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  • 【最終回】サイモン・ケリー「IGFはパン屋になって、みんな幸せになった」

    2020-08-15 22:43  
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    アントニオ猪木の元・娘婿で新日本プロレスの社長を務めたサイモン・ケリーインタビュー、いよいよ最終です!パート1はコチラ→「プロレスに関わることは倍賞美津子さんに大反対されました」パート2はコチラ→「猪木事務所の暴走、ロス道場設立、猪木vsMMAファイター」パート3はコチラ→第5代新日本プロレス社長から見たシンニホン暗黒時代パート4はコチラ→「ダーッ!!」は権利問題でリング上では不発……IGF嵐の船出!
    パート5はコチラ→ IGF大晦日・小川直也vs藤田和之が噛み合わなかった理由 

    パート6はコチラ→中邑真輔の「猪木アピール」を受けて新日本プロレスの会場に乗り込んだ話番外編 素晴らしき最狂プロレス団体IGF対談■鈴木秀樹×サイモン・ケリー
    ――IGF末期に新ブランドが立ちあがりますよね。
    サイモン NEWですよね。それまでのIGFは猪木さんに頼りすぎてるところはあったし、IGFは2ヵ月に1回の開催ペースだから大会数を増やしたいけど、大きい大会はなかなかできないし。だったら後楽園ホールクラスでやりたいね、と。 ただIGFのブランドは傷つけたくないとことでNEWとして始めたんです。 もちろん猪木さんにも説明しに行って、あんまり大きい話ではないから猪木さんとしては興味はなかったようですけど。「やれば」って感じで。
    ――NEWをやり始めてから猪木さんとIGFのあいだの溝が深まるようになったんですよね。
    サイモン NEWをやってる最中にいろんなことが起きてしまったというか……。猪木さんが再婚されたことも知らなかったですからね。中国に行ってるあいだに周りから聞いてビックリしたというか。
    ――そんな関係になってしまったんですか。
    サイモン 決定的になったのは、テレビ朝日で「国民1万人がガチで投票! プロレス総選挙」という番組があって。1位は猪木さんだったんですが、中国で見たんですけど番組の内容が気に食わなかったんですよ。あの番組には武藤(敬司)さんとかプロレスラーが番組に出てたんですけど、ランキング入りしたレスラーにはVTR が用意されて本人のインタビューもあって。でも、1位の猪木さんが発表されたときは、番組終了テロップが流れている中、猪木さんが登場して「ダー!」をやって終わりみたいな。見てて「アレ?」って感じで。
    ――1位ならもっと尺があってもよかったんですよね。
    サイモン 「ちょっと酷すぎないか」っていうことを YouTubeでしゃべったのかな。 show大谷さんの番組かなあ。
    ―― みんな大好きshow大谷さん(笑)。
    サイモン あの番組構成は酷いよねって話をしていたら、その会話が猪木さんに変なふうに伝わって「サイモンが猪木さんのことをボロクソに言ってるぞ」みたいになっちゃったんですよ。猪木さんがアンケートで1位になったことは八百長だと。そんなこと言ってないのに。
    ――たしかにあの番組のアンケートって八百長っぽいところはあるんですよね。猪木さんの1位は文句なしだとして、新日本を離脱したばかりの中邑真輔がランクインしてなかったのはテレビ朝日があきらかに忖度したんでしょうし。 
    サイモン テレ朝の編集のやり方とか何かあのベストテンは気に入らないっていう批判はしたけど、猪木さんに対しては何もなかったんですね。でも、何か知らないけど変な風に伝わって、急に事務所に弁護士から手紙が届いて。
    ――うわっ!
    サイモン 以前だったら猪木さんが直接電話をしてきて「サイモン、何をやってるんだ!」と呼ばれて……みたいな感じだったので、急に弁護士からの連絡になってるから「……おかしいな」って。そのへんらIGFと猪木さんの関係も危うくなって「ああ、俺は猪木さんの敵側になってしまったんだ」と。
    ――いつのまにか。
    サイモン 気がついたら。
    ――そういう気配ってなかったんですか? 
