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SWSからプロレスマスコミに渡された現金10万円入りの封筒■小佐野景浩のプロレス歴史発見④
2014-09-19 13:09110pt
元『週刊ゴング』編集長・小佐野景浩が90年代のプロレス界を回顧する「プロレス歴史発見」。第4回は天龍源一郎SWS編「プロレスマスコミとカネ」「アポロ菅原vs鈴木みのる」「SWSが目指したスポーツプロレス」「派閥争いの解散劇」……イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」の出張版つきでお届けします!第1回&2回はhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar612624第3回はコチラ→http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar618588■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
非会員でも購入できる! 単品購入できるインタビュー詰め合わせセット! part7は大好評インタビュー5本立て6万文字が540円!! ■元『週刊ゴング』編集長・小佐野景浩「ジャイアント馬場vs天龍源一郎」とは何だったのか■衝撃告白! 船木誠勝が語る90年代プロ格の時代「俺は真剣勝負をやるつもりはなかったんですよ」■格闘家・桜井隆多は神様の弟子だった!「ゴッチさんがハーモニカを吹いて待ってたんです」■UWFと修斗の鬼っ子!キングダム入江秀忠が見た「総合格闘技が生まれた時代」■ベラトール参戦!所英男「もう一度、人生を変えられる試合がしたいです」
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95年4月2日、『週刊プロレス』発行元のベースボールマガジン社が主催した「夢の懸け橋」東京ドーム大会。各プロレス団体が協力する中、同日に後楽園ホール大会を予定していた天龍源一郎率いるWARにも参加の呼びかけがあったが天龍は拒否。
――あの当時『週刊プロレス』のSWSバッシングが激しかったじゃないですか。『ゴング』側からはどうご覧になってたんですか?
小佐野 なぜ『週プロ』がSWSを叩いたかといえば、それはボクが原因だったところも少なくないんですよ(笑)。それは『ゴング』が天龍さんが全日本を離脱したときに「ジャンボに負けたらやめる」発言を書いたから。ライバルマスコミにスクープが取られたからなんですよ。
――前々回のインタビューで話していただいた天龍さんのエピソードですね。つまり原因はターザン山本の嫉妬ですか(笑)。
小佐野 それと山本氏が自分の本で書かれていたように、馬場さんから裏でお金をもらっていた、と。
――金で動いたのは天龍さんじゃなくて『週プロ』だったという。団体から金銭をもらって意図的な記事を書いてもらうことってあるんですか?
小佐野 いやあ、山本氏のケースはストレートすぎるよねぇ(苦笑)。
――SWSもマスコミを接待していたという話でしたけど。
小佐野 SWSで接待と言えたのは、91年正月のハワイ旅行くらいですよね。選手たちと一緒にマスコミも招待されて。
――いわゆる親睦会というか。
小佐野 そのときハワイ現地でマスコミが若松さんに呼ばれて封筒を渡されたんですよ。100ドルくらい入ってるのかと思ったら10万円。
――マスコミ全員に10万円!!(笑)。何人に配ったんですか?
小佐野 あのときいたマスコミは『東スポ』、『日刊スポーツ』、『デイリースポーツ』、『週プロ』、『ゴング』の6人くらいですかね。でも、さすがに返しましたよ。当時SWSは“金権プロレス”ってことで叩かれていたときじゃないですか。「これで金で買われたと思われるのは冗談じゃない」と思ってね。
――そんな中、SWSをバッシングしていた『週プロ』の記者だけがしっかり頂戴したと聞いてますね(笑)。
小佐野 そうそう。べつにもらってもいいとは思うんだけど。むしろ『週プロ』はもらってたほうが話としては面白いよね(笑)。そんな件があったことで田中社長もわかってくれて「ああ、アナタたちはそういうのは嫌いなんですね。では、食事ならいいですか」ってことで1回だけで銀座で意見を聞きたいということでごちそうになりましたよ。
――当時のマット界って、まだマスコミへの「大入り袋」や「車代」の風習はあったんですか?
小佐野 その風習はあった。だから100ドルくらいだったらもらってましたよ。当時は当たり前のお金だという認識はあったから。ただ、それが10万円という大金になるとやっぱり買収かなという気持ちにはなりますよ。あの頃の新日本なんかも記者会見のたびに、お車代が出てたし。
――記者会見のたびに!(笑)。
小佐野 あと試合会場に行くと「大入り袋」が出て。新日本の担当記者は潤ったと思いますよ(苦笑)。
――いくらもらえるんですか?
小佐野 5000円。時代的に言うと1980年代、新日本担当が蔵前国技館へ取材に行くと、営業部長の大塚直樹さんが大入り袋を配るんです。カメラマンはリングサイトで試合を撮っていると、後ろから肩を叩かれて公衆の面前で渡されていたんだから(笑)。
――「大入り袋」や「車代」はどこから来た慣習なんですかね?
