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何がやりたかったんだ「ジャイアント魔神&ニュー・ストロング魔神」■ズンドコ・トラブル興行研究会<漁師JJ・編>
2017-06-21 16:1355pt
「ズンドコ・トラブル興行研究会」!! プロレス格闘技のウラに精通する書き手たちがマット界を騒がせたズンドコな事件を振り返ります! 今回はプロレスブログ「多重ロマンチック」の漁師JJさん。今回のテーマは「何がやりたかったんだ「ジャイアント魔神&ニュー・ストロング魔神」です!
人間生きていれば、振り返った時に「あれはなんだったんだろう」ということがある。唖然とし、あっけにとられることがある。
2004年5月3日、東京ドーム。第1弾カードとして発表されたのは「藤波辰爾&曙vsハルク・ホーガン&天龍源一郎組」誰も思い出にも残っていない通り、いのいちばんに流れたカードで、これはこれで「あれはなんだったんだろう」なのだが、アントニオ猪木を神と崇める魔界倶楽部が「神、猪木が送り込んだという以外、いっさいにプロフィールが不明」という謎の身長250センチの2人組、ジャイアント魔神&ニュー・ストロング魔神を招へい。最初で最後の参戦となった日だ。この続きと、ヤマケン激白、大槻ケンヂ、ミノワマン、北岡悟、所英男、船木誠勝の真実…などの記事がまとめて読める「1 2万字・記事詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1291553この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック!
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【全文公開】“結局UFCに行かなかった男”――ヒョードルとUFCの10年愛憎劇総まとめ■MMA Unleashed
2017-06-16 16:31Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは……ベラトールNYC直前! ヒョードル、ついに登場!
“結局UFCに行かなかった男”とUFCとの10年愛憎劇総まとめ
6月24日(現地時間)にニューヨーク、マジソン・スクエア・ガーデンで開催される『ベラトール:NYC』。そのダブルメインイベントに登場するのが、“ラストエンペラー”こと、エミリャーエンコ・ヒョードルだ。今回がベラトールでのデビュー戦となるヒョードルの対戦相手は元UFCのマット・ミトリオン。もともとは今年2月、サンホセ大会で組まれていたカードだが、試合直前にミトリオンが尿道結石を発症し試合がキャンセルされていた。ヒョードルにとってはちょうど1年前にEFNでファビオ・マルドナドと対戦、千鳥足殺法で疑惑の判定勝ちを奪って以来の試合となる。
現在40歳、ロシアMMA連盟、ベルゴロド地方議会、フィジカル・フィットネスおよ -
【2万字超えの激白】山本喧一インタビュー「高田延彦、田村潔司…真剣勝負とUインターの愛憎物語」
2017-06-15 21:37153ptUWFが知りたいからこそヤマケンの話が聞きたい! 現在北海道・札幌で格闘技ジムを運営する山本喧一ロングインタビュー。真剣勝負の大波がU系に押し寄せてきた90年代中盤から末期、UWFインターやリングスでは何が行なわれていたのか。「田村潔司は偽善者」発言が生み落とされた「真剣勝負とUインターの愛憎物語」を2万7000字のボリュームでお届けします!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!<関連企画>【検証「1984年のUWF」】船木誠勝「えっ、そんなことが書かれてるんですか? それは全然違いますよ」「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」/『1984年のUWF』はサイテーの本!『1984年のUWF』には描かれなかったリングスの実態……■金原弘光中野巽耀「一番尊敬できた先輩は高田延彦だよ」 山本宜久「ヒクソンと戦ってるとき、放送禁止用語が聞こえてきたんですよ…」 謙吾「スーパールーキーが見たリングスvsパンクラス仁義なき戦い」 滑川康仁地獄のリングス前田道場卒業生 横井宏考リングスの怪物くん「格闘技は前田さん、プロレスは橋本さんが師匠でした」 中村大介2014年のUWF――「それでもボクはUスタイルで戦い続けます」 入江秀忠修斗とUを漂流した男「俺は自称UWFじゃないんですよ」 ――いまUWFが再注目されてまして。『1984年のUWF』という本がきっかけなんですけど。
ヤマケン 全然読んでないです。高田さんの『泣き虫』も読んでいないです。周りからいろいろと聞いて「ああ、そういう本なんだ」って。
――UWFというムーブメントを考えるうえで、ヤマケンさんがUFC-Jトーナメントで優勝したときのマイクアピールって凄く重要だと思って、こうして札幌まで伺ったんです。
ヤマケン いまはなきNKホールで田村さんに「オラァ!!」って噛み付いたやつですね(笑)。
「最後に一言だけ。これだけは、新しい時代を築くためには
言っとかなきゃいけないことなんで言わせてもらいます。
ファンのみんな並びに、Uインターの選手全員に大ウソをついた、
田村潔司! コイツだけは大の偽善者です!
俺がリングスをやめた本当の真意はこれです。
さぁ〜、結果出したんで、田村さん、俺と真剣勝負やる根性あったら、いつでもUFC来てください!
真剣勝負って、カッコ悪いっすね。なんとか勝てました。みんな強かったです。今日はどうもありがとうございました!」
――あのときは自分はまだファンの立場だったんですが、控室のコメントを読んだりしていろいろとスッキリしたところがあって。
ヤマケン なるほど、なるほど。
――あの件については何度もインタビューを受けていて「またかよ!」って思われるかもしれませんけど。
ヤマケン いま言われたように、この件については昔からけっこうしゃべってるんですけど、記事になるとマイルドな内容になってるんですよね(笑)。
――それはヤマケンさんが原稿チェックなんかで修正したわけではないんですよね?
ヤマケン いや、こっちはガンガンしゃべってるんですよ。でも、時代によって書きづらいところはあるんじゃないですか。ボクはあの当時から正直にしゃべってるんですけどね。
――なるほど。今日はかなり楽しみです!(笑)。
ヤマケン いやあ、どうですかね。いまは大人になってますからね(笑)。
――ハハハハハハ。大人になった立場から、あの「田村潔司は偽善者」マイクを振り返ってみていかがですか?