    サイモン 中国にいたからわかんなかった、ということもありましたけど。マカオで大会をやるとかやらないとかで猪木さんのスケジュールを調整するってことになったら、結局マカオは中止になったりして「話が違うぞ」と。そういう細かい問題も積み重なっていって。IGFと猪木さんの弁護士同士の話になってるから、ヘタに猪木さんに電話することもできなくなっちゃったし。
    ――猪木さんからすれば、サイモンさんは「IGF側の人間」という認識になってしまったんですね。
    サイモン 自分もちょうど離婚をしたあとだったので余計に……。
    ――猪木さんの娘、寛子さんと。


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  • サイモン・ケリー第5弾! IGF大晦日・小川直也vs藤田和之が噛み合わなかった理由

    2020-04-10 11:16  
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    アントニオ猪木の元・娘婿で新日本プロレスの社長を務めたサイモン・ケリーインタビュー第5弾。今回はIGF大晦日・小川直也vs藤田和之を振り返ります! プロレス頭をフル回転しながら読もう!(聞き手/ジャン斉藤)パート1はコチラ→「プロレスに関わることは倍賞美津子さんに大反対されました」パート2はコチラ→「猪木事務所の暴走、ロス道場設立、猪木vsMMAファイター」パート3はコチラ→第5代新日本プロレス社長から見たシンニホン暗黒時代パート4はコチラ→「ダーッ!!」は権利問題でリング上では不発……IGF嵐の船出!
    サイモン レッスルマニアが話題になってますけど、猪木さんがWWEの殿堂入りしたことを思い出したんですよ。
    ――レッスルマニアに合わせて式典が開催されるやつですね。猪木さんは2010年に殿堂入りして。
    サイモン あの当時、WWEのエージェントのジョニー・エースさんとたまに会って話をすることが多かったんですよね。
    ――情報交換じゃないですけど。
    サイモン そうそう。そのときに「アジア人プロレスラー初の殿堂入りは猪木さんしかいないですよね?」みたいな話を振ってて。 そうしたらWWEとしても猪木さんの殿堂入りを考えてたみたいなんですけど、内部でもハードルはあったみたいなんですよ。ビンス(・マクマホン)さん本人は猪木さんの思い出があまりなくて。お父さんのシニアさんなんですよね、猪木さんや新間(寿)さんと付き合いが深かったのは。
    ――ビンスの代になってからは新日本とWWEは疎遠になっちゃいましたね。
    サイモン それに猪木さんや新日本プロレスには「何をするかわからない団体」という危ないイメージがあったから、WWEの内部でも「本当に大丈夫か?」と心配する声もあったみたいです。ちゃんと殿堂の式典に出てくれるよね?と(笑)。
    ――ハハハハハハハ! 猪木さんが何を余計なことをやるんじゃないか?と(笑)。
    サイモン こっちとしては猪木さんのデビュー60周年の節目に殿堂入りが実現できて凄く嬉しかったですけど。猪木さんは、あまりピンと来てなかったんですよ。「どうでもいいよ」じゃないけど、そこまで乗り気ではなかったんですよね。
    ――猪木さんならそういう反応ですよね。いまさらWWEの殿堂なんて……という。 
    サイモン でも、 IGF側からすると、これは絶対に行ったほうがいいって話じゃないですか。猪木さんと一緒に大人数でレッスルマニア現地に行ったんですよね(笑)。行ったら行ったで猪木さんも喜んでましたからね。
    ――WWEなら超VIP待遇しますし。
    サイモン それはもちろん。 またレッスルマニアになると、ただでさえスケールの大きいWWEがさらに別世界になるんですよね。宿泊したホテル自体がWWの貸し切りだし、街全体がWWEの一色になっちゃってますからね。
    ――レッスルマニアの経済効果ってハンパじゃないんでしょうね。
    サイモン オリンピックじゃないですけど、「来年はウチの街でやってくれ」って誘致運動があって、それぐらい経済効果が凄いみたいですから。だって選手や関係者がホテルから会場に行くにもバス何台、リムジン何台っていう世界なんですよ 。それをパトカーが誘導して、交差点から高速道路まですべてブロックして一気に会場に突き進んで。こんなマネはさすがにどの団体もできないなっていうレベルだったので、あらためてWWEはスゲエなあって感じたんですよね。 
    ――猪木さんとビンスは会話したんですか?
