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記事 31件
  • 「リングの五味隆典はホントに強いと思う」…五味、ボブ・サップ、クロンの大晦日参戦は?■榊原信行

    2017-11-17 18:59  
    12月29&31日「RIZIN FIGHTING WORLD GP2017」の記者会見が行われ、KINGレイナvsシンディ・ダンドーワ、真珠・野沢オークライヤーvsチェルシー・ラグラースの追加カードが発表。会見終了後、榊原信行実行委員長が囲み取材に応じて、五味隆典、ボブ・サップ、クロン・グレイシー参戦の可能性と、来年開催されるGPの階級について触れた。Dropkickメルマガ11月更新コンテンツAbemaTV格闘技対談!/パンクラス24年のすべてを知る男・坂本靖/頑張れ!金原弘光緊急入院インタビュー!/不動心のミステリーワールド! 近藤有己ロングインタビュー/KNOCKOUT金原正徳戦!不可思「キックボクサーが負けたらシャレにならない」/知ってるようで知らないアメリカ第3の団体ROH/デイナ・ホワイト発言集…など http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomag
  • 海外メディアに見るクリス・ジェリコ新日本電撃参戦の舞台裏■MMA Unleashed

    2017-11-16 22:09  
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    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマは「海外メディアに見るクリス・ジェリコ新日本電撃参戦の舞台裏」です!新日本プロレスのPOWER STRUGGLE(11月5日、大阪府立体育館)では、クリス・ジェリコの電撃参戦が発表され、来年1月4日の東京ドーム大会でケニー・オメガと戦うことが明らかになった。このニュースは米プロレスメディアでも驚きをもって大きく取り上げられている。今回は米国での報道内容をまとめてみたい。
    ジェリコは、この夏に行われたコナー・マクレガー対フロイド・メイウェザーの盛り上がりを目の当たりにして、ありえないと思われたトップ選手同士の直接対決 だったからこそ、これほどの大成功をつながったのだと考えた。そして、このアイデアを自分も何とか使えないかと考え始め、オメガ戦に思い当たったのだという。
    ラジオ番組『Busted Open』に出演したジェリコは次のように語っている。
    「どんな試合になるのかは、いまだに全く考えていない。それより、どう発表するか、どうプロモーションしていくかがすべてなんだ。マクレガー対メイウェザーが発表されたとき、この試合はあっという間にボクシング史上最大のビッグマッチになった。まさか本当に実現するとは誰も思っていなかったからだ」
    「私とオメガの試合がプロレス史上最大であるとはいわないが、2017年11月の現時点で、この試合が実現すると思っていた人がいなかったのは確かだろう。新日本プロレスのことやケニー・オメガのことを全然知らない人もたくさんいるだろうが、知っている人であれば、大いに興味をそそられるはずだ」
    この続きと、近藤有己、馳浩、金原弘光重病、デストロイヤー、仮面女子、藤田和之、アベマ対談の記事まとめて読める「14万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 「10代に格闘技はカッコイイって思わせたい!」 アベマ格闘技対談〜北野雄司×大沢ケンジ〜

    2017-11-16 17:26  
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    UFC、メイウェザーvsマクレガー、パンクラスを中継、DDTも本格進出! 国内外のプロレス格闘技の試合を次々に配信するAbemaTV格闘技チャンネルがとっくに開設1周年を迎えていた……ということで、そのプロデューサーである北野雄司さんと、解説でしゃべりまくる大沢ケンジさんの対談をお送りします! 大会配信の裏側や、プロレス格闘技を見たり楽しんだりするうえで示唆に富む内容ですよ〜。
    大沢「K−1やKrushと比べるとMMAはそんなに数字はよくないですよね。やっぱりMMAは立ち技と比べてわかりづらいってことですかね?」
    北野「いや、そういうことでもないと思いますよ。やっぱり◯◯◯◯◯◯◯は絶対に必要なんですよ」
    ――AbemaTVの格闘技チャンネルが開設されてからいつのまにか1年経っていた……ということでプロデューサーの北野さんと、AbemaTV解説の大沢さんの対談を組ませていただきました。
    北野 1年経ったことは今回言われて初めて気づいたんです。開設以降とにかく忙しかったこともあって、正直いつ始まったのかもおぼえていません(笑)。
    ――AbemaTVが格闘技を扱ったのはONE4月大会の放送からで、格闘チャンネルは7月末日のスタートですね。これまでいろいろと苦労はあったと思いますが……。
    大沢 ボクの苦労はないですね。全然ないです(笑)。
    ――格闘技興行だと途中で休憩があったりしますけど、大沢さんの場合ずっとしゃべりっぱなしですよね(笑)。
    大沢 ボクね、しゃべることは嫌いじゃないんですよ(笑)。
    北野 ありがたいことです(笑)。
    大沢 長いのがあたりまえというか。一番最初に格闘技の解説をやったのは、2013年のDREAM大晦日のニコ生中継なんですよね。
    ――GLORYと共催したやつですね。
    大沢 あれもね、メチャクチャ長かったんですけど、初めての経験だったから、それが通常の格闘技サイズだと思ってて。4〜5時間は普通なんだろうな、と。あとからアナウンサーの市川(勝也)さんに「プロレスは3時間くらいなんですよ〜」と聞かされて。「えっ、そういうもんなの!」って驚きましたね(笑)。
    北野 AbemaTVはいろんな選手や関係者に解説をお願いしてまして、皆さんそれぞれの個性があるんですけど、AbemaTVっぽさみたいな呼吸は大沢さんが一番感じるんですね。