ヤマケン あの当時『SRS-DX』という雑誌がありまして、控室の談話がそのまま長文で載ったんですよ。それはいまでも手元にあるので、たまに読み返したりするんですけど。
――試合後の激白も凄く面白いですね。
ヤマケン いま落ち着いた自分から振り返ってみても、実直な気持ちで、そこに嘘や偽りはないですね。でも、あの当時は早すぎましたよね。周りに理解してもらえなかったんですよ。
――突っ込んで聞くわけにいけないですし……。
ヤマケン だからインタビューしてもらっても、マイルドな内容になっちゃうんでしょうね。
――あの「偽善者」マイクもそうですが、ストロングスタイル系の歴史って常に下からの突き上げをくらうというか。猪木さんは馬場さんを挑発しましたけど、その猪木さんが前田さんに脅かされ、その前田さんは船木誠勝・鈴木みのるに、そしてそのUWF自体も修斗に……。
ヤマケン もともとは猪木さんだったと思うんですよ。もしくは力道山先生にあったイデオロギーで、「やるか、やられるのか」のキラーな部分を引き継いたのが猪木さんで。それが前田さん、高田さん、そしてPRIDEにまで及んでいったんだと思うんですね。だからボクらは猪木さんの系統なんだと思います。
――ヤマケンさんはそのUWFどころか、プロレスにすらまったく興味はなかったんですよね。
ヤマケン 全然なかったんですよね。Uインターに入る前は正道会館の内弟子だったんですけど。正道会館がK−1だなんだって全国区になる前の話ですよ。
――正道会館が東京でも格闘技イベントを開催して上昇していく頃ですね。
ヤマケン 正道会館に入るときは卍ヘアスタイルで乗り込んだんですよ。当番らしき人に「空手を習いたいんじゃ!!」ってもの凄く態度が悪くて(笑)。
――ハハハハハハハハ! それって何歳の頃ですか?
ヤマケン 15歳ですね。
――どんな15歳なんですか!?(笑)。
ヤマケン そんな態度ですから当然スッタモンダありまして。「帰れ帰れ!だいたい履歴書を持ってきたんかい?」「履歴書ってなんじゃない!?」と。
――酷いやり取り(笑)。
ヤマケン 当時のボクは勘違してたんですよ。格闘技の道場って気合いが入ってないとダメだと思ってて。
――ケンカ腰のほうが認めてくれるんじゃないか、と。
ヤマケン 住み込みを希望していたんですけど、当時のボクはいろいろとあって住むところがなかったので必死だったんですよね。
――住むところがなかった。
ヤマケン はい。ボクは幼少期から家庭環境が複雑で、義務教育もろくに受けてなかったんです。それくらい家庭がグジャグジャだから中学を卒業したら家を出ますよね。でも、住むところがないと。
――そこで正道会館の内弟子を目指したのはなぜですか?
ヤマケン すさんでいた中学時代に読んだ本が2冊あって。前田さんの自伝『パワー・オブ・ドリーム』と、矢沢永吉さんの『なりあがり』で。その2冊の本は人生を前向きに生きようとするきっかけを作ってくれたんです。前田さんも幼少期は荒れていて、ケンカばかりしていたけど、いまは立派に生きていることに勇気をもらったんです。それでボクも格闘技を習おう!と。でも、それはケンカのためにという不純な動機だったんですけどね。
――前田さんが通った道をなぞろうとしたんですね。
ヤマケン 前田さんの空手の師匠だった田中正吾さんが大阪でやっているという、無想館拳心道という空手道場を探したんですけど、見つからなくて。その頃はリングスが始まってて、そこに正道会館勢が出ていたじゃないですか。これは前田さんが認めている空手なんだろうと。地元の大阪に道場があるし、ちょうどいいやってことで。
――そうて卍ヘアーで乗り込んでいったんですね(笑)。
ヤマケン その日は日曜日なので石井館長は道場に来ない日だったんです。でも、たまたま道場に来て「なんやなんや、なんの騒ぎや?」と。周囲の反応からこの人がボスだってことはわかったので、石井館長に近づいてメンチを切ったんですよ。
――ハハハハハハハハ! 怖いもの知らずの15歳ですね(笑)。
ヤマケン それくらいやらないと認めてくれないと勘違いしてて(笑)。そうしたら石井館長は面白がってくれたんでしょうね。スッと無視して館長室に入っていったんですけど、部屋に来るように呼ばれて。これは最終面接だと思って部屋に入ったら、財布から1万円札をピッと出して「この金で商店街に行って布団を買ってこい!」と。その日から内弟子ですよ。
――粋な計らいですね(笑)。
ヤマケン 普通だったらアウトですよ。そこは石井館長の懐の深さですよね。
――それから正道会館で住み込みで空手をやることになって。
ヤマケン 寮は普通のマンションですよね。佐竹(雅昭)さんは一人部屋で、ボクはアダム・ワットと同じ部屋でしたね。あと内弟子が2人住んでました。
――アダム・ワットと相部屋(笑)。内弟子ってどんな生活なんですか?