    サイモン 猪木さんとビンスさん、2人で話していた瞬間を見ましたよ。
    ――おおっ!!
    サイモン そのとき周りには誰もいなかったんですけどね。だから何を話したかは公開されてないんですけど……。猪木さんとビンスさんのあいだにはちょっと緊張感は流れてんですけど、何十年ぶりかに会話をすることで、お互いにホッとした印象はあったように見えましたね。
    ――稀代のプロレスラーと稀代のプロモーター。いいシーンですねぇ。
    サイモン 猪木さんの殿堂入りのインダクター(紹介者)はスタン・ハンセンさんだったんですよね。
    ――そこもちゃんとアントニオ猪木というプロレスラーの歴史を考えてますよね。アメリカのプロレスファンからすれば、猪木さんとハンセンの関係は知られてないから拘る必要はないんですけど。
    サイモン WWEには本当に細かくやっていただいたというか。猪木さんのスピーチは短かったんですよね。通訳の俺が入っていても5分かかってないんじゃないかなって。周りも「あれ、もう終わり?」みたいな反応で。でも、最後は会場のみんなで「ダー!」をやったりしたので相当インパクトあったと思うんですね。
    ――「ワン、ツー、スリー!!  ダーッ!」ってやったやつですね(笑)。
    サイモン そういえば、あのときは邪道・外道の2人がプライベートでレッスルマニアを観戦に来てて、終わったあとにみんなで酒を飲まないかなって誘ったり。猪木さんの前だったので固くなってましたけどね。あと同じアリゾナ州のツーソンからドン・フライが遊びに来たりとか。そうだ、急に猪木さんが「ラスベガスに行きたい」と言い出して、予定変更してラスベガスに向かったんですよ。 
    ――猪木さん、アメリカ旅行を満喫してたんですね(笑)。
    サイモン そのあと日本人レスラーが殿堂入りしたのは藤波(辰爾)さんですよね。今年はライガーさんが選ばれるんじゃないか……って噂は出てますけど(※取材後、ライガーの殿堂入りが発表)。
    ――それで今日は大好評IGFエピソードの続きなんですけど。2010年大晦日『Dynamite!! 』で鈴川真一vsボブ・サップのMMAルールが組まれたじゃないですか。
    サイモン あー、サップが試合直前にドタキャンしたやつ。
    ――大会プロデューサーの谷川貞治さんいわく、サップが戦意喪失して控室に籠城したと。「ドタキャンした理由はわからない。二度と使わない」とサップ側に非があることを匂わしましたが……実際は何があったんですか?

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  • 「ダーッ!!」は権利問題でリング上では不発……IGF嵐の船出!■サイモン・ケリー④

    2020-03-12 15:16  
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    アントニオ猪木の元・娘婿で新日本プロレスの社長を務めたサイモン・ケリーインタビュー第3弾。今回はIGF旗揚げを振り返ります!(聞き手/ジャン斉藤)パート1はコチラ→「プロレスに関わることは倍賞美津子さんに大反対されました」パート2はコチラ→「猪木事務所の暴走、ロス道場設立、猪木vsMMAファイター」パート3はこちら→第5代新日本プロレス社長から見たシンニホン暗黒時代【1記事から購入できるバックナンバー】負けたら即引退試合SP、過激な舞台裏「新日本プロレスはあのとき橋本真也がいらなかったんです」 中村祥之インタビュー ZERO-ONE激動の旗揚げ 中村祥之インタビュー 破壊王・橋本真也の死――不倫とゼロワン崩壊「仲田龍さんが気力体力尽き果てたのはわかりますよ。ボクもやられましたから……」


    ――今回はユークス体制の新日本プロレスになってからのお話です。猪木事務所は解散して、猪木さんは新生・新日本プロレスの中に入ってやっていく……ということになったわけですよね。
    サイモン そうなんですけど、最終的にうまくいかなかったんですよねぇ。わかりやすい例をいえば、猪木vsモハメド・アリ戦の30周年記念イベントをやろうとしていた人たちがいたんだけど、社内には反対派もいたんです。 猪木派と反・猪木派に分かれてしまって……。
    ――当初は日本武道館で記念興行をやるという話だったんですよね。