小佐野 どこからなんだろう? まあ、興行の世界ですからね。「ご祝儀を張る」とか言うじゃないですか。でも、全日本の担当なんて、記者会見で出されるのはケーキとコーヒーくらいですよ(笑)。
――ハハハハハハ! さすが馬場さん、アットホームですね(笑)。
小佐野 世界最強タッグの記者会見を品川プリンスホテルでやるじゃないですか。そのときは会見後にレストランで夕食が出るんです。全日本担当の贅沢はそれぐらいでしたね(苦笑)。
――全日本は新日本と比べてお金がそんなになかったですね。
小佐野 正月興行のときは「大入り」と馬場さんからのお年玉がありました。金額はまちまちだけど、1000〜5000円ぐらいかな。面白かったのは、あるときの正月興行で新日本より全日本の大入り袋の金額が多かったことがあったんですよ。あとからそれを知った新日本が追加で出したことがありましたね(笑)。
――そこは団体のメンツだったんですねぇ。
小佐野 FMWを立ち上げたばかりでお金がなかった大仁田厚もくれようとしましたからね。
――5万円で旗揚げした貧乏団体なのに!(笑)。
小佐野 貧乏な頃なのはわかってるから「いいですよ、わかってくれるから」って断りましたけど。あの当時のプロレス団体は「ウチは金を切れるぜ!」という羽振りの良さを見せたかったんでしょう。
――そこはプロレス団体のメンツで。
小佐野 力道山時代のマスコミの方は相当いい思いをしていたといいますよ。会社からもらう給料より巡業の金庫番の吉村道明さんからもらう小遣いのほうが多かったという話を聞きますもん。
――凄いなあ……。(この続きはお買い得な「好評記事の詰め合わせセット」でも購入できます) -
あなたの知らないファイター・エロティカの世界……米国でMMAを描いた官能小説がプチブームに!■MMA Unleashed
2014-09-18 12:1255ptOmasuki Fightの北米MMA抄訳コラム。今回はMMA新たな広がり「MMAの官能小説」! なんじゃそりゃ!?
米国ではボクシングを題材とした文学作品は多数生み出されているが、歴史の浅いMMAは文学にとっては未開の地にとどまっている。しかしながら例外的に、MMAを大きく扱っている文学分野がある。それが「ファイター・エロティカ」だ。ここ数年ですっかりサブジャンルとして確立した感のあるファイター・エロティカとは、MMAを舞台にした、あるいはMMAファイターが登場する、ロマンス小説・官能小説のことだ。
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【UFC秒殺デビュー!!】佐々木憂流迦「才能はないけど、選ばれた人間だとは思いますよ」
2014-09-15 09:4855pt8月23日UFCマカオ大会で必殺スリーパー秒殺デビューを飾った佐々木憂流迦インタビュー。24歳という若さ、通算戦績18勝1敗、一本率が5割を超え、リングネームの「憂流迦」はサンスクリット語で天狗を意味する。新世代ファイターの感性とは?
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非会員でも購入できる! 単品購入できるインタビュー詰め合わせセット! part7は大好評インタビュー5本立て6万文字が540円!! ■元『週刊ゴング』編集長・小佐野景浩「ジャイアント馬場vs天龍源一郎」とは何だったのか■衝撃告白! 船木誠勝が語る90年代プロ格の時代「俺は真剣勝負をやるつもりはなかったんですよ」■格闘家・桜井隆多は神様の弟子だった!「ゴッチさんがハーモニカを吹いて待ってたんです」■UWFと修斗の鬼っ子!キングダム入江秀忠が見た「総合格闘技が生まれた時代」■ベラトール参戦!所英男「もう一度、人生を変えられる試合がしたいです」
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――佐々木選手って最初からキャラが完成されてるイメージがありますね。
憂流迦 嘘だあ(笑)。
――ハハハハハハ! それでいて強いじゃないですか。
憂流迦 そう! 強いんですよねー!!
――あ、そこはあっさりと認めるんですね(笑)。昔からそんなキャラなんですか?
憂流迦 初めの頃はもっとチャラチャラしてましたけどね。
――いまは落ち着いてる感じですかね。
憂流迦 そうっすね。
――格闘技を始めようと思ったのはいつくらいなんですか?
憂流迦 えっと、小学生の頃で。叔父がプロレスが大好きでよく一緒にプロレスの番組を見てて、兄貴が「プロレスラーになる」と言ってたらから「じゃあ俺もなる!」って。
――どのプロレスラーが好きだったんですか?
憂流迦 武藤敬司。
――どの時代の武藤さんですか?
憂流迦 印象に残ってるのはもうスキンヘッドのときですね。卒業文集に「将来IWGPのチャンピオンになる」って書いたんですよ。それで中学の頃からK−1やPRIDEを見るようになって「総合格闘技をやろう」と思って。
――その頃からチャラチャラしてたんですか?
憂流迦 そのときはチャラチャラしてなかった(笑)。フツーの中学生でしたけど、格闘家以外にはなりたくなかったんですよ。高校でボクシングかレスリングをやろうと思って、地元でレスリングのある高校に入学して。ウチのレスリング部は名門と言われてて強かったんですよね。レスリングでは全国的に有名な高校。
――レスリングにはかなり熱中されたんですか?
憂流迦 あくまで総合の手段でしたけど、純粋に楽しみましたね。卒業式のときもレスリングをやってましたから。ほかの3年生は部活引退したら、みんな超遊んでいるのに。
――高校時代はぜんぜん遊んでない。
憂流迦 遊んでない、遊んでない。練習、超やったし。でも、卒業して大学でレスリングを4年間やるよりもすぐ総合をやろうと思って。東京に出て五味(隆典)さんのラスカルジムに入ろう思ったんですよ。でも、ウチの代表の芹澤(健市)さんが高校の先輩で、親にも会って「任せてくれないか」ということで入会したんですけど。
――東京ではなく地元で格闘技をやることになったんですね。
憂流迦 でも、最初は練習方法に戸惑いましたねぇ。高校の部活ってメニューがあって、みんなできっちり練習すやるじゃないですか。でも、ジムだと自分ひとりで考えて作り上げていくところがあるんですよね。だから入ったばっかのときは何をやったらいいかわからなくて。そこで考えてやる奴が強くなるし、強くなる奴はどんどん強くなるし。こっちに残って結果が出たんで正解だったと思うけど。
――総合はやってみてどうでした?
憂流迦 打撃はヘタクソでしたね。寝技もそんなにうまい気がしないですけど。
――佐々木選手がうまくなかったら誰がうまいというのか……(笑)。
憂流迦 まあまあ、寝技の練習を費やした時間は多かったと思いますね。芹澤さんも言ってましたけど、総合を始めたときはとくに光るものはなかったすね。あと俺、練習でメッチャ弱いんですし。
――それはいまでも?