ヤマケン 普段はビギンスポーツという正道会館がやってたスポーツ用品店で働くんですよ。正道はもうひとつトップスターというメーカーもやってたんですけど。
――ほかの空手道場が買わなくなるから、正道会館がやってることは伏せていたそうですね(笑)。
ヤマケン そうですそうです、こっそりやってたんです。電話はちゃんと分かれてたんですけど、最初の頃はトップスターもあったからややこくして。
――佐竹さんも間違えて「はい、正道会館です!」って出ちゃったとか。
ヤマケン 格闘技雑誌にはビギンスポーツとトップスターの広告を出してたんですけど、周りは正道会館がやってることは知らなかったですね。ボクは最終的にビギンスポーツの本部長をやってましたから(笑)。
――出世してたんですねぇ(笑)。
ヤマケン サンドバックの具の詰め込みや、レガースのバンドをボンドで貼り付けたりとかの作業なんかをやってたんです。あと、ちゃんこ屋と焼肉屋をやってたので、そこにもローテーションで働きに行ってましたね。
――スポーツ用品だけじゃなくて飲食店も手がけてたんですね。さすが石井館長やり手ですね。
ヤマケン ボクが入ったあとに内弟子の第2期生を募集して、最終的に15人くらいまで増えたんですよ。だけど、ほとんどやめました。やっぱりキツかったと思うし、正道会館がリングスに出始めた頃だったんで、プロレスラー志望の人間が多かったんですね。
――空手とプロレスでは路線はだいぶ違いますよね。
ヤマケン 空手の世界ってギラギラしてますからね。ケンカ根性のある指導員を育てたかったですけど、内弟子になるのはプロレスファンでしたから。
――「プロレスラーになりたいけど、空手の指導員には……」っていう。
ヤマケン 練習の時間はかなりありましたから最高の環境でしたけどね。昼くらいから練習して、夕方から一般の道場生が来るから指導兼練習。仕事のないときも練習ばっかしてましたし。
――充実の空手ライフだったんですね。
ヤマケン あのままやっていたら正道会館史上最年少の黒帯&指導員になってたんですよ。ところがボクは空手がそんなに好きじゃなかったので。あくまでケンカが強くなりたかったわけですから。夜になると寮を抜け出してケンカばっかやってたんですよね。
――スポーツ用品店の責任者で空手道場の内弟子が、ケンカ三昧。
ヤマケン そっちが本道ですから(笑)。前田さんの本に梅田の十八番商店街でケンカをしてたと書いてあったから、自分も十八番商店街でケンカしたり。空手で習った技術や、中学時代は柔道もやってましたから、そのへんを総称して暴れてたんですよ。ただ、凶器の使い方はわからなかったので、寮長のTさんという方に教えてもらって。たとえば傘の使い方とか。
――傘の使い方ってとんでもないレッスンですね(笑)。
ヤマケン Tさんは凄い人物で知る人ぞ知る人だったんですよ。正道会館の表の顔が石井館長なら、裏の顔はTさん。あの当時の正道会館の人間は、ケンカ根性や精神論をTさんから教わってるんです。正道会館は創成期だからケンカ根性がないとナメられるじゃないですか。支部長がケツをまくったり、情けないことをするとTさんが飛んでってしごくし、何かトラブルがあるとTさんが出ていくんです。
――まさしく裏の顔!
ヤマケン ジュラルド・ゴルドーが正道会館のイベントに出たとき判定にムカついてバックステージに殴り込んできて、Tさんに食ってかかったんですよ。そのときにTさんが●●●●●●●したら、あのゴルドーが「oh、Sorry……」って離れていったくらいですから。
――あのゴルドーが謝った! というか、ゴルドーにそんなムチャなことができますね……。
ヤマケン そういう伝説がある人がボクの師匠であり、正道会館の精神的支柱だったんですよ。もう心酔しちゃいますよね。「この人はホンモノや!」って。あと石井館長とTさんのあいだに挟まれて中山猛夫師範という恐ろしい人もいたんですよ。
――初期正道会館のエースですね。本当に強かったみたいで。
ヤマケン 中山さん、凄いですよ。毎週水曜日だったかな。夜遅くに中山さんが道場に来て、顔面ありのスパーリングを始めるんですよ。我々はヘッドギアをつけるんですけど、中山さんは何もなし。でも、みんなボッコボコにやられます(笑)。あのスパーリングでみんな根性が付いたんですよね。
――顔面ありを想定したスパーリングをやってたんですね。
ヤマケン それは来るべきK−1に繋がってるんでしょうね。トーワ杯や格闘技オリンピックがあって顔面ありにシフトしていった時代でしたし。佐竹さんがドン・中矢・ニールセンと戦ったときのセコンドはTさんと中山さんなんですよ。
――あのとき佐竹さんの反則の頭突きが勝負の決め手になりましたけど、ケンカ根性がそうさせたのかもしれませんねぇ。
ヤマケン ボクはこの業界の裏の裏の裏を知ってからUインターに入ったんで、何が起こっても動じないんですよ。ほかの人たちはアタフタするんですけど。
――正道会館からUインターはどういう流れがあったんですか?
ヤマケン Tさんがボクの今後のことを心配してくれたんですよ。「このままケンカばっかりやっていたら、ヤクザになるしかなくなる」と。Tさんは田中正吾さんのこともしごいていたことがあったから「前田のところにいつでも行けるぞ」って言われたんですけど、ボクはプロレスラーに興味がなかったし、ケンカさえできればよかったんです。「このままだと正道会館に迷惑をかけることになるし、身動きが取りづらくなるぞ」「じゃあやめますわ」って。
――やめちゃうんですか。
ヤマケン 正道には半年いましたね。そのあとはケンカの腕を磨くために、キックでアジア太平洋チャンピオンになったスパーク山本さんという人をストーキングしたりしてたんですけど。
――どういうことですか?
ヤマケン Tさんに「顔面をやっておいたほうがいい。こういう奴がいるから探してこい」ってことで山本さんの存在を教えてもらって。山本さんはコックをやってて家に帰るのが深夜12時過ぎなんですよ。帰宅した頃を見計らってドアをトントン叩いて「キックを教えてくれ!」って。
――ハハハハハハ! 深夜におっかないですよ!