    サイモン それがNGになって、最終的に横浜・赤レンガ倉庫でパーティーだけやったのかな。猪木さんからすれば、興行をやらないなら意味ないじゃん!っていう。べつにMMAをやろうとしてたんじゃなくて、猪木vsアリ戦の記念に異種格闘技戦のトーナメントをやろうとしてたのが……。
    ――新日本からすれば「また格闘技路線は……」ということだったのかもしれないですね。
    サイモン そうそう、当時は「そっちだけはやめてくれ!」という雰囲気で。 MMAじゃなくてもダメ。もっと楽しいプロレスをやりましょう!と。 アンチ猪木・大爆発で「ストロングスタイル系のものにも関わりたくないっ!」みたいな。
    ―― ユークス体制を機に新しい新日本プロレスを創っていきたいというか。
    サイモン そういうことですね。「レッスルランド」や「ロックアップ」とかインディ系のサブブランドも始まって、いままでの新日本じゃないような方向性に向かって。 それがいいか悪いかでいえば、いまの新日本の調子がいいので正解だったのかもしれないですけど。自分的にはやっぱり「ストロングスタイル」という新日本プロレスのメインのメッセージだけはキープしたかったなという思いはありますね。 
    ――もう猪木さんに発言権はなかったわけですか?
    サイモン ないですね。 会議でもアンチ猪木の方が圧倒的に多かったので。多数決というわけじゃないけど、どうしても意見の多い方に動いていきますし。
    ――ユークス新日本には「アントニオ猪木」という看板を使ってビジネスをしようという動きはなかったんですか?
    サイモン なかったですねぇ。最初は猪木さんの経費を含めてOKだったものが、だんだんとNGになっていったり。そうなると猪木さんサイドも火がついてきて、新日本の中でもバトルが起き始めて。それでIGFを作ることになって新日本と決別するわけですけど。
    ――IGFの資金って圧倒的だったじゃないですか。 
    サイモン 「猪木酒場」を手掛けていたジー・コミュニケーションという外食産業会社が「お金を出すから自分たちでやっちゃいましょう」という流れになったんですよね。ジー・コミュニケーションの経営は調子がよかったし、ほかにも猪木さんにお金を出す人はたくさんいたんですよね。
    ――90年代の新日本東京ドームが超満員になっていたのは、猪木さんの営業力が強かったという理由もあるみたいですね。以前NOAHの三沢光晴さんが参戦したから満員になったというニュースが流れたら、猪木さんが「俺が何枚切符を売ってると思ってるんだ?」って怒ったときがあって。
    サイモン ホントに猪木さんこそ凄い営業マンだったので。猪木さんの力をもうちょっと利用していれば、もっといろんなことができたかもしれないですよね。あそこで決別しちゃったことで、猪木さんのスポンサー系はみんなIGFについてしまうことになったし。
    ――当時新日本の社長だったサイモンさんもやめられて。
    サイモン こうなったら自分もやめるしかないでしょ。猪木さん側の人間がみんなやめていってるのに、自分だけ新日本に残る理由がない。新日本は大好きだし、新日本を立て直したいという気持ちはあったけど。猪木さんがいないきゃいられないでしょっていう。もうIGFに行くしかなかったですよね。 
    ――新日本としてもサイモンさんがやめられることは「やっぱり」という反応だったというか。
    サイモン やめるときは反発を食らいましたけどね。「やめるな」じゃないけど、「やめかたのイメージが悪い」ということですよね。
    ――ああ、新日本の印象が悪いですよねぇ。やっぱり仲間割れじゃないですけど。
    サイモン あたりまえだけど、新日本の事務所で社長退任会見は開いてくれなかったんです。だからIGF事務所の近くの公園で(笑)。
    ――どんな場所で記者会見をやってるんだという(笑)。あれで猪木さんと新日本の仲の悪さがわかっちゃいましたよね。
    サイモン でもまあスッキリしたというか。こっちもやりたいことができるということで、IGFの旗揚げ戦で火が付いちゃうんですよね。 
    ――IGFの旗揚げ戦のタイトルは「闘今BOM-BA-YE」でしたけど、「闘魂」とか猪木さん絡みのワードは新日本が商標を持ってたから「闘今」になったんですよね?