憂流迦 超弱い。ちょっと前にも東京のジムでボコボコにやられて「これは心、折れるわ……」って(笑)。でも、試合じゃ負けないですけど。
――練習することで眠ってた才能が開花されたんですかね。
憂流迦 才能もねーと思いますよ。
――才能のない選手の戦績ではないと思いますけど(笑)。
憂流迦 そうですね。アッハッハッハッハッ! 才能はないけど、選ばれてるとは思いますけど。
――選ばれし者。そんな言葉を聞くのは前田日明や中邑真輔くらいですよ(笑)。
憂流迦 自分の見せ方はアマチュアの頃から考えてはいるんですよ。試合後の立ち振る舞い、いかにして注目を浴びるか、ほかの選手と同じラインに並べられないようにするか。
――セルフプロデュースですね。
憂流迦 判定になったときは相手より先に立つとか、余裕な動作を見せるとか。けっこう俺の体力もギリギリなんですけど、それでもやっておくんですよ。そうすると、試合を見てる選手や関係者も「コイツはヤバイなー」とか思うでしょ。
――その発想はどこからきてるんですかね。
憂流迦 どこだろ。感覚かな。あと五味さんが大好きで試合をずっと見ていたから。五味さん、試合が終わったあとマウスピースを投げて走り回っていたりするでしょ。ほかの選手はやらないじゃないですか。
――五味さんの場合、そこは本能的にやってるところはありますよね。
憂流迦 五味さん、本能ですね(笑)。でも、それって見てる人は何か引っかかると思うので。
――リングネームの「憂流迦」もそういう狙いがあるんですか?
憂流迦 そうですね。
――古代インド文化とかに精通してるわけではないんですよね?
憂流迦 まったく知らないねー(笑)。
――ハハハハハハ!
憂流迦 サンスクリット語は「憂流迦」しか知らない(笑)。昔は「佐々木天狗」というリングネームだったんですけど、これは絶対に売れないプロレスラーの名前だなって。
――たしかに(笑)。
憂流迦 やめよう、やめよう。それでネットで天狗を調べたら「憂流迦」が出てきてこれだ! 苗字と組み合わせたら本名っぽいし。
――それで佐々木天狗から変えて。
憂流迦 佐々木天狗はヤバイですねー。あの名前だったら、ここまで来れてない(笑)。
――入場も派手さを意識してます?
憂流迦 してるけど、完成度は低いですよ。ぶっちゃけダンスができるわけじゃないから。何もしてないんですよね(笑)。
――入場といえば須藤元気さんや郷野聡寛さんですけど、ダンス主体ですもんね。
憂流迦 俺、そこまでスキルがないから。殺陣とかやろうと思ったりしてますけどね。まあ自分の表現をしたいわけですよ。何かを表現して認められたときだけですよね、生きてる感じがするのは。
――そこは一本狙いのファイトスタイルにもつながってるんですか。
憂流迦 フィニッシュするってことにしても、普通じゃない動きがしたいんですよね。自分が頭の中で考えてる動きを表現したいですよ。そのためには、語弊があるかもしれないですけど、宗教とか偏ったものを見てみたい。普段、祈ったりとかしないじゃないですか。そういう人の心情や考え方はどんなものなんだろう?って。それは最近、とくに思ってることなんですけど。
――その原動力はなんなんですかね。
憂流迦 目立ちたいという意識もあるんですけど。いままでの人生で何もなかったからこそ、認められたいじゃないですかね。
――個性がなかった?
憂流迦 そうかな。うん。個性がなかった。
――たとえば日本人ファイターの中で個性を感じるのは誰ですか?
憂流迦 五味さん。というか、あの時代の人たちってみんな個性ありますけどね。でも、五味さんは、あの人は本能でやってるから惹きつけられるところはあると思うんで。俺は本能では、ああはなりきれないので。
――計算じゃない個性ですね。
憂流迦 でも、こないだのUFCの試合は嬉しかったですけどね。本能で喜んじゃって。UFCで勝つこと、あんなに嬉しいんだって自分でビックリしましたもん。いつも感情の起伏ってないんですよ。
――最近泣いたり怒ったりしたことはないんですか?
憂流迦 ない、ない。そうなりたい。怒りたいし、泣きたい(笑)。「うわっ!」ってなる感情を味わいたいす。
――俺を怒らせてみろ!と(笑)。
憂流迦 UFCという舞台を自分の中で大きくしてたところがあったし。だから嬉しかったんだと思うんですけど、入場のときにぜんぜん緊張しなかったんですよ。「なんだよ。いつもと変わらねえなー」と。
――いつも緊張しないんですか?