ヤマケン その人も面白がってくれて、公園の木にサンドバックを吊るして教えてくれました。
――そんなストーカーをするくらいケンカしか頭になかったんですね(笑)。
ヤマケン Uインターに入ることになったのは、そのケンカで負けたからなんですね。相手は10人くらいいたんですけど。
――どうやったら10人とケンカになるんですか(笑)。
ヤマケン ケンカをふっかける方法があって。相手の肩にわざとドンとぶつかって、こちらから因縁をつけて路地裏に連れ込んでボコボコにするんです。
――はあ(笑)。
ヤマケン ところがそのときは相手に仲間がいたんですよ。路地裏に連れ込んだのがバレちゃって「なにやっとんねん!」と逆に追い詰められて。初めての完膚なきまでの敗戦。だけど、パワーがあったら勝てたんじゃないかなって。当時はまだ細かったですからね。
――そんなに目も遭ってもケンカの敗因分析を。
ヤマケン それでボロボロのまま歩いていたら大阪府立の前を通りかかって、ダフ屋のおっちゃんが「プロレス見いひんか?」って声をかけてきたのがUインターだったんです。そういえばTさんも「プロレスに行け」とかよく言ってたな、ちょっと見てみるかと。身体中が痛かったので2階席で寝てたんですよ。そうしたらメインになったら大歓声。「なんだ?」と思ってリングを見たら、高田さんと山崎さんの身体のでかい2人が凄い試合をしてて「これや!!」と。俺のクソ根性と、あの身体があったら無敵やないけと。
――そこもケンカが強くなりたい!という発想なんですね。
ヤマケン ケンカ日本一になれるんちゃうか?と。隣の席のおっちゃんが持ってたパンフレットに練習生募集という文字が見えたので「それ、よこせ!」って奪って。後日Uインターに電話したんですよ。
――ホント行動力ありますね(笑)。
ヤマケン 電話に出たのは鈴木健さん。「大阪の山本といいます。プロレスをやらせてほしいんですけど」って。でも、パンフレットに載っていた練習生の規定は18歳以上、180センチ75キロ以上。その当時ボクは痩せてたし、タッパも180なかったし、歳も15歳だったし。
――あ、まだ15歳なんですか?(笑)。
ヤマケン 16歳になる前ですね。何か売りがないと入れてくれないと思って「足が大きい奴は背が伸びる」って聞いたことがあったから「足は29センチあります。足29センチ、足29センチ!」って繰り返して(笑)。
――「足29センチ!!」を連呼する怪しい電話(笑)。
ヤマケン 鈴木さんも「そうなんだ、高田さんと一緒だね!高山くんなんて31センチあるよ」なんて会話が弾んじゃって。それで「じゃあテストを受けなさい」ってことになったんです。上京してテストを受けたときは地獄の坂道ダッシュもやりましたし、スクワットも500回やりましたね。
――ヤマケンさんはプロレスファンじゃなかったですよね。スクワットはやったことあったんですか?
ヤマケン ないです。正道会館にプロレスラーになりたい奴らが集まってて、そいつらがスクワットをやっていたから、なんとなくこんな感じかなって。よくわからないまま無心でやってたんですけど、あとから聞くにはジャンピングスクワットという、もっとしんどいことをやってたみたいなんですね(笑)。
――よりハードなほうをやってたんですか!(笑)。
ヤマケン 先輩方も「こいつは面白いな!」って笑ってたみたいですよ。あのときは4人テストを受けたんですけど、合格したボクともう一人以外は殴られ蹴飛ばされ……。
――えっ、テスト中なのに?(笑)。
ヤマケン チンタラやってるからです。厳しいんですよ、Uインターのテストは。「テメエ、そんな体力でプロレスラーになろうと思ってたのか?」って怒鳴られるし、殴られるし。
――誰が怒鳴るんですか?
ヤマケン 宮戸(優光)さんです(笑)。
――ハハハハハハ! あの甲高い声で!
ヤマケン もう鬼軍曹ですよ。高山さんも「チンタラやってるんじゃねえよぉ!」ってドスを効かせて。ヘバッて休んでると蹴っ飛ばされるんですよ。「おい、ナニ休んでるんだ?いまなんの時間だ、おい?」って。
――合格しても入門したくない(笑)。
ヤマケン 「けったいところに来たなあ……」と思いながらも、必死にやりましたよ。俺がUインターのテストを受けると聞いてTさんが一番喜んでくれたんですよ。だからなんとか頑張って合格しようと。気合いが入っていればなんとかなるって勘違いしてる人間だったからできたんですよ。全体的に見たら体力も全然なかったんですけど、根性と気合いで最後までやりきった。あと若かったことも大きかったんじゃないですか。多目に見てもらったんですよ。
――まだ十代で伸びしろがある、と。
ヤマケン 垣原さんも16歳でこの世界に入ったので、16歳だったボクのことをプッシュしてくれたみたいですね。「こいつは根性もあるし、伸びると思うんですよ」って宮戸さんに言ってくれて。それで仮入門することになったんです。
――ヤマケンさん以外にもうひとり受かったんですよね。
ヤマケン Aって奴が受かったんですよ。面白いのはAはボクのあとに正道会館の内弟子になった奴なんです。190センチくらいあって、プロレスラー志望だったから途中でやめたんですけど。Uインターも入門1週間で逃げちゃいましたね。
――1週間で!
ヤマケン いやあ、もうキツかったですから。Uインターの寮は3LDKのマンションで。デビューしていた先輩は一人部屋。ボクと桜庭さんと、ボーウィー・チョーワイクンともうひとりのタイ人、SWSから移籍してきた中原(敏之)さんはキッチンでせんべい布団を並べて雑魚寝ですよ。ゴキブリがカサカサ動くような場所で。
――当時の寮長は垣原さんだったんですよね。前・寮長の田村さんは相当厳しかったと聞きますけど……。
ヤマケン 垣原さんもそれなりに厳しかったですよね。先輩後輩の上下関係はあるわけですから。
――練習生はどんな1日なんですか?
ヤマケン 朝7時に起きてチャリンコで道場に向かって、炊事洗濯、ちゃんこの準備、先輩の服をきちんと畳みます。10時になったら大声で数を数えながらスクワット。ちゃんこ番があるときは13時に練習を上がって、15時までにちゃんこを作る。ちゃんこ番がないときは15時まで先輩のスパーリングでこねくり回されたり、地獄のトレーニングを無限大にやらされて。
――正道会館でいろいろ経験してきたヤマケンさんでもキツイんですか?
ヤマケン キツイです。正道のときは自由な時間があったんですけど、Uインターは24時間監視されてるんですよ。刑務所ですよ、刑務所。逃げることができる塀のない刑務所。
――刑務所って塀がなかったら逃げますよね(笑)。
ヤマケン みんな逃げちゃうんですよ。3年後に上山(龍紀)と松井(大二郎)が残るまで、3年間ずっとボクが下っ端ですよ。
――いつまで経っても最下層。
ヤマケン いままでは1年に1人は絶対に残ってるんですよ。でも、ボクのあとは全然下が育てないので大変でしたよねぇ。
――ずっとスパーリングの実験台になるって地獄ですよね。
ヤマケン 中野(巽耀)さんの場合は夜中に練習するんですね。中野さんは安生さんや宮戸さんと仲が悪かったから、夜ひとりで練習するようになったんですよ。だいたい7時から9時に。
――昼の練習が終わっても、夜まで中野さんのことを待ってないといけないんですね。中野さんの夜練は毎日なんですか?
