その夜、病室で父とふたりきりで過ごしました。
生と死の境目で懸命に息をしている父は全身ですべてを語っていました。
ベッドサイドで見守ることしかできなかった僕は、必死でその言葉を書き留めました。
父が教えてくれた「生きるということ」のすべてを。
数時間後。
一緒に浴びた朝日が、結果的に父にとって生涯最後の夜明けになりました。
故郷熊本の空ではない、僕らを育てたこの町の朝日が。
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きっと、安らかに、そして、ご立派に旅立たれたのだと思います。ご冥福をお祈りいたします。
父がおじいちゃんを一人で看取って、父をその晩、思い続けたの、覚えています。小原さん、心より、お悔やみ申し上げます。
小原さんの手の温もりを感じながら、心穏やかに旅立たれたことと思います。ご冥福をお祈りいたします。
心よりお悔やみをもうしあげます。
旅立つまで、
一緒にいられたこと、幸せだったと思います。
心よりお悔やみ申し上げます。
私も昨年父を亡くしました。最後に手を握ってありがとうしか言えませんでした。
でもきっと最後を看取れたことはある意味親孝行だったのかなと今となっては思います。
ありがとう
にはいろんな思いがこもっていて、きっとお父様もわかってくださっていると思いますよ。
母が3月19日に突然亡くなり葬儀初七日をすませ久しぶりに拝読したところ、その翌日お父様を亡くされていたことがわかり大変驚きました。
実家の山形には湯灌という風習があり、湯灌師の方に隅々まできれいにしていただき、最後に母の髪を私も洗わせていただきました。
お二人の手がその時の暖かな気持ちを思い出させてくれました。ありがとうございます。今は私の中で生き続ける母を大切にしていきたいと思っています。
お父様のご冥福をお祈りします。
遅ればせながら、ご尊父様のご冥福をお祈り申し上げます。