    大沢 ホントですか?(笑)。
    北野 格闘チャンネルだけじゃなくて、AbemaTV自体がどんどん大きくなっていく中で、その雰囲気を感じつつ、明るく激しく尖ってくれる人ってなかなかいないんですよ。横浜DeNAベイスターズ中継解説の森本稀哲さんと、大沢さんからは、特にそのバイブスを感じますね(笑)。
    大沢 うれしいなあ!(笑)。
    北野 「AbemaTVってこんな感じだよなー」っていうしゃべりというか。
    大沢 いやー、そんなことを考えずにしゃべってましたけどね(笑)。もうただ楽しんでやってるだけなので。
    ――大沢さん以外にも、多くの格闘家がわかりやすくて面白い解説をするようになって、格闘技実況の印象が変わっていってますね。
    北野 印象に残ってるのは、口数はそんなに多くなかったけれど、石渡(伸太郎)選手には独特の資質があると感じましたね。
    大沢 ああ、石渡は「あまりしゃべれない」とか言われてたけど、一言一言に気持ちがこもってるというか、面白いですよね。
    北野 試合スタイルと似てるのかな(笑)。
    大沢 ボクの中で面白いと思ったのは朱里ちゃんかなあ。
    ――朱里選手は最高でしたね。ナチュラルなりアクションで盛り上げてくれて。
    大沢 朱里ちゃんは一般の感覚があるっていうか、格闘家っぽくないんですよ。それがね、凄くやりやすんですけど、まあ騒ぐ感じは俺と被るんですよね(笑)。
    ――大沢さんはユーザーから「うるさい!!」って言われてますよね。一応褒め言葉です(笑)。
    大沢 ボクは完全に言われてますね(笑)。いいんですよ、ボクはそれで!
    ――海外イベントを含めてこれだけ多くのイベントを配信していると、トラブルも起こりそうで大変ですよね。
    北野 直前まで映像が来ない……なんてことはしょっちゅうですけど(笑)、大きな事故になったことはないです。ただ、こないだのUFC日本大会は本当に大変でした。UFCって良い意味で自分たちのやり方が決まってるし、それを変える気はないんですね。
    大沢 どこの国でやってもUFCのスタイルを変えないんですね〜。
    北野 ボクらからすれば「日本でやるなら、こうしたほうが楽なのにな」って思うことも多々あるんですよ。トップの方となら契約交渉で顔を合わせてるけど、エンジニアの方って会ったことがないから話が折り合わないんですよ。なので大会の前日まで「どうなるんだ?」って騒いでましたね(笑)。
    大沢 ただ映像を流してるだけではないってことですね。
    北野 見えない裏側のトラブルはいっぱいありますよ。
    大沢 日本大会の中継ってAbemaTVだけが現地から実況・解説したじゃないですか。そうなるといつも以上に大変だったんでしょうけど、ほかの中継はスタジオからだったので「やった!」って感じですよね。
    北野 ケージサイドにAbemaTVの実況ブースが作れたのはホントに嬉しかったですね。やっぱりせっかくの日本大会じゃないですか。ボクらも日本大会がなんとか盛り上がるように頑張ったし、UFCがそれを理解して……くれたかどうかはわからないけど、ケージサイドの調整をしてくれて。中継できたのはプレリムの試合だけでしたけど、凄く楽しかったですよね。
    大沢 よかったですよねぇ。
    北野 次の日本大会は絶対に全試合放送したいです。
    ――今回のUFC日本大会はAbemaTVがなかったらプロモーションが行き届かなかったんじゃないかって気がしますね。
    北野 向こうから言われたわけじゃないですけど、気持ちは「UFC日本大会実行委員」のひとりでしたね(笑)。
    ――ベラトールもAbemaTVがなかったら、こうして日本のファンが目に触れる機会はなかったと思うんですね。
    北野 そういえば、AbemaTVのベラトール中継が再開するんですよ。ゲガール・ムサシの初登場の回から。
    大沢 ベラトールは来年ヘビー級GPをやるみたいだから楽しみですね。
    北野 ベラトールといえば、ヒョードルの試合が当日中止になったときは痺れたなあ。
    大沢 ありましたね〜。放送が始まったあとに知りましたからね(笑)。
    北野 でも、UFCでも当日の試合中止というケースはあったから「ああ、ついにきたか」って程度でしたけど。
    大沢 ボクはONEの中継が最後まで収まらないで終わっちゃったときは焦りましたねぇ。
    北野 メインのシュレック関根選手の試合が流せなかったときですね。あれは申し訳なかった……。
    大沢 解説しながら「これ、時間は大丈夫なのかな……?」って心配で。
    北野 アレはいまだから言える話ですけど、放送する団体から進行スケジュールが送られてくるんですよ。それに倣ってこちらも放送するから、あたりまえですけど最後の試合まで流せるんですね。でも、あのときのONEはそのスケジュール自体が間違ってたんですよ(笑)。
    大沢 え〜? そんなことってあるんですか?(笑)。
    北野 あとになって「なんでこんなことになったのか?」って調べたら、そもそも送られてきたエクセルファイルの時間を計算する自動計算式が間違ってたんですよ。そこまでチェックしなきゃいけないのか……って悔しかったなあ。
    ――とんでもないところにトラップが仕掛けられてたんですね(笑)。 
    大沢 ボクがたまに困るのはベラトールなんですよね。とくに前半の進行はよくわからなくて、このあとすぐに試合が始まるのか、休憩なのかわからないから手探りでしゃべることがあって(笑)。
    北野 そこはボクらも掴みきれてないですね。ベラトールはアメリカではスパイクTVでオンエアされてるけど、ボクらが知ってる「テーピング」(テレビ収録のための興行)ではないんですよ。UFCは純然たるスポーツ中継なんですけど、ベラトールはそれとちょっと違う。
    大沢 ベラトールって試合の合間に、前半でやった試合を流すこともありますからね。そうそう、忘れちゃいけないのはメイウェザーvsマクレガーですよ!