ヤマケン 電話で中野さんに連絡をしなきゃいけないんですよ。「おつかれさまです」「今日は高田さんのお付きはないのか?」「はい、ないです」「じゃあ待ってろ」と。あと中野さんの家に出張するときもあるんですよ。
――出張夜練!
ヤマケン 中野さんの家の前に貯水場があるんですけど。街灯がある路地裏で練習するんですよね。
――屋外練習ですか!(笑)。
ヤマケン バンテージとミットを持って中野さんを待ってるんです。中野さんは早く来るときもあれば、遅く来るときもあるんですけど、待たせちゃいけないので早めに待っていて。出張練習が終わったら道場に戻って、冷えたちゃんこを温め直して食べて。道場の後片付けなんかをして、寮に戻って寝るのが深夜3時くらいですかね。
――そりゃあ誰も残らなくなりますねぇ。
ヤマケン 一番大事な仕事としては、入って半年後に高田さんの付き人をやることになりました。付き人デビューはジュリアナ東京のVIPルームだったんですよ。社員と選手が集められた飲み会。まだデビュー前の高山さんが高田さんの付き人をやっていて、付き人指南を受けながらだったんですけど。1軒目、2軒目、3軒目になるにつれて、人が減っていくんですよ。最終的に5〜6軒回ったと思うんですけど、パッと意識が戻ったときは高山さんの腰をしがみついたんです。
――えっ、どういうことですか?
ヤマケン 場所はミスタードーナッツで、もうお昼。高田さんが「ドーナツ、10個!!」って頼んでるときに意識が戻ったんですよね(笑)。
――ハハハハハハハハ! 高田さんもタフですねぇ。
ヤマケン 「バ、バケモノや……!」ってまた記憶を失って、気がついたら寮のせんべい布団の中。身体中を覆うくらいの血ゲロが固まって張り付いていて。
――ひどい!(笑)。
ヤマケン 初めて付き人だから気合いを入れてついていったんですけどね。スタートのジュリアナ東京のときからイッキ飲みの繰り返しでしょ。ジュリアナ東京のお立ち台で真っ裸になって踊ってたみたいですから(笑)。
――ハハハハハハハハハハ! 1軒目で記憶が飛んでいて。
ヤマケン おぼえてないんですけどね。あとで聞く話によれば「俺が高田さんを守るんじゃあ!」と叫びながら高田さんに付いていったみたいだけど、最後は高山さんの腰をしがみつきながら立っていたという(笑)。
――お付きでもお酒をガンガン飲まないといけないんですね。
ヤマケン 付き人だから高田さんを家まで送り届けることが仕事なんですけど、プロレスラーはガンガン飲まないといけないんですよ。いっぱい飲むけど、トイレで吐いて1分以内に戻って、また普通に飲みながら、高田さんや周りに気遣いしながら楽しくしていないといけない。最後は高田さんを家まで送り届けて、向井(亜紀)さんのネグリジェ姿を見て、帰り道で力尽きて、砧公園の水路にハマり込んで寝るという(笑)。
――寮まで辿り着かない(笑)。
ヤマケン 辿り着かないです(笑)。高田さんを無事に送り届けたことで緊張の糸がプツリと切れますよね。
――大変ですねぇ……。
ヤマケン 楽しいですよ、基本楽しいです。だって道場ではもっとピリピリしてるわけですから。先輩方も普段は厳しいけど、飲みのときはちょっとフレンドリーになるので、多少の息抜きにはなるんですよ。
――飲み会はどれくらいのペースであったんですか?
ヤマケン だいたい飲み会は土曜日ですね。試合後の1週間は道場が休みなんで、そのあいだはずっと高田さんの飲みに付き合うんですよ。
――1週間飲みっぱなしですか!!(笑)。
ヤマケン 高田さんの凄いところは、その当時のトレンディな場所に顔を出して、飲んで暴れて話題を作るんですよ。試合も酒も凄いし、カッコイイ。みんな高田さんの虜になっちゃうんですよね。
――夜の帝王、高田延彦。
ヤマケン 高田さんは5升は軽く飲んでましたからね。ボクが知るかぎり飲みで相撲取り3人をやっつけましたから。琴ヶ梅、益荒男、寺尾関。プロレスラー代表が高田さん。その対決が終わりかけのときに合宿所に「誰がいるんだ?」って電話があったんですよ。先輩方はみんな「いないことにしてくれ……」と(笑)。
――修羅場に出向きたくない(笑)。
ヤマケン 試合後以外の飲み会はみんなあまり行きたがらないんですよ。あのときは自分ひとりだけ六本木の店に行ったんですけど、VIPルームにはあらゆる酒の瓶が散乱してて。まずは駆けつけ1杯。1杯といってもビールの大ジョッキ。高田さんが焼酎、ウイスキーをドボドボ注ぎ込んで「よし、行け!」と。グワーと一気してそこからスタートなんです。
――みんな行きたがらないですね、そんな飲みが毎日だと(笑)。
ヤマケン 3人の相撲取りが千鳥足でフラフラしながら帰っていく姿をご満悦で見た高田さんが「……よし、次に行くぞ!」って5〜6軒回りましたね(笑)。
――相撲取りとたらふく飲んだあとに! カッコイイなあ。
・高田延彦に惚れた六本木の夜――・Uインターが揺れた「宮戸クーデター未遂」と「田村の乱」・試合開始1時間前、前田日明、田村潔司に真剣勝負を直訴した結果は……?・リングスジャパン勢は練習していなかった2万5千字超えのインタビューの続きと、大槻ケンヂ、ミノワマン、北岡悟、所英男、船木誠勝の真実…などの記事がまとめて読める「1 2万字・記事詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1291553この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック! -
鬱と宗教とUWF……プロレスの信仰心はどこに向かうのか■大槻ケンヂインタビュー
2017-06-09 18:4387pt『崖のふちプロレス』の宗教戦争に登場した大槻ケンヂインタビュー! 宗教を軸にプロレスの世界を語ってもらいました!<関連企画>・【検証「1984年のUWF」】船木誠勝「えっ、そんなことが書かれてるんですか? それは全然違いますよ」・『1984年のUWF』と骨法――堀辺正史の「船木離脱」の真相はデタラメなのか? ■証言者・中川カ~ル・「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」/『1984年のUWF』はサイテーの本!・『1984年のUWF』には描かれなかったリングスの実態……■金原弘光――『崖のふちプロレス』の宗教戦争に登場した大槻さんの「プロレスに宗教ネタを持ってきちゃダメですよ」というシメの言葉に惹かれて取材に伺いました!