    サイモン そうですね。あとから新日本と話し合って使えるようになりましたけど。
    ――猪木さんがリング上で「1・2・3・ダー」をできなかったのもそういう理由で。
    サイモン そうです。いろんなものが登録されてたってことですよね。
    ――ということは、猪木さんもまさか新日本と決別することになるとは思っていなかった、ということですよね。
    サイモン 最初から独立する気があるなら、自分のものなんだから新日本には預けないし。 そういうこともあって新日本に対してストレスが溜まっていたこともあって。「最強のカードはなんだ?」ということでたどり着いたのがブロック・レスナーvsカート・アングルで。
    ――スーパーカードを組みましたよね。サイモンさんがまだ新日本の社長だった頃、ブロック・レスナーってIWGPのベルトを持ったまま新日本をジャンプしたじゃないですか。札幌大会で棚橋弘至の挑戦を受ける予定だったのに大会2日前に来日キャンセルして。
    サイモン あれはブロックが悪者になってるけど、新日本がダメなんですよ。まず新日本との契約したときブロックはWWEと裁判中で。新日本が交渉している最中にゲストとして東京ドームに来たんですよね。
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  • 第5代新日本プロレス社長から見たシンニホン暗黒時代■サイモン・ケリー

    2020-02-22 10:34  
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    アントニオ猪木の元・娘婿で新日本プロレスの社長を務めたサイモン・ケリーインタビュー第3弾。今回は新日本プロレス社長時代を振り返ります!(聞き手/ジャン斉藤)パート1はコチラ→「プロレスに関わることは倍賞美津子さんに大反対されました」パート2はコチラ→「猪木事務所の暴走、ロス道場設立、猪木vsMMAファイター」
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    5 【人生最終回】安田忠夫「もうすべてがイヤになったから、練炭自殺したんだよ……」4【プロレスはやっぱり奥が深い!】安田忠夫が語る「哀しきジャブボーイとイジメ」3【嵐の総合格闘技編】安田忠夫「IWGP王者になりたくないから、はじめは断ったんだよ」2【90年代・新日本プロレス編】安田忠夫「リングでやっちゃえば警察は介入できないじゃん」1安田忠夫インタビュー! 相撲と暴力、博打、八百長問題を激白!!


    ――サイモンさんが新日本プロレスの陰りを感じたのはどのへんなんですか?
    サイモン ロスにいるとき猪木さんから話を聞いたり、誰かが日本から来たときに新日本の話を聞くという感じで。ガッツリとは聞けないから本当のところはわからなかったんですよね。
    ――どこまで悪化してるのかは見えづらかったという。
    サイモン 草間(政一)さんが社長になる前かなあ。長州さんが新日本をやめてWJを作るときぐらいから「大丈夫なのかな」と。
    ――現場責任者の長州さんや、猪木さんの参謀だった永島(勝司)さんたちが新日本をやめられたことはどう思われたんですか?
    サイモン 「しょうがないな」っていうか。長州さんたちがやってきた流れがあるんだけど、猪木さんがたまに出てきて藤田(和之)さんやPRIDEで活躍した選手を使わなきゃいけない。同じ会社のはずなのに距離感があってうまくいってないことはわかりますよね。 
    ――みんなが新日本から離れていくことに猪木さんは何かおっしゃってましたか?