    北野 なんとかAbemaTVで流せましたね。大変でしたけど、やったかいがありました(笑)。後日放送だったんですけど、実況・解説は生で収録して。
    大沢 ボクは川尻くんと一緒にマクレガー寄りで解説していて、あとでDAZNの中継を見たら「こっちとはテンションが全然違う!」ってビックリしましたよ(笑)。
    北野 DAZN中継の解説は宇野(薫)さんと千原ジュニアさんでしたけど、大人の解説でしたね(笑)。
    大沢 ボクらはマクレガー応援に振り切っちゃっていたから、全然冷静に試合を見れなかったですね〜。
    北野 メイvsマクができたことは格闘チャンネルにとって凄く大きかったですね。あと1ヵ月まるまるUFCチャンネルとか、やろうと思えばなんでもできるんだなって。次のステップとしては「毎週何時はUFC……」というかたちを作りたいんですよね。昭和・新日本プロレスの金曜8時的な。UFCの日曜日午前中に生中継ってハードルが高いですし、決まった時間を設定することで視聴者も増えますから。この続きと、近藤有己、馳浩、金原弘光重病、デストロイヤー、仮面女子、藤田和之、クリス・ジェリコの記事まとめて読める「14万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 【特別メッセージ】ベラトールヘビー級GP開催に向けて日本の皆さんへ/ベラトール代表スコット・コーカー

    2017-11-16 16:54  
    豪華な顔ぶれに話題騒然のベラトールMMAワールドヘビー級GP2018! 1月20日の開幕戦まで待ちきれない日本のファンのために、ベラトール代表のスコット・コーカーからコメントが到着しました! 
    Dropkickメルマガ11月更新コンテンツパンクラス24年のすべてを知る男・坂本靖/頑張れ!金原弘光緊急入院インタビュー!/不動心のミステリーワールド! 近藤有己ロングインタビュー/KNOCKOUT金原正徳戦!不可思「キックボクサーが負けたらシャレにならない」/知ってるようで知らないアメリカ第3の団体ROH/デイナ・ホワイト発言集…など http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/201711
    日本のMMAファンの皆さん、おさしぶりです。ベラトール代表のスコット・コーカーです。正式発表されて世界中から大きな反響をいただいていますが、このたび我々ベラトールは、ヘビ
  • パンクラス24年間のすべてを知る男・坂本靖「ああ、このまま倒産するのかと思ったときもありますよ」

    2017-11-15 11:44  
    90pt
    プロレスが格闘技へ転換するダイナミズムに溢れていた90年代――新生UWFから分派した団体の中で活動が途絶えていないのがパンクラスである。リングからケージに様変わりした舞台には、創始者の船木誠勝や鈴木みのるの姿はすでになく、拳にはグローブが装着され、ランキング制をもとしたマッチメイクのもと試合が行われる。「新しいプロレス」として出発したパンクラスは、長い時間をかけて、U系が目指した理想郷にたどり着いたといえる。ここまでの苦労をパンクラス旗揚げから携わる坂本靖本部長に話を聞いた。
    <関連記事>
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    坂本 あんまり昔のことっておぼえてないんですよ。
    ――坂本さんは1993年のパンクラス旗揚げ前から格闘技界と関わってるわけですから、もう長いどころの話ではないですね(笑)。パンクラス入社はどういうきっかけだったんですか?
    坂本 ボクはアパレル会社に務めてたんですよ。プロレス格闘技はもともと好きだったんですけど、その頃に出会ったのはパンクラス初代コミッショナーの持田(優)さん。
    ――おお、懐かしい名前です!