憂流迦 しないですね。緊張という言葉も使わない。試合前って自分の中に精神論があって、まずゾーンに入るんですよ。そうれすれば緊張なんかしなくて。(この続きはお買い得な「好評記事の詰め合わせセット」でも購入できます) -
本場MMA魂が注入!『闘魂先生 Mr.ネバーギブアップ』■高橋ターヤンのバトル映画地獄変③
2014-09-15 09:3755pt映画ライターで北米MMA事情通の高橋ターヤンがプロレス格闘技関連の映画を紹介するコーナー。第3回は9月19日(金)WOWOW放送予定『闘魂先生 Mr.ネバーギブアップ』ダー!!『闘魂先生 Mr.ネバーギブアップ』
アメリカでは大ヒットを記録しているにも関わらず、日本ではまったく売れず、映画会社としても扱いに困るのがコメディ映画。
2013年末には『テッド』がスマッシュヒットを飛ばしたが、あれはキャラクタービジネス的な要素が多分にあり、例外ととらえて良いのではないかと思う。逆に『テッド』が売れたことが話題になるほど、コメディという映画は「日本では」売れないジャンルとなっている。
そんなこともあって、アメリカでは1億ドルを稼ぎ出すような大ヒットしても日本ではDVDスルーの憂き目に遭っているコメディ作品は数多く存在。今回紹介する『闘魂先生 Mr.ネバーギブアップ』も、アメリカでは2012年の秋シーズンに公開されてスマッシュヒットしたコメディ作品で、全米ボックスオフィスでは初登場5位の好成績でスタートし、最終的にはアメリカ国内で4,500万ドル、全世界で7,300万ドルを稼ぎ出す作品となったが、日本では見事にDVDスルーとなった作品だ。 -
UFC王者9人中7人が手術! UFCタイトル戦線総まとめ■MMA Unleashed
2014-09-12 09:5655ptOmasuki Fightの北米MMA抄訳コラム。今回のテーマは怪我人続出で大幅にスケジュールが狂った今年のUFCについて。まとめてみるとビックリ……!!「TJディラショー vs. ジョー・ソト」をメインイベントとして行われたUFC177(8月30日開催)は、あたかも2014年のUFCの縮図のような大会となった。もともと予定されていたメインイベントは、「ジョン・ジョーンズ vs. アレクサンダー・グスタフソン」の再戦で、名実共に今年最大のビッグマッチとなるはずだったのだ。しかし、まずジョーンズが試合の1か月延期を希望した。ついでグスタフソンもケガをした。そこでUFCでは、「ジョーンズ vs. グスタフソン」を1か月延期し、この大会のメインイベントには軽量級のタイトル戦を2試合用意した。メインイベントでは地元サクラメント出身のバンタム級チャンピオン、TJディラショーが、元王者ヘナン・バラオンを迎え撃つリターンマッチを配した。はずだった。ダブルメインイベントには、「デミトリアス・ジョンソン vs. クリス・カリアソ」のフライ級タイトル戦が予定された。しかしこの試合はのちに、すでに延期されていたジョーンズの試合が、ジョーンズのケガのため再び延期されたため、その穴埋めに1か月先に延期された。 -
【愛と苦しみのPRIDE物語】大山峻護、引退――「ハイアン戦の恐怖はしばらく消えませんでした」
2014-09-11 18:31110ptPRIDE、HERO’S、パンクラスなどで活躍した大山峻護が引退表明――。13年間のMMAファイター人生にピリオドを打つことになった。大山といえば“平成のエスペランサ”というキャッチフレーズ付きでヴァンダレイ・シウバ戦でPRIDEデビュー。大抜擢後も大物ファイターとの試合が次々に組まれた。だが、インタビュー中でも触れられているヘンゾ・グレイシー戦のバッシングから始まり、戦績も振るわなかったことから、PRIDEでは鮮烈な印象を残せなかった。しかし! 大山は我々と同じく“90年代プロ格直撃世代”の一員であり、狂ったゼロゼロ年代MMAバブルを真摯に生き抜いてきたことがわかる取材となった。PRIDEが青春だった方にぜひ読んでもらいたい大山峻護の青春インタビュー!
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――8月10日パンクラスの試合後に引退表明をされた大山さんですが、引退を決意されてから生活のリズムはやっぱり違いますか?
大山 そうですね………やっぱり自由な時間が増えたぶん、いろいろと考えちゃいますよね。たとえば、自分の中でラストマッチをけじめとしてやったほうがいいのかなって考えたりしてるんですけど。なにより応援してくださっている方々のために。
――大山さんを応援してる方たちは“ラストマッチ”だと思って見てなかったわけですもんね。
大山 ボクは5歳の頃から柔道を始めて、高校、大学、実業団までやって。そこから総合格闘技の世界に入ったので、格闘技から離れるのは初めての体験なんですよね。そんな生活がなんだか消化しきれなくて。
――戦わない自分の人生とはなんなんだろう?という。
大山 そういうことも考えちゃいますよねぇ。何をやっていいかわからないから、とりあえず走りこみをしたりして(笑)。「これじゃ現役時代と同じだろ!?」と思いながら。
――ハハハハハハ! 柔道を始めたのは自分の意思なんですか?
大山 ウルトラマンを見て「強くなりたい」と思って空手をやろうとしたんです。でも、お母さんに連れて行かれたのが柔道だったという。
――実業団までやられていたということは柔道ではエリートだったんですかね?
大山 いやいや、ボクなんか全然エリートじゃないですよ。エリートというのは、吉田(秀彦)先輩や滝本(誠)のことで。やっぱりオリンピックや世界選手権に出場できるレベルがエリート。それ以外の選手はそう言っちゃいけない感覚が柔道界にはありますね。
――講道学舎に入られたのはそれなりの選手だったからじゃないんですか?
大山 いや、講道学舎の入門試験があったんですけど、試合形式でボクは全敗して。でも、理事長が「受け身がうまい」ということで合格にしてもらったんです。そこは運が良かったんですよね。ボクの投げられっぷりに何かを感じてくれたのかもしれないですけど。
――普通だったら不合格ですか?
大山 そうでしょうね。やっぱり強くなるような可能性がないと。全国トップレベルの人間が集まる場所ですから。
――何人くらい合格するもんなんですか?
大山 1学年に10人くらいですかね。講道学舎は中高一貫なんでけど、ボクの同級生には滝本誠や吉田善行、小斎武志がいて。同学年ではボクが一番弱かったんです(苦笑)。
――講道学舎の1日はどんなスケジュールなんですか?