    サイモン 猪木さんの場合は離れていくことよりも「次をどうするか」って前向きなところはあったかもしれないですね。
    ――長州さんが去ったあとは営業畑の上井(文彦)さんがマッチメイカーに就きますよね。
    サイモン 猪木さんはロスからニューヨークに引っ越したんですけど、 上井さんがニューヨークまで訪ねてきてアイディアを出したり、話をすることによって、猪木さんの意を汲んでくれるところもあれば、「アルティメット・ロワイヤル」みたいに変な方向に向かっちゃうところもあったりして(笑)。
    ――伝説のズンドコ企画!  説明しよう! 「アルティメット・ロワイヤル」とは2005年1月4日の新日本プロレス東京ドームで行なわれた史上最大最悪のズンドコ企画だ。8名参加の総合格闘技バトルロイヤルという触れ込みで、1つのリングで同時に2試合行われるが、他の試合には介入できず、残りの4名はリング下で待機。勝者は準決勝、決勝戦と駒を進められるが、バトルロイヤル的な展開はないうえに試合内容は総合格闘技ではなくプロレスであり、ボンヤリとした「なんちゃって格闘技」ダラダラと見せつけられた。誰も優勝者の名前はおぼえていない。
    サイモン 猪木さんのやりたいことはあれではなかったかなと(笑)。猪木さんがどんなアイデアを出したのかはわからないですけど……あれは猪木さんが考えたものではないですね。
    ――でも、みんなは猪木さんの企画だと……。
    サイモン うーん、猪木さんはあんなことをやれとは言ってないけどなあ。あの頃の猪木さんはとにかくビックリさせることをやりたがってたんですよ。たとえば『キン肉マン』じゃないけど、リングを4つぐらい揃えて同時に試合をやるとか。
    ――マサ斎藤さんとの巌流島決戦もそういった発想ですよね。
    サイモン 「いままでどおりにやってもしょうがねえよ!」ってことですね。ちょっとひねったり、新しいアイデアを入れたり、何か面白いことをしないとダメだよと。
    ――猪木さんは良くも悪くも具体的には説明しない人ですし。サイモン 当時はプロレスの試合にしても新日本の選手が負けっぱなしだったじゃないですか。新日本プロレスの所属選手がなかなか上がっていかない。
    ――フリーレスラーや他団体の選手が勝ってばかりで「土下座外交」なんて言われてましたね。ある選手がNOAHに出る話を拒否したこともあったり。
    サイモン マッチメイカーの上井さんが相手の要求をすぐに飲み込んじゃうのか、ただ流されているのかわからないけど……一番酷かったのは中西(学)さんがキックの試合に出されたじゃないですか。
    ――K-1のTOA戦! 1ラウンドでKO負けしたやつですね。
    サイモン レスリングがバックボーンだからMMAならともかく、ですよ。中西さんはロスに1週間だけ練習に来て、ジョシュ・バーネットが一緒だったんですけど、彼もキックの選手じゃないですからね。そりゃあ勝てるわけないだろうっていう試合ですよね。 
    ――そうやっていつ格闘技出陣令が出るかわからないから、棚橋弘至選手も格闘技の練習を始めるわけですね(笑)。
    サイモン 武藤さんとかもうそういう流れがイヤでいなくなっちゃったし、新日本の悪いイメージがだんだんとついていきましたよね。 「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」という猪木さんの言葉もあるし、そういうことをやらないといけないのかもしれないけど、それって「格闘技をやれ」って言うことでもなかったとは思うんですよね。猪木さんは新日本で総合格闘技をやれなんて言ってないですし。
    ――そこなんですよね。ストロングスタイルの間違った捉え方というか。
    サイモン 新日本プロレスの中で異種格闘技戦みたいな企画をやって「プロレスラーは強いんだ」とやるのはわかるんですよ。でも、向こうのルールでやって負けたら意味がないですよね。
    ――ロスからニューヨークに移った猪木さんとサイモンさんはコミュニケーションは取れていたんですか?

    サイモン そのへんあたりからコミュニケーションを取る機会は減っていきましたね。たまに上井さんと一緒にニューヨークに行きましたけど。
    ――猪木さんがニューヨークに引っ越したのはどういう理由なんですか?
    サイモン 子供さんの大学の関係ですよね。 ニューヨークでも何回か引越してましたけど、当時ヤンキースでプレーしていた松井秀喜さんが住んでいた高層マンションだったこともあったりとか。
    ――それぐらい猪木さんも稼いでたってことですね。サイモンさんは新日本プロレスの執行役員に就きますよね。
    サイモン あれって名前だけですよ。自分も役職がほしいわけじゃなかったんですけど、周りが気を使ってくれて無理やり。 だいたいあのときは新日本の社員の半分以上が執行役員とかになってて(笑)。
    ――ハハハハハハハ! 他の皆さんも名前だけの役職ですか?