    坂本 まだパンクラスができる前なんですけどね。持田さんはアパレルショップや飲食店をやっていて、仕事の打ち合わせをしていたときにボクのノートに挟んであった新日本プロレスのチケットが落っこちて。持田さんは「なんだ坂本、プロレス好きなのか。一緒に行くか」と。持田さんは船木(誠勝)さんや鈴木(みのる)さんとは新日本時代から交流があったんですよ。
    ――だから持田さんはパンクラスもバックアップされたんですね。
    坂本 持田さんと一緒に藤原組を見に行って、試合後は選手たちと一緒にご飯も食べるようになって。そのときに船木さんたちが「自分たちが理想としているプロレスをやりたいんです!」と熱く語ってて、食事を何度か繰り返してるうちに「いつか新しいことをやりますから、そのときは協力してください」と。ボクは「もちろんですよ!」と応えて。
    ――意気投合したんですね。
    坂本 そうこうしてるうちに『東スポ』に「藤原組解散」という記事が載って。持田さんから「藤原組の雲行きが怪しいんだよねー」という話は聞いてたんですけど、たしかに飲みの席には藤原(喜明)さんはいらしたことはなかったですし、船木さんたちは若手だけで行動してましたから。
    ――坂本さんの目から見ても、藤原組長と船木さんたちに溝があることがわかってたんですね。
    坂本 それで持田さんから「船木たちが新しい団体を立ち上げるんだけど、いつから来れる?」と。こっちも社会人ですから明日から……というわけにもいかないですし。やりたい気持ちはあったので、アパレル会社に退社を報告して。最初は3ヵ月後にパンクラスに合流する予定だったんですけど、仕事の引き継ぎが長引いちゃって。向こうからしても「話が違う」と怒られたんですね。
    ――旗揚げ前でドタバタでしょうから、人手が欲しかったんでしょうね。
    坂本 なので、朝はアパレル会社で仕事をしてから「営業に行ってきます」と会社を出て、乃木坂のパンクラス事務所で仕事をして(笑)。夕方にアパレルの仕事に戻るという二重生活を送ってましたね。
    ――掛け持ちでしたか(笑)。パンクラスではどんな仕事をやるのか説明はあったんですか?
    坂本 「とりあえず全部」とは言われましたね。
    ――「全部」と言われても想像はつかないですよね?(笑)。
    坂本 何にもわからなかったですね。藤原組で広報をやっていた方からチケット発券の仕方、会場予約の仕方、ポスターの作り方、貼り方のレクチャーを受けて。何もわからなくて大変でしたけど、当時は楽しくてしかたなかったんですね。若者が新しく立ち上がって「プロレスのすべてを変えちゃうんじゃないか?」という可能性を感じたんで。
    ――パンクラスは完全競技だったわけですけど、そういった説明もあったんですか?
    坂本 藤原組のときの飲み会でそんな話は聞いてましたよね。「ゴングが鳴って、ヨーイドンで勝負する試合がしたい」と。その理想にボクも賛同して参加したわけですし、パンクラス旗揚げ前のミーティングでも「船木さんや鈴木さんがやりたいスタイルをやりましょう」という話は出てました。
    ――それまで完全実力主義の興行団体ってなかったじゃないですか。シューティング(修斗)は興行のかたちがそこまでなしてませんでしたし。
    坂本 ボクもファン時代にシューティングを見に後楽園に行きましたけど、お客さんは全然入ってなかったですしね……。でも、なんていうか、既成概念がイヤだったというか、若気の至りもあって、「俺たちは自由にやりたいんだ!」っていう気持ちは強かったんですね。
    ――完全に若気の至りですよね(笑)。
    坂本 ホントに(笑)。パンクラスという団体は、会社があってからスタートしてるわけじゃないんで。理念が最初にあって、それを具現化しましょうと動き出したものなので。
    ――蓋を開けてみたら秒殺の続出で。
    坂本 全5試合の合計がわずか13分でしたっけ? 競技としてやることは当然だと思ってたんですけど、勝敗と試合時間の少なさにはビックリしましたねぇ。メインイベントで団体のエース(船木誠勝)が秒殺されちゃうわけですから。「俺たちは正しいことをやってるんだ!」と思いましたけど、結果としていろんなことは起きるんだろうなあって。
    ――あれだけUWFに真剣勝負を求めていたターザン山本さん(当時『週刊プロレス』編集長)は、尾崎社長に「なんてことをやったんだ!」って噛み付いたみたいですけど(笑)。
    坂本 ボクはアパレル業界の人間だったんで、プロレス界には繋がりはなかったから、何か言われることもなかったんですね。繋がりがあったのは、選手たちと尾崎社長くらいじゃないですかね。ほとんどのフロントの人間がプロレス界とは接点がなくて。招聘担当は元・中学の英語教師だったし(笑)。
    ――興行の経験がない人間ばかりだと、月1興行は大変ですよね。
    坂本 大変です。月1回の興行は本当に大変でした。初めて大阪府立でやったときは、会場側から「22時までに完全撤収してほしい」と言われて。「ウチは秒殺ですから……」なんて言っていたら判定、判定、判定の連続で。時間どおりに撤収できなかったんですけど、22時になった途端に電気を切られましたから。バチンって。
    ――会場側も冷たいですね(笑)。
    坂本 翌日の府立がたまたま空いていたから、午前中に再度撤収できましたけど。それもまた余計な出費はかかるわけですよ、バイトを別で雇わないといけないですし。当時はマンパワーが必要だったというか。地方に行ってポスターを貼る、スナックとかプロレス好きがいる場所に行ってチケットを売る。朝から高校や大学の周りを宣伝カーで走ったり。
    ――営業部員はいなかったんですか?