大槻 出ちゃったんですよ、「崖のふちプロレス」。ボクはね、客席から女子プロレスを見ていたかったんですけど。
――『崖のふちプロレス』に引き寄せられていったんですね。
大槻 仕掛け人は松本都選手ですけどね。あれはちょうど清水富美加騒動があったときで、都ちゃんがそこに乗ったわけですよ。彼女が天才すぎたからなのか、宗教戦争はあっという間に終わってしまったんですけども(笑)。
――もうちょっと続くのかなと思ってたんですけど。
大槻 もっと引っ張ったら何かとてつもない何かが生まれたかもしれないですけど、彼女は天才すぎるので次はラップに移っちゃいましたから。宗教からラップですよ?(笑)。
――ハハハハハハハ。大槻さんがおっしゃるように「プロレスと宗教」の組み合わせは危険なんですが、最近ではUWFを巡る議論が宗教戦争の様相を呈していたり。
大槻 ああ、『1984年のUWF』ね。
――『1984年のUWF』はお読みになったんですか?
大槻 もちろん読みましたよ! この本の表紙のイラストを描いた寺田克也さんから「本をあげる」と言われたんですけど、先に買っちゃいました。いろんな意見を聞きましたけど、これは宗教的熱狂についての本ですよね。著者の柳澤健さんに一度だけお会いしたことがあるんですが、著作から想像できない物腰の柔らかい方で。『パックインミュージック』について書かれた本(『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』)も面白く読んだんですけども。今回のUWF本に関して言えば、これは同じ意見の方も多いと思うんですが、前田日明、藤原喜明、佐山サトル……といった選手たちの話を聞かず、ターザン山本、堀辺正史の言葉をチョイスしたのがいかがなものかなと(笑)。
――ターザンや堀辺さんはとっても面白い2人ですけど、あの本の中では誰よりも信用できないですよね(笑)。
大槻 まあ柳澤さんが前田さんに話を聞いてもね、「おまえはUWFのことを何もわかっとらん!!」って怒られるだけだからね(笑)。前田さんを取材しなかったことは仕方ないと思うんですけどね。
――それは凄く想像できる光景ですねぇ。
大槻 もうひとつ。中井祐樹で締めくくるのは、いかんせん作為的ではなかろうか? ということは思いましたよね。本としてはメチャクチャ面白かったんですけど! やっぱりドキュメントやルポタージュと称されるものは、作ろうとした人の意図によって物語が流れていくものなんですよ。それは森達也さんもそう言ってますよね。
――ドキュメンタリーは嘘をつくってやつですね。森さんが撮った、佐村河内守さんを題材にした『FAKE』にも通底しているテーマでもあります。
大槻 ちょっと話が外れるんですけど、マンガ家・田中圭一さんの『うつヌケ』という本がありまして。内田樹さんとか鬱病を経験した人の話が載っていて、そこにはボクも出てくるんですよ。
――『うつヌケ』はかなり売れてますね。
大槻 かなり売れてます。そこからボクにも鬱に関する取材が来るようになりまして、じつは世の中には妙な『うつヌケ』プチバブルが訪れてるんですよ(笑)。
――『1984年のUWF』をきっかけに、どこもUWFを取り扱う状況と似てますね(笑)。
大槻 ただ、ひとつふたつだけ受けてその手の取材を断ってるんです。というのはね、たしかに『うつヌケ』は良書だし、興味深いテーマではあるんだけど。UWF本と同じで、あれは田中さんが考えた鬱の抜け方のレクチャー本なんです。「こういうふうに鬱が抜けられるんだ!!」っていう田中さんの信念が描かれてて、きっとご本人がそれを自己確認したかったんだと思う。ボクをはじめとする登場人物をその信念……いや、信仰にハメ込もうとしている部分が少なからずある。たとえば代々木忠監督。
――AV監督ですね。
大槻 代々木監督はスピリチュアルな方で、なんとお経を読み上げることで鬱を抜け出したと言ってるんです。でも、田中さんのマンガにはその言葉は出てくるんだけど、あまり話を広げないんです。代々木監督にはそこが一番重要だと思うんだけどね。
――田中さんの考えにはハマってないってことなんでしょうね。
大槻 おそらく田中さんには自分の『うつヌケ』信仰があるから、そこに誘導したいんですよ。『ううつヌケ』はとっても面白い本だし、UWF本も面白いんだけど、やはりそこにディレクターの思いが入っちゃってるということなんですよね。ある意味UWF本の中井さんは、ボクであり代々木監督なんでしょうね。
――大槻さんの考える鬱も違うわけですね。
大槻 ボクの『うつヌケ』の信念……信仰は田中さんとは違うから。なので『うつヌケ』プチバブルが起きているけど、鬱に関する取材を受けるのはやめておこうと。田中理論をボクは語れないから、ニーズに応えることはできない。でも、田中さんの本によって実際に鬱を抜ける人も多いと思いますけどね。柳沢さんのUWF本もすべて間違った歴史が書かれてるわけじゃないんですけど。
――だからこそ論争になるんでしょうね。
大槻 これからUWF史は柳澤健史観が優勢になるかもしれない。最近のプロレス格闘技界には増田俊也史観も気になるところですが。
――『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の増田先生。
大槻 歴史は改竄されるとは言わないけど、書く人によって歴史は違って見えますから。これもずっと言ってることなんだけど、ロックの歴史も「はっぴいえんど」史観が支配していると思うんですよ。「はっぴいえんど」から音楽の歴史が語られることが多い。なぜかというと「はっぴいえんど」のリスナーにはテーマで書ける人や語れるといった識者が多いから。
――ファンからしても耳触りもいいんでしょうね。
大槻 その「はっぴいえんど」原理主義者(笑)は、ほかの歴史を消そうとする傾向があるように感じる。「はっぴいえんど」以外を聞いていた奴に対して、なんて言うんだろう、知的優越を感じる。その中で「そうじゃないんだ!」と戦う人もたまにいるんだけどね。伊藤政則さんとか。
――メタルゴッドの伊藤さん。
大槻 伊藤政則さんは「はっぴいえんど」史観の勢力強大な日本ロック界の中で、いかにメタルがロックを築き上げてきたかを熱く熱く語っていますよね。ただ、伊藤政則史観が主流になってもロック正史というわけではないだろうけど。
――かつてのプロレスでいえば、ヤオガチ論も含んだ原理主義者同士の争いが日常的でしたよね。
大槻 いまのファンには言ってもピンとこないだろうなあ。だってボクはリングスのヴォルク・ハンvsディック・フライもガチだと思ってましたよ! FMWの異種格闘技戦でさえガチが入り込んでるんじゃないか?と。大仁田厚vsベリチェフとかね。
――まさかの!