大山 まず早朝5時に太鼓の音で起こされて朝練です。
――太鼓の音!(笑)。
大山 「ドーン!ドーン!!」という大きな音が鳴るんですよ(笑)。練習が終わったら講道学舎の近くにある中学や高校に通って。授業が終わったら帰ってきてまた練習ですね。あと先輩の洗濯物を洗ったり。
――中高一貫だと60人くらいの人間と共同生活。後輩は大変そうですね。
大山 みんな個性的でしたから、まあ揉まれましたよねぇ……(しみじみと)。
――柔道はぶっ飛んだ方が多いイメージですけど。
大山 ぶっ飛んだ人が多いんですよねぇ。ボクはもともと協調性がないし、友達がすぐにできる性格ではなかったので、途中で人間関係で悩みましたし。練習もキツイし、人間関係もうまくいかないし、どちらかというと“使えない奴”でしたね。先輩から「大山は使えねえな!」ってよく言われました。
――たとえばどんな失敗をしたんですか?
大山 先輩に買い物を頼まれたけど、違うものを買ってきたりとか。
――典型的なダメパターンですね(笑)。
大山 結局、講道学舎には中2から高2までいて大学でも柔道はやったんですけど。中学、高校と結果が出なかったんで、そのぶん大学で取り戻したいという思いでやってましたね。それと同時にパンクラスにも入りたい気持ちがあって。
――当時から総合格闘技に興味はあったんですか。
大山 もともとプロレス少年ではあったんですけど。新日、全日、UWFからリングス、パンクラス、Uインターまで。『週プロ』なんかで網羅してて。パンクラスに入門したいなとボンヤリ思ってたくらい好きだったんですよ。
――U系からの総合格闘技って“90年代プロ格直撃世代”ですね(笑)。
大山 UWFはホント大好きでしたもん。リングスでサンボの存在を知って、それがきっかけで大学の頃からサンボもやり始めて。でも、大学4年のときに柔道で結果が出たので実業団に入って柔道を続けることになったんです。
――実業団時代もアマチュアで総合はやられてたんですよね?
大山 はい。桜庭(和志)さんの活躍に憧れて、自分もアマチュアの大会に出たりしました。初めて出たのがコンプリートファイティングですね。
――PRIDEの元レフェリーだった塩崎啓二さんがやっていたイベントですね。
大山 たしか町田の体育館でやったのかなあ。1回戦で空手家のローキックを食らって「これが打撃なんだ……!?」とビックリしましたね。そのときはなんとか優勝したんですけど、「やっぱり打撃をおぼえないいとダメだな」って。
――そのときは打撃の練習はまったくせずに?
大山 柔道家として出てました。フルフェイスをつけて頭突きありなんですけど、最後は頭突きをしまくっての判定勝ちで(笑)。ちょうど格闘技が熱くなってきた時代でしたよね。
――その熱に冒されるかたちで会社という安定した身分を捨て、総合格闘家に転向したんですね。
大山 そうです。そこはやっぱり桜庭さんの存在が一番大きいですよね。桜庭さんはホント凄かったじゃないですか。東京ドームのホイス・グレイシー戦がボクの背中を押すきっかけになりました。そこからアマチュア修斗にも出るようになって優勝したことも自信になりました。
――周囲は反対しませんでした?
大山 応援してくれたかなあ。両親なんかは反対するとばかり思ったんですけど。「やりたきゃやれよ!」って。親父にはぶっ飛ばされると思ってたんですけどね(笑)。あとアブダビコンバットに出たことも大きいですね。あのときの日本チームには宇野(薫)くん、マッハ、矢野卓見さん、金原弘光さん、あと(佐藤)ルミナさんもいたのかな。そこでプロの空気に触れたことも大きな刺激になりましたね。
――そこからPRIDEにどう繋がったんですか?
大山 ちょうどPRIDEの関係者がアマ修の試合を見てたんですね。それで「アメリカのキング・オブ・ザ・ケージの試合に出てみないか?」という話をもらって。たぶんボクがどれくらいできるか試そうとしたと思うんです。そこでKO勝ちしたんですけど。
――そしてPRIDEデビュー戦の相手は、大山さんが尊敬する桜庭選手を倒したばかりのヴァンダレイ・シウバでした。
大山 その話を聞いたのは試合の3週間前くらいだったかなあ。突然言われたんですよね。いや、PRIDEのオファーはいつも突然だったんですけど。
――通常運転というか(笑)。PRIDE時代ちゃんと準備して闘った試合ってあります?
大山 ないです、ひとつもないです(苦笑)。
――ハハハハハハ! 大山さんは実質階級下なのに、いつもスクランブル発進ですか!
大山 いつも突然「準備できている?」と聞かれて「は、はい……」と答えるという(笑)。
――PRIDEとは専属契約されていたんですか?
大山 いや、何もなかったです。キング・オブ・ザ・ケージで2試合したときも、とくに先の話は決まってなかったんですよね。「俺はこの先どうなるんだろう……?」という感じで。
――生活費はどうされてたんですか?
大山 最初の頃は貯金を切り崩しながらでしたね。でも、憧れの舞台に出れるわけですし、ヴァンダレイ戦も「やってやる!」という気持ちが強かったです。デビュー当時は経験がないから“怖いもの知らず”じゃないですか。何も知らないから怖さがないんですよね。
――シウバは大スターだった桜庭選手に勝った直後だったじゃないですか。当時桜庭さんが所属していた高田道場からすると、高田道場以外の日本人がシウバと闘うことに不快感を示していたようで。要は“いいところ取り”されるんじゃないか、と。
大山 うーん、ボクは何も考えてなかったので……。それに周りのことを考えてる余裕もなかったですよね。あの試合は前田憲作さんがセコンドについていてくれて。前田さんの作戦は「とにかく距離を取って様子を見ろ」というものだったんですけど、いきなり殴り合いに行っちゃったから、前田さんの「行くなーーーーーっ!!」という声が聞こえたのがいまでもおぼえてますね(笑)。
――PRIDEだと実績が上の相手ばかりでしたけど、そんなマッチメイクはどう思われたんですか?