    坂本 いましたけど、それでも足りなかったかなあ。いまみたいにシステム化されてないから、とにかく雑務が多かったんですよ。事務所で寝泊まりあたりまえで。いまはシステムができてるから肉体的には楽になりましたけど、当時は新しいことをやってるから選手からの要求も多くて。前例がないから対処に困ったり。 
    ――何をやるにしても手探りというか。パンクラスは地方興行が多かったですけど、チケットは売れたんですか?
    坂本 地方興行って一発目はなんだかんだ入るんですよ。新鮮さがあるし、もう来ないだろうってことで。それが2回目、3回目になっちゃうと慣れっこになっちゃうんで。東名阪が限界ですよねぇ。
    ――そもそも月1の試合がムチャですよね、いま振り返ると。
    坂本 グローブではなく掌底ルールだったからできたことですよね。それでも大変だったと思いますけど、日本人の旗揚げメンバーは自分たちがいないと成り立たないという意識が強かったし、ケガをしたから休むとは考えなかったですよね。いまは勝敗重視だから、ケガをしたら休むのが当然じゃないですか。
    ――試合を休んだら団体が潰れてしまうと。競技者の発想ではなかったですね。
    坂本 競技者として考えたらケガをしたら試合に出なくていい。実際は出たくない試合がいっぱいあったと思いますよ。「誰々はここをケガしてて、試合はちょっと無理だ」と聞いていても、普通に試合をしてる姿を何十回も見てましたからねぇ。ホントに頭が下がりましたよ。
    ――あの当時のお客さんって真剣勝負の見方ってわかってたと思います?
    坂本 いやあ、わからなかったでしょうねぇ。いわゆる「シーン現象」という。とくに地方の興行は見方がわからなかったと思うんですね。最近もRIZINさんが福岡でやってましたけど、序盤はなかなか難しかったじゃないですか。
    ――最後のほうだけでしたね、会場が爆発したのは。
    坂本 当時はいまより技術がわからなかったですし、どこで歓声を上げていいかはわからない。プロレスのように「さあ、いくぞー!」というフィニッシュシーンの掛け声があるわけでもないですから。
    ――当時の格闘技団体ってメチャクチャ仲が悪かったですよね。
    坂本 たしかに悪かったですね。リングスのロゴマークは丸で、パンクラスのロゴマークはバッテンの×。そこからして合ってないだろって感じなんですけど(笑)。
    ――リングスにはどういう感情を持っていたんですか?
    坂本 うーん、なんだろう……「こっちがホンモノだ!」と思ってやってたし、そこですよね。ファンからも電話も凄かったんですよ。「どっちなんだよ!?」とか。
    ――ハハハハハハハ! 熱すぎる(笑)。
    坂本 いまでもたまに電話はありますけど、ネット社会だから、メールやSNSで書かれるくらいで楽ではあるんですけどね。当時は電話を延々3時間とか……。
    ――ファッ!? 3時間!
    坂本 当時は受け止めるしかないんですよ、熱い思いを(苦笑)。あとは外国人選手の引き抜きですよね。あの当時って総合格闘技をやってる外国人選手って少なかったじゃないですか。あとでわかることなんですけど、外国人選手が「向こうではこれだけ出すと言ってる」「他からこんなオファーがあった」とか、あることないこと言ってギャラの釣り上げをするんですね。それでこっちも「リングスが変な動きをしている」と真に受けちゃんですよね……。
    ――ホットラインがないから、お互いの溝が深まっていくんでしょうね。
    坂本 当時は鎖国というか、他の団体とは交流がなかったですし、とくにしたいとも思ってなかったですし。
    ――当時格闘技を語る大きなポイントはそれこそ「どっちなんだよ!?」でしたけど、修斗は「パンクラスにはワークがあった」と暗に匂わせてましたよね。
    坂本 そうですよね。
    ――海外だと「初期パンクラスはワークが多かった」という定説になっていて、最近出版された「アリ対猪木――アメリカから見た世界格闘史の特異点」という本にも根拠なくワークがあったと断定されてるんです。パンクラスは90年代の格闘技団体にしては試合映像が残ってるので、いくらでも検証は可能なんですけど……。
    坂本 なぜそう言われるようになったかといえば、ある外国人選手が「俺は勝った試合は真剣勝負、負けた試合はワークだ」って言っていたからじゃないかなと。それもメチャクチャな言い分ですけど(笑)。
    ――外国人選手が言いがちなやつ(笑)。
    坂本 ボクは旗揚げしたメンバーを信じていたし、そういう噂があっても意に介してなかったですね。たまに「パンクラスも昔はいろいろとあったんでしょう?」って聞かれるんですけど「いやいや、何もないですよ」って。負けた外国人が悔し紛れに言ってるだけですよね。
    ――ワークがあったら、もっと楽なストーリーラインが組めたはずなんですね。
    坂本 ああ、マッチメイクはホント大変でしたね。真剣勝負だから思うようにはいきませんでしたし、この選手が勝ってくれれば、ビッグマッチのメインはこうなって……というストーリー作りが難しかったですよねぇ。船木さんが負けてしまう、鈴木さんも負けてしまう。
    ――格闘技の現実。
    坂本 外国人のスターは出てくるんですけど、興行的に引っ張ってくれるかといえば、なかなか。
    ――そこまで人気があるわけじゃなかったチャンピオンのガイ・メッツァーが、船木さん、柳澤龍志さん、近藤さんの挑戦を立て続けに退けたときは、興行の難しさを感じました(笑)。
    坂本 かなり無理がありますよね、それは(笑)。でも、もうそのとき強いものをメインにするしかない。これはいまでも言えることですけど、競技としてやることと、興行として見せていくことをどうやって並行してやっていくかですからね。
    ――とくにパンクラスはNKホールや武道館クラスの大箱でやってましたから。
    坂本 選手のカリスマ性やキャラクターで競技性を支えていたというか。ボクシングでいえば、亀田3兄弟を見るとわかりますよね。ああいうキャラクターが出てくると興行的としてはうれしいんですけど、淡々と競技をやっていくだけでは……。
    ――そのうちバーリトゥードという流れが大きくなってきますね。
    坂本 アルティメット(UFC)が始まったときは「ゲテモノ的にヤバイな」って感じだったんですよね。続かないだろうし、競技というよりは残酷ショーみたいな感じで終わるんだろうとは思ってて。でも、日本でもバーリトゥードジャパンが盛り上がって、修斗四天王はキャラクターがあったし、より凄いことが始まるんだろうなとは思いましたね。
    ――掌底ルール、エスケープありのパンクラスは、時代に取り残されていく感じはありましたか?