大槻 いやいや、信じてましたよ!「大仁田さんがなんでこんなに強いんだろう?」と不思議だったんですけど(笑)。
――大槻さんは物事を俯瞰して見ているイメージがありましたから、そんなガチ信仰は意外ですね。
大槻 いやいや、そんななもんでしたよ。強い信仰心がゆえにきちんと調べなかったんでしょうね。言われるがままに受け入れてしまっていた。みんなそうだったんですよ!
――ガチじゃないと発覚したときその信仰心はどうなったんですか?この続きと、ヤマケン激白、ミノワマン、北岡悟、所英男、船木誠勝の真実…などの記事がまとめて読める「1 2万字・記事詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1291553この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック!
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マクレガー対メイウェザーの最近の動向まとめ:UFCがコー・プロモーションに踏み出すことの意味
2017-06-09 12:0355ptOmasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは……マクレガー対メイウェザーの最近の動向まとめ:UFCがコー・プロモーションに踏み出すことの意味
去る5月18日、UFCプレシデントのデイナ・ホワイトは、UFCとコナー・マクレガーとの間で、フロイド・メイウェザー戦に交渉に臨む条件で合意を見たと発表した。NBA中継のポストゲームショー番組に出演したホワイトは、「これでマクレガーサイドの話は済んだ。これからメイウェザー陣営との交渉を始めることになる」と語っている。
マクレガーも自らのニュースサイトMacLife.comに「歴史的な契約の最初の一歩が正式に締結された。みなさんおめでとう。ここからは(メイウェザーのアドバイザーである)アル・ヘイモンと、その配下ボクサー(メイウェザーのこと)のサインを待つことになる」と、ホワイトの発表を裏付けるコメントを発表している。
UFCとマクレガーの間でどんな条件合意があったのかは明らかにされていない
この情報を持って、「マクレガー対メイウェザー」戦がいよいよ実現の運びとなったかの如くの報道をする一部メディアもあったが、もちろんそんなわけはない。現時点では一方の当事者が意識あわせをしたに過ぎず、肝心のメイウェザーとの具体的な交渉はまだ始まってもいないのだ。
今後行われることになるメイウェザーとの交渉が簡単であるはずがない。“マネー”のニックネームを持つメイウェザーは、PPV収入はもちろん、売店やグッズ売上の取り分まで、きめ細かく要求を突きつけてくることで知られている。交渉の焦点はもちろんPPV売上の取り分比率ということになるだろうが、加えて固定ファイトマネーと出来高比例のファイトマネーとのミックスも論点となる。この続きと、ヤマケン激白、大槻ケンヂ、ミノワマン、北岡悟、所英男、船木誠勝の真実…などの記事がまとめて読める「1 2万字・記事詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1291553この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック! -
「ディック・ザ・ブル&クラ・リソワスキー金網逃亡事件」■ズンドコ・トラブル興行研究会
2017-06-09 11:4555ptズンドコ・トラブル興行研究会――プロレス格闘技のウラに精通する書き手たちがマット界を騒がせたズンドコな事件を振り返ります! 今回は昭和プロレス研究家の小泉悦次さんによる「ディック・ザ・ブル&クラ・リソワスキー金網逃亡事件」<非会員でも購入できる関連記事>
■ダフ屋と興行師の哀歌!! 岩手水沢騒動
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1216955■マンモス鈴木鉄拳制裁から見える力道山のセンスと狂気
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1242627■負けることに慣れた組織……国際プロレス崩壊直前を私は見たhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1263308
今回は日本暴動史の中で有名!な割には目撃証言が少ない「ディック・ザ・ブル&クラ・リソワスキー(以降ブル&クラ)金網逃亡事件」です。
1972年11月といえば、すでに猪木はなく馬場も独立して全日本を旗揚げしたため、老舗日本プロレスは国内男子4団体中最弱の存在でした。猪木新日本はテレビと有名外人レスラーがなく、興行上の苦戦に喘いでおりました。馬場全日本は強力外人勢とテレビ放映を持って順風満帆に旗揚げしたように言われておりますが、営業力に乏しく思ったほど切符が売れていませんでした。
そんな中、日本プロレス史瞬間最大風速的な状況として、国プロが国内最大メジャーだったのではないかと思われる時期でもあります。テレビに関しては、放映局のTBSがちょっと冷たくなっていて日曜夜6時25分から55分までの「お子様ランチ」タイム、視聴率は出にくかったと思います。しかし、日本側の層の厚さ、AWAからの有名外人と、14年間の存続期間中、もっとも充実していた時期です。
そんな勢いの中国プロは、アメリカでは「チケットに名前が印刷された段階で満員は約束されている」ブルーザーとその盟友クラッシャーをコンビで呼ぶというクリーンヒットをかましました。
この日は月曜日でした。前日のテレビで流れたのは岡山での前哨戦、ストロング小林&グレート草津対ブル&クラです。この続きと、ヤマケン激白、大槻ケンヂ、ミノワマン、北岡悟、所英男、船木誠勝の真実…などの記事がまとめて読める「1 2万字・記事詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1291553この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック! -
【全文公開中】彼氏をぶっ倒す方法!?■二階堂綾乃
2017-06-09 11:23新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、ついに格闘技デビューをしてしまったこのコーナー。今回のテーマは「彼氏をぶっ倒す方法」時々彼氏を張り倒したくなることはありませんか?