大山 当時は「そういうものなのかな」って思ってたんですよね。そういう相手と戦って、結果を出していかないと生き残れない世界なんだろうな、と。いま思えばホントとんでもない相手ばっかりで、よく戦ってきたなと思いますよね(笑)。2戦目がイズマイウで、3戦目がヘンゾ(・グレイシー)じゃないですか。
――デビューしたばかりの選手が戦う相手じゃないですね(笑)。大山峻護 PRIDE1勝5敗PRIDE.14 ヴァンダレイ・シウバ ● 1R TKOPRIDE.15 ヴァリッジ・イズマイウ ● 2R 肩固めPRIDE.21 ヘンゾ・グレイシー ○ 3R判定PRIDE.22 ハイアン・グレイシー ●1R 腕十字PRIDE.25 ダン・ヘンダーソン ● 1R KO武士道 四 ミルコ・クロコップ ● 1R KO
☆適正階級後の大山は最終的に14勝18敗まで戦績を戻している。
大山 あのときイズマイウが試合前のインタビューで「大山とは殴り合いをする!」と言ってたんですけど、いきなりタックルしてきましたからね(笑)。「これがプロなんだ」と思いましたね。
――まあ、イズマイウはそういう男ですから(笑)。PRIDE初勝利がヘンゾ戦でしたね。
大山 (曇った表情で)…………いま振り返れば経験が浅いわりには頑張ったと思えるんですけど、当時は大バッシングを受けましたから。
――大山さんのファイトスタイルが消極的だということで、ヘンゾが試合中に唾を吐きかけたりして。
大山 「あのヘンゾが唾を吐いた大山は何をやってるんだ!?」とバッシングをされて………………………………………………………いやあ、あのときはホント、ホントにつらかったですねぇ。(この続きはお買い得な「好評記事の詰め合わせセット」でも購入できます)
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格闘技版「孤独のグルメ〜後楽園ホール編〜」■MMAオレンジ色の手帖<File⑤>
2014-09-11 18:0755pt格闘技ブログ「MMA THE ORANGE」の管理人をしているオレンジがディープなエピソードをお届けする「MMAオレンジ色の手帖」! File⑤はプロレス格闘技の聖地・後楽園ホール界隈の美味5店舗を紹介します!! 格闘技を観戦する際の密かな楽しみと言えば……。そう、会場近くで美味しいお店を探すこと。「孤独のグルメ」の井之頭五郎ばりにぶらぶらと散策し続け、気がつけばブログで取り上げてきたお店はなんと500軒を超えていました。投じたお金と摂取したカロリーを考えると一気に青ざめましたが、ここまで来たらもうポジティブに捉えていきましょう。今回は「Dropkick」をご覧の皆さんにだけ、格闘家も唸らせた会場近くでしか味わえないお店を紹介したいと思います。
まずは格闘技の聖地・後楽園ホール周辺をフィーチャー。水道橋、神保町は都内でも有数のグルメスポットが密集しています。きっと名店が名店を呼ぶのでしょう。ラーメン、カレー、焼肉、天ぷら、エスニック……なんでもござれ。格闘家や格闘技好きの方が絶対に喜ぶデカ盛りや食べ放題のお店が軒を連ねています。
その中でも、Twitterやブログで格闘技関係者から一番反響が大きかったのが「神保町食肉センター」です。ランチタイムはなんと900円で焼肉(ライス、スープ、玉ねぎサラダも)が食べ放題! 肉好きの大食漢にはたまらない夢のようなお店です。
神保町食肉センター「どうせ大した肉じゃないだろ」と疑心暗鬼になる方もいるでしょうがご安心ください。朝採りレバー、朝採りハツが味わえます。朝採りだけあって新鮮そのもの。肉には塩とごま油で味が調えられているので、臭みがないので思わず生でがっつきたくなります。当然ながらお店の前には長蛇の列ができているので待つこと必至。しかも朝採りレバーとハツは数量が限定なので早めに行くことをオススメします。
そんな「神保町食肉センター」の大行列に心が折れて、別のお店を探しているときに偶然発見したのが……(この続きはお買い得な「好評記事の詰め合わせセット」でも購入できます) -
SWSの猛威! 新日・全日が企業プロレスとなった日…■小佐野景浩のプロレス歴史発見③
2014-09-08 18:12110pt元『週刊ゴング』編集長・小佐野景浩が90年代のプロレス界を回顧する「プロレス歴史発見」。第3回は「その後の全日本プロレスvsSWS」「新日・全日の企業防衛」「SWSの派閥争いが生んだ北尾光司の八百長発言」……イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」の出張版つきでお届けします!■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
非会員でも購入できる! 単品購入できるインタビュー詰め合わせセット! part7は大好評インタビュー5本立て6万文字が540円!! ■元『週刊ゴング』編集長・小佐野景浩「ジャイアント馬場vs天龍源一郎」とは何だったのか■衝撃告白! 船木誠勝が語る90年代プロ格の時代「俺は真剣勝負をやるつもりはなかったんですよ」■格闘家・桜井隆多は神様の弟子だった!「ゴッチさんがハーモニカを吹いて待ってたんです」■UWFと修斗の鬼っ子!キングダム入江秀忠が見た「総合格闘技が生まれた時代」■ベラトール参戦!所英男「もう一度、人生を変えられる試合がしたいです」
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4コマ漫画の続きは本編で読めます……――小佐野さん! 天龍さんと全日本プロレスは当初は“円満退団”ということでしたが、そのムードが変わっていったのはSWSによる“選手引き抜き”でした。小佐野さんは前回のインタビューで、天龍さんが全日本プロレスの選手引き抜きを画策していたわけではなかったとおっしゃってましたね。
小佐野 天龍さんが声をかけたのは、全日本で付き人だった折原(昌夫)だけかな。あとはいないですね。
――天龍同盟の冬木(弘道)さんや川田(利明)さんにも?