    坂本 ジレンマがありましたよねぇ。「正しいことをやってるのになぜわかってくれないんだろう」っていうか。でも、興行の世界ってお客さんを入れたもん勝ちですからね。
    ――パンクラスも、なんでもありのパンクラチオンマッチを導入しますね。
    坂本 奇をてらった何かをやらないと目立たない。資金がなかったということもありますけど、外国人選手をどんどんと取られていくじゃないですか。普通に契約書を巻いていればよかったんですけど、そこまで考えてなかったとか。
    ――えっ、契約書がなかったんですか!?この続きと、近藤有己、馳浩、金原弘光重病、デストロイヤー、仮面女子、藤田和之、クリス・ジェリコの記事まとめて読める「14万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 【全文公開】藤田和之…こんなプロレスラーはもう2度、現れないだろう。だからプロレスで燃え尽きて欲しい

    2017-11-15 11:35  
    唐突に更新する「ジャン斉藤のMahjong Martial Artas」――今回のテーマはMMAに復帰した藤田和之です!【関連記事】・ケビン・ランデルマンが生き抜いた時代・『ファイヤープロレスリング』とUWF、純須杜夫の死――藤田和之のMMA復帰戦は完敗に終わった。
    中国・河北体育館で行なわれたMMAイベントROAD FC。藤田は160キロの巨漢アオルコロの前に1ラウンドTKO負けを喫した。これで藤田和之はMMA7連敗。デビュー戦以外の相手に勝利したのは、2006年のPRIDE無差別級GPのジェームス・トンプソン戦までさかのぼってしまう。年齢による衰えもあって、野獣と恐れられたパフォーマンスは発揮できないでしまっている。
    この敗戦から4日後の11月16日、藤田はプロレスの試合に出場。12月にもMMAの試合が控えている。いくら1年間休養していたとはいえ、ダメージの蓄積が目に見えている47歳の
  • 私説・力道山対木村政彦■ズンドコ・トラブル興行研究会<小泉悦次・編>

    2017-11-15 11:26  
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    ズンドコ・トラブル興行研究会――プロレス格闘技のウラに精通する書き手たちがマット界を騒がせたズンドコな事件を振り返ります! 最終回の今回は、昭和プロレス研究家の小泉悦次さんによる「力道山対木村政彦」です!
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    ■ダフ屋と興行師の哀歌!! 岩手水沢騒動
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1216955■マンモス鈴木鉄拳制裁から見える力道山のセンスと狂気
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1242627■負けることに慣れた組織……国際プロレス崩壊直前を私は見たhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1263308
    ■シュートマッチ! 神取忍vsジャッキー佐藤http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1346535力道山対木村政彦戦は、闘った当人だけでなく、大山倍達など多くの人々のが複雑に絡み合ったこの試合は、日本プロレス史最初にして最大のトラブル興行である。
    シュートマッチイコール、トラブル興行ではない。ルー・テーズの師匠エド・ストラングラー・ルイスの最後のシュートマッチは、第二次世界大戦中に行われた対リー・ワイッコフ戦である。これは闘う両者、そしてプロモーターが同意しており、興行自体はトラブルと無縁であった。
    ルイス対ワイッコフ戦のような事前の同意がない場合にはシュートマッチがイコール、トラブル興行となる。力道山対木村戦がトラブル興行に発展したのはこの試合がシュートしてしまったからである。
    この試合については、今まで、多くの議論が交わされてきた。試合が行われてからすでに63年も経っている。しかし、未だ決着がついたようには思えない。それはまたこの試合の「賞味期限」の長さともいえ、そこに露見するのは「昭和日本」のプロレスの本質である。以下、(1)「ブック破り」、(2)「力道山と木村の共犯関係」、(3)「相撲対柔道」、(4)「プロレスの解釈」の4つの論点からこの試合についての私の視点を述べる。世間で流通している「世論」とはかなり異なるので、驚かれないでいただきたい。
    述べるに当たって、この試合について簡単に述べておこう。試合が行われたのは1954年12月22日、場所は東京・蔵前国技館、初代の日本ヘビー級王座決定戦として3本勝負で行われた。
    ゴングが鳴って10分あまり、両者共に相手に合わせて投げたり投げられたりと、オーソドックスな試合展開であった。木村が力道山の下腹部(急所ではない)を蹴ったのをきっかけに、力道山がまずは右パンチ、これは軽く当たっただけでダメージはほとんど与えていない。