そんなときはだいたいヒステリックに彼氏を責めて相手が逆ギレして収集がつかなくなるか、「腹立つぅ!」と思いながらもグッと堪えてストレスをためるかになりがちかと思います。でもそんなの精神衛生的に良くないし何も解決しません。
彼氏を張り倒したい気持ちになったら、彼氏を倒せばいい。私はそう思います。
いざとなったら彼氏を倒せるという自信があれば、もしDV被害に遭っても反撃して逆に尻に敷けるかもしれないし、浮気されても腕の1本でも破壊したらスッキリして「これでおあいこだね♥」と仲直りできるかもしれません。ということで今回は「彼氏の倒し方」を考えてみました。
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猪木vsIGF騒動とキングダムエルガイツ移籍騒動■事情通Zのプロレス点と線
2017-06-08 11:5851ptプロレス業界のあらゆる情報に精通する事情通Zの「プロレス 点と線」――。今回は猪木と入江のダブル騒動について(聞き手/ジャン斉藤)――猪木さんが新イベント「ISM」をプロデュースすることが大騒動になってます。このイベントは「IGF/NEW」(以下IGF)とは無関係。「ISM」発表記者会見で猪木さんは「IGFは整理する」とコメントしましたが、この発言にIGF側は猛反発していて。
事情通Z 猪木さんはツイッターでも怒っていたでしょ。「今のIGFには理念が無い。カネが絡むと、どうして人間はこうなってしまうのか。IGFからは、とっくに手をひいている。俺の名前を勝手に語るな。NEWは勝手にやればいい」と。
――あれってIGFの広告がスポーツ新聞に掲載された日にツイートされたんですよ。その広告の一部を抜粋すると……
「この時期に会社を整理する発言に無力な私たちが頼るのはファンの皆様しかありません!どうかファンの皆様、更に過去に理不尽に整理された又はリストラされそうになった皆様。また大企業の横暴に負けそうになった社長の皆様。そして株主の皆様。どうか私たちにお力を貸してください!」
Z 凄い広告!!(笑)。
――こんな恥を晒されたら猪木さんも怒りますよ!(笑)。 -
ポーランドMMA人気爆発から見る国内興行のあり方/石井史彦
2017-06-08 11:1435pt堀口恭司など多くのMMAファイターをマネジメントする石井史彦氏。ポーランドを訪れているということでコンタクトを取ってみたところ――。<関連記事>代理人が告白! 堀口恭司RIZIN電撃契約の舞台裏「このままじゃUFCにダメにされる。UFCを捨てるしかなかった」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1193831
――9月のUFC日本大会の開催が発表されましたが、日本人新規契約ファイターの期待が高まっていますね。
石井 私もいろいろと動いていますが……まあこればっかりはUFCサイドの都合もありますからね。契約に合意するまではどうなるかはわからないですから、変に大きな期待はしていないですよ。
――冷静ですね(笑)。
石井 まあ、ここ最近でUFCが「ぜひ欲しい!」と獲得しようとした日本人選手は那須川天心だけですから。あとの選手は状況やタイミング次第なんですよね。日本国内では「これで勝てばUFCが……」と煽るケースが見受けられますけど、最後の最後までわからないです。正式に決まったらお話します(笑)。
――楽しみにしています!ところで石井さんは現在ポーランドにいるんですよね。
石井 はい。ポーランドの老舗MMA団体KSWのビッグイベントがありまして、マネジメントしている選手が出ているので来てるんです。
――KSWはかなり盛り上がってるんですよね。
石井 もう凄いです。シャレになってないです。今回のKSWはワルシャワ国立競技場で行なわれたんですが、6万人収容のスタジアムが大観客で埋め尽くされてましたから。
――ひえ〜!!
石井 よくこんなに入るなって感じですね。ポーランドの記者が言うには「観客動員はPRIDEがナンバーワンだろう。その次が今回のKSWだ」と。
――たぶんPRIDEやK−1の東京ドーム大会のことを指してるんでしょうけど、じつはそこまで入ってないですね。正直、とんでもなく盛っています。
石井 あ、そうなんですか。
――「Dynamite!」国立競技場の9万人もメチャクチャ怪しいですし、「Dynamite!! USA」の5万人超えも論外です。
石井 なるほど(笑)。
――なので今回のKSWがナンバーワンを名乗ってよろしいかもしれません(笑)。この続きと、ヤマケン激白、大槻ケンヂ、ミノワマン、北岡悟、所英男、船木誠勝の真実…などの記事がまとめて読める「1 2万字・記事詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1291553この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック! -
【全文公開】警告書も飛び交う「猪木vsIGF」骨肉のバトル!! IGF緊急記者会見レポート!
2017-06-06 18:33左から宇田川強エグゼクティブ・ディレクター、青木弘充・IGF代表取締役社長、サイモン・ケリー猪木・同社取締役一寸先はますます大混乱!! 6月6日(火)午後3時より都内・IGF事務所において、IGFが「イノキ・ゲノム・フェデレーションから皆さまへ重要なお知らせ」と題する記者会見を行った。会見には青木弘充・IGF代表取締役社長、サイモン・ケリー猪木・同社取締役、宇田川強エグゼクティブ・ディレクターが出席した。
会見のテーマは2題。
1)IGF創業者アントニオ猪木氏が、5月24日に立ち上げたISM記者会見上にて、「IGFは整理する」と発言したことに対して
2)プロレス総選挙に関連して同氏よりの『警告書』が、IGFに送付されてきた事に対して
(いずれも会見のプレスリリースより)
まず第1の問題、猪木の「整理する」発言について、まずは宇田川氏がNEW旗揚げの経緯を説明。15年末にIGF旗揚げか
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