小佐野 かけてない。三沢(光晴)と飲みに行ったとき酔っ払って「全日本でいくらもらってるんだ?ウチに来るか?」なんて冗談を飛ばして、あとで「あの話は酔ってからなしね」と電話したそうですけどね(笑)。天龍さんからすると、新しく団体を立ち上げたところでうまくいくはわからない。他人の人生にはさわれないから、声をかけなかったということですよね。
――あの当時の新団体旗揚げはかなりのチャレンジですよね。
小佐野 馬場・猪木がプロレス界を支配していた時代ですよ。前田日明のUWFが奇跡的に成功してたくらいで。だって普通に考えたら川田や冬木に話をして、天龍同盟としてSWSに行ったほうがよかったんだから。そのほうがかっこよく出られたわけだし。
――そんな天龍さんからすると、あとから全日本の選手が続々とSWSに来たことに驚いたんじゃないですか。
小佐野 自分の知らないあいだに選手がたくさんやってきたわけだからね。おそらくね、北原(光駒)や冬木さんは天龍さんには「SWSに行きたい」とは言ったと思うよ。北原はカルガリーの海外修行から帰ってきたばっかりで、本当は天龍同盟に入りたかったんですよ。だからSWSにいつ行こうか悩んでいたんですよね。そんなときに全日本は全選手に新しい契約を提示したんですよ。契約金つきで2年間拘束。
――それはSWS来襲を受けて選手を契約で固めようと?
小佐野 そう。その契約書にサインをしてしまったら2年間はやめることはできない。そこで北原は「サインはできません」と拒否したんです。
――逆に決断を促してしまったんですねぇ。SWSの年俸はそれくらい魅力的だったんですか?
小佐野 それ以前に北原は全日本では“外様”でしたから。谷津(嘉章)さんを慕ってジャパンプロレスに入ったけど、ジャパンがダメになって首を切られそうになったときに天龍さんや阿修羅(原)の付き人として拾ってもらったようなもんだから。
――冬木さんも外様ですね。
小佐野 国際プロレスだからね。普通の会社にも派閥があるじゃないですか。派閥の長が失脚したら「自分も左遷されるかもしれない」と考えちゃいますよね。そうなると、大将の天龍さんがいなくなってしまったいま、彼らは「このまま全日本にいても……」という気持ちは出てきますよね。あのとき全日本の合宿所から飛び出した北原や、折原を取材したんですけど。菊地毅が「なんで出て行くんだ!?金に困ってるんだったら俺が貸してやるから!」って泣きながら止めたらしいですね……。
――同じく外様の谷津さんは当初は残留気配でしたが……。
小佐野 谷津さんはスティーブ・ウイリアムスのバックドロップでケガをしてその治療費の問題がきっかけだったんじゃないかなあ……。その頃、ボクは夏休みを取ってハワイに行ってたんで詳しくはわからないんですよね(笑)。
――ハハハハハハ! 休暇にハワイは馬場イズムですね(笑)。
小佐野 日本に帰ってきたら「谷津がやめたからコンタクトを取ってくれ」と言われたんですけど、当時は携帯もないじゃないですか。捕まえるのが大変だったんですよ。
――のちにSWSの現場責任者になるカブキさんのことも天龍さんは誘ってないんですか?
小佐野 天龍さん全日本最後の試合となったジャンボに負けた夜、天龍さんとカブキさんは一緒に飲みに行ってるんです。そこで全日本を辞めることを伝えたんですけど。カブキさんは「俺も連れて行ってくれ」と言ってるんですよ。
――カブキさんも全日本の居心地はよくなかったみたいですね。
小佐野 カブキさんは馬場さんやジャンボとそりが合わなかったから「源ちゃんがいないんだったら全日本にいても仕方ない」と思ったんでしょうね。でも、天龍さんからすれば「高千穂さんには家族がいるから……」と。
――どうなるかわからない新天地には誘えなかった、と。
小佐野 それにそのときは天龍さんは全日本はやめるけども、メガネスーパーと完全に話がついたわけじゃないから。まだなんともいえない状況だったんですね。で、カブキさんはSWSに行きたい選手が全員出て行ったあと最後にやめた。
――カブキさんが最後まで残っていたのはどういう理由なんでしょうか?
小佐野 カブキさんは日本プロレス末期、団体をやめようとした選手がボコボコに制裁されたところを見てるから。SWSに移る選手が何事もないのを見届けたかったんでしょう。
――当時の団体移籍は修羅場だったんですねぇ……。
小佐野 みんながやめてから、カブキさんは全日本で1シリーズだけこなしたんです。そこでジャンボと世界タッグのタイトルを獲ったけど、シリーズが終わったらベルトを返上して離脱。
――カブキさんはおかしな離脱だと思ったんですよね。世界タッグのタイトルを獲ってるのに。
小佐野 シリーズ最終戦の翌日、全日本事務所でギャラの支払いがあったんですけど。カブキさんはその場で「辞めます」と伝えたんですよね。
――カブキさんは契約を結び直してなかったんですかね?
小佐野 うーん、そこらへんはわからない。その頃ね、全日本からSWSに行く選手の情報はボクのところには入ってこなかった。『週プロ』には入ってた。なぜなら馬場さんが当時『週プロ』の編集長だったターザン山本氏に「アイツはやめる」「コイツもやめる」って情報を流していたから。
――当時の馬場さんと『ゴング』の関係はよろしくなかったんですか?