    しかし以後、力道山の張り手と蹴りで木村は昏倒し、マットは血に染まった。ここで試合は打ち切られ、力道山の勝ちが宣せられた。3本勝負だったことはどうでもよくなってしまったが、ルール上は1本目も2本目もレフェリーストップということになる。
    (1)「ブック破り」
    力道山の猛攻は「ブック破り」というのが現在のところの「世論」のようだ。しかし、「ブック破り」の5文字でこの試合を片付けるべきではない。なぜなら、何の説明にもなっていないからだ。この「ブック破り」の5文字にこだわる必要がある。
    まずは「ブック破り」の「ブック」について。「ブック」、言い換えれば筋書きだが、この「ブック」は誰が書いたのか、ということだ。一般に「ブック」を書くのはブッカーもしくはプロモーターである。この続きと、近藤有己、馳浩、金原弘光重病、デストロイヤー、仮面女子、藤田和之、クリス・ジェリコの記事まとめて読める「14万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 金原弘光、重病で緊急入院!! 「高山くんはもっと大変。またリングに立てるように頑張るよ」

    2017-11-10 12:27  
    66pt
    金原弘光、重病で緊急入院!! 入院1ヵ月以上も寝たきりの状態で自力歩行もままならなかったそうですが、痛みがちょっと落ち着いてきたところで金原さん本人を取材してきました。頑張れ金ちゃん!「手術すれば二度と格闘技やプロレスはできないと言われたんだよ」「自分がこうやって病気をするつらさがわかるから、いまの高山くんのことがよけいにね……」――金原さん、入院生活おつかれさまです。
    金原 まいっちゃったよ〜。9月20日から1ヵ月半近くだから。
    ――まだかかるんですか?
    金原 お医者さんによれば、年内に退院できれば……という感じらしいんだけど。
    ――最低でも2ヵ月は入院。思った以上に重症なんですね……。
    金原 最初は「なんだかんだ2週間くらいで退院できるかな〜」なんて考えてたんだよ。でも、そんな簡単な病気じゃないみたいで。
    ――どんな病気なんですか?
    金原 化膿性脊椎炎、感染性心内膜炎。
    ――あまり聞いたことのない病名ですね。
    金原 10万人に1人とかのレベルの病気みたい。歯周病菌が血流に入って、最初は心臓の弁について、そこから全身に周ってね。そのばい菌が原因で脳梗塞を起こしたり、敗血症になって亡くなっちゃうケースがあるんだって。医者から「このまま死んでしまう病気ですよ」って言われてね。
    ――危なかったんですねぇ。
    金原 うん。そのまま死んでしまっていたかもしれないしし、心臓の弁についたばい菌がもっと大きかったら、手術して人工弁に変えないといけなかったみたい。俺の場合はその菌が脊椎に感染したんで、腰に痛みが出たんだよね。最初に腰に症状が出たのが不幸中の幸いだったんだよ。
    ――脳や他の器官に感染する前に。
    金原 とくに具合は悪くなかったんだけど、ある日、突然ぎっくり腰になったかのと思ってさ。もう凄く痛いんだよ。ギックリ腰の経験はあるけど、こんな痛いことはなかった。でも、自分の周りで重いギックリ腰で2週間くらい寝たきりになった人がいたから。
    ――重度のギックリ腰なんじゃないか、と。
    金原 そうそう。あまりにも痛くて寒気もしてきたから「これはヤバイな……」ってことで救急車を呼んだんだよ。そうしたら熱は38度もあったし、「これはギックリ腰じゃないですよ」と。そのときは「まあ薬を飲めばすぐに治るだろう」と思って検査をしたら……。
    ――化膿性脊椎炎、感染性心内膜炎だった。
    金原 ずっと激痛。ばい菌が腰の骨が溶かしてるんだけど、骨膜には神経が集まってるから痛みが発生するんだよね。寝返りも打てないほど痛くて、5週間ずっと天井を見る生活。
    ――天井を見つめたまま痛みをこらえて。
    金原 ホントつらいんだよ。突然発作が起きるように痛みが出てきて、全身が強張ってね。あの痛さはプロレスでも感じたことがない。「うわ〜〜〜!!」って絶叫してベッドの上のパイプを掴みながら堪えるんだけど、痛くて痛くて涙も出てくるんだよ……。――プロレスラーでもガマンできないほどの痛みですか……。この続きと、近藤有己、馳浩、アベマ対談、デストロイヤー、仮面女子、藤田和之、クリス・ジェリコの記事まとめて読める「14万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • アメリカ第3の団体ROHを変えた2人の日本人プロレスラー■アメプロインディ通信「フリーバーズ」

    2017-11-10 12:06  
    55pt
    アメリカのインディプロレスの“現在”を伝える新連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます!<前回の記事はコチラ>知ってるようで知らないアメリカ第3の団体ROH■アメプロインディ通信「フリーバーズ」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1357571「アリガトウ!」「モーロシマ!モーロシマ!」
    アメリカ第3の団体ROH(リング・オブ・オナー)のリングには時折、日本語の声援が飛ぶ光景が見られるようになっていた。