    サイモン そうですね。とくに株を持ってるわけでもないですし。何かパワーもあるわけでもないです。執行役員が集まって会議を開くわけでもない。いままでどおり(笑)。
    ――ガハハハハハハハ! それまで大晦日を一緒にやっていたPRIDE、K-1、そして猪木さんがバラバラになって独自にイベントをやるようになるじゃないですか。
    サイモン 「あれ、一緒にやらないの? 3つに分かれちゃうの?」って遠くから眺めていた感じですよね。『猪木祭り』の選手ブッキング方面で手伝うという話だったんですけど、何か頼まれて選手に辿り着いてももうヨソとは話がついていたり。ジョシュ・バーネットもどこかに取られそうになって、こっちで押さえましたけど。そこまでガッツリは動いてなかったですね。
    ――『猪木祭り』の会場となった神戸ウイングスタジアムには行かれたんですよね?
    サイモン 行きましたね。めっちゃ寒かったことを覚えてます。
    ――テレビコマーシャルで「『猪木祭り』は暖房完備!」を売りにしてたのに(笑)。
    サイモン 会場がめちゃくちゃ寒いからアップ中の選手の身体から湯気が出てるんですよ(笑)。あと大会終了後のリングにファンが上がっちゃうアクシデントがあったり。
    ――伝説の大晦日暴動! 説明しよう! 猪木祭り暴動とは2003年12月31日に勃発した史上最大のズンドコトラブルだ。百八つの除夜の鐘にならって108人の選手、関係者、お客さんに闘魂ビンタを放つ予定が、運営側の段取りが悪く誰もリングに上がってこず。痺れを切らした猪木さんが「そこのキミ!リングに上がって!」と適当に客席を指差したところ、続々と観客がリングに上がりだしてあっという間に大混乱。もみくちゃにされながら猪木さんは「ルールを守れ!!」とブチ切れて新年を迎えた。
    サイモン あのときはリングサイドにいた(笑)。ああなっちゃうと止めようがないですよね。もうみんなリングに上がっちゃうわけですから。あのときは藤田(和之)さんが猪木さんを守ってたんですよね。
    ――藤田さん、ファンにガン付けながら猪木さんをガードしてましたね(笑)。
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  • サイモン・ケリー インタビュー②「猪木事務所の暴走、ロス道場設立、猪木vsMMAファイター」

    2020-01-10 12:16  
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    アントニオ猪木の元・娘婿で新日本プロレスの社長を務めたサイモン・ケリーインタビュー第2弾。猪木事務所の暴走、ロス道場設立、猪木vsMMAファイター……を振り返ります! パート1はコチラ→サイモン・ケリー「プロレスに関わることは倍賞美津子さんに大反対されました」【1記事から購入できるバックナンバー】







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    ――猪木さんと同じロス在住になったこともあって、サイモンさんは新日本プロレスの仕事もするようになったんですよね。
    サイモン 最初は猪木事務所とUFOの仕事をやってたんですけど、途中でUFOの興行が止まってからは、いつのまにか新日本の外国人のブッキングもお手伝いするようになって。当時は外国人レスラーのブッカーには大剛(鉄之助)さん、ブラッド・レイガンスさんがいたんですけど、そこの枠に自分も入った感じですね。 
    ――サイモンさんがプロレス業界に関わり始めた頃……1999年1月4日の橋本真也vs小川直也、いわゆる“1・4事変”を境にして、新日本に対する猪木さんの発言権は大きくなっていきました。
    サイモン 新日本の周辺には、この件を避けようとする人たちもいたんですけど、逆にこんなに面白いネタはないと思う人たちもいて。当時新日本の社長だった藤波(辰爾)さんたちがロスにきて、猪木さんとこの件で話をしてるうちに「これをマックスにしよう」と。
    ――盛り上げていこうとしたんですね。当事者の橋本さんも当初は猪木さんに対して恨みが強かったはずですよね。小川直也は猪木さんの命を受けてああいう試合をやった……と。