小佐野 仲が悪かったわけではないですけどね。ただ、ボクは全日本担当で天龍さんと仲が良かったから「小佐野は知ってるだろ」と思い込んでたんでしょうけど。でも、ボクは全然知らなかった。
――そのすれ違いは面白いですね。
小佐野 まさか選手本人に「やめるの?」と聞くわけにはいかないでしょ。ただ、天龍さんがやめた翌日、川田には電話したんですよ。「どうするの?」って。でも、SWSはだんだんデリケートな問題になってきたから。
――へんに嗅ぎまわってると思われるのはマズイですよねぇ。
小佐野 だから三沢が教えてくれた。三沢は全日本に残ることは決めてたけど、天龍さんとも仲は良かったし、ボクのことを天龍さんのスパイだとは思ってなかったから。あの頃はまだタイガーマスクだったから「タイガー」って呼んでたのかな。「タイガー、どうなってるの?」って聞いたら「●●は行くと思うよ」「川田は行かないと思うよ」と。
――あそこで残留を決意した川田さんにはどんな考えがあったんですか?
小佐野 川田は天龍さんがやめた翌日、全日本事務所に招集されてるんですよね。たぶん馬場さんから「おまえはこれからの全日本に必要だ」と頼まれて腹をくくったんでしょうね。あと天龍さんのあとについていっても、ずっと天龍さんの下じゃない。
――全日本に残れば、天龍さんが抜けた“上”に行けますよね。
小佐野 SWSのプレ旗揚げ戦が福井であったのは9月29日なんですよ。同じ日に全日本プロレスジャイアントシリーズ開幕戦が後楽園ホールであったんですけど。川田はそこで始めて天龍カラーの黒と黄色のコスチュームで登場してるんですよね。
――ドラマを演出しますねぇ(笑)。
小佐野 川田の中で思うところがあったんでしょうね。本人は「自分の好きな色だから」と言い張るけども。
――小佐野さんは選手層が薄くなった全日本はどうなると思いましたか?
小佐野 潰れるとは思わなかったけど……三沢が武道館大会でジャンボに勝ったあと、後楽園ホールでワンナイトスペシャルという日本人だけの興行があって。セミで川田vs小橋のシングルマッチを20分近くやって、メインで三沢&田上&菊地vsジャンボ&渕&カブキの試合が30分近い激闘をやった。その試合にファンが熱狂してる姿を見て「これはいけるんじゃないかな」と思えたんです。
――新しい全日本プロレスのかたちが見えたんですね。
小佐野 やっぱり武道館のジャンボvs三沢のシングルマッチが大きいですよね。――ファンを大熱狂させたうえで三沢さんが鶴田さんに勝つという番狂わせ。小佐野 結局ジャンボvs天龍を超えるものを作るしかなかったんだけど。正直、ボクの目から見て「三沢はまだ厳しいんじゃないかな……」と。まだジャンボとは釣り合い取れなかったし、ジャンボがまともに相手にするかどうかわからないじゃない。
――会社の浮沈が関わる試合だとわかっていても「格下に相手に……」という意識は拭えないもんですか。
小佐野 と思っても仕方のないくらい三沢と格は違いましたよね。馬場さんはそこでジャンボのプライドを凄く考えたと思う。とくに三沢はジャンボの付き人だったわけだから。たとえば天龍革命のときだって、天龍さんからすれば「ジャンボが振り向いてくれたから成立した」わけですよね。長州力の“噛ませ犬発言”だって、振り向いてくれた藤波さんに長州さんが感謝してるわけだから。
――それくらいジャンボ鶴田の存在は大きかったわけですね。そうやって盛り上がっていったわけですから、全日本担当だった小佐野さんとしても“新生・全日本”は取材しがいがあったんじゃないですか。
小佐野 ……それがSWSの騒動の中で、ボクは全日本の事務所に行けなくなってしまってね……。――えっ、何があったんですか?(この続きはお買い得な「好評記事の詰め合わせセット」でも購入できます)
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脳が揺れるほどの打撃を受けたい私……!?/二階堂綾乃のオールラウンダーAYANO⑧
2014-09-06 12:0855pt新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだした! その模様をイラストレポートすることになった当コーナー。今回は「ぐるぐるバット」! 8月31日にWRESTLE‐1後楽園大会を観戦しました。そこで久しぶりにAKIRA選手を見てなんとなくJJジャックスを思い出し、飯塚選手が鈴木軍に寝返ったことが今さらまた悲しくなってきました。私のプランでは、CHAOSの飯塚選手はある日突然話せるようになり、等々力のほこらに封印されし善良な魂が解放され、AKIRA選手はある日突然ほっぺがふくよかになり、JJジャックスは再結成するはずだったのですがね。勝手に鈴木軍に寝返って…悲しみとともに怒りも込み上げてきます。
あと黒潮“イケメン”二郎という今年7月からW-1所属になった選手が、なんか凄かったです。キャラクターはディカプリオ似でmy鏡を持ち歩く自分大好きイケメン、ブライアン・ケンドリック選手とほぼ同じなのですが、ブライアンの顔と雰囲気を狩野英孝さん寄りにした感じと言えばわかりやすいでしょうか。とにかく一度彼の試合を入場から生観戦してみてください。笑顔になる人もいればイラつく方もいるかもしれません。何よりびっくりしたのは二郎選手の歳です。まだ21歳、私より5つも下です。選手の年齢で自分は歳をとったなと感じるのは「プロレスファンのあるある」なんですかね? -
UFC薬物検査最前線!!盛り上がるアンチドーピングの波■MMA Unleashed
2014-09-05 11:0355ptOmasuki Fightの北米MMA抄訳コラム。今回のテーマは急展開を見せる薬物検査最前線! UFCやアスレチックコミッションが巨額の予算を投下。MMA薬物汚染が一掃される……!?UFCバイスプレシデントのマーク・ラトナー氏が明かしたところによると、UFCでは年末までに、全選手を対象とする抜き打ち検査プログラムを開始する予定で、目下のところ、提携先となる検査機関の選考作業を行っているという。あわせて新しく「薬物検査規定」を作成中であるとのことだ。
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