    2004年4月、設立3年目にして団体存亡の危機に陥ってしまったROHは、創設者ロブ・ファインスタインに替わって新オーナーに就任したキャリー・シルキン氏や、ブッカーのゲイブ・サポルスキー(現EVOLVEオーナー)らのもとで再出発を図ることになるが、今回はその新生ROHの一端を担うことになった日本人レスラーを紹介しよう。
    2007年シカゴ――観客たちからは「モーロシマ!モーロシマ!」の声援が飛んでいた。ROH世界王者に君臨した唯一の日本人、森嶋猛は現地のファンからは「モロシマ」と呼ばれていた。
    森嶋は2007年2月17日、実力者ホミサイドの持つ王座に挑戦するや、大方の予想を裏切り、必殺のバックドロップで王座奪取。同年10月6日にナイジェル・マッギネスに敗れるまで、なんと20回の防衛を重ねていた。
    この年の森嶋のアメリカでの活躍ぶりは、高い評価を得ており、『レスリング・オブザーバー・アワード』の年間最高試合賞(8・25ニューヨーク、vsブライアン・ダニエルソン)と、ベスト・ブローラー賞を受賞している。実力が認められた森嶋への「モーロシマ!」コールは、現地で観戦していた私には想像以上のものだった。
    森嶋が所属していたNOAHとROHは協力関係を結んでいた。NOAHの司令塔だった仲田龍氏との関係は強固なものだったようで、2014年2月に仲田氏が亡くなられた際には、ROHの会場で追悼の10カウントゴングが鳴らされたことは、日本ではほとんど知られていない。その翌日、ROHが日本での新たなパートナーに新日本プロレスを選び、合同興行開催を発表したのは偶然だったにしても、奇妙な運命を感じてしまう。この続きと、近藤有己、馳浩、金原弘光重病、デストロイヤー、仮面女子、藤田和之、クリス・ジェリコの記事まとめて読める「14万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • ローズ・ナマユナスはかく戦えり:興奮のUFC 217 試合後情報まとめ■MMA Unleashed

    2017-11-10 11:56  
    55pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマは「ローズ・ナマユナスはかく戦えり:興奮のUFC 217 試合後情報まとめ」です!史上初めて1大会で3人の新王者が誕生し、期待に違わぬ盛り上がりを見せたUFC 217(日本時間11月5日開催、マジソン・スクエア・ガーデン)。そのメインイベントでマイケル・ビスピンを下してUFCミドル級タイトルを獲得したのは、ジョルジュ・サンピエール(GSP)であった。GSPの一本勝ちは10年ぶりとのことで、試合自体もとても良かったのだが、ジョー・ローガンとの試合後インタビューも大変楽しいものであった。クソ丁寧な言葉使いと、ビスピンの弱点をあっさりと種明かしして しまうところが実にGSPらしい。
    ローガン:ジョルジュ、試合で予想外だったことはあったかい?
    GSP:かなり効かされたよ。隠していたけれど、何度か面食らった。こんな試合はもうしたくないよ。ああ畜生。あ、テレビで汚い言葉は使いたくないんだ。悪かった。
    ローガン:これでミドル級のチャンピオンになりましたが、これからもこの階級でベルトを防衛していくのですか。
    GSP:この階級は僕の本来階級ではない。チャレンジのためにあえてやったんだ。これまでの僕のキャリアでは、こういう余裕がなかった。挑戦者が次から次へとやって来るし、僕は階級を上げるには身体が小さすぎる。今でもまだ、ウェルター級の体格なんだけど、いくらか筋肉を付けることができたので、やってみることにしたんだ。筋肉を付けすぎたかなと思った時期もあったが、いまのところは適正になっている。 マイケルの動画は繰り返し研究した。秘密をばらしたくはないのだが、彼が右サイドで被弾しやすいことは分かっていた。だからゲームプランは、左サイドのフェイントで気をそらせておいて、右サイドに打ち込むことだった。今回は基本的にはひたすらそれをやっていたんだ。
    ローガン:フィニッシュはパウンドからリアネイキッド・チョークに切り替えました。
    GSP:あれはトリックだよ。罠(わな)を仕掛けることもあるんだ。僕には経験があるからね。数年前の僕なら、力任せにやっていた。でも今は、一番いいのは、敵に罠を仕掛けることだと思っている。罠だなんて、ひどい比喩だとは思うけど、まあそういうことだよ。
    ローガン:あなたはまだまだ強くなっていると言っていましたが、まさにその通りでした。
    GSP:マーシャルアーツは、どちらのタマがデカいか、という問題ではないんだよ。言葉が汚くても申し訳ない。でも、マーシャルアーツはテクニックであり、罠を仕掛けることであり、知的なことなんだ。僕は今日、自分より身体の大きな相手と戦って、このことをファンの皆さんに証明したかったんだ。この続きと、近藤有己、馳浩、金原弘光重病、デストロイヤー、仮面女子、藤田和之、クリス・ジェリコの記事まとめて読める「14万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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