    サイモン あのあと橋本さんもロスにやってきて、猪木さんと食事をしてましたね。試合後はみんな怒ってたんですけど、猪木さんの話を聞いてるうちに怒りが収まっていくんですよ(笑)。違う発想や希望が生まれてくるというか。
    ――猪木さんも個人的な感情でああいう事件を起こしたというより、プロレスで凄いことがしたいってことですもんね。
    サイモン そうなんですよ。みんな話していくうちに猪木さんの色に染まってくるじゃないですけど、考えがまとまってくるという感じで。
    ――『橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退SP』で橋本さんが小川さんに負けて3連敗を喫したことも、橋本さんが最終的に猪木さんを信頼していた……ということですよね。
    サイモン だと思うんですよねぇ。橋本さんが負けたときの会場の凍りついた空気、いまだに忘れられないですよ。あそこで橋本さんが勝った方がハッピーエンドでよかったのかもしれないですけど……ビックリさせるのが新日本プロレスの良さの一つというか。橋本さんが負けたときのインパクトはとにかく凄かったから。
    ――勝った小川さんが居心地悪そうにしてましたもんね(笑)。
    サイモン あの試合前、ボクはロスにいたので日本で何が起きてるのかは詳しくは知らないんですよ。情報源は毎週アメリカに送られてくる『週刊プロレス』と、ネットで読める表向きなニュースだけ。 来日したあとに込みいったニュースがいろいろと入ってきて……それでも深くは知らないですけどね。
    ――あの頃の新日本ってやってるほうも、どう転ぶかはわかってないところがありましたよね。
    サイモン そうなんですよね。起きたことをどう転がしていくか?というイメージの方が強かったですよね。
    ――『負けたら即引退SP』もテレビ朝日のアイデアに新日本が乗っかりましたけど、テレビ朝日も3連敗の結末は想像してなかったでしょうし。
    サイモン ボクもそうですけど、みんな橋本さんの勝利だと思ってましたよね。あのときは生中継だったじゃないですか。村上(和成)さんと飯塚(高史)さんの試合も生でしたけど、猪木さんが試合の始まり方にも凄く拘って、村上さんにいろいろとアドバイスしてたことは覚えてますね。どうやったらインパクトのあるように始められるか。普通にスタートはダメだよと。
    ――猪木さんなりにヒントを与えて、あとは村上さんの力量に任せるという。
    サイモン それでゴングが鳴る前にいきなり乱闘で始まったんだと思いますね。せっかく生中継をするんだから、始まった瞬間に視聴者の心を掴むような……ビックリするようなことをやれってことですよね。
    ――ビックリする始まり方でいえば、小川直也vsグレート・ムタで猪木さんが特別レフェリーをやったときがあって。試合前、ムタが猪木さんに毒霧を浴びせたら、猪木さんが闘魂ビンタで返して試合開始のゴングを要請しましたけど……こういう話を聞くと、猪木さんとムタのあいだであらかじめリハーサルがあったと捉える読者がいると思うんですけど、そのへんはアドリブ性が強かったんでしょうね。
    サイモン 感性でやってきた。猪木さんはそういう緊張感が見えるプロレスが好きだったんでしょうね。引退SPのあと橋本さんと新日本がいろいろ揉めて、橋本さんはゼロワンを旗揚げしますよね。そこで何が起きたかはよく知らないんですけど、橋本さんとはそこから触れ合いが多くなるんですよね。 橋本さんがちょくちょくロスまでやってきて面白い外国人選手はいないか? とりあえずどんな外国人でも使うと。どんな外国人でも大谷(晋二郎)さんや高岩(竜一)さんがなんとかしちゃいますよね、うまいから。 
    ――ああ、たしかに。 スティーブ・コリノやトム・ハワードとか初期ゼロワンを沸かせた外国人軍団はサイモンさんのルートだったわけですか。
    サイモン プレデターやスパンキーもそうです。
    ――当時のゼロワンって新日本と対立していたのに、新日本側のサイモンさんがヘルプしていいんですか?
    サイモン ダメですね。だから隠れてやってました(苦笑)。
    ――ガハハハハハハハ! 

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