、やらなかったという(笑)
    川尻 ボクの周りでその方面に詳しいのは山田崇太郎と、今度北岡(悟)くんと試合をする岡野裕城。アイツらは超詳しいですね。今回もアイツらに教わった減量をやりましたから。
    ――今回はいつもと減量方法が違ったんですか?このインタビューの続きと天田ヒロミ、横井宏孝、巌流島中止の謎、康芳夫、笹原圭一書評などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar841870